連載:時の音 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/series-tokinooto/ Fri, 13 Oct 2023 10:14:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 連載:時の音 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/series-tokinooto/ 32 32 連載「時の音」Vol.23 北村道子が見据える“現在”という点 https://tokion.jp/2023/10/13/tokinooto-vol23-michiko-kitamura/ Fri, 13 Oct 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=211774 自身の哲学を貫き、今もなお第一線で活躍している北村にインタビュー。

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北村道子(きたむら・みちこ)

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、ファッション業界歴40年以上というスタイリストの北村道子が登場。自身の哲学を貫き、今もなお第一線で活躍している北村が見つめる先にあるものとは。

思い出すのは「記憶」

ある晴れた午後に、このインタビューは行われた。待ち合わせの場所に着くと、すでに北村道子は待っていて、「外のほうが気持ちがいいと思って」とテラス席で言った。

「そこの噴水のところにカラスがやってきて、水を飲んでいたんですよ。それをここから眺めていたんです。眺めながら『どうしてここに水を飲みにやって来たのだろう、池は他にもいっぱいあるのに』とか、『あれは子どもかな』なんて、考えていたんです」。

連載「時の音」Vol.22 北村道子が見据える“現在”という点

北村は40年以上にもわたりスタイリストとして活動し、今もなお第一線に立っている。移り変わりの激しい世界に身を置き、広告、映画、ファッションとさまざまな領域に立ってきたが、そのどこにも属するわけではない。いつだって、自分のやり方で仕事をし、哲学を貫いている。だからこそ、多くの人が彼女に引きつけられるのだろう。そして同時に、これまでの足跡に関心を抱くのだけど、本人はきっぱりと言う。「私は過去は振り返らない。振り返ったことがないですね」と。

「これまでのことを聞かれたら、これが私の答えってことだと思います。昔を振り返って何があるの? 振り返ったりしたら、きっともう自分の言葉は出てこないですね。現在は点じゃないですか。だから今話したことも、もう過去になって行くんですよ。思い出すのは何かと言ったら、記憶ですよね。それは脳内の物質でしかないもの。今はみんな脳内にある社会ばかりを見ているんです。考えるって、脳内を見ているということでしょう。過去の話をするというのは、過去をリピートしているだけ。同じことをずっと繰り返して、何年も生きてしまうだけですよ。だけど、自分の脳内にあるものなんて、たかが知れているじゃないですか。リピートするだけでなく何かを発見しないと。発見によってアートが生まれるのだから。人はアートがなければ何もない生き物。あとはただお金もうけを繰り返して、そして壊れていくだけでしょう」。

次々に繰り出される言葉に耳を傾けていると、1人の人の生き方に触れている実感が押し寄せてくる。他愛もない話題から政治、文化、ファッションへと移り変わるうちに、今日はどんな取材なのか、テーマは何だったのか、この人物がどんな肩書を持つのか……というような意識はどこかに行ってしまい、ただそこにいる北村の、生身の世界に触れているように感じる。情報や記号を拾い集めて何かを理解したつもりになってしまいがちな最近の世界に生きていると、かなり新鮮な驚きと刺激に満ちた体験。取材のノートは、膨大な言葉であふれていく。

「じゃあ私が何を見ているのかって言ったら、それは目の前にある風景です。自分が見ているビジュアルこそが、私の好奇心。私はビジュアルにしか興味がないですから。そして目の前のビジュアルをずっと見ていると、その風景のことがわかってくるんですね。ああ、ここにはブナの木があるんだな。カラスがやってきた。なぜだろう? …というふうに、自分なりの疑問を投げかけるんです。頭の中の自問自答なんだけれど。そういうことなんです、私にとって言葉や知識が生まれるというのは。仕事において自分の作品を“残す”というのも、私には違う。作品というものは目の前で生まれていて、それを私はその場で見ているんです。撮影の現場で。だから、例えば雑誌の場合なら1ヵ月後くらいに誌面になるわけですが、そこに載っているのは私にとってはもう作品じゃない。フェイクのようなもの。でもそれをフェイクとわかっていながら、ずっとやってきているんです」。

どんなトピックスに対しても、北村は必ず独自の見方を投げかける。見るたびに見方が変わる。違う視点が見つかっていくようだ。「最近だと、つい先日見た映画『TAR/ター』がおもしろかった。あれは心理学と民俗学とセクシャルというテーマを色濃く含んだ作品だと思うんです。誰もそんなことは書いてないけれど、私はそう考えているんです。本当にいろんなディスカッションができる作品でしたね」。

これまでに3冊出版されている自著『衣裳術』の中にも見つけることができる言葉だが、北村は自身の服に対する見方やスタイリングについて語る時に、「服の力」という言葉を用いる。力というのは、哲学のこと。哲学があるから、人は引きつけられる。だとしたら、私達はこの取材で「人の力」を感じていたのだと思う。「人と同じがどうもダメ。それは子どもの頃からずっと」という彼女は、「若い頃から、『どうやってこの惑星を歩こうか、歩いてみようか』と生きていた」という。

噴水にやってきたカラスに、電車の中の人々にと、ささいなことをじっと見つめて感じ取る。その小さな感性の連なりが、いつしか北村道子という人物を作り上げている。「やっているのはどれも、どうってことないことなんですよ。でも、どうってことないことを、今はみんなやらないじゃない?」。

何気ないことをおもしろがる好奇心が、コピーアンドペースト不可能な人の個性の源泉となるのだろう。スマートフォン1つあればどんな情報でも得られる世の中では、最新のファッションやカルチャーは当然のこと、もっと突き詰めればパーソナリティや思考だって、すでにできあがったものを一式手に入れることが可能になってきている。そのことに多くの人が気付き始めている今、生身の言葉や鋭いまなざしが、ひときわ強い引力を放っている。なぜなら、そこにその人ならではの温度があるから。

Photography Anna Miyoshi
Edit Nana Takeuchi

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連載「時の音」vol.21 「トーガ」デザイナーの古田泰子が伝えたい「ファッションの役割」 https://tokion.jp/2023/07/03/tokinooto-vol21-yasuko-furuta/ Mon, 03 Jul 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=186648 国内外で人気のブランド「トーガ」のデザイナー・古田泰子インタビュー。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

古田泰子(ふるた・やすこ)
「トーガ」デザイナー。エスモードジャポン/エスモードパリでファッションデザインおよびパターンを学ぶ。1997年に「トーガ(TOGA)」を立ち上げ、東京を拠点にスタートする。2005年に発表の場をパリへ、2014年にはロンドンへと移す。現在、メインコレクション「トーガ」の他、プレコレクション「トーガ プルラ(TOGA PULLA)」、メンズウェア「トーガ ビリリース(TOGA VIRILIS)」、ユニセックスライン「トーガ トゥー(TOGA TOO)」を展開している。
https://www.toga.jp
Instagram:@togaarchives

今回は、1997年にブランドを設立した「トーガ(TOGA)」のデザイナー・古田泰子が登場。2014年からロンドンに発表拠点を移した後も、変わらぬ姿勢で国内外問わず写真家ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen)や写真家兼映画作家のアンダース・エドストローム(Anders Edstrom)、五木田智央、ゴードン・マッタ・クラーク(Gordon Matta-Clark)など数々のアーティストとのコラボレーションを積極的に発表してきた。また今年3月には渋谷パルコギャラリーで「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」を、オランダ在住のアートディレクター、ヨップ・ヴァン・ベネコム(Jop van Bennekom)を迎えて開催し、業界関係者のみならず多くの人々が来場できる展示でブランドの世界観を打ち出すなど、常に柔軟なアウトプットでファッションを伝えている。

国内外多くの人を魅了させながらも、ファッションから音楽、アート、カルチャーまで独自の審美眼で横断する「トーガ」のたたずまいはどこにルーツがあるのか。文化を通して多角的にファッションの面白みに気付いた学生時代から、コロナを経て今に至るあらゆる時代の変わり目で感じたファッションの役割まで古田泰子の信念を紐解く。

——ブランド創設から26年間にわたり、服作りからアーティストとの密なコラボレーションに至るまで、一貫して古田さんのバックグラウンドが関係しているように感じます。1990年代〜2000年代はアートやファッションなどが肩書き分け隔てなく、交わっていた時代だと聞いたことがありますが、実際振り返ってみてどうですか?

古田泰子(以下、古田):私も若い頃は同じように1970年代の新宿に映画監督、芸術家、小説家が夜な夜な集まっていた伝説の場所などの逸話に憧れていたので、この質問に対して自分が10代〜20代を過ごした1990年代もそういうふうに見られるようになったかという感じですね(笑)。でも、確かに当時のことを振り返ると、世代やジャンルを超えて人が集まっていました。といっても、なんとなく一緒に時間を過ごすだけ。そこには作り手だけではなく、キュレーター的な人と人をつなげることが好きな人も同時多発的に多くいたような気がしています。

——人と人をつなげることが好きな人と編集者とかですか?

古田:私が特に思い出に残っているのは、ファッションブランド「ポエトリーオブセックス(Poetry of Sex)」をやっていた千葉慎二さん。今だったら、アーティストとのコラボレーションTシャツってあたりまえに行っていると思うんですけど、当時千葉さんは、自分が好きなアーティストをみつけると日本を飛び出し、実際の作品は買えなくとも、絵を使用させてもらい、それでTシャツをつくるという活動をしていました。活動というと聞こえがいいけれど、グルーピー気質で、商売にはならないけど、みんなで集まってやっているのが好きという方でした。実際に、私も声をかけられて知り合いになってから、そこに集う絵描き、音楽家、フォトグラファー、編集者などいろいろな接点が生まれました。

——1970年代の新宿の「ゴールデン街」の飲み屋のように、当時みんながよく集まる場所もあったのでしょうか?

古田:今でいう奥渋にあった「静岡おでん屋 6」は、いつも誰かしら来ている場所でした。音楽関係で働いていた夫婦がやっていて、日本では珍しくチャージも取られず立ち寄れる飲み屋で、おかみのキャラクターに集まってくる人々がまた人を呼び、来日アーティストも来るようなサウンドバーとして賑わっていました。3.11を機に日本を離れるため閉店し、周辺の友人も東京を離れる人が増えました。

——そうした場所に通う前、学生時代によく遊びに出かけた場所はどの辺りでしたか?

古田:興味がある音楽の遊び場には、よく出かけに行きましたね。ガレージ系だとサイケデリック、ソウルだとモッズスタイル、ハウスは全身ボディースーツやボンデージスタイル、テクノはCDを首からぶらさげるなどと、それぞれ決まった様式美のファッションスタイルが貫かれていることから、服を通して各音楽のルーツをたどる面白みがありました。

あとは当時、私も若く、1つのものを突き詰めているほうがかっこいいと思い込んでいたので、他のことを排除してスタイルを追求することに憧れていました。でも一方で、クラシックな古典を追い求めるだけではなく、徐々に自分は新しいものを作りたいのかもしれないと、どこか心の中で思っていました。

——当時は古田さんもライヴに行く時にスタイルを変えてましたか?

古田:そうですね。学生時代は、特にガレージやモッズのライヴに行くのが好きだったので1960〜70年代のスタイルをよく着ていました。オーダーメードで3つボタンのスーツを着たり、スクールジャケット専門の古着屋に入り浸ったり(笑)。ポロシャツは絶対3つボタンの「フレッドペリー」に「ベンシャーマン」のシャツというルールがありました。でも別では「コム デ ギャルソン」や「ヨウジヤマモト」など、当時のアバンギャルドなコンセプチュアルデザイナーも大好きで、学生だからたくさんは買えないけれど、持っている数着を大切にクローゼットにコレクションしていました。

——音楽が好きな自分と、ファッションとして驚きのあるものを吸収したい自分が混在していたんですかね。

古田:そうだったんですかね。1991年にプライマル・スクリーム(Primal Scream)のアルバム『Screamadelica(スクリーマデリカ)』がリリースされた時は、今まで別ジャンルとされていたアシッドとロックがミックスされてヒットを生み出していたので、衝撃でした。それまでロックを聴いていた人はレイヴパーティに行かないとか、その時代を境にいろいろなジャンルがミックスされた野外パーティも徐々に増えていって。ファッションでも音楽に合わせたスタイルから、ちゃんと自分の表現として服を選んでくるような雰囲気に変わっていったと思います。

ファッションは未来を予測することで生まれる

——そうした交流の場を通して、ファッション以外のジャンルの方々とお話しする中で、ファッションの役割を考えることはありますか?

古田:日本では、ファッションの重要性を言葉で説明し、デザインの担う役割を伝えられる人が少なく感じます。パリに留学していた時に「洋服の勉強をしている」と伝えると、文化的な役割を果たす分野として敬意を持って接してくれる方が多かったです。洋服に関する根付きの違いなんだと思いますね。日本はどちらかというと表層的で、流行りを追いかけている人という印象が強いのかなと。中身なく着飾っちゃってさ、みたいな。

——そうですね。日本では特に表層のイメージだけで、先ほどお話しされたようなファッションを通して音楽や歴史のルーツをたどれる奥行きのある媒体として見られにくいところもありますよね。そんな時、古田さんは相手にどのようにファッションのことを伝えていますか?

古田:まず、作り手として何が服において必要で面白いかということをとても真剣に考え、その背景や歴史をきちんと発信することで興味を持ってもらえるようにしています。

どうしても年に4回発表していると、無駄に作って廃棄している巨大なマーケットのイメージが目に留まりやすいのかもしれない。でも3ヵ月後の未来を予測して定期的に発表できるチャンスは、ファッションでしかできないこと。その時代に合わせていち早く反映できる利点を持っていると思います。ブランド設立から26年を経た今も当初と変わらず、私達の発表を周囲の人達が理解し、サポートしてくれています。

——心強い応援団ですね。

古田:何を言われようと、実直に考え、作り続けることが大切だと思うんです。そして、ちゃんと自分の意見を持つこと、人に伝えようとすることも大事。ありがたいことに、ジャンルを超えて対話できる人達と知りあっていると感じます。

自分の意見を持って、発言する

——2001年に会社を設立するにあたり、過去のインタビューで社会のシステムを作るという想いがあったとお話しされています。先ほどお話しされた「対話しやすい環境」も意識されていましたか?

古田:そうですね。自分1人で始めたところから3人、5人と徐々に増える中で、各々の意見が出てきた時に「責任」について考えるようになりました。そこから「各部署に2人」を目指すようになりました。対話することにより補い合い、どちらかが休めるようにしたいと思ったんです。設立当初は徹夜があたりまえでみんなへとへとになるまで働いていた頃がありました。だからこそまず、ちゃんと自分の意思が伝えられる会社にしなきゃと思いました。

——他の業界から見れば当たり前のことかもしれませんが、そうした自分の意思を忘れない職場の環境づくりは大切ですね。社会に例えるとジェンダーバランスによって、そうした自己主張がしにくい環境についても声が上がってきているように感じます。

古田:私は会議の際全員が自分の意見を持ち、それを伝えてほしいと思っています。海外では自分の意見をちゃんと発言することは教育上あたりまえですが、それって伝える努力をしている姿勢でもありますよね。ジェンダーや世代にかかわらず、みんながフラットに意見を言い合える環境が整った会社でありたいと思います。

——「トーガ」のSNSでもそうした自分達の考えを発信している印象があります。

古田:ルックやイメージを発信する場だけでなく、社会問題に関するオススメの書籍を紹介したりと、世の中の情勢にもアンテナを張り、意思表明をすることができる大切なツールとして活用しています。

——ファッションもある種の自分の意見をコミュニケーションする手段の1つですよね。

古田:そうですね。実は一番きっかけが作りやすいアプローチだと思います。自己アピールできる1つの手段がファッションです。「TPOをわきまえる」という言葉も、夜の装い、大事なミーティングなどそれぞれのシチュエーションに合わせて自分で服装を選ぶという大切な行為。リクルートスーツを着るような意味で使われて、その人の色が見えなくなってしまっては、ファッションの本来の役割を果たせていない。

自身を表現しやすい社会にするためにも、まだまだファッションができることはたくさんあると感じています。

——過去のインタビューで一点モノの衣装製作をしていた頃に、もっと多くの人に見てもらいたいという葛藤があったとお話しされていました。社会の中で、自分の服を流通させることは、そうしたファッションの役割をより広めることでもあるのでしょうか?

