相沢修一, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shuichi-aizawa/ Mon, 13 Feb 2023 06:07:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 相沢修一, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shuichi-aizawa/ 32 32 上野伸平とスケートビデオ『LENZ III』——制作背景から見えてくるスケートボードの可能性 https://tokion.jp/2023/02/13/interview-shinpei-ueno-lenz-iii/ Mon, 13 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=164963 プロスケーターの上野伸平が、約9年の制作期間を経て完成したスケートビデオ『LENZ III』。制作背景と作品に込めた想い、そしてスケートボードが持つ魅力を聞く。

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『LENZ III』予告編

スケートブランド「タイトブース(TIGHTBOOTH)」を手掛け、プロスケーターでもある上野伸平が前作の『LENZ II』発表から、約9年もの歳月をかけて制作した最新スケートビデオ『LENZ III』。

本作は、東京や大阪、さらにニューヨーク、ロンドンで完成試写会が行われ、どの会場にも大勢のスケーターが詰めかけた。上野伸平が舞台挨拶で登壇しただけでも場内の高揚感はすさまじく、いざ本編がスタートすると、映し出されたトリックが目前で行われているかのように歓声が飛び交い、割れんばかりの拍手が巻き起こり、映画館というよりもストリートそのものといった生々しい熱気に満ち満ちた空間になっていた。

その『LENZ III』にパッケージングされた世界観は、スケートパートだけではなくそれを演出するCGやバックに流れる音楽なども含め、スケートカルチャーが本来持ち合わせているクールとユーモアにあふれていた。これまでに発表されてきた名だたるスケートビデオと同様、まさしくサブカルチャーの集合体そのものだった。

何か新しい波が生まれるさなかの現場にいると、ピリピリとした緊張感が肌で感じられ、何かとんでもないことが起きているんじゃないか、という妙な焦燥感に駆られることがある。浮き足だってしまってうまく説明できないけれども、気持ちのたかぶりを抑えきれない。『LENZ III』を観ると、まさにそんな気持ちにさせられる。そんな一種の共鳴めいたものが試写会場にあったのかもしれない。というのも、『LENZ III』を観終えたスケーター達は、街に出るなり、何かにあてられたように一心不乱にスケートしていたのが忘れられないから。

現代の国内外のスケートシーンの最先端を記録した本作は、確実に日本の2020年代初頭を伝えるスケートビデオとして、後世に残っていくことだろう。一見するとスケートビデオを制作することは、そこまで特別なことではないと感じる人が多いと思う。だが、こと日本においてストリートスケートのフルレングスビデオを生み出すのは非常にハードルが高く、それをD.I.Y.ベースで行うことはすさまじく大変な作業であり、『LENZ III』という作品が完成したこと自体が画期的で奇跡的なことなのだ。

そこで今回は、『LENZ III』および『LENZ』シリーズには、どのような思いが込められているのか。また、スケートビデオを作ることのハードルの高さについてどう考えているのか。本作を生み出した上野伸平に語ってもらった。

上野伸平(うえの・しんぺい)
TIGHTBOOTH PRODUCTIONを主宰しながら「エビセン スケートボード(Evisen Skateboards)」のプロライダーとして活動。数多くのスケート映像作品を発表し、代表作である『LENZ Ⅱ』は国内外からも高い評価を受ける。幅広いアウトプットを持ち、スケートショップやアパレルブランドのディレクション、「グッチ(GUCCI)」「シュプリーム(Supreme)」「キューコン(QUCON)」「モンクレール ジーニアス(Moncler Genius)」「PIZZANISTA! TOKYO」へのプロデュースワークなど、多岐にわたる。2023年「タイトブース」スケートビデオ3部作の集大成『LENZ III』を全世界でリリース。
https://shop.tightbooth.com
Instagram:@shinpei_ueno

時代に応じてベストだと思うスケーターをキャスティングしている

——『LENZ III』試写会における上野さんの舞台挨拶で「VXシリーズとMK-1にささげます」という言葉がありました。まずは撮影に使用している機材と、その機材を使用する理由を教えてください。

上野伸平(以下、上野):1995年にリリースされた「ソニー(SONY)」のビデオカメラDCR-VX1000に、「センチュリーオプティクス(CENTURY OPTICS)」製のウルトラフィッシュアイレンズMK-1を装着した機材を使用していて、このセッティングは、“スケートビデオの天下統一”と言われています。

MK-1の持つディストーションにより、唯一無二の臨場感とスピード感を演出することができます。そして、DCR-VX1000独特の乾いたマイク音とフィルムライクなビジュアルもいい。自分達は2005年からこのセッティングで撮影を続けているので、今年で19年目に突入ですね。VX1000に関してはトータルで30台以上、ウルトラフィッシュアイは7個以上は使用しています。このビデオカメラもレンズもすでに生産中止になっていて修理もできない状況で、そもそもミニDVテープの取り込み作業自体もソフトウェアで不具合が出る始末です。それでも、このセッティングにこだわり続けて19年。この作品(『LENZ III』)はVXシリーズとMK-1にささげます。

——『LENZ Ⅲ』の作品コンセプトについて教えてください。

上野:基本的に自分が全体をディレクションしながら、良いスケーターを良いスポットで撮影するという、至ってシンプルなやり方で制作しています。ジャーナリズムというかブロードキャスティングというか、その時代に応じて自分達がベストと思うスケーターをキャスティングしています。

——本作は、出演するスケーターに合わせたCGアニメーションが流れた後にスケートパートに移行する流れがとてもおもしろく感じました。構成はどのように制作していったのでしょうか。

上野:今回は、架空の研究施設「VX LABORATORY(VX研究所)」で『LENZ III』が作られていく様子を表現しました。メインカメラであるVX1000は、3DモデリングしてフルCGで制作。19年間もVX1000でスケートビデオを作ってきたので、このビデオカメラにささげるオープニングを作りたかったんですよね。

そして「VX LABORATORY」では、各パートごとの部屋を作っていて、そこでパートのコンセプトやライダーのパーソナリティを表現しているのですが、試行錯誤しました。自分が大まかなアイデアを出すんですけど、CGのチームとどうやってそれを実現できるのかを話し合っていきました。例えば、三谷小虎というライダーのパートの場合は、畳が敷かれた和室におりが置かれていてビデオモニターが散乱しています。そこに虎が歩いているような映像にしています。でも予算的にCGでしっかり虎の全身を見せるのは難しいから、相談してシルエットだけで表現しようとか。

あとは、JAPANESE SUPER RATのパートではサウンドトラックがゲザン(GEZAN)だったから、真っ赤な部屋にモニターを縦に積んで機材のケーブルを散乱させました。そしてモニターからは、ゲザンのライヴ映像が流れつつ、その周りでネズミをウロウロさせてみる。そんな感じで作っていきましたね。構想から組み立てにも苦心したんですが、一番ヤバかったのがレンダリング。各パートイントロのCGは、15秒が限界だなってことで取り組んだのですが、1フレームのレンダリングで最大1分半かかるので、作業も含めると1チャプターに対して1日がかり。プレビューを確認した後、修正する場合はまた1日かかるわけですよ。なので、試写会当日までに、あと何回レンダリングできるか計算しながら作っていました。時間もなかったので冷や汗ものでしたね。

——聞いてるだけでもCG制作はとても大変そうです。次は、各パートに割り振られた音楽について聞かせてください。ヒップホップからテクノ、パンクと非常に個性豊かでした。またエンディングテーマでは、ザ・ブルー・ハーブ(THA BLUE HERB)のILL-BOSSTINOが参加するユニット、ジャパニーズ・シンクロ・システム(Japanese Synchro System)の楽曲が使われていて、上野さんらしいセレクトだと感じましたが、音楽はどう決めていったのですか。

上野:パートのコンセプトや出演ライダーのパーソナルを踏まえながら決めていきました。またサウンドトラックも仲間のアーティスト達から選定したかったので、既存の曲からリリース前の新曲、まだデモ段階の曲までと、とにかくたくさんの曲を集めました。エンディングのジャパニーズ・シンクロ・システムの曲は、自分が20代前半の頃から聴き続けていて、<確かめろ 確かめろ 1度きりの人生温めろ>と自分と仲間を激励する曲なんですが、いつかこの曲をエンディングに使用した長編を作りたいと思っていました。曲のリリースから16年ほどたった今、やっとそれに見合うタイトルを作れたと思います。

——その『LENZ Ⅲ』は新世代を担うスケーターにフォーカスされていると感じました。上野さんはユーススケーター達のどのようなところに魅力を感じますか?

上野:フリーフォームであることが若い子達の一番の魅力だと思いますね。複合型のテクニカルなレッジトリックに加えて、ナーリーなトランジションから前代未聞のNBD(世界初のトリック)まで引っ提げていますから。

——100人以上のスケーターが出演していましたが、選定の基準はありますか? また、彼らとどのようにつながっていったのでしょうか。

上野:基準というと曖昧になるんですが、基本的には監督である自分がいいと思えるかどうかです。ただ単にスキルが高いとか、ビジュアルが良いなといった理由でキャスティングしてるわけではないです。これは職業柄というか常識というか、スケートシーンにいると“今撮影するべきスケーター”は自然とわかるんですよね。それにスケーターっていうのは基本的に友達の友達なので、すぐにつながっていきます。若い子達の中には『LENZ』シリーズで育った子も多いので、話は早かったですね。

——各スケーターのファッションにも惹かれたのですが、撮影スポットに応じてスタイリングを整えたりすることはありましたか?

上野:「タイトブース」所属ライダーについては、自分がスタイリングすることもありましたね。あと撮影するスポットによっては、トップスが白なのか黒なのかで印象が大きく変わることがあるので、撮影の際は3コーディネートくらいを持っていくことが多いです。ライダーには事前に自分が好きなスタイリングを3つぐらい提案してもらって、そこから自分が少し手を加えることも多かったです。

スケートビデオにはスケートボードの魅力すべてが詰まっている

——日本でスケートビデオを制作するのが困難だと感じる点やおもしろいと感じる部分について教えてください。

上野:おそらく日本は世界で2番目にスケートビデオの撮影が困難な場所だと思います。1番は北朝鮮。日本ではあらゆるスポットで警備員や警察がとんでもないスピードで出てきますよ。それに世界ではほとんど見たことがない「通行人が通報する」という特殊な現象も起きます。自分にはまったく関係ないし、まったく迷惑にもなってないのに、謎の正義感で警察に通報するんですよね。俺はいろんな国にスケートしに行ったけど、日本だけですね、あんなことをするのは。とにかく他人に干渉するというか……。

日本の教育なのかな? とにかく日本人の生活に、スケートボードが根付いてないということがもちろんあると思いますし、実際に迷惑かけちゃってる時もあるので、そういう部分はしょうがないんですが……。でも日本以外ではそんな感じが全然ないんですよね。海外の街でスケートしてても周囲の人はほとんど気にしないし、なんならスケートを見て「今のトリックすごくCOOLだったよ」なんて言ってくれることもありますから。日本だと、スケートしてるだけですごく悪人ぽい扱いされますね。おもしろいのは日本独特の景観や建築がスポットとしてユニークなところです。

——上野さんから見て、今の日本のスケートシーンはどういう状況にあって、どんな課題があると思いますか?

上野:東京オリンピックの影響でスケートボード自体の認知度は、以前より少し上がってきたとは思います。でもオリンピックを観ちゃった多くの日本国民が、スケートボード=スポーツという認識をしちゃったことはすごくマイナスになったとも感じています。しかもそれは、スケートボーディングの本質であるストリートスケーティングに多大な悪影響をおよぼしています。例えばですけど、一般の多くの人がストリートスケーティングを見て「あんなことをしているスケートボーダーがいるからオリンピックを目指している、ちゃんとしたスケートボーダーが迷惑をする」とか。これは自分が実際に言われたことです。この問題に関しては自分も普段からよく考えているのですが、国民性も相まって変えていくのは難しいかなと感じています。

——実際に『LENZ Ⅲ』には、日本におけるストリートスケートシーンのリアルをより多くの人に届けようとする姿勢も感じられました。そのような意図もありますか?

上野:スケートボードをしない人にもスケートボードの魅力が伝わるように制作した意図はありました。少しでも多くスケートボードをしない人達にも観てもらってその魅力を感じてもらうことで、今のストリートスケートシーンの環境がわずかでも良い方向に変わっていってほしいです。

——ではスケートビデオにはどんな魅力があると感じていますか?

上野:魅力的なスケーターがスケート用に作られていない街の建築物で、美術をする様を上質なサウンドトラックでお届けする最高の視覚グルーヴ。そこには、単純なスケートのカッコよさだけにとどまらず、仲間と1つの作品を作り上げていく愛まで垣間見ることができます。スケートビデオにはスケートボードの魅力すべてが詰まっています。

■DVD『LENZ III』(Tightbooth Production) 発売日:2月18日 

■DVD『LENZ III』(Tightbooth Production)
発売日:2月18日 
価格:¥24,200(限定ボックスセット)/¥4,180(通常盤) 
featuring full parts:RIO MORISHIGE、KOTORA MITANI、KYONOSUKE YAMASHITA、GLEN FOX、AYAHIRO URATSUKA、KENTO YOSHIOKA、RYUHEI KITAKUME、RINKU KONISHI

Text Ryo Tajima

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2022年の私的「ベストミュージック」 CYK・Kotsuが選んだ年間ベスト https://tokion.jp/2022/12/27/the-best-music-2022-cyk-kotsu/ Tue, 27 Dec 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=162311 2022年に生まれた聴き逃がせない音楽を「TOKION」ゆかりのアーティスト・執筆陣がガイドする。多くの現場でDJプレイをしたKotsuが選ぶベストミュージックとは。

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終息に至らないコロナや大国による軍事侵攻、歴史的な円安などなど。2022年に刻まれたさまざまな出来事は、私達の日常の在り方・感覚に少なくない変化をもたらした。しかし、そんな変動の時代の最中においても、音楽は変わらず鳴り続け、今年も素晴らしい作品がいくつも生まれた。そんな2022年に生まれた数多の作品群から、「TOKION」執筆陣・ゆかりのクリエイターの方々に、ベストアルバム・EPを選出してもらう。

今回は、DJとして日本各地で現場をわかせたハウスミュージックコレクティブ、CYKのKotsuに、今年1年を振り返ってもらいながら選曲いただいた。

「2022年の私的ベストミュージック」セレクター:Kotsu

Kotsu(コツ)
1995年千葉県市川市生まれ。ハウスミュージックコレクティブ。CYKのメンバーであり、ソロにおいても国内外で多くのギグを重ねている。2020年9月に1人、京都へ拠点を移して以降もより活動範囲を広げ、ダンスミュージックおよびクラビングにおけるピュアエナジーを全国規模で放出し続けている。DJ以外の活動でも、グラフィックデザインやZINEの製作を行うなど、あらゆるフォーマットでアウトプットを行っている。DJという肩書きに依拠せず活動する彼は、この時代に投下された一種の吸収体による純粋な反応にすぎないのかもしれない。
https://soundcloud.com/kotsu0830
Instagram:@kotsu0830

