大久保貴央, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/takao-okubo/ Mon, 14 Nov 2022 10:59:36 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 大久保貴央, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/takao-okubo/ 32 32 アーティスト、NAZEの作品に描かれた意味深なメッセージの謎に迫る https://tokion.jp/2022/07/17/interview-naze/ Sun, 17 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=127797 アーティスト、NAZEの作品に描かれた意味深なメッセージ。昨年行われた個展「URAGAESHI NO KURIKAESHI」を振り返り、その謎に迫る。

The post アーティスト、NAZEの作品に描かれた意味深なメッセージの謎に迫る appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
グラフィティカルチャーをベースに、ドローイングやスプレー、コラージュを用いた作風でストリートやファッションシーンから現代アートの領域までと、幅広く活躍するアーティスト、NAZE(ナゼ)。現在、個展『MUON MUON』が大阪の「YOD Editions」にて開催されている。

NAZEはグラフィティアートを軸にしていたが、ここ最近の作品の中で多く登場させるものは文字だ。それはグラフィティでいうタグやスローアップとは違い、誰かに対して何かを訴えかけているかのようなメッセージ性のあるものだった。例えば、「MIENAKUTEMO SUGUSOKONI ARUMONO」や「WASURETAKOTO WO WASURENAIDE」などがそう。NAZEは何をきっかけにこのようなメッセージ性のある作品を描くようになったのか。そして今、何を伝えたいのか。昨年行われた個展「URAGAESHI NO KURIKAESHI」を振り返ってもらい、NAZEのルーツとスタイルを追求する。

「WASURETAKOTO WO WASURENAIDE」というのは、忘れ去られたものからのメッセージであり、人それぞれ解釈が違う言葉

――まず2021年に開催した個展「URAGAESHI NO KURIKAESHI」は、非常に印象的なテーマに感じましたが、このタイトルにした経緯を聞かせてください。

NAZE:コロナ禍になって、今まで以上に政治に関する情報を目にすることが増えて、彼らのやり取りが「こう言ったら、こう言う」という揚げ足の取り合いのようで、それが表と裏の攻防のように感じたんです。まるで裏返しの繰り返しだなって。

――ニュースから得たインスピーションをそのままタイトルにしたのですね。

NAZE:はい。ここでいう裏と表というのは、カードのようにはっきりと表と裏が分かれているわけではなくて、表と裏って実はつながっているという感じなんです。物事を球体に見立てるとわかりやすいんですけど、自分から見えている部分が表で、反対側が裏になると思っていて、その場合って表と裏がつながっているんです。その球体に光を当てるとグレーになる間のグラデーションの部分、表と裏の間にあるグラデーションの部分こそ、実は大切なんじゃないかなと。このグラデーションの部分を「見えていない人が多くなっているのでは!?」って思ったんです。それで物事の裏側について考えるようになり、展示のテーマにもしたんですよね。

2021年に開催した個展「URAGAESHI NO KURIKAESHI」の模様

――具体的にコロナ禍で変わった部分はありますか?

NAZE:考え方や描くモチーフは変わったと思います。今までは、ちょっとダークな雰囲気を持ったドローイングがメインでした。例えば、カースト制度を表したような、ピラミッドなどの三角形のモチーフがそうでしたが、この展示では丸い作品が多くなりましたね。一見、単純な三角形に見えても、それが実は円錐になっているのではという考えの下、丸のカップや、球体、そしてその中にさらに丸い目など、いろんなものにある丸の精神の部分を表現した感じでした。

これまでの僕は、衝動的に作品を描くことが多かったんです。でもこの展示では描く段階から違いました。というのも、コロナウイルスの影響による自粛の期間に、過去の自分の作品と向き合うことが多くなり、描いた当時に考えていたことをまた改めて見つめ直していたんですよね。その向き合って出たものを、作品に落とし込みました。

――フェンスで区切られた部屋もあっておもしろかったです。この区切りにはどのようなメッセージを込めたのですか?

NAZE:あの部屋は、エントランスからフェンス越しに部屋の中を観られたんです。そのまま展示を進んでいくと、穴があって、そこから入れるようにもなっていて、中に入るとここだけ孤立したように展示を鑑賞できるんです。その時はフェンスの向こう側から、他の人達に観られるんです。さっきまではフェンスの向こうから観ていたのに、今度は自分が観られる側になるといいますか。なので、鑑賞者と監視されている側の立場が逆転してしまう部屋なんですよ。干渉していると思っていたら、自分はいつの間にか干渉される側になってるみたいな。今の監視社会の中ってそういう感じなのかなと。いつのまにか監視されている状況みたいなのを、あの空間では表現してみました。

――逆にコロナ禍前から変わっていない部分や、作品を作る上で大切にしていることはありますか?

NAZE:昨年の展示でもそうでしたが「自分の心とちゃんとリンクできているのか?」ってことですかね。自分が何かに関して感じた怒りや悲しみ、嬉しさや明るさとか、もっとたくさんあると思うんですけど、そういう言葉にできない気持ちみたいなものと、その時にリンクがちゃんとできているのかを意識しながら作品は作っています。

――アートワークの表現手法がさまざまなのは、意図しているのでしょうか?

NAZE:基本はドローイングがメインですが、コラージュをしたり、立体物を作ったり、人形を作ったりと、自分の感情を表現しやすい手法を取っている感じですかね。手法や場所などに固執しないように、いろんな界隈を自由に行き来できるようなもののほうが好きなんですよ。その中で、人が観た時に「この絵、なんかちょっといいかも」とか「どこかに引っかかる」みたいな、そういうことを意識していますね。

――NAZEさんの作品ではグラフィティでいうタグ以外にも言葉の入った作品が多いですよね。

NAZE:そうですね。ここに3年では意図的に入れています。もともとは「NAZE」ってタグを入れていたんですけど、ここ最近は、「WASURETAKOTO WO WASURENAIDE」って文字を入れることが多いかもしれません。

――それはどういう意味なんですか?

NAZE:数年前に実家に帰った時に、甥っ子と姪っ子を散歩に連れて行った時のことなんです。日が暮れてきて、帰ろうとした時に甥っ子が、葉っぱを1枚くれたんですよね。でも暗くなってきたこともあって、早く帰らないとと思い、その葉っぱを取り上げてポケットに入れて帰ったんです。それで、その次の日に実家から東京に帰る途中、何げなくポケットに手を入れたらその葉っぱが入っていたことに気が付いたんです。よく葉っぱを見ると、虫に食べられた跡があって、そこが茶色、黄色、緑、赤のようなさまざまな色に変化をしていたんです。

しかも、そこに朝日が差し込むとすごくきれいで。それであの時、甥っ子がこのきれいな葉っぱを、僕に見せようとしていたことに気が付いたんです。でも、僕はそれに気付かずに、その葉っぱを取り上げてしまい……。本当は表現者として、そこに気が付いたり、何かを感じたりして、大事にしなきゃいけないことなのに、大人の事情で葉っぱをただ取り上げてしまったんですよね。きれいなものを観る心っていうか、心のゆとりというか、そういった大事なことを忘れてたなって感じました。もう忘れてたことすら忘れてたなみたいな……。それで「忘れたことを忘れないで」という言葉が頭に浮かんだんですよ。それで絵の中に「WASURETAKOTO WO WASURENAIDE」という自分に対しての問いをメッセージのように描くようになったんです。

「WASURETAKOTO WO WASURENAIDE」って、特定の物事への決めつけのメッセージではないんですよね。なんかこう、忘れ去られたものからのメッセージといいますか。その体験は人によって違うはず。それもすごくいいなって。「すぐそこにあるもの」という言葉も、すぐそこにあるものは、人によってまったく違うじゃないですか。そんな言葉を入れることが多くなりました。

――他にも「FUTARI MADE」という言葉もおもしろいです。

NAZE:「FUTARI MADE」って「2人まで」とも「2人メイド」とも読めますよね。それって、2人しか入れないのか、または2人で作った場所なのかとも解釈ができる。他にも「ME TO ME」なんかもあって、「目と目」なのか「ミー トゥ ミー」なのか。いろんな解釈が生まれる。そういった言葉遊びが好きなんです。

ストリートや街にはヒントがあって今も昔も探し続けている

――そもそもNAZEさんがアートを始めたきっかけとは?

NAZE:グラフィティとの出会いでしたね。中学校の下校途中、毎日通ってる田んぼの道に小屋があったんですけど、そこに一夜にしてグローアップが描かれたんです。昨日までなかった絵が急に描かれていて、当時の僕にはそれが何かもわからず、とにかくカッコよくてヤバいって思ったんです。

――そんなグラフィティとの出会いがあったんですね。そこからはストリートカルチャーにどっぷりですか?

NAZE:そうですね。あとは友達とスケボーをするようになったんですけど、ある時地元の茨城にもスケートショップができたんです。その店内で観たスケートビデオの中に、あの時田んぼで見たスローアップと同じモノが映っていたんですよね。それであの絵がなんなのか店員に聞いたら、「グラフィティっていうスプレーを使ったストリートアートなんだよ」って教えてくれて。これをきっかけにスプレーを買って、見様見真似で絵を描くようになりました。

――ちなみに最初に何を描いたんですか?

NAZE:平仮名で「らいと」って描きました(笑)。「正しい」という意味のライトなんですけど、正しいスペルがわからずで、文字数も多いなって思って、平仮名で「らいと」って描きました。

――グラフィティは独学ですか?

NAZE:いえ。そのあとはグラフィティをやっている先輩が知り合いにいたので、その人からグラフィティは名前を主張することだというとをはじめ、さまざまなノウハウを教えてもらいました。スタートは「MIZONMIZON(ミラゾ)」っていう名前でした。

――どのような意味が含まれていたんですか?

NAZE:「MIZON MIRRORZONE」の略です。壁は自分を写し出す鏡っていう意味を込めました。壁って自分を写し出す鏡だと思うので。でも「MIZONMIZON」っていうタグが鏡世界を表しているなんて、パッと見では誰にも伝わらないじゃないですか。なんか主張になってないかなって、それで新たに思いついたのが「NAZE」でした。

――それが当時の主張だったのですか?

NAZE:はい。当時はまだ中学3年生だったんですけど、家族関係や学校の友達関係など、うまくいかないことに対する怒りみたいなモヤモヤしたものを感じていて。「なぜうまくいかないんだ。なぜだ! なぜだ! なぜだ!」って。その気持ちこそ、自分の主張なんだなと。それで「NAZE」です。

――友人や周りの人がいたことで、今のNAZEさんが誕生したのですね。

NAZE:田舎だったので、周りには何もないし、地元の仲間と自分達でカルチャーを見つけていった感じですね。地元のツタヤでCDを借りて、みんなで聴きながら、スケボーもしたりして。それでいろんなことを学びました。ストリートや街にはヒントがあるなって当時からも今でも感じています。グラフィティがポツンとあったりとか、誰もいないパークがあったりとか、なんかそういったものを見ると、これってなんだろう? ってなるんです。そういうのを自分達で探していきました。

――仲間といえば、NAZEさんは「contact Gonzo」というクルーでも活動されています。まだまだ日本では認知度が低いパフォーマンスアートをやっていることもあり、界隈では気になっている人も多いようですね。どんなクルーなんですか?

NAZE:プロデューサーである塚原悠也さんが2006年に結成した集団で、殴り合ったり、倒し合ったり、ある種格闘技にも見えるような激しい体の接触をパフォーマンスで表現しています。新しいアートの価値観などの言語で解釈しきれないことを、触れるという生々しい視覚表現でパフォーマンスしているんですよね。2007年に「吉原治良賞記念アート・プロジェクト」に参加以降、多くの国際展や芸術祭にも参加しています。2013年にはニューヨークの「MoMA」でもパフォーマンスを発表しました。

――NAZEさんがクルーに入った経緯は?

NAZE:2011年に京都にいる「Graffiti Reseach Lab」というチームのインスタレーションにグラフィティ要員の1人として呼ばれたんです。そこに「contact Gonzo」も参加していて、塚原さんに会いました。彼が僕も大きな影響を受けたグラフィティアーティストのネックフェイスのTシャツを着ていて、それで意気投合したんですよね。僕の絵を見せると気に入ってくれて、それで声をかけていただきました。

――「contact Gonzo」の活動は、個人のアートワークに影響を与えていますか?

NAZE:最近、描く絵がすごく体を動かし合っていたりするので、影響されていると思います。

――では、最後に今後の活動について聞かせてください。

NAZE:ドローイングをはじめ、さまざまな作品を今後も変わらずに作っていくんだろうなって思います。その中で、ここ最近よく描いている抽象的というか、自動筆記的に体を使ってスプレーでモチーフを描き上げていくっていうスタイルをどんどん突き詰めていきたいと思ってます。あとは、大きいスタジオがほしいです。本当に大きなスタジオ。どこかに支援してくれる人いないですかね。毎月新作を寄付するのでスタジオ貸してください(笑)。

NAZE
1989年生まれ。茨城県出身。グラフィティカルチャーをベースに、触覚的な筆致で描かれるドローイングやスプレー、コラージュを用いたペインティングや、廃棄物を使ったオブジェ、テキスタイルワークなど、さまざまな手法で作品を制作。「Contact Gonzo」の一員としても活動する。近年の主な個展に、「KOREKARA NO KOTO」(2021)、「KOREMADE TO KOREKARA」(2021)、グループ展に「minus tempo」(2020)、「Slow Culture」(2021)などがある。
Instagram:@naze.989
Twitter:@naze_e_kill

■NAZE『MUON MUON』
会期:〜7月22日
会場:YOD Editions
住所:大阪府大阪市北区西天満 4-5-2 老松ビル2F
時間:13:00‒19:00
休日:土曜、日曜
参加アーティスト:
http://yoded.com

Photography Takao Okubo

The post アーティスト、NAZEの作品に描かれた意味深なメッセージの謎に迫る appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「好きな人にしか見せない下着」だから変えられる――ジェンダーフリーアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」で渡辺万美が伝えたいこと https://tokion.jp/2022/02/05/bushy-park-bambi-watanabe/ Sat, 05 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=92583 グラビアモデルの渡辺万美が展開するジェンダーフリーアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」に込めたメッセージ「性別によるカテゴライズをせず、誰が履いてもいい下着」とは。

The post 「好きな人にしか見せない下着」だから変えられる――ジェンダーフリーアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」で渡辺万美が伝えたいこと appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
グラビアモデルとして活動し、2019年には海外雑誌「PLAYBOY」の表紙を飾り話題を集めた渡辺万美。彼女が2019年に始動したジェンダーフリーアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク(Bushy Park)」は、「性別によるカテゴライズをせず、誰が履いてもいい下着」を提案している。そのアイテムは、股間中央部分に “PLEASE ACTIVATE”や“Click here”などのメッセージが刺しゅうされた遊び心や、性差を感じさせないポップなカラーリングが特徴だ。
彼女が、難しく捉えられがちなLGBTQ+の問題へのアンチテーゼのようにも感じられるデザインの下着とともに目指しているのは、身体的な特徴を超えて着たいものを着られる、受け入れられる多様性だと話す。
好きな人にしか見せない下着、人間の内面に一番近い衣服であるアンダーウエアを性差なく展開する「ブッシー・パーク」を通して渡辺万美が伝えたいこととは。

性別によるカテゴライズをせず誰が履いてもいいジェンダーフリーな下着

――海外雑誌「PLAYBOY」では表紙を飾り、PLAYMATE(同誌のモデルのこと)に就任するなど、グラビアモデルとして活動されてきた渡辺万美さんですが、現在は“ジェンダーフリー”を掲げるアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」のディレクターとして精力的に活動されています。なぜまたブランドをスタートさせたのですか?

渡辺万美(以下、万美):高校生の頃から、グラビアモデルや下着モデルのような露出が多い仕事をしてきたのですが、それ以外にも自分で事業をやりたいなって考えるようになったことがあったんです。具体的に何をやるか悩んでいましたが、仕事で着てきた下着を使った事業だったらできるかなって思ったのが、最初のきっかけでした。

――高校生からグラビアモデルや下着モデルをされてきたんですね。

万美:はい。2008年に開催されたトリンプ・インターナショナル・ジャパン主催のヒップコンテストの日本大会で優勝したんです。それでグラビアアイドルが中心の芸能事務所にスカウトされて、高校生の時に芸能界デビューしたんです。

――「PLAYBOY」の表紙を飾ったのは日本人初と聞きました。出演までの経緯を教えてください。

万美:3年ぐらい前にオーディションを受けたんです。当時、日本でのグラビアモデル達がファンに媚びるような感じに悩んでいたんです。黒髪の妹キャラのほうがいいとか、髪の毛を染めてはいけない、メイクは薄くしないといけない、肌は焼いてはいけないって。それってすごく嘘の自分だなって思っていました。そのタイミングでニューヨークに行った時に「このまま日本のメディアにいたら、自分がダメになってしまう」と実感したんです。それでインターナショナル版の「PLAYBOY」のオーディションを受けることにしました。

――なぜ「PLAYBOY」を選んだのですか?

万美:高校生の頃から、女性の体ってすごく美しいなと思っていろんな雑誌を集めていたんですが、その中でも海外の成人向け娯楽雑誌が好きだったんですよね。特に「PLAYBOY」に出演しているモデルの方はきれいで尊敬していました。

――「ブッシー・パーク」では「PLAYBOY」とコラボレーションをしていますよね。これはPLAYMATEになったからこそ実現できたのですか?

