思い切る Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/dare/ Tue, 27 Feb 2024 07:18:04 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 思い切る Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/dare/ 32 32 マヒトゥ・ザ・ピーポー × 富田健太郎 映画『i ai』が記録する「生きた時間の痕跡」 「自分が死んだらお墓ではなく、作ってきたものに祈ってほしい」 https://tokion.jp/2024/02/27/mahito-the-people-x-kentaro-tomita/ Tue, 27 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225316 マヒトゥ・ザ・ピーポーの初監督作『i ai』を通してマヒトと主演の富田健太郎が何を感じたのか。

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『i ai』の主演の富田健太郎(左)と監督のマヒトゥ・ザ・ピーポー(右)

マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲を行いボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである全感覚祭を主催。2019年には初小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画『Tribe Called Discord』が全国上映開始。2020年1月5th アルバム『 狂KLUE』をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ『ひかりぼっち』(イーストプレス)が発売。2023年2月にはGEZAN With Million WishCollective名義でアルバム『あのち」』をリリース。今作では初監督、脚本、音楽を担当。
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富田健太郎
1995年8月2日生まれ。東京都出身。主な出演作に、『サバイバルファミリー』(2017年/矢口史靖監督)、『モダンかアナーキー』(2023年/杉本大地監督)、ドラマ『来世ではちゃんとします』(2020年/テレビ東京)、ドラマ『前科者 -新米保護司・阿川佳代-』(2021年/WOWOW)、ドラマ『初恋、ざらり』(2023年/テレビ東京)、舞台『ボーイズ・イン・ザ・バンド ~真夜中のパー ティー~』(2020年)、舞台『雷に7回撃たれても』(2023年) などがある。本作オーディションで応募総数3,500人の中から主演に抜擢され、話題を集める。
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バンドGEZAN のフロントマンで、執筆や全感覚祭の主催など、独自の活動を続けるマヒトゥ・ザ・ピーポーが初監督を務めた映画『i ai(アイアイ)』が3月8日から公開される。

本作はマヒト監督の実体験をもとに、主人公のバンドマン・コウと、コウが憧れるヒー兄、そして仲間達が音楽と共に過ごした日々、出会いと別れなど、彼らの切実な時間が綴られていく。主人公コウ役には、“全感覚オーディション”と 銘打たれたオーディションで約 3,500 人の中から選ばれた富田健太郎を抜擢した。そして主人公の人生に影響を与え、カリスマ的な存在感を放つヒー兄役には森山未來を起用。そのほか、さとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子、吹越満らが出演する。

マヒトと富田、2人は『i ai』を通して、何を感じ、何を伝えようとしているのか。公開を前に今の想いを語ってもらった。

※本作にはストーリーに関する記述が含まれます。

初の映画監督について

——『i ai』はファンタジー要素も交えた独創的な青春映画でとても初監督作品と思えない作品でしたが、どのような経緯でプロデューサーの平体さんと出会い、本作を制作するに至ったんでしょうか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):パンデミックで、いろんなやりとりがリモートでしかできない期間が結構あったじゃないですか。もちろん情報交換はできるんだけど、自分が音楽やライブで大事にしていた「体温のやりとり」の感覚がどんどんわからなくなっていて。かつその頃ってライブハウスやクラブが槍玉に挙げられたりして、自分が大切にしていた景色が歴史になっていく瞬間をリアルタイムで眺めているような気持ちがあったんですよね。

そんなことが重なって「記録すること」について自覚的になっていって脚本を書いたんです。この本が映画になる価値があるのかどうかを公平に試したかったので、知人のプロデューサーとかではなく偶然行きつけのカレー屋の常連だった面識のない平体さんに渡してみたってのが監督をするに至った流れですね。映画にする価値がないのに参加してもらっても意味がないので、瑛太君も未來さんも面識のない状態で純粋に脚本を読んでもらった上で出演の判断をしてもらいました。

 ——映画を撮ることと音楽を作ることは同じ創造といえど、使う筋肉が大きく違ったかと思いますが、初の映画監督の仕事はいかがでしたか?

マヒト:感覚としては自分が主催している「全感覚祭」っていう祭りと似ていましたね。いろんな関係性や委ねたものが立体的になっていく構造といいますか。監督は関わってくれる大勢の才能や輝く瞬間を引き出して、それを記録していくわけじゃないですか。自分の作品ではあるんだけど、自分だけの作品ではない立体感を待つ表現媒体で。

最近ラッパーのCampanellaと喋ってて、映画のことを訊かれた時に「良い映画だよ」って答えたら「自分の作品を褒めるの珍しいね」って言われたんです。確かにこれまでアルバムだったら「頑張って作ったよ」って答えてたんですけど、今回は素直に褒めることができたんですよね。それは内容の良し悪しの問題ではなく、半分は自分だけのものじゃない現象の記録だからだと思っています。それって「全感覚祭」もそうなんですけど、だって自分のパフォーマンスはどうあれ「全感覚祭」は素直に褒められるので。そこは性質が似てるんだろうなって、Campanellaに気付かされました。

——今回は森山さんや瑛太さんをはじめとする素晴らしいキャストを揃えつつ、主演の富田さんはオーディションで抜擢されましたよね。

マヒト:俺は勝負所の一番大事なものは結構外に委ねるようにしています。だからGEZANのメンバーが抜けた時とかも全部オーディションでやっているのもあって、この映画の主演もオーディションで決めようと。オーディションでは映画の最後の台詞を読んでもらったんです。この映画は詩を獲得していくグラデーションの話だと思っていたから、主演もまだ羽の生えてない役者が羽を手にしていくって過程を大事にしたくて。得た知識とか経験はもう消せないし、未來さんも瑛太君も、俺だって余白しかなかった最初の頃には戻れない。そんな中オーディションで富田を見た時に、上手い下手を超えて、羽を手にして外に飛び出していくヤツだと直感したのでコウを託すことにしたんです。

 ——富田さんは何がきっかけでオーディションに応募したんですか?

 富田健太郎(以下、富田):マヒトさんのインスタをフォローしていて、オーディション情報を知ったんです。その時の俺は金もないし、未来も見えないし、俳優としてすごく迷ってたんですよね。そんな時にマヒトさんが書いた映画のステートメントを読んで、その優しさとか切実さにすごく胸を打たれて「俺この人と出会いたい」って思ったのがきっかけですね。

——主演以外はどのように選んだんでしょうか?

マヒト:他のキャスティングは自分が求めてオファーしたんです。ヒー兄に関しては未來さんしか想像できなかったんですよね。未來さんと瑛太君が共演するのはドラマの『WATER BOYS』(2003)以来なんですけど「俺はもっと映画の中で未來と殴り合いたいんだ」って脚本を読んだ瑛太君に言われて。この映画は現実とファンタジーの境界が曖昧な作りになっているから、できるだけ制作の上でもそれが溶け出すような環境を作りたいと思っていたんですよね。だから瑛太君のその提案はすごく面白くて、久我って役がさらに膨らんでいきました。

ただ自分のイメージしてることを再現してもらうより、その人自身が自発的に選んだ行動や言葉の方が絶対に強いので。すべて自分のイメージ通りに撮る監督もいると思うんだけど、俺は自分の投げた詩がどういう風にその人の体を通って発せられるかを撮りたかったんです。意識したわけではないけど、後々考えるとそれがテーマだったんだなと思いますね。

主人公・コウを演じて

——久我のキャラクターはユニークですよね。マヒトさんと富田さんは演技の面でどのような話をされたんでしょうか?

マヒト:そもそも映画経験のない俺が演技のメソッドに基づいた指導ができるはずもないことは撮る前から意識してました。ただどう読めば上手く見えるかは捨て、 どうすれば台詞ではない真の言葉として向き合えるのか、富田自身の生き様とリンクしていく話だと思うから、その辺りの精神面の話は結構したよね。

富田:シーンごとにマヒトさんはその時々の心情や精神について教えてくれて、感覚的には理解できるんだけど、その場ですぐ咀嚼できない自分にいつも悔しさを覚えていました。ホテルに戻っても頭の中でずっとそのことについて考える日々で。それでもなかなかわからないけど、マヒトさんの言葉は1つ1つ魂に訴えかけてきましたね。楽しいシーンで僕自身も楽しんじゃってたんですけど、その夜マヒトさんは「心で泣いてくれ」って言葉を掛けてくれたりとか。

マヒト:そんなことを言った記憶はないから、多分酔っ払ってたよね(笑)。

富田:カメラマンの佐内(正史)さんにもいろいろと言われて、どうしたらいいんだろうって。きっと台詞を覚えて演じるってことだけではなく、生き様を映してもらうという自分の意識が浅かったんでしょうね。それでも周りが助けてくれるって甘い考えが佐内さんに見破られたんじゃないかな……。

マヒト:「一番具体性のある言葉が詩なんだ」って最近知った言語学者の言葉があるんですよ。詩って抽象的なものとして皆認識してるじゃないですか。でも例えば「これとあれは赤色です」って限定的に断定することは、異なるものをひとまとめにする暴力性を持つわけですよね。本当は微妙に違っていても、断定して呼ぶとそれでしかなくなっちゃって、それ以外の余白がなくなる。詩はそんな余白も含むから、俺も何かを伝えたい時は一番詩が具体性を帯びると思ってて。だから俺や佐内さんは、伝える時は細かくどうこうじゃなく、詩としか言いようのない言い方を選ぶんです。その余白部分は、その人自身が解釈するしかない。だから詩が読めない人は大変だったと思います。

富田:人生で一番自分と対話した期間でしたね。撮影が終わったら区切りがついて自分の生活に戻ると思ってたんですけど、あまりにもらったものが大きすぎて終わってからのほうがいろんな気持ちが膨らんでいきましたね。

マヒト:クランクアップした時の佐内さんはすごかったね。 全部撮影が終了して「お疲れ!」って喜んでたら、「どうせお前らはこれで忘れるだろうけど、ここで忘れるやつはダメだ !」って皆を刺して(笑)。1つの愛の手渡し方でその通りなんだけど。

富田:撮影の日々にはすごく感謝してるし、今でも宝物だし、 青春だなって本当に思えるような時間でしたけど、終わっても迂闊に喜べなかったです。

マヒト:喜んでいいんだけどね。俺は喜んでたし。この映画は最終的に現実に溶け出してきますけど、今生きてるのだってほとんどファンタジーみたいな変な世界じゃないですか。各地で戦争や災害が起きて、政治も滅茶苦茶で。もしかしたら映画の中で生きてた時間のほうが健全な時間かもしれない。 映画って2時間の逃避とも言える場所なんだけど、それが終わったらまた現実の中で暮らしが始まる。そんな映画と現実の曖昧なグラデーションを俺も感じてたので、佐内さんが撮影終了して終わりじゃないって皆を刺してたのは流石だなって思いましたね。佐内さんは脚本を読んでこないと撮影前は言ってて、プロデューサーを凍りつかせてたけど、それでいて本質を誰より掴んでるから当て勘がすごくて。面白い人です。

ヒイ兄のキャラクターは生産性へのカウンター

——映画と現実が溶け出す最後の独白部分は印象的でしたね。

マヒト:あの独白の中で「言葉になんかできないけど、言葉にしなくちゃ」って言ってますけど、 大体難しい議題にぶつかった時って、「わからない」ってことを答えにするじゃないですか。それってすごく楽で安全な方法で。結論を出す時に「わからない」や「迷い続ける」ことで批評されることを避けて曖昧にすることもできるんですけど、俺はその答えにもう飽きたんですよね。何かを言い切ることは、時に誰かを傷つける可能性も孕んでるけど、その覚悟は発する側として持たないといけない。未だに自分にとっても死やお別れって何なのかって簡単には言い切れないんですけど、言い切ることと大切にすることは同時にできると思っているので、必ず向き合って言葉にしないとって思ったんです。あの独白にはそういった意思表示も含まれているのかもしれないな。

——この映画は順撮りですか?

マヒト:順撮りです。

——では独白は最後に撮ったんですね。他の部分と表現の異なる、すごみのある演技で驚きました。

富田:オーディションでその部分を読んだことがスタートっていうのもあって、独白は最初から頭にありましたね。映画が始まってからその独白に辿り着くまでの、コウのストーリーが何なのかを撮影中ずっと考えてて。それが成り立たないと、独白もただの意味のない言葉になるじゃないですか。あの言葉を言っていたのがもう富田健太郎なのかコウなのかわからないんですけど、濃厚な日々の集大成としての台詞だったから、それまで皆で過ごした時間とか明石の匂いとかすごくいろんなものを込めて言い切りたくて。合ってるかはわからないけれど、今の俺が自分を生かすためにもこの言葉を言いたいって思いで演じましたね。

——本作はマヒトさんの実体験をベースに脚本を書かれたと伺いましたが、物語のキーになるヒー兄のキャラクターはどのように固めていったんでしょうか?

マヒト:ヒー兄のモデルとなったやっちゃん兄ちゃんは劇中と同じように亡くなってしまったんですが、そばにいないはずのやっちゃん兄ちゃんが結果的に自分達に映画を撮らせて、こんなにたくさんの人を巻き込んでいったわけですよね。最初に動かしたのは俺だけだったかもしれないけど、それって何万枚セールスとか何万人動員って数字にも負けてないと思うんです。数字は横の広がりばかりが評価されるけど、本当は縦の深度もありますよね。たった1人でも深みがえぐかったら、 薄く伸ばされた1万より価値があるかもしれないし。

そんな生産性へのカウンターみたいな気持ちもヒー兄のキャラクターのベースにはあって。音楽でも映画でも、表現をやってる人なら、そういう人ってきっといると思うんです。未來さんの中にもヒー兄に当たるような人物がいたって話も聞いてましたし。未來さんのその人物像と、俺のイメージが掛け合わされたものが映画の中のヒー兄になってるんだと思いますね。

——富田さんはそんな森山さんとご一緒していかがでしたか?

富田:単純に役者としての力も、その場にいる存在感も、伝える力もすべてがすごくて。その強い輝きを近くで見られたことは間違いなく自分の中でとても大きかったし、それは撮影の日々が終わった今も残ってるんですよ。ああいう背中を見れる経験ってなかなかないと思うので本当に感謝してますね。撮影時には咀嚼できなかった部分が私生活の中でふと「あれってこういうことなのか」ってわかることがあるんですけど、その度に背中がまたでかくなるんですよ。あの人達の言葉にはそういう思いも含まれていたんだって。だからどんどん感謝の念が深くなります。

マヒト:未來さんは空間掌握能力が異常だよね。ルーツがあるからだろうけど、自分がどう動くと空間がどう作用するかということに自覚的で。未來さんが出演した過去の作品を観ると、本人自身の芝居はもちろんですが、実はどれも未來さんの作品全体に向けた身体的なプロデュースが入ってて、それ故に作品の質が上がっていくことを現場を終えた自分は思っていました。

映画館とライブハウス、2つの聖域

——本作ではある種の聖域として映画館やライブハウスが登場しますが、この2つはマヒトさんにとってどういう意味を持つ場所なんでしょうか。

マヒト:映画館って関係ない人と一緒の時間を共有しながら、画面とだけ向き合うっていう他にない空間だと思うんですよね。暗闇の中に飲まれて、同じ方向を向いて、同じ映画を共有しているのにそれぞれは必ず「個」である場所って他に思いつかないじゃないですか。それが聖域っぽいなって。ライブハウスは逆だと思うんです。ノリとかの一体感だけじゃなくて、体の70パーセントを占める水分を汗や飛沫として出して、ものすごい大きな水や振動を共有してるというか。それは言葉とか音色以上に、交換している情報が大きいと思っています。パンデミック中にライブ配信とかたくさんあったけど、 観ているのは家だから全然ライブだと思えなかったのはそれが起因している。データ情報は飛んでくるんだけど、振動は共有できないじゃないですか。それはライブって場が奪われたような時期だからこそ思ったことなんですけど。だからライブハウスもまた違った角度を持つ聖域ですよね。

その2つは自分にとっては教会やお寺より祈りの場所だと思うんです。人生が詰まったものが残っている場所ってお墓よりも「お墓的」だなと思うし。だから俺は自分が死んでいなくなっても、お墓じゃなく『i ai』や俺が作ってきたものに祈ってほしい。骨なんかはそこら辺の砂と自分にとっては変わらないから。だったら自分が今放出している、生きた時間の痕跡が残ってるものに気持ちを向けてほしいですね。そこに自分はいるので。

——GEZANのカラーといえば赤色ですが、本作でも火や血、風船や服など至る所に赤が配色されていましたよね。同じく青色も印象的に使われていましたが、それらの色に込めた意味はあるのでしょうか。

マヒト:もともと赤が好きなんですよね。赤って命の色じゃないですか。肌の色はどうであれ、全員赤い血が流れてて。そういう意味で根源的にピュアな色だと思うから今も魅了され続けてるんです。監督だから映画の衣装を決める権限もあって、やっぱり自然と赤に手が伸びちゃうんですよ。「だって好きなんだもん」って(笑)。作品に赤が溢れるのはそんな直感的な理由でずっと向き合ってきた命のイメージを込めていますね。一方で映画の中で青色は死のメタファーとして機能しています。放った風船が、青空に吸い込まれてるとか。実は青もすごく好きな色なんですよね。

——本作には痛みや喜びや怒りなど多くの感情が込められていますが、観た人に何を感じてもらいたいですか?

