松本 雅延, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/masanobu-matsumoto/ Tue, 12 Dec 2023 04:17:23 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 松本 雅延, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/masanobu-matsumoto/ 32 32 世界が注目する美術家・Mr Doodleが「パックマン」とのコラボレーションで得た気付き https://tokion.jp/2023/12/09/interview-mr-doodle/ Sat, 09 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218532 英国の美術家Mr Doodleが日本のビデオゲーム「パックマン」とコラボレーションした作品を発表。個展会場のTHE ANZAI GALLERYで本人に聞いた。

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Mr Doodle

Mr Doodle(ミスター・ドゥードゥル)
1994年、イギリス・ケント州生まれ。本名はサム・コックス。西イングランド大学ブリス トル校イラストレーション専攻卒業。幼少期から絵を描くことに熱中。作家活動はキャン バスの枠を超え、ギャラリーでの展示だけにとどまらず、数々のブランドとコラボレーションワークを手がけている。
Instagram:@mrdoodle

「Mr Doodle(ミスター・ドゥードゥル)」=(落書き男の意)というアーティスト名はまさに言い得て妙だ。英国出身で、本名はサム・コックス。くねくねした描線のキャラクターが画面いっぱいに現れる彼の絵は、子どもの頃に誰もがノートの端っこに描いた落書きのように、親しみやすく、見る者の心を明るく楽しくさせるような力がある。

実際、Mr Doodleはいまアートシーンで確かな注目を集めている。近年、「サムスン(Samsung)」や「フェンディ(FENDI)」、「プーマ(PUMA)」などともコラボレーションを展開し、大きな話題を呼んだ。

現在、日本でも東京・天王洲にある「THE ANZAI GALLERY」で個展を開催中だ。展示しているのは、日本のビデオゲーム「パックマン」とコラボレーションした作品。実は「パックマン」こそ、彼が作家として影響を受けたものの1つだという。

今回、インタビューのためにギャラリーを訪れると、彼は自身が描いた「Doodle」を刺しゅうで表現したスーツをまとって現れた。「友人の結婚式など、特別なオーケージョンの場には流石に着ていきませんが、だいたい1年のほとんどは自分の絵がモチーフに描かれた服を着ています。今着ているスーツと同じように自分の絵をプリントした作業着もあって、それを着て絵を描くと、なぜか作業がはかどるんです」——そう言って、親しみやすく、楽しそうに微笑む彼に、自身の作風、そして今回のコラボレーションについて話を聞いた。

みんながポジティブになる作品をつくりたい

——作家名の「Doodle」つまり「落書き、いたずら書き」は崇高なファインアートではなく、親しみやすく誰もが楽しめるような作品をつくっていく作家としてのメッセージのように受け取れます。実際に、この「Doodle」はご自身にとってどのような意味のある言葉ですか?

Mr Doodle:「Doodle」は、僕にとって自分の表現に自然に馴染む言葉だと思っています。というのも、僕は美大に行き、油絵など美術の技法を一通り学んでいますが、そうした制作の学びの最中に、幼少期から描いていた「落書き」のような絵を自然と描いてしまう自分に気付いたんです。加えて、ファインアートというものはとてもシリアスに捉えられがち。僕としては、そうではなく、みんなをポジティブに明るくできるような作品をつくっていきたいという思いもあります。その意味でも、「Doodle」は自分のやりたいことを無理なく体現している言葉だと思っています。

——もともとは美大の先生がつけたニックネームだとも聞きました。

Mr Doodle:はい。美大の時に、学校の壁にドローイングを描く機会があって、その時、美大の先生がInstagramのストーリーに「サム・コックス、The Doodle Manがこれから、今日のショーを始めます」といった投稿をしたんです。それがきっかけになって、この名前が友人や知人の間で広まり、今のように自分でも名乗るようになりました。

——幼少期から絵が好きだったそうですが、当時はどのようなものを描いていたんですか?

Mr Doodle: 10歳くらいまでは親が用意してくれたスケッチブックに、キャラクターなどを埋め尽くすように描いていました。どちらかというと1つのキャラクターを納得するまで描き続けて、それができたらアニメーションのようにキャラクターを自分の頭の中で動かして、ポーズを変えて描いてみたり。そういう遊びが楽しくて、ずっと絵を描いていた記憶があります。

——Doodleさんの作品は、自身が「グラフィティ・スパゲッティ」と呼ぶ、くねくねした線の表現に加えて、キャンバスを埋め尽くすようなところも特徴だと思います。この「埋め尽くす」というアイデアは、どういうきっかけで生まれたのですか?

Mr Doodle:まず、「グラフィティ・スパゲッティ」と言い始めたのは、皿の上に麺がボリューミーに絡まりあっているスパゲッティに自分の絵が似ていると思ったから。僕の絵も、同じように線で描かれたキャラクターが絡まりあって無限に増殖し、ボリュームをつくっているところがあります。また、空間を埋め尽くすようになった動機は、すごくシンプルで、僕自身の性格によるもの。というのも、余白が好きではなく、白い空間を見ると何かモチーフで埋め尽くしたくなってしまうんです。

レトロゲームのピクセルの表現や色合い、音に惹かれて

——今回の個展は日本のビデオゲーム「パックマン」のキャラクターがモチーフになっています。もともと日本の漫画やゲームも好きだったそうですが、今回のコラボレーションの経緯を教えてください。

