コマツショウゴ, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shogo-komatsu/ Wed, 04 Jan 2023 02:02:37 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png コマツショウゴ, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shogo-komatsu/ 32 32 ヘアサロンと古着屋。「UNDER THE SUN」が目指す、新しい店のカタチ https://tokion.jp/2023/01/05/under-the-sun/ Thu, 05 Jan 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=162998 異業種を組み合わせた店が徐々に増加している昨今。今回フォーカスするのは、身だしなみを整えるヘアサロンと古着屋を組み合わせたまた新しいショップの姿。

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東京・三軒茶屋に店を構える「UNDER THE SUN(アンダーザサン)」は、ヘアサロンでありながら、古着屋でもある。ショップには、アメリカから直接買い付けてきた古着がラインアップし、アパレル関係者をはじめとしたさまざまな人達がここで髪形を整えていて、ヘアスタイルとファッションスタイルの身だしなみを、トータルでサポートしてくれる。

ありそうだけど、あまりない、ヘアサロンと古着屋の併設。その形態をとった理由をオーナーで美容師の中川優也と、古着を担当する谷田誠人に聞いてみることに。東京のショップの今を、「UNDER THE SUN」から探ってみたい。

Left → Right
中川優也(なかがわ・ゆうや)
原宿のヘアサロンを経て、2019年三軒茶屋に「UNDER THE SUN」をオープン。サロンワークをこなしつつ、アメリカから自身で買い付けてきた古着を販売する。2022年に拡大移転。スケートボードや自転車などアクティブな趣味を持つ。
Instagram:@underthesun_sgj

谷田誠人(たにた・まさと)
2021年から「UNDER THE SUN」で勤務。古着を担当しつつ、エッセンシャルオイルを加えてオリジナルの香りに仕立てたパロサントのブランド「Re_Cent product」を手掛けている。同じく、スケートボードや自転車、カメラを好む。
Instagram:@txnxt

好きなことをすべてできる店に

――オープンして何年目になりますか?

中川優也(以下、中川):4年目です。去年の3月に、現在の場所に少し離れたところから移転してきました。サロンのスタッフが5人、古着のスタッフが2人の計7人で運営しています。

――中川さんは「UNDER THE SUN」をオープンする前は、原宿のヘアサロンで働かれていましたが、独立はその時からを考えていたのでしょうか?

中川:最初は考えていなかったけど、やっていくうちに意識するようになりました。やりたいことを100%やるには、自分の店を持つのが一番ですからね。

――店を構えた時は、まだ20代でしたよね。業界的に早いのでは?

中川:28歳で独立したので、早いほうだと思います。

――そう考えると、別のヘアサロンで経験を積む道もあったと思いますが、早めの独立に踏み切った理由はありますか?

中川:すでに店のイメージができていたので、他で数年働くよりは、早いところ独立したほうがいいと思ったんですよ。

――そのイメージとは、ヘアサロンと古着屋を掛け合わせた現在のスタイルでしたか?

中川:そうですね。当初から、ヘアサロンと古着屋を併設した店にしたいと思っていました。

――「UNDER THE SUN」のコンセプトを教えてください。

中川:特にこれといったコンセプトは掲げていなくて、「なんでもあり」かなと思っています。根本は髪を切ることができて、古着を買える店だけど、おもしろいことならなんでもできる場所にしたいです。

――ヘアスタイルも洋服も、ファッションのカテゴリー分けできるかと思いますが、併設している店は珍しいですよね。

中川:あまり見ないですよね。僕は海外に行くのが好きで、古着も好き。それで自分の店だから好きなことを全部やろうと思っていて、古着の買い付けは渡航理由になるので、(古着も)取り扱うことにしました。

――美容師をされていたのであれば、買い付けは未経験ですか?

中川:はい。前のヘアサロンで働いている時に1週間ほど休みをとって、古着屋で働く友達の買い付けに同行しながら学びました。

――すごい。そして谷田さんが加入するまでは、1人で買い付けに行っていたそうですが、大変だったのでは?

中川:初めて1人で行った海外が、買い付けでしたからね。少し不安だったけど、行ってみたら特に問題はなく(笑)。ただ、荷物と移動が多いので、肉体的にも精神的にもキツかったです。でも、前回よりいいものを買えたとか、効率よく回れたとか、毎回学ぶことがあって楽しかったです。

――今では2人で買い付けに行かれているそうですね。谷田さんは買い付けに行ってみていかがでしたか? 中川さんと同じく、買い付けで海外に行くのは初めてでしょうし、旅行とは違ったと思います。

谷田誠人(以下、谷田):買い付けに行っている先輩から、朝から晩まで動いていて忙しいと聞いていたけど、それを嫌と感じず、楽しかったです。ポートランドから2〜3時間くらい車で走ったところにある田舎町にも足を運べましたし。

中川:絶対に旅行じゃ行かない町だね。

谷田:観光地じゃない、リアルなアメリカの街並みを見られるのは楽しいんです。

中川:そういうところで見つけた古着は、すごく印象にも残ります。

――そもそも、お2人は以前から知り合いだったんですか?

中川:共通の友達からの紹介で知り合いました。

谷田:4、5年前くらい?

中川:そうだね。お互いにスケボーしているから、一緒に遊ぶようになりました。

――谷田さんは「UNDER THE SUN」の前は、どんなお仕事をされていたのですか?

谷田:鉄道の車掌です。

中田:なかなか出会わない職業ですよね! 一発で覚えましたよ。

――なぜ車掌から「UNDER THE SUN」で働くようになったのでしょう?

谷田:僕も海外旅行が大好きで、毎年 2 週間の休みを取ってアメリカやヨーロッパへスケボーしに行っていたんです。でも、コロナ禍になって、安泰といわれていた鉄道業界が厳しくなりました。それを、きっかけに「これって本当に自分がやりたい事なのかな?」と考えるようになって……。

――そこでせっかく働くなら、好きな洋服を扱う仕事をしたくなったと。

谷田:そうなんです。僕の周りには、個人でTシャツとかZINEとかを積極的に作って活動している人は多かったけど、店を構えている友達はいませんでした。でも、優也くんは早くに自分の店をオープンさせた。しかも、古着を取り扱いながらヘアサロンという。それで遊びに行ってみると、口に出さずとも優也くんの好みが伝わる古着のラインアップがすごくよかったんです。近くで優也くんがやりたいことを仕事にしていて、等身大の努力を店に反映しているのがうらやましく感じましたね。それで僕も古着が好きなので優也くんに相談して、「UNDER THE SUN」で働かせてもらうことになりました。

――働く環境ががらっと変わりましたが、いかがでしたか?

谷田:こういう仕事をやりたかったんだ、とつくづく感じています。僕の好きなファッションや音楽をお客さんが 気に入る瞬間を目の当たりにすると、もっと人を喜ばせたくなります。前職で考えると、あの車掌が運転する 電車に乗りたいって思う人は誰もいなかったけど、今は、「UNDER THE SUN」の1人として認識してもらえるようになったのが嬉しいです。自分の頑張り次第で、どんなこともできますからね。今までは自分から発信することはなかったけど、ここで働くようになってから、オリジナルのパロサントを販売するようになりました。スタッフが個々に好きなものがあって、全員で「UNDER THE SUN」という感覚ですかね。

――「UNDER THE SUN」では、いわゆるレギュラーと呼ばれるスタンダードな古着がラインアップの中心ですよね。

中川:昔から安い古着が好きなんです。たまに高価な人気のヴィンテージも買いますけど、レギュラーのほうが手に取る機会が多いですからね。

――谷田さんが加入して、ラインアップに変化はありましたか?

中川:変わったと思うし、むしろ別の人の視点を取り入れたいと思っていました。自分にない発想は、積極的に取り入れていきたいです。谷田くんが発信したことに共感しているお客さんも多くて、それが店の色になっています。これからもいろんな要素をちりばめていきたいですね。

オリジナルアパレルの製作やポップアップの開催も

――古着を取り扱っているので、髪を切らない人であっても店には来やすいですね。

中川:服を買うなら髪も切ってもらいたい、髪を切るなら服も買ってもらいたい、なんて思っていません。両方をうちで済ませてくれたら嬉しいですけど、そこまで多くは望んでいないんですよ。もっと気軽に来てもらいたいです。

谷田:でも髪を切るだけだった大学生のお客さんが、ここで古着に興味を持つようになって、だんだんと着こなしが変わっていく姿を見られたのは嬉しかったですね。それまでは髪を切るついでに古着を買っていたけど、古着だけ買いにくる人がいたり、ポップアップを目当てに遊びに来てくれたりも。

中川:店のことを好きになってくれるのは嬉しいね。だけど、まだ聞かれるんですよ。「服を見るだけでも大丈夫ですか?」って。確かにヘアサロンって印象があるから、そう見えちゃうのもしょうがないかも。僕の感覚は、美容師の仕事が軸だけど、やれることなら肩書きに執着しないで、なんでもやればいいと思うんです。ヘアサロンだけで認識されるんじゃなくて、「UNDER THE SUN」という店として知ってもらいたいです。

谷田さんが手掛けるパロサント「リセント プロダクト(Re_Cent product)」。天然のエッセンシャルオイルが配合され、2種類の豊かな香りがラインアップする

――なんでもできるブラットフォームとしての「UNDER THE SUN」ということですね。オープン当初から、がっちりと古着を並べられていましたよね。

中川:移転以前から、店はヘアサロンと古着屋を半分ずつで構成しています。身近にヘアサロンと古着屋を併設している店の前例がなかったので、どれくらい洋服を置いたらいいかもわかりませんでした。最初はラック2台だけ置くつもりだったけど、それだと古着を買いに来る人が絶対にいないと思ったんですよ。その量だとすぐに見終わっちゃうし、店に入るのすら気まずいじゃないですか。

――ラック2台分ですと、ヘアサロンと古着屋が併設している店じゃなくて、古着を少し売っているヘアサロンってイメージです。

中川:それじゃあ、やる意味がない。やるからには本気じゃないとダメだと思って、古着の売り場も店の半分にしました。それゆえに大変なこともありましたけど、おかげさまで古着屋だけでも機能しています。

――店のラインアップは見応えがあります。

中川:美容室と古着屋を併設してるって聞くと、なんだかおもしろそうだし聞こえはいいけど、実際の営業を考えると中途半端な量じゃ成り立たないと思いました。なので、やるからには古着屋として見応えがある商品数を用意することにしました。

――ではヘアスタイルは、どんなものを提案されていますか?

中川:個人的に、あまりカチッとしたのが好きじゃないんですよ。ばっちりセットしている髪形もカッコいいと思うけど、自分はラフなほうがいい。でも、こちらからそれを提案しません。お客さんによく言ってますけど、髪形は洋服と一緒で、自己満足なんですよ。似合うか似合わないかは自分で決めればいいと思うし、やりたい髪形なら悩まずにやったほうがいいってスタンス。もちろん髪質やクセを見て、その人に似合う最適の仕上がりは目指します。

谷田:僕も優也くんに切ってもらっていますけど、「いい感じで」としか頼んでいません。

中川:「いつも通りで」って人が多いですね(笑)。

――自然体な仕上がりが安心感があってちょうどいいってことですね。オリジナルのアパレルも、オープン当初から作られていますよね。

中川:どちらかといえば最初は、店があるのでオリジナルのアパレルを作ったって感じです。知り合いにデザインをお願いしていましたが、やっていくうちにオリジナルの存在意義を大きくしたくなったんです。せっかくのオリジナルなんだから、自分で考えたものを形にしたほうが意味があると思って、少しこだわるようになりましたね。前までは思いついた時に作っていましたけど、今は定期的に作るようにしています。

――オリジナルは谷田さんと2人で考えているのでしょうか?

中川:いえ、オリジナルは少し頑固になって、基本的には僕が考えています。いろんな人の意見を取り入れすぎると、方向性がバラバラになっちゃいますからね。軸は僕が決めますが、例えば色で迷ったらみんなに聞いています。

買い付けで行ったロサンゼルスで、谷田さんが撮った写真をプリントしたオリジナルのロングスリーブT

――オリジナルのアパレルがブランドとして動いているようにも感じます。最近はどんなアイテムをリリースしましたか?

