小石祐介 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/小石祐介/ Wed, 28 Feb 2024 03:49:48 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 小石祐介 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/小石祐介/ 32 32 『PERFECT DAYS』が世界に接続した新たな東京像 不完全な街と不完全な人間から生まれる静かな豊かさ——連載「ファッションと社会をめぐるノート」第3回 https://tokion.jp/2024/02/27/notebook-on-fashion-and-society-vol3/ Tue, 27 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225411 巨匠ヴィム・ヴェンダースが役所広司を主演に贈る映画『PERFECT DAYS』。そこに映し出された東京という都市の相貌・現在性を、小石祐介が紐解く。

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東京の都市像の映像化とその成功

 2023年10月の日比谷は夏のような熱気で、街は外国人観光客が溢れていた。そんな中、カンヌ国際映画祭で役所広司が男優賞を受賞したことでも話題を呼んだ映画『PERFECT DAYS』が、東京映画祭のオープニング作品としていち早く上映された。シートに座って館内が暗くなり、役所広司が演じる平山が小さな古いアパートで目覚めるシーンがスクリーンに映った。平山が木造の六畳間で覚醒するのと同時に私は映画の中に引き込まれた。日本を舞台にした日本語の映画だったが、間違いなくヴェンダースの映像だった。エンドロールが流れる前にこの作品は重要な作品になると直感した。特に日本と海外を往来するクリエイター達にとってだ。なぜなら、2020年代の「東京の都市像の映像化」に成功した作品は無かったからだ。視覚化された都市像は我々日本に住む人が、海外の人とコミュニケーションを取る際の共通言語になる。「あの東京」と言えるようになるから。年が明け、数ヵ月経ってもまだ映画の余韻が残っている。

 『PERFECT DAYS』が映し出した東京は「今の東京」を紛れもなく映していた。役所広司が演じる平山はトイレを清掃する清掃員。スカイツリーの見える東京の東側に小さく居を構えている。そして働くエリアは東京の西側、渋谷区の公共トイレ「THE TOKYO TOILET」だ。平日は目覚ましがなくても早朝に誰かが外で箒を掃く音でいつも目が覚める。ひげを剃り、歯を磨き、植木鉢に霧吹きをかけ、清掃員の格好に着替えて時計や小銭を持って外に出る。現金主義、QRコード決済なんて使わない。車は赤帽車としても使われるダイハツ・ハイゼット・カーゴ。労働者の車だ。朝食代わりの缶コーヒーとカセットテープの音楽をともにしながら、平山は東京の東側から西側に向かう。ダウンタウンからアップタウンへと向かう、東京近郊で生活する人々のリズムのリアルさがここでは描かれている。東と西の都市経済の濃淡のリアルを描くこのシーンは、ロードムービーの名手であるヴェンダースだからこそ、程よい湿度感で切り取られていると思う。朝日に照らされる道路の風景はヴェンダースの作品を知っている人にも既視感がある。1989年にヴェンダースが山本耀司を撮った『都市とモードのビデオノート』でも映る道路の風景だ。

TOKYOという幻影を求めて

 東京で海外旅行者を見かけない日は無くなった。2003年は521万人だった入国者数は2023年には2500万人、20年で約5倍に増えた。コロナパンデミックで落ち込んだ空白期を乗り越え、月間外国人入国者数はついに2023年の年末にコロナ前の2019年の数字を超えたのだ。京都あるいはニセコといった観光名所は外国人観光客で埋め尽くされているが、東京も同様だ。銀座、表参道を歩いているうち半分以上が海外からの旅行者ではないかと思う時がある。円安の状況も手伝ってTOKYOの街に引き寄せられる人は増えた。この外国の人たちが求める東京像とはどんなものだろうか。

 過去に東京の映像化を作り出すことに成功した作品で代表的なのはソフィア・コッポラによる『LOST IN TRANSLATION』(2003)だ。未だに海外の人を魅了するこの映画の作中には、当時の海外から見たTOKYOのカルチャーの断片が映し出されていた。テクノロジー、カラオケ、コスプレ、クラブ、フェティッシュカルチャー、ファッション、音楽、テレビ番組、伝統文化など、一見相容れないカルチャーの記号が街の中で撹拌し織り合わされた、エコノミックアニマルが住む得体のしれないTOKYO像。そこには藤原ヒロシや、DUNEの編集長であった林文浩、ロケハンに関わった野村訓市、HIROMIXなどがカメオ出演している。2003年に発表されたこの作品は、特にヨーロッパとアメリカの人々にとって、真新しさとエキゾチックさが共存する都市を求める人々の心を掴んだ。映画の舞台となったPARK HYATT TOKYOではNIGOが選曲した音源をホテルにリクエストすると聞くことができる。映画公開から20年が経過した今も映画の中で描かれた都市の幻影を追いかけて、この街とPARK HYATT TOKYOを訪れる人々が絶えない。この映画で描写された東京の生活は、渋谷、新宿といった東京の西側のシーンが中心だったことも指摘しておきたいと思う。一方、『PERFECT DAYS』で描かれた東京は誰もがアクセスできるという意味でリアルだ。知り合いがいないと入れないような秘密の東京(Best-kept secret Tokyo)ではない。公園、居酒屋、古書店、コインランドリー、木造のアパート、西側のトイレであり、永遠に終わらなそうな都市計画の途上にある東京の町並みと東西を結ぶ路上の風景だ。それは東京に暮らす多くの人々にとっては珍しくない、一度は触れたことがあるような日常の風景だ。

始まりが映画ではなかったからこそ生まれた映画

 『PERFECT DAYS』のプロデュースと共同脚本を務めた高崎卓馬、そして共同プロデューサーであり映画の資金提供者である柳井康治によれば、この作品は数々の偶然から生まれたものだという。映画の舞台となったTHE TOKYO TOILETは渋谷区に設置された公共のトイレだ。トイレと言えば、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で、その陰鬱さにこそおもしろみや独特の美があると評したが、読者はどう思うだろうか。THE TOKYO TOILETはトイレの影の部分をスターアーキテクト、デザイナー達によって照らすプロジェクトだ。坂茂、安藤忠雄、そしてNIGOやMark Newsonといった世界的建築家やデザイナーによって作られた17ヵ所のトイレは、ファーストリテイリングの柳井康治のキュレーションによって誕生した。実は、THE TOKYO TOILETのトイレを大切にきれいに使ってもらうにはどうしたらよいかという話について柳井康治と高崎卓馬の両名でカジュアルなブレストをしたことがきっかけとなって『PERFECT DAYS』が生まれたという。映画誕生の詳細については、『SWITCH』2023年12月号の「PERFECT DAYS特集号」に高崎と柳井の対談が掲載されているのでぜひご覧いただきたい(注1)。  

