スケートボード Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/スケートボード/ Sat, 18 Jun 2022 08:08:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png スケートボード Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/スケートボード/ 32 32 東京スケートコミュニティが生んだ新時代の象徴、山下京之助インタビュー後編 生い立ちから転機となったコロナ禍 https://tokion.jp/2022/01/27/interview-a-pro-skateboarder-kyonosuke-yamashita-part2/ Thu, 27 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=88745 プロスケートボーダーとして、世界を舞台に活動する山下京之助。彼が世界に出るまでの足跡とこれからの未来を探る後編。

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誰にでも分け隔てなく接する、ものすごく素直で感じの良い若者。山下京之助というスケーターを表現するにはもっともな言葉だろう。数多くのブランドからサポートを受け、SNSでは多くのフォロワーを抱えるのも、その人柄があってこそ。前編に続くインタビュー後編では、彼の生い立ちからスケーター人生の転機となったコロナ禍の出来事に迫る。

スケートボードとの出会いと幼少期

ーー後編は生い立ちから聞かせてください。スケートボードを始めたきっかけはなんですか?

山下京之助(以下、山下):きっかけは、3歳の頃にクレーンゲームで、手でやる小さいハンドスケボーが取れたことです。それがすごく楽しくて、お母さんにちゃんとしたスケートデッキが欲しいとお願いして買ってもらいました。
最初はただ乗るだけで、トリックは全然やっていませんでした。なので、僕はお父さんがスケーターだから始めました! といったエピソードではないんですよね。でもお父さんはずっとバンドマンでドラムをやっていたのもあってか、サブカルチャーがずっと好きでした。映画の『LOADS OF DOGTOWN』のDVDも家に置いてあったので、スケートボードカルチャーに触れる機会はちょくちょくあったんです。この前の「TAMPA AM」を勝った(青木)勇貴斗君のお父さんはダンサーで、僕と近い環境にいますし、今僕達の世代で活躍している人達は、たとえ両親がスケートボードをやっていなくても、身近にある環境だったという人は多いですよ。

ーー始めた頃、スケートボードのスクールには通っていましたか? また周りにはどんなスケーターがいましたか?

山下:最初は6歳くらいの時に「フレイク」(※)が主宰するミニランプのスクールに通っていました。上田豪さんが先生で、その時は(戸倉)大鳳などがいましたね。それからは城南島のスクールに、飯田葉澄とかと一緒に通っていました。他には、池田大暉渡辺星那もいましたし、お兄ちゃんの(池田)大亮君や(渡辺)雄斗君とかもいたかな。そんな人達と小さな頃はよく一緒に滑っていましたね。

あとは駒沢公園にもよく行っていました。まだ路面が荒いアスファルトだった頃で、当時はスクールもやっていたのでちょくちょく行っていたし「ムラパー(=ムラサキパーク東京)」のスクールも何回か行きました。
あの頃は幼かったので、基本的に遠い所はお父さんに連れて行ってもらって、家から近い所は自転車で行ってました。中でも駒沢(公園)が近かったので、一番行ったかな。浦さん(浦本譲)とか赤地(正光)さん、(米坂)淳之介さんにはよく教わっていて、淳之介さんとは今は「プリミティブ」のチームメートとして一緒に動くことも多いので、不思議な縁を感じています。

※1980〜1990年代のアメリカ西海岸のスケート、サーフ、ロック、アートなどをリスペクトしたリアルなストリートカルチャーをキッズ達に提案するユースアパレルブランド。小学校卒業と同時にチームも卒業となる。佐川海斗佐川涼、渡辺雄斗、佐々木真那など、現在活躍する多くのプロスケーター、飯野紗耶香伊佐風椰等の歴代女子チャンピオンを数多く輩出している。

コンテスト初出場から東京五輪強化指定選手選出の道のり

ーーコンテストには何歳頃に、スケートボードを始めてどれくらいで出るようになりましたか?