DJとしてもっとも忙しない12月を迎え、振り返ろうにも振り返り切れないこの時期を毎年のように確認する。それでも絞り出すように浮かべた2022年の思い出は、師走の冷えた体を少しずつ温めてくれるような淡くすてきな記憶群だ。

今年は多くの街に降り立った。数でいうと約17の都道府県にあるクラブやDJバー、フェスティバルなどでDJをさせていただいた。繰り返し足を運ぶ都市もいくつかあった。今は京都を拠点にしながらも年の30%くらいは東京に滞在している。自分にとってのその淡き記憶群はまさに日本中にちりばめられていて、その記憶の回収は“都市”という記号をもってして行われる。

僕は小学生の頃、2年ほど広島に住んでいたことがあり、昨年に当時以来となる広島の地に降り立った。その際に訪れた小学校の通学路は、ずうっと脳の奥にしまわれていた記憶の再起装置でもあった。帰り道が一緒で仲が良かった友達の表情さえもが脳裏に浮かび上がり、その頃の子どもながらの感情が思い返された。それはまるで夢想状態のようにも思えたと同時に、当時の自分からの背丈の変化によって相対的に生まれる、小学校のグラウンドを囲うフェンスの低さへの認識は、十数年という長いブランクのリアリティを明確に描き出していた。その街での物語がまた再び動き出したような実感とエモーショナルな感情があふれ出した。

そんな夢想と現実の狭間に揺らめいたこのエピソードを代表するような曲を紹介したい。それは今年、広島の「BAR EDGE」という場所でDJの瀧見憲司さんと共演した際に、瀧見さんがフロアに投下した1曲だ。

Tornado Wallace 「Sea Translation」

Tornado Wallace 「Sea Translation」

耽美的かつ郷愁を誘うあるバレアリックなメロディが襲う一方で、重心の低めなブレイクビートがむち打ち続ける。アンビエンスの海に揺らぎトランスさせるような夢想さと、低音という体に作用する現実との同居バランスが素晴らしい作品だ。聴いた場所が場所だったこともあり、その追憶のエピソードを再び思い返す瞬間だった。この曲もまた僕の記憶を再起させる装置にもなっている。

“(広義の)ハウスミュージック”を主たる選曲コンセプトとしてDJ活動を行う僕としては、ダンスミュージックを挙げたいところだが、同時に思い出のある曲が多すぎて選べないよ! という気持ちにもなる。とにかく今年も多くのダンスミュージックに出会い、多くの素晴らしい瞬間に立ち会った。今年らしい話でいえばやはり、海外アーティストの往来が再開したことに尽きる。ひさびさの海外アーティストのプレイはやはりグッとくるものがある。音楽そのものの良し悪しはもちろんのこと、音楽以外の人間の性格的な余剰の部分も含めてDJという表現形態に接していることを再確認した。

また、自分がメンバーであるコレクティブ、CYKにおいて過去に招聘したアーティストとの再会も今年あった嬉しいトピックの1つだった。ミュージシャンの小袋成彬くんと、今年7月に全国で行われたUKのリイシュー作品を世に送り出すレーベル「Melodies International」の合同ツアーで訪れた京都では、そのレーベルメンバーとして来日したセオ・テレビ(Theo Terev)との再会でもあった。彼は以前別のLa Mamie’s(ラ・マミーズ)クルーの一員として、CYKと共演してくれたアーティストであり、コロナ禍を経たお互いの表情は勇ましかった。

僕もこのパーティにDJとして参加させてもらったが、過去への追憶と未来への希望的な視点が線となり非常に記憶に残るひと晩になった。そんな「Melodies International」よりリリースされ、今回のツアー企画のテーマソング的な曲でもあるAged In Harmony(エイジド・イン・ハーモニー)の「You’re A Melody」をピックしたい。ダンスフロアにおいてのドラマは、そこにいる人の数だけあり、すべてを計り知れずにまた朝を迎えてゆく。その複雑さの結晶がメロディとなりフロアを構築している。その計り知れなさが好きでまた足を運ぶのかもしれない。そんな気持ちを祝福するような優しいナンバーだ。

Aged in Harmony 「You’re a Melody (Extended Disco Version)」

Aged in Harmony 「You’re a Melody (Extended Disco Version)」

そして今年は、CYKとしても重要な1年だった。制限された夜が本格的に解放され、再びクラブカルチャーが大きく息を吹き返す中で、われわれのセーフスペース観をまたみなで作り上げ直していく1年だったと思う。6周年を迎えたわれわれが12月に渋谷O-EASTにて行ったCYK4人によるB2Bセットでのパーティは、総勢550人ほどのダンサーに囲まれ、まさに今年の総決算のようなひと晩だった。規模がどうであれ、われわれのハウスミュージック パーティへのスタンスは不変であることを強くレプリゼントすることができたと思っている。

そのわれわれにはメンバー内で共有するクラシックな楽曲がいくつも存在する。それらを聴くとCYKとしてたどった道のりが走馬灯のように立ち現れる、まさに追憶装置のようなものでもある。その中でも今年の大事なタイミングでよく1人で聴き込んだ楽曲がFusion Groove Orchestra(フュージョン・グルーヴ・オーケストラ)の 「If only I could (Liem Remix)」だ。これは昨年に、今はなき「Contact Tokyo」にておいて行われたCYKのパーティで、Nariが朝方投下したディープハウスナンバーである。この曲はCYKが発足した2016年頃、よく小さなパーティで聴いていた曲だった。うだつの上がらない日々を過ごしていたぼやけた思い出。

あの頃は何かを強く信じることができなかった。ただそれでも踊っていた。そんな思い出深い曲を、まさかContactの規模感の場所でひさしぶりに聴くことになるとは思っていなかった。この楽曲の歌詞は、人によってはその実直さに目を背けたくなるかもしれない。当時の自分もそうだった。でも、今CYKとして歩みを進める中で、この実直さへのピントが合ってきたように思える。激動の時代を迎えている現在において、あらゆることへのため息が年々多くなる一方で、小さくとも手の届く範囲の世界から愛をもってやれることをやり続けたいと思っている。

日々積み重ねた愛の蓄積が、その延長線上に存在するパーティに収れんし、結晶となった時ハウスは魔力を持ち得ると信じて疑っていない。

こうして日々クラブミュージックカルチャーに接近していると、一般に非日常的な体験とたとえられがちなクラビングが、僕にとっては日常として存在している。日常的に摂取しているダンスミュージックとは異なりダンスフロア以外ではフロア志向ではない音楽をたしなむことも多い。その中でも先述の通り今年は移動が多く、音楽を聴く時といえば新幹線やバスの中での時間が特に多かった。もしくは拠点にしている京都の街中を散歩している時。喧騒から離れ、時には癒やしとなる音楽に心を委ねている。そんな中で今年、個人プロジェクトとして行った企画に「UNTITLED -Light Edition-」がある。まさに社会の抑圧からの反動として解放的なムード=ハードなグルーブが世界的にもダンスフロアにて散見されるようになった一方で、ソフトで軽やかな音楽を主に扱いながらリラクシングなムードを演出し、おのおのの日常的な輪郭を浮かびあがらせるような企画だ。名もなき感覚をすくい、それぞれのありのままの感覚をゆすぎ出すこと。

その企画で出演したアーティストの中に、松永拓馬という人がいる。彼は2022年の3月に初のアルバムとなる『ちがうなにか』をリリースした。9曲からなるこの作品は、アートワークからも想起されるような幽玄的なアンビエンスが漂ったトラックに、彼の内面性が表出したポエトリーな感覚を持ち合わせたようなリリックがのせられている。今年はアルバムを通してこの作品を聴くことが多かった。中でも「Vou Pegar」がお気に入りだ。

松永拓馬 「Vou Pegar」

言語化は難しいけれど、“ここに居続けたいわけでもなければ、今すぐ飛び去りたいわけでもなく、ただ軽やかにいたい”みたいな感覚がコロナ禍以降特に強まった自分を救ってくれるような作品だったと思える。個人的には2020年にリリースされたLe Makeup(ル・メイクアップ)の「微熱」やAnthony Naples(アンソニー・ネイプルズ)の「Take Me With You」、2021年にリリースされたKazumichi Komatsu(カズミチ・コマツ)の「Emboss Star」にも感じたような気持ちだなと今さらながら思っている。 

世界の眺め方というか、確かにCYKとしての活動の規模は大きくなりはしているが、「より多くの人に影響を与えたい!」だとか「社会を直接大きく変えたい!」だとかは欲求としてそこまで思っていなくて……。ただ先述の通り、そこが小さな世界であれど、自分の信じるスタンスや美学的なものが“ある”ってこと自体に価値を感じている。そして“居る”こと。

結果誰かがそれに触れ、何かが良い方向にシフトして行ったらおもしろいなと思っている。それを僕は“作用”と呼んでいて関心がある。その表現の仕方はそれぞれあるわけで、それが作品として自然ににじみ出たかのような、そしてそのようなセンシティブなムードに触れることで自分も次に進めるような……。そんなことをこの作品を聴きながら思いふける。

そろそろまとめに入ろうかと思う。とにもかくにも今年も常に刺激的でさまざまな作用があった。作用の話で考えると、ハウスミュージックのパーティはひと晩という区切りの中で、多くの人が相互に作用していった結果醸成される独特のオーラが存在する。もっといえば、音楽と人間が相互包摂的になり音楽と人間という2つの関係性が瓦解した瞬間が、DJによって引き出される時、まさにトランスした感覚を得る。そして、トランスした多数の人間がある種の1つの個体としてカウントされた時に立ち現れるオーラは、パーティが終わると同時に分散し、それぞれの生活におけるパワー源として蓄積されてゆくような感覚がある。

それこそが個人的には希望でありゆすぎであり、DJとしての活動が来年以降も続いていく理由のような気がしている。ここに居続けたいわけじゃないと思いながら来年もしきりに都市を転々とする。それは点ではなく線としての物語であると体が実証する。もはや自分にとっては移動することが生き生きとしているための必要条件になっているのかもしれない。まるで人間の体の内部にある動脈をたどるかのように移動する。であれば心臓は音楽そのものなのかもしれない。そうして体を新しく循環させてゆく。各器官にスタックされた記憶の続きを紡ぐ。どの部分も生きるためには必要不可欠だ。

息を吸い、息を吐いて歩みを進める。また来年も素晴らしい音楽にたくさん触れられますように。最後によく聴いたこちらの曲を紹介して終わりにさせていただきます。

Atarashi Karada 「Dove」

Atarashi Karada 「Dove」


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江戸文字とアルファベットが融合した唯一無二のオリジナルグラフィティ作品“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”。アーティスト、sneakerwolfが打ち壊す固定概念 https://tokion.jp/2022/12/26/interview-kanji-graphy-artist-sneakerwolf/ Mon, 26 Dec 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=161950 オリジナルの江戸文字グラフィティ“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”が支持を集めるアーティスト、sneakerwolf。江戸文字グラフィティ誕生の経緯や、作品に込めているメッセージとは。

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江戸文字とアルファベットが融合した唯一無二のオリジナルグラフィティ作品“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”。アーティスト、sneakerwolfが打ち壊す固定概念

17世紀の江戸時代から、歌舞伎や提灯、千社札などに使われてきた図案文字の江戸文字。そんな日本の伝統文化とアルファベットを組み合わせて作品表現を行うsneakerwolf。その生み出される作品は、唯一無二で江戸文字グラフィティとも、カンジグラフィティとも称され、今ではストリートの枠だけには収まらない展開を見せている。

この数年で見かける機会が増えたsneakerwolfの作品だが、実は10年以上前から描き続けていたという。“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”ができた理由、伝えたいメッセージをsneakerwolfにアトリエで聞いた。

sneakerwolf(スニーカーウルフ)
東京を拠点に活動するアーティスト。20代からグラフィックデザインやサインペインティングの仕事に携わる。過去には「シュプリーム(Supreme)」のウィンドウペインティングを手掛けるなどの活動をする。2017年には江戸文字をモチーフにしたオリジナルのグラフィティ作品“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”で初の個展を開催し、以降は定期的に作品を発表する他、アパレルブランドとのコラボレーションやイベントのアートワークなどでも人気を博している。
https://www.sneakerwolf.com
Instagram:@sneakerwolf

誰も好きじゃないだろうなと思っていました

――sneakerwolfさんが生み出した江戸文字グラフィティの作品はどのようにして誕生したのでしょうか?

sneakerwolf:ブランドを手掛けている友人からデザインを頼まれてグラフィックデザイナーのような仕事をずっとやっていたのですが、仕事として絵を描いているのとは別で、自分の表現方法やスタイルを常に模索していました。その中でたどり着いたのが江戸文字をモチーフにしたグラフィティでした。

――いつ頃から描き始めたのでしょうか?

sneakerwolf:15年以上前には、もう形としてはありました。でも、誰も好きじゃないだろうなと思っていました。自信もなかったし見せるのが恥ずかしいくらいな感じで、作品と呼べる形までにはせずに、ずっと個人的な趣味程度に描いていました。それを何かのきっかけで、友人の「ウィズリミテッド(WHIZ LIMITED)」下野君が絶賛してくれて、「早く世に出したほうが良い!」って言ってくれて。それで彼のお店で“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”を含めた作品展をやらせてもらいました。その時はちょっと自信がつきましたけど、それでもアーティストとしてやっていくとまでは思いませんでした。

――どうして表に出そうとしなかったのでしょうか?

sneakerwolf:度胸がなかったんでしょうね(笑)。グラフィティを好きになった中学生の頃もそうでしたけど、僕はグラフィティをやりたかったけど、外に描きに行くだけの度胸はなかった。何かあったらどうしようってビビっていて……。なので当時はノートや部屋の壁にグラフィティを描くだけで満足していました。僕みたいなタイプって結構いるんじゃないかなと思います。あと、学校を卒業してから江戸文字のグラフィティができるまでの10年間で成功体験がなかったというのもありますね。1度でも成功体験があれば、「いいのができた! これは表に出せる!」ってなったんでしょうけど、当時は自分の行動が裏目に出ることも多かったんです。なので作品そのものに自信がなかったわけではないのですが、出せなかったです。

――しかしこの江戸文字のグラフィティは、今やsneakerwolfさんを象徴する作品になりました。人前に出すようになったきっかけを聞かせてください。

sneakerwolf:僕は以前、スニーカーのブランドを手掛けていたのですが、トラブルがあってやめることにしたんです。当時、ちょうど40歳ぐらいかな。それで、そのブランドがなくなって自分ができることは絵しかなかったですし、いろいろとムカついてもきちゃって、「もうすぐ死ぬだろうし、それなら好き勝手やってやろう!」って思い立ちました。それから、2017年にアーティスト、sneakerwolfとして“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”シリーズの個展を初めてやりました。あのトラブルがなければ江戸文字のグラフィティのみでちゃんとした作品発表はしていなかったかもしれないですね。

