東京青春朝焼恋物語 Archives - TOKION https://tokion.jp/series/東京青春朝焼恋物語/ Tue, 10 May 2022 01:21:25 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 東京青春朝焼恋物語 Archives - TOKION https://tokion.jp/series/東京青春朝焼恋物語/ 32 32 『勝手にふるえてろ』が描く恋愛の折り合いと、片思いする人達へのメッセージ/連載「東京青春朝焼恋物語」第3回 https://tokion.jp/2022/05/14/tokyo-young-love-series-vol3/ Sat, 14 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=115425 ライター・絶対に終電を逃さない女が東京を舞台にしたラブストーリーについてつづる連載エッセイ。第3回は松岡茉優主演の映画『勝手にふるえてろ』。

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日本の文化の中心であると同時に、あらゆる創作物のテーマにもなってきた、東京。発展と崩壊、家族の在り方、部外者としての疎外感、そして恋――さまざまな物語を見せてくれる東京に、われわれは過ぎ去った思い出を重ね、なりたかった自分を見出している。

本連載では東京在住のライター・絶対に終電を逃さない女が、東京を舞台にしたラブストーリーを取り上げ、個人的なエピソードなどを交えつつ独自の視点から感想をつづる。

第3回の作品は、大九明子監督による松岡茉優主演の映画『勝手にふるえてろ』(2017年)。松岡茉優演じる主人公のヨシカが好く相手と好かれる相手、妄想と現実のギャップに揺れ動いた上で最後にとる選択――そこから読み取れる恋愛の在り方とは?

好きな相手へのそれぞれの振る舞い

キモくなくてダサくなくてウザくない人と付き合いたいけど、それらがそろっている男はだいたい遊び人だし、遊び人ではないのにそろっている貴重な人がいたとしても、私の手の届かないところにいる。

と勢いでツイートしようとしてやめた。完璧に見える人も本気で付き合ったら何かしらダサかったりウザかったりするのかもしれないし、そもそも私だって相手から見ればそういう部分があるだろうし、キモい・ダサい・ウザいとは具体的にどういうことかの説明が必要かもしれないし、などと思ってまとまらなくなったからだ。

そんな時に観た『勝手にふるえてろ』。ヨシカに思いを寄せるニ(渡辺大知)が、まさしく私の思うキモい・ダサい・ウザいを見事に体現してくれていてもはや爽快だった。綿矢りさによる原作のニはそうでもなかったのだが、映画版ではその三拍子がそろった絶妙に不器用な人物に仕上がっている。

冒頭、経理部のヨシカに指摘された領収書のミスについて、「いや〜プロジェクトがらみじゃなくてよかったわ、動く金額、億単位だもん」「俺今、億動かしてるから。やっぱ神経弱ってるんだな。昨日も3時間しか寝てないし」などとドヤ顔でアピール。登場からウザい。

ヨシカと接点を持つために開催した飲み会での、「経理やれる女性って、きちんとしてるから、正直良い奥さんになれそうですよね」「営業の女性も見習ったほうがいいと思います」などの発言もウザいのだが、「ごめんなさい、これだけ、ごめんなさーい」と強引にヨシカとツーショット自撮りをし、かすかに震える手でスマホを操作しながら「この写真を送りますんでLINE教えてもらってもいいですかね」と切り出すシーンなどは、あまりのリアルなキモさに身震いしてしまった。こういう人いるよなあ。下心を隠そうとして全然隠し切れていない。それならいっそ潔く隠さないでほしい。こっちが恥ずかしくなってしまうから。

クラブで反復横跳びもダサくて恥ずかしいからやめてほしいし、付き合ってもないのに「俺達の思い出の品」とヨシカに一方的に惚れたきっかけである赤い付せんをプレゼントするシーンでは、お前1人の思い出だろ、と言いたくなる。

