連載 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載/ Wed, 28 Feb 2024 02:55:56 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 連載 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/連載/ 32 32 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜  https://tokion.jp/2024/02/28/you-are-looking-at-a-dream-7/ Wed, 28 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225584 作家・ライターの菊池良による「ユメ落ち」をテーマとしたショートストーリー。現代版『夢十夜』とでも言うべき掌編の第7夜、時間の合わない時計が並ぶ不思議な時計屋に入った「きみ」を待つものとは。

The post 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜  appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>

連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜 

 きみはこんなユメを見た。

 使い古された大きな手提げ袋が通りの端に放置されていた。忘れものにも見えるし、最初からそこへあったかのようにも見える。だれも拾うものはいない。だれも関心を持たなくなってすぐに風景と一体化した。視界に入っても、だれも認識しなくなった。そういうものだ。それは黒い塊で、表面はつやつやとしていて弾力もありそうだった。雨が降ると水滴を弾いて雫が光っていた。それで、たまに放し飼いの猫が鼻を近づけて様子をうかがうだけだった。

 しかし、日に日に黒い塊はすこしずつ大きくなっているようにも思えた。やがて手提げ袋におさまらないほどぱんぱんになっていった。しかし、だれも気に止めなかった。一度風景と同化してしまったら、もう違いを察知することはできない。

 じゃあ、だれがそんなことに気づいたのか? 手提げ袋が置かれた往来のすぐ目のまえに時計屋があった。その店主だ。その時計屋はめったに人が訪れず、店主はひまをもてあそんで、よく目のまえの通りを眺めていた。そうして、言語化できない哲学的思索に耽っていた。

 その時計屋で売っている時計はどれも時間が合っていなかった。そのうえ、時間の合わせ方もわからなかった。時間を合わせる機能がついてなかったのだ。間違った時間を刻んでいる時計はいいほうで、針が止まっているものや逆に動いているもの、針さえないものもあった。そこは時計じゃない時計を売る店だった。壁には「時間がわかるかたは教えてください」という張り紙が貼られていた。

 店主は何ものかが手提げ袋を置いていった瞬間を見た気がしていた。しかし、それが実際の記憶なのか、手提げ袋を眺めているうちに作られた偽の記憶なのかわからない。

 店主はついに手提げ袋を間近に見ようと往来に出た。なにかに引き付けられるように通りへ出た。それは朝だったのか、夜だったのか、それともその境目か。店主がゆっくりと指を伸ばし、震える指のさきで黒いかたまりに触れる。その瞬間、糸が切れたかのように、なにかが弾けた。すると、黒いかたまりは風船のようにゆっくりと浮上していく。やがて、それは空に浮かび、雲のように漂った。

 休暇で訪れた岬の展望台で、きみはカメラを首から下げていた。連れてきていた犬をゲージから出すと、嬉しそうにあたりを走り回っている。とっさにカメラを向けてシャッターを切る。見晴らしのいい景色が背景にくるよう画角を調整しながら。走っている犬を捉えるのは難しいが、くすぐったいような喜びが背中を走り、きみは確信する。ああ、この瞬間が幸せに間違いなく、いつか噛みしめるように思い出すときがくるはずと。それは休暇の終わりが近づいて自宅に戻ったときかもしれないし、20年後かもしれない。

 背景になにやらノイズのようなものが映る。空の一部が塗りつぶされたかのように真っ黒となっている。きみがファインダーから顔を離すと、それが黒いかたまりだということがわかる。

 きみはカメラを向ける。再びファインダーを覗き、黒いかたまりに向けてシャッターを切る。この光景をだれかに伝えなきゃいけないような気がして。

 そのとき、きみはユメから目覚める。最高の朝がやってくる。いままでにない最高の朝が。

Illustration Midori Nakajima

The post 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第7夜  appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro https://tokion.jp/2024/02/27/listening-bar-berlin-vol2/ Tue, 27 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225461 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第2回は「Bar Neiro」のオーナー、エリック・ブロイヤーがこだわり抜いたHi-Fiシステムや空間づくりについて語る。

The post ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
エリック・ブロイヤー

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第2回は、「オーディオテクニカ(audio-technica)」発のグローバル・プロジェクト「アナログファウンデーション」から生まれた「Bar Neiro」。2023年、クラブが連立するクロイツベルク地区にオープンした、隠れ家的なリスニングバーだ。エントランスの暖簾をくぐると、オーナーのエリック・ブロイヤー(Erik Breuer)が出迎えてくれた。

レコーディングスタジオの公共スペースとしてオープン

−−エリックさんはレコーディングエンジニアとしても活躍されていますが、「Bar Neiro」をオープンしたきっかけについて教えてください。

エリック・ブロイヤー(以下、エリック):すべては「アナログファウンデーション」がベルリンに移転したことから始まったんだ。僕らの使命は、アナログ文化をサポートすること。その時に思いついたのが、オープンな場所として日本のジャズ喫茶のようなリスニング・バーを併設することだった。ミュージシャンやローカルの人達が一緒に音楽を楽しむためのスペースになるし、スタジオともうまく結びつくと思ってね。

−−日本のジャズ喫茶はどうやって知ったんですか?

エリック:レッドブル・ミュージック・アカデミーの仕事やDJで、日本をよく訪れていて。滞在中に行くのが楽しみだった。僕は人生の大半をHi-Fiに費やしてきたんだけど、日本のジャズ喫茶ではそれを実感できる。

−−印象に残っているお店はありますか?

エリック:最初の頃は東京にある有名店を回ったけど、友達が日本に引っ越したことをきっかけに、もっと特別で隠れ家的な場所へ行くようになった。前回は東京の「映画館」に行ったし、千葉の「JAZZ SPOT CANDY」もすごくよかった。次回はドライブがてら田舎に行って、Hi-Fiバー巡りをしたいな。30年代からある日本のジャズ喫茶がトレンドになっていること、人々がこのようなサウンドに夢中になっていることにとてもわくわくしてるし、「Bar Neiro」のオープンもみんなすごく喜んでくれてるよ。

レコーディングスタジオの経験を生かし、こだわり抜いた空間づくり

−−高級ヴィンテージ・コンポーネントで構成されたカスタムHi-Fiシステムを含め、サウンドシステムにかなりこだわってますよね。

エリック:長年に渡って多くのレコーディングスタジオをつくってきたけど、リスニングバーは正反対だからね。音響的に優れた別の空間をつくるのはとても楽しい挑戦だった。レコーディングスタジオだと、スピーカーは非常に精密な楽器でどんな小さな欠点も聴き取りたい。でも、あまり感情的な魅力がないんだ。スタジオ作業に最適なスピーカーでも、それって音楽を楽しむために聴いているのではないことに気づいて。数年前から、正確さよりも感情を重視するヴィンテージ機器にのめり込んだんだ。アメリカの映画館にあるような50年代初頭のスピーカー「アルテックA5」は、すべて当時のオリジナル・コンポーネント。木製のキャビネット部分をつくり直したんだよ。スピーカー・キャビネットは自分達でつくったけど、すべて50年代のオリジナルの部品を使ってるしね。古い映画館のためにつくられたものだから、音の拡散性がとても広いんだ。

−−音響的な観点から見たベストシートはありますか?

エリック:空間全体にいい音が行き渡るから、座る場所がそれほど重要ではないよ。フルに楽しみたいなら、スピーカーの間、バーの真ん中あたりに座った方がいいね。

−−インテリアも素敵ですが、何かから影響を受けているのでしょうか?

エリック:たくさんあるけど、特にキース・アッシェンブレナーかな。1970年代から1980年代のモダンなシーンで活躍した、アナログ的な真空管アンプとホーンスピーカーの達人の1人なんだ。実際にコンポーネントやシステムの調整など、多くのことを助けてくれたし、スペースのケーブルも彼が用意してくれたよ。

それ以外のインスピレーションは間違いなく日本だね。レッドブル・ミュージック・アカデミーで東京にレコーディングスタジオをつくった時、建築家の隈研吾と一緒に仕事ができたのは光栄だったし、かなりインスパイアされてる。特にバーカウンターの天井に施したシンプルなディテールをぜひ見てほしい。あと壁や天井には、90種類以上のレゾネーターや異なるチューニングを施した音響エレメントがあるから、すっきり見せるために天井グリッドや和紙の壁をつくったんだ。

−−家具もオーダーメイドだとか?