古田:より自分の意見を民衆化したいという気持ちが当時からありました。今の時代で言えば、洋服の面白さは、工場システムに沿ってパターン化することによって多くの人に提供できるところにあると思っていて。私にはオートクチュールのテクニックも文化もないからこそ、そうしたプレタポルテの最大限の可能性を引き出すべきだと考えています。

実際に作る工程として、自分の感情を完全に図式化してパターンに落とし込む数学的な手法に変換することで、多くの人に手に取ってもらえるようになる。いずれ、「トーガ」の服がビンテージになった時に、自分が古着を手にした時に感じてきたブランドの歴史や時代の痕跡が同じように伝わればいいなと思います。

——時代を超えても記憶に残る服に魅力を感じるんですね。現在は、その大量生産への移行が何度も繰り返された後なので、古田さんが学生時代に買っていた古着とはまた違う服であふれているのかなと思います。

古田:古着は、時代の流れを体現しているものです。ここ数年は、古着の仕入れをする中で、ファストファッションの服が多く出てきます。そうすると私が興味をもつような古着は出てこなくて、明らかにこの数年で古着の感覚は変わってきていますね。たくさん作っているものが、そのままたくさん廃棄されているような感じです。その古着の山を見て、「トーガ」の服はこうなってほしくないと常々感じていて。「トーガ」としては「簡単で便利な服」ではなく、愛着を持てて自分らしく強くいられるという服作りに時間をかけていきたいです。

着た人に自信が与えられる服を作る

——2010年代のファストファッション以降から、現在2020年のコロナ以降として社会のムードが変化してきています。コロナを機に新たに見つめ直したことはありますか?

古田:コロナ当初は、服が必要とされていないように感じていました。発表形態も変わったので、何か違うものを作るべきなのかとも考えて。でも、実際振り返ってみた時に従来のランウェイや見せ方に限らないやり方を摸索できるポジティブなきっかけになったと思います。アーティストにコレクションを送ってリモートで撮影する試みや、ランウェイ形式の映像を通してじっくり服と向き合うとか。さまざまな方法を考える有意義な時間になりましたね。現在は元のスピード感が戻ってきましたが、違った形で関わる方法を考え中です。

——今年3月に渋谷パルコで開催した展示「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」は、初めての展示形式への試みだったと思います。

古田:コロナ禍はどうしてもモニター越しでの広がりに注力していたので、実際にそこに行って体感してもらうことの大切さに改めて気づかされました。

先日、東京オペラシティ アートギャラリーで開催していた泉太郎さんの参加型の展覧会「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」(2023年1月18日~3月26日開催)に行って、会場に入ってからビニールのテントをかぶる体験をしたのですが、どこか懐かしさを感じる部分があって。昔はもう少し街中でも、ゲリラ的にハプニングアートってたくさんあったよなと。

——「トーガ」は2014年からショーの発表の拠点をロンドンに移しました。ロンドンを選んだきっかけを教えてください。

古田:ヨーロッパでPRを探している中で、何人かの方に会いました。国というよりその人柄で惹かれて直感で選んだところ、その人がロンドンで発表しようと勧めてくれたのがきっかけでした。その出会いから10年以上のパートナーとなり現在に至ります。

ロンドンで発表していると、クリエーションと社会貢献を一緒に問われることがスタンダードなんです。バックステージのインタビューでもサステナビリティの活動や、企業理念などデザイン以外での質問も多く、伝統的な側面に価値を置くイギリスですが、動物愛護についてデパートが毛皮の使用禁止に早い段階で声をあげたりと、問題提起への俊敏さに居心地の良さを感じます。性別関係なく対等に肩を組み合っている感じも「トーガ」を表現する上で合っていると感じました。

——東京のファッションはどのように見えていますか?

古田:平均値を取るようなファッションが、広告でも街中でも増えたように感じます。広告や動画など表に出る表現者がどうして「普通」にならなきゃいけないのかということに疑問を持っていて。本来、自身の個性を表現することがファッションの醍醐味だと思うんです。マーケティングの力がSNSを通してダイレクトに伝わりやすくなっているので、画一された美意識にとらわれてほしくないなと。独自の個性を生かし、ファッションを楽しんでほしいと思います。

——「トーガ」は日本発のブランドとして今後どうありたいですか?

古田:曖昧ではなく、きちんと能動的に発信していくことで、「トーガ」全体の考えを知ってもらい、その上で選んでもらえるブランドでありたいです。

着る方の心の支えになり、身に着けることで自信をもって前に出ていけるような服作りを続けていきたいと思います。

Photography Mayumi Hosokura

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連載「時の音」Vol.20 俳優・有村架純が語る「役との向き合い方」 https://tokion.jp/2023/02/22/tokinooto-vol20-kasumi-arimura/ Wed, 22 Feb 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=168676 映画『ちひろさん』で主演を務める俳優・有村架純インタビュー。役との向き合い方について。

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有村架純

有村架純(ありむら・かすみ)
1993年2月13日生まれ、兵庫県出身。2010年に『ハガネの女』(テレビ朝日)でドラマデビューし、その後2013年にNHK連続テレビ小説『あまちゃん』で一躍注目を集める。2015年、『ビリギャル』で主演を務め、アカデミー賞主演女優賞・新人俳優賞を受賞、2021年『花束みたいな恋をした』でアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。2022年TBSドラマ『石子と羽男』、映画『月の満ち欠け』、2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』、映画『ちひろさん』に出演。その他主な出演作品、『ナラタージュ』(2017)、『そして、生きる』(2019)、『るろうに剣心最終章』(2021)、『前科者』(2022)などがある。
https://www.flamme.co.jp/actress/profile.php?talentid=11
Instagram:@kasumi_arimura.official
Twitter:@Kasumistaff

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、映画『ちひろさん』で主演を務める俳優・有村架純が登場。本作は安田弘之による漫画『ちひろさん』を今泉力哉監督が実写化。海辺の小さな街にあるお弁当屋さんで働く元・風俗嬢のちひろと、そこで出会う人々との不思議な交流を描く。

映画『花束みたいな恋をした』やドラマ『石子と羽男』、そして『ちひろさん』と、観る者を魅力する有村の演技。その根底にある彼女の想いとは。30歳となった現在の心境とともに話を聞いた。

心地良い距離感

——ちひろさん、とても素敵でした。石子(ドラマ『石子と羽男』)も大好きです。

有村架純(以下、有村):ありがとうございます(笑)。

——絹(『花束みたいな恋をした』)もそうですが、有村さんが演じるキャラクターが、特にここ数年本当に魅力的だなと思うんです。何を大切にして役にアプローチしているんですか?

有村:私の場合は、自分の中に役の基盤となる土台を作らないと、ずっとふわふわしちゃうところがあるんです。だからまずは、芯になる部分をどんな役だろうと必ず考えます。ちひろさんの場合は、漫画に描かれている部分をヒントに、過去にどう過ごしてきたのかを自分で組み立てました。ちひろさんは、男性関係にしても会社の中の人間関係にしても、昔は人に与えすぎて疲弊しちゃったのかなとか。愛情を母親から受けなかったことにより、愛情の渡し方がわからなかったのかなとか。逆にだからこそいろんな人を愛したいという思いが止まらなくなって疲れてしまって、そこで学んだことがあるから今のちひろさんの人との距離感に至ったのかなとか。そこの感覚っていうのは口では説明できないんですけど、自分の中でいろいろとすり合わせながら作っていった感じです。

——そうやって作ったちひろさんを、自身の体を使って表現する時に、意識したポイントを教えてください。

有村:ちひろさんは、前髪パッツンの黒髪ロングが似合っていて、佇まいからも何か香りを感じるような、妖艶で艶やかなイメージです。声や喋り方はおしとやかというよりも、一度でも会話をしたら忘れられないような魅力の持ち主。普段の自分とはちょっと遠いところにいるキャラクターですし、私が生きてきた人生とも違うので、ちひろさん独特の雰囲気を醸し出すのは難易度が高いなと思いました。なので、自分にできることといったら、声を低くするとか、あまり早口で喋らないとか、声色から感じ取れる感情のにじみや温度感みたいなものがある一定のところからあまり外れないようにするとか、そういったことだったように思います。

——元風俗嬢という過去や、谷口(若葉竜也)との関係を含め、女性像のデリケートな部分を描く上で、今泉監督とすり合わせる作業をしましたか?

有村:今泉監督からは現場でよく、「もうちょっと明るい感じで」と言われました。でも「明るすぎてもいけないし、暗すぎてもいけない。ちひろさんってすごく難しいですよね」ともおっしゃっていて。今泉さんの中でもきっと、「これであってるのか?」と模索しながら撮影していらっしゃったと思いますし、私も同じくちひろさんに関しては本当に正解がわからなくて。監督と一緒に悩みながら、最後までやり遂げたという感じです。

——ちひろさんを演じながら、心が動いたシーンを教えてください。

有村:ちひろさんの基本的な感情の部分では、山あり谷ありというわけではなく、波風が立つこともそんなになく、穏やか〜に過ごしていた印象があります。

——確かに、心が動くのは、ちひろさんと出会った側かもしれません。

有村:そんな中で、(勤務する弁当店の店長の妻)多恵さん(風吹ジュン)との交流というのはきっとちひろさんの中では特別で、多恵さんの前では「(通称の)ちひろさん」ではなく、「(本名の)綾」でいられたような感覚がありました。

——ちひろさんは過去の経験から、自分の心の安定を保つために、人と距離を取るようにしていました。

有村:ちひろさんの人との距離感の持ち方は、理解はできるなと思いました。思い返すと、私もあまり踏み込みすぎず、友人だとしても適度な距離を保っている気がします。そうすることによって、私生活の中での感情の振れ幅があまりなくなるのが、私的には心地よかったりもして。これだけ仕事で刺激をたくさんもらっている分、私生活ではなるべく刺激のない穏やかな生活をしたいというのがあるので(笑)。あと、自分からグイグイ距離を詰めることを、相手がそこまで求めていないかもしれないなとも考えちゃいますね。

例えば相手に「悩みがあるから話を聞いてほしい」と言ってもらった時に、親身になりすぎて相手の感情に引っ張られるよりも、ちょっと適度な距離があった方が相手にとっても楽かもしれないなとか。そういうことをいろいろと考えていくと、今の自分にはちひろさんのような人との距離感がすごく心地いいなと思いました。

——ちひろさんと同じく、有村さんもいろいろな人と関わった経験から、そういう距離感に落ち着いたのでしょうか。

有村:20代で、こういうお仕事もして、人との出会いがたくさんあってという中で、うまく距離を見つけないと、大勢の人達と一斉にいい関係を持つのはすごく難しい。ある組織の中で同じ人達とずっと一緒にいるのであれば、良い関係を長く築くことが一番ですが、私の場合はだいたい3ヵ月とか、短ければ1ヵ月で1本の作品が終わってしまうので。出会う時はもちろん誰に対しても同じ気持ちで向かうし、その期間は一生懸命頑張って、終わったら「さよなら!」とうまく切り離していかないと、自分自身が保てなくなってしまうんです。いつまでもそこに留まっていると次に進めないというのもあります。

——「仕事で刺激をたくさんもらっている」とおっしゃいましたが、どんな部分で刺激を感じますか?

有村:まず出会いと別れがこんなに短いサイクルで1年間の中にあることもそうだし、1つの作品でこんなに大人数の方と一緒に仕事をするっていうこともそうだし、あとは芝居する上で泣いたり、怒ったり、笑ったり、苦しんだり、喜んだりと、こんなに気持ちを動かして毎日を送ることもそうです。私生活では絶対に得られないものは、自分にとってすべて刺激的です。

——その刺激に慣れてしまいませんか?

有村:慣れないです。だから家では静かに穏やかに生きている方が、自分らしくいられます。フラットでいるからこそ、芝居した時の感情の波に耐えられるというか(笑)。それが私のスタイルでもあるのかなって思います。

「孤独=寂しい」ではない

——ちひろさんからは、人生何周目? というような名言がたくさん出てきます。有村さんに刺さったセリフはありますか?

有村:「みんなで食べるご飯もおいしいけど、1人で食べてもおいしいものはおいしい」です。1人でいる人に対して「寂しい」みたいなネガティブな印象がすごくあるけれど、全然そんなことなくて。孤独を愛する人は世の中にたくさんいるし、1人でいる方が楽って思うんだったらそれはその人の幸せな道ですし。このセリフからも、1人でいることへの許容がすごく感じられました。

例えば、学校に居場所がなくてどこか別のところでお弁当を食べることは、その子にとってはすごくつらいことかもしれないけれど、でもきっとその場所は彼女にとっての救いだったりもするし。それはそれでその場所を愛せればいいし、「その時間も全然いいじゃん」と言ってくれるちひろさんみたいな人がいてくれたら、そういった悩みを抱えている人も救われると思います。『ちひろさん』は漫画にも映画にも、そういったすくい上げてくれるようなセリフがいっぱいあるなと思いました。

私自身、孤独で悪いことは何もないと思っています。人間は100%わかり合えることはないと思うんです。好きな人であっても、友達や家族であっても、絶対に知らないことっていっぱいある。その距離感が楽しかったり、「何考えてるんだろう?」と想像したり、相手をおもんぱかったり、人と人が向き合うことで、いろんなことを学習していく。その根底には絶対に孤独があるんじゃないかなと思います。

何かと戦う時も、自分1人ですよね。例えば仕事を任されて、それを成し遂げるのも自分1人。きっと孤独との戦いっていうのはどの職業にもいっぱいあって、トップにいればいる人ほど、その重荷が大きくなってくる。例えば勉強で学年1位をとった人が、ずっとその位置をキープし続けるのって孤独じゃないですか。アスリートもまさにそうだし。そういった呪縛もついてくることにはなりますけど、そこにいるからこそ見える景色もあるし、孤独でいるからこそわかることもいっぱいある。だから「孤独=寂しい」ということではまったくないと思います。

——有村さんも戦っている意識はありますか?

有村:周りと戦うというよりも、自分自身と、という感じです。

——勉強やスポーツと違って、俳優には明確な順位がつきません。自分と戦う時に、どんなことが目安になるものですか?

有村:どの作品でも、共演者はみんな戦っているので戦友のような存在です。同じ作品に参加していなくても、みんな仲間だから対抗心みたいなものは私の中であまりなくて。この仕事をしていると個性的で魅力的な人ばかりなので、「この人はこれを持っているからいいな」とうらやましくなることはあるけれど、あまりそこに意識を向けないというか……。まずは自分がこの役を乗り越える、この日の撮影を乗り越えるために戦うみたいな。日々、目の前にあることを乗り越えるという戦いです(笑)。

「30代はより良い質を求めて仕事をしていきたい」

——完成した作品をご覧になって、好きなシーンはありますか?

有村:基本的に、オカジ(豊嶋花)とマコト(嶋田鉄太)のシーンが私はすごく好きです(笑)。マコトの家で、マコトのお母さん(佐久間由依)が作った焼きそばをオカジが食べて泣いてしまうシーンとか、ちひろさんの家に2人でお見舞いの品を持ってきてくれた時の、ちひろさんから見た2人のカットとか、1シーン1シーンがすごく愛おしくって。この物語において、すごく重要な役割を担ってくれたなと思ってます。

マコトはすっごく自由でした。めちゃくちゃ自由なのに、本番でセリフだけはちゃんと言えて、今泉監督も「そこがすごいんだよね」って感心してました(笑)。オーディションの時に泣き芝居を求められて、マコトは泣けなかったらしいんです。その部屋から立ち去る時に、「泣けないところが出ちゃったかー」って捨てゼリフを言って去っていったのが、監督の中で強烈に残ったらしくて(笑)。ものすごく面白い子でしたね。

——オカジは高校時代にちひろさんに出会えて、未来の見え方がいい意味で変わったと思います。有村さんは過去にそういう出会いはありましたか?

有村:この仕事を始めてからですと、事務所の先輩です。勝手ながら、同じように頑張ればその人みたいになれると思って、背中を追いかけていました。その人が考えていることが知りたくて、インタビュー記事を読んで、「こういうふうに物事を考えてるんだな」と自分の中で咀嚼して、自分自身の考え方が変化して。そうやって視野がどんどん広がっていったように感じます。

——20代で本当に多くの作品に出演し、2月13日で30歳を迎えた今の心境をお聞きしたいです。そもそも年齢は有村さんにとってどういうものなのかも。

有村:もう30なのか〜って(笑)。20歳からの10年間が、ありがたいことに、猛スピードで状況が変わって、景色が変わって、濃すぎるくらいの経験をさせていただいたので、本当にあっという間の10年間でした。年齢に関しては、あまり重くは捉えてなくて。いい年の重ね方ができるように、今の自分にできることはなんだろうなと考えたりはしています。

——今回の『ちひろさん』が劇場公開日にNetflixで配信されることも、新たな経験になっていくと思います。今後、どんな仕事をしてみたいですか?