Mr Doodle:まず、「パックマン」との出会いについてお話しすれば、実は幼少期に「パックマン」のジョイスティックのゲーム機を持っていて、弟とよく遊んでいたんです。そういった日本のゲームや漫画、サブカルチャーが昔から好きで、今でも集中して壁画などを描く時は、ゲームのサウンドなどを聞きながら、作業することも多くあります。

そして、今回のコラボレーションについてですが、これは「THE ANZAI GALLERY」の安西さんと僕のこれまでの作品やインスピレーションソース、関心があることなどについて話をしていた時に、何度か僕が「パックマン」という単語を出していたらしくて。そこで、安西さんが、「パックマン」を手掛けるバンダイナムコエンターテインメントに提案し、正式にコラボレーションすることが決まりました。

僕は、先ほど言ったように、幼少期からインドア派で、ゲームが好き。特に、ピクセルの世界観や色合い、音楽などに惹かれる部分があって、自分の絵の世界観に大きな影響を与えたものだと思います。今回、改めてパックマンに向き合って、そういったゲームの表現言語が自分の作品の言語に近いことを実感しました。それは今回のコラボレーションでの気付きの1つです。

——実際に今回のコラボレーション作品は、正方形のキャンバスに描かれていて、表現もまさにピクセル風のものも見られます。改めてトライしたことがあれば、教えてください。

Mr Doodle:今回は、2つのスペースに分けて作品を展示しています。1つのスペースでは、どなたが見ても「パックマン」とわかるようなピクセル風の直線的でカクカクしている作品を展示していて、それらの「パックマン」のモチーフの中に、僕が普段描いている「DoodleLand」のキャラクターが混ざりこんでいます。

もう1つのスペースで見せているのは、その「DoodleLand」にもし「パックマン」が出てきたらというコンセプトのもの。僕が普段描くような絵の中に、「パックマン」のキャラクターが姿を現します。その2つの世界観を行き来するような表現は、今回トライしたことの1つです。

ちなみに、「パックマン」には、パックマンという良いキャラクターと、ゴーストという悪いキャラクターが登場します。実は僕が描いている「DoodleLand」にも、Mr Doodleという良いキャラクターと、Dr Scribbleという彼と双子の悪いキャラクターがいるんです。今回の作品にも、パックマンとゴースト、Mr DoodleとDr Scribbleを描いていて、「パックマン」と「DoodleLand」の世界観が何か共鳴している部分も楽しんでいただけたらと思っています。

——会場には、手描きが加えられた「パックマン」のキャラクターのオブジェやアーケードゲーム機も並んでいて、楽しいですね。

Mr Doodle:オブジェやゲーム機は日本で用意してもらい、今回来日した後に会場で手描きを加え完成させたものです。合わせて、ウィンドウや展示室の壁面にもアートワークを加えています。壁面に描いているのは、絵の中に描かれている水色の迷路の線。会場自体が迷路の一部になり、鑑賞者がその中にいることを楽しめるような、ちょっとしたいたずら的な仕掛けです。

——最後に、今後チャレンジしようと思っていることを教えてください。

Mr Doodle:もちろん、こうした展示を行えることも僕にとって幸せなことですが、最近は街中の壁面などの大きな作品も手掛けていて、そういった公共の人達と関わるような作品にも力を入れていきたいと思っています。やはり、なるべく多くの人に作品を見てもらい、驚いて、楽しんでほしいので。

また、2019年、自宅の壁や床、家具などを「Doodle」で描き埋め尽くした「Doodle House」を完成させました。構想1年、制作2年という大きなプロジェクトだったのですが、これが完成したいま、今度は「Doodle Town」がつくれたらいいなと思っています。電車や車など生活空間にあるものすべてを僕の絵で埋め尽くした街。それはロングタームな目標ですが、そうなったら、みんな毎日ワクワク、楽しく過ごせると思いませんか?

Photography Yohei Kichiraku

■ Mr Doodle「Doodle PAC-MAN」
会期:2023年11月11日〜2024年1月13日
会場:THE ANZAI GALLERY
住所:東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEX II 3F
時間:12:30〜18:00
休廊日:日、月曜、祝日 
入場料:無料
PAC-MAN™& ©Bandai Namco Entertainment Inc.
https://www.theanzaigallery.com

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「びっくりさせるのが私のアートの醍醐味」 画家・空山基が語る「進化」と「創作哲学」 https://tokion.jp/2023/05/19/interview-hajime-sorayama/ Fri, 19 May 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=186113 都内3ヵ所で個展「Space Traveler」が開催中の画家・空山基インタビュー。新作の秘話と創作哲学について。

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空山基

空山基(そらやま・はじめ)/ Hajime Sorayama
1947年、愛媛県生まれ。東京在住。1983年『Sexy Robot』出版。1999年にソニーが開発したエンターテイメントロボット「AIBO」のコンセプトデザイン、2001年には、世界的ロックバンド、エアロスミスの『Just Push Play』(2001)のアルバムカバーを手掛け、近年もキム・ジョーンズと手がけた「ディオール メン(Dior Men)」とのコラボレーションで大きな話題となる。近年、空山の作品は、「Unorthodox」(The Jewish Museum, New York, 2015)、「Desire」(by Larry Gagosian and Jeffrey Deitch, Moore building, Miami, 2016)、「The Universe and Art」(森美術館, 東京, 2016、Art Science Museum, Singapore, 2017)、「Cool Japan」(Tropenmuseum, Amsterdam,2018)、「Tokyo Pop Underground」(Jeffery Deitch, NY/LA, 2019-2020)、「Sorayama x Giger」(UCCA Labo、Beijing 2022−2023)、また2023年の夏には、アメリカのマイアミに新たなにオープンするMuseum of Sexにおける大規模な個展も控えている。
http://sorayama.jp/ja/
https://nanzuka.com/ja/artists/hajime_sorayama
Instagram:@hajimesorayamaofficial