エリック:そう、バーや棚は僕らがデザインした。他の家具は、古いミッドセンチュリーの作品やイームズの椅子やテーブルなど、すべてヴィンテージ家具で揃えてる。

−−いろんなディテールへのこだわりが、居心地のよさを生み出しているんですね。

エリック:あと騒がしいバーにはならないように、1グループ最大4人まで。もちろん大人数になることもあるけど、なるべく少人数を保ってるよ。

ミュージシャンとベルリナーが集まる憩いの場

−−ハンガリーのプロデューサー兼マルチ奏者Àbáseやオーストラリアのドラマー兼プロデューサーZiggy Zeitgeistなど、ミュージシャンも訪れるんだとか。

エリック:Àbáseはスタジオでよく一緒に仕事をしてるし、家族の一員みたいなものだね。でもスタジオがあることで、新進気鋭の若手から大物アーティストまで、いろんなミュージシャンがやってくるんだ。あとHi-Fiオタクにも人気で、スピーカーの周りを歩き回ってはチェックしてるのをよく見かける。他にも落ち着いて飲みたい年配の人から、音楽が好きな若い人まで、いいミックスだよ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけているんですか?

エリック:普段は僕やバーのスタッフがレコードを持ち込んで、セレクトしてる。アーティストが来てセレクトする時もあるよ。ジャズが大半だけど、アンビエントなエレクトロやソウル・ミュージックとかメロウな音楽が多いかな。ある種の感覚的な体験を作り出すことで、ここに来て、この別世界に入って、ただリラックスして音楽を楽しんでもらうことを目指しているんだ。

−−ベルリンやヨーロッパの人達にとって、このようなスタイルのリスニングバーは受け入れられているのでしょうか?


エリック:そうだね。最近は何もかもがとても速いし、すべてがオンデマンドで、こうして音楽をじっくり聴く人が本当にいなくなっている。1人でヘッドホンから聴くのではなく、他の人達と一緒にここに座って音楽を聴くっていうのは、とてもいいことだと思うよ。

■ Bar Neiro
住所:Ohmstraße 11, 10179 Berlin, Germany
営業時間:18:00~1:00
休日:月、火曜
www.barneiro.com
Instagram:@bar.neiro

Photography:Rie Yamada

The post ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載:Soya Itoの「Boylife in EU」Vol.2 デュッセルドルフのクラブ事情 https://tokion.jp/2024/02/23/soya-ito-boylife-in-eu-vol2/ Fri, 23 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223037 DJ、オーガナイザーの Soya Itoが留学先のドイツでの経験を発信するクラブレポート。第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談を収録。

The post 連載:Soya Itoの「Boylife in EU」Vol.2 デュッセルドルフのクラブ事情 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
第2回はベルリン在住のフォトグラファーTaro Logicとの対談です。昨年末ベルリンで過ごした年越しの様子と初めてのベルリンのテクノクラブ体験を回想して、他にも印象的だった出来事を振り返ります。

年末のベルリンで初めてのクラブ体験

Soya Ito(以下、Soya):じゃ、まず自己紹介から。

Taro Logic(以下、Taro):えー、これどっちで言おうか。一応2つあるじゃん?  Taro Logicと本名で。

Soya:まぁ好きな方で(笑)。

Taro:タカヤマユウゴです。

Soya:それで良いの?

Taro:え、ユウゴ タカヤマ? えーじゃあ Taro Logic にしとくか。

Soya:何してる人ですか?

Taro:普段はフォトグラファー、ベルリンではアーティストとして活動してます。

Soya:ベルリンはいつからいるんだっけ?

Taro:2022年の11月かな。

Soya:一昨年の年末に俺がベルリンに留学して、そのタイミングで東京の友達が結構ベルリンに来てたから、みんなでご飯食べようってなって。その時に集合したみたいな。

Taro:そうだね、東京でもSoyaとは会ってたけど、クラブ以外でちゃんと落ち着いて話したのは初めてだった。

Soya:で、年越しのタイミングで俺とユウゴともう1人の友達でクラブに行ったよね、あれがベルリンで初めてのクラブ体験だった。どこだったっけ?

Taro:OXIじゃない? あんま覚えてないけどOXI主催のニューイヤーみたいな感じだった。

Soya:俺もあんま覚えてない、ユウゴがバーカンでクレカ失くしたとこがピークだった(笑)。音楽はどんな感じだったっけ? 地に足ついてるけど若干トランスっぽい上メロあるみたいな感じだったかも?

Taro:結構トランシーな感じじゃなかった? あとその時、こっちの DJ ってクラシックだって話したよね、客がその時求めてる音とかバイブをしっかり提供するというか。DJ Fuckoff(ベルリンのユースに人気を誇るベルリン在住の DJ)とかは本当そうな気がする。東京にもそういうプロい人達いるけど、レベルが違った感じがした。

Soya:あと空間も良かったね。

Taro:そうそう。広めのラウンジスペースがあって、そこでみんなでゆっくりできる感じの。

Soya:神宮前のボノボの 2 階のノリを感じたね。OXI自体はフロアが3つあって、メインフロアとサブ、それにそのラウンジがあって、そこでもDJがBGMみたいな感じで音楽かけてて、みんなのコミュニケーションの場になってた。

Taro:あと日本との違いで言うとキュー(列)の⻑さってのがあるよね。

Soya:それは本当に違うね、並ぶことができないからキツかった。ベルグハイン(Berghain)も5時間とかザラに並ぶっていうし。その日は大晦日の23時くらいに着いたんだけど、列が⻑すぎてそのままその列の中で年越したね。

Taro:逆に外で年越せて良かったかも? 花火も見れたし。

Soya:OXIってベルリンのクラブの格付け的にはどんなポジションなんだろう? ベルグハインとかトレゾワ(Tresor/ベルグハインに次ぐ、ベルリンの老舗テクノクラブ)とかの名門クラブと、SameheadsとかPunkeとかのローカルアンダーグラウンドの中間って感じがするけど。他と比べると客層とか音はライトってか普通な感じだし、ポジ的には中間テックハウスなのかな。

Taro:東京でいったらContactみたいな感じかな?

アンビエントリスニングバー「Kwia」

Soya:イベントとか規模感的にはそうかも。年始の滞在の時は他に何したっけ? HOR のオフィスに凸ったのは覚えてる。

Taro:あれ、今考えると結構、おかしなムーブだったと思う(笑)。

Soya:HORっていうDJのオンラインストリーミングプラットフォームがあって、⻩緑のバスルームが特徴なんだけど、当時それに出たくて。メールで自分のミックスとか送りつけたりしてたんだけど、一向に返信が来ないからムカついて、そのままオフィスに1人で凸って交渉しに行った。結局そこには配信担当の人しかいなくて、その人にいろいろ説明してメール見るように言ったんだけど、「配信担当だからブッキングはわかんない」とか言われて。相手にしてもらえなかった(笑)。

Taro:なんか凸る前からキレてたし。あたかも「ブッキングされてたのに蹴られた」みたいなスタンスだったから俺びっくりした(笑)。

Soya:結局それは功を奏さなかったけど(笑)。

Taro:そうだね。あとそれでいうとKwiaも行ったじゃん!

Soya:そうそう、Kwiaっていうアンビエントリスニングバーがベルリンにあって。箱とバーの中間みたいなベニューなんだけど、そこではDJが流す音楽に指定があって、例えばテクノ禁止とか、うるさい音楽は流しちゃダメとか。箱自体もおもしろくて、入り口でみんな靴脱いで、フローリングのフロアとかソファとか椅子に座ったりする。ドリンクもお酒以外にめっちゃうまいお茶とか竹ベースのジュースがあって超チルなの。音楽も主にアンビエントとかエクスペリメンタルとかがかかるんだけど、1 月頭に初めて遊びに行った日はSpecial Guest DJがオールナイトでDJしてて。Shyて名前なんだけど、Shyは確かその1週間前くらいまで日本でツアーしてたらしくて、共通の友達も何人かいたと思う。オールナイトで朝までShyが1人で回すって聞いてたから、内心しめしめと思って、その夜自分のUSBも持って遊びに行った(笑)。で、3時間くらい経ったタイミングでShyに話しかけて、東京から来たこととアンビエントのDJしたいっていう気持ちを伝えたら、急遽その場で1時間やらせてくれることになって。だいぶ無作法だし失礼なのもわかってたけど、数ヵ月DJしてなかったから、フラストレーションで飛び入りしちゃった。

Taro:東京いる時からあんだけDJしてて、ドイツ来てから半年くらい1回もDJしてなかったじゃん。純粋に半年ぶりに機材触れて楽しかったでしょ? あと、後々仲良くなった人であの現場にいたのも何人かいて、みんなその時のこと覚えてるよね。

Soya:ん。やっぱ久しぶりにDJできてシンプルに楽しかった。あの時のベルリン滞在はこのくらいかな。

The post 連載:Soya Itoの「Boylife in EU」Vol.2 デュッセルドルフのクラブ事情 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載「ものがたりとものづくり」 vol.14:スタイリスト・小山田孝司 https://tokion.jp/2024/02/21/monogatari-and-monodukuri-vol14/ Wed, 21 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223799 作家・ライターの菊池良が、各界のクリエイターをゲストに迎え、小説やエッセイなどからの影響について対話を行う連載企画。第14回のゲストはスタイリストの小山田孝司。

The post 連載「ものがたりとものづくり」 vol.14:スタイリスト・小山田孝司 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「ものづくり」の背景には、どのような「ものがたり」があるのだろうか? 本連載では、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)、『ニャタレー夫人の恋人』(幻冬舎)の作者である菊池良が、各界のクリエイターをゲストに迎え、そのクリエイションにおける小説やエッセイなど言葉からの影響について、対話から解き明かしていく。第14回はスタイリストの小山田孝司が登場。

小山田さんが挙げたのは次の2作品でした。

・岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社)

・長島有里枝『not six』(スイッチパブリッシング)

さて、この2作品にはどんな”ものづくりとものがたり”があるのでしょうか?

