お笑い Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/お笑い/ Tue, 21 Dec 2021 09:30:56 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png お笑い Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/お笑い/ 32 32 「M-1グランプリ2021」鑑賞記——「Life is beautiful」は漫才という営みへの賛辞 https://tokion.jp/2021/12/21/m-1-grand-prix-2021/ Tue, 21 Dec 2021 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=85481 『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後。』や『2020年代お笑いプロローグ 優しい笑いと傷つけるものの正体』『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』などの同人誌を発行する会社員兼評論作家の手条萌(てじょう・もえ)による「M-1グランプリ2021」鑑賞記。

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12月19日に開催された「M-1グランプリ2021」は、錦鯉の優勝で幕を閉じた。筆者は3回戦と準々決勝を各会場、準決勝をオンラインで観戦していたが、予選から波乱に次ぐ波乱だった。優勝候補が多数敗退し、初出場5組がファイナリストとして選出された。昨年勃発した「漫才論争」へのM-1としてのアンサーは、今回のファイナリストの選出をもってして行われたように見える。キーワードはおそらく「多様性」だ。この大漫才時代において、漫才にも多様性があり、そしてそれを大衆より先に、権威としてのM-1が認めるということに大きな意味があったことだろう。

加えてもう1つ、今大会のテーマとして期待されていたのは、キャッチコピーである「人生、変えてくれ。」 に象徴されるような、シンデレラストーリーとしての役割だ。M-1チャンピオン、あるいは爪痕を残したファイナリストの人生は、確かに決勝戦以前と以後でガラリと変わる。その役割は今に始まったことではなく、2010年までの「旧M-1」においても同様だ。M-1が権威である以上は、大会内で存在感を残すことや優勝することで漫才師として箔付けをされる。もちろんそれだけではなくテレビスターとしての人生を歩むきっかけにもなるのだ。そして今大会は、どちらかというと後者を期待され、「一発逆転劇」「地下からの逆襲」が強調された建付けであっただろう。そのようなテーマ設定で展開された2021年大会であったが、突然人生が変わるというよりは、長年の努力が結実した結果となった。M-1の予選までの思惑と微妙に乖離(かいり)している結論に着地した今大会について、決勝を振り返りながら詳しく見ていこう。

決勝戦で特徴的だったのは、何よりも前半と後半で空気が一変したことだった。特に6番目のオズワルド以前と以後でまったく会場のボルテージが異なっている。2019年、2020年の決勝戦において、自身の出番のあとの空気を落ち着かせるという意味で「おくりびと漫才」などと一部で揶揄されていたオズワルドが、今回は起爆剤となった。過去には「静かな東京漫才」と呼ばれたかと思えば、逆に「声を張り過ぎている」とも言われ、静か動かのはざまで悩んでいる時期もあったように思われたが、彼らが出した結論は、静から動への意識的な接続と、その絶妙なダイナミズムだった。それが大きな爆発を生み、評価され、ファーストラウンドにおいての最高得点である665点を叩き出した。落ち着いたムードの大会が一組のコンビの躍進で大会自体のうねりを生む。この現象は2019年大会決勝のかまいたちによるものが記憶に新しいだろう。このうねりが発生することで以後の出番のコンビが跳ねやすく、そしてパフォーマンスがしやすい空気となる。これが出順が重要だと言われている大きな理由である。実際に、オズワルドが生み出した熱は、ロングコートダディ、錦鯉、インディアンスへと引き継がれていった。かつては静的漫才の象徴だったオズワルドが今大会の一番熱を帯びた瞬間を作ることとなることなど誰が予想しただろうか。劇場での彼らは、ただ舞台数をこなすだけではなく、あらゆる手法、そしてパフォーマンスの試行錯誤を繰り返していた。その努力が1つの到達点を迎えた瞬間だっただろう。もちろん作品としてネタが評価されるのも重要なことではあるが、結局のところパフォーマンスにも大きく依拠するのだと思い知らされた。

逆に大会自体の方向性、厳密には決勝の方向性が定まる前の前半組においては、パフォーマンスが上手くハマらないというもどかしい現象も起きる。今回のみならず、特に決勝戦における前半のハマらなさは、決勝自体の方向性が未設定ゆえの手探り感によるものであり、後半のハマらなさはその方向性とのズレによるものと解釈できる。その意味において、ゆにばーすはネタ、パフォーマンスともにスキルの高さを見せつけることに成功していたが、なぜか後一歩という評価で着地してしまった。これは決勝戦自体の方向性が未設定の前半の出番であったがゆえに発生する事象である。

