西山萌, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/moe-nishiyama/ Mon, 21 Feb 2022 05:48:53 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 西山萌, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/moe-nishiyama/ 32 32 音楽家・OLAibiが捉えた自然との距離と、共鳴する身体、生まれ、変容する音の手触りに耳を澄ます https://tokion.jp/2022/02/24/interview-olaibi/ Thu, 24 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=97736 音楽家・OLAibiによる個展「聴こえない馬」が開催された。わずかな光が浮き彫りにするのは、うごめく森の姿。年月をかけ採取された音が“栽培”され、無機質な「泥」を纏うOLAibiの姿と響き合う。

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東京・六本木の建物の一角。暗闇の中、都市の静けさと、森のにぎわいの同居するホワイトノイズが、1粒1粒パチパチと空気を震わせて、降り注ぐ。音の世界で、それらは同一線上で交わり、響き合いながら身体の内側に染み込んでいく。わずかな光が浮き彫りにするのは、泥の文様を皮膚に纏う人と、うごめく森の姿。うっすらと粉雪の舞う季節、音楽家・OLAibiの音と写真による個展「聴こえない馬」が開催された。森に住み、年月をかけ採取された音が“栽培”され、無機質な「泥」を纏うOLAibiの姿と響き合う。「森で味わう挫折、野生との距離。人間はどれだけ進化し続けても、不調和しか生み出さない。(中略)自分の知る限りの自然から音を採取しエントロピー最大限の音階、和音が何を奏でるかこの耳で感じたい」と記されたステイトメントを起点に、「音」を通じた先に「自然」とは何を意味するのか。OLAibiに話を聞いた。

都市の静寂と、森の喧騒

――展示空間に設置された16個のスピーカーを伝い、「音」が展示されています。OLAibiさんが長年、森や都市、さまざまな土地で音の採取を続けているのはなぜでしょうか? また、OLAibiさんにとって「音」はどういった存在なのでしょうか。

OLAibi:「採取する」というのは耳で聞こえる「音」だけに特化しているわけではない。例えば森に住んでいると火を扱うし、雨が降ってきたら傘をさせば良いということでもない。風が吹いているから危ないなど常に緊張感を持って生活しているから、身の周りの情報に対しても敏感になる。大地の震え、地震なども含めて、さまざまな感覚を通して「音」を感知できるシステムが作れたらいいなと思っていて。移り住む前は、森はインフラもないようなジャングルで、無秩序に見える荒れ果てた土地だと思っていたんだけれど、暮らしていくと秩序立った配列のようなものがあることに気がつく。この季節のこの時間には必ずこの虫が鳴くなとか、意外と決まりごとが多いんだよね。それから、森というと静かなイメージを抱くけれど、実際にはものすごく騒がしい。生き物の気配で気がおかしくなるほどにぎやかで、自然物がうごめいているのを絶えず感じる。反対にごちゃごちゃしている東京の人混みの中で、たった1つの素敵な音を見つけることもある。そうしたもともと抱いていたイメージと真逆の現実に気がついていく中で、どうしたら都市と森の音を平等に繋げられるんだろうと考えていて。コロナ禍以降、Zoomが苦手で人に会うために東京にも出てくる機会も増えたことで、その思いに拍車がかかったのかもしれない。

――耳で聞くだけではないとお話しされていましたが、実際に都市である東京と森を行き来する中、「音」との出会い方や向き合う時の感覚は異なるのでしょうか?

OLAibi:いつも音楽を通じているから、感覚の開き方はあまり変わらない気がする。ただ、東京の街を見ると脳がせかせかしているイメージがあるけれど、実はわりと時間に余裕がある。反対に森にいると火をたくところ、水をくむところから始めなくてはならなくて、スタート地点に差がある分とても忙しい。その忙しさの感覚も異なるから、時間の流れや空間の捉え方から全く別の思考になるんだよね。だから森から東京に出てくる時は飛行機ではなくて、必ず13時間かけて夜行バスに乗る。音を聴いている時に感じるような、時空を越える感覚も時に大事だけれど、時間、空間と距離を自分の身体で体感することで感覚を整えることを、音に向き合う上でも大切にしているかな。

視覚では捉えられない音が繋ぐ平等な世界で

――ステイトメントに「自分の知る限りの自然から音を採取する」とあります。OLAibiさんにとって「自然」とは何なのでしょうか。

OLAibi:「自然」と普通にいうけれど、自分もいまだにその定義ってなんだろうと思う。けれど全く人の手の加えられていないものを「野生」と捉えたら、森も東京も、今過ごしている空間も、いわゆる人が関わっているものはすべて「自然」なんじゃないかな。もちろん視覚的には全く異なるものだけれど、今回は「音」としてすべてを1つの箱に入れて、同じ土俵に上げることで、それらを平等に扱いたかった。自分の抱いている感覚や概念は無意識のうちに目で捉えられる情報から判断していることが多くて、例えば渋谷のスクランブル交差点が日本で一番にぎやかだと、頭のどこかで思ってしまっている。けれど実際に交差点に足を運ぶと、森の夜に感じたものと変わらない、静寂な瞬間に出会うことがある。16個のスピーカーからも都市と森、両極の音が鳴っている中で、安堵感を感じたりする。そうした「音」が繋ぐ平等な空間で、聞く人にとっての「音」の概念が少しでもくすぶられて、気持ちいいと感じてもらえたら成功なのかもしれない。

――音を採取することと、自ら音を発すること。声であったり言葉であったり、楽器を用いて自ら音を加えていくことと、採取された音を扱うことは全く異なる行為のようにも感じるのですが、それらが同居しているパフォーマンスで、OLAibiさんは意図的にそれらの音を使い分けているのでしょうか?

OLAibi:声を使うこと、歌を歌うことを、「自分の声」として捉えていないし、機械音も「機械の発する音」として捉えてない。あえて生の楽器でない音も使っていて、曲を作る時には違和感を取り入れる。そうして自分が人間として生きている間に捉えられるもの、すべてを重ね合わせてみたい。川のせせらぎや鳥の声などを集めて、ネイチャーな音だけを奏でても気持ちいいと感じるかもしれないけれど、例えば自然の中に住んでいる理由も、ただ気持ちいいと思って住んでいるわけではないというか。厳しさや、厳しさを超えた先にあるひょうきんな部分や失敗。全部含めてひとつなんだけど、その中にもモダンやロックな側面、ザラザラした質感がある。風通しが良いだけだと本当の意味で気持ち良いと感じないんだよね。パフォーマンスで選ぶ音も、どんなジャンルの音楽を作りたいとか、どんなものを使って表現をするべきかとかもなくて、その時ごとの思いつきかもしれない。でも思いつきというのにも過程が大切で、パフォーマンスをしているその場だけ、その瞬間だけが100でもないし、9年間森に住んでいる過程や、自分が生まれてからの過程、音楽を始めてからの過程、自然の音を録って、何百種類の音を聴き比べている過程、左耳が聴こえなくなってからの過程。すべて含めてのゼロやマイナスが重要で、それらが重なり合った先で音楽にしたい。そこから先は気分。きゅうっと神経を使っている過程と、解き放つ時の緩急。すべての音に意味があるから。

生まれたり生きたり、揺れ動く空間の広がり

――会場のホワイトノイズは、実際にはどのように「栽培」されていくのでしょうか。時間を経るごとに具体的にどのような変容が起きるのか、また来場する鑑賞者と展示されている「音」との間ではどのような関わりが生まれていくのでしょうか。

OLAibi:最初は採取した音の音圧や音像が増えていくようなイメージを持っていたんだけれど、いざ会場でユニットを組んで音を出し始めたらあまり面白くない。それよりも会場に来る人がその音にどう関わっていくのか、空間で発せられる音同士がどんなふうにミックスされていくのかの方がよっぽど興味深いと思った。例えば会場に足を運ぶ前、朝食に何を食べたのか、コーヒーを飲んできたのか、お茶を飲んできたのか、喧嘩してきたのか。展示空間に入る時も、一音違うタイミングで入れば聴こえ方も全く違うと想像したら、何億通りもの音がある。そもそもルーツの違う人達が異なる時間、異なるコンディションで会場に足を運んで、会話をしたり、偶然予期せぬ音が生まれていく中で、人間と空間がどんなふうに影響し合い、音の変化が形作られるのか。5cm移動しただけで人と人との関係性が変わるような出来事と似ていて、ちょっと立ち位置を変えたら写真の見え方も音の聞こえ方も変わってくる。あらゆることが生まれたり生きたり、音の持っている作用の栽培のような展示空間そのものが揺れ動いているイメージがある。

不協和音を奏でる、泥を身に纏う

――農作物のように「栽培」される自然の音に対して、OLAibiさんは「野生」という言葉を明確に使い分けていると思います。森で生活すること、音と向き合うことで見えてきた2つの間にある距離について具体的に教えてください。

OLAibi:森に住まいを移した時、はじめは「自然」と共存したいと思い、家を建てる時もあまり木を切らず、手付かずの状態を保とうとしていた。けれど何年か経ったら本来倒れなくてはいけなかったはずの木を、自分達が切らずに家に埋め込んでしまっていたことで、息ができなくなって病気になってしまった。下水道もないから排水を流すためにいろいろ工夫もしているけれど、人間がいて、土を踏んでいるだけでもう汚れているという感覚になってしまって。やっぱり人間のできる工夫はたかが知れていて、知れば知るほど間違っている知識みたいなことってたくさんある。一度手を加えたということは、死ぬまで加え続けなくてはその森も生きていけないということだと気がついたんだよね。それでも、あと自分が50年しか生きられないかもしれない時に、50年という短い時間の後、それから先この森はどう生きて行くの? と。その責任は誰にも預けられないままにその森はずっと生きているということをまざまざと感じてしまって。何をやっているんだろうと。

――今回「泥」を纏うOLAibiさんの姿を見て、何か畏れのような、人の手の及ばない自然の姿が現れているように感じました。以前から「泥」に惹かれていたというお話を伺ったのですが、森に住むこと、音を採取すること、泥を纏うことはOLAibiさんにとってどのように関係しているのでしょうか。

OLAibi:人間って秩序ある地球の生態系で、不協和音をもたらしている唯一の不調和な生き物なのではないかなと思っている。でもそれは卑下しているわけではなくて、人間がいなくなればいいという話でもない。不調和をもたらしているからこそ、みんな悩んだり泣いたりして揺れている。それは人間の美しいところでもあるし、かわいいところでもあったりして、そんな生き物も人間しかいないと思う。けれど「自然」と関わる時には何か怖さのようなものが必要で、音楽を作る時も、怖いことを知らないと作れない。もともと、耳のこともあるし、泳げないのもあるけれど、水がとても怖くて、海も苦手。自分の身近なところにある土は微生物もたくさん住んでいて、埋まってもいいくらい安心感があるけれど、そこに水が加わって「泥」になった時、自分はどう関われるのかなと。

土には身近な感覚を覚えるのに、泥になった瞬間恐怖を覚える。厳密に言うと土と泥は学術的に離れた存在だけど、有機物である土に対して無機質な泥に触れることで、どんな気配を感じられるんだろうと以前から気になっていた。写真を撮影したのは2020年冬の奄美大島。体温が奪われてしまって、本当に死ぬかもと思うくらい寒い。写真家の松原博子さんは、朝の日が出る前からこの光で撮る、と。ライティングもしないので、全部光の当て方も太陽の角度を見て朝の5時から、といったら曲げない。過酷な環境の中、金井工芸の金井志人くんに泥を入れた桶を持ってきてもらい、その場でミロコマチコさんにボディペイントを施してもらう。火をたいてもらいながら撮影しました。泥を纏ったら「自然」に溶け込めるかと思っていたけど、実際には違和感でしかなかった。それは写真にも写っているけれど、美しくも見えるし恐ろしくも見える。

不調和を受け入れた先に、響くもの

――今回のパフォーマンスでは突発的に起こる不協和音であったり、雑音やノイズといわれるものも含めた音を展示されていました。それらが重なり合うことと、音楽における「調和(ハーモニー)」という概念についてどのように考えますか。

OLAibi:死生観の話にもなってきてしまうのだけど、死とは何かについて考えることに近いと思う。世の中には絶対というものがない。言葉もそうだし、感情も愛情も、重さはあるのかもしれないけれど、形はない。もし感情や愛情が虚構だとしても、それを受け入れた先に何があるのか、ということと、調和って近いところにあると思っていて。想像の世界にラックがあったとして、これとこれをそろえたら幸せ、これが1個欠けていたらあの人よりも幸せではありませんとか、劣っていますよとか。そういった1つのラックの中で足りているか足りていないかでジャッジしてしまう調和ではなくて、何万通りも何億通りもある立ち位置の中で、自分をどういうふうに響かせるかなのではないかなと。例えば森の中の木を見て、倒れたらどうしよう、でも今はまだもう少し元気かなと考えていたとしても、そう思いながらも数百匹の虫を踏んでいるかもしれない。もし東京の街にいたら、あの木は元気かなと思いながら、コンクリートの上では虫を100匹殺していないかもしれない。どっちが良い人なの? という問題ではない。起こっている出来事が重なり合っていて、何億通りもある立ち位置の中で、不調和な状態はスタート地点なのではないかなと思う。邪悪な魔物と書いて「邪魔」という言葉があるけれど、人間ってやっぱり自分の立ち位置から害のある存在のことを、それくらいの表現で言い表してしまう生き物だから。忘れることが下手というか、根深い生き物。前世のことなんかも記憶のどこかに残っているような気がするし、忘れられる生き物だったら多分上手に他の動物に生まれ変われているんじゃないかな。

