パンクドランカーズ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/パンクドランカーズ/ Mon, 25 Apr 2022 00:49:07 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png パンクドランカーズ Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/パンクドランカーズ/ 32 32 おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 後編 https://tokion.jp/2022/04/28/punk-drunkers-uncool-is-cool-vol2/ Thu, 28 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=109963 “UNCOOL lS COOL(=ダサイはカッコイー)”をテーマに、独自の世界観を伝える「パンクドランカーズ」。そのすべてを担うのが、デザイナーでありイラストレーターである親方。その“気になる半生”をひもとく。

The post おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 後編 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
“UNCOOL lS COOL(ダサイはカッコイー)”をテーマに掲げるファッションブランド「パンクドランカーズ」。そのすべてを担っているのが、デザイナーでありイラストレーターである親方。彼の脳内から生み出される、コミカルでシュールな世界観の虜とりこになった熱狂的なファンは、ここ日本だけでなく世界中にいる。
前編に続く後編では、親方がこれまで歩んできた“真面目に不真面目”な半生を深掘りしながら、来年で25周年を迎えるブランドの今後、そして自身の展望を聞く。

みんなが巨人なら阪神でしょって。まぁ、要はへそまがりなんです

——前編では聞き忘れましたが、親方というユニークなペンネームはいつから?

親方:「パンクドランカーズ」の立ち上げ時からずっとですね。本名が里見親美で、下の名前はもともと、東京藝術大学で彫刻科の先生を務めていた祖父の雅号だったそうです。親父も兄貴もこの「親」という文字が名前に入っていることもあり、僕も「親」という文字をペンネームに絶対使いたくて、親○となると……親方だなぁって。そこからですね。ちなみに親父は、建築系で美術館や博物館を設計・デザインする会社で働いていました。

——実は、芸術家系のサラブレッドだったんですね。もう少し詳しく親方さんのこれまでの話を聞かせてください。幼少期はどんな子どもでしたか?

親方:太っていて体も大きかったこともあり、幼稚園の頃からから柔道をやっていました。親父に「体がでかくて力もありあまってんなら道場に行け!」なんて言われて、そのまま中学1年まで続けて。

——当時はどんなものに興味を持っていたんでしょうか?

親方:好きな学校の教科も、図工と体育のみっていうわかりやすいスポーツ少年。ウルトラマン仮面ライダー、スーパー戦隊といった特撮モノがすごく好きで。あとは車も! ミニカーもメチャクチャ集めていましたね。漫画だと「週刊少年ジャンプ」とか。寺沢武一先生の『コブラ』は、ハードボイルドな大人の世界観が格好良くてはまって。他には『サーキットの狼』『リングにかけろ』とかも好きだったかなぁ。

——その頃はどんな絵を描かれていましたか?

親方:今でもよく覚えているのが、“俺の考える最強の阪神タイガースのユニホーム”。選手が着て活躍するのを妄想して1人でニヤニヤしながら描いていました(笑)。もしかしたら、この辺の経験がのちの服作りにつながっているのかも。当時はクラスの大半が読売ジャイアンツファンという時代で、それが気に入らなくてタイガースを応援し始めて。以来ずっと阪神ファン。まぁ、要はへそまがりなんですよね。

——カウンターカルチャー的感覚だったと。中学時代もそのまま柔道一直線ですか?

親方:それが中学校に柔道部がなかったので、道場に通いながら部活はサッカー部に。部員数だけやたらと多い弱小校でしたが、サッカーは走るので、その頃から徐々に痩せていって。この頃も美術の授業は相変わらず好きでしたが、まだ自ら好んで絵を描くという感じではなかったですね。

その後の高校では、サッカーで鍛えた足の速さを武器にラグビー部に入部。中学のサッカー部の顧問に「お前にはラグビーが向いている!」なんておだてられてその気になってみたものの、今度は逆に一都四県から猛者が集まるような強豪校で、そのレベルの高さについていけず1年でギブアップ(苦笑)。それで始めたのが空手。親父がボランティアで空手道場の先生もやっていたので「やることがないなら空手をやれ」と言われて「じゃあ、そうするか」って。

