佐藤 慎一郎, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shinichiro-sato/ Wed, 28 Feb 2024 05:17:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 佐藤 慎一郎, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/shinichiro-sato/ 32 32 抑圧から自由になるために:Kassa OverallとTomoki Sandersが語る『ANIMALS』、アフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化 https://tokion.jp/2024/02/28/kassa-overall-x-tomoki-sanders/ Wed, 28 Feb 2024 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225786 ドラマー/プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overallとマルチ・インストゥルメンタリストのTomoki Sandersが、新アルバムやアフリカン・ディアスポラ・ミュージック、日本文化、そしてPharaoh Sandersについて語る。

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左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)、右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)

左:Kassa Overall (カッサ・オーバーオール)
1982年10月9日生まれ、米・ワシントン州シアトル出身のミュージシャン、MC、シンガー、プロデューサー、ドラマー。前衛的な実験とヒップホップ・プロダクションのテクニックを融合させ、ジャズとラップの結びつきを想像だにしない方向へと進化させた楽曲で評価を高める。前作の『 I THINK I’M GOOD』から3年を経て、名門Warpから自身3作目となるスタジオアルバム『ANIMALS』をリリースした。
https://www.kassaoverall.com

右:Tomoki Sanders(トモキ・サンダース)
1994年ニューヨーク州マンハッタン出身。4歳でピアノとドラム、6歳でクラリネット、10歳で父 Pharaoh Sandersから譲り受けたアルトサックス、14歳からテナーサックスを手にとり演奏を始める。バークリー音楽大学で演奏、現代作曲技術、音楽制作などを学び、2018年に卒業。現在までに、Pharoah Sanders、 Kassa Overall、Ravi Coltrane、OMSB、石若駿をはじめ、日本と米国で様々なミュージシャンとの共演を果たしてきた。現在は主にニューヨークを拠点に活動中。

ジャズ・ドラマーとして活躍する一方、プロデューサー/ビートメイカー/MCとして先鋭的な作品作りを続けるKassa Overall(カッサ・オーバーオール)。前作『I Think I’m Good』(2020年)から3年を経て名門Warpから2023年の5月に発表した最新アルバム『ANIMALS』は、ジャズやヒップホップ、エレクトロの要素を絶妙に融合させた実験的な音楽性と思索的なリリック、そしてDanny Brown(ダニー・ブラウン)やNick Hakim(ニック・ハキーム)をはじめとする豪華なゲスト陣も相まって、大きな話題を集めた。

そんな彼が、サックスやパーカッションをはじめ、様々な楽器を弾きこなすマルチ・インストルメンタリストのTomoki Sanders(トモキ・サンダース)やピアニストのIan Fink(イアン・フィンク)、ドラマー/パーカッショニストのBendji Allonce(ベンジー・アロンス)らを引き連れ、昨年10月に自身2度目となる来日公演を行った。東京と大阪、そして朝霧JAMで圧巻のパフォーマンスを披露した彼らは、各会場で老若男女、そしてジャズファンとヒップホップファンの入りまじるオーディエンスを熱狂の渦に巻き込み、その唯一無二の音楽的価値と実力を改めて示してみせた。

TOKIONでは、彼らの来日公演の折に、Kassa OverallとTomoki Sandersにインタビューを敢行。お互いの音楽的素養やキャリアを尊重しつつ、兄弟や師弟にも似た関係を取り結ぶ2人に、アルバムタイトル『ANIMALS』の背景にある思想や、アフリカン・ディアスポラ・ミュージックを分つ「ジャンルに」対する考え方、「家(home)」への思い、Tomokiの実の父、Pharaoh Sandersとのエピソード、日本文化への興味、そして「バックパッキング・プロデューサー」としての心得など、あらゆることを語ってもらった。

『ANIMALS』と抑圧への抵抗

–3年ぶり2度目の来日公演ですね。どんな気分ですか?

Kassa Overall(Kassa):とても興奮しているよ。前回のツアーの後、ヨーロッパのツアーには8回くらい行ったかな。でも日本に来るのはいつも大きなイベントのように感じる。フライトは長いし、ビザを取るために何度も領事館に行かなければならない。とにかく大変なんだ。時差ボケもひどいし。でもそういうものを経て日本に来れたら、この国の独特のライフスタイルに触れることができる。とてもエキサイティングだよ。

–Tomokiさんは、Kassa Overallのバンドの一員として日本に戻って来たことについて、どう感じましたか?

Tomoki Sanders(Tomoki):とても感謝しているし、素晴らしいバンドの一員になれて光栄に感じています。それに、海外のバンドに参加して日本で演奏するのは初めてなんです。日本の音楽シーンで10年近く演奏してきた僕にとって、これは全く新しい経験で、日本ツアーでの3日間が本当に楽しみです。

Kassa: 帰ってきたぜ、マザーファッカー!みたいな気分なんじゃないの?

Tomoki: まあ確かに(笑)「いつか海外のバンドと日本に凱旋して演奏したい」って、周りの人たちにはずっと言ってきましたからね。今回それが叶って嬉しいです。

–まず『ANIMALS』というアルバムのタイトルについてお聞きしたいと思います。このタイトルには複数の意味が込められていると語っていましたよね。まず、観客の前で演奏をする自分を、ときにサーカスの動物のように感じることがあると。もうひとつは、人はときに他者を「動物だ」と形容して、その他者に対する自分の残忍な行為を正当化させると。これは、一義的にはアフリカ系アメリカ人としての視点からの言葉だと思いますが、ガザの問題のように、いま私たちが目の当たりにする世界の様々な問題にもリンクするように感じます。タイトルに込めたメッセージが、自分の想像していなかった、より広い意味で理解されることについて思うことはありますか?

Kassa: まず自分が音楽に取り組む時、そこには何かしらのインスピレーションがある。それはごく個人的なものかもしれないけれど、そこから生まれる作品は、普遍的で時代を超越するようなものにしたいと思って制作しているよ。作品を発表して数年後に何かが起きたとき、聴き返す価値があるようなものをね。つまり、過去に起こったこと、現在起こっていること、そして未来に起こることを物語りたいと思っているんだ。

先日、家族と話している時に、ヨーロッパ中心主義的な文化や、階級、人種、その他いろいろなことについて激しい議論になった。そして結局、僕は「抑圧」に抵抗しようとしている、という結論に行き着いたんだ。抑圧はさまざまなレベルで存在する。国家同士のようにすごく巨大な力が関わるものから、より小さなレベル、例えば家族の中や、マクドナルドでの店長と従業員の関係性に至るまで。どこにだって独裁者のように振る舞う人はいるからね。

だからこそ、人生に対する別の見方を提示するような作品を作ろうと思っている。それと同時に、聴く人がどんな状況にも当てはめることができるよう、透明性やわかりやすさも大切にしているよ。僕の音楽が、なんであれ大変なことを経験している人に、立ち上がるための力を与えられたらいいなと願いながらね。それから、自分自身が抑圧的に振る舞っていないかを考えることも大切だと思っている。自分から離れた物事に対してあれこれ言うだけじゃなくて、自分のことも省みないとね。誰が誰を抑圧しているのか、見分けるのが難しいケースも多い。まあ、善悪をジャッジするのは僕の仕事ではないから、ただ自分が正しいと思うことをするだけだよ。

–それに関して、Tomokiさんは何か思うところありますか?

Tomoki: 確かに、「動物」という言葉は、誰かが他の人の人間性を奪うような場面で使われていると思いますし、それはパレスチナの問題や、数年前のジョージ・フロイド事件やブリオナ・テイラーへの銃撃事件など見ても明らかだと思います。出来事としては、軍隊や警察官が市民を殺害していることだと言えるけれど、その内実を見てみれば、要は人間が、別の人間の命を奪っているということ。本当は命を奪っている側こそ「野獣」を抱えていると僕は思います。とは言え、人間というものの内側にはそれぞれ「内なる野獣」がいて、それを顕在化させるのか、制御するのかの違いなのかなとも思いますね。

音楽を文脈から解き放つこと

–「抑圧」への抵抗という点で言うと、Tomokiさんは別のインタビューで、アフリカ系アメリカ人にとって、フリージャズやヒップホップは、自分たちを抑圧するものや白人中心の社会が作り上げたものから解放されるための手段だったし、今もそうあり続けていると言っていましたよね。

Tomoki:あくまで個人的な解釈ですけど、僕にとってフリー・ジャズは、ジャズという言葉そのものを解放することでもあります。ジャズという言葉が嫌いだと言う人もいるかもしれないし、良いイメージを持っていない人も多いかもしれない。フリー・ジャズは、でたらめな音、でたらめなタイミング、もしくは思いつきのメロディーを演奏するものだと思っている人もいると思う。でもそれは、フリー・ジャズという言葉を説明する上では全く本質的な部分ではなくて。ぼくにとってのフリー・ジャズは、いろんな意味で自分自身を解放することであり、自分らしさや、アーティストとしての楽観的価値観を受け入れる自由さを身につけることなんです。

–なるほど。Kassaさんはそのようなフリー・ジャズ的なマインドセットを体現していると思いますか?