――不調和を受け入れることで自分をどのように響かせていくのかが重要であると。

OLAibi:響かせるというとかっこいい言葉に聞こえるけれど、1つひとつの命は光や振動のようなもの。自分はあまり入れ物(身体)自体や入れ物からくる感情に興味がない。スピリチュアルな話ではなくて、単純に自分が響いているか響いていないか。気持ちいいか気持ちよくないかということも、実際にはとても深いところで感じないと捉えられないことだったりする。不協和音や違和感も受け入れるからこそ、現れるものがあるのかもしれない。もし人が悩んでいる話を聞いても、その空間を離れたら、もしかしたら一瞬頭をよぎるかもしれないけれど、きっと1日その人の悩みを思い出すことなんてないじゃない? でも死ぬまで、自分の身体が形成される中のどこか一部には組み込まれることでもあるから、必要な時にきっとどこからか、また現れたりするんだと思う。もし20年後にその人の悩みが思い返されたら、その時は何かできる時かもしれない。そうやって長い気持ちで人やものごとを眺めているのが好き。瞬時に何かを解決したり、人の力になったりするのは得意じゃない。スーパーマンにはなれない。そこが自分の中でも嫌いではない部分かな。

取材を終え、ふと思い立って、人や車が忙しなく行き交う都会の喧騒に耳を澄ましてみる。道行く人の多くは言葉を発することなく先を急いでいる。それなのに、ざわざわと感じるのはなぜだろう。そう思ってから、腑に落ちる感覚があった。皆、声を発さずに、声を発しているのかもしれない、と。耳で聴こえない、音がそこにあるように感じた。六本木の一画に「聴こえない馬」と名付けられた展示空間。暗闇の中で、目をつぶればどこまでも透き通った水が柔らかく流れている。次の瞬間には、そこはスクランブル交差点の中心になる。一瞬時が止まったかのようにスローモーションで音の粒が見える。立派な大木が枝葉を伸ばし、そよ風に揺られているのも、土の中で生物がうごめく気配も遠くで感じるかもしれない。音が繋ぐ平等な世界で、それらは美しく揺らぎながら、相入れない不協和音となってただそこに存在していた。何億通りもある音の重なりの中で、自分はどんな音を響かせているのだろうか。「すべての音に意味があるから」と話していたOLAibiの言葉が心に残った。

OLAibi
モンゴルをルーツに持ち、18歳でドイツに渡り電子音楽や現代音楽に触れる。その後、太鼓を中心としたマルチアーティストとして活動を始め、OOIOOのドラマーとして活動後、広大な森に移り住み年月をかけ森の生物の生態と音を録り続けている。さまざまな国、民族の言語をすべてカタカナに置き換え、語感と言霊を頼りにリリックを綴り、そこにドラム、民族楽器、おもちゃのキーボードなどをサンプリングしたビートと、住まう森の音を織り重ねパフォーマンスを行っている。
http://olaibi.com

OLAibi Sound & Photo Exhibition「聴こえない馬」 Photography Hiroko Matsubara

■OLAibi Sound & Photo Exhibition「聴こえない馬」 Photography Hiroko Matsubara

音楽家・OLAibiの初となる個展、音と写真による展覧会「聴こえない馬」が2022年12月12~26日に六本木の「CLEAR GALLERY TOKYO」で開催された。森に移り住み、年月をかけ森を観察し、音を録り続けるOLAibi。かねて惹かれていた泥を身体に纏うOLAibi。そこにミロコマチコが描いた文様。本展では松原が捉えたOLAibiの姿とともに、OLAibi にとっての自然から採取したホワイトノイズを「栽培」し、紡いだ音のインスタレーションを展開した。本展に合わせ、OLAibiによる新曲「聴こえない馬」をサウンド&フォトブックとして発表。価格は¥5,500。

松原博子
フォトグラファー。京都府生まれ。戎康友に師事し、2009年に独立。ファッション、ポートレイト、建築、ランドスケープなど、独自の感性で切り取り、雑誌、広告など幅広い分野で活動中。http://www.hirokomatsubara.com

■OLAibi Sound & Photo Book「聴こえない馬」POP UP EVENT
会期:2月19日〜3月6日
会場:CIBONE 東京 
住所:東京都渋谷区神宮前5-10-1 GYRE B1

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Look、See、Watch……なぜみるのか、何をみているのか エキシビション「error CS0246」が拡張するアートフォーマット https://tokion.jp/2021/02/26/error-cs0246/ Fri, 26 Feb 2021 11:00:51 +0000 https://tokion.jp/?p=21402 「展示」と「保存・保護」、矛盾する行為をテーマとした“入室禁止”の写真展が開催された。「みる」とは何か。エキシビションの意味を問い直す。

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見る、視る、観る、診る、督る、看る……人は「みる」という時、なぜ、何を、どのように捉えているのだろう。ことに写真表現においては、みる、みられる関係性の下に撮影された1枚の写真は、「みた」ことの記録でもあり、再び「みる」行為の対象になる。「みる」行為に集中させる場として成立してきた“エキシビション”という特異な空間で、その定義に疑問を投げかける展示が開催された。連続個展「error CS0246」。 「展示」と「保存・保護」の矛盾した関係性をテーマに“入室禁止”の展示空間を作り出したキュレーター・岡田翔と写真家・小松浩子に話を聞いていく。

幅約110cm、長さは30mと20mのロール印画紙が折り重ねられ自重でつぶれ積層する。入り口は天井からつるされた印画紙で遮られ、床面から壁面にかけて20cm×25cmの六つ切り印画紙600枚余。足下付近で発泡スチロールと印画紙が梱包用ラップに包まれ、会場の角に設置された定点カメラは1時間に1回の周期で無人空間を24時間記録し続ける。写真に包囲された空間は、「みる」行為を阻み、反転して監視されているかのような不安感を覚える。

制約を受け入れる
展示会場という“ファシズム建築” 

――鑑賞することを前提としてきた展示空間で、今回 “入室禁止”という新たな制約を設けられた経緯について教えてください。

岡田翔(以下、岡田):「error CS0246」はプログラムを組む時に出てくるエラーコード。開発エンジンのUnityなどで仮想空間をビルドする時に、空間の名前が定まっていないと発生するエラーは、いまだ先行きのみえない社会状況に重なるところがあると思い、今回のタイトルにしています。人数制限やソーシャルディスタンス、滞留時間の取り決め、定期的な空間の換気消毒……今日無視することができない世の中のありよう、“制約“を1つの要素として取り入れたエキシビションの形を考えた時、空間の“内“で制約が多く発生しているのであれば、逆に入室を禁止することで、空間の“外”からでも成立する展示にできないか。写真家・小松浩子さんはこれまでの美術や展覧会のセオリーそのものを疑い、反転させる姿勢が根幹にある作家。床や壁面、空間“内”を写真で覆い尽くす作品は人を入れない展示の形がむしろ順接で成立すると考えました。

小松浩子(以下、小松):内側がなければ外側もないし、外側がなければ内側もない。写真は1枚の中にも表・裏があるので、どう展示しても内側・外側が生まれてしまう。写真が存在すれば空間は成立するという意味では会場自体1つの造形物、人間を必要としないファシズム建築とも捉えられるわけです。私は人が入れる“内側”を作っていますが、鑑賞者に体重があり、地球に重力があることで床に展示してある写真を踏まざるを得ないという状況は、作品外のこと。床や壁面を写真で覆う展示方法で写真を“踏む”という点だけがフォーカスされて反抗的態度と捉えられるのであれば、逆転して外からみてもらったらどうかと。

岡田:小松さんのセオリーを問う姿勢は作家、鑑賞者、展示施設にも向けられている。空間全体を写真で覆う“内側”を設定しながらも写真を踏ませることは目的ではないという小松さんの考えは、一見矛盾してみえる今回の企画にそのまま結びついています。

写真とはなんだったのか 
“不在”の記録と浮上した物質性

――小松さんの作品ではモチーフとして資材置き場をはじめ空間が多く存在しています。本展示も写真単体ではなく、会場そのものが展示作品として成立していますが、小松さんにとって撮影する、「みる」行為と空間はどういった関係があるのでしょうか?

小松:展示会場では空間の内側には基点を設けていないので、どこに目を向けていいかわからないような造りにしています。似たような写真が連続して時系列もバラバラに配置され、常にさっきみたような気がするという意識を誘発させ、視点が定まらないようにしているのですぐに隣の写真に目が吸い寄せられてしまう。静止しているスチール写真とムービーの中間に近い。映像は時系列でまっすぐ進んでいきますが、ここでは面でみるので、どこにも進めず、進行方向が定まらない。写真の中でも空や地面、空間認識につながるようなものを撮っていないので、意図的に混乱させようというところもあると思います。捉えている対象が「もの」なのか、「空間」なのかという話ですが、「もの」を撮っていたとしてもフレーミングするということは「空間」を切り取っていることにもなり、ものと空間は分けられない。動機としてはどちらでもないし、どちらでもありますね。撮影は地図をガイドに工業地帯をみつけて訪れたことのない地に赴くのですが、大体が殺風景で無人。工業地帯特有のグレーの景色は私にとってはすごく居心地がいい場所なんですよね。もの派のインスタレーションは記録写真でしかみたことがないですが、工業地帯を撮影していて、もの派のインスタレーションと酷似した物体を発見する事もあります。

岡田:物量という点が小松さんの作品の特徴としてよく挙げられますが、ものの不在という点も、小松さんの写真の特徴としてあると思います。もの派の写真はオブジェが作品(もの)としてあり、その証明として記録写真(イメージ)が存在しているのに対し、小松さんの写真の対象、資材置き場はオブジェではあるのですが、いわゆる作品や個別のものとして定義されない。写真(イメージ)に対し、対象(もの)が “不在”なんですよね。

――“ものの不在”を表しているという点に対し、小松さんの展示では、空間における写真の“物質性”を強く感じるのですが、なぜでしょうか。

岡田:例えば20世紀の映画研究は長時間、暗闇の中に座ってスクリーンをみることで取り組まれてきたわけですが、液晶モニターが普及したことでさまざまな場所において動画がみられるようになると、なぜ私たちは2時間黙って暗闇の中に座っていたのだろうかと初めてそこで“身体性”という問題が出てきた。同様に古いメディアと新しいメディア、iPhoneとフィルムカメラが同列に「写真」という言葉で認識されますが、iPhoneなどの新しいメディアが現れたことで、小松さんが何を扱ってきたのか、つまり写真とはなんだったのかということがようやく、私たち鑑賞者側でも認識できるようになり、古いメディアの特徴として“物質性” が逆説的に浮かび上がってきたとも言えると思います。

小松:写真はイメージであり物質。本来厚みもあり、むき出しにしておくとカールするとても扱いづらく反りの強い紙を“イメージ”に集中させたいがためにマットとガラスで押さえつけて無理矢理フラットに額装して展示している。ある意味そちらのほうが写真に対しての冒涜であって、私のしていることは写真解放とも言えるかもしれません。

労働、タスクから導かれる
予期せぬエラーと自意識からの解放

――写真という分野においても新たなメディア形式が現れる中で、ライカ M3・35mmモノクロフィルム、ロール20mまたは30mをカットせずに使用するなど、撮影のフォーマットや工業製品の規格サイズ、単位を重視されている印象を受けます。セオリーを問う姿勢を持ちながら、これらのフォーマットにこだわる理由を教えてください。

小松:写真は規格サイズを持つ工業製品であり下部構造として成り立っている。展示の際に使うワイヤーの太さやプッシュピンの形にも1つ1つの規格が定められている。その素材の選択において、私の手に負えるもの、例えば扱いやすさの価格などの必然性の中で決まっています。被写体のイメージ(資材置き場)も規格サイズのある社会の下部構造といえますが、すべてが自由になったら組み立てられなくなってしまう。ギャラリーの壁やサイズ、構造は私の展示プランに合わせて動かせないじゃないですか。動かすことのできない展示会場、印画紙の製品規格の存在から発想することは、実はとても自由であるともいえます。まず会場、場所に足を運んで、ここのはりがこうなっているからこうできるな、とか。壁が足りなければ床に置けばいいし、ワイヤーを張ってつるすこともできる。会場の規格から展示する枚数、撮影する量を逆算します。撮影は基本週1回、撮れる時は10本以上撮影して1週間で100枚はプリントする。プロセスもすべてタスク化した上で身体にかなりの負荷を与えるので、フェティシズムや自意識が入ってくる余地を排除することができる。失敗する確率も上がり、エラーを取り込むことができる。すべて身体を動かすので撮影が現像に還元され、展示にも還元される。相互に呼応し影響し合っていると思います。