——そして高校卒業。

親方:ですが待っていたのは、浪人生で予備校通いの日々。その予備校で出会ったのが、現在の妻でブランドのパートナーでもあるクゲマロでした。

——そこから短大を経て、就職するのではなく歯科技巧士になるための専門学校に入学します。

親方:親から「免許を持っていれば、つぶしが効くから」って言われて、手先が器用で細かい作業も好きだし「やってみるか」って。2年間通って歯科技工士の国家資格を取り、1年くらいラボに勤めました。

——すごく受動的な生き方をされていたんですね。

親方:あ〜、それは確かにありますね。柔道もラグビーも歯科技工士も自分から始めたわけじゃないし。とにかく素直なヤツだったんでしょうね。

——そんな人がなぜ、「パンクドランカーズ」なんていう反骨心の塊のようなブランドを始めたんですか?

親方:その歯科技工士を1年半ぐらいやっていて。お父さんが社長で息子さんが専務という家族経営の小さなラボに勤めていたんですが、専務と社長がたて続けに亡くなってしまって……。他のラボを紹介するよとも言ってもらえたんですが、仕事自体おもしろいと思っていなかったので、結局辞めちゃって。

それで、その技術を使って遊び半分でシルバーアクセ作りを始めました。自宅でワックスを作って週末にお金を払ってラボを借りて鋳造して、街に売りに行く。そんな毎日で、ほぼニートみたいな。正直いい収入にはなったんですが、ずっとそれで食っていけるとは思っておらず……。

——それが何歳の頃ですか?

親方:23、24歳くらいですかね。さすがに親からも「30歳になったら家を出て行け!」と言われていて。こっちとしては「そんな約束はできねぇなぁ」なんて思いながら(笑)。そんなある日、デザインフェスタに参加したんですよね。モノ作りをしている仲間達とサークルを組んでブースを借りて。僕はシルバーアクセを出品していたんですが、反応はイマイチ。そこでTシャツを試しに作ってみたら、メチャクチャ売れちゃって。

——どんなデザインだったのか見てみたいですね。

親方:フロントに漢字で「国技」、バックはモヒカンヘアで入れ墨だらけの力士が取り組みしていて、そこに水戸黄門の歌詞の英語版で「人生楽ありゃ、苦もあるさ」って描かれているデザインでした(笑)。ちなみにそれをアップデートしたパート2の原画がこれ。本当に初期のグラフィックですね。あとは「平常心」なんてのもあったかな。赤ん坊がオープンフィンガーグローブを着けて殴り合ってるっていう(笑)。そのサークルの名前が“パンクドランカーズ”だったんです。

細く長く、“大ブレイクしてこなかった”からこそ今がある

——そこで手応えを感じてブランドを始めようと?

親方:その時点では、まだ本気でやるつもりはなかったんですが、たまたま自分らのTシャツを着て訪れたショップで、スタッフの方に声を掛けられたのをきっかけに卸をするように。僕らは「小遣い稼ぎができるじゃん!」なんて軽い気持ちでしたが、そこから少しずつ取引先が増えていき、本格的にブランドとして活動するようになりました。これが1998年。

——“UNCOOL IS COOL”というコンセプトも当時から変わらず?

親方:ですね。キメキメのかっこいい服が僕らはイヤだったので、ちょっとふざけたところを残した遊び心のある服がイイよねって。その感覚を言葉にしたのが“UNCOOL IS COOL”。日本語にすると“ダサイはカッコイー”ですが、そもそもはパンクドランカーズの楽しみ方として付けたものでした。

——前編では海外での活動の話も聞きました。親方さんは、自身の作品が海外で実際どのように受け止められていると感じますか?

親方:それは聞いたことがなかったんで、僕自身もガチで知りたいですね。みんな「クール!」と言ってくれているけど、実際どうなんでしょうね。もちろん“おもしろさ”はちゃんと伝わっていると思うんですが。

——これまでにブランド、企業、野球チーム、芸人と多種多様な相手とコラボをされてきましたが、特に思い出に残っているコラボがあれば教えてください。

親方:結構あるんですよね。大好きな阪神タイガースもですし、エガちゃん(=江頭2:50)とか。高須クリニックの高須先生とかもそうですし、『THRASHER』もすごく売れたので、やっぱり思い出がありますね。うまい棒も楽しかったですし。僕らの好きなモノだったらありがたくコラボをさせてもらっていて、基本的には“来るもの拒まず”のスタンスです。

——このシュールな世界観をコラボレーションに落とし込む際のあんばいって、どうやって決めているんですか?