山下:初めて出たのは「FLAKE CUP」のミニランプコンテストで、小学校1~2年生の頃ですかね。でもめちゃくちゃボロ負けしちゃって……。それがすごく悔しくて、駒沢でミニランプをすごく練習しました。今思うと、当時から負けず嫌いなところはあったのかもしれないです。
初めての入賞は、ムラパーで開催された「DC」主催のミニランプコンテストだったかな? その時に5位に入賞できました。ストリートでは、2013年の「AJSA(ALL JAPAN SKATEBOARD ASSOCIATIONの略で、日本スケートボード協会のこと)」アマチュアサーキットの3戦目に初めて出場しました。この大会に出るまではストリートが嫌いでランプばかりやっていたんですけど、周りから出てみなよって勧められて、練習を積んでから挑戦したら、いきなり14位で決勝に上がることができたんです。結局決勝はビリだったんですけど、それがめっちゃ嬉しくてストリートがどんどん好きになっていきました。でもストリートは、ある程度体が大きくなって脚力がついてからじゃないとセクションに対応できないので、小さい頃はストリートのコンテストなのにアールばかり攻めていましたね。

ーーではコンテストで勝てるようになってきたのはいくつくらいからですか? 初めて上位入賞したコンテストの話も聞かせてください。

山下:初めて優勝したのは、うみかぜ公園で行われた2016年の「AJSA」関東アマチュアサーキット第1戦です。初出場から2年半くらいかかりました。しかもその2ヵ月後には、韓国のカルトパークで行われた「AJSA」のプロ戦、アジアンオープンでも3位になることができたんです。この時は場所が韓国で、プロアマオープンだったから出ることができたんですけど、途中で雨が降ってきて2回中断してしまって、決勝は行われず、予選の結果でそのまま順位が決まってしまうというラッキーもあったんです。でもこれが初めて表彰台に上がったメジャー大会です。このアジアンオープンは、日本から何十人ものスケーターが、一緒に韓国に行ったので、修学旅行みたいな感じですごく楽しかったです。ここ数年は開催されていないですけど、またやってほしいですね。

ーーその後はコンテストでも頻繁に上位入賞するようになりましたが、その要因はなんだと思いますか?

山下:純粋に体が大きくなっていろいろできるようになってきたからだと思います。でも「AJSA」でプロに上がれたのは、2018年のAXISで行われたプロアマオープンのコンテストでも5位に入賞できたからで、本来のプロ昇格を決める全日本アマチュア選手権は予選も通ったことがないんですよ(笑)。
でもその年に何回か入賞できて年間ランキングで3位になることができましたし、2019年は2位になることができました。当時はとにかくコンテストで勝つしかない! という感じで、コンテストに勝つための滑りばかりしていました。この結果は、そういった取り組みもあってのことだったと思います。

ーその後2019年には全日本選手権で上位入賞を果たして東京五輪の強化指定選手入りしましたが、当時はオリンピックを意識していましたか?

山下:そうですね。はっきりいってコロナ前まではオリンピックに出るために大会に出ていました。まあ全然ダメだったんですけど(笑)。雰囲気とかが違うからなのか、全然いつも通り滑れなくて、日本では結果が出せても世界ではなかなか思うようにいかなかったですね。
AJSAとか国内のコンテストは事前に現地のパークに行って練習を積んでから本番に臨めたんですけど、海外は練習が2日間とかしかなくて、時間も決まっている場合が多いので、満足に練習できないままやらないといけない。そうなるとレベルを落とさないといけないし、メイク率も下がってしまうという感じで、その雰囲気にのまれてしまってたんだと思います。
それでも勝てる、勝負できるトリックの引き出しが自分にあればよかったんですけど、当時はそこまでの武器もなかったから戦略も立てられず、どうにもなりませんでした。

コロナ禍で起きた変化

ーーそんな矢先に起こったのが新型コロナウイルスによるパンデミックでした。長らくコンテストが開催されませんでしたが、自身の環境に変化はありましたか?