「ずっと見ていると目が回ってくる。まさに“宇宙酔い”」。都内3ヵ所で新作個展「Space Traveler」を開催している画家・空山基。そのメイン会場NANZUKA UNDERGROUNDで披露しているロボット彫刻のインスタレーションを前に、作家はそう言って、ニヤリと笑った。

会場の1階フロア全体を使ったこのインスタレーションでは、6体の女性ロボット彫刻が、それぞれ内側に鏡を施したボックスの中に作品が浮いて見えるように設置されている。鏡には無数のロボットが増殖して現れ、実際の彫刻とその虚像の間に起こるズレや歪みによって、空山が“宇宙酔い”と表現したような感覚が引き起こされる。「周りを動きながら見続けていると気持ち悪くなっちゃうかもしれない。要注意だよね。ギャラリーの中で吐かれちゃったら、困るでしょ?(笑)」。

 “ロボットの春画”とも言える、通称「セクシーロボット」をモチーフにした作品で、世界的に知られている空山。海外のミュージシャンやアーティスト、企業とのコラボレーションも含め、毎回、世間を驚かせてきた彼だったが、今回の展示は体感としての驚きが極まっているように感じられる。「それは、私の思うツボだね。私は人をびっくりさせるために、ものをつくっているから」。そう言って、またニヤリとする空山が「TOKION」だけに語ってくれた、新作の秘話と創作哲学について——。

ステップ・バイ・ステップで作品は進化していく

——人間と等身大のロボット彫刻のインスタレーションは、今回、鏡を使った新しい見せ方でした。

空山基(以下、空山):こういう効果はシミュレーションではなく、実際にやってみないとわからない。鏡を使った彫刻は、2023年にアートバーゼル香港(※アジア最大級のアートフェアの1つ)で1体だけ見せているんだけど、日本では今回のように複数並べて展示空間から作り込んだのは初めて。ステップ・バイ・ステップで、次はどんなことをやったらおもしろいかって考えて発展させていくんです。本当は四角いボックスを卵型にするのが理想なんだけど、技術的にも予算的にも難しいようで、次は床と天井も曲面にしたいなって思っている。

——モチーフの彫刻が浮いているようで、「Space Traveler」というタイトルともマッチしています。

空山:このタイトルはギャラリーがつけたもので、私がやりたかったのは、彫刻を浮かせることだけ。実際に彫刻は工房の職人と作っているんだけど、私が結構、無理難題を言うものだから、職人も「じゃあ、やってやろうじゃないの!」と頑張ってくれて。ロボットが膝を抱えて浮いているものと他に、つま先だけで立った、水泳の飛び込み台からジャンプする瞬間のような姿をしているものもあるんだけど、それはもっと身体を前傾になるように、でも体を支えている支柱をなるべく見えないように注文をつけた。アルミだから実際にはすごく重くて難しいらしいんだけど。

——今回のロボットのポーズはどうやって決めたのですか?

空山:膝を抱えているものは、私が生まれて初めて描いた女性のロボットのポーズに近いもの。もう1つの、飛び込みのジャンプの瞬間のものは、もともとは「自由」や「解放」を意識して描いたロボットの絵があって、そこから抽出した。その作品は、背景に「光」という文字(ゲーテの最後の言葉「もっと光を」の暗示)や、人権団体アムネスティ・インターナショナルの蝋燭のロゴマークが浮かんでいるようなものだったんだけど。そうやって、昔の作品をアレンジしたり、絵画も昔のものをリタッチすることも結構ある。

——写り込みの部分もおもしろく、例えば、背面がアール・デコ(19世紀前半、進歩した機械文明を象徴するような、直線や幾何学が特徴の装飾様式)のような文様が浮かび上がる。また、以前、空山さんは、メタリックに光る女性ロボットを神のような存在だと話されていたと思いますが、今回の作品では、ちょうどロボット彫刻の後ろの鏡面に円のような図形が現れて、(自身の仏性を内観する)禅的なものも想像させられました。

空山:まあ、自由に解釈してください。いろんなことを妄想してもらえばいいし、手のひらを合わせて拝んでもらってもいい。ただ、人間が作品空間に入った時に、どういう効果が生まれるかということは、毎回、展示の際に試しています。印刷で再現できるものを単純に見せてもつまらないし、びっくりさせたいから。びっくりさせるというのが、私のアートの醍醐味。

今回、「NANZUKA UNDERGROUND」の2階のスペースでもちょっと試していることがあって、まず会場に入った時、「フタバスズキリュウ」の骸骨をモチーフにした絵に鑑賞者の目がいくようにしている。そのモチーフも横に伸ばしたように平体気味にして、パノラマ風にしている。また、この作品はキャンバスのパネルが3枚にわかれているんだけど、そのちょうど首から顔にかけての部分を、スペースのコーナーを使って角度を傾けて展示していて。2階の入り口から近づいて行った時に、恐竜の顔が鑑賞者の方を見ているようにしている。普通こういうコーナーはデッドスペースで、立体を置くことが多いけど、私は利用価値があるのになってずっと思っていて。本当は絵画も曲面で見せられないかと考えている。

