マーク・リーダー Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/マーク・リーダー/ Tue, 11 Jan 2022 04:46:08 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png マーク・リーダー Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/マーク・リーダー/ 32 32 「行動すれば、チャンスは常にそこにある」音楽文化を輸出入する敏腕プロデューサー、マーク・リーダーの今 -後編- https://tokion.jp/2021/11/21/producer-mark-reeder-part2/ Sun, 21 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=75443 ベルリンの壁崩壊前の自由な西ベルリンから厳しく統制された東ベルリンに音楽を“密輸”していたマーク・リーダー。インタビュー後編は世界の音楽への熱源とベルリンを愛し続ける背景を探る。

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世界に音楽プロデューサーは数多いれど、ここまでベルリンを偏愛し続ける男はいないだろう、マーク・リーダー。プロデューサー、リミキサーとしての手腕やニック・ケイヴをベルリンに呼び寄せた男であり、電気グルーヴをベルリンに紹介した男であり、ニューオーダーの「Blue Monday」誕生の陰の功労者として語られる。そして、今は中国のバンドストールンのサポートに力を注いでいる。インタビュー後編では、世界の音楽文化の交錯を画策し注力し続けられているのか。その熱源とベルリンという街を愛し続ける背景を探ってみた。

音が良ければそれが証明になる。石野卓球をベルリンシーンに浸透させたマークの考え

――日本のテクノファンは知っている人も多いですが、マイク・ヴァン・ダイク が電気グルーヴの虹をリミックスして、ドイツでリリースさせたもマークですよね。その経緯について教えてください。

マーク・リーダー(以下、マーク):マイク・ヴァン・ダイクが日本に興味があるのを知っていたから、予算をレーベルで用意して彼を日本に送ったんだよね。彼がベルリンに持ち帰った日本の音楽をカセットで聴いてる時、その中の1つに電気グルーヴがあった。率直に言って感動したね。電気グルーヴが所属していたレーベルがソニーだったから、ドイツでのライセンスを手に入れることは難しいと思った。でも、リミックスにすれば、それを新たにリリースする許可がもらえると考えて問い合わせてみると「ソニーのドイツ現地法人が大丈夫なら」と言われて。現地のソニーが「リミックスを自分達でリリースしたい」とは絶対に言わないだろうとわかっていたんだけど。案の定、連絡しても彼等は興味を示さなかったので、大丈夫だった。そのお陰でマイク・ヴァン・ダイクが「虹」のリミックスを手掛けたんだ。これでドイツと違う文化でスタイルの音楽を、マイク・ヴァン・ダイクという馴染みのあるフィルターを通じて知ってもらうことができたんだ。後から「何か手伝うことある?」なんてことを言われたけど、すぐに無視をしたよ。

――そして卓球さんがラヴパレードに出演したのもその時期ですよね。

マーク:そうだね。1996年に初めて石野卓球と「E-Werk」でパーティを開いたよ。その数年後に彼はラヴパレードに呼ばれていると思うけど。実は卓球がドイツで最初にステージに立ったのは僕のパーティなんだよね。リミックスレコードをリリースしたばかりだったからで、観客の前で演奏することが、僕等にとって次のステップだった。蓋を開けてみるとみんな彼のエキゾチックなプレイに魅了されていたよ。それまで日本人のDJがドイツで演奏することなんてなかった。でも僕はみんなが知らないだけで、卓球のプレイを知っていたから呼んだ。彼が自分のパーティで演奏すれば、他の人を説得する必要がなくなるってわかってたからね。音が良ければ、それが証明になるから。

――話を聞いているとマークの活動全体につながりを感じられますね。

マーク:そうだね。僕の活動はすべてつながってる。若い頃にレコード屋でバイトして、違うスタイルやアプローチの音楽に触れることができたお陰で人生が変わっていった。だからこそ、卓球や電気グルーヴにドイツで演奏する機会を与える大切さを感じられたんだ。そうじゃなければ、未だにケン・イシイや日本の音楽シーンのアーティストをまったく知らず、ドイツテクノやデトロイトテクノばかりに注目していたかもしれない。きっかけがなければ、おもしろい音楽を作っている人達に良い機会があまりなかったと思う。

ベルリンでレコードレーベル・MFSを始めたのも、東ドイツの子ども達に自分を表現する機会を与えたいと思ったのがきっかけ。レーベルを作れたのは、たまたまベルリンの壁崩壊前に東ドイツにいた経験があるからだし、国のレーベルからリリースしていた公認のミュージシャンと知り合えて、統一後に国家に縛られず、自由に作りたいものを作るチャンスが突然生まれたという流れがあったから。あの時代のことを考えると、やる気がみなぎってくるよ。