山下:ありましたね。コロナを機に、自分自身のビデオパートを撮ろうという方向に活動がシフトしていきました。以前は、日本に住んでいたYouTuberでフィルマーのルイスとちょくちょく撮影していたので、コンテストがなくなっても、どうしよう!? っていうこともなく、ルイスからの声がけでスムーズにシフトできたんです。それでルイスと大阪や名古屋など、いろいろな所に撮影に行ってパートを完成させたんですが、ちょうどその頃に今度はイベントを通じて「タイトブース」諸橋直哉君に出会ったんです。そこで「今度撮影行こうよ!」って話からトントン拍子にフルパートの話まで進んで、スケートビデオ『LENZ 3』でも動くようになりました。
「プリミティブ」との契約もちょうどそのタイミングで、しかも専属フィルマーが以前に日本に住んでいたエリック・イワクラでした。彼はちょうどこの秋に日本に来ていたので、よく一緒に動きました。今回のインタビューで使っている写真は、その時に撮影したものです。その「プリミティブ」でも来年には映像作品をリリースする予定なので楽しみにしていてください。
ただこうやって振り返ってみると、「イレイズド」のパートがなければ「プリミティブ」のアマになれたのかわからないし、それもさらにさかのぼれば、コロナ禍がなければ「イレイズド」のパートもあそこまでのクオリティに仕上がっていたのかもわからないので、偶然もありますけど、いろいろなタイミングがすごくうまくシンクロしたのかなと思います。

ーーでは環境の変化で他にも変わったことはありますか? 例えばスケートビデオをよく観るようになったなど。

山下:確かにスケートビデオをよく観るようになったのはわりと最近で、中2~中3くらいからですかね。それまでもちょくちょく観てはいましたけど、そこまでは観ていませんでした。でも一番最初に観た作品ははっきりと覚えています。お父さんが誕生日プレゼントで買ってくれた「プランB」の『TRUE』です。自分はその中でもトレバー・マクラングのパートがすごく印象的で、レッジもハンドレールもマニュアルもステアもスイッチもすべてスムーズにこなすので、本当にオールラウンダーだなとかなり憧れましたね。

ーーではコンテストに対するスタンスは、今と昔を比べてどうですか?

山下:昔はコンテストしか頭になかったのもあって、もしかしたら本気度という意味では以前より下がってしまったように見えるかもしれません。でもスケートボードに対する情熱は一切変わってないです。ただビデオパート制作という別のやりたいことが出てきて、やるべきことが増えました。もちろん、これからもコンテストは出れるものは出るつもりですし、出るからには勝ちたいと思っています。ただ基本的にコンテストで勝つ滑りと良い映像を残す滑りは違うので、両立させるのは本当に難しいと感じています。だからこそ両方で結果を出している堀米(雄斗)君は本当にすごいなと思いますし、僕ももっと頑張らないとなと思っています。

ーー堀米選手とは昔からコンテストの場で顔を合わせていたのですか?

山下:それが堀米君とは国内では一度も顔を合わせたことがないんですよ。堀米君が「TAMPA」とか「SLS」とかに出始めた頃に、僕が国内のプロ戦に出るようになったので、ちょうど入れ違いでした。
だから顔を合わせたのはコロナ禍前に東京オリンピックの強化指定選手として「DEW TOUR」とか「SLS」を転戦していた時くらいしかないんです。でもその時も堀米君は準決勝からの登場で自分はその前に負けてしまっていたので、現場で会っても、選手として同じ舞台で滑ったことはないんです。
ただロサンゼルスでは何回か会って一緒に滑ったりできたので、すごく楽しかったですね。ただあれだけの結果を残している人ですし、コンテストで一緒に戦ったことがないのもあって、会うとなんか緊張しちゃいます(笑)。

同世代の活躍と日本のスケートシーン

ーー最近は山下さんと同世代の日本人スケーターの活躍がコンテストでもストリートでも目覚ましいですが、意識している人や仲の良いライダー、注目している人はいますか?