大きい方が説得力があるし、びっくりさせられる

——今回、大型のキャンバスのペインティングも展示しています。近年、巨大な絵画を精力的に制作されていますが、何かきっかけがあったのでしょうか。

空山答えは簡単で、大きい方が説得力があるし、びっくりさせられるから。ただ、1つきっかけになっていることを挙げれば、30年くらい前にパリのルーブル美術館で、幅が9メートルくらいあるジャック=ルイ・ダヴィッドの「ナポレオン1世の戴冠式」(ルーブル美術館で2番目に大きい絵画)を見たこと。その隅に入っているダヴィッドのサインが、私がそれまでに描いた一番大きい絵と同じくらいのサイズだった。まずはそのダヴィッドの絵の大きさを超えてやろうって。でも如何せん、日本では住宅事情もあってそこまで大きい絵は制作できない。だからずっと挑戦できなかったんだけど、少し前に広いアトリエを借りられるようになって、いま30年越しのリベンジを果たしているというわけ。

——大きい絵画では、絵の具の層に透明な層を重ねていく「スフマート」という技法を取り入れていると聞きました。伝統的な油絵の描き方ですが、古い技法もいろいろ試されているわけですね。

空山私の場合、使っているのは、油絵の具ではなくアクリル絵の具。油絵の具は臭いし、すぐ乾かないから自分の描き方には合っていない。ただ、単に古い描き方をマネしているわけでなく、実は技法もコラボさせている。例えば、プリントをベースにしていたり。具体的には、手描きの絵を4億画素で複写し、大きなキャンバスに12色で拡大プリントして、その後に、蛍光色などいろんな色を使って筆を重ねていく。そうやって「プリントを使っている」と言うと、コレクターの人は変な反応をするんだけど、使っているのは染料によるジークレー印刷で、油絵の具でもアクリル絵の具でも出せない、ものすごく透明なブルーを表現することができる。モニターの上で発光しているものに近い色、光に近い色というか。そういう方法を取り入れない理由はないでしょ?

——今回、初めてCGテクノロジーを使った映像作品を発表されています。

空山:正直に言うと、映像に関しては、まだまだ全然満足していません。肉体が全く光っていなくて、まあ予算と時間の問題があるらしいんだけど、あれは完成まで100年かかりますね。最後のシーンだけ、映像に出てくる地球のモチーフにダイヤモンドリングを入れて、微妙にタイムラグでロボットにその反射を入れてもらった。CGだと何でもできると思っているけど、そうではない。

——CGでイチから表現するには、予算とお金がかかり、難しいことを、絵では自由に実現できる。別の言い方をすれば、CGでできないことを、空山さんは絵でやってきたということですよね?

空山:絵ならば、家内制手工業で時間をかければ、いくらでもできるからね。ただ、今回は時間と予算の問題もあったけど、理工系の人の発想と、絵描きの発想は少し違うんだなって思った。見た目に現れる湿度のようなもの、柔らかさのようなものなど、コンピューターの演算では簡単に表現できないこともある。アニメーションの分野の人達は、昔から「不気味の谷」というものがあると言うよね? 本物に近づければ近づけるほど気持ち悪くなる、ある一線を超えると不気味になってしまう谷があるということなんだけど、脳が感じるリアリティの問題もあると思う。

公のものにカウンターを食らわすのが作家

——今回の個展でも、会場には海外の人も多く訪れていました。国内外では作品に対する反応に違いはあるものですか?

空山:今は、そこまで違わない。ボーダーレスになっているんじゃないかな。日本でも、東京と地方でも、そこまで反応は変わらない。

——センシティブな表現もありますが、クレームのようなものを言われたりはしないんですか?

空山:どうだろう。あまり気にしても仕方がないことだと思う。まず、私は、何かをつくる時、そういったものは全く考えない。描いている時は発表することすらあまり考えないから。そもそも私は、好きなことを描いているだけ。唯一、社会性のようなものを意識するのは、こうして展示する時なんだけど、クレームなんかは、ギャラリーが対応してくれるから、そこまで気にしないでいいし(笑)、やっぱり作家に社会性を求めすぎてもよくない。作家は、いわば、公に対するカウンターでもあるわけだから。発表した後、最後に「まあ、知らんけど」って言っていればいい。

そもそも、こうしたエロティックな絵やポルノグラフィは、ファインアートと比べて低く評価されるところがあるけど、私にとっては同等なもの。性欲は、食欲と睡眠欲と同じように人間の根本的な欲望だし、それを蔑ろにできない。私が描いてきたロボットだって、もともとはポルノで、ピンナップから生まれたものだから。

——確信犯的ですね。作品だけでなく、そういう姿勢が、空山さんが若い世代からも惹かれる理由だと思います。

空山:最近、北野武さんが新しい映画『首』を作ったけど、織田信長の時代なんかは、騙しと殺しのやり合いで、今よりもひどいわけ。そういうのを大河ドラマみたいに単純に綺麗な英雄物語にしてしまわないところが、武さんはすごい。そういうのはクリエイターに限らず、例えばフランス人の海洋学者で、アクアラングというダイビング機器のレギュレータを発明したジャック=イヴ・クストー。彼はその発明過程で息子を亡くしているんだけど、それでも開発をやめなかった。自分のやりたいことを、タブーや批判を気にせず、やり続けている人は、私にとってやっぱり眩しい。