有村:みんなとディスカッションしながら仕事ができた方が楽しいですよね。自分が言った一言で、すごく大勢の人達が動いてくださることが増えてきてしまっていて。でもそうじゃなくて、みんなで意見を交換して、「これがいいよね」というところをみんなで見つけていきたいです。30代はそういうふうに、より良い質を求めてお仕事ができたらいいなと思います。

『ちひろさん』2月23日からNetflix世界配信スタート&全国劇場で公開

■『ちひろさん』
2月23日からNetflix世界配信スタート&全国劇場で公開

出演:有村架純、豊嶋花、嶋田鉄太、van、若葉竜也、佐久間由衣、リリー・フランキー 風吹ジュンほか。
原作:安田弘之『ちひろさん』(秋田書店「秋田レディース・コミックス・デラックス」刊)
監督:今泉力哉 
脚本:澤井香織、今泉力哉
製作:Netflix、アスミック・エース
制作プロダクション:アスミック・エース、デジタル・フロンティ ア
配給:アスミック・エース
https://chihiro-san.asmik-ace.co.jp

Photography Mikako Kozai(L management)
Styling Yumiko Segawa
Hair & Make-up Izumi Omagari

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連載「時の音」Vol.19 田名網敬一の世界を映す鏡 https://tokion.jp/2022/11/10/tokinooto-vol19-keiichi-tanaami/ Thu, 10 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154645 アーティスト・田名網敬一の根源的な創造性と精神性を辿るべく、彼のパワフルな作品群に囲まれたアトリエで話を聞いた。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回はアーティストの田名網敬一。その深淵な意識世界を表象する、プロフェッショナルな編集技術に裏打ちされたコラージュをベースにした作品の数々。高度なパラドックスのもと構築された極彩色の情報の集合体からは、見る者を圧倒するエネルギーがほとばしる。

近年も「アディダス」や「ジュンヤ ワタナベ」等のファッションブランドとのコラボレーション、ニーナ・クラヴィッツから八代亜紀といったミュージシャンのレコードジャケットデザイン等、その活躍の場は広がり続けている。

歳を重ね、衰えるどころか地熱のように湧き出るバイタリティ。「創造力や知力は若い頃よりも今の方がある」と田名網は語る。その生き様は、靄のかかった未来のなかに光明を探して踠く我々世代に対し、羅針盤として力強く道筋を指し示す。その根源的な創造性と精神性を辿るべく、彼のパワフルな作品群に囲まれた青山のアトリエで話を聞いた。

田名網敬一
1936年東京都生まれ。武蔵野美術大学を卒業後、1960年代からグラフィックデザイナーや映像作家、アーティストとして、メディアを中心にジャンルに捕われない創作活動を続ける。近年の主要な展覧会は、2015年にロンドンのテートモダンで開催した個展「The World Goes Pop」やロサンゼルスのアーマンド・ハマー美術館で開催した「Oliver Payne and Keiichi Tanaami」、2020年にナンヅカで開催した「記憶の修築」等がある。また、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やシカゴ美術館といった世界中の著名美術館が新たに田名網の作品収蔵をしている。

アートとデザインの間で

−−田名網さんの作品の礎となる職人技的なコラージュをベースにした作品は、グラフィックデザイナーとしての着実なキャリアを経て磨かれたものと思います。ご自身のキャリアと芸術活動の変遷について教えてください。

田名網敬一(以下、田名網):武蔵野美術大学のデザイン科を卒業後、博報堂で広告の仕事に従事し3年ほどで退社、その後デザインを主体としていました。武蔵美時代の仕事もデザイン中心でしたが、本当は当時からアートに関心がありました。しかしアートで生計を立てるのは難しいからやめるべきという母親や親族の意向が強く、現実を優先して考えた結果、デザインの道に進むことにしたんです。その後もアートに力を入れたいという思いは持ち続けていたものの、アートに費やす時間も十分に取れなかったので、自分の生き方は中途半端だと感じてジレンマに悩んでいました。当時付き合っていた友人もデザイナーよりアーティストが多く、三木富雄や荒川修作、篠原有司男、赤瀬川原平といった、所謂「反芸術」と呼ばれる人達でした。従来の美術とは全く違う方向性を目指していた彼らの人間性や生きざまに、どうしても魅かれていましたね。

−−当時のコミュニティに、田名網さんのように「商業デザイン」と「反芸術」の両方に携わっていた人はいましたか?

田名網:いませんでしたね。武蔵美の原弘先生というグラフィックデザインの大家的存在からは、絵描きのような中途半端なことはやらずにデザインに集中するように何度も言われました。僕はそれでも絵を描いていたし、デザインが嫌いだったわけではないのですが「自分の生き方を反映できる仕事をするためには、自分の思い通りに表現できる世界に行かないと意味がない」という考えが絶えず自分自身の中にありました。

そんな悩みを常に抱えながら青春時代を過ごしましたが、ある時、アートの表現においてデザインの方法論が非常に重要だということに気付きます。以降は実験映画の制作にしても絵を描く際にも、デザイン的な手法や方法を取り入れていきました。要するに、アートを表現する上でデザインの制作プロセスが非常に役に立っているんです。

−−商業デザインと反芸術の双方に身を置きながら、アートとデザインがご自身の中で融合していくプロセスを体感されたからこそ、ポップ・アートとの出会いにより確信に近いものを感じられたのでしょうか。

田名網:それはあると思います。例えばアンディ・ウォーホルは絵画だけでなく、本や出版物、映画なども制作していました。絵画としての彼の作品自体には強烈な影響は受けませんでしたが、彼の制作に対する考え方や編集工程をそのまま表現に取り入れる手法、ポップアートとしての絵画の理念には、共感を覚えました。逆に、ウォーホルを通して、反芸術の友人達の思想についても深く理解できたんだと思います。

−−アンディ・ウォーホルとの出会いはどの様なきっかけだったのですか。

田名網:実際に彼に会うのはもっと後のことですが……当時銀座に1軒だけ洋書専門店があって、友人の牛ちゃん(篠原有司男)とよく通っていました。ある日、その店の常連だった評論家の植草甚一さんが階段で転んで本を落としたところを、僕と牛ちゃんで手助けしたら御礼にと、店に置いてあった「ARTnews」という本を僕らに見せながら、当時のアメリカで台頭していたアートや作品について教えてくれたんです。その中にウォーホルやリキテンシュタイン等、ポップアートの作品の写真があり、衝撃を受けましたね。「こういうやり方で良いんだ、こういうものが芸術として通用するんだ」と。

−−ポップ・アートの中にデザイン的な要素を感じたのでしょうか?

田名網:ウォーホルやリキテンシュタインの表現は、コマーシャルやマスメディアの素材を応用しアートとして作品化するということだと思います。その手法は私が携わっていたグラフィックデザインとの親和性もあったので、もしかしたら自分もデザイナーとしてのスタンスをそのまま保ちながら、ファインアートの表現ができるのではないかと考えたのです。

−−後に実際にウォーホルに会われたそうですね。

田名網:1974年にウォーホルが東京の大丸デパートで個展を開催するために初来日するということで、NHKが1時間の特番を制作し、そのアートディレクションの依頼が来ました。番組の全体的なヴィジュアルにウォーホルの顔を使おうと考え、NHKのカメラマンに彼の写真撮影をお願いしていたのですが、来日直後で疲れていたウォーホルは終始機嫌が悪く、結局撮影できなかった。そこで当初の構想を変えて、僕自身のアニメーション作品をコラージュしたヴィジュアル・イメージにしたんです。

ウォーホル自体をモチーフにしたデザインではなかったにも関わらず、完成した番組の映像をウォーホル本人に送ったら、とても気に入ってくれました。以前から彼に対してすごく興味があったし、東京での展覧会開催と来日が決まって嬉しかったので、自然とその思いが反映した内容になっていたんだと思います。

−−「コム デ ギャルソン」「アディダス」等のファッションブランドやミュージシャンのアートワーク等、海外を含め多くのコラボレーションを実現されています。コラボにおいて、どのようにデザインの考え方を生かしているのでしょうか?

田名網:コラボレーションの企画を進める際、クライアントが求めるグラフィック・イメージを提供する、というやり方はしていません。自分にはデザイナーとして培った経験があるので、全体のデザインを含めたコラボレーションということを重視しています。例えば、Tシャツの企画でもアイデアを出すところから始めます。長年絵画制作と並行してデザインの仕事をしてきましたが、現在はデザイナーという意識がなくなり、仕事に対してアーティストとして関わるという気持ちへ変化しました。幸いおもしろいオファーが来るので、苦と考えたことはないし、特に洋服は動きがあるのでおもしろいんです。素晴らしいプロジェクトは全てのアート表現に対して良い刺激になるので、相乗効果でプラスになっています。

 創造のインスピレーション

−−アートの表現において、インスピレーションとして大きな要素となっているのは、幼少期の戦争の原体験や記憶がありますね。

田名網:僕は小さい時に戦争の恐怖を体験しましたが、どの時点で人生を振り返ってみても、あれほど衝撃的な出来事は無いんです。僕の人生で戦争以上の強烈な記憶は存在しない。それだけ戦争はすさまじいものだったんです。ウクライナの状況を考えると少しわかるかもしれませんが、毎日当たり前のように人の死に直面していました。戦時下でなければ、そういう光景を見ることはないでしょう。しかし僕は幼少期に目の当たりにしていたため、忘却が不可能な記憶としてこびり付いてしまっているんです。なので、特に直接的に戦争を描こうとか表現しようという意識は無いんですが、自分でも整理しきれない記憶が心の奥底に常に留まっていて、表現を通して無意識的に表出しているのだと思います。

−−アメリカの文化に影響を受ける一方で、戦争の相手国としてのアメリカについて、田名網さんはどのように整理をしていたのでしょうか?

田名網:戦争が終わって僕が中学生になる頃、映画以外の娯楽がほとんどなかったので、目黒駅近くにあった小さな映画館によく通うようになりました。そこはB級アメリカ映画専門の映画館で、おそらくアメリカ側の意向によって、所謂プロパガンダ映画が上映されていました。

親からは「敵国アメリカ」の話を散々聞かされてきたので、当然アメリカには懐疑的なイメージを持っていたんですが、ディズニーやフライシャー兄弟の作品など、アメリカの素晴らしさを全面的に体現している映画を観ているうちに、アメリカが大好きになってしまったんですよ。当時は映画などを通してアメリカに憧れを持った若者が少なくなかったと思います。

−−田名網さんの作品にはアメリカの戦闘機のモチーフが出てきますが、ある種皮肉的な観点で表現されているような印象も受けます。

田名網:戦争について子どもの時は意味さえ十分理解できなかったのですが、苦しんだ状況は日常的に見ていたので、アメリカに対する憧れもネガティヴな部分も、複雑に絡み合った感情が表現に顕れているんだと思います。

強く印象に残っているのはアメリカ軍の弁当ですね。戦後は食料事情が厳しかったので、月に1回アメリカの物資が各家庭に支給されました。その中にアメリカ軍の兵士が食べる弁当があったんです。きれいな弁当箱に、真っ白いパン、魚、ソーセージ、フルーツ、お菓子等がバランスよく配置されていて、そのヴィジュアルの美しさに心を奪われました。

あと、自宅の隣にいわゆる当時の西洋館があって、小さな女の子がいるアメリカ人将校の一家が住んでいたんです。その家で働くメイドさんが、その家の娘さんが普段食べているチョコやチューインガムをくれた時のことをよく覚えています。結局、彼等を通してアメリカのライフスタイルに魅了されていたんだと思います。

−−戦争について、圧倒的な理不尽さでこれまでの日常を踏み潰していく、現実を遥かに凌駕する現実という様なイメージがあるのですが、そうした戦争の負のパワーやエネルギーが田名網さんの作品にも顕れているのでしょうか。

田名網:創作しているうちに、意図せず戦争のイメージを彷彿とさせる表現になっているケースが多々あるんですが、そのうちの1つが色彩です。終戦後、新潟の疎開先から帰京して、目黒駅の権之助坂の上から慣れ親しんだはずの街を眺めた時のことなんですが、そこにはあったはずの樹木や建物はなく、全てが変わり果てていました。赤く染まった焦土が広がって、その地平線の先には、経験したことのないくらい澄んだ青空が広がっていたんです。日常的にあったものが全てなくなっているというショッキングな経験と、赤と青に二分割された景色がものすごく衝撃的だった。絵を描く時の色彩に常に影響を及ぼしているし、その光景は記憶として頻繁に蘇ります。

−−田名網さんの作品は極彩色が特徴の1つですが、インスピレーション源は何でしょうか。

田名網:一般的には子どもの頃の体験が後年の色彩感覚に影響を及ぼすと言われていて、僕の場合も当てはまると思います。祖父が京橋で洋服の服地問屋を営んでいて、高島屋デパートの裏側に家がありました。街はネオンサインに彩られているし、高島屋が遊び場という色彩に溢れた環境で幼少期を過ごしたんです。あと、家には服地が山のように積まれていて、その中にジャケットの裏に付けるタグがありました。当時のタグはすごく凝っていて、金糸や銀糸でラクダなどのエキゾチックなモチーフが刺繍されていて、何度見ても飽きることはがなかったですね。この幼少期の色彩に対する経験が、現在のある種、過剰とも思える色彩表現に繋がっているのではないかと思います。

コロナ禍による創作活動の変化

−−コロナ禍において、創作活動が制限されていた時期をどのように過ごしていましたか?また表現に対する影響はありましたか。

田名網:70歳になる頃、僕もそろそろ創作活動がむずかしくなるのかと思ってましたが、表現したいという欲望は若い頃よりも今の方があるように感じます。この感覚はコロナ禍で活動が制限されたことで、より高まりましたね。創造力や知力は、若い頃には豊かで肉体的な衰えと同時に衰退するものだと思ってましたが、僕の場合はそうではないみたいです。肉体的には衰えているはずですけど、創造力は30〜40代の頃よりもかえって今の方があるようで、本当に不思議です。表現したいものが次々に溢れてきて、どんどん手が動く。若いときよりもエネルギー自体は低下していたとしても、僕自身はそう感じないんです。50歳前後の頃は少し活動ペースを落とそうとも思っていましたが、今は全く思わなくなりましたね。

−−コロナによって社会活動が停止したことで、図らずもご自身の考える時間ができたというのも一因でしょうか。

田名網:そうかもしれないですね。今考えるとコロナ前は幅広く活動していたこともあったし、本当に自分がやりたいことに時間を割けていない状況でした。締切があるので、瞬時に判断することも求められていましたから。でも、コロナによって周囲のあらゆる活動が停滞すると自分の時間もできたので、1日中、思考を集中することができるようになりました。その影響は大きくて、今まで考えもしなかった発想が浮かんでくるので、創造性が広がったんだと思います。

あと、コロナ禍でピカソの《母子像》の模写を始めました。最初は10点くらい描いたら止めようと思っていましたが、気付くと何百点も描いていた。ピカソの絵から絵画的な何かを学んでいる訳ではなく、ピカソの絵を見ながら描くことで、自分自身の思考回路が絶えず活性化し、そこからあらゆる要素を見出せることを発見したんです。例えば、ピカソが描く「手」は奇妙な形をしているのですが、どうしてこの手を描いたのか、模写していくうちに自分の中で解明されていくんです。ピカソが自分に乗り移るという訳ではないですが、彼の思念が自分の中で整理されていく過程に意識を傾けて、深く考えながら絵を描くことは初めてだったので、すごくおもしろい経験でしたね。

−−これまでのデザインに関するプロジェクトにおいては瞬発的な発想で制作されていた印象を持ちましたが、今回の展示「世界を映す鏡」ではそういった手法とは距離をおいて、理性的で、自然に湧き上がる発想から制作された作品が多い印象を持ちました。

田名網:ピカソの《母子像》の模写を始めた当初は、絵をよく見て構図や絵柄を正確に描いていたんですが、その後、少しデフォルメするようになりました。そこからは、ピカソの絵を見ないで描いたらどうなるかとか、試したいアイデアがどんどん浮かんできて、延々と実験を繰り返すような感覚で描きました。模写に変わりはないんですが、更に違う方向に進んでいくのがわかるし、自分の方法論がどんどん広がっていくのでおもしろいですよね。