Tomoki:それは間違いないです。彼はブラック・ミュージックそのものを体現していると思います。ツアー中、彼はアンダーグラウンドヒップホップから、僕が聴いてこなかったジャズの名盤まで、音楽をたくさん教えてくれて、僕の音楽の関心の幅も広がったので感謝しています。

–Kassaさんはそれを聞いてどうですか?

Kassa: そうだね。自由(free)っていうのは、社会を成り立たせている文脈から自分を解き放つことじゃないかなと思う。あくまでこれは僕の個人的な意見だけど、音楽ジャンルっていうのは、アメリカの白人文化や、ヨーロッパの白人文化の文脈の中で作られてきたものだと思う。その文化の中で、「この黒人たちが作った音楽を何と呼ぶか?」っていう思案のもと、ある音楽は「ジャズ」と名付けられ、また別の音楽は「ヒップホップ」と名付けられた。でもそれって、文化に枷(かせ)をつけているようなものじゃないかと思う。つまり文化を時代や、特定のスタイルで縛り付けているだけなんじゃないかって。

–おっしゃる通りだと思います。

Kassa: それに対して、ディアスポラ的な性質を軸にして、これらの異なるジャンルをブラック・ミュージック、あるいはアフリカン・ディアスポラ・ミュージックとして、互いに結びつけることができたら、「Aというジャンルは絶対にAで、他のものにはなりえない」というジャンルの束縛から音楽を解き放つことができるんじゃないかな。これは世代間の断絶にも似ていると思う。つまり、孫、母親、祖父、叔父、叔母、いとこ、これらすべての人々が同じ空間に一緒にいれば、個々のパワーは統合されて、倍増する。でも、もしその人たちが1人ずつ100個の小さな空間に分断されていたとしたら、各々がただの単一な存在に過ぎないということになるよね。

そんなふうに分断された考え方で僕の音楽を聞くと、僕はただのラッパーで、何千と存在する他の要素とのつながりなんて意識せずに、ただドラムを叩いている奴ってことになってしまう。だからこそ、「僕にとっては明白だけど、他の人たちにとってはそうじゃないような音楽的なつながりを、作品を通していかに見せられるか」という問いは、自分が音楽を作る上でのモチベーションの1つでもある。それで最初の話に戻って、「どうすれば文脈から抜け出せるのか?」と考える。「僕は、既存の文脈の中で、自分以外の存在として定義されることなく、ただそれ自体として存在することはできないのか?」と。でも、こうやって話し始めると堂々巡りになってしまうし、話している僕自身も混乱してしまうから、結局は黙々と作品を作って、その作品自体に語らせる、っていうやり方のほうが好きかもしれないね。

–なるほど。ちなみに先ほどツアー中にTomokiさんはKassaさんからアンダーグラウンド・ヒップホップを色々と教えてもらっていたと言っていましたが、どんなアーティストを教えてもらったんでしょうか?

Kassa: さあTomoki、勉強の成果を披露する時だね。アンダーグラウンド・ヒップホップの名盤20選を挙げなさい(笑)

Tomoki: (ビートボックスをしながら)Kassaに教えてもらった曲のこのビートがずっと頭から離れないんですよね。

Kassa: それはSchoolly Dだね!フィラデルフィア出身の元祖ギャングスタ・ラッパーだよ。NWAやIce-Tにも影響を与えた人物。

Tomoki:そうそう。Schoolly DはKassaから教えてもらったラッパーの中でも印象に残っているアーティストです。他にも、主に90年代初期から90年代中期のヒップホップを色々と教えてもらいました。そのあたりを知ることで、改めてヒップホップ文化とは何たるかを深く知ることができた気がします。僕にとってのヒップホップのスタート地点は、Biggieや2Pacで、そこからA Tribe Called QuestやJay-Z、あとはKanye WestやThe NeptunesやTimbalandを聴いていました。僕は、それらの音楽のルーツはどこなのか、源流のようなものを知るのが好きなオタクなんですよね。Kassaは僕とは世代が違うし、子供の頃からヒップホップをたくさん聴いて育ってきた人。彼が聴いてきた音楽は、僕に取っては知識として欠けていた部分だったので、完全に勉強モードで、ヒップホップの源流に近い音楽をたくさん吸収させてもらいました。

Make My Way Back Homeの問い

Kassa Overall – Make My Way Back Home (feat. Nick Hakim & Theo Croker) [Official Video]

–『ANIMALS』に収録されている『Make My Way Back Home』についてお聞きします。最近個人的に、Eric B. & Rakimの『In The Ghetto』という曲を聴き返していて、この中で「It ain’t where you’re from, it’s where ya at(どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ)」というパンチラインがあるんです。それと対照的に、Kassaさんの『Make My Way Back Home』は、「別に家に帰ったっていいんだよ」というタイトルにも現れているように、人の弱さや繊細さを受け入れていて、まさに今の時代のヒップホップという感じがしました。それも、先ほどおっしゃっていた「抑圧」に抗うことにつながるのかなと思ったんですが、どうですか?

Kassa:なるほど。考え方がより現代的に進化したんじゃないかってことだよね?確かに、より繊細な物言いにはなっているね。でも、この曲のリリックをよく聞くと、「You could cry to your mama, but she don’t want no drama (母親に泣きついたっていい。でも、母親はドラマを望んではいない)」と言っているよね。確かに繊細な物言いにはなっているんだけど、結局のところErik B.とRakimの曲と同じメッセージを歌っているんだよ。つまり、「自分の世話は自分でするんだ」ってこと。その後の「I’ve been washin’ on my karma, got me working like a farmer(自分のカルマに向き合い、そのために農民のように働いた)」っていうリリックも同じだよ。わかるだろ?家が恋しくなったり、親のいる家に帰りたいと思ったりすることもあるだろうけど、実際のところ、世界は僕のことなんて大して気にもしていない。自分でレベルアップしなければならないってこと。

Erik B.とRakimの「どこから来たかじゃねえ。どこにいるかなんだ」っていうリリックには二重の意味があって、実際の場所というよりは精神性の話をしているよね。つまり、精神的な面において、どこからスタートしたかは重要ではなく、どこまで自分を高められたかが重要だってこと。だからどちらの曲にしても、自分を向上させないと始まらないよね、っていう話をしているんだよ。

–なるほど。ありがとうございます。ちなみにTomokiさんは文字通り日本の家に帰ってきたわけですけど、この曲に特に感じ入る部分はありますか?

Tomoki: 実は家にいる間、この曲をずっと聴いていました。今回のツアーで実家に帰って、1年ぶりに母に会ったんです。僕がKassaのツアーにも参加していることを、母はとても喜んでくれました。今回の来日を通して、母には僕の新しい一面を見せられると思いますし、自立した大人の姿を見せたいとも思っています。そういう意味で、この曲が自分の今のライフステージに共鳴する感覚はあります。日本にいられる期間は短いから「もう少しここにいたいよ」と母に泣き言を言うこともできるけれど、そこから成長する必要があるとも思っています。繰り返される物事や、懐かしく心地よいと感じるようなものを断ち切らないといけないなと。ある程度の年齢になって自立心が芽生えたら、誰かの子供であることに甘んじるのではなくて、自分の世話は自分で見られるようにならなきゃいけないんだと思います。

Kassa: そうそう、この曲にこめたメッセージはまさにそういうことだよ。

Pharaoh Sandersへの思い

–ご家族の話が出たので、もう少しだけTomokiさんにうかがいます。父親であるPharaoh Sanders氏が2022年に亡くなったことは、音楽ファンにとっても悲しい出来事でしたが、Tomokiさんが息子として経験した悲しみは想像を絶するものだと思います。話せる範囲で、お父様との時間について話してもらえますか?

Tomoki:父は、2022年のWe Out Here Festivalで一緒に演奏した数週間に亡くなりました。僕は最期の日まで、父のそばで身の回りの世話をしてきたので、彼を目の前で看取ることができたんです。もちろん亡くなってすぐは現実を受け入れるのがとても辛かった。2022年の後半から2023年の初めにかけて、まるでひどい悪夢を見ているかのようでした。でも時間が経つにつれて、痛みを経て少し強くなった実感もあるし、学びもありました。彼が亡くなったことで、僕の楽観的な考えを失ったり、自分という人間がわからなくなったり、あるいはこの世界で自分がやるべきことを見失ってはいけないし、そうならないための方法を見つけなきゃいけない。僕にとって父の音楽を聴いたり、演奏したりすることは、彼をただ懐かしんで思い出に浸ることではなく、彼がどんな人物であったかを改めて噛みしめる、ある種の癒しのようなものなんです。

–ありがとうございます。Pharaoh氏とのつながりで言うと、Lil BやShabazz Palaces、Francis and the Lightsをフィーチャリングに迎えた『Going Up』は、その楽曲の複雑さや完成度もさることながら、Pharaoh氏がトンネルの中で『Kazuko』を演奏している映像へのオマージュが含まれている感動的なMVも印象的でした。映像を制作したNoah Porter(ノア・ポーター)長年のコラボレーターですが、それぞれの曲のビデオはどのように作っているんですか?

