大隅祐輔, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yusuke-osumi/ Thu, 18 Aug 2022 08:36:19 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 大隅祐輔, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yusuke-osumi/ 32 32 日常的な体験と所有の光景、人との関わり、本質への回帰 WDsoundsオーナー、澤田政嗣インタビュー -後編- https://tokion.jp/2021/06/13/wdsounds-masashi-sawada-part2/ Sun, 13 Jun 2021 06:00:09 +0000 https://tokion.jp/?p=36951 ハードコアとヒップホップ双方における東京のアンダーグラウンドシーンを先導しているレーベル、WDsoundsのオーナー、澤田政嗣へのインタビュー後編。

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ハードコアとヒップホップ、その双方における東京のアンダーグラウンドシーンを10年以上にわたって率い、先導しているレーベル、WDsounds。そのオーナーである澤田政嗣へのインタビューを行った。現場主義と言える分野の当事者は新型コロナを経て、どういった考えに至ったのか。後編ではリリースをしていく意義などを問う。

対インターネット、対コロナの反動

澤田政嗣(以下、澤田):“ルーティン化”って情報の出し方にも言えて、この間、人と話をしていたのは、ニュースとかいろんなウェブ媒体に載せてもらうよう情報をとりあえず送るんだけど、同じニュースがいっぱい載るのって逆にマイナスじゃない? って。それによって読み手は1つも見なくなっている気がするんですよね。自分が埋まっていく感覚というか。雑誌は読み手全員がすべてを読んでいるわけじゃないし、どれに載っていても良いんですけれども、ウェブだと全部アクセスできちゃうから、重要なものが埋没して、見過ごされる可能性が出てくる。

――そうだと思います。情報の価値が落ちますからね。

澤田:さっきの店の話じゃないですけど、昔は情報と一緒にCDを送って、媒体の人と電話で会話をして盛り上がったら取材をしてもらって、っていう流れでやっていて。ウェブが主になってからは、インタビューも似たような記事になっちゃったりするんです。プロモーションのためのインタビューなんだけど、これ意味あんのかなって。興味をもつ動機になるものは1つだけで良いと思うんです。

――それもこれも、結果的にひと手間を削ってしまったネットの功罪というか……

澤田:まあコロナになって、現場メインで動いていたのに動けなくなった時に、表現が続けられるっていう可能性を見出せたのはネットのおかげではありますけどね。でもさっきのCDの話に戻すと、CDってやっぱり異常に情報量が多いじゃないですか。ミックステープもそうだけど。それ自体がメディアとしての機能を果たしているし、この人達って仲良いんだっていうのがわかったりするとか、そういう繋がりの部分が目に見えてわかったりすると思うんで。CDを買って聴きながら、ジャケットを見るっていう昔はよくやっていた行為を再び積極的にするようになったんですよね。ハードコアの場合、意図的に歌詞の要約みたいなのしか入れていない人がたまにいておもしろいんですよ。

――なるほど。買ったらおもしろいよ、楽しいよということは伝えていきたい部分ではありますよね。サブスクが楽っていうのはわかるんですけど、それに甘んじていると聴き方が悪くなってくるというか、つまみ食いが多くなっていくし、先ほどマーシーさんが仰った通り、重要なものが埋没する可能性もある。

澤田:特に専門店だと、店主が自らの判断で仕入れてレビューをつけていたりするから、それを見ているだけでもおもしろい。それによって聴きたい欲が掻き立てられるというか。サブスクにもラインアップされている作品だったりするんですけど、そこでは聴かずに買って、レコードが届くのを待とうみたいな。そういうのをより楽しめるようになったと思いますね。忙しさにやられていなかった分。

――レコード好きの方であれば皆さんがわかっている言うまでもない話ですけど、こだわったスリーブがあったり、カラーヴァイナルだったと知らずにレコードが届くと、子どもみたいにテンション上がるし。

澤田:そのおもしろさって他の人がそういう話をしていて知ると思うんですよね。自分がもともと好きだったわけではないし、さっき言った通り、人が溜まっているところで聞いて、俺もそういう話をしたいって。皆が生き生きしている光景を目の当たりにするっていうか。食べ物みたいになければ死んでしまうものではないわけじゃないですか。でも、それがあると楽しく生きていける。

やってみればできることの方が多い

――CDの話が幾度か出たので、ここからはWDのカタログから、象徴的とも言えるCD等の作品をいくつかピックアップして、その解説をしていただけたらと思います。

澤田:絞ってみたんですけど、結構いっぱいあって(笑)。コーナー別に分けられたりはするんですけどね。

澤田:これ(=『SALVATION MALEVOLENCE』)については別のタイトルで出すものが本当はあったんですけど、当時、メンバーと連絡が取れなくなって。その後、アメリカに行った時にボルチモアでそのバンドのライヴがあるから行こうって友達に誘われて行ったら、プリング・ティースのドムってやつと知り合って、そこからインテグリティのCDを出さないかってなったんです。この品番が002なんですけど、000が自分がやっていたバンドで、001がネクスト・ステップ・アップっていうバンドと東京のDSLのスプリットを予定していたんですが、それが結局出なかったので、『SALVATION MALEVOLENCE』がWDの実質的な1枚目。プリング・ティースは比較的新しいバンドだったりするんですけど、もともと自分が好きだったアメリカのハードコアのバンドでも、突っ込んで行ったらその中にも入って行けるんだっていう実感がありましたね。

特にコールド・アズ・ライフのデモの再販(=『1988-1993 DISCOGRAPHY』)は思い出深くて。高校生の頃から好きだったバンドなんですけど、先輩方しかデモテープの実物を持っていなかったんですよ。当時、それをCD-Rに焼いてもらったのをよく覚えているんですが、まさか自分が本来求めていたものを、自分のレーベルで、かつオフィシャルで流通させてもらえるなんて思っていなくて。ちょっとウケるな、みたいな。自分がこの中のシーンを代弁しているつもりはなく、ただただ好きで聴いていたリスナーだったわけですけど、自分に影響を与え続けてくれたものを手伝わせてもらえたのは素直に嬉しかったですね。このあたりのラインアップは自分の趣味の部分にも近いけれども、こういうのも出していることをリスナーの人には知ってほしいとは思っています。

実は、完全にヒップホップのレーベルだと思っている人が少なくなくて。俺がバンドをやってることすら知らない人もいたりするんで。これ(=『JAPAN SUSPECT TOUR』)は日本ツアーを収めたDVDで、アメリカとヨーロッパでも流通していて、日本でのディストリビューションがWD。ツアーも全部同行したおかげで深い交流が生まれ、アメリカに行くとうち来なよ、みたいな感じで遊んでもらったりするんで、リリースしたり関わり合うことでいろんなことを知れた感がありますね。

澤田:次はFEBBの『THE SEASON』。このリリースは自分にとって、かなり大きかったですね。これよりもすごいものはもう作れないかもと思ったくらいで。だから、昔はこれが褒められるのは嬉しくなかったんです。レーベルとしては、これより更新していかなければならないわけですから。制作期間は1年半以上かかっていて、P-VINEとの共同で、ある程度、大きな予算がついてやったのもこれが初めてでした。ジャケットの絵もニューヨークまでチャンス・ロードに頼みに行って、トラックに関してもケン・スポート(ニューヨーク在住のビートメイカー)に直接、お願いしに行きました。それこそ、他のCDのクレジットをFEBBとめちゃくちゃ見て、エンジニアを探したんですよね。ミックスはラッパーのカレンシーのファースト、セカンドを担当している人で。クレジットを見て、こいつくせーとか言いながら半信半疑でコンタクト取って。また、中のアートワークはギャラリーみたいにしようっていうコンセプトがあって、1ページごとにFEBBの『THE SEASON』っていうテーマに基づいて作品を作ってもらいました。これのおかげで自分も成長できたと思いますね。無理かもと思いながら物事を進めたらダメだっていう、やってみればできることの方が多いっていうことを、改めて自分に教えてくれたアルバムですね。

澤田:STRUGGLE FOR PRIDEのアルバムはスペースシャワーと一緒に制作させていただきました。WDのロゴが入ってるのをとても誇りに思っています。2枚のCDがコンパイルされている仕様になっていて、レゲエとかオールディーズの2枚とか3枚がセットになってる CDがすごく好きなんですけど、その感覚で妄想したり。そういった想像を膨らませられるのも、CDのおもしろい点ですよね。DJHOLIDAYの『SETAGAYA TALES』は今里さんが送ってくれた手紙にあったトラックリストから作ったものです。レコードバッグに入っていたものから選んだって話してくれました。

澤田:『voice』は、絶対にアルバムを出した方が良いっていうのを本人にオファーしまくって作ったアルバムですね。セカンドアルバムの『BOY MEETS WORLD』(同じくWDからリリースされている作品)がガチガチなヒップホップのアルバムなのに対して、こっちは音のバラエティが富んでいて、そういう意味でもWDのカラーが出ている気がしています。『voice』をリリースした後、ツアーで20何か所か一緒に回り、リリースパーティをリキッドルームでやったのも、これの時が初めてだったし。とにかく挑戦しようじゃないですけど。仙人掌って皆に愛されていて、尊敬もされているラッパーだから、それに対してどれだけかっこいい舞台を用意できるかっていうのを考えたりしました。ただ、とにかくツアーは地獄でしたけどね(笑)。ツアーライフとか言ってたの最初だけだったな、と。東京帰ったらやんなきゃいけないことがたまってるんだよなぁって思いながらこなしていました。とか言って車の運転を友達に任せて車の後ろで転がったりして(笑)、めちゃくちゃ楽しんでましたけどね。ツアーの時にアキさんって尊敬しててお世話になってるPRの方がいるんですけど、「ツアーのサポートに」ってNIXONのハイエース貸してくれて。思い返すと本当にかっこいいツアーでしたね。

――期間はどのくらいだったんですか?

澤田:半年くらいですね。2月にスタートして、9月も少し入っていたけれど、8月の終わりとかをケツにしていたんで。その反省を生かして、『BOY MEETS WORLD』の時は4か所にとどめて、夜中じゃなくて昼にして。若い子って夜、クラブに遊びに来られなかったりして、昼にやってほしいっていうのを感じたので、それをフィードバックしたんですよね。

――『BOY MEETS WORLD』がリリースされたタイミングに出た、仙人掌さんのバストアップの写真が表紙に大胆に採用された「ollie」も当時、かなり話題になっていましたね。

澤田:『BOY MEETS WORLD』のジャケットの写真は、その時の別カットなんです。アルバムのジャケットも同時に撮りたいって言って。アナログだとCDとは微妙に写真と配置が違っているやつを採用していて、リミックスだと絵になっている。3つそろえると楽しめるようにしたのが、こだわった部分でしたね。そういう仕様のこだわりがよく出ているのが、ERAのアルバム。これは3面開きのデジパックで、全面的にアートワークをグラフィティライターのQPにお願いをしました。制作する単価コストがものすごくかかるから、かなりの数を買ってもらっているんですが、出れば出るほど赤字ゾーンに入っていくっていう(苦笑)。それでも良いから、絶対に手に取ってほしいって思って。実はこれ、デジタルだとそこまで売り上げがないんですね。リスナーのほとんどは物で持っているイメージ。

生き生きとすること、迷走、コミュニティ、支え、アクションとリアクション

澤田:リリースする意義って俺は他にもあると思っていて。アーティストだって人間なわけじゃないですか。そういう部分があるからこその魅力だと思うんです。人間だから迷走するし、でもトータルで見るとそういう時期が良かったりもする。迷走しているからって駄作とも限らないから、そこをレーベルがサポートしてリリースすることは素晴らしいことだな、と。俺らはコミュニティに寄り添いながらやってるから、FEBBが悩んで迷走している時も、WDからは出していないけど、ULTRA-VYBEだったら話聞いてくれるんじゃない? って助言したり(セカンドソロアルバムの『SO SOPHISTICATED』のこと)。

『SO SOPHISTICATED』に収録されている楽曲「OPERATION SURVIVE」

澤田:俺の場合は力ある感じでレーベルをやっていなくて、あくまでインディペンデントだし、一気にいろんなことができないのもあるんで。それでスペースシャワーとかも紹介したりしたけど(GRADIS NICEとのジョイントアルバム『L.O.C -Talkin’ About Money-』のこと)。そういったことがあって、みんなが力を貸してくれて、あいつは最後まで全うできた、っていう言い方が正しいかどうかわからないですけど。裏方の人間が支えていたからリリースできて。コミュニティ、支え、ライヴなんかのアクションとお客さん、リスナーのリアクションがあるから、アーティストは生活していけるっていうか。

――昔のジャズメンとか、美化されまくっていますけど、エピソードを読んだり聞いたりすると、クズみたいな人ばっかりですしね。

澤田:そうですよね。クズなものをクズとオンタイムで言うこともまた楽しいことだと思うんですよね。みんなが理解できて、みんなが良いと言うものを作れば良いっていうわけではなくて、その人が作っている理由があるわけで、その人そのものが出ちゃっている方が良い。それを作り、出すためには近いチームじゃなきゃできないっていうのもあるし。

――FEBBさんのセカンドを聴くと、まさにそれを痛感します。

澤田:でも、実際はあれを録っている前の方がひどかったですからね。セカンドはラップでリハビリしたって感じなんで、そういう意味で聴くと結構良いものに聴こえちゃったりするっていうか。前にも『SO SOPHISTICATED』のリミックスを作ったSACくん(SCARSのビートメイカー)と、あいつはやっぱクソでしょって話していました。

――(笑)。

澤田:FEBBは確かにクソ野郎だったけど、見放したことはなかったんで。今、電話で頼りにされても応えられないよって思ってしまったりもしたけど、結局は一緒にいましたね。CDの“中”には、その時の背景も含まれていると思うんです。当時の写真の雰囲気、写っているアーティストの姿とか。とにかく多くの人に聴いてほしいっていう上昇志向が強い時期もあったんですけど、“聴いてほしい”っていうだけではない、もっと良い届け方があるよな、と。同時に、雑に聴かれてしまう音楽には携わりたくないんですよね。悪い言い方をすると、ゴミを増やしたくなくて。なので、変に広くっていうよりかは、特化したものの方が自分達がやっている意味がある気がするし。CDを買ってほしいっていうのは、可能性を広げるためだと思うんですよね。CDが全体的には売れなくなったって言うけど、ここだけはちゃんと売れてるってなったら、他の人達に目を向けさせることもできるし、強いものを作った方が良いっていう意識を改めてもったって感じです。ヤバい時期を経て。