山下:真ちゃん(本郷真太郎)はすごいなと思いますね。雑誌『スラッシャー』のヘッダー(巻頭)に載ったり、インタビューの特集が組まれたりとか、パートもすごいの出していました。そういう意味ではすごく注目はしています。
あと仲が良いのは、(池田)大暉ですかね。昔から知ってるし、よく新横浜とかでも一緒に滑ってるし、最近ではアメリカで「トイマシン」のライダー達と動くようになったのもすごいなと思います。
やっぱりそういった同世代や近い世代の活躍は刺激になりますし、悔しいなとも思うので、もっと頑張ろうって思います。相乗効果でみんなでもっと上にいけたらいいですね。
あとヤバいっていえば、守重琳央の動きが日本人離れしてるなと思っています。おもしろいし、アメリカ行ったらすぐに気に入られそうだなって。最近、「タイトブースプロダクション」と動くようになって一緒に滑る機会が増えたんですけど、「このアプローチでココ入っちゃうの!?」とか、「このレールはこれがついてるけどお構いなしなんだ!」みたいな、そういうのがすごく多くて。みんながやらないようなところもガンガン攻めるから、スケールが違うんですよね。

ーーでは日本で今、五輪効果もあってスケートボードがブームになっている反面、ストリートに厳しい目が向けられていますけど、その点についてはどう思いますか?

山下:僕自身でいえば周りはあまり関係なく、これからも滑り続けるだけって感じですけど、なんかプッシュしてるだけで「おっ、スケボーやってる!」みたいな目で見られるのがちょっと小っ恥ずかしいのはありますね(笑)。でもたまにキッズに「写真撮ってください」とか「京之助さんですよね!? 」と声をかけられたりすることも増えてきたので、それは純粋に嬉しいです。

ーー最後に今や憧れの立場になったことで、これからのキッズに対するアドバイスと、今後の日本のシーンに対する思いを聞かせてください。

山下:楽しんで滑ることが一番だと思います。スケートボードに限らずなにごとも楽しくないと続けられないので。日本に関していえば、もっとスケートボードに対して寛容になってくれたら嬉しいですね。偏見とかがなくなってくれたら、スケートボードに限らずもっと良い社会になっていくんじゃないかと思います。今回はインタビューどうもありがとうございました!

山下京之助
2004年5月23日生まれ、東京都品川区出身。スケートボーダー。Instagramのフォロワーは、36.9万人(2022年1月現在)を抱え、世界的ネームバリューを持つ次世代スター筆頭株かつ、新時代を象徴するスケーターの1人。小柄で俊敏な動きでスムースなテクニカルトリックを次々と繰り出していたことから、海外では“Japanese Ninja”とも呼ばれており、愛くるしいキャラクターとともに抜群の人気を誇っている。スポンサーブランドは、「プリミティブ」「ラカイ」「イレイズド」「G-SHOCK」「ナッシング スペシャル」「スピットファイヤー」「モブグリップ」「ケント ハードウェア」「フィフティーフィフティー」
Instagram:@_kyonosuke_

Photography Yoshio Yoshida

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東京スケートコミュニティが生んだ新時代の象徴、山下京之助インタビュー前編 愛される人柄と飛躍の2021年 https://tokion.jp/2022/01/22/interview-a-pro-skateboarder-kyonosuke-yamashita-part1/ Sat, 22 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=88504 プロスケートボーダーとして、世界を舞台に活動する山下京之助。彼が世界に出るまでの足跡とこれからの未来を探る。

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Instagramのフォロワー36.9万人(2022年1月現在)。山下京之助というスケーターを知らない人からしたら、芸能人でもなければオリンピックメダリストでもないのに、この数字には驚きだろう。しかし、このインタビューで彼の人となりを知ったら、その疑問は即座に解決されるはずだ。
前編後編の2回にわたり、山下京之助の魅力に迫りたい。前編は、山下京之助の人物像とともにスケートボード人生のターニングポイントとなった2021年を振り返る。

人生を変えてくれたYouTuberルイスとの出会い

ーーまず山下さんといえば、Instagramのフォロワー数の多さにびっくりする人が多いと思いますが、なぜここまで増えたのですか?