親方:コラボに関しても自分らのアイテム同様、おもしろい要素を入れたいっていうのはあるんですが、まれにもう少しマイルドにしてほしいという場合もあるので、そういった時はなるべくパンク臭を前に出さないようにしています。その分、自由にやらせてくれるところに対しては、全力でふざけていきますけどね。

——来年でブランド誕生25周年を迎えますが、これまで活動を続けてこられたコツはありますか?

親方:“大ブレイクしてこなかった”ところじゃないですかね。細く長くみたいな(笑)。大ブレイクすると収拾がつかなくなるというか、自分らでコントロールできなくなっちゃうじゃないですか。ウチの場合、お客さんも10代から60代までとかなり年齢層の幅が広く、それも良かったと思うんです。みんな最初は「若くてイケてるやつに届けたい!」ってブランドを始めるけど、それじゃあ続かないんです。僕はそれよりもいろんな人達に認められたい。サザンオールスターズなんて世代を問わず誰しもが知っていて、しかも新曲が出たらみんな聴く。そういうブランドでありたいですね。26歳で始めて、気付けば50歳。このままずっと“UNCOOL IS COOL”でいられたら最高だなって。

親方
1971年生まれ。千葉県出身。空手3段、左きき。1998年、“和+洋+遊、UNCOOL IS COOL”が、基本コンセプトのブランド「パンクドランカーズ」を設立し、アパレルの枠を超えて多ジャンルにデザインを手掛ける。2003年より現在まで展覧会(個展)やライヴペインティングも頻繁に開催している。
Instagram:@oyakatapunk
https://www.punk-d.com

Photography Yuji Sato
Edit Shuichi Aizawa(TOKION)

The post おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 後編 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 前編 https://tokion.jp/2022/04/16/punk-drunkers-uncool-is-cool-vol1/ Sat, 16 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=109905 “UNCOOL lS COOL(=ダサイはカッコイー)”をテーマに、独自の世界観を伝える「パンクドランカーズ」。そのすべてを担うのが、デザイナーでありイラストレーターでもある親方。彼にとっての“創作表現”とは。

The post おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 前編 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
“UNCOOL lS COOL(=ダサイはカッコイー)”をテーマに掲げるファッションブランド「パンクドランカーズ」。そのすべてを担っているのが、デザイナーでありイラストレーターである親方。彼が作るソフビフィギュアは世界でも人気を集めており、今や海外の「DesignerCon(デザイナーコン)」でも台風の目のような存在だ。その脳内から生み出されるコミカルでシュールな世界観は、常識で凝り固まった現代社会へのアンチテーゼなのか? 作品に込めたシュールな視点や海外での日本文化のリアクションなど、すべてをひっくるめて親方という人物の魅力に迫る。

見た人が思わず二度見するのが“パンクらしさであり、自分らしさ”

——いきなりですが、「パンクドランカーズ」の象徴にして、親方さんの代表作的キャラクターでもある“あいつ”の誕生経緯を教えてください。

親方:絵を描きためているノートがあるんですが、ブランドを始めて4年目くらいに、そのノートに描いたのは覚えてるんですよね。最初はTシャツ用のグラフィックでしたけど、そのTシャツはすごく売れたってわけではなかったので、キャラに名前も付けておらずでした。それで2、3回使ううちに愛着が湧いてきたので、「あいつの名前を考えよう!」となった時に「あいつでよくない?」と(笑)。覚えやすいしいいねということで、そのまま“あいつ”になりました。

モチーフもよく聞かれるんですが、特にこれといったものはありません。ただ、「スタートレック」のミスタースポックのようなキャラクターを作りたいなぁと思って描いているうちにでき上がったのがこいつ、いや“あいつ”(笑)。見比べると全然違うんですけどね。

——本気なのかふざけているのか紙一重のセンスが、「パンクドランカーズ」の持ち味です。そんなユニークなアイデアはどうやって生まれているのでしょうか。

親方:とにかく常日頃から「こんな服があったら、こんなデザインがあったらおもしろいんじゃないか?」って考え続けています。街を歩いている時も看板広告を見て、アイデアのネタを探したりとか。

「パンクドランカーズ」のプロモーションビデオ

——イラストレーターとして自分のペースで作品を描くのとは違い、アパレルのグラフィックはシーズンの立ち上げに間に合わせなければいけないというプレッシャーもあるのでは?