――そんなトラブルが! では江戸文字のグラフィティはどのようにして作られているのでしょうか?

sneakerwolf:作品を作る時は、まず紙にスケッチをして、その次にキャンバスを丸にするのか、四角にするのかを決めて、そのキャンバスを自分自身で準備して、大きくしていくという感じですかね。

スケッチは描いたあとに色をつけてみて、線の太さや配色の割合を見ながら、アウトラインの太さを変えるなどして、何度も何度も描き直していきます。制作期間は具体的にはわかりませんけど、1、2ヵ月ぐらいですかね。クライアントワークの際はデータ化する作業も入ってきます。

――僕ら素人だとパッと見ただけではわからないのですけど、こちらのスケートデッキとシューズボックスはそれぞれなんて書いてあるのでしょうか?

sneakerwolf x 手塚プロダクション x 「シークレットベース(SECRETBASE)」のスケートデッキ(sneakerwolf私物)

sneakerwolf:(スケ―ト)デッキが「ATOM」で、スニーカーは「ASICS」になっていて、もちろんアルファベットを組み合わせています。

sneakerwolf x 「アシックス スポーツスタイル(ASICS SportStyle)」のスニーカー(sneakerwolf私物)

――アルファベットを江戸文字化させる時は、すぐにイメージが思い浮かぶものなんでしょうか?

sneakerwolf:大体すぐ浮かんできますね。例えばコラボレーションワークなどで、ブランド名のアルファベットを描いてほしいと依頼されたら、仕上げは丸に収めるか、四角に収めるか、どのように英文字を組み合わせてみるかというのは、字面を見れば、なんとなくわかります。経験しているからですかね。描いてみると満足いかない場合もあるんですけどね。

――これまで、江戸文字のグラフィティでどれくらいの作品数を作ってきたのでしょうか?

sneakerwolf:(しばらく考えて)全然わからないです(笑)。

――覚えきれないぐらいの数ということですか?

sneakerwolf:把握できるくらいの数だとは思うんですけど……。僕は終わったことに対してはまったく興味がないんですよ。なので、作品を作り終わると、どうでもよくなってしまうといいますか。いくつ作った、賞をもらった、金メダルをもらったといったことに執着はないんです。できあがった作品に対して、もう少し責任を持たないといけないとは思っているのですが、未だに作品を考える、そして描くっていうのがいまだに自分の中では最終地点になっていますね。さっきも話したようにグラフィティを描きに外に行くわけじゃないし、作品をつくっても人に見せないということは、自己表現するための手段としての絵ではなく、手段が目的化しているというか。絵を描くことが目的であればそういう考え方になりますよね。

子どもの頃は、新聞のチラシの裏面にガンダムの絵を描くのが好きだったんですけど、絵を描いている瞬間がとにかく楽しかった。そんな子どもの頃と今も変わっていないのかも。だから、できあがってしまったら、興味がなくなってしまうんですよね。

「固定概念を壊す」というコンセプトがあれば、江戸文字のグラフィティにはこだわらない

――今は江戸文字のグラフィティ作品以外でもデザインはされているのでしょうか?

sneakerwolf:もうやってないですね。他のテイストでのクライアントワークは来なくなりました。

――では、作ってみたい作品はありますか?

sneakerwolf:うーん、特にこれといった作品は今はないですね。でも向上心はありますし、海外にも出たいと考えているので、個展をやってみて作品が全部売れてすごい金額になる、みたいなことも考えたりはしますけど、こういうことをやっていきたいっていう具体的なことはないですね。僕は遠い先のことを考えることができないんですよね。「未来を逆算して行動しています」みたいに言えたらいいんでしょうけど、まったく考えられないので、とにかく目の前にあることをやってもっと深めて、作品として評価されるようになればいいかなと。

――以前、キャラクターをベースにした作品を制作したいとSNS投稿されていました。その作品はすでに制作されたましたか?

sneakerwolf:それがまだできてないんですよ(笑)。いざ、描こうと思ったら、何も浮かばなかったんですよね。これまで江戸文字のグラフィティ以外は、自分発信で作品として描いたことがなかったので、意外と何から描いていいかわからなくなってしまって……。「シュプリーム」のウィンドウペインティングをやっていた時も「クリスマス」というお題があって描いていたので仕上がりが思い浮かんでいました。でも描きたいアイデアは固まっているので、あとは描いてしまえばいいんですけどね。そしてアートのことをいろいろと勉強したので、そのせいでかえって描きづらくなったというのもあります。

――江戸文字のグラフィティも人前に出すまでには何年もかかりましたし、ここまでお話を聞く限り、勢いだけで作品を発表するタイプではなさそうですよね。

sneakerwolf:そうですね。自信がないから理論武装したいんですよ。この作品はこういった思いで、こういう解釈なので、こう描いていますってできれば、自信のなさや気恥ずかしさを隠せますからね。情熱の赴くままに作ることには興味がないです。

――ところで、今日はジャケットのセットアップですが、いつもその格好で作業をされているのでしょうか? 以前、お会いした時のイメージと違うなと感じました。

sneakerwolf:はい。ここ最近は、スーツを着て作業をしたくて、毎日着てますね。今度の年始にコラボレーションをする「F.C.レアルブリストル(F.C.Real Bristol)」のスーツです。

――なぜまたスーツで作業をしたいと?

sneakerwolf:ストリートアーティストって、だいたいひげ面で、「ディッキーズ(Dickies)」を穿いて、コーチジャケットを着ていたりするんですよ(笑)。あとは入れ墨が入っていたり。そういったのがイヤになってきたんですよね。「こういうジャンルの人はこうだよね」とか、見た目のイメージで判断したりや固定概念がすごくイヤなんです。だから、グラフィティに関連づいた作品を作っているのであれば、そのイメージのスタイルでやりたくないなと思ってスーツにしてます。

――「あなたはこの職業だから、こういう人だよね」って思われるのもイヤですか?

sneakerwolf:かなりイヤですね。僕の家は父が「男のくせに」っていうのを押し付けるタイプだったんですよ。「男のくせに泣くな」とか、「ケンカで負けたらやり返せ」って。それもすごくイヤで「何を言ってるんだろう」とずっと違和感を抱いていました。「男のくせに」って、個人の固定概念や価値観、偏見によるもので、それをもっと考えると、世の中にある差別やいわゆるハラスメントの原因を大きく占めているのはこういった個人または通俗的な固定概念の押し付けであることは間違いない。固定概念で物を見たり、何か判断してしまう。実は世の中はそんなことだらけなのかもしれない。僕はそれがとても嫌い。そんな固定概念や先入観、因習がなくなれば、差別だってかなり減ると思う。アートはまずコンセプトやメッセージがありますけど、僕の場合は作品が先にできてしまっていたのでコンセプトなどは後付けのようになってしまいますけど、5年やってきて、「固定概念を壊す」ということを作品を通じて伝えたい、やりたいと思っています。

――では、固定概念を壊すことがsneakerwolfさんが作品に込めたメッセージで、スーツもその1つになるんですね。

sneakerwolf:そうですね。だから、「あの人ってスーツだよね」ってなったら、急に「ディッキーズ」を穿きだすかもしれないです(笑)。イメージを固定されたくない。僕の作品も、みんな最初は漢字として見るじゃないですか。それは固定概念なんですよね。自分の記憶や知識で「これは漢字で書いてある」って考えてしまうけど、漢字ではなくて英語だと知った時に鑑賞者の固定概念は壊される。それを通して物事をフラットに見ることを伝える。これが僕のメッセージになるわけです。

ただ、「固定概念を壊す」というコンセプトがあれば、“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”にはこだわりません。立体だろうが映像だろうが、僕自身でもなんでも良くて、他にやりたいことができたのならば、“Kanji-Graphy/カンジグラフィ”はいつやめてもいいんです。
同じ作品を作り続けるだろうというのもアーティストなどに対する固定概念ですからね。と言いつつ、僕自身もこの作品が大好きなので、やめないと思いますが(笑)。

Photography Shinpo Kimura
Text Kango Shimoda

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バンド、chilldspotのサウンドから探る、Z世代が鳴らす音の背景 https://tokion.jp/2022/11/28/interview-chilldspot/ Mon, 28 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=157286 若手4人組バンド、chilldspotへのインタビュー。情報過多の時代を生きるユースが自分らしさを見つける方法について探る。

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chilldspot

2020年に東京の高校に通う4人組が楽曲をリリースし、そのレベルの高さに圧倒されてからはや2年。chilldspot(チルズポット)の存在は音楽シーンで大きく広がり、日本全国のオーディエンスを沸かせている。音楽フェスにおいてもその存在感は大きく、彼女らのライヴを1度観れば、そのサウンドに酔わされてしまうだろう。

chilldspotが大型音楽フェスやイベントで彼女らの姿を観る機会が増えたが、よく考えてみれば、彼女らは20歳を迎えたのがつい最近だ。そう、Z世代のその先のジェネレーションを生きるユースなのだ。

今回は彼女らが、どういう経緯でバンドを組み、どんな音楽からインスピレーションを得て、自分のものとして発信しているのか。ヴォーカル&ギターの比喩根に話を聞く。

比喩根(ひゆね)
2002年生まれの東京都出身バンド、chilldspotのヴォーカル&ギター。2020年11月、まだ高校在学中に1st EP『the youth night』をリリース。以降、精力的にリリースを重ねながら、各種音楽フェスにも出演。2022年9月に3rd EP『Titles』をリリースし、収録曲の「Like?」がテレビ朝日系「あざとくて何が悪いの?」番組内連続ドラマ第6弾の主題歌に選ばれた。chilldspotは比喩根に加え、ベースの小﨑、ギターの玲山、ドラムのジャスティンの4人組バンド。
https://fan.pia.jp/chilldspot
Instagram:@chilldspot_official / @hiyune_
Twitter:@childspot

オリジナル曲を活かすためにバンドを組もうと思った

——まずはどのようにしてchilldspotが成り立っていったのか聞かせてください。

比喩根:最初は弾き語りで活動をしながら、オリジナル曲を作ったりしていたんですけど、当時はDTMもまったくわからなかったし、ギターの技術も足りていなくて曲を活かせていない感覚があったんです。そこでバンドを組もうと思ったんですよね。

——そうなると、比喩根さんが1人で活動していたことがスタートになりますね。どのようなアーティストに影響を受けて弾き語りを始めたのですか?

比喩根:オリジナル楽曲をギターで歌うことに関しては、あいみょんさんや藤原さくらさん、GLIM SPANKY(グリムスパンキー)のレミさん(松尾レミ)がアコギを持って歌っている姿に感化されたからです。あと、オリジナル曲という意味では、DTMで曲を作って歌う方法もあったのですが、機械音痴だったのでパソコンではなくギターを選んだというシンプルな理由もありますね。それに、中高生にとってパソコンって高価なものじゃないですか。ギターのほうが手に取りやすかったんですよね。今ではDTMも扱えるようになりましたけど、デモは弾き語りで作っているので、性に合っているのかなって思います。

——そしてオリジナル曲を作って、バンド結成を思い立ったわけですね。

比喩根:はい。高校1、2年生の頃に曲作りを始めて、一番最初に作ったのは「夜の探検」という曲です。その後も弾き語り用の作曲を進めながら、高校2年生の冬にchilldspotとしての曲を作り始めて、という流れになります。

chilldspot 「夜の探検」

——メンバーはどのように集めていったのですか?

比喩根:最初に誘ったのは、小学校からの幼なじみの小﨑ですね。次に同じ軽音部に所属していたジャスティン玲山は別の高校に通っていたんですが、地域の学校が集まる合同音楽イベントで、縁があって同じバンドで演奏したんですよね。その経験からいいなと思って。そんなふうに1人1人に声を掛けていきました。最初は「オリジナル曲を作ったから一緒に演奏してもらえない?」って感じで誘って、純粋にバンドを楽しむ感覚でやっていました。

——それがどんどんと規模が大きくなり、今ではchilldspotのサウンドは、Nulbarich(ナルバリッチ)Kroi(クロイ)といったブラックミュージックベースのバンドと親和性が高いと評されることもあります。そのようなファンクやR&Bは、バンドのサウンド的ルーツとして最初からあったのでしょうか?

比喩根:そうでもないんですよね。1st EP『the youth night』の楽曲は、Jポップだと思いながら作っていましたし。私的にはブラックミュージック感はまったく気にしていなかったんですけど、メンバーや周りの人からは、そのように言われることが多くて「そうなの?」って感じだったんですよ。確かにメンバー全員、NulbarichやKroiが好きなので、自然と影響された部分はあったのかもしれないんですけど。

——そうだったんですね。では、特にブラックミュージックを研究するという感じでもなかったと?

比喩根:そうなんです。意識することもなかったですね。中学校まではずっとボカロを聴いていましたし。でも、高校生になってからは、GLIM SPANKYの「愚か者たち」を聴いて感動したり、NulbarichやSuchmos(サチモス)を聴いて、カッコいい! って思ったりして、そういう人達をまねして歌ったり、メロディが好きになって歌詞まで覚えちゃっていたから、そういうのが自分の引き出しになっていったのかなとは思います。

ジャンルにとらわれないのが自分達の強み

——なるほど。SuchmosやNulbarichといったバンドをリアルタイムで吸収していったというのは、比喩根さん世代ならではの感覚だと思います。今、chilldspotはバンドとして大きな存在になり、シーンの中でも大きな存在感を持つようになっています。結成当時と比べて、現在はどのような活動をして、どんなことを発信していこうと考えていますか?

比喩根:根本にあるものは変わらなくて、ずっとメンバーが楽しんでいければいいなと思っているんですよ。でも、バンドが大きくなるにつれて自分達の感性もいろんな音楽に触れて変わってきて、やりたい音楽が初期の頃から少なからず変わってきていると思います。サブスク時代においてジャンルレスに音楽が聴かれる中、ジャンルにとらわれずにやりたいことができるのが自分達の強みでもあると思うので。今、好きな音楽を最大限に取り入れて、それをchilldspotとして表現していきたいと思います。あと、規模の話でいうと、今までは仲間内で楽しむという感覚もありましたけど、大きな舞台に立つことが増えてきたので、そこに似合うようなバンドになって、会場全体を包み込むようなグルーヴを出したいという思いも明確になってきました。そこを成長させていきたいと考えています。

——ジャンルレスに音楽を取り入れることで、chilldspotらしさが表現されているのだと思いますが、今、比喩根さんが好きなのはどんな音楽ですか?