山下京之助(以下、山下):登録者150万人以上のYouTuberで、以前日本に住んでいたこともあるルイス・モラのチャンネルや、彼のインスタのアカウントにアップされるようになってから増え始めました。彼はインスタも44万人のフォロワー(2022年1月現在)がいるんですよ。だから僕のフォロワーは、割合としては海外の人が多いんじゃないかと思います。

ーールイスさんとはどんな出会いだったのですか?

山下:初めて会ったのは「ムラパー(=ムラサキパーク東京)」です。その時は(池田)大暉と一緒に滑りに行ってたんですけど、たまたまルイスが堀米(雄斗)君の撮影で来ていて。それで大暉がルイスのことを知っていたので、「俺らも撮ってもらおうよ!」と声をかけたのがきっかけです。
その時は2017年で、まだ中1だったかな? 撮ってもらった映像は、彼のチャンネルに公開されています。最後のほうにちょっとだけ出ているので、よかったら観てみてください。

ルイス・モラが撮影した山下が登場する動画「日本のベストスケーターの一人!」

ーーその後ルイスさんが運営する「イレイズド」からサポートを受けるようになりましたが、どういった経緯でスポンサードされるようになったのですか? 「イレイズド」についても教えてください。

山下:ムラパーでの出会いから半年後くらいなんですけど、新横浜のパークでもたまたま会ったので撮ってもらったんです。そこで結構良いフッテージが残せたのもあって、俺が始めたブランドなんだって軽い感じでアパレルをもらいました。その後にインスタのDMで正式にスポンサーのオファーが来て、一緒に動くようになりました。

「イレイズド」は、ルイスとエドウィンという昔「ステューシー」のデザインをしていた人が立ち上げたブランドで、「黒歴史を消す。過去の人生を消す。新しい自分の人生を作っていく」という意味が込められています。ルイス自身が過去にすごく苦労してきた人なので、ブランドを作った時に感じていた気持ちをそのまま落とし込んだんだと話していました。
このブランドは、特に路面店や国内代理店があるわけでもなく、オンラインでのプロモーションしかしていないのに、高い知名度があるのはすごいなと思いますし、そういう新しいタイプのブランドにサポートしてもらってるのは光栄です。それだけ彼が作る動画がおもしろいんだと思います。「ルイス・モラ|100万人登録者の道のり」で詳しく語っていますよ。

人気ブランド、「プリミティブ」への加入

ーー昨年の夏、アメリカ滞在中に「プリミティブ」アマチームに加入したのがアメリカでも大きな話題を集めましたが、そのきっかけを教えていただけますか?

山下:きっかけは2月に「イレイズド」からパートを出したことです。それを持って3月から4月にかけてアメリカに行ったんですけど、「プリミティブ」には日本の代理店からもコンタクトをとってくれていたので、本国チームが一緒に動こうと誘ってくれました。そこで1週間弱くらいのラスベガスツアーに行って、トレント・マクラングとかJP・ソウザと一緒に動いて、かなり良いフッテージを残すことができたんです。

「イレイズド」から発表された山下のパート

その後、ロサンゼルスに戻ってからも、「プリミティブ」のボス、ポール・ロドリゲスと一緒に動く機会があったりと、本当によくしてもらいました。この時はそれでいったん帰国したんですけど、代理店を通じて本国から契約の話が来ていると声をかけてもらったんです。最初はフロー(仮契約のこと)からだと思っていたんですけど、いきなりアマからの契約だったのは本当にびっくりしましたね。なのですぐにアメリカに行ってサインして正式に迎え入れてもらい、世界にオフィシャルでアナウンスされることになりました。

ーー「プリミティブ」といえば、今や屈指の人気スケートブランドですが、そもそもどうやって入ることになったのですか? またレジェンドスケーターのポール・ロドリゲスの印象はどうでしたか?