谷田:自転車に乗りやすいパンツの「バイクチノ」を、友人のブランド「PWA」「BLUE LUG(ブルーラグ)」と一緒に作りました。

中川:あれは、みんなで話し合って作ったものですね。

――自転車のチェーンにパンツを巻き込まないように、裾の内側にドローコードを搭載しているギミックがおもしろいです。「BLUE LUG」でも販売しているのもいいですね。

中川:僕も谷田くんも、世田谷区上馬の「BLUE LUG」で自転車を組んでもらっていて、お世話になっています。 「SIESTA(シエスタ)」の青木さんが髪を切りに来てくださるんですけど、乗っている自転車がカッコよくて、 すぐに「BLUE LUG」を紹介してもらって自転車を組んだんですよ。

谷田:ちなみに僕は、青木さんのその自転車をゆずってもらいました。それから自転車にハマっています。

――自転車といえば、幡ヶ谷の自転車屋「WOOD VILLAGE CYCLES(ウッドヴィレッジサイクルズ)」のポップアップを開催されたこともありますよね。

谷田:「WOOD VILLAGE CYCLES」とは仲が良いので、ポップアップをやってもらいました。

中川:他にもよくポップアップは開催しています。

――例えば、どんなポップアップを開催しましたか?

中川:「SUNPEDAL(サンペダル)」っていうヴィーガンのケータリング専門店のポップアップですね。知って いたけど会ったことがなくて、「WOOD VILLAGE CYCLES」が近所で知り合いだったからつなげてもらい ました。あと、サッカーのヴィンテージユニホームを販売した「HuberStore(フーバーストア)」のポップアップも。

谷田:スケボーで仲良くなった友達がやっているブランド「CTC STORE(CTC ストア)」とかも。

中川:ポップアップを開催すると、お客さんの幅が広がるから楽しいです。移転する前にやった「PWA」のポップアップでは、コラボのショーツを作ったんですよ。そうしたらオープン前からお客さんが並んでくれて。でも、店が狭いから全然入れませんでしたよ(笑)。

――東京にはヘアサロンも古着屋もたくさんありますが、こちらはどんな立ち位置を目指していますか?

中川:男が行きやすいへサロンってよく言ってもらえるんですよ。青山とかにあるサロンらしいサロンとは違うし、バーバーみたいにかっちりしてないから、お客さんもたまりやすい。しかも、古着もあるから余計に入りやすいみたい。そういうヘアサロンって、東京でも少ないと思うんです。親近感があるけど、憧れてもらえるような存在になりたいですね。

谷田:自分達が純粋に、カッコいいと思ったコトやモノをお客さんに伝えて喜んでもらいたいです。そのために自分が好きなモノに対して深く探求したり、興味があるものには蓋をせずに足を運んで経験したりしていきたい。そして、お客さんにより喜んでいただけるように、商品の買い付けと提供を努力していきたいです。

■UNDER THE SUN
住所:東京都世田谷区池尻2-10-12 アヴェニュー池尻 1F 103
営業時間:11:00-20:00
TEL:03-4285-3765
https://www.underthesunsgj.com
Instagram:@underthesun_sgj

Photography Yuta Kato

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ラッパー、IDがアルバムに込めた思いと、自分なりのフリースタイルラップ https://tokion.jp/2022/11/09/interview-id/ Wed, 09 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154505 ラッパーのIDが1stフルアルバム『B1』をリリースした。MCバトルで注目を浴びる彼だが、それとは異なる音楽性を提示した作品に仕上げている。IDの原点をひもときつつ、アルバムについて話を聞く。

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日本において、この10年で認知度が一気に広がったフリースタイルのMCバトル。現在その渦中にいる1人として挙げられるのが、IDだ。

日本語と英語を織り交ぜたリリックと巧みなフロウでフロアを沸かし、数々のMCバトルで実績を残してきた実力者であり、テレビ番組『フリースタイルティーチャー』にもレギュラー出演している。

そんな彼が満を持して1stアルバム『B1』をリリースした。約2年の制作期間を費やし、自分を追い込みながら、さまざまな苦悩や葛藤を乗り越えて作り上げた1枚だという。幼少期からラッパーとして活動し始めた当初を振り返ってもらいながら、フリースタイルラップや『B1』の制作について話してもらった。

ID(アイディー)
高知県出身。2015年頃から音楽活動を開始。従来のセオリーにとらわれない独自のラップスタイルで注目を集める。さまざまなMCバトルに参戦し、国内最大規模の大会「戦極MC BATLLE」で優勝を飾るなど、確かなスキルで全国にその名を轟かす。テレビ朝日の番組『フリースタイルダンジョン』の3代目モンスターに抜擢され、現在放送されている『フリースタイルティーチャー』にレギュラー出演中。
Instagram:@kaisaka3960

家庭内で磨かれた音楽性

——まず、音楽の原体験から教えてください。

ID:最初にいいと思った音楽は、ジャミロクワイ(Jamiroquai)の「Virtual Insanity」。確か、4歳くらいだったはず。知らない曲なのに、聴いたことあるような気がしたことを覚えています。

——小さい頃から音楽が好きでしたか?

ID:その当時から、好きなものといえば音楽でした。だから、初めてイヤホンをゲットした時は革命的でしたね。大きめの音を出すとじいちゃんとばあちゃんに怒られたし、外でも聴けるようになって嬉しかったです。

——ジャミロクワイとの出会いは?

ID:母が好きだったんですよ。他にもブラックミュージックとか、いろんな音楽がずっと流れているような家でした。

——お母さんからの影響は大きかったですか?

ID:子どもの頃は母が持っているCDを、片っ端から聴いていました。父の記憶はほとんどなくて、母に育てられたので性格も似ていると思います。相手が大きくても挑んでいくし、納得できないルールにはあらがう。僕のそんなところは、母親譲りだと思います。

——その性格はブラックミュージックとリンクするように感じます。

ID:僕は地元の水が合っていたわけじゃなく、どちらかといえばマイノリティーな立場でした。限られたコミュニティーでは僕のことを理解してもらえたけど、全体的に認められていない感覚で。それを肯定してくれるようなブラックミュージックに、無意識で共感していたかもしれません。

——いつから自発的に音楽を掘っていくようになりましたか?

ID:小学生くらいで、もっといい音楽を聴こうと、CDをジャケットで選んでレンタルするようになりました。聴いていたのは、ゴリラズ(Gorillaz)や日本語ラップなど、ジャンルはさまざま。それと家で流れていた音楽がミックスされていったので、音楽の感覚は、地元っていうより家庭内で培ったものだと思います。

仲間と腕を競って磨いたフリースタイル

——では上京したのはいつですか?

ID:18歳です。特に目的はなかったけど、東京に出なきゃいけない使命感があったんですよ。狭い地元じゃ何も始まらないと思い、ノープランで出てきました。

——地元に希望を見出せなかったと?

ID:今となっては相手の気持ちもわかるけど、10代では地元の人達と理解し合えませんでした。10の話をしているのに、1の段階で滞っちゃうような保守的な考えが、あまり合わなくて。みんな、何を怖がっているんだろうって思っていて、勢いで上京したんですよね。

——上京後にラップを始めたそうですが、そのきっかけを聞かせてください。

ID:上京して3日目に、クラブの「池袋bed」に行ったんですけど、まだ18歳だったから入れなかったんです。周辺をうろうろして、話しかけたのがデカイチっていうDJ。仲良くなって、彼がバーを始めるというからバイトをさせてもらっていました。ある日の営業後、流していたインストで「ラップしてみてよ」と言われて、やってみたらラッパーを勧められました。漠然とおもしろいことをしたいと思っていたので、ラップで飯を食えるようになりたいって意気込んだわけじゃなくて、楽しいからやってみることにしました。

——その当時からフリースタイルラップをされていたんですか?

ID:僕にとってフリースタイルは、バトルより遊びの感覚が強いんです。渋谷の「オルガンバー」で先輩とセッションするのが楽しかったんですよ。先輩とのサイファーは、バトルの比にならない洗練されたラップと言霊を込めた言葉が要求されました。韻を踏まなくても人の心をつかむフリースタイルもあれば、芸術的なフリースタイルもある。バトルに求められるのは前者であって、僕は後者のほうがラップを始めた当初から身近にあって、今も探求しています。

——「オルガンバー」が活動の拠点になっていたんですか?

ID:はい、店長のBEARくんと一緒にレギュラーイベントに出させてもらっていましたし、前の店長の大仏さんも、駆け出しだった僕を受け入れてくれました。

——地元の頃には感じなかった、自分の居場所のような居心地のよさを感じましたか?

ID:そうですね。でも、集まっていた仲間全員が、その環境に満足していなかったと思います。みんな仲良かったけど、少し緊張感が漂っているのが良かった。「オルガンバー」に集まっている仲間だけど、それぞれが上を目指していました。

——当時からMCバトルによく出場されていましたね。

ID:知名度を上げてライヴをするために、よく出させてもらっていました。いろいろ勉強になったし楽しかったけど、尊敬する仲間と「オルガンバー」でやっていたフリースタイルのほうが好きです。

——現在のMCバトルのシーンを、どう見ていますか?

ID:もっと広がってほしいと思うし、これくらいの規模でいいとも思う。何が正解かわからないけど、それもまたヒップホップらしくていいんじゃないですかね。議論がなくなったら進歩していないってことなので。でも、バトルで僕を知った人が、今まで聴かなかった新しい音楽にアクセスすることもあると思うので、バトルに出場する意味はあると思っています。『フリースタイルダンジョン』に出演してから、街で声を掛けてもらえることが増えたので。

2019年にリリースした「10000ft」のMV。この時期に、一気に知名度が上がった

今までの自分にけりをつけたアルバム

——今回リリースしたアルバム『B1』は、まさに音楽への好奇心を刺激するものだと思います。2年の制作期間を振り返ってみて、いかがですか?

ID:修行でした。自分が作りたいものを過不足なく実現させようと思いを込めて制作しましたね。

——ニューエイジヒップホップやシカゴハウス、ドラムンベースなど、多彩なジャンルを取り入れた楽曲が収録されています。各曲をフロアと見立て、地下から地上へ向かう仮想空間のクラブを1枚で表現していますが、なぜそのコンセプトを設定したのですか?

ID:僕が作る音楽はいろんなテイストを取り入れているから、1枚のアルバムに統一性を持たせるのは少し難しい気がして。でも、フロアが違えばテンションが違ってもいいし、曲と曲をひもづけるキーワードがあればうまくつながって気持ちよく聴けると思い、このテーマにしました。

——タイトルにもなっている1曲目の「B1」。実際に制作しているスタジオが地下1階にあるそうですが、どのような思いが?

ID:「B1」に街の環境音を入れているんですけど、地下で聴くようなこもった音にしています。最後の曲「1」にも環境音を入れていますが、そっちはクリアな音。つまり、外に出たということ。制作を始めたくらいの時期は、やりたくないこともやっていて、割り切っていたつもりでもめいっていました。あの時は地下に閉じ込められて、周りの音がこもって聞こえるような感覚。このアルバムの制作期間は、それをクリアな音で聴こうと、あがいた2年でした。完成した今は、気持ちがすごく晴れましたよ。遺恨がなくなった気分で、理想の自分に近づけたと思う。あとはアルバムは、全体的に聴く人に希望を持ってもらえるようにリリックを書きました。

アルバム『B1』のリード曲「B1」

——どんなリリックを意識しましたか?

ID:感動する言葉とか強いパンチラインじゃなくて、意味を理解すれば気付きがあるリリックを意識しました。ダイレクトに伝えるんじゃなくて、言葉をひねったフレーズです。直接的過ぎる表現は昔から好きじゃないんですよ。でも、キザになっちゃダメ。なんの匂いもしないのはつまらないから、人間らしさを残しています。だから、リリックをしっかり聴き込んでもらいたいですね。聴けば満足してもらえる自信があります。

——もう次の作品の構想はありますか?