万美:コラボレーションは、PLAYMATEとしてのコネクションがあったらからではないんですよ。ただ私がPLAYMATEになれたから、せっかくなら私のブランドでも、あの有名なウサギのロゴを使いたいなって思ってお願いしました。するとブランドのテーマやデザインに共感してもらえて、オフィシャルでのコラボが実現したんです。

「ブッシー・パーク」 × 「PLAY BOY」ブランディング映像

――その「ブッシー・パーク」では、「性別によるカテゴライズをせず、誰が履いてもいい下着」をコンセプトに掲げています。ジェンダーフリーにはなぜ着目されたんですか?

万美:最初に下着を作ろうと思った時は、自然とレディース向けのブランドにしようと考えていたんです。でも理想の下着のデザインを考えたら、予算的に現実的ではなかったんですよね。そこで一旦白紙に戻すことにして、男性用の下着の型で試作品を作ってみたんです。すると作っていくうちに「これって女性が履いてもかわいいかも」「私も履きたい!」って思うようになりました。さらに偶然ですが、ブランドを始めるにあたりお願いしていた私の幼馴染のデザイナーが、LGBTQ+の当事者だったこともあって、ジェンダーフリーのブランドにすることにしたんです。

――そういえば、アメリカの映画やドラマでは、女性が男性用のブリーフを履いている姿を見かけることがあります。

万美:そうなんです。アメリカでは、女性がブリーフを履いているのは、珍しいことではないんですよ。そして、そもそもアメリカやヨーロッパでは、ジェンダーフリーの下着は結構あるんですけど、日本にはあまりないこともあり、日本では女性がブリーフを履くカルチャーは浸透していないんです。だから「ブッシー・パーク」をきっかけにして、もっと下着に対する価値観を変えていってもらえたら嬉しいですね。

――スタート時からジェンダーフリーの下着を作ろうとしたのではなかったのですね。もとからLGBTQ+に対しての関心があったから、ジェンダーフリーのブランドにしたのだと思っていました。

万美:私が通っていた和光小学校は自由な風潮が強いこともあって、誰かが誰を好きといった、セクシュアリティにおいての疑問を持つことがあまりなかったんです。だから、LGBTQ+的な差別があることに気付かずに20代を過ごして育ってしまいました。でもデザイナーの幼馴染の友人と仕事をしていくうちに、当事者だから感じてきたリアルな話しに耳を傾けることが増えました。
例えば、私の幼馴染の友人達の中には、高校を卒業すると海外に行く人が多くて、みんなそのまま移住してしまうんです。その移住した友達と現地で会うと、男性だけどハイヒールを履いていたり、メイクをしていたり、パートナーが同性だったりするんですよね。そんな彼らになぜ日本に帰ってこないかを尋ねると「日本でこんな格好していると笑われるでしょ」とか「まだ親にカミングアウトしていない」など、日本では自分の個性のまま生活することが生きづらいと聞きました。それでも私の友人達は、日本で受け入れられなければ海外に行けばいいって考えで、すごくポジティブだったので良かったですし、だからこそ私も良い意味でジェンダーに対して差別を感じてきませんでした。でも、日本が「生きづらい」と聞いた時は、すごく悲しいことだなって感じました。

――確かに、日本では肩身が狭い印象です。

万美:数年前に比べると、東京は少しずつオープンになってきていて、後ろ指を指されるみたいなことは少なくなってきましたが、地方に行くとまだまだイジメがあったり、親に言えない、学校で馴染めないなどのつらい思春期を過ごしたりしている人は多くいるんです。そういう話をLGBTQ+の当事者の方や、新宿2丁目で働いている方からは聞きますね。

――LGBTQ+について真剣に向き合うようになったのは、ブランドを始めてからなんですね。

万美:そうですね。きちんと向き合うようになったのは「ブッシー・パーク」がきっかけです。もちろんLGBTQ+に関しては知ってはいましたが、アジアでも日本が大きく遅れていたり、イジメがあったりすることなど、そういったさまざまな事実を知ったのは、先程のLGBTQ+の当事者の幼馴染と仕事をするようになってからです。今は、新宿2丁目に話を聞きに行ったり、ニューヨークのLGBTQ+のパレードやヨーロッパのイベントに参加したり、あとはアジアで初めて同性婚が認められた台湾のパレードなどにも積極的にも参加して、さまざまな人の話を聞きながら勉強しています。

当事者とそれ以外の人の間にある境界性を越えるため。ストリートでユーモアを持って表現している

――LGBTQ+やジェンダーについて学んだことは、ブランドにどのような影響がありましたか?

万美:ブランドを始めて私が感じたことは、このLGBTQ+やジェンダーの差別の問題ってすごく難しい話なのかなって思ってしまうこと。そしてその問題について何かを発信するならば、きちんとした知識が必要なんだと思ってしまうことです。もちろん、知識や理解も大事かと思うのですが、実はもっとシンプルで簡単なものだっていうことを、LGBTQ+の当事者にも当事者じゃない人にも知ってもらえるようにアプローチするようになりましたね。

――具体的にはどのようにアプローチされていますか?

万美:LGBTQ+のイベントや講演などに行くと、あたりまえなんですが、集まる人達ってみんな当事者なんです。講演で話す人も当事者ですし、聞いている人も当事者です。でもそれだけだと、広がりがなくて差別はなくならないと思います。だから、「ブッシー・パーク」は、LGBTQ+の当事者や関心のある人に届けるのではなく、真逆の層の人達に届けたいんです。そこで「ブッシー・パーク」はストリート界隈や、そういったシーンをあえて意識しています。モデルにスケーターを起用してビジュアルをストリートっぽい写真や色味にしてみたり、刺しゅうを「葵産業」にお願いするなどしてアプローチをしているんです。ただ「当事者じゃない人がやってるブランド」と言ってくる人もいたりします。でも当事者とか当事者じゃないとかではなくて、その境界線を取っ払わないと、差別はなくならないと思います。この境界線をなくすことが使命だと感じています。

――デザイン面で意識していることはありますか?

万美:デザイン面で一番意識していることは、サイズと色です。サイズは、S、M、Lの3サイズで展開しているのですが、いろんな体型の方がいますし、男性でも女性でもちょうど良い絶妙なサイズ感を体現するために、しっかりと伸び縮みして窮屈になりすぎないゴムを使ってアイテムを作っています。色は性差別をイメージさせないように、カラフルでいろんな色を使うようにしています。この2つがジェンダーフリーな下着を作るためのキーになっています。

――アイコンの位置もユニークですよね。これも意図的なんですか?

万美:はい。やっぱりジェンダーフリーって難しい話って思われたくないので、ブランドのことを初めて見た人でもおもしろいなって思ってもらえるように、ユーモアがある言葉やモチーフを、わざと股間の中心に置いたりしています。

――ちなみにブランド名の由来は?

万美:「ブッシー・パーク」は、イギリスに同名の公園もあったりしますが、直訳すると繁みや森など、もじゃもじゃした楽しいところみたいな意味があります。ただ、スラングだと別の意味があって、知ってる人は「ヤバいブランド名だね(笑)」「最高だね(笑)」って笑ってくれますね(笑)。

――「ブッシー・パーク」は、今後どのようなブランドを目指していますか?

万美:もともとは下着を売るだけではなく、ショーやパーティといったイベントも積極的に行う予定でした。でも2019年に設立してすぐにコロナ禍になり、それができなくなってしまったんです。2020年は、池袋西武でのポップアップや宮下パークのイベントでブースを出展させていただいたりはできたのですが、私がやりたかったショーやパーティは、やっぱりまだできなくて……。でも、いずれは単純なジェンダーフリーな下着ブランドとしてではなく、フィジカルでのイベントを実現していきたいですね。新宿2丁目だけじゃなく渋谷や原宿や、まだまだ多くの問題が残っている地方の街でもやりたいと考えています。そこに「ブッシー・パーク」のアイテムがついてくるっていうイメージでしょうか。

――ブランドのイベントやショーを行うことで商品がついてくるっておもしろいですね。

万美:下着って本当に好きな人や愛している人にしか見せない、すごくセンシティブなものだと思うんです。それこそ衣服の中で一番内面に近いものですし、心に寄り添っているものですよね。男女での身体的パーツには違う部分はありますが、だからこそ内面に一番近い下着で、男女平等を実現、浸透させていきたいんです。身体的な違いを超越して、内面にアプローチしていきたいんです。

――最後に、日本で男女平等を実現、浸透させていくために私達でもできることがあれば教えてください。

万美:すごく簡単なことで、単純に周りの人の個性や多様性を認めてあげればいい。友人が同性を好きだったり、男性だけどメイクをしていたり、ハイヒールを履いていてもバカにしたり笑ったりせず、その人の個性を受け入れてあげるだけで十分だと思うんです。本当にすごく簡単なことなんです。でもそれが意外とできない。だから、難しく捉えず1人1人が意識していくしかないと思います。それが男女平等を実現、浸透させていくために重要なことです。

――確かに。周りの人の個性や多様性を認めてあげることは、言葉にすると簡単ですが、実現できていないという事実が今の差別を生んでいるわけですもんね。

万美:私もLGBTQ+のメディアなどで取材を受けると、すごく根深いところまで聞かれたり、難しい話を求められたりすることもあります。でもやっぱり当事者でないと話せないことも多くて。だから私が伝えていることはすごくシンプル。その人の個性を認めてあげるだけです。それを伝える方法の1つとして、好きな人にしか見せないアンダーウエアで発信していけたらいいです。

――ユーモアたっぷりな下着というのが素敵ですね。知識が少ない私でも、共感できる部分が多かったです。

万美:それこそ今はNetflixといったサブスクで、たくさんの海外ドラマやドキュメンタリーが観られるようになっていて、誰でもそういったところに目を向けられるようになっています。ジェンダーだけではなく、サステナビリティや環境問題でも。それこそ今の若い子達は私達の世代より、知識も教養もあると思うんですよね。だからもっとわかりやすく、関わりやすいようにしていければ、今はすごく変われるチャンスだと思うんです。「ブッシー・パーク」が、小さなきっかけになれれば嬉しいです。

渡辺万美
2007年グラビアモデルデビューし、複数の写真集やDVD作品をリリース。2019年3月には海外雑誌「PLAYBOY」の表紙を飾りPLAYMATEに就任した。グラビアの他にも、映画『東京島』(2010)やドラマ『あまちゃん』(2013)に出演するなど女優としても活躍。さらにバラエティ番組では、『踊る!さんま御殿!』や『笑っていいとも!』などにも出演する。2019年からは、ジェンダーフリーのアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」をスタートさせる。
https://onlyfans.com/bambiwatanabe
Instagram:@bam0915 / @bushypark_tokyo
Twitter : @0915Bambi

Photography Sumire Ozawa

The post 「好きな人にしか見せない下着」だから変えられる――ジェンダーフリーアンダーウエアブランド「ブッシー・パーク」で渡辺万美が伝えたいこと appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
イラストレーター兼デザイナーからミュージシャンへ。試行錯誤しながら音楽を楽しむ新鋭エレクトロニック・デュオ、Ooveenの音楽性 https://tokion.jp/2022/01/26/the-electronic-duo-ooveen/ Wed, 26 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=83843 イラストレーター兼デザイナーからミュージシャンへと活動の幅を広げる新鋭エレクトロニックデュオ、Ooveenにフォーカス。

The post イラストレーター兼デザイナーからミュージシャンへ。試行錯誤しながら音楽を楽しむ新鋭エレクトロニック・デュオ、Ooveenの音楽性 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
今や日本でもメジャーミュージックとしてヒップホップが認知されているが、そのカウンターとしてクラブシーンでは、ハウスやテクノ、エレクトロといったサウンドに注目が注がれている。そこで今回、注目するのは、女性2人組エレクトロニックデュオ、Ooveen(オーブン)。

イラストレーター兼デザイナーとして活動しているeryMakiko Yamamotoによって2020年に結成されたOoveen。ミュージシャンとしてのキャリアはほぼないにもかかわらず、結成してすぐの2021年夏にはセカンドアルバム『UCHU YUEI』をリリース。このアルバムは、音楽プロデューサーでDJのOlive Oil(オリーブオイル)と、画家でVJのPopy Oil(ポピーオイル)によるクリエイティブレーベル、OILWORKSからリリースされ、さらに音楽フェス「りんご音楽祭2021」にも出演を果たした。

なぜミュージシャンとしてのキャリアゼロの彼女達は、音楽活動をスタートさせ、瞬く間に活躍できているのか。心から音楽を楽しむ彼女達に、結成から自由な音楽性についてインタビューを行った。試行錯誤しながらも強い意志を持って突き進む2人の行先とは。

まるで料理を作ってるかのような実験しながらの楽曲作り

ーーまずOoveenの結成から聞かせてください。

ery:2020年の4月に結成したエレクトロミュージックユニットです。

ーーコロナ禍の自粛中に結成されたんですね。新型コロナウイルスが結成のきっかけだったのでしょうか?

Makiko Yamamoto(以下、Makiko):時期としてはコロナ禍でしたが、まったく関係ないですね。2人が出会ったのが、自粛に入る3、4ヵ月前だったんです。

ery:音楽を始めることに必死で、あまりコロナウイルスによる自粛前とか、自粛後とかは気にならなかったですね。

Makiko:とはいえ、結成2回目のライヴが配信ライヴになってしまいましたけど(笑)。

ーーOoveenというユニット名も珍しいですよね。由来は?

ery:お互いにミュージシャンとしてキャリアがあるわけではなく、出会った勢いで「私も音楽やってみたい」「音楽やろうよ」というぐらいの軽いノリで、ユニットを組んだので、自分達がミュージシャンだという意識もあまりなかったんですよね。

Makiko:そんな私達だったので、「どうやって一緒にライヴをしようか?」というところからスタートしていて。

ery:機材のボタンを押せば音がなるし、サンプラーも使えば曲になるし、ドラムパットを置けば見映えはいいかなとか。私達はそんなふうに試行錯誤してきました。なので、使う機材も持ってる楽器もどんどん変わっていけばいいし、最終的に歌だけになってもいい。そんな実験をしながらやっている感じが、キッチンで料理をしているようだったんですよね。そこから「キッチン」っていう名前や、他にも料理機材の名前などからユニット名を考えていきました。でもユニット名よりも先にライヴが決まってしまって、ユニット名の提出をしなくてはとなってしまったんです。それで、料理機材からオーブンって温める道具だから合ってるかもねって、LINEで決めました。本当は、ライヴだけの一時的な名前のはずだったのですが、お互いに響きが好きになって、今もそのままでいるって感じですね。

ーーそんな出会ってすぐノリでスタートしたOoveenですが、そもそも2人の出会いは?

Makiko:共通の知り合いのカメラマンがいて、その人がInstagramのストーリーズにeryちゃんが居酒屋でソロライヴをやっているところをアップしていたんです。それを観て、eryちゃんのことが気になっていたんですよね。その後、そのカメラマンがeryちゃんと当時、私が働いていた古着屋に来てくれて出会いました。

ーー1人で居酒屋でライヴですか?

ery:そうなんです。全然ライヴをやるような場所じゃない、普通に居酒屋。でもそこの店長が音楽好きで「なんでもいいからやってくれ」と頼まれてやっていたんです。私も音楽をやり始めたばかりだったので、居酒屋ぐらいしかライヴをやる場所がなくて。

Makiko:それから原宿の「ボノボ」で、私がバーテンをやっている日にライヴのオファーをしたあと、下北沢のライヴハウスに一緒に出ないかと誘ってくれたことからスタートしました。

ーーでは2人ともほぼ未体験でのスタートだったんですか?

ery:私は、小さい頃にピアノを習っていたり、高校生の頃にバンドをしていたことはありました。でも今のように機材をたくさん使って、DTM音楽のようなスタイルでやるのは、最近始めましたね。

Makiko:私も小さい頃ピアノはやっていましたが、それもやっていたというレベルではなくて。ちゃんと音楽を始めたのは最近です。DJからのスタートでした。

Ooveenのライヴの模様。ドラムパットとシンセを使ったライヴ

ーーそうだったんですね。ちなみにMakikoさんは、ドラムパットをたたいてますが、ドラム経験はあったのですか?

Makiko:1年ほどドラムを習っていたことはありました。でも「たたけます!」と言えるほどのレベルではなくて。eryちゃんがライヴに誘ってくれて、私に何ができるんだろうって考えた時に、ピアノシンセとドラムならできるかもと思ったんです。それから、 見映えがいいって理由だけで、ドラムパットをいきなり買って、使い始めました。

ーーとなると、立ち位置的には、ドラマーになるんですかね……?

Makiko:そうとも言えないですかね。シンセにもチャレンジしていて、ドラムマシンを入れて歌ってみたりと試行錯誤しているところなので。でもドラムパットを使った演奏は、定着しつつあります。

より多くの人に聴いてもらうためにだどりついた音楽もビジュアルも全部を含めたプロジェクト

ーー2021年の夏にはアルバム『UCHU YUEI』を発表されました。こちらはOILWORKSからリリースされていますよね。どういった経緯で?

Makiko:eryちゃんがメールを送ってくれたんです。

ery:そうなんです。2人で一緒にいる時に、せっかくリリースするならレーベルから出したいよねって話していたので。でもどうやったらレーベルからリリースできるかもわからないし、コネクションもなかった。だったら、私達が好きなアーティストが所属している国内外のレーベルにひたすらメールを送ってみようと。その中で日本だと、LISACHRISさんの作品をリリースしていたOILWORKSに一番注目していました。そうしたら、メールを返信してくれたのがOILWORKSだったんですよね。

ーーすごい! ちなみにレーベルからリリースしたいというのは、どのような意図が?

