門間雄介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yusuke-monma/ Mon, 14 Nov 2022 11:04:36 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 門間雄介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yusuke-monma/ 32 32 台湾の漫画家・高妍が語る、はっぴいえんどや細野晴臣らとの出会い、そこから生まれた物語のこと https://tokion.jp/2022/07/29/interview-gao-yan/ Fri, 29 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=136270 初の連載作品が5月に『緑の歌 - 収集群風 -』として単行本化された台湾の漫画家/イラストレーター・高妍(ガオ イェン)に、物語が生まれた背景や日本カルチャーとの出会いなどについて尋ねた。

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台湾に住む1人の少女が、はっぴいえんどや細野晴臣の音楽、村上春樹の小説などを通じて、自己の内に新たな感情を覚えたり、他者との関係性を深めたりしながら、成長し、前に進んでいく――。2021年5月から2022年4月まで「月刊コミックビーム」に掲載された『緑の歌』は、カルチャーが持つ魅力や可能性、それを受け取る主人公・緑の繊細な感性や感情の機微、そして台湾の都市生活、ユースカルチャーの在りようを、みずみずしくやわらかな筆致で描き出した、台湾の漫画家/イラストレーター・高妍(ガオ イェン)による初の連載漫画作品だ。今年5月に『緑の歌 – 収集群風 -』(KADOKAWA、2022年)として単行本化された際には、元はっぴいえんどの松本隆が上巻の、村上春樹が下巻の帯文を担当しており、その事実もまた時代や国境を超えるカルチャーの力を物語っている。

高は、自らの分身でもある緑に、何を託し何を描き出そうとしたのか。この物語はいかにして生まれ、育まれていったのか。今作でも重要な役割を担う音楽家・細野晴臣の決定的評伝『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋、2020年)の著者・門間雄介が、台湾に住む高にZOOMで尋ねた。

はっぴいえんどの『風街ろまん』を買うために新宿を訪れ、細野晴臣の音楽と出会ったことをきっかけに『緑の歌』という物語は生まれた

――まずお聞きしたいのは、この作品の着想についてです。単行本のあとがきには、「『緑の歌』の誕生は、2017年の夏にさかのぼる」と書かれていますが、その夏、なぜ『緑の歌』の物語は生まれたのでしょうか?

高妍:あとがきにあるように2017年の夏、私は生まれて初めて日本を訪ねました。私は21歳でしたが、日本で見たものは台湾で探そうと思っても探せないものだらけでした。小さい頃に日本のアニメや漫画を見て育ったので、憧れのものがいっぱいあったんです。

その時の私には、ある目標がありました。それははっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』を買うことでした。そして、そのあとの物語は漫画に描いたとおりで、私は新宿のディスクユニオンで偶然流れた細野晴臣さんの音楽と出会い、勇気を出して店員さんに聞いてみたところ、それは『HOSONO HOUSE』に収録された「恋は桃色」という曲で、私は『風街ろまん』と『HOSONO HOUSE』を購入することにしました。あとで歌詞カードを見て、細野晴臣という人がはっぴいえんどのメンバーだったと気付いたんです。

私はすぐに細野さんに恋をしたみたいな感じになって、台湾に帰国したあと、彼についていろいろ調べました。細野さんはもう70歳になっていて、でもまだ元気に音楽を作り続けていて、新しいアルバムを発売して日本でツアーをしていることがわかりました。日本に見にいきたいと思ったけど、大学生だから授業があるし、お金もなかったので諦めるしかありません。その時の行きたいけど行けないという気持ちや、『ノルウェイの森』で小林緑が言う“苺のショート・ケーキ理論”を混ぜながら、『緑の歌』という日記を書きました。

そうしたらある日、当時片想いしていた人に「細野さんが台湾に来る」と教えてもらったんです。私は勢いにのって「一緒に行きませんか」と誘い、彼は「いいよ」と答えてくれて、私の書いた『緑の歌』という日記は予知夢のようなものになりました。私はこの不思議な体験を漫画にして描きあげたいと思い、そうして今の作品があります。