澤田政嗣
1979年生まれ。音楽レーベル・WDsoundsを主宰し、仙人掌、FEBB、CAMPANELLA、ERAらの作品制作に携わるほか、自身もJ.COLUMBUS名義でラッパーとして活動。またハードコアパンクバンドのPAY BACK BOYSではヴォーカルを担当。読書家集団「Riverside Reading Club」のメンバーでもある。
http://wdsounds.jp

Photography Teppei Hori

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日常的な体験と所有の光景、人との関わり、本質への回帰 WDsoundsオーナー、澤田政嗣インタビュー -前編- https://tokion.jp/2021/06/10/wdsounds-masashi-sawada-part1/ Thu, 10 Jun 2021 06:00:48 +0000 https://tokion.jp/?p=36921 ハードコアとヒップホップ双方における東京のアンダーグラウンドシーンを先導しているレーベル、WDsoundsのオーナー、澤田政嗣へのインタビュー前編

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ハードコアとヒップホップ、その双方における東京のアンダーグラウンドシーンを10年以上にわたって率い、先導しているレーベル、WDsounds。そのオーナーである澤田政嗣へのインタビューを行った。現場主義と言える分野の当事者は新型コロナを経て、どういった考えに至ったのか。前編ではハードコア、ヒップホップの存在意義、特性から、まず考え直す。

鈍化した社会を切り裂き、切り抜けるためのインテリジェントな音楽

経済的困窮、治安の悪化、劣悪な生活環境。近代以降における栄光の象徴だった都市、アメリカ・ニューヨークは1970~80年代に窮地に陥った。ただ、アメリカに限らない人類史を大雑把に振り返ると、ヤバい時期を経由した後にこそ文化改革は起こる。大胆で華美なアール・ヌーヴォーが隆盛し、スペイン風邪を経て、簡素なフォルムを重んじるバウハウスへとデザインのムーブメントが移行したように。マルセル・ブロイヤーは掃除をしやすくするために、合板とパイプだけで構成されたシンプルな椅子を作ったといわれている。つまり、まばゆい装飾の魔術から解かれ、目を覚まして本質へと戻ったわけだ。

1970~80年代後にニューヨークで激化したのは、ニューヨーク・パンクの金字塔であるラモーンズよりも速く、うるさく、激しいハードコアのシーンだった。バッド・ブレインズ、マイナー・スレット。これらのバンドに影響を受け、ストレート・エッジのスピリットをもったアグノスティック・フロント、マッドボール、クロ・マグス、ユース・オブ・トゥディ、シック・オブ・イット・オール、ゴリラ・ビスケッツ……。そして後発にテクノのエッセンスを混ぜ込んだユース・コードがいる。プロパガンダとも捉えられるリリシズムに富んだ歌詞。シャウト。パワーコードのみの単純化したリフレイン。ファストビート。こういったハードコアたらしめる激的な要素をバウハウス、マルセル・ブロイヤーの事例と重ねるのは、果たして無謀なことだろうか。

ハードコアは不良の音楽ではない。もしそう思っているのであれば、一応のルーツである悪童による悪童のためのパンクのイメージが脳内に固着している。そのかさぶたを(少し痛くても)一度、剝がし落とすべきだ。鈍化した社会を切り裂き、切り抜けるためのインテリジェントな、反抗・反攻的な音楽。それがハードコアである。クロ・マグスのヴォーカリストであるジョン・ジョセフは、VICEが運営している音楽チャンネル、Noiseyのドキュメンタリーシリーズ「UNDER THE INFLUENCE」の中で以下のように語っている。

“(白熱化したライヴでのモッシュは)全員が入り乱れる部族の踊りに近い
ヴァイブやシーンが大事なんだ
パンク・ロックは不満ばかりを歌ってる
くたばれクソ野郎って
(そんな行為、言葉には)出口(=ソリューション)がない
ハードコアは問題の解決法を探ろうとする“
さらには「俺達は掃き溜めから傷ついた魂を釣り上げる漁師」だ、と。

同じくニューヨーク生まれのハードコア・ヒップホップバンドながら、ビースティ・ボーイズは上記の文脈に当てはめられない。それは当初、リック・ルーヴィンの“仕掛け”によって生まれたもので、ポップ・メジャーフィールドでも活躍していたからだろう。反逆的な白人のバンド・キッズがラップに惹かれ、それをリックが後押しした。キャリアの当初から大規模なライヴツアーを行った若きスター達は、パーティ野郎クソくらえと「Fight For Your Right」で高らかに歌ったのにも関わらず自らパーティ野郎に成り果ててしまい、やがて爆発し一時的に空中分解する。その後、リックの手から放たれた彼らはバンドという原点に回帰し、ピュアなハードコアソング「Sabotage」を作り上げる。そこから彼らはさらなる自由を求め、スタイルを解放し、ジャンルを横断していくが、ハードコアは彼らにとっても“掃き溜めから傷ついた魂を釣り上げ”るための音楽だった(はずだ)。ビースティ・ボーイズは正当なハードコアシーンという観点からの評価は低いかもしれないが、間違いなく当時のニューヨークのアイコンだと言ってしまうのは誤りではないだろう。ヤバい状況を突き動かすユース・カルチャーの代表であり、ハードコアと同時代に勃興したヒップホップのミクスチャーでもあるのだから。

「FEBBの『THE SEASON』を作った時、とにかくニューヨーク(へのオマージュ)にこだわりたかった」

東京のハードコア・ヒップホップのレーベル、WDsounds(以下、WD)がリリースしてきた数多くの作品の中で「特に思い出深い」と、同レーベルのオーナーでありハードコアバンド、PAYBACK BOYSのヴォーカリストのLil MERCYであり、ラッパーのJ.COLUMBUSでもある澤田政嗣が言う故FEBBのファーストソロアルバムは、まさに上述のニューヨークにおけるバックグラウンド、その後のニューヨーク産ヒップホップのスタイルにリスペクトを捧げ、それを日本語へと見事に変換した素晴らしい作品である(ということはわざわざ言うまでもないだろうが言っておく)。

『THE SEASON』の代表曲「THE TEST」のビートにJ.COLUMBUSがラップをのせた楽曲「Rainy Day」

「ヘルラップは減る一方だと思ってるんですけど、ヘルラップはここにあるよっていう感じで(from 『オタク IN THA HOOD』)」と、若きFEBBはとんでもなく巧みなリリックセンスを用い、アルバムの中にアジテーションを思い切りぶちまけていた。さらにFEBBという存在を興味深くさせるのが、『THE SEASON』が東日本大震災後、このコロナ禍には24歳で時が止まった亡霊が放っているかの如く、未発表のシングルが断続的にリリースされている(「SKINNY」「2 HOT」「ICY」、そしてDJ BEERTがニューヨークのラップデュオ、Square Offと共にFEBBをフィーチャーした「What I Want」など)ことである。ヤバい時に必要なのは、鬱々とした雰囲気を吹き飛ばす力強く、明確でシンプルな扇動/先導と、それを強固にする言葉や表現であると、過去と現在を照らし合わせると痛感させられる。

1970~80年代のニューヨークに、アール・ヌーヴォーに、スペイン風邪に、バウハウス。ラモーンズに、ハードコアに、ビースティ・ボーイズに、FEBB。なんでも良いのだが、一見、脈絡があるようでないこれらを点や1つの小さな塊として見ることも当然できる。しかし、関係のないようなことを脳内のタンクに貯め込んでおくと、時たまに結びつく瞬間が訪れる。今回、澤田と話をした内容は、そんなことや情報の価値、いかに情報を結びつけ表現をするかといったことだったりする。大切なのは澤田の言葉を借りれば「景色を見ること」。そしてその“景色”は、「見ることができなくなる可能性を孕んでいる」ということを認識しておく必要がある。本来は実際の街も建築も疫病の苦しみもライヴの激しさや楽しさもすべて観られれば良いのだが、それにはタイムマシンが必要だ。ここでいう景色は自室の書棚でも良いし、CD・レコードラック、今や行きづらくなってしまったクラブや店といったヴェニューでも良い。形骸化しつつある、日常的な体験と所有の光景、人との関わりを指す。

CDの“中”にあるもの、情報交換

澤田政嗣(以下、澤田):ウェブメディアって突如なくなる時がありますよね。いつでも読めると思って放っておくと。しかも、雑誌と違って探しても出てくるわけではないし。なので、自分のインタビューとか、自分が関わった記事とかはコピー&ペーストして手元に残しているんですよ。

――物質として残らないから、本当に消滅するんですよね。やはり、これまでのマーシーさん(=澤田)ご自身並びにWDの歩みは何かしらの形で残しておきたいという意識があるんでしょうか?

澤田:そうですね。物として残しておけば、例え俺の手から離れたとしても、どこかには存在し続けますから、おそらく。WDを立ち上げる前に別のハードコアのレーベルで働いていて、自分が当時やっていたバンドの音をそこから出していたんです。でも、そのレーベルはもうないから、今、改めてデジタルとかでリリースしようと思っても出せない。ただ、CDとかで残ってはいるんで。あと、紙として残っているものってアーカイブされたりするじゃないですか。そういうのをたまに買うんですけど(フライヤーなどがまとめられたスキンヘッズのアーカイブ本を取り出す)。これは物が残っているからできるわけで。おそらくフライヤーとかの作者に許可を取っているわけではないから、まとめて出すことの是非は分かれるとは思うけど。

――物質かデバイスかっていう話を音楽に置き換えると、今はサブスクで聴くことが当たり前になってきているから、表面のジャケットしか見ないじゃないですか。でも、CDやレコードの実物は、中ジャケにこだわっていたり、その中のテキストやスタッフクレジットといった重要な情報が詰まっているのに、サブスクだとそれに触れられない。

澤田:自分達はそこからエンジニアを探したり、どこでレコーディングをしているのかっていう情報を得ることが多いんですよ。作りたい音の理想形があって、そのエンジニアにお願いしたら近づけることができるんじゃないか、と自分なりの推測をして、実際に試したりするわけですから、CDの“中”にあるものは非常に重要。

――そこでいろんなことが繋がっていくっていうこともあるでしょうしね。やはりWDとしてはCDやレコードを作っていくことにこだわっていきたいんでしょうか?

澤田:デジタルでしか出していないものもあるんですけど、それはスピード感のためであって。CDという単位が好きで、そういうものは出し続けていきたいですね。

――少し話が逸れますが、長い期間レーベルを運営されていて、CDを買ってくれる人の数は変わってきているんでしょうか?

澤田:変わってはいるけれども、そうでもない気がします。そんなに大きな浮き沈みがあったわけでもないし。確実に支持してくれている層が常にいるっていうイメージですかね。

――ハードコアとかヒップホップっていう分野って、根強いファンがいると思いますし、そこからブレないというか。そんなに浮気性な人がいない印象があります。

澤田:そうですね。それと、自分達のCDなりを扱ってくれるところって、大きな小売店ではなくて、個人の人がやっている専門店が多いんです。店の人と考えていることを常に共感・共有し合い、意見の交換をしながらやっていますし。劇的に変化しないのはそういう部分が要因になっていると思います。

――そういった方々とはどういう風に繋がっていったんでしょう?

澤田:例えば昨年、愛知県の豊川市っていうレコード屋とかがありそうな場所ではないところに店ができた時(LiE RECORDS)、昔から知っている人から、うちのCDとかを置きたいって店主が言っているから連絡先を教えて良いかって連絡がきて。それで扱ってもらうようになったといったケースもあるし。あと、昔は勝手にサンプルCDを送りつけていましたね。良かったら聴いてくださいっていうちょっとしたメッセージを添えて。そのスタンスは今も変わっていないかもです。逆にメール添付でサンプル音源を送りつけたりはしないかも。知らない人から重いデータが送られてきたら、俺だったら警戒するもん(笑)。

――(笑)。確かに、スパムっぽいっていうか。CDの方が単純に嬉しいでしょうしね。

澤田:誰かとクラブとかで会った時に最近、こういうことやってるじゃないけど、良かったら聴いてくださいって挨拶代わりに渡せるのもCDの良いところですね。

――ヒップホップ、ハードコアたるものマッチョで荒々しくてっていうパンク的なイメージがもしかしたらあるかもしれないですけれども、実際はそうではなくて、最も愛があって、かつピュアなんじゃないかと。そういった愛が溢れ出ている店って結構ありますよね。個人的には“愛が溢れ出ている”感が伝わり切っていないもどかしさがあるんです。ライヴでは確かにモッシュがあったり、激しい側面もあるかもしれないですが、実際の当事者達は、とにかく真面目に好きでやっている、っていうことが正しい気がしていて。それが東京で最も感じられるのが、WDが作り上げているシーンですよね。

澤田:ありがとうございます。自分自身が店に溜まっていたタイプなので、わかりますね。俺は埼玉出身なんですけど、地元のコンビニにハードコアのバンドをやっている先輩がいて、そこにキャップかぶって行ったら、誰々から聞いてるマーシーってお前なんだっていう感じで繋がって。それから夜中、店が暇そうな時に行って、バンドとかいろいろ教えてもらったり。そういうところから始まって、中学から東京だったんで、原宿のUP STATEとかバンドの人が溜まっていそうなところに通って、とにかく情報を集めていました。同じように生活をしていたやつはそこからヒップホップに入っていったり。SUMMITから出したBLYYは中学の時の同級生なんです。他の人はソウルのレコードを掘っていたり、皆、違うことをするようになっていったんですが、情報を交換するのがとにかく楽しかった。どっちがフレッシュな情報をもっているか、みたいなところもあって。