――そこまでしてベルリンの音楽文化の発展に情熱を傾けてきたのにはどんな背景があるのでしょうか。

マーク:当時の東ドイツに住む若者達やさまざまな理由で機会を与えられてこなかった人達に「自分達は文化のない二流市民だ」と思ってほしくなかった。ベルリンは東西で違いがあっただけで、僕にとってベルリンは1つの街なんだよ。しかも彼等の苦しみは僕が生まれ育った環境と似てるから共感できるところがたくさんあった。貧しい家庭に生まれて、町の外れにあるカウンシルハウス(公共住宅)で育ったんだ。「教育」なんて誰も気にしてなくて、学校に行かなくてもいい年齢になったら働き始める。そんな感じで東ドイツの市民と僕の10代はよく似ていたから。彼等の生き方やライフスタイルと苦労を理解してるつもりだった。

これは東ドイツに限らず、チェコや他の(東側の)国にも当てはまるといえる。今はサポートしてるストールンが住んでいる中国が、ものすごくクリエイティブであることに気付いていない。適切なチャンスを与えて、彼等を心底応援してあげられれば、彼等は上達するし、成長するもの。プロデューサーとして、この特別な機会を持てたことを誇りに思うよ。

2022年に控えているラヴパレード。ベルリンという街に今も変わらず抱く期待

――今もベルリンという街に滞在し続けることで、自身は影響を受けていると思いますか?

マーク:1、2年前に同じ質問をされていたら、「NO」と答えていたかもしれない。でも、今はワクチン接種やマスクをつけることが政治的な問題になっているよね。今も不思議に思うんだけど、ワクチンやマスクに反対してるデモに、ネオナチと呼ばれるグループもヒッピーも一緒に参加している。普通だったら話さない対立しているであろう2つのグループが一緒に歩いていて驚いたよ。

――確かに僕も見かけました。

マーク:僕は正直に言ってそれが怖いんだよね。今までは「外国人が嫌い」だったり「ナチスが嫌い」とかいろんな考えで街がわかれていたけど、今では1つの共通の目的に融合されてしまった。この全体主義的なデモは、人々がどれだけ操られやすいか、宗教的な教化が可能かを示してる。この場合は「マスク反対、ワクチン反対」というメッセージを信じさせることができるけどね。でも、ベルリン自体に対する印象は変わらない。ファッションは年々変わっているけれど、今までと同じような人達が集まっているよね。

――来年のベルリンはラヴパレードの再開が控えています。どのようになると思いますか?

マーク:人々がパンデミックにどう向き合うか次第だね。もし人々がマスクをせず、ワクチンを接種しなければ、来年はないでしょう。でも、ラヴパレードはこの街に必要なものだよ。1990年代にベルリンを訪れた多くの人にとって、ラヴパレードに参加するたびに「ベルリンに住みたい」と思うことが恒例だったから。道で自由に踊ったり、他人の目を気にせずに自由な服を着るなんて、この街でしかできないからね。小さな田舎町でメイクアップしたり、ドレスを着ているとすぐノケモノにされるし、場合によっては牢屋行きの場所もあるけど、それが当たり前に許されている。ベルリンは特別なところだよね。

――ベルリンに今なお住み続けている理由はそこにあると。

マーク:うん。世界がどんどん権威主義的になる中で、ベルリンの自由さはそれだけ重要で魅力的だと思う。特に今はみんなすぐにでもクラブに行きたい気持ちでいっぱいでしょう? ベルリンはクラブシーンだけで14億ユーロもの経済効果がある。これにホテルやレストランでの消費などをいれると、この2年間でどれだけ損失があるかがわかるよね。

――待ち望んでいる未来を作れるかどうかは、自分達次第だということですね?

マーク:そうだね。やっとコロナの呪縛から解放された! という時に、ラブパレードで祝うことができれば良いな。パレードは世界中に愛と平和と連帯を表明するもの。「音楽で1つになれるんだ」というメッセージを訴える場だから。今、アフガニスタンやシリアなど世界中で紛争が起きているけれど、その中でポジティブに共感できるメッセージはとても重要だと思うし、それをベルリンから発信していくべきだと思う。愛と平和と理解をもって生きていくことができるって。でも、ナチとヒッピーが一緒になって(アンチワクチンの)デモが行われている世界だと、自分と他者を分けると思うから、注意深くある必要があるね。

――それでは最後にこれから実現したいことはなんですか?