8月に刊行された小山田さんの初の作品集『なにがみてるゆめ』に触れながら、お話を伺います。

言葉や他者についての感覚に共感を覚えた、岡本太郎『自分の中に毒を持て』

──1冊目は岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』です。岡本さんの生き方や芸術論を語った内容です。

小山田孝司(以下、小山田):あまり本を自分で買うことはなくて、人からもらったりしたものを読むことが多いんです。この本も、たぶん友達の引っ越しを手伝った時に、その友達からもらったんじゃないかな。

結構自分の同世代は岡本太郎が好きな人が多かったですね。

──岡本さんは著書も多く、影響を受けた人も多いです。

小山田:ただ、岡本さんの作品は、正直あまり得意じゃなかったんですよね。なんか、自分にはちょっと強すぎて。

だけど、たまたまもらったこの本を読んでみたら、岡本さんの挑発的な言葉が心にダイレクトに迫ってきたんです。なんだろうな、「人生って死と隣り合わせなんだ」という感覚が伝わってくるというか。

岡本さんは戦争を体験していることとも関係していると思うんですけど。

──岡本さんは1911年生まれで、1929年にフランスに渡りますが、戦中はそこで兵役に就いて、戦後は生活をしています。

小山田:この企画のために、十何年ぶりかに読み返したんですけど、今の自分への影響も改めて感じました。

この辺のくだりは、自分が言葉に対して抱いている感覚とつながっている気がします。

あなたは言葉のもどかしさを感じたことがあるだろうか。とかく、どんなことを言っても、それが自分のほんとうに感じているナマナマしいものとズレているように感じる。たとえ人の前でなく、ひとりごとを言ったとしても、何か作りごとのような気がしてしまう。
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社、97頁)

あとこの部分とか。

多くの他人との出会いによって、人間は”他人”を発見する。”他人”を発見するということは、結局、”自己”の発見なのだ。
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社、164頁)

この本を最初に読んだのはスタイリストを目指している時。その時は「クリエイターはこうでなきゃいけない」というところに引っ張られていたんですが、だけど、今は岡本さんの繊細な一面が気になりますね。

そういうことを知った上でいろいろと作品を見ると、刺激が強いのは変わらないんですが、愛着が湧いてきますね。

──小山田さんの写真集『なにがみてるゆめ』もある意味、他者との出会いですよね。

小山田:この写真集の撮影では、3着ぐらい僕のストックの服を持っていき、モデルがその日着てきた私服に対して、その中の1着を組み合わせて撮っているんです。

一点混ざった僕の服が、被写体のパーソナリティに別の視点を投げかけるのがおもしろくもあり、自己と他者の境界線が曖昧になる感覚が刺激的でした。

岡本さんの本に書かれている言葉のように、このプロジェクトでは「人に会いながら自分を見ている」みたいな感覚がありましたね。

──他人を撮ることで、自分が見えてくる。

小山田:あと、僕はスタイリングで異なる価値観をもったアイテム同士を組み合わせたいと思っているんです。よく知られているブランドに、無名のブランドを混ぜるというか。異なるアイテムを掛け合わせることで、すでにある両者のイメージが新しいものへと変化するのがおもしろくもあり、自分に新しい発見を与えてくれます。

言葉にできないほど衝撃を受けた、長島有里枝『not six』

──続いては長島有里枝さんの『not six』。こちらは長島さんの当時の配偶者を被写体にした写真集です。

小山田:この写真集は2010年ぐらいに出合ったものです。

最初、見ていて苦しい気持ちにもなったんですが、最終的にとても感動して。初めてこの本を手にした時の言葉にできない感覚を大切にしたくて、あまり頻繁に開けない1冊でもあります。

──『not six』は長島さんの写真のあいまに短文が挟まる構成になっています。

小山田:長島さんは、言葉も響きますよね。

説得力があるというか、冒頭の「彼が私のカルマじゃなかったら、何?」という言葉がこの本の写真のすべてを物語っているように、言葉と写真が両立した写真集だなと感じました。

──写真集のなかの文章では、被写体のプロフィールや関係性は明確に書かれていないんですよね。そこが詩的だなって思いました。

小山田:わかります。一方で、僕の『なにがみてるゆめ』には、言葉を全く入れていないんです。入れるかどうかずっと考えて、最終的には入れなかったんですけど。

言葉って1つの方向に持っていく力が強いと思っていて、ファッションの仕事をやっていて、扱うのが少し難しいなって感じているところがあるんです。

『なにがみてるゆめ』では、人とファッションが同じ存在感というか、同列に存在していることを表現したかったんですけど、そこに言葉があると邪魔になってしまうような気がして。

──『なにがみてるゆめ』を見ていると、「この人は、どんな人なんだろう」って考えるんです。すると、着ているものや部屋の小物からぼんやりとしたものが見えてくる。言葉がないことで、タイトルと共鳴しているように感じました。

Photography Kousuke Matsuki

The post 連載「ものがたりとものづくり」 vol.14:スタイリスト・小山田孝司 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載「ぼくの東京」Vol.11 民藝に新たな感性を吹き込む、染色家・宮入圭太が考える東京 https://tokion.jp/2024/02/20/my-tokyo-vol11/ Tue, 20 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223271 アーティスト等による思い思いの「東京」を紹介する連載。第11回は手仕事の美しさを継承する染色家・宮入圭太が登場。

The post 連載「ぼくの東京」Vol.11 民藝に新たな感性を吹き込む、染色家・宮入圭太が考える東京 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ぼく・わたしにとっての「東京」を紹介する本連載。第11回は、宮入圭太が生まれ育った東京の新たな魅力を探しに。

宮入圭太
1974年東京都生まれ。型染を生業とする。古き良き先人の作品に感銘を受けながらも、自身の感じる自由を表現。民藝には生き様が投影される。あたりまえに過ごしてきた東京。知らぬ間に蓄積された感覚は、アートとして注目を浴びている。https://keitamiyairi.jp
Instagram:@keitamiyairi

制約の中に、自由を観る

民藝思想。1926年に柳宗悦等によって提唱されたこの文化は、華美な装飾ばかりを施した当時の工芸界に警鐘を鳴らすものだった。美は生活の中にこそある。そう考えた柳宗悦達が、名も無き職人の手から生まれた日常の道具を「民藝」と名付け、新しい美を提示したのだ。

「いつからか、この思想に惹かれるようになっていました」と、染色家の宮入圭太は言う。しかし、制約された表現のなかで、仕事をすることにそれが正しいとわかっていても、どこかふてくされている自分もいた。

「大衆に受けないと意味がないというか……個性とか趣味とかが悪とされる世界なんです。でも、自分が“好き”と思う感覚を大切にしたい。そんな時、柚木沙弥郎の作品に出会いました。あ、おもしろいぞ、って」。

生まれ育ちは池袋。幼い頃から、あたりまえのように都会の暮らしを楽しんでいた。気の向くままにスケートボードを手に取り、時には絵を描く少年だった。

「池袋の普通の家庭で育ったので、センスとかあまり考えたことがなかったです」。

そんな宮入は、結婚がきっかけで30代前半からは後楽園に転居。居心地のいい地元を離れ、友達もいない場所で黙々と自分の仕事と向き合う。近くの「小石川植物園」は好きな散歩コースで、気付くと一番いる場所になっていた。

直観。大切にしてきたものが繋がる瞬間

「植物園や民藝館にはよく足を運びます。ネタ探しでもあり、刺激を受ける場所。特にコロナの時は、この植物園にめちゃくちゃ行ってました」。

「美術業界に知り合いなんて1人もいなかった」。そう話す宮入の前で、フォトグラファーの濱田が笑う。今では一緒に仕事もするし、遊ぶ仲だ。

「あの展示がなかったら出会ってないかもしれないな」。

宮入圭太という存在を大きくしたのは、世界的なグラフィティアーティストであるバリー・マッギーがきっかけ。彼の来日作品展で、宮入の作品が飾られたのだ。天井から吊り下げられた手ぬぐいに、多くの人がざわついた。