山下:「イレイズド」のルイスとアメリカに行った時の話なんですけど、サポートしてもらっている「ラカイ」の代理店の「OSC ディストリビューション」の人もちょうどアメリカに来ていて、本国の「ラカイ」の人達に会えるといいねと話していたんです。そんな会話もあって、滞在中に「ダイヤモンド サプライ」のパークに滑りに行ったら、その場にポール・ロドリゲスと当時の「プリミティブ」のチームマネージャーも来ていたんですよ。
その頃はちょうどOSCが「プリミティブ」を日本で展開しようというタイミングだったので、それもあってのことだったんですけど、パークで滑っている自分を見て、「アイツをライダーにすれば?」と声をかけてくれていたみたいなんですよね。それで日本に帰ってから声をかけてもらって、スポンサードしてもらえることになりました。
今でこそ「プリミティブ」はすごく人気のあるブランドになっていますけど、自分の場合は、猛アピールしたというよりも、ただタイミングが良かっただけなんです。
そして、ポール・ロドリゲスはレジェンドですし、もちろん前から知っていましたけど、緊張もあってあの時はあいさつも話すこともできなかったです。あとこれは今だから話せるんですけど、当時は「プリミティブ」ってブランド自体知りませんでした(笑)。

ーーでも山下さん世代だとポール・ロドリゲスの全盛期は知らないのでは?

山下:確かに全盛期をリアルタイムで観てはいないですけど、「ガール」のスケートビデオ『YEAH RIGHT!』は観たことがありますし、実際に会うとオーラもすごいから、いつもすごく緊張しちゃいます。言葉で言うのは難しいんですけど、粗相できないというか。自然とかしこまっちゃうし、一緒に滑る時の緊張もヤバいです(笑)。
でも「プリミティブ」は、チーム自体がすごく仲間意識の強いクルーで、なおかつしっかり動けているチームなので、撮影の時はいつも誘ってくれますし、自分を認めてくれたから、今こうしてアクティブに動けているのかなと思います。

よく日本人は世界に出ると遠慮がちになる人もいますが、みんな同じスケーターですし、自分がしっかり滑っていれば声をかけてくれます。自分はいつも通りやっていたら自然と打ち解けていきました。

ーーちなみに英語でのコミュニケーションはこなせるのですか?

山下:英語に関してはなんとか会話ができるかな? くらいです。文法とかはよくわからなくて適当になってしまうことが多いですし、まだまだ困ることが多いので、やっぱり難しいなと。
それでもチームメートが間違っているところは教えてくれるので、すごく助かっています。定期的にアメリカに足を運んで自然と覚えることができたら一番いいですけど、勉強もしっかりやらないといけないですね。

世界への道が開いた2021年のさまざまな契約

ーー「ラカイ」についてはどうでしょうか? 「イレイズド」とのコラボレーションモデルも発売されていたりと、こちらでもワールドワイドに動いている印象です。

山下:はい。今はアメリカ本国と契約して活動させてもらっています。でもこれもわりと最近で、2021年の8月にアメリカから日本へ帰国する直前にサインさせてもらいました。
ただ、これも今だから話せるんですけど、当時は「ラカイ」と契約するかかなり迷っていたんです。というのも、実は同じタイミングで他のブランドにも声をかけてもらっていて、どうするのが良いのかいろいろな人に相談していました。でも「ラカイ」のシューズは、昔から履いていて愛着や思い入れもあって好きだし、そのまま契約のグレードを上げるほうが良いのではないかという結論になりました。
その答えを出すのに時間がかかってしまったので、契約が帰国直前のタイミングになってしまいました。でも多くのブランドが自分に興味を持ってくれるのは光栄ですよね。