――垣根がないところも良いですよね。ある分野においては排他的になる人もいると思うんですよ。自分達が良しとするものしか良しとしないというか。

澤田:みんな、おもしろいことを見逃していたら嫌だなっていう感じなんだと思うんですよね。すごい音楽って突如として現れたりするじゃないですか。わけわかんないものがサンプリングされているヒップホップとか、そういうものを積極的に探していた方がおもしろいかもって。と言いつつ、自分の中だけで追求していくと、だんだんとタイプが近いものを聴くようにはなってくるんです。ヒップホップ、ハードコア、ソウル、レゲエ、ハウスとか、いろいろと聴いているように思えるんですけど、それでも似通ってきちゃう時もあって。そういう時、知らないものを教えてくれる人と会ったりすると、一回一回、凝り固まったものを壊してもらえるんで。だから情報交換が必要。自分でレーベルやっていても、次第にルーティン化していくんですよ。それもたまに見直さないといけない。

澤田政嗣
1979年生まれ。音楽レーベルWDsoundsを主宰し、仙人掌、FEBB、CAMPANELLA、ERAらの作品制作に携わるほか、自身もJ.COLUMBUS名義でラッパーとして活動。またハードコアパンクバンドのPAY BACK BOYSではヴォーカルを担当。読書家集団「Riverside Reading Club」のメンバーでもある。
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店主の意志と顧客の意思が疎通する VIVA strange boutiqueオーナー、山口美波 https://tokion.jp/2021/04/14/viva-strange-boutique-minami-yamaguchi/ Wed, 14 Apr 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=27723 1970年代後半〜80年代初頭に勃興したニューウェイヴ。当時活躍していたミュージシャンのオフィシャルアイテムを新たに制作するVIVA strange boutiqueの山口美波の活動に迫る。

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解放を求めた潮流、ニューウェイヴ。その当時活躍していたミュージシャンにリスペクトを捧げ、当人達のオフィシャルアイテムを新たに作り、東京・奥沢にある小さなショップ、VIVA strange boutiqueで展開している山口美波の活動は、横行するプロダクト開発や一極集中する都市型の商売モデルから抜け出そうとしているようにも見える。態度はさりげないが、そのやり方は実に正しく、愛が溢れるものだった。

敬愛するアーティストへの恩返しと還元

今回はまず、ニューウェイヴという1970年代後半から80年代初頭に勃興した、儚くも煌びやかでダーティーな、矛盾すら混濁していたムーブメントの背景について話をしておきたい。世界的な意識の変革をもたらしたベトナム戦争、それに結びついた学生運動によって起こった五月危機。60年代後半、人々は抑圧や規律といったものによって強制的なしつけをしていた近代社会に(おそらく)辟易し、一斉にアゲンストし、解放を求めようとした。北欧を皮切りにポルノが解禁されたのは、そういった時代。一種の退廃を欲するようになったわけだ。その傾向の影響は芸術にも及んでいく。禁欲的なものやただ美しい風物、抽象画などではなく、簡単に言えば、タガが外れてめちゃくちゃになる。シンディ・シャーマンなどの前衛芸術、性的なイメージを写真という媒介を通して誇示したロバート・メイプルソープといった作家が登場し、ホラー小説、そしてニューウェイヴが台頭してきたのもその頃、あるいは以後である。過去の“抑圧の芸術”に対する批判、ニューウェイヴの成り立ち等が記されているのが、1975年に刊行された批評家、トム・ウルフによる著書『The Painted Word』(1984)。ニューウェイヴ・ポストパンクに分類されるバンドの中でも、特にストレートな表現をしていたと言ってしまって誤りではないであろうテレヴィジョン・パーソナリティーズの4枚目のアルバム名に冠された、同時代の証明と呼べる書物である。

The Painted Word by Television Personalities
℗ Fire Records Released 2002

縛りから解かれた表現潮流であるニューウェイヴは、DIY的な側面ももっていた。音楽のみならず、レーベルの運営、ジャケットのデザイン、衣装など、“作られた”世界ではなく、自らの手でそれを創る。先でテレヴィジョン・パーソナリティーズが“ストレート”であると形容した理由は、音楽のスタイルだけではなく、どちらかと言うと“DIY”な部分にある。テレヴィジョン・パーソナリティーズは、VIVA strange boutique(以下、VIVA)が最近コラボレーション、フィーチャーしたバンドだ。山口は同バンドについて次のように話す。

「セックス・ピストルズと同じ時代に特に活動をしていたバンドですが、ピストルズがマルコム・マクラーレンやヴィヴィアン・ウエストウッドによるプロデュースが大きく影響をしていたのに対して、テレヴィジョン・パーソナリティーズは完全にDIY。例えばジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーも、ピーター・サヴィルのアートディレクションによってバンドの世界観をより強固なものにしていますし、彼らのレーベルオーナーであったファクトリー・レコードのトニー・ウィルソンの貢献といった部分も、もちろん素晴らしい事象であり、美しい関係性だと思っています。けれども、テレヴィジョン・パーソナリティーズは少し別格と言える存在。とにかくDIYを貫いていて、例えばヴォーカリストのダン・トレーシーが自分でレーベルをやって自主盤を出し、ジャケットも自ら作っていました。本当の意味でのDIY精神をもったパンクバンドっていうところに強く憧れているんです」

VIVAが展開しているTシャツを中心としたプロダクトの最大の特長は、すべてがオフィシャルであるという点である(買い付けたものもある)。バンドTシャツは、時に高額で売買されるオリジナルも存在するが、ブートレグも数多くある、というかアイコニックなジャケットデザインがTシャツの上で一人歩きしている方がむしろ大半だろう。そういったものが横行し、まかり通ってしまっている分野であるわけだが、山口はとにかく「オフィシャルであることにこだわりたかった」と話す。

“ファッションというと、まず着飾るというイメージがあるが、ファッションとはほんとうは社会を組み立てている規範や価値観との距離感覚であり、ひいてはじぶんとの距離感覚であるとおもう”

これは、日本の哲学者である鷲田清一による著書『ちぐはぐな身体 ─ファッションって何?』(1995年、筑摩書房)の一文である。“規範や価値観との距離感覚”を得る(それは近づこうが遠ざかろうがどちらでも良い)ためのものがファッションであれば、ただそれらしいもの、好きなバンドのTシャツやそのバンドのメンバーなどが身に纏っていたファッションを模したようなものを着れば補完はできる。つまり、ファンとしての意思表示、嗜好の顕在化である。ただ、山口の目的はそこではない。いや、それもあるかもしれないが、“それ”を超えた至上の愛が彼女の原動力になっている。

山口が敬愛するニューウェイヴやポストパンクといった分野のなかからコラボレーションをしたいアーティスト、バンドを決め、門を叩くところからやり取りはスタートする。時にSNSからコンタクトを始める時もあるそうだ。警戒されないよう、ファーストコンタクトは特に慎重に行う。ただ、「オフィシャルのバンドTシャツを」とお願いするのではなく、金銭的な条件やデザインをある程度、固めてから提案をする。実態や姿勢をしっかりと表明し、アーティスト本人の希望を尋ね、反映させてきたことで、これまでにはないもの、かつアーティストも喜ぶものがやがて出来上がる。おおよそ、2ヵ月に1回くらいのペースで新作を更新していっているが、それでもまだまだ遅いと思っていると言う。

「私が作っているものは、いわゆるアパレル・ブランドともまた違うので、シーズンでは分けられない。なので、正解のペースがわからないんですけれども、作りたいと思うタイミング、テンションとかも含めて、もっと柔軟にできたらいいなとは思っています。私がコラボレーションをしたい、ポストパンク/ニューウェイヴ世代のアーティストは高齢になりつつあるので、ちゃんとお元気なうちに見てもらって、喜んでもらいたい。と考えると、もっと急がないと、と思っちゃうんです。私はファッションよりも音楽が圧倒的に好きということがベースにあって、アーティストに『還元』できる形でやりたいんですね。ブートレグでもグッズは作れるんでしょうけれども、『還元』はできない。彼等が望む形でものを作り出すことが第一です」

「還元」や「恩返し」。インタビュー中にたびたび山口が発したこの言葉こそ、VIVAを運営し、プロダクトを作る本来の目的なのである。

特筆すべき、すべてユニセックスというさりげなさ

山口の音楽体験はティーンエイジャーだった頃、早くに始まる。ソニック・ユースをリアルタイムで体験し、そこからサーストン・ムーア等が影響を受けたバンドなどを探り、高校生の頃にはヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、ヴェルヴェッツ)のギターパートをカバーしていた。入り口であるソニック・ユースのカバーから何故始めなかったのか、と尋ねると「もちろん好きなんですけど、なぜかはちょっと自分でもわからないですね。たぶん、オルタナティブ・ロック過ぎた……から? ヴェルヴェッツの方が比較的暗かったから、自分の志向に合っていたんだと思います」という答えだった。

山口のミュージシャンとしてのソロプロジェクトであるSHE TALKS SILENCEの音楽は、山口のキャラクターやウィスパーボイスが相まって、フェミニンという印象を抱く人が少なくないかもしれない。しかし、全体的に漂ってくるのは、ヴェルヴェッツから離れた後、ゴスへと向かったニコ的なダークネスや厳かさだと強く思っている。特にSHE TALKS SILENCEの音楽を興味深くさせたのが、アルバム『Sorry, I Am Not』に収録されている楽曲「There’s No」のノイズの中に囁きが潜んでいるかのような構造。ハードコアバンド、ストラグル・フォー・プライドのストイックな基本様式に近いように感じさせるものである。といったことを伝えると、山口は反論もなく、とりあえず笑ってくれた。

1960年代に誕生したヴェルヴェッツの評価を端的に述べることは(1985年生まれと、完全な後追いの筆者にとって)困難であり、誤ってしまう可能性が高いため臆するのだが、ひとつだけ言ってみたいことがある。それは(ルー・リードが嫌がったウォーホルの仕掛けだったとは言え)一瞬でもニコが在席していた両性混在のバンドだったことの重要性だ。ヴェルヴェッツ以降、隔てられた性が中和し始める。男性が女性的になり、女性が男性的になる。セックスアピールをあっけらかんとしてしまうスロッビン・グリッスルのコージー・ファニ・トゥッティはヴェルヴェッツ以降、ならびにニューウェイヴの非常にわかりやすい象徴だろう。

山口がファッションに関して最も影響を受けたのはスロッビン・グリッスル、サイキックTVなどの創設者、ジェネシス・P・オリッジだと言う。“彼”として生まれたジェネシスは、2番目の妻と容姿を近づけるために整形や豊胸、性転換手術を施し、“彼女”にもなったサード・ジェンダーであることは有名な話だ。ニューウェイヴにとって性の隔たりは不毛だったはずである。

「否定はしないけれども、そもそもガーリーと言われるようなものには興味がないんです」

VIVAのプロダクトは当然、すべて山口が指揮をしているものではあるが、女性に向けたものではなく、そのほぼすべてがユニセックスである点はさりげない特筆すべきことではないだろうか。それが意識的であろうがなかろうが。

「作りながら考えているのは、フィーチャーするアーティスト、バンドが本当に好きな人のこと。ファンの人達と自分自身が納得できるかどうかということ。自分は女性で30代なんですが、そこはあまり関係がないと思っていて。コラボしているバンドは男性ファンの人口が多いジャンルですし、世代も50代くらいの方がストライクだったりするので、てっきりおじさんがやってる店だと思われていることも多々あります(笑)。でもそれはそれで良くて、そういった「おじさん要素」も、自分のフィルターを通すことで、性別や世代を問わず、幅広い層に喜んでもらえるようにアップデートしたアイテムを作っていけたらいいなと思っています」

さらにはVIVAのプロダクトは国境をも越える。

「VIVAのプロダクトを買ってくださる方の7割が日本、残りが海外なんですけれども、SNS等で知ったお客さんが段々と増えてきていて。本人とやりとりして出来上がったオフィシャルだからこそ、アーティストご本人がSNSに投稿してくださって、それにファンの人達が反応をしてくれている。そういう人達って、カンも好きとか、クリス&コージーも好きとか、大体嗜好が近いので、その多くがリピーターになってくれるのもとても嬉しいです。でも実はこのまま作り続けていていいのかなと、コロナ禍で思っていました。Tシャツなどの洋服、特に私が作っているようなものって、まさに不要不急なものだなと。でも、海外のお客さんで『こういうリリースがあって、久しぶりにテンションが上がった』って言ってくれた方がいたんです。気持ちの面でお役に立てているという実感が得られた時、これまでちゃんとやってきて本当に良かったなって思えるようになりました」

VIVAが位置している東京の奥沢は、お世辞を言おうと思っても言えないほどに何もない。周りをしばらく歩いても住宅ばかりで、店舗があったとしてもこぢんまりした飲食店がポツポツと点在しているくらいだ。人の往来はあるが、大抵は駅に向かうか、駅を背にして家路につく人ばかり。東京の中心から外れた場所にあるわけでもないのに、何となく灰色の空気が漂っているように感じる。入り口の上に飾られている小さな「VIVA」のネオンサイン。主張する気もさらさらないと、その空気の中で、それこそさりげなく光を放っている。

「街のカラーが全くなくて、それが良かったからここに決めました。奥沢はカルチャー感が全くない場所なんです」

渋谷でも下北沢でも中目黒でも何でも良いが、街のカラーがある程度決まっていると、訪れる人は街という“括り”を求めに行く。しかしVIVAの場合は、ダイレクトに店に向かうため、目的がVIVAにしかほぼないと言って良い。店主のアーティストに対する意志と顧客の本当に好きだという意思がしっかりと疎通しながら成り立っている小さな商い。それ以上にベストな形は果たしてあるのだろうか。

VIVA strange boutique
2019年の春にオープン。世田谷区の奥沢駅から徒歩1分。ニューウェーブやポスト・パンクを中心としたアーティストのオフィシャルTシャツを始め、レコードやヴィンテージの雑貨などを揃える。同店の地下には、ギャラリースペースも併設されており、不定期でイベントや気鋭作家の作品展示なども行っている。

Photography Kazuo Yoshida
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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映画監督・三宅唱の1ディケイド 星野源のMV考察から始まる、“映画”を作り続けられる理由について https://tokion.jp/2020/12/22/sho-miyakes-first-decade/ Tue, 22 Dec 2020 11:00:13 +0000 https://tokion.jp/?p=14473 長編映画デビューからちょうど10年が経過した三宅唱。その時間を巻き戻したり、行ったり来たりしながら、まさにざっくばらんと映画について何を考えているかを聞いた。

