柴那典, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tomonori-shiba/ Tue, 29 Nov 2022 03:39:09 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 柴那典, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tomonori-shiba/ 32 32 RQNYインタビュー  マイケル・ジャクソンとXXXテンタシオンを敬愛する、孤高のダークスターの肖像 https://tokion.jp/2022/11/29/interview-rqny/ Tue, 29 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=158002 グローバルなR&Bやヒップホップと共振しながら、オルタナティブ&ダークな独自のサウンドを紡ぎ歌うRQNY。8月に1stEP『pain(ts)』をリリースした気鋭のニューカマーに、クリエイションの源泉や現在地を尋ねた。

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RQNYの初取材が実現した。

RQNYと書いて「ロニー」と読む。8月に1stEP『pain(ts)』をリリースしたばかりのニューカマー。破格の才能の持ち主だと思っている。楽曲を聴いた瞬間に、ゾクゾクするような感触があった。今までに触れたことのないタイプの、ダークで、しかし確実に胸を揺さぶる新しい日本語のポップミュージックがあった。ビートやサウンドのデザイン、歌のフロウは今のグローバルなR&Bやヒップホップの潮流を踏まえているけれど、誰にも似ていないし、どのシーンに属しているわけでもない。孤独の中で研ぎ澄まされた音楽、という感じがした。

RQNYは現在21歳。以下のインタビューにもある通り、マイケル・ジャクソンに憧れ、XXXテンタシオンに触発されてアーティストを志した。表現を駆り立てる原動力は「怒り」なのだという。誰もがSNSで自己発信しバズを足掛かりにのし上がっていく今の時代に、18歳から、ただただベッドルームで曲を作り続けてきた。 RQNYとは一体どんなアーティストなのか。ルーツから信条まで、いろいろと話を聞いた。

根幹にあるマイケル・ジャクソンという存在

――音楽との出会いはどういう感じだったんでしょうか?

RQNY:たしか小学校3年生くらいの時が、マイケル・ジャクソンが亡くなった年で。その頃に親が『THIS IS IT』を買ってきたんです。それを家で観て、わけもわからず聴いていたら、どんどん興味が出てきて。そこで初めて音楽というものを知ったという感じです。

――「live for」の歌詞にも「今も忘れちゃいない Thanks Michael Jackson」というフレーズがありますが、まさにマイケル・ジャクソンの存在が音楽への入り口だった。

RQNY:そうですね。マイケル・ジャクソンを聴いて歌手になりたいと思ったと言ってもいいと思います。

――どういうところに興味を持ったんでしょうか?

RQNY:みんなはダンスがすごいっていうけど、僕にしてみれば、この人の声ってすごい変だなって思って。その頃から特徴のある声に惹かれていく自分に気付いてました。なんでこういう声の出し方なんだろう? みたいなことを小学生ながらに考えたり、本屋さんに行ってマイケル・ジャクソン関連の本を手にとったり、中学に上がったら英語を頑張って和訳して、もっと深く理解してみたりして。たとえばジェイムス・ブラウンを聴いてみたりとか、マイケル・ジャクソンからいろいろ音楽を知っていった感じです。

――でも、出会った時にはマイケル・ジャクソンはもう亡くなっていたわけで。

RQNY: 亡くなってましたね。「この人のライブに行きたい」って言ったんですけど、そしたら「亡くなってるよ」って言われて。結構悲しんだ思い出がありますね。

――マイケル・ジャクソンって、すごく多面的な方ですよね。キング・オブ・ポップと言われているし、スーパースターであるし、時期によってもさまざまなイメージがある。RQNYさんとしてはマイケル・ジャクソンのどういうところに惹かれて、どういうところに憧れたんでしょうか。

RQNY:すごく明るい音楽をやっている人だったんですけど、話を読んだりインタビューを読んでみると、幼少期に壮絶な経験をしていたり、すごく暗い人生を歩んできたと思うんです。売れてからもメディアからバッシングされていたと思いますし。なのに、こんなに希望のある曲を書いて、なおかつみんなを感動させている。その姿勢って、アーティストの本質のような気がして。そのパワーに無意識に惹かれているというのはありましたね。気付いてはなかったですけど、今考えるとそうなのかなって思います。

――最初は単に音楽として格好いいと思っていたところから、だんだん認識を深めていって、内面にも惹かれるようになっていった。

RQNY:そうですね。本人の発言で「僕には幼少期がなかった」みたいな言葉があったんですよ。そこで、強烈に共感したんですね。僕も子どもの頃から大人ばかりが周りにいて、かなり人の顔をうかがって育ってきたので。この人はなんでこんなにキラキラできるんだろう、なんでこんなに沈まずに生きていけるんだろうっていう。憧れというか、単純な興味というか、底知れないものを感じていましたね。スーパースターにも自分と同じところがあるんだ、という感覚もありました。

――大人ばかりが周りにいる幼少期というのは、どういう環境だったんでしょうか?

RQNY:海外に行くことが多かったんです。母親の出身がルーマニアだったので、小さい時は、ルーマニアに行ったり、日本に行ったり、引っ越しも何回かしてきて。自分の家がどこかわからない、自分の言語が何かわからない。かつ、母親のハーフのコミュニティみたいなものにも入ってたんですけど、そこでいったん溶け込んだとしても、離れちゃったりすることがたくさんありすぎて、同世代の子と深くコミュニケーションをとる機会もなかった。小学校に行っても、どこか自分は普通じゃないっていうことを感じていて、全然馴染めなかった。子どもでいるという意識はなかったですね。常に自分を守っていたというか。そんな感じがありました。

――そういう自分だからこそ、より強くマイケル・ジャクソンのような存在に惹きつけられるようなところがあった。

RQNY:そうですね。今は結構暗い音楽を聴きがちなんですけど、根幹になっているのはマイケル・ジャクソンなんですよ。だから、ただただ暗いものは書きたくないというのにもつながっている。自分の意思の軸ではあると思います。

――マイケル・ジャクソンって、不思議な存在ですよね。キング・オブ・ポップではあるけれど、何かのジャンルや国や地域を代表したり象徴しているわけではない。世界中にファンがいるけれど、世界中のどこにもいないという感じもある。そういう存在のあり方に憧れたというのはあるんじゃないでしょうか。

RQNY: そうです。良い意味でも悪い意味でも、社会の中にいない感じがしてたんですよね。社会に溶け込めてない人、社会から浮いている人が、社会とうまく寄り添おうとして、なおかつ理想論を掲げてるっていうのは、死ぬほど格好よかった。それは自分のやりたいことだなって本当に思ってました。

抑圧からの解放へと導いてくれたXXXテンタシオン

――小学生の時にマイケルに出会って衝撃を受けて、そこから10代、思春期と、どんな感じで音楽の興味を広げていった感じなんでしょうか。

RQNY: ずっとマイケル・ジャクソンを聴いていたんですけど、高校生の時にたまたま派遣で行った仕事にフィリピン人の集団がいたんですよ。その人たちと仲良くなって。その人たちが聴いていたのがXXXテンタシオンだったんです。そこからヒップホップを聴くようになった。こんなに暗いけど、明るい音楽があるんだって。本当に同じ風に思っちゃって。すごく暗いはずなんだけど、ポップスに聴こえたし、素敵だなと思って。そこからヒップホップを聴くようになった感じですね。

――マイケル・ジャクソンとXXXテンタシオンは時代もシーンも人に与える印象も違うけれど、RQNYさんとしては、何か共通するものを感じたんですね。

RQNY: 感じました。「なんか、こいつ違うな」っていう。それまで誰を聴いてもピンと来なかったけど、XXXテンタシオンはちょっと違うなと思った。でも、エモラップ自体にはそんなにハマんなかったんですよね、そこからカニエ・ウェストとか、いろんなヒップホップのアーティストを聴くようになりました。

―― それまでヒップホップはあまり聴いてなかったんですか?

RQNY: 聴いてなかったですね。狭いんですよ、僕。好きな曲をずっと聴いているタイプで。今でも知識は全然ないですし。

―― XXXテンタシオンにのめり込むようになったきっかけの作品は?

RQNY: たしか「Sad!」か「Look At Me!」だった気がします。「なんだ? この暴力的なやつ」と思ったし「すごいポップな曲だな」と思った。それの2つだと思います。

――僕もXXXテンタシオンはリアルタイムで聴いていたんです。異質なものが突然出てきてスターになっていった過程を後追いじゃなく見てきた。彼って、出てきた時は、暴行事件とかいろんなゴシップがありましたよね。でも、曲だけ聴くとすごくピュアな感じがする。切なくて悲しい曲だけど、ライブの映像を見るとすごく盛り上がっていて。抑えつけられて凝縮されたエネルギーがステージで爆発しているようなイメージがあった。おそらく、RQNYさんもエモラップというムーブメントよりも、XXXテンタシオンの特別なスター性みたいなものを嗅ぎ取ったんじゃないかなって思ったんですけど、そのあたりってどうですか?