「無名だった私にたくさんの人が興味を持ってくれました。え、なんで!? バリーさん達とたまたま笑うものが一緒だった。あ、でもこの感覚(直観)って、すごく重要なのだと思いました」。

民藝とも通ずる直観。宮入が尊敬する柳宗悦の「素朴なものはいつも愛を受ける」という言葉は意外な場所で形を受けた。

「どこで生まれたとかは関係なくて、直観が共鳴すればすぐに繋がれるんだと感じました。そして、それを直に確かめ合えるのは東京だから、なのかな、とも」。

東京という存在が生んだもの

インターネットを知らない時代を生きてきた彼は、今日もシンプルな気持ちで作品と向き合う。売れることを考えれば必要なSNSも興味がない。ただ、目の前に見えるリアルな風景を楽しんでいる。彼にとっては今日も“好き(直観)”が重要だ。

「幼稚園の頃から染色を教えてきた娘は、もう中学生。明らかに子ども達の方が才能あるんです(笑)。子どもの自由さに勝てる人なんて、きっと1人もいないんだろうな。バリーさんの展示会のきっかけを作ってくれたタイラー君という友達もそういう目を持っている人で、彼とは4年間、毎日連絡をとっています」。

安定を求めて我執を隠して活動するより、自分が感じる正しさを表現したい。そんな彼が多くの出会いを経て感じたこともある。

「僕は東京生まれですが、実は東京出身の我々はダサいんじゃないか? と。作品を通して、東京を目指してきた人に会う機会も増え、その野心や感性に驚くし、知らない東京がまだまだがいっぱいです」。

Photography Shin Hamada
Text Akemi Kan
Edit Kana Mizoguchi (Mo-Green)

The post 連載「ぼくの東京」Vol.11 民藝に新たな感性を吹き込む、染色家・宮入圭太が考える東京 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載「クリエイターのマスターピース・コレクション」Vol.11 映画監督・富田克也の“バイク” https://tokion.jp/2024/02/19/creators-masterpiece-vol11-katsuya-tomita/ Mon, 19 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223120 さまざまなクリエイターの愛用するアイテムについてインタビューする連載コラム。第11回は、映画監督・富田克也が趣味の釣り移動で愛用している“バイク”を紹介。

The post 連載「クリエイターのマスターピース・コレクション」Vol.11 映画監督・富田克也の“バイク” appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
富田克也

富田克也
1972年山梨県生まれ。映画監督。映像制作集団「空族」の一員。処女作『雲の上』(2003)、『国道20号線』(2007)発表後、2011年の『サウダーヂ』で、ナント三大陸映画祭グランプリ、ロカルノ国際映画祭独立批評家連盟特別賞、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞を受賞。その後、フランスでも公開された。以降もオムニバス作品『チェンライの娘 (『同じ星の下、それぞれの夜より』)』(2012年)、『バンコクナイツ』(2016年)、『典座-TENZO-』(2019)等を発表している。

独創的な視点と手法で商業ベースにとらわれない映画作りをしてきた映像制作集団「空族」。今回はその首謀者の1人である映画監督の富田克也に愛用品を紹介してもらった。持ってきてくれたのは、自分の生活、創作活動には欠かせないというバイク。富田監督スタイルにカスタムしたバイクのエピソードを思う存分話してもらった。

「釣りが目的だから山の中で走りやすいアウトドア仕様」

──富田監督の愛用品について教えてください。

富田克也(以下、富田):カブです、ホンダの。

──いつ頃買ったんですか?

富田:5年前くらい。でも、買ったんじゃなくて、もらったんです。俺は甲府でずっと育って、その後東京に出て、5年前に山梨に戻ってきた。再会した幼なじみはみんなバイクをいじってて、俺もバイクが好きなんで欲しいなと思ってたら、近所のおじいさんが「俺の乗らんである1台、おまんにやらあ」って話になって。その人、親父の同級生。今は釣り仲間で、いろいろ穴場を教えてもらってて。で、バイクもらって以来、今日も撮影場所を提供してくれた幼なじみの小坂武くんと一緒にエンジンをいじって、排気量をボアアップしたりして遊んでるんです。

──法律の範囲内で?

富田:もちろんもちろん! 正規にちゃんとナンバーも取ってやってるんで。

──カスタムの特徴は?

富田:釣りが目的だから、山の中で走りやすいようにタイヤをオフロード用に替えたり、荷台にケースつけたりとか、山仕様、アウトドア仕様です。それにパワーがないと山の中を走れないから、50ccから80ccにボアアップしたりとか。

──そもそもバイク歴は長いんですか?

富田:長いです。高校の時に免許を取ってから、バイクが好きでずっと乗ってるもんで。

──最初に乗ったのは何ですか?

富田:最初はスクーターでしたね。通学に使ってました。「ニュータクト」ってスクーターで、“ニュータク”と呼んでました。

──ヤンキーに人気のあるスクーターですね。

富田:そうそうそう! 不良が乗る、あれが最初で。その後、いろいろ乗り継いできました。

「オフロードバイクがメイン。ここら辺では通称『山っ駆け』」

──スポーツバイクにも乗ってました?

富田:いや、その頃はスポーツバイクは乗ってなくて、いわゆるネイキッドと呼ばれるバイクに乗ってました。で、50歳を過ぎてからスポーツバイクもいいなぁと思うようになって。

──中型は?

富田:乗ってました。400ccを2台くらい乗って、その後、ナナハン(750cc)乗って。今はバイク4台持ってます。カブとエイプ、TZR、この3台が50ccクラスで、もう1台は250ccのオフロードバイク。この辺では通称「山っ駆け」と呼ぶんですよ、オフロードバイクのことを。山の中を駆けるから「山っ駆け」。この言葉、こっちに戻ってきてから知ったんで、新鮮で気に入ってます。

東京でもバイクに乗ってたけど、田舎に住むことになったから、オンロードよりオフロードバイクがいいなと思って。250ccがメインで、カブは俺の中で一番道具っぽいイメージ。日常の移動手段であり、釣りで山の中に入っていく時に釣り道具を積んで運ぶための道具。

──釣りがあってのカブなんですね。

富田:やっぱカブが一番山の奥まで入っていける。オフロードの250ccだと、こっちの技術が追いつかなくて、もてあましちゃう。山の中に入るとパワーはあるけど車体も重いし、すっ転んで足でも下敷きになったら1人じゃ起こせないし。その点、心置きなく奥地に入っていけるのがカブ。自分のコントロール下に置いておけるって感じですかね。

──釣りをするのは湖ですか?

富田:おもに川、渓流、湖もです。この辺渓流だらけなんで。

──海、ありませんもんね。

富田:そう、海なし県なんで。

──渓流ではルアーですか?

富田:うん、ルアーもフライも。

──今頃ですと、湖ではわかさぎですか?

富田:あ、こないだ、わかさぎ釣りに行きました。河口湖で。昔と違って今のわかさぎ釣りって、でっかいビニールハウスが浮島として湖に浮いてるんですよ。そこまでボートで運んでもらって、暖房が効いた温かいところで釣るんです。

──今は湖が凍らないからですか?

富田:うん。昔はわかさぎ釣りというと、氷に穴開けてって感じでしたよね。昔はブラックバスもやってましたし。でも、海釣りはあんまり知識がなくて。冬になるとイカとか釣ってみたいと思って仲間と沼津のほうまで出張って、やってはみるものの3、4回行って、まだ1杯もイカが釣れたことないです(笑)。だいたい、海釣りなんかちゃんと始めちゃったら大変ですよ。1年中釣りしなきゃなんない。その点、渓流は禁漁期間があるから。3月から解禁、9月いっぱいで禁漁なんで釣りができるのは半年だけ。

「ホンダの名作。壊れても部品が山ほどある」

──話をバイクに戻しますけど……。

富田:そうだったそうだった!(笑)

──カブの魅力はどのあたりにあります?

富田:やっぱ、ギア付きのバイクが乗ってて一番楽しいし、カブは自分でギアチェンジしたいという欲望を満たしてくれる。スクーターだとギアがないから。それから、壊れないところもいいですね。とにかく頑丈なんで、転んでも壊れない。壊れたとしても、売上が1億台突破したほどの「ホンダ」の名作だから、古いバイクなんだけど部品が山ほどある。だから、未だに直し続けられるし。

──もともと機械いじりが好きなんですか?