——そういった人を、“眩しい人”と表現されるのが空山さんらしいと思います。というのも、空山さんは以前、メタリックに輝く女性ロボットの表現について「光のなかに、神を見ている。私にとっての神は女神で、光も女の人」といったことを語られていました。

空山:昔、言ったことなんて覚えていないけど(笑)、ただ、再現できる嘘の光、人工の光って、程度がしれている。印象派だって、極論を言えば太陽以上の強烈な光を描いていないわけでしょ? いまはCGで光っているような表現もできて、なおかつ、見る方も記号的に、それが光だとわかるようになったけど、果たしてどれほど人を驚かせることができるのか——。やっぱり、私はその上で、眩しいほどの光を絵で再現したい。もちろん、所詮、絵だから白から黒までの範囲のなかで描けるもの以上に眩しい光は表現できないことはわかっている。ドン・キホーテが風車に向かって突進するように負け戦なのかもしれないけど、人がハッとするような恍惚としちゃうような光を出したいと思っている。その限界にいつも挑戦しているわけです。

Photography Hironori Sakunaga

◼空山基 Space Traveler
会場:NANZUKA UNDERGROUND
会期:4月27日〜5月28日
時間:11:00〜19:00
休廊日:月、火曜日
入場料:無料

会場:NANZUKA 2G
会期:4月27日〜未定
時間:PARCOの営業日に準じる
入場料:無料

会場:3110NZ by LDH kitchen
会期:4月26日〜5月27日
時間:水・木曜11:00〜16:00、金・土曜11:00〜17:00
休廊日:日、月、火曜日、祝日
入場料:無料
https://nanzuka.com/ja

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ポップアートを解体する ペインター、マット・ゴンデックとは何者か https://tokion.jp/2022/11/25/interview-matt-gondek/ Fri, 25 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=157624 大衆に親しまれたポップなアイコンを解体することで、アートに昇華させるアーティストのマット・ゴンデックのインタビュー。

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マット・ゴンデック

Matt Gondek(マット・ゴンデック)
1982年、アメリカ出身。ロサンゼルスを中心に活動。シンプソンズやミッキーマウスなど、おなじみのポップアイコンが爆破して飛び散るように表現された「Deconstructed」シリーズが人気。時にはハローキティ、鉄腕アトムやドラゴンボールなど日本のキャラクターを描くことも。ロサンゼルス、香港、ロンドンなど、世界中で個展を開催している。日本での個展は本展が初めて。
https://mattgondek.com
Instagram:@gondekdraws
Twitter:@Mattgondek

アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグ——アンディ・ウォーホルの故郷で生まれ育ったマット・ゴンデック(Matt Gondek)は、近年「Deconstruction Pop Artist(解体する、脱構築するポップアーティスト)」と注目を集めている美術家だ。この十数年でアートシーンのスターダムを駆け上ったKAWSの名を引き合いに出し、「ネクストKAWS」と評したメディアもある。

脚光をあびたきっかけは、2014年頃に彼が手掛けた、漫画のキャラクターの頭が爆発し、吹っ飛んでいる瞬間を描いたペインティング作品。ミッキーマウスにはじまり、ハローキティ、バックス・バニー、シンプソンズなど、大衆に親しまれたポップなアイコンを、彼は作品の中で「解体」し、ユニークなビジュアルアートに仕立てあげてきた。

現在、「THE ANZAI GALLERY」で開かれている彼の個展では、真骨頂たるキャラクターをモチーフにした新作が並んでいるが、そこには、これまでとは異なる絵画的な新しい試みも見られる。例えば、過去に描いた絵画を「画中画」として画面の中に組み入れた作品。彼がこれまで基調としてきた3色のみを使った作品。ミッキーマウスと彼自身がお互いを描き合うような、自己言及的ともいえる作品もある。そもそも、彼が描くキャラクターとはどういった存在なのか、また今回の新作における試みついて、本人に話を聞いた。

「キャラクターは現代の神々」

——ゴンデックさんのキャリアの転機になったものとも言える、ミッキーマウスなどのキャラクターの頭が爆発し、飛び散るペインティング作品。まず、こういった作品を描き始めたきっかけを教えてください。

マット・ゴンデック(以下、ゴンデック):当時、僕はフリーランスのグラフィックデザイナーとして、いろいろなポーズ、アクションをしたミッキーマウスの絵を大量に描くというプロジェクトに関わっていました。何百枚という数のミッキーマウスを、何十時間も机に向かって描き続けていたわけです。その気晴らしに、プロジェクトとは関係のないちょっと変わったポーズのミッキーマウスをピックアップして、なんとなくスケッチしてみました。その1つが、頭が爆発したミッキーマウスでした。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、ペインターになることは昔からの夢。だた何を描くべきかが定まらず、ずっと模索し続けてきたところがありました。そんな中、頭が爆発したミッキーマウスをスケッチした時に、ピンときたんです。みんなが知っているミッキーマウスが、いつもと違う見慣れない姿をしている。そこに何か新しい魅力と閃きを感じたのです。

——以降、バックス・バニーやシンプソンズなどのキャラクターもモチーフにしていきます。その中には、頭が吹っ飛んでいたり、目が飛び出していたり。少し暴力的ともいえる表現もあります。とはいえ、描かれているキャラクターは、死んでいるわけではなく、どこかポジティブな活き活きとしたものも感じられます。ご自身では、彼等をどういった存在として描いているのでしょうか?