岡田:オリジナルのフォーマットを作ってしまうと、小松さんが何に対して新たなアプローチをしているのかというところがみえなくなってしまう。L判や六つ切り、再現性のある規格サイズを使うことで、「写真」というメディアで見過ごされてきた側面がフォーカスされる。作品制作そのものを下部構造、労働と捉えることでタスク化し、予期せぬエラーを起こすことで自分たちが把握できていない領域というか、写真が持っている能力、ポテンシャルというものを引き出しているとも言えます。

エキシビションとブック
アートフォーマットを拡張する

――岡田さんは展覧会を企画・キュレーションすることと並行し、出版レーベルpaper company を立ち上げ、小松さんも自身で作品集を制作している。展示空間を作ること、出版物を作ること、そして今回テーマとされている「展示」と「保存・保護」の関係性についてはどのように考えられますか。

小松:そもそも「もの」は生きていても死んでいてもだんだんと劣化します。徐々に劣化(老化)し機能停止(死)し、最後はなくなってしまう。写真は美術館や公共の場所に購入してもらい収蔵されるということが目的の1つとしてある。そのために薬品処理をして永久保存できるようにすることが重要視されていますが、本当にそんなことが可能なのでしょうか。現在の床に使った写真は収蔵できませんという話には違和感を感じます。今回の展示はロールを積み重ねているので、これまでで一番傷んでしまう方法。保存としては最悪な状態ですね(笑)。写真集も「もの」ですが、1つの作品形態であり写真展と写真集は完全に別物。質感を含め、ページをめくる動作を引き出したりするなど本には本のフォーマットがある。デザイナーや編集者など他者が絡む場合はデザイナーの表現、判断も大きいのでアンサンブル的なところがあると思います。

岡田:とりわけ日本で「保存・保護」について考えた場合、国内ではケミカルや保存・保護といったアーカイヴを組み込んだ機関がほとんどない上、美術館の予算の中でも、一番費用がかかるのが管理費。実際問題、大規模な美術館でさえも倉庫が足りず、管理費が工面できないという理由で収蔵をやめる方向に転換し、デジタルアーカイブにシフトしてきている。そういった状況下、今までは展覧会で作品をみることに最大の価値が置かれ、ブックは展覧会のレポートとして扱われてきたわけですが、単純に展示を映しとるということではなく、図録、ブックにすることでしかできないことは当然あるのではないかと。コロナ云々を抜きにしても、展覧会をみていないければその作品をみたことにならないという認識が主流のままでは、世界的な美術館が少ない東アジアである日本において、個々の発信力やウェブにも頼らざるを得ないアーティストの作品は “ない“ことと同然になってしまう。レポートとしてのブックではなくて、“読む”展覧会、フォーマットの異なるエキシビションとしてのブックを作ることで、国内の展示を国外に向けて打ち出す役割を担えるのではないかと考えています。

――異なるフォーマットを持つエキシビション、というお話について深掘りしたいのですが、ブック上にも、展示におけるインストーラーの名前が明記されています。キュレーションされる上で、岡田さんがインストールを重視される理由についてあらためて教えてください。

岡田:いかに良質な建材と図面があっても大工がいなければ家は建たないですよね。展示を組めなければ展覧会は成立しないので、展覧会を現実化するという意味ではインストールは本来一番重要なはず。海外であればキュレーター、アーティスト、インストーラー、ケミカルと、それぞれ独立した形でインスティチューション(機関・制度)がしっかり成立しているのに対し、日本では作家主義の風潮が強く、ヒエラルキーの一番下に追いやられて外部会社任せになっていることが多い状況にあります。特に写真や映像はテクノロジーと密接に結びついて発展してきた分野だからこそ、マニュアルとして理解するのではなく、より具体的な構造レベルで何がどう写っているのかどう動いているのかを把握しなければ作品や作家の意図がみえなくなってしまう可能性がある。体験を前提とする映像メディアというジャンルでは、文献をベースに作家・作品を理解できる部分もあると思いますが、リサーチベースで映像分野のキュレーションをするというのは到底不可能だと思っていて。作家が何に対してアプローチしているのかという意図を読み取るためにもインストーラーという立ち位置を重視したいと思っています。

小松:前提としてバジェットの違いや雑務に追われているなど理由は多々あると思いますが、日本だと文章は書けるけど現場は手伝えないというキュレーターも多い。企画し、図面を引き、設営して、出版する……と全部を把握して動ける人は珍しいと思います。インストールから撤収までの期間、展示しているロール印画紙の積層が自重で沈んでいき、壁面や床面のバライタが湿気を帯びてカールしてプッシュピンが外れてしまったり、会場自体が変化していく様子を1時間に1枚、会場の記録写真として定点撮影するというのは岡田さんの試み。作品に対し作家が意図していない新しい価値を付与できるキュレーターだと感じますね。

Look、See、Watch……
なぜみるのか、何をみているのか
エキシビションの意味を問う

――一般的にエキシビションは 「みる」対象として成立してきたと思うのですが、今回の展示では鑑賞者の存在は付加価値になり、必要不可欠なものではありません。新しい意味や価値を付与する、という視点で、今後作品を“鑑賞する”という体験、エキシビションはどのように変化すると思いますか。

小松:コロナ禍以前から少しずつ変わりつつはあったんですよね。ちゃんとみること、今みているものは本当にみているのか?と。重要なのは来場者の人数ではない。私自身の作品も今の日本の美術が置かれている制度に対してのアプローチ、問題提起とも考えられます。来た人が何を受け止めてくれて、それが自分の活動に還元されたり、社会の仕組みに還元されていく、ということも重要になると考えています。

岡田:認知科学の話になるのでしょうが、Look、See、Watch……と「みる」行為が受動的か能動的かという問題、何をもって鑑賞者がそれを把握したのかという認識は近年変わりつつあります。その上、コロナ禍ではどこかに展示をみにいくこと自体が極端な話、命がけの行為になり、なぜみにいくのかということが前提条件に加わった。美術のための美術、写真のための写真。多くの人たちがコミットできない、内輪ネタに近い状況が散見されます。しかしながら、展示、作品は自己表現であり作家が全部背負って行うもの、ギャラリーの展示は、無料でみられて鑑賞者は何かをノーリスクで受け取ることができるという認識はもうそろそろ変えていかなければならないのではないかと思います。展示は本来、今の社会状況の前提や認識自体を変え得る、社会にとって有益なもの。私自身はエッジが立ったことや目新しいものを打ち出すつもりは全くないですが、単純に作家がやってきたことをどう効果的に社会とつなげて打ち出していけるか、展示会場の扱いをはじめ機能不全になっているシステムをどう組み替えられるか。図録や企画、今までにない新しい体験、アートのフォーマットはまだまだ作ることができるんじゃないかと思います。

「みえなくていい」と話していた写真家・小松浩子の言葉の意味について考える。当たり前のように写真を「みる」ものとして取材に挑んだ筆者は、自重によってつぶれ、写り込む景色の断片が垣間みえる印画紙と600枚の写真に包囲され圧倒された。みようとすればするほどみえなくなり、足元がぐらつく。同時に、日々無意識のうちに目にしているだろう何千枚というイメージを想像するとめまいを覚えた。「みえない」空間を作ることで「みる」ことの意味を問いかける。「error CS0246」は今なお先行きのみえない不明瞭な社会においてエラーをも取り込み、昇華するエキシビションの意味を浮き彫りにした。帰り際、「error CS0246」において“エラー”は起きたのか聞いてみる。「入室を禁止するという制約を設けていたにもかかわらず、想定以上に評判が良かったんです。想定外であることは逆に捉えれば創造的な部分でもあり、検討の余地があるということ。これからも世の中に小さなエラーを起こしていけたら」。会場での展示を終え、岡田翔が主宰するレーベルpaper companyから出版された図録『自己中毒啓発』はHP、また店頭ではNADiff a/p/a/r/tで購入が可能。新進気鋭のキュレーターが模索する新たなエキシビションの動向に今後も注目したい。

■連続個展「error CS0246」
岡田翔のキュレーションによるアフターコロナにおける美術の展覧会の在り方、創作の可能性とは何かを、これまで取り扱われていなかった部分の捉え直しから検討する試みとして企画された。2021年1 月7 日〜2月23日、ギャラリーAlt_Mediumを会場に金村修、小松浩子、篠田優による連続個展「error CS0246」を開催。本記事は鑑賞者の入場不可とし、入場の場合要事前予約、入場料金3000円として開催されたVol.1 小松浩子個展「自己中毒啓発」について取材を行ったものである。

■小松浩子 作品集『Exhibition History vol.1』
 (edition 300/Signed)(paper company)
小松浩子は、写真において見過ごされてきた「物質性」を表現媒体として用いる制作を行ってきた。本作品集では、2009年に小松が行った初個展「チタンの心」から、2012年7月「平行定規」までの計7個展(以下、掲載個展を参照)を掲載している。圧倒的物量を誇る小松の個展をステートメント、個別の写真、記録写真、展示図面、DMといった要素からまとめた本作品集は、写真家・小松浩子の取り組みを俯瞰するものであるとともに、これまでの作品・活動を異なる角度から照射するものである。

■掲載個展
2009年11月「チタンの心」、ギャラリー山口、東京、日本
2010年11月「速度計」、ギャラリーQ、東京、日本
2011年7月「資本の有機的構成」、ギャラリーQ、東京、日本
2011年11月「拡張スロット」、トキ・アートスペース、東京、日本
2011年11月「自殺体質」、横浜市民ギャラリーあざみ野、神奈川、日本
2012年2月「ブロイラースペース時代の彼女の名前」、目黒区美術館 区民ギャラリー、東京、日本
2012年7月「平行定規」、ギャラリーQ、東京、日本
著者:小松浩子、編集:岡田翔、寄稿:梅津元、デザイン:相島大地

■小松浩子 図録『自己中毒啓発』
 (edition 300/Signed)(paper company)
小松浩子、金村修、篠田優による連続個展「error CS0246」Vol.1として開催した小松浩子の個展「自己中毒啓発」の展覧会図録。本展覧は、コロナ禍の非常事態宣言下に行われた展覧会であるため、基本的に展示空間への入室を禁じて、展示場所の窓から作品を鑑賞するという形式で行った。窓からは、出展作品である積み重なったロール紙が時間の経過とともに歪み、形を変えていくという変化をみることができる。本図録は、「展示」と「保存・保護」といった矛盾した関係性を俯瞰する取り組みとして入室不可とした展覧会と補完的関係に位置するものである。小松浩子、篠田優によって撮影された展示記録に加えて、定点観測カメラによって撮影された記録写真が掲載されている。

著者:小松浩子、編集:岡田翔、寄稿:光田ゆり、小松浩子、岡田翔、翻訳:孫沛艾、デザイン:相島大地





岡田翔
1989年栃木県生まれ。2012年立命館大学映像学部映像学科卒業。2015年東京芸術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。主な展覧会企画に、金村修「Copyright Liberation Front」(The White、東京、2020)、キム・ハケン・佐久間磨/Rondade「imshow」(kanzan gallery、東京、2020)、遠藤祐輔・金川晋吾・金村修「imshow」(kanzan gallery、東京、2020)、岩崎広大・篠田優「imshow」(Alt_Medium、東京、2019)、「Medias」(あざみ野市民ギャラリー、神奈川、2019)がある。また、展覧会企画・キュレーションと並行して出版レーベルpaper company を立ち上げ、作品集や図録の制作、販売も行う。
図録の販売:https://kakeru-okada.com/

小松浩子
1969年神奈川県生まれ。写真家。第43 回木村伊兵衛写真賞を受賞。2010~2011 年、自主ギャラリー・ブロイラースペースを主催し、毎月個展を開催。近年の展覧会として、「DECODE/出来事と記録—ポスト工業化社会の美術」(グループ展、埼玉県立近代美術館、埼玉、2019)、「鏡と穴―彫刻と写真の界面 vol.4 小松浩子」(個展、gallery αM、東京、2017、キュレーション:光田ゆり)、「THE POWER OF IMAGES」(グループ展、MAST、イタリア、2017)などがある。パブリック・コレクション:MAST(イタリア)、Tate Modern(イギリス)
http://komatsu-hiroko.com/

Photography Yu Shinoda

TOKION ARTの最新記事

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正しさとは、タブーとは何か 思考を挑発するアートプロジェクト「GALLERY OF TABOO」が始動 https://tokion.jp/2021/02/05/shunichi-oda-koji-shiouchi-gallery-of-taboo/ Fri, 05 Feb 2021 01:00:37 +0000 https://tokion.jp/?p=19416 正しさとは何か。不要不急の外出自粛が一般化し、あらゆる文化的活動も自粛を余儀なくされる中、世論に一石を投じるアートプロジェクトを紹介する。

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外出自粛が日常化し、あらゆる文化的活動の縮小が余儀なくされている。「アートは不要不急なのか?」という問いかけにあなたはどう答えるだろうか。“正しさ”が蔓延する今、世論に一石を投じるアートプロジェクトを紹介したい。

東京・日本橋三越前駅から徒歩2分、表通りからそれた小路へ向かうと控えめな造りのビルが現れた。2年後に取り壊しが決まっている遊休不動産、アートフェア『Gallery of Taboo』の会場、真光ビルだ。建物の3Fへ上がると、真っ白なパンチカーペットが床と壁一面を覆う。小部屋が上階まで連なる、集合住宅とも戸建ての一部ともとれる見慣れない空間に“アート”が配置されている。