マヒト:試写を観終わった人を見てると、喰らいつつも言葉にできないって人が多いんです。一方映画のテーマは「言葉にできないけど言葉にしなくちゃ」って部分で、そこにハレーションがあるんですよね。面白い現象だなと思いながら反応を見てるんですけど、誰かに手渡された言葉ではなく、稚拙でもその人の血の通った言葉で語ることが大事だと思ってるんですよね。いわゆる青春映画にしては詩が多いし、アート映画と呼ぶには青すぎる作品じゃないですか。曖昧なグラデーションに揺れてると思うけど、混乱した世界を生きる中で切実に作品を作るってことは、同じように映画も混乱しないとチューニングが合わないし。その波形はすごく気に入ってるんです。だから観た人にはこの物語を手渡されて自分ごととして悩んでほしいですよね。簡単に答えを出せることじゃないと思うし、それはそのまま生と向き合うことでもある。それがフィードバックして返ってくる中で『i ai』は成長していくし、俺はその1つの生命体が旅する過程で見せた波紋を見て、見えなくなった友達と酒を飲みたい。

——ちなみに次回作の予定はあるんですか?

マヒト:脚本のイメージはすでにありますね。そのうち書こうかなと。

——本当ですか!次も楽しみにしています。

Photography Mayumi Hosokura
Stylist Masakazu Amino
Hair & Makeup Yurino Hamano

『i ai』(アイアイ)』3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開

■『i ai』(アイアイ)
3月8日から渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
出演:富田健太郎
さとうほなみ 堀家一希
イワナミユウキ KIEN K-BOMB コムアイ 知久寿焼 大宮イチ
吹越 満 /永山瑛太 / 小泉今日子
森山未來
監督・脚本・音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
撮影:佐内正史  
劇中画:新井英樹
主題歌::GEZAN with Million Wish Collective「Third Summer of Love」(十三月)
プロデューサー:平体雄二 宮田幸太郎 瀬島 翔
製作プロダクション:スタジオブルー  
配給:パルコ
©STUDIO BLUE
(2022年/日本/118分/カラー/DCP/5.1ch)
https://i-ai.jp
X:@iai_2024

GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』

■GEZAN『i ai ORIGINAL SOUNDTRACK』
アーティスト : GEZAN
レーベル : 十三月
発売日 : 2024年3月8日
フォーマット : CD/DIGITAL
CD価格 : ¥3,000
収録曲
Tr.01  Signs of summer
Tr.02  Toward a suspicious cloud
Tr.03  SOFT TWIST
Tr.04  Prayground
Tr.05  ROOM BLOOM
Tr.06  相逢 LIVE (AIAI LIVE) feat.森山未來
Tr.07  M A D O R O M I
Tr.08  M I N N A  S O K O N I  I T A
Tr.09  炸裂音(EXPLOSION SOUND)
Tr.10  THIS POP SHIT
Tr.11  AUGHOST feat.小泉今日子
Tr.12  TEN FINGER DISCOUNT
Tr.13  FLUXUS
Tr.14  P(i)ano
Tr.15  S U B A R A S I I  S E K A I
Tr.16  Pi(A)no or yes?
Tr.17  Tromborn
Tr.18  Howl
Tr.19  i ai
BONUS TRACK – CD ONLY
Tr.20  AUGHOST (ACOUSTIC VER)
https://gezan.lnk.to/iai_soundtrack

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謎多き音楽家・Hyuが語る「90年代後半から00年代前半の宅録事情」——目指したのは「いかに聴いたことのない音楽を作るか」 https://tokion.jp/2024/02/16/interview-hyu/ Fri, 16 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224107 アンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』をリリースした音楽家・Hyuへのインタビュー。

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Hyu(ヒウ)

Hyu(ヒウ)
1975年大阪生まれ。音楽家。1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する<Childisc>より作品をリリース。

1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する大阪のレーベル<Childisc>よりいくつかの作品をリリースし、エレクトロニック・ミュージック・ファンに限らない熱心なリスナーから厚い支持を得てきた音楽家、Hyu(ヒウ)。テクノやドラムンベース、エレクトロニカといった既存のジャンル概念に集約されないそのトラックの数々は、今もなお、いや、今になってこそ特異な輝きを増しているといえる。

その時々の最新テクノロジーを駆使した先鋭的なものながらも、宅録ならではの親密性を有し、現代音楽の語法を消化しつつも、あくまで聞き心地は「ポップ」。その多面的な楽曲の数々は、DTM全盛時代の今だからこそより一層興味深く聴けるものばかりだ。

この度、そんなHyuが過去に録音していた曲の数々を、バージョン違い等を含めて発掘したアンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』が、大阪のエム・レコード(EM Records)からリリースされた。謎めいた経歴から当時の制作秘話、さらには近年の音楽とその周辺文化に対して抱いている思いまで、じっくりと話を訊いた。

エイフェックス・ツインからの影響

——まずは生年から伺えますか。

Hyu:1975年大阪生まれです。

——音楽をやり始めたのは何歳の時なんでしょうか?

Hyu:17〜18歳の頃だったと思います。最初はスカム系のバンドをやってました。当時、大阪の若い奴らの間でボアダムスがカリスマ的な人気になっていたんですけど、自分も彼等に憧れて、とりあえず大暴れする、みたいなライヴをやってました。わけわからんものをみんな率先してやってみんなで面白がる、みたいな空気があったんです。

——それ以前から音楽はお好きだったんですか?

Hyu:流行りものも聴いてはいましたけど、基本は普通の運動部の少年って感じでした。あの当時、大阪の片田舎の高校で音楽をやるって言ったら軽音部でBOØWYとかユニコーンのカバーをやるみたなのが大勢、という時代……自分はそっちには興味が持てなかったんですけど、今言った通り、18くらいでいきなりわけわからんものに惹かれるようになったんです。けど、結局すぐ飽きるんですよね。めちゃくちゃ暴れるっていっても限度があるじゃないですか。すぐピークに達して、そっから先は何もないっていう(笑)。

——1人で音楽を作るようになったきっかけは何だったんですか?

Hyu:エイフェックス・ツインを聴いたのが大きかった気がします。エイフェックス・ツインも最初はなんかよくわからへんなという感じの音楽で、そういう変な部分に惹かれたんだと思います。テクノともアンビエントともいい難い、カテゴライズできない面白さというか。で、自分でもシンセサイザーとかサンプラーとかを買って作りはじめました。それが94年くらいですかね。

——そうすると、今回の『Inaudible Works 1994-2008』には、タイトル通りごく初期の音源も収録されているということですね。

Hyu:そうですね。多分「ガムランに憧れて」っていう曲が一番古いと思います。

——なぜガムランだったんでしょうか?

Hyu:みんながBOØWYとかを聴いている時期に、僕は芸能山城組にハマっていて。そこから民族音楽的なものに興味を持つようになったんです。芸能山城組を知ったのは、『AKIRA』の映画を観て、なんだこの音楽は!と思ったのが最初ですね。

——「ガムランに憧れて」はジャングル〜ドラムンベース調でもありますよね。

Hyu:はい。当時その辺りの音楽が流行りはじめた時期で、いろいろやっているうちにそうなってしまって(笑)。

——普段から最新のクラブ・ミュージックを追いかけている感じだったんですかね?

Hyu:自然と情報が入ってきましたね。けど、それまでのダンス・ミュージックって、どちらかっていうと匿名的なプロデューサーが12インチを切るみたいな感じだったと思うんですが、自分はそういう文化とはちょっと距離があって。そこにエイフェックス・ツインみたいな記名性の強いアーティストが出てきたので、一気に惹かれていったんです。そこから<Rephlex>とか<Warp>のアーティストを聴いていった感じですね。

——当時はマルチトラック・レコーダーで録っていたんですか?

Hyu:そうですね。そういうのを使ったり、サンプラーだけで作ってみたり。

——いわゆる「ローファイ」的なサウンドが当時の時代性を映し出していますね。

Hyu:『Selected Ambient Works 85-92』を聴いても、なんでこんなモコモコした音なのに良いんやろう、とか思ってましたし、電子音楽を作るにしても、必ずしもハイファイな音質でなくてもいいんだと気付いたのは大きかったですね。

——「奇妙な雷竹の舞」のように、平均律から離れた微分音を探求している曲も入っていますが、当時は現代音楽も聴いていたんですか?

Hyu:実はそんなに熱心に聴いていたわけじゃないんです。12音技法とか無調とかいう概念もあとになって知るんですけど、当時はあまり知らなくて。そういう楽典の歴史への知識というよりも、エイフェックス・ツインとかがやっていることを参考に、手元にある楽器をいじりながら「これ、どんな音が出るんだろう」とか「音階を換えてみたらどうなるんだろう」とかそういう試みをやっているうちに、だんだん通常の手法から離れていったんです。

後にシェーンベルクやらクセナキスの曲を図書館で借りて聴いたりもしたんですけど、なんかおもんないなあ、と……。実際ああいう西洋の現代音楽って、あくまで理知的っていうか、聴いて楽しむという観点が第一で作られているものじゃないわけで、なんかしっくり来なかったんですよ。反対に、自分が作るものは、腕組みしないで聴けるあくまで楽しい音楽を目指していた部分がありますね。

1998年にレコード・デビュー

——その後、1998年に『Sortie』というコンピレーション・アルバムに参加したのがレコード・デビューになるわけですね。

Hyu:はい。当時、大阪にビーイング系列の<Styling Records>っていうクラブ・ミュージックのレーベルがあったんですよ。今ではちょっと信じられませんけど、当時はCDバブルでお金が余っていたから……(笑)。『Sortie』はそこから出たものですね。関西クラブ・シーンの引率者的な存在だった松岡成久さんが監修を務めていて、僕にも声がかかったんです。それ以前に自分で作ったカセット・テープを心斎橋の服屋に置いてもらっていて、そこから徐々に広がっていって、コンピの参加に至ったという経緯ですね。

——コンピのコンセプトはドラムンベースだったようですけど、Hyuさんが提供した「Cutie Bam-boo Dance」(前出曲「奇妙な雷竹の舞」の元バージョン)はだいぶ様子が違いますよね。

Hyu:「よし、ドラムンベース作るぞ」って意気込んではいたんですが、結果的に全然違うものになってしまいました。そもそも8ビートだけど、「まあ、いっか」と。そしたらコンピの中のどこにもハマらなかったみたいで、ラストに収録されることになりました(笑)。当時は本当にドラムンベース全盛期で、大阪でもディスコ用の大箱みたいなところでそういうイベントが頻繁に催されていましたね。なぜか僕もそういうところに混じってライヴをやってました(笑)。

——さらに同じ年、竹村延和さん主宰の<Childisc>のコンピ『Childisc Vol. 1』にも参加されています。

Hyu:そうです。竹村さんも松岡さんの紹介で知り合いました。

——今でこそそのあたりの時代の動きは日本のエレクトロニカの黎明期みたいに理解されることもあるかと思うんですが、ご自身では自分の音楽をどういうふうに捉えていたんでしょうか?

Hyu:うーん、なんだろう。広い意味でのテクノ、って感じでしょうか。そもそもエレクトロニカっていう言葉は当時流通していなかったように思います。2000年前後からいろいろ変わったことをやっている人が出てきて、結果的にその中の一部の人が後にそう呼ばれるようになったっていう印象ですね。

——IDMとか、音響系という言葉もありましたけど。

Hyu:ありましたね。けど、自分の音楽がそれらに属していたかっていうとそんな自覚もなかったですかね。ガンガン踊らせる音でもないし、かといって難しい顔をして聴く音楽でもないし、なんというか、用途の定まっていない音楽……。それこそ<Rephlex>周辺の人達が「ブレイン・ダンス」っていうジャンル名を提唱していたことがありますけど、強いて言うならその感覚に近いのかもしれない。身体じゃなくて、脳が踊る感覚っていうか。

——その後<Childisc>からフル・アルバム『Wild Cards』(1999年)を出される前に、もう1枚コンピに参加していますよね。

Hyu:あ、はい。『Ao』(1998年)ですね。

——当時、ジム・オルークさんがそこに収録された「INDiRECT」(『Inaudible Works 1994-2008』収録の「みなれぬものたち」の別バージョン)という曲をいたく気に入って、周りの人達にダビングして配っていたという噂を聞いたんですが。

Hyu:そうらしいんですよね。たぶん竹村さんの繋がりだと思うんですが。ダビングによって人から人へ情報が伝播していったっていうのは、まさにインターネット以前ならではという感じで面白いですよね。

これは、倍音にフォーカスした曲なんですが、誰にも理解されないだろうけど自分的には面白いものができたなと思っていたら、そうやって理解してくれる人がいて驚いた記憶があります。ジム・オルークさんのアルバムを聴くと、確かに倍音がすごく効果的に使われているんですよね。

——「倍音にフォーカスした」というのを詳しく言うと?

Hyu:簡単にいえば、作曲と音色作りの境界を取り払って作ったということですね。特に西洋音楽とか楽譜をベースにした音楽の世界では、どうしても両者が別のものとして扱われてしまうんですよね。一般的にもメロディーを奏でることとシンセサイザーで音作りをすることって別の作業だと考えられていると思うんですけど、そもそも、どんな楽器の音であれ原則としていろいろな周波数の音が同時になっているわけなので、本来的に両者の概念が切り分けられている必要はないはずなんです。当時はコンピューターも持っていなかったので、電卓で周波数を計算しながらそういう曲を作っていました。

“いかに聴いたことのない音楽を作るか”

時代ごとに制作環境も変わっていったと思うんですが、今回のアンソロジー盤『Inaudible Works 1994-2008』を聴いていると、その時々の制作テクノロジーを駆使しながら、いかに聴いたことのない音楽を作るかということに注力している様子が浮かび上がってきます。

Hyu:そうだと思います。最初のほうはさっき言った通りサンプラーとかMTRを使っていたんですけど、後にコンピューターを買ってからはそれを使ってどんなことができるか試すようになりました。例えば、今回のアンソロジーのLP版に収録されているはっぴいえんど「風をあつめて」のカヴァーでは、FFTで音を分解して再構築するという作業をやりました。

——クオリティは別にして、現在では、やろうと思えばかなり手軽にDTMで曲ができちゃうわけですけど、当時はまだまだ相当な根気がいる作業だったわけですよね。

Hyu:確かにそうですね。

——なぜそこまで没頭できたんだと思いますか?

Hyu:うーん。どうだろう、逆に根気がいる作業だったからこそ没頭できたというか。それと、いろいろなソフトの黎明期だった分、竹村さんをはじめ周りの人達と「こういう手法があるよ」とか制作について話すことが多かったんですけど、それも刺激になっていたように思います。

——当時やっていた手法が、DAWの浸透によってかえって困難になったという例もあるんでしょうか?

Hyu:それは大いにあると思います。難しいどころか、不可能なことすらあると思います。もちろん、技術的に極めている人ならできることはたくさんあるとは思うんですが。今は音楽制作から離れて久しいですが、当時DAWの画面を見た時に、なんというか、暗黙の了解で設定された強い枠組みが設定されているような感覚を抱いたんですよね。そういう枠組みの中では、開発者が想定しているであろう音はすぐに作れるんですが、そうでないものを作ろうとするととたんに行き詰まってしまうんですよ。個人的には、そういう、枠が与えられていてその中に囲い込まれているような感覚があんまり肌に合わなくて。

——「こういう風に作るべし」という風にテクノロジー側からアフォードされているような感覚?

Hyu:そうですね。ピアノの前に座ると自然と平均律を弾かざるを得なくなるのと似ているというか。

——むしろ黎明期の技術のほうが自由度が高いのかもしれない……?

Hyu:そう感じてしまいますね。

——「離散とグリッドのインベンション」などの曲では、ボカロ以前の初期人声合成技術を使ったりもしていますよね。

Hyu:はい。あの頃、すごくハマっていたんですよ。当時は「スピーチ・シンセサイザー」って呼んでましたね。竹村さんも熱心に研究していて、2人でよくその話をしたのを覚えています。竹村さんは、初音ミク以前にクリプトン・フューチャー・メディアが輸入販売していた初期のボーカロイド・ソフトに対してクレームを入れるほど、人声合成技術について一家言のある人だったんですよ。僕も、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(柴那典・著)という本を読んで、そのあたりの詳しい顛末を知ったんですが。

初音ミクの「声」を初めて聴いた時、僕も「人っぽすぎる」と違和感を持ったのを覚えています。あくまで「音」として考えた時、「人間的な色」が過度にあるとちょっと違うというか。

——いわゆる「不気味の谷現象」的な違和感?

Hyu:そうですね。その点、昔のスピーチ・シンセサイザーは、人の声にも聴こえなくはないというレベルで、そのマシーン的な質感がかえって有機的に聴こえるんですよね。もちろん、できるだけ人の声に似せていくっていう追求の方向もありだとは思うんですが、究極を言えば、実際に歌ったほうが良いねという話にどうしても行き着いてしまうと思うので。

——近年では音楽制作の場でも生成AIの技術が大きな話題となっていますが、そういうものについてはどう思われますか?