富田:好きですね。釣りのリールをバラして、また組んでって。ギアとか、鉄と鉄がこすれ合って回るとか、好きなんでしょうね。空族の虎ちゃん(相澤虎之助/映画監督、脚本家)もバイク好きで、バイク屋で長いこと働いてたから、いじれるし、例え話は全部バイクに例えてくるから(笑)。

映画を撮るために東南アジアに行った時なんか、現地を走り回るにはバイクが一番いい。例えば、タイでカブは「ウェイブ」っていう名称なんですけど、レンタルバイク屋で必ずウェイブを借りるんです。「クリック」っていうオートマスクーターもあるんですけどギアなしだからそっちは借りない。だからいつも東南アジア行くとウェイブで走り回ってます。

──映画『バンコクナイツ』の世界ですね。

富田:そうそうそう!

──『バンコクナイツ』の発想もバイク好きというところから始まったんですか?

富田:まぁ俺達映画を作るのにバイクで走り回るところから始まりますからね。自分達で映画を作る時に1つ決まり事があって、それはバイク走行シーンを必ず入れること、それをやらないと、映画を撮った気がしない(笑)。

──『バンコクナイツ』では運転もみずからしたんですか?

富田:もちろんしました。昔は車のフロントガラスに飛び込んだこともありますよ。スタントなんか雇えないから、人が車に轢かれるシーンを撮るために、フロントガラスに突っ込んで。フロントガラスがビシッ!と割れる。ムチ打ちで3日くらい動けなくなりましたよ。

「バイクはロマンの乗り物だから」

──車には乗るんですか?

富田:レガシーBP5に乗ってます。この武くんからもらって。以前は車に関してはこだわりがなかったんだけど、レガシーに乗るうち、うわっ、この車はおもしろいと気付いてしまって。そこから車も好きになっちゃった。

──バイクと車、乗る頻度は半々くらいですか?

富田:そうですね、半々くらいですかね。車は日常の移動手段だけど、バイクは乗るために乗るというか、趣味ですね。ツーリングみたいに乗りたいからどこか出かけるって感じになりがちですね。

──最近、ツーリングしてるの中高年ばかりですよね。

富田:ですよね、だって若い人、バイク乗らないし。

──大型車は今じゃおじいさんの乗り物になっちゃいましたし。

富田:やっぱ、そうなりますよ。バイクはロマンの乗り物ですからね……。

──今回の取材で愛用品を選ぶ際、他にも候補はありましたか?

富田:釣り道具かバイクか考えました。最初は愛用品、何がいいかな、なんかかっこいいのねえかなって考えて。ほら、万年筆とかだと頭良さそうじゃないですか(笑)。しかし、しかし釣りとバイクって! もはや完全なるただのおっさん……。

──バイクで助かりました。作品とも結びつくんで。

富田:そんなこともあるかと思って、バイクにしました。

──釣りだと映画と結びつきませんからね。

富田:いや、それが、実は次回作と結びつくんですよ。釣りを1つの題材として取り上げようと考えてて。釣りをしている人間を描くつもりで、釣り仲間の田我流にそういう役をやってもらおうと進めてて。以前撮った「サウダーヂ」の続編にあたる映画として考えてるんですけど。虎ちゃんも釣りが好きだしね(笑)。釣りのこと、きちんと描いてる映画みたことないし。コロナの期間、俺等釣りしかすることがなくて。それは俺らに限らず、みんな自然のほうに行けば大丈夫だろうってことで、釣りとかアウトドアがすごい人気になりましたよね。それでいろいろ思うところがありまして、次回作は釣りも1つのテーマに入れようかなって。

Photography Kenji Nakata
Text Takashi Shinkawa
Edit Kei Kimura(Mo-Green)

The post 連載「クリエイターのマスターピース・コレクション」Vol.11 映画監督・富田克也の“バイク” appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載「Books that feel Japanese -日本らしさを感じる本」Vol.14 宮地健太郎が選ぶ、日本文化に立ち返るための2冊 https://tokion.jp/2024/01/03/books-that-feel-japanese-vol14/ Wed, 03 Jan 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=215277 『古書ほうろう』の宮地健太郎が、日本的な生活様式やユニークな漢字のルビ使いなど、見落としがちな日本文化の特色を語る。

The post 連載「Books that feel Japanese -日本らしさを感じる本」Vol.14 宮地健太郎が選ぶ、日本文化に立ち返るための2冊 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
宮地健太郎が選ぶ、日本文化に立ち返るための2冊

宮地健太郎
1998年、仲間達と千駄木に「古書ほうろう」をオープン。2010年より夫婦での経営となり、2019年池之端に移転し現在に至る。店には古本だけでなく、レコードやCD、鉄道の硬券の他、妻の焙煎する珈琲豆も並んでいる。

国内外さまざまあるジャンルの本から垣間見ることができる日本らしさとは何か? その“らしさ”を感じる1冊を、インディペンデント書店のディレクターに選んでもらい、あらゆる観点から紐解いていく本連載。

今回は、台東区池之端にある古書店「古書ほうろう」の宮地健太郎にインタヴュー。古くからの本好きから愛され続ける「古書ほうろう」による、なんともユニークな選書を楽しんでほしい。

『町 高梨豊 写真集』
『花開く江戸の園芸』

今も路地裏に見える、日本的な光景

−−まずは、選んでいただいた2冊『町 高梨豊 写真集』と『花開く江戸の園芸』について、教えてください。

宮地健太郎(以下、宮地):実は今回お声がけいただくまで、日本らしさについてことさら考えたことはなかったんですが、思案するうち浮かんできたのが「植木鉢」でした。毎日自転車で通勤している根津や千駄木の裏道の、道端のそこここに置かれている植木鉢。それぞれのお宅が、好き勝手に鉢を並べている光景こそが「日本的」なのかもって。そこで思い出したのが、1977年に出た高梨豊さんのこの写真集です。ご覧の通り、当時すでに消えつつあった東京の建物や暮らしぶりが主題なんですけど、路地裏や土間の植木鉢もたびたび出てきて。「ガーデニング」なんて言葉を使うと消え失せてしまう、より切実で、日々の生活と分かちがたく結びついた、緑を求める心のようなものを強く感じます。

−−店の前に飾られた朝顔も、そんなイメージなのでしょうか?

宮地:外の朝顔は、一緒にこの店を営んでいる妻が、この夏初めて植えたものです。最初は1鉢だけだったのですが、ある日出勤したら、もう1鉢、どなたかが足してくださっていて(笑)。店の両側に並ぶことになりました。交代で水やりするようになったことで「今日はつぼみが少し開いているから明日はきっと咲くな」とか、「元気がないな」「心配だな」とか、確実に毎日の張りになっていて、それが今回、路地裏の植木鉢を思い浮かべるきっかけになったのかもしれません。みなさんこういう気持ちなんだろうなって。

−−次に、『花開く江戸の園芸』についてはいかがでしょうか?

宮地:高梨さんの写真集を眺めていた時「植木鉢だったら、もう1冊、とっておきのが!」と思い出しました。2013年に江戸東京博物館で開催された展示の図録で、「江戸の人々はいかにして植物を愛でるようになったのか」が、浮世絵を中心とした豊富な図版とともに紹介されています。ヨーロッパでは上流階級の嗜みであった園芸が、近世の日本では庶民を巻き込み広がっていくんですけど、その出発点には、ソメイヨシノで名高い染井の、ある植木職人が記した1冊の入門書があり、そこから植木鉢が爆発的に普及していったというくだりで「おおお!」となりました。登場する植木鉢を今回数えてみたら、なんと892鉢もあって。間違いなく、世界一植木鉢が載っている画集だと思います(笑)。あと、以前店があった千駄木のことも、染井と並ぶ植木屋の本拠として触れられていて。漱石の『三四郎』に団子坂の菊人形が出てきますよね、あの辺りがまさにそうです。

『和訳 聊斎志異』

日本語を工夫して、中国語を紐解く

−−次は、『和訳 聊斎志異』について、教えてください。

宮地:日本らしさって何だろう? と考えて、もう1つ浮かんだのが漢字だったんです。もちろん漢字の起源は中国なんですけど、台湾以外では記号のようなものに成り果ててるじゃないですか。なのでもはや「漢字=日本的」でいいんじゃないかって。で、そんな象形文字としての漢字の魅力をたっぷり味わえる1冊ということで、大好きなこの本を選びました。

『聊斎志異(りょうさいしい)』という書物は清の時代の怪異小説です。科挙に落ち続け、故郷の山東省で世を拗ねながら生きた蒲松齢が、道端で旅行く人に声をかけてはおもしろい話を収集し、それらを元に約500編から成る作品を書き上げました。その多くは、美女に化けた幽霊や狐狸が下界の男達と繰り広げる艶めかしくも不思議な物語で。日本にも早くから伝わり、数多くの翻訳や翻案があるのですが、中でもこの柴田天馬さんの訳は唯一無二のものとして、世に出て100年以上経った今もとても人気があります。

−−人気の理由は、どのようなことなのでしょうか?