ID:『B1』を制作した2年間の内訳は、態勢を整えるのに1年、楽曲のトライ&エラーに1年。この期間でレベルアップできたので、ここからの制作は早いと思います。まだどんな内容にするか定まっていませんが、年内にもう1つ発表しようと考えているし、今後は海外で制作することも視野に入れています。

——今後の活躍も楽しみにしています。

ID:とにかく、曲がダサけりゃ話になりません。ドープな音じゃないとダメだと先輩達から教わったし、僕もそう思っています。その考え方のルーツは、母親から受け継いだものでもあります。これからも尊敬する人達を納得させる“クロさ”を追求していきたいです。

Photography Kazushi Toyota

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川のごみから服を作る。シンガー・xiangyuと「パーミニット」デザイナー・半澤慶樹が「RIVERSIDE STORY」で伝えたいこと https://tokion.jp/2022/11/01/riverside-story-xiangyu-x-yoshiki-hanzawa/ Tue, 01 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=151204 xiangyuと半澤慶樹による「RIVERSIDE STORY」。シンガーとファッションデザイナーの2人が、なぜ川に落ちているごみから服を作るプロジェクトを始動させたのか。

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川のごみから服を作る。シンガー・xiangyuと「パーミニット」デザイナー・半澤慶樹が「RIVERSIDE STORY」で伝えたいこと

去る9月に、東京・恵比寿「KATA」にて開催された「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」。この展示は、シンガーのxiangyu(シャンユー)と、ファッションブランド「パーミニット(PERMINUTE)」のデザイナー、半澤慶樹が主宰するプロジェクトで、文化服装学院の生徒も制作に参加し、川に落ちているごみから作られた服を発表した。

当事者の2人の話を聞くと、川のごみを拾って服に仕立てることは、環境問題やエコとは違ったメッセージが込められているという。その真意を深掘りすべく2人に、制作に至るまでと展示期間を振り返ってもらい、そこから感じたことを尋ねた。変わりゆく街の姿と人の価値観を、ごみからひもときたい。

Left→Right
xiangyu(シャンユー)
シンガー。自身が制作した服の展覧会で、水曜日のカンパネラのディレクター、Dir.Fから声を掛けられ、同ユニットのミュージックプロデューサー、ケンモチヒデフミのサポートによって、2018年から音楽活動をスタート。ダンスミュージックを軸にした楽曲を展開する。2019年にEP『はじめての○○図鑑』でデビュー。2021年に発表した『ミラノサンドA』は話題の末、ドトールの公式ソングに採用された。シンガーとしての活動に加え、映画『ほとぼりメルトサウンズ』では主演を務めるなど、音楽以外にも精力的に活動する。 
Twitter:@xiangyu_fish
Instagram:@xiangyu_dayo

半澤慶樹(はんざわ・よしき)
ファッションデザイナー。2016年から、ウィメンズファッションブランド「パーミニット」をスタート。“ユニークな実験を通して、そのプロセスから生命と衣服の新しいかたちを創造する”をコンセプトに掲げている。「Amazon Fashion Week TOKYO 2018 SS」でランウェイデビュー。「TAV GALLERY」でキュレーション企画展の開催や、パルコのキャンペーン広告でファッションディレクションを担当するなど、自身のブランド以外にも活動の幅を広げている。日本メンズファッション協会による「第15回ベストデビュタント賞」に選出。現在「パーミニット」は、コレクションをシーズンで区切らず、気温のレンジで提案している。
https://perminute.net
Instagram:@_perminute_

ごみからわかる街と人

——2人はシンガーとデザイナーで活動されていますが、そもそもどういったつながりなんですか?

xiangyu:私達は文化服装学院を卒業していて、その同級生です。4年生の時だけ同じクラスでした。

半澤慶樹(以下、半澤):共通の友達は多かったけど、卒業後に会うまではほとんど話したことがありませんでした。

xiangyu:同じクラスになる前から存在は知っていたけどね。慶樹は優秀だったから、いい作品を作っているとか、コンテストで入賞したとか、学校で有名だったんですよね。

半澤:僕も同じようにxiangyuはすごいって周りから聞いていて。在学中は放課後に遊ぶような関係じゃなかったけど、xiangyuがアーティストとしてデビューしてから、よく遊ぶようになりました。

——遊ぶようになったきっかけは? 

半澤:初ライヴじゃない?

xiangyu:そうそう。私の初めてのライヴに来てくれました。お客さんが2人しかいなかったけど、その1人が慶樹(笑)。

半澤:それで遊ぶようになったし、MVで衣装を提供させてもらうようにもなったんですよね。

xiangyu:「31」という楽曲です。あとライヴでも衣装を借りることが多いです。蓮沼執太フィルにゲストで出演した時だったり、特別なステージで「パーミニット」を着させてもらっています。

xiangyu 「31」

——活躍するフィールドが違っても、お互いのクリエイションを交えているんですね。ではどんな経緯で今回の「RIVERSIDE STORY」のプロジェクトが始まったのでしょうか?

半澤:普段から、あれがおもしろい、これが気になるって、LINEや電話でやりとりしているんですよ。今年の2月くらいに、人や街と、川に落ちているごみの関係性が気になるってxiangyuがポロッと言っていて。

——なぜごみが気になったのですか?

xiangyu:文化(服装学院)を卒業した年に、お花見とごみ問題がセットになっているとニュースになっていたので、ごみを拾って服にしようと思ったんですよね。

——その時から「RIVERSIDE STORY」と同じことをされていたのですね。

xiangyu:作ったら自分で着て、写真に残そうってくらいの、遊びみたいな感覚でしたけどね。上野公園と代々木公園に行ったらお花見をしている層が全然違っていて、それに伴ってごみも違うことに気付いたんです。そんなふうに街が変わると、人もごみも違うというのが印象に残っていました。

それで今年の2月、渋谷を散歩していたら川を見つけました。その川沿いを歩いてみるといろんなごみが落ちていたので、調べてみたら上野公園や代々木公園のごみの違いみたいにおもしろい発見があるかもしれないって、ぼんやり思い浮かんで慶樹に話したんですよね。でもそのタイミングでは、服にして展示会を開催するなんて発想までは考えていなくて、ただ「おもしろいから探ってみない?」くらいの軽い気持ちでした。

半澤:いつもこんな感じの連絡が来るんです(笑)。じゃあ、とりあえず散歩してみるか、と。僕も渋谷川の存在を知らなかったから、興味本位で行ってみることにしました。調べてみたら、渋谷川は途中で名前が変わって、浜松町あたりからお台場の海に流れ出ていたんですよ。

渋谷川

——初めて渋谷川を歩いてみていかがでしたか?

半澤:渋谷駅の近くは思っていたよりきれいで、海が近くなると何年も放置されている大きなごみが目立っていきました。実際に歩いてみると、そういったことを知ることができるのでおもしろかったです。

そして、実は渋谷駅周辺もきれいじゃないことに気付きました。ごみが隠されていたんです。たぶん心理的に、周りにごみが落ちていない場所でポイ捨てする時は隠すんでしょうね。海が近くなると大きいごみが捨ててあるから、大胆にポイ捨てされていて。2回、3回とフィールドワークをやっていくうちにわかってきました。

渋谷や恵比寿は、コンビニのごみが多いいんです。そして海に近づくほど、ごみは大きくなっていく。ダンボールの束やフットマッサージ機、自転車の車輪とかディスプレイなんかも捨てられていました。

xiangyu:そこまで大きいと、捨てようとする強い意志を感じるよね。

——ポイ捨てを超えて、不法投棄ですね。

半澤:渋谷は数週間以内のごみが多いけど、海のほうは数年放置されているものも多かったです。

xiangyu:大きい駅のほうは清掃員がいるから美化されているし、街自体が変わっていくから新陳代謝がよくてパッと見はきれい。でも、ごみは隠されている。人が少ない街に行くと、手入れされていなくて、ごみがよく目に付く。同じ川でも、街の姿でごみが変わっていきました。

川がきれいになるのは、プロジェクトの副産物

——どのタイミングから、拾ったものを服にしようと考えたのでしょうか?

半澤:なんらかの形で、拾ったモノを展示しようとプロジェクトの指針が決まって、僕らは洋服を作れるので、その方向に決めました。でも、どんな材料が集まるかわからなかったし、どんな素材になるか見当もつかなかったんです。とりあえず触って、ごみと仲良くなってみようと思い、最初にでき上がったのが、メインビジュアルのアートワークでした。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」のメインビジュアル

xiangyu:そう。服より先にアートワークができて、自分達のやりたいモノ作りの輪郭が見えてきて方向性が決まった感覚がありました。

——このプロジェクトには、文化服装学院の生徒も参加されています。その経緯は?

xiangyu:ごみを持ち帰ったら素材にするために、洗浄して乾かさなきゃいけないんです。最初は私の事務所でやっていたんですけど、ごみの量が増えてきて広い場所が必要になりました。そこで文化の先生に相談したら、このプロジェクトをおもしろがってくれて、スペースの提供に加え、学生を参加させたいとも提案してくれました。私達が卒業した学科では、外部の人と一緒に作品を制作するコラボレーションという授業があって、このプロジェクトを授業の一環として取り扱ってくれることに。生徒は20人くらい参加してくれました。

——実際、生徒にはどのような形で参加してもらったのですか?

xiangyu:一緒に拾ったごみを洗浄し素材に変えて、落とし込む服のデザインを考えながら制作しました。

半澤:このプロジェクトでは僕とxiangyuがあくまでも中心ですが、トップダウンじゃなくて、みんなで手を動かし、みんなで考えたんですよね。

——参加メンバー全員で作っていったのですね。

xiangyu:一般的な服作りだったら、テーマに基づいたデザインを具現化するために素材を選定して加工していきますが、このプロジェクトではそれができませんでした。拾ったものを生かすので、あるもので制作していったんですよね。こういう素材ができたから、どう使うか考えるというのとは、逆の作り方です。誰かが作った素材を、みんなで発展させていく作り方で、それも楽しかったです。

半澤:最初は3~4体作れるかな、と思っていたけど、アイデアがたくさん湧いてきて、最終的に6体になりました。最初から終着点を決めていなかったので、今回展示した作品は完成形ではないかもしれません。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のゴミから作る衣装展-」の展示風景

——ごみだったとはわからないくらい作り込まれているのが印象的でした。

半澤:プロセスで意識したのは、“遠回りする”こと。やらなくてもいいことを、あえて手作業することで、モノに対する愛着が湧いて、ごみだったものの見方が変わっていくのが、このプロジェクトの本質でした。

例えば拾ったペットボトルを、そのままつないでいくだけでも洋服っぽくなります。でもそれだと分解すればまたごみに戻ってしまう。なのでひも状にして編んでみたり、分解してつなげていったりすることによって、そこまでにかかった時間も含めて、作った本人にとってペットボトルのごみじゃなくなりますよね。モノの見え方が変わって愛着が湧くことで、見えてくることがあるとやっていく中で気付くことができました。

xiangyu:できる限り自分達の手で細かくして、別の見え方になる素材を作ろうとしました。工場でリサイクル素材にしてもらって服にするのは、このプロジェクトにおいては違う気がしたので。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」の展示風景

——自分で手を加えることで、無価値のモノに価値を見出すということですね。

半澤:川がきれいになって環境が美化されることは、このプロジェクトの副産物だと考えています。それよりも、今まで見向きもされなかったモノに手が加わったことで価値観が変わり、心が動く感覚が大事と言いますか。展示した服は買えるわけでもないし、普段着としては着られるものでもない。でも、人の手から離れた、かつてごみだったモノがまた人の体に帰着している様子に、展示を観た人にも何かを感じてもらうのが、このプロジェクトの一番の収穫と考えていました。

——今回のプロジェクトは、それぞれの活動においても新鮮だったのでは?

