上を向けば、オリンピックに向け着々と何かが作っては壊されていく東京。手元の携帯を見れば数えきれない情報が飛び交う。立ち止まることが許されないどこか息苦しい空気と目まぐるしく過ぎ去る日々に、何か大切なものを見逃してしまっている気がしてふと立ち止まってみたくなった。動かずにじっとする、立ち止まることで見えてくるものもあるんじゃないかと。
とある地域新聞の記事で“石の声を聴く”人達がいることを知った。“穴太衆”と言われる彼らは400年以上石積みの技術を口承で伝えてきた石工集団であり、自然石をありのまま、つまり加工することなく積み上げて石垣を作り上げていくらしい。記事中には「粟田純徳」という名の石工職人が紹介されていた。自然石との対話、という言葉に興味が湧いたが、この穴太衆についてさらに調べようとしても(“口伝”であるからなのだろうか)断片的な情報は見つかるものの、確かな文献がほとんど出てこない。インタビュー記事で紹介された一節を手がかりに、わかったことはこれぐらいのことだった。
穴太衆とは近江国、琵琶湖西岸の穴太(あのう・あのお:現在の滋賀県大津市坂本)に居住し、古墳築造や比叡山延暦寺などの寺院の石工を行っていた技術者集団の末裔であるということ。そして自然石を加工せずに積む野面積みを得意とし、安土桃山時代に比叡山延暦寺の石垣が崩せなかったことから織田信長に高い技術力を買われ、安土城を築城したことをきっかけに全国で活躍するようになったということ。そして現在、日本で技術を継承する穴太衆は粟田家のみであるということ。
「石の声を聴く?」。一見、スピリチュアルな何かなのだろうかとも思ったが、400年以上続く確かな伝統技術でもある。一体、穴太衆と言われる人達はどんな修業を積んでいるのか。もしかすると、東京の変わりゆく姿を見て感じた不安のようなものに対する答えを、彼らは持ち合わせているのかもしれない。そんな疑問と好奇心と希望にも似た確信を持った私は、穴太衆の末裔、第15代穴太衆頭である粟田純徳さんに話を聞きたいと思った。ほどなくして、粟田さんにお話を伺う機会を得る。
西山萌(以下、西山):はじめまして。編集者の西山萌と申します。「観察」というテーマで特集を作っているのですが、近年、どんな情報でも簡単に調べることができることもあってか、純粋に自分の感覚を研ぎ澄ませてみる、自分の目を信じてみることがますます難しくなっていると感じていて。そんな中、“石の声を聴く”ことを400年以上にもわたって引き継がれているという粟田さんをはじめ穴太衆の方達の姿勢に、今の時代に考えるべき大切なヒントがあるのではないかと思ってご連絡させていただきました。“石の声を聴く”ということは言葉で説明していただくとしたら、実際にはどのようなことなのでしょうか?
粟田純徳(以下、粟田):「石の声を聴け」という言葉は先祖代々ずっと伝えられてきたものです。まず石を見てから、自分がどういう石垣を積みたいんやと。自分の目でよく見て、想像する。この石はここに行きたい言うてるな、と頭の中でだんだんと組み合わせていくんです。僕らの仕事で一番大事なんがこの石選びの作業になるんですわ。その仕事が終われば7、8割終わる。だからその時に石を見る目というのがすごく大事でね。
西山:その石選びというのはどれくらい時間をかけてするものなんでしょうか?
粟田:石積みの規模にもよりますけど、少なくとも大体1日2日はじっくり石を見ますね。大きな石垣の時であれば1週間かかる時もありますし。先々代(第13代穴太衆頭・粟田万喜三さん)からは「石の声を聴き、石の行きたいところに石を置け」という言葉を伝えられてきました。今の言葉で言えば、よく観察しなさい、ということに近いんやと思います。自分の目で見て、考える。僕らは石垣の見えてる部分は“顔”というんですよ。その顔と上下横がわかるというのは石積みの一番基本です。「顔もわからんのか!」ってはじめはよく怒られましたわ。
西山:石にも顔があるというのは知らなかったです……。そうすると粟田さんにとって石を選ぶ、石の声を聴くというのは自分の目を信じるということに近い感覚なんでしょうか?
粟田:そういうことになりますね。なので石の選び方っていうのは性格とか個性が出るんで僕も親父もおじいさんも全部やっぱり違います。例えば同じ石が100個あって、それを3人が同時に積んだらそれは全然違う石垣ができる。性格そのままですわ。
西山:石垣を見るだけで誰が積んだのかもわかったりするんですか?