RQNY: 僕も似たような感覚でした。「Look At Me!」を最初に聴いた時、ひどい歌詞だな、最低だなと思ったんですけど、初めて曲を完全に感覚で受け取ったというか。今おっしゃられてた通り、抑圧されてる若者が、どうにか飛ぼうとして、自分を解放してるような感じをすごく感じたんです。だから、意味も大事ではあるけど、テンタシオンを聴く上で、それはそこまで重要じゃなかった。やっぱりライブを観たらわかりますよね。みんな多分同じものを受け取って騒いでるんだろうと思いました。で、自分も、表現したいのにできないというような、こんなに抑え込まれてるのは一体何なんだろうっていうような思いを抱えてた時期でもあったんで。勇気づけられたんですよね。たとえ、その人の人格がどんな人でも、僕にはそんなに関係なかったです。

表現する側へ―― 「俺は音楽やったほうがいいな」

――音楽を表現する側になろうと思ったのは、いつぐらいのことですか。

RQNY:テンタシオンに出会ってからですね。それまではふわふわとしてました。マイケル・ジャクソンを聴いてから歌を仕事にできたらいいなと思ってたんですけど、実際は野球をやってましたし、歌も全然上手じゃなかった。でも、自分の中にどんどん溜まってるエネルギーみたいなものを感じていて。毎日怒ってるし、これをどうしたらいいんだろうって考えていた時に出会ったのがテンタシオンだったんで。「あ、こういうやり方もあるんだ」と感じて。「俺は音楽やったほうがいいな」って思いましたね。

――そこからは迷いはなかったですか?

RQNY:迷いはなかったです。ただ、高校に行ってる時はとても音楽をできるような状況じゃなかったんで。辞めたかったけど辞めれなかったし。だから卒業したら絶対に始めようと思って、卒業した瞬間にすぐ始めました。

――機材とかソフトとか、そういうことに関してはどうでしょうか? トラックメイキングに関しては、どうやって情報を入れて、どうやって自分の中で手段として確立していったんでしょうか。

RQNY:情報なんて、別に何もいらなかったですよ。中古のMacBook ProとLogicで一通りのことができて、今でもそれで作業してますし。3万ぐらいのスピーカーを買って、インターフェイスを買って、アプリを広げたら簡単そうだったんで。最初から全然できました。

――こういうことを自分は歌う、そのためにこういうサウンドが必要だというイメージがあれば、ただそれを形にするだけだった、と。

RQNY:そうです。最初はめっちゃ簡単だなって思いました。今でこそ知識も入ってきちゃってるし向上心も上がってきてるんで、より難しくなってきてるんですけれど、最初は本当にシンプルで。簡単じゃんって思いましたね。自分がやろうと覚悟しただけで、こんな簡単にできるんだって思いました。

――そうやって曲を実際に作り始めたのは、何歳くらいの頃ですか。

RQNY:18ですかね。だから3年前です。

表現の根底にある「怒り」は、どこから湧きどこへ向かっているのか

――先ほど怒りのような感情があったとおっしゃっていましたが、それは自分を駆り立てるガソリンのようなものになっていましたか?

RQNY:というか、今でもそれでしかないですね。周りの人とコミュニケーションが取れないぶん、自分と話す機会が小さい時から多くて。しかも、すごく厳しく自分を責めちゃうし、深く考えすぎちゃうから、いつも答えが出なくて、結局、怒って終わるんです。でも、それをうまく表現させてくれるものが音楽だった。そういう感じでした。

――何に対しての怒りが多いんでしょうか。社会なのか、周囲なのか、もしくは自分自身なのか。もしくは、対象もなくただただ湧き上がってくるものなのか。もちろん一概に言えることではないと思うんですが。

RQNY: なんだろう……。今でもよくわかってないんですよね。例えば社会に対して怒っていたとしても、考えを進めていくと、結局、自分の中に答えを探そうとする。自分自身と話すというところにたどり着くんです。だから、怒りの種類はたくさんあるけれど、元がなんだったか覚えてないんですよ。だから、そう聞かれると難しいですよね。止まることがない。これについて書こうとかじゃなくて、その時思ってることが勝手に出てきちゃうから。

――出どころのない抑圧を受けてる感覚みたいなものがあったりするんでしょうか。例えば貧しくてとか、クラスでいじめられていてとか、そういう疎外感や寂寞感ではなく、なにかしら解決不能なものとして束縛されているような感じがあるというか。

RQNY: まあ、直接的なものはたくさんありますよ。ルーマニア人として差別されたりとかは全然ありましたし。恨んでいる人も当然いますし。でも、それは今、創作において、僕にとって重要なことじゃないですね。そういうことじゃないです。そこが重要ではない。なので、これは完全に僕の問題ですね。環境のせいにしない性格なんで。自分と話していくから、音楽をやるしかないんだろうと思っています。

――曲ができた時に、自分の中で何かが解決するような感覚はありますか?

RQNY:うーん、作った瞬間だけですね。作った瞬間はもう狂ったように聴くんですけど、そこからどんどん嫌いになる。まだ足りなかったな、浅かったなとかよく思ったりします。ただ、月日が経って聴いてみると気付くこともある。それがまた次の曲に活きてる場合もあるし、全然これ意味なかったなっていうこともあるし。正直なことを言うと、わりと過去はどうでもよくて、常に今のことを考えてますね。

――『pain(ts)』の収録曲には、そうやって曲を作り始めた頃の曲もありますか?

RQNY: そうですね。半分以上は18、19の時に作った曲です。「Lone Wolf」は3曲目、「live for」は4曲目に作った曲ですね。

――それこそ「live for」とか、聴いていて、決意表明のような感じがあったんです。自分はこうやって音楽を作る、こうやって音楽を向き合うんだという意思が、そのまま歌になっている。そこから始めざるを得なかったということなんですね。

RQNY:まあ、今考えるとそうかもしんないですけど、当時は何も考えてなかったです。よくわかってなかったですね。

RQNY『pain(ts)』
RQNY「live for」
RQNY「Lone Wolf」

――歌詞の中に「君」という言葉が出てくる曲も多いですよね。ある種のラブソングのようなモチーフの曲もありますが、どうでしょうか。

RQNY:純粋なラブソングは少ないです。

――ラブソングというよりは、やっぱり自分との対話のようになっている。

RQNY:全部そうなんですけど、結局、他人をも自分の鏡として見ちゃう癖があるんですよ。だから結局、曲には自分と話しているさまを書いているところはあります。

本質を追い求めるがゆえの「暗さ」

――RQNYさんはここまでの話の中で、自分の音楽に対して「暗い」ということをおっしゃっていますよね。実際、作品にもダークさはあると思うんですが、暗いというのは、いろいろなイメージや意味合いのある言葉だと思うんです。ご自身としては、暗いというのを、どういうものとして捉えているんでしょうか。

RQNY: 僕の思う「暗い」っていうのは、考えが深いみたいな、そういうことですね。悲しいとかじゃないです。ただ、さっきから自分で発言していても、暗いっていう表現があんまりしっくり来てないんです。なんかそういうことじゃなくて。自分と話してるうちに、すごく深いとこまで潜っていった感覚がある時は、そういうことになりがちなんですよ。ただ、その上のほうには常に光がある。そこに行きたいけど、いったん僕は潜るよっていう感覚。ただ、それでしかない。その上にある光がないと潜っている意味がないんですよ。救いようがない暗さってのは一切ないと思いますね。

――なるほど。僕も「暗い」という言葉が持っている誤解はちゃんと解いておきたいと思ったんですね。例えば、今の日本の社会で使われている「暗い」という言葉は、特に「ネクラ」とか「陰キャ」みたいな言い方があるせいで、単純に人とコミュニケーションが取りづらいとか、それくらいの意味で使われることが多くて。たぶん、RQNYさんの音楽にある「暗い」はそことは全然違うものだと思うんです。どちらかというと「本質主義」みたいなものに近いのかもしれない。自分にとって大事なものがハッキリしている。他の人とそれを軽々しく共有するのは難しい。

RQNY:そうですね。

――結果として、表層的なコミュニケーションはとれるけれど、大事なもの、本質的なものを軽々しく共有できないがゆえに、溝が生まれる。そういうものを「暗い」と言うならば、RQNYさんの音楽は「暗い」という。そういうことなのかなと思いましたけれど、どうでしょう?