半澤:今までとは違う服の作り方で、ファッションとの向き合い方が変わったように感じています。想像通りに完成しないのは、大変だったけどそれもよかったです。より良くするために、洋服を作るだけじゃなくて、見せ方やプレゼンテーションまで一貫して考えるようになり、いろんな角度から語れる洋服を作れたのがおもしろかったです。

xiangyu:私は音楽をメインにアーティスト活動をしていますが、いろんなことに興味があって、それを全部やってみたいタイプ。それによって自分のバランスを取れていると改めて感じました。音楽の休憩でこっちをやって、こっちの休憩で音楽をやってと。常に手を動かしていたので、音楽の発想が広がった部分もあります。あと、文化の生徒達、みんなと一緒に制作できたのも、私1人じゃ思いつかない素材やスタイリングが生まれて、新しい発見がありましたね。

——今後も続けていくそうですね。

半澤:今回制作したのは着られないアイテムでしたが、実際に着用できるアイテムを作るなど、今後レベルアップしていきたいと考えています。理想としては、日本にはいろんな素材の産地があるように、あの川ではこういう素材、この川ではこんな素材、みたいにその土地で暮らす人の生活に準じた地域性を見出せたらおもしろいですね。

xiangyu:他の地域でやることで渋谷川と比較ができて、意外な発見があると思います。そして、文化の生徒が参加してくれたように、いろんな場所に仲間をもっと増やしていきたいです。

Photography Masahi Ura

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書道家 万美のインディペンデント。自分らしい文字をつづるために―後編― https://tokion.jp/2022/01/16/interview-calligrapher-mami-part2/ Sun, 16 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=90014 書道家、万美が、約5年ぶりとなる自主企画の個展を開催中。後編では個展で展示されている作品に込めた思いを解説してもらいながら、インディペンデントな活動の価値についてひもとく。

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国内外からのオファーが絶えない書道家 万美。古典を重んじながらも、常に意欲的な姿勢で作品を生み出し、書道の新たな魅力を伝えてくれる。それを存分に発揮している個展が現在、代官山「STUDIO 4N」で開催されている。
これまで、百貨店をはじめとした大規模な会場で展示する機会が多かった彼女だが、今回の個展は約5年ぶりとなる自主企画。自ら会場に声を掛け、純度の高い自己表現の場を作り上げている。自身のアイデンティティーを体現した作品だけを披露しているが、そこにはどんな思いが込められているのだろう。やりたいことは積極的にアプローチすることでチャンスをつかんできた彼女が、インディペンデントにこだわる理由とは。

海外での個展を経て、5年ぶりの自主企画

――個展「MAMIMOZI」が開催されていますが、個展はいつ以来ですか?

万美:昨年の3月に原宿のギャラリー「UNKNOWN HARAJUKU」と、7月に「心斎橋パルコ」から声掛けいただいて開催しましたが、その時はアーカイブ作品が中心でした。今回の個展は、新たに書き下ろした作品を展示する自主企画になります。自主企画ですと、2017年の台湾での開催以来です。

――日本ではなくなぜ台湾で自主企画を?

万美:台湾は何度か訪れていたので頼れる人がいて、土地勘もありました。そして台湾の書道が気になっていました。個展の場所は自分で探して、買っていただいた作品も自分自身で発送してと、大変でしたがなんとか無事に開催できたのでよい思い出です。

――香港でも個展を開催していましたね。

万美:はい。2019年の3月に、蘭桂坊(ランカイフォン)という街に呼んでいただきました。街中に私のイベントのポスターやフライヤーを貼っていただいたりと大々的に告知してくれて、とても驚きましたし嬉しかったですね。とても温かく迎えてくれて、香港が大好きになりました。

――台湾や香港の書道と日本の書道には違いがあるのですか?

万美:そうですね、全然違う印象を受けました。個人的なイメージですが、日本は手先の技術で書を書き、台湾や香港は体を使って筆の動きで書いている。そこで私は体を使った技術を取り入れたいと思いました。

――ではアジア以外での展示経験はありますか?

万美:パリもあります。アートのキュレーションを学ぶ現地の大学院に通っている日本人の女の子が、卒業の課題として私の個展を開催してくれたんです。

――書道になじみのないパリでの個展は、どんな反応でしたか?

万美:あたりまえなのですが、言葉がダイレクトに伝わらないので、1つひとつの意味を聞かれました。やっぱり言葉の壁は高くて、本質的な部分まで響かないのが課題として残りました。やはりヨーロッパやアメリカよりも、香港や台湾のほうが書道という点においては反響が大きいですね。

4つの軸からなる作品で自己表現

――今回の個展では、以前から制作されている作品シリーズの新作が展示されています。“女”という文字を書いている「KUNOICHI」シリーズは色合いが鮮やかですね。

万美:書道の場合、使用する色は最大で黒白赤の3色です。でも、私がいいなと感じるデザインは、4色で構成されていることが多いんですよね。それを書道で表現してみたくなり、3筆画プラス背景で、4色にできると考えました。意外と3筆画の漢字はたくさんあるんですよ。私の名前の“万” もそうですし、地元山口県の“山”も“口”も3筆画。そこで考えた結果、“女”という文字は、折れ線と曲線と直線が組み合わさっていて、おもしろいのではと思いました。しかも、3種類の線が2点ずつ交差しているので、色が交わっておもしろい仕上がりにもなりました。“女”を枠からはみ出して書くことで、女性の社会進出や活躍といったことも表現しています。

――筆順最後の直線は白で統一されていますが、意味があるのですか?

万美:書道の公募展には、上手い下手で判断されるのではなく、順番に受賞していくということがあったり、お金によって受賞できるランクが変わるものがあったりするらしいです。そんな書道業界を浄化したいという意味も込めて、白の右肩上がりの1本線で書くようにしました。

――そうなんですね! 続いて「BLACK BLACK」シリーズについて聞かせてください。こちらは鮮やかな「KUNOICHI」シリーズとは対照的です。

万美:「BLACK BLACK」は、2012年に初めて書いたシリーズ作です。一般的に書道は、白地に黒で文字を書くから、コントラストが強調されるので、部屋に飾ると強く主張されてしまいます。それでもって、例えば“夢”や“愛”といったはっきりと伝わる言葉が書かれていると、より空間を支配し過ぎる気がしてしまいます。それも書道の魅力だとは思いますが、時と場合によっては、その言葉の強さを受け入れることができなくて、弱さと受け取れることもあります。それをどうにか中和できないかと、黒地に黒や透明の材料で書き始めました。同じ黒でも、質感や光の当たり具合によって見え方が全然違うんです。私は黒が一番カラフルだと思っています。そしてこのシリーズは、DJやラップをしている友人も飾りやすいようレコードサイズで書いているのもこだわったポイントです。

――「書道は墨汁で書く」という固定観念にとらわれない作品は、色とりどりで新鮮です。鏡に書いている作品も着眼点がとてもおもしろいです。

万美:コロナ禍によって誰とも会えない日々が続いて、人と会うことの重要性に改めて気付かされました。私は相手の話し方が自然と移っちゃうタイプなんですけど、「人こそ人の鏡」ということわざの通り、目の前の人は自身を映す鏡のようなものなので、鏡に文字を書いて表現しています。これは数年前に書いたことがあったので、今回改めて作品にしました。

――その一方で、伝統的な掛け軸もあります。

万美:私にとって掛け軸は特別な存在です。私は前衛的な作品が多いですが、それだけで評価されたくないという気持ちがあります。基礎があるからこそ、自己表現している作品があるということを感じていただきたくて、掛け軸は書いています。

――「KUNOICHI」シリーズに「BLACK BLACK」シリーズ、鏡と掛け軸。この4つの軸で個展を構成しながら、毎日ライヴパフォーマンスも行うんですよね?

万美:はい。展示する作品は、何百枚も書いてそこから1枚を選ぶのですが、ライヴパフォーマンスはその1度しかありません。えりすぐりの1枚だけを展示することよって高慢になりたくないので、今回開催する毎日のライヴパフォーマンスは、ある種の練習。書くことを観てもらうので本番ではありますが、私にとっては練習試合のようなものでもあります。

――書道になじみが薄い人にも受け入れられやすいように、前衛的に昇華されてもいますが、伝統を重んじる人からの厳しい意見が届くことはありませんか?

万美:以前はありましたよ。大学生の頃の話ですが、20歳の誕生日を迎える前日、10代最後だからやりたいことに挑戦しようと、学校の課題を虹のように7色で書いて飾ったんですよ。そうしたら、師匠に怒られてしまって。イベントのフライヤーを書いていたこともとがめられました。そこで気付いたのは、堅い業界に身を置きながらそういった活動をしていたから非難を浴びるのであって、そことは別の場所で自由に活動すれば気にはならない。それからは、自分の行動範囲と視野を広げるようにしました。

――自分らしい作品や活動を追求した結果ですね。

万美:コンテストで入賞しても、私の活動にそんなに大きな意味はないので、自分のやりたい分野で、表現したいことを発信するほうが楽しく活動できますからね。今回の個展では、そういった思いも込めています。さまざまな場所から展示のオファーをいただいていて、本当にありがたい限りです。何度も開催させていただいた西武といった大きな会場での展示は、いい経験となったので、また機会があればぜひやらせてもらいたいです。
でも、今の私の思いをストレートにわかりやすく伝えるには、自分でできる範囲の規模が最適だと思って、今回は自主企画に至りました。これからも自分の好きなことに対して忠実でありたいですし、好きなことを続けていくためにも、インディペンデントな活動を続けていきたいです。

万美
書道家。山口県出身。9歳から書道を始める。日本のヒップホップカルチャーから影響を受け、DJ やラッパーのCD ジャケットや出演イベントで協業する。現在はジャンルは問わず、世界的に展開する企業にも作品を提供している。アジアを中心に展覧会を開催し、世界中から注目を集めている。
Instagram:@mamimozi

MAMIMOZI
会期:〜2022年1月17日
会場:代官山 STUDIO 4N
住所:東京都渋谷区猿楽町2-1 アベニューサイド代官山Ⅲ 3階
時間:12:00〜19:00
作家在廊:毎日16:00〜18:00、18:30〜19:00
毎日18:30から作家によるライヴパフォーマンスを予定。

Photography Cho Ongo

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書道家 万美のインディペンデント。自分らしい文字をつづるために―前編― https://tokion.jp/2022/01/12/interview-calligrapher-mami-part1/ Wed, 12 Jan 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=89955 書道家、万美が、約5年ぶりとなる自主企画の個展を開催中。これまで以上に彼女らしさを感じられる作品が並んでいる中、開催に至るまでの活動を振り返る。

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国内外からのオファーが絶えない書道家 万美。グローバルブランドからヒップホップアーティストのCDジャケット、さらには個人経営の飲食店といったものまで、作品の提供先は多岐にわたるが、そこには共通する信念があると話す。

現在、自主企画の個展「MAMIMOZI」が代官山「STUDIO 4N」で開催されている。展示されている作品の数々は、書道を身近なアートに昇華し、その表現を通じて心を揺さぶってくれるが、彼女本人にとっての書道と作品とは。クライアントワークをこなしつつ、好きなことを追求し続けるからこそ見出した、インディペンデントな活動に迫る。

自ら切り開いた書道家の道

――万美さんが書道家を志したのはいつですか?

万美:幼い頃から書道を習っていましたが、書道家を目指したのは高校生の頃で、書道を学べる大学に進学するために上京しました。学費や下宿代をアルバイトだけで補うのではなく、少しでも書道でまかなおうと考えていて、その時にいただいた仕事が初めてのクライアントワークになりました。

――いただいた依頼はどんな内容でしたか?

万美:最初の仕事は、ヒップホップアーティストのCDジャケットです。ピンゾロ(ラッパー・鬼が率いる3ピースバンド)のアルバム『P.P.P.』に、“ピンゾロ”とカタカナで書かせていただきました。

――依頼はどういった経緯できたのですか? 鬼さんと知り合いだったんですか?

万美:いえ。鬼さんとのつながりは一切ありませんでした。私は日本のヒップホップが大好きで、CDをたくさん持っていたんです。その多くに「ULTRA-VYBE(ウルトラ・ヴァイヴ)」というロゴが入っていることに気付いて、調べてみたらそれはレコード会社でした。これだけ音源をリリースしているなら、なにかしらのジャケットで私の作品を使ってもらえるのではと考えて、直接ウルトラ・ヴァイヴにメールを出したんですよね。すると、3ヵ月くらいたってから返信があって、仕事の依頼をいただきました。

――依頼があって、率直な感想はいかがでしたか?

万美:驚きましたよ! 「鬼って、あの鬼さん!? 本当に!?」って(笑)。

――それが2009年のことですが、その後はどんな活動をしてきましたか?

万美:依頼されたジャケットを書いて以来、他のラッパーさんにも私のことを知っていただけるようになり、狐火さんのジャケットやイベントのフライヤーを書かせてもらい、憧れていたシーンの中にどんどんとつながっていきました。

――書道家として駆け出しの頃は、『P.P.P.』の時のように、自分からアプローチすることが多かったですか?

万美:当時は、私から声がけさせていただくことが多かったですね。書道1本で生計を立てたいと思うようになってからは、なんでも書こうと思って作品の提供先を選ばなくなりました。でも、厳選したほうが私の意思が通るんですよね。「なんでもいいから使ってください」のスタンスだと、メールの返信率が悪かったです。

――今ではDJ MUROAwichなどのアーティストから、「シュウ ウエムラ」や富士通といったグローバルカンパニーまで作品を提供していますが、クライアントによって書き方や表現に違いはありますか?