Makiko:ただ、たくさんの人に聴いてもらいたい、知ってもらいたい。本当にそれだけですね。

ery:音楽ってやっぱり誰かに聴いてもらわないと始まらない。作って出して、作って出してって、基本はそれしかできないとは思うんですけど、その活動をどのように見てもらうかっていうのは、しっかり向き合いながら活動したくて。それならちゃんとしたレーベルからリリースしないといけないなって思ったんです。

ーーでは、このアルバムについて教えてください。

ery:このアルバムは、音楽をやってきていない状態からスタートしています。どうやったらアルバムはできるのか、MVは作ったほうがいいのかとか、まさに試行錯誤しながら作りました。ただ、苦しくなったり、難しく考えすぎて動きが止まってしまうよりは、とにかく楽しくやろうって動きました。そんな制作活動が、“YUEI(=遊泳)”という遊ぶ雰囲気に近いなって感じて。それから、この感覚で制作してるのって、宇宙を漂っている感じに似ているなって思ったんですよね。

Makiko:収録された曲も意識していたわけではないのですが、スペーシーな感じが多いんですよね。チープな宇宙というか、昭和の宇宙というか。そう言ってくれる人が多いです。

Ooveen 「Check Check」

ーーアルバムのジャケットやMVのバーチャルモデル感も印象的でした。

Makiko:もともと手作り感あるMVが私達は多かったので、それとの差別化も意識してCGを軸に制作しました。もちろん、今までのMVが嫌いとかそういうことではないのですが、とにかく変化をつけたいと思っていました。

ery:そもそも最初は、MV自体にあまり興味がなかったんです。でも音楽だけを聴いてもらうことはまだ私達には難しかったので、それならビジュアルでイメージ戦略するしかないかなって。それでしぶしぶ1曲目のMVを作ったんです。そうしたらMVを作るのが楽しくて、むしろ今ではMVを作ることも制作の軸になっているくらい。それで今回も試行錯誤しながらですが、CGにチャレンジしたくなって。私たちはイラストレーターのユニットでもあるので、イラストだけに縛られるのも嫌だなっていうこともあって、スタイルに変化をつけてみました。

Makiko:音楽だけのプロジェクトというより、音楽とビジュアルの全部を含めたプロジェクトがOoveenって考えたほうが、私達にはあってるのかなって思います。

Ooveen 「憂うつ NO MONEY」

ーーそれぞれのインスピレーション源についても教えてください。

Makiko:音楽も絵もそうなのですが、私のインスピレーションの源は、その辺に転がっています。日常やパーティシーンで聴いた音楽、そんな瞬間芸術が刺激になっていると思います。現場で出会ったカッコイイことをしている人からの影響も大きいですし、踊っている時にひらめくアイデアだったり、体験として感じるものから得るインスピレーションも多いですね。

ery:私が意識しているのは、Ooveenの制作においては、お互いが苦しくならないように2人で目指すトーンを言葉で決めすぎないようにしています。私は、Makikoちゃんが何をインスピレーションにしているかも知らないし、ほとんどお互いに放し飼い状態でやっていますね。

ーーお互いのスタイルを縛らずに制作していても成立しているのは、何か共通点があるんですか? 例えばルーツだったり、普段聴いている音楽など。

Makiko:好きな色や使いたい色が似ているのかもしれないですね。あとはJUDY AND MARYが好きなところですかね。ただ、私は古い曲を掘るのが好きで、eryちゃんは最新の曲を掘っています。そういう掘る音楽が真逆なところもおもしろいですかね。

ーー確かに新しさと懐かしさを感じる作風ですよね。

ery:MakikoちゃんはDJだから、ダンスミュージックやクラブミュージックを聴いているんですけど、そのMakikoちゃん周りのパーティに行くと、スマホアプリでは検索できない曲もあったりするんですよ。そんなMakikoちゃんのいる世界もおもしろいなって思います。

Makiko:私はアナログ人間なので、サブスクとかはやっていないんですよ。だから最新のものは本当に知らない。なのでeryちゃんに教えてもらっています。

ーー大きな共通点と言えば、2人ともイラストレーターですよね。その仕事は、音楽活動にどのような影響を与えていますか?

Makiko:私は、好きなDJのジャケットの絵を描かせてもらったところから、イラストレーターとしてのキャリアがスタートしています。だから直接、イラストがミュージシャンとしての入り口として開いたわけではないですけど、音楽と絵は私の活動では関連していますね。

ery:私の場合はイラストはイラスト、音楽は音楽と、それぞれ分けています。例えば、イラストだと、私の明るいとか楽しいとかそういうプラスな部分やポップさが出ていて、音楽だと、ちょっと暗い部分、アンダーグラウンドな要素が出ているんですよね。だから、私の中ではあまり音楽とイラストがつながらないんです。私のイラストを好きって言ってくれる人でも、私の音楽はあまり好きじゃないかもって言われることもあります。

ーー2人の異なる世界が音楽でつながっているのがOoveenの魅力かもしれませんね。最後に今後どのようなアーティストになっていきたいですか?

Makiko:私は音楽を通していろんなところに行けたらいいなって思いますね。おもしろい場所で、おもしろい出会いというものが、音楽を続ける先にあればいいなって考えています。

ery:まだまだ未完成ですが、私達がいろいろな方法で音楽を楽しんでいることが多くの人に伝われば嬉しいです。だからこそ、私は好きな音楽を追求しながらも有名になりたいと思っています。まずは聴いてもらわないことには、何も起こらないので。

Ooveen
2020年4月結成。トラックメイカーのeryとDJのMakiko Yamamotoによるエレクトロ音楽ユニット。 2人ともデザイナー兼イラストレーターとしても活動する。 主に東京都内のクラブやライヴハウス、ギャラリーなどで活動を行っている。 脱力感、手作り宇宙感のあるサウンドが特徴。 2021年6月には、OILWORKSからアルバム『UCHU YUEI』をリリースした。
Instagram:@ooveen_music
Twitter:@ooveen
YouTubeチャンネル:Ooveenオーブン

Photography Takao Okubo

The post イラストレーター兼デザイナーからミュージシャンへ。試行錯誤しながら音楽を楽しむ新鋭エレクトロニック・デュオ、Ooveenの音楽性 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
令和を代表するマッシュアップギャル、MANONーー「2021年は私のターニングポイント」 https://tokion.jp/2021/12/29/mashup-gyaru-manon/ Wed, 29 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=85542 最新リリース作「Girlfriend」では、DJ CHARIとコラボレーションし、これまでには藤原ヒロシやQieziMaboなどといった大御所から、dodo、LEXらの新鋭アーティストとも。さまざまなアーティストとのタッグで話題を集めるMANONの魅力に迫る。

The post 令和を代表するマッシュアップギャル、MANONーー「2021年は私のターニングポイント」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
1990年代後半に日本で大流行した、チビTにルーズソックス、さらにパラパラといったダンスを武器に、話題を集めるアーティスト、MANON。2002年生まれの00年代ガールが、今注目を集める理由は何もファッションだけではない。
12月8日リリースされた最新作「Girlfriend」では、DJ CHARIをプロデューサーに迎え、過去には、藤原ヒロシQieziMaboなどといった大御所から、dodoLEXらの新鋭アーティスト、さらには海外アーティストのケロ・ ケロ・ボニトまで。数多くのビッグネーム達が、MANONの音楽やスタイルに共感し、コラボレーションをしているのだ。
なぜ彼女はこれほどまでに多くの支持を得ているのか。現在、19歳のMANONが、さまざまなカルチャーを取り込みながら進化し続ける背景に迫る。

歌詞やメロディ、世界観……。曲にひっかかりを作ることが大切

ーーこれまでに数多くの人気アーティストとコラボレーションをしてきていますが、今回リリースされたDJ CHARIさんとの新曲はどのような内容になりましたか?

MANON:憧れの先輩の男性に恋をしている女の子をテーマにした曲になっています。私は今19歳なんですが、私達の世代ってちょっと年上の人を好きになることが多いんです。そういう子達の「その人を振り向かせたい」っていう気持ちを代弁した曲になったかなと思います。

ANON 「Girlfriend」

ーーDJ CHARIさんとの制作は初めてですよね。どのように作っていったんですか?

MANON:この曲は、初めてスタジオでみんなで考えながら作っていったので、今までとは違った制作方法で新鮮でした。

ーーみんなで作っていったというと?

MANON:事前に曲を聴いていたので、あらかじめリリックを書いてスタジオに持っていったのですが、そのリリックのフック(ラップにおけるサビの部分)は、英語混じりにしていました。でもいざスタジオに入ってリリックを聴いてもらったら、CHARIさんから「もっとわかりやすく刺さるフックにしたいから、日本語にしたほうがいいかも」とアドバイスをいただいて。そこで初めてその場でリリックを書いて録るというのを経験しました。今までやったことがなかったのですが、すごく楽しかったです。

ーー具体的にどのようなフックになるように意識したんですか?

MANON:冒頭のフックの部分で「君に彼女か友達」というフレーズ、あとヒップホップでよく耳にする「ごめんなさい」というフレーズなど、聴いていてひっかかりとなるフックを多く入れました。あとは、ラップ調の音楽を普段聴かない人にも、わかりやすく伝わるように意識しましたね。

ーー今回の「Girlfriend」に限らず、普段から聴きやすさ、わかりやすさは意識しているんですか?

MANON:そうですね。最近は、歌詞やメロディ、世界観など、どこかにひっかかりを作ることを意識しています。例えば前作の「GALCHAN MODE」では、楽曲全体を“ギャル”の世界観でまとめてみて、さらに振り付けをパラパラにしたことで、聴く人にちょっとしたひっかかりや違和感を持ってもらえるようにしています。

音楽もファッションもマッシュアップされたものが好き

ーー楽曲に限らずMVも自身でディレクションしているそうですね。映像でもそのひっかかりは意識していますか?

MANON:もちろん意識はしていますが、MVに関して言えば、自分の好きなものを詰め込んでいることが多いです。「18」では、「18歳の葛藤」をザラついた質感で表現するために、その時興味があったフィルムでCDジャケットを撮影してもらって、MVはVHSで撮影していただいたりしました。他にも、「GALCHAN MODE」では、ずっと大好きだったラブベリ(トレーディングカードゲーム方式の女の子向けアーケードゲーム『オシャレ魔女♥ラブandベリー』の略)と、中目黒で見つけて気になっていたパチンコ屋の扉に描かれていた『海物語』の世界観をミックスしました。2000年代ならではの、安っぽくなりすぎない3Dをイメージしたんですよね。

MANON 「GALCHAN MODE」

MANON 「18」

ーーでは新作にはどういった好きなものを盛り込んだんですか?

MANON:今回やってみたかったのは、日本発のカルチャーだと思っているんですけど、少女漫画やプリクラの加工っぽい過度に目が大きい女の子です。クリエイティブユニット、tsuchifumazuさんにインスタフィルターを作ってもらったんですよ。この少女漫画感がある目のサイズでリップシンクしてたらちょっと不気味だけど、かわいいんじゃないかなって。私が好きな日本らしいカルチャーだなって楽しみながら作りました。そしてそれだけはなく、せっかくCHARIさんとのコラボだったので、スタイリングでヒップホップっぽさをプラスしてみたりして、前作「GALCHAN MODE」とは差が出るようにしています。

ーーMANONさんの表現には“ギャル”と“ヒップホップ”のエッセンスを強く感じますが、自身のルーツに流れている音楽はどんなものなんですか?

MANON:音楽的なルーツとしては、ヒップホップよりも両親が聴かせてくれた音楽の影響が大きいですね。フランス人の父は、ダフト・パンクゴリラズを車でよく流していました。その父からは、私がエレクトロミュージックやテクノポップ寄りの音楽を聴いていた時に、マデオンを教えてもらいましたね。そこで聴き知ったマッシュアップカルチャーは、今の私に大きな影響を与えていると思います。
母から学んだ音楽だと、デヴィッド・ボウイと藤原ヒロシさんが所属していたレーベル、メジャーフォースです。音楽はもちろん、ファッションでも大きな影響を受けています。

ーーご両親からの影響が大きいのですね。では“ギャル”と“ヒップホップ”に影響されたきっかけはなんだったのですか?

MANON:高校生の頃に、ゆるふわギャングのライヴを観たんです。それからすごくヒップホップを聴くようになったので、これが大きなきっかけです。その時は、まだ彼らのことを知らなくて、友達に連れて行ってもらったんです。そうしたらそのライヴの熱量がすごすぎて。「なんだこれ? お客さんは拍手をしていないのに、すごい盛り上がってる。すごい!」って感動しちゃったんです。

ーー“ギャル”カルチャーとの出会いはどうですか? “ギャル”カルチャーは、1990年代後半から2000年代初期に大流行していました。リアルタイムでなかったMANONさんは、どのような経緯で知ったんですか?

MANON:これといったエピソードがあるわけではないのですが(笑)。純粋にチビTやルーズソックスといった“ギャル”カルチャーのグッズが好きだったんですよね。そこを掘っていったら、 1990年代後半から2000年代初期にギャルのルーツがあるんだってことを知ったんです。チビTやルーズソックスがこの時代のリバイバルだと知ってからは、当時の雑誌や写真を見たいと思ってインスタやピンタレストを使って探すようになったんですよね。

ーー“ギャル”カルチャーの何がMANONさんを引きつけたんでしょうか?

MANON:当時のギャルファッションを焼き回すのではなく、今っぽさを足すのがかわいいし好きなんです。当時はやったチビTやルーズソックス、ミニスカートだったりも取り入れますけど、最近はハンドウォーマーを付け足したりしています。このハンドウォーマーって、ゴスロリとかロリータのファッションからきてるんですよね。この違ったカルチャーとのマッシュアップ感がすごく私のツボなんです。

ーーマッシュアップされたギャルファッションで参考にしているアーティストはいたりしますか?

MANON:アヴリル・ラヴィーンですかね。彼女からはすごくギャルのエッセンスを感じています。小学校の時に、彼女が来日して109でショッピングをしているテレビ番組を観たんですよね。その時のアヴリルが、109にいた誰よりもギャルに見えたんです。チビTもよく着ているし、そこに「ドクターマーチン」のブーツを合わせているのも素敵です。彼女は私のファッションのルーツにもなっています。

ーー同世代の友人にもMANONさんと同じようなギャルファッションの人はいますか?

MANON:ぱっと見てギャルだって思う人は、あまりいないですね。今ってみんなそのときどきに好きなファッションをしているので、着ているものはいつもばらばら。でもそれはあくまでもファッションの話で、ファッションがギャルっぽくないだけであって、マインドはギャルかなと思っています。だから、いつでも誰でもギャルにはなれるんです。自分で自分のことをギャルだと思えば、それはもうギャルなんです。だから、今の同世代にはマインドギャルがたくさんいるんです。

ライヴを通して出会ったアーティストやお客さん、そのすべての人が私のインスピレーション

ーー音楽やファッション以外での自己表現で、こだわっていることはありますか? 例えばSNSでこだわっているところなど。

MANON:SNSはあまり意識しないでアップしているかもしれないです。例えばインスタだと、その日に起きたできごとや日常といったものはストーリーズにアップして、それ以外は思い出感覚でアップしています。

ーーそうなんですね。でもSNSにアップされている動画の編集は自分でしているんですよね?

MANON:確かにインスタやTikTokの動画は、自分でやっていますね。尺が短いせいなのか、なぜかサイケデリックなものがウケるんですよ。だから私のアップする動画は、すごくカラフルでバキバキな映像になるように意識して作っているかもしれないです。短い尺だからこそ、インパクトが残るものが観たいんだと思います。

ーー他に見せ方で言えば、いろんな人とコラボレーションしているのもヒップホップ的でおもしろいです。しかもその相手が大物ばかりですごい。どのようなきっかけがあったのですか?

MANON:コラボレーションしてくれたアーティストさんによってきっかけはさまざまなんですが、主に自分の中でこういう曲を作りたいっていうイメージができたら、それに合うと思う方に声を掛けさせていただいています。
例えば、「GALCHAN MODE」はLil’Yukichiさんにプロデュースしていただいたのですが、その時はエレクトロ系の曲にチャレンジしてみたかったんです。そこでLil’Yukichiさんの過去の楽曲が、イメージに近かったのでお願いしたんです。

ーーどのように依頼されてきたんですか?

MANON:イベントやライヴといった現場でお会いしてから、依頼してきたことが多いですかね。光栄なことに、お声掛けいただくことも多いです。藤原ヒロシさんは、私の『WORLD’S END』を気に入ってくださった縁で、リミックスしていただきました。他にも、QieziMaboさんとのコラボでは、QieziMaboさんがAIで楽曲を作る企画があった時に声を掛けていただきましたね。

MANON 「WORLD’S END feat. dodo」

ーー新作「Girlfriend」のジャケットは、JUN INAGAWAさんが手掛けていますよね。

MANON:そうです。ジュンさんは、「18」をリリースした時にステッカーを作っていただいたんです。その時に、ジャケットでもコラボしてほしいって話していたんです。それから何度かイベントで顔を合わせるようになって、やっと実現できたんですよね。

ーー他にも海外のアーティストともコラボレーションをされています。

MANON:海外アーティストの方は、私が好きなアーティストでコラボしたいなって方にインスタのDMなどを使って声を掛けています。今はまだ言えないですが、大好きなアーティストとのコラボレーションもDMで決まったんですよ。すごく嬉しいことなので、とても楽しみなんです。

ーー自ら精力的にお願いされているんですね。

MANON:はい。今は仲良くさせていただいてるアーティストにお願いできることもどんどん増えてきて、本当に制作が楽しいです。福岡から上京してきてよかったです。

ーー最後に今後の活動についても教えてください。

MANON:2022年の1月に20歳になるんです。そうするとライヴができる場所が増えるので、ライヴをもっとたくさんやりたいと思っています。何より2年前に上京してきたタイミングですぐにコロナ禍になってしまって、ライヴが全然できなかったのでとにかくライヴがしたいです。今はライヴをしている時が一番楽しいかもしれません。ライヴではいろんなアーティストに会えたり、お客さんとも交流したりできるので、それも私のインスピレーションの源になっているんですよね。

ーーライヴの回数を重ねることで変化はありましたか?