――じゃあ漫画に描かれていることは、高さんが実際に経験したこととほぼ同じなんですね。

高妍:はい、ちょっと恥ずかしいけど(笑)。90%は私小説みたいなものです。

「風をあつめて」を聴いた時になぜ「なつかしさ」を感じたのか。なぜ音楽や映画、文学を作品に引用するのか

――『風街ろまん』に収録された「風をあつめて」は、『緑の歌』の重要な要素になっている曲です。主人公の緑は「風をあつめて」を初めて聴いた時、「初めて聴く曲だというのに/どうしてこうも『なつかしい』のだろう?」と感じますが、高さんが初めて「風をあつめて」を聴いたときも同じような感覚でしたか?

高妍:私が初めて「風をあつめて」を聴いたのは高校生の時でした。浅野いにおさんの『うみべの女の子』を読んで、そのなかに出てくる「風をあつめて」をYouTubeで検索して聴いたんです。その頃の私は音楽マニアというほどではなく、台湾で流行っている音楽をちょこちょこ聴いているくらいでした。私はまだ若かったし、日本語もよくわからなかったので、正直に言うと初めて聴いた時は、いい曲だと思ったけどすぐにハマっていろいろと調べるような感じではありませんでした。

高校の頃の自分は漫画のなかの緑と同じように、高校や周囲の環境に魅力を感じていなくて、大学に入ったら新しい人生が始まると期待していました。でも実際に大学に入ると期待とは全く違い、大好きな絵さえ描けない時期もありました。緑と完全に同じですね。でもずっとそれでは駄目だから、何か新しいことにチャレンジしたいと思い、台湾のインディーズバンドを聴きはじめて、行き場のないエネルギーを音楽を聴くことに費やしました。そのとき漫画のなかの南峻と同じような、私より10歳くらい年上の人達と友達になり、彼らの好きな小説や音楽に興味を持つようになって、村上春樹さんの小説もその時に好きになりました。

当時の私にとって、ライブハウスに行ったり、本を読んだり、フィルムで写真を撮ったりする時間は、たぶん学校にいる時間より長かったかもしれないです。そんな経緯で、ある日、偶然に「風をあつめて」を聴いて、その時の自分は高校時代の自分と全く違う心境だったからか、どこかなつかしいような、以前とは違う音が聴こえてきました。同じ曲のはずなのに、そんな大きな変化があることに不思議な感覚を覚え、はっぴいえんどというバンドに強い興味を持つようになりました。

私はデジタル時代に生まれた世代ですが、ネットが普及する以前の、レコードショップに行ってレコードを選ぶ、その選び方に憧れがあるんです。試聴できないし、ネットで評判を調べることもできないから、いいと思ったジャケットなどを頼りにレコードを選ぶ。それはとてもロマンチックですよね。だからはっぴいえんどに興味を持った時、絶対に日本でこの曲が収録されたレコードを買いたいと思いました。

――『ノルウェイの森』も『緑の歌』の重要な要素になっている作品ですが、村上春樹さんの小説には高さんの漫画と同じように、よく音楽や小説が引用されていますよね。

高妍:知らず知らずのうちに影響されたのかもしれないです。私は村上さんの小説を読みながら、そのなかに出てくる曲や作家さんの名前がわからない時、ネットで検索して、もし曲なら実際に聴いたりしていました。ひとつの作品をとおして、新しい他の作品と出会えるのはいいですよね。私はわざとしているわけではありませんが、自分の好きな作品を漫画のなかに描いているので、そこで新しい作品や新しい世界と出会う読者の方もいるかもしれません。

――『緑の歌』では、緑の本棚や彼女が恋をする南峻の部屋に、たくさんの本やレコードが置かれています。あれはやはり高さんが実際に好きな本やレコードなんですか?

