小澤千一朗, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/senichiro-ozawa/ Sat, 07 Jan 2023 13:20:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 小澤千一朗, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/senichiro-ozawa/ 32 32 目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――寝ても覚めてもストリートボール、すべてをそのカルチャーと写真にささげたボーラー、TANA https://tokion.jp/2023/01/07/photographer-tana/ Sat, 07 Jan 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=163471 東京のスケートボードカルチャーにおける写真世界の変遷。最前線でそれに関わってきたからこそ、特筆しておきたい日本のストリートボールカルチャーの写真世界のこれからについて。1人のボーラーでありフォトグラファー、TANAがつくった写真集『Ballaholic』によって、新しいチャプターが始まるはずだと思わずにはいられない。

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今回は、日本のストリートボール界にとって初となる写真集『Ballaholic』をリリースしたTANAにフォーカスしたい。汗まみれ、汚れだらけ、さらには解釈やルールもいろいろなプレイグラウンドにある魅力。ボーラーであり続け、なおかつ撮り続ける者が捉える美しさとは。

フォトグラファーのTANA

ああ、なんて楽しそうにバスケする人なんだろう。

それが第一印象だった。ストリートボールブランド「ボーラホリック(ballaholic)」のディレクターであり、フォトグラファーの棚町義一。

僕が初めて出会った時、彼が手にしていたのはカメラではなく、バスケットボールとストリートボーラー、TANAとしてのプロップスだった。てのひらに吸いつくようなドリブル、ユニークで創造性あふれるパス、相手をあざ笑うようなトリックプレイ、そして、とびっきりの笑顔。“WIZARD”のa.k.a.を持つ彼にボールが渡ると、「次はどんなプレイを見せてくれるんだろう」という期待が込み上げて、ついドキドキ、ニヤニヤしてしまう。ストリートボールシーンきっての人気者TANAのプレイは、観る者を笑顔にする不思議な魅力にあふれていたのだ。

その彼に2013年、ターニングポイントが訪れる。ストリートボーラーとして、病魔に侵されて満足にプレイできなくなっていた彼は、とうとうゲームシャツを脱ぐことに決めた。当時、私は「バスケをやめてほしくない」「体調が戻ったら復帰してほしい」など、実に自分勝手なファン目線の意見を遠慮なくぶつけていた。今、思い返しても我ながら最悪だと思う。そして、ここから先の話は、ストリートかいわいでは周知の通り。ボーラーとしての第一線を退いた彼は、10周年を迎えた「ボーラホリック」のブランドディレクションと同時に、カメラを始めた。

美大出身でボーラーというバックボーンとかアドバンテージとかがあったにせよ、「本当にカメラを始めたばかりの素人が撮ったのか……?」と、その仕上がりに度肝を抜かれたものだ。それは、時に実験的な画角・構図で切り撮られていたり、ゲーム中の張り詰めた空気を捉えていて、子どもの頃に夢中になったカードダスみたくキラキラと輝いて見えた……。何より、シンプルにかっこよかった。彼が撮る写真は、ボーラーとしてのプレイさながら、観る者の心をドキドキさせ、ニヤニヤさせる。人を笑顔にする不思議な魅力にあふれていた。

カメラを手にしてから、およそ8年の月日が流れた。「SOMECITY」、TOKYO STREETBALL CLASSIC、ローカルピックアップゲーム、BALL ON JOURNEY……。今日も彼は、カメラを持って世界中のプレイグラウンドへと出掛けていく。そして、飽きることなく、大好きなバスケットボールを撮り続ける。出会った頃と同じ、とびっきりの笑顔を浮かべながら。 by Jose Ishii

TANA/タナマチ・ヨシカズ
フォトグラファー。自身初にしてまた日本のストリートボール界にとっても初となる写真集『Ballaholic』をリリース。ボーラー、「ボーラホリック」ブランドディレクターとしても活躍。ストリートボールカルチャーに寄与し、長年にわたってリーグやピックアップゲーム、イベントを手掛けている。2022年10月には写真集のアートディレクションを担当したデザイナー、加藤芳宏とともにリノベーションされた代々木公園のバスケットコートをデザインした。
Instagram:@tana_wizard

東京都新宿区にある大久保公園のアートコートでの写真集お披露目ピックアップイベントのひとコマ。ここは、アメリカ2K財団とNBAスーパースターのケビン・デュラントのチャリティ基金(KDCF)の両者によるコミュニティ支援プログラムの初のアジアプロジェクトとして、アートコートへと改修された場所。それを手掛けたのはアーティストのFATEと一般社団法人「go parkey」。代表のABとは、TANAはストリートボールを通じて、数多くのボール・オン・ジャーニーをともにしてきた

ストリートボールの写真

これまで私は、本連載で「スケートボードと東京、そして自分と何かしら作品をつくったことがある」という最大公約数をフックにしてフォトグラファーを紹介してきた。今回紹介するのは棚町義一、通称というかほぼこれが本名なTANAというフォトグラファー。彼はスケーターではない。スケートフォトグラファーでもない。そう、ストリートボーラーである。

ストリートボールとは、バスケットボールの一種という簡素な説明では終わらせたくないが、東京近辺だったら、例えば、田町や小山公園、新横浜公園や吉川のアクアパークなどでスケボーしてたら隣でよく見かけるプレイシーンがそれだと言えなくもない。街のスケボーに近いかいわいにあるもの。まあ、スケボーと同じで、定義づけが難しいものだということだ(定義づけがそもそもいらないものだということか)。ストリートスケートと公園スケートのストリートセクションとか。そこらへんにカゴつけてプレイするのと公園バスケと体育館バスケとか。果たして場所だけの問題か。というのもあるし、そこはどうだっていいじゃないか。

まねしたいけどまねできないようなムーブ。ハンドルしてるとハマってくる音楽。どこで使うのか知らないけれどメモしまくっているリリック。ボール1つあれば遊べてしまう想像力とルックス。キープフレッシュなスニーカーに丈感を実はめちゃ気にしてますなソックスの履きこなし。ブレずにキレイに撮れてたら良い写真というわけじゃない構図と、撮る時からトリミングしとけよな写真。金あるやつも金ないやつも有名なやつも無名なやつも年齢も関係ないピックアップゲーム……。とにかく、TANAが撮影してきたものはバスケットに夢中で、プロリーグからスクールまでカテゴリー関係なく、バスケで自己表現し続けるような世界。

街中のプレイグラウンドで被写体達とピックアップゲームをして、その被写体達とギャラリー達と写真をシェアしていく。その美しい光景までを含めて写真集『Ballaholic』は着想されている。それは、アリ・マルコポロスの写真集『CONRAD MCRAE Youth League Tournament』にも通じるかのようなアプローチである

黄色い写真、SOMECITY

TANAがストリートボーラーでフォトグラファーとして活躍してきた中で、「SOMECITY」というストリートボールリーグは欠かせないパート。今から10年以上も前、ストリートボール黎明期の日本。エネルギーを持て余しまくっていたボーラー達に、(東京を発信源に)最高のステージでありプレイグラウンドとなったのがこのリーグ。TANAはその首謀者の1人だった。

その「SOMECITY」でやりちらかし、魅了し、躍動したボーラーは数知れず。今はもうシーンから姿を消した者もいれば、今なお活躍している者もいる。これという引退の線引きがないのもスケボーと似ているところ。やりたきゃやり続ければいい。それだけ。リーグを象徴する美しい黄色のコートとともに、それは今も変わらない。TANAはリーグに関わりながら、プレーヤーとしても活躍、それから黄色のコートの上でひたすら写真を撮るようになった。バスケットと同じくらいに写真に夢中になっていくのは、「SOMECITY」の存在も大きかった。スタジオで背景紙を使って撮影しているわけではない。ストロボやレンズにイエローマジックな仕掛けをしているわけではない。ただ、毎年毎年、彼が撮った膨大な写真における数十パーセント、それは良い意味で黄色い絵がつきまとう。そして、ストリートボールならではの美しい黄色だと認識されるようになっていった。それは、写真集『Ballaholic』のページからも伝わってくる。

東京都新宿区大久保公園。アメリカ2K財団とNBAスーパースターのケビン・デュラントのチャリティ基金(KDCF)の両者によるコミュニティ支援プログラムの初のアジアプロジェクトによるアートコート。そこに貼りめぐらされたTANAの写真

プレイグラウンドの美しい写真

美しい瞬間。それは、風景だったらわかりやすいだろうか。例えば、果てしない水平線と青空の遠い境目に立ち込める真っ白な入道雲。目の前は美しいサンゴが積もってできた白い小島。海底が見えるほど澄んだ海は、太陽の高度で表情をキラキラと変える。そんな真夏の離島は、誰もが納得する美しい瞬間だろう。ストリートボールにおけるそれは、スケボーのかっこいいというものがいろいろあるように、具体的に挙げるのが難しい。ただ、彼が、まるでそれもまたボーラーという人物かのように撮るプレイグラウンドそのもの。それはとても美しい。バスケに興味がなくてストリートボールを知らない人が見ても、美しい瞬間(写真)だろう。

TANAは世界中のさまざまなプレイグラウンドを旅してきた。スケーターが必ず旅先でスポットをシークするように、旅先でプレイグラウンドを回り、ピックアップゲームでハイファイブし、ローカルとハングアウトし、撮影してきた。そういうプレイグラウンドには、レジェンダリーなグラフィックもあれば、TANAだからこそとグッと来て思わずシャッターをきったようなクラックもあった。そこに差す光や影が、彼がいた時間や情景を教えてくれた。ストリートボールにおける、わかりやすい美しさとわかりにくい美しさのどちらもできるかぎり捉えようとして、目を離さない。TANAはそういうフォトグラファーだ。

ピックアップイベントのひとコマ。被写体は、KOSUKERYOKKといったストリートボーラー達

作品は記録になる

スケボーもそうだったが、プレイしている(滑っている)のが一番楽しいし、自分を表現する上でダイレクトでわかりやすい。だから、プレイヤー側にいることがすべてのように思える時もある。しかし、これもまたスケボーがそうだったが、そのプレイしている事実(かっこよさやすごさ)を誰かが撮っていなければ、都市伝説感をたぶんに含んだ回想録だけになってしまう。しかも、プレイする美学と同じくらいちゃんとした美意識を持ち、それを伝えきるだけの写真(もしくは映像)でなければ、湾曲したものになってしまう。これもまたスケボーがそうだった。素晴らしいスケートのメイクは素晴らしいグラビアでなければ台なしになる。それくらいプレイ(滑る)する側はこだわりと覚悟を持っているからだ。

TANAが、ボーラーに要求するほとばしったものとか、何カット撮っても気が済まないところなどは、撮られることに慣れていないこのシーンの人間からしたら、いぶかしかったに違いない。1990年代のスケボーの撮影を思い出す。スポットや状況によってレンズを変えたり、露出計を出したり、ラジオスレイブでストロボをいくつか立てたり、Tシャツを着替えてもらったり。セキュリティがタイトなストリートなのに、チャッチャと撮影しない部分に、疑問符だったスケーター達のイカした顔が浮かぶ。

それと同じで、ユニフォームの着こなしや色使いなどにもリクエストがあったり、指先や足の使い方まで完璧なスタイルを要求されたりする。ただ上手ければいいわけじゃないし、ダンクできればOKってわけでもない。得点シーンを撮ったとしても、そもそも何十点も入れ合うものだから、それだけでは伝わらない。どういったシュートなのか。普通だったら写らないような感情やストーリーまでも写し出したい。それがTANAの撮影だ。そして、ストリートボールの世界でそんな撮影をずっと貫いてきたのもTANAだ。そこからえりすぐりのグラビアをページにした。心かきむしられるほど膨大な良い写真を、なんとか1冊の作品にした。

ストリートの偉大なるフォトグラファー達が、1990年代につくりあげてきたスケボー写真が、2022年の今、大切な記録として見応えがあり、さらには資料的な価値もあり、今のシーンがあるための決定的な要素を含んだ行為だったということを実感させてくれる。それと同じように、TANAが撮ってきた写真と写真集『Ballaholic』が、日本のストリートボールシーンにおいて、プレイ以外でも大切な美意識やこだわり、さらにはカルチャーとしての決定的な行為をしでかしている真っ最中なのだ。

2018年ニューヨーク、お気に入りのフォトジェニックの1人、KOSUKE。写真集『Ballaholic』収録

ピックアップゲーム、あとがき

映画を観ていると、誰にでもいくつか心に残る場面というのはあるだろう。新旧問わずテンプレートのように使い古されたセリフやシーンというのもある。「愛してる」の名シーンとかね。個人的な話になる。そもそもコラムというのは主語がはっきりしている私的なものがほとんどなのだけれども、「その日は本当に完璧な日だった(we  were in a perfect dayとかit was in a perfect momentとか?)」というセリフとシーンが出てくると、グッとくる。

例えば、大人になった娘が、なかば憎み、疎遠になっていた父に会いに行き、人生最大の危機を前にして、仲が良かった昔のとある日のことをポツリと話す。何があったわけではないが、素晴らしい天気と静かなビーチで娘を肩車した父を母が撮影した写真。娘も父もまぶしい太陽に目を細めながら微笑んでいた。おそらくカメラのファインダーをのぞき込みながら母も笑っていただろう。そんな日の光景を娘と父がともにまぶたに思い浮かべながら、「あの日はパーフェクトデーだった」とつぶやく。個人的にグッとくるのは、そういう場面だ。

そして、2022年12月10日、東京都新宿区にある大久保公園のアートコート。素晴らしい天気と輝く高層ビル群。澄んだひやんりとした空気と陽だまりの暖かさのコントラスト。アーティストのFATEと「go parkey」がリノベーションした美しいコートとストリートボールの美しさを収録したTANAの写真集と貼り出された全写真。TANAの被写体となったボーラー達とそのボーラー達と同じくらいバスケを愛するギャラリー達。写真集に収録された被写体であり、コートをペイントしたボーラーでもあるABがいて、ペイントをはだしになって手伝ってくれたボーラーのタカクワがピックアップゲームで躍動している。ストリートボール黎明期から「SOMECITY」や「ボーラホリック」を通してボーラー達のための環境や文化をつくってきたTANA達がいて、その背中を見てバスケに夢中になったキッズがいる。TANAに影響を与え、逆に影響を受けたフォトグラファーやライターもいて、そしてこの記事を作るチャンスをくれたエディターも来て楽しんでいる。ストリートボールを好き(ラブ)っていうエネルギーが、この日のプレイグラウンドに充満していた。そして大事なことは、そのエネルギーが素晴らしいかたちとなって、絵となって、この場面をつくりだしていたことだ。

イッツ・ア・パーフェクト・デー。好き過ぎて何度も観た映画の1シーンのような素晴らしい日、完璧な日だったと思う。

2018年、新木場で開催された「SOMECITY」プレイグラウンド、ゲームのクライマックス、ビッグショットを決めたKING HANDLES(キングハンドル)と彼に駆け寄るボーラー達。写真集『Ballaholic』収録

■『Ballaholic 2014-2019』
2022年12月10日、アウトナンバーより刊行。パンデミック前にしぼった2014年から2019年のストリートボールにおける美しい瞬間をTANAが撮影した写真集。リリース当日は、新宿大久保公園のアートコートで写真集のお披露目と、被写体のボーラー達へ収録写真の展示・プレゼントをするという、“らしさ”全開のピックアップ・ゲームを開催。オールカラー、190ページ、1stエディション版ハードカバー ¥8,800
Instagram:@ballaholic_jpn

Photography Yoshikazu Tanamachi, Jose Ishii(title)
Text Jose Ishii(intro)

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映画『ファミリア』成島出監督インタビュー ——映画への思い https://tokion.jp/2023/01/06/interview-familiar-movie-izuru-narushima/ Fri, 06 Jan 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=162627 冬の夜空。空気が澄んで星が美しい。新年を迎えた私達の気持ちを反映しているかのようだ。なぜだろうか。成島出監督の過去作品はたとえ凍てつくようなシリアスな内容のものだとしても、冬のとある日にリビングで家族と観るのもいい気がする。新作の公開がスタートした成島監督のインタビュー。

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受け入れ難いこと。例えば、大切な人の人生が突然に終わったり、激変したりすること。作品テーマには、世の中における理不尽なできごとが含まれていることが多い。しかし、ていねいに描かれた物語に没頭していくうちに、それらもまた人生の一部だと思い、抱きしめたい気持ちになっている。成島出監督が撮るものは、そういった映画、作品が多いと思う。

誰もが知る素晴らしい作品を世に送り出した人物。そういう人物と会うチャンスがあるのならば、だったら、それを大いに励みにして、どさくさに紛れて、ずっと聞いてみたかったことをずばりぶつけてみる。本人にしてみたら、考えたくなかったことかもしれないし、とっくに忘れていたことかもしれない。だけど、そうしてぶつけたからこそ、言葉にすることができるし、みなさんに届けたいものにすることができる。

映画が教科書だった。もっといえば自分のモラルや美意識を培ってくれた。そういう人は意外に多いと思う。そして、学校の授業で学ぶことや教科書に記載されたことより、映画から感じたもののほうがよっぽどその後の自分に生きているという人も少なくないと思う。

私は、海外映画、例えば『プリティ・イン・ピンク』や『レス・ザン・ゼロ』のアンドリュー・マッカーシーからレディファーストを学んだし、『スタンドバイミー』では、仲が良いほど友達の親をいじるという下品さを学んでしまった。成島出監督が撮ってきたさまざまな映画からは、家族との関わり方、距離感のそれぞれを感じ取ることができる。

ある作品からは、家族愛とか親の気持ちといった血のつながりよりも、今生きている場所に誰といるか、そこが人生の現在地ですべてかもしれないということを思い、とても勇気が湧いてくる。それでいて、成島出監督の作品のテーマや出力の仕方はいろいろで、作品ごとに吸収できることや感じるものが違ってきたりする。

だから余計に、監督のど真ん中にある映画への思いとはなんなのか。いち観客のこちらがそんなことはわからなくていいはずなのだけれど、知りたくてたまらなくなる。ということで、今回は、その張本人である成島出監督にインタビューをさせていただいた。

成島出(なるしま・いずる)
1961年生まれ。山梨県甲府市出身。学生時代から自主映画を撮り、『みどり女』でぴあフィルムフェスティバルに入選。1994年から脚本家として活躍し、2003年には役所広司を主演に迎えた初監督作『油断大敵』で藤本賞新人賞とヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。以降、『フライ, ダディ, フライ』『孤高のメス』、役所広司主演『聯合艦隊司令長官 山本五十六』など数々の話題作を手掛ける。2011年、『八日目の蟬』は第35回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞など10部門を受賞。公開されたばかりの新作『ファミリア』の後には、役所広司主演『銀河鉄道の父』の公開が控えている。その他にも、『ソロモンの偽証 前編・事件』『ソロモンの偽証 後編・裁判』『ちょっと今から仕事やめてくる』『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』『いのちの停車場』など多くの作品を世に送り出している。

長編監督デビューする前のこと。それから多くの作品を撮ってきたことについて

映画『ファミリア』予告編
©2022「ファミリア」製作委員会

愛知県豊田市。東名高速道路から湾岸高速への分岐点。明け方前の朝日を待つ空。ディープブルーとオレンジのグラデーションが美しい時間。この時間帯のこの道の光景を、個人的に何度も経験している。それは撮影仕事で和歌山に通っていたからだが、その時はいつもワクワクした気持ちで美しいグラデーションを眺めていた。

成島出監督の最新作『ファミリア』の劇中、ちょうどその道のその光景が現れた。しかし、美しいグラデーションは同じでも、主人公・誠治にとってはワクワクしたものではなかった。美しい光景なのに、ひりひりとした切迫感に包まれていった。美しさと理不尽さがすぐ隣にある。それが人生なのだろうと改めて思った。思った瞬間、そこからさらに物語へと惹きこまれていくのだった。

——2004年の『油断大敵』から新作『ファミリア』に至るまで、この期間に14本(次回作『銀河鉄道の父』で15本)の映画を監督しています。これは単純に考えても、映画の公開時にはすでに次の作品を撮影中か撮り終えているスピード感です。ずっと映画を世に出し続けるために大切にしていることはありますか?