比喩根:オルタナティブ寄りの音楽にハマっていますね。サーシャ・アレックス・スローン(Sasha Alex Sloan)マギー・ロジャース(Maggie Rogers)はよく聴いています。EP『Titles』に収録している「Like?」や「BYE BYE」は、その影響が大きくあったように感じます。他にも、クレア・ロージンクランツ(Claire Rosinkranz)ビーバドゥービー(Beebadoobee)とか。オルタナとは違うけど音質的にもアーロ・パークス(Arlo Parks)レックス・オレンジ・カウンティ(Rex Orange County)とかローファイなサウンド感が好きで。

chilldspot 「Like?」

——EP『Titles』は、作品全体にオルタナやグランジの印象が感じられましたが、そういったインスピレーションがあったんですね!

比喩根:はい。でも、オルタナやグランジは昔から好きなんですよ。1st EPに入れた「人間って。」という曲もちゃんとロックしていると思うし。だから自分達としては、初期から今まで統一感はあるでしょ! って感覚はあります。作品ごとに、今までやっていない新しいことに挑戦しようとか、飛び越えてみようとかは考えず、私がハマっていることに対して、メンバーも柔軟に応じてくれているので。

chilldspot 「人間って。」

あふれる情報をいかにキャッチして身につけるか

——確かに。スタンスは2020年高校在学中にデビューした頃から何もブレていないですよね。今、chilldspotは20代に入ったばかりの、いわゆるZ世代にも分類されると思います。みなさんの世代と過去の世代では、どのような部分が音楽を表現する上で異なると感じますか?

比喩根:良い悪いという意味ではないんですけど、私達の世代の武器は吸収力が早いことが挙げられると思います。サブスクを介していろんな音楽を聴いている分、アイデアを手に入れやすい環境にあるんですよ。簡単に手に入るからこそ、それを身につけて活かせるかどうかが分かれ目で、難しいところでもありますが。

気になる音楽を見つけた時、楽譜がなくても調べればタブ譜はすぐに見つけられる時代じゃないですか。それをコピーするのではなく、耳コピしたほうが身につくし発展した表現にもつながっていく。情報が多くて吸収しようと思えばできるけれど、苦労する道を自分で選ばなくちゃ自分のものとして情報を手にすることができない。そこが先人達の世代との差なのかもしれないと思います。

——情報が簡単に手に入るからこそ、逆に困難な面もあるんですね。

比喩根:そうですね。それに1人でもやろうと思えばDTMで曲も作れるし、ネットでバンドメンバーを募集できたりするので、思い立ってから行動に移すまでが、すごく早いですよね。TikTokだとかSNSでバズってメジャーと契約したりだとか。そういう行動力ありきで一気に広まるのもZ世代の特徴なのかと思います。

トレンド狙いではなく自信を持って良いと言える音楽を

——おっしゃる通り、現代ではSNSをきっかけにして有名になる若手アーティストも増えました。最近では、いわゆる“バズ狙い”の楽曲をリリースするアーティストも少なくないですが、chilldspotは、どうですか?

比喩根:自分達が楽しい音楽を作りたいという信念があって、私達は特に意識してこなかったですね。私達が好きで作った音楽がSNSに受け入れられて、結果としてたくさんの人が聴いてくれたら嬉しいです。

——やはり、chilldspotの活動には、まず自分達が楽しむこと、というのがベースにありますか?

比喩根:そうですね。楽しくて、自分達が良いと思えるものが作れないと、リスナーにも良いと思ってもらえないと思うし、仮にリスナーの反応があまりなくても、自分達が自信を持って良いと思えているものが作れていれば、それはすごく支えになると思っています。だからこそ、妥協せずに、自分達が今好きなものを作れるようにがんばっていきたいです。

——今後、chilldspotと比喩根さん自身が目標にしていることを教えてください。

比喩根:今までは曖昧だったんですけど、こうしていろんなフェスにも出演させていただけるようになって、大きなステージに似合うバンドになりたいと明確に思うようになりました。単純にもっと売れたいというわけではなくて、chilldspotの音楽を聴いてくれる人が増えて、いつか大きいステージに立つ時に、その舞台に見劣りしないバンドになっていきたいというのがメンバーの総意です。

個人的な目標としては、フジロックでゲスト出演させていただいたElephant Gym(エレファントジム)のステージが印象的に残っていて。(フジロックフェスティバル ‘22で、自身がフィーチャリングで参加している楽曲「Shadow」に客演として出演した)初めてchilldspot以外のバンドの演奏の上で歌って、また違った高揚感があったんですよね。あのハンドマイクでのライヴも自分には合っていると感じました。そういった曲も今後は作っていきたいですし、ソロもやってみたいと思っています。ただ、やりたいことを無責任にやっちゃっても仕方ないので、ちゃんとできることを見据えてチャレンジしていきたいです。

Elephant Gym 「Shadow (feat. hiyune from chilldspot)」

■New Single(Digital)
「get high」
12月16日配信リリース

Photography Shinpo Kimura
Text Ryo Tajima

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タトゥーアーティスト、TAPPEIのカテゴライズされない表現世界 https://tokion.jp/2022/11/27/interview-tattoo-artist-tappei/ Sun, 27 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=157826 個性を演出するタトゥーは、今や音楽やファッションと親和性が高いカルチャーの1つ。そのシーンで注目を集めているTAPPEIに聞く、自身のルーツと未来。

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タトゥーアーティスト、TAPPEIのカテゴライズされない表現世界

独自の作風を確立しているタトゥーアーティストのTAPPEI。落書きのような緩いタッチはポップだが、ユーモラスでシニカルなメッセージが込められている作品も多い。そのオリジナリティあるスタイルはタトゥーだけにとどまらず、多くのファッションブランドからコラボレーションを呼びかけられている。今や、東京のカルチャーシーンで熱視線を浴びている1人だ。

今回、TAPPEIの世界観を形成するものに迫るべく、タトゥーアーティストを目指した原点から、タトゥーを軸に活躍する現在、そしてこれからの展望をじっくりと聞いた。

TAPPEI(タッペイ)
1993年大阪府生まれ。2015年から東京を拠点にタトゥーアーティストとして活動中。2020年に自身のアトリエ&タトゥースタジオ「TAPPEI ROOM」を中目黒にオープン。「アンダーカバー(UNDERCOVER)」や「ナイキ(NIKE)」など、さまざまなブランドとのコラボレーションを果たし、グラフィックデザインやアートディレクションも手掛けている。
Instagram:@tappeis

タトゥーアーティストとしての成熟

――タトゥーに興味を持ったのはいつですか?

TAPPEI:小学生の時、北野武監督の映画『座頭市』のラストシーンで背中一面に入っている入れ墨を観て、カッコいいと思ったのが最初です。

――最初は和彫りに惹かれたんですね。

TAPPEI:そうなんです。だから自分で最初に入れたのも、和彫りのデザイン。

TAPPEI自身で入れた初めてのタトゥー

――それは現在のスタイルから見ると意外です。

TAPPEI:その当時から、和彫り以外のデザインも好きだったんですけど、ファーストタトゥーは最初に好きになった和彫りかな、と。

――では和彫り以外のデザインだと、どのようなタトゥーが好きでした?

TAPPEI:高校生の頃に一番よく見ていたのは、海外のスケーター達がノリで入れているようなタトゥー。上手ではないけど、それがカッコよかった。そのニュアンスは、今の僕の作風につながっていると思います。

――それがTAPPEIさんのルーツにあるんですね。

TAPPEI:そうですね。和彫りのデザインを入れてみて、落書きテイストのほうが好きだと改めて思いました。それ以降、現在のスタイルに近いデザインばかり入れていましたが、今よりもっと落書きっぽいというか。単純に技術的な部分が未熟で、今みたい彫れなかったんですよね。方向性は同じでしたが、もっと緩くて、崩した感じでしたかね。

――どうやって上達していきましたか?

TAPPEI:ひたすら経験を重ねるしかないですね。自分で自分に入れまくっていました。

――ちなみに自分で入れて、一番痛かったのはどこでしたか?

TAPPEI:ダントツで乳首(笑)。タトゥーをやり始めたタイミングで友達と一緒に遊んでいた時、乳首にスマイルマークを入れようとしたんですけど、目の点を入れただけで痛過ぎて……(笑)。友達がいたから意地で入れましたけど、1人だったら確実にやめてましたよ。

――それは絶対に痛い(笑)。子どもの頃から、絵を描くのが好きだったんですか?

TAPPEI:物心がつく前から、ずっと描いていますね。大学も一応、少しだけ神戸の芸大に通っていました。

――芸大に通っていたのは、タトゥーアーティスト以外になろうと思っていたから?

TAPPEI:いや、すでにタトゥーをやり始めていました。純粋に絵を描くのが好きだったから、ちゃんと勉強をしたかったんですよ。でも、通ってみると少し違ったから、すぐにやめちゃって。

――その後は?

TAPPEI:19歳で大学をやめて、大阪でバイトしながらタトゥーの練習をしていました。当時の大阪はアメトラ(アメリカン・トラディショナル)のタトゥーが人気で、僕はその時から今と同じテイストだったんですけど、入れたいという人があまりいなかったんですよ。東京なら入れたい人がいるかなと思って、21歳でなんとなく上京しました。

――原宿のセレクトショップ、「カンナビス(CANNABIS)」で働いていましたよね。上京してすぐ働き始めたんですか?

TAPPEI:いや、上京したばかりの頃は、タトゥーが入っていても大丈夫なテレアポのバイトをしながら、家でタトゥーの練習したり、月に数人だけ入れさせてもらったりしていました。「カンナビス」で働き始めたのは、その後です。

――タトゥーをやりつつアパレルで働くのは、刺激になったのでは?

TAPPEI:そうですね。古着が好きなので、昔から洋服屋では働いてみたかったんですよ。なので「カンナビス」に誘ってもらえたのは嬉しかったです。当時、「サベージ(SUB-AGE.)」というブランドがあったのですが、そのブランドのグラフィックもやらせていただいたりと、すごく勉強になりました。

――「サベージ」と聞くと、平本ジョニーさんを連想します。それこそ「カンナビス」でもよく見かけました。

TAPPEI:そう、「カンナビス」を紹介してくれたのが(平本)ジョニーさんなんですよ。お店に遊びに行ったらたまたまジョニーさんがいて、「タトゥーカッコいいね。明日彫ってよ!」と言ってくれて。それからジョニーさんの仕事を手伝い始めて、その流れで「カンナビス」で働くことを勧めてくれました。

――そう聞くとジョニーさんの存在は大きいですね。

TAPPEI:そうです。ジョニーさんのタトゥーも、半分くらいは僕が入れさせていただきました。そして、ジョニーさんがオオスミ(タケシ)さんとつないでくれたんですよ。オオスミさんも僕のタトゥーを気に入ってくれて、それまでタトゥーを入れていなかったんですけど、すべて任せていただいて。週1くらいのペースで彫らせてもらうようになりました。

オオスミタケシのタトゥーはすべてTAPPEIによるもの。「オオスミさんのタトゥーを任せていただいた事は僕の人生の誇りです」(TAPPEIのInstagramより)

自分らしいデザインを表現するために

――続いて作品について聞かせてください。TAPPEIさんの作品にはユーモアやシニカルを感じますが、どのようにデザインを考えているのでしょうか?

TAPPEI:僕は、映画や音楽などのカルチャーからインスピレーションを受けるということはなくて、日常生活で思いついたデザインが多いです。例えば、身の回りにあるものが動いたり、こうなったらおもしろいと考えたりしたものを絵に描いています。そして、その絵には説明できるストーリーを持たせたり、しゃれを効かせたりするようにしていて。天使をモチーフとしてよく使うのは、それが違和感なく自然と馴染むからです。天使なら、きついしゃれにも遊びを効かせられて、えぐさを感じないんですよね。人間らしさがあるけど、キャラクター感もあるから気に入っています。

TAPPEIが彫る天使のモチーフ達(TAPPEIのInstagramより)

――その遊び心のあるデザインがすてきです。どんなお客さんが多いのでしょうか?

TAPPEI:完全にお任せのデザインでお願いしてくれるお客さんばかりで、ファーストタトゥーの人も多いですよ。僕のデザインだから入れたいと思ったとか、タトゥーというより作品として入れたいと言ってもらえると嬉しいです。

――TAPPEIさんは色をほとんど使わないですよね。

TAPPEI:タトゥー以外の作品には使っていますが、タトゥーの場合はポップになりすぎないように色を使っていません。そのバランスはアパレルで働いたからこそ考えられるようになりました。

――改めて、タトゥーのどんなところに魅力を感じていますか?

TAPPEI:僕はカッコいい服や憧れの時計を買うよりも、タトゥーを入れた時が一番テンションが上がるんですよね。なんと言うか、一生モノが好きなんですよ。

――キャンバスなどにも作品を描かれていますが、タトゥーとの違いはありますか?

TAPPEI:一応、分けて描いています。僕のタトゥーは、タトゥーだからこそのデザインだと思っているんです。だから、紙に描くならペンの筆跡を残すとか、少しだけ雰囲気を変えるようにしています。絵のテンションは一緒なんだけど、まったく同じ表現だとおもしろみがないと言いますか。

――現在に至るまで、自分らしい表現のために続けてきたことはありますか?

TAPPEI:練習ってわけじゃなく、好きだから絵を描き続けてきたことですかね。「どうやったらタトゥーアーティストになれますか?」ってよく聞かれますが、絵が大事だと思うんです。もちろん技術も絶対に欠かせないけど、どんなデザインを描けるのか、そっちのほうが重要だと思っています。

――タトゥーに限らず好きなアーティストはいますか?

TAPPEI:キース・ヘリングが好きです。ポップな作品を観て好きになったけど、知れば知るほど考え方も好きになりました。キース・ヘリングって地下鉄でも絵を描いたりと、メッセージ性を大事にしている。僕もそれをタトゥーでやりたいと思いました。彼は尖ったことをやっているけど、商業的なデザインも手掛けていて、アートを大衆的にしたところが好きなんです。

タトゥーを軸にしたボーダレスな活動

――最近は「アンダーカバー」「ナイキ」といったブランドとコラボレーションをしていましたし、「ダイリク(DAIRIKU)」「TTT MSW(ティー)」「ランディー(RANDY)」など、友人が手掛けているブランド、そして「ビームス(BEAMS)」「ベイクルーズ(BAYCREW’S)」ともタッグを組まれましたね。ファッションとコラボレーションするのはいかがですか?

TAPPEI:難しいですね、洋服は。ファッションはコーディネートやトレンドがあるから、洋服にグラフィックを載せればいいってわけじゃないんですよね。タトゥーは着るというより体の一部になるので、個人的にそっちのほうがデザインしやすいです。

――コラボレーションされる場合は、デザインは先方からのリクエストもあるのでしょうか?

TAPPEI:いくつかのデザインを描いて選んでもらうことが多いですけど、「アンダーカバー」さんには、僕からアイデアの提案させてもらいました。

――それはどんなデザインを?