「年明けてから連絡できてなくてごめん。不安にさせちゃったよな」って、彼氏ヅラすんな。

有明のタワマンのオートロックをすり抜けてエレベーターにまで同乗するのは、それはもう不法侵入だから。引くわ。

などと、鑑賞中、散々心の中で悪態をついてしまった。と言いつつ私は、現実でそうしたアプローチを器用にできるスマートな男性を前にすると、それはそれで「うわ〜慣れてんな〜」と警戒してしまう。この作品にはそうした男性は登場しないものの、多分、いや絶対に、ヨシカも同じタイプだと思う。

私にはヨシカにとってのイチ(北村匠海)のような存在はいないものの、好きな人のことは見ているだけなところも同じだ。原作の「私はベストを尽くしても欲しいものが手に入らなければ、きっとプライドを傷つけられて立ち直れなくなるから、ほとんどなにもせずにいつも欲しいものは見ているだけ」という一文を読んだ時は、痛いところを突かれた気分になった。自分は戦わずに、安全な場所から文句を垂れているのだ。

2人のやりとりから見えてくる恋愛の在り方

その点、ニは正反対である。どんなに泥臭くても彼なりにベストを尽くしている。クラブで酔って反復横跳びをして、通りかかったラブホテルの前で嘔吐したあとという究極にダサいシチュエーションではあるものの、初めてのデートで彼は「俺と付き合ってください」とストレートに告白する。世間には3回目のデートで告白すべきというセオリーもあるが、彼等のような都会の20代の社会人なら、同時進行で複数の恋人候補の選考を行う人も多い。3回目を待っている間に他の人に取られる可能性が大いにあるので、この人と付き合いたいと思ったら1回目でも告白するくらいの勢いは必要である。

そんなニに触発された部分も多少あったのか、妄想の世界に生きてきたヨシカは、現実へと立ち向かっていく。ヨシカはニのやり方を踏襲しつつ奮闘するが、その挙動不審ぶりに周囲は引きまくっている。同級生の名前をかたって同窓会を開き、イチが東京に住んでいるという事前情報をもとに上京組を集め、突然写真を撮って震えながらLINEを交換する。後日、同級生のタワマンで上京組同窓会を開催することに成功したものの、無理にアピールしようとして食器の片付けをし始めたことが裏目に出てウザがられてしまう。半ば自暴自棄になってまだ1月なのに他人の家のカレンダーを3月まで勝手にめくるなどはただの迷惑行為である。

自分だって好きな人にアプローチしようとするとキモくてダサくなるくせに。ヨシカのぶざまな姿を通して、そう言われている気がした。

それでもヨシカは、一瞬とはいえイチと心を通わせることに成功し、イチはしみじみとつぶやく。「あの頃君と友達になりたかったなあ」。もっと早く行動していれば2人は結ばれたのかもしれない、と思わせられる切ないシーンだ。傷つきたくないという臆病な自尊心は、自分が損をするだけなのかもしれない、と反省もさせられる。

結局イチに名前すら覚えてもらえていなかったヨシカは勝手に失恋し、ニとレインボーブリッジデートに出かける。すると、どうしてだろう。待ち合わせのカットで久々に登場したニが、急にかわいく見えてくる。ヨシカがあれだけウザがっていたニにかれ始めたのと時を同じくして、ニに惹かれ始めている自分がいるのだ。全くわざとらしくなく、ごく自然に、観客がヨシカと一緒にニにかれ始めるように計算された脚本や演出、演技の絶妙なあんばいに舌を巻く。ヨシカから「私たち付き合おうか」と言われて「やった〜〜!!」と子どものように喜ぶあたりからは、もうかなり愛おしく思えてくる。

その後のシーンでも、それまで彼氏ができたことがなかったヨシカについての「そういうピュアなところもかわいいなって」など、相変わらずキモい発言はあるのだが、それでもあんなに脈ナシだったヨシカを熱心に口説き続けてきた一途さを振り返ると、かなり良い男に思えてくる。