Kassa:一緒に何かを作る上では、信頼関係が重要だと思っている。僕が作品を制作しているとき、一緒に仕事をしている人たちは僕が具体的に何をしているのかわかっていないことが多いんだ。まあ、単に作品作りの進め方が違うだけかもしれないね。だから、コラボレーターから「君がやりたいことってこういうこと?」みたいな感じで確認されることが多いんだ。僕は大抵「そうそう、そんな感じ。」と答えるんだけど。

つまりここで言いたいのは、僕も他の人たちと一緒に仕事をする方法をちゃんと学ばなければならないということ。僕は、Noahのようなコラボレーターと一緒に仕事をしているとき、彼らの持っているビジョンをちゃんと把握していないことが多い。彼らが僕のやっていることを理解していないようにね。とは言え、彼の仕事ぶりは理解しているし、彼が何を見て、どういう能力があるかはわかっている。要は信頼関係の問題なんだ。彼と一緒に仕事をするのはとても勉強になるし、毎回、最終的に出来上がる作品は、自分ひとりでは思いつかないようなものばかりだよ。だから、彼との仕事は大好きなんだ。

Kassa Overall – Going Up (ft. Lil B, Shabazz Palaces, Francis and the Lights)

–ではトンネルでの撮影も彼の提案なんですね?

Kassa:そうだね。曲に参加してるLil BもMVに出てもらいたくて結構長いこと調整したんだけど、結果的に参加できなかったのはちょっと残念だったけどね。

日本文化のレイヤー

–ちなみにPharaoh氏は、初めて触れた日本文化から受けた感銘を表現した美しい楽曲『Japan』を発表していますね。

Tomoki:確か、父はJohn Coltrane(ジョン・コルトレーン)との日本でのギグの後にあの曲を書いたはずです。父にとって最初の海外公演が、Johnが亡くなる1年前に行った彼の最後の日本ツアーで、父はその時26歳でした。父は、初めて乗った0系新幹線の中で、あの曲を書いたと言っていましたね。戦後の高度経済成長で盛り上がる日本で、ニューヨークや彼の故郷であるアーカンソー州リトルロックでは見ることのできない、まったく新しい世界を目の当たりにして、未知のことをたくさん経験したんだと思います。だからこの曲自体が、彼の日本での経験を、写真を撮るような感覚で記憶したものなんだと思います。僕も日本は好きだから、この曲を書いた父の思いは理解できますね。

–Kassaさんは、日本にたくさんのファンを抱えていますよね。

Kassa:そうだね。ファンの数で言ったら、アメリカより日本の方が多いかもしれないね。

–それは日本文化とKassaさんの音楽の相性が良いということなんでしょうか?Kassaさん自身は、日本文化にはどんな印象を持っていますか?

Kassa:実はさっき朝食をとったレストランが、現金払いのみだったんだ。そしたらバンドメンバーの1人が、「日本は未来のテクノロジーの国じゃないのか!なんで現金だけなんだよ!」って嘆いていたよ(笑)。

それで僕が思ったのは、どんな文化だって一枚岩じゃないってこと。そうだろ?東京はまるでスター・ウォーズの世界のように近未来的だけど、日本には、そういったテクノロジーと同じくらい、伝統的で有機的なエネルギーがある気がする。それは、僕の音楽のあり方にも似ている気がしていて、その部分が日本でたくさんの人が僕の音楽を聞いてくれている理由なのかなと思うことがある。僕の音楽はエレクトロニックでグリッチ的で奇妙だけど、すごく有機的でもあって、その両方が一緒になっている。うーん、言いたいことをいちから説明すると、とんでもなく長くなっちゃうな(笑)。今話したのは、ほんの前置きなんだ。

–全部話してくれて大丈夫ですよ(笑)

Kassa:まあ要約して言うと、あらゆる文化は何層にも折り重なった層になっているということ。そして日本文化に関して、僕はまだ、その層の表面に触れただけだと感じている。日本に滞在していて良いなと思うのは、公園の中でも、街中でも、朝食の時でも、とても静かなところだね。それは、僕の好きなレコードの音にも似ていて。僕は、繊細で、収録された時の「空気」が聴こえるようなレコードが好きなんだ。だから、そういう要素を持ち合わせたレコードをディグっているんだよね。

それから、日本で生まれたスピリチュアルな要素にも若い頃からずっと惹かれていた。瞑想とかね。でも、これらはすべて表面的なものに過ぎないということも理解している。だから、日本でこういった事象が起きている理由や、この両極的な要素がどこから生まれてくるのかをもっと深く知りたい。でもTomokiは、この日本の「静けさ」を、僕ほどは好きじゃないんじゃないかもしれないね。Tomokiはいつもアゲアゲだから、「こんな静かな場所は我慢できない」ってなるんじゃないかな(笑)僕はどんな文化も好きだけど、独特な特徴がある日本の文化にはとても興味があるし、もっと深く知りたいと思っているよ。

–なるほど。Kassaさんの音楽の多面的な部分が、日本で多くのファンを惹きつけている理由という分析は面白いですね。

Kassa: 何年か前、まだ今のように多くのファンがいなかった時、「僕は日本では有名なんだぜ!」ってよく冗談で言っていたんだ。SoundCloudとかに曲をアップして、「知らないのか?この曲は日本で売れてるんだぜ?」っていう感じでね(笑)まあ、正確にはわからないけど、僕の音楽は日本と相性のいい多面性を体現しているのかな。それでこうしてツアーに来られているんだから、日本のファンには感謝しているよ。

場所を言い訳にしない方法

–Kassaさんに日本の「静けさ」があんまり好きじゃないんじゃないかと言われていましたが、Tomokiさんは日本とアメリカ、どちらが自分らしくいられると思いますか?

Tomoki:比べるのは難しいけれど、状況によりますね。僕が拠点を置いているニューヨークは、夜中にジャムセッションに出かけたりできるし、そういう自由なライフスタイルを楽しめる場所です。一方で日本にはニューヨークにはない良さがありますね。安全だし、平和で穏やかな環境があるし、人もみんな礼儀正しいし。今回は、1ヶ月日本にいるけれど、母に会ったり、温泉に行ったりして、とても癒されました。そして、僕の地元である水戸市のスタジオにも行って、毎晩レコーディングをしたり、オーナーに70年代のラテン音楽や、アフリカ音楽のコンピレーションCDを聴かせてもらったり。でも同時に、僕は忙しく動き回っていたい人間なので、そういう部分は日本よりもニューヨークが合っているなと感じます。

–それに関連して、Kassaさんは、シアトルやニューヨークを行き来する生活をしていると思いますが、移動が多い生活の中で心地よい時間を過ごすために心がけていることはありますか?

Kassa:2013年から2016年くらいにかけて、Dee Dee Bridgewater(ディー・ディー・ブリッジウォーター)やTheo Croker(セオ・クロッカー)と一緒に、常にツアーをしているような生活を送っていた。その時は、日課や朝のルーティンを持つことに夢中で、どこにいたとしても、場所を言い訳にしない方法を模索していたんだ。だからまずはバッグいっぱいの本を持ち歩く代わりに、小さな電子書籍リーダーを買った。その中には、スピリチュアルな本から、瞑想的な自己啓発本、そしてどこでもできる運動法の解説本など、たくさんの本が入っていた。そんなふうに「何も必要としない」生活パターンを作り始めたんだ。次第に、居心地良く過ごすために必要なことは全てできるようになった。それからは自分がどこにいるかは問題ではなくなり、どのくらい時間があるか、という問題にフォーカスするようになった。それは音楽制作に関しても同じで、自分自身が音楽スタジオを「携帯」できるような方法を模索してきたんだよ。

–以前、自分自身を「バックパック・プロデューサー」と呼んでいましたもんね。

Kassa:そうだね。実は今朝も、ホテルでビートボックスをしていたんだ。そしたらガールフレンドがそのビートを気に入ってくれたから録音した。そのあと、一緒にジョギングに行くことになっていたんだけど、彼女は身支度に時間がかかっていた。だから彼女を急かす代わりに、録音したビートボックスを基にしてビートを作っていたんだ。

ビートボックスをやっていた時に、彼女がHerbie Hancockの『Watermelon Man』の冒頭のフレーズを歌っていたんだ。それが良い感じだったからサンプリングをして、ビートに合うようにスピードを上げ、少し音数を減らした。(録音したビートを流しながら)こんな感じにね。概して言えるのは、アイデアを得るためには様々なテクノロジーが必要で、スタジオに入ってあれこれ作業をしなきゃいけないと思うこともあるけれど、「速さ」が最良のテクノロジーってこと。より良いクオリティを追求するのは重要だけど、すぐに動き出せるってことが何より大切なんだ。おっと、どんどん話が逸れてきちゃったね(笑)

–いえいえ。面白いお話をありがとうございました。最後に日本のファンに何か伝えたいことがあればどうぞ。

Kassa: 僕の音楽を聴いてくれてありがとう。もし僕が作った作品を気に入らなかったとしても、僕は1人の人間で、常に成長し、変化し続ける人間であることを忘れないで。そして、やりたいことがある人は、それがたとえ他の人に認められなかったとしても、自分がいいと思うのならそれを追求してほしい。

Tomoki:じゃあ最後は日本語で話しますね!カッサ兄さんの素晴らしい音楽を聴いてくれているみなさんに感謝しています。これからもカッサ兄さんの音楽を楽しんでください!今後ともよろぴくー!