MANON:今年の大阪で開催されたオカモトレイジさんが主催するイベント「YAGI」に出演したんですけど、そこでのライヴはすごく印象的でした。私のターニングポイントになったと言ってもいいかもしれません。なぜならそれまでのライヴは、緊張もあってかなかなか自分の心の中にある気持ちを表現できていなかったんですよね。でもこのライヴでは、初めて心の中で思っていたことをシャウトのような形で表現できたんです。それからはこの時に表現できた勢いを大切にして、純粋にライヴを盛り上げよう、観てくれている人を楽しませようっていう気持ちでライヴに臨めています。聴いてもらうだけライヴではなくて、心から楽しかったと思ってもらえるライヴにしたいなって思えるようになりました。

ーー2022年にライブで会えるのが楽しみです。

MANON:ありがとうございます。私がゆるふわギャングのライヴでヒップホップを聴くようになったり、アヴリル・ラヴィーンを見てギャルファッションを好きになったりしたように、私も誰かに影響を与えるような、人の人生を変えられるようなアーティストになりたいですね。

MANON
次世代カルチャーアイコンとの呼び声が高い、福岡県出身の 19 歳。dodo、LEX といった新鋭アーティストから、藤原ヒロシやケロ・ ケロ・ボニトまで、多岐にわたるコラボレーションも話題のアーティスト活動に、ストリートからモードまで着こなすモデル活動と、音楽とファッションを横断した活躍で注目を集めている。
https://cac2002.official.ec
Instagram:@je_suis_manon2
Twitter:@je_suis_manon
YouTube:MANON
TikTok:@je_suis_manon0

Biolet
出演者:MANON、HIYADAM、ralph、ASA Wu、SUNNY ONLY1、STARKIDS、Lil Soft Tennis他
日時:202年1月29日
会場:東京・渋谷 Contact Tokyo
住所:東京都渋谷区道玄坂2-14-8
時間:OPEN / START 14:00
料金:¥2,500(前売り、1ドリンク別途¥600)、¥3,000(当日、1ドリンク別途¥600)

Photography Sumire Ozawa

The post 令和を代表するマッシュアップギャル、MANONーー「2021年は私のターニングポイント」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
Dream AyaとArisaがライフスタイルブランド「アセビ」で考える「生活の中で私達が本当にほしいもの・必要なもの」とは https://tokion.jp/2021/12/24/lifestyle-brand-asebi/ Fri, 24 Dec 2021 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=86115 E-girls元メンバーで、現在はフォトグラファーとして活動しているDream Ayaと、盟友のArisaが手掛けるライフスタイルブランド「アセビ」。彼女達が作っている「本当にほしいもの」とは?

The post Dream AyaとArisaがライフスタイルブランド「アセビ」で考える「生活の中で私達が本当にほしいもの・必要なもの」とは appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
E-girls元メンバーで、現在はフォトグラファーとして活動しているDream Ayaと、盟友のArisaが手掛けるライフスタイルブランド「アセビ(asebi)」は、彼女達が「本当にほしいもの」を届けるブランドだ。100%草木染のサステナブルなウエアや、規格外で廃棄されるかんきつ類を使ったシロップなど、幅広いアイテムで注目を集めている。

2人は同ブランドの企画はもちろんのこと、アイテムの撮影やホームページの作成、梱包、発送まですべてを自身で行っている点は驚きだ。なぜ、彼女達がライフスタイルブランドをスタートさせたのか、なぜ自分達でやることを大切にしているのか、そして「本当にほしいもの」とはなんなのか。2人に「アセビ」のスタートから、込めた思いを語ってもらった。

「生活の中で、本当に必要なのか?」と追求しながら作るもの作り

――Ayaさんは、芸能界を引退して数年たちましたが現在、どのような活動をしているのでしょうか?

Dream Aya(以下、Aya):カメラマンとして撮影の仕事を軸に、イラストの仕事など、クリエイティブにかかわる活動をしています。他にも、自由ヶ丘にあるカメラ店「ポパイカメラ」でも働いてもいます。

――Arisaさんの普段は、どういった活動を?

Arisa:私はフリーランスでアパレルのプレスや販売、販促の仕事やSNS関係のコンサルなど、さまざまなメーカーやブランドのサポートをしています。この知識や経験を生かして「アセビ」を運営しています。

――そんな2人の出会いから「アセビ」が誕生するまでにはどんな経緯があったのですか?

Aya:私が芸能界の引退を決意した時に、体調を崩してしまったんです。その時に体を整えるために酵素浴に通うことにしたのですが、その施設を運営していたのがArisaちゃんでした。同い年ということもあって、すぐに打ち解けて仲良くなりましたね。それからプライベートでも遊ぶようになり、私は芸能界を引退。その中で、Arisaちゃんに「芸能界にいた頃は休みがほとんどなくて、友人と旅行に行ったことがない。引退したらいろんなところへ旅行に行くのが夢だ」という話をしたんですよね。そしたら「行こうよ!」って言ってくれて。

Arisa:旅行って、一緒に行く人と場所の相性ってあるじゃないですか。その相性が合わないとすごく疲れるというか……。でもAyaちゃんとは、共通の趣味が多かったり、行きたいところや食べたいものまでもどんぴしゃだったりで、一緒に旅行に行ったら楽しいだろうなっていうの想像できたんですよ。

Aya:それで一緒に旅行をする中で、「旅行中はもっとこういうものがあったらいいよね」とか「もっとこういう旅行グッズがあったら便利だよね」とか話すようになって、それなら「自分達で作ろうよ」って話すようになったんです。それが「アセビ」の原案でした。

――旅行がきっかけだったんですね。では、具体的にどういったブランドなのか聞かせてほしいのですが、まずは掲げるテーマは?

Aya:2020年11月に2人で立ち上げたライフスタイルブランドです。「あなたと2人で旅をしましょう」という花言葉を持つ、アセビという花が由来。私達が作った商品が、お客さんの手元に届いて、その方の人生と一緒に商品が旅していくというイメージをしながら、もの作りをしています。

――最初に作ったアイテムは、パラサント(部屋など空間の「浄化」や「気持ちのリフレッシュ」を目的とした、炊いて使用する香木)でしたよね。SNSで拝見したのを覚えています。

Aya:そうです。私達2人ともパロサントを愛用していたのですが、その中でパロサントってヨガする時に使用していたりもするのですが、かわいい売られ方がされていないなって2人で話していたんです。

Arisa:炊くだけではなくて、インテリアとして家に飾ってもかわいくなるようにドライフラワーでドレスアップして、「マルラニハワイ」のパワーストーンを使ったミサンガとのセットで販売してみたんです。それが思わず再販してしまうぐらい大きな反響があったんです。

――ゼロから立ち上げたブランドの初商品が、再販するほどの反響ってすごいですね。他にはどんな商品を作ったんですか?

Aya:その次に作った商品は、リサイクルコットン(縫製工場で不要になった裁断くず)とオーガニックコットンをブレンドしたTexloopを使用している日本製のサスティナブルTシャツです。こちらは100%草木染で作っていて、今や「アセビ」の定番アイテムになっていて、Tシャツ以外にもロンT、パーカも作りました。他にも、裾の内側にキルト加工のポケットをつけ、簡易的な鍋つかみとして使用できるエプロンや、水洗い可能で持ち運びもできるグランピングマット、スーパーには出荷できず破棄されてしまっている規格外のかんきつ類を使ったジンジャーシロップ、生クリームが苦手な方でも食べられる豆乳ホイップサンドなど、幅広い商品を作ってきました。

――アパレルから飲食物まで本当に幅広いですね。中でも草木染めのアイテムが定番っておもしろいなって思うのですが、100%草木染ができるところってあまりないのでは

Arisa:そうですね。草木染って基本的に5%~10%ほどの化学染料を使用していて、色落ちしないようにしていることが一般的なんです。だから、日本の伝統文化でもある100%の草木染をやっているところって、実は数えるぐらいしかないのが現状でなんですよね。だからこそ、この100%草木染を残していきたいなと思うんです。100%草木染だからこそ楽しめる色落ちも珍しいと思うので、ぜひ試していただきたいですね。

――どの商品にも2人ならではのこだわりが詰まっていますね。実際に商品を作る上で、大切にしていることはありますか?

Aya:私達が生活する上で「本当にほしいもの、使いたいもの」を作るようにしています。あとは、長く使えるもの。この1年間を振り返ると、作ってきたものは実際に私達が使っているものばかりです。Tシャツやパーカはもちろん、エプロンやグランピングマットも、日々愛用しています。

Arisa:確かにそうで、自分達が本当に使いたいと思えるということが大前提で「自分達の生活の中で、本当に必要なのか?」ということを念入りに考えるようにしていますね。だから2人の意見が一致しないと商品は作れないんです。どちらかが妥協してしまいそうなものは、世の中に出すことはないんですよね。

Aya:そうなんですよね。商品アイデアはつきないほどたくさんありますけど、そのすべてがリリースできるものではないんです。「アセビ」は、私達2人の気持ちを大切にしているんです。

地球や人への優しさだったり豊かさを「アセビ」をキッカケに感じてほしい

――「アセビ」の商品は、サステナブルのTシャツがそうですが、他にもパジャマやパンツなど、ジェンダーフリーな商品が多いですよね。その点は意識されていますか?

Aya:男性用、女性用ということを考えないようにしようと話していますが、ジェンダーフリーを掲げた商品を作ることはしていません。

Arisa:自分達がやっていることは、アパレルではないということを前提にして、本当にいろんな人に手に取ってもらえるもの作りというのを意識しています。なので自分達が作ったものが、たまたま性別を問わず、みんなが着られるような大きさだったり形になっているだけなんです。打ち合わせをしていて、自然とそういう方向性になっていきますね。

Aya:そうですね。Arisaちゃんと一緒にいると、ジェンダーや環境のこと、食生活のことを話していることが多いかもしれないですね。Arisaちゃんと出会ってからは、そういった問題を生活の中で考えるようにもなりました。だから「アセビ」は、サステナブルやジェンダーフリーなことを自然と商品に取り入れるようになっているのかもしれませんね。

――Arisaさんが、そのような問題を日常生活の中で意識するようになったのは、いつぐらいからですか?

Arisa:きっかけは酵素浴を経営してた時になります。その経験が人生のターニングポイントにもなりました。酵素浴に来るお客さんの多くが、病気を患っていたり、体質改善を目的にされている方でした。酵素浴は、体を温めてくれたり、代謝力をアップさせたり、体質改善を後押ししてくれるものの1つになります。でも当時の私は、運営していたにもかかわらず、体のことや人それぞれいろんな悩みを抱えているけどもすべてのことに対応ができるほどの情報を持っていなかったんです。それはお客さんとの会話の中で気付かされました。もっと私自身が知識をきちんと身につけ、食や口にするもの、肌に触れるものに関心を持たないと、お客様と同じ目線に立つこともできないし、お店をやる必要もないと思ったんです。それから体に関するさまざまなことを勉強をし、アーユルヴェーダ(約5000年の歴史を持つ、インド・スリランカ発祥の伝統医療のこと)の資格も取りました。今もアーユルヴェーダなどを取り入れた生活もしています。

Aya:そんなArisaちゃんとライフスタイルブランドを作ったら、自分自身への刺激になるし、勉強にもなるなと思ったのも「アセビ」をスタートさせた理由の1つです。知識や発想がすごいので、常にワクワクさせてくれるんですよね。

Arisa:「アセビ」のTシャツを着ているだけで、地球や肌にも優しかったり、シロップを使うだけで、食品の廃棄の量が減るんです。すごくささいなことかもしれませんが、私達の商品を通して、普段から意識していることを知っていただけるきっかけにもなればいいなと思っています。

――今後はどんなアイテムを展開予定ですか? 2人のこだわりが詰まった新しい商品の発表が楽しみです。

Arisa:アパレルブランドではないので、もう少し素材にこだわった日用品を作ってみたいです。日常生活で使うものをはじめ、生きている上で絶対に必要なもの、さらにそれがプラスチックや化学物質じゃなかったりと、小さなことかもしれませんが、続けると地球のためになるものを作っていきたいですね。

Aya:それに内側から摂取するものだけではなくて、体の外側を意識した肌に優しいものも作ってみたいです。体を温めるための化学繊維を使った服や小物って、肌への影響が大きいんですよ。私も肌荒れを起こして、かゆくなったりしました。そういう肌が弱い方や、アレルギーを持っている方でも、身につけられるものを作りたいですね。ジェンダーフリーというより、もっと大きなくくりで体のことで悩んでいる人のことも考えていきたいです。

Arisa:あとはやっぱり、トラベルグッズは作りたいかな。

Aya:うん。来年は、トラベルグッズと肌と地球に優しいものだね。

――これまでにトラベルグッズは?

Aya:ブランド設立がコロナ禍だったこともあって、旅行に行ける状況ではありませんでした。そのため、家の中を意識した商品がメインになっています。もちろんライフスタイルブランドとして、こだわったものをたくさん作れたことは嬉しいのですが、旅行がブランドを作るきっかけにもなっているので、旅に行けなかったこの1年はすごく苦しかったです。

Arisa:やはり自分達がもっともインプットできる場所は旅先で、それをアウトプットしているのが「アセビ」になるので、旅行に行けなかったことは大きいですね。実際に旅ができていないので、トラベルグッズのアイデアが出なかったんだと思います。

――2人の旅行をSNSで拝見していて、その時に生まれたものが商品化されるって、消費者にとっても嬉しいですよね。それでは最後に、2022年の目標を教えてください。

Aya:1年間やってみての目標は、もうちょっとおだやかに良いもの作りをしていきたいなってことですかね。2021年は、毎月商品をリリースしたりと、時間に追われているように感じたので。

Arisa:そうですね。私達が本当にほしいと思って作ったものを、本気でほしいって言ってくれる方々がいることをこの1年で知ることができました。「アセビ」に価値を見出してくれる人がたくさんいたんですよね。だからこそ、自分達のもの作りがブレないように、2022年もこの2人だからできることを、じっくりと時間をかけてやっていきたいですね。

Aya:まだ2年目に突入したばかりなので、まずは1つ1つの商品に熱量を込めて、愛されるブランドになっていくっていうところが今の目標です。

――年内でいうと、12月25、26日にポップアップイベント「asebi Market 2021」がありますよね。このイベントではどんなことを?

Aya:「asebi Market 2021」は、横浜にある「オールドマンズカフェ」で開催される小さなマーケットになります。「アセビ」を通して出会った人達と行う、ブランドの集大成的なイベントです。

――集大成ということは体験型のイベントでしょうか?

Aya:そうですね。無農薬野菜の販売だったり、規格外となってしまったフルーツなどの食材を使ったドリンクやフードの提供、サステナブルで再着目されている洋服や本を破棄せずに届けるフリーマーケット、レスキューした保護犬とのふれあい譲渡会などを行います。大々的に発信していないのですが、「レスキュー」が裏テーマになっているんですよね。今回のイベントで行う1つ1つが、何かの救いになってくれたら嬉しいです。

Arisa:とはいえ、コロナ禍である現状、イベントを開催することは難しいことは十分に承知しています。そして、ちょっと都会から離れた場所なので、本当に行きたいと思ってくれた人が足を運んでくれて、ともにゆっくりとまったりした時間を過ごせればと思います。

Aya:人との出会いで「アセビ」が成り立っているのと同じように、「asebi Market 2021」も自然と集まった人達と開催する企画になっています。私達が普段何を意識し、もの作りをしているか、そして何かのために頑張っている人がどんなことを考えているのか。少しでも感じてもらえたら嬉しいです。

L→R
Dream Aya
2017年7月に音楽活動を引退後、写真や絵などのアートな才能を活かしクリエイターとして活動をスタート。2020年1月より写真家として独立。現在は、写真家としてアパレルブランドのヴィジュアルやアーティストのジャケットなどの撮影にとどまることなく、さまざまな企業やメーカーのクリエティブディレクションやイラストなども手掛けている。
Instagram:@aya_dream04

Arisa
古着屋「キンセラ」でスタッフ経験をした後、中目黒にある酵素浴「Reborn/リボン」を経営。在中にアーユルヴェーダの資格を習得。酵素浴の経営後は、自身でモロッコやヨーロッパへと出向きバイイングを行なっていたオンラインショップ「パニーズ」を経営。現在はフリーランスとして若槻千夏が手掛けるブランド「WCJ」を中心に、プレスや販売、販促の仕事やSNS関係のコンサルなど、さまざまなアパレルブランドやメーカーのサポートを行なっている。
Instagram:@i.arisa

asebi
2020年11月に、Dream AyaとArisaの2人が立ち上げたライフスタイルブランド。アセビの花言葉「あなたと2人で旅をしましょう」が由来。2人の“楽しい人生”の中で生まれたアイテムが、楽しく生きたいと思える人達へ届くように。「アセビ」を手に取ったすべての人の「人生という旅」に寄り添えるようなもの作りを提案。
Instagram:@asebi___

asebi Market 2021
日程:12月25・26日
会場:神奈川・横浜 オールドマンズカフェ
住所:神奈川県横浜市港北区大倉山4-26-11
時間:11:00~17:00

Photography Sumire Ozawa

The post Dream AyaとArisaがライフスタイルブランド「アセビ」で考える「生活の中で私達が本当にほしいもの・必要なもの」とは appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
丸井元子が個展「Play」で表現した自由な遊具が放つ未来の公園へのメッセージ https://tokion.jp/2021/12/20/motoko-marui-solo-exhibition-play/ Mon, 20 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=83177 アートディレクター/グラフィックデザイナーとしてさまざまなCDジャケット、広告、ブランドとのコラボレーションなどを手掛けてきた丸井元子。彼女が個展「Play」に込めた思いとは。

The post 丸井元子が個展「Play」で表現した自由な遊具が放つ未来の公園へのメッセージ appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>

藤井風をはじめ、数多くのアーティストのCDジャケットやキービジュアルを手掛け、「コーチ」といった有名ブランドとのコラボレーションでも話題を集めるアートディレクター/グラフィックデザイナーの丸井元子。その彼女が、ギャラリーでは初となる個展「Play」を「ギャラリー月極」にて開催した。
この個展では、2児の母でもある彼女が、公園の遊具に着目し作品を制作しており、色鮮やかなグラデーションで彩られた幾何学の作品たちは、どれも既存の遊具の形に当てはまらない。故に彼女が作る遊具を楽しむには、自由な発想力に想像力、そして何より子ども心を解放する必要がある。
今回は、アートディレクター/グラフィックデザイナーとしての側面だけではなく、アーティストとしての丸井元子の声も拾い届けたい。彼女が伝えたい未来へのメッセージとは。

子育ての中で見つけた使命感が完成させたすべての人が楽しめる自由な遊具

ーー今回開催された「Play」は、ギャラリーでの初個展とのことですが、普段はどのような活動がメインになっているのですか?