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今時、フィルムでなければならないとか、鑑賞は映画館でなければならないといった、映画に対して断固とした決めつけをする人は珍しいと思う。が、しかし、この9月に映画館の入場制限が緩和されたとはいえ、半強制的な自粛のせいで娯楽は自宅のPCやテレビの中に収まり、ネットの動画配信サービスでは映画作品とお笑いの賞レースが同時表示され、結果、後者に誘われてしまうという状況になり、人との話でたびたび「映画ってなんだ?」という定義の探り合いをする羽目に陥っている。これは三宅監督と余談で話していたことだが、動画配信サービスで映画作品を観たとしても、かいつまんで見る、男子なら分かってくれるであろう(前置きをすっ飛ばす、あの)アダルトビデオ形式の見方をしてしまう。少なからず映画を特別視し、休みがあれば映画館に赴き、繰り返し観たいものはDVDがリリースされたらワクワクしながら必ず購入していた身としては、何ともだらしない有様である。せめてもの救いは三宅監督がやんわりと同意してくれたことくらいだ。

映画の起源における通説は、35mmフィルムの規格(デファクトスタンダード)を作ったアメリカ式のエジソンと、グラン・カフェの地下で上映、興行をしたフランス式のリュミエール兄弟に2分する。しかし、多くがデジタルに置き換えられ、視聴環境を問わなくなったため、いずれももはや、忘れられた過去になり、定義からは外れているだろう。車だってエンジンはモーターに代わりつつあるし、ハンドルは使わなくて済むようにもなってきているし、紙の地図は不要だし、歴史が100年もあれば、ツールやメディウムはどんなものであれテクノロジーによって変わっていく。では、映画を“作品”たらしめている本質は何か。

基本のキにあえて立ち戻って言うと、やはり構造、モンタージュ(≒編集)の妙になると強く思う。モンタージュという技法の裏打ちとなっているのは、フェルディナン・ド・ソシュールが19世紀の後半に確立した言語活動に関する理論である。詳細に説明することは避けるが大雑把に記せば、ソシュールはもともとは関連していない言葉をある文法規則に基づいて結びつけることが言語活動だと言った。現代の映画に置き換えると、ストーリーの全体像や圧倒的なスペクタクル、感動や驚きだけでなく、ショット、その構図、その台詞、あるいはその他の音(=以上が言葉)同士の組み立て(=結びつけ)の意図を探り、考えてみることこそが、映画の楽しみであり、鑑賞後に誰かと議論するべきテーマなのではないだろうか。故に、巻き戻したり、かいつまんだりすることができない映画館での鑑賞は、フルコースのようにぜいたくで尊い。

三宅監督の近作と言えば、Netflixオリジナルの連続ドラマ『呪怨:呪いの家(以下、呪怨)』(2020)が挙げられる。しかし、未見であれば、もしくは注視していなければ、自粛期間中に初めてDTMにトライして作り上げたという星野源の楽曲「折り合い」の三宅監督によるMVもよく観て欲しい。

会いたくても会えない、それでも日付は更新されていくといった甘酸っぱくも切なくもある歌。その内容と心情に一見、男女は呼応しているようで、実は全く関係がないようにも見え、さらには2人の時間が平行しているようで、していないようにも思える。つまり、分裂された時間、空間、2人の物語、それぞれをこまめに作り上げ、メタ・アイソレーションを組み上げているとも考えられるのだ。星野源のこれまでのMVと比較すると全く派手ではない同作に対して、三宅監督は「今までは、映画とMVを少し分けて考えているところがあったんです。主役は音楽だから、そこに映画をブツける必要を感じないというか、MVはMVとしてトライするのが好きで。でも今回は、楽曲や制作背景などを聞いた上で半ば直感的に、新作映画のようなつもりで撮らせてもらいました」と言っていた。それ以外、詳しくは尋ねていないが、映画監督として、“映画作品たらしめている本質”に忠誠をもち、それを非常にさりげなく主張しているように感じた。そういった態度を、三宅監督は活動当初から取ってきたような気もする。あからさまにすることなく。「折り合い」のMVは最新の端的なリファレンスだ。

ジャン=リュック・ゴダールのことを引用し、三宅監督の態度が歴史的に見ても正しいという気取った断定は、いささか躊躇するので控えたいのだが、残念ながら他の例がパッと思いつかない。

「ゴダールの映画とはじっさいどのような映画なのか。それは映画のハリウッド的約束事を一から問い直し、『経済的にも美学的にも』、またイデオロギー的にも物語的にも非ハリウッド的な映画をつくることである。たとえば『彼女について私が知っている二、三の事柄』の冒頭で、ナレーターは売春する主婦を観客に紹介するが、同時に、彼女がだれによって演じられているかも説明する。それによって映画は物語の水準(売春をする主婦の物語)とそれを可能にする「現実」の水準(仕事をする女優の「物語」)という相反するふたつの水準を同時に語りはじめるのである。~中略~(ゴダールの映画は)ハリウッド映画帝国が提供するいかなる視覚的幻惑も物語的快楽も否定する。~中略~『(ゴダール作品はハリウッド映画の)兄弟であり同志であり友であるような映画』である」(加藤幹郎著『映画の論理―新しい映画史のために』 2005年、みすず書房刊より)

ゴダールは、映画は音と映像の組み合わせでしかないと言い切り、それを強調するために従来の構造を解体する作品を数々作り、唯一無二の革命的な存在となった。それと三宅監督作品は同じなんていう無謀なことを言ってしまったら、シネフィルの方々に怒られてしまいそうだが、モンタージュの妙を重んじているからこそ、ヒューマンドラマを作ろうが、ホラーを作ろうが、ラッパーのドキュメンタリーを作ろうが、すべて三宅映画になる。さらにいうと、三宅映画の外面は綿密に構成された純粋なストーリーテリングで、“実験的”とレッテルを貼られがちなゴダールのものやその他とは異なり、スッと鑑賞者を引き込ませる魅力をもつ点、丁寧に作られた1カットの連携にすごみがあり、最大の特徴だと感じている。故に、秘めたるものは覆い隠されておりわかりにくい。また三宅監督は、印象に残っている作品として『アポロ13』や『ジュラシック・パーク』などを挙げ、あっけらかんと「あーいうの、やっぱヤバいよね」とか「いつかやってみたい」とか言うのだが、たぶん本意じゃない、否、リスペクトは込めているだろうが、おそらく作らないと思う。

以上の考えはインタビュー後に悶々と考えていたことで、実は長編デビュー作の『やくたたず』(2010)からちょうど10年が経ち、Netflixという巨大なプラットフォームの仕事をし、メジャーアーティストのMVまで手掛け、状況が大きく変わったんじゃないですか? という筆者の浅はかな勘違いからくる投げかけからスタートした。しかし、取材を快諾してもらった後、三宅さん(親しみを込め、以後、こう表記する)も「それをまず正そうと思っていた」とインタビュー冒頭に笑いながら話してくれた。三宅さん本人が秘めている考えは何なのか。

映画は瓦礫のような現在から思い切り脱却できる

――怒られるかもしれないですが、まず、ぶっちゃけてしまってもいいですか?

三宅唱(以下、三宅):もちろんです。

――『呪怨』は僕にとって全然怖くなかったんですよ、何度観ても。そもそもホラー慣れしていないので、あくまでイメージでしかないんですが、おそらく多くのホラー作品は観る人を驚かせたり、怖がらせる明確な装置があるように思っていて。三宅さんは当初より、リアリズムから見出すことができる美しさを捉えて、丁寧に組み上げ、それをいろんな題材でアプローチしているという印象があるんですが、『呪怨』にもそれがボトムにあった。だから、どんなにスプラッターがあったとしても、美しいとか思っちゃったんです。それはそれで寂しいことではあったんですが。なので、状況が変わったんじゃないですか? とメールで言っておきながら、ちゃんと考えると三宅さんの本質的な部分は何も変わっていなかった、と。

三宅:今、言ってくれた通り、何も変わってない、って言いたい気持ちがあるけど、どうなんだろう。まず、メールで聞かれた状況の話についていうと、10年前の自分が『呪怨』を撮っているとは想像してなかったから、変わったといえば変わったのか。でも、あんまり考えてないし、考えてもなぁってのが正直なところで。今後は目先のプランとか人生設計を考えた方がいいのかなと最近ちょっと思った瞬間があった気がするけど……いや、うーん。 本質的な部分については、1本1本は毎回違うことをやろうと思っていたから、変わりまくっているとも言いたいけど、結局似ていたりもするし、自分では分からないことかもしれない。これまで、作品1本1本をどうするかということでやってきたし、それで精一杯。それが一番楽しいことだし。

――「変わりまくっているとも言いたいけど」とはおっしゃいましたが、1本1本、作家としての本質を変えずに、真剣に向き合うっていう基本的なことが難しい世の中なのかな、とも思っていて。おそらく言い尽くされていることですけど、メディアが多岐にわたり、価値観や流行りの移り変わりが激しい中、それに適応していかざるを得ない気がしています。どんな分野においても。

三宅:昨日話題になったことを今日誰も覚えていないっていうことの虚しさはありますよね。しょうがないっちゃしょうがないけど。でも、多くの人が本気で悲しんだり怒ったりしたものとか、時間かけて考えないと意味ないようなことが、あまりにも一瞬で、跡形もなく流されて消えるっていうことがいくらなんでも毎日毎日繰り返されていくかのように感じる時は、本当に嫌な感じだなぁと思う。

ただ、映画をやっていることで自分は救われているかもしれないのは、そういったSNSのタイムラインのような消費速度に乗ろうとしたってそもそも無理って思っている、ってことかもしれないですね。映画は準備だとか時間がかかってしまうものだし、何かとすごいトロくて、流行りなんて間に合うわけがない。ただ、ポジティブに言えば、違う時間軸でものを作ることができるとも言える。現在とは違う場所への抜け道をコツコツ掘るというか。仮に今日撮ったとしても、発表できるのは来年とかだし、来年発表したとしても、皆がそのタイミングに観るわけでは決してなくて、50年後、100年後かもしれない。そもそも映画とか写真とか複製芸術というものは、現在という瞬間瞬間が日々瓦礫化していくことに対するちょっとした反抗でもあると思うんです。と、矛盾した言い方になるけど、ザ・ご立派な物語を「瓦礫だから」とか「瓦礫を無視するな」って指摘することも担えるし、瓦礫をちゃんと見つめることでもある。

なんにせよ、今日「だけ」に関心を寄せてもしょうがない気がしますよね。映画にとっても、映画に関係なくても。もちろん、いち人間として生きていくためには時流を無視することはできないし、世間知らずなおっさんにもなりたくないけど、時流に適応するかどうかは映画の本質とはそこまで関係ないんじゃないかなぁ。80年前の映画を観たり、100年前の詩集を読むと、全然違う時間軸に1日1回飛べる。そうすると現在の小さい波に溺れずに済む。今はこれが最新だ! とか言われても、いやいや50年前の映画でもうやっているし、そういう歴史の流れを受けて「最新」を捉え直したいとは思います。

まあ、映画は商売でもあるから、完全に時流や流行を無視できるわけでもないんですけどね。個人的には最先端で華やかなものを追うのも好きだし、思い切り時代に背を向けたようなものにも憧れるし、世間の期待として映画はそういうイメージを背負えるものであってほしい気持ちもあるけど、映画を作るっていう作業は、そのどっちでもない。中途半端なところで、地道にやる仕事。で、それで良いと思うし。それを受け入れないと映画なんてやれない。どんだけ急いでもあまりにも撮り逃すから。あ、思い出した、10年前はそれがすごいキツかったんだ! コマーシャルのメイキングカメラをやった時に、何もかも間に合わなくて、ろくに撮れなくて、家に帰って悔しくて泣いたことがあって。今はだいぶ鈍感になったというか、そもそもの態度が変わったかもですね。

――なるほど。

勝手にあふれ出たもののように見えて、そうではないショット

三宅:とか言いつつ、でも同時に、映画を作るおもしろさには、まだ誰も見たことがないフレッシュな人間とか瞬間を撮れるっていうのもあるけれど。役者というナマモノを扱う醍醐味はあります。

――そのフレッシュさはどう見極めるんですか?