Kassa: ん?Tomokiはなんて言ったんだ(笑)?

Photography Mayumi Hosokura
Special thanks Miho Harada

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「クリエイティヴであることは自分らしくあること」後編: デザイナーのエイリーズ・モロスが語る日本文化、トランスジェンダー、政治意識 https://tokion.jp/2023/06/30/interview-aries-moross-part2/ Fri, 30 Jun 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=192118 イギリス人デザイナー、エイリーズ・モロスへのインタビュー。後編では、日本文化に対する認識や、LGBTQIA+やクィア・コミュニティをエンパワーし続ける理由を語る。

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6月は欧米をはじめ多くの国で「プライド月間」とされ、LGBTQIA+の権利について啓発を促すイベントが数多く開催される。プライド月間のルーツは、1969年6月28日にニューヨークのゲイバー、ストーンウォール・インへの警官の踏み込み捜査をきっかけとした、ストーンウォールの反乱(権力によるLGBTQIA+当事者への迫害に立ち向かう抵抗運動)に遡る。以来、多くの当事者、研究者、活動家達がLGBTQIA+コミュニティの権利向上のため、多大な時間と労力を費やしてきた。

イギリス出身のデザイナー、エイリーズ・モロスもその1人だ。手書きのイラストやレタリングを盛り込んだエネルギッシュなデザインワークで若くから頭角を現したエイリーズは、音楽業界でのクリエイティヴ・ディレクションを中心に、数多くのビッグプロジェクトを成功させてきた。また性別適合手術を経験したトランスジェンダー当事者であり、自身のデザインスタジオ、スタジオ・モロスの経営者でもあるエイリーズは、作品を通じた社会への働きかけ以外にも、オピニオンリーダーとしてLGBTQIA+コミュニティに関する啓発や、クリエイティヴ業界の労働環境向上のために、さまざまな場面で講演を行っている。

日本でのプロジェクトの他、シンガーのAIとのコラボレーション、2匹の柴犬のオーナーでもあること等、日本文化との繋がりも強いエイリーズに、自身の生い立ち、クリエイティビティの源泉、日本に対する考え、そして政治的な発信をする理由まで、あらゆることを聞いてみた。後編では、日本文化へのリスペクト、LGBTQIA+コミュニティをエンパワーし続ける理由、そしてグローバル化がもたらす影響について語ってくれた。

記事の前編はこちら

エイリーズ・モロス
クリエイティ・ディレクター、イラストレーター、デザイナー。2007年、ロンドンのインディーズ音楽シーンにおいて、手描きのイラストをあしらったフライヤーでキャリアをスタートさせ、2008年にはバイナル専門のレーベルを設立。2012年にデザインスタジオのスタジオ・モロスを設立した。音楽業界と密接な関係を保ちながら、アートやクリエイティヴ・ディレクションの領域にも進出。ポップアーティストからDJまで、さまざまなクライアントのクリエイティヴ・ディレクターを務め、アルバムのキャンペーンからライヴまで、あらゆるプロジェクトを手掛ける。主なクライアントにはカイリー・ミノーグ、H.E.R.、ディスクロージャー、スパイス・ガールズ、ジェシー・ウェア、ロンドン・グラマーなどがいる。また、ショーディレクターとして、ディスクロージャー、ロンドン・グラマー、カイリー・ミノーグのライブのディレクションを担当している。
https://www.ariesmoross.com
https://www.instagram.com/ariesmoross/
https://www.studiomoross.com

期待に応えてくれる日本文化

−− 小田原の江之浦測候所を訪れてドローイングを描かれていましたね。あの場所は気に入りましたか?

エイリーズ・モロス(以下、エイリーズ):今まで訪れた場所の中でも一番と言えるくらい美しい場所でした。とても深遠な場所だと感じましたし、天気もすごく良かったのでラッキーでした。あの場所こそ、自分が欲していた場所という気がしたんです。水や空、そして石を見たかったから。そこでみかんも食べましたね。

−− いいですね。エイリーズさんは日本文化のファンでもいらっしゃいますね。どのようにして興味を持つようになったのですか?

エイリーズ: The Bee’s Knees Inc. とはもう10年来の付き合いで、日本に来るのはこれで5、6回目ですね。私が思う日本文化の素晴らしさ、そして敬意を抱く理由は、こちらが期待していることに応えてくれるというところに尽きます。イギリスでは、「期待VS現実」というジョークがあるくらいですから(笑)。だけど日本では、体験の質、食べ物の味、ものの作り方、必要なものへの配慮、公衆トイレの使い方に至るまで、期待が裏切られないんです。日本人は、人間の経験とは何かを考え抜き、ファンタジーの次元にまで経験、物、食べ物、もの作りの質を高めることが重要だと認識しているんじゃないでしょうか。だから、体験として訪れるだけでも日本は楽しくて。

ただそれだけではなく、ここで一緒に仕事をしてきた人達とは、深くて強い友情、つながり、そして相互の感謝の気持ちがあることに気付きました。先週も友人のところに遊びに行って、実りのある会話ができたんです。そもそも、外国人がどこかの国に訪れたとして、忙しい生活や仕事がある現地の人が、わざわざ時間を割いて会いに来てくれて、話をしてくれることは本当に稀なことです。さらに、その出会いの中から何かが生まれるのは、お互いが同じ意思を持ち、お互いのことを大切に思っているからこそのこと。資本主義の世界において、相手を思いやり、一緒にものを作ろう、良いものを作ろうという気持ちを持てることは、本当に稀有なことだと思います。私は、他のどの国よりも、日本でその感覚を感じるんです。

−− とても興味深いです。お客さんの期待に応えるという点で、日本が優れているのは私も同感です。でも個人的には、この完璧さの裏には何か良からぬことがあるんじゃないかという不安を感じることもあります。

エイリーズ:私の日本文化に対する認識は、とても表面的なものだという自覚はあります。私は日本人ではないので、日本人であるとはどういうことかを理解しているわけではないですが、ビジネスで日本と関わっている1人として、そう感じるんです。ただ、もちろん、そこには何層にもレイヤーがあると思いますし、それがどんなものかはわからないのでコメントは控えておきます。しかし、クィアの人々、あるいはLGBTQIA+の人々にとって、もちろん日本には課題があると思いますし、その1人としてここに来た私でさえも難しさを感じることがあるのは事実です。でも、家父長制や社会のルールなど、抑圧的なシステムのもとで、自分らしく生きられていない人達のために、グローバルにできることはたくさんあると思っています。それが、私が仕事を通じて熱意をもって取り組んでいることです。

政治的な発信をする理由

−− 今のエイリーズさんのコメントにもつながりますが、エイリーズさんがトランスジェンダーであること、あるいはクィアであることが、ご自身の仕事に大きな影響を与えていると以前おっしゃっていましたね。具体的な例を教えていただけますか。

エイリーズ: LGBTQIA+をテーマにしたプロジェクトや、テレビ番組、LGBTプライドに関連するプロジェクトでは、クィアやトランスが主導する会社と協力して制作することが推奨されるようになってきていますからね。だから夏になると、そういうプロジェクトを一緒にやりたいという電話がたくさん舞い込みます。作品の真正性を担保したいという思いがあるんでしょう。その点、私のスタジオはクィア主導の組織なので、クィアやトランスジェンダーの社員がたくさんいます。例えば、英国映画協会(BFI)が主催する「BFI Flare」というロンドンのLGBTQIA+映画祭の、タイトルやアートワークを含む全体のクリエイティヴを担当しています。このプロジェクトは、毎年、クィアの人達で構成されたチームで作っています。他にも「ル・ポールのドラァグ・レース」のタイトルシーケンスや、「Viacom」や「MTV」のトランスジェンダーに関する大きなプロジェクトも手掛けています。

また一般的にも、プロジェクトに携わるチームを多様化させたいという要望は強くなっています。いまや大企業は、どのような属性の人達と仕事をしているのか、ある程度のアカウンタビリティーを果たさなければならないわけです。私のチームは、ある意味で社会的に周縁化された人たちが集まって作品を作っています。だからこそ企業は私たちと仕事をしたいと思うんでしょうね。

−− クリエイティヴな仕事と並行して、エイリーズさんはLGBTQIA+コミュニティのエンパワーメントやクリエイティヴ業界の労働環境について、さまざまな場所で講演を行っています。そのようなことをオープンに話すようになったきっかけは何ですか?