RQNY: そういう感じです。めちゃめちゃ共感しました。ちょっと嬉しいですね。暗いって、世間一般で使われる意味に「ん?」って思ってました。あんまり深く考えたことない人が言ってる言葉だなって。そういう感覚は常に持っていたんで、どう言えばいいかわかんなかったんですけど、今、そう言ってくれて、すごい嬉しかったですね。

――RQNYさんの音楽を聴いてると、その根っこにマイケル・ジャクソンとXXXテンタシオンがいることも、怒りと悲しみと理想主義がちゃんと同居してる感じも伝わってくるなと思いました。

RQNY:ありがとうございます。

――ちなみに、発表している中で一番最近にできた、新しい曲はどれでしょうか。

RQNY:「shame」ですね。

――「shame」ではコミュニケーションが他者に向かっているイメージがあります。この曲では歌詞の一人称が「僕ら」になっていますよね。

RQNY:その曲だけですね。僕の中での最大の光を書こうとした時に、僕が1人だけでやってることって、そこまで光ってなかったんで。世の中から浮いてたマイケル・ジャクソンが社会に寄り添うように、僕も寄り添ってみたいと日々思っていたらできた曲というか。イレギュラーですね。しかも最初はあんまり好きじゃなかったです。できた時は「なんだこれ」って思ってましたし。でも、日が経つにつれて、あ、やっぱ必要な曲だったんだなって思ってきてます。

RQNY「shame」

なぜ音楽をつくるのか。ポップミュージックであることの意義とは

――世の中に曲を出して、ライブをしてからの手応えはどんな感じですか?

RQNY:これはまだ、正直、手応えがないんですよね。ちょっと触れたかなっていうぐらいです。自分自身と対話してたのに、それをみんなの前で出さなきゃいけないっていうのに、すごく苦労している自覚がある。ただ、触れてる感覚はあります。きっとここなんだ、ここの先を行くとできるんだろうなっていう感覚はある。でも、正直なところ、まだそこはもがいてる途中ですね。

――曲を作るということだけでなく、それをポップ・ミュージックとして世に広めていくということにも意思を持っているわけですよね。そこについての感覚はどうでしょうか。

RQNY:曲を作ってる時から、自分と話してはいるんだけども、自分みたいな人に届いてほしいなっていう漠然とした思いはすごくあって。共有したいんですよね。共有したいけど、音楽って、人に無理やり押し付けるものじゃないし。最初からそういう思いはあったんですけれど、その伝え方、解放の仕方がまだわからないっていう。でも、いろんな気付きもあって、もうすぐだっていう感じもあります。

――実は、音源だけ聴いた時とライブを観た時で結構印象が違ったんです。曲だけ聴いていた時はベッドルーム・ミュージックだと思って聴いていた部分もあったんですが、ライブを観ると思った以上にフィジカルな、生身の音楽なんだという印象もあって。ライブを観て、身体の動かし方とか、発声とか、ステージの立ち方を観て、ヒップホップ・カルチャーに影響を受けた人なんだと気付いたところがありました。

RQNY:そうなんですね。今言われてハッとしました。僕は最初からライブをやるってなったら、そういうのしか思い浮かんでなかったんで。家でもそうやってノッてるんですよ。跳ねながら作ってるんです。

――あえての質問ですけれど、ヒップホップ・カルチャーに親しみと影響はありつつ、そこに混じったり属したりしようとはしていない。そこにもRQNYさんの美学があるんじゃないかと思うんですが。

RQNY:最初から、生まれてからどこにも属したことがないんで。今更ヒップホップに寄せようとか思ってないんですよね。たぶん、嫌なんですよね。何かの不純物が入ってくるのが嫌だというか。尊敬してるからこそ、なんか自分の入るべきところではないと思うし。僕には僕のやりたいことがあるって常に思ってるんで。歓迎されたら「ありがとう」って言いますけど、別にそれ以上は何もしないと思いますし。

―― RQNYさんの目指すところとしては、そうやってどこにも属していないまま、ポップ・ミュージックとして誰でもアクセスできるもの、普遍性のあるものを作るということを、向かっていく先に見据えているんじゃないかと思います。

RQNY:そうですね。結局は自分にしかできないこと、自分にしか伝えられないことを伝える。そこがゴールですかね。伝わる人にちゃんと伝わるっていう。それが永遠の課題です。

■RQNY 1st ONEMAN LIVE『LIVE AFTER THE PAIN(TS)』
1stEP『pain(ts)』をリリースしたRQNYが初のワンマンライブを実施。『SUMMER SONIC 2022 OSAKA』でのパフォーマンスと同様、MONJOE(@monjoe_ )=DATS (@datstheband) がDJを務める。
日時:12月4日
場所:渋谷TOKIO TOKYO
住所:東京都渋谷区宇田川町3-7-B1
時間:開場17:15/開演18:00
料金:無料(※)
※要申し込み。詳細は以下から確認のこと。
https://rqny.jp/news/rqny-is-here/

Photography Takayuki Okada

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坂本慎太郎インタビュー 苛烈な社会の中で紡がれた「明るく抜けが良く、それでいて嘘じゃない音楽」  https://tokion.jp/2022/06/02/interview-shintaro-sakamoto/ Thu, 02 Jun 2022 09:01:00 +0000 https://tokion.jp/?p=120946 坂本慎太郎が前作から6年ぶりのアルバム『物語のように (Like A Fable)』をリリース。2020年のシングルとは異なる表情を持つメロウ&ポップな音世界を紡ぎあげた坂本に、その制作背景や海外とのつながりについて尋ねた。

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坂本慎太郎が新作アルバム『物語のように (Like A Fable)』をリリースする。アルバムとしては前作『できれば愛を』から6年ぶり。2020年にリリースされた「好きっていう気持ち/おぼろげナイトクラブ」「ツバメの季節に/歴史をいじらないで」という2枚のシングルは、パンデミック拡大当初の混沌とした社会の様相にも通じるヒリヒリとしたムードも感じさせたが、「明るく、フレッシュで、抜けがいい感じにしたかった」と坂本自身が語る新作アルバムにはこれらの楽曲は収録されてはいない。レトロなアメリカン・ポップの雰囲気にも通じる表題曲など、甘くメロウなテイストを持った楽曲が並んでいる。「それは違法でした」や「君には時間がある」など、不思議と心に引っ掛かる余韻を残す歌詞の表現も巧みだ。前作同様、ドラムに菅沼雄太、ベース&コーラスにAYA、フルート&サックスに西内徹という坂本慎太郎バンドのメンバーを中心にレコーディングされた本作。時にユーモラスで、かつ研ぎ澄まされたその美学は変わっていないが、2019年のアメリカツアーなどの経験も経て、最近では海外アーティストとの同時代性も感じているという。新作の制作背景や感じている状況の変化について、語ってもらった。

海外ライブ経験から感じた「離れていても遠くない人達」の存在

――アルバムはどんなところから作りはじめたんでしょうか?

坂本慎太郎(以下、坂本):前のアルバムを出してからちょこちょこ曲を作りためていて。2019年くらいからずっと、できればアルバムを出したいなとは思っていたんですけれど。

――2020年に出したシングルの4曲はアルバムには入っていませんね。

坂本:そうですね。全曲新曲にしたかったので。ずっとMTRでデモテープみたいな形で作りためていたんですけど、そこから歌詞ができたものをシングルとして出して、その後に残っていたものと作り足したもので構成しました。

――前作アルバムからの変化としては、ライブを行うようになったことも大きかったと思います。改めて振り返って、どういう体験でしたか?

坂本:2017年からライブをやりはじめて、あっという間に3年ぐらい経って。そうしたらコロナになった感じなんですけど、その前にはいろんな国にも行ってやっていたので。直接的にはわからないですけど、影響しているのかもしれないと思います。

坂本慎太郎『物語のように (Like A Fable)』
坂本慎太郎『物語のように (Like A Fable)』

――海外でのライブは、振り返ってみてどんな経験でしたか?

坂本:YouTubeとかSpotifyのおかげなのかもしれないですけど、今はお客さんが曲を知っていてくれるんですよね。ゆらゆら帝国の頃に海外でやった時は、「どんなもんかな」って見ているお客さんが最後にはノッてくれるみたいな印象だったんですけれど。今はもう、最初から歓迎ムードで。なんなら日本語もわからないのに一緒に歌ってくれるような人が一杯いて。びっくりしましたね。

――坂本さんの追求しているサウンド感やグルーヴ、音楽の好みを共有している海外のオーディエンスが増えてきているのではないかと思います。

坂本:そうですね。アメリカには自分と音楽的にもそんなに遠くない感じの人もいるので。決して主流ではないんですけど、いろんな国に一定数そういう人達がいて、離れててもダイレクトにたどり着けるような感じになっている。それは今っぽいと思います。

――坂本さんが追求している感覚、主流ではないけれどいろんな国に共通している感覚って、どういうものなんでしょうか。

坂本:すごく平たく言うと、やっぱり古いレコードが好きなんで。昔っぽい音が好きなんです。そこにはもちろん懐古趣味も入っているかもしれないけれど、でも、そうなり過ぎない。今の感じでさらっとやっている人が増えているように思います。

――今回のアルバムの方向性に、そういう海外との同時代性の影響はありますか?