TAPPEI:絶対に使いたいとお願いしたのが、目隠しベアです。オオスミさんに入れさせてもらったタトゥーのデザインというのもあって、思い入れが強くて。その描いたベアを2重の線でアレンジしていただいて、Tシャツにしてもらいました。そのアイデアは僕にはなかったので、難しさと楽しさを感じました。

――以前はオリジナルのアパレルも作っていましたよね?

TAPPEI:そうなんですけど、コラボレーションで声を掛けてもらえるようになったので、オリジナルを作るのはいったんやめています。目標にしていた「アンダーカバー」さんとコラボレーションさせてもらえたので、今後は意外なブランドと一緒にやらせてもらえるようにがんばっていきたいです。

――意外なコラボといえば、「ザラ(ZARA)」のムービーで演技に挑戦していましたね。

TAPPEI:グローバルキャンペーンのムービーなんですけど、顔までタトゥーが入っている人を起用したことがなかったそうです。それなのに僕を出演させてくれるというのが意外でした。楽しくいい経験をさせてもらいましたね。

――いつか、タトゥーの枠を超えて活動していきたいと考えていますか?

TAPPEI:タトゥーを続けつつ、別の作品も作りたいと思っています。

――それは例えば、どんなことでしょうか。

TAPPEI:まだ制作途中ですけど、緩いアニメーションを作りたいと思って、パラパラ漫画を描いています。作るのにはすごく時間が掛かるので、数年くらい掛けて完成させようと思っています。あと、立体作品にも興味があります。フィギュアとかぬいぐるみが好きなので、自分で作ってみようと動いているところです。

Photography  Hana Yoshino
Text Shogo Komatsu

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「リアル版ロールプレイングゲームのような毎日。ドラクエよりスケボー」。日本のスケートボード界のパイオニア、岡田晋インタビュー https://tokion.jp/2022/11/26/interview-shin-okada/ Sat, 26 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=157163 スケートボードとの出会いから世界デビューまでを記録した自伝小説『眼鏡とオタクとスケートボード』を出版した、岡田晋。自身の少年時代や現在のスケートボードとの関わりを語る。

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岡田晋

日本人として初めてアメリカのスケートカンパニーから世界デビューを果たし、以降、日本のスケートボード界の発展に広く貢献してきた岡田晋。その岡田が、自伝小説『眼鏡とオタクとスケートボード』を出版した。悩みを抱える少年とスケートボードの出会いから、伝説的スケートチーム、NEW TYPE(ニュータイプ)への加入、アメリカのスケートブランド「プライム(PRIME)」のビデオパート出演など、世界に飛躍するまでの濃密な数年間が記されている。

書籍のリリースに合わせて、スケートボードを始めた当時を振り返りながら、岡田にじっくりと話を聞いた。

岡田晋(おかだ・しん)
1977年東京都生まれ。中学2年から本格的にスケートボードを始め、1994年に日本人として初めてアメリカのスケートカンパニーから世界デビューを果たす。以来、世界リリースのスケートビデオに10本以上出演するなど、日本のスケートシーンの進化と構築に貢献。現在は、「アシックス スケートボーディング(ASICS SKATEBOARDING)」のチームプロデューサーも務めるなど、スケートボードの普及に貢献している。
Instagram:@shinokada77

スケボーしかなかった。学校でみんなが興味を持つものにハマれなかった

――自伝小説『眼鏡とオタクとスケートボード』を出版した経緯を教えてください。

岡田晋(以下、岡田):今回の書籍は、形になるまで10年寝てしまっていたんですよ。というのも、10年ぐらい前に書籍化を目標に、ウェブサイトにブログとして書いていたんです。でも、当時は書籍にすることはできなくて、その後もいろいろな人と話したりしてたんですけど、箸にも棒にもかからずで……。それが、10年たって松さん(=『HIDDEN CHAMPION』編集長、松岡秀典)にポロッと話したら、「来週ディズニーランドに行こうよ」みたいなノリで一瞬で作ることが決まったんです。本当人生って何があるかわからないですよね。この本を出しやすいタイミングは10年前じゃなくて、今だったんでしょうね。

――この書籍には、(岡田)晋さんがスケボーを始めた10代の頃の話が書かれていますが、改めてスケートボードとの出会いを教えていただけますか?

岡田:はやりです。小学校の頃、光GENJIが人気でローラースケートがはやってて、そのあとにSMAPがスケートボーイズという名前で出てきて、ローラースケートと一緒にスケボーもおもちゃ店に並ぶようになったんですよね。そのスケボーを友達が遊ぶ時に持ってきたのが最初の出会いです。小学5年の頃ですね。トニーホーク(Tony Hawk)っぽいロゴが書いてあったんですけど、プロショップで買うスケボーとは違う、プロボードの量産版みたいなものでした。

――その後、本格的にスケボーを始めたのはいつですか?

岡田:中学2年の始めですね。大矢尚孝(以下、尚)っていう1つ年下のスケーターと出会って、本当の意味でスケボーっていうカルチャーに触れるようになりました。その尚が中学に入ってきて、スケボーでジャンプできるっていううわさが校内に流れたんですよね。それで尚に声をかけて、本物のスケボーがどこで売っているのか聞いて、スケビ(スケートビデオ)を観せてもらったり、スケートショップに連れて行ってもらったりしました。そこからは学校に行っている時間以外は全部スケボーで、帰ってきたら寝るの繰り返し。ずーっとやってたからご飯食べたら眠くなるんですよね。20時30分とかには寝てた。「もう寝んの?」って家族に笑われてました。もう学校から帰って5分ぐらいで着替えて日が暮れるまでひたすらスケボー。土日は午前中から門限までずーっと滑ってた。そんな生活でした。

――「今日はいいや」って思うことはなかったんですか?

岡田:ない。本当に1日もなかったです。スケボーしかなかった。学校でみんなが興味を持つものにハマれなかったんですよね。みんな、前の日に観たドラマとか歌番組の話をしたり、好きな女の子の話をしたりしてたんですけど、それに全然満たされなくて。欲求不満というか、刺激が足りなかったんですよね。それで、学校の中で刺激を作り出さなきゃって思っていろいろやったんですけど、空回りして腫れ物扱いをされたりもして。

――そのような人間関係の悩みも書籍に書かれています。思春期の少年がスケボーと出会って飛躍していく姿は、まるで『少年ジャンプ』の漫画の主人公のように思えました。

岡田:それは、俺がダメなヤツのテンプレみたいなヤツだったからでしょ(笑)。スケボーに出会ったから、スイッチがそっちに入ったけど、出会わなかったら全然違ったと思います。まあ、どちらにせよ学校の中ではなじめなかっただろうけど。

スケボーにハマれたのは、学校以外の世界が広がったからだと思うんですよ。滑りに行けば行くほどうまい人がいるし、いろいろな世界が見えてきた。スケートショップで観たアメリカのスケートビデオの中の人達も、現実の世界で突き詰めていったら、いつかつながるんじゃないかなって思ってました。それぐらい毎日さまざまなことが起きていたし、周りの人達がほとんど年上だったし。そういうのが楽しかったんでしょうね。リアル版ロールプレイングゲームのような毎日。ドラクエ(=ドラゴンクエスト)よりスケボーでした。

――「いつかつながるんじゃないか」ということを、思うだけで終わらせず、どんどん実現させていったのがすごいです。

岡田:信じる気持ちが強かったんだと思います。絶対につながれるはずだとか、絶対にチャンスがあるはずだとか、絶対にあそこにいけるみたいな。裏庭で見つけた宝の地図を本当に信じちゃってた感じかな。それまでずっと欲求不満で、何をやっても満たされなかったけど、スケボーだけは楽しかったし、「これだ」と思ったスケボーが沼のように深くて、どこまでも潜れるから、どこまでも潜りたくなって、とにかくずっと滑ってた。刺激の種類が合っていたんでしょうね。

――スケートを始めた頃はメガネがコンプレックスだったとも書籍には書かれていますね。

岡田:当時、メガネをかけたスケーターは数人しかいなくて。徹くん(スケーターの吉田徹)はメガネをかけていてもマジでカッコよかったけど、オシャレでメガネをかけるなんていうのは当時はなかったし、「眼鏡=のび太くん」だし、田舎くさいヤツの象徴でした。

俺も全然垢抜けてなくて、(書籍の表紙イラストを指して)本当にこのまんま。当時はとんがっている人だけがスケボーをやっていたから、「なんだコイツ、ちんちくりんの変なヤツがきたぞ」みたいに思われていましたよね。

『眼鏡とオタクとスケートボード』の表紙の元になった少年時代の岡田

衝動みたいなものにかられてブワッとやっちゃうヤツが世界に行くんです

――書籍に書かれている時代から長くスケート界で活躍されてきましたが、当時と今で変化を感じる部分は多いですか?

岡田:難しいですね。ずっと進化してきたのを見てきて、すげー進化したなとは思いますし、オリンピックを経てフェイズが上がったと感じますけど、プレーヤー目線で見ると、プロになっていく人のバイタリティ、モチベーション、考え方みたいなものは当時も今も変わってないかな。

どんなにSNSが進化しようが、オリンピックの競技になってみんなが注目しようが、プレーヤーとして上がっていくために大事なコアな部分は何も変わっていないと思います。

――それは、うまくなりたい、大会で勝ちたいといった気持ちのことですか?

岡田:そうです。あとはビデオを撮るといったアクションも。気持ちと行動と持続力がかみ合い、いろいろなことを考え過ぎずに、衝動みたいなものにかられてブワッとやっちゃうヤツが世界に行くんです。「ビデオあるなら撮ろうぜ」「撮るならやべえの撮ろうぜ」「やべえの撮ったら渡そうぜ」「大会あるなら出て勝とうぜ」みたいに、とにかく全部やるんです。全部で自分を全力で出して、『ワンピース』のルフィみたいに「絶対にその先にあるんだ」って行動する人は、放っておいても世界に行きます。

――現在は、「アシックス スケートボーディング」のチームプロデューサーもされていますが、若いスケーター達から、そのような気持ちを感じることも多いですか?

岡田:今、話したような気持ちの子はまれで、若い子達にはまだそういう気持ちがない子が多いかもしれない。ただ、まだわからないだけで、ガキの頃に俺が教わったみたいに、面倒くさいことをいう人がいれば伸びると思っています。

本を書いていて、才能のあるいろいろな人達が、クソ生意気なガキンチョに対していろいろと言ってくれたから、俺はここまでやってこれたんだと思ったので、「アシックス スケートボーディング」に関しては、伝えていく役もやっていきたいですね。経験している大人がちゃんと教えれば、ライダーの子達はみんな聞いてくれると思います。ポテンシャルとスキルは申し分のない子達ばかりだから、モチベーションというか、もっと目指せるものがあることをうまく伝えていきたいですね。「もっとその先を目指そう」「つかみに行こう、恥ずかしいことじゃないよ」「もっともっと日々をスケートボードに寄せちゃいなよ」って。

――今の時代で自分が10代だったら、どんなスケーターを目指すか考えたことはありますか?

岡田:ない。オリンピックはなかったけど、自分が想像し得るほとんどの経験をさせてもらったし、今からもう1回って考えるだけで疲れちゃう(笑)。俺だったらこうするのにとかも思わないし、純粋にすげえなと思って若い子達を見ています。

――では、今後はいかがでしょうか? プレーヤーとしてこれからやってみたいことはありますか?

岡田:もうないよー(笑)。スケートにまつわることで中途半端なものも出したくはないし。プレーヤーとしては、もう十分です。もちろん、「アシックス スケートボーディング」もあるし、今回、本を出したみたいにスケートボードのコンテンツといったら軽いけど、そういうものに関わるかもしれない。近くでは見ていたいけど、だからといってグイグイと入っていって自分の役割をもらう気もなければ、しがみつく気もないですね。

――個人ではなくスケート界の今後についてはどうでしょうか?

岡田:スケートボード界にどうなってほしいなんていうのは、おこがましすぎます。スケートボードってみんなで作っていくものだし、誰かがこうっていうものではない。かつスケーターのマインドって、「スケーターはこうあるべきだ」っていうものを超えていこうとするものだから。

みんなが思っているスケートボードを超えたものを生み出していく人が、シーンをどんどん大きく、深く広くしていくんだと思います。俺は、そこから生活のモチベーションをもらいます。だからずっと見ていたいし、近くにいたいですね。

――では約30年続けているからこそ感じる、スケートボードの魅力ってなんですか?

岡田:(しばらく考え)わかんない。特に今はわかんない。距離がないんですよ。なんだろう(笑)。

――生活の一部過ぎてわからないとかですか?

岡田:それ以上ですかね。答えは見つからないし、探してない。体内で溶けてなくなっちゃった感じかな。血糖値になりました(笑)。

――(笑)。ありがとうございます。『眼鏡とオタクとスケートボード』は、スケートボードを知らない人が読んでも勇気やパワーをもらえる本だと思いました。最後に、この本をこれから手に取る人へメッセージをお願いします。

岡田:“ 若い子に夢を。同世代に希望を。1990年代に愛を!”です。

■『眼鏡とオタクとスケートボード』
著者:岡田晋
表紙:田口悟
帯コメント:長瀬智也
サイズ:120mm × 170mm
ページ数:本文328ページ(ソフトカバー)
定価:1,320円
発行:HIDDEN CHAMPION
発売:星雲社

Photography Masashi Ura
Text Kango Shimoda

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連載「時の音」Vol.18 歌い手・Adoが歌い続けて変えていく時代 https://tokion.jp/2022/10/27/tokinooto-vol18-ado/ Thu, 27 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=151480 日本のアーティストを代表する歌い手となったAdoが、自身を表現するために歌い続けることについて。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

第18回は現代を代表するアーティスト、Ado。2020年に発表した「うっせぇわ」でメジャーデビューして以降、子どもから大人まで年齢や性別を超えて、多くの人が魅了されてきた。そして、映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌「新時代」は、各種サブスクで100冠を獲得するなどのメガヒットを記録。Apple Musicのグローバルチャートでは世界1位を獲得し、文字通り世界中から注目される存在となり、これまでに2度開催されたライヴも即完売する反響で大きな話題となった。

彼女の行動の1つ1つが日本を動かすほどの巨大なアクションとなった今、20歳のAdoは自らのことをどう捉え、何を思うのか。椎名林檎との新作「行方知れず」の話を交えながら、2020年代を変えていく歌い手、Adoはどのような存在なのかを探りたい。

Ado
2002年10月24日生まれの歌い手。メジャーデビュー「うっせぇわ」で社会現象を巻き起こし、日本の音楽シーンに新たな風を吹かせた。全世界をにぎわせる映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌「新時代」収録の『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』も大好評。10月には、椎名林檎とタッグを組んだ楽曲「行方知れず」(映画『カラダ探し』の主題歌)を配信リリース。12月2日から初ツアーとなる『Ado LIVE TOUR 2022-2023「蜃気楼」』が敢行される。
https://www.universal-music.co.jp/ado
Twitter:@ado1024imokenp
Instagram:@ado1024sweetpotet
YouTube:Ado

劇中の出来事と現実がリンクしたように感じたウタの「新時代」

――デビューからわずか2年で、Adoさんの名前は日本中に知れ渡りました。まずは、この2年間を振り返ってみていかがですか?