粟田:大体わかりますね。おじいさんは結構繊細でキメが細かい。親父はどっちかというと荒々しい。僕は、2人の間くらい。先々代のおじいさんはたぶん全部が自分の頭の中で描けたような人なのであれですけど、僕らはまだまだなんで、規模が大きくなればなるほど、何度も何度も石を探しに行く。そうして見て考えてでき上がっていく度に、自分の頭の中でまた図面が書き換えられていくんです。
西山:石積みの図面というのは実際にはどのようなものなんでしょうか?
粟田:頭の中だけにあるものです。石を見る前から、いい石垣を積もうという気持ちが先にあると、きれいな石を選んでしまう。形がきれいとか、積みやすそう、とかね。でもそんなものだけで作られた石垣なんて全くおもしろないんです。だから図面にしてしまうとその通りの石、いわゆる削る工程とかも必要になって、“自分の都合”になってしまう。同じようなパターンができ上がってしまうんですね。なのであまり“理想の石垣”とかは考えんようにしているんです。
西山:図面を頭でイメージされていながら、いい石垣を積もうとしてはいけない……。その言葉を聞いて、よりわからなくなってしまいました。石を選ぶ時、何か基準のようなものはあるんでしょうか?
粟田:よく先々代からも言われたんが、石垣っていうのは人間社会と一緒やと。きれいな石もありゃ、汚い、不細工な石もある。大きい人もいれば小さい人もいる、尖った人がいりゃ丸い人もいる。そういう関係性で世の中が成り立ってるのと、石垣は一緒やということを先々代からも言われてたんですよ。僕らも最初の頃というのはきれいに積みたいと思うわけです。だからきれいな石ばっかり選んでしまう。すると先々代が「ほなお前、世の中にべっぴんさんばっかりいたらおもしろいけ? べっぴんさんばっかりやったら誰選ぶねん?」と(笑)。「不細工な子がいるからべっぴんさんって思うんやろ」って。だから、大きい石も小さい石もすべて役割がある。すべて大事なんやっていうことを教わりました。
西山:不揃いな石が積まれているのを俯瞰で見ると、不思議と調和している感じがあるのはそういう理由だったんですね。
粟田:例えば小さい石の役割ってなんやねんていうたら、大きい石の横にわざと小さい石を置いてあげると、大きい石がより一層大きく見える。大きく見えるっていうのは、横にある小さな石のおかげなんですわ。だからいかにそれぞれの石の個性を引き出してあげるか。きれいな石の横にはちょっと顔の悪いゴツゴツとした石をわざと置いてあげることで、よりべっぴんさんに見えたりとかね。ちなみにきれいな石っていうのは苔が生えにくく、ゴツゴツした石っていうのは生えやすいんです。だから生えにくいものの横に生えやすいものを入れてあげて、何十年、何百年か後にどんな石垣になっているのかを想像して積み上げています。あとは色合いも、産地で微妙に色が違ってくるんでなるべくバラバラに配置してあげたり。ある程度積んだら1歩引いて見ろ、1歩引いて全体を見て、観察しなさいということです。ここ(手元)ばっかり見てたら絶対にわからへんことがある。
西山:1つの石だけを見るというよりも、関係性の中で違いの調和を大切にされているわけですね。ちなみにその石を関係性の中で見出す力というのはどのように培われるものなんでしょうか?