三宅:体で反応するものだからなかなか言語化はしづらいけど……まず、オーディションがあるとして、役のイメージはそんな固まった状態で持ち込まない。自分が考えた円にハマる人を探す、ってモードではない。はじめ自分の頭の中には半円しかなくて、その人と会うことでどんな円になるかって感じで、それがおもしろいかどうかフレッシュかどうか見極める、と言えばいいのかな。OKとかNGを判断するのもそんな感じで、最初から頭の中にOKの形が用意されていてそれにハマるかどうかって感覚ではない。半円を準備して待ってはいるけど、撮影するまで全然分からない。事前に分かっていたらフレッシュじゃないし。

――再びの勝手な印象かもしれませんが、三宅さんは当初から、役者さんたちを完全にコントロール下に置くのではなく、対峙し、いかにして解き放つかっていうスタンスだと思っているんです。お言葉を借りれば、真円に三宅さんがしてしまうのではなく、半円のまま真円になる、あるいは歪むのを待つというか。解き放たれた人が偶然生み出した所作や表情、そういった点に特にフォーカスしているような気がします。

三宅:そういう印象は嬉しいけれど、でも監督って実はみんなそうじゃないのかな、とも思います。スタジオシステムが機能していた時代やアニメーションのことは知らないけど、今はほとんどの映画が、街中の隅っこでこそっと、折り合いをつけながら撮っているわけで、完全にコントロールなんて無理じゃないかなぁって僕は諦めているところがある。下手に真円なんて用意したらすぐ現実にぶつかってプランが破綻するから。それでへこんでいるうちに現場が終わっちゃう、っていうのを学生のときに経験して。その代わり、ナマモノを扱うことがおもしろいと思えたのは大きい気がする。ナマモノだから毎回違うし。

――現場を見ているわけではないので、正しいかは分からないんですが、三宅さんの作品ってあふれ出ているものが多い気がするんですよ。中でも色濃く出ているのが、『THE COCKPIT』(2014)。

三宅:出演している皆がもともと、あふれ出ちゃっているから。

――でも例えば、OMSBさんとBIMさんがシューズのボックスに落書きしながらしゃべっているシーンがあるじゃないですか。曲作りのバックを描くという主の目的にはなくても成立すると思うんですけど、あれがないと『THE COCKPIT』は映画にならない。あふれ出たからって拭い去るんじゃなくて、拾い上げ、組み合わせるのが三宅節なのかな、と。

三宅:そういうあふれ出ちゃうのを見るのは好きです。何もしてないに近いけど、あふれ出たものを受け止める良い感じのサイズの皿を用意する係ではあるかもしれない。ただ、劇映画の場合だけど、一見すると溢れ出っぱなしに見えるシーンでも事前に相談済みのケースもあって。例えば、『きみの鳥はうたえる』(2018)のクラブでのシーン。もしかしたら3人が自由に音楽を楽しんでいるように見えるかもしれないし、まあそういう印象を狙っているから、ここから先はわざわざ言う必要がないんだけど、どこに立っているところからシーンが始まるのか、どこからどこに動くのか、いつ動くのか、誰と誰がどの距離にいるのかっていうのはその都度ある程度決まっていて。あの日は良い空気だったから、言葉数こそ少なかったけれど。その上で、仕草だとかは役者たちの個の力ですよね。左足でボールをトラップするか、右足でトラップするか、そういう仕草みたいな領域はもちろんこっちが決められることじゃない。こっちにできるのは、ある仕草をしやすい環境を準備すること。そして、そういう個の力が目立つように撮ったり、つないだりして、ルールの方は隠そうとしている。仕草が語る映画にしたかったから。

サッカーの話だけども、サッカーってカオスにも見えるしスター選手の個がフォーカスされもするけど、基本的には、選手の動き方は事前に、オートマティックに動けるようなルールが決められていて。監督やコーチたちによって演出されている。もちろん、局面局面で個の力が爆発する瞬間がサッカーの醍醐味にはなっているけど、それだけで勝てるスポーツじゃない。でも、小学生とかアマチュアのサッカーの場合はそういう演出は効かない訳で、各選手の欲望がむき出しになって文字通りカオスになる。映画に当てはめ直せば、別に勝ち負けとかないからどっちでもいいと言えばいいというか正解はないんだけども、サッカーにグラウンドの中と外の関係があるように、映画にもカメラの前と後ろの関係があるわけで、サッカーみたいに、ルールや作戦として事前に演出できる部分と、役者という個に委ねる部分があると仮定して、その境界線が具体的にどこにあるか、っていうのは毎回考えますよね。それは選手とか題材によってその都度違う。映画でも何でも、何か共同でやろうとしたら、そういう境界線の引き方はありますよね。

――『ワイルドツアー』(2018)に関しては、少年少女に自由にやらせているわけではなく、演出をかなりしっかりされたという話を聞きました。

三宅:『ワイルドツアー』はガチガチにやってみました。リハーサルを数やったし、撮った素材をその場で一緒に見たりもしていたから。お任せとか即興の盗み撮りのようなことはない。いや、お任せな部分もあるにはあるんだけど、それを事前に伝えて、なぜお任せなのかを説明したりしている。彼、彼女らは職業俳優ではないから、カメラの前で不安な状況に置きたくなかったし、自分が何をやらされているかをなるべく分かっている状態を作ろうと思った。その方が、彼らの個の力というか、ワイルドな魅力は絶対に映ると思ったし。役者たちも僕と同じく創作者の一人だから、放っておくと、真面目に一緒にサッカーをしてくれる人もいれば、そんなサッカー嫌だって言って、勝手に野球を始める人もいるわけで。

――そうなった時はどうするんですか? 野球を始めちゃったら、野球やって良いよーって言うんですか?

三宅:今日は野球の方が楽しいかもねって、ノる時もあるし。さっきも言った通り、スポーツと違って勝ち負けはない世界というか、そもそも何が勝ちで何が負けか自体を自分たちで探して定義しても良い世界だから、見たことないスポーツできちゃったって全然アリ。それがおもしろければいい。

ずっと大学5年生のままっていうか

――話が戻ってしまうんですが、『THE COCKPIT』ってどういったきっかけで撮られたんでしたっけ?

三宅:愛知芸術文化センターがプロデュースをし、毎年1作品、映画を発表する取り組みを1993年から行っていて(勅使川原三郎の『T-CITY』が最初の作品。以降、ダニエル・シュミット、園子温らが参加している)、それに声をかけて頂いたのがきっかけです。そのテーマが一貫して「身体」で、ただ当時、よく分かってなかったんだよね。「何を撮っても身体じゃないの?」って思っていたくらいで(苦笑)。それで、ビートメイキングの過程を捉えた映像ってインターネット上にたくさんアップされていますよね。そういうのを観るのは前から好きで、これを大きいスクリーンで観られたら最高に気持ち良いだろうなあ、みたいなことを漠然と思っていました。それと、せっかくなら好きな人と仕事をしたいなと考えて企画を立てたんだけど、幸運なことにOMSBをはじめ、出てくれた皆が類まれなる身体の持ち主だった上に、ビートメイキングの方法もPCではなくMPCを使って身体で作ることが分かって、それで結果的にというか、半ば偶然に、テーマに正面から応えられたかな、とは思いますし、「身体」って有意義なテーマだなぁと今に至ってもじわじわ考える切り口になった。

――身体で作るっていうのはおっしゃる通りで、ヒップホップのビートって極論を言ってしまうとノリでしかないと思うんですよ。

三宅:良いこと言いますね。同意。

――良いノリでラップをするためのリズムを作るだけのためのものと言ってしまったら、ビートメイカーの人たちに失礼だとは思うんですけど、基本的にはそうですよね。ニュアンスとして、例えば90sっぽいとかはあるかもしれないけれども、そこに箇条書きできるルールはそんなにない。だから、劇中でOMSBさんがBIMさんに「ビートを作っている時、イメージどんな感じだったんですか?」って尋ねられて「無」って答えていた。あれ以上の答え、たぶんないですよね。

三宅:そうそう。やっぱり『THE COCKPIT』は自分にとってすごく大きな作品。

――よくいう、ターニングポイント的な位置づけなんでしょうか?

三宅:ですね。でも、毎作そうかな。1本の作品を撮り終えると、ようやく1つ歳を取れたような感覚があります。歳を取ると言うと経験値っぽいか。どっちかというと、生まれ直すみたいに、前の考えが破壊されて変わるような経験かもしれない。その感覚がやってくると、あぁ仕事したな、歳取れたな、と思えるかな。その手応えは長編に限らず、MVでも文章を書くことでも起きたりもする。

歳を取った感覚って、学校なら学年で明示されていたから意識できたけど、学校を出た後はあんまり分からなくなりません? 結婚とか出産とか、親の死とか以外で、節目ってなんだろう。会社員だったら転職とか昇進とか、何か実感できる分岐点があるんだろうけど、フリーランスだと、ずっと大学5年生のままっぽくもいけちゃって。自分の場合は映画を1本完成させる時だけが節目になる。自分で編集しているのもあって、長い期間をかけて自分のやったことを批判と検証することになるし、それで歳を取った気になるのかも。

――そういった自己批判、検証って当初からしていたんですか?

三宅:うーん……いつからかなのかはあまり覚えていない。小さい頃に振り返ってしまうけど、モノを作ったりするのは好きだったんです。実家のダイニングテーブルの裏面が落書きスペースで、そこに潜って上を向いて絵を描き続けていて。結局は、好き勝手そうやってものを作れればそれで十分な人間なんだと思う。でも、今は仕事だし、1人でやることじゃないし、それに映画史という歴史もありますから、批判も検証も必要になる。

最初の変わる変わらないの話に戻るけど、まあ自分の人生はさておき、世の中がどう変わってきたのか、これから変わるのか変わらないのか、っていうことに関心があるというか、考える方がおもしろいとは思っていて。映画を作ったり見たりしながら、映画とともにそれを考えようとしているんだと思う。あんまり伝わらないと思うけど、一応、そのつもり。で、10年前は瞬発力とか徹夜力があったけど、ある意味で隙だらけだったし、今は、コツコツやらなきゃなぁ、っていうモードです。1歩1歩ってよく言うけど、1カット1カットちゃんとやろう、っていう感じですかね。どっちかっていうとだらだらした一夜漬けタイプの人間だから、もう、すんごく面倒くさいけど(笑)。

三宅唱
1984年、札幌生まれの映画監督。一橋大学社会学部卒業、映画美学校フィクション・コース初等科修了。いくつかの短編を手掛けた後、2010年に初長編作品『やくたたず』、2012年に劇場公開第1作『Playback』を監督。第86回芥川龍之介賞候補となった作家、佐藤泰志の小説を原作とする2018年公開の『きみの鳥はうたえる』で、第10回TAMA映画賞 最優秀新進監督賞を受賞。近作に、Netflixオリジナルの連続ドラマ『呪怨:呪いの家』がある。また、建築家の鈴木了二との共同監督作品『物質試行58 A RETURN OF BRUNO TAUT 2016』や、山口情報芸術センター(YCAM)とそこに集った中高生たちと共に制作した『ワイルドツアー』など、活動は多岐に渡る。

Photography Teppei Hori

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本当のオーセンティックに立ち返り、無意味を追求する Dos Monosインタビュー -後編- https://tokion.jp/2020/08/24/dos-monos-pursue-meaninglessness-part-2/ Mon, 24 Aug 2020 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=3276 ニューアルバム『Dos Siki』をリリースした東京メイドの注目株、Dos Monosのインタビュー後編では活動の真の目的を語る。

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——話が戻ってしまうんですが広告について、あれはAbleton Live本国(ドイツ)の合意の下っていう話だったと思うんですが、どういう流れだったんですか?

TaiTan:大きい会社なんでダマでやると揉めると思って、こういう企画をやりたいんですっていうのを連絡してみたんです。それでまずジャパンのほうに連絡をして、そこを経由して本国にも許可をもらって。僕らが関係の深いDeathbomb Arcにも良かったらどこかに貼ってくださいって言っていたんですけど、コロナの影響で海外での掲載はなくなっちゃいましたね。本国の許可があったので、全世界で同じことをやっても問題なかったんですが。

没:俺、見に行けてないんだけど。荘子itは見た?

荘子it:俺も実物は見てない。

Taitan:でも、結構報告をくれる人はいたね。

——今、リミックスはどのくらい参加されているんですか?

荘子it:7、8人くらいですかね。

TaiTan:不思議な人があげてたね。

荘子it:ただのシネフィルだと思ってた、映画のつぶやきしかしてなかった人がいきなりDos Monosのリミックス作りましたってあげてて。お前マジか!って。

——掲載の意図は、クラブミュージックを発信する中心地とされていた、グラフィティも多い場所の中に、コンピュータライズされた画面が置かれているっていう、そういった違和感を演出したかったということでしょうか?

荘子it:そうですね。金はないけど、少しでもアルバムのPRになるようなものができたらと思っていて。それでみんなで打ち合わせをした時に、TaiTanからすぐ「荘子itのPC画面を出しちゃえば良いじゃん」っていうアイデアが出て、始めはビジュアルだけのつもりだったんですが、後でリミックスを付け足しました。
実は、自分で誰かの曲をリミックスするのはいいんですけど、人からリミックスされるのは、作り手としてのエゴとプライドがあってわりと嫌だったんです。でも発想の転換で、あえて雑に、原曲を完全には真似できない不充分な情報だけを与えてやったらおもしろいんじゃないか、と。そうすれば、俺達の原曲の価値を安売りすることにもならない。実際に出した後に公式でリミックスをお願いするんじゃなくて、勝手にみんなにやってもらい、その差を楽しむっていうやり方だったらおもしろいかなって。

——なるほど。興味深かったですよ。単なるDAWの画面がアートピースにも見えるっていうか、広告掲載枠がタブローっぽくも見えるというか。それが街中に置かれるっていうおもしろさもあるし。あのリミックスは特にまとめるつもりはない? 単なる遊びとして捉えてしまっていいんですかね?