Hyu:いろいろな技術があると思うし、例えば「ビートルズっぽい曲を作って」と指示してまさにそれっぽいものができるみたいに、シミュレーション的な方向性ではすごいレベルに達していくんでしょうけど、大きな枠組みから離れた何かをやってください、となった時には、たぶんかんばしい成果は得られないような気もしますね。

——プロンプトの精度を上げていけば、より一層創造的な可能性が開けていくのではないかという見方もありますが。

Hyu:でも、結局音楽の内容やイメージを自然言語で指示するのって限界があると思うんですよ。音作りにまつわるいろいろな象限とかパラメーターとかがあるわけですけど、それはそもそも自然言語では表記できないからそうなっているわけで、どこかで限界にぶち当たる気がして。音楽の根本的な構造を組み直したり、逆に細かいところを突き詰めたりというのにはAIは今のところ向いていないと思うんですよね。

——技術の発展が必ずしもマクロな音楽観の転換に繋がるわけではないということですかね。

Hyu:まさしく。そういえば、こないだYouTubeをなんとなく見ていたら、ヒップホップのビートメイカーの人が自分が普段どうやって音を作っているかを説明するチュートリアル動画みたいなのが流れてきたんですよ。「まず、このサイトでビートのパーツをダウンロードして、Ableton Liveにそれを取り込みます」「ここからが僕だけのオリジナリティなんですけど、そのパーツのピッチを変えます!これがクリエイティヴィティです」みたいなことを言っていて、ついにここまで来たのか……と思ってしまいました。そういう人達からしたら、AIに指示してそれっぽいビートを吐き出させるっていうのは、まさに「クリエイティブ」なことなんでしょうけど。

「いいね」中毒で自分を見失ってる人

——単純に「昔は良かったね」的な話にするのも違うと思うんですけど、少なくとも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』に収録されている曲を今から50年後くらいに聴いた時に、「DTMテクノロジー直前の特殊な音楽」みたいな形で歴史化されている可能性もあるなと思いました。

Hyu:あ〜、はい。なんというかこう、歯を食いしばりながらデジタル技術と対峙して面倒なことをやっていた人間の痕跡が刻まれているものとして……(笑)

——電気自動車が当たり前になった未来に「あの時代にはハイブリッド車っていうのがあったらしい」って振り返られる、みたいな……。

Hyu:わかります。本当に昔話になるかもしれないですよね。

——まさに、だからこそ今回のアーカイブ企画には深い意義がある気がします。風化とか伝説化じゃなくて、本来的な意味での歴史化のための第一歩というか。

Hyu:最初にエム・レコードの江村さんから話をもらった時には、「え、こんなのに興味持ってくれる人いるのかな」という気持ちでしたけどね(笑)。

——今後再び音楽を作り始める可能性はないんでしょうか?

Hyu:うーん……どうだろう。やるとしたら、昔みたいに1人でやって煮詰まっちゃうんじゃなくて、誰かとやりたい気持ちがありますね。せっかく転勤で東京に来ているし、誰か面白がってくれる人がいるならやろうかなくらいの気持ちはあります。けど、今となってはどんなモチベーションでやるのかっていうのも難しいよなと。

——当然、今っぽくネット上でのバズみたいなものを目的にしてやっていくっていうのも違うでしょうし……。

Hyu:たぶん、そうやって曲を作って面白い動画とくっつけてみたりとか、反応を推し量りながらやっていくようなスタイルからは、面白いものはに生まれにくい気がします。作品をインターネットで公開すると色々なフィードバックが返ってきますが、あれに支配されてしまうというか、SNSの操り人形になってしまってる人が増えてる気がします。日常の言動とか思考がすべて「バズ」という状態から逆算されたような状態になっていて、ある種の「道化」を自分から進んでやってしまう状態になる、そして、本人も薄々そんな状態に気づいていて自分でもイヤになってたりするんだけど、しかし「いいね」の誘惑に耐えきれずにまた元通りになってしまうっていう。まさに「いいね」中毒で自分を見失ってるというか。

——あ〜……。

Hyu:友人が面白いことを言っていて。「頻繁なフィードバックは人間をダメにする。中世のヨーロッパでは、一生に一回『最後の審判』という名の巨大なフィードバックがあるだけ、しかしそれぐらいで良かったのでは」って。なるほど面白い意見だと思いました。その1回以外は暗中模索で何かを作っているほうがむしろ健全なのかも。

——そういう意味でも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』は、ある時代へと移行する直前の創作のあり方の記録として貴重なドキュメントになっているような気がします。タイトルで「1994-2008」と謳っているのも、結果的に、ギリギリSNSが浸透する前の時期までの音源集であるということを現しているといえますね。

Hyu:実際、不特定多数の誰かからの肯定を日々受けながらというより、ひたすら孤独に作っていたものですからね(笑)。仮にこれを作っていた時代にSNSの「いいね」とか、アテンション・エコノミーみたいなものがあったら、いかにも無難なものに終わっていた可能性は高いと思います。

Photogaraphy Mayumi Hosokura

Hyu『Inaudible Works 1994-2008』
価格:(CD)¥2,970、(LP)¥4,400
TRACK(CD)
01. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
02. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
03. 茄夢 [4:58]
04. WigWig [4:44]
05. みなれぬものたち [3:22]
06. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
07. Robotomy Mam [2:24]
08. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
09. 猫屋オドレミ [6:36]
10. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]
11. ガムランに憧れて [5:34]
12. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
13. 1000万年後の子供たち [6:10]
14. 音の散逸構造 [6:00]
未発表:1, 6, 9, 10, 11, 13, 14
新バージョン: 5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 通常ジュエルケース、12ページブックレット、帯付
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689221

TRACKS(LP)
Side A
1. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
2. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
3. 茄夢 [4:58]
4. WigWig [4:44]
5. みなれぬものたち [3:22]

Side B
1. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
2. どんな音でも二度繰り返すと音楽に聞こえる [3:34]

Side C
1. Robotomy Mam [2:24]
2. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
3. 風をあつめて [2:39]
4. 猫屋オドレミ [6:36]
5. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]

Side D
1. ガムランに憧れて [5:34]
2. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
3. 1000万年後の子供たち [6:10]
4. 音の散逸構造 [6:00]
未発表曲:A1, B1, B2, C3, C4, C5, D1, D3, D4
新バージョン: A5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 12インチLP2枚組、見開きジャケット、DLクーポン封入
+ 2LP版のみボーナストラック収録
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689112

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進化するミュージシャン、中村卓也 革新的な姿勢が生み出したコズミック・ワールド https://tokion.jp/2024/02/16/interview-takuya-nakamura/ Fri, 16 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223668 ブルックリンを拠点に活躍するミュージシャン、中村卓也が提唱する革新的コズミック(宇宙)ワールド。

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中村卓也

中村卓也(Space Tak)
1966年生まれ。作曲家、ピアノ、トランペット奏者。国立音楽大学作曲科を卒業後、ボストンのニューイングランド音楽大学院へ留学。大学院在籍中よりジョージラッセルのバンドに参加。1994年からニューヨークに拠点を移し、さまざまなシーンにて活動開始。これまでにジョジョ・メイアー、オーガニック・グルーヴス、ココロージー、ブルックリン・ジプシーズ、マリアンヌなどのバンドにて活動してきた他、リー・スクラッチ・ペリー、アート・リンゼイ、ロバート・ウィルソン、エイサップ・ロッキーなど多様なアーティストの活動に参加。またクインシー・ジョーンズ、ビリー・ホリデイのリミックスを担当。パンデミックの最中は「Temple Nopgue」と題し八王子の法然寺や長野のスタジオよりさまざまなアーティストを招き実験的なライヴを配信。2023年は「The Lot Radio」での配信が100万回再生を超え話題を呼ぶ。現在はブルックリンを拠点に国内外にて活躍中。
https://solo.to/deertrapstudio
Instagram:@space_tak

ニューヨーク・ブルックリンを拠点にローカルのアヴァンギャルドな音楽シーンにて、幅広い活動を繰り広げるミュージシャン、中村卓也。日本バブル末期の1990年に渡米。ボストンのニューイングランド音楽院にてジョージ・ラッセルの教えの下にリディアン・クロマティック・コンセプトを学び、1994年にニューヨークへ活動の拠点を移して以来、トランペッター、ピアニストとして、アンダーグラウンドからメジャーまで幅広い音楽アーティスト達とステージを共にし、約40年以上、常に革新的な音楽活動を続けている生粋のミュージシャンだ。

コズミック(宇宙)をテーマに、楽器と音楽機材を駆使しソロでライヴ/DJを決行。ジャズ、ドラム&ベース、エレクトロ、ジュークなどジャンル問わずの選曲に、オリジナルのビートと演奏を重ねたインプロ的な独自スタイルが注目され、昨年は世界的に人気のブルックリン発のネットラジオ「The Lot Radio」でのDJプレイが100万回再生(スーパーバイラル)されるという快挙を遂げ、本人も驚きの“卓也の時代”が来ていることを感じて止まない。

これは個人的な印象だけど、初めて卓也さんの演奏を聴いた時、自分が思うニューヨークの空気を纏った音色だなと感じた。アーバンでモダン、品とストリートが交差した感じ。「俺はジャズ・ドロップアウト」と卓也さんは言うけど、自ら選んだ他とは異なる道と体験してきた環境が、孤高のスタイルを生み出したのだと感じて止まない。そして時代が今、卓也さんを捉え始めているのではないだろうか……よって気になるのは「一体、中村卓也というミュージシャンはどんな人物なのか」。

ジョージ・ラッセルの教えを受け、人生を謳歌するために1990年にボストンへ

——トランペットは父親が買ってきたから始めたそうですね。

中村卓也(以下、中村):父が音大の先生をしていた関係で、子どもの頃から楽器が家にあって、ピアノは仕事道具なので当然なんだけど、大学附属の楽器屋さんから型落ちしたエレクトーンやベース、スチューデントモデルの管楽器とかがうちに流れ着いてきたり。その頃のテレビのテーマソングとかに当時はインストポップとかもあって、トランペットの曲がよくあったから父にトランペットがやりたいとか言ったのかもしれない。それから父がいい感じのトランペットを買ってきてくれて、そこから父の生徒でもあった方にトランペットを教わる、というか遊んでもらう感じで始まりました。

——1990年に渡米されましたが、ジョージ・ラッセルが講師を務めていたニューイングランド音楽大学院へ行こうと思ったきっかけはなんだったのですか?

中村:ジョージ・ラッセルの音楽はすでに少しずつ聴いていたから、日本へ来日した時にコンサートに行ったんだけど、そこで衝撃を受けて。今まで教わってきたクラシックの理論では説明がなかなかつかないことが、彼の言う「リディアンスケール」を中心にした考え方ですっきりとわかるらしい、ということで興味を持っていたんだよね。その頃は国立音大に行って作曲を勉強するフリをしてジャズをやっていたんだけど、学校を卒業する頃に校内に「ニューイングランド音楽院生徒募集中」と書いた張り紙が偶然貼ってあって、彼がそこで教えていることはレコードのジャケットとかを見て知っていたし、日本でジャズをやるのもなんかよくわからなかったから、オーディションに行き、そのまま1990年にボストンに行くことになったんだよね。学校では他に、ポール・ブレイとかデイブ・ホーランド、ジュリ・アレンなど最先端の人達が教えていた。

——流れの中で行くことを決めたんですね。

中村:行くチャンスができたから何も考えないで行ってしまおうってことで、そのまま決めて行ってしまったんだよね。日本でアメリカのコピーをしてジャズやるより、どうせだったら実際に何が起こっているか見たかったというのもありました。

——ボストンでの大学院生活はどうでしたか?

中村:大学院だったから、自分で勉強しろっていう感じで。最初は英語もわからないまま、とりあえず入れたから行くという感じで。でも演奏をして仲間もできて、その中でなんとなく英語を覚えていくことができたし、アメリカに行くということ以前にジョージ・ラッセルを始め、今考えればすごいなと思えるいろいろなマスター達から学べるということしか考えていませんでしたね。だって彼のおかげでマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンとかの演奏が変わってしまったっていう人だし、これはぜひとも学びたいと思ったから。

——ジョージ・ラッセルからどんなことを教わったんですか?

中村:彼は1950年代にニューヨークジャズが革新している時期に、「シンプルなコード進行から複雑なものまで、現代の音楽に対応した新しいハーモニーをもっと自由にシンプルにインプロヴァイズ(即興演奏)できるように考えられた・発見された新しいコンセプト」をひらめいて、当時のニューヨークの仲間とともに研究をして広めた人で、アメリカの音楽をだいぶ変えてしまったような人です。

もともと自身もドラマーとして活躍していたんだけど、友達のマックス・ローチがすごすぎて作曲家に転身したらしい。マイルス・デイヴィスはジョージ・ラッセルの影響で「So What」のようなシンプルなグルーヴとコードの上で、いろんなスケールを使ってカラーを変えるようなやり方のモードジャズを演奏して、同じく影響を受けたジョン・コルトレーンは「Giant Steps」という曲を書いてさらに自由になって行ったんだと思う。

理論だけど感覚や自然の法則に根差しているんで、例えば昔のヒップホップの人達なんかは、サンプリングをして何か面白いものを作っちゃったけど、それもみんな感覚でいいサウンドかどうかってだけでやっているわけで。だから彼からは音楽を全体的に感じながら、その瞬間と共にいるということを学んだと思う。

ニューヨークで活動し、何かが生まれる瞬間の一員になる

——クラブ系の音に興味を持ったのはいつ頃ですか?

中村:1990年にボストンに行った時はまだ学生だったんだけど、先生でもあったボブ・モーゼスというドラマーのバンドに入って活動していたんだよね。その頃ボストンに「ウェスターン・フロント」ってすごく面白いクラブがあったんだけど、そこの2Fでレギュラーでサウンドシステムを出していて、バンドのショーの休憩の合間に見に行ったらどうもレゲエじゃないっていう……やたらとベースがでかいし、ビートは速いし、これは俺が若い頃に聴いていたレゲエとは違うなと。それが最初のジャングル体験なんだけど、「これはなんなんだ!」と思ってやられました。

——1990年代前半にニューヨークへ引っ越してからは、どんな音楽体験をしていたんですか?

中村:まあ、ジャズをやろうと思ってニューヨークに行ったんだけど、ちょうど1980年代後半頃からネオクラシックなジャズが、「これからはこれだ!」みたいにレコード会社の売り方で主流みたいなことになっていて、だけど俺はジョージ・ラッセルやサン・ラーとか、本当にアメリカのカルチャーに根差してジャズを革新してきた本物に接してしまったので、その方向に「それはないだろう」と感じてしまっていて。ちょうどその頃にニューヨークでやっていた「ジャイアント・ステップス(Giant Steps)」っていうパーティとか、そういったクラブへ行くようになったら、そこでのバイブスも良くて新しい何かをみんなで作っている感じだったから、こっちのほうが自分に合っているなと肌で感じたんだよね。トランペットでジャズを吹くのは基本的にどこでも一緒だけど、ビートはもっと新鮮だし、横のつながりも強い世界で、そっちのほうが自分を受け入れてくれたんだよね。

それからしばらくして、ジャミロクワイとかいろいろなアーティスト達のジャングル・リミックスが好きになって、「ボストンのサウンドシステムで聴いたあの音に似ているな」と。ちょうどその頃、ニューヨークでバンドを始めて「バー・ボブ(Bar Bob)」という、アシッドジャズやジャングル混ざったようなウィークリー・パーティにバンドで参加したら、人がたくさん来るようになって、バンドもどんどん人気が出てきたから、「こういうふうにジャズは進化していくんだな」「これは最高だ!」って。せっかくアメリカに来てニューヨークにいるんだし、そこで何かが生まれる瞬間の一員になりたいというか、そこからずっと今まできている感じです。

——「ジャイアント・ステップス」は1991年からニューヨークで始まった、アシッドジャズやクラブジャズを取り入れた、当時は新しいスタイルのパーティだったと思います。DJプレイやライヴもあって、人種もさまざま、そこにジャズを感じたんですね。

中村:その頃はエレクトロニックなジャズ・フュージョンとかもあったけど、あれはレコード会社、いわゆるコーポレート系で権威があってとかそういう世界だったから、ジャズフィールドも一時期は売れなくなって新しい売れ方はないのかって、そこに父親からビバップを教えてもらったような才能のある若手の黒人の人達が入り込むフィールドがあったんだよね。実際に90年代に「バー・ボブ」でやっていたパーティには、お客さんも来てエキサイトしていたし、何をやってもいいじゃないけど自分もその中にいるっていう感覚があった。

——90年代前半のダウンタウン・ニューヨークで起きていた音楽シーンの中に卓也さんはいらっしゃったんですね。

中村:そうだね。ジャズ・ミュージシャンだけど、ジャングルをやったおかげでニューヨークで認知度が広がったからね。「プロフィビット・ビーツ(Prohibited Beatz)」というパーティを1996年にマンハッタンのチェルシーにあった「シャイン」というクラブで毎週火曜日にやるようになって、3ヵ月くらいで「ニューヨークタイムズ」に紹介されて人がいっぱい来たりね。

その頃、俺はドラマーのジョジョ・メイアー(Jojo Mayer)という人がやっていたドラム&ベースの走りのバンド、ナーヴ(Nerve)にトランペットとキーボードで参加していたんだけど、自分のスタイルを探していた頃にそのバンドに入れたのはラッキーだった。「プロフィビット・ビーツ」は、そのジョジョ・メイアーが仕切って3~4年くらいやってたんだけど、ゲストでブレークビーツ・サイエンスなんかをDJで呼んだり、ズールー・ネイション(Zulu Nation)のT.Cイスラム(T.C. Isram)がMCチームで入ったり、サンフランシスコのレーベル「NAKED MUSIC」のアーティストでもあるリサ・ショー(Lisa Shaw)もいたり、10人ぐらいの大所帯のクルーでやっていたんだよね。そのパーティがきっかけで俺はアート・リンゼイに誘われて一時期キーボードで数年参加したりしていたこともあった。だけど自分のプロジェクトやナーヴも同時進行でやっていたから、自分のやっていることに戻ってきた頃には、ニューヨークでドラム&ベースが少し下火になっていたんだんだよね。それが90年代後半から2000年くらいの話。

ブルックリンのローカルコミュニティに音楽活動の根を張る

——2000年代はどのような活動をされていたのですか?