同展を主催するのは、昨年、緊急事態宣言下の東京の夜の街を捉えた写真集『Night Order』が記憶に新しいフォトグラファー・小田駿一だ。1年を経た2021年、緊急事態宣言が再び発令される中、8組のアーティストを招集し、地域共生型のアートフェアを企画した理由はなんだったのか。タッグを組むアートディレクター・塩内浩二(CATTLEYA TOKYO)とともににプロジェクトの開催経緯を含め話を聞いた。

社会との接続 
“For others”を拡張する

――昨年、1回目の緊急事態宣言下、写真集『Night Order』を出版されましたが、2回目の緊急事態宣言の発令中に、“アートフェア”という形で本展を開催するに至った背景を教えてください。

小田駿一(以下、小田):1回目の緊急事態宣言が発令される前後で、写真家としてできることはないかと自問自答を繰り返していました。「この事態を記録しなければ」と無我夢中で街に出ると、よく通っていたバーのオーナー達が経済的に逼迫する覚悟で営業を自粛している、荒涼とした飲屋街の光景を目の当たりにして。飲食店の方々の協力と覚悟が逆説的に夜の街の秩序、ある種の「美」を作り出していた。自分が撮るべきものはここにあると感じて、『Night Order』という作品を撮ることに決めました。今まで職人的に写真に向き合ってきた自分にとって、個人の写真作品を作ることは自らの内面、「裸」をさらけ出すようで気恥ずかしく、 “For business”  である商業写真に対し、美術写真は “For myself”(自分のための作品)だと捉えていて。緊急事態宣言中、微力ながらも自分にできることをと、お世話になっているお店に協力してもらい飲食回数券をつけて写真集を出版したことで、ビジネスのためでも、自分自身のためでもない“For others”の写真があることに気が付いたんです。身近な誰かのための行動は、ゆくゆくは社会のためにも繋がっていく。“For others”を拡張した先に、社会と接続する“For society”の写真もあるのではないかと、今回の着想にも繋がりました。

―― “For society”の写真への気付きから、「Gallery of Taboo」というコンセプトに決められた理由はなんでしょうか。

小田:社会を上から見て、大所高所からこういうことが課題だとかいうのは柄じゃないし、リアルじゃない。そして私自身、生来の問題児で心のどこかにマイノリティー意識を抱えて育ってきました。だからこそ社会の中にある“当たり前”や“正しい”とされていることに対する違和感があった。自分自身の真実が写真には写るので、正直な気持ちを社会へのメッセージとして写真に込めたい思うと同時に、作品制作をプロジェクト化、コレクティブ化することで、活動そのものが自分自身の脳の限界を超えるものになるのではという期待もありました。そんな中、ある方から展示を行ってはどうかという助言を頂き、僕自身が今社会と接続するとしたら何をするべきか、問わなくてはいけない問題はなんだろうと考えて「Gallery of Taboo」というテーマにたどりつきました。

つながりと同調圧力による洗脳 心=OSをアップデートする

――“正しさ”への違和感についてもう少し詳しく教えてください。

小田:あくまで私見ですが、ここ20年くらいでインターネットを通じて人同士がつながりやすくなった反面、同調圧力となって価値観がグローバルに平準化されてきている。これはいけない、あれもいけないと、以前にも増してルールで雁字がらめの世の中に向かっていると感じます。そこに圧倒的な情報量の多さも重なり、自ら探して咀嚼する“知恵”ではなく、“知識”をダウンロードする人も増えている状況は、多くの人が洗脳されている状態に近いのではないかと。例えば大麻1つとっても日本では違法=危険なものという認識が強いですが、アメリカだと嗜好品として州法レベルでは合法化が進んでいる。アルコールに関しても、1920年代から30年代に米国で禁酒法の時代はありましたが、今は大衆的に楽しまれる嗜好品になっている。長い目で見れば “正しい”とされていることや価値観は時代の移り変わりの中で変わる相対的なもの。当たり前とされていることを問い直し、自ら考えることを誘発したいという思いがありました。

塩内浩二(以下、塩内):小田さんの意見を踏襲しながら、クリエイティブディレクションの観点でのコンセプトは「人間の心=OSを揺さぶる」こと。設定として遊休不動産の建物=ハードとし、8組のアーティスト=ソフトと見立てています。上下階を往来する来場者が会場を去る時には、緊急事態宣言によって閉じていた“知覚の扉”を開き、自身の固まってしまったOSを見つめ直す “アップデート”を してほしいという想いを込めました。キービジュアルの中心に信号機を忍ばせているんですが、前述の「正しさは時代によって変わる」ように、日本語の「青=正しさ」が表す範囲は時代とともに変遷してきました。「青」という言葉の背景には、青野菜、青物、青葉など緑色のものを青と呼ぶ場合が多かったので、視覚的には「緑」でも、法令で緑信号を青信号と表現するようになった経緯がある。社会的に決まった“相対的正しさ”が“真実の正しさ”と異なっても法律で社会に受け入れられている状況は身近なところでも起こっていると思います。

――“当たり前”を問い直すという意味ではオンライン展示という選択肢もあったと思うのですが、今回リアルな会場での開催を選ばれた理由も気になります。

小田:これは塩内さんに言われたことでもあるのですが、主に二次元であるデジタルに対し、リアルは三次元。次元が1つ増える分、情報量が圧倒的に多いので伝えられることや込められる思いも深く、重くなると思っています。今回のアートフェアでは、陶芸、音楽彫刻、写真など、三次元で体感しないとその作品の十全の状態が理解できない作品も多くある。来場者の方に誠実に向き合い理解してもらうためにも、多少の批判は覚悟でリアルで開催することにしました。

塩内:感染症対策は当然ですし、冷たい静寂のヴァーチャルも時には有効です。ただ今回は温かい肉声でご案内することでコンセプトと熱量を誠実にプレゼンテーションできると考えました。欲を言うと現実が四次元世界(三次元+時間軸)で、デジタルな技術を用いて、並行世界が存在する「五次元」と比較しながらの鑑賞会もあっていい、という気持ちもありますね。

予定不調和で成立した人間交差点

――日本橋の“ビル”という等身大で日常的に見慣れているサイズの空間にアートが存在することに違和感を感じます。これも意図的なのでしょうか。

小田:ギャラリーを借りて展示を創るのであればギャラリストの方がやれば良い。僕等が創る必然性を考えた時、社会共生型の取り組みにすると決めた以上、場所は死活的に重要でした。アートフェアを実施することで、今まで来なかった人が街を訪れ、経済活動が行われて利益がアーティストにも街にも還元される。地域も含め周りの人にとってポジティブなつながり、予想外の接点が生まれたら楽しいなという思いもあり、コロナ禍の影響を大きく受けていた日本橋で、使われていなかった遊休不動産の物件を借りてオルタナティブスペースとして活用することにしました。近隣の地域社会と対立的な構造で語られることが多い70年代からの“オルタナティヴ・スペース(従来の利用目的とは異なる用途で利用されている物件のこと。1970年代にはニューヨークのアーティストが、このような物件の利用方法をし、カルチャームーブメントになっていった)“の文脈を、地域と共存関係にすることで現代版にアップデートしたいという思いもありました。

小田:会場も平場ではなく、アーティストが空間ごと表現できる場所が良いと思っていたので3ヵ月間ひたすら物件を探しました。電話をしたり、登記簿を取り寄せてオーナーに直接会いに行ったり。でも、長期でないと貸せないと言われたり、すでに借りられてしまっていて全然見つからない。もうダメだと諦めかけた時、学生時代の友人がGROWND nihonbashiを運営するNODの建築ディレクターの溝端さんを紹介をしてくれて。さらにそこから三井不動産の人を紹介していただき、真光ビルにたどり着きました。周りの方のご縁でなんとか見つけられた形です。空間全体のディレクションは、Buttondesignの菊⽥康平と村上譲さん。老朽化したビルに真っ白なじゅうたんと西洋の有名美術館の風景を配置するというアイデアで、西洋の歴史ある美術館に配置される評価の確立されたアートに対して、アップカミングなアーティスト達が社会の“正解”を疑い、新しいアートを投げかけている。空間自体も、“正解”は何か問いかけています。

塩内:小田さん自身が人間交差点であり、そのアイデンティティーや遍在はキービジュアルにも表れていますよね。アイデアと移動は比例するといいますが、探す工程の往復運動が結果的に羅針盤となり良い物件に巡り会えたのだと思います。また、菊田さんによる空間コンセプトの元、基調にした「白」という色も、8組のアーティストの色と混ざり合い、良い意味で全体を引き立たせている。フェイクミュージアムが空間コンセプトですが、ターポリンに印刷された西洋美術館のバーチャル画像と室内の蛍光灯が鑑賞する人にリアルにアプローチすることでウィットに富んだ空間様式を生み出し、さらにコミュニケーションを加速させてくれました。

創る、観る、売る、壊す……
「アート」対「人間」の振る舞い
そのアートに心は喜んでいるか?

――8組のアーティストによるコレクティブはどのような成り立ちで?何か基準などはあったのでしょうか。

小田:経済合理性や合理的思考だけに支配されない、脱予定調和ですね。カオスというか。僕等はキュレーターでも、ギャラリストでもなかったので、あまりガチガチに選んだり組み立てたりすることはしたくなかった。コンセプトに共感をしてくれるアーティストやスタッフのみんなと偶発的に出会い、ジャズのセッションのように予想もしていない結末が訪れる。そんな感覚です。人が本質的に感動するためには“違う”ことって大事だと思うんですよ。人と違うものを見ていなければ人と違うものを作れないし、感動させられない。普通の人が理解できないことを言っている人が面白いと思っていて。塩内さんもそうですが、世の中を裏側からみたり、左からも右からも情報をあらゆる方向からDIGしているんですよね。それが真実か真実ではないかはいったんどちらでも良く、世の中の見方が多面的。

塩内:展示会場という交差点で、自分達も想像していなかったコレクティブ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)なクリエイター達の接点ができた。本展もカオスエンジニアリングのように仮説検証を立てつつも、予想もしなかった出会いにより予想外のバグ、化学反応が起きていると思います。

――サウンドアート、陶芸、パフォーマンス、写真、刺青、緊縛…人対表現の距離の取り方が参加しているアーティストごと全く異なる印象を受けます。

小田: 1冊の古書を通じて歴史にアクセスできる小宮山書店から始まって、A2Z™の作品は現代アート的文脈も踏まえ美しさも備えたバイアブル(Buyable)なアート。対してBORING AFTERNOONはあらかじめ作品を用意せず、来場者と制作しながら”生活をして“いる。TEMBAは部屋ごと作品を”破壊して”いるし、KAITO SAKUMA aka BATICの空間が“振動”する傍らでSATOSHI MIYASHITAの陶芸作品が“佇んで”いる。写真という古典的スタイルから前衛的な現代美術まで、普通であればセットにならないものが偶発性も手伝って一堂に会している。創る、観る、聴く、鑑賞する、所有する、壊す、売る、売らない……「人対アート」の関係性や振る舞いは本来自由なはず。純粋に美しいと思うだけでもいいし、正解でも不正解でもない間、グレーゾーンで思索できる場になればと思っています。

塩内:アートの商業化と表現の成熟という時代背景の中で、消費対象としてコンテクストが重視され、アートや芸術が複雑化している風潮は否めないと思います。巧みな言葉によってアートせしめられる、ある種の矛盾であり呪いとも言える閉じた業界、限定された作法を唱える人達に対する「Gallery of Taboo」でもありますね。

小田:網膜的な魅力、観念的な魅力、両方あって良い。心が喜んでいるか?何かを感じ取れているか?と。

想像力に頼るしかない 
不自由さが生む対話の可能性

――本展をプロデュースされている小田さんにとって“表現”としての写真はどういった意味を持つのでしょうか。

小田:数多くあるメディアの中でも情報量が少なく不自由ともいえるアナログメディア。俳句に近いと思います。時間も風景もフレーミングされている分、限られた情報から見る人が想像して文脈を継ぎ足したり、こちらで意図していないことを勝手に読み取られる可能性が高い。一方で、これだけ月日が流れていても俳句が残っているのは、人間の想像力―無限の宇宙―に接続しているからなのではと思うんです。松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を読んだら、おそらく時代時代で想像の中の背景が変わるし、音の響き方も変わる。その想像力が彼の作品を昇華し続けている。自分に自信がないからというのもありますが、写真は想像力のアート、人に助けてもらえる芸術だと感じていてます。

――最後に。社会とアート、アートと人、あらゆる関係性が生まれる中、会場に足を運ぶ人がさらに新たな接点を作ることになると思います。「Gallery of Taboo」というプロジェクトを起点に、“アート“は社会にとってどんな存在になっていくのでしょうか。