高妍:そうですね。ただ「月刊コミックビーム」に連載していたのは少し前のことなので、単行本にする前にもう一度読みなおして、自分の目標や人生を探している19歳の緑ならこんな本が好きだろうと思い、彼女の本棚にある本のタイトルを修正しました、こっそり(笑)。

台湾のカルチャーについて感じていることや日本の読者に伝えたいこと

――そう聞くと、読み比べてみたくなりますね(笑)。作品ではエドワード・ヤン監督の『一一』(邦題『ヤンヤン 夏の想い出』)にも触れられていますが、例えば是枝裕和監督がホウ・シャオシェン監督に影響されているように、台湾の映画は日本の映画に大きな影響を与えています。台湾映画を好きな観客も多くて、僕自身、ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤン、ツァイ・ミンリャン、チェン・ユーシュンといった監督が以前から大好きです。

高妍:チェン・ユーシュンさん、めちゃくちゃいいですね! 実はチェン・ユーシュンさんには『緑の歌』を差し上げたんです。

――そうなんですか? 高さんは『緑の歌』で日本のカルチャーに対する思いを描いていますが、台湾のカルチャーについてはどのように考えていますか?

高妍:私から見た台湾の人達は昔も今も自信がなく、もし「台湾人らしいね」と言われたら、それをマイナスな言葉として感じてしまう人が多いです。最近は政府の努力もあり、周囲の環境に関心を持つ人が増えてきましたが、台湾の人達の多くが自分達のカルチャーをカルチャーとして考えていません。

そんな背景もあって、小さい頃の私は日本のカルチャーを好きになり、日本のアニメと漫画を見て育ちました。私と同じ世代の台湾人はみんなそうだったと思います。自分達のカルチャーをカルチャーだと思わなかったからこそ、外から入ってきたものを大切にして、いろいろと吸収したんです。それは知らないうちに私達の文化の一部になり、私達はともに成長してきました。

一方で、こう言ったら偉そうに聞こえるかもしれませんが、日本のカルチャーを小さい頃から見てきた外国人として、日本では自分のカルチャーを大切にしていない人が多いのかなと感じます。それは自信がない分、一生懸命に外の文化を探そうとしてきた台湾人と正反対です。『緑の歌』が描くのは台湾の街だし、台湾の空気だし、台湾の物語です。でも『緑の歌』の主人公が出会う新しい世界は日本のカルチャーです。私は『緑の歌』という作品をとおして、日本の人たちに自分のカルチャーのおもしろさを知ってほしかったし、一度も日本を離れたことのない日本人には、日本の外にもおもしろい世界があることを伝えたいと思いました。

反対に台湾の人達には、台湾人が描いた作品もおもしろいので、もっと自信を持とうよと伝えたかったです。そんな考えがあったので、私はまず日本でこの作品を発表してから、改めて台湾で発表することにしました。外国で認められることにより、遠回りになるかもしれないけど、この作品を自分の国の人達にも届けられると思ったんです。

――そうだったんですね。『緑の歌』を読んでいると、実際に音楽が聴こえてくるし、風や光を肌に感じます。高さんの作品のどんなところが、読者にそのように感じさせるんだと思いますか?

高妍:私の描きたい漫画は、繊細でエッセー的な漫画です。そして読者の人には、漫画を読んでいるのに映画を観ているような感覚を味わってほしいと思っています。私の漫画にはモノローグが多いし、静かな構図も多くて、それは日本の主流の漫画とは違う表現かもしれません。でもどうすれば筆と紙で、音や風や汗、そして複雑な感情を読者に届けられるのか、一生懸命に考えながら描きました。どうやって描くか考えていた時は、漫画を研究するよりも映画を研究していたと思います。たくさん映画を観て、ネームを書く時には映画のカット割りをイメージしました。

日記として生まれ、ZINEとなり、長編漫画となった『緑の歌』

――もともと日記だった『緑の歌』が、次に32ページ程度のZINEになり、最終的に500ページを超える長編になったわけですよね。おそらくその過程で、表現したいものをきちんと表現するために、いろいろな努力を重ねてきたんだと思います。