中村:ナーヴでは西ヨーロッパだけでなく、ポーランドをはじめ東ヨーロッパを回ったり、その頃の東ヨーロッパはソビエト連邦が崩壊した後で少し暗かったんだけどジャングルとかも流行っていて、ドラム&ベースが東ヨーロッパにも伝わっていることを生で体験したりした。それと並行してオーガニック・グルーヴス(Organic Grooves)って「CODEK RECORDS」というグループにも誘われて、オーガニック・グルーヴスはすごく人気だったからそこで頑張ったんだけど、911(アメリカ同時多発テロ事件)でダメージを受けてしまいパーティをやりにくくなってしまったんだよね。その頃、俺はブルックリンのウィリアムズバーグに住んでいたから、その周辺で演るようになってだけどだんだんと自分の中でダンスミュージックが厳しくなってきたというか、少し飽きてしまった時期でもあった。

——2000年代前半のウィリアムズバーグはまだこれからという感じで、新しいことが始まった時期なのではないでしょうか?

中村:そうそう。2000年くらいのウィリアムズバーグはイーストリバー沿いにあったシッピングドックがなくなって、人が住んでいなかったところに人が引っ越してきたような時期だったから、川沿いが少しずつ盛り上がり始めていた頃だった。「ドムジーズ」があって、その近くにタイレストランがあって、ケント・アヴェニューではジャングルのパーティもやっていたからよく行ってたし、後に俺も活動や運営に携わるようになった「スタジオBPM」という日本人がやっていたステージのあるスタジオもあったり。

そこからウィリアムズバーグはバンドブームになっていって、アニマル・コレクティブ、TV オン・ザ・レディオとか、俺が参加することになったココロージーもそうだったし、いろいろなバンドが出てきてみんな面白いことをやっていた時期だった。その頃のナーヴはドラム&ベースだけでなくダブステップも取り入れてツアーを始めていたんだけど、自分はダブステップには惹かれなくて、だんだんと離れてウィリアムズバーグのバンドのほうへ。クリエイティブなブルックリンがすごく面白くなっていた頃だったから、自分もマリアンヌというスペースロックなバンドを日本人3人と始めたりもして、ココロージーはそこから2019年ぐらいまで頻繁に彼女達のツアーに参加するようになった。

——ココロージーはどのようなバンドなのですか?

中村:姉妹2人組のユニットで、姉のシエラはクラシックをやっていてハープを弾いたり、きちんとオペラも歌える人で、妹のビアンカはポエトリーやおもちゃのサンプラーを演奏したりしてビョークみたいな感じ。俺はリー・スクラッチ・ペリーのバンドにも参加していたココロージーのベースに誘われて、ビアンカの(ソロの)ライヴに参加したのがきっかけで急遽ココロージーのツアーにも参加することになったんだよね。そこではアート系やLGBTの人達と出会って自分にとって新しい流れになっていたんだけど、2016年くらいからツアーが一段落してここから先何をやるか考えていた頃、2017年に「The Lot Radio」に呼ばれたんですよ。

100万回再生された「The Lot Radio」でのDJプレイ

——「The Lot Radio」はDJプレイが主体のネットラジオですが、最初はどのようなスタイルで参加しようと思ったのですか?

中村:フリージャズからテクノまですべてという感じで、そのスタイルを自分では「コズミック」と呼んでいるんだけど、コズミックというのは何でもミックスありという意味なんだよね。そもそもヨーロッパで1980年代とかに森の中でマッシュルームを食って、アフリカン・バンバータみたいに何でもかける「コズミック」なスタイルを楽しむムーヴメントがあったの。50歳前後のヨーロッパの人ならわかると思うんだけど、アメリカにはあまりないジャンルで「何でも」っていう意味で使っているんだけどね。

その感じでDJに関してはなんでも混ぜるというか、レコードはそんなに持っていないけど、DJを始める前は「CODEK RECORDS」に参加していたから、そのレコードがいっぱいあったのと、ココロージーやオーガニック・グルーヴスとかのツアーに出かけていた頃に昔のテクノのレコードが安い時期だったから、まとめて買っていたの。そのレコードに俺がサン・ラーとかそういう音楽をたくさん知っていたからフリージャズを混ぜてDJをやって、ちょうどニューヨークのサウンドエンジニアのヒデ君からOP-1(Teenage Engineering)を紹介してもらって使い始めていたから、当然だけどトランペットも入れてやるようになっていて。2017年にココロージーのツアーが落ち着いて終わってしばらくした頃に「The Lot Radio」に誘われて参加し始めたんだけど、ちょうど他のDJ系のインターネットラジオが急にいくつか盛り上がり始めた頃だったのもあって、自宅で働く人達や職場なんかで聴いてくれたりしていたんだろうね。そしたら2023年1月に「The Lot Radio」でやったプレイが自分でも驚くくらいバズっちゃって……。

——現在、100万回再生を超えていますよね! 卓也さん自身ここまでハズった理由はなんだと思いますか?

中村:カリブル(Calibre)っていうリキッド・ドラム&ベースの巨匠のレコードが近所のレコード屋で安くなっていて、懐かしいなと思って買って持っていたから、あの日はそのレコードのドラム&ベースの上にトランペットを混ぜて自分なりにプレイしたんだけど、そこで何が起こったかというと、「Wobbly Wobbly」という、イギリスの20代のドラムンベースのクルーがいて、彼等が俺がカリブルをかけながらトランペットを吹いている「The Lot Radio」のYouTube映像をを彼らのTikTokに上げたの。それが若い世代のドラム&ベース好きに引っかかってどんどん拡散されていって、それで1週間ぐらい経ってから「お前のプレイ“スーパーバイラル(Superviral)”だよ」って。「スーパーバイラル」なんて言葉はその時に初めて知ったんだけど、SNSでどんどん広がっていった感じだよね。

——何十年もの音楽に対する経験が詰まった内容のことをDJでやってのけてしまうプレイは若者達にとっては、確実にクールに映ったと思います。

中村:ズルいよね、あのスタイルは(笑)。だけどまだ日本ではあのスタイルを理解してもらえてはいないし、でもインターネットの世界でここまでいけたからもう大丈夫だとも思ってる。20代にウケればいいの。本当はもっと認知度を上げるためにも、バイオグラフィーにクインシー・ジョーンズのリミックスやっていました、とかそういうのを書いたほうがわかりやすのかなとか思う時もあるけど、やっぱり(東京の)国立市出身だからどこか俺はのんびりしてるんだよ(笑)。

若手達とともにパーティを開催

——DJは誰かに教わったりしたのですか?

中村:ニューヨークにWFMUというオールドスクールなラジオ局があるんだけど、そこにスモール・チェンジ(Small Change)という友達のDJがいて、彼がDJをするならとある程度の基本をほとんどくれたころがあったんだよね。ドラム&ベースはなかったけど、そこからジュークやジャンプスタイル、面白いテクノとかがわかってきた感じ。

——ハウスよりもテクノ寄りな感じのほうが好きなんですね。

中村:ハウスはあまり興味がない。自分がジャズ・ミュージシャンだから感じるのか、ハウスってそのジャズからすると一番わかりやすいコードチェンジを使ってジャズっぽくしてそこに歌を乗せるとか、それに自分は引っかからないというか。それに俺の場合はニューヨークにいても、ニューヨークで流行っていたハウスミュージックとは違うところでやっていたのもあるしね。

——ソロのライヴを行う時に使用しているビートはすべてオリジナルなのですか?

中村:ソロのライヴの時はすべてオリジナル。最近はシカゴジュークやフットワークなんかももっと多めにしてもいいかなって思ってる。今、俺とブルックリンでパーティをやっているDJのラムジー(RMZ)はメンフィス出身で、メンフィスラップのラジオ番組でもDJをしていてジュークが好きなんだよね。自分も好きでDJラシャド(DJ Rashad)やRP・ブー(RP Boo)なんかを聴いていたんだけど、ニューヨークにもそれが好きな若い人達がいることを知って「最高!」って思っていたら、パンデミックが終わった頃にラムジー、クッシュ・ジョーンズ、ナイジェルなんかとつながり始めて、今は少しずつ一緒にやるようになっている。

「止むを得ない状況に、俺達が合わせた」ことから生まれた新しい流れ

——トランペットやピアノの音色はアーバンなのに、ビートからはストリート、生きてきた道が音楽に現れているというか、他にはない驕らないリアルなスタイルに人々は気づいてしまったのではないでしょうか。

中村:最初はアメリカに来てジョージ・ラッセルに「リディアン・クロマティック・コンセプト」を元に、ハーモニーがどうなっているのか、音のつながりって何なのか、バイブレーションというのは何なのかを教わってさ。そもそもソニー・ロリンズというジャズのサックス演奏者が、日本のFMラジオでスティーヴィー・ワンダーの「Isn’t She Lovely」を紹介して、それにバチ!ときちゃったわけで、ソニー・ロリンズはジャズだけにとらわれないでやっている人で、それがすごいなと思っていたから。同時に自分はYMOやクラフトワークで育っている世代だから、ジャズ以外にもテクノもあればニューウェイヴもヒップホップも周りにあったから。だからレコード会社が「ジャズはクラシカルな方向で生き延びるしかない」と言い出した時、自分はそこに入る隙はないなと思ったんだよね。人種差別のある世界に行っても仕方がないし、だから「ジャイアント・ステップス」にも行ったんだと思うし。それでそこにサンプリングミュージックがあってアシッドジャズもいいなと思ったけど、だけどあの時(90年代前半)はジャングルが格好いいなと思って、そうしたら自分の周りにいるジャズの人でも同じようなことを感じている仲間がいたんだよ。

——そこからさまざまなバンドでのプレイ経験を経て、今のスタイルができあがったと。

中村:ニューヨークのクラブやライヴハウスは機材がそんなに良くないから、自分でスピーカーを持っていかないと自分の好きな音が出せないこともあるし、今は機材も進んできているから、お金かからないからバンドを組まずに1人でやる方向もあるわけ。ジャズの場合、ビッグバンドからあふれた人達がアフターワーズで少ない人数で演り始めて、それを日本から見たら大天才が現れたみたいな感じに捉えられているけど、どちらかというと止むを得ない状況に俺達が合わせたというか、実はたまたまこれをやってみたら良かった、みたいなことがほとんどなんだよ。

——自然発生的な感じがいいですね。“ない”状況から新しいことが生まれる状況とでも言いますか。

中村:だってそうじゃん。ドラムマシンだって303(Roland TB-303)や808(Roland TR-808)にしても、日本人からしたらリズムボックスの進化版みたいでダサいなって目で俺達は見ていたけど、ミドル・シカゴの人達がジャンクヤード屋で40ドルぐらいで買ってきて、作った人の意図とは違う目線で面白いことを始めちゃったら新しいことが生まれて、それはMPC(AKAI)もそうだよね。その頃はサンプリングをしたら著作権に引っかかるなんて考えもしていなかったろうし、作ってる側の意図なんか無視して、とにかく自分達ができることをその機材でやってみたら面白いことになったっていう感じだろうし。ニューヨークで生活をしていると、そういう感じのことをいろいろなところで目の当たりにするから「こうやって生まれたんだ、なるほどね」っていつも感じていたよね。

“ジャズ・ドロップアウト”から生まれた独自の進化

——ピアノやトランペットの演奏に関しては、最近はどのような方向になってきていますか?

中村:ピアノに関しては、パンデミック前は現代音楽みたいなのを弾いてみたいなと思い始めて、この5~6年はだいぶ上手になったんじゃないかな。その前は雰囲気はいいからと雇われて、普通のジャズやポップスはできるかもしれないけど、細かいところまでできなくてテイストでごまかしてたりしてたの。だけどもう少し上手くなりたいなと思って、今もチャレンジしているところ。まだできることがいっぱいあるし、ピアノに関しては人前で弾く弾かないは関係なくドビュッシーとかクラシックもどんどん弾けるようになりたいというか。ピアノのインプロヴィゼーションで、リアルタイムコンポジションというところでのボキャブラリーを増やしていきたいよね。トランペットはメロディー楽器だからボーカル的な楽器。そういう意味では、伴奏と演奏とストラクチャーの全体的なバランス、ハーモニーを作るという上でいろんなことが試せるのがトランペット。変な癖がついてしまう時もあるけど、そんな時は休んでまたどんどん吹いていくって感じかな。

——卓也さんは、ジャズの世界ではどのような立ち位置に自分はいらっしゃると思いますか?

中村:ジャズに関しては初めて聴いた時から吸い込まれてしまったというのがあるし、それができるようになりたいっていう単純な話から始まったこともあるしね。父がミュージシャンで音楽大学の先生でミュージシャンになるにはいい環境だったけど、ミュージシャンではなく「なんか違うことやろう」と思っていたこともあった……とはいえ10代の頃に病気になったということではそれしか選択肢がなかったということもあり。おかげで本当に自分自身で感動するものに出会えたし、だから俺の場合はジャズ・ドロップアウトっていう感じなのかな(笑)。 

——ドロップアウトしたことが、新しい世界を生み出していると感じます。

中村:自分が面白いことをしている人って、それぞれが好きなことをやってるイメージがある。だからドロップアウトしない人っていうのは、実はそこまで好きじゃないっていうのもあるかもしれないよね。自分の場合は例えばサン・ラーもそうだけど、個性の強い人に惹かれていたしね。正統派じゃないし、この人よくわからないけどすごく惹かれるみたいな。それを自分もできないかなとか、自分の個性を作ることは難しいことだから、どうしたらこういう風になれるんだろうということは常に考えていたかも。そもそもエリート的なのが好きじゃないし、というか苦手なんだよね。怖いというかさ(笑)。

DJセットにOP-1とトランペットを取り入れ世界を回る

——これから挑戦してみたいということはありますか?