また同じく前半組であり、ニューフェイス、多様性という側面で期待されていた存在のモグライダー、ランジャタイ、真空ジェシカは、予選までのテーマ設定とは解釈が一致している出場者であった。しかし決勝においては、予選やファイナリスト選出までのテーマ設定は一度リセットされる、ということを体現した形となった。予選と決勝では、審査員も観客も視聴者の層の厚さも異なるので当たり前なのだが、決勝は決勝の自然発生的なテーマで進行することとなる。これを勝ち抜くには予選までの空気を信じながらもリセットされることを理解し、さらにテーマを自分から再設定できるような存在になる必要がある。

逆に後半組であるロングコートダディ、ももは、ネタの構成も内容もおもしろく、完成度も高く、場の空気自体もコントロールできるネタ運びであり、実際に評価もされていたが、今回の決勝で作られてきた解釈とは不一致となってしまったと考えられる。特にロングコートダディはこの1年でのネタ調整の努力がすさまじく、準決勝敗退となった昨年の反省をもとに、より良いネタ、パフォーマンスを目指していた印象である。具体的には観客の感情移入をしやすいように、ヘイトバランスを細かく調整し続けていた。その結果が正当に評価されファイナリストに選出されたが、決勝の方向性においては逆に外連味がもう少しほしいという印象につながってしまったのかもしれない。ももも同様に、結成して以来毎日ネタ合わせを行っているからこそ、流暢さからもう一歩、緊張以外のフックを求められたのだろう。

すなわち、理論上のM-1攻略法としては自らがテーマを設定できるくらいの強度があるか、あるいは設定されたテーマに当てはまるパフォーマンスができるかを検討することだと考えられる。しかしそれだけでは優勝はできない。ここで最後の最後に自分自身の思想を示せるかが重要な決め手となる。

今回の決勝でのテーマとしては、静から動へのダイナミズム(奇しくも決勝自体の構成そのものと同じである)、あるいはひたすらにアッパーなところでテンションが維持される表現、というもののように見えた。しかしそこに1つ欠けていた――しかし絶対に必要だった――ピースを最後にはめたコンビがトロフィーを手にすることになった。

錦鯉が最後に見せたもの、それは神々しさである。

地下からの這い上がり、人生を変える努力……それらの泥臭い心意気は予選から決勝に至るまでに十分に示されてきたM-1側からのテーマだった。しかしM-1の歴史の中で、もっとも重視されてきたのは、漫才に尊さを与えることだったはずだった。それは権威と言い換えることもできるかもしれない。かつてはクラスの人気者がお笑い芸人を夢見たが、現代では大学お笑いの隆盛にも見られるように、意識や感度の高い若者が目指すところとなり、お笑い芸人はもっともリスペクトされる職業の1つとして世間に認識されている。そんなお笑い芸人の中でも、丸腰で舞台に向かう漫才師は特別な存在である。憧れているだけでは漫才師にはなれないし、漫才師であることを維持できないのだ。漫才をしていないと漫才師ではいられない。だからみんなM-1に出場するし、戦う季節を過ぎてもどうにかして人生の終わりまでマイクの前に立ち続けたいと願うのである。

お笑い芸人、ひいては漫才師を特別な存在としてきたのは、新旧合わせたM-1グランプリの歴史の積み重ねによるものだ。過去の出場者達の鬼気迫った勝利への執着、すなわち「ガチ」さがぶつかることで、想像以上の力学が働いて誰も予測できない展開を見せ、その様子に人々は夢中になっていった。もはや誰の手にも負えないもの、予想できないもの、それは神の領域であり、尊さそのものだった。尊さゆえにM-1は多くの漫才師やそのファンに甘い夢を見させ、あるいは残酷な地獄に落とすのだった。