ピカソの評価は千差万別ですが、今では、表現者としてこれだけの天才はそう簡単には出てこないと感じています。模写していておもしろい作家は何人かいますが、ピカソの場合は、描いていて考えが尽きることがない。遺作がピカソになってしまうのかと思うくらいです。ある意味、恐ろしいことでもありますが、描くことが止まらない。これこそ芸術家としての才能なんだと思います。ピカソは生涯で4万点近く絵を描いたと言われていますけど、それだけの量を描くエネルギーはものすごい。とにかく描くのが早かったみたいで、パレットに絵の具を出して色を作って描くのではなく、原色をキャンバスにのせて塗り拡げ、直接描いていたみたいです。

僕がデザイナーとして仕事をしていた頃は、作品にじっくり時間をかけて考える習慣はなかったので、仕事は早く、打ち合わせしている間にイメージが出来上がるくらいだったので、思考を掘り下げたり、試行錯誤をして悩むというということは少なかったですね。ピカソの模写は、キャンバスに向き合う時間が考える時間になるのです。模写をしていく中で、イメージが浮かび、さらにモチベーションも膨らんでいきました。ピカソという巨人の土俵を借りたことで初めて感じることができました。

赤塚不二夫との邂逅

−−現在、アトリエに赤塚不二夫さんのキャラクターや擬音をコラージュした作品がありますね。

田名網:僕は根っからの赤塚さんのファンなんです。自分は漫画家になりたくてもなれなかったということもあって、赤塚さんに対しては羨望とコンプレックスを抱いてました。彼とは同じくらいの年齢ですけど、彼は大スターですからね。会うと、いつも先生に話すような固い感じになっていました。本当はもっと仲良くなれたはずなのに、僕の方で一線を引いていて、残念ながら友達として付き合うことができなかったんですね。

赤塚さんと知り合ったのは映画監督の若松孝二さんの紹介でした。僕が当時よく行っていた飲み屋に若松さんも来ていて、すでにスターになっていた赤塚さんに引き合わせてくれたんです。僕は緊張してしまって、とりあえず赤塚さんと若松さんの話を隣で聞いていたら、若松さんが映画制作の費用が足りないからなんとかしてほしいと頼んでいたんですね。赤塚さんは少しお酒を飲んで考えた後に「うん、いいよ」と承諾したんです。漫画で成功しているだけではなくて、人間としてのスケールも大きくて、これが本当のスターのふるまいかと圧倒されましたね。

−−常人の理解を超えた豪快さを感じますね。

田名網:そうですね。それから毎日飲み屋で会うようになっても、赤塚さんに一目置いていました。その頃、ネクタイをした青年をよく連れていて、それがタモリさんでした。当時「裸のショー」というネタを披露していたんですが、赤塚さんが全裸になって床に寝そべり、タモリさんがとんでもなく太いロウソクをボタボタ垂らすわけです。赤塚さんの身体はすぐに真っ赤になって「ウオォ」とうめきながら悶える、ということが毎日繰り返されるんです。もう、恐怖でしたね(笑)。それに、赤塚さんの行きつけのバーには「赤塚セット」と呼ばれるロウソクのセットが置いてあって行く先々でショーを披露するわけです。その光景を見ていて、赤塚さんはやっぱりすごい人なんだと感心しました。

とにかく赤塚さんには畏れ多さを感じていましたが、攻撃性が一切ない本当に優しい人でしたね。友人の牛ちゃんにもよく似ていて、僕がもっと素直だったらすごく仲良くなれたんじゃないかといまだにもったいなく思いますね。

■世界を映す鏡 A Mirror of the World
会期:11月12日〜12月25日
会場:NANZUKA UNDERGROUND
住所:東京都渋谷区神宮前3-30-10
時間:11:00~19:00
休日:月曜日
入場料:無料
公式サイト:https://nanzuka.com/

Photography RiE Amano
Interview Akio Kunisawa
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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連載「時の音」Vol.18 歌い手・Adoが歌い続けて変えていく時代 https://tokion.jp/2022/10/27/tokinooto-vol18-ado/ Thu, 27 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=151480 日本のアーティストを代表する歌い手となったAdoが、自身を表現するために歌い続けることについて。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

第18回は現代を代表するアーティスト、Ado。2020年に発表した「うっせぇわ」でメジャーデビューして以降、子どもから大人まで年齢や性別を超えて、多くの人が魅了されてきた。そして、映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌「新時代」は、各種サブスクで100冠を獲得するなどのメガヒットを記録。Apple Musicのグローバルチャートでは世界1位を獲得し、文字通り世界中から注目される存在となり、これまでに2度開催されたライヴも即完売する反響で大きな話題となった。

彼女の行動の1つ1つが日本を動かすほどの巨大なアクションとなった今、20歳のAdoは自らのことをどう捉え、何を思うのか。椎名林檎との新作「行方知れず」の話を交えながら、2020年代を変えていく歌い手、Adoはどのような存在なのかを探りたい。

Ado
2002年10月24日生まれの歌い手。メジャーデビュー「うっせぇわ」で社会現象を巻き起こし、日本の音楽シーンに新たな風を吹かせた。全世界をにぎわせる映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌「新時代」収録の『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』も大好評。10月には、椎名林檎とタッグを組んだ楽曲「行方知れず」(映画『カラダ探し』の主題歌)を配信リリース。12月2日から初ツアーとなる『Ado LIVE TOUR 2022-2023「蜃気楼」』が敢行される。
https://www.universal-music.co.jp/ado
Twitter:@ado1024imokenp
Instagram:@ado1024sweetpotet
YouTube:Ado

劇中の出来事と現実がリンクしたように感じたウタの「新時代」

――デビューからわずか2年で、Adoさんの名前は日本中に知れ渡りました。まずは、この2年間を振り返ってみていかがですか?

Ado:本当に濃密な2年間だったと思います。メジャーデビュー曲「うっせぇわ」でAdoのことを世間のみなさまに知って頂き、その後も映画やドラマの主題歌など、数多くの貴重な機会を頂きながら歌を歌い続けてきました。ライヴも2公演行いましたし、直近では映画『ONE PIECE FILM RED』でウタの歌唱役を担当させて頂いたことで、より多くの人にAdoの声を届けることができたのかなと思っています。そして、全国ツアーの発表から、「行方知れず」で椎名林檎さんとタッグを組んだことなど……本当に、語り尽くせないほど大きな出来事がありました。

――映画『ONE PIECE FILM RED』における主題歌「新時代」はApple Musicのグローバルチャートで世界1位を獲得する偉業を成し遂げました。この反響に対して、どんなことを感じましたか?

Ado:これほどの大きな反響を頂けたのは、やはり『ONE PIECE』という大きな作品に携われたからこそなんでしょうけれど、ウタの歌唱役のオファーを頂いた時はやはり不安な気持ちもありました。ウタのビジュアルとAdoの歌というギャップをみなさまに受け入れて頂けるのかどうか、しっかりと“歌姫ウタ”として表現できるだろうか、そういった心配がありました。

作中のウタは、新時代の歌姫として世界中で愛されるキャラクターでしたが、結果的に、現実においても、楽曲「新時代」は世界中のみなさまに愛して頂けて、さながらアニメの世界で描かれていたことが現実世界にもリンクしているように感じました。そこに私が携われたということがすごく嬉しいですし、この作品に携わったみなさまに心から感謝しております。

――一方で、4月4日にZepp DiverCityで初のワンマンライヴ「喜劇」、8月11日に2ndライヴさいたまスーパーアリーナで「カムパネルラ」と、ファンにとっては待望のライヴも行われました。この2回を経て、ライヴに対してどんな印象を持っていますか?

Ado:ライヴはすごく好きですね。これからも続けていきたいと強く思っています。2回の公演を通して、もっと素晴らしいパフォーマンスをして、より大きな衝撃をみなさまにお届けしたいと考えています。そのようにステージングに対しては、常に進化をし続けていきたいですし、最新のライヴがもっとも素晴らしいと言われるように努力し続けていきたいです。ツアーという意味では、一貫したテーマがあるので、どのような場所でもあっても、同じクオリティーをステージで発揮したいです。

Photography Viola Kam

椎名林檎との共作「行方知れず」

Ado 「行方知れず」

――冒頭に名前が挙がりましたが、椎名林檎さんとタッグを組んだ楽曲「行方知れず」を発表されました。椎名林檎さんとのレコーディングはいかがでしたか?

Ado:私がレコーディングをしたその場で歌を聴いて頂いて、それに対して椎名林檎さんのアドバイスを反映させる形で進めていきました。その中で、普段の歌い方とは異なる引き出しを椎名林檎さんが見つけてくださったんです。

――“普段とは異なる歌い方”というのは、どういう部分でしょうか?

Ado:イントロからAメロにかけての歌は無機質な印象になっているんですけれど、そのパートに対して椎名林檎さんから「ボカロの無機質な感じで歌って頂きたい」というアドバイスを頂きました。その言葉を聞いた時、私のことを深く理解してくださっているんだと感じました。私が歌を歌うきっかけであるボカロの部分を大事に考えて頂けたのではないかと、すごく嬉しく思いました。同時に意外性も感じましたし、そういった経緯を経て「行方知れず」はAdoと椎名林檎さんの楽曲なんだと改めて実感しています。

――楽曲「行方知れず」の制作に対して、椎名林檎さんはAdoさんの声に対して「『なんと理想的などら猫声なんだ』とおののきました」とコメントされています。“どら猫声”については、いかがでしょうか。

Ado:“どら猫声”というのが褒め言葉として嬉しく感じることがあるんだな、と驚きました。自分でも自分の声をどう説明したらいいのかわからないのですが、椎名林檎さんがそう評してくださって、私自身すごくしっくりきましたし、その言葉の選び方が、実に椎名林檎さんらしくて、心から嬉しく思いました。理想的などら猫声、という表現も非常にユーモアに富んでいてユニークですよね。

――本当にそうですね。どら猫声と聞いて、納得させられました。

必要なのは楽しみながら歌い続けること

――続いてAdoさん自身のルーツについても聞かせてください。イメージディレクターをORIHARAさんが一貫して担当されています。どんな流れがあって、ORIHARAさんがAdoさんのイメージを描き続けることになったのでしょうか?

Ado:もともとORIHARAさんは、私のファンアートを描いてくださっていた方なんです。すごく印象的なイラストを描いてくださったので、すぐに目を引きまして、YouTubeのアイコンなどに使わせて頂いていました。その後、Adoがメジャーデビューをするタイミングで、イメージビジュアルを制作することになりまして、今後も私のイメージを作ってくれる人が必要だという話になって、ORIHARAさんにお願いさせて頂きました。

――Adoさん的にも、ORIHARAさんが描くイメージは自分の印象に近いと感じる部分があるんですね。

Ado:そうですね。今もそうですが、私がこうでありたいと思う形を言葉がなくとも表現してくださるんです。Adoという人物を深く理解してくださって、頭の中にある理想を超えてくるイメージを描いて頂いています。しかも、年々そのクオリティーが上がっていて本当に素晴らしいと思います。

――12月からは「Ado LIVE TOUR 2022-2023『蜃気楼』」がスタートしますが、本ツアーについてとその先の目標について教えて頂けますか?

Ado:私の中での全国ツアー「蜃気楼」は、さいたまスーパーアリーナという大きな目標だったステージのその先の景色だと考えています。現実では幻想であったとしても、遠くに見えるものはなんなのか、ということを知っていくためのツアーであり、ライヴだと捉えています。その先にあるゴールは何かを考えると、やはり歌い手としてもっとも理想的な存在になりたいということだと思います。今までになかったような驚くほど衝撃的で素晴らしくてカッコいいところに行き着きたい、ということがテーマの1つとしてあります。

――そうなるために考えている具体的な目標はありますか?

Ado:現段階で1つ考えているのは、海外のファンのみなさまとももっと交流したいと思っています。日本以外の国でもAdoの歌を聴いて頂ける状況ができてきたので、求められるのであれば海外でもライヴしていきたいですし、コミュニケーションを取っていきたいです。それが目標の1つ。あとは、もっと大きなステージを目指していきたいです。あと数年の間で、これまでになかったような規模感でライヴができるようになりたいと考えています。

――では最後に、AdoさんがAdoであるために、歌を磨き続けるために、日々実践されていることはどんなことですか。Adoさんのようになりたいと願う小さな子どもから年下のファンに向けて、アドバイスがありましたら。

Ado:やはり歌い続けることでしょうか。それも楽しみながら。自分が好きなことを諦めないで、自分を信じて歌うことをやめなければ、きっと歌があなたの味方をしてくれると思います。

Text Ryo Tajima

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連載「時の音」Vol.17 「歩く、見る、撮る、だたそれだけ」写真家・森山大道が語る「記録」と写真 https://tokion.jp/2022/07/01/tokinooto-vol17-daido-moriyama/ Fri, 01 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=125510 森山大道が「ライフワークでありライフラインだ」と言う私家版写真誌「記録」。その意味するところ、また写真について森山本人に話を聞いた。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回、登場するのは写真家の森山大道。コンパクトカメラを片手に路上を歩きながら撮影するスナップショットの世界的大家だ。「歩く、見る、撮る。ただそれだけ」と自身の仕事を語るが、その1歩から始まる1ショットがいつも世界をしびれさせてきた。

そんな森山が「これがあるから1歩が踏み出せる。電気やガスと同じライフラインのようなもの」と形容するのが1972年に始めた私家版写真誌「記録」である。1973年にオイルショックの煽りを受け休刊するが、2006年に第6号を出版し復刊。以降継続的に展開し、今年、第50号を刊行した。それを記念してAKIO NAGASAWA GALLERY GINZAでは、50号分の写真を複数画面のスライドで観せる展覧会が開かれている。会場では「記録」に収録されたすべての写真が撮影された場所、時間を超えてランダムに投影されていく。

「確かに僕が撮った写真だけど、新しくその写真に出会ったような感覚がある」。その光景を前にして、森山大道が語った「記録」のこと、そして「写真」について。

「僕の日常は、すべて『記録』に反映されている」

――「記録」は「撮影したものをすぐに焼いて、近くの人たちに手渡しで見せる最小限のメディア」として始められた。その動機とはどんなものだったのでしょうか。またタイトルに「記録」という言葉を選んだ理由は?

森山大道(以下、森山):ありていにいえば、僕の本当の日常の断片を印刷して見てもらいたい。そう思って始めたのが「記録」。だから撮りためたものを選んでまとめるような写真集とも少し違って、片っ端から撮ったものをプリントに焼いて、それを1冊の中に全部入れてしまう。そして、なるべく早く印刷して人に見てもらおうというのが「記録」。タイトルに関しては、本当に単純で、「写真は『記録』だよね」ということ。もちろん「記念写真」というように、写真は「記念」であり、また「記憶」でもある。「記録」を含めて、単純にその3つで写真は成立していると思っていたんだけど。だた、「記念」っていうのもなんだし、「記憶」というのも違うなと思って、一番素朴な「記録」にしただけです。だからそこまで深い理由はないです。

――1972年に「記録」の第1号がスタートして、一度休刊されています。

森山:1973年にやめたのであっという間に休刊(笑)。というのも、73年にオイルショックがあって、印刷代がかなり高騰したんですね。続けたかったけど、お金がなくて僕には無理だと。

――第1号を出版した1972年から、今年がちょうど50年。半世紀になります。「記録」を振り返って、その間「大きく変わった」と実感されることはありますか?

森山:「記録」というのはある意味、僕のパーソナルなメディアだがら、僕自身がそういうことを振り返っても仕方がないとも思うんだけど。ただ2006年に、AKIO NAGASAWA GALLERYの長澤章生さんが「また『記録』をやりません?」と声をかけてくれたことは大きかった。それで「記録」が復刊したわけだけど、それまでずっと僕の記憶の中にあって、ずっと気にはなっていた「記録」のありようが、その時、ふわーっと蘇ってきたわけ。その時点から、また僕の日常は、すべて記録に反映されていっているんです。例えば、東京にいる時の日常だけでなく、ふと外国に写真を撮りに行く時も、僕にとっての狭い意味での、1回限りの日常。その日常の断片をそのまま見てもらうというのはずっと変わっていない。あれこれ考えたりせずに、ただ見てもらう。それが「記録」。その中には、いつも記念という気持ち、記憶というかたちもないまぜになってあるわけだけど。

――「記録」のあとがきに、東松照明さんや中平卓馬さんらのお話が出てきます。ないまぜになっているというのは、記録を作り続ける上で、そういった記憶が出てきてしまうということでしょうか?