丸井元子(以下、丸井):普段はアートディレクター/グラフィックデザイナーとして、広告やブランドキャンペーン、CDのジャケット、アパレルとのコラボレーションなど、商業系の仕事が中心になります。

ーー個人的には、以前「コーチ」が世界中のアーティストとコラボレーションした企画で、丸井さんが発表された作品が印象的で覚えています。

丸井:3年前ぐらいに参加させていただいた企画ですね。「コーチ」との仕事はすごく嬉しかったです。もともとは雑誌『Numero TOKYO』に掲載された「コーチ」との企画で、コラージュ作品を作らせてもらったことから始まったんですよね。それをきっかけに、「コーチ」のニューヨークチームからメールが来て、コラボ企画に参加させていただきました。とても光栄でした。

ーー他にも海外との仕事はありますか?

丸井:雑誌の案件などいろいろ関わらせていただいています。またここ最近、CDジャケットやライヴのキーヴィジュアル、グッズのデザインなどもやらせていただいている藤井風さんも、日本や海外などの枠組みにとらわれずに「人に届ける」というイメージで制作しているので、そういった意味ではグローバルに発信させていただいています。

ーーインスタやホームページでは商業系のグラフィックが多いですよね。アーティストとして作品はこれまでには作ったりはしていなかったのですか?

丸井:過去に渋谷道玄坂上にあるダイニングバー「カーボン」で展示をさせていただいたことはありましたが、それ以降はほとんど作品は作っていなかったですね。

ーー今回はひさしぶりの作品制作だったんですね。実際に個展のための制作を始めてみてどうでしたか?

丸井:商業仕事が中心だった私ですが、今回の作品の制作を始めたことで、少し考え方が変わってきました。グラフィックデザインを始めた頃は、自分でライヴハウスに行ってフライヤーやインディーズバンドのCDジャケットを作らせていただいていました。そんな私からしたら、お仕事があるというのは本当にありがたくって、一案件一案件に一発入魂でやってきました。
そんな中、今回の個展の制作では、新規の仕事をセーブしながら、集中して作品作りをしました。いざ作品を作り始めてみたら、初心に返れたみたいで、それがすごく楽しかった。もっと自分の作品を作っていきたいなって思うようになったんです。これからは仕事と作品制作の両立をうまくやっていきたいと考えています。その作ったものが誰かの役に立ったり、自分の仕事への良い影響になればより嬉しいですね。

ーー今回の個展で制作した作品についても教えてください。

丸井:今回の個展のテーマは「遊具」なんです。私は、数年前から2人の子どもの母となったので、公園に行く機会が増えたんですよね。その中で興味を惹かれたのが遊具でした。街にはたくさんの公園があって、たくさんの遊具があるのですが、その中に変わった色使いやユニークな造形の遊具があったりするんです。そんな遊具たちにポストモダン的な匂いを感じたので、「遊具 スペース ポストモダン」とネットで調べてみたんですけど、ほとんどヒットしなかったんです。つまり、多くの人にとって遊具は、今まであまり意識されてこなかったものなんだと気が付いたんです。自分では完璧にはほど遠いと思いながら奮闘している子育ての中で気が付いたこの感覚は、もしかしたら自分がすべき役割なのかなって思ったんですよね。そこで誕生したのが、大人も子どもも、すべての人が楽しめる遊具でした。

ーーすべての人が楽しめる遊具とは?

丸井:公園って老若男女すべての人が利用する場所なのに、遊具はどれも小さな子どもが好きそうな形やモチーフで、はっきりとした原色で作られているものが多いんです。でも公園は大人も行く場所ですし、大人もかっこいいと思える仕掛けや癒やしとなるような色使い、インスピレーションがもらえるような形があったら、公園に行った時にちょっと気分を変えることができるし、すてきだなって思ったんです。子どもと一緒にたくさんホッピングしたくなるような公園があったらもっともっと楽しくなるなと。

ーー確かに、遊具って子どもが遊ぶものってイメージだったので、大人達が公園で見ても癒やされたり、インスピレーションを得られるような遊具があったらすてきですね。

丸井:今回の作品では、滑り台やジャングルジムに似たようなものはありますけど、それ以外の遊具っぽいものは作っていないんです。これは制作中に迷いもしましたが、このままでいいんだって思うようになりました。

ーーそれはなぜですか?

丸井:遊具って形や遊び方が決まっているイメージがありませんか? でもそれって「遊具は子どもが遊ぶもの」と決めつけているからかなって思ったんです。遊具って公園ごとに違っていいし、もっと自由な発想の遊具があってもいい。自分自身がもっと遊具に対して想像力を膨らませていかないといけない、それすらも遊びだなって思ったんです。それからはどんどん、どんな形でも遊具として成り立つんじゃないかと考えるようになりました。だって子どもは、どんな形でも遊ぶじゃないですか。子ども心を持った人であれば、自由な解釈ができるはず。今回は2次元の表現で好き勝手に作ったので、実際に遊具として立体化した時には、いろいろな問題が出てくるかもしれません。でもそれはそれでおもしろいなって思えたんです。

ーー2次元と言えども個展では、実際に立体化させたオブジェクトが1つと、立体をイメージできるアクリル作品、さらに立体的に見えるようなプリントでグラフィックを表現されています。

丸井:ただ画像として見て満足してもらえるようなグラフィックにしたくなかったんですよね。わざわざ足を運んで見てもらうので、どうしたら何かを感じてもらったり、欲しいって思ってもらえたりするかなと、表現方法を考えました。そこで作品の遊具を実体化させたオブジェクトと、見方によって変化が生まれるアクリル作品、印刷にこだわって立体感を表現したグラフィックのプリント作品で表現しました。

ーーそして、作品タイトルでは「18:01」「18:02」「18:03」だったりと、時間になっていたのも印象的でした。これにはどういう意味があったんですか?

丸井:17時って、子ども達にとっては家に帰る時間で、多くの大人達にとっては仕事が終わる前の時間じゃないですか。そんな夕暮れ時の時間帯は、夕日のグラデーションがきれいですよね。私は、作品でも仕事でも色のバランスを常に意識しているので、今回は夕日の時間で色にこだわってみました。

ーーあと気になったのは、これまで発表された作品とは、テイストが違いますよね。これは意図的だったのですか?

丸井:意図的ですね。私は中学や高校生の頃に、ウィンドウズのPCに入っているソフト、ペイントツールでよく丸とか四角を作って遊んでいたんですけど、その遊びをずっと続けていく中で、友人のバンドのステッカーを勝手に作って学校で配ったり、ライヴに持っていったりしていました。今思えば、それが私にとってのグラフィック作りのルーツなんですよね。なので、今回の幾何学模様をモチーフにした遊具は、このルーツに戻ったと言いますか、初心に返った感じなんです。

世界観を広げてくれた先輩との出会い

ーー幾何学模様作りの遊びが丸井さんのルーツだったんですね。それから現在のスタイルを形成されていったと思うのですが、グラフィックデザイナーとしてのターニングポイントはなんだったんですか?

丸井:私が独立前までお世話になっていた「RALPH(現YAR)」のアートディレクターYOSHIROTTENさん、我妻晃司さんと、写真家の梅川良満さんに出会えたことですね。

ーー出会いに至るまでどのような経緯がありましたか?

丸井:私は大分県の高校卒業後、大阪の専門学校に入学してそれから上京し、グラフィックデザインの会社で派遣社員として働いた後、デザイン事務所に就職し勤めていました。当時の私は、CDジャケットをはじめとしたさまざまなビジュアル制作を目標としていたのですが、それまで勤めてきたデザイン事務所では、文字組み、印刷などの知識をたくさん学ばせていただき今でも糧となっていますが、撮影の現場などがなかったので、なかなかビジュアルディレクションのチャンスは巡ってこなかったんですよね。このままでは私のやりたいことに届かないと思った時、目を付けたのが写真でした。写真であれば直接、ビジュアルを作ることができるので、グラフィックではなく写真でチャレンジしてみようと、カメラマンのアシスタントになることを決めて、デザイン事務所を辞めたんです。

ーーではグラフィックを一度やめようとしていたんですね。

丸井:本職として据えるのはやめようとしていました。そしてご縁があって写真家の梅川良満さんのアシスタントに就かせていただきました。就職していた会社をやめたので、いつでも現場に就けるよう、三軒茶屋のパスタ屋でアルバイトをしながら食いつないでいたんですよね。そんな時、YOSHIROTTENさんから「写真の現場が入ったらそっちを優先していいから、仕事を手伝ってほしい」と連絡をいただいたんです。それを機にクリエイティブスタジオ「RALPH」で、働かせていただく時間が多くなっていったんです。

ーー「RALPH」はミュージシャンのアートワークを多数手掛けられていましたよね?

丸井:そうですね。なので、グラフィックデザインをあきらめかけたら、CDジャケットの仕事が近づいてきたんです(笑)。それからは、梅川良満さんには写真、「RALPH」ではグラフィックデザインと2つの仕事を勉強させていただいていたんです。そして3年後の2014年に独立し、今のスタイルで活動しています。

ーー梅川さんのアシスタントをする前からYOSHIROTTENさんと我妻さんとは出会っていたのですか?

丸井:はい。YOSHIROTTENさんとは、ご自身が所属するDJユニット、YATT(ヤット)のイベントに友人と行った時に紹介していただいて出会いました。しかも、当時勤めていたデザイン事務所の3軒隣が「RALPH」だったこともあり、道で会ったり、YATTの出演していたイベントに遊びに行ったりして、兄のように慕わせていただきました。その頃は、仕事の休憩中にも遊びに行ったりするほど仲良くさせていただいていたので、デザイン事務所をやめた私に声を掛けてくれたんだと思います。

ーーその先輩達から得たこともお聞きしたいです。まずは梅川さんからはどんなことを学びましたか?

丸井:梅川さんは、自分にないものを持っている方です。商業写真でももちろんご活躍されていますが、はっきりと「アートをやりたい」と言い続ける梅川さんには、本当にかっこよくて美しいものとは何か、あらゆるものの見方、世界観を広げていただきました。

ーーYOSHIROTTENさんと我妻さんからはどんなことを?

丸井:ちょっとおこがましいのですが、YOSHIROTTENさんの好きなエッジの効いた世界観は、自分が理想としていた好きな世界観に近くて。でもそのアウトプットのテクニックが本当にすごいんです。だから「RALPH」での仕事は本当に楽しく取り組ませていただけましたし、表現の幅広さなどすごく勉強させてもらいました。あとは、YOSHIROTTENさんと我妻さんが周りの人を大事にする姿勢も尊敬しています。フォトグラファーやヘアメイク、スタイリストなど、私1人で活動していたら出会えなかったであろうクリエイターにも、お2人の仕事を通して出会えました。それは今の財産になっています。

ーーここまで話を聞いていると、子育てをしているからこそ完成した今回の個展「Play」も、第2のターニングポイントになっていると感じました。

丸井:そうですね。子育てをするまで気が付かなかったことがたくさんありました。例えば、子どものオシャレって、大人のものなんですよね。でも意外と気が利いたものって少ない。だったら、大人が見てオシャレだなって思えたり、カッコイイって思えたり、そういった高揚感が高まるものがもっと増えれば、子育てはもっと楽しくなるかなって思うんです。子どもは、大人が喜んでいる姿を見るのが大好きなんです。今回の個展もそうです。大人も一緒に、心から遊具を楽しんでいる姿を見せてほしい、そんな子ども心ある人達へのアプローチでもあります。この遊具をきっかけに、100年後でもいいので何かが変わっていたら嬉しい。これからも何か未来へのきっかけになるような作品を作っていきたいなと思います。

丸井元子
アートディレクター/グラフィックデザイナー。CD ジャケットや企業広告、ブランドとのコラボレーションなどを通してビジュアル表現を行う。
http://nii.jpn.com/contents/category/works
Instagram:@_motty_

Photography Sumire Ozawa

The post 丸井元子が個展「Play」で表現した自由な遊具が放つ未来の公園へのメッセージ appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
北京 × 東京を結ぶ音楽ユニット、DiANの静電場朔ーーアジアの音楽シーンは今がターニングポイント https://tokion.jp/2021/09/11/interview-with-dians-seidenba-saku/ Sat, 11 Sep 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=57410 北京と東京の2拠点で活動するDiANのアイコン、静電場朔。彼女のクリエイティブとアジアの音楽シーンの現在をインタビュー。

The post 北京 × 東京を結ぶ音楽ユニット、DiANの静電場朔ーーアジアの音楽シーンは今がターニングポイント appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
今や世界のトップアーティストとしてその名を知らしめるブラックピンクBTS(防弾少年団)の活躍もあり、アジアのミュージックシーンが話題を集める今、彼らのようなアイドル的要素を持つアーティストとはまったく別のイメージで世界的に注目を集めている音楽ユニットがいる。

北京と東京の2拠点で活動するDiAN(ディアン)は、ポップアーティスト、シンガーソングライター、作家、デザイナー、映像監督など、マルチに活動するアーティスト、静電場朔(セイデンバサク)を中心に、サウンドプロデューサーのA-bee(アービー)、コンポーザーのimmi(イミー)の3人で編成される音楽ユニットだ。

韓国系エレクトロニックミュージックプロデューサー、DJ、さらにヴォーカリストでもある、Yaeji(イェジ)がプロデュースした『PAC-MAN』2021年のテーマソング「PAC-TIVE」でフィーチャリングしたことで、世界で影響力のあるメディアで多く取り上げられているDiAN。

そんな話題のDiANから、今回はアイコンでありヴォーカル兼アートディレクションを手掛ける静電場朔をインタビューする。彼女の魅力、そしてアジアの音楽シーンについて語ってもらった。

カテゴライズされない自由な活動。もの作りが私の生きる喜び

ーーまずは静電場朔さんの活動について聞かせてください。

静電場朔:北京出身の静電場朔です。2019年に音楽プロデューサーのA-beeとコンポーザーのimmiと3人で立ち上げた、DiANというユニットでの音楽活動や、グラフィックアーティストやアートディレクター、作家や映像監督などさまざまなクリエイティブ活動を行っています。

ーーDiANはどのようなコンセプトで活動しているのですか?

静電場朔:DiANは、“すべての人間は「物語」を通して世界を知ることができる”というコンセプトで音楽を発信しています。歌詞を担当する私は、トラックやメロディから物語を連想して作詞しています。例えば、「Moonbow Disco」という曲はピーター・パンのネバーランドを思い起こしながら、「月虹」という月の光による虹がもし橋のようになったとしたら、その向こうはどんな世界なのだろう、と想像しながら作詞しました。その背景にはミラーボールのような大きな月が浮かび、たどり着いたネバーランドには、こんな音楽が流れているんじゃないかって。「眼花 – yǎnhuā」という曲は、金魚の記憶は7秒しかなく非常に短い、という一説からストーリーを作りました。未知の旅に出る金魚と人との絆と、上書きされていく記憶の中でどのような関係が生まれるのだろうか、という切ないお話です。DiANの曲は一見不思議な物語と感じるかもしれませんが、1人の人間としての普遍的な思考や誰でも考えていることを、違う視点から自分なりの解釈をメロディと歌詞で表現し、楽曲へと昇華させています。

DiAN 「Moonbow Disco」

DiAN 「眼花 – yǎnhuā」

ーーちなみに静電場朔さんの音楽のルーツは?

静電場朔:私は子どもの頃から、中国語と英語のポップミュージックを聴いていました。でも私は、北京にある日本音楽情報センターで、日本の音楽に初めて触れました。そこでは日本の音楽のミュージックビデオが流れていたり、CDやDVDの販売、ライヴ情報など、日本で今どんな音楽がはやっているかを知ることができる場所で、私はそこで日本の音楽をたくさん聴きました。

ーー具体的にどんなアーティストを?

静電場朔:最初に好きになったのはラルク アン シエルです。隣の部屋に住んでいたお姉さんが、ラルク アン シエルのファンで、その影響でPVをほとんど観ましたね。他にも、椎名林檎をはじめ、日本のメジャーな音楽はたくさん聴きました。当時は、音楽の趣味が合う人が周りにいなくて、ネット上のBBSで音楽の趣味が合う人とつながって、情報を共有したりしていましたね。その頃から、日本の音楽や音楽雑誌を通して、日本語も勉強し始めたんです。

ーーDiANは、1980年代の日本のポップミュージックとエレクトロニックミュージックが融合したようなスタイルにも感じますが、どのように誕生したのですか?