エイリーズ:仕事において、真に自分らしくあることは重要だと思っています。私が尊敬する人、歴史上尊敬してきた人達は、たとえ自分のアイデンティティが、その当時の政治的正しさや、受け入れられているものと対立したとしても、それを貫いてきました。また、年長者である私が、たとえ他の人と違っていたとしても、こうした業界で成功することができること、たとえ困難があっても、女性として、トランスジェンダーとして、クィアとして世界を引っ張っていけるんだと、ロールモデルや手本を示すのは重要だと考えています。それは、後続の人達にとって、自分もできるというモチベーションや信念につながるからです。

また、この業界も他の業界と同じように失敗を犯してきたことも事実です。だからこそ業界全体を改善したいとも思っています。低賃金とか、職場での人種差別とか、改善や発展が必要な領域はまだあります。私は、この業界での認知度も高く、敬意を集めているという特権を持っています。だから、その立場を生かして、こうしたことに意識が向いていない人、あるいはもう少し学ぶ必要がある人達を教育し、知らせる機会に恵まれているんです。

でもまあ、これが私の性格と言ってしまえばそれまでですね。だから隠すことはできないんです。自分の発言によってプロジェクトを失うこともありますよ。でも、それが自分の選んだ道ですし、逆にそれがきっかけでプロジェクトを獲得することもあります。良い面もあるし、そうでない面もあるという感じです。

−− ご自身の発言で、プロジェクトを失ったことがあるんですか?

エイリーズ:ええ、政治的な発言をする人達とは手を組みたくないと思うブランドもいるということです。また、私のアイデンティティを理由に私と仕事をしないクライアントは、今も将来もいると思いますよ。特に私がトランスジェンダーであることを公表してからは、国際的なコラボレーションのオファーが減ったように感じています。というのも、国際的なビッグブランドは、大きなコラボレーションに対してより神経質になる傾向があるからです。ゲイであることがまだ違法である国も依然としてあるので、別の地域や国で問題を起こさない人と仕事をしたいんでしょう。

公平なコミュニティを目指して

−− 以前の講演では、ご自身のスタジオにトランスジェンダーを巡る指針があるとおっしゃっていましたね。その中で、性別適合手術をした人には2週間の休暇を与えていることに驚きました。もちろん、日本の企業の大半は、そのような規定を設けていません。上司として、従業員のために公平なポリシーを策定することについて、考えを聞かせてください。

エイリーズ:イギリス企業の大半にもそんな規定はないですよ。しかし、私は職場をより良く、より安全にしたいし、より人々をサポートするために、多くの時間を使って職場規定を書いています。特に、子どもがいる人に対するポリシーは素晴らしいんです。例えばイギリスでは、子どもを持つ父親であっても、2週間しか育児休暇をもらえないことが多いんです。これは女性が子どもを産んだら1年間は働かないという前提に基づくもので、だからこそ女性は職場で弱い立場に立たされます。この規定は女性にも男性にも不公平ですし、男性でも女性でもない人達にとっても不公平が生まれます。そこで、性別やセクシュアリティに関係なく、すべての人にとってより良い慣行を実現するために、新しい規定を導入しました。そして、おっしゃる通り、トランスジェンダーで処置が必要な場合は仕事を休むことが許されるべきです。これは足を骨折した人が休暇を許されるのと同じです。何か問題を抱えていたり、自分のために取り組むべきことがあれば、それに集中するために仕事を休むことが許されるはずです。

−− エイリーズさんは、みんなの理想の上司ですね! また、そういう規定を作るのは、創意と工夫が必要な作業だと思います。

エイリーズ: そういう領域に取り組むのも、他の仕事と同様にクリエイティブだと思いたいですね。私は勤務時間の大半を、スプレッドシートを作ることに費やしています。つまりそれは、お金や時間、ケアや規定について常に考えているということ。そういった仕事は、美大に通っている人にとってはあまり興味が湧かないことかもしれません。でも私にとっては、それがこの仕事の醍醐味でもあり、とてもクリエイティブな仕事だとも思っています。決してわかりやすく目に見えるものではないけれど、スタッフと一緒になってより良いものを作ることで人々の生活に大きな影響を与えるものです。

−− 日本では多くの企業がLGBTQIA+アライを宣言しているにもかかわらず、大多数のLGBTQIA+の人達は、会社には彼等をサポートする具体的な規定や制度が十分ではないと感じているようです。何かアドバイスやメッセージはありますか?

エイリーズ: 何より重要なのは、LGBTQIA+の人達を差別しないこと。会社の人たちは、彼らのアイデンティティを理由に、その人達を差し置いて他の人を優遇すべきではありません。私達はLGBTQIA+のリーダーやマネージャー、権威のある人をもっと求めています。あらゆる属性の人達を1つにして、社会の実情を象徴するようなものを作っていかなきゃいけないと思っています。日本の社会の状況はわかりませんが、イギリスでは今、人口のうち多くの人がLGBTQIA+であることを自認しています。だから、そういう人達が管理職や指導的な立場に就くこと、ただそのポジションにいるということが重要なんです。長いプロセスではあるんでしょうけどね。

でも、その点でグローバル化は良い影響を与えるかもしれません。もちろん、グローバル化にはネガティブな影響もあります。私達は、グローバル化された世界の中で、文化やコミュニティ、社会、そしてコミュニティの中で作り上げてきたものの独自性を守る必要があります。しかし、グローバルなクィアコミュニティとして、他の国よりもうまくいっている国から学ぶこともできます。言ってみれば「問題意識の可動化」ということでしょうか。その視点は、いま差別されている社会で生きている人達にとって、この世界に自分達の未来はまだあるんだとか、より安全だと感じられる場所があるとか、自分らしくいられる場所があるとか、そんなことを信じて前向きでいられる材料になるので、役に立つと思っています。とは言ったものの、自分らしくいることの難しさは痛いほどわかっているつもりです。私は、自分が何者なのかを理解するのに30年はかかりましたから。でも、やっと自分らしくいられるようになった。それが何よりも大切なことです。

−− 貴重な洞察と経験を共有していただき、本当にありがとうございました。エイリーズさんの視点は、日本のクィアコミュニティだけでなく、クリエイティヴな仕事を目指すさまざまな人にとっても、間違いなく参考になり、刺激になるはずです。

エイリーズ:どういたしまして。日本の読者が楽しんでくれるといいですね!

Photography Yoko Kusano
Styling Megumi Yoshida
Special thanks Risa Nakazawa(The Bee’s Knees Inc.)

シャツ ¥48,400/sacai(sacai 03-6418-5977)、その他私物

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「クリエイティブであることは自分らしくあること」前編 : デザイナーのエイリーズ・モロスが語る自分自身と作品スタイル、デザインの仕事 https://tokion.jp/2023/06/30/interview-aries-moross-part1/ Fri, 30 Jun 2023 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=192094 イギリス人デザイナー、エイリーズ・モロスへのインタビュー。前編は、エイリーズのアイデンティティ、創作活動の秘密、そして仕事としてのデザインについて。

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6月は欧米をはじめ多くの国で「プライド月間」とされ、LGBTQIA+の権利について啓発を促すイベントが数多く開催される。プライド月間のルーツは、1969年6月28日にニューヨークのゲイバー、ストーンウォール・インへの警官の踏み込み捜査をきっかけとした、ストーンウォールの反乱(権力によるLGBTQ+当事者への迫害に立ち向かう抵抗運動)に遡る。以来、多くの当事者、研究者、活動家達がLGBTQIA+コミュニティの権利向上のため、多大な時間と労力を費やしてきた。

イギリス出身のデザイナー、エイリーズ・モロスもその1人だ。手書きのイラストやレタリングを盛り込んだエネルギッシュなデザインワークで若くから頭角を現したエイリーズは、音楽業界でのクリエイティヴ・ディレクションを中心に、数多くのビッグプロジェクトを成功させてきた。また性別適合手術を経験したトランスジェンダー当事者であり、自身のデザインスタジオ、スタジオ・モロスの経営者でもあるエイリーズは、作品を通じた社会への働きかけ以外にも、オピニオンリーダーとして、LGBTQIA+コミュニティに関する啓発や、クリエイティブ業界の労働環境向上のために、さまざまな場面で講演を行っている。