坂本:好きな音は変わらないので、ずっと今まで通り好きな質感のサウンドを作っているんですけど。今回はソウルっぽい感じよりも、もうちょっとロックっぽい感じ、昔のロックンロールとかオールディーズみたいなニュアンスを入れたいなと思いました。ただ、それは世の中の流れではないし、あえてブームから離れようっていうのでもない。あくまで、今はこういうのが面白いんじゃないかなっていう個人的な気分です。

「過酷な社会の中で、自分が明るくなれる曲を10曲作った」

――表題曲の「物語のように」も、レトロなアメリカン・ポップのテイストがありますし、そういうタイプの曲がアルバムの軸になっていますよね。

坂本:今回はちょっと明るい感じにしたいなっていうのがありましたね。フレッシュで、抜けがいい感じにしたかった。60年代のガールズ・コーラス・グループとかは昔から変わらず好きなんですけど、そういう感じとつながっているのかもしれないです。

――明るいものにしたいという気持ちは、どういうところから生まれたものだったんでしょうか。

坂本:やっぱり、この世の中が過酷すぎるので、ちょっと耐えきれなくなってきたのはあるかもしれないです。そこから逃れられるような、自分なりにちょっとでも気持ちが明るくなるようなものを追求した感じです。とはいっても、応援されたりポジティブなことを言われたりしてもかえって落ち込むタイプだし、スピリチュアルな感じも気持ち悪いと思うので。そうじゃなくて、自分が明るくなれる、一番好きな感じの曲を10曲作って、それを集めてアルバムにした感じです。

――2020年にリリースされたシングルの4曲は、社会の苛烈さやしんどさがダイレクトに反映されているが故に、アルバムのムードにはそぐわなかった感じもありますか?

坂本:それはちょっとあるかもしれないですね。もうちょっと突き抜けた感じにしたかったのかもしれないです。

――アルバムを作っていく上で、最初にできた、もしくは、この曲ができたことである程度の方向性が見えたと思える曲はどれでしたか。

坂本:曲だけだいたいあって、歌詞がなかなかできずに苦労していたんですけど。最初に歌詞ができたのは「物語のように」ですね。この曲の歌詞がさらっと書けて、歌詞ができる前は「まあ、いいかな」と思っていた曲が急に輝きだしたような感覚があった。で、次のアルバムはこんな感じがいいなって思える曲ができたのは「君には時間がある」です。これはすごくいい曲ができたと思っていたんですけれど、ハマる歌詞がなかなか見つけられなくて。軽い歌詞にしたかったんですけれど、曲の雰囲気を壊さないで日本語にするのに、すごく苦労をしました。

坂本慎太郎「物語のように」

――前にもおっしゃっていたんですが、歌詞を書く作業はどんどん難しいものになってきてるんでしょうか。

坂本:そうですね。人に提供する曲だとすぐにできたりするんですけど、自分で歌うとなると、なかなか難しいですね。やっぱり、架空の話といっても、自分が書いて自分が歌うとなると、思ってもないことを歌えない。あとは、例えば若い女の子が歌ったらいい曲かもしれないけれど、自分が歌うと気持ち悪いんじゃないか、とか。そういう、いろいろなことがありますね。

――今の苛烈で閉塞感がある社会の中で明るく抜けのいいものを作りたい、それでいて噓じゃないもの、自分が歌って虚ろでないものを書くという、そこの難しさもあったりするのではないでしょうか。

坂本:そうです。そこがメインの難しさですね。

独自の詞世界をかたちづくる言葉たちはどのように浮かび上がってくるのか

――このアルバムの中では「それは違法でした」が、最も社会的で、ある種の寓話としての鋭さを持つ曲だと思うんですが、この曲はどういうふうにできていったんでしょうか。

坂本:歌詞は最後の方にできたんですけど、曲自体は最初にあったくらいのものですね。シングルの時のインタビューで言ったと思うんですけど、古いリズムボックスの音が好きで、自分でもリズムボックスを使った宅録アルバムを1枚作ろうかなと思って作業していた時にできた曲で。他の曲は全部バンドで練習して録り直したんですけど、この曲だけはデモテープをそのまま使いました。歌詞は、なんというか、ぽろっとハマったんですよね。普段から「こういう曲を作ろう」とは考えず無意識のうちに言っちゃったことみたいなものから発想するようにしていて。そう、「言っちゃった」みたいな感じですね。

――「ある日のこと」も寓話的で余韻のある歌詞になっている気がするんですが、この曲は、どういうふうに作ったんですか。

坂本:これは最後の方に明るい感じの抜けのいい曲もほしいなと思って作っていって。曲も詞もするっとできました。歌詞は自分でも「これはなんだろう?」みたいな感じだったんですけど、できたんで、そのまんま歌うしかないみたいな感じですね。歌詞が曲にバチッとハマっちゃうと、もう動かしようがなくなっちゃうので。

――坂本さんはよく「消去法で歌詞を書く」とおっしゃっていますよね。例えば、こういうことを書いたら自分としてNGになるという基準はありますか?

坂本:それは曲によって違うんですけど。たとえば陳腐なフレーズでも曲によっては切実に響く場合もあるし。かと言って、いいことを言っている感じだとつじつまが合い過ぎてつまらなかったり、曲のスピード感がゆるく聴こえたりする場合もある。基本は、鼻歌で歌って、バチってハマった言葉に対して、いいか悪いかをジャッジする感じです。

――まずは、リズムと譜割と、声に出してみた時の気持ちよさがある。

坂本:そうですね。

――その上で、わかりやすくて、おさまりがよ過ぎると余白のないものになってしまうのを避けるというジャッジもありますか?

坂本:ありますあります。そういう微調整みたいなものを延々とやっている感じですかね。最初は無の状態で浮かぶのを待ち、ワンフレーズがハマって曲のイメージが湧いてきたら、あとは、浮かんだイメージを形にするためにいろいろやっていく感じです。

意味も音も両方ちゃんとやりながら、海外ともつながっていく

――ちなみに、英語で歌うっていう発想は最初からなかった?

坂本:そうですね、はい。やっぱり、意味をそのまま訳したとしても、その言い方がかっこいいのかどうか微妙なニュアンスがわからないですし。そうすると自信が持てないので。

――でも、実際に日本語圏以外でも坂本さんの音楽の良さがきちんと伝わっているわけですよね。このあたりは、ご自身としてはどんなふうに捉えていますか?

坂本:そこは、完全に音としてかっこよくできていれば、伝わるんだなと思いますけどね。僕たちが英語とかポルトガル語とかスペイン語とかの音楽を聴いてもいいなって思うのと同じで、日本語がわからない人が聴いてもいいものはいいって感じるんだと思っています。日本語の意味に縛られて、そっちを優先しちゃうと、リズムとかサウンドの気持ちよさが犠牲になりがちじゃないですか。そこを上手くやりたいとは思っていますね。だからって、何を歌っているかわからない節回しで歌うようなことをするわけでもなくて。意味も音も、両方ちゃんとやりたいなって思います。

――この先また海外でライブをしようという計画もありますか?

坂本:行けたら行きたいですね。でも、状況に応じてじゃないですかね。

――先程の話にもありましたが、坂本さんの音楽は国境に関係なく届くポピュラリティがあると思います。

坂本:そこは変わりましたよね。昔は海外でリリースしてツアーをやらないと知ってもらえなかったですけれど、今は良ければ聴いてもらえるので。好きな感じの人達も増えてきましたし。

――ちなみに、坂本さんが同時代性を感じている、もしくは趣味が合うと思っているアーティストには、例えばどんな方がいますか?