万美:取り組む際の意気込みは何も変わりません。CDジャケットなら音源のラフを先に聴かせてもらって世界観に浸って書いています。そして企業案件なら、まずはその企業精神について調べて、それを理解した上で書くので、書き方としては一緒。相手の気持ちになることが大事です。最近だと、漫画『刃牙』の連載30周年プロジェクト「異種創作技戦ッッ!」でコラボレーションした際、花山薫の気持ちになって書きました(笑)。

――印象に残っているのは、2020年に開催された「ミッキーマウス展 THE TRUE ORIGINAL & BEYOND」です。3つの円相に、ミッキーマウスを世界共通の文字ととらえて表現した作品「ZEN Micky」が展示されていました。そして、その飾られた1枚の掛け軸の下には、何百枚もの同じ作品が積み重ねてありましたね。展示や提供する作品は1枚ですが、完成に至るまでたくさん書いているのが作品を通して伝わりました。

万美:基本的に、展示する作品は1つなんですが、本当にたくさんの枚数を書いて厳選しています。「ZEN Micky」で展示していた枚数は、比較的少ないほうで、220枚書きました。観てくださる方は、1つの作品を数百枚書いていることまで気付きませんよね。普段は厳選した作品だけを展示して鑑賞していただきますが、もちろんそこに至るまでの過程もあるので、その時間を表現するためにあの時はすべてを展示しました。制作期間は、筆が進む日があれば、まったく進まない日もあります。気持ち次第で1日に何十枚も書く日があれば、1枚しか書かない日もあるんですよね。

――気分が乗っている日は、どんなところでわかりますか? スイッチの入れ方があったりしますか?

万美:気分が乗っていると思っても、実は乗っていなかったりもします。体調が優れないけどとりあえず手を動かさなきゃと思って書き始めてみたら、とてもいい感じだったりも。筆の調子をコントロールできるようになればいいんですけどね。

畑違いの依頼も自分のこやしに

――基本的な質問になりますけど、書道の良しあしはどこで判断されるものなのですか?

万美:書道をやっている人とやっていない人で、判断基準は違うと思います。書道経験者による良しあしの判断は、専門的すぎて未経験者にはわからない部分が大半です。例えば、余白の使い方や墨と紙の相性だったりと。書道になじみがない人なら、難しい言葉よりわかりやすい言葉のほうが響きますよね。だから、書道の業界から離れたところで活動してみたら、その判断されるギャップを感じて、今もそのギャップと戦っています。

――書く文字の個性をどのようにして表現されていますか?

万美:私自身もまだわからないけれど、私らしい文字というのがあって。その個性を個人的に“匂い”と呼んでいるんですけど、自分にしかない匂いは、消したくても消せないものです。消せないからこそ、私が書いたと気付いてもらえます。でもその匂いがコンプレックスだったこともありましたけど、今は匂いがあって良かったと思っています。

――匂いをもっと強めたいと思いますか?

万美:そうですね。でも、ただ単純に匂いを強めるのも違うと思っていて。私らしい匂いを前面に押し出す作品もありますが、やりすぎるとエゴでしかありません。匂うくらいだからいいのであって、臭くなるまで強めたくはありませんね。

――ちなみにその匂いは、クライアントワークと個人の作品によって使い分けていますか?

万美:意識していませんでしたが、今考えてみるとクライアントワークで個性を出した作品が続いたら、個人の作品は堅実な作風になっているかもしれません。その逆もあって、クライアントワークで堅実な作品を書いたら、作品で個性を全開にしてバランスを取っていて。今となっては、私らしさを出してほしいという要望をクライアントワークではたくさんいただけているので、とても楽しめています。葛藤もありますが、ストレスはありません。

――大手企業からのクライアントワークの他に、個人経営の飲食店の看板も書かれていますよね。

万美:シンプルに、食べることが好きなんです(笑)。外食する際は、自分が看板を書いた店ばかり行っています。なので自分がおいしいと思える店でしか書いていません。

――好きなアーティストのCDジャケットを書くように、好きな店でしか書かないと。

万美:好きなアーティスト、好きな飲食店、好きなショップ、好きなブランドというように、私が自信を持っておすすめできるところに対しては、積極的に書いていきたいですね。

――クライアントワークは自身にどんな影響をおよぼしますか?

万美:予想だにしない要望があると、それに応えるために試行錯誤するので、私自身の可能性が広がります。ですので、クライアントワークは好きですし、私の活動において欠かせないものだと感じています。

――理想とする活動はありますか?

万美:今の活動の軸となっているクライアントワークは楽しいですし、勉強にもなっているので、それを続けながらも自分の書きたい作品を中心に制作していきたいです。それこそ、自分の生き様を曲にしているラッパーのように。クライアントワークで知識や表現を深めつつ、作品の質をより高めていきたいです。

万美
書道家。山口県出身。9歳から書道を始める。日本のヒップホップカルチャーから影響を受け、DJ やラッパーのCD ジャケットや出演イベントで協業する。現在はジャンルを問わず、世界的に展開する企業にも作品を提供している。アジアを中心に展覧会を開催し、世界中から注目を集めている。
Instagram:@mamimozi

■MAMIMOZI
会期:〜2022年1月17日
会場:代官山 STUDIO 4N
住所:東京都渋谷区猿楽町2-1 アベニューサイド代官山Ⅲ 3階
時間:12:00〜19:00
作家在廊:毎日16:00〜18:00、18:30〜19:00
毎日18:30から作家によるライヴパフォーマンスを予定。

Photography Cho Ongo

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世界の頂に立つBMXライダー内野洋平——活動20周年とこれから目指す先 https://tokion.jp/2021/06/19/bmx-rider-yohei-uchino/ Sat, 19 Jun 2021 06:00:21 +0000 https://tokion.jp/?p=36599 キャリア20周年を迎えたBMXフラットランド世界王者、内野洋平。その原点から現在までを振り返りつつ、「THE PARK」の設立や日本人初のブルックリンマシンワークスのライダーになった経緯に迫る。

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今年、BMXに乗り始めて20年の節目を迎えた“ウッチー”こと内野洋平。幾度も世界王者を勝ち取ってきた彼のオリジナルトリックはグローバルスタンダードとなり、BMXフラットランドシーンに計り知れないほどの影響を与えてきた。
その内野がプロデュースしたBMXフラットランドとスケートボードの屋内パーク「THE PARK」が、昨年11月にオープン。BMXフラットランドの屋内パークは珍しく、世界基準のスケートボード用レールを構えたことで、ワールドクラスの国内トップスケーター達も集まると話題を集めている。
さらに、ニューヨーク発のバイクカンパニー「ブルックリンマシンワークス」のオフィシャルライダーとしての契約を結び、シグネチャーフレーム“MERIKEN”のローンチを発表。その快挙はストリートシーンのさらなる発展を予感させる。
BMXのトリックでは地面に足を着けない彼が、地に足を着け活動してきたその原点とこれからの展望までを聞く。

※「フラットランド」とは、BMX競技のジャンルのひとつで、平らなアスファルトなどで回転したり、バランスをとったりして技を繰り広げて演技をするものです。対して「ストリート」 は、ジャンプ台や障害物といったセクションを飛び越えたり、トリックを決めたりしてその技を競います。

世界の壁の高さを痛感したが届かない高さじゃない

——20周年おめでとうございます。振り返ってみていかがですか?

内野洋平(以下、内野):ありがとうございます。本当に一瞬でした。10代、20代、30代と、時代ごとにたくさんの思い出が残っています。

——その中でも、一番のターニングポイントは?

内野:2005年、22歳の時ですかね。大きな出来事がいっぱいありました。まず、湘南乃風の「カラス」のMVに出演しました。その翌日には「ユニクロ」のCM出演が決まりました。それまで全然メディアに出ていなかったんですけど、立て続けにオファーがあったんです。さらにその年の日本選手権では、優勝することもできました。

内野が出演する湘南乃風の「カラス」ミュージックビデオ

——本当に大きな転機になった1年でしたね。

内野:そうですね。そしてこの年は世界大会にも挑戦しました。結果は8位。悪くはないけど、日本のBMXシーンはレベルが高かったので、世界トップ3に入賞できると思っていました。だから、納得ができなくて……。でも世界の壁の高さは自分が思っていたより上でしたが、届く高さだなとは思いました。それを理解できたので、ライディングのスタイルをフロント系トリックからリア系トリックに変えたんです。

——なぜまたこれまでのスタイルを変えたのですか?

内野:僕はマーティ・クオッパビッキー・ゴメスフランク・ルーカスといった、当時の世界のトップライダー達に敵いませんでした。そこでリア系のほうがオリジナルの技を編み出せるんじゃないかと考えて、リアにチェンジしてみたら、すごくたくさんオリジナルの技を思いついたんです。

——確かに。“ウッチースピン”をはじめ、ウッチーさんが開発したオリジナルトリックは、シーンに大きな影響を与えましたよね。スタイルを変えたばかりの頃、周りの反応はどうでしたか?

内野:スタイルを移行してからは大会にもショーにも出ず、一回業界から身を潜めたんですよ。2年弱、遊ばずお酒も飲まずに毎日10時間くらい練習をしていました。一度死ぬほど練習に打ち込んでみようと思って。当時ネットで、「内野が消えた」と話題になっているのを見ていましたよ(笑)。でも実は、消えたのではなくて超絶練習していました。

——オリジナルトリックが完成するまで披露せずに潜ったのですね。それはキャリア20年の中でも、一番つらい時期なんじゃないですか?

内野:二度とあんなに乗りたくない(笑)。ストレスで血尿も出たし、体がBMXに乗ることに対して拒否反応を起こして家から出られませんでしたからね。

——そこまでストイックに追い詰められるのもすごい。そして貴重な経験だと思います。では完成したトリックを初披露したのはいつ頃ですか?

内野:潜めて2年後の2007年11月に開催された、「KOG(=King of Ground ※BMXフラットランド全日本選手権)」です。オーディエンスを含めて反応はめちゃくちゃよかったです。

——その大会後に世界へ再挑戦を?

内野:はい。改善できる部分をブラッシュアップして、2008年5月にニューオーリンズで開催された「VooDoo Jam」に挑みました。予選は中途半端な10位でした。さらにそのあとは最悪のカードが続いて。1戦目が3年前の世界チャンピオン、2戦目が2007年の世界チャンピオン、そして当時の現世界チャンピオンにも当たって。でも、その歴代チャンピオン達のおかげで思い切って乗ることができて、優勝することができました。

——念願の世界チャンピオンですね!

内野:僕の人生の中でも、とても大きな出来事でした。それ以降、世界戦で予選落ちをしたことはありません。

——改めてこれまでの20年を振り返ってみて、大事にしていることはなんですか?

内野:BMXは1人の競技ですけど、1人では乗れない。一緒に練習するライダー仲間がいて、モチベーションを上げてくれる海外のライバル達がいる。そうして活躍すれば表舞台に立てる仕事が増える。それは世の中的には背負うものって言われますけど、僕は背負っているつもりはありません。僕が勝つことで幸せになれる人をたくさん作ったほうがやりがいになりますし、それが一番大事ですね。

BMXだけじゃなくストリート全体のために

——昨年11月、ウッチーさんがプロデュースしたスケートボードとBMXフラットランドがそろったパーク「THE PARK」が、湘南エリアの寒川町にオープンしました。日本トップクラスのスケーターが通っているそうですね。

内野:おかげさまで日本一レベルが高いパークとも言っていただいています。4月にレールを新しくしたんですよ。(白井)空良の要望で、オリンピックと同じ角度と高さにしました。

——空良さんはオープン時からの設計に携わっているそうで、以前に設置されていたレールも空良さんの要望で世界基準のサイズにしていましたよね?

内野:そうです。実際に街中にある手すりと同じ高さに改良しました。もともと世界基準の高さでしたが、スケートボードのオリンピック種目のストリートでは、この高さ。オリンピックを想定できるし、リアルなストリートでの練習にもなります。

——大会とストリート、その両側面において練習ができるのはいいですね。

内野:オープンしてよかったなと思うのが、世界で戦っているトップスケーターに加えて、街中で滑っているスタイルがかっこいいスケーターも来てくれていること。お互い知っているけど、案外接点がないこともあるので、ここで仲良くなる人も多いんですよ。

——BMXのパークはどうですか?