荘子it:曲調は全然違うけど、BPMはみんな同じなんで、原曲のラップを乗せた状態で出せたらおもしろいなとは思っています。

ホントの意味での無意味を突き詰めることが目的

『Dos Siki』のトラック3、「Estrus」

——話が逸れますが、みなさんの原動力って何だという素朴なことをお聞きしたくて。おそらく多くのラッパー達は、嫉妬心やコンプレックス、あるいは憎悪、メイクマネーしたいっていう欲望とか、そういうものをバネにして言葉にしてるとは思うんですよ。Dos Monosの場合って、主張やアジテーションって特にはないのかなと思っていて。先ほどの広告の話然りですけど、いうなれば実験的なことをしたい、構造を改革したいんだっていう気持ちがあるかなと個人的には考えていて、かつ伝えるためには、荘子itさんがおっしゃっていたヘンテコな音楽ではなくて、ポップでなければいけないっていう意識もボトムにあるのかな、と。何を目的として、何をやりたくて3人で音楽を作っているのか、というのをお聞きしたいんです。

荘子it:勉強に挫折してからは、いかに勉強をしないかっていうことだけが原動力だったんで(笑)。勉強の次にしなきゃいけないことは仕事ですかね。そういった、当然するべきことを如何にしないようにするかっていう。それまでと言ってしまえばそれまでですけど。父親から「好きなことをしたいなら、やるべきことをやれ」って言われ続けてきたんですが、やるべきことってなんだって。やるべきことなんてこの世に存在しないだろうって思っていて。この世にやるべきことがないっていうことを証明するためだけに活動していると言っても過言ではないですね。
それを言ってしまうと、みんな、まあそうだよね、で終わらせちゃうんです。でも、そういうやつはわかってないんですよ。それは心のどこかで、何かに縛られて生きているから、気休めでまあそうだよね、って思うんだろうけど、そういうことじゃなくて、酸いも甘いも嚙み分けて、ホントの意味での無意味を突き詰めたいっていうのがありますね。一見、意味あり気なこともしますけど、それはあるメタレベルでは意味のあることなんだけど、最終的には無意味であることを明らかにするための行動です。

――なるほど。それは音楽に限らず、芸術全般に言えることでしょうけどね。

荘子it:ドゥルーズは芸術にはなんの情報も含まれていないって言ってましたけど、それを言っちゃうと、はいはい、そうだよねってなっちゃうんですよ。デュシャンでもなんでもいいんですけど、芸術なんて所詮ゲームや遊びだから、っていう結論に1回達している。でも、それが思想として波及することってメジャーにはなってないんですよね、いつまで経っても。無意味が好きな哲学者や芸術家がそれを愛でているだけ。美術館に行けば芸術ってそういうものって教えられるんだけど、たまにあるポップな強度をもっている表現だけが、大衆レベルで実現するっていうか。ニルヴァーナとかむっちゃ無意味ですよね。リア充からキョロ充まで、皆まとめて無意味にしちゃう感じがある。Dos Monosの音楽って言ってもそこそこポップじゃないですか。

——そうですね。

荘子it:でも、それは狙ってそうしているわけではないんですよ。自分の音楽遍歴を振り返ると結構不思議で。それはおそらく、自分の身体に他者が内面化していて、人の目を気にしていないつもりでも人の目を気にしているから。言い換えれば、人が気持ち良いだろうと思うものを、自分も気持ちいいと思い始めているんですよね。身体と心が分離しているっていうか、作曲中の心の中では実験精神があふれているんだけど、DAWに入力してスピーカーから返ってくる音は意外とチャラいっていう。そういうところがDos Monosらしさになっているような気がしますね。

——おそらく多くのリスナーは、みなさんのことを奇妙だとか奇才だっていう形容をしたがるけど、僕はよくまとまっているなと思うんです。異系で非凡ていうのは確かだけれども、これはさっきも言った通り、ヒップホップの形式で考えるからこそ、“奇”というワードを用いざるを得ない。

荘子it:ある程度、回数を重ねれば聴きやすい音楽の構造になっているとは思います。さっき言った通り、思想より身体が勝っている音楽なんで。結構赤ちゃんとか好きだと思うし。

——ではTaiTanさん、没さんもお願いします。

没:俺は楽しいからやってるだけですね。

荘子it:没はそうかもね。楽しくないとやりたがらないもんね。

没:でも、荘子itがさっき言ったことも、俺は全然考えてなかったけど、確かになって。俺の親父も同じようなこと言ってきてたから。それだけなわけねーだろともずっと思ってたし。ただ、それを原動力にしてるかって言われるとわからないけど。音楽が一番楽しいからやっているだけですね。その前にイデオロギーがくることってあるのかな。パンクの人達とか、楽しいからやってるだけだと思う。

TaiTan:よく聞く話ですけど、自分で見たいもの聴きたいものがなかったから自分達で作ったって言う人がいるじゃないですか。僕はそれに近いと思いますね。自分が心地いいと思うビートが荘子itのものだったっていうのがデカい。その主体となるのであれば、そんな幸福なことはないと。だから、没とニアリーイコールだと思います。もうちょっと原体験みたいなところから言うと、カウンターとして生まれてくるもの、つまり社会に対するリアクションとして生まれてくる表現が好きなんですね、ずっと。Dos Monosの音楽は趣向っていう点においても必然性があると思っているから、ずっと続けられそうな気がしています。

没:俺は生まれ出たものというよりもプロセス自体が楽しいからやっているけど、まあ似てる。

荘子it:TaiTanは結果主義だからね。

没:でもそうなると、意味が生まれちゃうじゃん。

荘子it:意味のあることはダメっていうわけではなく、やりたいことで結果を出すのにやりがいを見出すっていうのはあると思う。

TaiTan:そこが難しいよね。ある種、道楽的に生き甲斐を求めて音楽をやってる以上、当たり前過ぎるけど、その道楽をメンバー3人や協力してくれる仲間がストレスなくいろいろな人に聴いてもらうための回路を用意したり、制作費を調達したり、こういう取材を仕込んでもらう必要があると。現状、その役割を担うのが僕に偏りがちなのですが、あくまでDos Monosとしての本来の目的を叶えるためなので、苦じゃないですね。

誰よりもヒップホップらしいことをやっている自覚と自負

『Dos Siki』のトラック4、「Mammoth vs. Dos Monos」

荘子it:好きでやっているアングラな音楽を売れるようにしていくのは不純なようでいて、むしろそこに接続させようとすることが音楽のおもしろさにも通じると思うんです。それこそ、サンプリングによるヒップホップの音楽だって、元の作曲者が意図していなかった、必然性をもっていなかったものをつなげるおもしろさが絶対にあるわけだし。それは、ある視点からすれば不純かもしれないけれども、Dos Monosの音楽を不純だと言うハイソな人はそんなにいないと思うんですよ。一部いてほしいですけど、ジャズ使ってあんな音楽作りやがって! みたいな人が。

——僕は最初許せなかったですよ(笑)

Dos Monos:ハハハハハ!

荘子it:趣味のいい音楽愛好家からすると、それが自然かもしれないですね。

——「Fable Now」に使われているファラオ・サンダースのラッパの音とか、入れ方が大胆過ぎて、あれは聴く人が聴いたら怒りに繋がるんじゃないかなと思いますね(笑)。

Dos Monos:フフフ。

——でも、その不純さこそがサンプリングの醍醐味だとも思うし、みんながやっていなかったことを思い切ってやっちゃおうっていう、勢い、潔さが“らしさ”だと思うんですね。元々のルールというかムードというか、そういうものに縛られ過ぎているところから背を向けて逃走を図るっていう。Dos Monosのことをある程度理解できてからは、スタンスが軽やかで鮮やかだって常々思わされてますよ。

没:俺はDos Monosを客観的に聴けるから言うけど、他の人たちよりもヒップホップらしいことをやってるって思うんですよね、ホントの意味で。確立されたオーセンティックなものがあるけど、それより前のアフリカ・バンバータとかに立ち返るとキモいじゃん。

荘子it:全然ヒップホップじゃねーじゃんって感じするよね。クラフトワークかけてその上にラップするとか、どこがヒップホップなんですか! って(笑)。子孫まで返るとそうだよね。

没:ニューウェーブ的にやってる感じだよね。

荘子it:ラスト・ポエッツとかもそうだしね。

没:そうそう。ポコポコ鳴ってる自由なリズムの上でラップしてるだけ。

荘子it:バッドテイストなところがね。

没:バッドテイストなのかな? それが良いと思ってるんじゃないの?

荘子it:趣味が悪いけど、気持ち良いものっていう意味ね。

没:そういうことね。

荘子it:B級グルメみたいなね。フレンチシェフには怒られるけど、これが美味いんじゃっていう。

没;そうね。最初の人たちがそこまで考えてたかは知らないけど。まあ俺はホントのヒップホップをやってるって思ってるから、くやしいところあります。ヘッズの人たちに聴いて欲しいのに、全然聴いてくれないから。

荘子it:それこそが大問題で、自分たちがオーセンティックだと思っているものがオーセンティックじゃない問題ってあって。どんだけ偉そうなのって感じなんですけど(笑)。それを分かってもらうために僕らは活動しているんで。

なんて余計なお世話って感じ(笑)。

没:っていうか、荘子itの真の目的を明かすことってこれまでなかったよね。

荘子it:本当の目的だからね。そう簡単には言えないよ。

——そんなことを書いても大丈夫ですか?

荘子it:大丈夫ですよ。また次の真の目的を考えておきます。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』、2020年7月にセカンドアルバム(ボリューム的にはEPだが、当人たちはアルバムと語る)『Dos Siki』をリリースした。

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本当のオーセンティックに立ち返り、無意味を追求する Dos Monosインタビュー -前編- https://tokion.jp/2020/08/20/dos-monos-pursue-meaninglessness-part-1/ Thu, 20 Aug 2020 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=3258 ニューアルバム『Dos Siki』をリリースした東京メイドの注目株、Dos Monosへのインタビュー前編はヒップホップへの目覚め、ビート、都会について。

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まず余計な話から始めさせていただきたい。ロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーが、ロシア・バレエ団を主宰していたセルゲイ・ディアギレフの要請を受け、後にストラヴィンスキー初期三大バレエ音楽と呼ばれるようになる「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を創ったのは1910~13年、28~31歳という若さの時だった。その中でも今なお、とりわけ話や議題に上がるのが「春の祭典」である。なぜか。
「火の鳥」「ペトルーシュカ」も「春の祭典」同様に、原子主義という生命力への憧れを表現している点で共通するものの、比較的、甘美とされていた音楽から大幅なズレはなく、当時の観衆から熱烈な喝采を博すほどに好評だった。それに対して「春の祭典」は、現代音楽家の故・柴田南雄の『クラシック名曲 ベスト151』(1996年、講談社文庫)によると、「辛辣な音楽」「スコアの書き方は無骨」「洗練されたオーケストレーションではない」「(それらは)彼の若さからきている部分もある」「ことに拍子とリズムの面で、ひじょうに独特の手法をとっている」と肯定的に記している。しかし当時、「火の鳥」「ペトルーシュカ」の公演を観た人は驚いたのだろう。「春の祭典」は騒動になるほどに酷評を浴びたと言われている。
Dos Monosのインタビュー記事なのに、なぜストラヴィンスキーの話と思われるかもしれないが、先日リリースされたアルバム『Dos Siki』のトラック1が「春の祭典(The Rite of Spring)」をもじった「The Rite of Spring Monkey(春の猿の祭典)」だったからである。
『Dos Siki』のリリース前に彼らは、「火の鳥」「ペトルーシュカ」のように2つのシングル曲/伏線を用意していた。

軽やかなビートの上で、悲しみや悦び、絶望といった人間の基本的感情を、絵画を通して伝えようとしたマーク・ロスコから荘子itのバースが始まり、おそらく彼ら自身が創造の悦びを得て、何も気にせず、これから突っ走っていこうという気概と意志がうかがえる没のライムで締め括られる「Rojo(スペイン語で「赤」を指す。正しい読み方は、コロナ禍で自粛生活を強いられた現状を指して、“ロジョ=籠城”ではなく“ロホ=朗報”とのこと)」。

乱れたものこそ美だと言い切り、それを携え、アリとキリギリスのアリのように逞しく、地道にディストピア(ライムの途中で現れる「アルカトラズ」は、脱獄の物語であるクリント・イーストウッド主演、ドン・シーゲル監督作の『アルカトラズからの脱出』(1979)を指していると思われる)を抜け出そうと試みることがテーマだと考えられる、マーチのようにもとれる「Fable Now」。

この2曲の間に台湾のデジタル政策担当大臣、オードリー・タンのインタビュー音源がビートに織り交ぜられた「Civil Rap Song ft. Audrey Tang 唐鳳」が発表され、台湾のテレビもニュースとして取り上げるほど話題となった。しかし、これは黒鳥社を主宰する若林恵の計らいの元で行われた企画だったため、スピンオフと考えるのが筋だろう。
ヒップホップのビートは、至極一般的にはドラム音、上物と呼ばれるメロディ、ベースのループで構成されている。「Rojo」「Fable Now」もDos Monos印と言える奇妙な異音が乗っかっているものの、基本ルールに(一応は)基づいている。しかし、『Dos Siki』に収録されている4曲はいずれも大胆な展開を見せる上に、非常に緻密なのだ。それらはビートメイカーによるビートというよりも、荘子itというコンダクターがサンプリング並びにPCソフトを駆使し、ホーンやストリングス、ギター、キーボード、ドラム、はたまたインダストリアルのセクションを召喚させ、DAW(デジタルオーディオワークステーション、音楽制作用のPCソフト)という舞台にそれらを立たせたアグレッシブなオーケストレーションだと例えたほうが正しい気がした。そのくらいさまざまな要素が重ねられ、見え隠れする。
『Dos Siki』を一聴して思い出したのは、菊地成孔率いる大所帯バンド、DC/PRGがSIMI LABとコラボレートした時のこと(2012年にリリースされた『SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA』に収録)だった。そのぶ厚さ、野太さ、アグレッションのような脅威に近しいものをDos Monosは、たった3人で形にしてしまった。
DC/PRGの音楽(特にライヴ)には聴く人の足元をおぼつかなくさせるズレ、そこからの急激な整頓と盛り上がりによって観客を興奮させる構成の美がある。間違いなく、その土台には菊地が書いたスコアがあり、そこに日本のジャズのトッププレイヤー達が即興で塗り足しをしている。一方、荘子itの場合は、おそらく感覚的にやってのけている。洗練されているというよりも無骨だ。
以上をまとめると、冒頭に記したストラヴィンスキーが「春の祭典」に至るまでの流れと、音楽性も扱われ方も当然違えど、奇しくも重なる。Dos Monosの3人が20代半ばと、まだまだ若いという点においても。残すは大騒動くらいだろう。
『Dos Siki』の“Siki”は「四季」のことだと彼らは言っているが、筆者は「士気」や「式」、または「指揮」という意味も含まれているのではないかと、勝手に思っている。彼らの語り口は、ヒップホップで定められてしまったことを変えてやろうというやる気と自信に満ちあふれているように感じた。Dos Monos、最近退屈だから(安全な)騒ぎを起こしてくれ。

「曖昧に蓋してきたような何かを解き明かすため続けてくジャーニー」
―『Dos Siki』の終曲「Mammoth vs. Dos Monos」、TaiTanのリリックより

ヒップホップへの目覚め、削ぎ落しの挑戦

ーーまずは平凡な質問からしますが、制作を終えて今、どのような心境ですか?

没:録音はかなり前に終わってて、ミックス、マスタリングを経た完成版が届いたのはついこのあいだ(インタビューは7/24のリリース1週間前に行われた。ちなみにこの時点で筆者は音源を聴いていないので、悪しからず)。ようやく客観的に聴けるようになりましたけど、でもむっちゃ良いなって思ってます。

ーーファーストも完成度は高かったと、いちリスナーとしては思っているんですが、前回と今回とで、何か感覚的な差異というのはあったのでしょうか?