マーク:僕はモノを集めることが好きで、歴史的価値あるものとして音楽を収集したい気持ちもある。でも、一番は漠然と何かをやりたいと夢を抱いている若い世代に、自分で成し遂げられるようなモチベーションを与えることだと思うんだ。何かを始めることは昔と比べてやりやすい時代だし。若い世代は僕達が思いつかないようなアイデアを持っているかもしれないし、「こんなことができたら」と夢見ているかもしれない。でも、実行しなければ何も生まれない。重要なのはモチベーションを与えることで、もし失敗したら、うまくいくまで何度も挑戦すればいい。そうすれば、想像できないような音楽の気付きがあるかもしれないよね。

例えば、パンデミックの初期に15〜18歳だった人達は、家でパーティをしてるから、クラブで大音量で音楽を聴いたことがないし、最悪、あと1、2年は気軽にイベントに行けない。そういう時にマインドセットはどうなるか。今、何を考えてるのか。彼等が初めてクラブに行って大音量で音楽を聴いた時に、何を感じてどのようなものづくりをするのだろう。ポストコロナの時代に何を作るかが楽しみで仕方ないよ。

マーク・リーダー
英国マンチェスター出身。1978年からベルリン在住。自らニューウェイヴ・バンドを結成するなどしてミュージシャンとして活動する傍ら、ベルリンでは女性アヴァンギャルド・バンド、マラリア!のマネージャーを務め、Factory Recordsのドイツ代理人としてニューオーダー等のバンドのツアー・マネージャーとしても活躍。また1990年にはダンス・ミュージック専門レーベルMFSを設立し、ベルリン・テクノ黎明期にシーンに深く関わり、若きポール・ヴァン・ダイクやマイク・ヴァン・ダイクのキャリアを後押しした他、ベルリンへの電気グルーヴや石野卓球の招聘にも携わった。2008年からは自身の音楽制作も再開し、デペッシュ・モード、ペット・ショップ・ボーイズ、ニューオーダーのリミックスや映画やCM音楽を手がける。2015年に80年代の西ベルリンにおける彼の体験を描いた長編ドキュメンタリー映画『B-Movie: Lust & Sound in West Berlin』が公開された。
Instagram:@markreeder.mfs
Bandcamp:@Mark Reeder

Direction Kana Miyazawa
Photography Chihiro Lia Ottsu

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秘密警察に追いかけられた東ドイツ時代 30年以上ベルリンを偏愛し続けた敏腕プロデューサー、マーク・リーダーの今 -前編- https://tokion.jp/2021/11/17/producer-mark-reeder-part1/ Wed, 17 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=75413 ベルリンの壁崩壊前の自由な西ベルリンから厳しく統制された東ベルリンに音楽を“密輸”していたマーク・リーダー。インタビュー前編はベルリンの壁崩壊以前の体験から話を聞く。

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スコットランドからベルリンに渡ったマーク・リーダー。1989年のベルリンの壁の崩壊。それを後押ししたとされるパンクシーンの台頭。それから同時期の1980年代にアメリカのデトロイトをきっかけに勃興したテクノシーン。ドイツ統一後、ヒッピーカルチャーやテクノカルチャーが融合し、世界最大級のレイヴとして後まで語り草となるラヴパレードにも立ち会ってきた。一方でプロデューサーとしてはニューオーダーとしてリリースされた「Blue Monday」の制作に立ち会い、ベルリンに石野卓球など日本のテクノミュージシャンを送り込んだ張本人で、プロデューサーであり、リミキサーでもある。

要するに時代の境目を常に目撃してきた音楽文化の変遷に影響を与えてきた生き証人なのだ。その意味もあって彼の活動の本筋は、冒頭の「音楽密売人」という言葉に集約される。

アンダーグラウンドに生きる人々とニック・ケイヴといった西ベルリンに惹かれ住んでいたアーティストたちとの交流やインタビューなどが克明に記された彼の自伝的ドキュメンタリー映画『B-Movie:Lust & Sound In West-Berlin 1979-1989』(以下、B-Movie)が公開されてからからはや3年。

今なおベルリンに住み続けながら、次のムーブメントを目撃し、仕掛けようとしている。彼が指定したクロイツベルクのカフェで、これまで語られてこなかった貴重な証言を収めたロングインタビューを前後編でお届けする。前編では映画に付随して、ベルリンの壁崩壊以前の体験から話を聞く。

ベルリンの壁崩壊以前、東ドイツで見た景色

―― 映画『B- Movie』では、東ベルリンにカセットやレコードなど音楽文化を“密輸”している姿が印象的でした。ベルリンの壁崩壊前で危険だと感じることはなかったのでしょうか?