森山:「記念」「記憶」「記録」ははっきりと別々になったものではなく、ないまぜになって自分の時間の中にあると思うんだよね。だから「記録」は、そういった時間みたいな概念をメディアを通して見てもらう。僕も見せてもらうというところもあるし、見たいという思いもある。

――僕も見たいというのは、やはり、撮っている時と「記録」になったあとでは違う何かがあるということでしょうか?

森山:みんな違うんです。一番はっきりした例が、今回の展示。あの中に囲まれながら、僕自身も改めて写真を見て、その写真にまた新しく出会うというか−−確かに僕自身が撮った写真ではあるんだけど、そういう感覚がある。それが写真たる所以だよね。写されたものは一瞬の事象だけど、それが次々と新しい時間の中で循環していく。その循環の中に僕がいるわけ。すると自分も循環されていくような感覚がある。それが今回の展覧会のとてもおもしろい部分。

――それは、50年前に撮ったものの中に今を感じるものだったり、今撮ったものの中に1970年代に撮ったもののように思えるということでもあるのでしょうか?

森山:『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』というタイトルの僕のエッセイ集もあるけど、そういう感覚にさせるのが写真なんだろうね。言葉にするとキザだけど、昔に撮った写真だから古いというような見方をしてはダメ。過去に撮ったものであれ、これから撮るものであれ、全部が一緒になって1つの写真になる。

――「記録」の第33号は、その1日だけで撮影した写真だけで1冊を作っていらっしゃいます。第50号は1人の女性だけを撮影している。そのアイデアはどのように生まれているのでしょうか?

森山:第50号の女性の写真は、「今、女の子を撮ってみたいんだよね」と長澤さんと雑談していて撮ったんだけど、「どこでやる?」「じゃあここでやろう」という感じでギャラリーの表に出て、銀座、有楽町で撮った。それくらいのこと。第33号の時も、なんかそうしてみようと思った。テーマ意識みたいなものとも違う。だた、今を撮る。そうやっているうちに、第50号までできてしまったということなんだけど。

「歩かないと見えないし、撮れないし、考えられもしない」

――今を撮るということについて、過去のインタビューでは「歩く、見る、撮るだけ」。そういった日常を「きわめてシンプルな日々」とお話しされています。アイデアは、そういった日々の中に、ただ生まれてくるものということでしょうか?

森山:それは、「記録」以前から変わっていないことですが、歩かないと見えないし、撮れないし、考えられもしない。他の写真家は別だけど、僕の場合は歩かないとダメ。歩く以上は、見る。見る以上は、カメラマンだから撮る。それ以上に必要なことはないと思う。それはなぜかずっと変わらないことですね。よく「同じ写真ばかり撮っているよね」とも言われるけど、僕自身も毎日少しずつ変わっていると思うし、1歩外に出れば、それまでとは違う世界がある。新宿にしても、池袋にしても、歩いている人も違う、僕も違う、みんな違うという中で撮っているわけですから。それしかない。やっぱり、撮らないと自分もわからなくなるし。

――森山さんでもわからなくなることもあるんですね?

森山:もちろん。また、撮ることでわからなくなることもある。それでもいいからまた撮っていくと、見えてくる。やっぱり、家を出れば外はあるわけだし、外は生きているわけ。街っていうのは本当に生きているから。そのなかに、どうやら僕も1匹生きていて、その中に紛れ込んで写す。

――この数年、コロナの影響で外を歩きにくかったのではないでしょうか?

森山:2日間くらいは家の中で撮っていたけれど、僕は、外に出ないとどうしようもないので。どんなにクローズされていても、それも今の街。そういうコロナの街という風景が見えるわけ。確かにバスに乗っても人は少ないし、街にもほとんど人がいない。でもそれはそれでリアリティでもある。カメラマンとしての僕は、そのすべてが一種のリアリティを感じるわけです。第50号は自分の気持ちがそうだっかたら女性の写真を撮ったけど、第51号からはまた街へ出ようと。と言っても、もう撮り始めているんだけど。だから同じことをずっとやり続けるんだよね。僕自身、いい歳になったから昔みたいにスタスタ歩けないけど、足があるうちは、街があるから撮る。それで良いと思っている。

――外に出た時、何が撮りたいと思わせるのでしょうか?

森山:あまり理由みたいなものはない。面倒くさいことを言うと、僕という人間の体質生理みたいなもの。それしか言えない。1枚1枚には理由みたいなものはないけど、その全てには自分の生理、肉体、気持ちがあり、その中には記憶もあるし、記念すべき気持ち、記憶する思いがある。撮っている時って、そういったことがすべて一緒になっているんだと思う。自分の生理、肉体、その日の気持ちをひっくるめて、まず歩く。見る。撮る。それが日常、僕の本当の日常。

◾記録
会期:9月3日まで
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY GINZA
住所:東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間: 11:00〜19:00(土曜のみ13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
Webサイト:https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/record/
AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMAでは、6月9日より「記録」第50号の写真を中心にプリント作品を展示。またすべての「記録」(在庫がある号のみ)も販売予定。

◾記録
会期:8月6日まで
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMA
住所:東京都港区南青山5-12-3 Noirビル2F
時間: 11:00〜19:00(13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜水曜、祝日
入場料:無料

Photography RiE Amano
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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連載「時の音」Vol.16 江口寿史がイラストレーターで漫画家であり続ける理由 https://tokion.jp/2021/10/23/tokinooto-vol16-hisashi-eguchi/ Sat, 23 Oct 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=67711 イラストレーターで漫画家の江口寿史に自身のキャリアと作品に込める思いを聞く。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、江口寿史にインタビュー。江口を漫画家として知る人も多ければ、女性を被写体にした“彼女”と呼ばれるキャラクター達が印象的なイラストレーターとして知る人も多いだろう。

漫画家として知っている人達ならば、彼が日本でトップクラスの遅筆家で、あまたの連載休止をしている武勇伝(!?)の持ち主であることも知っているはずだ。テレビアニメ化され、代表作の1つで「週刊少年ジャンプ」で連載していた『ストップ!! ひばりくん!』でさえも、何度も休載をしている。そのあげくにこの作品は、27年間という長期中断のあとに、完結するというミラクルを成し遂げている。

ずば抜けて絵がいい。ギャグがおもしろい。思いもよらない展開や設定のドキドキ。そして、次の週に読めるかどうかわからないハラハラ。さらにはやってこないかもしれないけれど、やってくることもある完結編を読めるというミラクル。まさに江口寿史のラブコメやギャグにハマってしまうと、やみつきになってしまう。そういう複合的な魅力がある。本人はというと、遅筆も休載もへっちゃらというズボラな人物ではなく、真剣に変でおかしなことを読者のために考えていて、エネルギーにあふれている。

このなんともいえない、いかんともしようのない才人に、都内のアトリエで話を聞いた。

江口寿史がコロナ禍のTwitterに投稿したイラストとつぶやき

“何年か先。十何年か先。君はこの2020年をどんなふうに思い出すのかな”。

その言葉を投げかけられた彼女は、降り始めた粉雪を見上げていた。手にはワインボトル。これから飲む1本なのだろうか。それとも誰かにプレゼントするものなのだろうか。プレゼントしてもらうのは、どんな人なのだろうか。想像が掻き立てられる。そして、それ以上に印象的なのが、冬の夜空へ溶けていく彼女の白い吐息と、アゴにかかった白いマスクだった。

個人的な感想だけれど、江口寿史のイラストは、時代性とか流行性のプロップスを描き込まれることが少ない。だから、いつ、どんな時代に見ても、描かれた彼女達は美しく輝いていて、古くさくなんかない。その江口寿史があえて? 描き込んだ白いマスク。それには彼のスタイルを超えたメッセージがあるような気がしてならなかった。このイラストは、のちに発表された画集『彼女』の163ページにも収録されている。

降りはじめた雪を見上げる美しい彼女 アゴにかかった白いマスクの真意

――真っ先にお聞きしたかったのですが、あの2020年12月14日のつぶやきは、あえてあの絵を選んでアップしたのですか?

江口寿史(以下、江口):いやいや。ツイートにあわせてあの絵を選んだというんじゃない。逆。あの絵にあわせてあのつぶやきをのせたんです。

――キャプションと絵を連動させてるつぶやきは、それまでなかった気がしました。

江口:まあ、異常な1年だったじゃないですか。価値観とか生活様式とか全部変わってしまって、鬱屈した日常なんだけれども、やっぱり降ってくる雪はきれいなわけ。あの絵をアップした時に、“いいですね”とか“なんだか涙が出ました”っていう共感の声が多かったんですが、中には、“アゴマスクはだめです”とか言ってくる人もいましたね。正論を振りかざされちゃう世の中なんだなあと。ただ、あの絵のあの彼女は、普段からアゴマスクをしているわけじゃなくて、ひとけもなくなった街に、粉雪が舞い降りてきて、こんな状況だけど“ああ、きれいだな”って、ちょっとだけマスクを下げて深呼吸してみたという絵なんです。それくらいの心情は、わかりあいたいですよね。わかるだろ? それくらいの気持ちって。

――それで、江口さんが描く彼女達、例えば『KING OF POP』や『RECORD』などの作品集を見ても、時代とか流行したものを限定させないものが多い気がします。映画などで、携帯電話や肩パットが入ったジャケットなんかが映っているだけで、いつ頃のものとかわかってしまうのは仕方のないことなんですが、江口さんの描く彼女達には年齢とか時代があまり関係ないなって。それなのに、あのマスクは、あとから必ず時代を限定してくるのではないかと。

江口:そう。この時、マスクの絵を描こうというのは決めていたんです。先が見えない中で、マスクの彼女は描いておかなくてはいけないとって。実は、キャプション(つぶやき)で、何十年後ではなくて、十何年か先という書き方をしたのもわかってほしいところで。何十年後だと、この彼女がおばあちゃんになってから若い頃を振り返るみたいでしょ。そうじゃなくてさ、ちょっと先の、彼女が彼女のままにこの状況をどう感じるかっていうことで、あの絵はコロナの時代というのをピンポイントで当てているものです。

――やはりそうでしたか。このコロナ禍の時代を政治的にではなく、あの絵ほど、寄り添うように、それでいて決定的に僕らに意識させてくれたものはありませんでした。個人的には、途中で連載休止していた『ストップ!! ひばりくん!』が、まさかの年月を経て完結編まで出て、読み切ったときくらいの刺さり方でした。

江口:コロナの時代については、みんながそれぞれの生活でいろいろ感じているでしょうからね。

――そうだと思います。それでは、江口さんが描くその他のキャラクター達についても質問させてください。『ストップ!! ひばりくん!』では、ひばりくんはじめ、つばめやすずめなども服装が頻繁に変わっていきました。別の作家さんの漫画のヒロイン達(例えば、『ドラえもん』のしずかちゃん、『魔法使いサリーちゃん』のサリーちゃん、『Dr.スランプ アラレちゃん』のアラレちゃん……など)は、キャラ設定というのもあってか、服装が変わることがあまりないです。『ストップ !! ひばりくん!』では、どれくらい流行性を取り入れていましたか? イラスト作品と同様に、漫画作品でも髪型やアクセサリーや携帯電話など、ブームや時代が残ってしまうものに対して注意したり、選んだりしているのでしょうか。

江口:その時代、時代のファッションは描いてもいますけど、飛び抜けたファッション、例えば肩パットが入ったジャケットとか、そういうものは描いてはいませんね。今でもあるというか、ベーシックなアイテムを描くようにしています。ちなみに、流行というのは、つまるところサイジングなんじゃないかと思います。古いものでもサイズを変えれば新鮮な今のものになったりします。ただ、ビジネス書の表紙で、今のOLさんを描いてくださいと依頼されて、当時の肩パット入りのジャケットを描いたことはありますよ。ただ、自分の作品や自発的なものでは、描いたことはないですね。

――となると、時代的に今と違うなと思わせてくれるのは、『ストップ !! ひばりくん!』でたまーにあるパンチラシーンなどで、Tバックとかがないということくらいでしょうか。今はTバックもかなりスタンダードなアンダーウェアになってきているので。

江口:あー(笑)。下着についてはあまり気をつけてなかったかなー。でも、漫画の中で描かれる下着の形というのには、語れるほどの変遷があるんですよ。僕はそこまで下着は意識していないですが、金井たつおさん(「週刊少年ジャンプ」掲載作『ホールインワン』など)や桂正和さん(「週刊少年ジャンプ」掲載作『ウイングマン』など)のこだわり方は素晴らしかったですね。そんな中でも、パンツを意識的に描いた最初の人は鴨川つばめさん(「週刊少年チャンピオン」掲載『マカロニほうれん荘』など)じゃないですかね。パンツに当て布を描いていたのを初めて見た時、びっくりしちゃって。

――お話を聞いていると、自分の作品と他の作家さんの作品も全部楽しんでいる感じですね。

江口:僕は、昔は絵に対してあまり気持ちを入れたことがなかったんですよ。編集的な目線で絵も漫画も描くたちだと思っているんです。引用とかアレンジとかサンプリングして、組み合わせから作っていたんです。ところが、ごく最近になって、気持ちを入れて描くようになって、ファッションとかディテールなど、目に見えるものじゃない、目に見えない感情や思いやその時のにおいなどをイラストで表現しようとしています。そこは変わってきてるなあと感じてます。
だから、さっきのマスクした彼女の絵も描いたんだと思います。今までならなかったはずです。あのような気持ちが入った絵は。本当は気持ちを入れる部分とか大好きなんですが、自分が描くとなるとそれが恥ずしくなってしまうので、ギャグでごまかしてきたり。それが、今は変わってきたというのもありますね。

――そうなんですか。『ストップ !! ひばりくん!』では、かっこいい絵が続いてきているところに、いきなりキャラクターが脱ぐじゃないですか。だから、江口さんは躊躇なくガンガンにいく作家さんで、主人公を脱がすことに躊躇がなさ過ぎて、恥ずかしがり屋の対局にいる方だと思っていました。

江口:それは、むしろ気が入ってないからできるんです。こうしたほうが、漫画としておもしろいから、じゃあそうしようという感じ。読者を驚かすために一番効果的なことを選ぶわけです。

――そこが編集者的な目線ですね。

江口:そうなんですよ。

――その延長線上に1995年に編集長として立ち上げた「COMIC CUE」があるのでしょうか?

江口:「COMIC CUE」は、音楽のベスト盤を作る感じでやったんです。僕が好きな漫画家だけを集めて1冊の本を作りたいと。これは、僕の資質的には合っていたアプローチでした。なぜ、3号で編集長を降りたかというと、作家としての嫉妬がね、生まれてくるんだよねぇ(笑)。あと、作家に原稿の催促の電話をするのがめちゃくちゃ苦手で、相手の気持ちもわかるから、どうしてもそこは弱いよね。それもあって、1人の漫画家に原稿落とされちゃったんだけど、“俺はこういうことを今まで編集者にしてきたんだなぁ”と痛感しました。そして、やっぱり編集者にはなれないなと思いました。

――『エイジ』以降、『パパリンコ物語』あたりから、鼻の穴を描くようになったとおっしゃっていました。『彼女』の中の彼女達はみんなそうです。かわいいです。それでこの時の説明で、大友克洋さんが鼻に穴を描くようになって、最初の頃は大友さんの女の子はかわいくなかったけど、自分はかわいくなくてはいけないから大変だったというのを読んで「おーっ」と思いました。
大友さんやわたせせいぞうさんをはじめ、江口さんは『お蔵出し夜用スーパー』の作品中では、藤子不二雄さん、国友やすゆきさん、吉田戦車さん、楳図かずおさん、吾妻ひでおさん、相原コージさんなどを。『ストップ !! ひばりくん!』の作品中では、車田正美さんや池上遼一さんなど、他の著名な漫画家さんを自分のことのようにいじったりしているのが、とてもおもしろいです。そういった方達との関係性はどういったものなのでしょうか。それとも気にしないで、どんどんいじっていくのが、ギャグ漫画家の真骨頂なのでしょうか。

江口:みんな好きな人達ですね。全員が面識あるわけじゃないんですど、おもしろいなあとか、これおかしいよなあっという愛情に似た笑いが出てきちゃうものをいじってしまいますね。
わたせせいぞうさんも大好きですけど、こんな世界なんかねえよ、バカヤロウってツッコンでおくのが、ギャグ漫画家としての役目かなと思っているところがありますね(笑)。梶原一騎先生と梶原作品は大好きだけど、『すすめ!! パイレーツ』の中でさんざん茶化してしまいました。でも、それは完全に愛ゆえにですね。梶原先生にはそれが伝わっていたんだと信じています。

――今の予定調和的な風潮からは脱線していますね。忖度なしのいじりというか。

江口:僕はまずは読者の気持ちになっているんです。読者としてみたら、こう思うんじゃないか? って。だから、変だなって思うところはツッコンでいくようにしていましたね。だから、原稿を落としてしまう自分もいじられたりしてもしょうがないし、自分でそれをいじれなかったらダメだとも思ってましたよ。

――実際にいじられたことは?