静電場朔:高校生の頃からバンド活動をしていて、その頃からいろんな音楽を聴くようになりました。日本音楽情報センターにあるCDをジャケットで選んで聴いたりしていたんですけど、その流れで戸川純など1970年代、1980年代の日本の音楽も聴くようになったんです。大学に入ってからは、日本音楽情報センターやBBS以外に、大学内のネットで音楽をシェアするようになり、その中で電子系の音楽に触れるようにもなったんです。

ーー日本の音楽は静電場朔さんにどのような影響を与えていますか?

静電場朔:歌詞の単語の使い方や文法はすごく影響を受けました。日本の音楽に影響されている人の楽曲は、すぐわかります。メロディの書き方やマイナースケールの使い方も日本は独特なセンスがあると思います。でも中国と日本は似ているとは思うんです。日本の歌謡曲を聴いていると、言語は違いますけど、どこか懐かしさを感じることも多いですね。

ーー音楽面以外にジャケットや衣装をはじめ、Instagramを見ていても、日本のクラシックなポップミュージックから影響を受けているようにも感じます。そういったヴィジュアル面のインスピレーション源は?

静電場朔:子どもの頃に中国以外、中東、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカなどの国に住んでいたので、中国とは違う文化に触れてきました。この体験は脳の片隅に記憶していて、無意識に影響されているかもしれません。もちろん日本のポップミュージック、映画、ドラマ、漫画や小説からも影響を受けています。ですが、実際に自分の制作物を考える時は、参考を探したり、たくさん観たりするわけではなく、自然に頭の中にあるものを本能のまま書くことが多いですね。MVやジャケットを作る時は、アイデアをまとめたイメージボード作成から始めて、衣装やキャラクターの設定を考える時は、スケッチをしたりしています。

ーー音楽以外でのクリエイション活動についてもお聞きしたいです。

静電場朔:ポップアーティストとして日本や中国で個展をしたり、自作のキャラクターを世界的に発表したり、本も出版しています。他にもアートディレクターとして「ニューバランス」の中国キャンペーンの映像を手掛けたりと、ファッションブランドとコラボレーションをしてアパレルをリリースしています。

静電場朔が手掛けた「ニューバランス」の中国キャンペーンの映像

ーーイラストのほうが音楽より長く続けているんですか?

静電場朔:絵も音楽も5、6歳の頃から続けています。毎週土曜日はキーボードと歌、日曜日は美術の塾に通ってました。小学生になってからは、土日とも絵を習っていて、大学ではアニメ専攻だったので、絵を描いていることのほうが多かったかもしれません。中学に入ってからは、友人とバンドを組んでいたのですが、その時は純粋に好きな音楽をやっていたので、マニアックな曲をやることが多かったですね。当時は音楽を生涯の活動にするなんて想像もつかなかったです。

ーーちなみに中国では、ミュージシャンとポップアーティストでは、どちらとして認知されているんですか?

静電場朔:正直、私もどちらかわかりません。そういうタグやジャンルにカテゴライズされずに、私が考えたこと(妄想)をすぐに形にしたいので、表現の手法を限定する必要がないんです。音楽でも、絵でも、映像でも、一番イメージに合うようなもので表現し続けたいと考えています。

ーーそれはなぜですか?

静電場朔:ものを作ることが好きなんです。ものを作っている時ってワクワクするんです。私にとって生きている喜びを感じる瞬間なんです。

欧米基準だった音楽が変わり始めている。アジアで素晴らしい音楽が生まれる予感

ーー静電場朔さんの活動拠点は、1ヵ所ではないですよね?

静電場朔:はい。はじめて1人暮らしをした「チャレンジの街」でもある東京と、北京の2拠点を中心に活動をしています。行き来することも慣れました。

ーー2拠点での活動だからこそ見えてくる音楽やアートのシーンの違いはありますか?

静電場朔:子どもの頃には2つの国はまったく違う世界だと思いましたが、今はその違いがさほどないと感じています。

ーーアートはどうですか?

静電場朔:伝統的な美術の違いはあると思います。中国独特の描き方と日本独自の描き方など。でも最近はこの区別もなくなってきていると感じています。それはインターネットやSNSのおかげで、どこの誰とか告知のタイミングも時差がなくなったからだと思います。だから、「この国のアートだ」っていう概念はなくなってきていますよね。

ーーコロナ禍で世界的に音楽業界が変わってきていると思うのですが、中国はどうですか?

静電場朔:当初は、ライヴやミュージックフェスがなかなか開催できてなくて。みんな現場で音楽を聴きたいという気持ちが強く伝わってきていました。なので今年からフェスが解禁されて、その時の熱量はすごかったですね。音楽が好きな人って必ずなにかしらのミュージックフェスに行っていたと思うんです。でも今中国では、現場やフェスにこだわっていなかった人達もライヴに行くようになっているように感じます。

ーー日本もそうかもしれません。

静電場朔:そうですね。「音楽フェスに行きたい理由はなんですか?」って聞くと決まって「人とつながりたい。友人と一緒に遊びたい」という人が多いんです。その理由やキッカケを音楽が作っているんです。音楽が人とつながる理由の1つにになっているんだと思います。

ーー静電場朔さん自身がコロナ禍で変わったことはありますか?

静電場朔:私は、コロナウイルスの影響が出始めた頃に代官山でライヴがあったんです。確か3月ぐらい。そうしているうちにしばらく北京に帰れない時期が続きました。その時に北京の人と遠距離で曲作りをしてみました。お互いに自分のパートを収録して、音声をバラバラにして。あとは、パックマンの生誕40周年のプロジェクトにも参加することになりました。バックナー&ガルシアの「PAC-MAN Fever」のカバーと、ラッパーの小老虎(J-Fever)が参加してくれた「饕餮 TAOTIE feat. 小老虎(J-Fever)」の2曲を作ったりと逆に制作に集中できたかもしれません。

DiAN 「饕餮 TAOTIE feat. 小老虎(J-Fever)」

他の部分だと、ゲーム『あつまれ どうぶつの森』を始めたことですね。友人のアーティストもみんな始めていて。日本よりも中国のほうがステイホームの強制力が強くて、本当にみんな外に出られなかったんですよね。そこで、ゲーム内にみんなで集まって、自分の島で音楽の演奏をしたり、音楽を作ったりもしました。

ーーこれからのアジアの音楽シーンはどうなっていくと思いますか?

静電場朔:今までは、アメリカの音楽がやっぱり軸にあって、人気曲の基準が欧米になっていました。その感覚で楽曲を作ることが完成度が高いと言いますか。でも音楽はもっと自由で。ハリウッド映画のような基準である必要はないと思います。最近はアジアのさまざまな国で素晴らしい音楽が誕生しています。例えば、タイ、ベトナム、インドネシアといった国でも良い音楽が作られています。アジアの音楽が変わり始めていると感じています。何かたくさんの素晴らしい音楽が生まれるような気がします。

ーー最近では新曲がリリースされましたね。どんな楽曲か教えてください。

静電場朔:「Electric Dreams -电子白日梦-」という曲なのですが、1980~1990年代から想像した未来をイメージしています。AIの物語です。でも今あるSiriのようなAIではなく、当時描かれていたアナログ的なコンピューターのAI。そのAIが意識を持って、人間の主人公に恋愛のアドバイスをしたりするんですけど、コンピューターもその女性のことを好きになってしまうのです。
今私達は日常生活においてSNSを使い慣れています。それはまるでサイバーパンクの世界(パソコンの仮想世界)に生きているかのようです。いつの日か世界はAIか、人間か、区別できなくなる時代になるかもしれません。この仮想世界の時代の現実は一体どうなっているのか、現実の自分とSNS上(仮想世界)の自分はどのような関係になるのでしょうか。自分と相手との関係も時代の進化によって変わるでしょうか。やはり現実の中にも、仮想世界の中にも自分のアイデンティティ、自分と他人の関係を問い続けるでしょうか。
そういった思考が「Electric Dreams」の世界観の一部分になっています。みなさんそれぞれの想像力で楽しんでもらえたら嬉しいですね。

DiAN 「Electric Dreams -电子白日梦-」

ーー最後に、今後目指すアーティスト像はどんなものですか?

静電場朔:もっと100%の静電場朔になりたいです。今までもたくさんのものから影響を受けてきましたが、もっといろんなカルチャーや人と出会い、もっとアーティストとして進化し続けたいと思っています。自分のタオ(=道)を探し続けて、音楽も絵も私の作ったものは、誰もがひと目でわかる。そんな100%を表現し続けられるアーティストになりたいです。

静電場朔
自身がヴォーカルやアートディレクターを務める音楽ユニット、DiANのアイコンであり、ポップアーティスト、シンガーソングライター、作家、デザイナー、映像監督など、マルチに活動するアーティスト。北京に生まれ、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカといったさまざまな異種文化に深く影響を受けながら、放送やメディアに関する中国の最高高学府である中国伝媒大大学(Communication University of China)卒業後、 東京に拠点を移し、デザインや映像をはじめ、さまざまなコンテンツを手掛けている。
Instagram:@diansaku
Twitter:@DiAN__official
Facebook:@OfficialDiAN
YouTube:DiAN Official Channel

Photography Takao Okubo

The post 北京 × 東京を結ぶ音楽ユニット、DiANの静電場朔ーーアジアの音楽シーンは今がターニングポイント appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
KOSUKE KAWAMURA、GUCCIMAZE、YOSHIROTTENによる初の共同展「CHAOS LAYER」制作秘話 https://tokion.jp/2021/08/11/the-story-behind-the-making-of-chaos-layer/ Wed, 11 Aug 2021 01:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=51718 KOSUKE KAWAMURA、GUCCIMAZE、YOSHIROTTENによる初の共同制作展「CHAOS LAYER」が開催中。アーティストやグラフィックデザイナーであればある種の拒否反応が起きえない変わった制作手法にチャレンジした3人による鼎談。

The post KOSUKE KAWAMURA、GUCCIMAZE、YOSHIROTTENによる初の共同展「CHAOS LAYER」制作秘話 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>

ビジネスやサイエンス、音楽やファッションなどさまざまなジャンルにおいて、暗黙の了解というのは存在する。もちろんそれはアート、デザイン業界だってそう。
7月に移転、リニューアルオープンする「ギャラリー月極」のこけら落としとなる展示は、東京を代表するグラフィックアーティスト、KOSUKE KAWAMURA、GUCCIMAZE、YOSHIROTTENの3人による初の共同制作展「CHAOS LAYER」。本展示で彼らが見せるのは、デジタルアート界の中に存在する、暗黙の了解の領域に大きく踏み込んだ表現手法で制作されたデジタルコラージュ3作をキャンバスに落とし込んだ作品と、3人の架空のデスクを連想させる立体コラージュインスタレーション『CHAOS DESK』で構成されている。

彼らが用いた表現手法は、1人目が制作したグラフィックの元データを、2人目が編集・加工し、そして3人目がさらに編集・加工を重ね完成させていくというもの。アーティストやグラフィックデザイナーであれば、制作途中のデータを第三者と共有し、さらにその先の完成を誰かに委ねるということは考えられないだろう。しかも挑戦したとしても、その作品が良くなるとは想像もできない。しかし、この「CHAOS LAYER」で発表された3作品のクオリティの高さは圧倒的だ。
それが意図的だったのか、偶発的だったのか。そして、なぜこの3人だったのか。混沌としたコロナ禍に、カオスな制作手法で完成した本展示について話を聞いた。

グラフィックアートシーンで、新しいスタイルを確立した3人

ーー今回の3人で展示をやることになったきっかけから聞かせてください。

YOSHIROTTEN:7月に移転リニューアルオープンした「ギャラリー月極」のオーナーから「ギャラリーのこけら落としとなる企画のアイデアを考えてほしい」と相談を受けたことから始まります。そもそも「ギャラリー月極」は、立ち上げ当初から携わっているギャラリーということもあったのでこけら落としはインパクトのある企画にしたかったんです。

ーーYOSHIROTTENさんが発起人だったんですね。なぜKOSUKE KAWAMURAさんとGUCCIMAZEさんに声を掛けたんですか?

YOSHIROTTEN:この3人で何かやりたいという気持ちはずっと前からありました。ここ最近、3人で会うことも多くなっていた中で、「ギャラリー月極」ならば3人だからこその展示ができると思ったんです。

ーー3人の出会いについても教えてください。

GUCCIMAZE:先に出会ったのは僕とYOSHIROTTENさんでしたよね。12、13年前ぐらいだったと思います。僕がまだ美大に通っていた頃で、同じクラブでDJをさせてもらう機会もあったんです。その時に話し掛けさせてもらいました。

YOSHIROTTEN:僕がKOSUKEさんに出会ったのは5、6年前ぐらいでした。なぜか日帰りで一緒に鎌倉に行くことになったんです。そのあと、クラブでGUCCIMAZEをKOSUKEさんに紹介したのを覚えています。

ーーそれぞれお互いにどういう印象をお持ちですか? まずKOSUKE KAWAMURAさんから見た2人の印象を教えてください。

KOSUKE KAWAMURA(以下、河村):2人が出てきた頃から、ずっと注目していました。自分が20歳ぐらいの頃って、たくさんのグラフィックデザイナーが世に出始めた時期で、時代の流れ的にシーン全体が良くも悪くも統一されていたんです。そのシーンを見て育ったこともあったので、YOSHIROTTENが出てきた時に、あまりにも違うスタイルだったので「新しいな」「かっこいいな」と衝撃を受けたのを覚えています。そのあとにGUCCIMAZEが出てきて、こっちも「アップグレードされた新しいスタイルだな」って驚きましたね。初めて作品を見た時は、外国人だと思っていたので、日本人だと知ってさらに驚きました。2人ともあまりにもスタイルが違うから仲良くなれないだろうなって思っていたんですけど、めっちゃ仲良くなれました(笑)。

ーーGUCCIMAZEさんから見た2人の印象は?

GUCCIMAZE:出会った頃のYOSHIROTTENさんは、今よりもっとパンキッシュなスタイルでしたよね。「たぶん1回コラージュをして作品にしているんだろうな」って見ていたんですけど、この10年でどんどん進化していくところを目の当たりにしいるので、いつも驚かされています。時代の流れの乗り方や目の付けどころもなんかも、すごく勉強させてもらっています。KOSUKEさんの作品は、ぱっと見てわかってしまうところがすごい。グラフィックアートで「らしさ」をちゃんと出せるって、一見簡単そうですが実はすごく難しいこと。2人とも、2人しか出せないスタイルを確立していて、本当に良い影響を受けてます。

ーーYOSHIROTTENさんは?

YOSHIROTTEN:僕も、KOSUKEさんが言っていた2000年代ぐらいのグラフィックデザイナー、ストリートアーティストの先輩達の背中を見て育ってきました。でも彼らとは「やっぱり違うことをしたい」と考える中で、KOSUKEさんの存在を知ったんです。統一されたシーンの中でコラージュのスタイルをはじめ、他とは異なるスタイルが印象的でした。はじめは『TRASH-UP!!』とかのホラー、オカルトも扱っているようなインディー雑誌やハードコアバンドのアートワークを手掛けていたりと、アンダーグラウンドの界隈にいる人かと思っていたんですけど、大きなクライアントワークもされていて、すごいスタイルを作った人だなと一方的に知っていたんです。ようやく会えて、たくさん話をしていただいた時に、この時代の中で未来の話を一緒にしていける仲間だと思っていました。

ーーGUCCIMAZEさんについてはどうですか?

YOSHIROTTEN:グラフィックをやっている人でクラブにいる人があまりいなかったので、GUCCIが出てきたことは嬉しかったですね。一緒に『PAN MAGAZINE』を作ったこともありました。デザインで活躍し始めて、手描きができるという能力を活かしながら、デジタルと混ぜて才能を伸ばしている印象があります。どんどんスタイルを作っていく姿を見ていたので、今こうして一緒に作品を作れたことが嬉しいですね。

制作途中のデータを共有し加工し編集。暗黙の了解に触れたカオスな制作方法

ーー今回の展示「CHAOS LAYER」は、変わった手法を取り入れたとお聞きしました。

YOSHIROTTEN:まず単純なグループ展にしたくなかったんですよね。グラフィックデザイン、ストリートアートをルーツに持つ3人だからできる作品を作りたかった。「デジタルを駆使して作品を作ることができる3人なので、データを使って何かやろう」と考え、3人で打ち合わせを兼ねて食事をしたんです。その時にKOSUKEさんが大友克洋さんと手掛けた『バベルの塔展』を制作する際に、「作品の中にフォトショップのデータで、約2万5000のレイヤーを重ねたことがある」という話になったんですよね。その時にグラフィックの制作にとって必要不可欠なレイヤーのデータを、互いにパスし合って作品を完成させるというアイデアが浮かんだんです。

ーーレイヤーデータをパスし合う?