内野:各地からライダーが足を運んでくれています。一昨年まで寒川には、日本唯一のフラットランドのパークがあったんですよ。そこは世界的に見てもいいパークでした。でも去年、建物の老朽化で取り壊しになってしまって。その理由もあって、「THE PARK」をオープンしました。しかもフラットランドだけじゃなくて、スケボーのパークも併設させて。個人的な思いとしては、BMXだけじゃなくて、スケボーといったストリート全体を盛り上げたいという気持ちが強いんです。

——まさに、オーガナイズされているストリートスポーツの世界大会「ARK LEAGUE」に共通した思いですね。スケーターから刺激を受けることも多いのでは?

内野:スケートのキッズが失敗して1分くらいうずくまっていても、また階段を上がってトライする、その何度もチャンレンジしている姿を見ていると、僕だって怖くてちゅうちょしますけど負けてられないなと思えるんです。いい刺激になっていますよ。

憧れのブランドの一員となりシグネチャーフレームが完成

——そして、ニューヨークのバイクブランド、「ブルックリンマシンワークス」のライダーとなり、シグネチャーフレーム“MERIKEN(メリケン)”のリリースニュースが、世界的にも大ニュースとなりました。

内野:誰もが憧れるブランドなので、本当に嬉しかった。所属しているのは、昔から一緒にやってきたファミリーばかりですし。去年まではニューヨークのナイジェル・シルベスターがサポートされていたのですが、移籍してしまったので、現在サポートされているのは僕だけなんです。

——オファーがあった時はどうでしたか?

内野:信じられませんでした。「ブルックリン(マシンワークス)」からサポートされるのは本当にハードルが高くて、世界一になったからといって声を掛けられるわけじゃないですからね。オファーは、3年前に京都でショーをした際、ブルックリンのオーナーがいて、話していたら僕のシグネチャーフレームを作ってくれるという話になって。でも京都から戻ってすぐに希望するフレームの設計図を送ったのに、一向に話が進まず……。口約束だったし話が流れちゃったのかなって思っていたら、ブルックリンの日本の代理店の「W-BASE」が動いてくれて、去年の夏から本格的にフレーム製作がスタートしたんですよね。

——フレームのモデル名である“メリケン”には、どんな意味があるのでしょう?

内野:僕の地元、神戸にあるメリケンパークからですね。BMXを乗り始めた頃、いつも練習していた場所なんです。

——自身のルーツから命名したんですね。こだわった点はありますか?

内野:細かい話になりますが、ペダルとクランクをフレームとつなぐ部分をBB(ボトムブラケット)と呼ぶんですけど、その位置がそれぞれのフレームによって、地面からの高さが違うんです。フラットランドはBBの位置が重要なので、一番こだわりました。完璧な仕上がりです。

——今後、「ブルックリンマシンワークス」のライダーとして、どのような活動をしていきたいですか?

内野:ブルックリンは、NIGO®︎さんが1990年代にいち早く国内で乗っていたり、今の共同オーナーがファレル・ウィリアムスだったりして、バイクシーンの枠を超えて支持されているブランドなんですよ。だから僕もファッションや音楽も含めて、さらに深くカルチャー全体と関わっていけると思っています。ブルックリンと一緒に頑張っていきたいですね。

——ウッチーさんの今年の動きは、今まで以上に見逃せないですね。

内野:今年もビッグタイトルの世界選手権がコロナの影響で延期になってしまいました。とにかく今はブルックリンに乗って映像を残したいし、もっとストリートで乗りたいと思っています。街で乗るのがBMXやスケートボードの本来の姿ですからね。そうやって自分がやりたいことを発信していくためにも、世界チャンピオンの座を獲り続けたいです。

内野洋平
1982年生まれ。兵庫県出身。高校生の頃にBMXフラットランドと出会い、同級生と競いながらスキルを磨く。20歳で上京し、日本トップライダーの田中光太郎とともに練習を重ねる。その後編み出したオリジナルトリック“ウッチースピン”は、BMXフラットランドシーンの世界的トレンドとなる。2008年に初めて世界選手権で優勝し、現在まで11度も世界タイトルを獲得している現世界チャンピオン。2013年からは、地元神戸で世界選手権「FLAT ARK」を主宰する。現在は「ARK LEAGUE」としてBMXフラットランド・スケートボード・ブレイクダンスの3種目で構成され、日本を代表するストリートスポーツの世界大会へと成長させた。
Instagram:@uchinoyohei
https://www.instagram.com/uchinoyohei/

■THE PARK
住所:神奈川県高座郡寒川町倉見1385-12
時間:12:00 – 21:00
休日:月曜日(祝日を除く)
TEL:0467-37-9860
https://www.thepark-samukawa.com/
Instagram:@thepark_samukawa

Photography Daiki Katsumata

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三味線に新たな可能性を――東京月桃三味線が紡ぐ、現代の響きと余韻 https://tokion.jp/2021/06/05/tokyo-ghetto-shamisen/ Sat, 05 Jun 2021 06:00:35 +0000 https://tokion.jp/?p=35608 海外に行けない今こそ、日本の伝統文化を見つめ直したい。街と自然が織り成す三味線の新たな可能性を探求し続ける東京月桃三味線とは。

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日本の伝統文化として海外で注目を集めてはいるが、現代を生きる日本人には馴染みが薄いものが実はたくさんある。その1つに挙げられているのは、三味線。音色を聴いたことはあるけれども、真剣に向き合ったことがないという人は多いはず。古典的で難しいイメージもあるけれど、東京月桃三味線はそのイメージを払拭してくれる。伝統を踏襲しながらもどこか現代的で、構えずとも日常生活に馴染み、3本の弦が奏でる複雑な音は、聴く人の心を動かす。
東京月桃三味線の音楽はどこから生まれてくるのだろうか。

根底にあるのはパンクの精神

――三味線に至るまで、どんな音楽を好んでいましたか?

東京月桃三味線:私が10代の頃、地元の山口県岩国市は、パンクやハードコア、スキンズといったカルチャーが盛り上がっていて、全国各地のバンドがツアーで立ち寄るような場所でした。そこで育ったこともあって、中学生の頃からレコードと洋服を販売しているバー&ライヴハウスに通い始め、人真似ではなく自分自身であれというパンクの精神性に影響を受け、自分なりに表現したいものを表現するという意識が芽生えました。

――そこから三味線とはどのようにつながっていくのですか?

東京月桃三味線:16歳で単身上京し、バンドをやったりしながらライヴハウスやクラブでさまざまな音楽に触れていきました。次第に世界の民族音楽やそれらをアップデートした土着的な音楽を好むようになり、その中で日本の伝統音楽や楽器にはまったく触れてこなかったことに気付いたんです。現代の日本の文化や音楽が、西洋文化の後追いばかりになっていることに違和感を覚えていたところもあり、ギターを少し弾いていた経験から同じ棹物ということで、2008年に初めて三味線を手にしました。

――初めて弾いた感触はどうでしたか?

東京月桃三味線:最初に三味線の先生に撥(ばち)の持ち方、1音の出し方を教わって弾いてみると、豊かな倍音の響きと余韻の美しさに魅了されました。その心地良い1音1音をただつなげていくだけでも音楽になると感じたので、固定概念に縛られずに本能でこの楽器と向き合ってみようと思い、既存の三味線音楽はほとんど聴かずに基本的な奏法だけを学び、すぐに東京の路上に立って即興演奏を始めました。

――三味線という楽器は知っているけど、詳しく知らない人も多いです。簡単にご説明いただけますか?

東京月桃三味線:三味線は、15世紀から16世紀の戦国時代末期、琉球を経由して大阪の堺に伝わった三線(さんしん)を改良した楽器と言われていて、中国の三弦(サンチェン)が起源とされています。
日本の三味線音楽の源流となるジャンルは「浄瑠璃」と「地歌」で、平曲(平家琵琶=平家物語の語り物音楽)を伝承していた盲人の音楽家(琵琶法師)達が改良して三味線を完成させ、琵琶を弾く撥によって弾き始めるという形で、三弦音楽としての地歌が始まったと考えられています。
江戸時代以降は、「長唄」や「義太夫節」など多数のジャンルが発生して民謡などにも用いられるようになり、三味線音楽の発展にあわせて、三味線自体もそれぞれの楽種に適合したものに変化していきました。現在は十数種類あるとも言われていますが、一般的には棹の太さで「細棹」「中棹」「太棹」の3つに分類されています。私が使っているのは太棹の三味線です。

路上から始まり、自然の恵みで育んでいる音楽

――三味線を使って、現在までどのような場所で活動してきたのですか?

東京月桃三味線:始めた当初、音楽に求めていたものは、魂の解放であり、時代や風土に根差した今に生きる音でした。それを当時の遊び場であった東京の路上、クラブ、ライヴハウス、バーなどで自分なりに表現していました。次第にさまざまなご縁に恵まれ、神社仏閣での奉納演奏や祭り、フェスなど国内外の舞台へとつながっていきました。

――演奏していた路上から広がっていったと。

東京月桃三味線:そうです。路上演奏は自分にとっての原点であり、学びの場でもあるので、今でもライフワークとして続けています。普通は古典をしっかり学んでから自分で作曲しますが、先述の通り私の場合は逆でした。当時生活していた東京の喧騒の中という環境に適応するように、初めから即興演奏やセッションの中で、直感的に音を紡ぎながら自分なりの型や曲へと発展させていき、ある程度自分が表現したい音の世界や好きな音色の基準ができてから、少しずつ伝統的な三味線音楽からも学びを得て現在に至っています。

――伝統的な三味線音楽は、どのようにして学んだのでしょう?

東京月桃三味線:2013年に、津軽三味線の第一人者である初代高橋竹山の高弟、高橋栄山に師事し、竹山流津軽三味線を修得し、それ以降、各地の民謡、新内、長唄などの古典三味線音楽を、ご縁のあった先生から学んでいます。その中には現代の日本人ではとても思いつかないような奏法やリズム、間などがたくさんあります。過去の名人の演奏や古典の曲に触れる時、古い・新しいではなく、先達の魂や生き様、その時代や風土の息吹に触れたような感覚になると同時に、普遍的な美を感じます。それを学び伝えていくということは、1人の人間の一生を超えて脈々と生き続ける芸の命を育み、魂のたすきを未来へとつないでいくということのようにも思います。師匠と直接対面して学ぶことで音楽以外にも人間性から学ばせていただくことも多く、芸事というのは奥深く人生や日常を彩ってくれるものだなと感じています。

――現在は、京都に拠点を移しているそうですね。

東京月桃三味線:京都に移住して9年ほど経ちます。それ以前からツアーの合間に各地の自然の中で作曲するのが好きだったり、音楽活動とは別に農や自給自足にも興味があったので東京近郊の知人の田畑で農作業を経験させていただいたりもしていました。そこでゆくゆくは自然を身近に感じながら創作活動、自給自足生活をして、演奏の機会があれば全国各地に出向いて行くというライフスタイルを思い描いていました。

――なぜ京都を選んだのですか?

東京月桃三味線:京都は街と自然の距離が近く、伝統文化を学べる場所や機会も多い。そして自然志向、健康志向の食文化がしっかりと根付いていて、はやり廃りではない素晴らしい音楽文化も脈々と息づいている。祭りやパーティ、日常の中でそれらが共存しながら独自の文化圏を形成しているところに引かれて、2012年に比叡山の麓に拠点を移しました。さらに昨年末に市内から2時間ほど離れた山奥の小さな集落に移住し、今まで以上に田舎での暮らしを味わっています。

――田舎での暮らしはいかがですか?

東京月桃三味線:周囲は山と川と田畑に囲まれていて静かで、水と空気がおいしく、腰を据えて稽古したり創作したりするにはうってつけの環境です。近所にお店はないのですが、今はネットもありますし、たまに20~30分離れたところに買い出しに行けば特に不便は感じません。都会の中で生活していると感じにくい細やかな自然の変化を感じ観察しながら、創作したり農作業をしたりして暮らしています。

――日常的に自然の中で作曲するようになって、変わった部分はありますか?