小田:アートの本質的な役割は「問題提起」だと思ってます。だからこそ、アートは人の可能性を拡張する人間に必要不可欠な豊かさですよね。今回のアートフェアのコンセプトに行き着く1つのインスピレーションに、「思考のための挑発的資料」と銘打たれた『provoke』という伝説の写真同人誌があるんです。1968年の創刊からもはや50年近くたっていますが、そこで目にした森山大道さんや中平卓馬さんの写真に、頭をぶん殴られた。「お前は本気で生きているのか?」「表現の可能性を本気で探しているのか?」「本気で狂いながら生きろよ」と。勝手ながら、そんな痛烈なメッセージが頭によぎりました。自らの怠惰さと堕落に、自己嫌悪に陥るほどに。心の中では社会や自分自身への違和感を感じている人も、環境や個人的な事情で感情や本心に気付かないフリを可能性があると思うんです。鬱屈していたり、行き詰まったりしていてブレイクスルーしたい人はまさにきてほしい。先人が作り出した素晴らしいアートや、今回の「Gallery of Taboo」を通じて、頭をぶん殴られて、思考を挑発されて、自分の可能性を拡張させてほしい。私が今までそうだったように。アートは救いです。

塩内:本展のアーティストA2Z™の作品コンセプト、ヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻(Social Sculpture)」という言葉があります。すべての人間は芸術家であって、行動やアクション1つで社会に幸福を寄与できるという芸術の拡張概念です。今がコロナで自粛しなくてはいけない、行動の幅が狭められてしまう時だからこそ、アートや展示が、自分にもできることないかと行動を喚起し、意識を拡張できるメディアスイッチになれば良いと思う。バタフライエフェクトとも言われますが、集団意識って1万人いると地震を起こすことができるらしいんです。人間が持つ意識の強さって恐ろしくもあり、逆に1人1人が行動して意識を変えていくことが世の中をポジティブに変えていく可能性があるんじゃないかと信じています。まだ見ぬ新しい都会の心象風景を想像しながら今を生きることがとても大事なのではないでしょうか。

外出自粛が日常化し、あらゆる文化的活動の縮小が余儀なくされている。現に美術館や映画館からも足が遠のいていた筆者は「アートは不要不急なのか?」という写真家・小田駿一の問いかけに即座に答えられなかった。美術作品に触れずとも生活に支障はない。当然、不要不急なのではと思いかけたところで、その思考を疑ったことがないことに気が付いたからだ。アートの意味を問うことをせず、無意識の“正しさ”に身を任せてはいなかったか。「Gallery of Taboo」は私達の無意識の思考と常識を映す鏡であり、違和感を受け入れるシェルターだ。世に新たな制約や常識が作られつつある今日、グレーゾーンでの対話が求められているように思う。展示は2月28日まで。

塩内 浩二 
アートディレクター、グラフィックデザイナー・CATTLEYA TOKYO代表。1985年愛知県生まれ。英国留学後、京都精華大学デザイン学部ビジュアルデザイン学科卒。2013年クリエイティブコレクティブ「CATTLEYA TOKYO」を設立。アート/ファッションにおける文脈から、独自のスタイルで様々な分野へのアートディレクション、グラフィックデザイン、映像制作の活動を展開する。2020年9月にはOIL by 美術手帖にて展覧会を開催した。http://cattleya-arts.com/
Instagram : @cattleyatokyo

小田駿一
フォトグラファー。1990 年生まれ。2012 年に渡英し独学で写真を学ぶ。 2017 年独立。2019 年に symphonic 所属。人物を中心に、雑誌・広告と幅広く撮影。アートワークとしては、2020年に緊急事態宣言下、東京の夜の街を撮影した「Night Order」シリーズを発表。2021年には、「Gallery of Taboo」を主催し、新作の「OTONA性 – 百面相化する自己意識の果てに」を発表した。社会との繋がりの中から着想を得て、人の心と行動を動かす「Socio-Photography」を志向する。
https://www.shunichi-oda.com/
Instagram : @odaoda_photo


■「Gallery of Taboo」
会期:1⽉14⽇〜2⽉28⽇
住所:東京都中央区⽇本橋室町1丁⽬5−15 真光ビル 3-5F
時間 : 13:00〜20:00(※最終⼊場は閉場の30 分前まで)
休⽇:なし
入場料 : 無料
協⼒:⽇本橋料理飲⾷業組合/GROWND nihonbashi
Instagram : @gallery_of_taboo

※先着500名に⽇本橋料理飲⾷業組合・GROWND nihonbashi 双⽅が発⾏し⽇本橋エリアで約300 店舗が加盟する「お⾷事券:500円分」を配布。展示での収益の半分を地域経済に還元、来場することで地域の売り上げに貢献することができる。galleryoftaboo.com/

Photography Shintaro Ono


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渋谷の音をきく-街の足音に耳をすます- https://tokion.jp/2020/07/28/shibuya-soundscape/ Mon, 27 Jul 2020 17:40:56 +0000 https://tokion.jp/?p=1488 2020年春、緊急事態宣言後。人が消えてしまったかのような静寂が訪れた渋谷の街。「渋谷の音が嫌いだった」と語るオノセイゲンと東京の音を聞いて育ったという蓮沼執太。音楽家であり異なる視点を持つ2人の“音の観察者”が捉えた渋谷の街の音とは。

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2020年春、緊急事態宣言後。人が消えてしまったかのような静寂が訪れた渋谷の街の中で一言で表されていた“喧騒”という音が、いかに小さな音の重なりから成っていたものだったのかに改めて気が付く。エレベーターの動く音や車のエンジン音、機械が回転する暗騒音のリピート。“音”を観察する音楽家でありながら全く違う視点を持つ音楽家のオノ セイゲンと蓮沼執太。彼らは今の渋谷の街の音をどう捉えるだろうか。Zoomを介した合計3回の対談と、15回以上に及ぶ2人の観察眼で収集された音の交信、セッションを通じて行われた渋谷の音をきく。

サウンドスタディーズ
街の音はどうやって作られたのか

蓮沼執太(以下、蓮沼):環境音って、“録りに行く”じゃないですか。拳銃を構えるみたいな感じというか、狩りに行くような感じというか、いわゆる主体的な行為。けれど、マイクを持って録りに行くぞ、とかいい音を探しに行くぞ、みたいな感じはもともと好きではないんですよ。いつも音を録る時はできる限り普段の生活をしていて、あ、これいい音だと思った時だったり、何か観察したくて森にレコーダーを置きっぱなしにしておいて1時間後に戻ってくるという感じが多くて。今回はそういった観察したいことと自分が予期していなかった音との出会い、どちらの要素もあっておもしろかったですね。

オノ セイゲン(以下、オノ):自然の音を録る時は、マイクの近くにいると自分の音が入ってしまうからマイクを置いたら何時間も離れておくんだよね。定置網とかはえ縄漁の漁師と同じだね(笑)。今回僕は網(マイク)を振り回して、動き回ってみたけど。

蓮沼:今回は音を録りに行ったのが緊急事態宣言の出た翌日だったので、僕の主観で都市の音を切り取る、というよりも街がどうなっているんだろうという観察的な好奇心が大きかったんですが、有事の渋谷がどういう状況になっているのかという観察をした結果、広告の音が大音量で鳴り響くスクランブル交差点の状況はちょっと狂ってると思いました。もともとわかっていたつもりだけど、人がいない中で改めて耳を傾けてみると街の音を構成している要素やサウンドデザインが浮き彫りになる。センター街に鳴り響くポップミュージックを始めとして、広告で埋め尽くされた渋谷の音環境には頭がクラクラしました。

オノ:スクランブル交差点の無観客ライヴだね。普段なら雑踏のノイズで響きはマスキングされて聞こえてないのが、人がいないから、普段は気付かない高いビルが平行に並んでいる場所なんか大きな反響音が際立つからすさまじい。広告の音が止まってる早朝か終電の後に楽器を持っていって演奏したらおもしろい響きで演奏も録れるはず。

蓮沼:逆に空間的におもしろかったのは、明治神宮の原宿側。明治神宮側に向けてマイクで音を録ると後ろに山手線が通っているんですよ。その電車の響きが、いわゆる電車の音というよりエコーのかかった電車の音だったので、後ろのほうからトゥワーっといういい音に聞こえたというか。

オノ:明治神宮の森がエコーチェンバーになっている感じかな?

蓮沼:その通りです。かつ、マイクは静かな森のほうに向いているのでそのコントラストがとても好みでしたね。

オノ:それはおもしろい。人がいない分、森の小鳥の声とかも入ってきて今しか録れない音だ。

蓮沼:音を録るために街中を自転車で走ってみて、わずかな距離の中でもそういう自分の意識の傾け方、何を聴いているのかというレンジの変化があるんだということに改めて気が付きましたね。音の質感や居心地がいいか悪いかというよりも、なぜこの音ができあがったんだろう、ということに興味がある。都市設計というか都市環境の音というのはなぜこんな音になってしまったんだとか。フィールドレコーディングって音の内容だけではなくてその土地の歴史の音を録っていると思っていて。緊急事態宣言も含め、歴史が積み重なっていって今の音になっているということじゃないですか。音を観察して変化を知ることが街の歴史を紐解くことにも繋がっていたりする。

オノ:そうそう歴史だよね。都市設計の話でいうとヨーロッパの中世の村の石畳って、石畳以前に建物自体も石でできていて、小さな村に行くと道の両脇の建物はほぼ向かい合わせで建っていて道は長くてグニャグニャ続いていく。いい感じの響き方なんだよね。村の中心には教会や広場があって、細い路地が広がっていく。石造りの築300~400年の建物だから無意識のうちにみんな反射音を聞いて生活している。日本にはない石の建物の反射音が日常。1980年代のニューウェーブでゲートエコーとかいわゆるドン! ガン! という音楽が生まれたのはやっぱりイギリスから。日本のように紙と木の文化ではない、石の反響音が日常にあったからじゃないかな。ブラジルのカーニバル、サンバスクールの練習は、高速道路の高架下とか週末のオフィスビルの谷間的な広場でやるんだよね。そうするとコンクリートの構造物の反響音がサンバの迫力のある音のイメージにピッタリ。「迫力のあるドラムの音」って結局はわりと大きな空間の反響音が7割ですよ。

蓮沼:小さい時にそういう街に住んでいたらそれがあたりまえになると思いますけど、大人になってから別の街に行ってみて、意外なことだったんだとかって気が付くとおもしろいですよね。足音の記憶というのも石畳を踏みしめた足の裏の感触と結びついて記憶されているから、人それぞれ唯一無二の経験になる。最近だとグローバル化とともにどこもアスファルトになってきてしまって足音も均質化されてきているけど、音楽における打楽器はこの足音の個性を再現しようとしている、ともいえるかもしれない。

音の地図
音と記憶の関係性

オノ:音と記憶の関係でいうと、いわゆる森や海の音というのは、DNAに記憶されているといわれますね。海のない国で育った人でもビーチの波音は落ち着くんです。またスクランブル交差点の広告のような僕にとっては苦手な音でも、育った環境によってはそれが懐かしい音になる人もいる。いわゆる街の騒音、エレベーターとか車のエンジン音とか機械の回転系の暗騒音がリピートしているような音でも、都心で育った人はこの音がないと落ち着かないという人もいるからね。

蓮沼:道路側の部屋がいい人とかね(笑)。

オノ:アパートで電車がすぐ横を走ってるのが青春の思い出とか。

蓮沼:自分の経験だったりリテラシーによっても音の感じ方は影響するんでしょうね。だからその人の中で鳴っていた音、聴いていた音というのは実際の“音”とは限らない。音の情報の中には育った場所の記憶が多く含まれていて、記憶とともにマッピングされているんだと思います。

オノ:マッピングで思い出したけど、『イマジン』って目の見えない人たちの物語を描いた映画があるんです。視覚障害のある主人公が、リスボンの街をエコーロケーションといって舌を鳴らしながら歩いていくと、壁面や家、車とか周りの環境で反射音(エコー)がどんどん変わっていく。彼はそれを頭の中で地図として記憶してるんですよね。クリック音(指をパチンと鳴らす音)でもインパルス応答が返ってくるから健常者でも訓練すればできるんですが、視覚障害のある人は日常的に跳ね返ってくる音の響きでここはコンクリート、ここは交差点、こちらから車が来てる、ここにお店がある、とかを音でマッピングしていくんです。

蓮沼:例えば、レベッカ・ソルニットという人の著書『ウォークス 歩くことの精神史』は、歩くことの意味を考える上ではとてもおもしろいと思います。音で空間を記憶することと歩くことってとても密接に関係しているので。

オノ:そうだね。今回歩いて気になったのは、音を録るため立ち寄った渋谷駅での銀座線から井の頭線に乗り換える時の動線。乗り換えをしようとした時たまたま視覚障害のある人が僕の前にいて。向かい側からブワーっと人が来てあまりに危ない場面で、僕の肘を持ってもらいガイドして行ったんだけど、点字ブロックがなんでこの動線なの? って。アナウンスの音声も中国語や英語、多言語対応はしているけど、駅構内のあらゆる方向から流れてきて、実際に動こうと思った時に音がどこから聞こえてくるのかはすぐにはわからない。視覚障害者の立場になると渋谷駅の乗り換えのデザインは動線や音、階段の上下も含めて問題だと思う。そんなことを考えつつ移動しながら音を録ってたな。

蓮沼:反響音もありますし、音の帯域もありますしね。空間によって音の帯域が詰まったりする。お風呂とかもそうなんですけど、ある場所に行くと、エコーが響いてロー(低い音)が回ったり。アルヴィン・ルシエというアメリカの作曲家の作品「Music on a Long Thin Wire」はワイヤーを張って微々たる振動を増幅発生させたような作品もありますが、それと同じことが街の中でも起きている。