ハリウッドの対岸から制作された映画

 ヴェンダースは何と言ってもロードムービーの名手だ。『都会のアリス(Alice in den Städten)』(1974)、『まわり道(Falsche Bewegung)』(1975)、『さすらい(Im Lauf Der Zeit)』(1976)の三部作、そして、彼を不動の地位に押し上げた『パリ・テキサス』(1984)もアメリカのテキサス州を舞台としたロードムービーだ。そしてこの『PERFECT DAYS』も東京を東西に走るロードムービーである。ヴェンダースはハリウッド映画に対する反骨精神を持つ監督としても知られる(注2) 。彼のインスピレーション源にはハリウッドの対岸から生まれた小津安二郎の映画がある。小津の映画は「真に国際的でありながら、アメリカ的帝国の一員にはならず、独自の帝国を築き上げた」とヴェンダースは熱く語っている。

「ヴェンダース、小津を語る」 /Wenders Discusses Ozu Short Version

 小津の映画作品から筆者は、芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』(1927)に書かれた芥川と谷崎潤一郎との議論を思い出す。小説は筋のおもしろさ、物語の構造が最も重要であるという谷崎の立場に対し、話らしい話のない小説にも強い価値を見出すのが芥川の立場だ。小津の映画は芥川が良しとする要素から成立している。作品は静的で細部までこだわり抜かれたセット、美しいカメラワークから作り出された空気感がある。奇抜なシーンや派手な筋書きは無く、そこに存在するのはテクスチャーの機微の連続的変化から生まれる豊かさであり、それ自体が作品なのだ。そしてヴェンダースはこの小津に影響を受けて映画を制作してきた。そしてこのはヴェンダースの経験を完全な形で日本映画として投影した作品がこの『PERFECT DAYS』だ。

小津の平山、ヴェンダースと高崎の平山

 高崎卓馬は『PERFECT DAYS』の主人公に「平山」と名付けた。この名は小津映画にもたびたび登場するが、高崎によると意図したものではなく偶然だったらしい(注3)。小津の平山で有名なのは『東京物語』(1953)の主人公である平山周吉(笠智衆)、そして『秋刀魚の味』(1962)の平山周平(笠智衆)だ。映画で描写される小津の平山の日常は、当時の日本人にとって当たり前のものだったかのように錯覚するが実はそうではない。60年代も日本はまだ貧しかった。黒澤明の『どですかでん』(1970)は『秋刀魚の味』よりも後に制作されたものだが、貧しく荒んだ街が舞台だ。大島渚の『愛と希望の街』(1959)は小津の『東京物語』と同じく50年代に生まれた作品だが、舞台はやはり荒んだ東京であり、主人公は貧しい子どもだ。同じ昭和でも小津の描く世界は裕福だ。

『東京物語』の平山の息子は開業医や教師であり、『秋刀魚の味』の主人公の平山は丸の内近隣の大手企業の重役で登場人物の多くがホワイトカラーである(注4) 。

(注1)配給会社のBitters Endの公式アカウントではPERFECT DAYSに関わった関係者のインタビューが公開されている。映画と併せて見ると面白い。

(注2)ハリウッド映画といえば銃撃戦、戦争、英雄譚、ラブストーリー、資本主義のどん底とアメリカン・ドリームといった物語の様式だ。それらの多くは実際にアメリカ社会で起き得るシーンである。アメリカ社会の現実がハリウッド映画にリアリティを与えてきたとも言えるが、世界のどの国でもこのようなリアリティを持つかというとそうではない。

(注3)オンラインメディア「後現代 | POSTGENDAI」での高崎卓馬 (『PERFECT DAYS』共同脚本・プロデュース)のショートインタビューの中でこのエピソードが語られている。https://postgendai.com/blogs/postgendai_dictionary/takuma_takasaki

(注4)『秋刀魚の味』は、平山の娘である平山路子(岩下志麻)の縁談が物語に登場するが、ファッションの視点から見ても平山の生活が豊かなことがわかる。実際、この岩下志麻の衣装を手掛けたのは森英恵だった。平山家の調度品も、料亭もさながら『家庭画報』に登場するようなものたちだ。

『秋刀魚の味』のトレイラー(松竹)

 『PERFECT DAYS』の映画の中で、平山の妹が運転手付きのレクサスで登場する場面で、この平山は元来裕福な家の出身で自らの選択で家族と断絶し、東京の東側でひっそりと暮らしていることを我々は知る。もしかすると『PERFECT DAYS』の平山は、小津映画に登場する平山の親族なのかもしれないと筆者は思った。

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と書いた。小津と同時代に作られた映画の多くが、社会問題が燻る世界を舞台とした。しかし、大戦中に徴兵され激動の人生を歩んだ小津が、ある種、幸福な世界を舞台に選んだのは「どれも似たように描かれうる舞台」だからこそ、自分の美意識が特徴的に際立つと考えていたからかもしれない。

 『PERFECT DAYS』の平山は東京のトイレ清掃員という役割を与えられた。彼が住む東京は、小津や黒澤の時代とは異なり、高度経済成長を経た後の東京である。バブル後の経済成長が失われた20年を経た東京はハリウッド的物語が映える場所ではない。この平山の生活を通して、今の東京の忘れられがちな日々の豊かさに気付かされる。平山が植木鉢に霧吹きをかけ、木漏れ日の写真を撮り(注5)、読書しながら眠りに落ち、夢を見る姿を見ると、彼がその豊かさを知っている人だとわかり、静かに平山に同意したくなる(注6)。