坂本:ボビー・オローサとかアーロン・フレイザーとか、レーベルで言うとビッグ・クラウンとかコールマインから出ている人達あたりですね。あとは、再発レーベルですけど、シカゴのヌメロ・グループはうんと古い、今俺が聴きたい感じのレコードを出してくれるので、シンパシーを感じてます。あとは、アメリカツアーの時にオープニングアクトをやってくれたブラジルのセッサという人も、すごくよかったし。他にもいろいろいますね。前は新譜に乗りきれない自分がいたんですけれど、そのあたりも変わってきた感じがします。そんなに追いかけているわけではないですけどね。

――そういう同じ感性を持ったミュージシャンが国境を超えてつながっているようなことって、以前はあまりなかったように思います。時代が変わってきた感じがしますね。

坂本:そうですね。そういう人の曲を僕がレコード屋で買って聴いていたりすると、向こうも自分の曲を聴いていたりする。そうすると「なんだ、お互いに聴いていたのか」みたいな友達感覚になる。会ったことはないけれど、親近感が湧くというか。世界は狭いなって思いますね。

坂本慎太郎

坂本慎太郎
1989 年、ロックバンド、ゆらゆら帝国のボーカル&ギターとして活動を始める。2010 年ゆらゆら帝国解散後、2011 年に自身のレーベル、“zelone records”にてソロ活動をスタート。今までに3 枚のソロ・アルバム、1 枚のシングル、9 枚の7inch vinyl を発表。2017 年、ドイツのケルンでライブ活動を再開し、2018 年に4 カ国でライヴ、2019 年にはUS ツアーを成功させる。今までにMayer Hawthorne、Devendra Banhart とのスプリットシングル、ブラジルのバンドO Terno のアルバム「atras/alem」に1 曲参加。2020 年、最新シングル『好きっていう気持ち』『ツバメの季節に』を7inch / デジタルで2 か月連続リリース。2021 年、Allen Ginsberg Estate (NY) より公式リリースされる、「Allen Ginsberg’s The Fall of America: A 50th Anniversary Musical Tribute」に参加。様々なアーティストへの楽曲提供、アートワーク提供他、活動は多岐に渡る。 
オフィシャルwebサイト:www.zelonerecords.com

Photography Kazuo Yoshida
Special Thaks Time Out Cafe & Diner

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Night Tempo × 野宮真貴対談 後編 共作曲「Tokyo Rouge」に登場する女性像から、現在の音楽シーンまで https://tokion.jp/2022/02/02/night-tempo-x-maki-nomiya-part2/ Wed, 02 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=92553 2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。後編は、コラボした「Tokyo Rouge」や「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作背景や、現在の東京への印象などについて。

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2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。後編は、コラボした「Tokyo Rouge」や「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作背景や、現在の東京への印象などについて。

1980年代から1990年代にかけての東京のカルチャーは、どんな輝きを放っていたのか。なぜ今それが国境を超えて再び注目を集めているのか。

そんなテーマをもとに、日本とアメリカを中心に活動する韓国人プロデューサー/DJのNight Tempoと“元祖・渋谷系の女王”こと野宮真貴による対談を行った。

後編では、Night Tempoが新アルバム『Ladies In The City』で野宮真貴をフィーチャーした楽曲「Tokyo Rouge」、リミックスを手掛けた「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」の制作や、2020年代以降の東京について感じるについて話を聞いた。

前編はこちら

90年代の都会に住む女性を描いた「Tokyo Rouge」

――Night Tempoさんが野宮真貴さんとコラボしようと思ったきっかけは?

Night Tempo:『Ladies In The City』というアルバムは80年代から90年代までの時代が1つのコンセプトになっているんですが、野宮真貴さんは、自分にとって、その時代のおしゃれ音楽の“総理大臣”なんです。野宮さんがいないと、このアルバムの世界観がまとまらない。アルバムを作るにあたって、最初に野宮さんにお願いすることを思いつきました。

――共作曲の「Tokyo Rouge feat. 野宮真貴」はどういう風に作り始めたんでしょうか?

Night Tempo:この曲は野宮さんにオファーできると聞いて、こういう機会を逃しちゃいけないと思って作りました。これまで自分の人生で我慢して損したことがたくさんあったので、今はやりたいことがあったらそのまま意見を出すことにしていて。確信が無かった段階から曲を書いていたんですけれど、オファーを受けてくれなくても粘るつもりでした。

――歌詞は野宮さんが書かれたわけですが、どういうやりとりがあったんでしょうか?

野宮真貴(以下、野宮):いただいた音源の中に、すでに都会の喧騒とか車のクラクションとか電話の音がSEで入っていて、すでに曲の世界観が出来上がっていたんですね。最初にリモートで打ち合わせをして、どういう内容の歌詞を書いてほしいかをNight Tempoさんに聞いたんですけれど、その時にも「90年代の都会に住む女性を描いてほしい」という要望もあった。そこから自分なりにイメージを膨らませて作りました。

――非常に映像的な描写のある歌詞だと思うんですが、そのあたりも意識しましたか?

野宮:そうですね。あとは、90年代の歌謡曲を意識したので、歌詞としてはあえてちょっとベタな部分を残しました。今は珍しいかもしれないけど、日本の演歌などで脈々と歌い継がれている“待つ女性”という女性像ですね。当時はまだ携帯電話も普及していなくて固定電話しかなかったので、ホテルの一室なのか、自分の部屋なのか、そこで待っている女性を思い浮かべて書きました。「東京は夜の七時」に登場する女性は「早くあなたに会いたい」って待ち合わせに出かけていくのですが、「Tokyo Rouge」では彼からの電話をひたすら待っている。

あとはリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』に登場するレイチェルも少しイメージしていました。彼女はレプリカントだけれど、ハリソン・フォードが演じる主人公のデッカードをずっと待っている。あれは1982年の映画で、描かれているのは2019年のLAなので、今はもう当時思い描いていた未来を超えてはいるんだけど、Night Tempoの作る音も、レトロなんだけど未来っぽいサイバーな感じがするし、その辺のイメージも自分の中で少し入れました。ミュージック・ビデオではレイチェルのスタイリングを意識していて、待ちくたびれて洋服をたくさん着替えちゃう女性(笑)を私が演じています。

――「Tokyo Rouge」という曲名は野宮さんから?

野宮:そうですね。ピチカート・ファイヴのイメージがまさに“東京”だったから「Tokyo」というワードを入れたかったのと、あと口紅というのは、女性にとって何かを決心するときにひくお守りみたいなものでもあるので。特に赤いルージュは決意を示すときや、女性であることの表明みたいなところもある。そういうことを考えてこの曲名にしました。

――それを受け取ってNight Tempoさんはどう感じましたか?

Night Tempo:ミーティングの時の会話からも野宮さんとは感覚的に似てるなって思ったんですけれど、歌詞を見て確信しました。感覚が近い方って、作業する時にも心が通じやすいんです。性格も見ている目線も似てると思いますし、自分が考えたイメージがまさに歌詞に書かれていて、すごく嬉しかったです。

Night Tempoが再構築した「東京は夜の七時」

――一方、野宮さんのデビュー40周年記念プロジェクトの一環として、Night Tempoさんが「東京は夜の七時」をリミックスしていますけど、どういうアイディアで始まったんでしょうか?

野宮:私は今年デビュー40周年イヤーなんですけど、そのプロジェクトの1つとして「World Tour Mix」というのをやってみたかったんですね。今はコロナでなかなか海外にも行けないけれど、音楽を通じてだったらどこにでも行けるし、どこの国の人とも一緒にいられるので。世界中のクリエイターに私やピチカート・ファイヴの代表曲をプロデュースしてアレンジしてもらい、あたかもワールド・ツアーをしているかのように音楽を楽しんでもらいたいという思いがあって。Night Tempoさんは80〜90年代の日本の音楽に対して、すごく愛とリスペクトがあるのを感じていたので、歌謡曲的なものと洋楽のサウンドの融合を表現してもらえるかなと思ってお願いしました。今後も他の国のクリエーターとの「World Tour Mix」をデジタル配信していきます。

――Night Tempoさんはこの話を受けてどう思いました?

Night Tempo:「東京は夜の七時」は、まさにリファレンスとしてよく聴いていた曲だったんです。最初にプロジェクトのお話をいただいた時から、僕は「できれば『東京は夜の七時』をやりたいです」と言っていました。自分がリファレンスとしていた曲を自分で再構築できるという魅力的なお仕事でした。渋谷系の曲のリミックスには、原曲から離れたスタイルにするものも多いんですけれど、僕は逆にそこまで変える必要はないのかなって思って。まっすぐな渋谷系として、新しくプロデュースしました。サウンド的には90年代のハウス・ミュージックですね。渋谷系のサウンドにピアノハウスというジャンルがあったので、それをベースにしてスムーズに作れました。

――野宮さんが仕上がりを聴いての印象は?

野宮:Night Tempoの“昭和グルーヴ”のサウンドのイメージが強いので、もっとバキバキにアレンジメントをするのかなと思っていたんですけど、とってもスマートでクールにグルーヴを作っているトラックに仕上がっていて。2022年の「東京は夜の七時」ができたと思っています。アレンジの元ネタみたいなものはあったんですか?