成島出(以下、成島):もっと撮っている方はいると思いますからね。特別、そんなに多いほうだとは思っていないですが、少なくはないですね。それは、単純に言うなら、映画しかやってないからです。大学など、学校で教えることはしていないし、テレビドラマも撮らない。そうすると、年に1本くらいは映画を撮っていかないと飯を食べていけない。そんな感じです。

——撮らないとっていう感覚。例えば、筋トレをしない日があると強迫観念にかられて落ち着かなくなるような。映画に関わっていないとたまらなくなるというような気持ちはあるのでしょうか?

成島:そうですね。映画に関わっている時が、一番幸せなんで。映画の現場というのは1ヵ月か2ヵ月で終わってしまうものですが、僕の場合は、シナリオの最初の立ち上げから作品の仕上げにキャンペーンと、全部が終わるまで、3年間くらいは関わっています。今作品の『ファミリア』の場合は、4、5年くらいだったかな。だから、今は3年に2本くらいのペースで撮った映画が公開されていますね。

——1985年、自主制作映画『みどり女』でコンテストで賞を獲ったあと、2003年『油断大敵』までの18年間は、脚本家としての活躍がメインでした。その時間と経験は、どんな意味があったのでしょうか。また、その時に、「こういう監督になるのだ、こうやっていきたいのだ」というような具体的な目標や描いたビジョンはありましたか?

成島:僕はもともと映画に目覚めたのが遅かったので、(目覚めてからは)いろいろな作品を一気に観たんですよ。東京に出てきて、名画座で映画を観るようになって。

それこそ、その名画座で小津安二郎監督の作品と神代辰巳監督のロマンポルノを両方観て、どちらもおもしろいなあと。映画についてはそんな育ち方をしたので、同世代の映画人達が、ジャン=リュック・ゴダール監督作品などから育っていったのとは全然違うわけです。『ローマの休日』が良かったなんて言うと、仲間にはよくばかにされましたね。

——そのゴダール監督は年に2本は撮っていたほど、それこそ多作な監督でした。成島さんは、ジャンルレスでいろいろな映画を観て育ってきたということですが、その中には欧米作品も多かったと思います。そこで、海外作品ではキラーワードのように出てくる、「アイ・ラブ・ユー」とか「ねえ、愛してると言って」なんていうセリフについてお聞きしたいです。成島さんのこれまでの作品では、愛しているというセリフがあまりないように思うんです。他に大切なことがあるのか、それとも愛してるといったわかりやすいセリフを使いたくないのでしょうか?

成島:世の中で起きていることは単純な要素ばかりではないじゃないですか。『ファミリア』でも、いろいろなことが通底しているんです。それを役所(広司)さん演じる主人公の神谷誠治、彼は日本古来からある陶芸をしている人物なんだけれども、その彼にすべて起きる物語なんです。

「愛してる」というセリフをあまり使わないのも、もともと、「愛している」という言葉は日本語にはなかったと言われてて。明治以降、外国から入ってきたものだそうです。「愛してる」とセリフにしてしまうと、それは「アイ・ラブ・ユー」と言っているのと同じなわけです。だから、僕はそうではない表現をドラマにするのが好きなんです。

——そうなんですね。小説でも、楽しいことを楽しいって書いてしまったら、それで終わってしまいますが、成島さんの作品は時間をかけることを避けていないという印象でした。そして、人間ドラマというより、極限の状況における人としての在り方のいろいろを見せてくれます。生死を託された医者の立場(『孤高のメス』)、過酷な山岳でのアクション(『ミッドナイト イーグル』)、安楽死を望む大切な人への決断(『いのちの停車場』)などなど。中でも『八日目の蟬』で、永作博美さん演じる野々宮希和子が最終盤で発した「まだご飯を食べてません。食べさせてあげてください」は、まったく想像できなかった言葉であり、しかし聞いた瞬間に痛いほど彼女の思いがわかりました。成島さんご自身においては、極限の状況で下した思い出深いシーンはありますか?

成島:僕自身は特にはないですね。まあ、あえて理屈で言ってしまうなら、人間のネジが外れてしまった時のこと。「その子はまだご飯を食べてません」もそうだけど、頭で考えて出てくるセリフではないでしょう。そして、今回の役所さん演じる誠治の行動も計算立ててしていることではなくて。そういうのが好きだし、映画になる部分なんだと思います。

——それは成島さんの人生観でもあるのですか?

成島:まあ、そうかもしれない。自分が計算して生きてこれなかったというのがあって。サラリーマンに一番向かないタイプの人間で、好きなことしかできないんです。嫌いなことはできないし、嫌いな人とも付き合えない。

——映画からレディファーストやデートの仕方を学んだ身としては、一般的な仕事ができない方がつくったとしても、やっぱり映画はなくてはならないものです。

成島:それは僕も同じで、映画館で観た映画で学んだことが多いし、世界中を旅することもできました。

作品中の印象的なシーンや美しい光景について

——最新作『ファミリア』では、東名高速から湾岸高速への分岐にある鉄橋の明け方前のグラデーションがとても印象的でした。このシーンは、『ソロモンの偽証 後編・裁判』における、物語のギアが上がる直前のシーン、午後の体育館に入り込む日差しの美しさとリンクしました。厳しい状況と相反する美しさ。どちらも撮影監督は藤澤順一さんなのですが、このような光景をシーンに織り込もうという狙いは、監督の中に常にあるものなのでしょうか。

成島:それはありますね。やっぱり映画なんでね。言葉で表現するよりも映像で見せたいし、だから物語の大事な場所ではそういうシーンが出てくるんだと思います。

——親子や家族について考えると、成島さんが作品にして残していきたい家族やひとびとの交流の姿には、監督として歩んできた20年強の間に変化はありますか? 時代はどんどん変わっていて、スピード感はすさまじいです。

成島:変化したことを描きたかったわけじゃないけど、確かに交流のかたちなどは変わりましたよね。僕は(東京の)大久保に住んでいた時期が長かったんですが、そこで韓国や中国の人達と出会って。彼らとは親友となって今でも付き合っているんですけど、当時は日韓W杯なんかもあって一緒に盛り上がったりしたのに、ここ何年かの情勢がまさかこんなことになるとは思いもしなかった。現実は断絶が進んでいる気がします。

それに対して、映画ができることは何かあるのか。それを考えたりはしますが、例えば『ファミリア』でそういうメッセージを発したいわけではなくて。僕はやっぱり快楽主義者だから、自分が観たい映画を撮るというのが基本なんです。その中で、家族という最小単位でドラマが動く時にメッセージみたく見えてくるのが好きなのかな。もし、僕がロシアとウクライナの戦争のことを描くならば、大きな国の政府じゃなくて、ロシアとウクライナ、それぞれのいち家族を描いたほうが、ドラマとしてはおもしろいんじゃないでしょうか、きっと。

——成島さんが映画を撮っていて、ずっとブレていないものとはなんでしょうか。なんとなくですが、これが正しい! みたいなことを言いたいのではない気がします。しかも、これまでの作品の題材や舞台もさまざまで幅も広いです。私がついやってしまいがちなカテゴリーとかジャンル分けができない監督という印象です。そういう中で、最大公約数のようなプリンシプルはあるのでしょうか。

成島:それが申し訳ないんですけど、また言ってしまいますが、僕は映画が好きで快楽主義でやっているんです。だから、A子さん、B子さん、C子さん、D子さんに共通するものを教えてくださいと質問されてるのと一緒なんですよ。そんなもんねぇよって。それぞれいい女だから付き合ってるし、それぞれの個性にほれたということ。A子さんとB子さんは全然違う人だし、北海道のオホーツクの人と沖縄の石垣の人、それぞれに恋したらドラマは全然違うじゃない。僕は真摯に優柔不断。北海道の人と真摯に付き合い、今度は沖縄の人と真摯に付き合いたい。これは恋愛話に例えた場合だけど、そのドラマを好きになることが大切。好きじゃないものは撮れないから。

役所広司さんで何本か映画を撮っているというのは、やっぱり役所広司が一番好きな俳優だから、自ずと(出演)本数は増えていくわけですよ。好きで、気持ちいいことをやる。あくまでも主役は作品であって、監督というのはそれを生む親みたいなもの。子(作品)の個性が全部違っていていいわけじゃないですか。それでいいのかなあと。

——成島監督っぽさというのがないわけですね。

成島:そうです。自分で決めつけて、これは成島作品っぽくないから撮りたくないという考え方の監督にはなりたくないなと思っています。おいしいものであれば、韓国料理でも中華料理でも京都のお寿司でもなんでも頂きますよ。そこにうそをつきたくない。だから、今回はいながき君(脚本家のいながききよたか)が、彼のリアルなベースの中でシナリオをつくってきた中で、団地(モデルとなった保見団地)のことや瀬戸の焼き物(陶芸)のことを描いていったわけです。とにかく大事なことは、好きかどうかってことです。

——映画が嫌いになるということは一生ありえなそうですね。

成島:いやぁ、わかんない。それは、どこかで何を観てもおもしろくないと思ってしまう時が来るかもしれない。そんな日が来たら恐ろしいですよね。

——『ファミリア』の最後のシーン。主人公の神谷誠治だけが見た光景とは。

成島:わりと、僕が撮る作品は人物のアップで終わることが多かったんです。顔で終わるというのは、ある種の祈りを込めているからでしょうか。そこにドラマや未来があるというか。観客のみなさんにも何か感じてもらえたらいいなと思っている部分です。

■『ファミリア』 
2023年1月6日 東京・新宿ピカデリー他全国公開
監督:成島出
出演:役所広司、吉沢亮、サガエルカス、ワケドファジレ、中原丈雄、室井滋 アリまらい果、シマダアラン、スミダグスタボ、松重豊、MIYAVI、佐藤浩市他
製作委員会:木下グループ、フェローズ、ディグ&フェローズ 
制作プロダクション:ディグ&フェローズ 
配給:キノフィルムズ
©2022「ファミリア」製作委員会
オフィシャルサイト:https://familiar-movie.jp/

Photography Kenji Nakata

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スケートフォトグラファーの視点 https://tokion.jp/2022/08/14/the-perspectives-of-skate-photographers/ Sun, 14 Aug 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=139186 多様性の時代にまさに多角的に映し出されるスケートボード。あなたにはどんなふうに見える? スケボーって一体何? その答えは1つじゃないだろう。時代性や社会への訴求の仕方でいろいろ変化して当然だ。ということで、今回はスケボーのもっとも普遍的な部分を見つめ続け、そこにこだわり記録し続ける人達について。

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私はスケートボードの写真を撮る人を“スケートフォトグラファー”と呼び、ともにページにしてきて25年がたった。実のところは、彼らはスケートボードだけしか撮影できないのではなく、他の写真家と同じく普段から何かを撮り、それを納品もしくは展示販売することをなりわいにしてる、いわば一般的なフォトグラファーだ。その他で、スケートボードだけしか撮れないのではなく、スケートボードしか撮りたくないというフォトグラファーもいたりして、痛快だったりする。スケボーマガジンを作り続けてきた私にとって、スケーターと同じくらい、時にはスケーター以上に魅力的でおもしろい彼らについてが、今回のコラム。

1990年代から2000年初頭の東京のスケートをとりまく話

TOKIONの寛容な理解に甘えることができるならば、コラムのテーマである「スケートフォトグラファーの視点と東京のスケートシーン」については、もう少しシリーズ化して書き残したい。今回はイントロみたいなものになりそうだ。そんなことを勝手に思っている。私の文章力や捉え方だけでは話にならないというのであれば、リレー形式でもいい。もしくは信頼できる目と心を持った人達と交互にやってもいい。そんな願望を持っている。しかし、今後このコラムの続きを見ることがないことも大いにあるだろうから、先に謝っておきたい。

東京のスケートシーンについては、そのただ中で20年以上にわたって、いろいろとページを残してきたので、少しは知っていることを書けるかもしれない。だけど、さも生き字引のように語るのに、私は適任ではないだろう。もっと語れて語るべき人物がたくさんいる。さらには、今は亡き日本初のスケートジャーナリストで、アーティストで、スケーターのデビル西岡さんや「T19」をはじめ、多くの東京のスケートシーンを作り上げてくれたドッグターナーの大瀧ひろしさんの存在や功績も忘れることはできない。

ただ、東京のスケートフォトグラファーの視点について、というか、東京のスケートフォトグラファーについては、私なりにと前置きをしたとしても、キリがないほどに書きたいことや書けることはある。それくらい、私にとって、そして、この東京で長年スケボーマガジンを作り続けることにとって、それは重要な部分だからだ。そして重要な部分にはっきりと重要な部分として取り組み、積極的に関わってきたのが私だと思うからだ。

スケーターがなかなか増えない。アメリカのようにはいかない。なんていう嘆き節がまん延していた1990年代の東京。私は直感していた。スケーターが増えないこと以上に、その希少なイカすスケーターのトリックのすごさや痕跡を写真に撮り、記録し、残す人が圧倒的に少ないことを。それは、ようやくスケボー専門誌が1冊、発行された頃の話だ。私はまったくもって偶然にその専門誌の編集長になる。そして、先ほど書いたように、スケーターを写真に撮り記録し残す人、スケートフォトグラファーをどんどん発掘、登用していった。それ以前は、東京のスケーターを撮る人は、BMXやサーフィンやスノーボードも撮っていた。というか、サーフィンなどのほうを撮っていた人達がスケボーにも造詣が深く、スケートを撮ることにも力を注いでくれていた。

しかし、1990年代はいよいよ街中へ飛び出して、クルーズしながらストリートスポットを自らシークして表現する時代。パークのセクションの前やランプのプラットホームの上から構えて撮るのがメインではなくなっていく。そうなると、ビーチやバックカントリーで撮るのとはまた少し違う技術というか視点が必要になる。ちょうどアメリカでも『ACITON NOW』というBMXやサーフィンを混ぜ合わせたマガジンから、『THRASHER』というスケボーだけのスケボー専門誌が息を吹き返していった。それと呼応するように、東京でも当時は国内唯一だったスケボー専門誌『WHEEL』が立ち上がった。そうなるとがぜんおもしろいことになって、スケボーもBMXもサーフィンも撮ることができるフォトグラファーではなく、スケボーしか撮れない、スケボーしか撮りたくないフォトグラファーというかスケーターが出現し始める。

私は、そのようにたぎったスケボー原理主義者というかスケボーラブなフォトグラファーや人物(カメラをぎりぎり買っただけのやる気だけのみの人)を、多少のエラーやミスは覚悟で積極的にフックアップしていった。そう書くと、多少偉そうだけれど、実際には私自身もそういう人達と同時進行でさまざまなことを吸収し広げて、時には凝り固まった概念を壊し、再び作っていった。多くの刺激と可能性をもらった。本当に『WHEEL』マガジンから『Sb Skateboard Journal』初期にデビューした「スケート」が頭につくフォトグラファーやライターは多いと思う(黒歴史のようにそのプロフィールを隠したい人も多いようではあるけれどw。まあ、みんな人間は、今の自分は誰のおかげでもないと後から多少は尊大になりたいものだからね。それもまたいいと思う)。

とにかくもっともわかりやすかった変化は、そうやってスケボーのかっこよさと、特にストリートスケートの渋さを追求することは、撮影方法にも渋さや工夫が増えていくことだった。わかりやすいものでは、同じレンズでポートレートとスケート写真とオフショットを撮る人が激減した。スポットと時間によって、被写体のスケーターがTシャツやシューレースを着替えるようになった(カラバリを用意するようになった)。ラジオスレーブをアメリカから取り寄せて日中シンクロ撮影のためにストロボを昼でも数本立てるようになった。そして、かっこいいスケート写真をスケーターとフォトグラファーで残すことができれば、それがちゃんと専門誌にデカデカとグラビアとして掲載されるというストーリーができあがったのだった。

ファッション誌の中に、コラージュとかトリミングされて小さく扱われることに甘んじなくてよくなったのだった(ただし、この前時代の名残で、大部数を公称していたファッション誌に掲載されるほうが、マイノリティー扱いの専門誌のスケートグラビアになることより価値があるという概念を捨てきれない人、特に撮る側の人にそれがチラホラいるのも事実だがw)。これが1990年代から2000年初頭の東京の話。かなりざっくり、ばっさりだけれど。

『Sb Skateboard Journal』最新号でしのぎを削った4人である、石川純平荒川晋作春田健二、そして林航平というラフォーから20代のピンピンまで現場でひたすら撮影するスケートフォトクラファー達が、それぞれオリジナルプリントのスケボー写真を持ち寄って展示した。神保町のスケボーショップ「PAGER TOKYO(ペイジャートーキョー)」でのエキシビジョン。「PAGER TOKYO」のスタッフ達は、1990年代の『WHEEL』マガジンの頃から、ウェブスケートメディア『VHS MAG』などに至るまで、私とともにずっとスケボー写真をおもしろがって最大限に生かそうとしてきた