荘子it:前回は僕が大学生の時に作り続けていたヒップホップのビートが元になっているんです。その頃、ようやくヒップホップを好きになったというか、マッドリブとかJディラとかを聴いて、これはアリだなと思って表現手法として取り入れていたんです。さらに振り返ると、高校生の時はプログレやジャズが好きだったんで、打ち込みをし始めた頃はフランク・ザッパが晩年にリリースした『Jazz from Hell』っていうオールインストのアルバムのような感じを目指していました。つまり、大所帯バンドの編成を打ち込みでやるっていうことにトライしていたんです。でも、段々と収拾がつかなくなって、実験的なことばかりやっていてもしょうがない、と。それで、今の時代に多くの人が聴いている音楽の構造に自分のイマジネーションを落とし込めないかなって考えて、マッドリブがザッパをサンプル(『Rock Konducta, Pt.2』に収録されている「Stürmischer」)で使っていたし、それと似たようなアプローチでサン・ラなど、自分が好んで聴いていた音楽をネタで使うところから出発しました。それには、単にヒップホップのビートにすれば、それほど実験的なことに興味のない多くの音楽ファンにも響くだろうという魂胆もあったのですが、個人的な愉しみとしては、抜きやすいブレイクのある音楽とかじゃなく、例えばザッパもそうですし、晩年のギル・エヴァンスやマイルスのビッグバンドやオーネット・コールマンのフリージャズみたいな、音数が多くて単音を抜き出しにくいタイプの音楽から、いかにビートにして気持ちいい一瞬を抜き出すか、言うなれば、巨匠たちの録音物に残された無意識みたいなものを掘り当てて、いかに脱構築するかにやりがいを感じてました。
そういった流れで大学時代にビートを大量に作っていたんですけど、卒業間近くらいになって世に出したいっていう気持ちが湧いて。でも、ラップなんかしたことないし、ラッパーの友達もいなかったけど1人でやるのもつまらないなっていうのと、何人かいたほうが声色が変わって良いだろうっていうことで、中高の同級生だったTaiTanと没を誘ったのが、まず結成の経緯です。当時、TaiTanはヒップホップを聴いたことすらなかったんで聴かせるところから始めて、没は音楽のディグり仲間だったんでスムーズでしたけど。すみません、長々と話してしまいましたが。

ーーいえいえ。

荘子it:遅く目覚めた分、大二病を発症して、1ループだけで続く音楽ってなんて格好いいんだろう、って思っていた時期に作っていたのが『Dos City』のビートなんで、どこを切り取っても同じようになるのを狙ったというか。多少の展開はあるものの、自分の元の資質から言うと、あえて展開を削ぎ落していったものだったんです。

『Dos City』のトラック2、「20XX」

荘子it:『Dos City』のリリースと、その後の活動を経て、段々と展開が変わっていく、本来の自分が好きな方向性に解放していったのが今回。1曲の中での展開が多いんですが、そっちに挑戦したというよりかは、ループの音楽が逆に自分にとっての挑戦だったんです。アルバム全体の尺が前は35分で今回は15分と短くなったんですけど、ループが走ってる音楽ではなく、常に操作し続けている音楽なんで、受け取る情報量は前回と同等以上だと思っています。

ーーということは、トラックの構成、流れがまずあり、そこからリリックを作って足していったわけですね。

荘子it:そうですね。

ーーなるほど。では、4曲もすでにでき上がった段階で2人に渡した、と。

荘子it:後で付け足した展開もあるんですが、基本的にはそうですね。

ーーそれはコンセプトも然りですか?

荘子it:四季で4曲、春夏秋冬でやろうっていうくらいですね。自分1人でやってると作り込み過ぎちゃうんで、あえてボヤッとしたテーマを与えて、2人から返ってきた変なワードセンスを拾い、徐々に1曲を別の方向に逸らしていくというか。コードとテーマだけ与えてセッションするジャズ的な作り方というか。

没:前回はアルバムにするとも決めずに曲単位で作り、それをまとめて、コンセプトを後付けしたんです。今回はこのタイミングにこういうアルバムを出すぞ、って荘子itが決めてくれていたので、終わった感覚はかなり違いますね。

一番影響を受けたのはAbleton Liveのアーキテクチャー

『Dos Siki』のトラック1、「The Rite of Spring Monkey」

ーー今回、DAWとして荘子itさんが使われているAbleton Liveの画面を掲載した広告も話題になりましたけど、音楽を制作し始めた当初からそれをお使いなんですか?

荘子it:中学2年生の時にエレキギターで音楽を作り始めたんですけど、ギターの音をPCに録音するために、オーディオインターフェースっていう機材が必要で、それを買うとオマケでAbleton Liveのデモバージョンがくっついてくるんです。他にもいくつかソフトをインストールするためのディスクがついてきたんですけど、たまたま最初に取り込んだのがAbleton Liveだったんですよ。それで使ってみたら、録音ボタンが表示されてるから用途は満たせそうだなっていうのがまずわかって、さらにいろいろと見ていたら余計な機能がいっぱいあるぞ、と。
なんかシンセとかいろいろとあるっぽいけど、説明書もないし。しょうがないからポチポチやってると音が出てくる、みたいなところから始まって、そこから10何年の付き合いですね。Ableton Liveでバンドのデモとかを作ってたんですけど、進学校に通ってたんで高校2年生くらいでみんな、バンド辞めちゃうんですよ。一方の僕は勉強がとにかく嫌いでまったくしていなくて、成績はビリから2番目くらい。なので、高3の時も1人でAbleton Liveを使って曲を作っていたんです。

ーーでは、たまたまというかAbleton Live自体にこだわりはない、と。

荘子it:でも今思うと、Ableton Liveで良かったですね。DAWソフトっていろいろあるじゃないですか。広告掲載したのはアレンジメントビューっていうやつで、他のソフトと同じ横軸構造なんですけど、セッションビューっていうもう一種類の画面があって。

ーークリップがつけられるやつですね。

荘子it:そうです。サンプラーみたいに無限にループのクリップを貯め込めるやつで、ずっとそっちで作ってたんですよ。ただ、フレーズは貯め込めるけど、これでどうやって曲作ればいいんだろう、と思いながら(つまり、そのフレーズを組み合わせるには横軸での操作が必要で、当初存在を知らなかった)。でも、その時期があって良かったと思っていて、ループを組み合わる感じがヒップホップの作り方に向いていることが後でわかるんです。最初から横軸で作ってしまうと、展開を意識した作りになってしまうし。

ーー確かに、横軸で作り始めるとある程度、設計しながらになると思うけど、例えば速さの違うループをひたすら組み合わせていくと、ズレたり、どこかで予期せぬことが起きることがありますよね。

荘子it: 最初にコードをジャーンって弾いて、意図的に他の音を組み合わせたりするんじゃなくて、何も考えずに、とにかく耳だけを頼りに音を重ねたり、探っていったりすると、学理的にも離れたことができるし、細部1つひとつ取っても新しいことができる。なので、Ableton Liveにかなり助けられましたね。誰々に影響受けたとかよく言ってるけど、本当に一番影響を受けたのはAbleton Liveのアーキテクチャー。

ーー愛がありますね。Ableton Liveってその名の通り、ラップトップでライヴをやるためのツールであって、ループされているトラックの抜き差しで展開をつけていくっていうことが基本的な使い方だと思うんですよ。でも、そうではない使い方をされているわけですよね。

荘子it:そうですね。もともとはテクノとかのライヴに特化しているものだと思うんですが、そうとは知らず、Ableton Liveを使ってプログレを目指すっていう。

トライブ不明の人達がうじゃうじゃしている東京

『Dos Siki』のトラック2、「Aquarius (Ft. Injury Reserve)」

ーーそういった手法がDos Monosらしさにつながっているような気がするんです。僕の勝手なDos Monosの印象を言ってしまうと、むちゃくちゃ東京っぽいなって思うんですよ。いろんな表徴っていうものが織り交ぜられていて、それが出たり入ったりする。Dos Monosの音楽を聴いていると自分の所在がわからなくなるんですよね。何を聴かされているんだろうっていう、そこが良さというかおもしろさだというのを痛感しているんです。話を続けると、実は最初「ウワッ」って思ったんです。

荘子it:はいはい。

ーーでも、そのファーストインプレッションってこちら側のスタンスの問題で、ヒップホップを聴くっていう姿勢で聴こうとすると、なかなか聴きづらかった。そこから頭を切り替えて、例えば、Oval、Mouse on Mars、Animal Collectiveなどの、1990~2000年代くらいの賑やかで滑稽なエレクトロニカとか、そういうところに頭を切り替えると、これはおもしろいと。見え隠れするものが多いし、どこにいるのかわからないけど、ただただ身体が動く感覚がそれらと近かった。さらに、それをヒップホップの枠で捉えると、これまで当然なかったし、そこがおもしろい部分だっていう納得ができて、ようやくちゃんと聴けるようになったんです。当人たちの意識がどういうものなのかというのは気になるものの、そもそも意図なんてない方がよくて、みなさんがフィジカルにやってるからこそいいんじゃないかと。

荘子it:たぶん結構当たっていて、今言った固有名詞も好きな音楽ドストライクだし、わけわからないところに放り込まれている感じっていうのは僕自身が、作り手として感じているというか、感じようとしているところですね。自分の既知の行動理論に則ったフレーズを、僕はまったく打ち込まないんですよ。とにかくザッピング的に変な音を出して、そこに合う音をひねり出して重ねていく。重ね過ぎるから、そこから削ぎ落す試行錯誤をしているうちに、フレーズ、曲になりそうなものができあがる。そういう作り方しかしていなくて、そうじゃないとおもしろいものが作れないんですよね。
都会的って言ってましたけど、一般にはその言葉って洗練されたきれいなイメージだと思うんですよ。だけど、ホントの都会はわけのわからない人達がいろんな行動原理で生きているから。隣にいるやつがどういうトライブに属しているのかもわからないまま、空気感だけ合わせてコミュニケーションを取っている。バンド活動をしていた時も、ライヴハウスに出たりするといろんな文化圏のやつがいて、そういった中で揉まれて生きてきたし。さっき言った勉強に関しても、学校のテストの時もとにかく問題文の単語とか公理・公式のレベルで知らないから、無理矢理自分の脳内で成立させて解答をひねり出して間違える、みたいな。

ーー(笑)。

荘子it:何においても、こっちの手札がない状態で闇雲に立ち向かっていくことを、ひたすらにやってきたっていうのが大きいかもしれないですね。そういうスタイルだと、なんとか形にしようとしていくうちにズレてしまう。それを後で作品化する。俺らの音楽は、そういうふうに生まれたものでもありますね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』、2020年7月にセカンドアルバム(ボリューム的にはEPだが、当人たちはアルバムと語る)『Dos Siki』をリリースした。

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菅官房長官とDJ NOBUのパイプ役を務めた寺田学衆議院議員に聞く クラブの必要性、コロナ以後の活動、これからの政治に必要なこと https://tokion.jp/2020/08/13/the-need-for-clubs/ Thu, 13 Aug 2020 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=3074 クラブミュージックに思い入れのある人、いや、そうでない人にこそ読んで欲しい。社会、政治の誤りを正そうと奔走する、寺田学衆議院議員へのインタビュー。

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DJ NOBU、スガナミユウ(LIVE HAUS)、篠田ミル、Lark Chillout、Mars89によって発起された、ライヴハウスやクラブをはじめとした文化施設が休業する際の助成金交付を求める署名運動「#SaveOurSpace」。その活動初期に撮られた、菅義偉官房長官に真剣な面持ちで嘆願書を手渡すDJ NOBUとの異例な2ショット写真を見た人は多いだろう。そのパイプ役を務めたのが寺田学衆議院議員である。音楽好きとして知られ、以前はクラブやフェスティバルにも時間と状況が許せば赴いており、イヴェンターの友人も数多くもつ。2020年6月3日の「STUDIOCOAST」(そのクラブイベントがageHa)が始めたクラウドファンディングのシェアに発せられた寺田議員のツイートは、筆者の記憶を一気によみがえらせた。

「『ageHa』で踊った夜。帰りの『すき家』。赤いオクタゴンスピーカーを頭上に抱きながら、好きな音楽と仲間に囲まれた空間は至福の時でした。あの空間を救うために皆さんにもお願いを」

行かない人にとっては危なっかしい場所の代表格の1つに挙げられてしまうクラブやライヴハウスだが、愛好者がもっている思い出は素朴なものが多いはずだ。現地に行く前に友人や恋人と飲んだ酒。人であふれるフロア。目当てのアーティストが登場し興奮した瞬間。スモーク。ライト。レーザー。クラブを出た時に浴びた朝方の爽やかさ。帰り道。おそらくスポーツ観戦をする時と、さほど変わらないフロアの盛り上がりが最高潮に達した瞬間は、逆転ホームランに観客が総立ちで歓声を上げる時のようなものだろう。

そういった、日常からちょっとだけ離れた時間の過ごし方がはばかられるようになって久しい。いったん落ち着きを見せた新型コロナウイルス感染者の数は、東京に限らず、各地で再び増加の一途をたどり、さらに不安を煽ってくる。いつになったら明けるのかもわからないまま時がたつ一方だが、リスナーは待つことができても、現場に関わる人にとって“待つ”ことは死活につながる。

リスナーができる抜本的な解決策はおそらくなく、寄付をする、お気に入りのクラブ・ライヴハウスの配信があれば投げ銭をする、アーティストの曲を聴く、買う、再開されつつあるいくつかのイベントが安全であれば赴く。そのくらいの地道なことしかできない。しかし、それらがどれだけ役に立っているのかは正直、不透明である。あとは国のサポートに頼るしかないというのが正直なところだろう。

寺田議員は、そういった問題の先頭に立って活動をしていた。「#SaveOurSpace」は助成・補償という点では望むべき結果が得られなかったが、多くのアーティストが連帯し、署名をし、政治というこれまで目を逸らしていた領域に踏み込んでいったことは、とても誇らしいと感じた。さらには、アンダーグラウンドで底流している音楽を好きでいてくれる寺田議員がいること、関心をもってくれる政治家が現れたことは多少なりとも安堵につながった。もし誰も手を差し伸べてくれなかったら、いちるの望みもなくなっていたんじゃないだろうか。まだまだ戦いは続くが、この数カ月のこと、好きな音楽、交友関係などについて寺田議員に広く話を聞いた。