錦鯉のネタは簡単に言うとおバカ系とカテゴライズすることができるだろう。これは一見、尊さとはかけ離れているように思える。しかしファニーさを突き詰めた先にあるのは狂気、そしてさらにその先に見えるのが神々しさである。ファイナルステージの錦鯉の漫才のオチ、まるで成仏させるように寝かしつけてからの「Life is beautiful」に象徴される、生と死のはざまで行われる漫才という営みへの賛辞は、漫才自体、そしてM-1に再び権威を吹き込んだ。「多様性」「地下からの逆襲」「ニューフェイス」というポップでキャッチーではあるがいささかあざとく見えがちなテーマにより奥行きを失っていたM-1は、彼らの優勝の瞬間に神性を帯びたのだった。

記録に残るネタは記憶にも残る。歴史に刻まれているチャンピオン達のネタは、必ず爆発ポイントがあり、そこを切り出した編集をするだけで当時の空気を思い出させるほど印象深い。錦鯉もこの流れの中で語り継がれる存在となるはずだ。そして何より重要なのは、これは50代であったとしても漫才を続けていたからこそもたらされた明るい未来だと、多くの漫才師が目の当たりにしたことだった。彼らは希望を見ただろう。

さて、ここでファイナリスト最後の1枠を決める戦い、すなわち敗者復活戦について言及する。当日の14:55より六本木ヒルズアリーナの野外ステージで行われていた敗者復活戦で、最後のファイナリスト1組が選出された。今大会ではラストイヤーのハライチが国民投票により選出された。先述のとおり決勝戦の出順は大会の結果に大きく影響するものであるが、敗者復活戦の勝者が呼び出される瞬間は決勝戦の緊張は緩和し、お祭りムードとなる。極寒の野外からの熱気を纏い会場に向かってくる生還者により、決勝のステージはさらに独特の雰囲気となる。

筆者は前日の18日、大阪なんばの「よしもと漫才劇場」の寄席を見に行っていた。ファイナリストのロングコートダディ、もものほかに、敗者復活戦出場の見取り図、ヘンダーソン、マユリカ、からし蓮根、カベポスターが出演しており、翌日に向けての最終調整を行っていた。その寄席では全員ウケていたのに敗者復活戦ではあと一歩のコンビもいれば、勢いそのままのコンビもいた。しかし結果としては、このメンバーからは誰も敗者復活戦を制することができなかった。決勝には決勝の勝ち筋があるのと同様に、敗者復活には敗者復活の対策法があるはずなので、それを探る難しさという壁にぶち当たった印象である。敗者復活戦出場が初めて、あるいは久々の出場者にはナレッジが蓄積されていないので、極めて難しい戦いとなる。仮に過去に決勝戦で善戦したことがあったとしても、敗者復活戦は決勝、あるいはここまでの予選ともまったくの別理論で進行するためである。

そして今回のハライチのように敗者復活戦で勝ち上がったとしても、敗者復活戦の空気や評価軸を抱えて決勝の場に行くことになるため、決勝の空気感と微妙に噛み合わない印象となる。民衆の総意である敗者復活者であるならば勢いそのままに決勝の場をハックできるかもしれないが、特に票が割れているように見える今回のような場合は(2位の金属バットと僅差だった)、敗者復活からの優勝、あるいは善戦は難しいのかもしれない。その意味で、2015年の敗者復活戦を制したトレンディエンジェルが優勝したのは、復活後初めてのM-1および敗者復活戦だったため、蓄積されたナレッジがなかったことが功を奏したからと思われる。

ここまで駆け足でM-1グランプリ2021決勝の総括を行ってきた。決勝のみならず予選、そして予選のみならず劇場では、たくさんの漫才師が各々の気持ちと意志を込めた漫才を行い、客席を笑わせている。重要なのは、チャンピオンだけが漫才をし続けることを許されるのではないということだ。逆にこれまでのチャンピオン17組しか漫才師を続けられないなどという馬鹿げた話があってたまるものか。どんな結末だったとしても、人生は続いていくのだ。それぞれの漫才師にはそれぞれのM-1があり、そしてそれぞれの漫才師人生がある。M-1にエントリーしようがしまいが、そして結果を残そうが残せまいが、これからもずっと漫才をしてほしい。どうか胸を張ってほしい。前を向いてほしい。そして遠い未来までずっと劇場に立ち続けてほしい。深く皺が刻まれた顔で、M-1戦士だった頃のことを懐かしみながら、屈辱も栄光も笑いに変えてほしい。大漫才時代を漫才師達とともに生きたことが、多くのお笑いファンにとっての誇りなのだから。