高妍:そうですね。ZINEとして発表した短編の『緑の歌』は、私が初めて漫画として描きあげた作品だったので、能力不足で表現できなかった部分もあり、完成した時点ですでに長く描き直したいという考えがありました。さっきお話ししたとおり、私には日記を書く習慣があって、『緑の歌』は私が19歳から23歳までの間に経験した出来事にもとづき、過去の日記から発想して創作されています。

だから短篇を500ページ以上の新しい物語として構成する時、あらかじめ単行本は2冊の上下巻という形式に決めていたので、19歳から23歳の間の経験をどうやって脚本にするか、すごく工夫しました。二度と思い出したくないことをたくさん思い出さなければならなくて、けっこうつらかったですね。また、どうすれば漫画をとおして若い時の青い感性と思い出を洗練された表現で伝えられるか、どうすれば映画的な漫画を描けるか、それも工夫しました。

――表現に関して言えば、『緑の歌』には独特の間や余白があります。作品のなかで南峻が緑にポストロックのアルバムを示して、間について説明する場面がありますよね。『緑の歌』の間はそういったポストロックからの影響も感じさせます。

高妍:自分の漫画をポストロックみたいと表現してもらえたのは初めてなので、とても嬉しいです。私はポストロックの曲を聴く時、よく自然やその音を思い出します。例えば風、雨、雷……。間や余白も、そういう自然の中に存在しているものです。この漫画をめくりながら、ポストロックを聴いているように受け取っていただけて、とても光栄です。

――それから最初に上下巻の形式を決めていたということですが、それは『ノルウェイの森』と何か関係していますか?

高妍:はい、上下巻は『ノルウェイの森』へのオマージュです(笑)。上巻はちょっとピンクっぽく、下巻はグリーンっぽい色を基調にしているのも、『ノルウェイの森』にオマージュを捧げたかったからです。

やがて忘れてしまう大切なことを、刻み込んでおきたい

――『ノルウェイの森』は上巻が赤、下巻が緑のカバーで有名ですもんね。『緑の歌』を読んで特に感動的だったセリフの1つが、南峻が緑に言う「僕のおかげじゃないよ/ミドリが勇敢だったからさ/ミドリが自分の力で彼らに出会って好きになったんだよ」というセリフです。『緑の歌』は“無条件に何かを強く好きになること”を全面的に肯定してくれます。そして“何かを好きになることの素晴らしさ”を伝えてくれます。それはきっと高さんが作品をとおして最も伝えたいことの1つだったのかもしれないなと思いました。

高妍:実はあのセリフに関してはおもしろいメタファーがあります。緑にとっては、偶然に海岸で目撃した男の人――実際に自殺したかどうかわかりませんが――の背中はつきまとう悪夢になってしまいます。それで文章が書けなくなってしまい、もしあのとき話しかけていたら、こんなふうにはならなかったかもしれないと後悔します。

でも緑が文章を書けない理由は、ただそれだけではありません。彼女は自分の性格から、周囲の環境から逃げたかったんです。しかし大学に入り、これで自分の人生が変わると思って台北に引っ越したものの、実際はそうなりませんでした。つまり海岸の男の人は、自分がなぜ駄目になってしまったのかというメタファー、言い訳みたいな存在になってしまっていたんですね。

何も書けないスランプから抜け出す唯一の方法は、たぶん自分ときちんと向き合うことしかないんです。緑は南峻に救われたのではなく、南峻と出会い、好きになったことがきっかけで、自分ときちんと向き合えるようになります。それはとても純粋で、とても綺麗な感情だと私は思います。南峻が「僕のおかげじゃないよ」と言うように、緑は「風をあつめて」や細野さんの音楽と出会ったこと、誰かを好きになって強い人になったことで、どん底から抜け出すことができました。それは緑自身が勇敢だったからです。そして南峻のあのセリフは、私自身にとってもすごく優しい言葉です。

――もしかしたらあのセリフは、高さんが19歳から23歳の頃の自分自身に対して言ってあげているセリフなのかもしれませんね。高さんはこの作品を描くことにより、かつての自分を肯定することができたんじゃないかとふと思いました。

高妍:確かにそうですね。あれは自分に言いたい言葉だったのかもしれません。

――最後に聞きたいのは、そういった肯定感がある一方で、『緑の歌』には何かが失われてしまうかもしれないという喪失感の予感があふれています。その感覚は高さんのどういった考え方から出てきたものですか?