粟田:最初、若い子に任せられるのが、石と石との間に入れる小さい石を探してくる仕事なんですわ。1日中、山を歩き回って石を探さないと、自然の石なんで隙間に合うような石ってなかなか見つからないもんでね。もちろん、割ったり加工したりすれば三角形にもなりますし、簡単かつきれいに入りますよね。でも入ればいいっていう問題じゃないので、それもやっぱり修業。いくらきれいにぴったり入っても、きれいすぎるから「ちょっとそこやり直せ」って僕は言ってしまいます。僕らの仕事は自然石を扱っている仕事じゃないですか。そこに自然以外のものが入っていると、目立ってしまって不自然に見えてしまう。隙間ができようが、別にいいっていうことは説明しますけど。
西山:ぴったりはまりすぎてもよくない。なかなか、簡単にはいかないんですね。
粟田:意味がやっぱりあるんで、石を選ぶというのは。はじめはみんな格好をつけてしまう。そうすると見た目だけが良くなるというか、中身が全然ともなってこない。良い悪いってのは一概に表面上だけでは言えない。過程も大事ですし。「あ、こいつあんまり考えてないな」というのはすぐにわかるので「お前ちゃんと見たん?」って問い直しますよね。
西山:その石を選べるようになる瞬間というのは自分でもわかるものなんでしょうか? 粟田さんご自身が修業の身から石を選べるようになったと感じた瞬間について教えていただけますか。
粟田:いや、もうそれは全然まだまだですよ。未だにわからないですよねえ。僕のおじいさんも穴太積みの第一人者として有名やったんですけど、おじいさんですら「死ぬまで修業や」って言うてたんで。僕ら石積み職人の究極は、100個の石を採ってきたらその100個を使い切る、最後に石が1つも残ってないていうのが理想なんです。でも簡単なことではない。だからそこに近づいていけるように、日々鍛錬というか修業なんです。
西山:石を選ぶか選ばないかが重要なのではなく、選ばずしてすべての石がはまっているということですね。
粟田:だから石工の腕の良し悪しは、石垣ができ上がった時の残りの石を見たらわかりますね。エゴになってはいけないんです。やっぱりもともとお城でもなんでもそうですけど地域に根付いたものなんで、地域のみんながずっと守ってきたものなんでねえ。やっぱりその人達が喜んでくれるのが僕らとしても一番ありがたい。腕の良い悪いだけでなく、街の人に喜んでもらえる、思い入れを持って大切にしてもらえるいうことは一番大事やと思ってますね。
初めて会ってからたった1、2時間の間に、私は緊張していたことも忘れて粟田さんの話にすっかり引き込まれていた。1つとして同じものがない多様な石の集積が、唯一無二の調和を作り出しているという事実。禅問答のようなやりとりの中に、石積みに秘められた真理らしきものを垣間見た気がして、くらっとした。そして正直なところ、話を聞いてもなお、なんだか信じられない思いだった。人の手で作られながらも恣意的な意図を介入することなく、それでいて絶妙なバランスで調和しているものなんて地球上で一体どれほどあるのだろう。粟田さんは石を見ていながらも、石の先にある何か、人が生きる社会の根本的な部分に近いものを見ているんじゃないのか……と。
取材を終え、建物の外に出る。兎にも角にも石積みを見なくては始まらない。ぜひ粟田さんの積んだ石積みをいくつか誌面で紹介させてほしいと申し出たら、まずは坂本のここの通りを、とにかく歩いてみてくださいと言われたのでさっそく歩くことにした。思い返してみると、普段であれば10分ぐらいで歩ける道のりを、30分ほどかけて歩いていたのだと思う。粟田建設を出て、日吉大社の方角へ坂道を上る。急な石段を上って、上り切ったら石段を下りる。目的地を決めずに、ただひたすら坂本の参道を歩き続ける。時間を気にしていなかったこともあるかもしれないが、お昼頃から歩き始めて坂本の街を出る時には、すっかり日も落ちて夕暮れ時になっていた。半日かけて歩いた坂本の参道の景色は、今でも鮮明に思い出すことができる。少し曇った灰色の空の下、春の初めの少しひんやりした静かな空気の中でのびのびと枝を伸ばす桜と、形も大きさもさまざまな石の連なりが調和して、生命力にあふれたその光景は、言葉にすると陳腐になってしまうけれど、本当に、とても美しいものだった。そして参道の中腹で食べたそば饅頭と抹茶の味が忘れられない。
こうして1度目の取材を終えて坂本の街並みを巡る旅から東京に戻ってきた私は、数日間、頭を抱えることになった。どういうわけか粟田さんの言葉の意味について考えれば考えるほど、「?」が頭の中で増えていく。粟田さんの言葉は、経験によってしか語りえない真実であることは確かだった。それでいて、これは石積みだけに限った話ではないのではないか、とも感じていた。そして一番頭を悩ませたのは、石積みを前に感じたあの心地よい幸福感だった。言語化するのが難しい空気は確かに穴太積みの石積みを前にしてしか感じられないもののようだったが、これを伝えるためにはどうしたらいいのだろう(東京に帰ってきて、石垣という石垣を目にするとじっと見つめてみたりしたが、坂本で感じたのびのびした生命力のある感動は一向に感じられなかった)。粟田純徳さん、そして石積みについて、第三者の視点が必要だと感じた私は、ポートランド日本庭園とダラス・ロレックスタワーの建設で粟田さんと2度仕事をともにされた建築家・隈研吾さんに話を聞くことにした。そして坂本をはじめ、穴太積みの石垣をめぐる粟田さんへの取材に再出発することになった。半年に及ぶ考察と取材については、雑誌『TOKION #01』7月28日発売号の誌面に掲載している。