オリエンタリズムのまなざしに対峙

 2023年、日本の国家ブランド指数(NBI)(注7)が初めて世界1位になったそうだ。ランキングといったものは個人的にはそこまで意味はないと思うものの、この日本発信の映画が発表された年に世界1位になったのは奇遇である。

 『PERFECT DAYS』は日本のみならず世界中のオーディエンスを惹きつけている。昨年のカンヌ国際映画祭では平山役の役所広司が主演男優賞を受賞し、今年はアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。1月にはイタリアでも興行一位を記録し、つい先日、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターで行われた北米公開前夜のイベントは大盛況だったようだ。

 日本から海外を視野に入れて作品を発表する時には、海外からオリエンタリズムのまなざしが向けられることは不可避で、求められるのは東洋のエッセンスだった。その期待に応えて成功した映画は数多い。前述した黒澤明も、そして裏社会の人間模様を舞台装置として映画を作った北野武もそうかもしれない。日本でニュースになった社会問題を抽出し、海外の人間が解せる形で演出した作品もそうだろう。『PERFECT DAYS』にもそのまなざしが向けられているだろうが、ヴェンダースという外国人監督が撮った東京はそのような過剰な期待を中和することに成功した。

 日本人には舶来主義が染みついている。音楽、文学、映画、ファッションに至るまで、欧米、特にアメリカの文化をオーバードーズ気味に摂取してきたため自然なことではある。その結果、日本のコンテンツの逆輸入による例外を除いて、西洋社会の対岸に住む我々日本人自体が日本生まれのコンテンツを過小評価する奇妙な状況が起こりやすい(注8)。アメリカの音楽や小説を好む平山を見れば、彼も我々と同様、欧米の文化に強く影響を受けてきたことがわかる。制作陣の高崎卓馬や柳井康治という面々もそうだろう。その彼らが、50年近く前から日本の映画に着目してきたヴェンダースと邂逅し、共に今の「東京像」を提示したこと自体、一つの大きな物語だと思う。 

 『PERFECT DAYS』が提示した「東京像」はTOKYOに新たな意味を付与した。我々の知っている東京の風景が世界に流れ、それについて国境を超えて語ることが可能になったことはこの映画の大きな成果だ。ニーナ・シモンの「Feeling Good」が鳴り響く最後のシーンは、平山が運転するワゴン車の車内だ。その車内は東京に限らず世界のどこにでも存在し得る小さな空間だ。その様子は我々を揺さぶる。揺れるのは我々の人生の記憶である。東京を東から西へ走る車のエンジン音を運転席で感じている平山のように、映画館の観客はシート越しに今の東京の振動を静かに感じるのである。

(注5)作中、登場する木漏れ日の映像はドナータ・ヴェンダースによって一部撮影された。またこの映像は 「KOMOREBI DREAMS: supported by THE TOKYO TOILET Art Project / MASTER MIND」の展示で2023年12月22日から2024年1月20日 の間、104 Galleryにて公開された。

(注6)村上春樹は、エッセイ『村上朝日堂』で「小さいけれど確かな幸せ」という意味で「小確幸」という言葉を使う。これは平山の日常に通じる。激しい運動をした後に冷えたビールを飲むことなど、日常の些細な、ただ確実に幸せに感じられることの豊かさを表す。

(注7)対象国の「文化」、「国民性」、「観光」、「輸出」、「統治」、「移住・投資」の6分野で評価するアンホルトGfKローパー国家ブランド指数(Anholt-GfK Nation Brands Index)のこと。2023年に日本が史上初の首位になった。過去のランキングはWikipediaで一覧できる。トランプ政権が誕生する2016年までアメリカがほぼトップを独走していた。https://en.wikipedia.org/wiki/Nation_branding

(注8) 劇中ホームレス役として登場する田中泯の踊りを映像化し編集した『Somebody Comes into the Light』(音楽は三宅純)というショートムービーが公開された。前述の「KOMOREBI DREAMS」展のクロージングイベントにて、田中泯は、古事記に登場する天宇受賣命(アメノウズメ)の踊りについて語った。現代では踊りというと西洋ではバレエに立脚するが、本来はあちこちの少数民族の文化であり、それが植民地支配、時代の流れの結果、滅びてしまった。踊りということに立ち返れば、西洋的枠組みに囚われるのは制約になると彼は言及していた。ヴェンダースのハリウッド映画に対する感覚と通じるものがそこにはある。

『PERFECT DAYS』全国大ヒット上映中
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬
製作: 柳井康治
出演: 役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
製作: MASTER MIND 配給: ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124 分
© 2023 MASTER MIND Ltd.
Webサイト:perfectdays-movie.jp

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三宅一生による「3つの革新性」と「遠い射程のファッションデザイン」 https://tokion.jp/2022/09/22/fashion-designer-issey-miyake/ Thu, 22 Sep 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=145988 8月5日に84歳で逝去したファッションデザイナーの三宅一生について、小石祐介によるコラム。

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Issey Miyake by Brigitte Lacombe Courtesy of Issey Miyake

「過去」の人であり「未来」の人だった三宅一生

三宅一生が亡くなった。訃報が届いたその日、世界各国のファッション関係者からお悔やみの言葉がソーシャルメディアに上げられた。偉大なデザイナーであったこと、革新的であったこと、三宅一生本人との個人的な出会い。ありとあらゆる称賛がそれぞれの思い出と共に語られた。しかし、三宅一生と直接仕事で関わりの無い、一介のファッション業界の人間としては、いくつかの表層的な弔辞に違和感を感じたのも事実である。結果的にどれも三宅一生の仕事を捉えきれているような気がしなかったからだ。このテキストはその違和感を言語化するために書いている。これが三宅一生の輪郭を1つ描き出し、日本のクリエーションにとってプラスになることを願っている。

ファッションデザイナーから発明家へ 

三宅一生は日本の業界人にとって思い入れの深いデザイナーだ。一方、若い世代にとっては名前を知った時点ですでに「過去のデザイナー」だった。それは決してネガティブな意味ではない。むしろその特異な革新性によって三宅一生は早い段階で自ら過去の人となり、イッセイ・ミヤケはシンボルとなったからである。彼の革新性は主に3つある。