宮地:一言で言うと、ルビ使いです。柴田さんは翻訳にあたって「原文の漢字を可能な限り残す」という方針で臨むのですが、その上でなおかつ日本語として成立させるためにルビを振りまくっていて。それがとてもユニークなんです。例えば、今開いたこのページ、菊の精の話なんですけど、こんな感じです。

「因(そこで)、与(いっしょ)に芸菊之法(きくのつくりかた)を論(はな)しあった」

読み進めていくと、以口腹(たべもの)、目所未睹(みたことのないもの)、家中触類(いえじゅうのもの)、千載下人(のちのよのひと)など、普通に日本語に置き換えるとこぼれ落ちてしまうニュアンスが各々の漢字に宿っていて、いちいち興奮しちゃうんですよね。

あと、こういう意味を補うルビとは別の、ぱっと見よくわからないルビもあって。このページだと、中表親(いとこ)がそうなんですけど、蒲松齢という人の根っこには「俺はこんなに頭がいいのになぜ試験に受からない」という恨みつらみがあって、「俺にはこんなに学問があるぞ」とばかりに古い書物からの引用が散りばめられているんですよ。もちろんその多くは自分にはピンとは来ないのですが、その気になって掘ればずっと深いところまでいけるというわくわく感があって。読んでも読んでも発見があります。

Photography Masashi Ura
Text Nozomu Miura
Edit Dai Watarai(Mo-Green)

The post 連載「Books that feel Japanese -日本らしさを感じる本」Vol.14 宮地健太郎が選ぶ、日本文化に立ち返るための2冊 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.2 シウダー・フアレス https://tokion.jp/2023/12/05/mexico-reporto-diaries-vol2/ Tue, 05 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218002 写真家の児玉浩宜が思いのままにたどり着いた国、メキシコを縦断した記録を写真とともに綴るフォトコラム。第2弾の都市はシウダー・フアレス。

The post 写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.2 シウダー・フアレス appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.2 シウダー・フアレス

アメリカとメキシコを隔てる“トランプの壁”

国境で交渉を試みたが、負けはほとんど見えていた。相手は入国係官ではなくギャングの男だ。私達が立っているのは山の中腹に引かれている国境線だがフェンスや目印のようなものはない。サボテンや灌木がまばらに生えているだけだ。こんなところで殺されても岩陰に放置されておしまいだろう。「メキシコは命の値段が安い」何度か耳にした言葉が頭をよぎった。

アメリカ・メキシコ国境といえば、もう何年も前から移民の話題が伝えられている。《移民希望者数が急増》《暴力や貧困からの脱出》《大統領選の争点》もう新鮮さはあまり感じられない。実はアメリカとメキシコを隔てる国境の壁(いわゆるトランプの壁)は西から東まですべて繋がっているわけではない。フェンスも壁もない箇所がいくつかあるらしい。メキシコ北部のシウダー・フアレスの街外れにある山もその1つ。国境をまたぐように山があるが、私有地のために壁の建設ができないという。実際に山の麓を訪れると、西の地平から連なってきた鋼鉄製の壁が唐突に途切れていた。

その先はどうなっているのだろう。同行している編集者の圓尾(まるお)さんと一緒に山道を進む。すぐに窪みに隠れるように歩く10人ほどの姿を見かけた。越境を試みる移民だろうか。彼等のうちの1人の男に声をかけられた。「お前は警察なのか?」そう聞いてきた男はギャングだった。彼はここを仕切るコヨーテと呼ばれる密入国の斡旋業者だ。密入国の手助けは麻薬カルテルのサイドビジネスから始まったともいわれている。越境するためには彼等に多額の金を払わなければならないらしい。彼に事情を説明すると男は足元にあった針金を拾い上げて「お前らが次に来た時はこれだ」と首を絞めるポーズをしてみせた。私達は後ずさりをしながら「わかった、わかった」と答え、引きつった顔で山を下りた。

そして2日後、私達は今度はアメリカ側からその山に登ってしまった。そして再びギャングに遭遇。冒頭の続きだ。懲りてないどころかさすがに馬鹿げている。何が「わかった、わかった」だ。だいたい同じ言葉を2度繰り返すやつは信用ならない。前回とは違う男達だったが「アメリカドルとメキシコペソを全額、それに携帯電話とカメラをよこせ!」と怒鳴ってきた。従わないと私達をメキシコ側に連れ去るという。交渉で時間を稼ぎたかったが、私の財布にあるのはわずか25ドル。これでは交渉材料にもならない。ペソの手持ちもなく(ATMでカードが受け付けなかったため)どうしても帰りのバス代のために少しはドルが必要なんだと必死に頼み込んだ挙句、15ドルを巻き上げられてしまった。少額とはいえドルを見せると男達は携帯電話やカメラのことは忘れてしまい、私達は解放された。私の命はこんなものか。持ち金もしみったれているが、払う額も同様にケチくさい。状況を静観していて1ドルも要求されなかった圓尾さんが「割り勘にしましょうか」と言った。ありがたいがそれでは私の命の値段が半額になるので遠慮した。山の麓まで下りて国境までのバスで5ドル使ってしまった。残りは5ドル札1枚。私達はメキシコに帰るしかなかった。

国境にかかる橋は地元の人達が行き交っていた。彼等は通勤や通学のために国境を渡っていく。壁の向こうの街も地元民にとっては1つの生活圏なのだ。麻薬戦争により、かつては世界で一番危険な街とも評されたシウダー・フアレスも現在は平穏らしい。私達はメキシコ側に戻って国境沿いを歩いた。さっきの山と違い、鉄の壁や有刺鉄線が視界を横切るように貫いていて、監視する国境警備隊や装甲車も見える。それらを眺めているとまるで自分が刑務所にいるような気分になる。周辺にはボロ雑巾のように破れた衣類や歯ブラシなどの生活用品が散らばっていた。それらを辿っていくと、国境の橋の下に20人ほどの人達がたむろしている。彼等は移民希望者で、多くは中南米の出身者の若者だ。さっき橋を渡ってきた時には気付かなかったが、彼等はここで野宿しているらしい。

メキシコ国境のアメリカ移民の実態

トニーという男が流暢な英語で話しかけてきた。恰幅のよいホンジュラス出身の54歳。すでに3ヵ月近くここで暮らしているという。「ここにはボスもギャングもいない。みんなは家族みたいなもんさ」とトニーは言ったが、仲間から気さくに話しかけられたり、持っていた果物を分け与えている姿を見ると彼自身が親分肌の持ち主のようだ。「メキシコの人達は食料や服の援助もしてくれるので助かっている。でもメキシコの警察はダメだ。すぐにここから追い払おうとする。俺達は猿や犬じゃないんだぞ」と言ってトニーは頭を横に振った。警察はあくまでポーズとして追い出す姿勢を見せているらしいが、それに付き合わされる彼等も大変である。警察が去ると彼等はすぐにここに戻ってくるという。「ホンジュラスだったら警官は簡単に人を殺すからね。ギャングに頼まれて小遣い稼ぎのために。あそこに比べればこの街はいい。アメリカはもっといいだろうな」と言って笑った。

何のためにアメリカへ行くのか。彼等に聞くと、その答えは壁にボールを投げたように軽々と跳ね返ってくる。私達はそもそも「移民」という言葉のイメージに否応なしに重い何かを背負わせている。しかし、ほとんどの場合そこに驚くような理由があるわけではない。「今より少しでもいい暮らしがしたい」それは常日頃から私達が同じように思っていることだ。ただ違うのは「少しでもチャンスがあるのならそれに賭ける」という覚悟だ。貧困や暴力、そして経済破綻。それらの状況はより一層その思いを強くするのだろう。

日が傾き始める頃、その場にいた若者達が大声を上げて一斉に走り出した。彼等が見上げた視線の先には、国境の橋を渡る通行人の姿があった。「1ドルでも1ペソでもいい、僕達に恵んで! ご飯を食べるお金を!」しばらくして立ち止まった通行人が、手すりの隙間から1枚の紙幣を落とすのが見えた。紙幣は風に漂い、ひらひらと舞った。それを目掛けて若者たちが走りだす。ひとりが高くジャンプして掴もうとした、が空振る。揉み合いになって砂埃が巻き上がる。ようやく地面すれすれで紙幣を掴んだ者は頭上の通行人に「グラシアス!(ありがとう!)」と叫んだ。すると、また別の人が落とした紙幣が風に乗ってくる。

金を落とすのは物価の安いメキシコで遊んで帰るアメリカ人や、故郷に戻っていてアメリカへ帰るメキシコ出身者のようで落ちてくる紙幣にドル札がかなり混じっている。恵まれている者が持つ罪悪感からなのか、利他的な精神から施すのだろうか。あいにく掴み損なった者は悔しさを見せるが、その姿が滑稽なのか時々笑いが起こり、悲壮感はまるでない。ふと振り返ってみると、トニーは拾ってきたような折り畳み式のアウトドアチェアをどこからか引っ張り出して腰を落ち着けている。年長者の余裕なのか中年者の遠慮なのかわからないが、若者達の姿を悠然と眺めていたのが印象的だった。