高妍:『緑の歌』は自分が出会ったことや経験にもとづいた漫画なので、もし日記という形式で自分の気持ちを記録していなかったら、ほとんど忘れてしまっていたことかもしれません。本当に不思議なことですが、若い時の自分にとってどれほど重要だったものも、時間がたつにつれてだんだん忘れてしまいます。でも忘れてしまうということは完全に悪いことではなく、それは私達が成長し続けている証でもあるかなと思っています。

私は『緑の歌』を描くことで、例えば初めて飛行機に乗り外国へ行くドキドキ感や、誰かを好きになって、その人に近づけるようにその人の好きな本を読んだり、音楽を聴いたりする積極的な気持ちや、そういった若い頃に経験して、やがて忘れてしまう大切なことを作品にちゃんと刻みこみたいと思っていました。たぶんその過程は人それぞれですが、そのとき感じる複雑でとても繊細な感情はみんな同じかもしれません。もし読者の人がこれを読んで、若い頃に経験したことを思い出してくれたら、それはこの本の作家としてとても光栄で幸せなことだと思います。

高妍(ガオ イェン)
1996年、台湾・台北生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業後、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。イラストレーター・漫画家として台湾と日本で活動。自身初の漫画連載『緑の歌』が「月刊コミックビーム」(KADOKAWA)2021年6月号から2022年5月号まで掲載され、2022年5月に『緑の歌 – 収集群風 -』(KADOKAWA)として単行本化。その他の作品に、著/村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)の装・挿画などがある。
Twitter:@_gao_yan
Instagram:@_gao_yan

Photography Kazuo Yoshida
Edit Takahiro Fujikawa

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安部勇磨は今なぜ独りで音を紡いだのか――力みない等身大の音世界の背景に迫る https://tokion.jp/2021/06/30/why-yuma-abe-is-making-on-his-own/ Wed, 30 Jun 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=41187 never young beachのフロントマン・安部勇磨が初のソロ作をリリース。デヴェンドラ・バンハート(ギター)と細野晴臣(ミックス)も参加した今作の誕生背景や音世界について、昨年12月に『細野晴臣と彼らの時代』を上梓した評論家・ライターの門間雄介が迫る。

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あたたかく、素朴で、豊かな奥行きと響きを持つ曲の数々。never young beachの安部勇磨による初のソロアルバム『Fantasia』は、バンドとは大きく異なるパーソナルなサウンドで、聴く人の心に染み入ってくる。ゆっくりと、深く。親交深いデヴェンドラ・バンハートがギターで参加し、最も敬愛する細野晴臣がミックスに加わったこの名盤を、「過度に持ちあげられたらむしろ困る」と笑いながら彼が語った。

“仕事としての音楽”から“日常の延長線上にある音楽”へ

――ソロ作品の構想はいつごろからありましたか?

安部勇磨(以下、安部):2年くらい前ですかね。never young beachの4枚目のアルバム『STORY』を作ったあとぐらいから、どこか息苦しくなってしまったというか。ネバヤンだからこういう音楽をやらなきゃとか、自分はいまこういう音楽が好きだけど、それをバンドメンバーに少しでも押し付けてしまうのは申し訳ないなとか。前はもっと自分の好きな音楽を作るという作業をわがままにできてたんです。メンバーもそんなこと気にするなって言ってくれるんですよね。でも5、6年バンドでやってきて、いろいろな面で少しだけプレッシャーを感じることがあって。それでソロなら気にせず、自分勝手にできるじゃんって漠然と思い始めたんです。