まず1つめの革新性は、言わずもがな彼がファッションプロダクトの発明家だったことである。ファッションデザイナーとしての三宅一生のキャリアは、1994年のプリーツ以前とプリーツ以後に別れる。高田賢三がオリエンタリズムの眼差しで受け入れられながらパリの地に拠点を置き「パリのデザイナーとして」活躍する中、三宅一生は日本を拠点に活動した。そして結果として、日本を拠点とする日本のブランドがパリで認められるきっかけを作ったのが彼だった。プリーツ以前のクリエーションは自身の日本のアイデンティティに、現代アートのアイデアを取り入れ、新しい身体性を追求するものだった。高田賢三と異なり、現代アートのアイデアとコラボレーションすることで「東洋人が作るもの」というオリエンタリズムへの眼差しを中和し、現代ファッションを創造することに心血を注いでいたと筆者は考えている。これは現代の東洋人のデザイナーが今も抱える脱構築のテーマである。この脱構築の取り組みは三宅本人が耕し、受け入れられる土壌が現地に醸成された後、川久保玲と山本耀司らによって回収されることとなる。「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」という、江戸の落首があるが、日本人デザイナーによるファッションの脱構築の文脈で言えば、高田賢三が織田にあたり、羽柴であったのが三宅一生だった。

実際、三宅一生自身のこのクリエーションの方向性はプリーツの発明以後に変わる。そしてこれ以降の三宅一生が実に面白いのである。三宅の服作りに貫かれる思想で有名なものが「一枚の布」である。これは東西を問わず、身体とそれを覆う布、そのあいだに生まれる空間の関係を、根源から追求するといったコンセプトであり、このテーマを糸からの素材開発から掘り下げて服を作ることが探求されていた。具体的なワンコンセプトでプロダクトを作り続けるというのは、ファッションブランドでは三宅一生が初めてだっただろう。この流れで1988年頃から始まった研究が結実し、1994年に「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」のブランドが生まれた。プリーツを使ったドレスは、ヴェネチアを拠点として活躍した画家であり衣装デザイナーのスペイン人のマリアノ・フォルチュニ(1871~1949年)によって過去に生み出されていたものだ。三宅一生はフォルチュニのドレスのアイデアを、素材開発と生産体制を整えること(宮城県にある白石ポリテックス工業が協力)で量産可能な1つの現代のプロダクトとして再解釈したのだ。

ISSEY MIYAKE Fall 1994/1995 Paris – Fashion Channel プリーツを使ったコレクション

プリーツ以後、通常のデザイナーが行う、パリのファッション史の文脈をシーズンごとにアップデートする螺旋から逸脱し「長く親しまれるファッションプロダクトの発明」という新たなファッションデザインの文脈を生み出したのが彼の大きな革新性である。この発明家としての三宅一生の立場を不動のものとしたのは「A-POC(エイポック、 A Piece Of Cloth)」だ。コンピューターで制御して布の段階で衣服を仕上げる「A-POC」は、1998年に入社4年目のスタッフだった藤原大(後に「イッセイ ミヤケ」ブランドのディレクションを担うこととなる)と三宅一生本人が主導で立ち上げたプロジェクトだった。

1999年にパリのランウェイで発表された「A-POC」の前進となるコレクションによって、「イッセイ ミヤケ」はランウェイを毎シーズン単に発表するファッションメゾンではなく、プロダクトを開発し発表するブランドであるということを世界的にイメージ付けた。一方、その代償に「ファッション」の文脈では最高点に達し、自らを「既存のファッションの文脈」では前に進めることを困難にしたとも筆者は考えている。「プリーツ」や「A-POC」レベルの発明を半年ごと、あるいは毎年ランウェイで展開するのは不可能である。長くいつまでも着られるデザインは流行り廃りを超えたプロダクトでありながら、毎シーズン変化を求める「ファッション業界」とは相容れなかった。革新的な発明も見慣れてしまえば「新しさ」だけに着目するメディアや人々にとって過去のものでしかないからである。その一方で、その発明が故に三宅一生は1人のデザイナーの名前を超えて、「イッセイ ミヤケ」の記号として世界に認知され続けるのだった。

行動家であり、啓蒙家であった三宅一生 

三宅一生の2つ目の革新性はファッションの価値を日本国内、海外の文化人、そして大衆に周知させたことだ。今でこそファッションが現代美術やプロダクトデザインの文脈で語られることも多くなったが、三宅一生がファッションを志した当時、これは「洋裁」として認識されていてデザインと見なされていなかった。彼は服飾デザインの社会的立場の向上にエネルギーを注いだ。一枚の布のワンコンセプトでプロダクトを生み続ける現代美術家のような考えを打ち出し、ルゥーシー・リー(Lucie Rie)や田中一光、そしてアーヴィング・ペン(Irving Penn)といったアーティストやデザイナーと行った協業は、今でいう「コラボレーション」というより他領域との「接続」によってファッションを底上げしようとした行為、むしろ「世間のファッションに対する認識をデザイン」しようとしていた、と見たほうがクリアな見通しな気がする。「イッセイ ミヤケ」の服は彼が全盛期の当時から女優や俳優といったセレブリティのみならず、建築家の磯崎新やスティーブ・ジョブズをはじめ国内外の数々のクリエイターや文化人によって好まれる服となったが、これは彼の接続したコミュニティと、文化性の結果に他ならない。先駆者の高田賢三はファッションデザイナーだったが、いつからか三宅一生は「イッセイ ミヤケ」の世界観に共感する人々へのユニフォームを提供していた。そしてこれはファッションの文化的認知向上なしにはなし得ず、その後も「ユニフォームを作る」というデザイナーの無意識は後世のデザイナーに継承されている。