オノ:そう、空間の大きさに共振する周波数がある。お風呂みたいに四角い空間だとわかりやすいんだけど、そこに弦を張ってみると思えばいいかな。定在波といって、空間に弦を張った時に響く音の高さと同じ音程の音は強調される性質がある。例えば、床材なんかも叩いてみると小さいもののほうが低い音が鳴るのね。だからこのスタジオ内の床材は、大きいもの小さいものもランダムに配置することで同じ音程で共振しないようにしているんだけど。空間と音は複雑に繋がっている。ちなみに僕の録った渋谷駅の音は移動しながらバイノーラルで録ってみたのでヘッドホンで聴くと音が空間的に聞こえます。

蓮沼:まさしくセイゲンさんの環境音をヘッドホンで聴いてすごいなって思ってた次第です(笑)。今回セイゲンさんが動きながら音を録られているのに対して僕の場合は定点観測的に動かないで録っているところが多いです。僕もそうだしセイゲンさんもそうだと思うんですけど、ただ音を録るとかではなくてバックグラウンドに「音を録るとは?」「音を聴くとは?」という、何かしらの姿勢が感じられますよね。その考え方の違いが音にも出ているのがおもしろいですね。

朝の音、朝の響き
聞く人が音楽を作っていく

蓮沼:僕は今36歳で東京育ちですけど、渋谷の音はやっぱりもうちょっと良くなるんじゃないかなと思うんです。サウンドデザインだけでなく、もう少し建築も何とかなるんじゃないかな。今渋谷駅もたくさん駅ビルが並んでますけど、建築と同じように聴覚的なデザイン設計をきちんと行ってほしいですね。

オノ:センター街からね。奥渋(オクシブ)あたり、商店街の風景も含めてデザインし直したらいいかもしれない。1970年の大阪万博の時にパビリオン、鉄鋼館の演出プロデューサーだった作曲家の武満徹さんが彫刻家のフランソワ・バシェを呼んで展示した「音響彫刻」は、2017年にクラウドファンディングで東京藝術大学が復元をするというので話題を呼んだけど、大阪万博に2基、京都市立芸大に2基、東京藝大に1基、合計5基の音響彫刻がそれぞれ展示されていて。現代版のバシェのような渋谷でそういう都市空間のデザインをしたいね。

蓮沼:僕全部演奏しに行ったんですよ、京都と大阪と東京。バシェの音響彫刻は誰でも触ることができるというのがとても良いところですよね。1970年代の万博の時代に生まれたバシェのような発想は、2020年でも有効ですし、そういったものを作れたらいいですよね。

オノ:おお、全部回ったんだ! 渋谷の街中だとヒカリエとGoogleのある方面は新しく大きな建物ができているから、ビルのおもしろい音の谷間がありそうな気もするんだよね。行ってみないとわからないんだけど。

蓮沼:そうですね、ありそうですね、あの辺。

オノ:時間でいうと終電の後というか夜中とか朝とかおもしろい音が響きそう。1980年代とか1990年代、仕事帰りに朝の5時まで飲んで帰るなんてこともよくあったんだけど、朝の音って8時より前と後ですごく変わるんだよね。8時から学校行く子ども達や通勤ラッシュが始まって、5時、6時だとまだ人がほとんどいないから静かなので反射音や遠くの音がよく聴こえてくる。

蓮沼:ありますよね、そういう朝の音、というか朝の響き。今までお話してきて、なんかやっぱり空間と音の響きだったり時間軸っていうお話もしましたけど、そういった複雑な要素の兼ね合いで作品が作られていく。要は音を聴く人が主役。音を聴く人自身が音を音楽にしていくみたいなところはありますね。

オノ:今はスマホさえあれば誰でも簡単に録音できる時代。読者のみなさんにもぜひ自分にしか見つけられない街の音に出会ってほしいですね。体験と気付きあるのみです。

雑誌『TOKION #01』ではオノ セイゲン、蓮沼執太により本企画のために作曲された新曲『Period 20200408』SEIGEN ONO + SHUTA HASUNUMAを収録。2人の観察眼によりレコーディングされた渋谷の音の響き合いは、15回以上に及ぶセッションの中で交錯し、今の渋谷の街の音を浮かび上がらせる唯一無二の協奏曲となった。新曲の視聴に加え2者による街の観察記録は誌面で読むことができる。

オノ セイゲン
作曲家/アーティストとして1984年にJVCからデビュー。1987年に日本人として初めてヴァージンUKと契約。1987年「サイデラ・レコード」、1996年「サイデラ・マスタリング」設立。VRなどの音響技術の共同開発、音響空間デザインやコンサルティングなど、音を軸とした多様な仕事を手掛ける。2019年度ADCグランプリ受賞。

蓮沼執太
音楽家。映画、演劇、ダンスなど多数の音楽を制作。「作曲」という手法を応用し、物質的な表現を用いた展覧会とプロジェクトを行う。アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティでアメリカ・NY、文化庁東アジア文化交流使に指名され中国・北京へ。主な個展に『~ing』(東京・資生堂ギャラリー 2018)など。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

Photography Seigen Ono, Shuta Hasunuma
Edit Moe Nishiyama

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オノセイゲン x 松山晋也 聞こえるもの、聞こえないもの、聞いているもの https://tokion.jp/2020/07/28/observe-between-sound-and-music/ Mon, 27 Jul 2020 17:20:54 +0000 https://tokion.jp/?p=1457 音を楽しむと書いて“音楽”。人の声から、あるいは道具から、音楽発祥の起源には諸説あるけれど、音はいかにして“音楽”になるのだろう。作曲家のオノセイゲンと音楽評論家・松山晋也との対談。“意識”と“無意識”の先にある音楽について探る。

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“音と音楽の間”はどこにあるのだろうか。作曲家またはアーティストとして、音響空間デザインやコンサルティングを手掛けるほか、コム デ ギャルソンの川久保玲からの依頼を受け、ファッションショーのための音楽を制作した『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』など多様な“音”を手掛けるオノセイゲン。そしてそのオノセイゲンが信頼する数少ない音楽批評の指標であり、オノセイゲンの観察者でもある音楽評論家・松山晋也が観察する“意識”と“無意識”の先にある音楽とは。

『20200609_HARAJUKU 1』
© Seigen Ono

調和を生む音、ノイズとの出会い

松山晋也(以下、松山):セイゲンさんは日々“音”にふれているわけだけど作品を作っていない時、日常の中でも音や音楽って意識的に耳を傾けているんですか?

オノ セイゲン(以下、オノ):意識的ではないかな。仕事が音や音楽の録音だから、むしろ日常では意識してないはず。あっ、だけど好きではない音楽が聞こえてくると、タバコの煙と同じくらいの拒否反応を示す(笑)。店ならそこから出る。それと無意識なんだけど、はっと気付くことはある。最近のことなんだけど、毎朝通っていたカフェのパンをこねる、ガタッゴトッツカ、ガタッゴトッツカって機械の音がサンバのリズムそのもので、サンプリングして曲にしようと思ったくらい。

松山:要するにセイゲンさんは楽器の音ではない音、自然の音や生活音からも音楽を感受していると。

オノ:そのパンこね機械の音をiPhoneで録音するじゃない? 音だけ聴けば完全なサンバのビートなんだよ。わざわざポータブル・レコーダーで録音もした。ある時からBGMがかかり出しちゃって、そうなると単なるガチャガチャノイズにしか聞こえなくなり、そのカフェにも行かなくなっちゃった。

松山:セイゲンさんが作品の中でいわゆる楽器の音、楽音ではない音を使うようになったのっていつからでしたっけ?

オノ:いわゆる楽器の音ではない音、つまりノイズを曲に取り入れたのは、実はファースト・アルバムの『SEIGEN』(1984)から。ニューヨークの街角や公園の音などを入れた。次のセカンド・アルバム『The Green Chinese Table』(1988)ではあらゆるところに暗騒音的なノイズを使ってる。「The Pink Room」という曲では、コンサートホールの開演前のざわざわをリバースした音をキーボードのパッド的に使ったりして。開演前とか演奏の間(ま)、そこには独特の緊張感が記録されているわけ。街角のざわざわ、ホールのざわざわ。ランウェイの実況音、始まる前の空気で会場の広さや人数……文字にすると全部“ざわざわした音”なんだけど、風景が全く違うよね。

松山:つまり、音楽制作者としては最初期からノイズをポジティブに意識していたわけですね。

オノ:今、こうして聞かれるまで考えたことなかったけど、高校生の頃に観てた映画の影響が大きかったんだろうなあ。僕は大学にも行かず1978年から1980年、たった2年間だけど老舗スタジオの音響ハウスにアシスタントとして在籍してたんです。あの時代に、CMフィルムの編集や映写係、撮影現場でブームマイクを役者さんに向けたりと、映像につける音を録るプロの現場経験ができたのは、今思えば貴重な体験だったなあ。音楽録音に移ってもそのまま映像的なコラージュは自然に僕のスタイルになった。

松山:アンサンブルの中の1つの要素として、ノイズそのものも一種の楽音のように捉えているということですかね?

オノ:そうです。まさにノイズも楽器の演奏やサンプラーやテープ編集の音と同じように音楽要素として扱えるようになってきた。台本に「バーで女性がヒールで歩く」と書かれてるとします。バーを表すにはグラスのカチャカチャが遠めに聞こえてて、床はマーブル? フローリング? そこで靴底の材質が硬めのほうがヒールに聞こえる。女性の歩くテンポとか。実際よりそれらしく概念的に聞こえる効果音を作るフォーリー・アーティストっていう職業もあるくらいで。楽器として捉えているというより、録音現場で働いていればノイズの重要性に気付きます。

よくその音だけ狙ってきれいに録ろうとするじゃないですか。マイクを近づけるか、周りの音が被らないように、狙った方向の音だけを録るスーパーカーディオイド(超単一指向性)のマイクとかガンマイクもある。ズームレンズみたいに寄せていったオブジェだけを切り取るわけです。でも、その時に抜け落ちてしまう要素、つまりオブジェ以外のすべて、アンビエンスとか暗騒音とか言いますけど、これが意外に重要でね。

例えば今テラスでお皿に太陽の光が当たっていてカレーがとても美味しそうに見えるけど、同じ光の状況をスタジオで再現しようとするととても大変。スポットライトとして直射日光があって、反射している光が陰影を作りだしていて、音でいうところの反射音がカレーに回り込む陰影を作って空間を支配している。スポットライトやスーパーカーディオイドでオブジェを捉えたように思えても、実はそれを引き立てていた重要なノイズ、反射音などが抜け落ちてしまうんだなあ。

松山:この世界のあらゆる音のフィードバックや調和で音楽は成り立っていて、その中にはノイズも必然的に含まれていると。

オノ:そうです。僕のアルバムに『Forest and Beach』(2003)っていう5chサラウンドのアルバムがありますけど、ビーチの中から波の音だけ抜き出してってできない。波の音、風の音ってなんでしょう? 波が小石や砂をザーっと動かしぶつかり擦れる音、ミクロの泡がパチパチっと弾けるとすごい高周波も出ている。風が木の葉をすり合わせるのも、考えてみれば波や風には音はなくて、風や波のエネルギーでできたさまざまなノイズのことを風の音と感じている。で、そこに例えば、繊細で静かな音楽が流れていて、ゴォーっと風が吹いてて、風の音とか波の音がパタッと止んでシーンとなった途端、音量を上げていないのに音楽がふっとスポットライトを浴びたみたいに際立つのね。 “ノイズ”と表現すると音楽を録音する時には、まるでゴミのように言われるけど、音楽的に言えば、調からずれてクラッシュしたデコードのように捉えることもできる。

音で景色を描いていく

松山:ノイズといえば去年『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』の再発盤と一緒に出された『CDG Fragmentation』の前半40分には「コム デ ギャルソン」のショーのランウェイの実況音が入ってましたよね。

オノ:“fragmentation”というのは“断片”という意味だけど、SACDのチャプター1~6は、1997年のパリコレにおけるリアルタイムの実況音で、カメラマンがモデルに向かって叫ぶ声やカシャカシャってシャッター音、拍手、靴の音、ざわめきなどが入っている。現場で僕はモデル1人につき1つ、サンプラーに仕込んだいろんな音をピッと出した。最初の5人くらいまで観客は、音響の事故だと思ったみたい。でも、音をアニメみたいに歩きに合わせたりしていくと、だんだんとそれが演出だとわかってくる。あの場に立ち会っていた人にはよりリアルにね。日本コロムビアというメジャーから発売する、新作アルバムの最初の40分(SACDでは全編100分ほどある)が実況音のみで構成されてていいものか……ギリギリまで迷ってたんだけど、写真家の繰上和美さんにこれを聴いてもらったら「スタジオで使いたい」と言ってくれたんです。彼はたぶんスタジオで撮る時、いわゆるBGMをかけないのかな。音楽というよりショー会場の緊張感が再現されるのをおもしろがってくれた。それで決まりです。約40分の空気、緊張感って音で記録再現できるんだという発見でもありましたね。松山さんはどう思いました?