2010年代のスケート写真をとりまく話

それから、2010年頃になってくると、スケートフォトグラファーやフィルマー、デザイナーの中から根っからのスケーターで、なおかつ素晴らしい才能を持った人達が多数出現する。この頃には、その後のオリンピック旋風よりもっと早い段階で、スケボーが都市部のキッズの成長過程のどこかに必ず存在していること、そして、それに手を出したやつはまったく新しい角度でアップデートしていることを現場で直感、体感していた。これにより、格段にスケボー写真のクオリティーは上がっていったし、さらには撮られる側の意識も高くなり、より高度なトリックをよりシークレットなスポットで素早く確実に美しくメイクするようになっていった。

Yudai Fujigasaki / Ollie
フォトグラファーとスケーターの美意識が垣間見える2アングル。同じ場所、同じトリック、同じ被写体と撮影者。そしてセキュリティーがタイトなのはいつも同じ。そういうセッティングで、あえてアングルを変えて撮影することで、この絵画のようなスケート写真が平面的ではなくどれほど大変でおもしろい過程を経てメイクしているのかを物語る

この頃、私達のように1990年代からシーンで転がってきた者達の中では、「もはやアップデートされたテクニックは素晴らしく、ましてや機材も素晴らしく、古株が撮らなくたって、十分に素晴らしい写真を残すスケートフォトグラファーがたくさんいる」とささやき合ったものだった。それは1990年代、ストリートスケートの隆盛とともに、それまでのパークセッションやセクションでのスケートコンペディターの写真からシフトしていったのと同じ。スケートボードというものは、存在そのものは相変わらずの木をプレスしてコンケーブを作ってできたものに4つのタイヤをはいた普遍的なものであるのに、それを取り巻く環境やインダストリーやカルチャー、そして撮影などは他のどんなものより刹那的でアップデートされていくものなのだ。それは百も承知でやってきた。だから、私は、新しい波を嬉しく思うし、この東京でスケボーがどんどんプッシュされていっていることは素晴らしいことだった。

ここでのスケートフォトグラファーと私達の視点の変化は、わかりやすいものでいうと、フィルムカメラでの撮影からデジタルカメラへのシフトチェンジだろう。以前までは、1ロール、すべてミストリックで使えないというようなことはあたりまえだった。ましてや難しい複合トリックや回し系の撮影は、シークエンスで撮ることで、メイクの証拠としていたのもあって、1トライで1ロールをオシャカにすることはザラだった。現代では、印刷コストがバカにならないということで紙媒体の危機がなげかれてひさしいが、そんなのが比べ物にならないほど、当時は感材費がすさまじいものがあった。どこぞの一流ヌード写真家より、スタジオ代もすしやうな重の経費もかかっていないのに、スケボー写真の経費のほうが高かった。デジタルカメラの台頭は、その悩みをダイナマイトを使うがごとく、一気に吹き飛ばしてしまった。

さらにはiPhoneをはじめとして携帯タブレットが普及する。SNSが情報発信のメインストリームになり、東京だけでなく、一億総メディア化していった。これは、それ以前のブログの女王と言われた真鍋かをりさん(もはや知らない世代も多いだろう)をはじめとするブログ普及時代の比ではなかった。ガラガラと本当にそんな音が聞こえてくるような勢いで、時代は激変していった。スケートフォトグラファーが、グラビアとして1枚の写真を、大切に誌面に残すことよりも、メイクしたら一瞬で紙媒体のスピードやパイ(発信実数)より威力抜群の発信ができる。そして、リツーイトやリポストされて、確かな手応えを数字がもたらしてくれる。

これによって、スケートフォトグラファーのスタンスもかなり変わってくるのだけれど、私が今なお『Sb Skateboard Journal』(以下、『Sb』)という紙のスケボーマガジンにこだわるように、紙にスケートを焼きつけ記録として残すことを大切にしているように、フィルムで撮影し、ラボで現像して紙にすることを大切にする、楽しむフォトグラファーも実は少なくはない。そこがまた不思議だしおもしろいところ。紙に焼いて、発行日が目録されて、実際物として目の前に存在すること。ディレートボタンで一瞬で消せないものにすること。この醍醐味というか、うざいほどの足跡(記録)の真価は、今すぐにではなく後で発揮される。スケートフォトグラファーがスケボー写真をどう扱い、どう発信するか。その選択肢がべらぼうに増えた分、私はスケボーと紙に関わり続けていることが楽しくてしょうがない。時間をかけて証明するおもしろさにワクワクする。スケートフォトグラファーでも、何人か、私と同じようにワクワクして今もストリートでカメラを構えている人間がいる。私には、はっきりとその人物達の姿が目に浮かんでいる。

Leo Takayama / Ollie
前述のOllieと同じトリックでも、今度はわかりやすいアイコンが写り込んでいる。いわば、これぞ東京。それがわかるようなロケーションで、大阪のスケーターを撮影する。してやったりの1枚はスケート的にも一般的にも強い印象を残すことに成功している

現在、そしてこれからのスケート写真

そして、現在。東京オリンピック以降、加速度を上げて注目を集めるスケートボード。それまでスケボーってなんのこっちゃ? とか、サブカルの体のいいアクセント的な扱いをしてた人達に至るまで、スケートボードはほっとけない存在となった。言い換えれば時代の象徴の1つにもなった、金のなる木になった。テレビドラマの撮影のプロップスにスケボーだけでなく、スケボーマガジンの『Sb』まで使われるような時代になったのだ。おもしろいし、ミステリー。私達では想像もしないようなスケボーの在り方や輝き方がたくさん提案されていく。それは、嫌味ではなく、スケーターやスケートフォトグラファーをはじめ、私達のようなスケートの可能性を信じていた者にとって、ワクワクする時代がやってきているということだ。まさに口だけなく、スケボーが自由なものとなって、正真正銘のノーリードになって、誰の手にも収まらないものになる。

そうなると、これまでだっておもしろかったし、かっこよかったスケボー写真もさらなる変化があるはずだ。今後の東京のスケートフォトグラファーには、さらなる才気走ったプロスケーターが出現する可能性が高い。「もうすでに高止まりしている」と、いつぞや言われたスケートフォトグラファーのスキルやビジョンは、さらなる限界突破をするはずだ。私的には、これが一番ワクワクする。これまでだって、絶対ミスをしないような大物プロスケーターのミストリックを表紙にしたり、川の中でオーリーしてもらったり、バックテールという腰加減がセクシーなトリックのドアップをグラビアにしたり、鳥取砂丘のピークにベニア板を運んでスケートしてもらったりと、いろいろスケボー写真で(良い意味で確信犯的に)遊んできた。そうしてドアを開け放ってきた(つもり)。それを超えていくスボー写真があるだろうし、逆にもっと深くスケボーだけが内包するスケボーゆえの美意識を掘り起こした写真があがってくるのだろう。それは、スケボーそのものを愛し、そこに魅せられスケボー的高みを追い求め続けている者達にとっては今も昔も変わらない部分。

これを言い換えると、シンプルで、スケーターには説明不要のものだけど、他の人には説明やキャプションを付け加えないとすごさが伝わらないかもしれない。だけど、やっぱり写真や美しいものが好きな人達には、説明しなくても突き刺さる写真。今回のコラムは、それを今現在実践している4人が、同時に『Sb』の特集を作ったところから端を発している。彼らの中にあるスケボーの美意識。スケボー写真に対する美意識。トリックの難易度とストリートスポットのタイトさとそれらを取り巻く情景とスケーターのキャラクター。それらすべてにこだわって、ぬるくないものをページにする。石川純平、荒川晋作、春田健二、林航平と被写体達の写真に触れ、私はコラムを書かせてもらうことにした。このコラムでは、『Sb』の表紙も担当した石川純平の写真をいくつか掲載させてもらった。今の東京のシーンのコアな美意識の1つだと断言できるものだ。

「こういう状況でこれこれこういうスポットのクセがあるので、この写真を撮るには相当のスキルが必要で、それにもかかわらずこのスケーターはそれを1発でメイクしてしまったという写真です」と聞いて、グッときてくれるのもいいけれど、そんなことを言わずして、「美しい」「かっこいい」「なんかすてき」というようにチクチクと効いてくる写真。それをわざわざスケボー写真と呼んだり、それを撮る写真家をスケートフォトグラファーと呼んだりする必要はなくて、本当は、それは写真(作品)であって、彼らは写真家(作家)だ。カテゴライズする必要もない。ヌード写真家、女流写真家、紀行写真家、廃墟写真家、動物写真家……いろいろわかりやすいように区分けするのが出版フォーマットかもしれないけれど、撮ってる本人はあんまり気にしていないし、そんな名刺をぶら下げてるヒマもないんだろうと思う。それぞれに個性が強くて、ライカでしか撮らない人もいれば、ハッセルブラッドのレンズ一筋の人もいる。使い捨てカメラでパシャパシャやっても突き刺してくれる人もいるし、すさまじい長玉レンズで幻想的な自然の姿を焼きつけてくれる人もいる。スペックも方法も、画角も構図も色も瞬間もバラバラ。

Kyonosuke Yamashita / Fs tailslide
象徴的な東京スケボー写真が1つ前の写真ならば、これは東京のストリートなスケボー写真。スケーターおのおのの感性にのっとって繰り出されるトリックを、フォトグラファーが輪をかけるようにスケボーならではの審美眼で街の華やかじゃない裏側で形にさせる。この共同作業がおもしろい。モデル(被写体)から、シークしてきて、そのロケーションにさらに意見をするなんて、他の業界ではまずないんじゃないだろうか

ただ、そのゴールが1枚の写真になるというところだけが最大公約数。そこに、私が選ばせてもらう写真には、何のトリックか、デッキはどこに写っているか、スタイルはどうか、どこから来てどこへ行くのか、そのような情報が自然と捉えられている必要がある。それがスケボー写真的情報。スケートボードのトリックとスポット攻略の難易度が最低限証拠になっていないといけない。その上で、個性や美意識を刷り込ませていく。だから、本当は、写真であって、彼らは写真家なのだけれど、私は敬意を込めて“スケボー写真”と呼び、“スケートフォトグラファー”と呼んでいる。

スケート的情報と作家性を両立させるスケーターとスケートフォトグラファーの創作作業。これは、どんなに時代も周囲の認識もアップデートしたところで、変わらない。この両者にしかできない作業は、絶対的だ。本日の東京かいわいでも、セキュリティーの目をかいくぐって、その作業が繰り広げられている。それをちゃんと大切に敬意を込めて発表する場として、まだまだ紙の役割はあると思っている。ちなみに、紙がなくなっても、スケーターもスケートフォトグラファーもいなくはならない。それも十分にわかっている。

Mana Sasaki / 50-50grind
まさに街のテレインを最大限に利用し、かつ攻略する楽しみこそ、ストリートのスケボー写真のエッセンス。服装、その色味、スポットの雰囲気などを熟慮して、撮影された写真。スタジオでライティングやポーズ、スタイリングやメイクに何時間もかけて撮っても、それはスタジオ代がかさむだけで、キックアウトや天候に左右されることはない。ケータリングもBluetoothからのBGMもないタイトでタフな場面で、珠玉の1枚が記録されていく。当然、そのような写真を1mmでもトリミングするのは惜しいから表紙作りは常にもどかしい

石川純平(いしかわ・じゅんぺい)
千葉県出身。得意分野、スケート現場。座右の銘、健康第一。“Hit and run”。自身2回目のSbマガジンのカバーを飾ったのは、スケーター佐々木マナのワンメイク・ハンマー。
Instagram:@10npei
http://junpeiishikawa.com

Photography Junpei Ishikawa

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窪之内英策が漫画家として描く世界とその表現 https://tokion.jp/2022/07/05/interview-eisaku-kubonouchi/ Tue, 05 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=119888 今春は雨の日が多かった気がする。元来、私は雨が好きなほうではない。今回登場の窪之内英策は、雨音が大好きだという。その言葉がとても印象的だった。

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©窪之内英策

©窪之内英策

今にも駆け出しそうな、いや、こちらにほほえみながら、風にそよいだ髪の香りさえ漂ってくる。そんな実際的な線画を描き出す窪之内英策。デビューから36年、鉛筆1本で大活躍中のアーティストである。

その窪之内さんの漫画家としての代表作は、「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載していた『ツルモク独身寮』。本作品は、すでに発表から30年以上がたっている。だから、当時のことを今になって掘り出すのはやぼなことかもしれない。本来は、その作品のページをめくり、何度も見返すことで私達は楽しいし、それでいいはずだ。しかし、誰もが知る素晴らしい作品を世に送り出した人物。そういう人物と会うチャンスがあるのならば、だったら、それを大いに励みにして、どさくさに紛れて、ずっと聞いてみたかったことをずばりぶつけてみる。本人にしてみたら、考えたくなかったことかもしれないし、とっくに忘れていたことかもしれない。だけど、そうしてぶつけたからこそ、言葉にすることができるし、みなさんに届けたい企画にすることができる。

「うん……忘れ物をとりに……」

「忘れ物?」

「大事な…大事な忘れ物……」

「うん…」

(うーし、ここから !! オレの第2の人生の出発点はっ!)

「新入社員か……また……この場所から……素敵なドラマが始まるんだ……」

(漫画『ツルモク独身寮』最終話より)

そんな会話の後、手をつないで寮を去っていく主人公の正太とみゆき。入れ違いで寮へ入っていくフレッシュマン。植え込みにほのかに記されたGOOD BYEのメッセージ。見開きで描かれたラストシーン。全11巻の全構成の中で、見開きで描かれたのはこのシーンだけだった。

今から30年以上前、リアルタイムでこのラストシーンを見た私は、物語の終わり方に衝撃を受けた。この作品においては、これしかないという完璧過ぎるほど完璧な終わり方だった。その後の編集人生において、見開きページの使い方を考える時は、必ずと言っていいほど思い出し、ヒントにするほどの影響をおよぼしている。今回は、その張本人である窪之内英策さんにインタビューさせてただいた。

漫画『ツルモク独身寮』
©窪之内英策/小学館

これまで描いてきた作品を見返すことはあまりない

――『ツルモク独身寮』(以下、『ツルモク』)の大ヒットが良かったことでもあり、壁にもなったというのを、過去のインタビューで拝読しました。そういった自他ともに印象的な作品を改めて見返したりすることはありますか。

窪之内英策(以下、窪之内):ほぼないです。たぶん、これまでで2回か3回くらいしかないですね。読み返すと顔が真っ赤になるんですよ。恥ずかしくて。

――では、内容は覚えていますか。

窪之内:ほとんど覚えていないというか、作品を描いてる時は現実世界というよりフィクション世界に埋没して、瞬間瞬間をものすごく集中してやっています。忙しいとか寝不足とか、そういう影響もありましたが、記憶がかなり消えていますね。当時、アシスタントに「鉛筆握ったまま気絶していましたよ」って言われましたから。僕的には瞬きしただけのつもりでしたが、1時間寝ていたとかね。

――イラスト作品も同じでしょうか。今、描かれている作品などは、さすがに見返したりはされますか?

窪之内:いや、見ないです。過去のものは、もし振り返るとしたら反省点を考えるためだけのものでしかありません。それもほどほどにしないとへこんじゃうから、それよりも次に描くものへのイメージを優先していますね。

©窪之内英策

描くキャラクターは、全部が自分の分身のような存在

――ほとんど覚えていないところを心苦しいのですが、こちらはリアルタイムで『ツルモク』の連載を追いかけていたので、作品の場面・場面が鮮明に記憶に残っています。なので、作品について質問させてください。

例えば、のぞきの常習、彼女への平手打ち、打ち合わせも食事も喫煙もOKでタバコのポイ捨て、宴会での下半身露出、過度の残業推奨など……。これらは『ツルモク』には欠かせないキャラクターや職場(物語の舞台)に、コントラストを出すためのマスターピースだと思います。しかし、現代のテレビなどではコンプライアンス的に難しい表現だったりします。今や漫画だけにとどまらず、映画や小説など多くの作品において、これは起こりうることです。作品として残っていくものを作るということに対して、注意していることや心がけていること、大切にしていることはありますか。

窪之内:残っていきますよね、作品は。だから、どこかで分離しているんでしょうね。今の自分とつながっているのですが、どこかで引いた感じで、若気の至りというか青二才な自分を見ている感じです。とにかくそういうものを否定はしない。恥ずかしいけれど、そういう時代もあると、否定はしないということです。

――マイケル・ジャクソンからジーザス・ジョーンズ。デザイナーズブランド風のセットアップ。杉ちゃんの髪形(終盤ではドラマ『東京ラブストーリー』期の江口洋介さんばりのきれいなロン毛)。レイ子がエコロジーをテーマにしたレストランを手始めに、自分の名前を冠したブランド展開をしていくくだりなどなど、積極的に流行の先取りをしている描写があります。それが逆に今読むと、やぼったく写ったりします。『ツルモク』は、積極的にトレンドを取り入れていたと思いますが、連載スタート前夜、ご自身はどういった状況だったのでしょうか。時代背景はバブル末期。ライフスタイルやテンションなど、作品に与える影響も大きかったのでしょうか。

窪之内:バブル期は、僕にとって人生で一番貧乏だったんですよ。『ツルモク』を連載し始めた時は、家賃2万円くらいのところに住んでいたんです。風呂もトイレもなくて、エアコンもなくて。夏でも冬でもコタツしかないような、非常に寂しい部屋でした。だから、バブルの恩恵を受けた記憶はないです。そういう中で、『ツルモク』を描いていたんで、2つの意味合いを持っていました。読者にウケるためのトレンドというものと、皮肉っぽい視点で取り入れたトレンドがあります。白鳥沢レイ子は、その象徴的なキャラクターなんです。バブルに浮かれたハイテンションな女性達を揶揄するつもりで描いていたんですけど、描いていくうちにどんどんかわいい女になっていってしまいました。

――そうですよね。白鳥沢レイ子は、どんどん憎めないキャラクターになっていきました。

窪之内:とにかく2つの面を考えながら描いていました。それは今でも変わらないです。トレンドの良いものは取り入れながら、それを少し斜めに見る視点も忘れないようにしています。

――キャラクター達には、思い入れが強いとかそうでもないとか、はたまたご自身を投影しているとか、そういった違いはありますか。

窪之内:キャラクターは、全部が自分の分身なんでね。例えば、田畑も杉本も白鳥沢も、すべて自分の中にある部分を誇張してキャラクターとして独立させています。主人公の正太にだって、描いている自分の断片が入り込んでいます。だから、違いがあるというよりは、全部自分と言えますね。

©窪之内英策

『ツルモク』で描いていたのは、「つながりたいけどつながれない人達のもどかしさ」

――キャラクター達に携帯電話がそれぞれあったら、どうなったんでしょうかね。

窪之内:全然違いますね。つまり、『ツルモク』で描いていたのは、「つながりたいけどつながれない人達のもどかしさ」なんです。いろいろなもどかしさの中での群像劇でした。だから、携帯電話があったら、『ツルモク』は今の時代のようにつながりすぎて疲弊しちゃう人達の物語になっていたでしょうね。わかりすぎちゃって、伝わりすぎちゃう。え!? この人は裏垢(=裏アカウント)でこんなこと言ってるの? みたいな(笑)。それはそれで1つの青春の物語は作れるとは思いますけどね。

――そうでした! 『ツルモク』は、20歳代の青さと大人への達観が混合する時代の話です。若者ならではの夢が、夢なだけで終わってしまうものなのか。社会の中でリサイズされてしまうものなのか。そんな葛藤を抱いた主人公の正太をはじめとして、キャラクターがそれぞれの生き方を語ってくれています。中でも、矢崎くんやミュージシャンのサトシなど、今の若者により響くと思われる考え方を持ったキャラクターがいました。ご自身も田舎から上京し就職、そして漫画家やイラストレーターという道を生きてきて、キャラクターに投影させた夢の数々。その夢の先にあった今、思うことはなんでしょうか。

窪之内:今は情報が多いから、若気に至れない(若気の至りじゃなくて)んですよね。みんな非常にクレバーだしスマートだと思います。僕らが若かった頃は、情報がなかったから思い込みで動けばよかった。若気の至りだらけで生きていられましたからね。周りも寛容でしたし。だから、今の子達は、そこがちょっとかわいそうかなと思います。

――窪之内さんがツルモク独身寮の寮長だったら、若者にどんなことを言いますか?