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「つらいことも、笑ってもらえるなら意味がある」 かが屋・加賀翔が初小説に込めた“笑い”による希望 https://tokion.jp/2021/12/06/sho-kaga/ Mon, 06 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=81119 11月10日に自身初の小説『おおあんごう』を上梓したかが屋・加賀翔。初の小説執筆を終えた今の思いを聞く。

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『キングオブコント2019』で決勝進出を果たして以来、人間の心の機微を描き出すコント師として唯一無二の存在感を放っているかが屋・加賀翔。11月10日に上梓した自身初の小説『おおあんごう』(講談社)は、故郷・岡山で破天荒な父親に振り回されながら、“笑い”によって自身の境遇を受け入れていった加賀の私小説的な作品だ。

痛みも悲しみも、誰かに話すことによって救われる──。主人公の少年・草野の挫折と成長は、理不尽なことやしんどいことも笑いに昇華する「芸人」という職業の不思議な感性にも重なっている。

初の小説執筆を終え、「自分にしか書けない物語だった」と振り返った加賀が語る、少年時代の記憶と「お笑い」の話。

「本当に、お笑いがない場所で育ったんです」

──初めての小説執筆となった今回、生まれ育った岡山での経験を描こうと思ったのはどんな気持ちからだったのでしょうか。

加賀翔(以下、加賀):1年半前に、以前『群像』で書いたエッセイをもとに小説を書きませんか、というお話をいただいて。最初は『おおあんごう』とはまったく違う物語を書いていたんです。でも、なんか自分の話じゃないという感じがして。やっぱり初めて小説を書く人は、自分の通ってきた経験からヒントを得て書くんじゃないかと思ったんです。それで、そこから逃げずに自分の地元や家族と向き合って書こうと思いました。全部が実体験ではないし基本的にはフィクションですけど、もし映像化するなら父親役はやっぱり自分の父親になるだろうし、舞台も僕が育った地元になると思います。

──『おおあんごう』では、「誰かに話すことで救われる」というのが1つのテーマになっていたように感じました。主人公の草野くんは、破天荒な父親とのひどいエピソードも親友にしゃべって笑い話にすることで、少しだけ救われるというか。

加賀:僕が育ったのは、本当に“お笑い”感覚のない地域だったんです。つらい話はつらいし、悲しい話は悲しい。それを面白がることって失礼じゃないかっていう空気があったんです。「でも、それって救われないよな」っていう気持ちがすごくあって。つらい話も、誰かが笑ってくれたら意味があるように思えるじゃないですか。「つらいよね」って同情してくれても、それで助かる時もありますけど、やっぱり気持ちは晴れないし。「笑えてもらえてラッキー」っていう感覚があったほうが、やっぱり楽なんですよね。もし今つらい思いをしている子がいたら、そういう考え方もあるよっていうのを伝えたい気持ちはありました。

──加賀さんの中にも、子どもの頃からそういう感覚があったんですか?

加賀:僕はけっこう最初から父親のことは面白がっていて、「頭おかしいよ」ってずっと思ってましたね(笑)。友達のお父さんはみんなちゃんとしているのに、僕のお父さんは運動会に酒を持ってきて、「行けオラア!」って競馬場で叫んでいるみたいに騒いでるような人でしたから。顔もカッコよくて背も高かったから、それで周りのお母さんからチヤホヤされたりして……。承認欲求を満たすために子どものイベントに来るような、そういう人でした(笑)。ただ、僕はそういうのを面白いと思って周りの人に話してましたけど、みんなは引いてましたね。

──ああ……。

加賀:僕の話術の力量不足でもあるんですけど、「大丈夫……?」って逆に心配されちゃったりして。やっぱり僕みたいに面白がれる子ばっかりじゃないよなと思って、小説では自分と感覚の違う子を主人公にしたいっていう気持ちはありましたね。

──芸人さんも、「これはしんどいな」っていう話も笑いに変えることができるお仕事だと思うんです。

加賀:そうだと思います。「これはキツいって……」みたいな笑えないこともありますけど、そういうことも「さすがにしんどいわ」って言葉にしてしゃべっちゃいます。もしお笑いがなかったら、もっとそのしんどさを食らってると思うんで。