江口:いっぱいあると思いますよ。ゆでちゃん(=ゆでたまご。「週刊少年ジャンプ」掲載作『キン肉マン』など)なんか、初期のギャグ時代はしょっちゅう僕をいじってましたよ。それは、僕がど新人のくせに大先輩の本宮ひろ志先生を散々いじったりしてて、悪い見本を見せてたからね(笑)。

――絵の話に戻ります。街の中の、風景の中の、かわいい女の子を絵にしていく。そういう作業の連続の中で、絵と必ずリンクしてくるカメラと写真撮影というものに興味を持つことはなかったのでしょうか。

江口:僕は写真を撮ってから絵を描きます。だから、若い時は、一眼レフのフィルムカメラとかも買ったりしましたよ。ただ、絵だと自分が思った通りのイメージが表現できるのに、カメラだと思った通りにならない。資質的に、僕はカメラじゃなくて絵だなと思いましたね。

――では、時代とか流行などを度外視できるほどの、『彼女』達の中の彼女を描く時の江口さんだからこそ気付いているかわいい、美しい彼女達の特徴はありますか?

江口:街の風景と一緒ですけれど、“いつかは消えていくものの美しさ”ですかね。若さとか一瞬の輝きとか、消えていくからちゃんと描いて残しておきたい。そういうところです。

――もっともかわいい瞬間を描きたいと強く思っている、欲が強い人物だと自負している江口さん。他の記事で、その根底にあるのは、「女の子に生まれたかった!」という憧憬があるとおっしゃっていましたが、実際にご自身が女の子で生まれていたら、どんな女の子だったのでしょうか? 江口さんの作品で例えるなら、ミニスカートを穿きこなし、あまりパンチラとか胸チラとかを気にしないタイプになるのでしょうか。

江口:そうかもしれないです(笑)。かわいい子に生まれて漫画家になりたかったですね。そして、編集者との打ち合わせで、不要なエロさをふりまいてブリッ子したかったですね(笑)。

――“ブリッ子”というワードも江口さんが漫画の中で生み出したものでしたね。そういえば、そんな江口さんが描く彼女達というのは、俗にいうシュッとしたモデル体形みたいな感じではないですね。

江口:それはファッションと同じですかね。僕はハイファッションみたいな感じよりは、普段着で自然にいるような彼女達を描くのが好きですから。

イラストレーターではなくプロフィールに残る漫画家としての思い

――数多くのギャグ漫画を描いてきて、そのうち数タイトルは途中で終わってしまったという伝説も残して、作品集『彼女』のような無敵のかわいさを記録してきて、編集長という立場も経験してみて、なお、江口さんは自分のための絵の連載作品としてスタートさせるという可能性はありますか? 残しておきたいものはありますか?

江口:若い頃は、こんな歳になっても彼女達の絵を描いているとは思っていなかったですね。ずっとギャグ漫画を描き続けているものだと思ってました。やっぱり、漫画家という肩書きを未だにプロフィール欄からおろせないくらい、漫画を描きたいというのはずっとあって。
漫画は大変なんですよねぇ……。アシスタントに背景描いてもらって、「ここ、こうして。そこ、そうして」って説明している間にテンション下がっちゃうから、だから、1人でやりたい。となると、本当に大変なんです。

――過去のインタビュー記事や対談記事などを読んでいると、江口さんの言葉でグッとくるものがいっぱいあるんですよ。「締め切りがつらいんじゃなくて、締め切りがあるからできるんだ」とか、「でも、絵をちゃんと描きたいから1週間という時間じゃな足りないんだ」というのとか。落としたくないけれど、どうやっても間に合わないということを正直に言ってるところとか。

江口:前は、イラストの絵と漫画の絵を同じにして漫画を作りたかった。だけど、全コマがそうなると、漫画として読めないんですよ。目が止まっちゃったり、邪魔になるんです。漫画はやっぱり視線をどんどん誘導していってストーリーを伝えなきゃいけないもの。だから、漫画の絵はまた違うんです。そして、それが漫画の力なんですね。だから、今の僕はイラストの絵で漫画をやろうとは思わなくなったので、もしかしたら再び漫画をやれるかもしれない。

――『お蔵出し 夜用スーパー』の「SEX And The CITY」では、吹き出しは一切ないですし、彼女のようなキャラクターも登場しませんが、そのバカさ加減を思い出すといつでも爆笑してしまいます。そんな痛快なギャグ漫画をまた読みたいです。

江口:基本、バカな漫画が好きなんです。今、そういうギャグ漫画は減ってきているので、僕自身が読みたいですね。くだらないものがいいですよ。
僕は、山上たつひこ先生(「週刊少年チャンピオン」掲載作『がきデカ』など)や赤塚不二夫先生の漫画の笑いにとても救われたので、ギャグ漫画を目指したんです。笑いは本当に素晴らしいものですよね。

――江口さんの、例えば先程の「SEX And The CITY」は、僕らを救ってくれてますよ。とてつもなくお下劣で卑猥なんですが、おかしいんですよ。そして心があったかくなります。

江口:人間のバカさ加減をまた描きたいですねぇ。

――ちなみに、『ストップ !! ひばりくん!』の作品中に使っていたフレーズや言い回しは、今だと使えないものがありそうですね。

江口:炎上ネタの宝庫ですね。使えないものばかり。あの頃だってバカにしているわけではないですけれど、もうその辺は今だと難しいでしょう。

――漫画から『彼女』の話に戻ります。四季のうちで、どの季節のどういった風景の中の彼女が好きですか? 具体的なシチュエーションもあったりしますか?

江口:若い頃は、圧倒的に夏が好きでした。だから、夏の島の海とか。でも最近は、秋から冬に向かう頃がとても好きになりましたね。年齢の影響もあるのかもしれない。夏の開放された感じじゃなくて、冬の寒さに向かってマフラーをくるくるとまける嬉しさ、そういう気持ちも描きたいです。
ちなみに、大滝詠一さんのアルバム『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』のコラボレーション企画で、ひさびさに夏の島と海の感じを描きました。あれは、あのアルバムを聴いていた頃に常に心に在った夏の風景を描きました。沖縄の小さな島の、白くて細い道。突き当たりまで歩いて行くとぱあっと広がる珊瑚礁の海。

――吉田拓郎さんの『一瞬の夏』のジャケットの夏はどうだったんですか?

江口:あれは、百花園の看板を描きたかったんです。百花園の向こうには大人のエモさを醸し出す空と雲を描きました。都会の中のノスタルジーって感じですね。今はもうあの看板はなくなってしまったから描いておいてよかったな。

――お話を聞いていると、音的残像というか、楽曲からひもとくノスタルジアな光景を江口さんがどう描くのか。そういう絵をたくさん見たくなってしまいますね。

江口:そういったのをこれから描くんじゃないでしょうか。自分でもそう思います。

――失われていく日本の心象風景や原風景とか。

江口:まあ、今なお、オファーは圧倒的に彼女の絵が多いのでね。いろいろなオファーがあれば、いろいろ描きますけどね。自己模倣だけはしないようにもちろん気をつけてます。

――オファーされるのはイラストの? 当面はお忙しいですか?

江口:そうですね。もう100%イラストのオファーですね。漫画のオファーはありません(笑)。漫画に関しては、自分でまずは描いて、それを編集部に載せてくださいと持ち込みするしかないですね(笑)。

机の上にあるB4サイズのペーパー。それより大きいのでもA3のサイズほどのペーパーを、さらにコマ割りして絵を描いてきた漫画家の江口寿史さん。その後、イラストレーターとしても活躍の場を広げ、彼の絵を見たことがないという人は、そうそういないのではないだろうか。そんな江口寿史さんのキャリアで、もっとも大きなサイズの絵(その時はドローイングだった)は、180cmx180cmのライヴペイント。今回、取材をさせてもらっているうちに、街の中で感じる季節や匂い、そして街の中の彼女達を大切にする江口さんが、街の大きな壁に絵を描いたらどんなだろうかと想像してしまった。
そういったことを想像できてしまうのも、漫画家として、イラストレーターとして、プロでありベテランである江口寿史さんの中にある、年齢やキャリアを凌駕した、おもしろいものや美しいものを描き残したいという純粋な資質を感じたからだと思う。この方が、もっと多くの若い才能とセッションしたら、もっとすごいものが日本に残る。東京に残る。そんなことを確信した。

“何年か先。十何年か先。君はこの2020年をどんなふうに思い出すのかな”。
この先、コロナ禍がどうなっているのかは予測はつかないけれど、素晴らしい作品というものはウイルスに毒されることなく、私達の世界に静かに、しかし強い力で残っていくに違いない。
今回のインタビューを終えて、マスクをアゴにずらして、一瞬、深呼吸した彼女の横顔に、江口寿史さんのいう気持ちや時代のにおいが存分に描かれていると思った。

江口寿史
1956年生まれ。熊本県出身。漫画家、イラストレーター。1977年「週刊少年ジャンプ」月例新人賞入選作『恐るべき子どもたち』と第6回赤塚賞準入選作『8時半の決闘』でプロデビュー。代表作は『すすめ!! パイレーツ』、『ストップ!! ひばりくん!』など。1991年短編集『江口寿史の爆発ディナーショー』で第38回文藝春秋漫画賞を受賞。1995年に編集長として立ち上げた「COMIC CUE」には、松本大洋、望月峯太郎といった気鋭の作家陣を集め、“しめきりを守らされる”側から“しめきりを守らせる”側も経験。オリジナルのギャグセンスとずば抜けた絵のうまさと数々の連載休止案件などで、希代の漫画家として有名であると同時に、企業タイアップやアーティストのレコードジャケットなど1点ものを描くイラストレーターとしても人気が高い。
2015年画集『KING OF POP』(玄光社刊)を刊行後、イラストレーション展『KING OF POP』を全国8ヵ所で開催。2018年より2019年にかけては金沢21世紀美術館を皮切りに全国3ヵ所の美術館でイラストレーション展『彼女』を開催。コロナ禍での中断を経て、2021年、美人画集『彼女』を発表後、青森市と旭川市で再開された展『彼女展』では、自身初となる大判キャンバスへのライヴドローイングを敢行、ファンのみならず、多くの話題を呼んだ。最新画集『彼女』の帯のコピーになっている通り、世界の誰にも描けない“彼女”の絵を描く作家と高い評価を受けている。
Twitter:@Eguchinn
Instagram:@egutihisasi / @eguchiworks

『彼女』(2021年)
著者:江口寿史
発行:集英社インターナショナル
https://www.shueisha-int.co.jp/publish/kanojo

Photography Takeshi Abe

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連載「時の音」Vol.15 “Be Here Now” 美術家・横尾忠則が自身の創作活動を振り返って今、思うこと https://tokion.jp/2021/10/14/tokinooto-vol15-tadanori-yokoo/ Thu, 14 Oct 2021 02:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=68137 過去最大規模の展覧会を開催中の美術家・横尾忠則が自身の活動を振り返り、創作の原点について語る。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は美術家の横尾忠則が登場。1960年代初頭からグラフィック・デザイナーやイラストレーターとして活動し、60年以上にもわたりキャリアを積み重ねてきた。日本では概念派と呼ばれるコンセプチュアルな作品が多かった1960年代において、当時の美術では考えられない色彩感覚と複雑な構図の作品は世界中を驚かせた。ニューヨーク近代美術館のピカソの回顧展に衝撃を受け、1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」を発表して以来、絵画に全力を注ぎ続けているのは有名な話。

現在、過去最大規模の展覧会「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を東京都現代美術館で開催している。愛知県美術館から巡回した展示は、作品の半数以上を入れ替え、幼少期から展覧会の開幕3週間前に描いたという新作まで、総数603点の作品に圧倒される。同期間中に21_21 DESIGN SIGHTで開催されている、カルティエ現代美術館の依頼でアーティストや哲学者、科学者など、横尾が描いた肖像画のシリーズ全139作品を展示する「The Artists」では、肖像画はキャンバスを実験的な遊び場に変えてユニークなキャラクターの個性や特異性を表現している。また、横尾作品を通じて「芸術」と「恐怖」との関係性について考察する「横尾忠則の恐怖の館」が横尾忠則現代美術館で開催中。

あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨て、煩悩から離れて身体の赴くままに描いた作品は、世界中のクリエイターに多大な影響を与え続ける。そんな横尾に美術家として自身の創作活動を振り返ってもらった。

「僕の作品はむしろ意味の否定なので、主題は何でもよかった」

−−「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」のテーマは作品による自伝ですが、この状況で集大成といえる、過去最大規模の展示を開催しようと思ったきっかけを教えてください。

横尾忠則(以下、横尾):愛知県美術館で立ち上げた時は自伝色が濃かったんですが、都現美(東京都現代美術館)では、自伝色を一切排除しました。テーマでかなり無理なところがあるとは感じていたんです。なぜなら、テーマ性は僕の作品にとってそれほど重要じゃないんですよね。何を描くかより、いかに描くか。さらにいかに生きるかを見せる必要があったから。なので、都現美の展示はほぼ制作順に並べたために、作品の様式の変化を伝えることができました。

−−展覧会は絵画作品についても文学作品についても、イメージの源泉である「原郷」、変幻自在で新鮮な驚きをもたらしてくれる「幻境」、発表する時としての「現況」というような概念が意味を持っている気がしますが、GENKYOというタイトルにしたのはなぜでしょうか?

横尾:僕にとって“原郷”とはインスピレーションの源泉。“幻境”は個人的には主張する必要はないです。なぜなら最も否定的な土着と同意語を感じさせますから。タイトルから“幻境”は消すべきでしたね。3つの言葉を並べると、意味ができてしまうでしょう。僕の作品はむしろ意味の否定ですから。意味づけることによって観念化されてしまいます。

−−そうなのですね。作品の大きさや多さなど、物質性としても完成度の高い空間巡回と感じました。ある種、言葉が不要な体験でもありました。

横尾:その通り。あらゆる言語から解放したかったので、この展覧会は意味の不定なんですよ。むしろ絵画はその主題より表現(様式)を重視する必要がありました。そのために主題は何でもよかったんです。

−−2016年に発行した「千夜一夜日記」の継続版として「創作の秘宝日記」を発表されました。50年以上日記を書きためていらっしゃいますが、日記を振り返ることはありますか?

横尾:日記は1970年から毎日書いている単なるメモと1日1日の想念の吐き出しです。再読はしませんね。あるとしたら校正で読む程度です。

−−日記では成城にある書店や中華料理店などが度々登場します。横尾さんにとって、アトリエのある成城という街はどんな場所、存在でしょうか?

横尾:成城は東京の田舎で都心からの影響を受けない場所。ワニが水面から目だけを出すように、市井の様子を隠居気分で眺められるんですよ。それと身体を動かすのがあまり好きじゃないですね。面倒くさいことは嫌です。

「社会的な欲求よりも個人的欲求に従った方が生きやすい」

−−20代から「夢日記」を記述してこられ、夢は横尾さんの創作において重要な意味を持つように思います。

横尾:夢はもう1つの日常、夜の日常……現実と分離されたもう1つの現実です。むしろ日常の方が嘘で、夢が真だと思います。だから夢には嘘がない。昼間の方が嘘が多いですね。

−−最近、見た夢で気になったものがあれば教えてください。

横尾:先週見た夢は、ダンテの「神曲」の天国篇のような夢で、宇宙の果てからやってきた信じられない数の天使の群れの中で肉体ごと包み込まれた。天使は僕よりやや大きくて、非常に肉感的だった。その瞬間、僕は肉体的存在から魂的存在に変身した。こんなスペクタクルな夢はかつて見たことがなかったですね。つい、この間の話ですよ。

−−その体験は禅の思想にも通じると思うのですが、そもそも禅を学んだきっかけは何ですか?