窪之内:いつでも会社やめていいよって。本気でやりたいことが他にあるんだったら、やめていいんだよって。いやかどうか。それがわかるのには10年とかかかるものだと思いますが、本気でやりたいことっていうのは自分自身ですぐわかると思います。

©窪之内英策

僕は漫画を描くというのはアスリートと同じ

――漫画家のインタビューを読んでいると「ある時期にスランプに陥ってしまった、脱稿してしまった、ついには連載が中断してしまった」というのを見ることがあります。スランプという言葉は、プロ野球選手のそれと同じかそれ以上に耳にする気がします。漫画家というのはスランプの恐怖が常につきまとうものなのでしょうか。

窪之内:そうですね。僕は漫画を描くというのはアスリートと同じだと思っているんですよ。毎回、ベストレコードを出せるわけではないじゃないですか。それなのに連載は毎週、ベストなものを描き上げなきゃいけない。それを続けていると自分のポテンシャルの基準が見えなくなってくるんですよね。そうなると絵についてもゲシュタルト崩壊を起こしてしまって、ワケがわからなくなって……。『ツルモク』の連載中に、そういう状態に陥っていましたね。電話線を引っこ抜いて、誰にも会いたくなくなってしまったほど。

――単行本になった時の各章のサブタイトルがNORMA(ノルマ)とつけられていたのも印象的でした。CHAPTERとか、●●の巻とかっていうのが一般的かと。いつのまにかノルマをクリアさせられているような感覚になってしまうほど、連載が苦しかったということでしょうか。

窪之内:はい。僕にとっては、まさにノルマだったので。連載前、「カリモク」という家具メーカーで組み付けの仕事をしていたことがあるのですが、その時から1日にラインに流し込まなきゃいけない台数のノルマがあって、ノルマっていうのはあまり楽しい言葉ではなかったんです。それで、漫画でもそういうサブタイトルにしてしまうほど、プレッシャーを感じていたんだと思います。連載に対する恐怖感ですね。だから、最終話の絵を描き終えた時のことは覚えてますよ。当時、ロフトがある部屋に住んでたんですけど、曇天だったのにいきなり天窓から日が差し込んできて、わーって光に包まれたんです(笑)。その瞬間に涙がボロボロって流れ落ちてきて。

――それを聞くと、窪之内さんの故郷である高知の室戸岬で、修行中の空海の口の中に金星の光が飛び込んできたという逸話を思い出しますね。

窪之内:いやいや、それとは全然レベルが違いますけどね(笑)。

――ちなみに人生における最大で最高のノルマはなんでしょうか。

窪之内:とにかく絵を見た人が幸せになる笑顔の数でしょうか。それにつきますね。僕は、描くこと、それはイコールで誰かを楽しませるということに直結しています。絵を見た人が楽しんでくれたり、にこっとしてくれる。それが僕のノルマかな。こんなこと言うと、ちょっと気持ち悪いか。でも、僕が絵を描く目的は、それしかないんですよ。子どもの時からそうでした。クラスメイトを楽しませるために描いてました。

――『ツルモク』以後、連載作品はわずか4作品。しかも、その4作品は、『ツルモク』の全11巻を超えるものがありません。多作の漫画家ではないと思います。その反面で、絵、特に線画では、素晴らしい作品を数多く描き続けています。というか、毎日描き続けています。漫画を描く、ストーリーやネームを書くということへの名残りはありますか。

窪之内:単純に漫画はしんどいというのがあるんです(笑)。トラウマ級にきつかったし実際に体も壊してしまったので、恐ろしいんですよ。プライベートも何もかも捨てて集中してやらないといけないというか、それくらい自分を削らないとできない。今の年齢と体力でそれをやるとなると、本当に相当な覚悟をして臨まないといけないですよね。

――線画をはじめイラストは、今なお毎日精力的に描かれていらっしゃるのに、また違うのですね。

窪之内:漫画は別物です。考えることが多すぎます。漫画の世界は、全部自分なのでね。誰かに委ねて、あるパートはやってらもうとかってできないんです。

――漫画家には、アシスタントや編集者がいます。イラストレーターとしての仕事もそういう人達が周囲にいるかもしれません。少数精鋭もしくはたった1人でやる作業と、大所帯のチームでやる作業、どちらが好きですか。

窪之内:それは、1人で世界をコントロールできたほうが気持ち的には楽ですし、それがいいです。

1つの世界を全部作り上げるという仕事の仕方は、漫画家

――レベッカのノッコやRAM WIREなどの音楽作品のジャケットデザインをはじめ、近年では日清食品カップヌードルTV CM「ONE PIECE篇“HUNGRY DAYS”シリーズ」のキャラクターデザインなども手掛けていますね。そういったクライアントワークでは、ト書きに細かい注意や添削を入れることも多いと聞きました。動画作成においてもっとも大切にしていること、そして、それをどこまで他人に託すことができますか。

窪之内:そこですよね。それは学びました(笑)。動画作成などの仕事をやり出したのはここ数年なのですが、漫画家の時のやり方の感覚がずっと残っていたんですよね。だから、当初はすごく細かく描いて、アニメも僕がキャラクターをデザインしたなら、それがそのまま動くのかと思っていました。でも現実は違いました。僕が描いたキャラがアニメの仕様に落とし込まれていたのを見て、愕然としちゃいましたね。でも、それぞれの分野のエキスパートが関わっているわけで、どっかで妥協しないといけないんだなと、それはわかりました。

まれかもしれませんが、感性が合う人と一緒に作ることができれば、仕事は死ぬほどおもしろいだろうなと思います。「うわ、こいつすげえ、何しでかすんだろう?」と、僕がワクワクして嫉妬するくらいの人と出会いたいですね。絶対にいると思うので。

――クライアントワークをきっかけに、窪之内さんを知る若者も増えていると思います。なのに漫画を描かなくなっても、アーティストとか画家とは名乗らずに、漫画家と答える。肩書きにはこだわりがあるように思います。

窪之内:そうですね。発想力などに関しては漫画家でいたいと思っているんです。1つの世界を全部作り上げるという仕事の仕方は、漫画家なんですよね。それに僕は、毎日、紙の上で挑戦しています。紙が僕の実験場なので。自分がイメージしたことをどれだけ具現化できるのか、もっと魅力的に描くにはどうしたらいいのだろうか、紙の上のリング、紙の上のラボという感じです。そして、見てる人は気付かないレベルで、絵は毎日ちょっとずつちょっとずつ変えているんです。それは5年、10年のスパンで見てもらうとわかる違いなんですけど。すべては、良い絵を描きたい、見た人を楽しませたいがためです。このレベルじゃだめだ、もっとあるだろ、もっとできるだろう、という思いです。

窪之内がキャラクターデザインを手掛けた日清食品カップヌードルTV CM「ONE PIECE篇“HUNGRY DAYS”シリーズ」
©︎尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

人をちゃんと描いていれば、100年後であれ、人についてを感じてくれるはず

――デジタル全盛の時代で、紙と鉛筆で描き残すこと。それは一度印刷してしまうと消せない線になるわけですが、この残していく作業、残っていってしまうという行為について、どういう思いがありますか。

窪之内:SNSは、みんなを楽しませようと思ってやっています。どんなに小さなことでも、作品を発表するというのはエンタメだと思っているので、楽しませるということが大前提です。それがないなら、絵を描く意味がないと思います。自分のために絵を描くつもりはないですからね。見た人がクスっとしたりドキドキしたり。コロナ禍になって、よりネガティブな話題に乗らないようにしているというのもあります。

――以前、江口寿史さんにインタビューした時に、江口さんの唯一のコロナ禍の表現が、アゴマスクをして雪降る空を見上げている“彼女”の絵だったとおっしゃっていました。その1枚は時代性の描写として残しておこうと思ったと。

窪之内:そうでしたね。僕も1つやりましたよ。マスクからアゴひげが出ている人のそれを刀で斬っている絵を描きました。

――それは斬るというか切りたくなりますね。

窪之内:なんかあれは気になるなって(笑)。

――そこで1点、窪之内さんにお会いできるということで、直接聞きたかったことがありました。

それは、漫画だけでなく映画や小説などにおいて、作品の数だけいろいろな終わり方があります。たくさんの物語のそれぞれの終わり方を見てきた中で、『ツルモク』の終わり方は、個人的に完璧過ぎました。これしか考えられないというほど完璧でした。登場人物達のそれぞれの人生の転換をフラッシュで楽しませてくれながら、最後に主人公の正太の成長ぶりとそれを明確に伝えてくれるようなソリッドな線(スタイル、ルックス)で引き込んでいった上で、ヒロインのみゆきへの爽やかな風のようなアプローチ。

11巻におよぶ物語の最中は、まったくはっきりしないうやむやな状況を、一気にまとめてくれています。この終わり方が印象的すぎて、そのページから動けないというか、何十年たっても、それが憧憬になっています。あの終わり方というのは、いつから構想にあったのでしょうか。

窪之内:それだけは覚えてますよ。あの終わり方にするって、最初から決めていたので。連載でいくって言われた時から、あの終わり方だけはイメージできていましたし、そうするって決めていたんです。主人公と新入社員が寮の前ですれ違うシーン。あれは、『ツルモク』は、独身寮そのものが主人公だと思っていたんです。余韻が残る作品を意識していましたね。

――めちゃくちゃ余韻がありましたよ。しかし、あの終わり方が物語が始まる前からあったなんて……。

窪之内:ありがとうございます。良い音楽と同じです。気持ち良いリフレインをずっと聴いていたくなる感じですね。

――ご都合主義ではなく、実際的な息吹を感じさせるキャラクター達。それを描き出す窪之内英策さんだからこその、「線画でも人間でも実際にいるものから共通して感じるもの」とはなんでしょうか。

窪之内:それは漫画家時代からずっと一貫しているのですが、人を描く時は人を見るということと、その上で自分の中で人を作るということですね。だから、僕が描く人は、絵から絵を写したものではなくて、例えどんなに誇張していようが、逆にシンプルな線であろうが、それが人だという意識で成り立っています。人をちゃんと描いていれば、100年後でもそれ以後でも、誰かが見た時に、人についての何かを感じてくれると思っています。浮世絵がまさにそうじゃないですか。ちゃんと人が描かれているから、こちらもちゃんとそこからその時の人を感じますよね。様式や風俗ではなく、本質的な人の部分を感じさせる絵というものは、どの時代でも変わりなく大事なんだなと思います。

©窪之内英策

――音についても質問したいのですが、『ツルモク』では、三反田(さんたんだ)寮長のライヴパフォーマンスや寮の備えつけの電話のコール。さらにレイ子がボンゴレをペロリと平らげる光景。タバコをくゆらして休憩する工場シーン。先輩社員の植木さんのジッパーが下がったり、上がったり光っていたりする姿。そういった、音が今にも想像できてしまうシーンが印象的でした。

映画でいうなら、靴音や馬の蹄、食器のガチャガチャなど、プロップスが非常に効果的に音を演出している感じです。音が聞こえてくる絵と言いますか。そういうった音を絵にするという感じは意識されていたのでしょうか。

窪之内:嬉しいですね。そうです、すごく意識して描いていました。絵や色からイメージする音というのは、人が持っている共感覚から生まれるものです。実際には、線画って黒で輪郭線を描くもので、現実世界にそんな生き物はいません。アウトラインだけ見たら、黒いだけですからね。でも、みんなその線画から、人や物を想像できるわけです。それは共感覚によるものなのです。だから、僕にとっては、絵やコマ割りのリズムで見せることは、1つの音なんですよ。

絵は音楽的というか。僕は映画も音楽も好きなので、そういうった部分が大いにあるかもしれないです。あとは、歌の世界もそうですね。俳句とか。5・7・5という必要最小限の言葉の羅列で、信じられないほどの宇宙の広がりを表現してるじゃないですか。そしてその韻(音)が美しい。というように、これらが自分の中にあって、それをひっくるめて絵を描いています。だから、絵から音が聞こえてくるというのは、嬉しいですね。

――ちなみに映画とかご自身の作品の中で、気に入っている音はありますか。

窪之内:音!? そんな質問は初めてです(笑)。音楽は好きで、仕事中はもちろん、車に乗っている時でも、音楽がないと気が狂いそうになるほど、とにかくずっと音楽を聴いています。でも、音楽じゃなくて音っていうと……。それなら雨の音が大好きですかね。めちゃくちゃ好きです。雨の音は美しいシンフォニーだと思います。だから、雨が降り出してくると、うっとりしてしまいます。その時だけは、無意識に流していた音楽を消していますね。

窪之内英策
1966年生まれ高知県県出身。漫画家・アーティスト。1986年、『OKAPPIKI EIJI』(「週刊少年サンデー」)で漫画家デビュー。1988年に連載スタートした『ツルモク独身寮』(「週刊ビッグコミックスピリッツ」)が大ヒット。その後、『ワタナベ』『ショコラ』『チェリー』(ともに「週刊ビッグコミックスピリッツ」)などの人気作品が続く。近年は、作品集『ラクガキノート』(玄光社)に代表されるように、線画を主体にした、ユーモアと実際的な体温を感じさせるキャラクターを描いている。MVをはじめ、キャラクターデザインを担当した日清食品カップヌードルTV CM「ONE PIECE篇“HUNGRY DAYS”シリーズ」などは、ユースカルチャーからも高い支持を得て、どの世代にも突きささるものを描き続けている。
Twitter:@EISAKUSAKU
Instagram:@eisaku_kubonouchi

Phoography Takeshi Abe

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一般社団法人go parkyの代表、海老原奨に聞く、公園バスケの現状とリノベーション・アートコート・プロジェクトについて https://tokion.jp/2022/06/11/interview-go-parkey-susumu-ebihara/ Sat, 11 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=121446 「一番最初に積もった雪の結晶を見てみたい」。そんなロマンチックなことを思うのは、作家やインテリの専売特許だと思ったら大間違い。最初の一歩を踏み出すのは、勇者か変わり者か。もしくは、どうしてもそれをやらないと居ても立ってもいられないほどの情熱や信念を持ったヤツだったりする。今回は、公園バスケという場所とそこから広がる未来について。バスケ愛を貫く最初から最後までの結晶を持つ人物に話を聞いた。

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一般社団法人go parkyの代表、海老原奨に聞く、公園バスケの現状とリノベーション・アートコート・プロジェクトについて

大きな壁に描かれたグラフィティアート。それがイリーガルなものかリーガルなものかは置いといて、良い意味での違和感を伴った際立つ存在。それはとても印象的だ。これは何もバンクシーから始まったわけではない。バンクシーによって、そっちのほうを取り締まるばっかりだった人達も、違う興味を持ったにすぎない。

私達の街や社会には、もっともっと昔から、公共の場に絵を描く、アートを残すということは存在していた。そのようなアートに触れて、世界のことを知ったりするひとびとも多い。いわば、この見上げるアートから、今回は見下ろすアート。もっと言うと、アートをプレイグラウンドにして一緒に遊ぶものを描き、残していこうとしている人達のストーリー。

壁に描いたアートに誰かがスプレーを入れることは、「上にいく」という意味合いを持ち、忌み嫌われる。では、プレイグラウンドに描いたアートを踏みつけて汚して飛び跳ねて躍動するのは、なんと称されるのだろうか。すこぶるすてきなアートの上で、キッズやいろいろな人が遊び続けるシーン。

今回は、描くアーティストと遊ぶプレーヤーが、どちらも一緒にペイントして作り上げるプロジェクトを紹介したい。使い込まれたバスケットコートを、アーティストが1つの作品に仕上げた。それをリノベーション・アートコート・プロジェクトという。これは、その活動を推進している団体、go parkeyについてのアーティクル。

海外では現役プロ選手が参戦する大会も開催されるなど、さまざまな利用方法がある公園バスケ

――まずは海老原さんのプロフィールについて聞かせてください。バスケットボールプレーヤーだったということでいいですか?

海老原奨(以下、AB):はい。10歳の時に公園のバスケコートで始めてから、ずっとプレイしています。ミニバスのチームが近隣になかったこともありますが、友達と好きな時に公園に集まってバスケしているのが、自由で楽しかったですね。平日は、朝礼の前と終礼のチャイムの後は校庭に集合。週末は、自転車のカゴにボールを入れて、地域のいろいろな公園のバスケコートに行っては、年上の子や大人ともプレイするのが楽しみでした。

――適切な表現ではないかもしれませんが、俗にいうバスケエリートのような華やかな経歴はお持ちですか?

AB:いえ、持っていませんね。部活動の大会で好成績を出して、進学時の推薦をもらう、というような縁はありませんでした。公園バスケが居場所でしたが、それは履歴書に載せたり、経歴になるようなものではありません。ですが、大人になってから、3×3バスケットボールの日本代表候補になったことはあります。

――では「公園バスケ」というのは、どういったカテゴリーになるのでしょうか?