YOSHIROTTEN:全員同じサイズの新規のPSDデータを用意して、1人目が制作したグラフィックデータを、2人目が編集・加工し、そして3人目へ送ってさらに編集・加工を重ねて、作品を完成させていくという手法です。

ーーアーティスト同士が制作途中のデータを他人に渡したり、触れさせたりするなんて普通しないですよね。

GUCCIMAZE:そうですね。アーティストとしてアート作品の制作途中のデータを共有して加工・編集していくって、本来なら誰もやりたがらないことだと思うんです。。なので最初にこのアイデアを聞いた時は、正直怖かったです。でも同時に、その背徳感ある手法に対する興味もあり、個人的にはゾクゾクしましたね。

河村:僕もYOSHIROTTENからこのアイデアを聞いた時は、ちょっと怖かったですね。人のデータを見ることってないですから。

YOSHIROTTEN:制作データって統合されるまでの過程はみんなそれぞれですからね。

河村:そうそう。なんか銭湯で裸を見られている感じというか(笑)。隠していることもあるし、見られたくない部分でもあるんですよ。それを共有されるって恥ずかしいというか……。逆に人のデータを見ることもちょっと怖いし、でもその半面、どうなっているか気になったりもしていて。とにかく今までやったことがない手法だったので、完成形の想像もできなかったですね。

ーー完成の想像ができなかったとのことですが、制作していく上でテーマを決めたり、方向性を相談したり、お互いがどういうグラフィックを最初に作るといった打ち合わせはしなかったんですか?

YOSHIROTTEN:ギャラリーに同じサイズのグラフィック作品を3つ大きく展示するということと、Dropboxを使ってのデータのやり取りを行うということ以外は、特に話しませんでしたね。

河村:3作品しか展示しないっていうのもすごく潔くて良いねって話していたんですよ。でも完成した作品はすごい数の作品を制作したのと同じぐらいの内容でした。

GUCCIMAZE:それ以外は、もう本当に全部アドリブというか。その場その場でレイヤーデータを見ながらバランスを取っていきましたね。

YOSHIROTTEN:同じ空間にはいないんですけど、セッションしている感じでしたね。例えば、僕が仕上げた作品(右側の作品。1人目がKOSUKE KAWAMURAで、2人目がGUCCIMAZE。そして3人目がYOSHIROTTENで仕上げた作品)は、GUCCIから回ってきた時に、手のグラフィックの部分が薄くなっていたんです。

GUCCIMAZE:僕がシルバーっぽくしましたね。

河村:そうだそうだ。確かにGUCCIのあとにシルバーっぽくなっていた。

YOSHIROTTEN:でも、それをまた僕が元に戻したりもして。

河村:即興でセッションしながら作っていったよね。2人から回ってきたデータを自分が編集・加工する時に、おもしろいものを作ろうと思うんですけど、グラフィックの中からそれぞれが大切にしてそうな部分が伝わってくるので、そこは活かしてみたり。YOSHIROTTENの作品でいうと階段になっている部分は崩さないようにとか、被らないようにって考えたりしましたね。僕が仕上げた作品(中央の作品。1人目がGUCCIMAZEで、2人目がYOSHIROTTEN。3人目がKOSUKE KAWAMURAで仕上げた作品)は、GUCCIらしさ全開の直球勝負で作っていたので、「これはどうしたらいいんだろう」って悩んで、最後の最後にGUCCIに「シュレッダーやっていい?」って確認したりもして。

YOSHIROTTEN:僕もGUCCIに確認したところがありました。「これ統合したらちょっと変わるけど大丈夫?」って。あとは本当に何も聞かなかったですね。

GUCCIMAZE:みんな自由にやってましたね。ちなみに僕は2人に何も確認しないで仕上げましたね(笑)。

河村:本当に今までまったくやったことがない作り方だったので大変な部分もありました。レイヤーの順番を変えたり、ソースを仕込んだりはありましたけど、レイヤーを勝手に削除するなんてやったらだめだし。

YOSHIROTTEN:最終的に1データに5ギガ以上ありましたよね。

河村:あったね。僕は重すぎて全然データをアップできなくて、一度もDropboxにアップできなかったんです。

YOSHIROTTEN:Dropboxでの共有と言いましたが、KOSUKEさんだけアップロードできなくて。

GUCCIMAZE:ギガファイル便でデータが送られてきたのを、僕達がダウンロードして、Dropboxに入れてあげるっていう作業もありましたね(笑)。

ーーそれぞれのレイヤーデータはどんな印象でしたか?

YOSHIROTTEN:GUCCIのはすごいきれいなデータでしたね。調整レイヤーを全部残してやっているんだなって気付かされたり。

GUCCIMAZE:そうですね。僕はあとでいくらでも編集できるようにしておきたいタイプなんです。KOSUKEさんとYOSHIROTTENさんは、直接レイヤーに描いていますよね。

YOSHIROTTEN:そうそう。調整レイヤーを残さない。

GUCCIMAZE:きっと一度色を変えたりしたら元に戻すのが難しいかと思うんですけど、それでどんどん作っていってますよね。

YOSHIROTTEN:瞬発的に「この色だ」「この形だ」って動かす時間を優先しているんですよね。本来はデータを人に渡すっていうことはありえないので、自分の作りやすい方法で作っていきました。

河村:僕もYOSHIROTTENに近い作り方ですね。あえて話すとレイヤーマスクぐらいですかね。

GUCCIMAZE:確かに、KOSUKEさんのレイヤーマスクはすごくキレイでした。

河村:そうそう。レイヤーマスクはちゃんと作っていて、ほぼ全部に付けていますね。

YOSHIROTTEN:そうですね。KOSUKEさんの作り方も新しい発見でしたね。

河村:レイヤーマスクぐらいしかきちんと作ってないですけどね。それ以外はYOSHIROTTENと同じで、基本的には直接描いてしまってます。

YOSHIROTTEN:大友克洋さんと手掛けた『バベルの塔』での2万5000レイヤーを作っていた時も、レイヤーマスクを作っていたんですか?

河村:作っていましたね。さすがに全部ではないけど、ほとんどレイヤーマスクをかけていたと思います。もうわけがわからなかったですよ。編集しようにも、多すぎて拾えないから、結局その上に新しく作ってっていうのを繰り返しました(苦笑)。

GUCCIMAZE:あとは、2人のデータを見ていて気付いたのは、このレイヤーは使っているのか使っていないのか、どっちなのかわからないものが多かったことですね。使わないなら消したいんだけど、残しておくべきなのかどうか、わからなくて。目のマーク(レイヤーの表示/非表示)で確認してみたら、いい感じの部分だったりもするので、わざと残しているのかなって思ったりもして……。

YOSHIROTTEN:レイヤーは残してるんですよ。一旦、残してるんです。

河村:一緒。いつか何かが出てくるかもしれないって思うんですよね。でも出てこないっていうことも結構ある。もし何かあった時にレイヤーを消しちゃってたら終わりじゃないですか。だから怖くてとっておく。YOSHIROTTENはわかると思うんですけど、数値をあんまり見てないよね。

YOSHIROTTEN:そうですね。残しておくのは、「すごい奴がまだベンチにいるん だぜ」みたいな感じですね。

河村:僕もあまり数値を見ないから、戻せないんですよね。自分でやっているんですけど、数値を覚えてないから、レイヤーを消してしまうと二度と再現できないんです。その怖さがあるので、一応使わないかもしれないんですけど、取っておかないと必要になった時に困る。でも今回の制作の方法だと、いつも通りにやると2人が困るんじゃないかと思って、最初はいらないレイヤーは消していたんです。でも2人からデータがきて、それをいじり始めた頃には素に戻っちゃっていて、今まで通りに作っていましたね。まぁ最終的には、GUCCIがきれいに整えてくれるだろうと(笑)。

YOSHIROTTEN:こうやってデータを共有して作ると、性格まで見えてきますよね(笑)。

カオスな制作方法でも100%、おもしろくなる。絶対的な信頼感から生まれた展示

ーーそれぞれ最初に作ったグラフィックはどんなテーマだったんですか?

YOSHIROTTEN:僕は過去に仕事で制作したけど、世に出なかった作品を成仏させるいう計画の下、その作品をバラバラにして作りました。それを2人がどんな風に仕上げてくれるかなっていうのを楽しみにしながら。

GUCCIMAZE:僕は、みんなが思うGUCCIMAZE像を一発ドカンと入れようと考えて、グラフィティーっぽく「CHAOS」って描いて立体的にしてみました。もはや読めないんですけどね。

河村:そこで確認したよね。「シュレッダーやっても大丈夫?」って(笑)。僕の場合は、過去に壁に描いた5作品から少しずつ素材を取って1つにしました。5ヵ所に点在する壁が1ヵ所に集結することなんてないので、それを集結させたグラフィックです。壁に描くような大きなグラフィックを作る時は、アナログでは作れないのでデジタルでやっているんですけど、そういう意味でも今回の企画にはぴったりでした。

ーー実物の作品を見た感想はどうですか?

河村:テンション上がりましたよ。

GUCCIMAZE:大きなサイズで出力されたのを見ると、「カオス」というタイトルにぴったりな作品になったと思います。もちろん自分のエッセンスもしっかりと入っている作品のはずなんですが、他の誰かの作品を見ているようで新鮮でした。

YOSHIROTTEN:2人のスタイルはよく知っていたので、完成のイメージはあったのですが、想像を遥かに超えた作品になったと思います。完成形ももちろんですが、制作中の作業だったり、2人とのやり取りそのものだったりが「カオス」だったと思います。どれだけ会って、一緒に遊んでいても、データのやり取りは未体験だったので、それも含めて新しいグラフィックの形になったと思います。

河村:僕の場合、作品っていつもは納品した時点で、満足してしまっているところがあったんです。制作期間はずっと見ている作品でもあるし、完成形もイメージして作っているので。でも今回は完成形がわからないまま進んでいったのと、自分でコントロールができない制作だったので、仕上がった作品を見た時はフレッシュに感じました。一番初めの作品は原型を見ているので、「これはYOSHIROTTENだ。これはGUCCIだ」というのはわかるのですが、2番目3番目になってくると誰がどこをいじったかわからないんです。今こうして完成した作品を見ても、自分がどこまでいじったのかすらわからないです。

YOSHIROTTEN:この3つの作品は、まだまだ続きがある気がするんです。きっと完成ではないと思うんです。だからこそインスタレーションのスペース『CHAOS DESK』に設置されたモニターには、tokyovitaminのkenchanさん、YARのNatsumi Sunoharaさん、3DCGアーティストのMirai Shikiyamaさんのそれぞれが本企画を再解釈し、エディットした映像作品も流しています。

「CHAOS LAYER」の開催にあわせて制作された、kenchan(tokyovitamin)による映像作品

河村:確かに終わってない感じはしますね。締め切りっていうもので一旦区切っただけというか。もしかしたら、これがベースとなって第2弾、第3弾になるかもしれないなって。さらにバラバラに振り分けて、また同じことをやっても全然形が変わるはずだし、まだまだ全然付け足せるなって思います。

GUCCIMAZE:そうですね。1回データをパスして戻ってくると、また触りたくなってくるんですよね。

河村:「CHAOS LAYER」っていうタイトルそのものがレイヤーを重ねていくっていうことだから、ずっとアップデートできるんですよね。

GUCCIMAZE:でも1人だと完成してしまうんですよね。ゴールを設定してしまうというか。

河村:そうそう。自分1人だったら、もういじれない、重ねられないところまで作ってしまうんですけど、2人にパスすることでまったく違う形になっていく。それが戻ってくると、またゼロの気持ちになるので、何か付け足したくなるんです。その繰り返しで終わりがないんだけど、3人の好きなところとかはお互い尊重し合ってたりしているので、原型がなくなることはないと思うんですよね。でも最終的に重ね過ぎた結果、真っ黒になったりしたらそれはおもしろいですよね。

YOSHIROTTEN:今回はキャンバスに出力しての展示でしたが、いつかはLGの透明有機ELサイネージに各レイヤーを出力して重ねた作品を制作してみたいですね。

河村:それおもしろい! 正面からも後ろからも見られるってことだよね?

YSOHIROTTEN :そうです。各サイネージの間に入れるようにして、作品の中から見られるようしたいんですよね。

ーー最後にインスタレーションのスペースに作られた『CHAOS DESK』についても教えてください。

YOSHIROTTEN:僕ら3人がフュージョンしたことを想定して、その人物が使用しているデスクというテーマの展示になります。それぞれがインスピレーションを受けてきた雑誌やビデオなど、私物を持ち寄り積み重ねて作業スペースのようにしました。今回の3つの作品がここから生み出されたように感じてもらえたら嬉しいですね。また僕ら3人だけでなく、先ほど紹介した3人の映像作品以外にも、レイヤーを重ねるように来場者の方がここに手を加えていってもいいかもしれません。そういう変動していくタイプのインスタレーションです。

ーーまさにカオスな展示ですね。

YOSHIROTTEN:その「カオス」なことをやれるメンバーだからこそのアイデアでした。この混沌としたコロナ禍に、直接会うことすら難しい時代とシンクロした内容になりましたね。

GUCCIMAZE:そうですね。普段から親交があるからこその信頼と、クオリティに対して絶対的な信頼感がお互いにあるからこそできあがった作品になりましたね。他の人と同じをことやってと言われても無理だったと思います。

河村:それが一番大きいですね。グラフィックデザイナーでありながら、東京を拠点に活動するアーティストで、デジタルとアナログの両方を駆使した制作方法など、共通点の多い3人だからこその作品。普通にやってしまうと恥ずかしい制作途中のレイヤーデータの共有も、この2人だったら恥ずかしくない。最初はどうなるか想像もつかなかったのですが、100%おもしろい展示になるっていうのは根拠はないけどありましたから。その信頼の下に完成した展示になったと思います。

KOSUKE KAWAMURA
1979 年広島県生まれ。東京在住。コラージュアーティスト、グラフィックデザイナー、『EREC T Magazine』アートディレクターなど多彩な顔を持ち、表現方法もシュレッダー、アナログ&デジタルコラージュ、コンピュータグラフィックス、ライヴペインティングとさまざま。ライヴ、イベントといったフライヤーの制作も積極的に手掛ける。大友克洋、田名網敬一、森山大道、中原昌也などといった作家とのコラボーレションも多数。ファッションからアンダーグラウンドカルチャーに至るまでジャンルの垣根を越えて活動中。
https://so1tokyo.thebase.in
Instagram:@kosukekawamura

GUCCIMAZE
1989年、神奈川県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。デザイン制作会社勤務を経て、2018年独立。東京を拠点に国内外へアートワークを発信し、数々のアーティストやブランドとのコラボレーションを展開している。鋭さと硬質さを感じる立体的なフォルムのタイポグラフィー、鮮やかでありながら毒々しさが漂う配色といった、独自のスタイルでグラフィック作品を制作する。
http://www.yutakawaguchi.com
Instagram:@guccimaze

YOSHIROTTEN
1983年生まれ。グラフィック、映像、立体、インスタレーション、空間、音楽など、ジャンルを超えた表現方法で作品制作を行う。2018年には「TOLOT heuristic SHINONOME」にて大規模個展「FUTURE NATURE」を開催。GASBOOKより作品集『GASBOOK33 YOSHIROTTEN』を発売するなど、グローバルに活動中。
https://www.yoshirotten.com
Instagram:@yoshirotten

■CHAOS LAYER
会期:~8月20日
会場:ギャラリー月極
住所:東京都目黒区中央町1-3-2 B1
時間:12:00~19:00
休日:日曜、月曜
http://tsukigime.space
Instagram:@gallery_tsukigime

Photography Takao Okubo

The post KOSUKE KAWAMURA、GUCCIMAZE、YOSHIROTTENによる初の共同展「CHAOS LAYER」制作秘話 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ナチュラルワインをカウンターカルチャーとして捉える「Human Nature」。音楽・アート好きから支持を得る理由とは https://tokion.jp/2021/04/17/music-art-and-natural-wine/ Sat, 17 Apr 2021 06:00:52 +0000 https://tokion.jp/?p=28217 音楽やアート好きの間で支持を得ているナチュラルワイン。なぜナチュラルワインは彼らを魅了するのか。カウンターカルチャー的側面からひもとく。

The post ナチュラルワインをカウンターカルチャーとして捉える「Human Nature」。音楽・アート好きから支持を得る理由とは appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ナチュラルワインムーブメント。それは「単なる昔ながらの生産方法に立ち返ろうという伝統回帰的ムーブメントではなく、価値観、市場、制度、そして味などのワイン文化におけるさまざまな支配的システムに対するカウンターカルチャーである」。2020年の夏、日本橋兜町にオープンしたワインスタンド、「Human Nature(ヒューマンネイチャー)」のオーナー、高橋心一さんは自身が中心となり仲間達とリリースしたZINE『HERE TO STAY – NATURAL WINE AND COUNTER CULTURE』で、そう書き記している。

このZINEにはファッションや音楽に縁ある人達が参加しており、彼らの多くが“音楽・アート”とナチュラルワインの結び付きについて語っている。今、話題を集めているナチュラルワインは、なぜ音楽やアートが好きな人を魅了するのか。ナチュラルワインの持つカウンターカルチャー的側面について、高橋心一さんに話を聞いた。

ナチュラルワインはワイン文化における支配的システムに立ち向かうカウンターカルチャー

本来、ナチュラルワインには公的な定義は存在しない。一般的によくいわれているのは、「酸化防止剤(亜硫酸塩)を使用せず、その土地の生態系と酵母菌を使って、少量かつ個人で育てたワイナリーで造られたワイン」ということ。こう呼ばれるようになったのは1980年代のフランスとされている。

「ナチュラルワインは基本的には定義が決まってないし、認証を取らないとナチュラルワインって名乗れないってものでもないので、濃縮還元ジュースを使ったコンビニのソフトドリンクみたいに作られたワインが、ナチュラルワインですってポップに書かれてスーパーで売られていたりすることもあるんです」(高橋)。