感性の集合体こそが議会である

――本当の意味での明るいニュースが、海外からも未だに届かない状況が続いています。頻繁にチェックをしているのですが、どこどこのフェスティバルが延期、中止、どこそこのクラブは閉店、営業形態の変更といったニュースが並びます。プレイヤーを支えるのはリスナーなわけですから、継続を手助けするにはどうすればいいんだろう、という答えが正直見えてこない。国に頼るしかないというところで「#SaveOurSpace」の取り組みがあったと思うのですが、非常に有意義だったと感じた一方で、無関心な人が圧倒的多数であることが明らかになってしまいました。

寺田学(以下、寺田):風営法の改正の時も感じたことですが、無関心というよりもやはり強い偏見があります。本質がわからないまま立法をしたり、行政の指導を決めたりするので、すっきりとしない結果になってしまいました。簡単な言い方をすれば、夜中に人が集まって暗いところで音楽を聴きながらお酒を飲んだら悪いことをするという、固定観念が崩れなかったんですね。“悪いこと”は起こり得るだろうけれども、それはクラブに限ったことではないですし、イベントが行われることによって新たなものが生まれる側面のほうが大きいはずです。

私は政治家として15年活動をしているのですが、2年間落選により政治の世界から離れていたんですね。その前に風営法の改善の立ち上げをある程度やり、動き始めた時に落ちて、戻ってきた時には概要ができてしまい、それ以上、私が触れられない状態になってしまっていた。

――確かに、何の関わりもない人が勝手なイメージで勝手に決めているという印象しかないですね。

寺田:僕が好きなクラブミュージックはヨーロッパにおいてはすでにメジャーになっていて、例えば、2012年に開催されたロンドンオリンピックの開会式ではアンダーワールドが音楽監督をしていました。そのくらい多くの人にとってなじみがあると、法改正においても、行政においても、こういった状況下においてもサポートがしやすくなるのですが。

――おっしゃる通りですね。ただ、どうしてなじみのないものになってしまったのか、というのが判然としないんです。現代の特に東京の文化形成において、電子音楽やフロアでダンスすることは密接だったと考えられます。それにもかかわらず、クラブカルチャーが隅っこに追いやられている。その理由が全くわからないんです。

寺田:大上段に構えて言うことではないかもしれませんが、日本人は喜んだり楽しんだりすることに対する背徳感を持っていると思うんですね。休んだり、楽しんだりすることが申し訳ないという感情を抱く人が、おそらく多い。子ども達も自由に歌えないし、踊れないし、決められたものの形の中でしか行動ができないので、社会のベース自体が楽しんではいけない、喜んではいけない、騒いではいけないという風になっている。ヨーロッパに行くと、おじいちゃん、おばあちゃん世代の人までクラブに行くわけですから、生涯をかけて楽しむ、その1つのシーン、場であるわけです。

日本人もみんなが楽しみたいという欲求をもっているはずなのに、世間体を気にしたり、教科書に書かれている道徳と言われる物事ばかりが求められることにつまらなさがあると思います。それを今回の新型コロナの問題は拍車をかけてしまった。今後、より一層のモラル、行儀の良さが求められるようになってしまう気がしますね。

――共産党の小池晃議員のYouTubeに登場した、「#SaveOurSpace」をフィーチャーした回(https://youtu.be/vMaPHwP5uBI)を拝見しました。そこでも話題となっていましたが、海外からの旅行者が夜遊ぶヴェニューといったらクラブなわけですよね。それを絶やすと、つまらない国だと思われてしまう、と。

寺田:おいしいものを食べて、夜お酒を飲みに行って、日付が変わったくらいでクラブに行って、音楽やそこで遊んでいる人達と触れ合うということは、旅の楽しみの1つのはずです。無事に新型コロナウイルスが収束し、来年、東京オリンピックが開催できたとしても、遊び場がない、さらには行儀の良さばかりを求められ、23時にはホテルに帰ってくださいと、もし言われてしまったら間違いなくつまらない思いをさせてしまいますね。

――そういったことに対して、国会議員の方々は危機感を持たないのでしょうか?

寺田:第一に関心がないんでしょうね。ナイトタイムエコノミーという夜間経済を促進させる取り組みが、東京オリンピックと連動して動いていたのですが、それもコロナでなくなってしまいました。他の国も手探りではあるものの、ヨーロッパに関してはクラブ/音楽シーンに対してとりあえず嵐が過ぎ去るまでは踏ん張って欲しいと、選別せずに思い切って財政援助をしていました。土壌全体に水をやって、どういう木が生えるのかわからないけれども与え続けて保つというのは、やはり本場だなと感じましたね。

――この国を動かす人々の意識こそが一番の問題ということですね。

寺田:国会も地方議会も、何百人と定数を決めて集まっているわけです。私は感性の集合体が議会だと思っているので、全員が関心をもっていることだけを“One of Them”でやっていてもしょうがない。人によって異なる感性がチャネルとなって集まると、社会全体を良くしていける可能性が生まれてくる。

他の人がクラブに行っていたのかどうかは正直わからないのですが、クラブが好きだった人間としてやらなければならない、と。小池議員を含め、クラブミュージック自体はよくわからないけれども、大切だと思ってくれる人が出てきてくれたので、あとはそういった方々の大きな力に任せようと思っていますが。ただ、官房長官にDJを会わせるというのは、なかなかな挑戦だったと思いますね(笑)。

交友関係、好きな音楽とクラブでの思い出

――DJ NOBUさんとはもともと、知り合いだったんですか?

寺田:いや、それまでお会いしたことはなく、リスナーの1人でした。「Rainbow Disco Club(東伊豆で開催されている野外音楽フェスティバル。以下、RDC)」の主宰者が友人なので、NOBUさんのDJはたびたび聴いていて。「#SaveOurSpace」からの陳情があって、ひと肌脱いでくれないかなと思いコンタクトをしてみたら快諾していただけたので、すぐに官房長官に連絡をしましたね。

――音楽好きということは知っているのですが、寺田さんはその現場に関わっている方との交友関係も幅広いですよね。そういったことや寺田さんご自身の音楽に関するバックグラウンドについて教えていただけますか?

寺田:妻も音楽が好きで、2人でよく行っていた「ageHa」の「CLASH」というテクノのパーティがあったんです。2011年、東日本大震災が起きた週末、それが行われる予定だったのですが、SNSに「CLASH」のオーガナイザーの荒木康弘が「海外のアーティストの来日が軒並みキャンセルになってしまうけれども、東京の夜は元気でいなければならないから頑張る」といったことを書いていたのを見て。当時、私は内閣総理大臣補佐官を務めていて、震災の対応をしている最中の息抜きに、職業も明かして彼に「頑張って下さい。イベントによく遊びに行っていたんです」とメールを送ったんです。初めは信じてくれなかったのですが、やりとりをするようになって、同じ年齢だということもわかって仲良くなり、彼を通して交友関係が段々と広がっていきました。「RDC」の主宰者もその1人で、荒木の奥さんが私の事務所の秘書をしていたり、不思議なつながりが生まれていきましたね。

――なるほど、おもしろい繋がりですね。聴きに行くのはテクノが多いですか?

寺田:そうですね。でも、ロックやパンク、ヒップホップも好きですよ。テクノをクラブに聴きに行くようになったのは大人になってからですね。確かによくクラブに行っていますが、仕事はちゃんとしてますよ(笑)。

――(笑)。ダンスミュージックが好きだから軟派というのこそステレオタイプですよね(笑)。お酒を片手に音楽を聴いて踊ることがなぜ、軟派なのか……。

寺田:また海外の話になってしまいますが、病気が治った母がサグラダファミリアを見たいと言ってスペインに連れて行った時、家族とイビサに宿泊し、音楽が中心となっているエリアを体感しに行ったことがあるんです。パーティアイランドって呼ばれたりしますし、スペインの中でも偏見が多少はある場所ですけれども、私が見る限りは、ただ老若男女が夕日をバックに音楽を聴きながら踊っている、幸せな光景が広がっているだけでした。

――そこに暮らしている人からすれば、お祭りの1つなわけですよね。

寺田:音楽は大きな観光収入にもなるし、その土地のブランドイメージにもつながります。「RDC」が行われている東伊豆の町役場の方と仲良くさせていただいているのですが、その方は一生懸命「RDC」を手伝っていて、徹夜で現場の面倒を見たりしています。誤解さえ解ければ、地域に貢献できるものだと思うんですよね。

――思い出深いアクトとかパーティはありますか?

寺田:うーん……自分が好きなものを選んで行っているので、すべて好きですけどね。アクトの間って無我夢中だから、記憶としてよみがえるのは、こぼれたお酒とかで床がベタベタになって自分の靴の裏が真っ黒になっていたこととか(笑)、「WOMB」だったら冷たいコンクリートが皆の息で湿っている感じとか、そういった音楽とは関係のないことだったりします。

――大した記憶ではないかもしれない思い出深いことが、何のリスクもなしに味わえなくなってきているというのは多くの人が抱えていることかもしれませんね。

寺田:音楽を聴いて身体を動かしたり、声を出したりすることは人間の本能としてあります。今回の新型コロナウイルスは間接的にそれを奪っていきますからね。人と触れ合うことを避けさせることは、生まれるはずだった何かをどんどん潰すことにもなる。

どんなことでも言ってほしい

――寺田さんが取り組まれている性風俗分野のサポートは現状、どのようになっているのでしょうか?

寺田:4、5月に休業補償が発表されましたが、そこで明文的に性風俗業で働く人が除外されたんです。それはおかしいと、菅官房長官と話をして政府の方針を再考させました。われわれのような永田町で仕事をしている人間は、性風俗で働いている人達がどういった家庭環境や経済状況で、どういった理由でそこで働いていて、今仕事がなくなってしまったら、どういった影響が出るのかということを、クラブミュージックの話と同様に想像しにくいわけです。風俗で働いている人=道を外れた人、くらいにしか考えていない。性風俗で働いている人に関しては、できる限り改善ができ、フリーランスで働いている方は持続化給付金がもらえるようになったので、多少なりともお役に立ったかなとは思っています。

アダルトグッズを販売している企業から相談を受けたこともありましたね。彼らが販売しているものは、お茶の間で見られるものでは当然ないけれども、みんなで会社を作って、社員の生活を支えているから何とか助けてほしい、と。性風俗業界に対して金融機関は貸し付けをしないことが多く、本当にお手上げの状態でした。連絡をくれた方はアダルトグッズの卸をやっていて、直接販売をしていないから法律上は借り入れが可能なはずなのだけれども、性風俗の一種ということで、コロナ支援を受けられなかった。ダメ元でいろいろな人に連絡していたうちの1人が私で、それから都議会の仲間にも相談して、何とか支援が受けられるように汗をかきました。

新型コロナウイルスの問題によって浮き彫りになったのは、そういった差別です。音楽業界の人達もあえて政治家や行政とは付き合わないというところがあったと思うので、助けを求めたい、いざという時にアプローチがしにくい、躊躇してしまうというのも明るみに出たと思います。

――そこのコミュニケーションを図ることができれば、後々はもっと良くなるのでしょうか? 簡単に言ってしまいますが。

寺田:みんなに政治に関心を持ってほしいと行儀良く思うわけではないけれども、この国で生活をしている以上、思っていることや困ったことがあったら、政治家に意見をしたり、助けを求める権利は当然あります。そこを躊躇なくやれる間柄を作ることができれば良いし、その間に立てる人がもっと多くいれば良いのかもしれない。私がどのくらいの役割を果たせているのかは分かりませんが、さまざまな経験を持っている人達が政治の中に入ってきてくれれば視点が増え、いろいろ動き出す可能性が高くなっていきます。

私自身が言いたいのは、どんなことでも言ってね、ということなんです。こちらはどんなことでも聞くから、というのが総意です。

――まだ声が届ききっていない感じはありますか?

寺田:どうせ助けてくれないんだろうという思いは強いのだと感じます。ただ、「#SaveOurSpace」の件でも根本的なところでは助けられなかったし、愛すべき「WOMB」も無期限休業を発表してしまったし……。どういう助け方があったのか、今でも正解を導き出すことが難しい。

当時、クラブやDJを助けてくださいと政府に言った時に、レストランなどの飲食店はどうするんだ、と言われたんです。しかし、せめて自粛要請を名指ししているところに関しては、補償をするべきだと未だに思っています。首を絞めておいて助けないというのはナシでしょう、と。

――そうですね。答えがわからなくてもそこに留まっているわけにもいかないでしょうから、何か困っていることがあったら、まず寺田さんに連絡・相談を、ということで良いでしょうか?

寺田:もちろん。助けられるのであれば助けたいですから。音楽が好きで、その中に身を浸していた人間なので、ある程度、言語や価値観が通じる部分はあると思っています。

寺田学
1976年、秋田県横手市生まれ。横手高校、中央大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。2003年、秋田1区から衆議院議員に初当選。内閣総理大臣補佐官在任時には、震災対応や雇用対策、待機児童対策、行政改革や社会保障の充実などに尽力。国会では、在外公館や海外進出企業の環境改善などの外交力強化、秋田産品の海外展開や秋田の魅力発信などの地域力強化、議員立法による多様な教育機会の確保などの人口減少や少子化対策に取り組む。秋田においては、秋田港の日本海側拠点港湾指定や日本海沿岸東北自動車道の開通、卸売市場や太平低温農業倉庫の整備などに尽力。イージス・アショアの新屋配備計画の問題について、国会質問や地域住民との協同を通じて反対の立場から取り組む。内閣総理大臣補佐官、衆議院外務・総務・内閣・財務金融・決算行政監視委員会筆頭理事等を歴任。現在、衆議院安全保障委員会委員、政治倫理審査会筆頭幹事、超党派フリースクール等議員連盟事務局長。5期目(無所属)。http://www.manabu.jp/

Photography Teppei Hori

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