AB:カテゴリー分けする必要はないとは思いますが、地域の公園の中にときどきバスケゴールとコートがありますよね。あれです。日本では地域の運動施設の1つというイメージですが、海外では現役プロ選手が参戦するハイレベルな大会なども行われており、公園のコートを利用する目的の幅は広いです。コートの利用方法もさまざまで、1人でシュートしたり、3対3のようなオールコートでのバスケの概念を崩した遊び方があったりと、それが公園バスケの魅力です。公園生まれの3対3(スリー・オン・スリーとも言う)に関しては、近年3×3(スリー・エックス・スリー)というレギュレーションが確立され、正式に新しい競技となりました。

――それは、東京オリンピックで競技採用されていましたね。ABさんは、五輪期間中はまさにその3×3という新競技に関係していたと聞きました。実際、どんなことをされていらっしゃったんですか?

AB:ついに五輪デビューの3×3を、オリンピック仕様にするための準備をしていました。選手としての経験と、国際プロジェクトマネージメントを仕事にしていた経験があったので、それをかけ合わせたスキルを生かしていました。

具体的には会場についてのハードの準備段階と、大会本番のルールや運営計画のソフトの準備がありました。ルールを作っている国際連盟のFIBAと密接に関わりながら、世界中から集まる五輪関係者とやりとりを重ねました。そうやって、東京五輪のコートやボールのデザインに携わらせてもらえたりして、とても充実していましたね。その反面で、コロナ禍による五輪史上初の大会延期があって任期が1年延びたり、無観客開催になってしまったり、トップの森さん(森喜朗大会組織委員長)が辞任されたりと……。さらには、大会本番中に熱中症になってしまいと、トピックスにこと欠かないほど濃厚な、まさにに唯一無二の経験をさせていただきました。

――東京五輪はもともと暑すぎる東京の夏が心配されていた上に、コロナ禍での開催と、懸念事項が山積みな中での開催でした。ご自身の周囲でもアゲンストな風が吹き荒れていたと思いますが、その時の心境はいかがでしたか?

AB:なかなか不条理な状況でした。スポーツそのものに罪はないのに、あのような社会情勢では、自分が愛するバスケマターな仕事じゃなければ、割に合ってなかったとはっきり言えますね。毎週末、オフィスの前では五輪開催に対しての反対デモが行われていたり、連日、中止説も囁かれたりしていました。さらに給与も高くなかったですし、退職者も少なくなかったのが実情です。一方で、「なぜ自分がこの仕事をやり続けるのか?」と自問自答する日々だったので、良い学びがあったと思います。やり続けられた理由は、シンプルでした。純粋に、単純に、バスケが好きだからです。そして、個人的にもつながりが強い3×3バスケの世界でのお披露目(五輪デビュー)が、社会に、特にキッズの未来に前向きなインパクトを中長期的にもたらすことができると信じていたからだと思います。

大会の延期や中止、それにコロナ禍に関しては自分のコントロールがおよばない部分ではあるので、あの時に自己責任でできることをひたすらしっかりやろうと努めていました。

――それは、五輪後も生かされていると。

AB:はい。自分の信じている好きなことをシンプルに正しく楽しむこと。これこそが、結果的に社会への貢献につながるというマインドセットになっています。

傷んだ公園のバスケコートを補修し、美術館レベルのアートを施すことで、子ども達と地域に安全で楽しい場を作りたい

――そこで、今回の話、go parkeyについてです。このgo parkeyという活動単位と言いますか、考え方は、五輪以前からあったのでしょうか?

AB:はい。2018年にイメージを持ち、2019年頃には本格的な活動の準備を始めていました。

――ちなみにgo parkey……、これはどう読んだらよいでしょうか?

AB:ゴー・パーキーですね! ぱーきー!

――造語ですよね。どういった意味が込められているのでしょうか?

AB:公園バスケが好き過ぎて、コートに住みついてしまうようなひとびとの総称になります。Pikey(ヨーロッパではジプシーのことを指す。映画『スナッチ』参照)という単語があるのですが、そのバスケコートバージョンですかね。

――具体的には、どのような活動をされるのでしょうか? 公園のバスケコート脇にテントハウスを建てるとか、映画のようにキャンピングカーで違法占拠するとかなど、詳しく聞かせていただけますか?

AB:イリーガルなことはしませんよ(笑)。古びたり傷んだりした公園のバスケコートの床面を補修し、美術館レベルのアートを施して、子ども達と地域のために安全で楽しい場を作るということがミッションです。コートは画家さん(アーティストや芸術家と言ってもいいですが)にデザインをお願いし、地元の子どもや地域住民と一緒に実際のコートにペイントするというプロセスがミソです。

なぜなら、自らペイントしたアートコートの上でバスケをする、そういう実体験からコートと地域への帰属意識をもってもらえたり、クリエイティブなインスピレーションが生まれると思うからです。確信にかぎりなく近い願いでもありますね。

――それは、カテゴリー分けするのが好きな人達には、なんとも説明し難いですね。ボランティアとか、ファンデーションとか、ディストリビューションとか。慈善的な経済活動と嫌味を言われることもありえそうですね。

AB:そんなこともあるかもしれませんね。しかし、実際に完成したアートコートを見ていただければ、そうでないことはすぐにわかるかと思います。わかる人にちゃんと伝わると思っています。

――では、これはどうでしょう。バスケが安全に楽しくできれば、別にプレイグラウンドにアートが描かれてなくたって、いっこうに構わない人達もいますよね。実際、描かれたアートが、プレイするたびにどんどん劣化していくのは想像ができます。それなのに、なぜアートコートなんでしょうか。

AB:はい。バスケには、スポーツとしての競技という側面と、アートとしての要素があると考えています。これは、バスケの特性であるクリエイティビティです。つまりドリブルの技1つをとっても、さまざまな技を組み合わせたり、さらには新しい技が生まれたりします。加えて、シューズやアクセサリーや髪型で自分だけのスタイルを出したりと、創作性の高いスポーツなのです。これらバスケのアート要素を究極に引き出したのがアートコートです。

もちろん、ルールにのっとった、ラインとサークルだけの体育館的コートのソリッドな美しさもあると思います。一方で、今までアートに興味のなかったバスケ選手達も、このアートの側面に気付かされるとともに、新しい可能性やインスピレーションを得ることができると思います。

コートの寿命とともに、そして移り変わる季節とともに、アートコートがその姿を変えていくことも、魅力の1つです。アートコートの上に立ってプレイしてもらい、ぜひ自らもアートの一部となるエネルギーを感じてもらえればと思います。

――ちなみに、インタビュー前に、「まだまだ美化運動やポップアップイベントなどと混同されることがある」とおっしゃっていましたね。

AB:誤解を招きたくはないですが、イベントなどで公園バスケが盛り上がることは、とても良いことだと思っています。一方で、その多くがバスケコートをイベントの手段として利用されていて、目的ではなかったりします。

go parkeyは、その場所、そこのコートそのものに働きかけるというか寄与することが目的です。一過性のものではなく、正しく何かを残して、子ども達がいろいろな可能性を広げていく場所へと再生する目的があります。

――アートコートにこだわり、それによって広がっていく新しいコミュニティやカルチャーのベースライン。それがさらに大きな可能性を生み出す。そういうストーリーは、go parkeyならではのビジョンなのですね。

AB:そうですね。当初はあまり前のめりで宣伝していくつもりはなかったのですが、この活動を始めてアートコートとそれがもたらす前向きな社会へのインパクトはとても大きいと確信しました。だからこそ、このプロジェクトを多くの人に正しく知っていただくこと、伝えながら実績を残していくことの責任の大きさを感じています。

公園バスケのコートでプレイするのに資格がいらないのと同じように、参加するのに規定や資格はない

――実績イコール、リノベーションしたアートコートとして生まれ変わった公園ができることだと思いますが、実際にはそういった場所はありますか。

AB:東京都中央区浜町公園が、国内第1号のアートコートとして、4月末にオープンしました。アートは画家の今井俊介さんに手掛けていただき、中央区民の子ども達と一緒にコートを完成させました。ちなみに、今回のプロジェクトには、前例のない初めての活動にもかかわらず、「スポルディング」が協賛企業になってくれました。協賛企業は、go parkeyにとって欠かせない大事なファクターです。彼らのサポートがペンキとなり、ブラシ、そして私達の活動資金となります。企業の多くが地域や消費者に還元したいという思いをお持ちですが、なかなか直接的なアプローチができていないのが現実のようです。今回、コミュニティにポジティブなインパクトを残す活動の一環として、go parkeyにベットしてくれたことには本当に感謝していますし、もっと多くの企業に関心をもってもらえたらとも思っています。

――今回のプロジェクトにおいて、go parkeyがキュレーションしたアーティストについても教えてください。

AB:画家の今井俊介さんですね。go parkeyのプロジェクトメンバーには、おのおのが得意とする分野でのオピニオンリーダー達がいるのですが、今回はアメリカに住む、go parkeyのプロジェクトメンバーのダンが探し出してきました。彼は、アメリカでProject Backboardという、go parkeyが尊敬しタッグを組むアートコートプロジェクト団体を展開しています。そのダンが、「シュンスケ・イマイのアートワークからはライト・エナジー(正しいエネルギー)が出ている、彼は良い」と言っていたのが印象的です。私も含めてメンバーの誰も、今井さんのことは知らなかったのですが、彼の作品の数々にすぐに魅了されました。あの浜町公園にイメージもピッタリだと。まずはダンから直接アプローチをして、それから日本にいる私とメンバーでオファーをしました。

――アーティストはバスケコミュニティの人ではなくてもいいのですか? もっと言えば、プロジェクトに関わる人にも、どこからやって来たのかとか、規定や資格などは関係ないのですか?

AB:公園バスケのコートでプレイするのに資格がいらないのと同じように、特に規定や資格はありません。基本的には、その公園のプレイグラウンドに合うアートという軸にこだわり、そこから素晴らしいものがイメージできれば良いです。もちろん、アートがコートにマッチしていれば、バスケコミュニティにいるアーティストになる時だってあると思います。

――ふと思ったのですが、アーティストは今回の今井さんのように画家(芸術家)だったり、ストリートの壁からその才能を発揮している、例えばグラフィティアーティストだっています。そういった自分の作品や創作活動にこだわりがあるひとびとは、すべてを自分で描きたい、ペイントしたいと思うことがありそうですね。

AB:それはそうかもしれません。だからこそ、先ほども言ったように、子どもや地域のひとびとの参加が、プロジェクトの大事な部分となります。コートを実際に使用するひとびとがペイントのプロセスに参加するワークショップ型ペイントは外せません。

関わった子ども達がコートへの愛着心や帰属意識を持つこと。これは、コートはあくまでアーティストのものでもなく、もちろんgo parkeyのものでもなく、地域のキッズのものであるというビジョンを明確に表すものです。

公共のバスケコートは子ども達と地域のその未来のための場所

――技術的な部分に触れるのですが、アートとペイント以外で大切なことはありますか? そして、今回のプロジェクトを実際にやってみて大変だったことや、もっと改善できること、さらに楽しくなるヒントなど、手応えを含めて感想を聞かせてください。

AB:雨ですね(笑)。工程でいえば雨の影響が想定以上に強かったので、今後は天気をより意識した作業ができればと思います。これは本当に大変でした。プレイする側のボーラーの時と同じで、晴れているうちにやる! やれるだけやる! これが鉄則なのはバスケもペイントも共通かつ最大公約数でした。

一方で、コートをペイント作業で長期間クローズすることは、利用者への負担になってしまうので、作業スケジュールとの闘いは今後も続くと思います。また、浜町に関しては公園の都合上、大々的なイベントは行いませんでした。しかし、今後はコートが完成した後に、そのコートに魂を吹き込むためにも、キックオフ的な盛り上げ企画などにも、取り組んでいきたいと考えています。

――このようなプロジェクトは、徹底したストーリーがないと妥協の連続になってしまう気がします。ストーリー的にも大切にしていることはありますか?

AB:やはりコートの利用者の子ども達、そして地元民が主役であるということでし。go parkeyもアーティストも、スポンサーも、あくまで彼らのための場所を再生するのだということを勘違いしないようにしなければなりませんね。

――go parkeyは今回、その最初の一歩を踏み出したわけですが、日本でもこのような活動が増えていきそうですね。

AB:そうなることを祈ります!

――このあとの理想的なストーリーはありますか?

AB:まずは、公共の公園への注目が高まってほしいと思っています。誰もが使える公共の公園がイケてないと、単純に生活がつまらないですよね。自治体も予算との戦いもあって、市民のニーズがつかみづらいと思うので、そこをgo parkeyがサポートしていきたいです。そして、公園バスケとアートコートの素晴らしさを知ってほしいですね。公園バスケのコートからたくさんのストーリーが生まれる。バスケをして最高の気分になったり、新しい友達ができたり、カルチャーが生まれたり。知らない人と交流したり、アートにインスピレーションを受けたり、そのダイナミズムが公共の公園の空間で起こるということを広めたいです。

――今後、go parkeyのこのリノベーション・アートコート・プロジェクトがどんどん進んでいって、日本にもプレイグラウンドがさらに増えて、バスケだけでなく公園で出会いや学びや、ときには社会のルールを学んだりすることがあるとします。それは、最初に描いたところから比べると、いわゆる活況状態になりますよね。それでもgo parkeyの中で、変わらないもの、ブレないこととはどんなことでしょうか?

AB:アートと地元のキッズ、地元民へのリスペクトですね。何度も言いますが、あくまでもコートは子ども達と地域のその未来のための場所であり、主催者の私達の自己満足のためのものではないということです。

――アートと場所と子ども達、そして地域のひとびと。それがあればいいわけですね。あえて、他にもこのプロジェクトで必要なものはありますか。

AB:メディアアーカイブですね。go parkeyは集団芸術なところもあると思っていますが、完成したアートコートはもちろんのこと、このプロジェクトに関わる多様なひとびとが1つになり、修復やペイントを進める過程をしっかり記録として残してくことが重要です。活動の記録を多くの人に見て知っていただき、それをそのままインスピレーションにしてもらえたらと思っています。

――今後の実際的な計画はありますか。教えてください。

AB:go parkey元年の今年には、あと2件のプロジェクトを予定しています。来年以降もプロジェクトを全国で展開していく予定です。実際、現在も多くの自治体よりお問い合わせを頂いています。どんなご当地アートコートができるか、今から楽しみです。そして、go parkeyはコートとアート、バスケへの愛でつながっていますので、国境は関係ありません。今後世界のどこでどんなコートとひとびとに出会えるかが楽しみです。

――最後に。このgo parkeyにかける情熱的ストーリーのプロットは、どれほどのものですか。そりゃ、とても熱いのだと思いますが、具体的にどんなものなのか、ご自身の言葉(情熱)で答えてほしいです。

AB:ライフワークという言葉がありますが、go parkeyがまさに自分にとってのそれです。今後自分が生きていくかぎり、ただ粛々と、go parkeyとともにアートコートを生み出していこうと思います。そういう気持ちです。よろしくお願いします!

海老原奨
日本初のリノベーション・アートコート・プロジェクトを推進する、一般社団法人go parkey代表。幼少期よりバスケットボールを公園で遊び続け、気付けばアメリカを中心に、世界中の公園コートでのピックアップゲームやトーナメントに参加するように。2021年には、公園バスケ発祥の五輪新競技「3×3バスケットボール」の開催と運営に競技経験者として貢献。東京五輪後の恒久的なバスケットボール競技および文化普及活動をライフワークに、go parkeyを設立した。ちなみに、parkey(パーキー)とは、プレイグラウンドにいつでもいるpikey(パイキー)のようなボーラーなど、公園バスケを愛するひとびとを表す造語。
https://www.goparkey.com
Instagram:@go_parkey / @ab_tokyo

Photography Kenji Nakata

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――起きてハグをしたら朝食を食べるのが当たり前のように、スケートを撮り、スケートに描くアーティスト、マイク・ケルシュナー https://tokion.jp/2022/05/11/mike-kershnar/ Wed, 11 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=113731 今春は雨が多く屋外でのペイントワークではかなり泣かされた。今回登場のマイクも屋外でペイントするアーティスト。それもカリフォルニアの100点の青空を味方につけたアーティスト。

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すぐそばにスケートボードとドローイングセットがある日常。首にぶらさげたカメラ。iPhoneのアドレス帳。滑って、描いて、撮る。それからアドレス帳とにらめっこしながらスケートエディター達にできたてホヤホヤのアーティクルを送る。このページになるまでのスキのないクイックなルーティンが彼のスタイルでエネルギー。それでいてテーマや題材は、ローマは1日にしてならずな濃厚なネタばかり。

アーティスト、マイク・ケルシュナーは、フィルムで写真を撮り、ペンを握って絵を描き、そして飽くことなく文字をタイプする。その創作欲求は、1週間が7日間では足りないほどだ。1日24時間分からはみ出したエネルギーで、彼だけの8日目を作り出してしまうのではないかと、私は思っている。一番の強みは、スケートデッキに乗り込んで、それに搭載できるだけのツールさえあれば、彼はどこででもエネルギーをカタチにすることができること。

彼は、このスタイルからして、間違いなくこれまでスケートシーンにいなかったタイプのアーティストの1人だろう。個性的なものをつくり、残す。その片鱗を少し紹介したい。

彼との出会い

まずマイク・ケルシュナーは、これまでも、そしてこれからも、何があってもスケーターだ。例えば、世界中でカナディアン・メイプルの伐採が禁じられたとしても、彼はリメイクしたプライウッドのスケートデッキを乗り継いでプッシングするだろう。そんな彼は、カリフォルニアのアーバインを拠点に、スケート・ワイルド(スケート、自然、アートを通じて若者を支援する組織)のファウンダーの1人。

私は、スケボーマガジンの編集者兼発行人として、これまでに数多くの個性が強いスタッフと交流してきた。その中でもマイクの印象は強い。強くて、良いイメージを持っている。

初めての交流は、ある時、突然にやってきた彼のメールだった。20年以上もスケボーメディアをやっていれば、そういったアプローチはいくらでもある。珍しいことではない。それに、その人が撮った写真やアートワーク、それに書いた文面を見れば、私としてではなく『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)として、一緒におもしろいページをつくることができるかどうかを感じとることができるものだ。
「マイクと何かやりたい」。私はすぐに返事を書いた。そして新しい『Sb』で、すぐに彼の記事がページを飾ったのだった。それからがおもしろくて、マイクは、半年に1度のスパンで発行されている『Sb』にもかかわらず、どんどんとアーティクルを送ってきてくれる。それを採用するのもしないのも、こちらの感度次第だ。しかし、マイクはそんなことも百も承知で、どんどん新しいできごとに取り組み、撮り、描き、書いてくる。このとどまることを知らない彼のエネルギーに、私はとても刺激を受けている。いつしか私自身も影響を受けて、他の仕事やプライベートなものもので、書く量も回数もどんどん増えている。