終盤、アパートの玄関で言い争うシーンは、むしろヨシカのほうがかなりウザい。「私のこと愛してるんでしょ!? こうやって野蛮なこと言うのも私だよ! 受け入れてよ!」などと身勝手な要求をするヨシカに、さすがのニも「うぜえ……」とへきえきし、「いくら好きだからって、相手に全部むき出しでしなだれかかるのは良くないよ」と正論で応戦したかと思えば「とか言っちゃって俺、今さら何言っても、好きなもんは好き」と折れ、「俺との子供作ろうぜーー!!」という謎の恥ずかしすぎる決めぜりふを放つ。どっちもかなり痛いのに、いつのまにか2人の恋路を応援したい気持ちが芽生えている。

そしてなんだかんだ2人が結ばれたところで物語は終わる。キモいところやダサいところやウザいところが全くない人なんていない。お互いのそういうところも折り合いをつけながら関係を築いていくのが恋愛なのだ。そんなメッセージを私は受け取ったのだった。

「勝手にふるえてろ」というセリフに込められたメッセージとは?

ヨシカの「勝手にふるえてろ」というセリフで幕を閉じるこの映画は、主人公の女性が振り向いてくれない理想の男性と愛してくれるけどさえない男性との間で揺れた末に後者を選ぶという、王道のラブストーリーが主軸であり、公開当時は、似たような経験を持つ女性の共感を多く集めていた印象がある。

それをふまえると、やはり西野カナの「会いたくて 会いたくて」の「会いたくて 会いたくて 震える」という歌詞を連想する人は多いだろう。別れた恋人への未練を歌った曲ではあるが、『勝手にふるえてろ』と同様、不毛な片思いの葛藤を描いていると言える。「会いたくて 会いたくて」の発売が2010年5月、『勝手にふるえてろ』が「文學界」に掲載されたのが同年8月なのは偶然だろうか。

そう考えると、「勝手にふるえてろ」とは、新たな未来へと一歩を踏み出したヨシカの、妄想の世界に浸っていた過去の自分に向けた決別の言葉であり、会いたくて会いたくて震えている現実の女性達へのメッセージにも聞こえてくる。

『勝手にふるえてろ』が「会いたくて 会いたくて」のアンサーソングもといアンサーノベル/ムービーだとすると、挑発的なタイトル・セリフではあるがカウンターやアンチテーゼというよりは、不毛な片思いをしているすべての人に寄り添ってくれるような愛のある応援歌的な物語だと、私は思う。

Illustration Goro Nagashima

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『大豆田とわ子と三人の元夫』に見る、「モテてしまう」という現象の弊害/連載「東京青春朝焼恋物語」第2回 https://tokion.jp/2021/07/03/tokyo-young-love-series-vol2/ Sat, 03 Jul 2021 01:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=41638 ライター・絶対に終電を逃さない女が東京を舞台にしたラブストーリーについてつづる連載エッセイ。第2回はドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』。

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日本の文化の中心であると同時に、あらゆる創作物のテーマにもなってきた、東京。発展と崩壊、家族の在り方、部外者としての疎外感、そして恋――さまざまな物語を見せてくれる東京に、われわれは過ぎ去った思い出を重ね、なりたかった自分を見出している。

本連載では東京在住のライター・絶対に終電を逃さない女が、東京を舞台にしたラブストーリーを取り上げ、個人的なエピソードなどを交えつつ独自の視点から感想をつづる。第2回の作品は、今年4〜6月に放映されたテレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ系)。ある登場人物が苦しんだ、「モテる」ことについて考える。

※文中に物語の内容に触れる箇所がありますのでご注意ください。

「モテたい人にモテなきゃ意味ないですよ」

これは、“奥渋”を舞台にバツ3の女性とその元夫達が繰り広げる人間模様を描いたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』第4話での、最初の元夫である田中八作(松田龍平)の台詞である。