東京月桃三味線:自然は圧倒的な情報量を持っているので、人間が何もしなくても自然の音だけで音楽が成立しているようにも感じます。自然の中で作曲する際は、それらを邪魔しないようにそっと音を添えるような感覚で1音1音を紡ぎ、その間に立ち現れてくる静寂や環境音込みで音楽を完成させることが多くなりました。今の環境ではこれまで以上に静寂や余韻、音の消え際、間といったものに美を見出すようにもなりました。

日本人は世界でも珍しく、虫の音、波の音、風の音、雨の音、小川のせせらぎなどの自然の音を雑音として認識するのではなく、自然から発せられている言葉として左脳(言語脳)で認識しているそうです。三味線はそんな感覚を基に日本の風土や建築環境の中で作られた楽器なので、楽器の鳴りとしても伝統的な建物や住居などと相性が良いと感じています。今住んでいる家の響きも気に入っているので近所の人を招いて演奏会を開いたりしています。

――昨年リリースされた約7年ぶりのアルバムは2枚組で22曲入り。各曲に制作年と制作場所も記載されています。ベトナムで制作した曲も入っていますね。

東京月桃三味線:近年は中国や韓国、タイなど東・東南アジアの国々で演奏させていただく機会も増え、現地の伝統音楽家との交流からも学びを得ています。ベトナムの乾季は三味線の鳴りがとても良くライヴも盛り上がりました。「蓮華」という曲は、ダナンという土地の宿で隣りの部屋から二胡のような音が聴こえてきて、その音とセッションしながら作った曲です。

――隣りの部屋の人とセッションするなんて素敵ですね。アルバムのジャケットは、「川」を手掛けている荒川晋作さんが撮影していて、中のアートワークを野坂稔和さんとUsugrowさんが手掛けているところも気になりました。

東京月桃三味線:野坂さんとは三味線を始めた頃に路上演奏で声をかけていただいて以来の付き合いで、これまでもロゴを書いていただいたり、ライヴペイントでの共演を重ねたりしてきました。Usugrowさんとはイベントでのライヴペイント共演から始まり、彼が壁画を手掛けた現場や台湾での彼の個展などで演奏させていただいたりもしてきました。
晋作さんとは京都の路上で出会い、彼の企画や「川」の出版記念イベントなどで演奏させていただいたりしていて、彼らとの交流や作品から刺激を受けることも多く、3人ともそれぞれが共通の友人でもあり気心知れた仲だったので、こうしたつながりを形に残しておきたいという想いもあり、今回はこの御三方にお力添えいただきました。ちなみにタイトルの「東京月桃三味線」の書は、今は亡き祖父によるものです。

情緒を表現するのは欲求の1つ

――つながりは原点である路上と三味線から。では、今後挑戦していきたいことはありますか?

東京月桃三味線:昔から自分の中では、音と同時に映像のイメージが浮かんでいたのですが、これまでそれを具現化した映像作品を作ったことがなかったので、映像制作には挑戦していきたいです。それと一番の挑戦は、生涯現役で演奏も作曲も向上し続け、自分自身の最高傑作を生み出し続けることですね。

――それは楽しみです。では最後に、今後はどんな音楽を作っていきたいですか?

東京月桃三味線:これまでの作曲に関しては、自然の美しさに感動したり畏怖の念を抱いたり、人情の機微に心が動いたりと、自分の中から何かがあふれた瞬間などに感じる気の性質や流れを、三味線を介して音で紡いでいるような感覚でした。今後もそれは変わらないと思いますが、そういった自分の経験や現実とつながっているもの以外にも、もっと抽象的だったり空想的なところから想像力を掻き立てて魂が震えるような音楽を描いてみたいとも思います。
自分にとって創作したり音を奏でたりするということは、本能的な欲求であり快楽なので、これからもより繊細に純粋に音楽と向き合っていきたいですし、普遍的な美を追求していきたいです。
純粋に音を奏で、それを誰かと共有したいと思う時には、みんなの心の平安を祈るような心持ちにもなりますし、音楽は自分自身や楽器の調律から始まり、聴き手の魂や空間の調律にもつながると考えていますので、1人でも、一瞬でも、誰かの癒しや救い、生きる糧になるような音楽を奏でられるように今後も精進していきます。

東京月桃三味線
2008年、日本の風土に根差した土着的な音楽を志し、東京を拠点に活動を開始。2012年に活動拠点を京都へと移し、自然の機微を感じながら自給農を通じて土と向き合う生活を創作活動の基盤とする。国内外のさまざまな舞台、神社仏閣、路上、自然の中などで幅広く演奏活動を展開し、さまざまな音楽家や表現者との共演も重ねながら、現代に息づく独自の三味線音楽を創造している。
http://tokyo-ghetto-shamisen.com/
Instagram:@tokyo_ghetto_shamisen
Twitter:@AtsushiSakata
Bandcamp:https://tokyo-ghetto-shamisen.bandcamp.com/

Photography Yuji Sato

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浮世絵×ストリート。イラストレーターNAGAが描く、古今の交差 https://tokion.jp/2021/06/02/ukiyoe-and-street-culture-illustrater-naga/ Wed, 02 Jun 2021 06:00:41 +0000 https://tokion.jp/?p=36073 江戸時代の風景にストリートカルチャーを落とし込むイラストレーター、NAGA。実験的な作風に至った経緯と目指す先とは。

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西洋の偉大な画家達に大きな影響をもたらしたことでも知られる浮世絵。現在では芸術の1ジャンルとして確立しているが、もともとは庶民に親しまれていた絵画であり、“浮世”という言葉が示す通り、当時の生活を描いているものが多い。その日本を代表するアート、浮世絵に独自の解釈を加え、現代アートに仕立て上げるイラストレーターのNAGA。彼が描く舞台は江戸時代であるが、町人は現代さながらスケートボードやピストバイクに乗っている。まさに、時代を超越した“浮世絵”だ。時代とカルチャーをクロスオーバーさせたことで開化した、NAGAに迫る。

漫画家を目指していた当時、浮世絵がしっくりハマった

——いつから浮世絵をモチーフにした作品を描いているのでしょうか。また、なぜ浮世絵を?

NAGA:13年前の25歳からですね。きっかけは当時、人手が足りないという先輩の実家の銭湯で住み込みのバイトをしていたことです。その銭湯は東京の地下水を使っていたんですけど、飲むこともできておいしかった。そこでその地下水を飲料水として販売するために広告を作りたいという話になり、絵が得意だった僕に、東京らしく江戸を打ち出した浮世絵っぽいデザインを描いてほしいと依頼がきたんですよね。
ただ、僕は浮世絵は知っていたけどそこまで詳しくは知らなかった。そこで図書館に行って浮世絵の本を見て調べ研究し、サンプリングすることにしました。すると、めちゃくちゃ喜んでくれたんです。自分でも描いていて浮世絵はおもしろかった。それからこの作風で描き続けています。

——銭湯でバイトするまで、イラストレーターとして活動していたんですか?

NAGA:当時は漫画家を目指していました。もともとイラストと漫画の専門学校に通っていたので。だから、絵を描くこと自体、昔から好きでした。

——そうだったんですね。改めて浮世絵を見た時の印象はどうでした?

NAGA:基本は漫画と一緒だなと。油絵とか水彩画と違って、アウトラインの線画を描いて色を塗る。だから、とっかかりやすかったですよ。

——なるほど、そのとっかかりやすさがしっくりきた部分なんですね。浮世絵を新鮮に感じたりしますか?

NAGA:浮世絵を調べていくうちに知ったのですが、江戸時代は出版物に対して厳しい検閲があったんです。でもその検閲をかいくぐって、隠しメッセージを落とし込んでいる作品があるんです。例えば、画中の人物と背景を結びつけることで別の答えを導いたり、作品の題名部分に描かれた小さな絵にメッセージを隠していたり。その一見しただけではわかりにくい仕掛けもおもしろいと感じたので、僕もわかる人にはわかるように、隠れた表現を潜ませています。

——ちなみにどのような隠しメッセージを?

NAGA:例えば、スケーターが着ている着物の柄が、とあるスケートブランドの……といった感じです(笑)。でも、一般的には気付きにくいことなので、スケート好きでも気付く人だけ反応できると思います。

もし江戸時代がそのまま現代まで続いていたら…

——スケーターだけが気付くポイントがあるんですね。昔からスケートボードといったストリートカルチャーは好きだったんですか?

NAGA:はい。めちゃくちゃアメリカンカルチャーが好きでした。浮世絵と出会ってからはもっと追求していこうと、自分が好きなカルチャーを浮世絵とクロスオーバーさせています。それが僕の場合はスケートボードをはじめとしたストリートカルチャーだったんですよね。

——他に影響を受けたカルチャーは?

NAGA:スケートボードや自転車以外だと、グラフィティやヒップホップも好きです。単純に自分の身近にあって、好きだったものを作品に反映しています。

——町人がスケボーやピストバイクに乗っているのが実にユニークです。江戸時代の生活と海外のカルチャーをミックスする際、気を使っていることはありますか?

NAGA:基本的に有名な浮世絵作品をサンプリングすることが多いんですけど、元の作画を極力変えないようにしています。変えすぎてしまうと、ベースとなった浮世絵がなんだかわからなくなってしまうので。

——サンプリング元は隠さず明確に、気付いてもらいたい、と。

NAGA:そうですね。あとは、「もし江戸時代がそのまま現代まで続いていたら」というテーマを一貫して追求しています。街並みや装いは近代化していませんが、海外の先進的なものは輸入されていて、みんなちょんまげと着物姿のまま生活している様子を想像しながら制作しています。

——ユニークな視点ですね。浮世絵に馴染みが薄い人からは、どんな反応がありますか?

NAGA:純粋におもしろがってくれますし、浮世絵に詳しくなくても、スケボーや音楽などのカルチャーが好きな人は反応してくれますね。

——さながら現代版の浮世絵のようですが、日本の伝統文化をどのように捉えていますか?

NAGA:すごく好きですよ。でも、昔のままだと意味が伝わりにくいので、現代的にアップデートしているんですよね。そもそも浮世絵は、当時の生活を描いているものなので、僕は今の時代に合ったものを描いていきたいです。

いつかは伝統的な工程で版画の浮世絵を作りたい

——今後、挑戦したいことはありますか?

NAGA:お皿やグラスなど日常的に使えるものに、自分の作品を落とし込んでみたいですね。

——実用的なアート作品といったところですね。

NAGA:はい。そしていずれは伝統的な工程で浮世絵を作りたい。よく見かける浮世絵達って版画で作られているんですけど、彫師や摺師に依頼すると、大きなお金がかかってしまいます。以前、版画を作ろうと思ったことがあって、彫師に聞いてみたら、僕の作品は細かすぎるため、もっと線を太くしなければいけないし、省略しなきゃいけない部分もあると言われました。今の僕の作品をそのまま版画にしたら、金額が大変なことになってしまうようで……。そう考えると、江戸時代の浮世絵は、実はぜいたくな作りだったみたいです。

——勉強になります。版画での制作も楽しみにしています。最後に、これから個展が開催されるそうですね。

NAGA:そうなんです、2年ぶりの個展です。場所は、以前からお世話になっている根津のセレクトショップ「Tsugiki(ツギキ)」と、その向かいにあるハンバーガーショップ「Hedge8(ヘッジエイト)」の2ヵ所同時開催になります。今まで描き続けてきた「すけ〜と百景」シリーズの新作や、新たな動物シリーズとして猫もたくさん描きました。緊急事態宣言で延期となっていましたが、ようやく開催できそうなので、ぜひお越しいただきたいです。

NAGA
茨城県出身、東京在住。2008年から、自身が敬愛するストリートカルチャーと浮世絵をミックスさせたアートワークの制作をスタート。ファッションブランドとのコラボレーションや企業広告へ作品を提供するなど、そのオリジナリティある作風で話題となっている。
Instagram:@naga0708

■つぎきとなが
会期:6月1日(火)〜6月20日(土)
会場:ツギキ/ヘッジエイト
住所:東京都文京区根津1-23-14(ツギキ)/東京都文京区根津1-22-12(ヘッジエイト)
時間:12:00〜19:00
休日:水曜
TEL:03-5834-2871(ヘッジエイト)
Instagram:@tsugiki_tokyo(ツギキ)
※緊急事態宣言の影響により営業時間が変更される場合がございます。TsugikiのInstagramでご確認ください。

Photography Yuji Sato

TOKION ARTの最新記事

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東京から世界へ発信するHOLE AND HOLLANDの多角的アプローチ https://tokion.jp/2021/04/21/hole-and-holland/ Wed, 21 Apr 2021 06:00:17 +0000 https://tokion.jp/?p=29261 東京発のインディーレーベル、HOLE AND HOLLANDが手掛けるのは音楽だけにとどまらない。世界でも活躍する彼らの、結成から現在まで。

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HOLE AND HOLLANDは、YO.ANやMamazuを中心としたDJ陣に加え、「アディダス オリジナルス」ビースティ・ボーイズなどともコラボレーションするアーティスト、NAIJEL GRAPHが所属しているレーベルだ。その積極的な活動は目まぐるしく、例えば、「エビセンスケートボード」 がスケート雑誌『Thrasher』で公開したオーストリアツアーの映像「WORKING HOLIDAY」の音楽を、YO.ANが手掛けていたりもする。

彼らは、どのようなきっかけで引き寄せられたのだろう。結成当時の話から、それぞれの活動について。そして昨年末、渋谷にオープンした同レーベルのヘッドショップ「OFFF(オフ)」に込めた思いも含めて、主要メンバーの3人に語ってもらった。

はじまりはたまり場になっていた家
音楽とスケートボードがつないだ仲間達

――まず、HOLE AND HOLLAND(以下、HOLLAND)はどのように結成されたのかお聞かせください。2人は兄弟なんですよね?