いくつになっても、どれだけキャリアを積んできても、こうして新しい刺激で成長させてくれる才能や存在は、貴重である。マイクとの交流は、『Sb』とそれを楽しんでくれる読者にとってだけでなく、私にとっても財産なのだ。

プロとしてのキャリアをスタートさせるきっかけ

カリフォルニア州オレンジカウンティで育った、マイク・ケルシュナー。生粋のカリフォニアンである彼は、ティーンの頃からドローイングやペインティングが好きなだったようだ。スケートイベントでよく催されていたライヴペインティングで頭角を現していった。

転機は2つ。1つは、とあるコンテストで、エド・テンプルトンと隣り合わせになったこと。これをきっかけにして、彼がボスを務めるメジャーデッキブランド「トイマシン」で、スケートボードグラフィックをやるチャンスを得た。これがアーティストとしてのマイクのキャリアにつながっていった。

そして、もう1つ。それはフォトグラファーとして。それまでのシーンでは、写真撮影はたいていブライアン・ゲーバーマンら大物が担当していた。そんな中で、ジョー・ブルック(本連載にも登場してる)が、彼の愛車ビッグブルーでの撮影に連れて行ってくれて、マイクに写真撮影をするチャンスを作ってくれたのだった。

その時のジョー・ブルックの言葉が強く残っているという。
「アーティスト仲間のマイクだよ。よかったら、プロスケーターの君達を撮影させてほしい」。
そう言って紹介してくれたという。だからマイクは、いろんなスケートチームに出会い、撮影するチャンスを得た。ジョー・ブルックはナイスガイだと、以前に私も書いたが、本当に彼はチャンスを平等に与え、偉ぶることなく、人と人とを橋渡しする達人だ。

こうして、マイクは、エド・テンプルトンを手本に、ヴィジュアル・アーティストやスケーターとして、そしてジョー・ブルックを手本に、フィルムフォトグラファーとして活動を続けてきた。

いつまでも変わらない本質

マイク・ケルシュナーの足跡。作ってきたもの、描いてきたものは、とにかく膨大な量がある。アーティストや映画監督などは、多作タイプとそうでないタイプに分かれるが、マイクは間違いなく前者だ。
彼の膨大な作品数の最大公約数は、“スケートにずっと関わっているけれど、描く絵はスケートについてではない”ということだろうか。彼の作品のトピックは、スケートではなく北アメリカの野生動物について知ってもらうことだ。この地で人間と共存する生き物達。

小さい頃からゾウやキリン、ライオン、パンダなどの神話によく触れていたという彼が、その中でも一番興味を持ったのは、近くに生息する動物だった。コヨーテ、マウンテン・ライオン、アライグマ、ボブキャット、カエル、ガラガラヘビ、フクロウ、アオサギ、ミサゴ、そしてカリフォルニアの州旗にもなっている、絶滅寸前のクマ。そういったものに、想像をかき立てられたという。だから、マイクの作品からは、常に自然の中で生きていることを感じられるのだろう。

どことなくインディアンのネイティブプリントをほうふつさせる象徴的な彼のタッチ。そのキャンバスにスケートデッキやスケートセクションを選んだのが、スケートでプッシュし続けるマイクらしさと言えるだろう。

今後のヴィジョン

コロナ禍が落ち着いたならば、マイク・ケルシュナーは、アーティストとしての旅をまた広げていくことだろう。彼も自覚しているのは、スケーターとしてのスキルのピークは20代だということ。ステアの数を競いハンマートリックで魅せるならば、それはより若い時がベストだろう。しかし、創作活動は年を取るほどに成長していくものだ。

例えば、描き方や色使いにより自信がついていく。それを念頭に、マイク・ケルシュナーは、今後はさらに北アメリカの野生動物について探求しつつ、世界の多様な文化と神話も学びたいという。そう、世界各地の野生動物やそれにまつわる神話を探す旅を広げるのだ。もし、日本に行けるなら、ポンポコなタヌキをリアルサイズで描いたり、ローカルのスケーターをフィルムで撮影したいという。

ちなみに、マイク・ケルシュナーというのが名前だが、私は普段、彼のことを、ハスキー・ラウンドアップと呼んでいる。なぜかって。それは、彼のインスタアカウント名が、そうだからだ。
それには理由があって、かつてキヨミという名前のシベリアンハスキーと一緒に育った彼は、それからハスキー犬が大好きになったという。そして、ある日、サンフランシスコのストリートで見かけたハスキーをなでながら、その飼い主と話をしていた時、第3土曜日はデュボース・パークでサンフランシスコ中のハスキーが集合することを知った。それで、彼は「わあ、Husky Round Up!(=「集まれハスキー!」みたいなニュアンス) イヤッホー!」と、カウボーイが牛を呼ぶような反応をしたのだという。その語呂の良さ、イントネーションが気に入って、さらには草原でハスキーが自由にはね回っているのを想像したマイクは、これこそが自分のヴァイブスだと確信したのだった。それから、ハスキー・ラウンドアップという名でインスタグラムを始めたらしい。アーティストとしてのマイク・ケルシュナーの快進撃は、とどまることがない。彼の創作エネルギーの解放活動に終わりはない。
『Sb』マガジンと私は、昨日もちょうど彼の新しいアーティクルを受け取ったばかりだ。

マイク・ケルシュナー
アーティスト。スケートボードマガジン『THRASHER』のアートワークをはじめ、さまざまなスケートメディアでアーティクルを発表し続けているのと並行し、「ベイカー」「アンタイヒーロー」など、人気スケートブランドや「FAT」「ボルコム」といったストリートブランドや、ビースティ・ボーイズといったアーティストのビジュアルアートを手掛けている。また世界各地のD.I.Y.パークのセクションにグラフィックを描き続けている。
Instagram:@huskyroundup

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――ひたすらプッシュするようにシャッターを切るジョナサン・レンチュラー https://tokion.jp/2022/01/02/jonathan-rentschler/ Sun, 02 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82889 フィラデルフィアをはじめとして、ニューヨークなどといった、イーストコーストのストリートシーンを記録し続けているフォトグラファーのジョナサン・レンチュラー。彼が撮り続けている写真と本人について。

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ハンマーでスタントなトリックだけがスケートボードじゃない。心地の良いカーブボックスにひたすらテクニカルなスタイルを刻印するのも、それを眺めながらマイメンとチルスケするのも、スケートボードのおもしろさ。伝説のスケビ(=スケートボードビデオ)『イースタンエクスポージャー』シリーズや『MIX TAPE』に、映画『KIDS』など、イーストコーストの大きな街でクリエイティブするスケートボードをかたどったものたち。それは東京のシーンにも通じるところがある。そして、その1つに、ジョナサン・レンチュラーの作品『LOVE』も加えておきたい。

ジョナサン・レンチュラーは、フィラデルフィアをはじめとして、ニューヨークなどといった、イーストコーストのストリートシーンを記録し続けているフォトグラファーだ。彼が撮るモノクローム写真によるキアロスクーロ(明暗のコントラスト)は、刹那的なストリートスポットの盛衰を見事に映し出している。
彼が撮ってきた価値のあるテクニカルなスケートの複合トリック写真と同じくらいに、彼が撮りためてきた、その時にそこにいたひとびとのポートレートがまたいい。トリックをしていなくても、それはスケート写真だと言ってもいい。

フィラデルフィアのプラザ・スケート

ジョナサン・レンチュラー。フォトグラファーとしての彼のもっとも有名な作品は、パラダイム出版からリリースされた176ページ全編モノクロームの写真集『LOVE』(2017)だろう。
これは、フィラデルフィアにあったアイコニックなプラザ・スケートの主人公たちを写し出したものだ。この街にやってきた多くのスケーター達に、社会規範に囚われない公園の住人達。時には、公園から締め出そうとする、マーベルコミックでいうところのレッドスカルのようなポリスマンでさえ主人公のように写っている。そこがいい。

ジョナサンのポートレートやスナップは、スケート写真のトリックをメイクしたグラビアのように、ラブでプラザな写真という彼の世界の中で、躍動的あり、必ず何かをしている。
叫んでいる。喋っている。怒っている。笑っている。スケートしている。キックアウトしている。戦っている。抵抗している。スモークしている。夢見ている……。ジョナサンは、ひたすらラブパークでそのような写真を撮ってきた。
公園の住人達からしたら、ジョナサンやスケーター達のほうがよっぽど、いつもそこにいる住人のようだったに違いない。ちなみにプラザ・スケートというのは、プッシュフリーな広場に、ベンチやステアに配されたコンクリートや大理石の縁石やレッジがある公園でスケートすることをいう。

スケートパークではなく、もともとあった公園をスケーターも共有していくこと。共有というのが大切で、決して市民の公園を、市民の1人でもあるスケーターが奪ってしまったわけではない。無秩序に荒廃させたわけでもない。どちらかというと、見向きもされず荒廃しかけた場所に違う角度の光を当てたというほうが近い。ただ、こっちサイドから見たら、心地よいウィールやテールを弾く音が響き、空いているベンチはただのオブジェで終わらせることなくカーブボックスへと有効活用しているスケートボード。逆サイドからは、ノイジーでけたたましい騒音で市民のための憩いのベンチを破壊しているスケートボード。そういう図式になってしまっているのかもしれない。ただ、ラブパークの存亡物語には間に合わなかったが、この価値観や視線の違いは、ようやくオリンピックとビッグマネーが雪解けを促し始めている。コンテスト会場がまさにプラザの残像だ。それが、まさにスケート新世紀の光だとするならば、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は、誰かの資本に頼らずにプラザ・スケートのカルチャーを世界的に知らしめたフィラデルフィアのラブパークの光だ。
モノクロームで、ゴールドではないけれど、美しい。そして、生々しくて眩しい。

東京でのジョナサン・レンチュラー

ジョナサン・レンチュラーは日本を訪れ、東京で個展を開催したことがある。時期はコロナ禍直前の冬だった。
ホテルの部屋の壁をすみずみまでジャックした展示写真。写真展があるのは知っていたけれど、私にそこに行こうと思わせた決定的なこと。それは、展示写真の中の被写体の1枚になっていた、パリの写真家バンジャマンから、「セン(私)とジョナサンは、『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)で何かページを作れるはずだから、会ったらいいと思う」というメールが送られてきたからだった。いわば、バンジャマンにマッチングアプリのように遠隔操作されたのだった。バンジャマンは、このコラムでは第2回で取り上げたパイセン・フォトグラファー。そのコラムでも触れたが、彼はその審美眼やスタイルによりこちらのメンターにもなっている。だから、会わない手はないと思った。少なくとも、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は前から気になっていたから、それを実際に見にいくチャンスだった。

その写真展のシンボリックな写真。それはポスタライズな覆面男のポートレート。取り締まり、バリケードを作った行政への抵抗勢力の象徴だろうか。しかし、厳つい、怖い、ミステリアス、銀行強盗など、マスクマンに対するあらゆる予備知識を吹き飛ばした、カッコいい写真だった。その写真に魅入ってしまった。
ということで、最初から引きこまれてしまったので、ジョナサン・レンチュラーの(スケートトリックではないスケートの)写真で『Sb』は、特集(ヘッドライン)を組むことにした。ちなみにラブパークの写真は、すでに撮影から6年以上たつ写真が多い。でもジョナサンは、自分のアーカイブに出てくる馴染みの顔ぶれと彼らの友情というものを、このパークがなくなる前にその存在を残したかったに違いない。

彼のモノクロームの光と影は、大事なことを伝えてくれる。それは何か。ややもすると、ただの空っぽで退屈なプラザに過ぎなかった場所が、そこに集ってきた歴史的なスケーターと、そこに住み着くひとびとが、実はパークに命をもたらしていたということではないか。
ラブパークが取り壊されたあと、ジョナサン・レンチュラーはフィラデルフィアを離れて、ニューヨークに引っ越した。そして東京にふらりとやってきた。といっても、『Sb』なんかよりも先に、彼の写真やスタイルの素晴らしさに共鳴し、ちゃんと彼をフックアップしたひとびとが東京にいた。その中には、東京にあるギャラリーであり、本屋でもあり、出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」もあって、彼らは、ジョナサン・レンチュラーとコラボし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。そして、神戸のスケートショップ「シェルター」のオーナーで、ラブパークが隆盛を誇った1990年代からストリートでバリバリ滑ってきた入潮正行も、ジョナサンとは密接につながっている。アメリカのイーストコーストだろうが極東の東京だろうが、ストリート案件はスケーターの審美眼とコミュニケーション能力とネットワークが一番有効だ。そして、ジョナサンは東京と非常に相性がいい。
ジョナサンのモノクロームの写真と、大都会の煩雑な路地をぬってゆくスケーターの相性は抜群だと思う。

写真はどれもこれも同じじゃない

「もっとゆっくりちゃんと見ろ」「どれも似たような写真じゃないか」。
これは、映画『スモーク』の中で、ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋の主人、オーギー・レンとウィリアム・ハート演じる作家ポール・ベンジャミンの会話だ。オーギーは、定点観測のように毎朝8時に同じ場所でモノクロームのスナップを1枚ずつ撮ってきた。気付くと10年以上の膨大なアーカイブになっていた。作家のポールは、それをゆっくりと見直していく。そして、ただ1人、ポールだけにピンポイントで突き刺さる1枚に出くわす。ジョナサン・レンチュラーのモノクロームの写真には、個人的には、そんな映画のようなできごとがちりばめられていると思っている。
今はあまり見なくなったスケーターが写っていたり、ラブパークに憧れてフィラデルフィアにやってきてフロリダに去っていった友人が写っていたり。もしかしたらポートレートに収まるホームレスは、誰かの尋ね人なのかもしれない。取り締まっている緊張した顔のポリスマンを見て、おばあさんが自分の孫が立派に働いていると誇るかもしれない。映画『スモーク』では、それがブルックリンのプロスペクト・パークのストリートだったが、ジョナサン・レンチュラーの場合は、ラブパークだったり、ニューヨークのストリートだったりしたのだ。オーギーの写真も、ジョナサンの写真も、ロケーションは常にストリートやプラザで、色はモノクロームだ。それをアーカイブしたり写真集のように1冊にまとめたりすると、その量が多ければ多いほど、パラパラとめくっていきがちだ。あるリズムが生まれるのは避けられない。最初はそれでいい。そして、もう一度、ゆっくりと写真を1枚1枚、時間をかけて見ていくと発見がある。
良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいこともある。全部モノクロームだけれど、写真はどれもこれも同じじゃない。

東京の個展で、膨大な写真をゆっくりゆっくり見ていった。すると壁の下のほうに、貼られた1枚のポートレートを見つけた。それは、パリジャンのバンジャマンだった。その写真は、2011年の夏のものかもしれない。ちょうどその直前、パリでバンジャマンと会っていたのを思い出す。彼は、マーク・ゴンザレスと一緒に作った作品集『レ・サークル』をリリースしたばかりだった。B0サイズのオリジナルプリント(その上にマーク・ゴンザレスがアートワークを手描きしている)を彼のアパートメントで見せてもらっていた時、明日からイーストコーストに行くんだと言っていた。ニューヨークの書店で、マーク・ゴンザレスとサイン会をして、その後、イーストコーストで写真を撮ってくると言っていた気がする。それで、ジョナサンと遭遇したのではないかと想像した。持病の進行やコロナ禍もあって、バンジャマンがイーストコーストに行けなくなってひさしい。しかし、彼はあの頃に撮った写真と、さらに以前に撮った写真をまとめて1冊の旅的な写真集をリリースしようとしている。意欲的だ。ジョナサンの写真展で、そんなバンジャマンのポートレートを見つけた時、彼が「東京のジョナサンの写真展に行って、俺を見つけて来いよ」とメールしてきたのだとわかって、笑ってしまった。

ラブパークは、ジョナサン達の嘆願活動のかいもなく、悲しいかな、リニューアルされてしまったが、それらに紛れてバンジャマンのポートレートを見て、悲しいよりおかしくて笑いが止まらなかった。やっぱりスケーターの写真はいい。記録装置なのに、止まらないでずっとプッシュしている。何があっても進んでいく感じがする。ジョナサン・レンチュラーの写真もまたそういう写真だ。

ジョナサン・レンチュラー
フォトグラファー。ニューヨーク在住の写真家で映像作家。代表作は、パラダイム出版からリリースされた今はなき、フィラデルフィアが世界に誇ったプラザ・スケートの聖地ラブパークの編年史を収録した写真集『LOVE』(2017)。その他に『Nowhere To Go From Here』(2019)、『Copper』(2019)、『Untitled』(2020)、『Dill』(2020)といった数多くのD.I.Y.なマガジンの制作を続ける。そのかたわら、東京にあるギャラリーで本屋で出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」とコラボレーションし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。
Instagram:@eurojon

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目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――温故知新? サイアノタイプのとりこになったケビン・メタリエ https://tokion.jp/2021/11/30/kevin-metallier/ Tue, 30 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=78851 世界中を飛び回り、スケートボードとサーフィンを撮り続けるジャーナリストのケビン・メタリエ。彼はなぜ、サイアノタイプ(青写真)に魅せられたのか。

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19世紀の現像方法、サイアノタイプ(青写真、日光写真のこと)。この手の写真は、写実的な要素が最終的なイメージの良しあしを決める。そう、ミニマリストな写真が、詩的な要素を醸し出す。それはちょうど、スケートボードが本来持っているユニークで想像を超えた動きと、サイアノタイプのプロセスが生み出す予期しない青色加減のコンビネーションにもピタッとくる。これまでになかった(古いやり方なんだけれど)新しいスケートボードの写真が生まれた。

サイアノタイプに魅せられたのは、ゴージャスな波にブロンドの長髪をなびかせてグライドするジャーナリストのケビン・メタリエ。彼は、リック・ハワードのような長身と立派な手足でスケートボードをプッシュしたり、カメラのシャッターを切ったりする。そして、綿密さとは真逆の粗いダートな道のようなテキストを書く。それらはどちらかというと、クリエイティブやアートワークを担うというより、プレイヤーであるほうがしっくりきそうである。こう言ったら失礼かもしれないが、本人を知っている者からすると、顔に似合わない美しい写真を撮ってきた彼が、さらにまさかの、手間がかかる手法で繊細な青写真を復活させたのだ。今回は、ケビン・メタリエを紹介したい。