全くモテようとしていない、何も意識していないのに、あまりにも自然に次々と女性に好かれてしまう“オーガニックなホスト”の異名を持つ八作は、親友・俊朗(岡田義徳)の恋人である三ツ屋早良(石橋静河)からの熱烈なアプローチに困り果て、自身が経営するレストランで営業中にもかかわらず、深いため息をつく。
それを見て「彼がため息つくって相当のことだよね」と気にかけた2番目の元夫・鹿太郎(角田晃広)と3番目の元夫・慎森(岡田将生)に、レストランの同僚・もっちん(長岡亮介)が「また女性にモテて困ってるみたいなんです」と説明する。

「彼は右肩上がりでどんどん好かれるんです。何もしなくても自動的にモテるんですよね。歩いてるだけで。(エレベーターの)ボタンを押すだけで。モテ方が自然現象なんですよね」

直感的には早良に惹かれつつも、親友との関係を優先し、断固拒否の姿勢を貫く八作。それでも全くめげない早良と、「早良には他に誰か好きな男がいる気がする」と相談を持ちかけてくる俊朗との板挟み状態に、「消えてしまいたい。何もかもが嫌だ」と嘆く。

そこで八作は、慎森やもっちんのアドバイスを参考に、早良の前で脱いだ靴下を食事中のテーブルに置いたり、「太った?」「女子力アピールしちゃってる〜」といった失言をしたりと、「女性に嫌われる作戦」を実行。
ところがあえなく早良には見抜かれてしまい、「モテてるんだからもっと喜べばいいのに」と言われてしまう。
その返答が冒頭のセリフ、「モテたい人にモテなきゃ意味ないですよ」である。
その後も淡々と会話は続くが、第4話終盤から第5話にかけて、八作がとわ子(松たか子)と結婚する前から現在までかなわない恋をし続けている相手がとわ子の親友・かごめ(市川実日子)であることがわかると、一気にその言葉の重みは増すのだ。

「人はたいてい見て見ぬフリをするが、この世にはモテすぎて困るという人が存在する」というナレーション(伊藤沙莉)の通り、たいていの人は「モテることの弊害」を知らない。

私もかつては全く想像したことがなかった。コミュニティ内の女性に片っ端から手を出しているような男性が私だけにはなんのアクションも起こさないという現象がよく起こる、明らかに同世代の女性に比べてモテない私には、想像できなかった。
周囲のモテる人がよく言う「好きな人にモテなきゃ意味がない」「好きな人だけにモテたい」といった言葉も、謙遜の常套句くらいにしか考えていなかった。

確かに、「不特定多数にモテること」と「特定の人と恋愛関係になること」は必ずしも結びつかない。モテなくても恋人が途切れない人はいるし、モテるのに恋人(結婚)ができないと悩む人もいることは、多くの人が実感しているところだろう。
世の中にはいろんな人がいて、恋愛における好みや価値観も千差万別だ。浅く広く複数人と遊びたい場合は別として、1人の相手と恋愛関係を築くためには、モテる必要はない。「モテないから恋人ができない」というよくある悩みも、原因は他にあるはずなのだ。
「恋愛は、モテじゃなくてマッチング」
これは、かつてブルゾンちえみがあるネタの決めぜりふとして放った言葉である。本作とは全く関係ないが、恋愛とモテの関係を端的に表した秀逸な表現ではないだろうか。

いや、そりゃ好きな人に好かれることが一番だけど、いろんな人から好意を寄せられたらそれはそれで嬉しいし優越感に浸れそうだし、モテないよりはモテるほうがいいだろう。そう思う人もいるかもしれない。私もそう思っていた。

しかし、八作を見てもそう言えるだろうか。
第1話での登場時から、女性に「なんで付き合ってくれないの?」と迫られ何やらめんどうなことになっている様子がうかがえ、かと思えば今度は、親友と親友の恋人との三角関係に巻き込まれる。
積極的な早良に対して「お願いします。僕に関わらないでください」と、「モテすぎて頭を下げることもある」。