NAIJEL GRAPH(以下、NAIJEL):はい。僕が長男で、Mamazuが三男。ビートメイクしたり映像を撮ったりしている次男のSTONE’ Dもメンバーです。

Mamazu:結成のきっかけは、高校生の頃から僕らの家に集まって遊んでいた仲間が、HOLLANDなんです。

YO.AN:2人が住んでいたのが練馬で、僕は世田谷だったんですけど、スケボーや音楽など、好きなものが一緒だからよく遊んでいたんですよ。(NAIJEL GRAPHは)スーパーイケてるお兄ちゃんだったよね。絵を描いたり、DJをしたり、レコードもたくさん持っていて。おもちゃ箱みたいな家で、音楽もボンボン鳴っていました(笑)。

NAIJEL:ここはクラブか? ってくらいね(笑)。

YO.AN:むしろ、クラブだと思っていましたよ(笑)。週末の昼間だろうが本当に爆音で、「やばくないですか?」ってこっちが気を遣うくらい。だけど、そういった環境ってないし、大音量で音楽を聴くと全然聴こえ方が違うからとても楽しかったです。DJでプロデューサーのFUSHIMINGや、HOLLANDのロゴなどを書いているアーティストのEDO KANPACHIもその家の近所に住んでいてずっと遊んできた仲間です。その後、音楽をはじめ、何かを作るといった行為がみんな好きだったので、音源がまとまってきた頃、自分達でやっちゃっていいんじゃない? って話になって、レーベルとして動き出したんですよね。

――メンバーは何人いるんですか?

YO.AN:オリジナルメンバーは7人。僕ら3人に加えて、STONE’ D片方遥FUSHIMINGEDO KANPACHIが所属しています。

――HOLE AND HOLLANDという名前には、どんな意味が込められているんですか?

Mamazu:曲を作るし絵も描いているEDO KANPACHIのノートに書いてあったんですよ。HOLE AND HOLLANDって。

NAIJEL:落書きみたいな感じでしたけど、ロゴっぽくなっていてかっこよかったから、そのまま使っているんですよね。

――結成当時はどんな活動を?

Mamazu:仲間達でパーティをしたりしながら、 22歳くらいの時にコンピレーションアルバム『RIDE MUSIC』を初めてHOLLANDからリリースしました。12インチのレコードでもリリースしたんですが、それはシングルカットして、リミックスも入れています。

――このコンピレーションには、5lackさんも参加されているそうですね。

YO.AN:僕がかっちゃん(=「エビセンスケートボード」の南勝己)と一緒に、スケートブランドの代理店で働いていたことがあるんです。その時に紹介してもらいました。ちょうど僕らが初のコンピレーションを作っていたタイミングで、HOLLANDに所属していない人にも声をかけていたので、5lackにも話したら参加してくれたんですよね。

――メンバーの片方遥さんもそうですけど、スケーターとのつながりも強いですよね。

YO.AN:遥に関しては地元が一緒で、近所なんです。

NAIJEL:出会った頃からめちゃくちゃスケボーうまかったよね。

YO.AN:出会った時、まだ小学生くらいでしたけど、全身スポンサーみたいな感じでした。東京で一番かっこよかったんじゃないかと思います。HOLLANDのパーティにもずっと遊びに来ていてそのうちDJをはじめて、自然とメンバーになっていった感じです。

音楽とアートを武器に一丸となって
世界を股に掛けた活動を展開

――では最近の活動についても教えてください。

Mamazu:基本的にはそれぞれの活動ありきなので、自分でブッキングを取ってきます。みんな、アーティスト活動の延長にDJがあるような感覚かもしれませんね。

YO.AN:HOLLANDって、いつでもリリースできるプラットフォームみたいな存在なんですよね。クルーでの出演を頼まれることもありますし。STONE’ Dはサウンドシステムを作っているので、レセプションパーティくらいの規模だったらそれも持ち込んで、HOLLANDみんなで参加することもあります。

――DJ活動には新型コロナウイルスの影響はありましたか?

Mamazu:ありましたよ。配信ライヴが一気に増えました。

YO.AN:ロンドンをはじめ、海外からの配信にも声をかけてもらって、オンラインでも参加したりもしたよね。

Mamazu:そうですね。最初、僕らは配信にメリットを感じていなくて悩みましたけど、いい側面もあることにも気がついて。めっちゃ真面目にDJしています。

YO.AN:いつもは目の前のお客さんに合わせて選曲するんですけど、配信では不特定多数を相手にしているので、画面の向こうがどんな状態なのかわからないんですよ。なので、いろんなことを考えると、結果的に音楽のクオリティで勝負するしかないんですよね。目を閉じたらいいMIX CDを聴いているようなプレイも意識しています。

――NAIJELさんは、オンラインで開催されている合同展覧会といったものに参加されたりは?

NAIJEL:ないですね。幸いにも、企画していた展覧会も、ギリギリ開催できたりもしたので。

――NAIJELさんの展覧会のレセプションパーティでは、HOLLANDのメンバーがDJとして参加されていたりしますよね。

YO.AN:そうですね。それこそ海外にもみんなで一緒に行ってます。

――例えば、どこに行かれたんですか?

YO.AN:2020年は香港。2019年にはロンドンの「グッドフッド」っていうセレクトショップで、「ビームス T」とNAIJELがトリプルネームでコラボする企画があって。そこで僕とMamazuでDJをやらせてもらいました。

――その渡英中に、NTS Radioに出演もされていましたよね。海外での反響も大きかったのでは?

Mamazu:そうですね。イギリスだとかなり身近にあるラジオ番組として有名なので、反響はありました。その当時、海外のネットラジオに日本人が出演するってことも多くはなかったですし。

――「グッドフッド」と「ビームス T」とのトリプルネームでアパレルの販売もされていましたね。そのベースになったHOLLANDのTシャツは、本当にいいアイデアだと思いました。丸いポケットがCDサイズになっていて、そのポケットにはMIX CDが入っている。

NAIJEL:それをおもしろがってくれて、コラボレーションしたいと声をかけてくれるブランドも多いです。

音楽をモチーフにしたアパレルも
さらに広がるHOLLANDの世界観

――HOLLANDとしてアパレルグッズも積極的に展開していますよね。

NAIJEL:そうなんですけど、あくまでも音楽ありきのアパレルなんです。

YO.AN:音楽関連のネタをベースにして、ひねったアイデアで作っています。そして各アイテムには、CDやカセットテープだったりと、そのアイテムでしか聴けない内容の音楽を付けるようにしているんです。付加価値のある洋服にしたくて。

YO.AN:僕らが洋服を作っているのは、洋服が好きな人に新しい音楽や僕らの音楽を知ってもらいたいという思いもあるんです。HOLLANDのアパレルが、違うジャンルの人達とつながるきっかけになればと考えています。

Mamazu:自分達が着たい、使いたいってものを作っていきたいです。

――そして昨年12月には、HOLLANDのショップとして、「OFFF(オフ)」がオープンしました。オープン前にNAIJELさんから、「友達の家に遊びに来たようなお店にしたい」と聞いていました。それで今回、話を聞いていたら、昔NAIJELさんとMamazuさんの家にHOLLANDのメンバーがたまっていた頃の空気感を再現しているように感じました。

NAIJEL:そうですね。その感覚に近いかもしれない。友達の家に来るテンションで足を運んでもらいたいんですよね。近くには友達がやっているコーヒー屋さんの「Coffee Supreme Tokyo」もあるので、そこでコーヒーを買ってきて、飲みながらくつろいでほしいです。

Mamazu:お店の真ん中にベッドを置いているくらいですから(笑)。くつろいでもらいたいですね。だから「OFFF」って名前なんですよ。

――他にはショップのコンセプトなどはありますか?

YO.AN:気楽に遊びに来られる場所で、いつでもHOLLANDのアイテムが買えて、そして音楽もアートも買えるお店ですかね。あとは、展示会や個展なども開催できるレンタルスペースとしても機能させていきたいです。

NAIJEL:HOLLANDとしてもいろんな企画を考えていますが、NAIJEL GRAPHとしてはちゃんと「OFFF」で展覧会をする予定です。

――ショップ内には、レディースのヴィンテージショップ「グリフィス ヴィンテージ」が併設されていますよね。

YO.AN:そちらは女性2人が運営しているんですけど、その1人が僕の奥さんなんです。2人がレディースのヴィンテージショップを始めるタイミングが同じだったこともあって、お店をシェアしてオープンしたんですよね。

NAIJEL:メンズもレディースも両方あったほうが家っぽいし、カップルで来ても楽しんでもらえますからね。

――では、HOLLANDとしての今年の動きは?

YO.AN:今決まっているリリースだと、先日の「エビセンスケートボード」の映像「WORKING HOLIDAY」にも使われた曲も収録されたSUNGAの12インチと、名古屋の期待の若手TAIHEIの12インチが出ます。どちらも超現場仕様の内容です。あとはFRAN-KEYのディスコエディットがカセットテープで出ます。洋服やグッズもいろいろともちろん仕込んでいます。

――「OFFF」としての今後の動向は?

Mamazu:自分達が影響を受けてきたものをもっと販売していきたいです。

NAIJEL:他にはコラボレーションしたものを限定で発売したり、周りの友達のブランドを取り扱ったりするのもいいよね。

YO.AN:ここでYouTubeの収録もしようかとも考えています。

NAIJEL:すごくユルい感じでね。もしからしたら寝ながらやっているかも(笑)。

Mamazu:せっかくの場所があるので、そういったおもしろいことをやっていきたいですね。

YO.AN:あと、今年の夏くらいに都内でポップアップを開催する予定です。先の見えないご時勢なので、まだ予定としか言えませんが。そのためにいろんなアイテムを作っているところです。

NAIJEL:「OFFF」の匂いをそのまま持っていったようなポップアップにできたらなと思っています。かなりやばいコラボものも作っているんで、楽しみにしてもらいたいです。

NAIJEL GRAPH
雑誌の表紙や広告なども手掛けているアーティスト。2018年にはビースティ・ボーイズとのオフィシャルコラボレーションを実現し大きな話題に。他にも「アディダス オリジナルス」や「ソニー」とタッグを組んだ展覧会も開催されるなど、国内外からさらなる注目が集まっている。2017年に制作した、物とモノを足し算する新発想の絵本『なんでもたしざん』(オークラ出版)は、第52回造本装幀コンクールにて「日本書籍出版協会理事長賞(児童書・絵本部門)」を受賞。
Instagram:@naijelgraph

Mamazu
1990年代半ばからDJとしての活動を開始。これまで、Fuji Rock FestivalやBoiler Room、香港のCassioなど、名だたるイベントへの出演を果たす。日本のみならず各国のレーベルから楽曲やリミックスを発表しており、その楽曲は高い評価を得るとともに世界中でプレイされている。
Instagram:@mamazu

YO.AN
「エビセンスケートボード」や「タイトブース」などの国内スケートブランドから、「リーバイス」や「ザ・ノース・フェイス」といったグローバルカンパニーにも、楽曲を提供するDJ/プロデューサー。Boiler Roomへの出演やロンドン、上海、香港など海外でもプレイし、リリースされた作品やDJ用に作られたエディットは数々のDJによってプレイされている。
Instagram:@_yo.an_

HOLE AND HOLLAND
https://hole-and-holland.com/
Instagram:@holeandholland

Photography Shinpo Kimura

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