翌日も橋の下へ。昨日は見かけなかった集団がいて、こちらを遠巻きに眺めているのに気がついた。「あいつらはきっと新入りだろう」とトニーが興味ありげに言った。挨拶代わりに手を挙げるとその集団の1人が私に話しかけてきた。「ベネズエラから来たんだ。ようやく今日ここに到着したんだよ」精悍な顔つきの彼はタバコを吸いながら嬉しそうに言った。ベネズエラの位置を頭の中で巡らせてみる。コロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、そしてメキシコ。アメリカへ渡るために彼らが通過する国はなんと7ヵ国。想像が追いつかない代わりになぜ彼等には切羽詰まったような佇まいがないのかわかった気がした。彼等はようやくここに辿り着いたのだ。若者達と話しこんでいた圓尾さんが「彼等はもう9割方成功しているんじゃない?」と言った。あとはもうあの壁だけだ。では、彼等はどうやって壁を通り抜けるのだろうか。私達が登った壁が途切れる山のことを聞いたが誰も知らなかった。彼等に質問をすると「飛び越えるんだよ」と臆せず答えた。

トニーは靴を脱いでくつろいでいた。はるばるホンジュラスからたどり着いたのに彼は3ヶ月もここにいる。すでにこの街が居心地良くなってしまっているのではないだろうか、と私は少し訝しく思っていたので「トニーはいつ壁を飛び越えるの?」と聞いた。彼は途端に言葉を詰まらせた。「……近いうちだ」私は半信半疑だったが、彼は半ばムキになり「見ろ!あのパイプを!俺は若くはないがネズミみたいに穴を潜ったり壁を這ったりいくらでも動ける!」と慌てて指さした。その先には川に注がれる排水口があったが、遠目に見ても直径は30cmほどもない。私はしどろもどろになる彼の反応を見て考えた。彼らが辿ってきた長い道のりを考えると慎重になるのは当然だろう。最後に失敗はできない。私なら怯んで何もできないかもしれない。話題を逸らすようにトニーは続けた。「つい2日前にも中国人の若い男が壁を飛び越えたんだ。あいつは成功したんだよ!」まるで自分のことのように嬉しそうに彼は話した。なぜ中国人がここに来てまで密入国をするのかよくわからない。中南米にはインディオの血を引く東洋人のような顔立ちの人もいるので勘違いだろうと思って聞き流した。

隣にいた男が私に声をかけきて顎をしゃくるようにして橋の通行人を指した。「お前もやれ」ということらしい。スペイン語がろくに話せない私は大袈裟に手を振ってしばらく通行人に訴えてみたものの金は落ちてこなかった。無力な私を見て男は鼻で笑った。次第に立ったまま声を張り上げるのが面倒になった者は地面に寝転び始めた。仰向けのまま、頭上の橋を行く人達に大声で呼びかける。私も同じように寝転んでみた。心地がいいとはいえないが、橋がちょうど日陰になっていて涼しい風が吹いた。どこからともなくマリファナの匂いが漂ってくる。あたりが暗くなり始めると橋の下に「帰宅」する人が増えてきた。

帰り際、トニーに別れの握手ついでに手持ちの残りの5ドルを渡した。餞別にしては恥ずかしい額だ。彼も「サンキュー」と言っただけで嬉しくもなさそうだった。メキシコで使えない金を渡しても仕方がないが、できればアメリカで使ってほしかった。彼等が壁を越えられたとしても、その先の市街地には何重にも検問があるらしい。移民申請が認められるかどうか、仕事が見つかるかどうかもわからないギャンブルのようなものだ。たとえ「命の値段が安い」としても、勝負に勝ち続ければそれは何倍もの価値になるだろう。金を掴もうと走る若者達の姿が目に焼き付いている。

The post 写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.2 シウダー・フアレス appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第6夜  https://tokion.jp/2023/11/30/you-are-looking-at-a-dream-6/ Thu, 30 Nov 2023 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=217753 作家・ライターの菊池良による「ユメ落ち」をテーマとしたショートストーリー。現代版『夢十夜』とでも言うべき掌編の第6夜、懐かしさを覚える劇場の中で出会った画家と哲学者は、「きみ」をどこへ導いてくれるのか――。

The post 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第6夜  appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
Illustration Midori Nakajima

  きみはこんなユメを見た。

 照明がずっとついたままなことに、違和感を覚えた。きみは劇場にいて、座席のあいだを縫うように歩いている。設備が古く、すこし埃っぽい。だけど、なんだか懐かしい劇場だ。
 きみは自分が座る席を探している。服のポケットというポケットに手をつっこむが、チケットが見当たらない。舞台はもうはじまっているから、急いで座ったほうがいい。観客席を見回すと、ニ割ほどしか埋まっていない。きみを見かねた客が席から身を乗り出して話しかけてくる。
「さっきからうろちょろしているね」
「席を探しているんです」
 話しかけてきたのは、燕尾服を着た男だ。その顔を見て、きみははっとする。ある有名な日本画家だったからだ。和服を着た彼の肖像写真を見たことがある。燕尾服はめずらしい。
「適当に座りなさい。ガラガラだよ」
「だけど……」
 客席にはひとつずつ言葉が振ってある。おそらくチケットで指定してあるはずだ。画家が座っている席は、「ぬ – 相対」とプレートに書かれている。意味もなく、指でなぞってみる。
 きみは画家の横に立ちながら、舞台に目をやる。演目のようなものがつづいていた。舞台のうえには回転扉が設置してあって、ゆっくりと回っている。
 ときおり、その回転扉を通って人物が現れる。彼や彼女らは年齢も服装もばらばらで、共通しているところはない。たまにぼそっとなにかを言う人がいて、そのたびに客席はわっと盛り上がり、拍手が起こることもある。
 きみは舞台を見ながら首をかしげる。なにも面白くはない。退屈でしょうがない。画家がもう一度こちらを向き、問いかけてくる。
「なんでだと思う?」
「どういうことでしょう」
 聞き返すと、画家は舞台を指さす。
「だれも客席から舞台にあがらないのはなんでだろう」
「それは……」
「もしも向こう側にいったら、どうなるのかな?」
 きみはうなずくと、舞台へと近づいていく。一歩進むごとに、自分に向けられる視線が増えていくことに気がつく。たくさんの瞳がきみにまとわりつく。それはくすぐったくて、ときには痒い。手で払いのけようとしても、すぐに舞い戻ってくる。
 舞台のそばまでやってくると、客席とを隔てているものがあることに気がつく。透明でやわらかい膜が張ってあって、触るとぐにゃりと歪んで吸いついてくる。ぐっと手に力を入れて押し込んでいくと、ゆっくりと身体が舞台のなかに入っていく。耳のあたりでぱちぱちと火花のようなものが弾ける。全身を舞台に押し込んでいく。
 そして、きみは回転扉を通って、向こう側へと行く。
 そこは床が板張りになっている部屋で、老いた哲学者が机に向かっている。ペンをこつこつと鳴らしながら、ずっと紙になにかを書いている。頭上からぽたぽたとなにかが降ってきていて、指で触れるとインクの粒であることがわかる。しかし、触った瞬間、きみの体温でじゅっと蒸発する。
 哲学者がきみに気がついて、顔をあげる。
「待っていたよ」と微笑む。「さぁ、読んで」
 そう言って、きみに紙を渡す。しかし、きみは首を横に振り、紙を読まない。ばっと火が燃え上がり、紙を焼き切ってしまう。
「きれいだ」
 きみは消えゆく青白い炎を見つめながらささやいた。

 そのとき、きみはユメから目覚める。最高の朝がやってくる。いままでにない最高の朝が。

Illustration Midori Nakajima

The post 連載ショートストーリー:菊池良「きみはユメを見ている」第6夜  appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.1 モンテレイ https://tokion.jp/2023/11/09/mexico-reporto-diaries-vol1/ Thu, 09 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=215439 写真家の児玉浩宜が思いのままにたどり着いた国、メキシコを縦断した記録を写真とともに綴るフォトコラム。第1弾の都市はモンテレイでの出会いについて。

The post 写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.1 モンテレイ appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.1 モンテレイ

「純粋な旅を続けたい」ウクライナを離れ、募る想いとともにたどり着いたメキシコ

いつのまにか、ほとんどの顔ぶれが入れ替わってしまっている。

乗客を乗せた長距離バスはいくつもターミナルを経由していった。窓からは砂漠に岩山、そしてサボテンが現れては視界から消えていく。もっと純粋な旅を続けたい。何度も取材で通った戦時下のウクライナの風景から離れ、さらに遠いところへ。募る想いとともにたどり着いたのはメキシコだった。