こうして異分野のコミュニティへ接続する彼の革新性を支えていたのは並外れた行動力だった。その片鱗はまだ22歳の多摩美術大学の学生時代に1960年に開かれた「世界デザイン会議」に対して「ファッションをなぜデザインの領域に含めないのか?」と質問状を出したことにも表れている。大学を卒業し、その後に日本を飛び出して、1960年代にパリのサンディカで学び「ジバンシィ」のアシススタントを務めたと聞いてもそのすごさはあまりピンと来ない人もいるかもしれない。今では日本人が、ファッションの名門大学などを経て、LVMHやケリングといった会社で働いているといったケースも珍しいものではないし、ファッション業界の外でもアメリカのシリコンバレーのテック企業であるGAFAMやTESLAをはじめ数々の最先端の企業に就職している話を耳にするようになっているからだ。1960年代当時の「ジバンシィ」はオードリー・ヘップバーンに衣装を提供し、オートクチュールのトップメゾンを作り上げていた。日本人がまだ珍しかった時代のパリを訪れ、そのトップメゾンの門戸を叩いてアシスタントを務めた後、既製服に可能性を見出してアメリカへ渡りジェフリー・ビーンと仕事をし、事務所を立ち上げておよそ4年弱でパリに進出して国際展開を行うなど行動力が並外れている。ファッションを志したカニエ・ウェストとヴァージル・アブローがアントワープまで行ってラフ・シモンズの門を叩いたことが業界ではニュースとなったが、三宅一生も同様に独自の嗅覚で自分にとって必要な場所に自らを運び、ドアを叩き、周りを巻き込むのに長けた人だった。

鈴木芳雄のtweetで紹介された、1968年の三宅一生の姿。当時無名時代に平凡パンチでパリに住む人、という形で紹介されていた。

人を集めて、育てた経営者としての三宅一生

最後の3つ目の革新性は彼の経営者としての姿である。会社を経営的に潤したマネードライバーとなる、香水ブランド「ロードゥ イッセイ(L’EAU DE ISSEY)」、そして「プリーツ プリーズ」といったものを生み出しながら、彼は自分自身がまだ現役を続けられる段階で、社内のデザイナーに自身の「イッセイ ミヤケ」ブランドを任せた。現在30、40代でファッション業界で活躍する多くの人々にとって、記憶にある「イッセイ ミヤケ」のプロダクトは滝沢直己の下で生まれた「イッセイ ミヤケ」であり、2007年以降に作られた藤原大による「イッセイ ミヤケ」だろう。

三宅一生本人が一線から表向き退いたのは1999-2000年だった。三宅一生はまだ60歳だったことを思えばこれは勇気のある行動だったと思う。三宅は1993年に「イッセイ ミヤケ」のメンズラインを、1999年にはウィメンズのクリエイティブディレクションを自社のスタッフであった滝沢直己に任せた。そして、翌年の2000年には、ニューヨークに知見のある元ジャーナリストであり、松屋銀座のディレクションを行っていた太田伸之に経営を任せている。余談だが、その太田伸之がイッセイ ミヤケの社長でありながら「コム デ ギャルソン オム」のスーツを愛用していたという逸話がある。ある意味でこれも三宅の懐の深さを表すエピソードだと思う。

また本体の事業だけでなく、社内のデザイナーをスピンオフさせてグループ化したエイネットの組織を1996年に立ち上げた。この「イッセイ ミヤケ」一門からは小野塚秋良(「ズッカ(ZUCCA)」)、津森千里(「ツモリチサト(TSUMORI CHISATO)」)、津村耕佑(「ファイナルホーム(FINAL HOME)」)、高島一精(「ネ・ネット(Ne-net)」)、宇津木えり(「メルシーボーク(mercibeaucoup)」)といったタレントを輩出した。中でも「イッセイ ミヤケ」出身の小野塚秋良の「ズッカ」は日本のブランドとして一時代を築き、事業として大きなマネードライバーとなったブランドである。そして「イッセイ ミヤケ」からは前述したデザイナー以外にも、黒河内真衣子(「マメ クロゴウチ(Mame Kurogouchi)」)、高橋悠介(「CFCL」)、池内啓太と森美穂子(「アンドワンダー(and wander)」)と多くの出身者が活躍している。

創業者が存命かつ会社に在籍し、かつ後進にディレクションを任せながらも、ブランドが独立性と創業者の空気を維持したまま成立したのは筆者の知る限り、「イッセイ ミヤケ」を除いて今のところに日本はおろか海外にもまず存在しない。自らの不在を作ってなお存在感を維持したこと。これが三宅一生の革新性の一つである。

近いデザインから遠いデザインへ

ファッションデザイナーとしての三宅一生は2000年の到来直前にピークを迎え、そして表舞台から退いた。そして革新的な発明を中心にブランドのプロダクトを展開することで「従来のファッションデザイナー」としての役割を放棄し、ファッションの表側では自ら進んで「過去の人」となっていった。三宅一生をこうして眺めてみると、デザイナーとして彼がずっと行っていたことを一言でまとめると「遠い射程でのファッションデザイン」だったのではないかと思う。対象は衣服だけでなかった。三宅一生が道なき道を歩くことで、日本の「洋裁」は気がつけば「服飾デザイン」になり、「モード」、そして「ファッション」と呼ばれるようになった。大衆のファッションに対する認識を変え、ファッションへ参入する若者への間口を広げた。いま、日本だけでなく、アジア全体で「ファッションを、ファッションデザイナーを志したい」と誰かが親に話しているだろう。その親の脳裏にはきっとロールモデルとして「三宅一生」の姿が浮かんでいる。ファッションデザインは気がつけば三宅一生に追いつき、今ではデザイン領域の最先端となっている。彼のデザインの射程は、今のファッションのデザインから次第に未来のファッションになっていた。彼は人の装いを、デザインしながら、社会の様相を動かそうとしていた「様装家」だったのだ。

「一枚の布」のコンセプトを打ち立てた「一人の人」三宅一生。広島に生まれた被爆者であり、東洋人であるという逆境を超えて世界に向けて彼がデザインしていたものは、本人の自覚的なものか無自覚なものか定かではないが、いつの日からか衣服を超えてはるかに遠い射程のものとなっていった。彼は「『イッセイ ミヤケ』というエコシステム」をデザインし、そこから「ファッションという認識を人間社会でどこまで拡張できるのか」という問いに迫っていった。きっとわれわれは、そして未来の人々も、三宅一生が「デザインした場所」を通ることになる。

われわれは現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするにすぎない。現在はけっしてわれわれの目的ではない。過去と現在はわれわれの手段であり、未来のみが目的である。 

ブレーズ・パスカル 「パンセ」(1623-1662)