親方:毎シーズン、その戦いはありますね。いざ机の前に座って「よし、やるぞ!」となっても、何も出てこないんですよ。すると自分自身がどんどん腐っていく。「もうヤダ」って感じで、フテ寝しちゃったりして(笑)。でも、それが何日も続くと、急にパッと出てくるんです。

——作品を描く際、親方さんはアナログ派でしたよね。

親方:かなりのアナログですね。手描きの絵をスキャンして、色入れはパソコン。他の人がタブレットでぱぱっと描いているのを見て、すごく魅力は感じているんですが、周りが止めるんですよ。「作品が変わるから、やめたほうがいい」って。それに、やり直しがきくのも自分にとって良くないかなと。失敗できないからこそ集中して描くんですよね。時には、失敗できないけど失敗して、でもそれがイイ!ってことあるじゃないですか。そんな偶然もおもしろさですし。

——そんな親方さんが 一番影響受けたアーティストは?

親方:いろんな人から影響を受けているとは思うんですが、昔から好きだったのが「キン肉マン」のゆでたまご先生。他には、岡本太郎さんもメチャメチャ好きですね。あとはパスヘッドとかUSUGROWも。USUGROWはヌンチャクっていうハードコアバンドの CDジャケットを描いていたんですが、それがすごく格好良くて好きでした。

——どうやらアウトラインが太めのスタイルがお好きなんですね。

親方:あ〜好きですね。それはあります! 僕の描く絵も太いですし。

——表現する上で大事にしていること、意識していることはありますか?

親方:“普通では終わらないこと”ですかね。「普通だね」って言われるのがイヤで、ひとクセもふたクセもあって、見た人が思わず二度見するのが“パンクらしさであり、自分らしさ”だと思います。

——親方さんの作品は見た瞬間、ダイレクトに伝わるおもしろさがあります。

親方:そこは大事にしているかもしれません。言葉が通じなくてもわかるおもしろさは昔から意識していて。だから海外でも良い反応をもらえるのかも。

——海外では親方=ソフビフィギュア(以下、ソフビ)の作家として有名ですが、ご自身が興味を持たれたのはいつからですか?

親方:もちろん子どもの頃にウルトラマンの怪獣のソフビは持っていましたが、10年くらい前に「ゾルメン」「ファイブスタートイ」という2つのソフビメーカーから、ほぼ同時期にコラボの話を頂いたのをきっかけに興味を持つようになりました。それから「こういう世界があるんだ」ってどっぷりハマったって感じですね。

——国内では発売→即完売がお約束になっている「パンクドランカーズ」のソフビですが、海外のイベントでも販売されていますよね。

親方:海外のイベントには参加するようになったのは7年前からです。ロサンゼルスで開催される「デザイナーコン(通称:ディーコン)」というイベントが最初で、持っていったソフビが完売せず、少しだけ売れ残ったんですよね。で、それを現地のディーラーさんに営業して買い取ってもらい、帰国したのですが、翌年にはもう行列ができるくらいの大盛況に! その1年の間にアジアでのイベントにも参加したりと海外の認知度が増していたっていうのもありましたが、そこで手応えを感じました。

本当に落ち着きがないので、じっとしているのに耐えられない

——親方さんと同じスタイルのクリエイターって、海外では多いんですか?

親方:服とオモチャを両方やっている人はいますよ。サンディエゴで「バイオレンストイ」というショップをやっている友達がそうです。ライセンスを取得して『グレムリン』や『ロボコップ』のおしゃれなニットを作ったりしていて。しかも少人数でやっているのも僕らと似ていますし。サンディエゴでは、この前初めて「サンディエゴ・コミコン・インターナショナル」にも参加しました。

——コミックやトイ、アニメなどほぼすべてのジャンルのポップカルチャーやエンターテインメントを扱う、著名なコンベンションですよね。

親方:アメリカで一番規模が大きいのが「サンディエゴ・コミコン・インターナショナル」。その次が「ニューヨーク・コミコン」、次いで「ディーコン」って感じですね。「コンプレックスコン」からも誘いがあったんですが、他の参加イベントとかぶっていたので断っちゃいました。それに「ディーコン」のほうがディープなインディーズのアーティストが出てくるので、マニアックでおもしろい!