中村:最近は曲を作ってるからそれをどうしようかなと。自分の好きなジュークやドラム&ベースが自分の中で急激に進化して、昔のジャングルとはまた違うものができ始めているから、自分なりに挑戦してみようと2年ぐらい前からシーズン2が始まっている感じ。ソロのライヴはやる会場によって少しずつスタイルを変えているけど、好きなことを何でもしてもいいよと言われたら、ジャングルやジュークを多めに取り入れると思う。昨年はニューヨークでも人気の「パブリック・レコーズ」や、インド4ヵ所を回るツアーに行ったり、マイアミのアートバーゼルでも演った。インドはツアーを組んでくれた人がナーヴを過去に聴いていて、「The Lot Radio」でプレイを見てブッキングしてくれたんだけど、バンガロールでは「Echoes of Earth 2023」っていう大きいフェスティバルにブックしてくれていい時間を過ごせた。今年はノースアメリカ、サウスアメリカのDJツアーをできたらいいなと思っています。

——オリジナルDJセットが注目され始めていますね。

中村:昨年は『Mixmag Asia』の注目のエレクトロニックDJに選ばれたり、ココロージーのツアーの間にパリの「RINSE FM」でDJをやったりしたんだけどそれが盛り上がってしまって。これからはトランペットとOP-1、それ2つを持って1人で世界中を回ってみようかなって。わざわざキーボードを持っていかなくても、今のセットだと身軽にどこでも行けるのがいい。そんな感じでボンボン始まってる感じ。これからが楽しみだよ。

Photography Koki Sato

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マヒトゥ・ザ・ピーポーの初監督作『i ai』が3月8日に公開 約3500人からオーディションで抜擢された富田健太郎や森山未來、さとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子らが出演 https://tokion.jp/2024/01/25/i-ai/ Thu, 25 Jan 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222509 3月8日から全国順次公開。主人公コウ役は約 3,500人の中から抜擢された富田健太郎が務める。

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GEZAN のフロントマンであり、小説執筆や映画出演、フリーフェス・全感覚祭や反戦デモの主催など、独自のレイヤーによるカルチャーを紡ぐ活動で唯一無二の世界を作り上げるマヒトゥ・ザ・ピーポー。彼が初監督を務め、2022年の東京国際映画祭<アジアの未来部門>にも正式出品された映画『i ai(読み:アイアイ)』が3月8日から全国順次公開される。

本作はマヒト監督の実体験をもとに、主人公のバンドマン・コウと、コウが憧れるヒー兄、そして仲間達が音楽と共に過ごした日々、出会いと別れ、彼らの切実な時間が綴られていく。

主人公コウ役は、“全感覚オーディション”と 銘打たれたオーディションで約 3,500人の中から抜擢された富田健太郎が務める。そして主人公の人生に影響を与え、カリスマ的な存在感を放つヒー兄役には、映画だけでなく舞台やダンサーとしても活躍する森山未來。さらにさとうほなみ、永山瑛太、小泉今日子、吹越満などが出演する。

公開決定にあたり監督のマヒトゥ・ザ・ピーポーは次のようにコメントを発表する。

やっと公開が決まりました。
これは咳を我慢し、つられて季節も息をとめたとある夏、愛しき仲間と生傷を絶やさず駆け抜けた生きることについての物語です。
なぜ人は記録するのか?人はなぜ永遠に対して挑戦するのか?その答えを映画というフォーマットでしかすくいとれない瞬間の連続が肯定している。生きてる時間の中で死を生かそうとする試み、その痕跡が詩を呼び込む。
i ai、相逢、もう一度逢う。ううん、何度でも真実に会おう。わたしは映画という嘘の時間の中でたどり着いた本当がお守りのように、未来を照らすことを知っている。この正しく混乱した118分が歪んだ現実をサバイブする武器になることを確信している。

■『i ai(アイアイ)』
出演:富田健太郎
さとうほなみ 堀家一希
イワナミユウキ KIEN K-BOMB コムアイ 知久寿焼 大宮イチ
吹越 満 /永山瑛太 / 小泉今日子
森山未來
監督・脚本・音楽:マヒトゥ・ザ・ピーポー
撮影:佐内正史
劇中画:新井英樹
主題歌::GEZAN with Million Wish Collective「Third Summer of Love」(十三月)
プロデューサー:平体雄二 宮田幸太郎 瀬島 翔
製作プロダクション:スタジオブルー  
配給:パルコ
©STUDIO BLUE(2022年/日本/118分/カラー/DCP/5.1ch)
https://i-ai.jp

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ホラー映画初挑戦の古川琴音が『みなに幸あれ』で感じたこと 「現実をより理想に近づけるにはどうしたらいいかっていうのは常に考えておくべき」 https://tokion.jp/2024/01/20/interview-kotone-furukawa/ Sat, 20 Jan 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222231 映画『みなに幸あれ』に出演する俳優の古川琴音へのインタビュー。

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古川琴音

古川琴音
1996年10月25日生まれ、神奈川県出身。2018 年にデビュー。NHK 特集ドラマ『アイドル』(2022年 / NHK)、連続テレビ小説『エール』(2020年 / NHK)、『コントが始まる』(2021年 / 日本テレビ)や、映画『十二人の死にたい子どもたち』(2019年 / 堤幸彦監督)、『花束みたいな恋をした』(2021年/土井裕泰監督)、『偶然と想像』(2021年 / 濱口竜介監督)、『今夜、世界からこの恋が消えても』(2022年 / 三木孝浩監督)、『スクロール』(2023年 / 清水康彦監督)、Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』(2023年)、『雨降って、ジ・エン ド。』(2024年公開予定/髙橋泉監督)など、注目作品に続々登場している。
http://www.humanite.co.jp/actor.html?id=39
Instagram:@harp_tonehttps://www.instagram.com/harp_tone/

日本で唯一の、ホラージャンルに絞った一般公募フィルムコンペティション「日本ホラー映画大賞」(主催:KADOKAWA)。第1回大賞受賞作品である下津優太監督の『みなに幸あれ』が古川琴音主演で映画化され、1月19日から全国で順次公開されている。「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」という命題を、とある村を舞台にしたホラーとして描く本作。古川は村の特異な成り立ちにあらがい、行動を起こすが、どんどん追い込まれていく主人公を演じている。作品ごとに全く違う表情を見せてくれる古川琴音の魅力は、自身にとって初のホラーとなる本作でも健在だ。彼女の瑞々しい演技の秘密や、ホラー映画の醍醐味、作品のテーマについて聞いた。

※記事内には映画のストーリーに関する記述が含まれております。

『みなに幸あれ』を終えて

——今回の主演映画『みなに幸あれ』で改めて、古川さんのお芝居の魅力は表情の瑞々しさにあると実感しました。古川さんは「表情の演技」に関して意識していることはありますか?

古川:「表情を作ろうとしないこと」は大切にしています。

——『みなに幸あれ』で、田舎に暮らす祖父母の家に遊びに行く「孫」役を演じています。祖父母の奇妙な言動に覚えた違和感や、開かずの間にいる誰かの気配などが、恐怖に変わっていくわけですが、「孫」をどういう人物と捉え、どう演じましたか?

古川:「孫」は、本当にごく普通の感覚を持っていて、作品の中でお客さんが唯一共感できる人。普通であればあるほど周りの人が異様に見えてくると思いましたし、「孫」という役名に普遍性を感じたので、特に「こういう人」という役作りはせず、「これから何が起こるんだろう?」という気持ちで現場にいました。

——作品を拝見して、「これはどういうこと?」という謎や疑問がたくさん残っています。それをああだこうだ考えることが楽しいのですが、古川さんは現場で監督に、それらの答えを求めましたか?

古川:私も確か、「おばあちゃんはなぜ妊娠したんですか? それは生贄と関係ありますか?」と聞いたと思うんですけど、「自由に考えてください」みたいな反応でした(笑)。「孫」は何が起きているのかがわからない役なので、「わからないままやってください」と。

——わからないまま出したものが正解かどうか、不安や迷いはなかったですか?

古川:なかったです。私はとにかくリアクションだけをしていました。監督もその「わからない表現」を受け入れてくださる方だったので。わかって何かを作ろうとするよりも、わからないまま、その時感じた表情が出ればいいということなんだろうなと解釈しました。

——下津優太監督はどんな演出をされる方でしたか?

古川:監督は今回長編が初めてということで、いろいろ実験されてたのかなという印象がありました。そのシーンのシチュエーションを役者に知らせないで撮ろうとしたり。私が叔母の家に行って吊るしてあった布を取り外すシーンでは、布の後ろに何が置いてあるかはずっと内緒で、本番で初めて「あれ」を見たんです。そういうサプライズ的な演出で生まれるリアルなものを大切にされているなと感じました。

——役者として、そういう演出はどうでしたか?

古川:たくさんの発見がありました。自分が想像もしなかった反応が出たなと思う部分もありましたし……楽は楽でした(笑)。何も準備せず、周りに反応していればいいだけだったので。監督が、私が驚ける環境や怖がれる環境を作ってくださったおかげで、本当に楽でした。でも、体力的にはどんどん消耗していきました(笑)。泣いて叫んで逃げて怒ってびっくりしてという、感情表現にものすごく体力を使ったので。

——古川さんは89分間ほぼ出ずっぱりでしたよね。どうやって体力を回復させましたか?

古川:回復しなかったです(笑)。美味しいものはたくさん用意していただいていたんです。地元(ロケ地の福岡県田川郡)の方が用意してくださったイノシシ鍋とか、みんなでいただきました。今回スケジュールが順撮りだったので、体力が消耗していく様をそのままお芝居に生かせたんですね。だから「回復しなくてもいいや」って(笑)。

——ということは完成した作品を観て、「こんな表情をしていたんだ!」という驚きがありそうです。

古川:あります。叔母の家を飛び出して山の中で雨に打たれるシーンの表情は、自分でも結構好きです。体力が結構ギリギリの状態で、本当に寒くて寒くて、何も考えてなかったんですよね。自分に限界が来ていることが、ちゃんと顔に出てるなって(笑)。物語ともマッチしてるし、すごく真実味のある表情だったので、好きだなと思いました。

——つまりは「作為のない表情」ですね。

古川:毎回そうなればいいなと思いながらやってます。

——今作に限らず、古川さんが現場でお芝居をする時に大切にしてることを教えてください。

古川:カメラ前ではすべて忘れること、ですかね。自分の中に「こういう流れになったらいいな」みたいなイメージはあるんです。物語の軸としてそういうものをちゃんと持ちつつも、感情の面では相手の俳優と作っていく、相手に委ねる、相手の反応を見ながらその時に自分に湧き上がった感情に素直になる。それは忘れないようにしたいと思っています。

演技への思い

——本作のタイトルにちなみ、古川さんが幸せを感じる瞬間を、プライベート編と仕事編で教えてください。

古川:プライベートだと、家に帰ってきて猫がお出迎えしてくれた時! 毎回来てくれるんですよ。「ただいまー!」「疲れたよ〜」って言う私を癒してくれるので、すごく幸せです。仕事だと、出演作品を観た人から連絡をもらった時もそうだし、お芝居をしながら無になれた時。その時は無我夢中なんですけど、後から「あの時は楽しかったよね」って思います。さっきお話しした雨に打たれたシーンもそうだったんじゃないかなと思います。

——仕事において、目標や夢はありますか?

古川:実はあんまりないんです。

——そもそもこの世界に入った時は、「お芝居を仕事にしたい」ということだったんですよね?

古川:はい。就職活動の一環で自分の得意なことを探していった結果、「人からお芝居を褒められることが多いということは、得意なのかな」と思って、この仕事をやってみようかなって。でもまさか本当にできるとは思ってないから、「ドラマに出れたらいいな」「主演作とかできちゃったりして!」みたいな気持ちだったんですよね。今回の映画も含めてあの時の憧れみたいなものは叶えられてきているんですけど、その先のことっていうのはあまり考えられていないというか。自分がやりたい作品があったとしても必ずしもできるわけじゃなくて、ご縁だと思うので、あまり考えないようにしている部分もあります。

——古川さんはデビューしてまだ5年なんですね。もっと昔から見ている感覚でした。

古川;嬉しいです。ありがとうございます。

——この5年間を振り返ると、あっという間でしたか?

古川:6年目に入ったんですけど、小学1年生が小学6年生になると考えると、「え、もうそんなに経った?」みたいな感じです。デビューした時と気持ちはあんまり変わってないですし、まだまだ新人の気持ちです。でも確かに、最近若くて新しい子がたくさんいるなーとか思ったり(笑)。

——デビューした時の気持ちとは?

古川:ワクワク感、ですかね。ありがたいことに、今のところ同じような役も内容がかぶった作品もないと思ってるので、「次はどういうものが来るんだろう?」というワクワク感がずっとあります。

——「1本1本が勝負だ!」という緊張感みたいなものはありますか?

古川:勝負というよりも、1本1本実験をしている感覚が強いです。お芝居って正解もなければ間違いもないから、自分の中で毎回いろんなお芝居を試している感じです。「もうちょっとキャラクターに振ったらどうなるかな」とか、「ここの動きをいつもは自然体にやってたけどあえてポーズを決めたらどうなるかな」とか、細かいことなんですけど、そういう実験……というか「工夫」を繰り返しています。

『みなに幸あれ』が描くテーマ

——ホラー作品は普段ご覧になりますか?

古川:観ます。『パラノーマル・アクティビティ』とか『コンジアム』、最近だとNetflixの『呪詛』を観ました。日本映画に限らず、いろいろ観ます。

——古川さんが思うホラーの面白さとは?

古川:何なんでしょうね……。私は、意味がわからないものが怖いなと思うんです。「こういう原因があって、この恨みが発生したんだよね」っていう話よりも、「なんでこれがここにあるのかわからない」「なんでこの人がこんな動きをしてるのかわからない」のほうが怖いと感じるんです。好奇心というか、怖いもの見たさの気持ちが、自分にとってのホラーの醍醐味かなと思ってます。

——『みなに幸あれ』は「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマを、「生贄」というホラー的なアイテムを使って表現しています。古川さんはこのテーマについて、今現在どのような考えを持っていますか?

古川:最初にこれを言われた時、「すごい嫌なこと言うな」と思ったんです。見ないように生活できてるだけで、見ようと思えばいくらでも身の回りにあふれてることかなと思うんですよね。私は「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」と認めたくはないし、そういう世界になってほしくないという願いがあるからこそ、これを言葉にしてほしくなかったなとは思いました。でも、言葉にしたからこそ、向き合わざるを得ないという気持ちにもなりましたし、そこでいろいろ考えさせるところがこの映画の面白さだなと思いました。監督がいろいろな答えを散りばめてくれているなとも思います。

——目、耳、口を縫い合わされる描写がありました。それはつまり、「見ざる言わざる聞かざる」ということで、大人になったら自分を殺して社会の歯車になりなさい、という圧力も意味しているのかなと思いました。「孫」はちょうど、看護学校を卒業して社会に出る直前だったので。

古川:あ、なるほど。「孫」はそれに反発してもがくじゃないですか。そこに私はすごく共感できました。自分がもし同じ状況になったとしたら、同じようなことをするだろうなと思います。

——監督はおそらくこのテーマを「こうである」と押し付けているのではなく、問題提起していると感じました。孫の幼なじみの父親が、「みんながみんな自分の夢だけを追いかけたら世の中成り立たない」と言うと、幼なじみが「でもみんなが幸せになる方法もある」と言い返しますし。

古川:それはこの物語における理想の部分だなとは思いました。絶対に自分の中に持ってなきゃいけない部分でもあると思うんですよね。現実を見つつも、理想を掲げて、現実をより理想に近づけるにはどうしたらいいかなっていうのは常に考えておくべきことだと思っているので。みんながみんな一緒の意見じゃなくてもいいけれど、私はその気持ちは持っていたいと思ってます。

Photography Takuroh Toyama
Styling Makiko Fujii 
Hair & Makeup Yoko Fuseya(ESPER)

ドレス ¥99,000、ブーツ ¥165,000(ともにサカイ/sacai.jp)、アクセサリー(mamelon/@mamelon

■映画『みなに幸あれ』1 月19日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

■映画『みなに幸あれ』
1 月19日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

出演:古川琴音 松大航也ほか
原案・監督:下津優太 
総合プロデュース:清水崇 
脚本:角田ルミ 
音楽:香田悠真
主題歌:「Endless Etude (BEST WISHES TO ALL ver.)」 Base Ball Bear
製作:菊池剛 五十嵐淳之
企画:工藤大丈 
プロデューサー:小林剛 中林千賀子 下田桃子
製作:KADOKAWA ムービーウォーカー PEEK A BOO 
制作プロダクション:ブースタープロジェクト 
配給:KADOKAWA
©2023「みなに幸あれ」製作委員会
https://movies.kadokawa.co.jp/minasachi/

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俳優・杉咲花が映画『市子』で考えた他者との向き合い方——「他人をわかることはできない。だからこそ、想像し続けていたい」 https://tokion.jp/2023/12/07/interview-hana-sugisaki/ Thu, 07 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218559 映画『市子』で主演を務める杉咲花が語る市子を演じて考えたこと。

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杉咲花

杉咲花
1997年生まれ、東京都出身。『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016 / 中野量太監督)で第40回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞をはじめ、多くの映画賞を受賞。『とと姉ちゃん』(2016 / NHK)でヒロインの妹を演じ、『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(2018 / TBS)では連続ドラマ初主演を果たす。その後、NHK 連続テレビ小説『おちょやん』 (2020-21)と『恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜』(2021 / NTV)で第30回橋田賞新人賞を受賞。最近は『杉咲花の撮休』(2023 / WOWOW)や『法廷遊戯』(2023)に出演、今後も『52ヘルツのクジラたち』(2024年3月公開)などが待機中。
https://www.ken-on.co.jp/hana/

恋人にプロポーズされた翌日に、突然、姿を消した女性。恋人がその行方を追いかけるうちに、彼女の過酷な人生が浮かび上がる。映画『市子』は一人の女性を通じて、社会の闇が浮かび上がる重厚な人間ドラマ。監督・脚本を手掛けたのは、劇団チーズtheaterを主催する戸田彬弘で、本作は劇団の旗揚げ公演作品の映画化だ。そこでヒロインの市子を演じたのは杉咲花。圧倒的な存在感で市子を演じ切り、本作は間違いなく彼女の代表作になるだろう。どんな想いでこの難しい役に挑んだのか、話を聞いた。

市子を演じて

——『市子』は恋人の長谷川が行方不明になった市子を探すことを通じて、市子がどういう女性なのかを探っていく物語でした。そして、彼女の秘密が明らかになってからも、彼女がどんなことを考えて生きてきたのかを考えさせられます。杉咲さんは役を演じる中で、市子がどんな女性なのか見つけることができました?

杉咲花(以下、杉咲):それはいまだにわかっていないかもしれません。この物語は第三者が市子を追いかけていく話であると同時に、市子自身が自分の姿を探す話でもあると思っていて。初めて脚本を読んだ時にどうしようもなく心が揺さぶられて、その感覚の正体が知りたくて市子を演じてみたいと思ったんです。その結果、この物語の根源的なテーマでもある、「人をわかるってどういうこと?」というところに行き着いた気がしています。

——演じながら市子を探していたんですね。

杉咲:市子を演じていた時、演じ手としての欲が剥がれ落ちた瞬間があったんです。目の前で起こっていることに、ただ反応してしまうという、今までに体験したことのない時間を過ごせた日がありました。一方で市子の姿が全く見えないというか、「こんな感覚でカメラの前に立っていていいのだろうか」と不安に襲われる日もあって。

——常に気持ちが揺れ動きながら演技をしていた?