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連載「ファッションと社会をめぐるノート」第2回/中国について語る時に我々が語ること。 https://tokion.jp/2021/01/20/notebook-on-fashion-and-society-vol2/ Wed, 20 Jan 2021 06:00:42 +0000 https://tokion.jp/?p=17323 「社会」という観点からファッションの現在地と行く末を描き出す連載企画。第2回では、イデオロギーやオリエンタリズムを乗り越えて、中国で今新しく生まれているカルチャーと出会うために必要な手続きやマインドセットについて論じる。

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社会の様相が大きく変わりゆくこの現在において、ファッションのありようにはどのような変容が生じているのか? また、この先にはどのような可能性が残されているのか? 本連載で綴られていくのは、そのような問い掛けへの応答であり、ファッションの可能性の中心である。
国内外のファッションブランドのプロデュースやコンサルティングなどを手掛け、創作や評論活動も行う小石祐介が、「社会」という観点からファッションの現在地と行く末を描き出す連載企画。第2回では、近年ますます存在感を高める中国において、今新しく生まれているカルチャーの胎動と、それに直接触れるために必要な手続きやマインドセットについて論じていく。

Photography KLEINSTEIN

“If Biden wins, China wins”(バイデンが勝てば、中国の勝ちだ)

2020年11月に行われた米国の大統領選挙はバイデン候補の勝利に終わった。ファッション関係者をはじめ、多くの人々が歓喜の声を上げている姿が目立つが、世界の先行きはまだ不透明だ。印象に残ったのは、多くのメディアやセレブリティをはじめ、マスメディアのスタンスが明らかにバイデン候補に有利のように見えたのにも関わらず、4年前の選挙同様に大方の世論調査が軒並み外れ、選挙の命運を決めた州の票差が想像以上に僅差で終わったことだ。結果として投票者のうち約半数の7400万人が、失策続きと酷評されてきたドナルド・トランプへ投票したという現実を世界は目の当たりにすることとなった。最低人気の候補者達による選挙と揶揄された、パンデミック下の選挙だが、両候補は歴代大統領選の得票数を更新しそれぞれ得票で1位、2位を塗り替えた。

If Biden wins, China wins”(バイデンが勝てば、中国の勝ちだ)
米国のソーシャルメディアの動向を観察していた私は、ドナルド・トランプが発したこのシンプルなメッセージが、コロナウィルスのパンデミックが悪化するに従い米国の有権者と世界各国の人々の心を揺さぶったのを目にした。アジア人に対する視線は徐々に厳しくなり、若者のコミュニティから支持者を集めた快活な大統領候補者、台湾系アメリカ人のAndrew Yang(アンドリュー・ヤン)も肩身が狭そうに映った。
トランプのメッセージは「中国」への意識をより顕在化させた。その一方で数ヵ月もの間、米国国内、そして選挙に関心のある世界各国で語られた中国についての話題は、ソーシャルメディア上に持ち寄られた情報を根拠にした政治経済の話題でしかなかった。幅広い教養を持っていると少なくとも世間一般に思われているリベラルな文化人や評論家でさえ、中国について語る時に語ることといえば、金と政治の話ばかりである。

選挙期間中、前回のトランプ勝利を当てた世論調査会社や著名人にインタビューマイクが向けられていた。数々のインタビューの中で私の印象に残ったのは、両陣営の選挙キャンペーングッズを生産していた、中国浙江省にある義烏(Yi Wu)の工場の若いオーナーだった。
「今のところトランプグッズの発注数が多いので今回も彼が勝利するんじゃないかと思いますよ」と若いオーナーは飄々と嬉しそうに語っていた。米国ではトランプ、バイデン両陣営の支持者が中国の台頭を警戒する中、キャンペーングッズを作って大金を稼いでいる中国の工場のオーナーが笑顔で選挙情勢について答えるというのはなんとも皮肉だ。「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と書かれたグッズが無造作に積まれた山の目の前で、「TRUMP PENCE 2020」とプリントされた旗が作られ、その隣では「BIDEN HARRIS 2020」の旗が作られている。その様子はもはや現代喜劇である。チャーリー・チャップリンがもし生きていていたら、笑いのネタにするに違いない。トランプ大統領が言ったように、この工場のオーナーは選挙の勝者に違いなかった(実際にこういったシーンはThe New York Timesで取り上げられた)。

この現実のシュールなワンシーンは、グローバル社会の複雑さの一面を表している。人々は世界の動きを議論するとき、単純なストーリーを描き、すぐに結論を短絡的に決めつけがちだ。しかし、世の中はシンプルではなく、複雑さを孕み、矛盾を抱えたまま動き続けている。私にとって中国という国の面白さは、単純なストーリーで取り切りきれない、グローバル社会の根本的な矛盾や複雑さ、そして怪しさを受け入れながら、バイタリティあふれる姿で生きる人々が大勢いるところにあるのだと思う。おそらく、Higher Brothersが“Made in China”で歌ったのは、この現実の複雑さに違いない。

”My chains, new gold watch, made in China We play ping pong ball, made in China 给bitch买点儿奢侈品 made in China Yeah Higher Brothers’ black cab, made in China.”
[Higher Brothers x Famous Dex – Made In China (Prod. Richie Souf)]

Higher Brothers x Famous Dex – Made In China (Prod. Richie Souf)
Photography KLEINSTEIN