──お笑いがあることで、少しだけつらいことも緩和される。

加賀:昔なにかのライブの時に、占い師さんが芸人を占うっていう企画があって。そこで占い師さんに「しんどいなあって思うことが多いでしょ。でも、他の人だったらもっとしんどいって感じてるよ」って言われたんです。もしかしたらお笑い芸人ってみんなそうなんじゃないかと思ったし、なぜか印象に残りましたね。小説を書いている時も、一瞬だけその時のことを思い出しました。お笑い芸人ってそういう能力に長けていると思うんです。本当は結構つらいのに、バイトをクビになった話とかめっちゃ言うじゃないですか(笑)。

──確かに、貧乏だった話とか苦労した話も楽しそうに聞こえますよね。

加賀:事務所の先輩とライブの楽屋で一緒になると、「夜勤がしんどかった」っていう話が一番盛り上がりますもんね(笑)。売れてる先輩とかもみんなそういう話を明るくしゃべりますし。今が楽しいって思えるように自分でスパイスを加えるというか……みんな、草野くんみたいにいろいろ考えているんだろうなと思います。

他人が変わることに期待するよりも自分を変える

──『おおあんごう』では、何度も痛い目に遭ってるのにまったく懲りないお父さんの姿にも、加賀さんの人間観がにじみ出ているような気がしました。

加賀:そうかもしれません。小説の中にも出てくるエピソードですけど、実際に父と東京で会ったことがあるんです。その時も父はちゃんとお酒を飲んでいて(笑)。やっぱり人間って変わらないんですよね。だから本当はハッピーエンドにしてあげたかったけど、草野くんの向こうに見え隠れしている自分に申し訳なかったというか……。そういうのを受け入れて書くのが、自分が背負っている業なんだろうなと思って書きました。

──でも、変わらなくてもいいし、別にいい人にならなくてもいいんじゃないかという優しさも感じました。

加賀:ちゃんとムカつきますけど、ちょっとずつそうやって思えるようになっていけたらなって自分に言い聞かせているところもありました。誰かが変わることを期待するのはあんまり意味がないし、自分が変わったほうが絶対に早いっていうのは、僕の人生の前半戦で学んだことですね。

──草野くん自身も、懲りないお父さんとの受け入れ方や距離感を少しずつ身につけていって……

加賀:草野くんがいろいろ頑張って、試したところを評価してあげてほしいですよね。勇気を出して反発してみるとか、受け入れようと思ってみるとか、面白がってみるとか、いろんなやり方を試していけたらいいんだろうなと思います。

──親友の伊勢くんの存在もすごく大きかったですよね。

加賀:僕も「いいなあ」って思いました。こんなにいい友達がいてよかったね、って(笑)。もともと伊勢くんは登場する予定はなかったんですけど、編集の方が「話ができる親友が出てくるのもいいんじゃないですか?」ってアドバイスしてくださって。自分の想像の中からは出てこなかったアイデアなんで、ありがたかったです。

背伸びをせず、素直な言葉を紡ぐこと

──加賀さんはもともと読書が好きだったそうですが、特に好きな作家や影響を受けた作家はいますか?

加賀:一番の影響で言えば又吉直樹さんです。昔、『王様のブランチ』で紹介されていた又吉さんとせきしろさんの自由律俳句の本『まさかジープで来るとは』を読んで、衝撃を受けました。「これは人生変わるわ」ってくらいの衝撃で。そのあと、又吉さんの『第2図書係補佐』という本を紹介するエッセイを読んで。そこからいしいしんじさん、西加奈子さん、中村文則さん、古井由吉さん……といろんな作家さんの小説を読むようになりました。

──そうした読書体験は、執筆にも影響があったのでしょうか。

加賀:いや、僕がそこから何かを得て小説に生かそうと思ったことはほとんどなくて。本当にプロとアマチュアの差ってすごいんです。書いているうちに、自分のボキャブラリーのなさを痛感するわけですよね。だからこそ、モノマネはやめようと思って。背伸びして中村文則さんとか古井由吉さんのようなすごい文章を書こうとか、そういうことは考えずに。ちゃんと自分の言葉で、素直に無理せず書こうと思いました。同じ岡山出身の重松清さんもめっちゃ好きなんで、岡山弁がバリバリ出てるのはちょっとどうなんだろう……って思ったりもしたんですけど。でも、そこも隠さずに素直に書こうと思いました。

小説を書いたことで、幼少期のすべてが報われた

──今回、『おおあんごう』を書き上げたことで、故郷の岡山への気持ちや過去の捉え方も変わりました?