横尾:1967年にニューヨークへ行った時、アメリカの知識人が禅に興味を持っていて、禅についてたくさんの質問を受けたんです。でも、当時の僕は禅の知識はゼロだったから帰国して、さっそく1年間、各宗派を越えて禅堂に参堂したのが始まり。禅の本は1冊も読んでいないですね。すべて体感による体験ですよ。欲望と執着から離れて真の自己を見つめる意味では宗教というよりも神秘または、サイエンス、さらに求める必要のないことを学んだような気がします。哲学といった方が正しいかもしれない。

−−「奇想の系譜」など横尾さんの作品には非現実や論理的に整理できないモチーフが多いですが、感覚的に現れるのでしょうか? 

横尾:それは人間が肉体的、精神的存在である以上に霊的存在であるから。すべての答えは僕の中にあります。すでに自分の中に持っているものは、外に出た時に非論理的なものに変わるような気がします。

−−現代アートでは、スタイルを固定することでマーケットでの価値を高めていく方法が主流ですが、横尾さんが特定のスタイルを持たないのはなぜでしょうか?

横尾:観念から自由になるためにはスタイルは不要です。芸術は常に結果と目的から自由であるべきです。つまり、遊びと快楽のためには、スタイルは自由を束縛します。社会的な欲求よりも個人的欲求に従った方が生きやすいです。多くの芸術家は社会的な欲求に従います。僕にとってはがんじがらめな生き方を強いるようなものです。

−−Twitterとブログで「WITH CORONA」を発表して約1年半が経ちました。現在、700点以上になりましたが、「WITH CORONA」を制作しようと思ったきっかけは何でしょうか?

横尾:コロナ禍のために美術館や画廊での発表が禁止されたので、より複数化された大衆メディアを選んだんですよ。一種の精神の駆け込み寺だったわけです。

−−コロナが終息した世界にはどんなイメージを抱かれますか?

横尾:わかりません。僕は未来について考えませんから。1分先の未来も想像できない。未来は楽しみのためにとっておくもので、想像の対象ではない。“Be Here Now”今がすべてですよ。コロナはともかく、自分はなるようになると信じて、なるようにさせようとは思いません。

横尾忠則
1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1981年にいわゆる「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。近年は、原美術館(2001年)、東京都現代美術館(2002年)、京都国立近代美術館(2003年)などで個展を開催。2020年8月に横尾忠則現代美術館で「兵庫県立横尾救急病院」を開催した。2021年7月には東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」、21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3で「横尾忠則:The Artists」展を開催中。横尾忠則美術館で2022年2月まで「横尾忠則の恐怖の館」も開催している。

■GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
会期:10月17日まで
※12月4日〜2022年1月23日に大分県立美術館に巡回
会場:東京都現代美術館
住所:東京都江東区三好4-1-1
時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休日:月曜
入場料:一般 ¥2,000、大学・専門学校生・65歳以上 ¥1,300、中高生 ¥800、小学生以下無料
Webサイト:https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/

■横尾忠則:The Artists
会期:10月17日まで
会場:21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3
住所:東京都港区赤坂9-7-6東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
時間:平日11:00〜17:00、土日祝 11:00〜18:00 ※変更の可能性あり
休日:火曜
入場料:無料
Webサイト:2121designsight.jp

■横尾忠則の恐怖の館
会期:2022年2月27日まで
会場:横尾忠則現代美術館
住所:兵庫県神戸市灘区原田通3-8-30
時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
休日:月曜日
※月曜が祝日の場合は開館、翌平日休館
※年末年始:12月31日~1月1日
入場料:一般 ¥700(¥550)、大学生 ¥550(¥400)、70歳以上 ¥350(¥250)、高校生以下 無料
※本展は予約優先制。詳細は横尾忠則現代美術館ウェブサイトを参照
※20人以上の団体は( )内の料金に割引
※障がいのある方は各観覧料金(ただし70歳以上は一般料金)の75%割引、その介護の方(1名)は無料
※割引を受ける方は、証明できるものを持参のうえ、会期中美術館窓口で入場券を購入(障がいのある方は、障がい者手帳アプリ「ミライロID」も利用可能)
Webサイト:https://ytmoca.jp/

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連載「時の音」Vol.14 作家・朝井リョウが見据えたい“2歩先の視点” https://tokion.jp/2021/07/06/tokinooto-vol14-ryo-asai/ Tue, 06 Jul 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=42504 小説家の朝井リョウが、作家としてのキャリアを振り返りつつ、視点の持ちようや物語の描き方について語る。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

朝井リョウ 画像提供:新潮社

今回は、今年3月に作家生活10周年記念作品〔黒版〕『正欲』を出版した作家の朝井リョウが登場。『正欲』は、性欲をテーマに、計4人の登場人物が代わる代わる語り手となり、自身と世界の関係性を重層的に描いている。朝井自身も「小説家としても1人の人間としても、明らかに大きなターニングポイントとなる作品です」とコメントするなど、これからのさらなる飛躍を期待させる一冊だ。

2009年のデビュー作『桐島、部活やめるってよ』では不在の主人公の存在感から「スクールカースト」を炙り出し、2013年の直木賞受賞作『何者』では就活を舞台に「SNSによるコミュニケーションの変化」を描き出し、そして『正欲』では平成から令和へ移り変わる時期を舞台に「生き延びるために、手を組みませんか」と語りかける。作品を通じて、時代の空気と人々の心根を映し出してきた彼が、そうした社会への違和感をどのように捉えているのか。作家としてのキャリアを振り返りつつ、視点の持ちようや物語の描き方について語ってもらった。

「摩擦があることで熱が発生して、自分は生きていると思える」

──まずは『正欲』についてお聞きします。今作は物語よりも先にタイトルが決まっていたと別のインタビューで拝見しました。『正欲』というタイトルにされた理由、本作のテーマを教えてください。

朝井リョウ(以下、朝井):『正欲』を書くにあたっては、『死にがいを求めて生きているの』という小説を書いたことが影響しているので、少し長くなりますがそこから話しますね。『死にがい〜』は、2019年に8組9人の作家が「対立」を共通テーマに、それぞれの決められた時代設定を基に長編小説を書く「螺旋」プロジェクトに参加して書いた作品なのですが、そのプロジェクトで私は平成を担当しました。構想を練っていた当初、平成を象徴する「対立」があまりピンとこなくて、むしろ「みんな違ってみんないい」「個性の時代」みたいに、意図的に対立をなくして平らかに成ったのが平成なのでは、と思ったんです。だけど個性って他者との差異の中でようやく把握できるものだし、自由に生きてと言われても、そこで何かしらの役割みたいなものを欲するのが人間だよな、と感じました。もちろん「対立」をなくすことで生きやすくなる面も多いですが、対立ゆえ生じる摩擦がなくなることで、自分の輪郭や生きている実感のようなものを感じにくくなることもあるのかな、と。

──摩擦がなくなることは、生きている実感が失われていくことになると?

朝井:私の場合、例えばインタビューで、「どのようなモチベーションで小説を書いているのですか?」と聞かれると、「小説を書くことで、この世界や社会と自分との間にどのような摩擦を発生させたいのですか」と変換されて聞こえるんですね。他者や社会になんの摩擦も発生しないとわかっていても書くのですか、と。摩擦は影響や反響と言い換えてもいいでしょう。摩擦があることで熱が発生して、その熱が「自分は生きている」「自分には役割がある」「自分には生きている意味がある」という実感を与えてくれるという思考が、自分の中に根深くあるんです。その摩擦が他者や社会との友好的な関わりであるならば問題ないのですが、そうではなくなったとき、それが他者や社会にネガティブな影響を与えるものであっても私は無理やり摩擦を起こそうとするのでは、とよく考えます。

安易に繋げられる話ではありませんが、漫画『黒子のバスケ』の作者への脅迫事件のことを今でもよく思い出します。加害者の供述は、最初は、マンガ家志望者として成功している作者が妬ましかった、というものだったんです。だけど最終的には、「成功者を妬む漫画家志望」というのは自分の中の設定で、誰かを攻撃することで社会や他者とのつながりを感じたかった、というような論調に変わっていきました。対立、摩擦、社会や他者とのつながり、自分が生きているという実感。それらは、距離はあれどひとつの連なりであると、よく思うんです。

──摩擦が何もない状態、というのは平和ではなく、生死の瀬戸際に立たされること。だから、私達はつねに摩擦を欲しているのかもしれないです。

朝井:『死にがい〜』は最終的に、あらゆる摩擦が何もない状態になった時、他者や社会を加害せず「生きる」を感じるには、という出口に辿り着きました。そのとき、このテーマをまた別の角度から深掘りすることになるだろうと思いました。『正欲』では最初から、「生と死のうち、生きるを選ぶきっかけになり得るものは何なのか」ということを主題に置いています。何が生へのエンジンになり得るのか、ということです。

何かを成し遂げた人のインタビューを読むとかなりの確率で、「家族のため、子どものため」がんばる、または「家族のおかげで、子どものおかげで」がんばれる、というような文章に出会います。「子どもの存在によって次世代の社会について考えるようになり〜」というような文章にもよく出会います。そのたび、自分の肉体のみを生へのエンジンとし続けることの難しさを痛感します。同時に、最も手っ取り早く自分の肉体以外のエンジンを手に入れられるのが家族制度で、現状の家族制度に自分を組み込むためにはほとんどの場合「好きになる、欲情する相手が異性の人間である」という種類の性欲、性的指向が必要なんだよな、とも感じます。でも性欲、性的指向は自分で種類を選べません。選べないものが、自分の命のエンジンの起点となりうる。性欲と社会の関係性、性的指向によって変化せざるを得ない社会との関わり方と死生観の関係性。書きたいことがどんどん定まっていきました。

子どものころ、「世界のヘンな事件特集!」みたいなものを読んだとき、今回の小説で扱った種類の性欲を犯行理由として挙げていた人がいました。特集では、おもしろい供述もあるものだ、みたいなまとめられ方をしていたのですが、私はそれを読んだときからずっと、この人の供述はヘンとかおもしろいとかで片付けていいものなのかとずっと疑問でした。その欲望が宿った人生について頭のどこかでずっと考えていました。そういう積年のもろもろが、『正欲』には集結しています。

タイトルに関してですが、性は人それぞれに異なるし、もはや名前をつけても意味がないほどグラデーションがあります。それなのに、性欲となると、どこか後ろめたい、正しくない欲望であるという感覚が誰しもにある。社会との関係性の起点となりうるものなのに――そのような感覚から、「性欲」という秘密めいた音に、パブリックなイメージのある「正」という文字を組み合わせるアイデアが出てきました。書いていくうち、それだけでない意味も加わっていき、結果として非常に頼もしい看板となりました。

“わからなさ”を認めることで、新たな境地へ

──『正欲』の中では「多様性」という言葉が頻出します。冒頭の「多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています」という一文は非常に印象的です。

朝井:多様性という言葉自体ではなく、多様性という言葉の使われ方がずっと気になっていました。たとえば、ある小説の帯で「LGBTの時代に〜」という文章を、別の本の帯では「多様性の時代を象徴する〜」といった文章を見かけたのですが、「いや、別に今がLGBTの時代なんじゃなくて、ずっといたよ」「多様性の時代っていうか、どんな人もずっと生きていたんだよ」と思いました。私たちは全員、そもそも多様性の内側にいますよね。多様性、つまり種類が多いという状態がまずあって、私達はその種類の多さの中のほんの一部にすぎない。それなのに、多様性を見つけた側、把握する側であるかのような物言いに出会うと、おめでたさを感じるんです。自分は多様性を“理解している”、多様性を“受け入れている”なんて、どの立場から言えるんだろうと。そもそも多様性を“受け入れない”という選択肢ってあり得るんでしょうか。自分もその内側にいるのに。

少し前に話題になった、LGBT理解増進法にまつわる「種の保存に反する」発言からは、“自分は把握する側だ”という認識を感じます。発言者はきっと、同性愛者同士では子孫を残せないという意味でそう言ったのでしょう。でも、異性愛者同士が子孫を残すまでに関わる社会の全てが異性愛者のみの手で回っているわけがない。この世界の人間同士は複雑に関わり合っていて、ある特定のバックグラウンドを持つ集団を「種の保存に反する」と指摘すること自体、そもそもできないはずです。その、把握できなさ、想像できなさ、わからなさへの自覚の大切さを、最近特に感じます。

小説を書いたり読んだりしていると、私達は多くの、理解どころか想像すらできないことの中で生きていると実感します。けれども、理解できないという状態は不安だし、それを受け入れることの難しさもよくわかります。私自身、わからない状態の不安から逃げたくて、把握する側に立ちたいと思いがちです。小説もプロットを組み立ててから書くのですが、それも恐怖心から。最近は、そんな私自身の“わからなさ”への苦手意識を減らしたいという思いがあります。自分の中にある“わからなさ”への自覚は、『正欲』を書くきっかけのひとつだと思います。

──確かに、過去のインタビューなどを読んでも、すごく計画的に考える方だなと感じていました。

朝井:その性質の根には、社会の方に正解があるという思考があったからだと、今になって思います。私は子どもの頃から極端に人の目を気にして生きてきました。それは、自分の外側に固定的で揺るがない正解があって、そちらに自分を合わせるべきだと思っていたからなんです。とにかく自分をチューニングしていました。でも、あたり前ですけど、社会の方がどんどん変わっていくんですよね。

大人になっても、他者の目線ばかり気にして「まともな人間に見られなきゃ」「多数派であらねば」という気持ちに支配されていました。会社で働いていたときも、当時は副業があまりよく思われていなかったこともあり、「他に仕事をしていると思われたらダメ」と自縛していました。それから8年くらい経った今、逆に副業が推奨されています。社会ってこんなにも変動するんだと最近ようやく実感できて、自縛が減りました。

小説も、これまでは、「世界があって、話者がいる」という書き方ばかりしてきました。それゆえ話者が世界とのズレに悩む、という展開が多かったです。だけど今後はその逆、「話者がいて、世界がある」という構造のものも書いていく予感があります。

──朝井さんはもともと青春をテーマに書かれる方という印象が強かったのですが、先ほどの『死にがいを求めて生きているの』や『どうしても生きてる』、そして『正欲』など、「生きる」というテーマに変わってきていらっしゃいます。デビュー当時から、どのような考えの変化があったのでしょうか?

朝井:青春小説は今でも大好きですし、これからもたくさん書くと思いますよ。ただデビュー当時は、当たり前ですが今よりもずっと余裕がなくて「売れなきゃ、生き残らなきゃ」と思っていました。「次の本が売れなかったら消える」みたいに、すごく短期的に物事を見ていました。また、エンターテインメントの賞でデビューして、その後も大衆小説の賞をいただいたのだから、多くの人が共感できるエンタメ作品を書かなきゃ、とも思い込んでいました。自分でルールを勝手に作って、その中で苦しむタイプなんです。他にも、お金を払っていただくんだから最後は丸投げしちゃダメとか、お金を払っていただくんだから現実を忘れられる気持ちのいい作品にすべきなのかとか、そうやって勝手に悩んでいました。だけどここ数年で急に「別に何でもいいじゃん」と思えるようになったので、青春エンタメ含め、何でも書きたいものを書いていきたいですね。

──私達は、朝井さんの目で切り取られた摩擦や社会への違和感を、小説を通して共有させてもらっているのですが、どのように摩擦や違和感を見つけていらっしゃるのですか?

朝井:私は自分のことを、とても普遍的で色んな場所で言われ尽くしていることを今の言葉と今のアイテムで書き直しているだけだと思っています。だから、私だけが見つけられる特別な摩擦や違和感なんてものはなく、たまたま私がそれを言葉にする仕事をしているだけだと思います。

2歩先の世界を書けるのが、小説の力ではないか

──SNSやLINEによって言葉が簡単にやりとりできるようになり、朝井さんもTwitterを用いた『何者』という作品を書かれました。SNSが一般的になり、最近は人を非難する傾向が顕著になっているように思います。そういう事象を、言葉について考える機会の多い朝井さんはどのように見ていらっしゃいますか?