ゴンデック:僕が描くキャラクター達は、いわば神のような存在です。美術館などに置かれている古いアート作品の多くは、宗教や神話、貴族や王族、特権階級の人の姿が主題になっていますよね? ピラミッドに刻まれた絵もそう。長い歴史において芸術は、権威的な力のシンボル、また宗教や階級といったテーマを議論するプラットフォームとして利用されてきたわけです。しかし、僕が住んでいるアメリカには貴族や王族はいません。僕の周りにいる多くの人は宗教を信じていないし、もはやその教えに従って生活していません。では、現代において、絵画のテーマになってきた神々や宗教に代わるものとは何なのか? その、誰もが知っていて、ある意味で崇拝される存在とは誰なのか? 僕にとってその答えが、ミッキーマウスであったり、バックス・バニーであったり、シンプソンズだったりするわけです。少なくとも僕はそう考えて、彼等を現代の神々のようなものとして描いています。

また、漫画やアートだけでなく音楽からも大きな影響を受けました。特に、パンクロックの根底にある、権威を打ち壊していくような強い態度は僕の価値観を形成した大きな要素です。確かにキャラクター達は作品の中で暴れまわっていますが、僕としては、権威を打ち壊していく態度や哲学をキャラクターに託している感じです。

——今回の個展についてお伺いします。展示作品は、すべて新作だと聞きました。新たにトライしたことがあれば教えてください。

ゴンデックぞれぞれの作品に新しい試みがあります。例えば、今回、展示している作品の中で一番大きい《Love is a Battlefield》は、「絵画の中の絵画」というスタイルを取り入れています。絵の中に描かれている、パンキッシュなドナルドダックが絵筆を持って前に立っている絵画は、実は、パンデミック中の2020年に、僕自身が実際に描いた実在している作品です。僕が拠点としているロサンゼルスではコロナもひどく、また、当時、アメリカでは「ブラック・ライブズ・マター」のきっかけになった暴力的な事件もありました。描いているのは、警官に市民が抵抗している様子で、絵画の中に描かれた絵画にも、物語が展開されているわけです 。

また、シンプソンズをモチーフにした10ピースの作品も、新しくチャレンジしたものです。1つひとつを絵画作品として完成させていますが、10ピースを通して1つの物語が感じられるように構成しています。またこのシリーズは、僕がよく使うピンク、黄色、青の3色を基調にして描いています。この3色は、既成品の絵の具ではなく、自分で調合して作っているものです。

——他にもミッキーとキャンバスの中のゴンデックさんが、お互いを描きあっているような「画中画」の作品もありますね。ところで今回の展示作品のうち、『鉄腕アトム』や『ドラゴンボール』など、日本の漫画のキャラクターをモチーフにした作品も印象的ですが、日本のカルチャーから特に影響を受けたことはありますか?

ゴンデック確かに、これまでの作品でも日本のキャラクターが登場することはありましたが、僕が子どもの頃から大人になる過程で影響を受けたのは、1980年から1990年代のアメリカのカルチャー。正直に言えば、僕にとって日本のキャラクターはそこまでメインのモチーフではありません。ただ、『鉄腕アトム』は、19歳の頃に、白黒の漫画を図書館で見つけて読んでいました。アトムというシンプルな線で描かれた、かわいらしいキャラクターの造形、そして、アトムが巨大なロボットなどと戦うクレイジーなストーリーラインに惹かれました。

「細部まで完璧に描いた時、そこに人間性は保たれるのか」

——今回の『鉄腕アトム』をモチーフにした作品は、まさに漫画の形式、昔の『鉄腕アトム』風のタッチで描かれています。漫画のように物語を読ませる絵画です。

ゴンデック:タイトルは《CORONA》。2020年のロックダウン中に描いた作品です。アトムが巨大なモンスターと戦うストーリーで、モンスターは正体のわからないウイルス、アトムはわれわれ人間。当時のコロナ禍にあった社会に対するポジティブなメッセージとして描きました。実は、この作品は、他の大きなペインティングよりも完成までに時間がかかっています。3週間くらい。それほど細部まで完璧に描くこと。それは、近年の制作における僕の目標です。

——今回の展覧会のタイトルは『Missing Person(ミッシング・パーソン)』。「行方不明者」あるいは「人間性の欠落」のような意味を暗示させる言葉です。タイトルに選んだ真意を教えてください。

ゴンデック:このタイトルには、2つの問いを重ねました。僕のペインティング作品はすべて手描きなのですが、背景にある(印刷された漫画などに見られる)ドットなども一筆一筆、手で表現しています。そうやって、細部まで機械が描いたように表現した時、人間性のようなものは作品の中に失われずに存在し続けるのか、モチーフに対する愛のようなものを作家自身が保てるのか、という自問自答が1つです。そして、もう1つはミッキーマウスなど、多くの人が愛着を感じているアイコンを解体するという行為についての問いです。それは、アーティストが誰もが持っているキャラクターへの愛情を剥奪しているとも取れるわけです。そうした時、アーティスト、すなわち僕はどのような存在になるのか、と。

——その問いに対する、ゴンデックさんとしての今の答えは?