日本でのプロジェクトの他、シンガーのAIとのコラボレーション、2匹の柴犬のオーナーでもあること等、日本文化との繋がりも強いエイリーズに、自身の生い立ち、クリエイティビティの源泉、日本文化に対する考え、そして政治的な発信をする理由まで、あらゆることを聞いてみた。前編は、自身のルーツやクリエイターとしてのスタイルについて。写真家の草野庸子が今回のインタビューのために撮り下ろしたエイリーズのポートレートも合わせてご覧いただきたい。

エイリーズ・モロス
クリエイティヴ・ディレクター、イラストレーター、デザイナー。2007年、ロンドンのインディーズ音楽シーンにおいて、手描きのイラストをあしらったフライヤーでキャリアをスタートさせ、2008年にはバイナル専門のレーベルを設立。2012年にデザインスタジオのスタジオ・モロスを設立した。音楽業界と密接な関係を保ちながら、アートやクリエイティヴ・ディレクションの領域にも進出。ポップアーティストからDJまで、さまざまなクライアントのクリエイティブ・ディレクターを務め、アルバムのキャンペーンからライヴまで、あらゆるプロジェクトを手掛ける。主なクライアントにはカイリー・ミノーグ、H.E.R.、ディスクロージャー、スパイス・ガールズ、ジェシー・ウェア、ロンドン・グラマー等がいる。また、ショーディレクターとして、ディスクロージャー、ロンドン・グラマー、カイリー・ミノーグのライヴのディレクションを担当している。
https://www.ariesmoross.com
https://www.instagram.com/ariesmoross/
https://www.studiomoross.com

さまざまな仕事を横断する理由

−− 本日はインタビューを受けていただきありがとうございます。日本では、エイリーズさんの作品を見たことがある人は多いと思うのですが、果たして何者なのか、具体的に知らない人も多いかと思います。簡単に自己紹介をお願いできますか?

エイリーズ・モロス(以下、エイリーズ):もちろんです。いろいろなことをやっているので、他の人からすると、個々の点を結びつけるのが難しいかもしれませんね。でも、それが私の働き方なんです。第一に、私はイラストレーション、グラフィック、プロダクト、テキスタイルなど、あらゆるイメージ制作やデザインを網羅的に扱うデザイナーです。それだけでなく、ミュージシャンや音楽ライヴ、アルバムリリースやフェスティバルのキャンペーンなどのクリエイティヴ・ディレクターとしても仕事をしています。そして、ロンドンでスタジオ・モロスというデザイン事務所を主宰していて、この形で11年前から音楽、テレビ、グラフィック、イラストレーション、ブランディングなどに携わる仕事をしています。いろいろなことをするのが好きなのですが、だからこそ、他の人からしてみて私が何を生業にしているのか理解できないのかなと思います。でも、それでいいんです。何より仕事を楽しんでいますから。それが一番大事なことかなと。ずっと同じことをやっていると退屈してしまうので。

−− 今回なぜ東京にいらっしゃったのか教えていただけますか?

エイリーズ: 私としては、日本で仕事をするのが楽しくて、この国で直接人に会うことが重要だと感じているんです。デジタル空間でオンラインミーティングやリモートワークが可能になったとはいえ、私は日本が好きだから来たいと思ったんです。だから、今まで一緒に仕事をしてきた人達や、これから一緒に仕事をする予定の人達に会いに行って、この国をもっと知るために来日したんです。だから仕事と休暇、半々ですね。

−− 直近の日本でのプロジェクトは何か教えていただけますか?

エイリーズ: はい、クリエイティヴ・エイジェンシーのThe Bee’s Knees Inc.とはもう長い付き合いです。日本国内のプロジェクトから、海外を巻き込んだプロジェクトまで、さまざまな形で一緒に仕事をしてきました。直近では、文具メーカーの「ミドリ」MIDORIが出しているMDノートの15周年プロジェクトに、15人のアーティストの1人として参加しています。

満足を知らない貪欲な幼少時代

−− エイリーズさんはどんな子どもでしたか? そして、その幼少期は今のあなた自身や仕事とどうつながっていると思いますか?

エイリーズ: 私は決して満足することのない、貪欲な子どもでしたね。ミニチュアのおもちゃで遊んだり、物を作ったり、絵を描いたりして、常に自分で自分を楽しませようという心持ちでした。本やドールハウスの家具など、思いつくものは何でも自分で作っていたし、絵や工作もたくさんしましたね。とにかくカオスで、遊びが好きで、クリエイティヴな子どもでした。そういうアウトプットをずっと楽しんできたんです。その部分は大人になってからも変わっていないですね。

−− なるほど。家庭の環境というのも、エイリーズさんにとって大きな要素だったのではないでしょうか? ご両親は、クリエイティブであるよう勧めてくれましたか?

エイリーズ: 母は、私が幼い頃からクリエイティブな刺激が必要だと認識していたようで、私の子守のために美大生を雇っていたんです。一日中子どもと一緒にテレビを見ているような普通のベビーシッターではなく、アート系の学生が、一緒に物を作ったり絵を描いたりしながら私の面倒を見てくれていました。そういう意味で、私は家族や両親から常にクリエイティブであるよう強く促されてきました。今自分は36歳ですが、私が若かった頃はクリエイティブな職種に就くのは、かなり覚悟が必要なキャリア選択であったため、今よりも目指す職業としては現実的でなかったかもしれませんね。私の両親は、よりアカデミックな出自でしたが、それでも私がクリエイティブな道に進むことを喜んでくれましたし、それを強く望んでもいました。だから、「数学や英語をやりなさい」とは決して言わず、デザインやアートを探求することを喜んでくれたのです。

−− おっしゃるようにエイリーズさんの作品は非常に多様なので、作品のスタイルを単純に定義するのは難しいのですが、それでもある種の一貫性はあります。手書きの文字やグラフィック、鮮やかで生き生きとした色彩が多く取り入れられていますね。そのスタイルを確立するために、大きな影響を与えたもの、人、経験などを具体的に挙げることはできますか?

エイリーズ: 若い頃は、いつもノートに無意味な落書きをしていましたね。絵を描くのも得意でしたが、レタリングはもっと得意でした。文章を書くこと自体は苦手だったけれど、文字や文章を扱うのはとても好きだったんです。それが、自分のクリエイターとしての強みを育むことにつながったのは間違いありません。常にイラストやレタリングを作品に取り入れてきましたし、それらの要素が、私のキャリアの大半を占めています。その世界に限界を感じ始め、もっといろいろなことをやってみたいと思うようになった時期もありましたが、やはりハンドメイドのような雰囲気が好きなんです。私の手書きの文字は、たくさんのブランドやプロジェクトに使われてきましたし、私の文字を、フォントとして借りたいというクライアントもいます。言ってみれば天性のものなので、仕事に生かさずにはいられないんです。

−− なるほど、おもしろいですね。キャリアの初期には、アニマル・コレクティヴやミステリー・ジェッツといった、当時インディペンデントだったバンドと仕事をしていましたね。そして今、あなたはメジャーレーベルからリリースしている著名なアーティストと仕事をされています。ご自身の音楽的嗜好は、クライアント選びになんらかの影響を及ぼしていますか?

エイリーズ: まず第一に、私の音楽的嗜好は、とにかく幅広いんです。そして私にとって必要なのは、アーティストと人間としてつながること。機械的でビジネスライクな関係だけでなく、彼らとのつながりがとても大切です。

ミステリー・ジェッツとは、実際にかなり密接に仕事をしました。アニマル・コレクティヴに関しては、あれはパーティのフライヤーでしたね。2007年から2008年にかけては、たくさんのフライヤーを手掛けました。でも、今の私にとっては、テーマやコンセプトと結びついて、アーティストから信頼を得ること、そして世界観を作るための余地があることが大事です。レコードやCDのパッケージ、グッズなど、アルバムの周りの世界観を構築するのが楽しいですね。あとは、オーディエンスが多くて、アウトプットの規模が大きいアーティストと仕事をするのが好きです。カイリー・ミノーグのようなアーティストに惹かれるのはそのためで、彼女は多作で、他のアーティストが1枚のレコードを作る間に、10枚はリリースしてしまうんですよ。

ライヴや家で聴けるレコード、ショップで買うTシャツなど、ファンがアルバムに接する機会をたくさん作ることができるのも魅力的です。それらすべてを縫い合わせるような形でやっていきたいと考えています。

「深み」よりも「射程」を重視

−− 大学時代に作品の「深さ」を重視しろとよく言われたけれど、ご自身は作品の「射程」に興味があったというお話をどこかでされていましたね。そのあたりをもう少し詳しくお聞かせください。