松山:服、あるいは服を取り巻く環境や文化、さらにはデザイナーの顔や熱意までも想像させるという点では、ある意味、音楽以上に雄弁かつリアルだと思いました。

オノ:「コム デ ギャルソン」は1997年以前の何回かのショーでは音楽を全く使わなかったそうです。で、川久保さんから僕にきた注文は“音楽”は使わないけど“音”は使いたい。禅問答みたいですけど、音楽と音の境目をそのプレゼンテーションのために定義付けしたんです。「コム デ ギャルソン」ですから適当にレコードから断片をサンプリングするという発想にはなりませんでした。それで、音の断片をわざわざレコーディングしたんです。といってもミュージシャンに闇雲に断片を演奏してとはオーダーできません。そこで、ミュージシャンに渡す楽譜を書き、ガイドとなる僕のピアノを録音しました。でも、そこにあるのはコードと簡単なメロディだけ。僕は“Lurking Tonality Piano(潜んでいる調性ピアノ)”と呼んでます。発明とも言えるかな(笑)。そのガイド的ピアノをベースに、アンサンブルしないようにという指示で1人か2人ずつ録音を重ねていきます。ただし前の人の音は聴かせずに。ミックスの時は僕のピアノはミュートします。結果、明らかに何かトーナリティはあってるんだけどアンサンブルすることなく、仕組まれた偶然として生まれてきた曲がアルバムの9曲目にある「三丁目のジャン」と11曲目の「三丁目のジョン」です。映画の台本にあたる楽譜を役者がどう読んで演技をするか?みたいな解釈もできるかな。プレゼンテーション(ショー)では、これらの曲から断片だけを使ってるわけです。そして、その時の“Lurking Tonality Piano”を土台に今回新しく録音したのが10曲目にある「あげくの果て」です。このやり方がおもしろくて、#StayHome期間中の今作っている新しいアルバムでも、今度はシンセサイザーでこの手法を用いている。

松山:映画から受けた影響も大きいというか、土台になっているわけですよね?

オノ:僕のアルバム『バー・デル・マタトイオ(屠殺場酒場)』(1994)は、1988年から1994年までサンパウロ、リオ、パリ、ミラノ、東京、ニューヨーク……とあちこちで録音したんだけど、今になって改めてあのアルバムを作ってよかったと思う。大好きなカエターノ・ヴェローゾがライナーノーツを書いてくれたことで作品として完結したから。松山さんの質問の答えもそこに。サントラを作ってるわけじゃないけど、映画から受けてた影響が大きいですよね。フェリーニやニーノ・ロータ、小津安二郎などの映画。それらの作品を念頭に置いたモンタージュ録音というジャンルができた(笑)。

あと、ジャン=リュック・ゴダールの映画のように映像と音で時空が違うのもおもしろい。映画では、画面には映らない部分とか次の展開にいくために音や音楽でつなぐことがありますよね。それこそファースト・アルバム『SEIGEN』につながる日本ビクター発売の映像作品『MANHATTAN』(1984)では、音楽監督として、笹路正徳さんに冒頭シーンの曲を依頼する時、CMなどと同じく楽器編成やコード感などの打ち合わせの他、サンプルとしてまさにルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971)の挿入曲(グスタフ・マーラーの交響曲第5番の4楽章「アダージェット」)がイントロで、あとはビル・エヴァンスがストリングスとやったみたいに……といった説明をしたし。世界観というか、大きな枠を指定したらそこから先は作曲家と演奏家のものです。その中で自由にやってもらう。

松山:そこまで具体的に見本を指定していたとは(笑) ……映画で言うと、音と音楽の間を語るには、僕は武満徹さんの映画音楽作品が特に重要だと思っていて。

オノ:武満さんの音は音楽といっても景色を描いているような感じがするよね。

松山:音で映像を作っている感覚だと思うんですけどね、彼の場合は。職業作曲家であり1人の映画監督でもある。使っている音も譜面に書かれた音楽だけではなくて、録った音を電子的に変調させてノイズ化させたりとか。環境音も多用していて、彼の中ではノイズもまた音楽であり映像であるという意識があったんじゃないかと。

オノ:最近の映画音楽で印象に残っているものだと『レヴェナント:蘇えりし者』(2016)の坂本龍一さんのサントラ。大自然や寒さが圧倒的な映像もすごいんだけど、あのサントラでは自然音と音楽の境目がないですよね。一部では、自分のアルバム『out of noise』(2009)の収録曲「glacier」なども使っているようです。ライナーノーツの「何千年か前のピュアな水の音をベースにして、いろいろな音を置いていった」という北極圏の氷河とか水の音? こういうのはDVDやテレビ放送になっちゃうとAACで圧縮されちゃうので音のディテールまでは聞こえないから、『レヴェナント:蘇えりし者』は、良い劇場で聴くのが一番いいんですが、ブルーレイでもいいシステムで聴くとすごくいい。静かで繊細な自然の音とその後ろにヒューっと入って来るシンセサイザーの音の境目がない。見事でしたね。 

松山:坂本さんは自然のノイズ的な音と繊細なエレクトロニクスをすり合わせるのがものすごくうまいんですよね。1970年代から一貫してそうですけど、音とノイズの境目、あるいは共存領域を常に考えているんだと思いますね。

『20200609_HARAJUKU 2』
©Seigen Ono

意識と無意識の先にある音楽の観察

オノ:それでいうとね、例えば“風の音” って台本のト書きにあった場合、何をイメージしますか?

松山:風の音ね……ガラス窓がガタガタ揺れる音とか……。

オノ:風ってね、本当は音なんかないんですよ。風自体には。“雨の音”という言葉もあるでしょ。でも雨にも音なんてない。“波の音”も、波打ち際とかいうけれど波が崩れて岩に当たるか、砂がサーっと波で移動する音だよね。風も同じで、葉っぱに当たって、ざわざわと聞こえているのは葉が擦れている音。ダメなノイズはね、今まさに野外でこのインタビューしているので、後でテープ起こしする時にボコボコっと聞き取りにくくなる。なんでボコボコってなるかっていうとICレコーダーのマイクの網目に風が当たっている風切り音で、運転中の車の窓を開けるとびゅーっとなるのと同じ。これはインタビューには不要なノイズ。もっともト書きに“風の音”ってあった場合、そのビューっという音でいいんだけど。葉っぱがサラサラっと擦れている音を録るのは結構難しいかも。

松山:心配になってきたのでちょっと(ICレコーダーのマイク部分をカフェのペーパーナプキンで包む)。テープ起こしする時にノイズで起こせないのがいかに地獄か、よく知っているので(笑)。

オノ:今まさにね、羽田新ルートの飛行機が上を飛んだでしょ、だけど会話はできてたでしょ。そのICレコーダーに入っている音は、飛行機の音のほうが声よりずっと大きく入っているはず。でも人間は立体的に音を捉えていて、意識がこっち(会話)に向いていると、頭の中で周囲の音(ノイズ)をキャンセル(無視)することができる。これは機械ではできないことで、後でテープ起こしをしようとするとノイズばかり録音されてて肝心のインタビューが聞こえない(笑)。カクテルパーティ効果っていうんだけど、パーティで同時に複数の会話の中でも聞きたい話だけに集中できる。人間の耳ってすごくて、聞き分けって無意識に誰でも使ってる能力なんだよね。

松山:要するに、聞きたい音と周囲の音の区別なく機械的にすべての音を同等に拾ってしまうのがICレコーダーだけど、人間もそれと同じように、無意識のうちに取り除いてしまっている音に意識して耳を傾けてみると、それがノイズではなく音楽になる可能性もあるかもしれないと。

オノ:そうそう! 今食べてるカレーのお皿とスプーンの擦れる音だったり。これ美味しい! って感じる要素にいい音も影響してたりしてね。その味の思い出にこの音サンプリングして録っておこうとなったり。

松山:楽器でないものも楽器になる。

オノ:お皿とスプーン、キッチン周りの道具は実際に楽器ですよ。僕の曲には「アンチョビパスタ」があったり「サンマサンバ」があったり。キッチン道具っておもしろい音が出るものが多いです。特にのし棒(めん棒)とか箸はキリがない。クラベス的に、シンバルをレガートでソフト・タッチに叩くには、ドラム・スティックより箸(笑)。楽器として太鼓バチを買おうとすると3千円から5万円するところが、めん棒だと中華街に行けば1本1ドルですから、山積みしてあるのからいい音が出るものを選りすぐったりしますね。

レシピを作るように作曲する

オノ:昨日急に思い立ってね、新作の一部になる予定の曲をアップしてみた。開発中のヘッドホン用の立体のエンコードもしてるけど、まだほとんど視聴者いない(笑)。

20200403 Seigen Ono Fragmentation 2
© Seigen Ono

松山:とてもいいですね。生々しくて、ドキドキする。オノセイゲンの美意識、表現のべクトルやエモーションが作品としてはっきり感じ取れる。

オノ:松山さんにそう言ってもらえると嬉しいです。2010年ブラジル、マナウスのジャングルや、2003年ニースのモンテカルロ・バレエ団のリハーサル・ルームでダンサーたちに床を這ってもらった音、駆け抜ける子供の声、それらをいろんな楽音とコラージュした。パスタ・ソースを作るのと同じ感覚かな。

松山:音から風の匂いや湿度が伝わってきそうな生々しさという点で、クリス・ワトソンの作品を思い出した。キャバレー・ヴォルテールの初期メンバーで、その後、英BBCで録音技師の仕事をしながら、自分の作品もたくさん作ってきた人なんだけど、キャバレー・ヴォルテール時代から音楽とは何か、音と音楽はどういう関係にあるのかをひたすら探求してきた。あと日本人でも、フィールド・レコーディングを音楽作品の中に取り込んできた重要人物としては、アメフォンとか、ニューヨーク在住の恩田晃(Aki Onda)とかがいますね。恩田晃は安物の携帯カセット・テープレコーダーをいつも持ち歩いていて、いろんな土地の音を録り、そのロウファイ音源だけでコラージュ作品も作っているけど、素晴らしく音楽的なんですよ。

オノ:いいチャンスを捉えられるかどうかは、高価なマイクや機材よりロケハンとマイク位置の方が重要だよね。予約して三つ星レストランに行くのではなく、ローカルの人が通う漁港近くの店に飛び込んだ方が本日の魚に巡り会えるし、美味しかったりもする。音質も映像も機材や技術より内容でしょ。何を撮り、録音したいのか。曲自体とエモーショナルな演奏であるかどうかの方が絶対大事、当たり前なんだけど。

松山:今は音楽に限らず、あらゆる面でミスとか誤差とかノイズを恐れすぎる気がしますね。日本では特にそれが顕著だと思う。表面的な完成度とアートとしての深度や強度はほとんど無関係なのに。伝えるべきものがよりちゃんと伝わること、そしてそこに込められたエモーションが何よりも大事なわけで、往々にして誤差やノイズがその本質を明瞭にすることもある。

オノ:パソコンでレコーディングしてると、みんな修正ばかりしてるのが商業音楽では当たり前になっててね。僕はそれは人生の時間の無駄使いにしか思えないんだよね。小さなミスがないものなんてないと思っていて。それを直そうとするより、演奏している方も聴いている方も気持ちの良いもの、感情が入っているものの方が最終的に美味しいものになるんじゃないかな。

オノ セイゲン
作曲家/アーティストとして1984年にJVCからデビュー。1987年に日本人として初めてヴァージンUKと契約。1987年「サイデラ・レコード」、1996年「サイデラ・マスタリング」設立。VRなどの音響技術の共同開発、音響空間デザインやコンサルティングなど、音を軸とした多様な仕事を手掛ける。2019年度ADCグランプリ受賞。

松山晋也
音楽評論家。1958年鹿児島県鹿児島市生まれ。著書に『ピエール・バルーとサラヴァの時代』(青土社)、『めかくしプレイ:BLIND JUKEBOX』(ミュージックマガジン)、編著『プログレのパースペクティヴ』(ミュージック・マガジン)、その他共著のディスクガイドなど多数。

Interview Shinya Matsuyama
Photography Erina Takahashi
Edit Moe Nishiyama

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石の声を聴く https://tokion.jp/2020/07/28/observe-nature-note/ Mon, 27 Jul 2020 17:15:14 +0000 https://tokion.jp/?p=1086 動かずにじっとする、立ち止まることで見えてくるものはあるんだろうか。ある時、“石の声を聴く”人達がいることを知る。400年にわたりその技術を紡いできた“穴太衆”と言われる彼らの観察眼を紐解くべく半年をかけて取材と考察を重ねた。

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上を向けば、オリンピックに向け着々と何かが作っては壊されていく東京。手元の携帯を見れば数えきれない情報が飛び交う。立ち止まることが許されないどこか息苦しい空気と目まぐるしく過ぎ去る日々に、何か大切なものを見逃してしまっている気がしてふと立ち止まってみたくなった。動かずにじっとする、立ち止まることで見えてくるものもあるんじゃないかと。