ーー他にもアメリカ滞在中には、「G-SHOCK」のウェルカムクリップも撮影していましたが、「G-SHOCK」への加入経緯を教えてください。

山下が登場する「G-SHOCK」のウェルカムクリップ

山下:きっかけは「G-SHOCK」がブランドを背負えるメンズのライダーを探していたことにあります。経緯としては、スケート専門サイトの「VHS MAG」を通して話が来て、実際にブランド担当の方とお話しさせていただいてお世話になることになりました。
その時に先ほど話したアメリカトリップのことも話したら「そこでウェルカムビデオ撮ってきたらいいじゃん!」という話になったので、アメリカのフィルマーとフォトグラファーを紹介してくれて、そこで撮れたものを使って正式にアナウンスしたという形ですね。
「G-SHOCK」は以前、「REAL TOUGHNESS」というコンテストを主催していてよく観に行っていたので、かっこいいブランドだなと思っていたので、今こうやって活動できてるのはすごく嬉しいです。

ーー今までロサンゼルスにはどれくらい行っていますか? これまでの旅の目的や思い出話があれば聞かせていただけますか?

山下:何回行ってるんですかね? 正直言ってわからないです(笑)。ただ初めて行ったのは「TAMPA AM」に出場した時です。でもルイスに誘われて中2の頃に行ったトリップは、それまでとは別物の体験だったのですごく思い出に残っています。渡航費も「イレイズド」が持ってくれましたし、いわゆる撮影のためのツアーを初めて経験しました。

あとは中3の頃に東京オリンピックの強化指定選手に選ばれていたのもあって、アメリカに限らずコンテストに出るためにいろいろな国を飛び回っていました。当時は今のように映像を残す活動よりも、コンテストで結果を残すことを意識していたので、2年半くらい前のことなのに今とは大きく違ったライフスタイルでしたね。今は夏にサインした契約があるので、いつアメリカに行っても活動ができる環境です。2021年の11月末にあった「TAMPA AM」に出た後もLAに寄ってチームメート達と動きましたし、2022年もこういった動きは継続していきたいと思っています。

現在のライフスタイルと今後のプラン

ーー日本にいる時は、バンタン高等学院でスケートボードとデザインを専攻しされていますが、日本ではどんな生活を送っているのですか?

山下:バンタン高等学院は恵比寿に校舎があって、大体午前中はデッサンや映像の編集、グラフィックデザインなどの勉強を2時間くらいしています。それからお昼休みを挟んでスケートパークに行って、そのまま滑りっぱなしで、いつも気付いたら授業が終わってる感じですね(笑)。
映像編集の先生がロブ太郎さん、デッサンが村岡洋樹さん、スケートの先生には、森中一誠さんと本橋瞭君に、先ほどのロブ太郎さんや村岡洋樹さんもいます。その先生達も昔から知っている方なので、一般的な学校の先生という感じはしません。その辺りもスケートボードならではの文化かなと思います。

ーー現在、17歳の高校2年生ですが、卒業したらどうしようと考えていますか? 今後のプランを教えてください。

山下:高校生の間は日本で動けるだけ動いて、アメリカに行けるだけ行って、半々くらいの割合で動けたらいいなと思っています。卒業するまでにビザが取れたらいいですね。その後はアメリカに引っ越して向こうをメインで動きたいと考えています。
コンテストに関しては、出れる時に出るって感じですかね。ただコロナ禍を挟んで、国内のコンテストはもう自分より年下の世代が台頭してきて世代交代が進んでいます。出場選手の中では年上になってきたので、だからこそ出るなら事前に会場入りして勝つのための練習もしっかりこなさないと勝てないと感じています。
今年の「TAMPA AM」の結果を見てもらえるとわかりますけど、今は世界でも日本の勢いがすごいので、そこには自分もきっちりついていって、スタイルと結果を出していきたいですね。

山下京之助
2004年5月23日生まれ、東京都品川区出身。スケートボーダー。Instagramのフォロワーは、36.9万人(2022年1月現在)を抱え、世界的ネームバリューを持つ次世代スター筆頭株かつ、新時代を象徴するスケーターの1人。小柄で俊敏な動きでスムースなテクニカルトリックを次々と繰り出していたことから、海外では“Japanese Ninja”とも呼ばれており、愛くるしいキャラクターとともに抜群の人気を誇っている。スポンサーブランドは、「プリミティブ」「ラカイ」「イレイズド」「G-SHOCK」「ナッシング スペシャル」「スピットファイヤー」「モブグリップ」「ケント ハードウェア」「フィフティーフィフティー」
Instagram:@_kyonosuke_