杉咲:市子に近づいたと思ったら離れていってしまう。それを繰り返すなかで、どこまでいっても他者は他者であるということを実感して、なんだか腑に落ちたんです。市子のことがわかったとは言い切れない。その感覚に素直でいていいんだと思いました。「わからない」ことを前提に、どこまで向き合っていけるかなんだなって。

——市子の気持ちがつかめない時は不安ではなかったですか?

杉咲:私は脚本を読んだ時に「こういうシーンになるのではないかな」となんとなく思い描いたものに対して自分を課してしまうタイプなんです。本当はそういうことを意識せず、「表現しないと」という欲から解放された状態でカメラの前に立ちたい気持ちなのに、どうしても演者としての欲が邪魔をしてくる。演じている自分の状態が把握できていない時に監督のOKが出ることも多々あって。傲慢ですが、どうしてOKが出たのだろうと考え込んでしまう時もありました。ですが、のちに「市子自身も自分の状態がわからなかった瞬間だったのかもしれない」と思うようになったんです。自分の言動に対して、あとから「どうしてああしてしまったんだろう」と考えてしまうことってあるじゃないですか。きっと市子にもそういう瞬間があったはずで、だからこそ、表現しようとせずに、その場で起こったことに対して純粋に反応したいと思っていました。

——ノーメイクで演じたというのも、表現する、という欲を捨てるやり方の1つだったのでしょうか。

杉咲:というよりは、何かを足していくことによって市子という人物がぼやけてしまうような気がしたんです。自分にとっても、化粧を施すという行為は鎧をまとっていくような感覚があって。今回は何かを加えていくのではなく、徹底的に引いていく作業のほうがいいのではないかと思ったので、戸田(彬弘)監督に提案してみました。

他者とどう向き合うか

——若葉(竜也)さんが演じる長谷川にプロポーズされるシーンでは絶妙のタイミングで涙が出ますね。市子の表情といい、演技ではなく、その場で生まれた感情がそのまま切り取られたような印象的なシーンでした。

杉咲:私自身も、ああいうことになるとは思っていませんでした。台本にも、どういった感情になっていくかという具体的な筋道が立てられていたわけではなかったのですが、長谷川くんにあんなにも愛のある眼差しで見つめてもらえる世界に自分が存在していることを実感して、気がついたら涙が流れていました。

——撮影前に頭でイメージしていたことよりも、その場で心が反応することのほうが多い現場だったのでしょうか。

杉咲:その反応の濃度みたいなものが、今まで経験したことのないもので、素晴らしい体験をさせてもらったなと思います。

——長谷川だけではなく、市子の同級生の北も市子に強く惹かれて、彼女の人生に深く関わりますね。過去を知らない長谷川と過去を知っている北、それぞれの市子との関わり方が対照的で、2人の存在が市子の人生を浮かび上がらせていました。

杉咲:私は、北は自分よりも弱い立場にある人を救うことで自分を満たしている部分もあったのではないかなと思っているのですが、長谷川は唯一、市子と対等に接してくれた人。過去について何も聞いてこない長谷川との距離が市子にとってはとても心地良いものだったと同時に、知ろうとしない加害性についても考えさせられるなと。

——長谷川と市子の関係を見ていると、どうすれば市子は幸せになったんだろうって思います。

杉咲:私は、市子が幸せでないとは言い切れないと思います。市子が穏やかに生きることを望んでいるのは、その幸福を彼女が知っているからなのではないでしょうか。市子がそれを感じたのは、長谷川と過ごした時間なのか、家族と過ごした時間なのか、親友のキキちゃんと出会ったことなのか、あるいは、そのすべてなのかもしれないけれど。知っているからこそ追い求めてしまう。そんな彼女のことを、私は幸せじゃないとか、かわいそうって思えないんですよね。

——なるほど。彼女なりに幸せを見つけていたのかもしれない。

杉咲:本作との出会いを通じて、自分が他者とどう向き合っていきたいのかということについて考えさせられました。撮影中、戸田監督と市子のことについて話していると、1つ質問したことに対して10ぐらい回答をくださるんです。ですが、そのどれもが「きっと、こうなんじゃないですかね」と、断定しない話し方をされていて。戸田さんは原作者でもあるので「誰よりも市子のことを知っている」とおっしゃられてもおかしくないと思うのですが、あくまで個人の視点として市子のことを想像する姿勢でいらっしゃることに敬意を抱いたんです。それが物語の中にいる人物であったとしても、私生活で関わる相手であったとしても、そうあるべきだと感じました。

——他者のことを想像するっていうのは、演技と通じるところがありますね。

杉咲:そうですね。他者を見つめるということは、すなわち自分を見つめることでもあると思うんです。自分が物語をどう受け止めるかということは、実生活に鏡のように反映されるものでもある気がします。

演じることの魅力

——杉咲さんは幼い頃から、テレビのドラマを見て演技をしたいと思われていたそうですね。それは何かの理由があってというより、本能的にそういうことをやってみたいと思われたのでしょうか。

杉咲:物心がついた時から、ずっと自分以外の誰かになってみたい気持ちがありました。それは自分のことが嫌いだからというわけではなく、シンプルに他者になりきってみたい、という欲求で。それがなぜなのかはわからないのですけれど。

——演じることの何に惹かれるのでしょう。

杉咲:なんなんでしょうね……。役のことを考える時って、自分と照らし合わさざるを得ないといいますか。私は演じる役の感情を想像する上で、「自分だったら?」と置き換えて考えたりするんです。そういう時に、普段自分が考えていない、本質的な感覚と結びつく瞬間があるんですよね。他者を通じて自分を知っていくというか。他者を演じるというのは、自分と向き合ってみたいという想いが根底にあるのかもしれないです。

——演技が自分自身に影響を与えることもありますか?

杉咲:10代の時に『トイレのピエタ』という映画に出演したことで自分の価値観が変わりました。監督やスタッフ、共演者の方々など、自分達の作るものに価値を感じて、自分自身を信じている方達と出会ったことで、好きなものは好きと言っていいし、楽しい時に笑っていいんだって思えるようになったんです。それまでは、ちょっとひねくれていて。人が好きというものは自動的に嫌いになるみたいな(笑)。意識的に人と違う人間になろうとしていたところがありました。

——それは何か理由があってというより、10代ならではの屈折?

杉咲:多分そうだと思います。私の暗い過去です(笑)。

——ある俳優に取材した時、自分が嫌いだと思ってしまう役を演じることに、長い間、抵抗があったと語られていました。杉咲さんはいかがですか?

杉咲:抵抗はあまりないほうかもしれません。ただ、物語上の役割であることは理解しつつも、その都合だけにはならないでほしい気持ちがあります。私は、物語を観る時に自分達の生活する社会と何か接点を感じていたいんです。

——今回演じた市子も杉咲さんの日常と地続きだった?

杉咲:実生活のすぐそばに市子のような人が存在していた/しているかもしれない。そういう意味で、この物語は人間や社会のあり方がむき出しに描かれていると思います。他者をわかることはできない。だからこそ、想像し続けていたいと市子を演じて強く感じました。

Photography Takuroh Toyama
Stylist Ayano Watanabe
Hair & Makeup Akemi Nakano

スカート/アキラナカ、ジュエリー/ヴァン クリーフ&アーペル、その他スタイリスト私物

『市子』 12月8日からテアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

■『市子』
12月8日からテアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
出演:杉咲花 若葉竜也
森永悠希 倉悠貴 中田青渚 石川瑠華 大浦千佳 
渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり
監督:戸田彬弘 
原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘) 
脚本:上村奈帆 戸田彬弘 
音楽:茂野雅道
撮影:春木康輔
編集:戸田彬弘
制作:basil 
制作協力:チーズ film 
製作幹事・配給:ハピネットファントム・スタジオ 
©2023 映画「市子」製作委員会2023 年/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/126 分/映倫G
https://happinet-phantom.com/ichiko-movie/

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躍進を続ける俳優・眞栄田郷敦が初主演作『彼方の閃光』に込めた役者への想い 「その役にすべてを懸けられるかが僕にとってはとても大切です」 https://tokion.jp/2023/12/06/interview-gordon-maeda/ Wed, 06 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218142 映画『彼方の閃光』で初主演を務めた眞栄田郷敦へのインタビュー。

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眞栄田郷敦

眞栄田郷敦(まえだ・ごうどん)
2000年生まれ。ロサンゼルス出身。父は千葉真一。2019年『小さな恋のうた』で役者デビュー。近年の主な出演作に、映画『午前0時、キスしに来てよ』『東京リベンジャーズ』『カラダ探し』、『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編』、TVドラマ『ノーサイド・ゲーム』『エルピス -希望、あるいは災い-』などがある。
https://gordonmaeda.com

2019年に映画『小さな恋のうた』で俳優デビューしてから、約4年。眞栄田郷敦は『東京リベンジャーズ』シリーズや『ゴールデンカムイ』(2024年1月19日公開予定)のような娯楽大作から、数々の賞に輝いた社会派ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』、NHK大河ドラマ『どうする家康』にも出演し、目を見張る速度で人気俳優への道を駆け上がってきた。

その眞栄田が初主演を飾った映画『彼方の閃光』が、12月8日に劇場公開を迎える。色彩を感じられない青年・光(眞栄田郷敦)が自称革命家・友部(池内博之)と共に長崎・沖縄の戦争の痕跡を辿る――という物語。戦争・原爆・環境破壊等に対する痛切なメッセージを宿しており、約3時間にわたって眞栄田をはじめ出演陣の迫真の演技がぶつかり続ける。

公開を前に、眞栄田に現在の心境を語ってもらった。

映画初主演について

——2022年の東京国際映画祭で本作がお披露目された際は、まだ配給会社が決まっていない状態だったと伺いました。

眞栄田郷敦(以下、眞栄田):はい。でも、僕としてはそんなに焦ってはいませんでした。一番いい形でいろいろな人に観ていただき、伝わったらいいなと思っていたので、公開が決まって良かったです。

——その場では「やりたいことをやりたいメンバーで、とことんこだわって実現した映画」と語っていらっしゃいましたが、初主演映画としてこの映画を選んだ理由を教えてください。

眞栄田:単純にこの脚本を読んだ時に強く惹かれたことに尽きます。メッセージ性が突き刺さる感じや、光という役の魅力、難しさ――。そういった部分に惹かれた企画で、たまたまいただいた役が主役だったというだけでした。いままで経験してこなかった作風であり、モノクロの映画でもあって、すべてが新しい挑戦になるからこそ飛び込みたいという気持ちでした。

——「モノクロ映画」は当初から決まっていたのですね。

眞栄田:そうですね。「こういう雰囲気です」というイメージ映像を半野喜弘監督に見せていただき、この世界観や感覚を持っている監督やスタッフの方々と作品づくりをできたら面白そうだと感じました。

——光は幼い頃に視力を失い、手術を行うも色彩が感じられなくなった役どころです。どのように落とし込み、演じていかれたのでしょう。

眞栄田:光は幼少期に視力を失って、世の中の良いも悪いも物理的には見られず、感じられない中で育ってきました。そのため、世の中に対してどこか尖っている人物、という心の部分をまず作っていき、そこから「指先の感覚を大事にしている」といった身体的な部分を考えていきました。いろいろなものを触って、肌の感度が鋭敏になるように心がけていました。

——チャレンジングな難役に挑む際、ご自身の中でルーティン化しているアプローチなどはありますか?

眞栄田:脚本から読み取れる情報を吸い上げて、落とし込むという根本はいつも同じです。そこから実際に経験しないといけない肉付けの部分については、役どころによって変わってきます。

ドキュメンタリーのような作品

——人物を追いかけるような荒々しいカメラワークも印象的でしたが、半野監督の現場はいかがでしたか?

眞栄田:劇映画というより、ドキュメンタリーを撮っているような感覚がありました。半野監督と撮影監督の池田直矢さん、照明部さんにメイクさんと各部署がセッションして、その瞬間を作っているアンサンブル感が印象に残っています。友部(池内博之)と糸洲(尚玄)が海で言い合うシーンなどはアドリブも多く、もともとはカットを割って撮る予定だったのが、みんなの芝居だったりカメラワークにピント等々、すべてがマッチしたためワンカットになりました。

——本作は長崎・沖縄の戦争について真正面から描く映画であり、だからこそアドリブで言葉を発するのには勇気もいるのではないかと思います。生半可な覚悟で言葉を足したり変えたりできないといいますか。

眞栄田:沖縄出身の尚玄さんが感じていることの強さを、リアルに感じた瞬間でした。もともとのセリフに込められていたメッセージ性にご自身が見てきたことを足されていて。あのシーンはほぼテスト(リハーサル)もしておらず、段取り(カメラや俳優の動きの確認)をやったらすぐ本番という感じで、何が起こるのかわからない点でもドキュメンタリー的でした。

——本作には、眞栄田さんと池内博之さんのバディものの側面もありますね。

眞栄田:池内さんとは途中から芝居をしている感覚がなくなりました。撮影前からいろいろとお話しさせていただいて関係性もできていましたし、池内さんが友部にしか見えないからスッと言葉が入ってくるし、自分も同じテンポで返せました。台本上には「泣く」とは書いていないのですが、池内さんの芝居の熱量に引っ張られて涙が出てきてしまう、ということもありました。

——その瞬間の生の感情・反応が出てきてしまうような現場だったのですね。

眞栄田:場所の力も大きいと思います。「光という人物を演じている」と頭ではわかっているけど、実際に戦争を経験した場所に身を置いて、自分自身もいろいろなことを感じました。その感情は間違いなくリアルで別に演じていないため、とても不思議でした。そういった意味でもドキュメンタリーのような感覚でした。

僕達は小さい頃から学校などで「戦争は理屈抜きにダメだ」と教えられてきましたが、どこか遠いことのように感じてしまっている方もいらっしゃると思います。『彼方の閃光』を経験したことで、初めて戦争を身近に感じて「伝えていく立場になったんだな」とその重要性を痛感しました。

——本作で俳優デビューされたAwichさんとの共演はいかがでしたか?

眞栄田:僕はAwichさんに演技経験がないと知らず、「詠美さんにしか見えないな、雰囲気がすごいな」と感じていました。実際にどんどん引っ張っていただきましたし、素晴らしかったです。Awichさんはとてもガッツがあって、何事にも動じないんです。

——半野監督はホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーとコラボレーションした作曲家でもあります。俳優であり演奏家でもある眞栄田さんと共鳴する部分も多かったのではないか、と想像しました。

眞栄田:確かに、言葉にせずともわかり合っている部分はあったかと思います。それこそセッション的といいますか「いま、こうしたらいいんだろうな」と一致する瞬間が多くありました。事前に監督からこの映画や戦争、それぞれの役に対する想いを伺っていたことも大きいと思います。撮影後半は「光ならこうすると思います」と僕が伝えて、半野監督が「じゃあそれでいこう」と言ってくれるような感じでした。

——本作のキーの1つに、写真家・東松照明さんの作品群があります。彼の写真に対して、どのような印象を受けましたか?

眞栄田:写している人の表情などには飾り気のないリアリズムがあって、それなのに綺麗で文章を含めて美しさがあると感じました。美しいものに触れてこられなかった光が惹かれたのもすごく納得しました。

目標は「昨日を超え続けていくこと」

——作られた順番は前後しますが、『エルピス―希望、あるいは災い―』や『彼方の閃光』世に問う作品に惹かれるところはありますか?

眞栄田:意識的にそういった作品を選んでいるわけではありませんが、脚本を読んで考えさせられるものに対して「やりたい」と思うことは多いかもしれません。

脚本を初めて読む時は、まずは第三者として観客に近い形で頭から最後まで読むようにしています。そこで純粋に「面白い」と思えるか、役がチャレンジングかを重視しています。作品自体のやりがいはもちろんですが、その役にすべてを懸けられるかが僕にとってはとても大切です。

——その“やりがい”は、どういった瞬間に感じられるのでしょう。

眞栄田:やっぱり現場です。自分の中で役を作って現場に行き、それをアウトプットしてみんなで1つのシーンを作っていく時間――相談しつつ時にぶつかり合いながら、試行錯誤していく時間が一番楽しいです。そのためには自分がしっかり考えていかないと闘えないし、ぶつかり合えないし、土俵に立つことすらできません。各々がとにかく考えて、みんなで集まって作っていくことができた時に、やりがいを感じます。

——2023年は『大河ドラマ どうする家康』にも出演されました。今現在の目標や、今後についてはどんなビジョンを描いていますか?

眞栄田:全く決めていません。作品はやっぱり出会いだと思うので、目の前にある「すべてを懸ける」と決めた作品を一個一個良いものにしていくことしか考えていません。そうしていけば、自然と自分もステップアップしていけると実感していますし、やりがいも感じられます。そういった意味では、目標は「昨日を超え続けていくこと」です!