古きを温め新しきを知る

温故知新ということわざは、ケビン・メタリエが現在取り組んでいる写真活動にしっくりくる。
写真技術が発明されたのは、1839年、産業革命真っ最中のイギリスでのことだった。それから3年後の1842年に確立された現像方法がある。それが、サイアノタイプという青写真で仕上げるやり方だ。

10年ほど前に初めてケビン・メタリエに会った時のことを思い出す。ヨーロッパのスケートマガジンの仕事で来日していた彼は、突然、私の前に現れて、取材させてほしいと言った。極東の島国でスケートマガジンを作り続けていることに興味を持ったようだった。その時の彼は、重そうなカメラバッグを担ぎ、一眼レフのデジタルカメラを肩にかけていたように思う。よく喋り、よく笑い、私達はすぐに打ち解け、そして私は彼の人柄やペースがとても好きになった。

その後、彼が世界中を旅してジャーナルしてきた写真を使って、私が発行し続けている『Sb Skateboard Journal』で特集をした。その時の写真はフルカラーでコントラストが効いた、あえて固いか柔らかいかと言えば、固い感じだった。それはカチッとしていて、ぺージ映えも良かった。今書いてて気付いたけれど、当時から今に至るまで、現像やプロセスは違っても、彼はヨコイチの写真を好んでいる。そんなケビンが、取りつかれてしまったのが、19世紀のレガシー(遺産)のサイアノタイプ。

19世紀といえば、スケートボードなんて存在していない(サーフボードは、ハワイのカメハメハのひとびとが、その起源的なものを生み出していたかもしれない)。当時の被写体といえば、貴族の肖像や教会や田園風景だったのだろうか。ケビンは、その古きプロセスの上に、まったく新しい概念、スケートボードやサーフィンを加えていったのだ。今は、ヒマさえあれば、サイアノタイプのためにそぎ落とした写実的なスケートやサーフィンの写真を撮り、そのネガを抱えて暗室で現像している。それが楽しくて仕方がないそうだ。これほどまでにハマったのには何か特別な理由があったのだろうか。それがそうでもないらしい。

もともと彼は、写真をやりだした25年前から暗室にこもって、いろいろな現像プロセスを試していた。どちらかというと、メガピクセルな性能の世界は好きではなかった。それよりも、わずかに情報やイメージを醸し出すだけの青写真のような表現がグッとくるのだった。そして、このグッとくる1枚を仕上げるまで、何回も何十回もやり直すのがまた楽しいらしい。撮って、はい終わり。ではなく、とても手間がかかり骨が折れる作業。失敗すら楽しみ、そのうちに思いもよらない素晴らしい青色が印画紙に浮かび上がる。この瞬間がたまらないらしい。良い意味で変態的。凝り性はゴールが遠くなってしまうけれど、いつかやってくるゴールはとてつもないものになる。確かに、彼のスケート青写真は唯一無二だ。

一見、ノリのいいガサツなあんちゃん

ケビンに、このサイアノタイプの現像による青色について聞いてみた。すると、なかなかロマンチックな答えが返ってきた。

「深い青は男を永遠に魅了し続ける。それは純潔への欲望と、超自然への渇きを呼び起こさせるのさ」。
そして、古い作家の一文を引用しながら、こう続けた。
「青という色は、海と空の一部であり、旅と新鮮さも呼び起こす。さらに知恵と深さは同義語である。いろいろな青達は青写真の魂であり、エッセンスである」。

私は、どうしても初めて会った時の彼の印象を消し去りたくないらしい。背が高くてアグレッシブな行動規範とコミュニケーション能力。スケートと同じくらい波乗りにも魅せられた男らしく、無精に伸びた長髪をかきむしるしぐさ。そして、母国語のフランス語をグーグル翻訳にかけたような英語のテキスト。そのくせ美しい写真。それがガサツというかワイルドな魅力だった。

その彼が、実は途方もなく骨が折れる、だけどミニマムで、わかる人にしかわからないような青写真の深淵にこだわりまくっている。この良い意味でのギャップというか違和感がたまらなかった。さらに追い討ちをかけるように、スケートボードという比較的新しいカルチャーを、この由緒正しい古典的なプロセスで記録する、作品にするというギャップ超え。

ハッセルブラッドのウルトラフィッシュアイからパノラマレンズ。ラジオスレイブを駆使した日中シンクロ。ネガフィルムからデジタルへの移行による無限のシークエンス。そしてレタッチ……。さまざまなスケート写真のアプローチが発明されてきた中で、この温故知新な青写真は、未だかつて誰もやっていないアプローチ。刹那的で、多様性に優れた適応力を発揮するスケートにおいても、ケビンがしでかしてくれたものは大きい。ケビンよ、許してくれ。君はガサツなあんちゃんなんかじゃない。とてつもなく、くるおしいくらいいかした、こだわりのフォトグラファーだ。私は、君の青写真をこうして紹介できることをとても嬉しく思っている。

スケートボードでもなくサーフボードでもなく

ケビン・メタリエは、世界中を旅してきた。
この地球上でワイルドな波が立つところには必ずボードとカメラを持って行き、その道中のストリートでは、スケート的スポットをシーク(探す)し続けてきた。だから、実際に彼の写真は、ヨーロッパのスケボーマガジンやサーフマガジンのページを作ってきた。プロサーファーのシェーン・ドリアンが主演して話題になった映画、『イン・ゴッズ・ハンズ』に出てくる、旅するサーフィン・ジャーナリストとなんとなく雰囲気がかぶるところもある。そういう一面がある一方で、今回は彼のより職人的な部分が垣間見られる、サイアノタイプの青写真を紹介した。

実は、その他にもまだ彼の写真には魅力があって、それは女性を被写体にした写真がまたすてきだったりする。

この撮影プロセスは、ピントが重要なポイントの1つになるスケートのトリック写真と違う。ましてや、もっと情報を排除した詩的な青写真とも違う。彼のこの一面ではまだ一緒に仕事をしたことがないのだけれど、いつかページを一緒に作れたらいいなと思っている。

これまでにこのコラムで紹介してきたフォトグラファー達のすべてを隅々までわかっているなんて言う気はさらさらない。わかるわけがない。ただ、長年、彼らとやりとりをしてきて、それとなく最大公約数的なものがあったりする。
例えば、スケートボード写真を撮る。アナログフィルムをこよなく愛している。旅そのものも愛している。そして、コンクリートや大理石がひしめく大都市で暮らしている。
ケビンは、スケートだけでなく海に入ってサーフィンの写真も撮るし(そうなるとカメラのセッティングなどがまるっきり変わってくる)、メタリックな大都市というよりは、メトロから離れた風光明媚なビーチタウンに住んでいる。そのような機微が、私の中でケビン・メタリエを特別にしているのかもしれない。そして、突拍子もないことを言うと思われるだろうが、映画『紅の豚』でのフィオ・ピッコロ嬢のセリフを思い出す。

「小さい時から飛行艇乗りの話を聞いて育ってきたの。飛行艇乗りの連中ほど気持ちのいい男達はいないって、おじいちゃんはいつも言ってたわ。それは海と空の両方がやつらの心を洗うからだって。だから飛行艇乗りは、船乗りよりも勇敢で陸の飛行機乗りより誇り高いんだって」。

この後、空賊のマンマユートのボスが大きくうなずくのだけれど、私はケビンを想像してうなずいている。ストリート(青い空)とビーチ(青い海)の両方に精通し、その両方を旅して回り写真を撮る彼だからこその青い色がある。だから、ケビン・メタリエのサイアノタイプはおもしろい、と思う。

ケビン・メタリエ
15年以上、世界中を駆け回っているスケートボード、サーフィンのジャーナリスト、フォトグラファー。活動拠点は、フランス南西部のバスク地方にある美しい街、ビアリッツ。ここは、19世紀頃からヨーロッパの王族や貴族のリゾート地して名高い、そして、現代ではヨーロッパ随一のサーフスポットとして知られている。旅をしていない時は、ケビンはここで暗室にひきこもり、スケートボードやサーフィンといった被写体を19世紀の現像法(サイアノタイプ)によって青写真に仕上げることに没頭している。
https://www.kevinmetallier.com/
Instagram:@kevinmetallier

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連載「時の音」Vol.16 江口寿史がイラストレーターで漫画家であり続ける理由 https://tokion.jp/2021/10/23/tokinooto-vol16-hisashi-eguchi/ Sat, 23 Oct 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=67711 イラストレーターで漫画家の江口寿史に自身のキャリアと作品に込める思いを聞く。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、江口寿史にインタビュー。江口を漫画家として知る人も多ければ、女性を被写体にした“彼女”と呼ばれるキャラクター達が印象的なイラストレーターとして知る人も多いだろう。

漫画家として知っている人達ならば、彼が日本でトップクラスの遅筆家で、あまたの連載休止をしている武勇伝(!?)の持ち主であることも知っているはずだ。テレビアニメ化され、代表作の1つで「週刊少年ジャンプ」で連載していた『ストップ!! ひばりくん!』でさえも、何度も休載をしている。そのあげくにこの作品は、27年間という長期中断のあとに、完結するというミラクルを成し遂げている。

ずば抜けて絵がいい。ギャグがおもしろい。思いもよらない展開や設定のドキドキ。そして、次の週に読めるかどうかわからないハラハラ。さらにはやってこないかもしれないけれど、やってくることもある完結編を読めるというミラクル。まさに江口寿史のラブコメやギャグにハマってしまうと、やみつきになってしまう。そういう複合的な魅力がある。本人はというと、遅筆も休載もへっちゃらというズボラな人物ではなく、真剣に変でおかしなことを読者のために考えていて、エネルギーにあふれている。

このなんともいえない、いかんともしようのない才人に、都内のアトリエで話を聞いた。

江口寿史がコロナ禍のTwitterに投稿したイラストとつぶやき

“何年か先。十何年か先。君はこの2020年をどんなふうに思い出すのかな”。

その言葉を投げかけられた彼女は、降り始めた粉雪を見上げていた。手にはワインボトル。これから飲む1本なのだろうか。それとも誰かにプレゼントするものなのだろうか。プレゼントしてもらうのは、どんな人なのだろうか。想像が掻き立てられる。そして、それ以上に印象的なのが、冬の夜空へ溶けていく彼女の白い吐息と、アゴにかかった白いマスクだった。

個人的な感想だけれど、江口寿史のイラストは、時代性とか流行性のプロップスを描き込まれることが少ない。だから、いつ、どんな時代に見ても、描かれた彼女達は美しく輝いていて、古くさくなんかない。その江口寿史があえて? 描き込んだ白いマスク。それには彼のスタイルを超えたメッセージがあるような気がしてならなかった。このイラストは、のちに発表された画集『彼女』の163ページにも収録されている。

降りはじめた雪を見上げる美しい彼女 アゴにかかった白いマスクの真意

――真っ先にお聞きしたかったのですが、あの2020年12月14日のつぶやきは、あえてあの絵を選んでアップしたのですか?

江口寿史(以下、江口):いやいや。ツイートにあわせてあの絵を選んだというんじゃない。逆。あの絵にあわせてあのつぶやきをのせたんです。

――キャプションと絵を連動させてるつぶやきは、それまでなかった気がしました。

江口:まあ、異常な1年だったじゃないですか。価値観とか生活様式とか全部変わってしまって、鬱屈した日常なんだけれども、やっぱり降ってくる雪はきれいなわけ。あの絵をアップした時に、“いいですね”とか“なんだか涙が出ました”っていう共感の声が多かったんですが、中には、“アゴマスクはだめです”とか言ってくる人もいましたね。正論を振りかざされちゃう世の中なんだなあと。ただ、あの絵のあの彼女は、普段からアゴマスクをしているわけじゃなくて、ひとけもなくなった街に、粉雪が舞い降りてきて、こんな状況だけど“ああ、きれいだな”って、ちょっとだけマスクを下げて深呼吸してみたという絵なんです。それくらいの心情は、わかりあいたいですよね。わかるだろ? それくらいの気持ちって。

――それで、江口さんが描く彼女達、例えば『KING OF POP』や『RECORD』などの作品集を見ても、時代とか流行したものを限定させないものが多い気がします。映画などで、携帯電話や肩パットが入ったジャケットなんかが映っているだけで、いつ頃のものとかわかってしまうのは仕方のないことなんですが、江口さんの描く彼女達には年齢とか時代があまり関係ないなって。それなのに、あのマスクは、あとから必ず時代を限定してくるのではないかと。

江口:そう。この時、マスクの絵を描こうというのは決めていたんです。先が見えない中で、マスクの彼女は描いておかなくてはいけないとって。実は、キャプション(つぶやき)で、何十年後ではなくて、十何年か先という書き方をしたのもわかってほしいところで。何十年後だと、この彼女がおばあちゃんになってから若い頃を振り返るみたいでしょ。そうじゃなくてさ、ちょっと先の、彼女が彼女のままにこの状況をどう感じるかっていうことで、あの絵はコロナの時代というのをピンポイントで当てているものです。

――やはりそうでしたか。このコロナ禍の時代を政治的にではなく、あの絵ほど、寄り添うように、それでいて決定的に僕らに意識させてくれたものはありませんでした。個人的には、途中で連載休止していた『ストップ!! ひばりくん!』が、まさかの年月を経て完結編まで出て、読み切ったときくらいの刺さり方でした。

江口:コロナの時代については、みんながそれぞれの生活でいろいろ感じているでしょうからね。

――そうだと思います。それでは、江口さんが描くその他のキャラクター達についても質問させてください。『ストップ!! ひばりくん!』では、ひばりくんはじめ、つばめやすずめなども服装が頻繁に変わっていきました。別の作家さんの漫画のヒロイン達(例えば、『ドラえもん』のしずかちゃん、『魔法使いサリーちゃん』のサリーちゃん、『Dr.スランプ アラレちゃん』のアラレちゃん……など)は、キャラ設定というのもあってか、服装が変わることがあまりないです。『ストップ !! ひばりくん!』では、どれくらい流行性を取り入れていましたか? イラスト作品と同様に、漫画作品でも髪型やアクセサリーや携帯電話など、ブームや時代が残ってしまうものに対して注意したり、選んだりしているのでしょうか。

江口:その時代、時代のファッションは描いてもいますけど、飛び抜けたファッション、例えば肩パットが入ったジャケットとか、そういうものは描いてはいませんね。今でもあるというか、ベーシックなアイテムを描くようにしています。ちなみに、流行というのは、つまるところサイジングなんじゃないかと思います。古いものでもサイズを変えれば新鮮な今のものになったりします。ただ、ビジネス書の表紙で、今のOLさんを描いてくださいと依頼されて、当時の肩パット入りのジャケットを描いたことはありますよ。ただ、自分の作品や自発的なものでは、描いたことはないですね。

――となると、時代的に今と違うなと思わせてくれるのは、『ストップ !! ひばりくん!』でたまーにあるパンチラシーンなどで、Tバックとかがないということくらいでしょうか。今はTバックもかなりスタンダードなアンダーウェアになってきているので。

江口:あー(笑)。下着についてはあまり気をつけてなかったかなー。でも、漫画の中で描かれる下着の形というのには、語れるほどの変遷があるんですよ。僕はそこまで下着は意識していないですが、金井たつおさん(「週刊少年ジャンプ」掲載作『ホールインワン』など)や桂正和さん(「週刊少年ジャンプ」掲載作『ウイングマン』など)のこだわり方は素晴らしかったですね。そんな中でも、パンツを意識的に描いた最初の人は鴨川つばめさん(「週刊少年チャンピオン」掲載『マカロニほうれん荘』など)じゃないですかね。パンツに当て布を描いていたのを初めて見た時、びっくりしちゃって。

――お話を聞いていると、自分の作品と他の作家さんの作品も全部楽しんでいる感じですね。

江口:僕は、昔は絵に対してあまり気持ちを入れたことがなかったんですよ。編集的な目線で絵も漫画も描くたちだと思っているんです。引用とかアレンジとかサンプリングして、組み合わせから作っていたんです。ところが、ごく最近になって、気持ちを入れて描くようになって、ファッションとかディテールなど、目に見えるものじゃない、目に見えない感情や思いやその時のにおいなどをイラストで表現しようとしています。そこは変わってきてるなあと感じてます。
だから、さっきのマスクした彼女の絵も描いたんだと思います。今までならなかったはずです。あのような気持ちが入った絵は。本当は気持ちを入れる部分とか大好きなんですが、自分が描くとなるとそれが恥ずしくなってしまうので、ギャグでごまかしてきたり。それが、今は変わってきたというのもありますね。

――そうなんですか。『ストップ !! ひばりくん!』では、かっこいい絵が続いてきているところに、いきなりキャラクターが脱ぐじゃないですか。だから、江口さんは躊躇なくガンガンにいく作家さんで、主人公を脱がすことに躊躇がなさ過ぎて、恥ずかしがり屋の対局にいる方だと思っていました。

江口:それは、むしろ気が入ってないからできるんです。こうしたほうが、漫画としておもしろいから、じゃあそうしようという感じ。読者を驚かすために一番効果的なことを選ぶわけです。

――そこが編集者的な目線ですね。

江口:そうなんですよ。

――その延長線上に1995年に編集長として立ち上げた「COMIC CUE」があるのでしょうか?