Night Tempo:「東京は夜の七時」をもとに、あとは自分の音をちょっと足した感じです。僕は爆発的にバーンって盛り上がる音楽スタイルではないので。最初のイントロから雰囲気をずっと持っていく感じの曲をよく作るんですけど、今回の曲もそうで、最後に盛大に終わる感じです。本家のものをイメージしながら今の時代のサウンドにすることを目標にしました。

2人から見た現在の東京は?

――最後にお二方にお伺いします。今、2020年代の東京については、どういう印象を持っていますか。

Night Tempo:シーンが多すぎて、戦国時代みたいな感じがしています。似たカテゴリーの人達が一緒に頑張ってお互いの文化を尊重しながら盛り上げていったらいいと思うんですけど、分かれてしまって悪口を言い合ったりしているようなところもある。社会の雰囲気もあるとは思うんですけど、そうやって争いを起こそうとしている人達が目立つのは残念だなと思います。日本のマーケットには入っていきたいんですけれど、どこか1つの狭いシーンに所属したいとは思わないですね。

野宮:今の東京には、コロナもあって、80年代と90年代のような活気はないですよね。でも、だからといって前に戻りたいかって言うと、そうでもないんですが。今は環境や人権のようないろんな問題をしっかり考えていくタイミングだと思うので、浮かれている感じでは全然ないんですね。音楽にも、90年代の渋谷系みたいな底抜けに明るいものも、Night Tempoが発掘している80年代の歌謡曲のような雰囲気もあんまりないから。だから逆に渋谷系と言われる音楽が再燃したり、Night Tempoがリミックスした音源が求められたりしているのかなとも思います。今回の『Ladies In The City』は、彼がフィーチャリングしたそれぞれの女性アーティストへの愛とリスペクトを感じる作品で、本当にいいアルバムだと思っているので。私も参加できて嬉しかったですし、今後も日本の音楽の良さを世界に伝えてほしいなと期待してます。

Night Tempo
1980年代のジャパニーズ・シティ・ポップや昭和歌謡、和モノ・ディスコ・チューンを再構築したフューチャー・ファンクを代表する韓国人プロデューサー兼DJ。アメリカと日本を中心に活動する。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリエディットして、欧米でシティ・ポップ・ブームをネット中心に巻き起こした。角松敏生とダフト・パンクをこよなく敬愛する、昭和カセット・テープのコレクターでもある。昭和時代の名曲を現代にアップデートする「昭和グルーヴ」シリーズを2019年に始動。Winkを皮切りに、杏里、1986オメガトライブ、BaBe、斉藤由貴、工藤静香、松原みき、中山美穂、秋元薫、菊池桃子、八神純子、小泉今日子とこれまでに12タイトルを発表。2021年5月には、昭和アイドルにフォーカスした『昭和アイドル・グルーヴ』のコンピレーションCDもリリースした。オリジナル・アルバムは、『Moonrise』 (2018年)、『夜韻 Night Tempo』 (2019年)、『Funk To The Future』 (2020年)、『集中 Concentration』 (2021年)のほか、2021年には初のメジャー・オリジナル・アルバム『Ladies In The City』をリリース。2019年にフジロックフェスティバルに出演し、同年秋には全国6都市を周る来日ツアーを成功させた。
https://nighttempo.com

野宮真貴
ミュージシャン。1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として渋谷系ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイ執筆など多方面で活躍している。
http://www.missmakinomiya.com

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Night Tempo × 野宮真貴対談 前編 2人が描く/体験した1980〜90年代の東京はどんな都市だったのか? https://tokion.jp/2022/01/25/night-tempo-x-maki-nomiya-part1/ Tue, 25 Jan 2022 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=92537 2人が初共演したことを受けて、両者の対談を実施。前編では、Night Tempoの新譜の舞台である1980〜90年代の東京を実際に過ごした野宮の話や、当時の印象に迫った。

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1980年代から1990年代にかけての東京のカルチャーは、どんな輝きを放っていたのか。なぜ今それが国境を超えて再び注目を集めているのか。

そんなテーマを元に、日本とアメリカを中心に活動する韓国人プロデューサー/DJのNight Tempoと“元祖・渋谷系の女王”こと野宮真貴による対談を行った。

両者は互いの作品でコラボしたばかりだ。Night Tempoは昨年12月にリリースした初のオリジナルアルバム『Ladies In The City』に野宮真貴をフィーチャーした楽曲「Tokyo Rouge」を収録。一方、野宮真貴はデビュー40周年を記念したプロジェクト「World Tour Mix」の第1弾としてピチカート・ファイヴの代表曲をNight Tempoがリアレンジし、野宮がセルフカバーした「東京は夜の七時 (feat. Night Tempo)」をリリースしている。

前編では、『Ladies In The City』の舞台である80年代から90年代の東京における野宮の活動や、Night Tempoから見た当時の音楽シーンについて語ってもらった。

Night Tempoとピチカート・ファイヴに共通する“外側からの視点”とは?

――『Ladies In The City』のコンセプトはどういうところから生まれたんですか?

Night Tempo:コロナ禍になって自分が一番ハマったのがトレンディドラマだったんです。そこからインスピレーションを受けました。トレンディドラマが流行った時期の日本の現代史を研究したんですが、男性に比べて女性の作品はそこまで目立っていないように感じました。その時代の女性を自分がもっと紹介できたらと思って、そこからコンセプトを決めました。

――野宮さんはNight Tempoさんにどんな印象を受けていましたか?

野宮真貴(以下、野宮):日本にも歌謡曲のDJはたくさんいますけれども、やっぱりちょっと違った視点が入っているのが興味深かったです。それがアメリカですごく受けている状況を見て、90年代にピチカート・ファイヴが海外で支持されていた感じにも似てるなと思っていました。

――ピチカート・ファイヴが海外で支持されていた感じに似ているというのは?

野宮:Night Tempoさんは80年代生まれだから、日本のその頃の音楽を新鮮な耳で聴いていると思うんですけれど、ピチカート・ファイヴも海外の60年代の音楽をリスペクトしていて。それに音楽だけじゃなくて、ファッションとか映画とかアートとか、60年代カルチャー全般に影響を受けています。ピチカート・ファイヴがやっていたことって、海外の隠れた名曲を掘り起こして、それを私達なりに解釈して、再構築して、発表していたということですね。それが海外で受けたというのは、つまり、60年代にそれぞれの国にあった宝物を、私達が外から掘り起こしてプレゼンテーションしたことで気付いたという一面があったと思うんです。それと同じように、Night Tempoさんがやっていることは、私達が気付いていなかった80年代や90年代の日本の素晴らしい音楽を違う視点で紹介してくれて、気付かせてくれる。そういう感じが似ているということですね。

――時代と国は違えど、視点が共通しているということですね。

野宮:そうですね。同時に、ピチカート・ファイヴには当時の東京のエッセンスがいっぱい入っていたし、90年代の東京はたぶん世界で一番かっこいい都市だった、そういう憧れも混ざって支持されたのではないかと。

Night Tempoから見た80〜90年代の日本の音楽シーン

――Night Tempoさんはピチカート・ファイヴの音楽にどういう魅力を感じていましたか?

Night Tempo:僕がまだ若かった頃は90年代の日本の音楽を詳しく知らなかったんですけど、韓国でも聴かれた日本のアーティストが何人かいて、そのうちの1組がピチカート・ファイヴでした。他にもBONNIE PINKさんや宇多田ヒカルさんがよく聴かれていました。それらの音楽を聴いて、韓国の当時の歌謡曲と全然違う、最先端の感じがしていて。だからこそ、もし自分が音楽を作る人になったらこういう音楽をやってみたいと思っていました。結局、当時は周囲からの反対もあってできなかったんですけど、その頃からの憧れでした。で、最近になって、自分の世界観を広げるために90年代の音楽をいろいろと聴くようになって感じたんですけれど、80年代から90年代までの日本の音楽シーンって、理想的な流れだったと思うんです。韓国でも台湾でも音楽シーン自体はあっても、オシャレな音楽がマーケットになったのは日本だけだった。日本の人はそこまで気付いていないと思うんですけれど、アジアから見たら、憧れがずっとありました。

――80年代後半から90年代の日本の音楽シーンをいろいろ研究したということですが、Night Tempoさんが魅力を感じたポイントはどういうところにありましたか?

Night Tempo:80年代末は日本の若者がすごく熱かったと思います。ハートが熱くて、音楽スタイル自体も派手だった。でも、90年代に入ってどんどん落ち着いたおしゃれなものになっていくんですね。80年代は“派手なおしゃれ”だったのが90年代は“クールなおしゃれ”になって、雰囲気が変わっていくので飽きないんです。個人的に学ぶことも多かったですし、やっぱり好きな時代は80年代から90年代半ばくらいまでですね。あと、いろんな人が「90年代はバブル経済が弾けてダメになった」と言いますが、実際はそうでもないと思っていて。会社の社長とかお金持ちは大変だったと思うけれど、若者にとってはあまり変わらなかった。だから、みんながカルチャーを楽しむことができた時代だと思います。

「東京から発信しているものが世界で一番かっこいいと思ってた」(野宮)

――野宮さんはどうでしょう? まさに当事者として、80年代から90年代の東京の社会やカルチャーをどう体感していましたか?