加賀:僕、昔は岡山を出たくて仕方なかったんです。岡山弁も怖いし、「おおあんごう」っていう言葉もすごい嫌だったんですよ。でもお笑い芸人になってから岡山の話も笑ってもらえるようになったり、こうやって小説を書かせてもらったりしているうちに、あの時の全部が報われたなっていう気持ちになりました。今はもう、岡山のためになんでもやりたいです(笑)。

──芸人仲間や先輩からも感想をいただいたりしましたか?

加賀:僕と同じようにちょっと複雑な家庭環境で育った人ほど「よかった、わかるわー!」って言ってくれます(笑)。あとは「壮絶やな」みたいに言ってくれて、肩をポンポンと叩いてくれる先輩も増えましたね。

──そして11月20日の『王様のブランチ』では、BOOKランキングで1位を獲得しました。

加賀:さっきそれを知ってインタビューの直前まではしゃいでました(笑)。昔、パンサーの向井さんと又吉さん、サルゴリラの児玉智洋さんが3人でやっているラジオにゲストで呼んでもらった時に、「本が好きなんです」っていう話をしたんですよ。だから『王様のブランチ』で、僕の本が1位になっているのを見て向井さんが「おお〜」って顔をしていて。それを見たら感無量でしたね、やっぱり。

──読者からの反響も感じていますか?

加賀:そうですね、少しずつではありますけど。今まではお笑いが好きな人しか僕らのコントを見てもらえなかったんですけど、小説になると本当にいろんな人に読んでもらえるじゃないですか。僕がお笑い芸人だって知らない方からも感想のお手紙やコメントをいただくこともあって、うれしかったです。その一方で、お笑い芸人ってやっぱり一般の人とは感覚がズレてるのかな……っていうのも感じていて。だからちゃんと歩み寄らないといけないし、「こっちが正しいでしょ」っていう振る舞いをするのは危険だなと感じました。

──「ズレ」と言うと?

加賀:この小説を僕は笑ってほしいと思って書いたつもりでも、読んでくれた方から「しんどかった、つらかった」っていう感想をいただくこともあって。それが胸に刺さりました。でも、それは「書かないほうがよかった」というわけじゃなくて。自分の力量不足なところも絶対にあるんですけど、これは僕にしか書けない話だと思うし、単純に「もっと上手くなりたい」って思いました。読者の方々からの感想を通じて、世の中には本当にいろんな考え方や感じ方がある、ということを実感できたのが本当によかったです。

──「上手くなりたい」ということは、2作目も考えているのでしょうか?

加賀:ちょっとだけです、ちょっとだけ。あんまり言うと「書きましょう」って話になるかもしれないので……(笑)。僕が勝手に書くぶんにはいいと思うんですけど、やっぱり大変ですよね。単独ライブも、毎回5分とか10分の新ネタを7本くらい作るんですけど、そういう時期って本当にキツいんです。でも、いざ始まったらお客さんが笑ってくれて、楽屋に戻ったらすぐ「次もやりたいな」っていう気持ちになってるんですよ。あんなに大変だったのに……。だから今は書きたいなっていう気持ちになっているんですけど、ちょっと自分でセーブしてます(笑)。でも人生でもう1冊は絶対に書きたいですね。

加賀翔(かが・しょう)
1993年、岡山県生まれ。マセキ芸能社所属のお笑い芸人。相方の賀屋壮也と2015年に「かが屋」を結成。『キングオブコント2019』では決勝に進出。ラジオ・バラエティ番組の他、趣味の短歌と自由律俳句のイベントにも出演しマルチに活躍中。
https://www.maseki.co.jp/talent/kagaya
Instagram:@kagaya_kaga
https://www.youtube.com/channel/UCbJFVj5Zp7NVzOxAj75F7GQ

おおあんごう 加賀翔

■おおあんごう
著者:加賀翔
発売日:2021年11月10日
価格:¥1,540
判型:四六
ページ数:178ページ
出版社:講談社
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000358080

Photography Masashi Ura

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