とある地域新聞の記事で“石の声を聴く”人達がいることを知った。“穴太衆”と言われる彼らは400年以上石積みの技術を口承で伝えてきた石工集団であり、自然石をありのまま、つまり加工することなく積み上げて石垣を作り上げていくらしい。記事中には「粟田純徳」という名の石工職人が紹介されていた。自然石との対話、という言葉に興味が湧いたが、この穴太衆についてさらに調べようとしても(“口伝”であるからなのだろうか)断片的な情報は見つかるものの、確かな文献がほとんど出てこない。インタビュー記事で紹介された一節を手がかりに、わかったことはこれぐらいのことだった。


穴太衆とは近江国、琵琶湖西岸の穴太(あのう・あのお:現在の滋賀県大津市坂本)に居住し、古墳築造や比叡山延暦寺などの寺院の石工を行っていた技術者集団の末裔であるということ。そして自然石を加工せずに積む野面積みを得意とし、安土桃山時代に比叡山延暦寺の石垣が崩せなかったことから織田信長に高い技術力を買われ、安土城を築城したことをきっかけに全国で活躍するようになったということ。そして現在、日本で技術を継承する穴太衆は粟田家のみであるということ。

「石の声を聴く?」。一見、スピリチュアルな何かなのだろうかとも思ったが、400年以上続く確かな伝統技術でもある。一体、穴太衆と言われる人達はどんな修業を積んでいるのか。もしかすると、東京の変わりゆく姿を見て感じた不安のようなものに対する答えを、彼らは持ち合わせているのかもしれない。そんな疑問と好奇心と希望にも似た確信を持った私は、穴太衆の末裔、第15代穴太衆頭である粟田純徳さんに話を聞きたいと思った。ほどなくして、粟田さんにお話を伺う機会を得る。

西山萌(以下、西山):はじめまして。編集者の西山萌と申します。「観察」というテーマで特集を作っているのですが、近年、どんな情報でも簡単に調べることができることもあってか、純粋に自分の感覚を研ぎ澄ませてみる、自分の目を信じてみることがますます難しくなっていると感じていて。そんな中、“石の声を聴く”ことを400年以上にもわたって引き継がれているという粟田さんをはじめ穴太衆の方達の姿勢に、今の時代に考えるべき大切なヒントがあるのではないかと思ってご連絡させていただきました。“石の声を聴く”ということは言葉で説明していただくとしたら、実際にはどのようなことなのでしょうか?

粟田純徳(以下、粟田):「石の声を聴け」という言葉は先祖代々ずっと伝えられてきたものです。まず石を見てから、自分がどういう石垣を積みたいんやと。自分の目でよく見て、想像する。この石はここに行きたい言うてるな、と頭の中でだんだんと組み合わせていくんです。僕らの仕事で一番大事なんがこの石選びの作業になるんですわ。その仕事が終われば7、8割終わる。だからその時に石を見る目というのがすごく大事でね。

西山:その石選びというのはどれくらい時間をかけてするものなんでしょうか?

粟田:石積みの規模にもよりますけど、少なくとも大体1日2日はじっくり石を見ますね。大きな石垣の時であれば1週間かかる時もありますし。先々代(第13代穴太衆頭・粟田万喜三さん)からは「石の声を聴き、石の行きたいところに石を置け」という言葉を伝えられてきました。今の言葉で言えば、よく観察しなさい、ということに近いんやと思います。自分の目で見て、考える。僕らは石垣の見えてる部分は“顔”というんですよ。その顔と上下横がわかるというのは石積みの一番基本です。「顔もわからんのか!」ってはじめはよく怒られましたわ。

西山:石にも顔があるというのは知らなかったです……。そうすると粟田さんにとって石を選ぶ、石の声を聴くというのは自分の目を信じるということに近い感覚なんでしょうか?

粟田:そういうことになりますね。なので石の選び方っていうのは性格とか個性が出るんで僕も親父もおじいさんも全部やっぱり違います。例えば同じ石が100個あって、それを3人が同時に積んだらそれは全然違う石垣ができる。性格そのままですわ。

西山:石垣を見るだけで誰が積んだのかもわかったりするんですか?

粟田:大体わかりますね。おじいさんは結構繊細でキメが細かい。親父はどっちかというと荒々しい。僕は、2人の間くらい。先々代のおじいさんはたぶん全部が自分の頭の中で描けたような人なのであれですけど、僕らはまだまだなんで、規模が大きくなればなるほど、何度も何度も石を探しに行く。そうして見て考えてでき上がっていく度に、自分の頭の中でまた図面が書き換えられていくんです。

西山:石積みの図面というのは実際にはどのようなものなんでしょうか?

粟田:頭の中だけにあるものです。石を見る前から、いい石垣を積もうという気持ちが先にあると、きれいな石を選んでしまう。形がきれいとか、積みやすそう、とかね。でもそんなものだけで作られた石垣なんて全くおもしろないんです。だから図面にしてしまうとその通りの石、いわゆる削る工程とかも必要になって、“自分の都合”になってしまう。同じようなパターンができ上がってしまうんですね。なのであまり“理想の石垣”とかは考えんようにしているんです。

西山:図面を頭でイメージされていながら、いい石垣を積もうとしてはいけない……。その言葉を聞いて、よりわからなくなってしまいました。石を選ぶ時、何か基準のようなものはあるんでしょうか?

粟田:よく先々代からも言われたんが、石垣っていうのは人間社会と一緒やと。きれいな石もありゃ、汚い、不細工な石もある。大きい人もいれば小さい人もいる、尖った人がいりゃ丸い人もいる。そういう関係性で世の中が成り立ってるのと、石垣は一緒やということを先々代からも言われてたんですよ。僕らも最初の頃というのはきれいに積みたいと思うわけです。だからきれいな石ばっかり選んでしまう。すると先々代が「ほなお前、世の中にべっぴんさんばっかりいたらおもしろいけ? べっぴんさんばっかりやったら誰選ぶねん?」と(笑)。「不細工な子がいるからべっぴんさんって思うんやろ」って。だから、大きい石も小さい石もすべて役割がある。すべて大事なんやっていうことを教わりました。

西山:不揃いな石が積まれているのを俯瞰で見ると、不思議と調和している感じがあるのはそういう理由だったんですね

粟田:例えば小さい石の役割ってなんやねんていうたら、大きい石の横にわざと小さい石を置いてあげると、大きい石がより一層大きく見える。大きく見えるっていうのは、横にある小さな石のおかげなんですわ。だからいかにそれぞれの石の個性を引き出してあげるか。きれいな石の横にはちょっと顔の悪いゴツゴツとした石をわざと置いてあげることで、よりべっぴんさんに見えたりとかね。ちなみにきれいな石っていうのは苔が生えにくく、ゴツゴツした石っていうのは生えやすいんです。だから生えにくいものの横に生えやすいものを入れてあげて、何十年、何百年か後にどんな石垣になっているのかを想像して積み上げています。あとは色合いも、産地で微妙に色が違ってくるんでなるべくバラバラに配置してあげたり。ある程度積んだら1歩引いて見ろ、1歩引いて全体を見て、観察しなさいということです。ここ(手元)ばっかり見てたら絶対にわからへんことがある。

西山:1つの石だけを見るというよりも、関係性の中で違いの調和を大切にされているわけですね。ちなみにその石を関係性の中で見出す力というのはどのように培われるものなんでしょうか?

粟田:最初、若い子に任せられるのが、石と石との間に入れる小さい石を探してくる仕事なんですわ。1日中、山を歩き回って石を探さないと、自然の石なんで隙間に合うような石ってなかなか見つからないもんでね。もちろん、割ったり加工したりすれば三角形にもなりますし、簡単かつきれいに入りますよね。でも入ればいいっていう問題じゃないので、それもやっぱり修業。いくらきれいにぴったり入っても、きれいすぎるから「ちょっとそこやり直せ」って僕は言ってしまいます。僕らの仕事は自然石を扱っている仕事じゃないですか。そこに自然以外のものが入っていると、目立ってしまって不自然に見えてしまう。隙間ができようが、別にいいっていうことは説明しますけど。

西山:ぴったりはまりすぎてもよくない。なかなか、簡単にはいかないんですね。

粟田:意味がやっぱりあるんで、石を選ぶというのは。はじめはみんな格好をつけてしまう。そうすると見た目だけが良くなるというか、中身が全然ともなってこない。良い悪いってのは一概に表面上だけでは言えない。過程も大事ですし。「あ、こいつあんまり考えてないな」というのはすぐにわかるので「お前ちゃんと見たん?」って問い直しますよね。

西山:その石を選べるようになる瞬間というのは自分でもわかるものなんでしょうか? 粟田さんご自身が修業の身から石を選べるようになったと感じた瞬間について教えていただけますか。

粟田:いや、もうそれは全然まだまだですよ。未だにわからないですよねえ。僕のおじいさんも穴太積みの第一人者として有名やったんですけど、おじいさんですら「死ぬまで修業や」って言うてたんで。僕ら石積み職人の究極は、100個の石を採ってきたらその100個を使い切る、最後に石が1つも残ってないていうのが理想なんです。でも簡単なことではない。だからそこに近づいていけるように、日々鍛錬というか修業なんです。

西山:石を選ぶか選ばないかが重要なのではなく、選ばずしてすべての石がはまっているということですね。

粟田:だから石工の腕の良し悪しは、石垣ができ上がった時の残りの石を見たらわかりますね。エゴになってはいけないんです。やっぱりもともとお城でもなんでもそうですけど地域に根付いたものなんで、地域のみんながずっと守ってきたものなんでねえ。やっぱりその人達が喜んでくれるのが僕らとしても一番ありがたい。腕の良い悪いだけでなく、街の人に喜んでもらえる、思い入れを持って大切にしてもらえるいうことは一番大事やと思ってますね。

初めて会ってからたった1、2時間の間に、私は緊張していたことも忘れて粟田さんの話にすっかり引き込まれていた。1つとして同じものがない多様な石の集積が、唯一無二の調和を作り出しているという事実。禅問答のようなやりとりの中に、石積みに秘められた真理らしきものを垣間見た気がして、くらっとした。そして正直なところ、話を聞いてもなお、なんだか信じられない思いだった。人の手で作られながらも恣意的な意図を介入することなく、それでいて絶妙なバランスで調和しているものなんて地球上で一体どれほどあるのだろう。粟田さんは石を見ていながらも、石の先にある何か、人が生きる社会の根本的な部分に近いものを見ているんじゃないのか……と。

取材を終え、建物の外に出る。兎にも角にも石積みを見なくては始まらない。ぜひ粟田さんの積んだ石積みをいくつか誌面で紹介させてほしいと申し出たら、まずは坂本のここの通りを、とにかく歩いてみてくださいと言われたのでさっそく歩くことにした。思い返してみると、普段であれば10分ぐらいで歩ける道のりを、30分ほどかけて歩いていたのだと思う。粟田建設を出て、日吉大社の方角へ坂道を上る。急な石段を上って、上り切ったら石段を下りる。目的地を決めずに、ただひたすら坂本の参道を歩き続ける。時間を気にしていなかったこともあるかもしれないが、お昼頃から歩き始めて坂本の街を出る時には、すっかり日も落ちて夕暮れ時になっていた。半日かけて歩いた坂本の参道の景色は、今でも鮮明に思い出すことができる。少し曇った灰色の空の下、春の初めの少しひんやりした静かな空気の中でのびのびと枝を伸ばす桜と、形も大きさもさまざまな石の連なりが調和して、生命力にあふれたその光景は、言葉にすると陳腐になってしまうけれど、本当に、とても美しいものだった。そして参道の中腹で食べたそば饅頭と抹茶の味が忘れられない。

こうして1度目の取材を終えて坂本の街並みを巡る旅から東京に戻ってきた私は、数日間、頭を抱えることになった。どういうわけか粟田さんの言葉の意味について考えれば考えるほど、「?」が頭の中で増えていく。粟田さんの言葉は、経験によってしか語りえない真実であることは確かだった。それでいて、これは石積みだけに限った話ではないのではないか、とも感じていた。そして一番頭を悩ませたのは、石積みを前に感じたあの心地よい幸福感だった。言語化するのが難しい空気は確かに穴太積みの石積みを前にしてしか感じられないもののようだったが、これを伝えるためにはどうしたらいいのだろう(東京に帰ってきて、石垣という石垣を目にするとじっと見つめてみたりしたが、坂本で感じたのびのびした生命力のある感動は一向に感じられなかった)。粟田純徳さん、そして石積みについて、第三者の視点が必要だと感じた私は、ポートランド日本庭園とダラス・ロレックスタワーの建設で粟田さんと2度仕事をともにされた建築家・隈研吾さんに話を聞くことにした。そして坂本をはじめ、穴太積みの石垣をめぐる粟田さんへの取材に再出発することになった。半年に及ぶ考察と取材については、雑誌『TOKION #01』7月28日発売号の誌面に掲載している。

粟田純徳
第15代穴太衆頭。株式会社粟田建設社長。日本各地の石積みの現場に連れていってもらう幼少期を過ごし、中学卒業とともに第13代である祖父・万喜三さんの弟子に。万喜三さんの後を継ぎ、20歳にして頭に。父である純司さんとは親子でありながら唯一の兄弟弟子にあたり、2017年の純司さんの引退まで、2人の頭として暖簾を守ってきた。現在、海外での石積みワークショップなど、国内外で技術を伝える活動を積極的に行っている。

Interview Moe Nishiyama
Photography Kazumasa Harada

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