モテたところで、全員を相手にすることはできない(いわゆるポリアモリーを志向する場合などはまた話が変わってくるかもしれないが)。
失恋した相手は、当然悲しみ、傷つき、時に逆恨みをする。
問題が自分と自分に好意を持っている相手の二者間にとどまらず、その周りの人間関係にまで波及することも少なくない。第5話で八作は俊朗に「彼女に好きって言われた」と告白してなんとか事なきを得るが、友情が壊れてもおかしくない状況だ。
自分のことを好いている人に一方的に好意を寄せている第三者から敵視されることもあれば、嫉妬した周囲の同性から反感を買うことも多いだろう。「男・女好き」「色目を使っている」などと悪口を言われないように、あらゆる工夫を強いられるかもしれない。
モテるということは、他人を悲しませ、傷つけ、憎まれる確率が高いということでもあるのだ。

さらには、「モテていいよね」などと言われた際に「好きな人にモテないと意味がない」と本音で返しても、謙遜や嫌味だと捉えられかねない。なかなか理解者を得られないという点でも厄介なのである。
モテたくない人にモテることは「意味がない」どころか、害悪にすらなりうるのだ。

そして、モテる人物としてフィーチャーされているのは八作だが、主人公のとわ子も何気にモテる。3回も結婚できて、そのうち2人の元夫からは離婚後も思われ続け、さらに2〜3ヵ月の間に他の2人の男性にプロポーズされているのだから、明らかにモテる。
八作のようにモテすぎて困るなどと明言はしていないものの、自身が社長を務める建設会社の取引先の社長である門谷(谷中敦)からのプロポーズを断り、腹いせに契約を破棄されたことが会社の大損失となり、社員の松林(高橋メアリージュン)と敵対し、外資系ファンドからの買収と社長の辞任を迫られるまでに発展するという、八作のエピソード以上にめんどくさいことになっている。
一方で、八作との離婚の原因は、「この人には、他に好きな人がいるんだなってわかったから」だと語る。その意味でとわ子もまた、モテたい人にはモテなかったと言えるのかもしれない。

とわ子は紆余曲折を経て、最終話では再婚や特定のパートナーを作ることはしないものの、今まで通り“三人の元夫”達とともになんだかんだ楽しく支え合いながら、ある種の共同体として生きていく未来が示唆される。これに関してはとわ子がモテるがゆえにできたことだとも言え、モテる人がたどり着いた1つの生き方であり幸せの形なのかもしれない。

こうして登場人物がモテることによってドラマが生まれるという側面はあるが、やはり現実では、モテたい人にモテさえすれば幸せなのではないだろうか。少なくとも、自分がモテないからといってモテる人をうらやんだりねたんだりする必要はない。
私は八作を見て改めて「モテるって大変なんだな」と思い、モテなくてよかったあ、と負け惜しみでなく胸をなでおろすのである。

Illustration Goro Nagashima

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『花束みたいな恋をした』の会話と態度に潜む違和感から考える、主人公のすれ違い/連載「東京青春朝焼恋物語」第1回 https://tokion.jp/2021/03/24/tokyo-young-love-series-vol1/ Wed, 24 Mar 2021 11:00:06 +0000 https://tokion.jp/?p=24915 ライター・絶対に終電を逃さない女が東京を舞台にしたラブストーリーについてつづる連載エッセイ。第1回は有村架純と菅田将暉主演の映画『花束みたいな恋をした』。

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日本の文化の中心であると同時に、あらゆる創作物のテーマにもなってきた、東京。発展と崩壊、家族の在り方、部外者としての疎外感、そして恋――さまざまな物語を見せてくれる東京に、われわれは過ぎ去った思い出を重ね、なりたかった自分を見出している。