エイリーズ:はい、チューターにそう言われました。私はロンドンのキャンバウェル美術大学に通っていたのですが、そこではコンセプチュアルなデザインが良しとされていました。自分もそこに興味はあったのですが、ビジネスパーソンとしての目も持ち合わせていたんです。芸術的な活動やコンセプチュアルデザインは、そこまで商業的なものではないことは認識していましたし、私はデザインで生計を立てたい、自分の仕事にしたいと思っていました。だからより広範で商業的なデザインも楽しみ、評価するようになったし、それはそれでクリエイティビティの効果的な形だと思ったんです。コンセプチュアルなデザインほど知的ではないかもしれないし、研究者が論文を書くようなものでもないかもしれませんが、身近な存在であり、社会の中で役割を果たすことができますよね。だから私は、デザインの世界がある意味でもっと表面的であっていいと思うし、楽しくて、気楽であることがとても重要だと思います。とはいえ、大学で学んだことも私のデザインにおいてとても重要だったと思います。 例えば記号論は、物事の背後にある意味を理解する上でとても役に立ちました。でも私は学校では反逆児的存在でしたね。いつも独自路線を進んで先生達を困らせていました(笑)。

–(笑)。コンセプトやアカデミックな文脈が重視される大学の中で、多くの人に受け入れられる表現を選び、そこで学んだことを生かしながらデザイナーになり、その過程が現在の作品に反映されているんですね。実際にデザイナーやクリエイティヴ・ディレクターとしてプロジェクトに携わるのと、アーティストとして企業とコラボレーションするのとでは、どのような違いがあると思いますか?

エイリーズ:アーティストが特定の商業的なプロジェクトに携わる場合、自分の芸術家としてのブランドをプロジェクトに貸し出すことになります。しかし、私はプロジェクトから一歩距離をとって、自分の名前が必ずしもプロジェクトと結びつかない形で、よりクリエイティヴ・プロデューサー的な働き方ができます。だから私が何かを作ったり、その一部であることを人に知られることなく、物事に取り組むことができるという点で、より自由度が高いです。しかしそれだけではなく、ある製品やプロジェクトに対して、より表立った形で宣伝することも可能です。だからその両方ができるのは幸運なことです。一方、名前のあるアーティストは、何に対して自分の能力を貸すかについて、より難しい決断を迫られるんじゃないでしょうか。

— ということは、今は自分の名前がキャンペーンにクレジットされることに、こだわりはないということですか?

エイリーズ:そうですね。でも、キャリアをスタートさせた当初は、自分の名前を売ることがとても重要だったので、なんとも言えません。あの時は常に先走っていて、自分自身に対しても、業界全体に対しても、とにかく先を行こうとしていました。

それから、ロックスターのように一時的に人気を得たとしても、その時代は長くは続かないと悟ってはいました。イラストレーターの中でもほんの一握りの人は、大手ギャラリーや有名人に取り上げられ、作品が10万ドルで競り落とされるようなアーティストになったりもしますが、大半の人のキャリアはそんなに長くないんです。だから、単に名前を知ってもらうことはそこまで価値があることではなく、むしろ大切なのは、後世に残るような作品を作ること、活動を続け、スタジオを持ち、制作の方法を人に教え、自分が作りたい作品のための長期的な基盤を築くことだと感じました。とにかく一時的なトレンドやファッションに支配されるのは得策ではないと、すぐに気がついたんです。

−− インディペンデントなクリエイターとして、名を上げることに注力しがちな若い時期に、業界の状況を丁寧に分析し、進むべき道を決めていったわけですね。

エイリーズ:そういうことでしょうね。あと、プロジェクトの予算が減ってきているのもありますね。ひと昔前なら、ブランドとのコラボレーションで莫大なお金が手に入ったのに、今はその1割の予算、つまり90%も安い金額で自分の名前を売っていかないといけません。それは、より少ない報酬のためにより多くの労働が必要だということを意味しています。

それから業界がより民主的になったことも関係しています。インスタグラムやソーシャルメディアによって、誰でもデザインやアートの仕事を持つことが可能になった。ひと昔前までゲートキーパーとしての役割を担っていたのは、アートバイヤーや代理人、そして軒並みクリエイティブを抱え込んで、広告代理店やクライアントに売り込んでいたエージェントでした。今でも、その構造は存在していますが、もはや排他的なネットワークではありません。すべての物事は常に変化しているし、私はいつも未来のことをたくさん考えてきたんです。

やり方によっては、もっとたくさんお金を稼げたかもしれないし、もっと有名になることもできたかもしれない。でも、たとえそうだったとしても、今よりも幸せだったってことはないでしょうね。そして、スタジオの一員として今取り組んでいるような大規模で刺激的なプロジェクトを手掛けることもできなかったでしょう。スタジオがあるおかげで、ペンと紙を持って1人で家にこもって制作するのではなく、ツアーのデザインをしたりライヴの演出をしたり、世界中を旅していろいろなことを経験し、他業種のおもしろい人達と深くクリエイティヴな関係を築くことができました。ペンと紙でイラストを描く作業は、今となっては趣味のような感じですね。

— では、今もイラストを描いているのですね?

エイリーズ:そうですね、今はほとんど自分のために描いています。原点回帰のような感じで。実は、日本でもたくさんの絵を描いているんですよ。この国の木々はとても美しいので、木を描いていて。公園に腰を下ろして、ひたすら自分のために木をスケッチしています。

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going nowhere:fumiko imanoの自分自身を巡る写真の旅とその現在地 https://tokion.jp/2022/10/07/going-nowherefumiko-imano/ Fri, 07 Oct 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=149708 セルフポートレート作品で注目を集めるアーティストfumiko imanoがさまざまなコラボレーションを経てたどり着いた現在地とは? KOSAKU KANECHIKAでの個展会場で話を聞く。

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セルフポートレートを軸とした写真作品と多くの個性的なセルフパブリケーションを発表してきたfumiko imano。アーティストとしてのキャリアは長く、アート界隈では一目置かれる存在だった彼女に一躍脚光が当たったのは、2018年。「ロエベ(LOEWE)」がコレクションごとに発行していたイメージブック『Publication』に、コラボレーターとして参加したことが大きな転機となった。それ以降、「ロエベ」とのコラボレーションは8シーズンにもわたり、今年に入ってからは、惜しまれつつ閉店したパリのセレクトショップ「コレット」のクリエイティブディレクターであったサラ・アンデルマン(Sarah Andelman)が旗振り役となって実現した「ヴァンズ(VANS)」とのコラボレーションにも参加するなど、特にファッションの分野での活躍は目覚ましいものがある。

imanoを象徴する作品といえば、35mmカメラで撮影したセルフポートレートを切り貼りし、自身を双子に見立てたフォトモンタージュシリーズ。少女のような出で立ちをした双子のimanoが、さまざまな表情を浮かべながらカメラを見つめるこれらの作品は、かわいらしく、ユーモラスでどこか懐かしさを感じさせるが、その制作背景には、彼女自身のアイデンティティをめぐる大きな葛藤が関わっているという。ブラジルのリオデジャネイロで幼少期を過ごし、日本に帰国した後に渡英。ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでファインアートを、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでファッションと写真を学んだ彼女は、その後日本に帰国してからも、日本という「異文化」の中で常に居心地の悪さを感じ、自分とは何者なのかを問うてきた。そんな切実な自問自答の中で、彼女がまるでセラピーのように取り組んできたのが写真であり、自身の存在を確認してきたのが「双子のポートレート」だったのだ。

そんな彼女が、ロンドンでの学生時代に1度だけ訪れたアイスランドをパンデミックの最中に再訪、現地で2週間を過ごしポートレート作品を制作したらしい。嘘と現実、少女と大人、日本と世界、常にそれらの狭間に揺れ、境界線をいたずらっ気で飛び越えてきたimano。「ロエベ」とのコラボレーションを経て世界から注目される存在となった彼女は、世界の狭間の国アイスランドで何を考え、今の自分に何を思うのか。アイスランドで制作した作品が展示されているKOSAKU KANECHIKAでの個展「going nowhere」を訪れ、imano自身に話を聞いてみた。

原点としての記念写真

――まずは、アイスランド滞在の経緯を教えてもらえますか?

fumiko imano (以下imano): ロンドンで学生時代を送っていた頃に、ビョークとか、アイスランドのミュージシャンが好きだったのがきっかけで、10日間くらいレイキャビクのユースホステルに滞在したんです。いざ行ってみると、本当に何もない場所だなと感じました。食べ物も高くて、学生の私が食べられたのは、せいぜいフードトラックで売られているホットドッグくらい。2021年の初冬くらいに、コロナ禍での日本の生活に息がつまってしまって、「何もない」場所を期待してもう一度訪れてみたけれど、現地では開発がすごく進んでいました。何もなかった港の周りにもたくさん住宅が建てられていたし、アイスランドはその時期にはもう観光目的の入国を制限していなかったので、観光客だらけで。チケット売り場の人に、「観光客、たくさんいるね」って何気なく言ったら、「あなたもその1人でしょ」って冷たく返されて(笑)その変化には驚かされたし、おもしろさを感じる反面、少し戸惑いも感じました。