Photography Takahiro Otsuji
Styling MASAYA(PLY)
Hair & Makeup Kengo Kubota(aiutare)


『彼方の閃光』

■『彼方の閃光』
12月8日からTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
出演:眞栄田郷敦 池内博之
Awich 尚玄 伊藤正之 加藤雅也
監督:半野喜弘
原案:半野喜弘 
脚本:半野喜弘/島尾ナツヲ/岡田亨
スタイリスト:半野喜弘/上野恒太
音楽:半野喜弘
プロデューサー:木城愼也/半野喜弘/坂本有紀/中村悟/藤井拓郎
配給:ギグリーボックス
制作プロダクション:GUNSROCK
2022/日本・米/169分
©2022彼方の閃光製作パートナーズ
https://kanatanosenko.com

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俳優・伊藤万理華の演者としての強い想い 「作る側の熱量を受けて、同じ想いで作品を一緒に生み出したい」 https://tokion.jp/2023/11/30/interview-marika-ito/ Thu, 30 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=217638 映画『女優は泣かない』でドラマ部志望の若手ディレクター・咲を演じる伊藤万理華。本作で「撮る側」を演じて感じたこと。

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伊藤万理華

伊藤万理華(いとう・まりか)
1996年生まれ、大阪府出身。2011~17年、乃木坂46一期生メンバーとして活動。現在は俳優としてドラマ・映画・舞台に出演する一方、PARCO展「伊藤万理華の脳内博覧会」(2017)、「HOMESICK」(2020)、「MARIKA ITO LIKE A EXHIBITION LIKEA」(2022)を開催するなど、クリエイターとしての才能を発揮。主な出演作品に舞台『宝飾時計』、2021年に地上波連続ドラマ初主演を務めた『お耳に合いましたら。』(TX)、『日常の絶景』(TX)、映画『そばかす』(2022 / 玉田真也監督)、映画『もっと超越した所へ。』(2022 / 山岸聖太監督)など。初主演映画『サマーフィルムにのって』(2021 / 松本壮史監督)ではTAMA映画賞にて最優秀新進女優賞を受賞、第31回日本映画批評家大賞にて新人女優賞を受賞。
https://itomarika.com/s/m03/

初主演映画『サマーフィルムにのって』(2021 / 松本壮史監督)でTAMA映画賞の最優秀新進女優賞を、第31回日本映画批評家大賞で新人女優賞を受賞するなど、俳優としての存在感が高まる伊藤万理華。一方で映画やドラマ、舞台といった俳優業だけではなく、自身で個展を開催するなどクリエイターとしての一面を持つ。

最新作『女優は泣かない』では、スキャンダルで女優の仕事を失った蓮佛美沙子演じる主人公・梨枝の密着ドキュメンタリー撮影に渋々挑むドラマ部志望の若手ディレクター・咲を演じる。普段は「撮られる側」の伊藤が、本作で「撮る側」を演じて感じた「作り手」への想いを聞いた。

やりたいことを見つける

——台本を初めて読んだ時、どのような印象を受けましたか?

伊藤万理華(以下、伊藤):掛け合いの部分がすごく面白いと思いました。今回演じたADの瀬野咲は、若くて経験不足だから制御されていることに対し反抗心を持っていて、過去の自分とも重なる部分があるなと思いながら台本を読みました。

——「制御されていることに対しての反抗心」というのは、伊藤さんにとってはどのようなものだったんでしょうか?

伊藤:自分の好きなものや、目指すものがまだ曖昧な段階でグループに加入しアイドルになったので、グループを卒業してからいろいろ模索しました。その頃には、梨枝のように「自分はこんなもんじゃない」と焦りを感じたり、本当はこういったことがやりたいのにできない、それをするためにやらないといけないことがあるけれどどうしたらいいんだろうという思いとの狭間で、葛藤がありました。ただ、私の場合は個展(「伊藤万理華の脳内博覧会」、2017年)をやることで乗り越えてきました。

——何を目指すのかを明確にする前は大変でしたか?

伊藤:グループを卒業する直前の時期に、パルコさんから「何かやりませんか」と声をかけていただいて。そこで初めて自由にやりたいことができたし、改めてやりたいことが明確になりました。その時に、いろんな人の力を借りて、コラボすることによって乗り越えられました。

——声がかかるということは、それまでに何かやりたいという気持ちがにじみ出ていたのかもしれないですね。

伊藤:逆になんで声をかけてもらえたんだろう、なんで私の気持ちを知ってるんだろうと不思議で。ただ、その頃もデザイン誌で連載のお仕事をしていて、クリエイターさんのアトリエを訪問して対談したりと、作り手の方に近いところのお仕事もいただいていました。ただ、その頃はそれ以上のものはありませんでした。もちろん、ゼロから何かを生み出している作り手の方の話を間近で聞いていると、気持ちは自然と変わっていたところはあったのかもしれません。そんな卒業の手前の時期に偶然、声をかけていただいたというか……。

「ものづくりにはずっと寄り添っていきたい」

——今回、映画の中では、実際のカメラを持って映像を撮られていたそうですね。

伊藤:実際にカメラをまわしていたら、エンドロールで初めて撮影として名前も載せていただいて。監督からは「もしかしたら映画の中で実際に使うかもしれないから」と言われていたんですけど、大スクリーンで自分が撮影したものが流れるかもしれないと思うとけっこう緊張して。カメラの画角とか撮り方を意識しながら、夢中で撮っていました。

——お芝居をしながら撮るということで大変さを感じることはありましたか?

伊藤:演じながら撮影をしなければという意識はありませんでした。自分がカメラをまわしているというよりも、咲というADが撮影している感覚だったので。

——作ることに興味があって、カメラを持ったら、何か映像作品を撮ってみたいという思いが生まれたりすることもありそうですね。

伊藤:今は映像や写真を撮るとしても、思い出を撮っているという感じです。だから咲のように、いいものを撮るという意識でカメラを触ったことはなかったから、今回がそういう意味では初めてのことでした。ただ、本作の取材の中でもありがたいことに「いずれ映画を撮るんじゃないですか」と聞いていただけるようになりました。

——何か表現したいことがありそうだなと思うから、期待して言っている人が多いのかもしれないですね。

伊藤:そう言っていただけるのはうれしいです。自分が撮るかどうかはわからないですけど、ものづくりにはずっと寄り添っていきたいと思っているので、映画に限らず続けていきたいと思っていますし、ゆくゆくはそういう企画を自分でゼロから始められるようになりたいです。

現場でのコミュニケーション

——「撮ること」と「撮られること」の違いに関してはいかがでしたか?

伊藤:撮られること・演じることを目指してきたので、演じるほうがやりやすいです。撮る側のことは、すべて理解できるかというとなかなか難しいし。ただ、演じる時はどんな職業でも、その人の持っている情熱を理解すれば近づけると思っています。

——今回の映画では、演じる側である園⽥梨枝(蓮佛美沙子)が、ADの咲と最初はぶつかったりしながらも、徐々に近づいていく内容でしたが、そういう感覚を経験したことはありますか?

伊藤:そういうことは、みなさん経験したことがあるんじゃないでしょうか。人とわかりあうまでどこかでぶつかることもあるだろうし、自分の思いをお互いにぶつけあうことは作品を作る上で必要なことだと思います。誰かと一緒にものを作るということは人とのコミュニケーションなので、今回のように女優とADという関係性に限らずどこにでもあることだと思うし、演じていても理解できることだと。そういう感情を作品の中で演じられてうれしかったです。

——いろんな現場でも、そうやって伝えるってことは大事にしてきたんでしょうか?

伊藤:バトルをするということではなく、自分がどういう思いで取り組んでいるのか、それを伝えることも仕事だと思っています。作る側の熱量を受けて、同じ想いでものを一緒に生み出せたらいいなと思っていますし、そういう制作過程にずっと憧れていました。

——今回の映画に関してはいかがでしたか?

伊藤:この作品に合流したのが少し遅かったので、最初のうちは密なコミュニケーションをとるのは難しいのかなと思っていたのですが、有働監督との波長も合いましたし、疑問があった時にはすぐに伝えられる環境でした。

——蓮佛さんとの共演はいかがでしたか?

伊藤:以前から、いろんなお仕事を拝見していたので、最初は緊張しましたが、撮影の最後に蓮佛さんから「咲をやってくれてよかった」と言っていただけて、「これがすべてだな」と報われた気持ちになりました。お互いに梨枝と咲という役として向き合えたし、蓮佛さんには私を咲として受け止めてもらう包容力を感じました。

——伊藤さんが、俳優という仕事として、スタッフの方達と、お互いに理解しあってお仕事ができた、と感じた作品としてきっかけになったものはありますか?

伊藤:今演じているような役をいただけているのは、やっぱり『サマーフィルムにのって』という作品があったからだと思いますし、自分の転機になった作品です。そのあとから「作る」という楽しさを追求するような役、例えばドラマ『お耳に合いましたら。』の高村美園など、そういう役を演じる機会が増えてきました。自分では気付かなかったけれど、自分が大切にしてきたことが役として投影された瞬間がそこだったんだなと。この仕事を続けてきてよかったなと思いました。

——私も『お耳に合いましたら。』を毎週楽しみに見ていました。こうした、好きなことに情熱を傾ける役は、今の伊藤さんとぴったり合っていてすごくいいと思うんですが、それ以外にやってみたい役はありますか?

伊藤:今までは、作ることと演じることを分けて考えていましたが、最近はそれを分ける感覚が少なくなってきていて、チームの一員として「作る」ということに関わっていれば、どんな役にも同じ気持ちで向き合えるという段階に入ってきたのかなと思っています。だから、もっと役の幅を広げていけたらいいなと思っているところです。

——最後に。『女優は泣かない』の中で気に入っているところを教えてください。

伊藤:作り手の葛藤や演者との向き合い方など、監督の思いが投影されまくっているところです。それは撮る側だけに投影されているわけでもなく、蓮佛さんが演じた梨枝にも表れていると思います。そんないろんな登場人物の感情のぶつかりあいややりとりが、ちゃんと面白く描かれていて、最後に心がギュっとなるような部分もあって、お気に入りです。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)
Stylist Miri Wada
Hair & Makeup Yuka Toyama
シャツ¥94,600/baziszt(Diptrics 03-5464-8736)、スカート¥71,500/VOLTAGE CONTROL FILTER(Sakas PR)、ネックレス¥18,500/Marland Backus、シューズ¥29,700/ALM.

■『女優は泣かない』
2023年12月1日から「ヒューマントラスト シネマ渋谷」ほか全国順次公開
出演:蓮佛美沙子 伊藤万理華
上川周作 三倉茉奈 吉田仁人 ⻘木ラブ 幸田尚子
福山翔大 緋田康人 浜野謙太 宮崎美子 升毅
監督・脚本:有働佳史
制作プロダクション:有働映像制作室 
制作協力・配給:マグネタイズ
主題歌:在日ファンク「注意 feat.橋本絵莉子」
2023年 / 日本 / 117 分 / カラー
©2023「女優は泣かない」製作委員会
https://joyuwanakanai.com

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「老いていくのも素敵なことかもしれない」 『水曜どうでしょう』の鈴井貴之が田舎での生活で感じた「幸せの本質」 https://tokion.jp/2023/11/10/interview-takayuki-suzui/ Fri, 10 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=215644 書籍『RE-START 〜犬と森の中で生活して得た幸せ〜』を出版した鈴井貴之に赤平市での生活の中で見つけた「幸せ」について聞いた。

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鈴井貴之

鈴井貴之(すずい・たかゆき)
1962年北海道赤平市生まれ。1990年に札幌で劇団「OOPARTS」を立ち上げる。その後、構成作家・タレントとして『水曜どうでしょう』(HTB)などの番組に企画・出演。映画監督として『銀色の雨』などこれまで4作を発表。2010年から「OOPARTS」を再始動。これまでに6作の舞台公演を行っている。
https://www.office-cue.com/profile_media/profile.php?t=1
https://twitter.com/TAKAYUKISUZUI

大人気番組『水曜どうでしょう』のミスターこと鈴井貴之。12年前から生まれ故郷の北海道赤平(あかびら)市にも拠点を持ち、現在は札幌と赤平の2拠点生活を行っている。

赤平は北海道のほぼ中央に位置し、札幌から約100kmで、人口は約9,000人と過疎化、高齢化が進んでいる町だ。鈴井の家の周りも森に囲まれており、当初は原野を自らの手で開墾することから始めたという。現在は4匹の犬(大型犬3匹、小型犬1匹)と共に田舎での生活を満喫している。

そんな赤平での生活を記した書籍『RE-START 〜犬と森の中で生活して得た幸せ〜』(幻冬舎)が10月4日に刊行された。もともとは「自然が嫌いだった」と語る鈴井が森や犬と暮らす中で見つけた新たな幸せとは何なのか。

——まず、今回この本を書こうと思ったきっかけから教えていただけますか?

鈴井貴之(以下、鈴井):北海道の赤平市で暮らすようになって13年目になりますが、去年雑誌の「GOETHE」の特集で僕の家を紹介したい、と依頼がありまして。その時の担当編集者が僕の赤平での生活を見て、その場で「本を書きませんか」と依頼してくれたんです。

赤平で生活するようになって自分でも想像してなかった驚くべき変化が起きたりもして、その体験をまとめて書いて出すのもいいかなと、本を書くことにしました。

——いつ頃、その話があったんですか?

鈴井:去年の10月頃です。そこからどんな内容にしようか、リモートで編集者と打ち合わせをしながら書いていきました。

——本書は、ゴールデンレトリバーのネイマールという鈴井さんが飼っている犬の視点で書かれています。

鈴井:エッセイって自分のことを書くんですが、「なんてバカバカしいことをやっているんだ」っていうのは、自分の独り語りよりは客観的に書いたほうが読者に共感してもらいやすいかなと思い、ネイマールに語り部となってもらい、僕の生活を伝えることにしました。

——タイトルも鈴井さんが考えたんですか?

鈴井:そうです。この表紙に使われている文字も僕が直筆で書きました。赤平での生活や会社や家族のこと、いろんな意味で「RE-START」という思いを込めてこのタイトルにしました。

——49歳で赤平市での生活を始めましたが、「それは現実逃避だった」と書かれています。

鈴井:あまり詳細には書いていないのですが、その頃に社長を辞めたり、離婚もしたりしていますから。そんなタイミングで、赤平に居を構える機会をいただいて、最初は「町のため」みたいなきれいごとを言ってたんですけど、客観的に見たら、逃げ場所を探していたのかなと思います。

最近、ようやくそれを自分で認められるようになってきました。逃げるというのは、マイナスにとらえられがちなんですけど、時には勇気ある撤退も必要だなと思います。そういうのも赤平に12年住んだ今だから、包み隠さず書けるようになりましたね。

——今は、札幌と赤平との2拠点生活ですが、どれくらいの間隔で行き来されているんですか?

鈴井:半々か、少し赤平で過ごすほうが多いかなというくらいです。それはやっぱり犬のためなんですけどね。赤平だと犬達はリードもなく、自由に走り回れる。なので、時間があれば、赤平にいるようになりました。

——本当に犬中心の生活なんですね。

鈴井:今は4匹ですが、多い時は6匹飼ってましたからね。犬を飼うからにはそれくらいの責任を持って飼わないといけないと思います。

自分でやることに意味がある

——赤平に住むと決めて、土地の整備はご自身でされたそうですね。

鈴井:最初は原野だったので、札幌から週末に通いながら自分でチェンソーで木を切ったり、重機の免許も取得して、素人ながら、ほぼ1年かけて、できるところまでは整備しました。

——土地の広さってどれくらいなんですか?

鈴井:約6600坪です。

——なかなか想像できない広さです。それくらい広いとまだまだ未開拓な場所も多いんですか?

鈴井:全然使っていない場所の方が多いですよ。敷地には川もあって、釣りもできるんです。僕は釣りはやらないんですけど、この前、友人が遊びに来てくれて、釣りをやりたいっていうので、その川まで草をかきわけて5年ぶりに行きました。その友人はニジマスとか釣って、「すごくいい川ですね」って言ってました。

——整備するのは業者にお願いすることもできたと思うのですが、なぜご自身でやろうと思ったんですか?