――ということは外側からの圧みたいなものを感じつつ、自分の気持ちに素直でありたいという内面的な変化も起きてきて。

安部:それがすごくありましたね。だからひとりで音源を作り始めたときは「この作品をたくさんの人に聴いて欲しい」みたいな感じはまったくなくて、人に向けて歌うことそのものが押しつけっぽいから、あ、こんなのあるんだぐらいの聴き方をしてもらえたらいいなって。そういう始め方でした。

――結果的に初のソロアルバム『Fantasia』は、バンドサウンドから大きく飛躍した作品になりました。

安部:コロナ禍で時間があって、初めはバンドの曲を作ろうかと思ったんです。でもバンドでいま何を歌えばいいんだろうって。これは世の中に対して感じることでもあって、前向きな歌があまりにも多い気がするんですね。「がんばろう」とか、ポジティブなものばかりになってしまってる気がして。もちろんそれもいいんですけど、自分はそういう状況に疲れてしまったので、ひとりごとみたいな、友だちだけに聴かせるくらいの気持ちでやりたいなと思いました。

安部勇磨の初のソロアルバム『Fantasia』(2021年6月30日リリース)。never young beachで共演歴もある米アーティストのデヴェンドラ・バンハートがギターで2曲に、安部が最も敬愛する音楽家の1人である細野晴臣がミックスで4曲に参加している。今作は安部が新た立ち上げた音楽レーベル〈Thaian Records〉の第1弾リリース作品となる。秋にはアナログレコードが米レベール〈Temporal Drift〉からリリースされることも決定。

――「ひとりごと」とか「友だちだけに聴かせる」とか、今回の作品のイメージはやはりパーソナルなものだったんですね。

安部:内向的というか、バンドほど外に開いてないなと。これをバンドのテンションで「うわー!」とかやるのは全然想像できないなって。いろいろなことに興味が湧いてきたから、やっぱりそんな作品になっていきましたね。あとはこれまでより生活に近い、「暇だったらベース弾いてくれない?」みたいな気軽さで、友だちとただ遊んでる感じでやりたいとも思いました。それはメンバーとともに数年間、ずっと一緒に活動しているからこそ。責任感の違いなのか、バンドだと「そんなの駄目だ」とか「今のテイク変えよう」とか言うのに、友だちとやってると自然と許せるんです(笑)。ベースとドラムがズレてたりしても、それもおもしろいなって。

――仕事になってしまった音楽に対して、もう一度日常の延長線上にある音楽に立ち返ろうとした?

安部:あ、そうですね。リスナーの人たちと一緒で、この曲カッコいいなと思ったら、その曲を何度も聴き直して自分の曲を作ったりとか、そういう気持ちだけでやってました。ただただ楽しかったです。

“力”を込めないこと、“わかりやすさ”に抗うこと

――1曲目を聴いて、聴いた瞬間に心をつかまれました。今回の作品で大きく変化したもののひとつがヴォーカルスタイルです。メロディに声をポンと乗せただけみたいな、力をこめて歌いあげない歌というか。

安部:実はちゃんとレコーディングして、ピッチ修正もした歌があったんですけど、今回の作品では違うなと思ってほとんどのヴォーカルを家で録り直したんです。だから家の電力が足りなくて、ヒスノイズがけっこう入ってる。僕の好きな昔の音楽にもけっこう入ってるし、気にしすぎても駄目だなって。ある方が、最近の音楽はノイズを排除する傾向にあるけど、どんな環境でも無音はあり得ないと言ってたんですよね。確かに普通に過ごしていても、風がそよぐ音や葉っぱがこすれる音は聴こえてくる。だからその方の言葉を聞いて、なるほどなと思ったんです。でも僕は1990年に生まれて、そういったものを排除するのが当たり前の時代を生きてきたので、それを残す作業はすごく怖かったです。いまだに大丈夫かなみたいな変な気分なんですよね。