グレート・ファイアウォール、そしてそこに貼られた壁紙

中国はGDP世界2位の大国にも関わらず日本語や英語で調べられる情報はかなり限られている。ここまで毀誉褒貶が激しい国も無いだろう。日本語や英語で情報を発信している各国の中国通の嗜好は偏り、強いフィルターがかかっている。英語で調べられるものは、欧米受けしやすいオリエンタリズムの眼差しで中国を見る人たちに向けたヴィジュアルやストーリーで、日本語で調べられるものは親日や反日といった紋切り型のバイアスを通したものが多い。
「欧米メディアは中国の悪い所を誇張し過ぎです。中国メディアは中国を褒めすぎです」と語るのは中国南京市在住のドキュメンタリー作家の竹内亮だ。彼が制作した『好久不见,武汉(お久しぶりです、武漢)』というパンデミック後の武漢を撮影したドキュメンタリーはweiboで1日で1,000万回以上再生された。日本で生活する中国人、中国で生活する外国人を取り上げる、「我住在这里的理由(私がここに住む理由)」という番組も面白い。彼の配信するドキュメンタリーのように現地の人々の日々の姿を配信するメディアはまだ少ない。結局のところ、更に自分の関心に沿って「今」の情報を調べるには微博(Weibo)、大众点评(Dian Ping)、百度(Baidu)といった現地のサービスを使い、簡体字を打ち込んで調べ、そしてリアルな人と交友を持つ必要がある。慣れない簡体字を打ちながら調べていると「インターネットの限界と現実の広大さ」を突きつけられる。我々は非英語圏の世界を調べるとき、つい英語で調べたものを世界そのものだと考えがちだが、そうしたやり方で見つかるものは氷山の一角に過ぎないのだ。そこで見つかる情報は全て英語話者のフィルターを通していているからだ。
このような視点を共有できる多国籍のメンバーで構成されるデザインチームが、ジェンダーレスなユニフォームを作るレーベルBIÉDEを立ち上げた。そのプロデュース、マネジメントをクラインシュタインが行っている。コレクションのヴィジュアルは北京在住の写真家・映画監督のQuentin Shih(时晓凡/クエンティン・シー)が担当した(TOKIONでもインタビューが掲載された)。彼は「ディオール」や「ルイ・ヴィトン」といったクライアントと仕事をしながらも、欧米が期待するオリエンタリズムの眼差しにそのまま応えることはせず、欧米と中国という二項対立に対して批評的な作品を作り出している。

BIÉDE COLLECTION 01 VIDEO02
MOVIE Creative Direction by BIÉDE
Video by KANGHONG Image
Production by KANGHONG Image – YUANTING / BEIJI / KANGHONG
Music “Groovy” by SOULFRESH BEATS
© BIÉDE Photography Quentin Shih(时晓凡)

文革の後半時代に中国を訪れ、後にパルム・ドール受賞することになる映画監督の陳凱歌を含む、数々の文化人と交流を築き、中国文化を日本に紹介してきた映画研究者・文学者の刈間文俊は、とあるエッセイの中で詩について触れている。互いに信頼し合う詩人や作家たちは、かつて酒を飲みながら社会を風刺する詩や散文を披露し合っては、すぐにそれをゴミ箱に捨てたのだという。その時代の「今」を切り取った作品たちは、立ち上がったその場で儚く一瞬で消えていったようだ。
外国人のために作られた装飾の情報を掻い潜り、グレート・ファイアーウォールを乗り越える。その壁を乗り越えた先にも存在する幾重にも重ねられた膜をかいくぐると、オリエンタリズム、エスニック、イデオロギー、あるいは金や政治の話題で切り取りきれない、カルチャーの輪郭、未開の新しいシーンが存在する。

孔子は『論語』で「子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉」という言葉を残した。
これは大勢の人が嫌うからといって、自分自身で確認せず判断をするな。また、大勢の人が好むからといって自分自身で確認を怠ってはいけない、という意味だ。2500年前に綴られたこの言葉は、強く今の我々にエコーする。
壁の内側でしか見ることのできないシーンはこの文章が読まれる間にも生まれている。気がつくかどうかは我々次第なのだ。

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連載「ファッションと社会をめぐるノート」第1回/新しいカルチャーは乱世から生まれる https://tokion.jp/2020/10/29/notebook-on-fashion-and-society-vol1/ Thu, 29 Oct 2020 11:00:47 +0000 https://tokion.jp/?p=9851 「社会」という観点からファッションの現在地と行く末を描き出す連載企画。第1回では「ドナルド・トランプ以降の世界」における、ファッションのオルタナティブな表象と可能性を探る。

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社会の様相が大きく変わりゆくこの現在において、ファッションのありようにはどのような変容が生じているのか? また、この先にはどのような可能性が残されているのか? 本連載で綴られていくのは、そのような問い掛けへの応答であり、ファッションの可能性の中心である。

国内外のファッションブランドのプロデュースやコンサルティングなどを手掛け、創作や評論活動も行う小石祐介が、「社会」という観点からファッションの現在地と行く末を描き出す連載企画。第1回では、ドナルド・トランプ以降の社会と、そこに立ちあらわれたオルタナティブなファッションの潮流について論じていく。

「政治とファッション」、といってしまうと堅苦しい感じのテーマに見えてしまうが、「インフルエンサーとファッション」と言えばどうだろうか。かなり見慣れた話題になると思う。この連載では、普段ファッションメディアでは語られることが少ない社会のニュースを観察しながら、ファッションについて書いていきたいと思う。

ドナルド・トランプが「インフルエンサー」となる世界で

今年の6月、イギリスのDAZED STUDIOが発表したトレンドレポートの『The Era of Monomass(https://dazed.studio/monomass/)』には、この過去数年を総括する上で、いくつか興味深いトピックがあった。そこにはCOVID-19下でのYouTube、tiktok、Instagramの利用率とユーザー数の増加、ジェネレーションZの分析などが掲載されていたのだが、中でも最も印象に残ったのは、インフルエンサーについて書かれた”WHO’S INFLUEZTIAL NOW”のページだった(The Era of Monomass, p.212)。

そのページには、カニエ・ウェスト、キム・カーダシアン・ウェスト、ビヨンセ、ビリー・アイリッシュやトラビス・スコット、G-DRAGON、若き環境活動家のグレタ・トゥンベリ、前アメリカ大統領のバラク・オバマといった面々の写真がピックアップされていた。各人物の写真は丸で囲まれていて、丸のサイズが影響力に比例しているようだ。どの人物も強力なインフルエンサーだが、カニエ・ウェストを抑えて一番大きな丸で囲まれていたのが、赤いキャップを被ったドナルド・トランプだった。確かに日本に居る自分にとってもドナルド・トランプというキーワードを見ない日は少なかったような気がする。オバマ政権時代ではあり得なかったことだ。トランプ政権の誕生によって、インターネット空間も実社会も騒々しくなったものである。アメリカに住む人にとってはおそらくもっとそう感じるのだろう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』では悪い冗談として描かれていたシーンが現実のものとなったのだから。