江口:「COMIC CUE」は、音楽のベスト盤を作る感じでやったんです。僕が好きな漫画家だけを集めて1冊の本を作りたいと。これは、僕の資質的には合っていたアプローチでした。なぜ、3号で編集長を降りたかというと、作家としての嫉妬がね、生まれてくるんだよねぇ(笑)。あと、作家に原稿の催促の電話をするのがめちゃくちゃ苦手で、相手の気持ちもわかるから、どうしてもそこは弱いよね。それもあって、1人の漫画家に原稿落とされちゃったんだけど、“俺はこういうことを今まで編集者にしてきたんだなぁ”と痛感しました。そして、やっぱり編集者にはなれないなと思いました。

――『エイジ』以降、『パパリンコ物語』あたりから、鼻の穴を描くようになったとおっしゃっていました。『彼女』の中の彼女達はみんなそうです。かわいいです。それでこの時の説明で、大友克洋さんが鼻に穴を描くようになって、最初の頃は大友さんの女の子はかわいくなかったけど、自分はかわいくなくてはいけないから大変だったというのを読んで「おーっ」と思いました。
大友さんやわたせせいぞうさんをはじめ、江口さんは『お蔵出し夜用スーパー』の作品中では、藤子不二雄さん、国友やすゆきさん、吉田戦車さん、楳図かずおさん、吾妻ひでおさん、相原コージさんなどを。『ストップ !! ひばりくん!』の作品中では、車田正美さんや池上遼一さんなど、他の著名な漫画家さんを自分のことのようにいじったりしているのが、とてもおもしろいです。そういった方達との関係性はどういったものなのでしょうか。それとも気にしないで、どんどんいじっていくのが、ギャグ漫画家の真骨頂なのでしょうか。

江口:みんな好きな人達ですね。全員が面識あるわけじゃないんですど、おもしろいなあとか、これおかしいよなあっという愛情に似た笑いが出てきちゃうものをいじってしまいますね。
わたせせいぞうさんも大好きですけど、こんな世界なんかねえよ、バカヤロウってツッコンでおくのが、ギャグ漫画家としての役目かなと思っているところがありますね(笑)。梶原一騎先生と梶原作品は大好きだけど、『すすめ!! パイレーツ』の中でさんざん茶化してしまいました。でも、それは完全に愛ゆえにですね。梶原先生にはそれが伝わっていたんだと信じています。

――今の予定調和的な風潮からは脱線していますね。忖度なしのいじりというか。

江口:僕はまずは読者の気持ちになっているんです。読者としてみたら、こう思うんじゃないか? って。だから、変だなって思うところはツッコンでいくようにしていましたね。だから、原稿を落としてしまう自分もいじられたりしてもしょうがないし、自分でそれをいじれなかったらダメだとも思ってましたよ。

――実際にいじられたことは?

江口:いっぱいあると思いますよ。ゆでちゃん(=ゆでたまご。「週刊少年ジャンプ」掲載作『キン肉マン』など)なんか、初期のギャグ時代はしょっちゅう僕をいじってましたよ。それは、僕がど新人のくせに大先輩の本宮ひろ志先生を散々いじったりしてて、悪い見本を見せてたからね(笑)。

――絵の話に戻ります。街の中の、風景の中の、かわいい女の子を絵にしていく。そういう作業の連続の中で、絵と必ずリンクしてくるカメラと写真撮影というものに興味を持つことはなかったのでしょうか。

江口:僕は写真を撮ってから絵を描きます。だから、若い時は、一眼レフのフィルムカメラとかも買ったりしましたよ。ただ、絵だと自分が思った通りのイメージが表現できるのに、カメラだと思った通りにならない。資質的に、僕はカメラじゃなくて絵だなと思いましたね。

――では、時代とか流行などを度外視できるほどの、『彼女』達の中の彼女を描く時の江口さんだからこそ気付いているかわいい、美しい彼女達の特徴はありますか?

江口:街の風景と一緒ですけれど、“いつかは消えていくものの美しさ”ですかね。若さとか一瞬の輝きとか、消えていくからちゃんと描いて残しておきたい。そういうところです。

――もっともかわいい瞬間を描きたいと強く思っている、欲が強い人物だと自負している江口さん。他の記事で、その根底にあるのは、「女の子に生まれたかった!」という憧憬があるとおっしゃっていましたが、実際にご自身が女の子で生まれていたら、どんな女の子だったのでしょうか? 江口さんの作品で例えるなら、ミニスカートを穿きこなし、あまりパンチラとか胸チラとかを気にしないタイプになるのでしょうか。

江口:そうかもしれないです(笑)。かわいい子に生まれて漫画家になりたかったですね。そして、編集者との打ち合わせで、不要なエロさをふりまいてブリッ子したかったですね(笑)。

――“ブリッ子”というワードも江口さんが漫画の中で生み出したものでしたね。そういえば、そんな江口さんが描く彼女達というのは、俗にいうシュッとしたモデル体形みたいな感じではないですね。

江口:それはファッションと同じですかね。僕はハイファッションみたいな感じよりは、普段着で自然にいるような彼女達を描くのが好きですから。

イラストレーターではなくプロフィールに残る漫画家としての思い

――数多くのギャグ漫画を描いてきて、そのうち数タイトルは途中で終わってしまったという伝説も残して、作品集『彼女』のような無敵のかわいさを記録してきて、編集長という立場も経験してみて、なお、江口さんは自分のための絵の連載作品としてスタートさせるという可能性はありますか? 残しておきたいものはありますか?

江口:若い頃は、こんな歳になっても彼女達の絵を描いているとは思っていなかったですね。ずっとギャグ漫画を描き続けているものだと思ってました。やっぱり、漫画家という肩書きを未だにプロフィール欄からおろせないくらい、漫画を描きたいというのはずっとあって。
漫画は大変なんですよねぇ……。アシスタントに背景描いてもらって、「ここ、こうして。そこ、そうして」って説明している間にテンション下がっちゃうから、だから、1人でやりたい。となると、本当に大変なんです。

――過去のインタビュー記事や対談記事などを読んでいると、江口さんの言葉でグッとくるものがいっぱいあるんですよ。「締め切りがつらいんじゃなくて、締め切りがあるからできるんだ」とか、「でも、絵をちゃんと描きたいから1週間という時間じゃな足りないんだ」というのとか。落としたくないけれど、どうやっても間に合わないということを正直に言ってるところとか。

江口:前は、イラストの絵と漫画の絵を同じにして漫画を作りたかった。だけど、全コマがそうなると、漫画として読めないんですよ。目が止まっちゃったり、邪魔になるんです。漫画はやっぱり視線をどんどん誘導していってストーリーを伝えなきゃいけないもの。だから、漫画の絵はまた違うんです。そして、それが漫画の力なんですね。だから、今の僕はイラストの絵で漫画をやろうとは思わなくなったので、もしかしたら再び漫画をやれるかもしれない。

――『お蔵出し 夜用スーパー』の「SEX And The CITY」では、吹き出しは一切ないですし、彼女のようなキャラクターも登場しませんが、そのバカさ加減を思い出すといつでも爆笑してしまいます。そんな痛快なギャグ漫画をまた読みたいです。

江口:基本、バカな漫画が好きなんです。今、そういうギャグ漫画は減ってきているので、僕自身が読みたいですね。くだらないものがいいですよ。
僕は、山上たつひこ先生(「週刊少年チャンピオン」掲載作『がきデカ』など)や赤塚不二夫先生の漫画の笑いにとても救われたので、ギャグ漫画を目指したんです。笑いは本当に素晴らしいものですよね。

――江口さんの、例えば先程の「SEX And The CITY」は、僕らを救ってくれてますよ。とてつもなくお下劣で卑猥なんですが、おかしいんですよ。そして心があったかくなります。

江口:人間のバカさ加減をまた描きたいですねぇ。

――ちなみに、『ストップ !! ひばりくん!』の作品中に使っていたフレーズや言い回しは、今だと使えないものがありそうですね。

江口:炎上ネタの宝庫ですね。使えないものばかり。あの頃だってバカにしているわけではないですけれど、もうその辺は今だと難しいでしょう。

――漫画から『彼女』の話に戻ります。四季のうちで、どの季節のどういった風景の中の彼女が好きですか? 具体的なシチュエーションもあったりしますか?

江口:若い頃は、圧倒的に夏が好きでした。だから、夏の島の海とか。でも最近は、秋から冬に向かう頃がとても好きになりましたね。年齢の影響もあるのかもしれない。夏の開放された感じじゃなくて、冬の寒さに向かってマフラーをくるくるとまける嬉しさ、そういう気持ちも描きたいです。
ちなみに、大滝詠一さんのアルバム『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』のコラボレーション企画で、ひさびさに夏の島と海の感じを描きました。あれは、あのアルバムを聴いていた頃に常に心に在った夏の風景を描きました。沖縄の小さな島の、白くて細い道。突き当たりまで歩いて行くとぱあっと広がる珊瑚礁の海。

――吉田拓郎さんの『一瞬の夏』のジャケットの夏はどうだったんですか?

江口:あれは、百花園の看板を描きたかったんです。百花園の向こうには大人のエモさを醸し出す空と雲を描きました。都会の中のノスタルジーって感じですね。今はもうあの看板はなくなってしまったから描いておいてよかったな。

――お話を聞いていると、音的残像というか、楽曲からひもとくノスタルジアな光景を江口さんがどう描くのか。そういう絵をたくさん見たくなってしまいますね。

江口:そういったのをこれから描くんじゃないでしょうか。自分でもそう思います。

――失われていく日本の心象風景や原風景とか。

江口:まあ、今なお、オファーは圧倒的に彼女の絵が多いのでね。いろいろなオファーがあれば、いろいろ描きますけどね。自己模倣だけはしないようにもちろん気をつけてます。

――オファーされるのはイラストの? 当面はお忙しいですか?

江口:そうですね。もう100%イラストのオファーですね。漫画のオファーはありません(笑)。漫画に関しては、自分でまずは描いて、それを編集部に載せてくださいと持ち込みするしかないですね(笑)。

机の上にあるB4サイズのペーパー。それより大きいのでもA3のサイズほどのペーパーを、さらにコマ割りして絵を描いてきた漫画家の江口寿史さん。その後、イラストレーターとしても活躍の場を広げ、彼の絵を見たことがないという人は、そうそういないのではないだろうか。そんな江口寿史さんのキャリアで、もっとも大きなサイズの絵(その時はドローイングだった)は、180cmx180cmのライヴペイント。今回、取材をさせてもらっているうちに、街の中で感じる季節や匂い、そして街の中の彼女達を大切にする江口さんが、街の大きな壁に絵を描いたらどんなだろうかと想像してしまった。
そういったことを想像できてしまうのも、漫画家として、イラストレーターとして、プロでありベテランである江口寿史さんの中にある、年齢やキャリアを凌駕した、おもしろいものや美しいものを描き残したいという純粋な資質を感じたからだと思う。この方が、もっと多くの若い才能とセッションしたら、もっとすごいものが日本に残る。東京に残る。そんなことを確信した。

“何年か先。十何年か先。君はこの2020年をどんなふうに思い出すのかな”。
この先、コロナ禍がどうなっているのかは予測はつかないけれど、素晴らしい作品というものはウイルスに毒されることなく、私達の世界に静かに、しかし強い力で残っていくに違いない。
今回のインタビューを終えて、マスクをアゴにずらして、一瞬、深呼吸した彼女の横顔に、江口寿史さんのいう気持ちや時代のにおいが存分に描かれていると思った。

江口寿史
1956年生まれ。熊本県出身。漫画家、イラストレーター。1977年「週刊少年ジャンプ」月例新人賞入選作『恐るべき子どもたち』と第6回赤塚賞準入選作『8時半の決闘』でプロデビュー。代表作は『すすめ!! パイレーツ』、『ストップ!! ひばりくん!』など。1991年短編集『江口寿史の爆発ディナーショー』で第38回文藝春秋漫画賞を受賞。1995年に編集長として立ち上げた「COMIC CUE」には、松本大洋、望月峯太郎といった気鋭の作家陣を集め、“しめきりを守らされる”側から“しめきりを守らせる”側も経験。オリジナルのギャグセンスとずば抜けた絵のうまさと数々の連載休止案件などで、希代の漫画家として有名であると同時に、企業タイアップやアーティストのレコードジャケットなど1点ものを描くイラストレーターとしても人気が高い。
2015年画集『KING OF POP』(玄光社刊)を刊行後、イラストレーション展『KING OF POP』を全国8ヵ所で開催。2018年より2019年にかけては金沢21世紀美術館を皮切りに全国3ヵ所の美術館でイラストレーション展『彼女』を開催。コロナ禍での中断を経て、2021年、美人画集『彼女』を発表後、青森市と旭川市で再開された展『彼女展』では、自身初となる大判キャンバスへのライヴドローイングを敢行、ファンのみならず、多くの話題を呼んだ。最新画集『彼女』の帯のコピーになっている通り、世界の誰にも描けない“彼女”の絵を描く作家と高い評価を受けている。
Twitter:@Eguchinn
Instagram:@egutihisasi / @eguchiworks

『彼女』(2021年)
著者:江口寿史
発行:集英社インターナショナル
https://www.shueisha-int.co.jp/publish/kanojo

Photography Takeshi Abe

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目は口ほどに物を言う。写真は言語ほどに伝達する――フットボール熱病大国のスケートボーダーなドミニク・マーレー https://tokion.jp/2021/10/03/dominic-marley/ Sun, 03 Oct 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=60147 ドミニク・マーレーは、ロンドンでスケートボーダーもフットボーラーも記録してきたフォトグラファー。ニック・ジェンセン、ルシアン・クラークなど、彼によって東京でもよく知られるようになったスケートボーダーは多い。今回は通称、ドムとその写真のことを紹介したい。

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プレミアリーグだけじゃない。3部どころか4部だろうが、もっと下部リーグでもおらが町のヒーローは、フットボーラーに決まってる。2020年ユーロでも沸いたロンドン。実は、スケートボードも熱い。かつての「ブループリント」や「ヘロイン スケートボード」に始まり、今では「パレス スケートボーズ」といった、スケートインダストリーが台頭している。

ドミニク・マーレーは、その地でスケートボーダーもフットボーラーも記録してきたフォトグラファーだ。ニック・ジェンセン、ルシアン・クラークなど、彼によって日本でもよく知られるようになったスケートボーダーは多い。だから、今度はその張本人、ドムのことをみんなに紹介したい。

ドムとの10年以上続いているやりとりにおいて、とても印象的なこと。それは、普通はあたりまえでないと困ることなんだけれど、締め切りを絶対に守ること。原稿だって、写真だって、絶対に落とさない。締め切りの日付変更線をまたいだことがない。モノクロームな写真。被写体の多彩さ。そこには無言の誠実さがいつも漂っている気がする。

彼が撮影する被写体について

生まれも育ちもロンドンの生粋のロンドナー、ドミニク・マーレー。通称、ドム。彼が、フーリガンとストリートヘッズとパンクロックなどで騒々しいロンドンで頭角を現していったのは、フォトグラファーとしてだった。

ヨーロッパのスケートボードメジャー誌『キングピン』では、スタッフフォトグラファーとして、以前にこのコラムで紹介したパリのフォトグラファー、バンジャマンとデスクを並べていた。現在は、人気ブランドの「パレス スケートボーズ」や「ナイキ」のホットボーラーのビジュアルなどを手掛けている。その中でも記憶に新しいのは、「パレス スケートボーズ」とドイツ、メルセデスベンツとのコラボレーション。ルマンやF1などでかつて見たような本格的なレーシングサーキットでの写真。スケーターがストリートでバンクを使ってメイクするのとは別規格のデカイRがついたサーキットのバンクでの撮影。4つのタイヤつながりで、行くところまで行った感じがして、痛快だった。

その他には、動物のポートレートの写真も印象的だ。それはサバンナやジャングルで撮るものではない。動物園で撮るものでもない。あえて言うならば、ドムのセットを背景にした動物達の記念写真という感じ。それらを見て思ったのは、彼のやり方で、私が大好きなパンダをどうにかして撮影できないだろうかということ。そんなことを考えていたら、ドムのほうからアプローチがあった。
「一緒にパンダの本を作りたい。いつかこのコンセプトでやってみようじゃないか」。
お互いスケートシーンに長くいて、いくつかの特集を一緒に組んでやってきた。その中で、パンダが好きなスケートメディアの人間は、私とドムくらいかもしれない。私はパンダもスケートボードも好きだし、ドムの写真も好きだ。だから、この偶然を生かしたいと思っている。

彼のモノクローム写真について

ドムの写真はカラーもいいけれど、モノクロームの写真がまたいい。ロンドンの裏路地のラフな感じがよく出ていると思う。

以前に私が発行し続けている『Sb Skateboard Journal』というスケボーマガジンで、彼の特集を組んだ時、全編モノクロームの写真で構成することにした。モノクロといっても、いろいろあって、光と陰のコントラストや濃淡でグッとくるものがあったり、ドムのように(とくにドムの古いアーカイブの写真などは)もともとその路地には色がなかったのではないだろうかと思えてくる世界観があったりする。昔のサイレント映画を観た時に錯覚するのと似ているかもしれない(ああ、20世紀以前は街全体がモノクロだったんだなぁ、と)。

それがまたパンクロックとかスペシャルズとかのロンドンなイメージと、(勝手にだけれど)妙にだぶってくる。そんなドムが現在、全編モノクロームの写真集を制作中らしい。これはぜひ見たい。付け加えるなら、白と黒のパンダも、ドムだったらあえてモノクロームで撮影してプリントしてもいいかもしれない。おもしろい、と思うのは私だけだろうか。

彼がまた東京にやって来たら

たまに思う。ドムが東京を撮ったら、やっぱりそれは「ザ・東京」って感じになるのだろうか。それとも、ロンドンの路地のように写っているのだろうか。東京らしいネオンやガチャガチャした落ち着きのない色を排した、彼のモノクローム写真がどんな風になるのか。興味深い。

以前に紹介したバンジャマンやジャイ、デニスなんかもそうだけど、彼らは、思ったままに東京の一部を切り撮る(切り取る)からおもしろい。狙ったりしていないというか、欲張らないというか。

30年ほど前に、たまたま見たナン・ゴールディンの東京の写真を思い出す。地下鉄の駅のプラットホーム。タバコに火をつけようとしているリーゼントのあんちゃん(当時はホームで喫煙できた!)。当時の私には見慣れた光景。たいしたことのない瞬間。だけど、グッと来た。カッコつけたあんちゃんがおもしろかった。私は、すごい偶然を経て、それから7年後にはそのフルカラーの実際のあんちゃんと友達になっていた。真っ先にその写真の話をした。ドムと世界的名声を得ているナン・ゴールディンを比較する必要はまったくないはずなのだけれど、ドムはきっとおもしろいモノクロ写真を撮るはずだ。

今はまだコロナ禍だけれども、彼が来日するのが先か、パンダがたくさんいる中国四川省で落ち合うのが先か。それともロンドンの裏路地か。ぶっちゃけどこでもいいから、ドムと撮影に出掛けるのを今か今かと楽しみにしている。
本当は2020年にロンドンで会うはずだった。それもこれもコロナのせい。そして、こんな時代だからこそ、そろそろ次なる才能達が世界に名を馳せるチャンスがやってきていると思ってもいる。

ドミニク・マーレー
フォトグラファー。スケーターで素敵ダッドでウィークエンドには波乗りも楽しむロンドナー。スケートボードはもちろんのこと、ファッションシュートに動物写真も数多く発表している。現在は、今や世界有数のスケートボードインダストリーのメッカになったロンドンをアーカイブした写真集を制作中。
https://www.dominicmarley.com/
Instagram:@dominic_marley

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