――でもそのせいか、サウンドは空気を含んだものとして聴こえてきます。歌も、演奏も。

安部:なるべく空気を録りたいみたいな気持ちはありました。だから声を張りあげることで潰れてしまう何かがあるなって。僕はデヴェンドラ・バンハートが好きだし、坂本慎太郎さんのソロ作品も好きだし、もちろん細野晴臣さんもそうですけど、やっぱりどれも空気がある気がするんです。それはバンドだとなかなか難しいというか……音楽をやっていて、声を張りあげて誰もが共有できることを歌うのはポジティブだし、いいことだと思うんですよ。でもそれが行き過ぎると、音楽じゃなくて感情のぶつけ合いみたいになってしまう。感情ってぶつけられると、返したくなるじゃないですか。だからそこは1回フラットにして、距離を置いて話し合いたいみたいな感じだったと思います。そういう距離感を音に出したいなと。最近、養老孟司さんの本をよく読むんですけど、人間は意味のないものをどんどん排除しようとするって養老さんが言うんですね。たとえば雑草は除草剤で処理したりとか。でも意味のないものがどれだけ豊かさをもたらすかということを話していて、もしかして養老さんの言いたいことと違うかもしれないけど、自分も意味がわからなくてもいいやとか、そういうものもとりあえず入れておこうとか、そういう感覚で全体的に作ってました。

――頭で考えず、それが意味があるかどうか判断しないまま、感覚的に作っていくみたいな。

安部:考えたら駄目だと思いましたね。今回デヴェンドラに入れてもらったギターも、同じフレーズを彼がもう一度弾けるのかと考えると、たぶんそういう計算はしてないと思う。日々の蓄積と感覚。自分はそういうことを意図して狙わないとできないので、まだまだですね。

――今回のアルバムを聴いて、どれも力を感じさせない曲だと思いました。世の中を見ると、例えばインフルエンサーと呼ばれる人たちが影響力をあからさまに見せつけるようなシステムができあがっていたりして、誰も力から逃れられない。でも『Fantasia』は力に抗う音楽ですよね。演奏はとてもシンプルだし、音数を徹底的に削ぎ落して。

安部:音数は今後もっと減らしてみたいですし、そういうもののよさがいまになってわかる気がします。最近アンビエントを聴くようになって、環境音楽やモート・ガーソンの『Mother Earth’s Plantasia』を聴いてるんですけど、自分の思いとか、直接的にそれをわからせようとする言葉もないのに、伝わってくるものがあるんですよね。それは人間の想像力だったり、相手を思う気持ちだったりに訴えかけてくるからかなって。いまは何でもそうですけど、わかりやすいところに行くじゃないですか。でも僕が子どものころは、わからないものに行きたい、調べたいみたいな、そういう楽しさがもうちょっとあった気がするんです。いまはわからないと見てもらえないし、ある程度わかりやすくないとヒットしない。自分はやっぱりそうじゃないものに憧れがあるのかなと。

――それは歌詞にも言えることですよね。バンドと比べると言葉数が少なくなって、その分抽象度が高くなった気がします。一方ですごく具体的な歌詞もあったりして。

安部:バンドでは、特にライブを考えると、ある程度みんなが共有できる歌詞がいいと思うんです。でも今回は自分しかわからない言葉でもいいかとか、もっと直接的に言っちゃってもいいかとか思って。「素敵な文化」という曲も、自分は餅をついていたっていう歌詞なのによく歌えるよなと(笑)。バンドで同じことを歌ったら、お客さんは困っちゃうような気もするんです。でもこれならいいよなと思ったし、そういうふうに書けたのが楽しかったから、今後もやっていこうと思いました。

――それは聴く人に委ねる覚悟ができたということですか?