定義のないナチュラルワインがゆえ、既存のワインの生産についても理解しておく必要がある。1950~1960年代にかけて、農業が工業化したのと同時に、ワインも大量生産・大量消費を目的とし、工業的に生産されるようになった。農家では、雑草を対処するべく除草剤を撒き、それにより微生物が死んでしまうので化学肥料を撒く。そうすると酵母に元気がなくなり発酵しにくくなる。元気がなくなった酵母に酸化防止剤(亜硫酸塩)を入れて菌を殺して、一度フラットな状態にする。そして、人工的に培養した酵母を足して発酵させて、さまざまな添加物を足して作るのが、慣行的な大量生産ワインの作り方であるといわれている。対してナチュラルワインは、自然な生態系で循環している畑で採れるおいしいぶどうと健康的な菌のみを使用し、発酵して寝かせればそれでOKというシンプルなものが多いとされている。
ではナチュラルワインがなぜカウンターカルチャーといわれるのか。

「あたりまえかもしれないですが、ワインって大量生産・大量消費を目的とされて造られているんです。なので対極にあるナチュラルワインは、このワインという商品が持つ価値観、市場の在り方、制度、味など、ワイン文化における支配的システムに立ち向かうカウンターカルチャー的側面を持っていると思ったんです。カウンターカルチャーにはイデオロギーがあって、ナチュラルワインにもイデオロギーがあり、人を動かすパワーがあるんです」(高橋)。

高橋さんが「Human Nature」をオープンしたきっかけは、2017年のこと。高校を卒業してからニュージーランドへ留学し、そのまま7~8年ほど滞在していたそうだ。そこで出会ったイタリア人の友達をきっかけに、ナチュラルワインにのめり込んでいった。

「ニュージーランドから戻った後、そこで出会ったイタリアの友人に会いに毎年イタリアに行っていたのですが、その後イタリアに住みたくなり、2013年~2014年にイタリアの大学に通うことにしました。そこは1年通うだけで卒業ができるガストロノミック・サイエンス(食科学)の学校でした。当時、インターンでワインのディストリビューターで働いたりもしていて、その会社の人がよく連れてってくれたイタリアのワイナリーで、ナチュラルワインがカウンターカルチャーだって思わされたんです。そこで大学の卒論のテーマを『ナチュラルワインとカウンターカルチャー』にしました」(高橋)。

そもそもカウンターカルチャーとは。高橋さんはこう続ける。

「ヒッピー、パンク、モッズなど、これまでにいろいろなカウンターカルチャーが生まれてきました。その背景にはあたりまえとして信じられているけど、実は権力が人を都合よくコントロールするための社会の価値観が存在していて。そういった世界を正したいとか、その世界に対する怒りといった反骨精神から生まれるカルチャーが、カウンターカルチャーだと思います」(高橋)。

カウンターカルチャーを調べると、サブカルチャーの同義として書かれていたりする。しかし、本流の近くで細々と存在し続けるサブカルチャーと違い、カウンターカルチャーはブームに逆らうように、大きな波を巻き起こす可能性を秘めている。パンクロックが生まれたように、ヒップホップが生まれたように、ナチュラルワインはワイン業界において、それらと同じにおいを持ち、そのにおいを高橋さんは卒論、そしてZINEという形で発表した。

その後「Human Nature」は、人気の高まりとともに、小さな店舗から通販専門店を経て、2020年にナチュラルワイン専門の酒場という形で日本橋兜町に移った。

「イタリアの友人の影響もあり毎日、ナチュラルワインを飲むようになったんです。当初は通販で買って飲んでいたのですが、お金もなかったし毎日飲むには、ちょっと高すぎました。そこで業者価格で買うために酒店の免許を取ったんです。その時は、売っていこうなんて目的は一切なかったですね。小さいワインセラーを持っていたので、そこから友人がワインを買っていくことはあったのですが。気が付いたらワインを買ってくれる友人がどんどん増えていき、それに合わせてワインセラーもどんどん大きくなっていったんです(笑)。それが『Human Nature』の原型です」(高橋)。

ナチュラルワインの持つ思想やカルチャーが潜在的に音楽とかアートが好きな人に刺さる

店内をのぞくと、壁にはアートが飾られ、友人アーティストと製作したオリジナルグッズも並び、さらにライヴやDJによる音楽イベントも不定期で行われている。ZINE『HERE TO STAY – NATURAL WINE AND COUNTER CULTURE』では、執筆者として参加したさまざま人が、ナチュラルワインが音楽やアートと似ていると述べていて、ZINEのデザインはパンクカルチャーをほうふつさせる。

「ZINEでは、LCDサウンドシステムのジェームス・マーフィーが『僕が好きな音楽とワインは同じだと思ったんだ』と述べています。彼はレコードショップとワインショップは似ていて、ディストリビューションのされ方も同じだと語っているんです。他にも、アパレルブランド『バル』のデザイナーであるKABAさんは、ナチュラルワインについて『インディペンデントなスタイルで既存の体制に対するANTIな姿勢。ルールに縛られずに気軽にワインを飲んで楽しもうというスタイル』と語ってくれています。ちなみにデザインは、僕が単純に高校時代からパンク・ハードコアが好きだったということと、ZINEというフォーマットを生かしたかったからですね」(高橋)。

ZINEで語られる以外にも、最近では音楽やアートの界隈でナチュラルワインのことをよく耳にする。

「単純に飲みやすいっていうことと、味もおいしいというのが根本だとは思います。でも味覚って個人差があるものなので、同じものを飲んでも感じ方は人それぞれ違う。それは音楽もそう。だからこそ、自分が好きなものを好きなように、自分のテイストで育てているナチュラルワインに、音楽やアートが好きなカルチャー好きの間だと共感できるんだと思います。そういう影響力がある人達がSNSでアップしたりして、注目されてきていると感じています。あとは最近、オーガニックや自然派といった食べ物が注目されている背景もあるかもしれないですね」(高橋)。

他にも、カルチャー好きな人がナチュラルワインに興味を待つ理由がある。それは王道ワインでは類を見ない自由度の高いラベルデザインだ。店内に並んでいるナチュラルワインを見ていると思わずジャケ買いしたくなるような気持ちになる。

「ワインってすごく格式ばったシャトー的なラベルが多いんです。それに比べてナチュラルワインは、伝統や格式などとらわれず自由なデザインのラベルが多いのも特徴の1つです。音楽のジャケ買いも聴いてみないと好きな音かどうかはわからない、それと一緒で、ワインも飲んでみないと自分好みのワインかわからない。自由なラベルだからこそ、ワイナリーや作り手の好きなカルチャーや思想が伝わってきたり、みんなでこのナチュラルワインカルチャーを大切にしていこうぜっていう思いを感じられるというのはおもしろいですよね」(高橋)。

最後に、これまでにたくさんのナチュラルワインを飲んできた高橋さんおすすめを聞いてみた。

「僕、あんまりおすすめのワインですと言うのが好きじゃないんです。これってすすめると、そればかりが売れたりするじゃないですか。それだともともと数が少ないナチュラルワインを本当に飲みたい人が買えなくなってしまう。なのでお店に取り扱っているのは、僕が全部好きなワインなので、ジャケ買いしてもらっても間違いないかと思います。フレッシュでジューシーで、酸味もキュッとしたものが多いので、全部おいしいですよ」(高橋)。
自由な空気感をまとった高橋さんらしい回答だ。

高橋心一
日本橋兜町のナチュラルワイン専門の酒場「Human Nature」の店主。ニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントンで、メディアスタディーズを専攻。写真家、バーマン、映像プロデューサーを経て、イタリアの食科学大学で修士課程をしながら、ナチュラルワインのインポーターでナチュラルワインを学ぶ。イタリアから帰国後の2017年「Human Nature」をオープンし、現在に至る。

■Human Nature
住所:東京都中央区日本橋兜町9-5
営業時間:月〜金 15:00〜20:00、土 13:00〜20:00、日 13:00〜18:00
定休日:なし
TEL:03-6434-0535
https://humannature.jp
Instagram:@human_natureeeee

Photography Takaki Iwata

TOKION FOODの最新記事

The post ナチュラルワインをカウンターカルチャーとして捉える「Human Nature」。音楽・アート好きから支持を得る理由とは appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
シンガーacaneに聞く、SNS時代におけるセルフプロデュース術 https://tokion.jp/2021/03/17/singer-acane-on-self-producing/ Wed, 17 Mar 2021 01:00:28 +0000 https://tokion.jp/?p=23486 YouTube動画が総再生回数4500万回を超え、SNSを中心に話題を集めているシンガーのacaneに聞く、ファンを大切にしたセルフプロデュース術。

The post シンガーacaneに聞く、SNS時代におけるセルフプロデュース術 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
依然として厳しい状況にあるコロナ禍の影響で、思うように活動ができないアーティストが多い今日の音楽業界。ライヴやサイン会といったフィジカルな活動がなかなかできない状況で、ミュージシャン達に求められているのは、SNSを中心としたセルフプロデュース能力。今やメジャーだから、レーベルに所属しているから、という理由で売れたりするような時代ではない。
このような状況下で、YouTube動画の総再生回数4500万回を超え、話題と支持を集めているのがシンガーのacaneだ。彼女は現在もなお、事務所やレーベルには所属しない無所属アーティストとして活動を展開している。さまざまなアーティストが大手レーベルに所属しながらも苦労している中で、SNSを中心に脚光を浴びている彼女はどんな活動をしているのか。彼女ならではのセルフプロデュースについて話を聞く。

無所属だからできる距離感でファンの皆様とつながっていくことが大切

――そもそもどのような音楽活動を行っているんですか?

acane:新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発動するまでは、路上ライヴを中心に活動していました。毎週末に1日5時間ぐらいやっていましたね。その頃からYouTube配信をやってはいたのですが、始めた当初は撮りためたライヴ映像をアップするぐらいでした。そしてコロナ禍になってからは、路上ライヴやライヴハウスでのライブができなくなってしまい、YouTubeやインスタグラムといったSNSでの配信に力を入れるようにして、TikTokも始めたりという活動をしています。

――具体的にSNSではどのようなことを?

acane:主にインスタグラムとYouTubeでの発信がメインですね。特に今は毎日、朝と夜にインスタライヴを行っています。現場でのライヴができない状況だと、ファンとの距離感を遠くに感じてしまうんです。だからインスタライヴでファンとコラボをしたり、ファンレターの返事を書いていますよってトークしたりしています。そうやって直接会えなくても、ファン1人1人としっかりと絆を深めていきたいんです。無所属だからできる近い距離感でファンとつながっていくことを大切にしています。

――インスタグラムでの投稿にはルールを作っていますか?

acane:毎日、インスタストーリーの投稿は途切れないように心掛けています。フィードでの投稿は1日1回更新して、3投稿のうち1つは必ず動画にしています。そうすることで、サムネイルに統一性が出ますし、私のアカウントを見た時に、すぐ歌を聴いていただけるようにしています。

――ではYouTubeやインスタグラム以外のツールではどうですか?

acane:YouTubeチャンネルは週に4回更新してます。月曜日と金曜日は歌動画を、水曜日と日曜日は企画ものを配信しています。あと最近は、TikTokも大切にしていますね。というのも、TikTokをアップするのとしないのでは、インスタのフォロワーの増減が100人ぐらい違うんですよ。今ってYouTubeとインスタグラム、TikTokはすべてつながっていて、その中でTikTokからインスタやYouTubeにアクセスする人が、日本だともっとも多いらしいんです。なので、私もTikTokを始めてからはフォロワーが増え続けています。

――やはりSNSは毎日、投稿することが大事なんですね。ちなみに自身のSNSのフォロワーが伸びている背景についてどうお考えですか?

acane:特に私の場合は、YouTubeで路上ライヴ動画がバズったことがきっかけでした。新宿での路上ライヴで4人のシンガーで歌った「100万回のアイラブユー」を、YouTuberの4Kさんが撮影した動画なのですが、800万回ぐらい再生されたんですよね。この動画をきっかけにYouTubeチャンネルの登録者数とInstagramのフォロワーが一気に増えたんです。あとは、ファンの皆様が「#acaneを有名に」というハッシュタグまで作ってくれたりもして。それからは誰かが私の路上ライヴの映像をYouTubeアップすると、10万再生ぐらいはされるようになっていたので、アップする際には必ず内容欄に、私のYouTubeチャンネルとインスタのアカウントを記載してもらえるよう自分から呼び掛けたりもしました。すると、インスタグラムのフォロワーが1日2000人ぐらいずつ増えていったんです。これは、私1人の力じゃできなかったことですし、路上ライヴを続けてきたからこそのできごとだったと思います。ライヴ動画をきっかけに、音楽だけでご飯を食べられるようになりました。

YouTuberの4Kさんが撮影した「100万回のアイラブユー」

コロナウイルスに左右されずにファンの皆様のためにできることをやる

――では動画でのバズがあったことで無所属でいることを決意したんですか?

acane:実は先ほどお話した動画がバズったことで、20社ぐらいから声を掛けていただけたんです。それで去年の春には、その中の1社にマネージャーと2人で所属しようと思っていたんですけど、コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されてしまって。その時に事務所に所属するべきかどうか冷静に考える時間ができたんです。私が事務所に入ってやりたかったことは、大きなライヴハウスでのライヴだったんです。フリーだとやはり、400~500人規模のライヴハウスが精一杯だったので。でも、コロナ禍でライヴが思うようにできなくなったのであれば、事務所に入る必要はあるのかなって。正直なところ、その頃にはマネージャーと2人ならば、音楽だけで生活はできるぐらいにはなっていたんです。自分達だけでもやりたいことが少しずつできるようになっていたので、事務所に所属することによって制限されることもないかなと考えたりしました。そして、このコロナ禍のタイミングではライヴがなかなかできないので、メジャーデビューしたとしてもさらっと流されてしまうのではとも思って、自分達だけでSNSをやりながら活動していく道を選びました。

――無所属がゆえに苦労していることなどはありますか?

acane:昨年、ヴィレッジヴァンガードからカバーアルバムをリリースさせてもらったのですが、その時に流通の強さを知りました。それまでは音源やグッズをネットで買えるようにしていたのですが、ヴィレッジヴァンガードに置かせてもらったら、初動で驚くぐらい売れて、グッズも含めた全体の売り上げが、ネットだけでリリースしていた時と比べ物にならないほどだったんです。ネットでの購入って簡単なようで難しいことでもあるんですよね。例えば、お金を振り込むから封筒にCDを入れて送り返してくださいというお手紙を頂いたこともありましたし。

――アフターコロナ後も無所属での活動を考えていますか?

acane:今のところはメジャーデビューしたいという考えはないですね。テレビに出ることも目標の1つなのですが、フリーのままキャスティングしてくれる人が現れたら、事務所に所属する必要はないかなと思います。もちろん、入りたくないっていうわけではないので、良いお話しを頂けるのであれば考えます。

――無所属で活動する上で、心掛けていることを教えてください。

acane:まず、応援してくれているファンの皆様を大切にすることです。私のファンの皆様って、性別も年齢層も幅広いんです。小さな子どももいれば、おじいちゃんおばあちゃんもいるんです。思い出に残っているエピソードとしては、私の「君が化粧をする前に」というオリジナル曲を聴いて、「昔の恋愛を思い出して涙が出てきた」と話してくれたおじいちゃんがいたり。そんな温かくて優しいファンの皆様をもっと大切にしたいと思っています。

「君が化粧をする前に」

――ファンの支えは大きな力になりますね。

acane:もちろん今の時代、SNSでの活動も大切ですが、それだけじゃないと思うんです。インスタグラムやTikTokは、良い意味でも悪い意味でも私の名前を知らなくても顔がちょっと好きとか、私の服装が好きっていう人もいれば、本当によくわからない人だっています。ライヴまで行かなくても動画で観られたらいいやって人もいるんです。なので最近作ったファンクラブでは、ファンミーティングをしたり、限定のアパレルを作ったりと、しっかりコミュニケーションが取れるような環境作りをしています。そうすることでもっと深く私のことを知ってもらえますし、もっと仲良くしてもらえたらいいなって考えています。

――まだまだコロナ禍の影響はありますが、今年はどのような活動をしていきたいですか?

acane:2020年は、コロナ禍がなかったら、コロナ禍が落ち着いたらこうしたいなど、確実にできるかもわからないことばかり考えて動いていたんです。でもこれからはそうではなくて、コロナ禍の影響に左右されずにできることをやりたい。そうじゃないと気持ちがブレてしまう。ファンががっかりするようなことはやりたくないです。まずは、オリジナルの楽曲をたくさんリリースしたいし、MVもどんどん撮影して配信したい。そしてYouTubeの撮影や曲作りがしやすいスタジオを作ったりと、環境作りもしっかりしたいと思っています。あとは全国のみなさんの前でライヴがしたいですけど、まだ確実にできる保証がない状況なので、未来のための準備期間として動いていきます。ブレない自分を作ることでコロナに負けないようにしたいんです。昨年はいろいろなことができなかったりしましたが、それは私だけではないですし、これからはコロナウイルスとの生活が日常と考えて活動していきます。

acane
福岡県出身のソロシンガー。YouTubeでの路上ライヴの模様が大きな話題を集めた。現在は東京を中心に活動しながら、歌うことで人の心を豊かにしたいと日々精力的に活動している。これまでに、オリジナルソング「僕のたからもの」がCM起用され、 2018年にはTV番組『NHK のど自慢』でグランプリを受賞。シンガー以外にも、モデルやイベントMCなど、マルチに活動している。そして、2020年10月には初のカバーミニアルバムをリリース。
Instagram:@acane0129
Twitter:@acane0129
YouTube:acane channel
TikTok:@acane0129

Photography Takaki Iwata

TOKION MUSICの最新記事

The post シンガーacaneに聞く、SNS時代におけるセルフプロデュース術 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>