マーク・リーダー(以下、マーク):正直に言って今の方が危険だと思うよ(笑)。昔は生命を脅かす危険はなくて、“政治的な意味合い”でのみ危険だったというか。当時のベルリンは世界の潮流から切り離され、共産圏ど真ん中という感じ。でもだからといって道を歩いてたらいきなり強盗にあったり、誰かに突然刺されたりするような危険は特になかったよ。映画『クリスチーネ・F』(※カルト的な人気を博したドラッグに溺れる10代を描いたベルリンが舞台の映画)のような麻薬中毒者はベルリン動物園駅周辺にしかいなかったし。でも最近ではU-Bahn(地下鉄)でヘルマンプラッツからアレクサンダープラッツに向かっていると、5分おきに麻薬中毒者の物乞いが乗ってくるよね。昔はそうではなかった。

――それにしても音楽の聖地・イギリスからまだ政治的な抑圧の最中にあったベルリンを住処に選ぶのは勇気のいることだと思います。

マーク:僕はスコットランドの片田舎に住んでいたんだ。文化的なものが豊かでない街で、10代の頃にバイト先のレコード屋で“クラウトロック”を発見して。イギリスではポップが全盛。そんな最中にビートルズを聴いて育った。曲の長さは3分。でもドイツの曲には20分続くものがあったり。展開がずっと変わらなかったり、サビがなかったり……まるでクラシック音楽のようでさ。

子どもの頃にバイオリンを弾いていたし、クラシック音楽に元々興味があったからクラウトロックにビートルズやジミ・ヘンドリックスなど主流の音楽とクラシック音楽とのつながりを見出すことができたんだ。

――どんな音楽を聴いていたんですか?

マーク:例えばカンやクラフトワーク。それからタンジェリン・ドリーム。あとはアシュ・ラ・テンペルもいるね。こうしたユニークなアーティストを発見して、視野が格段に広がったんだよ。それからベルリンのシーンを見てみたいと思うようになっていったかな。

――実際にベルリンに行ってみてどうでしたか?

マーク:最初は「レコードをたくさん買えるかな」程度の気持ちだったんだ(笑)。レコードを買って少し観光するために1日だけ行こうって。でも行ったら街の雰囲気が重くて灰色で、カルチャーショックで。ベルリンが第二次世界大戦で戦地になったとは知っていたけれど、街が実際にどんな状況だったかまでは知らなかった。だから実際に行って建物を見てみると、窓越しに銃撃戦が起こっていたのだろうな、というのがよくわかってさ。なかでも一番驚いたのが、街の東側に入った時だね。

――マークは壁をうまくすり抜けられたんですね。

マーク:うん。実はベルリンを訪れるまでは、東側の音楽について知らなかったんだ。前提として東ドイツは社会主義の背景があったから。その首都である東ベルリンも政府当局に人々が監視されていたんだよね。(東側の)テレビでは幸せな家族や花、社会主義についての歌が流れてた。

――映画『グッバイ・レーニン』で観るような世界観ですね。

マーク:確かに。でも、それ以外にも絶対にあるだろうと(笑)。実際に行ってみると東側の人達が西側のラジオを密かに聴いてたことを知ったんだ。ということは、東ドイツのアーティストもいるはずだ! 東ドイツのオルタナティヴ音楽シーンがあるはずだ! って思ったんだよ。

それから教会のライヴや地下室やガレージで政府から隠れて演奏してる若者達を探そうと試みた。そこに行けば何かしらの文化はあるだろうと思って。それからパンキッシュな髪型や服装をした若者を東ベルリンの電車で発見した。それから彼が電車を降りた瞬間追いかけたよ。彼の肩を軽くたたいて、尋ねてみたんだ。「どんな音楽が好き?」と。

東ドイツの電車で見かけたパンクスとの出会い。音楽を密売した映画のような半生

――鼻が利くマークらしいエピソードだと思います(笑)。

マーク:東ドイツの国家が許可しているロックコンサートが気に入らなかったからね。まずは「パンクロックのギグを知らないか」と尋ねてみた。いやあ、変な顔をされたねぇ(笑)。彼はすぐに「パンクは禁止されている」と答えたんだ。でもそこで諦めないで「何かしらアンダーグラウンドシーンはあるだろう?」と尋ねたら「それもない」っていうんだ。

残念だけどこの場では明確な情報は得られないだろうと思って。彼に僕の住所を書いた紙切れを渡したんだよね。「何か見つけたり聞いたりしたら、ポストカードで教えてくれ」と。でも結局半年以上、何の音沙汰もなかったな。