ファッションは、単なる衣服の流行ではなく、もっと大きな社会の様相を指す

その騒々しい世界に、新型コロナウイルスが登場し、今世界は荒れている。このタイミングにこそ、ファッションデザインについて考えてみたい。ファッションデザインとは服、シューズ、バッグ、アクセサリーといったものを作る仕事のことをいうのだろうか。あるいはスタイリングやヴィジュアル、総合的な組み合わせを行うディレクションまでを指すのだろうか。

僕たちがファッションについて語る時、人が身につけているものだけではなく、その周辺についても無意識に語っている。ファッションには、聴いている音楽、あるいは聴かなくなった音楽、好きな作家やアーティスト、スポーツ、あるいはソーシャルメディアでフォローしている人やブロックしている人といった情報、その人の仕草や振る舞い、言葉といったものが含まれるのだ。9月の全米オープンの試合中、大坂なおみはマスクを使って静かにBLACK LIVES MATTER(BLM運動)を支持した。彼女は今、最も代表的なリベラルなファッションアイコンの一人だが、彼女が何かを身につければ、本人のアティチュードと共鳴して、新しいアイデンティティがそこに表れる。

我々のアイデンティティは、個人の外へ、そして社会に滲み出している。個人と社会との関係性がアイデンティティを支えているのだ。同様の話は30年以上前、ヴィム・ヴェンダースが、山本耀司をフィーチャーして撮影した『都市とモードのビデオノート』(1989)の冒頭で、ヴェンダース自身によって語られている。ファッションは衣服や流行にとどまらず、人の「装い」の「有様」の移り変わりとその表現という、もっと大きな社会の様相(ダイナミクス)のことを指しているのだ。

『都市とモードのビデオノート』(監督・出演:ヴィム・ヴェンダース 、 出演:山本耀司)

このことを考えて、僕は正式な日本語訳を未だに持たない「ファッション」のことを「様装(Yo-u-so-u)」(人の装いと有様の様相)という言葉に翻訳することにしている。 *〔注 : ちなみにfashionの語源はラテン語のfactioという言葉だ。これは何かをする、作るという動作を示している。フランス語でいわゆるファッションを指すmodeという言葉には流儀(スタイル)や状態といった意味がその背景にある。〕

この大きな視点でファッションデザインというものを改めて捉えてみると、「社会のうねりをつくること」もファッションデザインの一部であると言っていいだろう。

行き詰まった現状には、いつも「文化」が一撃を加えてきた

さて、この5年を振り返ると、国際社会で最も大きなうねりを作ったのはドナルド・トランプだった。彼をファッションデザイナーといってしまえば皮肉にしか聞こえないが、彼の一挙一動がファッションシーンならびにファッションデザインの方向性に多大な影響を与えたのは紛れもない事実である。ドナルド・トランプが、世界最強であり最大の経済大国である「アメリカ」を象徴することになった結果、その現状に対する抵抗運動があちこちで立ち上がり、ファッションではこれまで以上にダイバーシティというテーマが強力なものとなった。

結果として、トランプ政権の誕生により、皮肉なことにファッションそのものには面白いシーンが増えたと思う。ファッションにおけるイノベーションは、多くの場合、現状に対する「カウンター」から生まれるからだ。過去の1960年代のカウンターカルチャーと、70年代以降のファッションシーンは、第二次世界大戦後の動乱、ニクソン政権とベトナム戦争、共産主義を掲げる東側社会と西側社会の対立構造と社会不安がなければ強力なものにはならなかったはずだ。

その頃と同様、トランプの大統領選のキャンペーンが始まった2015年後半から2016年頃にかけてファッションにも新しいシーンが生まれた。その一つはゴーシャ・ラブチンスキー、デムナ・ヴァザリアに代表される旧ソ連出身のファッションデザイン、そして周辺のポップカルチャーの勃興だった。キリル文字が書かれたTシャツを街で見かけた人も多いと思う。K-POPスターのファッションへの影響はすでに大きかったものの、米国での流行が本格化したのもトランプ政権以降である。

トランプ政権により、アメリカがリベラル的指向性を失う過程で、「非アメリカ的存在」、「非白人のカルチャー」に焦点があたったのは偶然ではない。人々はInstagramを使っては国境を超え、訪れることのなかった「非欧米的な世界」にオルタナティブを探し求めた。

今では「トランプ政権が志向するシンボルの否定」が、現状のアメリカに対するオルナタティブな存在となっているのだ。「MAKE AMERICA GREAT AGAIN(アメリカを再び偉大に)」という言葉が書かれた赤いキャップは元の意味をもはや失い、リベラル側にとっては「アンチダイバーシティ」、「アンチリベラル」のアイコンになっている。カニエ・ウェストがその帽子を被ったことで、叩かれたというニュースを覚えている人も多いだろう。

40年前、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスは、エリザベス女王を冒涜し、ナチスの鉤十字を身に着けるという社会的タブーを犯してステージで暴れていた。その過激なスタイルによって彼は若者たち(必ずしも若者だけではなかったと思う)に反権力の象徴として見なされ支持されていたわけだが、我々が生きる現在では、「リベラル」、「ダイバーシティ」、「環境保護」といった至極まっとうに見える態度こそが現状に対するカウンターであり反権力の象徴になりつつあるというのは何だか皮肉なものだ。もしトランプ大統領が大多数から見て、聖人君子のような存在であったとすればこの構図は存在しなかっただろう。かつて触れられてこなかった領域に新しい前衛的な表現の可能性が広がっているのだ。

2020年の11月3日には大統領選挙が行われる。新型コロナウィルスで世界は混沌と化し、米国ではBLM運動が始まった。それは反政権へのうねりに向かい、ファッションシーンにも早速強い影響を与えている。

我々の社会は今荒れている。しかし、乱世の時こそ、新しいカウンターカルチャーは生まれる。歴史の中で、行き詰まった現状に一撃を加えてきたのはいつも人が生み出した「文化」なのだ。ファッションの世界にも今、目の前に新しい地平が広がりつつある。

Photography and Illustration Yusuke Koishi

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