野宮:80年代は、景気は良かったと思いますが、私にはあんまり関係なかったですね。私は81年にデビューしたんですけれど、全然売れなくて、お金も本当になかったから、自分だけ取り残されているような感じでした。その少し前は、お金がないからよくディスコに行ってご飯を食べていましたよ。当時のディスコって、新宿とかの大バコだと飲み放題、食べ放題で、レディースデーというものがあって、女性は無料で入れたんです。そんな時代だったんですね。その後にポータブル・ロックというバンドを組むんですけど、それも全然売れなかった。ゲームのサントラの曲を歌ったり、CMソングを歌ったり、他のアーティストのバッキングボーカルをしたり、そういった音楽の仕事をしながらバンドも並行してやっていました。浮かれた感じとはちょっと違っていました。そうこうしてるうちにピチカート・ファイヴに加入するんですけど、最初はコーラスとしての参加でした。

――時代のムードや当時のカルチャーについてはどんな風に見ていましたか?

野宮:80年代の広告はすごく派手でしたね。好景気で大企業が広告に予算を投下して、広告の世界にお金があった時代。私もCMソングの仕事が途切れることがなかったことを考えると、やはりバブルの恩恵を受けていたのかな。ピチカート・ファイヴに正式に加入したのは90年だったんですが、その頃もヒットさせるためにCMとのタイアップが重要だったんですよね。ピチカート・ファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」もそうですけれど、化粧品のCMソングからヒットが生まれた時代でした。そこから90年代は、バブルが崩壊したといっても、ディレイしてCDバブルは2000年まで続きますから、まだまだレコード会社にも予算が潤沢にあったし、ピチカート・ファイヴでは一流のミュージシャンに演奏してもらうこともできました。特殊仕様のCDジャケットを作らせてもらったり、ジャケット撮影のために海外に行ったり、いろんなことができたので、すごく幸せだったなと思います。

――野宮さんは「90年代の東京は世界で一番かっこよかった」と仰ってましたが、それはどういう感覚でしたか。

野宮:80年代までは、音楽もカルチャーもファッションも、海外のものに憧れていて、それを円の強力な力でインポートしていたけれど、90年代にそれが逆転したような感覚がありました。食べ物も洋服も音楽も世界中のものが手に入る超消費社会になって、今度はそれをミクスチャーして独自のカルチャーを作り出していった。サンプリングとかコラージュとか、世界のカルチャーのいいとこどり。その“いいとこどり“をリスペクトと愛を持ってセンス良く構築したのがいわゆる“渋谷系”と言われる音楽だと。そうやって日本から、東京から発信しているものが世界で一番かっこいいと思っていました。ピチカート・ファイヴにしても、アメリカのマタドール・レコードからデビューして、海外でリリースしてワールドツアーもして、自分達が世界で一番かっこいい音楽をやっているんだって思いながら“外タレ”気分でやっていましたね。当時はSNSがなかったので、十分に日本にフィードバックされなかったかもしれないけれど、本当にスターでしたね。パリコレや海外のCMや映画のサウンド・トラックに起用されたり、アメリカツアーもヨーロッパツアーもどこへ行ってもチケットはソールドアウトだったりで、熱狂がありました。

「ケイタマルヤマ」さんが1997年にパリコレクションに初参加した時は、ランウエイでピチカート・ファイヴの曲を歌いました。それから25年経って、昨年12月の「ケイタマルヤマ」のファッションショーで、再び「東京は夜の七時(feat. Night Tempo)」や「スウィート・ソウル・レビュー」をパフォーマンスできたのは感慨深かったです。25年経っても小西康陽さんが作ったピチカート・ファイヴの曲は色褪せないし、それをNight Tempoという次世代のアーティストがリアレンジしてくれたということがとても嬉しい。私は歌手として名曲を歌い継いでいくという使命があると思っているので、それが叶ったという感じです。

Night Tempo:もし野宮さんが当時ピチカート・ファイヴをやっていなかったとしたら、他に目を付けていた音楽ジャンルはありましたか?

野宮:私はもともと歌謡曲の歌手になりたかったんですね。子どもの頃から歌謡曲を聴いて育ったので。そこから洋楽のロックを聴いたり、バンドをやったりするようになって、81年にデビューして。80年代はニューウェーブ、90年代は渋谷系、そこからソロでやっているわけなんですけれど、それは自分から選んだというよりは、その時その時の出逢いと時代の流れに応じていた感じがありますね。だから、基本的に私の中には歌謡曲の要素がすごくあるような気がしています。昨年の筒美京平先生のトリビュートライヴに往年のスターの方達と一緒に出演させてもらったんですけれど、それは「歌手になってよかった」と一番思った最近の出来事の1つでした。そういうところもNight Tempoさんとのつながりがあるのかなと思います。

――Night Tempoさんは90年代には女性の作品があまり目立っていなかったと仰っていましたが、野宮さんとしては、女性ミュージシャンだからこその活躍しにくさは感じていましたか?

野宮:それは全然なかったです。世間一般の社会では女性が生きづらかったりしたのかもしれないけれど、私はずっと音楽の世界にいたから。音楽の世界も男性のほうが圧倒的に多かったですけど、やはり音楽は自由なので、男も女も、日本も海外も関係なく、そういう境界を全部超えられるものだと思うので。女性だから苦労したとか、そういうことを私は感じたことはないですね。

後編に続く

Night Tempo
1980年代のジャパニーズ・シティ・ポップや昭和歌謡、和モノ・ディスコ・チューンを再構築したフューチャー・ファンクを代表する韓国人プロデューサー兼DJ。アメリカと日本を中心に活動する。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリエディットして、欧米でシティ・ポップ・ブームをネット中心に巻き起こした。角松敏生とダフト・パンクをこよなく敬愛する、昭和カセット・テープのコレクターでもある。昭和時代の名曲を現代にアップデートする「昭和グルーヴ」シリーズを2019年に始動。Winkを皮切りに、杏里、1986オメガトライブ、BaBe、斉藤由貴、工藤静香、松原みき、中山美穂、秋元薫、菊池桃子、八神純子、小泉今日子とこれまでに12タイトルを発表。2021年5月には、昭和アイドルにフォーカスした『昭和アイドル・グルーヴ』のコンピレーションCDもリリースした。オリジナル・アルバムは、『Moonrise』 (2018年)、『夜韻 Night Tempo』 (2019年)、『Funk To The Future』 (2020年)、『集中 Concentration』 (2021年)の他、2021年には初のメジャー・オリジナル・アルバム『Ladies In The City』をリリース。2019年にフジロックフェスティバルに出演し、同年秋には全国6都市を回る来日ツアーを成功させた。
https://nighttempo.com

野宮真貴
ミュージシャン。1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として渋谷系ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイ執筆など多方面で活躍している。
http://www.missmakinomiya.com

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連載「時の音」Vol.8 このめまぐるしい社会の中で Night Tempoがレトロカルチャーに見出す魅力 https://tokion.jp/2020/12/28/series-tokinooto-vol8-night-tempo/ Mon, 28 Dec 2020 06:00:31 +0000 https://tokion.jp/?p=13893 懐古主義に陥らずに一貫したスタンスで活動するNight Tempo。彼と日本のシティポップや同時代のものとの関係性について。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回登場するのは“昭和グルーヴ”をキーワードに、1980年代や1990年代のシティポップや歌謡曲を絶妙にリモデルした楽曲の数々で脚光を浴びるDJ/プロデューサーのNight Tempo。韓国を拠点に活動する彼に大きな転機が訪れたのは2019年のことだった。

もともとは本業のプログラマーの傍ら趣味として音楽を制作し、カセットテープやレトロアイテムを掘り出し集める“昭和レトロ”オタクでもあった彼。ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクといったインターネット発のムーブメントが勃興するなかで台頭し、各地でDJが盛況に。「フジロックフェスティバル ’19(以下、フジロック)」にも出演を果たすなど音楽ファンに広く知られる存在となった。

新型コロナウイルスのパンデミックが広がってからは、ソウルの自宅からYouTubeチャンネルでのトーク配信を行うなど、オンラインで昭和歌謡や1980年代カルチャーを愛好する“場”を積極的に作っている。その一方で、フレンチ・エレクトロ路線のアルバム『Funk to the Future』を発表するなど自らの音楽性も広げてきている。

単なるノスタルジーではなく、レトロカルチャーに新たな息吹を宿す彼にとって、昭和歌謡やレトロカルチャーはどんなパワーを持っているのか。

——2020年に入ってから『昭和グルーヴ』プロジェクト(1980年代の楽曲を公式にリエディットしている)や『Funk to the Future』など精力的なリリースを重ねていますが、Night Tempoさんはここ数ヵ月をどう過ごしてきましたか?