――そんなに映画みたいにうまくはいかないですね。

マーク:でもね。ある時とある女性から「会いたい」という手紙をもらったんだ。「共和国宮殿」という東ドイツの議会の中にあるカクテルバーで会いたい、と。

――おお! 急展開じゃないですか。

マーク:それから日時を複数提案してくれて。気分はもうジェームズ・ボンドのスパイ映画のような感じ(笑)。当然、会いに行ってさ。彼女は東ドイツのパンクシーンに関わっていると言うんだ。パンクは違法だったから、彼女は慎重でいろんな質問をしてきて。「僕が何者なのか、何を求めてるのか」など人物像を探っているようだった。

――秘密警察(シュタージ)からの内部調査みたいでドキドキしますね。

マーク:まさに。

――え?

マーク:彼女にどこで僕の住所を入手したか聞いてみると、パンクスの男性からもらったと。1989年のドイツ統一後に、シュタージが集めた僕に関するファイルを見ることができたけど、そこであの街で声をかけたパンクスは実はシュタージの一員だったことが判明してさ。

――そんなことって本当にあるんですね!

マーク:衝撃だったよ。僕が彼に住所を渡した直後にシュタージに連絡して、「イギリス人に会ったのだが、彼はアンダーグラウンドを探しているらしい」と報告したみたいで。あとから知ったことなのだけど、東ドイツで“アンダーグラウンド”という言葉は“アンダーグラウンド”な音楽シーンではなく、政治的なアンダーグラウンド組織を指していたみたいで。要するに政府に対して「このイギリス人は何を探してるのか」と警戒したそうなんだ。どうやら僕は彼を通じて、東ドイツ国家から監視をされていたみたいなんだよね。MI5やCIAスパイだと疑って(笑)。

――本当に映画みたいなことが現実で起きていたんですね。

マーク:でも当局の職員が夜遅くまで僕のことを調べてると思うとおもしろいよね。僕の目的が「打倒政府」ではなく、「音楽を探してる」なんて思ってもなかったんでしょう。

――それにしても、当時ベルリンの壁を抜けて東ドイツに足を踏み入れるのは恐ろしくなかったのでしょうか?

マーク:ベルリンの壁は僕の「東ドイツの人達を幸せにしたい」という気持ちを留めることはなかった。彼等は僕と同じように音楽を愛していたし、欲しいレコードが東ドイツでは手に入らなかったから、ハンガリーとかチェコスロバキアといった東ドイツと比べて規制が緩い都市にわざわざ旅行で行ってジョイ・ディヴィジョンとかのレコードを買ってたみたいなんだ。それを見て、「彼等が欲しがってるレコードを全部持っているから、カセットに入れて東ドイツに持ち込もう」と決めた。誰かにそのカセットを渡せば、その人がまた違う人にカセットを渡して、という連鎖が起こる確信があったんだ。

当時からマークは既に音楽という国境を越える文化を使って、街から街への往来を続けていたのであった。後編では、マークがベルリンの中で関わり合いをもっていたミュージシャンたちとのやりとり。そしてこのコロナパンデミックが起きて以降の世界を様々な時代の変遷を見つめてきたマークがどのように捉えているのかについて、話を伺ってみることにしよう。

後編に続く)

マーク・リーダー
英国マンチェスター出身。1978年からベルリン在住。自らニューウェイヴ・バンドを結成するなどしてミュージシャンとして活動する傍ら、ベルリンでは女性アヴァンギャルド・バンド、マラリア!のマネージャーを務め、Factory Recordsのドイツ代理人としてニューオーダー等のバンドのツアー・マネージャーとしても活躍。また1990年にはダンス・ミュージック専門レーベルMFSを設立し、ベルリン・テクノ黎明期にシーンに深く関わり、若きポール・ヴァン・ダイクやマイク・ヴァン・ダイクのキャリアを後押しした他、ベルリンへの電気グルーヴや石野卓球の招聘にも携わった。2008年からは自身の音楽制作も再開し、デペッシュ・モード、ペット・ショップ・ボーイズ、ニューオーダーのリミックスや映画やCM音楽を手がける。2015年に80年代の西ベルリンにおける彼の体験を描いた長編ドキュメンタリー映画『B-Movie: Lust & Sound in West Berlin』が公開された。
Instagram:@markreeder.mfs
Bandcamp:@Mark Reeder

Direction Kana Miyazawa
Photography Chihiro Lia Ottsu

The post 秘密警察に追いかけられた東ドイツ時代 30年以上ベルリンを偏愛し続けた敏腕プロデューサー、マーク・リーダーの今 -前編- appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

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