Ado:本当に濃密な2年間だったと思います。メジャーデビュー曲「うっせぇわ」でAdoのことを世間のみなさまに知って頂き、その後も映画やドラマの主題歌など、数多くの貴重な機会を頂きながら歌を歌い続けてきました。ライヴも2公演行いましたし、直近では映画『ONE PIECE FILM RED』でウタの歌唱役を担当させて頂いたことで、より多くの人にAdoの声を届けることができたのかなと思っています。そして、全国ツアーの発表から、「行方知れず」で椎名林檎さんとタッグを組んだことなど……本当に、語り尽くせないほど大きな出来事がありました。

――映画『ONE PIECE FILM RED』における主題歌「新時代」はApple Musicのグローバルチャートで世界1位を獲得する偉業を成し遂げました。この反響に対して、どんなことを感じましたか?

Ado:これほどの大きな反響を頂けたのは、やはり『ONE PIECE』という大きな作品に携われたからこそなんでしょうけれど、ウタの歌唱役のオファーを頂いた時はやはり不安な気持ちもありました。ウタのビジュアルとAdoの歌というギャップをみなさまに受け入れて頂けるのかどうか、しっかりと“歌姫ウタ”として表現できるだろうか、そういった心配がありました。

作中のウタは、新時代の歌姫として世界中で愛されるキャラクターでしたが、結果的に、現実においても、楽曲「新時代」は世界中のみなさまに愛して頂けて、さながらアニメの世界で描かれていたことが現実世界にもリンクしているように感じました。そこに私が携われたということがすごく嬉しいですし、この作品に携わったみなさまに心から感謝しております。

――一方で、4月4日にZepp DiverCityで初のワンマンライヴ「喜劇」、8月11日に2ndライヴさいたまスーパーアリーナで「カムパネルラ」と、ファンにとっては待望のライヴも行われました。この2回を経て、ライヴに対してどんな印象を持っていますか?

Ado:ライヴはすごく好きですね。これからも続けていきたいと強く思っています。2回の公演を通して、もっと素晴らしいパフォーマンスをして、より大きな衝撃をみなさまにお届けしたいと考えています。そのようにステージングに対しては、常に進化をし続けていきたいですし、最新のライヴがもっとも素晴らしいと言われるように努力し続けていきたいです。ツアーという意味では、一貫したテーマがあるので、どのような場所でもあっても、同じクオリティーをステージで発揮したいです。

Photography Viola Kam

椎名林檎との共作「行方知れず」

Ado 「行方知れず」

――冒頭に名前が挙がりましたが、椎名林檎さんとタッグを組んだ楽曲「行方知れず」を発表されました。椎名林檎さんとのレコーディングはいかがでしたか?

Ado:私がレコーディングをしたその場で歌を聴いて頂いて、それに対して椎名林檎さんのアドバイスを反映させる形で進めていきました。その中で、普段の歌い方とは異なる引き出しを椎名林檎さんが見つけてくださったんです。

――“普段とは異なる歌い方”というのは、どういう部分でしょうか?

Ado:イントロからAメロにかけての歌は無機質な印象になっているんですけれど、そのパートに対して椎名林檎さんから「ボカロの無機質な感じで歌って頂きたい」というアドバイスを頂きました。その言葉を聞いた時、私のことを深く理解してくださっているんだと感じました。私が歌を歌うきっかけであるボカロの部分を大事に考えて頂けたのではないかと、すごく嬉しく思いました。同時に意外性も感じましたし、そういった経緯を経て「行方知れず」はAdoと椎名林檎さんの楽曲なんだと改めて実感しています。

――楽曲「行方知れず」の制作に対して、椎名林檎さんはAdoさんの声に対して「『なんと理想的などら猫声なんだ』とおののきました」とコメントされています。“どら猫声”については、いかがでしょうか。

Ado:“どら猫声”というのが褒め言葉として嬉しく感じることがあるんだな、と驚きました。自分でも自分の声をどう説明したらいいのかわからないのですが、椎名林檎さんがそう評してくださって、私自身すごくしっくりきましたし、その言葉の選び方が、実に椎名林檎さんらしくて、心から嬉しく思いました。理想的などら猫声、という表現も非常にユーモアに富んでいてユニークですよね。

――本当にそうですね。どら猫声と聞いて、納得させられました。

必要なのは楽しみながら歌い続けること

――続いてAdoさん自身のルーツについても聞かせてください。イメージディレクターをORIHARAさんが一貫して担当されています。どんな流れがあって、ORIHARAさんがAdoさんのイメージを描き続けることになったのでしょうか?

Ado:もともとORIHARAさんは、私のファンアートを描いてくださっていた方なんです。すごく印象的なイラストを描いてくださったので、すぐに目を引きまして、YouTubeのアイコンなどに使わせて頂いていました。その後、Adoがメジャーデビューをするタイミングで、イメージビジュアルを制作することになりまして、今後も私のイメージを作ってくれる人が必要だという話になって、ORIHARAさんにお願いさせて頂きました。

――Adoさん的にも、ORIHARAさんが描くイメージは自分の印象に近いと感じる部分があるんですね。

Ado:そうですね。今もそうですが、私がこうでありたいと思う形を言葉がなくとも表現してくださるんです。Adoという人物を深く理解してくださって、頭の中にある理想を超えてくるイメージを描いて頂いています。しかも、年々そのクオリティーが上がっていて本当に素晴らしいと思います。

――12月からは「Ado LIVE TOUR 2022-2023『蜃気楼』」がスタートしますが、本ツアーについてとその先の目標について教えて頂けますか?

Ado:私の中での全国ツアー「蜃気楼」は、さいたまスーパーアリーナという大きな目標だったステージのその先の景色だと考えています。現実では幻想であったとしても、遠くに見えるものはなんなのか、ということを知っていくためのツアーであり、ライヴだと捉えています。その先にあるゴールは何かを考えると、やはり歌い手としてもっとも理想的な存在になりたいということだと思います。今までになかったような驚くほど衝撃的で素晴らしくてカッコいいところに行き着きたい、ということがテーマの1つとしてあります。

――そうなるために考えている具体的な目標はありますか?

Ado:現段階で1つ考えているのは、海外のファンのみなさまとももっと交流したいと思っています。日本以外の国でもAdoの歌を聴いて頂ける状況ができてきたので、求められるのであれば海外でもライヴしていきたいですし、コミュニケーションを取っていきたいです。それが目標の1つ。あとは、もっと大きなステージを目指していきたいです。あと数年の間で、これまでになかったような規模感でライヴができるようになりたいと考えています。

――では最後に、AdoさんがAdoであるために、歌を磨き続けるために、日々実践されていることはどんなことですか。Adoさんのようになりたいと願う小さな子どもから年下のファンに向けて、アドバイスがありましたら。

Ado:やはり歌い続けることでしょうか。それも楽しみながら。自分が好きなことを諦めないで、自分を信じて歌うことをやめなければ、きっと歌があなたの味方をしてくれると思います。

Text Ryo Tajima

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アジア発の音楽を世界で鳴らす——菅原慎一率いるSAMOEDOのポップミュージック https://tokion.jp/2022/10/20/samoedos/ Thu, 20 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=148315 「アジア間の協働」をテーマに掲げる新生バンド、SAMOEDOが表現する音楽表現について、菅原慎一と沼澤成毅に聞く。

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音楽ファンの間でふつふつと話題を集めているニューバンド、SAMOEDO(サモエド)。このプロジェクトはフロントマンの菅原慎一(Shin)(ex.シャムキャッツ)が、nakayaan、鈴木健人、沼澤成毅とともに立ち上げ、「アジアへ向けて発信するのではなく、アジアから発信する」といったコンセプトの下にアート性の高い音楽を表現している。

7月には待望の初アルバム『SAMOEDO』もリリースし、日本のみならずアジアの仲間とともに構築したサウンドを提示している。ライヴ活動もスタートした今、SAMOEDOが伝えたいサウンドやどのように結成されたかなど、菅原慎一(Shin)と鍵盤奏者の沼澤成毅の2人に聞く。

SAMOEDO(サモエド)
菅原慎一(Shin)(ex.シャムキャッツ)が、nakayaan、鈴木健人、沼澤成毅とともに2022年に結成した4人組バンド。「アジアへ向けて発信するのではなく、アジアから発信する」をコンセプトに、開かれたポップミュージックを展開する。1stアルバム『SAMOEDO』は、韓国・ソウルでスタジオ「ormdstudio」を主宰するキム・チュンチュがミックスを担当し、同じくソウルのレコーディングスタジオ「Philo’s Planet」を主宰するジャイミン・シンがマスタリングを担当。アートワークは、ソウルを拠点に活動するハエリ・チュンのインディペンデントパブリッシャー「SUPERSALADSTUFF」が手掛けている。写真左から、菅原慎一(Shin)(Vo&Gt)、鈴木健人(Dr)、nakayaan(Ba)、沼澤成毅(Key)。
Instagram:@samoedo.band
Twitter:@SAMOEDO_band

現代アジアを生きる一員としての音楽を発信する

——SAMOEDOは、菅原さんが書籍『アジア都市音楽ディスクガイド』(DU BOOKS)を執筆・監修されたことが、バンド結成のきっかけになっているそうですね。まずは、このあたりのお話から教えてもらえますか。

菅原慎一(Shin)(以下、菅原):順を追ってお話しすると、まずシャムキャッツの解散があり、その後に新型コロナウイルスのパンデミックがやってきたことで、アジアの音楽をフィールドワーク的に研究することができなくなってしまったんですよね。その中で本を制作することになってしまって……。当時、僕は自宅のデスクで執筆作業をしていたわけですけど、単純にうずうずしちゃったんです。そう、音楽研究家としてやっていくのではなくて、ステージに立ちたいなっていうのが純粋な気持ちとしてあったんです。それが1つの軸としてありますね。

——菅原さんはアーティストだからこそ、自然とデスクよりもステージに向かいたくなる衝動が湧いてきたのですね。SAMOEDOは「アジアへ向けて発信するのではなく、アジアから発信する」ということをコンセプトにされています。これにはどういった考えが?

菅原:どういうバンドにするかということを考えた時に、(日本以外の)アジアの国々に対して、どこか人ごとのように感じているところがあったので、もっと当事者目線で捉える必要があるんじゃないかと考えるようになったんです。

そうすることによって、自分がちゃんと世界に入っていけるような気がして。それがアジア人としてのアイデンティティーを踏まえてやっていくって考えにつながっていったんです。わかりやすく言うなら、コロナ禍ではあったけど、自分が次にやる音楽は日本のバンドとしてやっていくというより、アジアから世界に向けて「こんなにカッコいいアジア人がいるよ」ってことを伝えられるようなバンドにしたいと思ったんです。それでnakayaanくん、鈴木くん、そして沼澤くんに声を掛けたという流れになります。

沼澤成毅(以下、沼澤):最初に連絡をもらった時は面識もなかったので、びっくりしましたね。なんで僕なんだろうって。でもバンドの構想や広がりを持つ者として音楽をやっていきたいという思いを聞いて、「ぜひやらせてください」と返事したんです。

菅原:面識はなかったんですけど、誰でもいいわけではなくて、沼澤くんじゃなきゃダメだっていうのが前提としてありました。会ったことはなくとも、音楽という1つのもので語れば、すぐにわかってくれるはずだって自信があったんですよ。そう考えられるようになったのも書籍の制作があったからかもしれません。今は勇気を出せば誰とでもつながることはできるし、理解し合うこともできる時代。

——ではSAMOEDOは表現自体を世界の音楽シーンに向けられていますが、そういうスタンスになったのは、菅原さんがシャムキャッツの活動を介して日本のシーンを見てきた経験も大きいですか?

菅原:僕としては東京から生まれるアンダーグラウンドのシーンを、みんなで一緒に大きくしながら、同時に自分も成長していったという感覚があるので批判的な意識はないです。ただ俯瞰してみると、インターネットがすみずみまで普及して自由な世の中になっているはずなのに、それによって逆に固定化されているようで閉鎖的に感じる部分があります。

僕がSAMOEDOで実践したいのは、そういった考えに対するスタンスとして、アジアのいろいろな友達と手を組んで新しいことを発信することで対抗していこうって気持ちがあったんですよね。

——なるほど。では、「アジア人として発信する」というコンセプトの意味は、何もアメリカやヨーロッパに標準を当てて、エキゾチックな活動をしていくというわけではないということですね。

菅原:そうです。例えば、今って漢字をあしらったデザインなんかがはやっているじゃないですか。そういうのってねじれたエキゾチシズムというか無邪気なセルフオリエンタリズムみたいなところがあって、ある種の新鮮さがあるからウケている。でもその一方で、どこか人ごとで、その文化がある国の歴史やその土地に住む人がどういう思いで生活しているのかってことを知らない間にスルーして、無意識のうちに消費してしまう場合もあるんじゃないかと。SAMOEDOはそういうものではないよってことをコンセプトとして立てたんですよね。

自分達は“もともと”アジア人で、周囲からもそう認識されるわけですけど、アジア人であることを利用して経済活動しているわけでも文化を消費しているわけでもなく、みんなと一緒に生きている人間なんだよって発信したい。「Suiteki」のミュージックビデオでは、お寿司は日々の生活の中ですごく近い距離に存在することを伝えたくて作りました。タッチパネルで注文する回転寿司店は、もはやファミレスくらいリアルな若者の日常ですよね。

SAMOEDO 「Suiteki」

アルバムで形にしたシンセサイザーバンド的な表現

——そのような考えの上で表現されているSAMOEDOの音楽は、世界のどこで作られている音楽なのか、時代感も含めてわからないような表現になっていると感じました。ある意味、どの国の街で流れていても、その人の生活に馴染むように響くような気がします。

菅原:そこは意識しましたね。それこそ、沼澤くんの作り出すシンセサイザーの音は、すごく越境性を持っていると思っているんですよ。いつの時代なのか、どこの国なのかわからないアプローチをしたいと考えたからこそ、SAMOEDOに沼澤くんを誘いました。

というのも、自分が作る音楽表現だけではノスタルジーな方向に引っ張られて、グローバルに広がっていかない感じがしましたし、純粋に気持ちいい音や良いフレーズをシンセサイザーで入れたいという思いもありました。1stアルバム『SAMOEDO』は、まさに、どこの街でも響くように、耳をマッサージするような効果があるようにと考えて作っていきました。

——沼澤さんはアルバムを制作する上で、どのように鍵盤の音を入れていきましたか?