ゴンデック:正直、まだ答えは見つかっていません。今回の個展で発表した作品のように、新しいことを続けることで、自分の中に見つかるのだと思っています。だからこそ、常に描き続けることが大事なんだと思います。

Matt Gondek 『Missing Person』

■Matt Gondek 『Missing Person』
会期:2022年11月12日~12月3日
会場:THE ANZAI GALLERY
住所:東京都品川区東品川1-32-8  TERRADA  ART COMPLEX II 3階
時間:12:30~18:00
休日:日曜、月曜、祝日 
入場料:無料
https://www.theanzaigallery.com

Photography Kohei Omachi

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イメージと物質を分離させる。アーティスト・谷口真人が語る、「少女の絵」に込めた意味 https://tokion.jp/2022/08/26/interview-artist-makoto-taniguchi/ Fri, 26 Aug 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=141680 神宮前・NANZUKA UNDERGROUNDで約2年ぶりとなる個展「Where is your ♡?」を開催した谷口真人。イメージと物質の二重性において提示される「少女」にはどのような意味が込められているのか。

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キャンバスに絵の具で描かれた絵画を、「イメージ」と見るか、「絵の具のかたまり」と見るか。谷口真人の作品は、キャラクター的な少女といったエモーショナルなモチーフが強調されがちだが、実は、そういった近・現代の多くの画家たちが目を向けてきた「絵画とは何か」という問題、あるいは存在や認知に関する問題をするりとかわすような作品でもある。

現在、神宮前・NANZUKA UNDERGROUNDで開かれている個展では、“鏡を用いた箱型絵画”の新作を展示。箱の手前側の面に透明なアクリル板を、反対の面に鏡を設置し、透明アクリル板の表面に置かれた絵の具とそれが後ろの鏡に反射したイメージとが、ふたつ同時に見える。「通常、絵を描く時、描くものと描かれるものが一致している状態にある。つまり同じものとして感じられます。そのふたつを分離させて、それぞれ別々に、かつ同時に見えるような状態を作ろうとした」と谷口。そして、「なぜ絵というものにその構成要素そのもの以上の何かを人は見出すのか。その不思議にも興味があった」と続ける。新作について、谷口の創作、関心の向かう先について、展示会場で本人に話を聞いた。

「物質とイメージを分離させて同時に見せる」

――アクリル板と鏡を使って少女のイメージと塗られた絵の具を同時に見せる作品。今回の個展で発表された新作は、箱型で、絵の具の滴りなどを見ると箱にした状態でアクリル板に絵を描いているように見えます。実際にはどのように制作されているのでしょうか?

谷口真人(以下、谷口):アクリル板だけの状態で描くこともありますし、箱の状態にして描くこともあります。初期の2006年頃のものは、アクリル板と鏡は箱状にはなっていませんでした。箱にした状態で描く時は、反射する鏡のイメージとアクリル板の表面に置かれた絵の具を往復しつつ同時に見ながら描いたりしています。ですが、特にこれといった描き方の決まり、制作の仕方はありません。

――初期の作品では、アクリル板にもっと絵の具が厚く盛られ、アクリル板の絵と鏡に映る絵の見た目的な差がよりはっきり際立っていたような気がします。それもどこかのタイミングで自然と変わったことですか?

谷口:描いている本人としてはそこまで変えたという意識はありません。もともとこの一連の作品のインスピレーションになったものの一つは、例えば絵の具で絵を描いたとすると、それが絵の具であるに過ぎないのに、なぜ人はそこに絵の具以上の何かを見出そうとするのか――その不思議さです。「絵の具」であることとそこに見出す「何か」を、分離させ、かつ同時に提示するというのはずっとあります。その上で自然と変わっていっているのかもしれません。

――箱型という形態も印象的です。お墓だったり、ブラウン管のテレビだったり、映画『2001年宇宙の旅』のモノリスだったりと、この箱状のものからはさまざまなものが連想できます。初期から箱状の作品を制作されていたのですか?

谷口:2006年に、この作品の原型になるものを制作していますが、その時は箱状ではありませんでした。脚の上に透明な板を置き、床に鏡を置いていました。その後に、額を用いたものを制作することになります。それらのもっと前、そもそもこれはあるパフォーマンスの構想から始まりました。絵を描いていく時、絵の具を重ねていったり、あるいは削ったり、描きなおしたりして、近づこうとすればするほど、描きたいものからはどんどん離れていってしまうという感覚があり、その行為をそのままパフォーマンスとして見せられないかと。実際に、パフォーマンスはやらず、構想で終わったのですが、そのパフォーマンスの「最初の状態と最後の状態を同時に見せる」というアイデアから始まって、今のかたちになりました。アクリル板の一番表面に見えるものが絵の「最新の状態」、アクリル板の一番下層にあるもの(描画材の層として一番下にある部分)、つまり後ろの鏡に映り込むものが「最初の状態」だとしたら、それらを同時に見せようとしたのです。

――「箱型である」「絵画の最初と最後を同時に見せる」という点でも、絵画史的に独自性のある作品だと思います。ご自身としては、どれくらい絵画というものを意識されているのでしょうか。そもそも「これは、絵画作品だ」と思って制作されていますか?