「こっちに住む人たちに聞いたんですよ。そしたらみんなバスだけは止めとけって」

そう言ったのは旅のパートナーである編集者の圓尾(まるお)さんだ。

私たちはメキシコ中部のマテワラという小さな町の宿で、彼を半ば説得するように話していた。

彼が言うのも無理はない。この国は広大だ。日本の5倍以上の面積がある。地方へ行きたい場合、ふつうは地元の人でも飛行機を使う。長距離バスの場合、24時間近く乗らなければいけないこともあるらしい。それに夜行バスは警察や強盗に金銭を要求されることもあるという。

「それでもいまのメキシコを見るならバスで移動するほうがいい」と私は食い下がった。

飛行機だと事前にチケットを予約してスケジュールを決めなければならない。滞在は約1ヵ月。時間は十分にある。できれば細かい予定を立てず、流れるように転がるように旅をしたい。自由を求めてアメリカの路上を彷徨ったジャック・ケルアックも、神秘的体験に惹かれたウィリアム・バロウズも目指したのはメキシコだった。彼等が魅了されたものは何だったのだろう。昨今のメキシコと言えば麻薬、ギャング、移民問題など、印象が良いとはいえない。その背景にはいまを生きる人々の素顔が隠されているのではないか。だからこそ私は心が向くままに旅をしながら、現在のメキシコを肌で感じてシャッターを押したい。旅の目的を素直に話した。

圓尾さんはため息をつきながらも、こちらの提案を理解してくれた。ただ彼はどうしてもメキシコシティで開催されるライブを観たいらしい。出演者はモリッシー。ご存知、イギリスのアーティストである。いきなりラテンアメリカの旅路から逸れてしまう気がしたが、こちらもわがままを受け入れてもらっている身だ。大いに楽しんでもらいたい。それに私たちに定まったルートなどないのだ。とにかく彼は一旦メキシコシティに戻る。そして3日後にアメリカとの国境の街、北部シウダー・フアレスへそれぞれ空路で向かって合流し、そこを起点として南下する旅を始めることを決めた。

その間に少しでも北に近づこうと、心細くはあったがひとりでモンテレイにバスで向かうことにした。

ターミナルに到着したのは夕方近くだった。降り立った途端、蒸した空気に身体が包まれる。さっき見た電光掲示板では気温は39度を示していた。メキシコ北東部にあるモンテレイはアメリカの国境に近く、日本を含めて外資系企業が多数進出する工業都市であり、経済の中心地だという。とはいえホテルの周辺を歩いてみたが、ナイトクラブから爆音でディスコミュージックが漏れ聞こえ、娼婦が路地に立ち、猥雑な雰囲気が漂う。

バックパックを背負って近くの安宿街を訪ね歩いてみたが、どこも満室だと断られた。どうも南米からアメリカを目指す移民たちが大勢滞在しているらしい。どこの宿の入り口もそういった人々がたむろしていた。

ようやく空きがあるホテルを見つけたが、お世辞にもきれいとは言えなかった。部屋のドアは落書きだらけ。天井にあるファンは室内の空気を掻き回しているが、感じられるのは熱風だけ。水シャワーを浴びたがそれでも暑さに耐えきれず、結局すぐに外へ出た。

近くの屋台でひとりタコスを食べて部屋に戻る。しかし、部屋はサウナのようで身体が休まることなく、夜中に何度も目が覚める。涼みに外に出ようにも、夜間は危険ということでホテルの出入り口は施錠されている。繰り返し水シャワーで身体を冷やしていたら朝になっていた。

2000頭の馬の群れと1000人が踊る記念日のパレード

翌日は日曜だった。睡眠不足のままメインストリートを歩く。休日のためか人の往来はさほど多くない。商業ビルが立ち並ぶ大通りを歩いていると、突然現れた警察官が道路の規制を始めた。事故かな、と思っていると、いきなりアスファルトの路面を叩くような音が連続した。

馬の群れだ。いったい何頭いるのだろうか。波のように押し寄せてくるので、数えきれない。馬にはカウボーイたちが乗っている。どこからか湧き出すように観衆が集まり始めた。パレードだろうか。馬の蹄が地面を蹴り、カウボーイたちは誇らしげにポーズをとる。それぞれブルージーンズにブーツ、そしてソンブレロと呼ばれるカウボーイハットがさすがに様になっている。馬に跨ったまま缶ビールをあおったり、スマートフォンで動画を撮りながら馬に乗る人も。観客らとともにパレードを追いかけた。隣にいた男性に話を聞くと、この日はモンテレイの市政記念日らしい。この日のために地元からおよそ2000頭の馬を集めたのだとか。カウボーイの歴史やルーツは、メキシコを拠点にしていたスペイン人の文化で、現地の言葉で「バケロ」と呼ぶらしい。

彼は「バケロは我々の自信と誇り、そして自由の象徴なんだ」と胸を張った。パレードの目的地であるサラゴサ広場に到着するとそこは馬だらけでまるで牧場のようだった。こんなイベントに遭遇するとはこれは幸先がいいぞ、と内心ほくそ笑んだ。

マリアという女性のスタッフに英語で声をかけられる。

「このあと午後5時に必ずここに来て。1000人が集まって踊るんだから」と言った。

1000人が踊る? なんだそれは。唐突すぎて理解が追いつかない。

周辺を散歩してから指定の時間より早めに広場に戻ると、すでにいくつかのグループが集まっておしゃべりをしていた。女の子たちはクラシックなドレス姿。青年たちもタイトなパンツにソンブレロを被っている。その凛々しい姿にかなわないなと思う。見惚れていると続々と他のグループも集まってきた。

広場にある仮設ステージの裏では地元の新聞社やテレビ局のカメラマンも大勢いて、担当者と打ち合わせをしていた。彼等を横目にこっそりステージに上って撮影ポジションを確保しようとすると、後ろから大声で話しかけられた。振り返ると、大柄の男性がいきなりスペイン語でまくし立てる。まずい。撮影するのに事前に許可が必要なのだろうか。返答に困っていると彼は私の肩をがっちりつかんで他のカメラマンたちのところへ連れていき、グッドサインをした。どうやら「あとでステージに上がらせてやるからここで待て」ということらしい。杞憂だった。

踊りはバンド演奏を合図に始まった。ブーツのつま先で激しく地面を蹴る独特のステップにひらひらと舞う衣装。集まった1000人がポルカのリズムに乗せて踊るのはさすがに息を呑む。だが、ラテン特有のおおらかさが作用しているのだろうか。一糸乱れぬ団体舞踊というよりも、純粋にそれぞれが踊ることを楽しんでいるようだ。見ていた地元の観客もつられて踊る様子がまた楽しい。

カメラマンの集団から抜けてステージを降りると、演奏が流れるスピーカーの前でさっきのマリアを見つけた。

「この踊りは何というの?」と大音量の演奏に負けじと彼女の耳元に話すと、マリアは叫ぶように「フォークロア・バレエよ!」と率直な答え。彼女によると、このイベントそのものは3年前から始まったらしい。伝統文化が根付きにくい工業都市に新たな潮流をつくりたいのだとか。2000頭の馬に1000人の踊りである。町おこしにしたって数がすごい。

1時間ほど続き、踊り疲れた彼等が向かったのは、ケータリングで用意されていた食事。それはまさかというか、やはりというか、大量のタコスだった。それも1000人分!晴々しい顔でかぶりつくタコス。早合点とはわかりつつも、これがメキシコか!と驚いていると「写真を撮ってくれ!」とさっそく声がかかる。

馬のパレードや踊り、そしてこのタコス。街を歩くだけで偶然にも彼等のアイデンティティに触れたような気がする。

その夜、圓尾さんから「モリッシーのライブは延期になりました」と落胆する連絡が来た。「残念でしたね」と言うほかないが、励ますように今日あった出来事を伝える。

2日後、飛行機は2時間弱でシウダー・フアレス空港に着陸した。滑走路は雨で濡れている。携帯電話が電波を拾い、旅のパートナーである圓尾さんが待つモーテルの住所が送られてきた。かつてこのシウダー・フアレスではカルテルによる麻薬戦争が勃発し「世界で最も危険な街」と呼ばれていたらしい。

機内から降りるとすぐにメキシコ移民局による身分証のチェックが始まり、私を含めた外国人は空港で待機させられた。IDカードを見せて素通りしていくメキシコ人たちとは対照的に、私たちは緊張感に包まれていた。係官がパスポートを入念にチェックした後、私は無事解放されたが、他の人々は移民局の護送車に乗せられ空港から連れて行かれてしまった。その場には重苦しい空気だけが残り不安を誘ったが、旅が始まる高揚感で自分を奮い立たせ、小雨の降るなか街へ向かった。

The post 写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.1 モンテレイ appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>