Photography Yoshio Yoshida

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スケートボード・堀米雄斗が着用したアイテムが「StockX」で人気 ユニフォームの取引きは200%増加 https://tokion.jp/2021/08/07/nikesb-yuto-horigome-stockx/ Sat, 07 Aug 2021 07:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=51499 ユニフォームは、「StockX」で世界的に最も取引されているアパレル製品のトップ10に入るほどの人気。シューズも「StockX」での最高取引価格を更新。

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東京オリンピックの新競技、スケートボード(ストリート)で金メダルを獲得した堀米雄斗が着用した「ナイキ SB」のユニフォームやシューズが「StockX」で人気となっている。

ユニフォームは、「StockX」での取引数は500点以上、平均販売価格は176ドル、取引が200%増加した。堀米選手が金メダルを獲得した翌日には、平均販売価格が20%上昇したちいう。さらにオリンピックが開催後、このアイテムは「StockX」で世界的に最も取引されているアパレル製品のトップ10にも入っている。

また、堀米がオリンピックで履いていた「Nike SB Zoom Stefan Janoski Slip RM ISO Orange Label White Gum」は、「StockX」において小売価格の170%となる200ドル以上で取引され、このシューズの「StockX」での最高取引価格を更新した。

他にも「ナイキ SB」から発売されたオリンピックユニフォームなどを手掛けた、オランダ人アーティストのピエット・パラとのコラボレーションスニーカー「ナイキ SB パラ ダンク LOW プロ Abstract Art」の取引数も伸びているという。

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「ナイキSB」が堀米雄斗らが着用するフェデレーションキットを発表 https://tokion.jp/2021/06/30/nike-sb-piet-parra/ Wed, 30 Jun 2021 01:45:00 +0000 https://tokion.jp/?p=41652 「ナイキ」はフェデレーションキットを発表。オランダ人アーティストのピエット・パラのデザインによるもので、日本、アメリカ、フランス、ブラジルの都市の風景が強調されている。

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「ナイキ」はアメリカ、フランス、ブラジルに続き、日本のフェデレーションキットを発表した。今回のフェデレーションキットは、オランダ人アーティストのピエット・パラのデザインによるもので、日本、アメリカ、フランス、ブラジルの地理に関連したユニークな色彩あふれたウェア。それぞれのプリントは、各都市のなじみのある風景が強調されて描かれている。

ジャージには、吸湿性のある糸を使用。さらにアメリカのバスケットボール、日本のベースボール、フランスのテニス、ブラジルのサッカーなど、それぞれのウェアは、その国になじみの深いスポーツへのオマージュとなっている。また、アメリカは鷲、日本は鶴、フランスはオンドリ、ブラジルはオオハシがデザインされており、それぞれの国の精神性や個性を象徴している。カラーに関してはピエットの特徴であるターコイズ、マゼンタ、ピンクのパレットをポートレートに使用している。

スケートボーダーの堀米雄斗選手は、「新しい代表ウェアは日本がデザインに象徴されていて、すごくかっこいいデザインだと思います。日本代表ウェアを初めて着るのですが、このウェアを着て、今年の夏の大会で滑れるのが楽しみです。ジャージは、着心地がすごくよくて、スケートをして汗をかいてもすぐ乾く素材になっているので、すごく滑りやすいと思います。この夏は、世界のスケーター達がみんな集まるので、みんなの滑りを見てほしいし、自分の滑りにも注目してほしいです」とコメントする。

「ナイキ SB フェデレーションキット」は7月17日から一部のスケートボード専門店にて先行販売を開始し、7月20日からSNKRS アプリ、Nike.com、そのほか一部の専門店で順次販売を予定している。

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