本連載では東京在住のライター・絶対に終電を逃さない女が、東京を舞台にしたラブストーリーを取り上げ、個人的なエピソードなどを交えつつ独自の視点から感想をつづる。初回は有村架純と菅田将暉主演の映画『花束みたいな恋をした』。主人公2人のすれ違いの様子から、あり得たかもしれない未来を考える。

※文中に物語の内容に触れる箇所がありますのでご注意ください。

「あっちの席に神がいます」

「犬が好きな人です。あと立ち食いそば」

映画『花束みたいな恋をした』を観た人の中で、それが押井守を指しているとわかった人がどのくらいいたのだろうか。

明大前駅で同時に終電を逃したことで出会った主人公の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、同じく終電を逃して改札前で居合わせたアラサーくらいの男女と、4人で深夜営業のカフェに入る。そこでふと奥の方のテーブルに目をやった麦は何かに気付いた様子で、「あっちの席に神がいます」と小声で伝える。3人ともさりげなく見て確認するが、絹を除く2人は明らかに誰なのかわかっていない反応を示す。
麦は「犬が好きな人です。あと立ち食いそば」とヒントを与えるが、

「有名な人なの?」

「え、映画とか観ないんですか?」

「観るよ。結構マニアックって言われるけどね」

「どんな映画?」

「『ショーシャンクの空に』っていうのとか」

と続いていく会話に、内心であきれる。

その後、店を出て一旦解散してから麦に声をかけた絹の「押井守、いましたね」というセリフで、私はようやく「あ、押井守だったんだ」と、謎が解けたのだった。
押井守本人が出演しているため、わかる人はすぐにわかるのだろうが、私は顔までは知らなかったし、ましてや犬と立ち食いそばが好きなことなど知るはずもない。

もしも私が絹の立場だったら、いくら顔が菅田将暉だろうと引いていたと思う。相手が押井守を認知しているような人かわからない、つまり自分と共通言語を持っているかわからない初対面の人に対して、普通なら「あ、押井守がいる! でもこの人たち押井守知ってるかな?」と考えそうなところを、いきなり「神がいます」と告げ、その後もわかりづらいヒントを与えて楽しんでいるのだ。

しかも「映画とか観ないんですか?」と映画を観ないことが珍しいことかのような聞き方をしているが、本当にそう思っているのだろうか。ここでは『ショーシャンクの空に』が暗にメジャーな作品として扱われているが、世間一般的には『ショーシャンクの空に』レベルで「結構マニアックって言われ」てもおかしくはない。さらに、麦のセリフにはある程度映画を観る人なら押井守の顔と犬や立ち食いそばが好きなことを知っているという前提を含んでいるが、押井守の作品を観たことがあって名前は知っているとしても、顔や好きなものまで知っている人は少ないのではないか。
観ていてそんなツッコミがあふれ出てきてしまった。

現実でこのような振る舞いをすると、いわゆるマウンティングと捉えられてしまいがちだが、私はそうとは言い切れないと思っている。単に世の中の平均的な趣味や知識レベルを把握できていない世間知らずだったり、相手と前提知識を共有しているかを意識しながら会話することが苦手だったりと、人それぞれ事情はあるからだ。

麦はというと、絹と出会う以前、大学の同級生達とカラオケに行くシーンでは、当時の流行であるSEKAI NO OWARIの「RPG」で盛り上がる周囲と趣味の合わない疎外感がそれとなく描かれており、新潟の一般家庭の出身であることからも、平均的な環境の範囲で生きてきたと推測でき、少なくともそこまで世間知らずだとは思えない。おそらく、相手が自分と同じ知識を持っているという無意識の前提と、多少の選民意識から来ている気がする。
とはいえ、麦のバックグラウンドや精神構造についてはあまり描かれていないので、安易に麦をマウンティング野郎だと断罪するつもりはない。
するつもりはないのだが、なんにせよ、この手の言動をしていると距離を置かれたり敵を作ったりするし誰も得をしないからできるだけやめたほうがいいよ、と言いたくなってしまうのだった。