朝井:SNSでの誹謗中傷が話題になると、「言葉は時に人を傷つけるナイフになる。使い方を考えないといけない」というような論を目にする機会が増えます。

でも誹謗中傷って、相手を傷つけるつもりで選ばれた言葉の集まりですよね。言葉は時にナイフに〜みたいなことは誹謗中傷をする人も重々承知のうえで、人を傷つけるナイフとして効果的な言葉を選抜しているわけです。なので言葉の使い方について考えようというのは本質的でない気がしていて、いま私が向き合いたいのは、実は誰の心にもある「誰かを傷つけてみたい」という加虐性のほうなんです。

「人を傷つけてはいけない」とか、「言葉は時に人を傷つけるナイフになる」とか、みんなわかってるんです。だけど「誰かを傷つけてみたい」という気持ちは何かのタイミングで誰の心にも芽吹いてしまう。自分の加虐性と言葉が脳内で結びついてしまうのは仕方のないことです。私もしょっちゅうあります。それを実際に外に発信しないため、まず自分の中に加虐性があることを認め、それを飼いならす方法を自分なりに見つけていくというのが大事な気がしています。

──それでも自分の中にある加虐性を認めることへの怖さはあります。

朝井:私も怖いです。気分が悪くなります。だけど、「誹謗中傷はいけません。人を傷つけてはいけません。SNS時代の言葉の使い方を学ぼう」みたいな話って、現状の1歩先を示しているようでいて、実はその場しのぎなだけなんじゃないかな、とも思うんです。「誹謗中傷をする種は誰もが抱えていて、その種とどう生きていくか」という話のほうが、1歩先のその先を示せているんじゃいかな、とか考えます。

現状の1歩先を示すことって、実はそんなに難しくないはずなんです。むしろマーケティングでできてしまう。でも2歩先を表現するっていうのは本当に難しい。それは、現状を1歩先へ進めようとしている試みを否定したり、それとは違う何かを提唱することで、痛みを伴うことだから。でも、それができるのが小説のひとつの力なのかなとも思います。

たとえば、「性的指向や性自認を第三者に暴露するアウティングを禁止する」という条例がありますが、目指すべきはアウティングが禁止される社会というより、どんなバックグラウンドを明らかにされても何も剥奪されず生き方を変える必要のない社会では、と思うんです。ただ、そこにいくまでには段階が必要で、その1つ目が「アウティング禁止」なのかなとか、悶々と考えています。私が話しているのはあくまで理想論で、今この瞬間に苦しんでいる人を救えるものではないので。

視野が狭いまま書き切る、という新しいチャレンジ

──作家さんによってさまざまな書き方がありますが、朝井さんはどのように小説を書かれるのでしょうか? 人物設定を綿密にされるタイプでしょうか。

朝井:正直なところ、小説の書き方を自分自身でもよくわかっていません。インタビューでは、その都度目の前にいる人を満足させるために話してしまうことも多いので、おそらく私の答えには一貫性がないと思います。

ただ人物を書くときは、書きたい人の周辺から書いていくことが多い気がします。Aという人物を書くのであれば、その側にいるBという人物から考え始めて、どんな人が側にいるのか、どんな対応をするのか、と考えていく。すみません、明日全然違うことを言っているかもしれませんが。

──パソコンの前に座って物語を考えられるのですか?

朝井:パソコンに文字を打ち込んでいる時は、ある程度物語はできていて、それを再現性高く表してくれる言葉を当てはめていっている、という感覚です。なので、物語を考えているのは日々の暮らしの最中だと思います。頭の中に積もった思考がどんどん発酵しはじめて臭い出すというか。その臭いを物語化しているみたいな感じです。

──朝井さんの小説は実体験から書かれているのかと思う描写も多いです。

朝井:これはよく訊かれますが、まずは「実体験かどうか」みたいなことを気にさせてしまっている自分の筆力不足に落ち込みますね。私は100%のフィクションも100%のノンフィクションも存在しないと思っています。小説の中で「おはようございます」という台詞が出てきたとして、それは私の想像力が生んだ言葉ではないし、エッセイで書いている実体験には確実に虚構の記憶が混ざっています。うまく伝わるかわかりませんが、例えば私がアメリカのサーカス団の女団長の一生を書いたら皆さんは「想像力で書いてる」と思うでしょうし、私が私と同年齢の日本の男性作家の話を書いたら皆さんは「実体験を書いてる」と思うでしょう。でも、どちらも私からすると等距離の他人なんです。

──『正欲』もそうですが、朝井さんの小説には複数の登場人物が出てきて、それぞれの視点で語られる設定が多くあります。それは物事を一面的に捉えない、という思いがあるからでしょうか?

朝井:『正欲』の場合は、1人称でひとりの語り手だとキャッチできる情報の範囲が狭すぎたんです。その範囲を最大限に拡張できるのが、3人称で複数の語り手、なんですよね。

視点に関してお話をすると、私はこれまで作家たるもの視野を広げて、どんな立場の人も共感できる物語を、みたいに気負っていたところがありました。ですが最近は、視野を広げるより、1人1人が持つ非常に狭い視野を狭いまま書ききるということにチャレンジしたい気持ちがあります。この時代にこういう視点の物語が書かれた、という事実を刻むというか。今の社会から見ると最低最悪な視点だとしても、そういう視点があった、ということを残してみたい、というか。その試みと、目の前の読者が楽しめるということを両立できれば、一番良いんですけどね。

朝井リョウ
1989年、岐阜県生まれ。小説家。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2013年『何者』で第148回直木賞を、2014年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。2019年『どうしても生きてる』がApple「Best of Books 2019」ベストフィクションに選出される。作家生活10周年記念作品として〔白版〕『スター』と〔黒版〕『正欲』を刊行。
Twitter:@asai__ryo

■『正欲』
著者:朝井リョウ
価格:¥1,870
発行:新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/seiyoku/

Photography Yohei Kichiraku

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連載「時の音」Vol.13 「アンブッシュ®」デザイナー・YOON 観察し未来を想像する これから大切になってくる観察力と考える力とは https://tokion.jp/2021/06/18/tokinooto-vol13-yoon/ Fri, 18 Jun 2021 06:00:16 +0000 https://tokion.jp/?p=37490 ファッションにおけるビジネスやシステムへのアプローチが過度期の今、YOONが考える2年先の未来とは。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に、今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、ナイキやモエ・エ・シャンドンといったグローバル企業とのコラボレーションや「ディオール オム」のジュエリーデザイナーを手掛ける「アンブッシュ®」デザイナーのYOONが登場。近年、独学のファッションデザイナーたちが数々のステレオタイプを打ち壊していく中、彼女は社会学的な視点から未来を想像した表現とメッセージを力強く発信している。そのメッセージが世界中に共鳴として広がる所以はなんなのか?

それは取材を進めていく中で見えてきた、彼女が常に自身に向き合い、考え、更新しつづけようとする姿勢にあらわれている。そしてその日々磨かれる洞察力は、ファッション、街、人、社会にも向けられ、その先に現実味を帯びた未来への想像力がある。アメリカから東京へ拠点を移した8年前の景色やコミュニティの変容を思い返しながら、これからの時代に必要となる「考える力」について紐解いていく。

ルーティンを見つめ直し、それまでの自分の視点と異なる角度から物事を見るように

――ここ数年、ますますグローバルに活躍する姿をたくさん拝見するようになりました。「アンブッシュ®」のブランドとともに、YOONさんの優しさを持った強いメッセージが多くの人々の共感を呼んでいるように感じます。ちょっと変な質問かもしれないのですが、不安になったり、悩んだりすることってあるのでしょうか?

YOON : ありますよ。人間だから、もちろん(笑)。ずっとアウトプットをし続ける職業なので、アイディアがスッと出てこなくて悩む時もあります。でも、ブランドを立ち上げてから13年経った最近になって、そんな時は一旦考えることをやめて、違う視点や環境に身を置いてみるようにしました。そうすることで、プレッシャーから解放されて、自然とアイディアがどんどん出てくるようになったんです。前までは、アイディアが出ない自分にフラストレーションを感じながら、それでもデスクに向かっていたんですけどね。

――パンデミック後に海外へなかなか行けない中、そういうリラックスした状態に持っていくにはどのようなことをされていますか?

YOON : 最近、自転車を買ったことが大きいですね。渋谷の小道を自転車で探検して、仕事脳から一旦離れられるようになりました。それまでは、自宅からオフィスまで同じルートで歩いてたけど、パンデミック後に少し余裕ができてから、東京の新しい景色や場所を探してみようと思って。直感的に興味のままに動いて、純喫茶やおいしいご飯屋に出会うサプライズが楽しいですね。

――とはいえ、YOONさんは余暇だけではなく勉強の時間も大切にしていますよね。ステイホーム中は、ビジネスのオンラインクラスを受けたりしていたそうですが、最近勉強していることはありますか?

YOON : カメラについて勉強し始めました。これも始めた動機が、自転車と似ているんですけど、自分のルーティンを見つめ直したら、1つのことにすぐ飽きてしまう自分がいて。半年おきに変わるファッションサイクルの中で仕事しているからこそでもあるんですが、身近なことに対してもそんな感覚を持っている自分がすごく嫌だなと感じたんです。そんな時に、自転車と同じくカメラは、今まで自分が持っていた視点と違う角度から物事を見れるようにしてくれました。あとは単純にガジェットが好きで、ハマったらすごくナードになっちゃう性格なんです(笑)。

どちらも同じ景色や環境だと感じていたものを自ら360度さまざまに見つめている。

YOON : 脳も視覚も言ったら筋肉と一緒で、トレーニングが大事だと思うんです。一方でカメラを触り始めてから改めて、人間の記憶力ってやっぱり機械の記録には敵わないなって思いますね。

個が強くなる次代には「考える力」を持つことが必要

――2013年にアメリカから東京へ移ってきたときの感覚って、どのようなものだったか覚えてますか?

YOON : 当時は、正直言語の壁もあって半分わからない、もう半分は好奇心のままさまざまなことに刺激を受けていました。例えばファッションだと、日本では、モードとカルチャーの間にグレーゾーンが存在しますよね。それってアメリカだとファッション雑誌を見てわかる通り、モードの世界以外が存在しない。もちろん、カルチャーから生まれたファッションもあるけど、それは本当に場所に根付いたものだから現地ではあたりまえのものとしてある。だけど、日本はインポートされたカルチャーに対して、過剰な想像で組み上げて、独特のミュータントみたいなルックをつくりあげていく。当時は、雑誌「Relax」や「Boon」、ショップ「キタコレビル」からそういう独自のオタク的なロマンスを感じていました。だからこそ海外から日本に来た人達はインスパイアされて、もう一度再構築していくんじゃないでしょうか。

――オリジナルから刺激を受けて、自分達なりの新しいクリーチャーをつくっては、それが海外から見ると新鮮に映る。そういう人達が集まっていたシーンは、どこにあったと思いますか?

YOON : 南青山のクラブラウンジ「ル バロン ド パリ」ですね。あの場所は、すごく大切だったと思うんです。なぜかというと休日も平日も関係なく、世代を超えてさまざまな人達がフラットに混ざりあえていたから。そこで楽しく遊んで仲良くなってから、いつの間にか仕事につながってたりすることもあったし、のちにできた「トランプルーム」も然り。クラブカルチャーの大事なところって、そこなんですよね。

――パンデミック後ということもありますが、なかなかそういう偶然の出会いが生まれにくくなったような気はします。Instagramもある意味、偶然の出会いを呼び起こす可能性は秘めているけど、あくまでもフィルターを一個挟んでから対面するので、また違いますよね

YOON : どちらが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、Instagramが普及する前のクラブシーンでは、エクストリームなことがたくさん起きていた気がします。自分自身の見せ方もそうだったと思う。いまは部屋であろうとクラブであろうと「自撮りしてアップ」できるけど、当時は「撮られる」時代だったので、とにかくみんなクラブに行くってなったら、どれだけ派手にできるかが勝負でしたね。

――そういう状況って言い換えると、場所に付随した「その場所らしい」コミュニティみたいなカテゴライズがなくなってきているなとも思っていて。もっと細分化されていて、あらゆる場所でも個人の意思が尊重できるような時代なのかなと。

YOON : そうですね。これからの未来、もっとインディビジュアルになっていくと思います。今も通貨で言えば、中央集権的だったものが、コントロールから外れて1人ひとりが作れるようになりましたよね。そういうふうに個々人に力がある時代だからこそ、もっともっと個人が強くなって「考える力」を持たないといけないと思います。

――リアルとバーチャル世界の両方を手にする時代だからこそ、「考える力」がより必要になってきますよね。

YOON :近い将来、本当にマトリックスの世界みたいにリアルとバーチャルのラインがぼやけてくると思うんです。そうなった時に今SNSを通して見える世界は、あくまでもアルゴリズムによって、プログラムされているものだってことをちゃんと意識しておく必要がある。なぜかというと、最終的にネットの画面で見ているものを自分の中ではっきり正しいか否か考えて、行動しなきゃいけないから。もちろんテクノロジーやネットの進化で、新たなカルチャーや動きが生まれているので、私自身はリアルもバーチャルもどちらの良さも感じながら生きていたいと思います。だからこそ、まるでプログラムに洗脳されたゾンビのように、考える力を失いつつある人間像に懐疑的になるんです。

――これも先ほどおっしゃっていたように脳も筋肉と同じで、日々の意識として得られるものですよね。おそらく幼少期に受けた教育で思考方法も変わってくるんじゃないかなと。

YOON :これから人と違ってもいいから好きに考えて、というやり方に抵抗がない/ある人に分かれてくると思います。日本の教育方法は、どこか“reject”されることを怖がってしまって自分の意見が言えない環境をつくってしまっているような気がしていて。せっかく、こんなにカルチャーの歴史や熱量があるのにもったいないなと感じるんです。特に日本は2021年の段階で平均年齢が49歳、2025年の段階で50歳になる。そうなるとこれ以上大きなシステムが急に変わることは難しいと思っていて。その中でこれからの未来を担っていく人達には、周りの目線を気にすることなく、自分なりの考えをポリシーとして生きていってほしいです。一旦携帯から離れて、読書をしたり、自発的に勉強することで、自分個人で判断できる力を持ってほしい。

さまざまなノイズに埋もれないように、自分のメッセージをより強く伝える

――「アンブッシュ®」としては、今後何が一番力になってくると思いますか?

YOON : もちろんビジネスが成り立つことを前提としていますが、自分達のメッセージや描きたいビジュアルをさらに強く発信することですね。2015年前後から、ハイブランドもファストファッションも影響力が大きくなってきて、そうすると「アンブッシュ®」みたいにその中間地点にいるブランドの需要が狭くなってくる。プラスして、ファッション以外にもさまざまなノイズが日々起きている中で埋もれないように、自分達のメッセージをより強く伝えていく必要があると思ってます。

――近年、ファッションのシステムへのアプローチもブランドによってさまざまに分かれ始めてますよね。

YOON : ブランドの規模と拠点次第ですよね。「アンブッシュ®」の場合は、パンデミックが起きる前からいつも2年先のことまでグローバル規模でプランが決まってました。なので、今フィジカルでファッションウィークには行けないけど、そういうふうにグローバル規模で動くバイイングのリズムには、パンデミック前から慣れていってよかったなと改めて感じました。あとは、ブランドのコンセプト次第なので、どちらが正しいという話ではないのですが、オンラインショップを持っているかどうかでも大きな影響があったと思います。

――どのようにこれからの未来図を想像していますか?

YOON : まず、いつもリアリティを考えるときに、あくまでも自分から見ている世界と実際に起きている世界は、別ものだと意識してます。自分の視野の広さ次第で、実際起きていることの全体を見ているか、一部しか見ていないかが変わってくるじゃないですか。でも逆に、こんな宇宙の中のちっぽけな地球の中で、私達が生きているというリアリティも感じなきゃいけないと思っていて。そう考えると、小さな惑星の中でも1人ひとりの意味が生まれていることにすごく感動します。もしかしたら近い将来、食料や災害などの関係でジェフ・ベゾスやイーロン・マスクが実践している通りに、みんなで月に行く可能性もある。まだその実現性なんて私にはわからなけど、いつかそうなった時に、地球というジャングルの中でクリエイティブなメッセージを伝えていたことの大切さを忘れたくないなと思ってます。

YOON
韓国生まれ、アメリカ育ち。大学時代からのパートナーであるVERBALとともに「アンブッシュ®」を2008年にスタート。2017年にはLVMHプライズのファイナリストに選出される。2019年春夏から「ディオールオム」のジュエリーディレクターも務める。

Photography Steve Gaudin
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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