――なるほど。今回の双子の作品には、ブルーラグーン(レイキャビク郊外にある世界最大の野外温泉施設)や海辺のモニュメント、街の中心の教会や氷河など、アイスランドを象徴するような場所やものが写り込んでいますが、特に印象深かったものはありますか?

imano: ブルーラグーンは、前に行った時よりも入場料がだいぶ値上がりしていました(笑)直通の観光バスも整備されていて。でも、さっきの話にもあったホットドッグ屋さんはまだあったし、そこでも写真を撮りました。あとは、たまたま入った古いホテルに、アイスランドを代表するアートの巨匠達の作品がたくさん飾ってあって。その場所はすごく気に入って、急遽そこに泊まることにして写真もたくさん撮りました。

――ホテルの写真は、fumikoさんの存在感も相まっていつの時代に撮られた写真なのかわからないですね。今回に限らず、フランスやL.A.でも双子のポートレートを撮られていますが、fumikoさんにとって旅、そして旅先での撮影はどんな意味を持つんでしょうか?

imano: 幼少期をリオデジャネイロで過ごしたのもあって、まず飛行機が好きで。移動して情景や文化が変化していくのもワクワクします。その中で写真を撮って作品を作りたいと思う場所は、初めて行く場所か、一度行っている場所でも、前に訪れた時からはかなり時間が経っている場所のような気がします。フレッシュな気持ちの時が、やっぱりインスピレーションを得やすくて。アイスランドは確かに2度目だけど、その時は学生で作品は作っていなかったし、今回みたいな目線で風景を見てはいなかったんです。そういう意味で、基本的には観光客が記念写真を撮る感覚と同じような気もします。自分の写真の原点にあるのは、やっぱり家族写真や記念写真だと思っていて。あとは旅先のポストカードみたいなものにも惹かれます。だから作品も、行く先々で目を引いたものを背景に撮ることが多いかな。

コラボレーションがimanoにもたらした変化

――以前のインタヴューで、昔は自分のことが大嫌いで、セルフポートレートを撮ることは自分自身を確認するプロセスであり、セラピーのような役割を果たしていたと仰っていましたが、その時期を経て、今はご自身のことをどう考えていますか?

imano: 前よりは自分のことを好きと言えるかな。もちろん、今でも自分の見た目とか体形とか、常に何かしらのコンプレックスは感じているけれど、それは多かれ少なかれ他の人も感じることなのかなとも思います。

――それは仕事の面で、多くの人に認めてもらったことも大きいですか?

imano: そうですね。やっぱり「ロエベ」の仕事をしたことは、自分にとっては大きかったかな。経済的にも余裕ができたのは事実だし、それまでは、他の人が普通に送っている生活を送れていないような気がしていたので。初期の作品を自分で見ても、ちょっと病んでたなと思ったりします(笑)。「ロエベ」の仕事がなかったら、ヘンリー・ダーガーみたいにずっと家に引きこもって、生涯1人で作品を作っているアーティストになっていたかも、と思うこともあります。だから、すごく救われたような気がしていて。もちろん、アーティストである以上孤独はつきものだけど、それ以降は、仕事で旅に出られたりもするようになって、楽しいと思えることが増えました。

――「ロエベ」の仕事以降、作品への取り組み方も変わっていきましたか?

imano: 昔から、自分の強いエゴとの折り合いや人間関係で悩むことが多くて、ネガティブで内向的だったなと思います。コラボレーションに関しても、共作してしまったら自分の作品ではなくなっちゃうとも思っていたし。今も、強いエゴがあるからこそアーティストだと思う部分もあるけれど、歳を重ねたこともあって、少しずつだけど心が開いてきた42歳の時に、「ロエベ」のアートディレクションをしてるM/M (Paris)に声をかけてもらって。大きすぎる仕事に不安な気持ちもあったけれど、やっていくうちにコラボレーションもどんどん楽しくなっていきました。「ロエベ」の仕事では、コミュニケーションの大事さや、being nice(親切に、愛想よく振る舞うこと)の大切さを学んで、訓練させてもらっています(笑)。

――M/M(Paris)の2人との仕事はどんな感じでしたか?

imano: マティアス(・オグスティニアック)とミカエル(・アムザラグ)は、私にとって初めてのメンターとも呼べる存在。彼らは先生のように懐の深い人達で、いつも「写真家は君だ。君ならどうしたい?」と、私の意見を尊重してくれてたし――そのおかげで撮影中はずっと頭を悩ませていたけれど(笑)――助言やディレクションも、全部理にかなっていて、腑に落ちるものばかりでした。それに、ヴィジュアル的なおもしろみや仕掛け、サプライズのような要素を常に大事にしている人達なので、一緒に仕事をするのは本当に楽しいです。

fumiko imanoという1人のアーティストとして

――今年発売された「ヴァンズ」とのコラボレーションの話も少し聞かせてもらえますか?

imano: もう閉店しちゃったパリのセレクトショップ「コレット」の創立者兼クリエイティブディレクターだったサラ・アンデルマンが、「JUST AN IDEA」っていう出版とかコラボレーションの企画をするレーベルをやっていて。そこが3月8日の国際女性デーに合わせて、4人の女性アーティストとのコラボレーションで「ヴァンズ」のシューズを発売するっていう企画だったんです。利益の一部は、パリの「En avant toute (s)」っていうフェミニストの団体に寄付をするっていう趣旨で。サラとは古い知り合いで、声をかけてもらったのは2年前。コロナ禍の真っ最中に、L.A.の「ヴァンズ」のスタッフとリモートでずっとやり取りをしながら、時間をかけてデザインを詰めていった感じです。

――「女性アーティスト」という言葉が出ましたが、imanofumikoさんは、いわゆるガーリーフォトという文脈で語られた女性写真家達と同世代なわけですが、そういう文脈や同世代のアーティストを意識することはありますか?

imano: 思い返すと、初期の頃の撮影では少しは意識していたような気もするけれど、今となってはガーリーな写真を撮っている自覚は全然ないかな。ガーリーっていう歳でもないし(笑)。そもそも、自分ではあまり女性アーティストというくくりで自分の作品を見ていないような気もしていて。妖精みたいとか少女みたいとか言われることが多いけれど、私自身は意外とリアリストな部分もあるんです。周りの人の方が想像力が豊かだなあと思うこともあって。もちろん妖精とか宇宙人とか、不思議なものを信じる気持ちは自分にもあるんですけどね。でもいろいろと想像を膨らませて、あれこれ言うのはいつも自分以外の周りの人達だから。

文脈はあまり気にしないけれど、今になって、ようやく1人のアーティストとして作品がまとまってきたかなと思っていて。それこそ、こういうホワイトキューブのギャラリーで、ちゃんとした展示ができるようになったから。やっとアーティストとして目指していた姿になってきたっていう感覚はあります。とは言え、海外の仕事に比べて日本での仕事が少ないせいか、毎回アーティストとして日本で発見されるたびに、新人っていうふうに紹介されちゃったりするんですけどね。もう20年近く活動しているのに(笑)。

――ははは(笑)。最後に、今進行中のプロジェクトや今後の予定が何か決まっていれば教えてください。

imano: ないです!でも、LOEWEの時も突然インスタグラムで連絡がきて仕事が決まったし、今回のインタビューだって突然だったでしょう? そんなふうにオファーを受けながら仕事をしていくのかなと思ってます。あとは、展示に合わせて作品集を作ったので、それはみんなに見てほしいです。

fumiko imano
1974年生まれ。2歳から8歳までブラジル・リオデジャネイロで過ごす。セントラル・セント・マーチンズ美術デザイン大学でファインアートを専攻した後、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでファッション・スタイリングと写真を学ぶ。国内外での展示や雑誌などで作品を発表し続けている。「We Oui!」(2017年 Little Big Man Books)はじめ、多数の作品集を発行。「ロエベ」とは2018年より8シーズン連続でコラボレーションを行っている。2022年、「ヴァンズ」とのコラボレーションでシューズのデザインを担当。今回、KOSAKU KANECHIKAでは2019年、2020年に続き3度目の個展となる

■ fumiko imano『going nowhere』
会期:10月8日まで
会場:KOSAKU KANECHIKA
住所:東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 5F
時間: 11:00〜18:00 (日曜、月曜、祝日は休廊)
入場料:無料

Photography Emi Nakata

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