——ちなみに英会話は?

親方:それがまったく(笑)。まぁ適当に喋ってますよ。通訳兼アテンダーがいる場合もありますが、相手が気を使って簡単な英語で喋ってくれるので、あまり不便さは感じていません。一時期はちゃんと喋れるようになりたいと思って勉強したんですが、ダメでした。それに向こうに長く滞在していると、最後のほうにはなんとなく聞き取れてくるし、大体こんなことを言っているんだろうなぁってわかるようになりますし。

——実際に肌で感じる、海外でのリアクションはどんな感じですか?

親方:海外に出てよくわかるのが、ソフビは日本のカルチャーということですかね。なのでフロム・ジャパンの作家というだけで、ちょっとだけ良く見てもらえるんですよ。「オー、待ってました!」みたいな(笑)。オモチャの世界では、そういうリスペクトの姿勢をすごく感じますね。

——「パンクドランカーズ」の親方ではなく、ソフビ作家の親方としてリスペクトされていると。そこは日本と違いますか?

親方:どうですかね。実は日本では、ソフビだけで食えている人ってほんのひと握りで、それ以外は別の仕事をしながらの兼業作家が多いんです。ソフビを作ってくれる工場自体、仕事がキツいという理由で若い人はあんまりやらないなんて言われていて、今や下町方面にちょこちょこあるくらい。とはいえ最近は、若い子もだんだんと「ソフビで仕事になるんだ」って気付いてきたようで、ちょっとずつ数が増えているみたいですが。

——時代の変化とともにあるんですね。こんなご時世ですし、時代に合わせて変わっていく人は多いと思います。親方さんは?

親方:僕は変わらないですね。それこそ中学生の頃から好きなモノもずっと一緒で、ずっと中二(笑)。そもそも宣伝やアピールが下手くそなので、その変わっていくやり方自体がわからないんです。たまにありますよ、海外のイベントで行列ができてすげぇ盛り上がったのに、日本では全然それが伝わっていなくて、残念だねって。そういう時に悔しいなとは思いますが。

——わかる人にはいかに偉業かわかるんですけどね。では、ファンは親方さんに何を求めていると感じていますか?

親方:ソフビのファンでいえば、イベント会場なんかで直接お話しすることはあります。大体がオジサンで、オジサンがオジサンにサインするっていう不毛な行為をしながら(笑)。そういう人はみんな純粋。「このまま作り続けてください!」って言ってくれるのを、「これがかわいい女の子だったら最高なのになぁ」って思いながら聞いています(笑)。

——最近ではぬいぐるみも作っていましたし、新たなチャレンジを期待する声も多いのでは?

親方:チャンスさえあれば、新しいことはずっとやり続けたいですね。例えば、ミニカー。以前「シュプリーム」「ホットウィール」とコラボしていましたが、あんなんメッチャうらやましいですよね。やりたいことはまだまだいっぱいありますよ。海外のファンの方も多いので、海外でのコラボもドンドン増やしていきたいし。これまでの仕事を続けながら、そちらもちょっとずつ規模が大きくなっていったらいいなって思っています。

それでいうと、今年11月に開催予定の「ディーコン」では、主催者側から「大きなブースを用意するし費用もこっちで出すから、ソフビだけでなくコラボアパレルも作ってほしい」と言われています。それが今年の一番大きな僕らの仕事になるんじゃないかなぁ。

——コロナ禍であっても、攻めの姿勢は変わらずですね。

親方:本当に落ち着きがないので、ジッとしているのに耐えられないんですよ。なのでこれからも落ち着きなく、アッチコッチ動き回りながらおもしろいことをやっていくつもりです。
(後編に続く)

親方
1971年生まれ。千葉県出身。空手3段、左きき。1998年、“和+洋+遊、UNCOOL IS COOL”が、基本コンセプトのブランド「パンクドランカーズ」を設立し、アパレルの枠を超えて多ジャンルにデザインを手掛ける。2003年より現在まで展覧会(個展)やライヴペインティングも頻繁に開催している。
Instagram:@oyakatapunk
https://www.punk-d.com

Photography Yuji Sato
Edit Shuichi Aizawa(TOKION)

The post おもしろきこともなき世をおもしろく。「パンクドランカーズ」親方の“UNCOOL IS COOL”な半生 前編 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>