「きっかけは押井守だった」というモノローグの通り、ここから2人は好きな作家や音楽、お笑い芸人や世間に対して抱いている違和感のポイントなどが似ていることがわかって意気投合し、花束みたいな恋が始まるわけだが、ここで注目したいのは、先ほどのカフェのシーンで絹のセリフは1つもないということだ。
絹は押井守の存在に気付いていたものの店では何も言わず、わざわざ麦と2人きりになるのを待ってから、自身もファンであることを伝える。絹の「好き嫌いは別として押井守を認知していることは広く一般常識であるべきです」というセリフは、カフェで押井守を知らない人に対して口にしていたら間違いなく印象が悪いが、お互いファンであることがわかっている2人きりの状況ではなんの問題もない。
おそらく絹は麦と違って、少なくとも、相手がカルチャーの共通言語を持っているかを探りながら、マウンティングだと捉えられないように配慮するタイプだと思われる。非常に似ている2人として描かれているようで、この点では大きな差があるのだ。

麦のこの手の言動は、他にも見られる。特に、調布駅から徒歩30分の多摩川沿いのマンションで同棲を始めた2人の部屋を、絹の両親が訪ねてくるシーン。
絹の父に「ワンオクとかは聴かないの?」と聞かれた麦は、「あ、聴けます」と答える。積極的に聴くことはないが一応チェックはしているし聴くのが苦痛なレベルではない、という上から目線。素直に「聴かないですね」と言うほうがまだマシだったのではないか。同棲している彼女の父親に対してもこれなのだから、無自覚にやっていることがうかがえる。

麦のこうした振る舞いはこれ以降、仕事に追われて小説や映画に親しむ余裕がなくなったことで鳴りを潜め、2人の恋も枯れていく。終盤、ファミレスで別れ話をしようと決意したはずの麦はとっさにプロポーズをする。

「今家族になったら、俺と絹ちゃん、上手くいくと思う。子供作ってさ、パパって呼んで、ママって呼んで。俺、想像できるもん。三人とか四人で手繋いで多摩川歩こうよ。ベビーカー押して高島屋行こうよ。ワンボックス買って、キャンプ行って、ディズニーランド行って。」

輝いていたはずの恋愛が色あせていって終わるまでの過程を、これほど美しくもリアルに描かれたら当然泣けるのだが、しれっと差し込まれた「ディズニーランド」の違和感は見逃せなかった。
自己啓発本やビジネス書を読み、空き時間にはパズドラをする“普通”のサラリーマンに変わり果てた麦が語るのは、いわゆる「平凡な家庭を築く幸せ」といったところだろう。それが尊いのはわかるのだが、ディズニーランドとは、2人が馴染めなかったはずの、メインストリームの象徴のようなものなのではないか。子どもが行きたがって連れていくことはあり得るとしても、現時点で絹はディズニーランドに行きたいタイプではないのは明白であり、ここで説得の言葉として使うのは間違っているとしか思えない。
そもそも、それまで子どもの話を全くしたことがないのに、一方的に「子供作ってパパママって呼んで」などと語るのは、絹の意思を無視していると言えるのではないか。

就職してから趣味や価値観は大きく変わった麦だが、目の前の相手が自分と同じような好みや考えを持っているという前提に立ってものを言ってしまうという点では、押井守に遭遇したカフェから最後のファミレスまで、一貫していたのかもしれない。
2人がすれ違い、別れてしまったのは、労働環境をはじめ複合的な要因だったのだろうし、誰も悪くないとも思う。しかし、麦にもう少し絹への想像力と配慮があれば、2人の関係は違ったのではないかという希望を抱いてしまうのだ。

Illustration Goro Nagashima

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