沼澤:菅原さんが持ってきた曲が、最終的にどういう方向を向いているのか想像しやすかったので、フレーズもスムーズに思い浮かびました。そして、自分以外の3人が録音した曲にシンセサイザーの入る隙間が良いあんばいで用意もされていたので、最後に自分が音を入れることで完成形にまとまっていったのもよかったですね。鍵盤は自宅でレコーディングしたんですけど、楽しみながら制作することができましたよ。逆に、菅原さんは僕の鍵盤に対してどういうものを求めていましたか?

菅原:弦楽器って、できることに制限があるんですよね。その点シンセサイザーには無限の可能性を感じていて、沼澤くんの音を自由に乗っけてほしいと思っていました。そういうシンセサイザーバンドみたいにしたいと考えていたので。

——確かにギターの音量は小さくミックスされているので、シンセサイザーバンドというワードがすごく腑に落ちます。

沼澤:他の楽器の音量がミニマルにまとまっていますよね。僕としては、ここまでシンセの比重が大きくなるとは当初は予想していませんでしたね。なのでミックスが上がった曲を聴いたら、けっこうシンセの音が前面に出ているなと感じました。作り方としては、わりと感覚的にフレーズを考えてそれを重ねては引いて、という足し算引き算みたいなやり方で制作を進めました。

菅原:そうだったね。思い出深いのが、締め切りぎりぎりで間に合わないんじゃないかって時に、沼澤くんの家に行って朝5時くらいまでシンセの音を録音して重ねたりしたんです。その時に、鍵盤にはプレーヤーが歩んできた歴史や音楽体験が反映されるものだと思うんですけど、沼澤くんがこれまでに培ってきたブラックミュージックやジャズ、日本のアンビエントっぽいものだとか、そういった文脈が鍵盤によって重ねられていっているようで、それがすごく良かった。これがSAMOEDOのおもしろいところかもと感じましたね。次作では、自分もギターでそういうことをやりたいです。

沼澤:本当に、ここまで音を重ねたのはめちゃくちゃひさしぶりでした。

菅原:それでいて煩雑になっていないのがすごい。沼澤くんのセンスでまとめられているのが良いと思ったよ。

言葉を紡いで物語にするのではなく瞬発力を持った歌詞を

——ー方で、菅原さんの書く歌詞の描写が非常にユニークでした。あえて断定的な言葉を避けて、疑問詞や造語も巧みに使っていますよね。その辺りの歌詞の作り方について教えてもらえますか。

菅原:言葉ってとても取り扱い注意なものじゃないですか。日本のバンドがよく言われるのに、歌詞がグッとくるとかありますよね。そのグッとが注目されがちだし、自分も好きなんですけど、SAMOEDOでやりたいのはリズムを重視した音感なんです。言葉の連なりが生み出す文脈というよりも、もっと後ろにあるものを表現したいと言いますか。だから、聴く人によっては何を言っているのかわからないような曖昧な作りにしています。そこからイメージを想起させるような言葉の使い方を探っていっているので、ある意味ではすごくポエティックなのかもしれません。僕の言葉を聴いた時に、一瞬はっとするような歌詞表現をやりたいと思っています。

——ちなみに、楽曲制作はセッションで行われたのですか?

菅原:いえ、基本的にはDTMを使ってリモートで行いました。ちょうどコロナ禍で外出しにくい時期に制作していたこともあって、メンバーが狭い部屋に集まってやるというのは合理的ではなかったし、時代に反しているようにも感じました。

今はコロナ禍も少し落ち着いてきて、制作してきた曲をライヴで披露する段階なんですけど、お客さんの前で演奏することで、また別の楽しみが増えてきましたね。

——それこそ先日の初ライヴ(7月16日の「つくばロックフェス」)とリリースパーティ(代官山SPACE ODDにて8月10日開催)を経て、どんなことを感じましたか?

沼澤:やっぱりステージからお客さんに向けて鍵盤を弾くというのは、グッとくるものがありましたね。同時に楽曲のイメージも変わりました。音源とは違うアプローチでシンセの音数は減ってもバンドとして表現しているので、分厚く音を表現できています。DTMで作っていた曲が、こんなふうになるんだなって認識ができています。

菅原:ライヴはお客さんとの生のコミュニケーションですからね。音源で表現していたものとは違うところを見せていかないといけないっていうのは、やっぱりバンドとしてはあるんですけど、それをSAMOEDOでどう表現していくのかを模索していく作業がすごく楽しいです。

リリースパーティはすごくハッピーな空間で、お客さんも体をずっと動かしてくれていたので理想的な時間を過ごせました。その揺れ方もみんな違ってすごくよかった。DJが良い音楽をかけて、それに対して自由に体が反応しているような光景でしたね。

——アルバムがリリースされライヴもスタートした今、いよいよバンドが本格始動した状況だと思います。今後はどのように活動したいですか?

菅原:メンバーおのおの、SAMOEDO以外の音楽活動を行っているので、SAMOEDOとしての動きはどうしてもマイペースになってくるとは思うんですよね。自分としては、そこに少し寂しさを感じることもありますけど、いつでも集まっていい感じにやろうってことをあたりまえにできるようにしていきたいですね。具体的な目標ではないのですが、SAMOEDOというバンドが伝えたいことを、そのときどきに応じた形でしっかりと表現していきたいです。

Photography Tetsuya Yamakawa
Text Ryo Tajima

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スーパーオーガニズムが“ポップ”というツールで切り開く未来のカルチャー https://tokion.jp/2022/10/09/interview-superorganism/ Sun, 09 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=145320 世界基準の視野で音楽を奏でるスーパーオーガニズムが、最新アルバム『World Wide Pop』をリリース。ポップカルチャーのユニークネスや重要性について、メンバーのオロノとハリーを直撃した。

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オロノ(日本)、ハリー(イギリス)、トゥーカン(ニュージーランド)、ビー(ニュージーランド)、ソウル(韓国/オーストラリア)といった多国籍なメンバーを中心に、世界中の音楽ファンを魅了し続けている、スーパーオーガニズム(Superorganism)。

結成された2017年当時は、まだ無名に近い状態だったにも関わらず、フランク・オーシャン(Frank Ocean)エズラ(ヴァンパイア・ウィークエンド<Vampire Weekend>)が、デビューシングルの「Something for Your M.I.N.D.」をApple Musicのラジオ番組で紹介したことで一気にブレイク。2018年には、イギリスの名門レーベル、Dominoからデビューアルバム『Superorganism』をリリースし、新時代のインディポップバンドとして飛躍を遂げた。

そのスーパーバンドが、待望の最新アルバム『World Wide Pop』をリリースした。星野源チャイ(CHAI)、フランスのシンガーソングライター、ピ・ジャ・マ(Pi Ja Ma)ペイヴメント(Pavement)スティーヴン・マルクマス、UKのオルタナティブヒップホップアーティスト、ディラン・カートリッジ(Dylan Cartlidge)マドンナ(Madonna)デュア・リパ(Dua Lipa)フランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)を手掛けるプロデューサー、スチュアート・プライスなど、最強の布陣で作り上げた名曲が連なる。

これまで、メンバーの多様性に焦点をあてられることが多かったスーパーオーガニズムだが、本作によって、もっと大きなフィールドにおける新たな価値観、音楽だけじゃなく未来のポップカルチャーそのものに影響を与えそうな世界観を表現。来日中だったオロノとハリーに、あらためて“ポップ”について語ってもらった。

Superorganism(スーパーオーガニズム)
2017年、ロンドンを拠点にイギリス、日本、オーストラリア、ニュージーランド、韓国といった多国籍のメンバーによって結成されたスーパーバンド。2018年にデビューアルバム『Superorganism』を、英名門レーベル、Dominoからリリース。現在は、オロノ、ハリー、トゥーカン、ビー、ソウルを中心に活動。最新アルバム『World Wide Pop』では、星野源やチャイをはじめ、フランスのシンガーソングライター、ピ・ジャ・マ、ペイヴメントのスティーヴン・マルクマス、UKのオルタナティブヒップホップアーティストでラッパーのディラン・カートリッジなど、世界屈指のアーティストが参加。取材に参加したのは写真左から、オロノとハリーの2人。
https://www.wearesuperorganism.com
Instagram:@sprorgnsm
Twitter:@SPRORGNSM

ルールがないこと、それが唯一のルール

——最新アルバム『World Wide Pop』は、これまでの制作スタイルとは少し別のアプローチを試みたそうですね。

ハリー:制作のプロセスにあまり変化はないけど、前作はメンバー同士が集まることなく、それぞれが作業をしてメールでファイルを送り合って曲を完成させていたんだ。でも今回は、アメリカでインストのジャムセッションをやったり、ベッドルームに集まって作ることがたまにあった。そのことで大きく変わったのは感情の部分かな。前作のリリース後にツアーを回ったこともあったし、実際に会う時間が増えたことでお互いの理解も深まったからね。

——メンバーと一緒に過ごす時間が増えたことで、今まで知らなかった新しい発見はありましたか?

ハリー:ツアーバスも含めて一緒に過ごす時間が増えたから、今まで知らないことのほとんどを知る機会になったよ。家族のような関係性になったというか。しかも、来日した時にオロノの実家にも行って、日本のことや彼女がどういう環境で育ってきたかなど、新しい一面を知ることができた。人種や国籍、生まれ育った環境や文化の違う人達が集まってお互いを理解できることは、僕らのバンドならでは特権だからね。

——イギリス出身のハリーさんが、オロノさんの地元に行った経験は貴重だったのではないでしょうか?

オロノ:自転車に乗って、実家の近くを案内しましたからね。

ハリー:日本には5回くらい来ているけど、いつも東京の真ん中で滞在して、雑音の中で過ごしていた。でも、オロノの地元へ行くことで、日本のピースフルな一面を知ることができたよ。お寺や神社に行ったり、田んぼの畦道を走ったりしながら鳥の鳴き声を聞いて、日本が本当に平和な国だということを実感したね。

——メンバーそれぞれの価値観や、音楽の趣味趣向も違うと思います。スーパーオーガニズムで音楽を作る、奏でるにあたって、何か独自のルールを設けていたりするんでしょうか?

ハリー:みんなでコラボレーションしながら制作していくことが大切なので、最初に楽曲の方向性やコンセプトは決めずに進めているかな。

オロノ:ルールがないこと、それが唯一のルールだね。

——とはいえ、楽曲を聴くとスーパーオーガニズムらしさを感じることができます。自分達では、自分たちらしさ、という部分はどう捉えていますか?

ハリー:自己分析するのは難しいけれど、自分達に正直でいること。それと、エキセントリックで自分達が興味のあるものを作り、楽観的でユーモラスがあること。音楽を作ることには真剣だけど、その他の部分で自分たちのことを真面目に見せることはしない、かな。

常に時代の先端にいるような音楽を発信したい

——世の中で注目されている、トレンドの音楽は聴きますか?

オロノ:新しい音楽だから、という基準で聴くことはしていないけれど、気になったものは聴いたりもしますよ。でも、新しいからといって聴いた時に頭に残っているかどうかは別の問題かなと。自分達がアップデートするために、いろいろな音楽を聴いて吸収するという感じ。個人的には、ビヨンセ(Beyoncé)の楽曲も好きだったりしますね。

ハリー:僕はトレンドをそこまで気にしていないかな。というのも、ポップカルチャーって、常に前進しているものだと思っているから。例えば、今のトレンドの曲に影響を受けて楽曲を作ったとしても、それをリリースする頃にはポップカルチャーが別のところへ移ってしまうという目まぐるしい状況がある。だから、後追いになるより、常に時代の先端にいるような音楽を発信したいよね。そのためにも、自分達がやりたいことをやって、それが結果的に時代の先駆者的になっているのが理想かな。

——ちなみに、日本の音楽に対してはどんな印象を持っていますか?

ハリー:J ポップということでいえば、キャッチーな要素と注目を誘うような強力なメロディが組み合わさっていることが多いよね。一方で、実験的で風変わりなことも取り入れて、独自のバランス感覚を持っていたりもする。

それは音楽だけに限らず、日本のポップカルチャーそのものに言えることだと思う。エキセントリックな部分を許容するような、懐の深さがあるような印象かな。

オロノ:Jポップを聴くと、人工的でプラスティックのような印象を受けるんですよね。クレイジーで変な部分があって、JポップはJポップならではの特徴があるというか。昔は好きではなかったけれど、今は独特な変な部分をおもしろく聴けるようになっていますね。

ハリー:僕は日本人ではないから正しい解釈ができていないうかもしれないけど、イギリス人の僕からするとイギリスのカルチャーとも共通する部分もあるのかなと。ブライアン・イーノ(Brian Eno)やデヴィッド・ボウイ(David Bowie)も、要素が違うけれどさまざまなものを許容するという部分は似ているよね。とにかく日本は、風変わりなものに対する居場所があるように思うよ。

自分のクレイジーさを恐れずオープンにしている人達に惹かれる

——Jポップのくくりではないですが、今回のアルバムでは星野源さんとの「Into The Sun (feat.Gen Hoshino,Stephen Malkmus & Pi Ja Ma)」や、チャイとの「Teenager(feat.CHAI & Pi Ja Ma)」「Solar System(feat.CHAI & Boa Constrictors)」で、日本の音楽シーンを牽引している日本人アーティストとコラボレーションしています。まず、チャイの魅力を教えてください。

スーパーオーガニズム 「Teenager(feat.CHAI & Pi Ja Ma)」

ハリー:彼女達のライヴを初めて観たのは、ブリストルで前座を努めてくれた時なんだけど、その時からものすごいエネルギーを感じていたし、僕らのクリエイティビティもよく理解してくれているんだ。一緒にツアーを重ねることで感じたのは、ライヴの後半になると客席の全員が笑顔になるということ。

オロノ:彼女達が持ち合わせる、エキセントリックでパンクロックな部分が大好き。私の日本人の友達はみんなクレイジーですが、チャイのみんなも同じようにクレイジー(笑)。それでいて、彼女達が持つカワイイ部分は、とても現代的でクールですよね。

ハリー:だから、僕らの音楽世界に招いても絶対にうまくいくと思ったよ。

オロノ:クレイジーな人は世界中にたくさんいるけど、その感覚って世界共通だと思うんです。でも、日本はクレイジーな部分を隠して生きなきゃいけない雰囲気がありますよね。そういう中で、自分のクレイジーさを恐れずオープンにしている人達に惹かれるというか。チャイもそういう部類の人達。ちなみに、私の父親もクレイジーです(笑)。

——星野源さんとは、2019年のEP作品『Same Thing』でコラボレートしていますが、今回はスーパーオーガニズムに招いた感じになりましたね。

スーパーオーガニズム 「Into The Sun (feat.Gen Hoshino,Stephen Malkmus & Pi Ja Ma)」

ハリー:彼は本当に優しくて親切で、自分に正直な愛すべき人だよ。ひと言でいうと、グッドナイスガイ。普通、成功して有名になったら人と一定の距離を取ってしまうもの。でも彼は、ちゃんと相手に興味を持ってくれて、目を見て接してくれるよね。

オロノ:普通の感覚だったり一般的な常識がある人だけど、クレイジーさがある。ノーマルとクレイジーが共存している、特殊なバランス感覚を持った友人ですね。

——さまざまなアーティストを招きつつ、今のスーパーオーガニズムのムードが形になった最新アルバム『World Wide Pop』ですが、自分達にとって“ポップ”とは、どういうことになるのでしょうか?