Night Tempo:『昭和グルーヴ』プロジェクトは、もともと何ヵ月かのタームで着々と続けていくプランがあったんです。去年はなかなか盛り上がったんで、今年もいろんなイベントと一緒にできたらよかったんですけど、それができなくなったから、自分のプロダクションをもう一度振り返って考える時期でした。8月に工藤静香さんの『昭和グルーヴ』を出して、計画通りのリリースもありつつ、もう一度自分の世界観を新しく作り直した感じです。

——新しく作り直した、というと?

Night Tempo:昭和歌謡は僕のペルソナの1つですけど、もともとそれだけの人間ではないので。音楽的なところで、昭和歌謡の人間としてしか見られないと困ると思ったんです。なので、自分が以前やっていたことをアップデートして『Funk to the Future』を出しました。今は来年に向けてオリジナルプロジェクトを制作しています。歌が入るプロジェクトで、いろんな方にフィーチャリングしてもらったり、自分で歌ったりしています。昭和歌謡、シティポップ、フランスのハウスやディスコをミックスしてNight Tempo的なサウンドを作り上げようと思っています。だから、最近はずっと勉強ですね。

——勉強をしているんですね。

Night Tempo:去年「フジロック」やツアーを行ってから、年上のリスナーの方がすごく多くなってきたんです。そこから、音楽だけじゃなくて、文化についてもいろいろ調べてます。やっぱり年上の方は実際にその時代を生きてきたから、見る目が正確なんですよね。ウィキペディアや文章で読むのと、実際にその時代を生きてきた方が肌で感じてきたことは違うので、いろんな方からお話を聞いてちゃんと検証するということをやろうと思っています。最近は新しい企画としてYouTubeで「グッド・ナイト店舗」という配信をやっているんです。夜の寝る前に30分から1時間くらい、いろんな話をする。そこを観てくださっている方も年上の方が多いから、自由にトークしている中で、いろんな方からいろんな情報を仕入れたり、話を聞いたりすることができて、勉強になります。あとはビデオテープでその当時の映画やドラマを観ると、そこには時代が反映されているので、音楽だけ聴いたり、本や雑誌だけ読んだりするのとは違う。最近はそういうものにすごく投資しています。

レトロカルチャーを取り巻く環境とその精神的影響

——YouTubeだけでなく、インスタライブや「ZooM昭和歌謡愛好会」など、いろんなことをやられていますよね。音楽だけでなく、カルチャーを共有するコミュニケーションの場を積極的に作ってきている。

Night Tempo:昔の機材を持ってない方も多いし、せっかくだからみんなで一緒に観ようと思ったんです。昔は誰かがビデオテープを買ったら、友達の家に行って一緒に観たりしたじゃないですか。今は距離が離れてるけど、だからこそもっとそういう場を作りたいなと思ってます。それに、リアルの場では年の差があるとなかなか会えないけれど、例えば女子高生とおじさんが同じ昭和の話題で情報交換するようなことが起こっているんです。それはすごく印象的でした。他になかなかないと思います。

——昭和歌謡などレトロなポップスに触れることの精神的な影響はどんなものがあると思いますか?

Night Tempo:今って、消費文化のサイクルがどんどん短くなっていて、消費の流れが早くなっていますよね。その中にいると、いつもみんな急いでいるし、疲れてしまう。そうやって、今の時代に疲れた人達が、サイクルが遅かった昔の時代にあったものに癒されるようなところがあると思うんです。懐かしさもあると思うけれど、そのイメージが一番強いですね。そのイメージを見てかっこいいと感じる人が多い。そのかっこよさはどこから来るのかっていう疑問を持ったら、どんどんマニアックに調べていくことができる。知れば知るほど、そこのドリームパラダイスで癒やされるような感じになっていく。今はすごく感情が乾燥した世界だから、過去を振り返って、文化を知って、音楽を聴いて、癒されるようなところがある。それは僕も同じです。もともと僕はプログラマーだし、最先端のロボット工学とかも勉強していたので、だからこそ、当時はレトロな昭和の文化が壊れた自分を修復してくれるような感じがあった。それが一番の理由ですね。

——カセットテープや“ウォークマン”、マンガやビデオテープなど、いろんなコレクションもしていますよね。1980年代のどういう部分が好きなポイントなんでしょうか?

Night Tempo:やっぱり音楽は今聴いてもおしゃれなものですよね。言葉で説明するのは難しいですけれど、僕がDJでかけた時もみんなが反応するポイントがある。ビデオテープはその時代の空気、ファッションやその人達の顔を実際に見たいんです。映画やドラマで撮影されたものにしても、自然に出る空気がある。あとは、例えばDaft Punkがイメージしているのも1980年代の特撮じゃないですか。その当時のSFって、その時代の現実に生きてた人達が想像した未来だった。だから、今の人から見たら「これは昔っぽいな」って思ったりする。「近未来」とよく言われるけれど、実は「近い未来」ではなくて。実際には来なかった未来なんですよね。その辺りにも自分が好きなものの共通点がある気がします。

距離感から生まれる独自の視点、エディットに対する自信

——2020年になって、Night Tempoさんはラジオやテレビなど日本のメディアでも露出が増えてきていると思います。この状況はどう捉えてますか?

Night Tempo:今、僕が日本から離れているところがあるなと思いました。日本から離れてるからこそ、メディアにとっても自分達が見ている視点と違う目線から発信しているということを取り入れてくれている。ただ「昭和の文化が好きです」と言って、日本で昭和のコレクションをしているだけだったら、興味をもってもらえないと思います。違う目線は距離から生まれると思うので。今の若者は厳しいから、ただ昔なだけだったらつまらないし、ダサいと感じる人も多いと思います。

——Night Tempoさんは「北酒場」のような演歌をディスコソウルにリアレンジしていたりしていますよね。そのあたりのセンスが絶妙なんじゃないかと思います。

Night Tempo:そこは自分がやってることに自信を持っていることの1つかもしれません。こういう曲でもおしゃれになれるよっていうところを見せたいんですよね。そこはやっぱりイメージが大事だと思うんです。例えば「北酒場」も、そのまま聴かせるとただの演歌だし、僕がやっているエディットもそこまで大きく変えているわけではないんです。でも、うまく仕掛けたら、ほんのちょっと変えるだけでもかっこよくなる。そこは僕が見せたいところだし、皆さんもそういうところを新鮮に捉えたりしてくれてるんだと思います。だから、僕もそこに対しては自信を持たなきゃいけないなと。僕に自信がなくて、やることがブレていたら、みんなも「これって本当におしゃれなのかな?」って思ってしまうので。

——いろいろなプロジェクトが進行しているということですが、今後に向けてはどんな計画がありますか?

Night Tempo:まずは年始に、昭和の文化を自分なりに解釈した音楽で表現する昭和ローファイ・アルバム『集中』をリリースします。あとは来年のオリジナル作品のための準備をしています。そこにいろんな方が参加してくれる予定です。

——音楽活動以外にもやってみたいことはありますか?

Night Tempo:昭和の時代にみんながやってたレジャーって、海の近くのリゾートに行くことだったじゃないですか。伊豆とか熱海にホテルニューアカオとか、ハトヤホテルとかありますよね。そういうところを貸し切ってイベントをやりたいです。音楽だけじゃなく、会場で展示会をやったり、鍋パーティとかもやってみたいです。今はZooMで一緒にビデオを観たりしてるんですけれど、それをリアルの現場で実際に集まって大人数でやりたいです。あとは昭和って言ったら“社員旅行”なんで、社員旅行のコンセプトのイベントもやりたいですね。そういう企画をいろいろやったら、みんなで楽しめるんじゃないかと思います。

Night Tempo
1986年韓国生まれ。プロデューサー兼DJ。1980年代の日本のシティポップや昭和歌謡を再構築した楽曲を制作し、米国と日本を中心に活動している。2019年には「フジロック」に出演。同年には6都市をまわる来日ツアーを成功させた。2019年にはアルバム『夜韻』をリリースした他、昭和の名曲を公式にリエディットする『昭和グルーヴ』シリーズを始動し、これまでにWink、杏里、1986オメガトライブ、BaBe、斉藤由貴、工藤静香の楽曲をリエディットしている。2020年には『Funk to the Future』をリリース。
Twitter:@nighttempo
Instagram:@nighttempo
Youtube:https://www.youtube.com/nighttempo

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