安部:”委ねる”というよりは”放置してみる”というニュアンスの方が近いかもしれないです(笑)。作って、そのまま置いておくので、食べたい人がいたら食べていいですみたいな。興味のない人は全然触らなくていいですよって。これは理想論かもしれないし、現実的には不可能に近いと思いますけど、聴く人が何も意識してないときに、SNSや告知に触れないまま、ふと出会ってほしい。それがベストですよね。予定を組むときもそうですけど、友だちと遊ぶ予定を立てて、当日になってなんか面倒くさいなと思うときがあるじゃないですか。それより「いま暇? 遊ぼうよ」みたいなのがいちばん楽しかったりしますよね。予期せぬ楽しさというか、そういう感覚を音楽でも出せたらなっていう思いはありました。

自然体が引き寄せた、デヴェンドラ・バンハートと細野晴臣とのコラボレーション

――音楽との予期せぬ出会いが、いまはなかなか難しいのかもしれません。その壁をこの作品が突破できたらすばらしいですよね。そういう出会いのなかった人が、たまたまこの作品と出会ったときにどう反応するのか、ちょっと気になるなって。

安部:気になりますけど、あなたはあなたの考えで違うと言ってくれてもいいし、そういう距離感でいようねみたいな感じです(笑)。でもこの作品を作った結果、ひとつ突破できたと思うのは、特に何も決めずに始めたのに、気づいたらデヴェンドラがギターを弾いてくれたり、細野さんがミックスしてくれたりすることになって。デヴェンドラとのコラボレーションは、これまでスタッフさんに動いてもらってもうまく行かなかったんですよね。でも自分で直接やりとりしたらなぜかできたので、自分が楽しいと思っているほうにちゃんと行けば、失敗することもあるだろうけど、なんとかなるのかもしれないなと思いました。これが細野さんのよく言う「行き当たりばったり」というやつかって(笑)。細野さんを始め、自分が尊敬している人たちにはどこか飄々としたイメージがあって、「え? 別に何も考えてないよ」みたいな人たちが多いんです。そのほうがうまくいくということなんでしょうね。僕もこれで少し自信がついたし、そういう部分ではこの作品を作って感動したというか、自分の中でいままでにない発見がありました。

――今後、このソロ作品はバンドにどうフィードバックされていくと思いますか?

安部:いや、難しいですよね。前からバンドでもこういうことをやろうと思ってたんですけど、たぶんやろうとしてたから疲れちゃってたんです。シンセだけの曲を作ったらどうなっちゃうんだろうとか、ライブを考えたらもうちょっと曲に盛り上がりが欲しいよねとか。それぞれの場所によって、いろんなスタイルがあっていいのかもしれないですけどね。

――もしかしたらバンドとは違う場所として、今後はこういう場所も持っておくみたいなことかもしれないですね。

安部:そうですね。今回は違うプレイヤーとやるだけでこんなに音が違うんだということもわかったので、そのときどきの形態で音楽をやっていけたら、一生音楽ができるかもなと思いました。そういう“逃げる”場所があるほうが、きっと長い目で見て音楽は楽しいですよね。

安部勇磨
1990年9月4日東京生まれ。2014年に土着的な日本の歌のDNAをしっかりと残しながら、USインディなど洋楽に影響を受けたサウンドを軸にnever young beachのボーカル&ギターとして活動を開始。全ての詞曲を手掛ける。FUJI ROCK FESTIVALやSUMMER SONICなど日本国内ミュージックフェスティバルに多数出演し、Devendra Banhart、The Growlers、Mild High Club、HYUKOHなど海外アーティストとも共演。日本のみならず上海、北京、成都、深圳、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内のライブツアーやフェスティバルにも出演し海外での活動も拡げている。冨田ラボ、neco眠るの楽曲へ作詞、歌唱での参加やNTTコミュニケーションズのプロモーション動画でのカバー楽曲参加。2017年頃から敬愛する細野晴臣との対談やラジオ出演などを果たし、音楽活動50周年を記念したイベント「イエローマジックショー3」へ出演し話題に。また細野氏の2019年の著書「とまっていた時計がまたうごきはじめた」の解説を執筆。
Instagram : @_yuma_abe/
Thaian Records : https://thaianrecords.co

Photography Mikako Kozai

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