鈴井:最初に赤平で暮らそうと思ったのが、夕張市の次に赤平市が財政破綻するかも、という話があった時で、僕も赤平出身なので、その財政会議にアドバイザーとして月1回通っていました。でも、その会議で偉そうなことを言いながら、札幌に帰る。自分は所詮よそものだなと感じて。それならこの町に住んでみたら仲間として受け入れられるかなと思って住むことにしたんです。それで仲間と認めてもらうには、業者が入って別荘を建てたということではなく、週末通いながら、自分で作業していることが大事だなと思って。

そうやって自分でやっていると、近所の人にも知ってもらえるようになってアドバイスをもらえたり、小さい町なので、他の人にも知ってもらえたりして。そうなると「あの人は本気だ」と、受け入れられていきました。

——でも、49歳になって急に田舎で生活をするのは、なかなかできることじゃないと思いますけど。

鈴井:最初は大変でした。冬の除雪も重機を使っても1時間くらいかかるので、何をやっているんだっていう気持ちにはなりましたし、赤平から札幌まで普段だと1時間30分あれば着くんですが、大雪だと8時間くらいかかったこともあって。「こんなに時間を無駄にして、今の生活に意味があるのかな」と思ったこともありました。

でも、時間を無駄にするといっても、毎晩すすきので飲んだくれているのも時間の無駄なのでは、と考えると、慣れたらすべてのものに意味があって、そんな時間も大事で無駄なものはない、という考えに変わっていきました。

——水が止まってしまう話も書かれていて、本当に生活が大変そうだなと思いました。

鈴井:年に何回か札幌から戻ってきたら水が出ないっていう状況があって、2km先の水源のメンテナンスをしないといけないんですよね。最初はそれも苦痛でしかなかったですけど、やっぱり慣れなんでしょうね。ここで生活するっていうことは、それが当たり前なんだ、と受け入れられるようになりました。

あと、東京からお客さんが来ると、「本当に自然の中に身をおくと癒やされる」とおっしゃいますね。本当に何もないんですけど、心が浄化される感覚になります。札幌でも仕事に疲れたら、早く赤平に帰りたいなって思いますからね。

——だんだんと適応していったんですね。

鈴井:そもそも僕は北海道民ですけど、自然は嫌いでしたから。『水曜どうでしょう』で、ユーコン川を渡った時は地獄でしかなかったです。『北の国から』を見ても、こんな生活できるわけないよなって思ってました。でも今は、泥だらけになりながら草むしりしたり、犬と戯れてたりしていますから。人ってこんなにも変われるんだって、自分でも驚いています。

自然の中で大型犬を飼ってみたいなという思いもあって、赤平での生活を始めたタイミングで、大型犬を飼い始めたらすごく大変で。こっちが我慢しないといけないことが多くて。自分のような業種の人間ってどっかわがままな部分があるんですけど、こっちが我慢を強いられる生活になって、かなり我慢強くなりましたし、イライラすることも減りましたね。「しょうがないよね」って受け入れられるようになったんです。

——YouTubeも最近始められましたが?

鈴井:3、4年前からやろうかなとは思っていたんですが、当時はみんながYouTubeをはじめていたので、なんとなくタイミングを考えて、今年の8月からスタートしました。たまたま同じ内容の本も出版されるのでいいかなと。

——YouTubeは1人でやられているんですか?

鈴井:そうですね。

——原野の開墾にしても、YouTubeにしても1人でやるのが昔から好きだったんですか?

鈴井:1人でこもって創作活動をするのは好きでしたね。だからこういう生活も自分にはあっているんでしょうね。

以前、映画の監督にも挑戦しましたが、やっぱり関わる人が増えると、いろいろと意見が出てくるわけで。その中でどこまで良しとするのか、その葛藤はありました。それを1度清算したくて、なるべく1人でやれることをやろうというのも、この町に住んだ理由の1つです。だから本を書くっていうのは基本的には1人でできるので、すごく向いているんだと思います。自分が表現したいものが、文字としてダイレクトで伝えられるので。

「老いること」について

——現在、61歳ですが、「老い」については自然と受け入れられるようになりましたか?

鈴井:今は仕方ないなって受け入れられるようになりましたが、数年前は本当に嫌でした。老眼になったり、体力的な衰えや食も細くなったりして、昔できていたことができなくなってくるんです。それで、このまま老いていくのか、と一時期はどんどんネガティブな思考になりました。

でも、いつ頃からか老いを拒否するのではなく、受け入れられるようになって。できることの限界は知ったので、無理をせず、新しいことに挑戦していく。そういう風にモードが変わりましたね。老いていくのも、素敵なことかもしれないな、ととらえてやっていく。

この本にも書いていますが、80歳まで生きるとしてもまだ20年ほどある。それだけあれば、成長できる余地はあると考えるようになったら、まだまだ頑張っていこう、と思えるようになりました。

——『水曜どうでしょう』は今も続けています。全盛期は過ぎているとも書かれていましたが、それでも続ける理由は?

鈴井:まだ支持してくれるファンの人達が大勢いらっしゃるので。いい時の姿を見せるだけでなく、先ほども言ったように衰えていくのは当たり前のことなので、それもさらけ出していくのも1つかなと。

——『水曜どうでしょう』は今でもすごい人気ですよね。改めて、あの番組の魅力はどこだと思いますか?

鈴井:バラエティ番組ってカテゴライズされるんですけど、僕等はドキュメンタリー番組だと思っていました。テレビ番組なので、面白おかしくやっている部分もありますけど、怒ったり、ぼやいたり、みんな本音でやってますから。最初の頃はテレビ番組を作らないといけないと思って、僕が一番しゃべってたんですけど、いつ頃からかがんばらなくていいんだなと思って、後半全然しゃべんない時とかありました。どこからか作りものじゃなくて、この4人の素を見せていくのがいいんじゃないかと思って、みんなが好き勝手にやりはじめた。そうしたテレビの枠組みをはみ出たリアルさが人気だったんじゃないかなと思います。だからこそ、今も自分達のリアルを見せるために続けているんだと思います。

——いろいろ経験した鈴井さんにとって「幸せ」とは?

鈴井:「幸せ」はまだまだこれからじゃないですか。もっと森を開拓したいですし、インディーズで映画とかも撮りたいと思っています。そうした先のことが考えられることが、幸せなのかな。幸せのど真ん中にいたら満足してそこでもういいやってなってしまうと思うんですが、まだチャレンジできるっていう希望を持てているのは、いいことなのかな。

——最後に本書はどういう読者に読んでもらいたいですか?

鈴井:やっぱり僕と同年代の50代、60代で、もうすぐ定年でセカンドライフをどうしようかと考えている人。でも、若い人が読んでも何かしら気付きはあると思います。この本自体がエッセイのコーナー以外に、ペット関連にあったり、読んでくれた人からは「ビジネス書だよね」って言っていただいたりもして。人によっていろんなとらえ方ができる内容だと思います。

——僕もこの本を読んだら、老いていくことに対して、少し気が楽になりました。

鈴井:それが一番です。「人生は長くて、50歳近くからでもやり直しができる。だから大丈夫。なんとかなるよ」っていうのが伝われば。人って、落ちている時は考えすぎちゃうので。少し引き算してきたら、楽になる。この本を読んで、そうなってもらえればいいですね。

Photography Mayumi Hosokura

『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』著者:鈴井貴之

■『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』
著者:鈴井貴之
定価:¥1,760
発売日:2023年10月4日
ページ数:308ページ
出版社:幻冬舎
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344041103/

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舞台『ねじまき鳥クロニクル』主演・成河と渡辺大知が語る「クリエイションへの探求心」 https://tokion.jp/2023/11/02/songha-x-daichi-watanabe/ Thu, 02 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=214871 舞台『ねじまき鳥クロニクル』の主人公の岡田トオル役を務める成河と渡辺大知に本作への思いを聞いた。

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成河(そんは)
1981年3月26日生まれ。東京都出身。2008年度文化庁芸術祭演劇部門新人賞受賞、2011年第18回読売演劇大賞 優秀男優賞受賞、2022年第57回紀伊國屋演劇賞 個人賞受賞。大学時代から演劇を始め、北区つかこうへい劇団などを経て舞台を中心に活動。古典からミュージカルまで幅広く出演している。近年の主な出演作品に、舞台:『髑髏城の七人』Season花、『エリザベート』、『子午線の祀り』、『スリル・ミー』、『建築家とアッシリア皇帝』、木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』、『ラビット・ホール』、『ある馬の物語』、『桜の園』など、TV:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、映画:『カツベン!』など。
https://www.bluejupiter.co.jp/profile_songha.php

渡辺大知(わたなべ・だいち)
ミュージシャン・俳優。1990年8月8日生まれ。兵庫県神戸市育ち。高校在学中の2007年にロックバンド「黒猫チェルシー」を結成。ボーカルを務める。以降、音楽活動と並行して俳優としても活動を拡げ、デビュー作となる映画『色即ぜねれいしょん』(2009年公開)では日本アカデミー賞新人俳優賞授賞を受賞。2010年にミニアルバム『猫Pack』にてメジャーデビュー。また、初映画監督作品『モーターズ』(2014)で”PFFアワード・審査員特別賞”を授賞するなど多彩な才能を開花させている。
https://daichiwatanabe.com

2020年2月に初演が行われた舞台『ねじまき鳥クロニクル』が11月7日から再演される。本作は村上春樹の長編『ねじまき鳥クロニクル』をインバル・ピントとアミール・クリガーが演出、アミールと藤田貴大が脚本を担当、音楽を大友良英が手掛けた創造性豊かな舞台作品だ。

今回も初演から引き続き、主人公の岡田トオル役は成河(そんは)と渡辺大知が2人で1人の人間の多面性を演じる。村上春樹の独特な世界観を舞台ではどう表現するのか。主演の成河と渡辺に再演に向けての思いを聞いた。

——舞台『ねじまき鳥クロニクル』は2020年に初演があったものの、コロナ禍で公演が途中で中止になり、今回は再演となります。今現在、どのような稽古をしているところですか?

成河:僕ら2人でやるのは、「コンタクト」というコンテンポラリーの1つの型に従って、2人で体重をかけあったりする動きの稽古などですね。そこにはお互いの感覚も重要だし、技術的な知識も必要なんです。2人で1人の人物を演じるということは、とてもおおまかにいうと、1人の人物の内面と外面を表しているんですけど、その中で、2人で1人の人物に見えるような絡み方ができたらなと思いながら練習しているところです。

渡辺大知(以下、渡辺):「コンタクト」をやることで、精神のありようも変わってきますからね。

成河:やってもやっても終わりがないんですよ。その上、体の動きで見せるだけでなく、そこに村上春樹特有の言葉も入ってくるので、稽古を突き詰めていけば10年でもやっていられるくらいの内容です。毎日毎日、追及している日々です。

渡辺:今は自主的に実験をやっているような感じですね。前回は、全体像が見えたところで終わってしまった感じで、あらためて「ああしたい、こうしたい」ということが見えてきているので。

成河:前回は、初演でひとまず形を作ること、つまりフォーマリズムの段階で精いっぱいだったので、そこからどうやったら息づくかという稽古をしているところなんです。

——台本も読ませていただきましたが、ここからどのように舞台として形作られていくのだろう?とワクワクするような内容でした。

成河:それこそ、この舞台は文字に書かれていないことをどう描くかということが重要で、文字情報だけでは舞台の半分でしかなく、もう半分は演出家のインバル・ピントが作っていると言っても過言じゃないんですよ。言葉で描き切れないことを、どう動きで埋めていくのかを、みんなでアイデアを出しながら作っていくので、稽古の中でもまたそぎ落とされていくと思います。

渡辺:シーンごとに稽古をしている時には、これがどう成立するのかがまだ僕等にもわからないところもあったりしたんですけど、いざ通しでやってみると、ここはこんな表現になるのかと気付くこともありました。インバルのアイデアで、最初にすごいなと思ったのは、机をはさんで岡田トオルとその妻が会話している時に、心の距離が離れていくというシーンでした。例えば役者がそのようなシーンを演じる時には、声や体で距離が離れて行っていることを表現しようとするんです。

でもインバルは、「机が伸びちゃえばいいじゃん」と。その言葉を聞いた時に、まるで魔法使いのような発想力だなと思いました。そこから大道具さんや美術さん達でアイデアを出して、伸びる机を作ったわけなんですけど、そうなると役者としても、声色は変えないほうが効果的なのかもしれないとか、そんな風に考えることができるんです。僕は、そんなクリエイションが好きなので、今も楽しみながら稽古をしているところです。

成河:それだけのために数日間かかっていて、当たり前のように時間をかけてやってるんですけど、こんなモノづくりができるって貴重なことなんです。前回の動きを思い出すための2週間と、通常の稽古のための5週間、計7週間とってくれて、それでも長いとはいえないけれど、日本のやり方の中では贅沢な時間の使い方をしてくれています。渡辺:その期間の中で、細部まで突き詰めていきたいですね。この舞台は、終わりなき過程を見せて、お客さんの脳内で完成してもらうようなものになればいいと思っているんです。

——去年のダイジェスト映像を見ても、想像がふくらみました。

成河:ワクワクしますよね。初演には、原作者の村上春樹さんもいらしていて、この舞台を見てお墨付きをいただいたということで、インバルも喜んでいたし、カンパニーにとっても強力な自信になりました。

インバル・ピント、アミール・クリガー、藤田貴大、3人の役割分担

——この舞台、インバル・ピントさんが演出・振付・美術を担当して、アミール・クリガーさんが演出と脚本で、藤田貴大さんが脚本・作詞ということでしたが、その3人の役割というのはどうなっていたのでしょうか?

成河:藤田さんは日本語の部分の脚本を担っていて、インバルは、身体的な、振り付けや視覚的なイメージでの演出を中心に手掛けています。それ以外の言葉による演出をアミールが担当するという感じです。ただ、日本語と言う部分では、村上春樹の特有のしゃべり方というのがありますよね。例えば「やれやれ」というところや「なんてことかしら」みたいな部分。

渡辺:口語的にしてもいいところや、でもこれは村上春樹の言葉として残したほうがいいところもあったりするんですけど、そういう時に藤田さんの役割でしたね。

成河:そこの部分は、複雑なところなので、たくさんやりとりがありましたね。それこそ初演の時は、表現の仕方に関してアミールと衝突することもありました。

渡辺:僕は、よりよいクリエイションのために、そうやってお互いが発言をすることが良いことだと信じているところがあります。特に日本のクリエイションの場では、気を使って言わないことも多いので、それではものつくりが活性化しないなと思うこともありますし。

成河:大知のそういう姿勢のおかげでいい影響があったと思います。

渡辺:でも、そうやって議論に火をつけるからには、それなりに勉強が必要だとも思います。あらゆるパターンをイメージしたうえで、それでも難しそうだと思った時だけ疑問を呈するようにしています。

成河:それでハッとさせられたこともありましたね。それが当たり前だと思ってなんの疑問も持たなかったところに、大知の発言があったおかげで、気付くことができたり。

渡辺:僕は、面白いなと思うものや、ワクワクするものを見たくて生きているところがあるんです。表現の世界でも、ワクワクしたものを作りたいのに、人との間で忖度をしてしまったり、変に気を使ったりすることで、ワクワクするものを作れないとしたら、もったいないし、つまんないものになってしまうと思っちゃうんです。

高校生にも観てほしい舞台

——改めて、2人で1人の役をするということについてはどう思われますか?

成河:実は、2人が1つの役をやるということは、古典芸能なんかでもよくあって、そこまで不思議なことではないんですね。だから、当たり前のように観てもらえるのではないかと思います。だって、井戸の中に入ったら違う自分が出てくるっていうだけで。そういう存在って、自分の中にもありますよね。

渡辺:もっと言えば、1人の人物を2人が演じるだけじゃなくて、もっとたくさんの自分が出てきますから。そういう表と裏だけではなく、多面性を、グレーゾーンを見せられたらいいなと思っています。

成河:その表現、いいね。外側に見えていることだけではない。ある時は1人の人間が10人になっているかもしれないし、それを見ている1000人の観客と1人の人間になることだってあるかもしれないし。

——舞台でできる表現って、すごく幅が広いんだなと思いました。

成河:舞台というのが無限すぎて整理しないといけないくらいですね。そういう特別な体験をするために、ぜひ皆さんにも観に来てほしいです。特に高校生以下は1000円で観られるチケットもある(東京公演のみ)ので。

渡辺:すべての意味がわからなくても、その衝撃を記憶に残してほしいですね。僕自身もこういう仕事を始めたのが高校生の時で、あの頃って表現に飢えていたし、わからないものを知りたいって思っていました。だから、そういう人に観てほしいです。『ねじまき鳥クロニクル』を観て、思考する楽しさ、何かを受け取る楽しさを味わってもらいたいです。自分も高校時代に観ておきたかったとすら思います。

成河:人生変えちゃうかもしれないしね。

Photography Yuri Manabe

■舞台『ねじまき鳥クロニクル』
原作:村上春樹
演出・振付・美術:インバル・ピント
脚本・演出:アミール・クリガー
脚本・作詞:藤田貴大
音楽:大友良英
出演
演じる・歌う・踊る:成河 / 渡辺大知、門脇麦
大貫勇輔 / 首藤康之(W キャスト)、 音くり寿、松岡広大、成田亜佑美、さとうこうじ
吹越満、銀粉蝶
特に踊る:加賀谷一肇、川合ロン、東海林靖志、鈴木美奈子、藤村港平、皆川まゆむ、陸、渡辺はるか
演奏:大友良英、イトケン、江川良子
主催:ホリプロ、TOKYO FM
企画制作:ホリプロ
https://horipro-stage.jp/stage/nejimaki2023/
https://twitter.com/nejimakistage

【東京公演】
公演日程:2023年11月7〜26日【全24回公演】
会場:東京芸術劇場プレイハウス 

【大阪公演】
公演日程:2023年12月1〜3日
会場:梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
主催:梅田芸術劇場 / ABCテレビ / ホリプロ
https://www.umegei.com/schedule/1149/

【愛知公演】
公演日程:2023年12月16〜17日
会場:愛知県刈谷市総合文化センター大ホール
主催:メ~テレ / メ~テレ事業 / 刈谷市・刈谷市教育委員会・刈谷市総合文化センター(KCSN 共同事業体)/ ホリプロ
https://www.nagoyatv.com/event/entry-36088.html

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