ハリー:このアルバムは、決して最新のポップミュージックです、ということで作ったわけじゃなく、純粋に僕らが良いと思った音楽を作りたかった。じゃあ“ポップ”って何なのかと考えると、コミュニケーションが重要な世の中にとって、やっぱりアクセスしやすい文化なのかなと思う。いろいろな垣根や弊害を乗り越えられるようなもだし、それを可能にするツールでもある。

音楽においては、美しい歌声や親しみやすいメロディも必要だし、そのアーティストのカルチャーの一部になるために迎え入れてくれる要素でもある。例えば、耳障りのよいメロディから入っていって、そこからもっとそのアーティストのことや楽曲の難解な部分に導いてくれたりする。そういう意味でも、教育的なツールにも成り得るんじゃないかなって。

オロノ:私にとってポップは“すべて”ですね。フィーリングでもあり、サウンドでもあり、好きになるんだけどバカバカしくなって捨てることもできる。とにかく、すべてのものがポップと捉えることができるものだと思っていますね。

■LIVE! : Superorganism World Wide Pop Tour
出演者:Superorganism
日時:
2023年1月13日 @東京・お台場 ZEPP DiverCity Tokyo
2023年1月15日 @大阪・難波 Namba HATCH
2023年1月16日 @愛知・名古屋 ダイアモンドホール
2023年1月17日 @広島・広島 Hiroshima CLUB QUATTRO
2023年1月18日 @福岡・福岡 Fukuoka DRUM LOGOS
チケットインフォメーション:SMASH
https://smash-jpn.com/live/?id=3754

Photography Shiori Ikeno
Text Analog Assassin

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絵画修復士をしながらニューヨークで活動する日本人画家、倉田裕也の世界 https://tokion.jp/2022/09/24/japanese-art-restorer-painter-hiroya-kurata/ Sat, 24 Sep 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=146380 ニューヨークで絵画修復の仕事をしながら作品制作に取り組む倉田裕也が、日本では3年ぶりとなる個展「Summer Hours」を開催。これまでのキャリアや作品について語ってもらった。

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学生時代からアメリカで生活し、ニューヨークを拠点に20年以上にわたって活動を続けている倉田裕也。絵画修復の仕事で生計を立てながら制作活動に取り組み、近年は自身で撮影した写真から構想を得て描く油彩作品で注目を集めるようになった。個展「Summer Hours」の開催に合わせ、3年ぶりに帰国した倉田に、これまでのキャリアや絵画修復の仕事、自身の作品などについて話を聞いた。

倉田裕也(くらた・ひろや)
1980年 大阪府生まれ。高校からアメリカに移り住み、ニューヨークのパーソンズ美術大学を2003年に卒業。以降、絵画修復などの仕事をしながらニューヨークを拠点に活動。2022年8月〜9月に日本国内では3年ぶりとなる個展「Summer Hours」を表参道の「The Mass」で開催。
Instagram:@hiro_kurata

絵は小さい時から好きで、常に絵を描いていたと思います

——まずは絵との出会いから、画家になるまでのことを教えてください。

倉田裕也(以下、倉田):生まれは日本ですが、父親の仕事の都合で幼少の頃からアメリカと日本を行ったり来たりして育ちました。絵は小さい時から好きで、小中高と常に絵を描いていたと思います。高校がアメリカ東部、マサチューセッツ州のはずれの森の中にあるような自然豊かな学校でした。今から思えばヒッピー色の強い学校で自然食や環境に関心を持った教員や生徒が少なくなかった気がします(1990年後半、自分にとっては新しい考え方でした)。アートにもオープンな環境だったので、原っぱに寝そべってウォークマンを聴きながらスケッチなんかしてても誰も何も言わないような自由な校風でしたね。

——絵とは高校生の頃の付き合いが大きいですか?

倉田:その高校で仲良くなった日本人の先輩がいて、彼との出会いが大きかった気がします。彼はめちゃくちゃ絵もうまくて、カルチャーにも詳しく憧れの先輩でした。彼は高校卒業後、ニューヨークに出て美大生活を送っていました。僕は高校時代にバスに乗り何度も彼の住む寮の部屋に泊めてもらい、自分も卒業後はここに来たいと思い追いかけるように、1999年の夏にニューヨークに出てきました。パーソンズという大学に通いながら、イースト9stの小さなアパートで友達3人との共同生活(男3人と女1人)が始まりました。

——では大学に入ってからは絵の勉強が中心の生活になったのですか?

倉田:いえ、大学4年間はあまり勉強しなかったですね。元来、アートとは学ぶものではないのでは? という都合の良い矛盾に満ちた理念の下に友達と忙しく遊んでいた気がします(笑)。退学寸前のグレードで、決していい学生ではなかったです。

倉田が1999年当時に住んでいたイーストビレッジのアパートの1室にて

——そのような学生が卒業後に画家を目指すようになったのはどうしてでしょうか?

倉田:大学時代の先生にジョーダン・イソップ(Jordin Isip)というイラストレーター・キュレーターの人がいて在学中にずいぶん気にかけてもらいました。彼がキュレートした大型グループ展(確か100人近くいましたが)に出展したのが僕にとって初めての展示であり、作品が売れたのも初めてでした。その出展作家の1人にたまたまバリー・マッギーなんかもいて。バリー・マッギー(Barry McGee)は若いアーティスト達の憧れの的でしたので、ニューヨークでやっていればこんな機会もあるんだと衝撃を受けました。そこでDIY精神旺盛なアーティストが注目されていく中、自分にもきっとできると思いアーティストになりたいと強く思うようになりました。

それで卒業後はいろいろなバイトをしながら、絵画制作をするようになりました。ギャラリーで働いたり、日本人専用の宿の運営もしましたし、フォレスト・マイヤーズ(Forrest Myers)という著名な彫刻家の下で4年間、助手のような仕事をしたりもしました。一番軸となっている仕事は、2007年から今も続いてる絵画修復の仕事ですね。

——絵画修復の仕事は、誰でも就けるものなのでしょうか?

倉田:一般的には絵画修復の学位がないとできない仕事なんです。でも僕はたまたま、縁あって一から教えてもらえることになりました。修復スタジオのオーナーはブルックリン 生まれの根っからのニューヨーカーで叩き上げというか、彼もまた師弟関係の中で知識を得た修復家でした。彼自身、経営者であり詩人、ミュージシャンでもあるからか、働いているスタッフにとても寛容な状況を作ってくれる、とてつもなくありがたいボスに巡り会えましたね。

——倉田さんの活動に理解がある方だったんですね。

倉田:今から思えば、やり始めの頃の給料はギリギリでどうにか生活していけるほどでした。でも、僕らのような外国人からすれば仕事があるだけでラッキーでしたし、なんせ楽しい仕事環境でした。もう15年ぐらい一緒にいるから今となってはファミリーみたいな存在ですね。

2018年、倉田が働く絵画修復スタジオの仲間達と

——絵画修復の仕事でご自身の作品に生きていることはありますか?

倉田:絵画修復は、欠けたり割れたりした箇所に筆で色をさしていくのですが、さまざまな色やテクスチャーがありますから技術的な面では、色の作り方の勉強になりました。

それと、やはり異なる時代のさまざまな作品に触れてきたことでいろいろなことを感じました。一番大きかった気付きは、「絵の値段と絵の良し悪しはまったく関係ない」って思うようになったことですかね。やり始めの頃は、何億円もするような高価な作品を扱うと、そのバリューに圧倒されて手汗が出て「ヘマしたらまずいな」と緊張しながら修復していたんですが、いつからか、どの作品も1つのモノとして、安定した態度で接することができるようになりました。その裏には、「市場価値と絵画としての優劣」には大きなギャップがある場合があり、それを知ってからは何かと楽になりました。

——お話を聞いていると、画家の仕事だけでは生活していけなかったり、自分の絵が評価されなかったりしても、「自分は負けてない」っていう気持ちでいることにもつながるのかなと感じました。

倉田:そうそう。ほんと妬みからきた発想でした(笑)。でも、思い返すと若い頃は現実を直視しないで、勘違いの中で生きる時間って無駄じゃなかったのかなと思ってます。恥ずかしい話ですが「いつか絵で食えるようになる」とか「自分には才能がある」といったようなありきたりの言葉で武装し、何か不安なことがあると岡本太郎とか読んだりしてブーストかけて現実逃避(なのか?)をしてきました。

そんな根拠のない自信を壊さないように、自己嫌悪を回避しながら制作を続けてこられたのは良かったのかもしれません。「今しか描けない絵を描こう」と決めてからは、少し楽に絵を描けるようになったかもしれませんね。

「Summer Hours」の展示風景

絵日記みたいなものでもアートになるなと思っています

——続いて今回の「Summer Hours」の作品についてお聞きします。本作では自分で撮影した写真をベースに描いているとのことですが、人物の描き方が印象的ですね。

倉田:リアリスティックな人物画は見るのも描くのも苦手で、簡易化した漫画っぽい顔が好きなので描いています。周りの風景は結構描き込んでいる中、顔だけが漫画っぽいので、そのギャップが目につくのかもしれません。

——確かに、Instagramで過去の作品を見ると、今とは作風が違いますよね。

倉田: 以前は野球のネタを多く取り入れた作風でした。そう、学生の頃から数年前までは野球を軸に描いてきたのですが、さすがに飽きてきてしまい……。ある時にうちの親が孫と手をつないでる絵をプレゼントしようと描いたところ、なんか良い感じに描けたのをきっかけに、身の回りの題材に目を向けるようになりましたね。

2017年、親に送ったという思い出の作品

——「Summer Hours」の作品からは、1970年代から1980年代にかけての日本の田舎の夏休みのような雰囲気を感じました。

倉田:僕が描きたかったことは、そういうことかもしれません。アートって本当にいろんなジャンルがありますけど、僕は絵日記みたいなものでもアートになるなと思っています。

今回の展示に来てくれた人から、彼らの思い出なんかと重ね合わせて何かを感じてくれたみたいな声をちょこちょこ聞くことができて、そういうのは単純に嬉しかったです。

ここ数年はミルトン・エイブリー、フェアフィールド・ポーター、ルイス・ドッドといった風景画家が好きなんですけど、彼らは難しいことはやってないんですよ。等身大の生活を彼らなりの描き方で描き残していて、次世代の人間にきちんと伝えることができている。そういった画家になれたらいいなと思っています。

——野球の画家から変わったように、今後も作品が変わっていくこともあるのでしょうか?

倉田:作風はこの先も変わっていくと思います。子ども達も写真なんか撮らせてくれなくなるだろうし、一緒にお出かけも厳しくなるでしょう。家族崩壊もあるかもしれません(笑)。何が起こってもおかしくない世の中なので、そういった毎日の変化をきちんと感じて作品に反映できるタイプの画家になれたらいいですね。

「Summer Hours」の展示風景

フルタイムアーティストの生活を送ったことがないので、大海に裸で放りこまれるような気分です

——今後の予定で決まっていることはありますか?

倉田:2023年にロサンゼルス、2024年にはパリで個展をやる予定です。

——個展が続くと、絵画修復の仕事との両立は大変そうですね。

倉田:今は週2日でやっていますが、そろそろ本格的にフルタイムのペインターになってもいいかなと感じてます。ドキドキですが。

——家族を養っていくことが心配でのドキドキですか?

倉田:もちろんその経済的不安もありますし、精神的にもドキドキだなと(笑)。いわゆるフルタイムアーティストの生活を送ったことがないので、大海に裸で放りこまれるような気分です。まあやってみて気付くことは多いでしょうね。いろいろと試してみます。

“Just stick around, your turn will come”

——日本は3年ぶりだそうですが、コロナ禍前と違いを感じることはありますか?

倉田:日本の友達にはこの話をすごくしてるんですけど、本当に東京はいい街だなって感じました。ここ数年でニューヨークは物価の高騰に伴い浮浪者が増え、街の治安が不安定になってきています。僕の住んでるブルックリン のアパートの周りを数分歩けば2、3人は浮浪者がいますし。この間なんて朝、子どもを学校に送った帰り道で、浮浪者っぽい人とデリ(コンビニみたいな売店)の店員の小競り合いが始まり、しまいにはナイフをぶん回してるのを目の当たりにしたり……、日常茶飯事でこのようなことが起きるわけではないですが、気を引き締めて生活しなくてはいけません。3人の子どもを育てる親としてもひさびさに東京に戻ってきて、街の「安全性」に心地よさを感じました。ずっと住んでるとあたりまえに感じるでしょうが、安全な街に住めるっていうのは重要です。

「Summer Hours」の展示風景

——日本のアートカルチャーについてはどう感じていますか?

倉田:東京のアートシーンやアジアのシーンが盛り上がってることは、アメリカに住んでいても感じます。若いコレクターが若いアーティストをサポートしていくことはすごく良い習慣だと思いますが、日本国内のみの競売なんかで売り買いされるアートには危なさも感じます。結局作家の将来性より、マネーゲームで金持ちをより金持ちにしてるじゃないですか。詳しく知らないけど、アメリカにももちろんそういったシーンがあり、作家としてはどのパートナー(画廊)と組むかでその後のキャリアが左右されるんだろうなと感じるようになりました。

2014年、恩師であるフォレスト・マイヤーズと
Photography Hiroyuki Seo

——ご自身の経験から、「自分の好きなことを仕事にする」上で大切なことがあれば教えてください。

倉田:あまり偉そうなことは言いたくないんですけど、今まで絵を描き続けられたことから振り返ると、僕の場合は絵画修復や彫刻家の助手という仕事が絵描きとしての振り幅を大きくしてくれたかな。

最初はなんでも真似事じゃないですか? 真似事をやり続けられる環境を作ることですかね。フォレスト・マイヤーズさんがぽろっと言った言葉で覚えてるんですけど、“Just stick around, your turn will come”(最後まで帰るなよ、君の番はいつかくるからね)みたいなことを言ってくれて、それも大切だなと思っています。1960年代からニューヨークのアートシーンの渦中にいて、酸いも甘いも経験した彼の言葉だったので重みを感じましたね。

■Hiroya Kurata 「Summer Hours」
会期:〜2022年9月25日
会場:東京 The Mass
住所:東京都渋谷区神宮前5-11-1
時間:12:00~19:00
休日:月曜日、火曜日
入場料:無料
http://themass.jp/

Photography Masashi Ura
Text Kango Shimoda

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