谷口:絵画観とか絵画とは何かなどはいろいろ言われていたりいろんな人が考えたりしてきたと思うのですが、ご質問の「絵画」の意味がいわゆる絵画を指すものだとすると、絵画というよりは、絵について考えてきたところはあります。美術的な絵画の良し悪しといったことではなく、先ほど言ったように、なぜ人は絵に対してそこに何かを見出そうとしたり、作る人も何かを込めようとするのかということを考えたりしています。

「自分で描いたものが急に生き始めるような、存在感を感じる瞬間がある」

――モチーフについて教えてください。この少女は、アニメのキャラクターと比べて、描きかけのような状態にあります。その不完全さも鑑賞者の目を惹きつけるポイントだと思います。この少女は谷口さんにとってどういう存在ですか?

谷口:例えば、何気なく落書きしたりしてて、ふいに自分で描いたものが急に生き始めるような、存在感を感じる瞬間がある。描きかけであるとか、不完全であるというよりは、「そのような瞬間の絵」に近いかもしれません。また人間は、多くの場合、必ずしも目の前のものを全部はっきりと認識、記憶しているわけではないと思います。はっきりした部分とぼやっとした部分があるような。あと私自身、あまりこれが少女だと思って描いていなくて、記号的な造形というか、目があって、人っぽいかたちになっている、そういう存在。

――今回の展覧会は、新作を見せていますが、展示方法を含め、新たに試みたことがあれば教えてください。

谷口:今回、描かれている像が見る人と同じくらいのサイズの大きな作品が2つあります。それらは壁から離れて置かれています。空間に絵があるような、そこにいるような状態にしたいと考えました。

「変わる想像力と変わらない想像力に興味がある」

――今回の展示とは別の話になりますが、コロナ以降、ビデオコミュニケーション、ボーカロイド、Vtuberみたいなものが注目されています。物質と離れたイメージを、身体感覚的に受け入れられるようになった現在の状況をどう見ていますか?

谷口:それらが今後、実際にどのようになっていくのかはわかりませんが、それらの技術によって人間の想像力がどう変わるのか、あるいは変わらないのかということに興味があります。これまでもいろんな技術の広まりで、人間の想像力のありようが変わってきたと思うんですね。現代人は、例えば何百年か前の人たちとはまた違った想像力を働かせていると思うし、また逆に持たなくなった想像力もある。そのような変わる想像力、あるいは変わらない想像力に興味があります。

今回の個展のタイトルには♡が使われています。これらの作品そのものが心をテーマにしているかというとそういうわけではなく、もっと広範囲についてのものなのですが、ちょうど現代の今という時期に、心を入り口としてみたらどうなるか、と思い、タイトルを“Where is your ♡?”としました。「♡」は単にheart、心、というだけではなく、それらを含むいろいろな意味合いが含まれています。「あなたの♡はどこにあるのか?」ということです。この文はさまざまな意味を想起させます。

「心」のあり方は時代を経て変わっていってると思いますし、心という概念のない時代も人間は生きてきたはずです。♡型は心臓の形からきているとかいろいろ聞いたことがありますが、現代ではそれが例えばかわいい感じのイメージを持っていたり、はたまたSNSではいいね!を表す記号として使われていたりします。誰かの投稿に対して、ハートをするとか、そういうのを繰り返していくことでも人の心は少しずつ変わっていっているのかもしれないと思います。大げさに言うなら。

以前、古い肖像画を見た時に、今の人と違う顔をしているなと思ったことがありました。それは描き方、技術の問題ではなくて、本当にそのような顔つき、表情なので、そのように描かれたのかもしれないと思いました。心といわれるもののありようだったり、あるいは人の想像力が変化することで、人の顔つきも変わってきたのかもしれない。

アバターとかVtuberとか画像フィルターとかが、後年、今の時代の顔をしていると捉えられるようになるかもしれないし。それは興味深いことだと思います。

■Where is your ♡?
会期:~9月4日
会場:NANZUKA UNDERGROUND 2F
住所:東京都渋谷区神宮前3-30-10
時間:11:00~19:00
休廊日:月曜・祝日
入場料:無料
公式サイト:https://nanzuka.com/ja/exhibitions/makoto-taniguchi-where-is-your-heart/press-release

谷口真人
1982年東京都生まれ、東京藝術大学 大学院美術研究科 先端芸術表現専攻修了。これまで、「美少女の美術史」(青森県立美術館、青森/ 静岡県立美術館、静岡 / 島根県立石見美術館、島根 / 国立台北教育大学北師美術館、台北、2014-2015、2019)、「Takashi Murakami’s Superflat Collection – From Shōhaku and Rosanjin to Anselm Kiefer-」(横浜美術館、神奈川、2016)、「TOKYO POP UNDERGROUND」(Jeffrey Deitch、NY / LA、2019)など、国内外の展覧会に参加。

オフィシャルサイト:http://makototaniguchi.com
Twitter:@makototaniguchi
Instagram:@makototaniguchi

Photography Kousuke Matsuki

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連載「時の音」Vol.17 「歩く、見る、撮る、だたそれだけ」写真家・森山大道が語る「記録」と写真 https://tokion.jp/2022/07/01/tokinooto-vol17-daido-moriyama/ Fri, 01 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=125510 森山大道が「ライフワークでありライフラインだ」と言う私家版写真誌「記録」。その意味するところ、また写真について森山本人に話を聞いた。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回、登場するのは写真家の森山大道。コンパクトカメラを片手に路上を歩きながら撮影するスナップショットの世界的大家だ。「歩く、見る、撮る。ただそれだけ」と自身の仕事を語るが、その1歩から始まる1ショットがいつも世界をしびれさせてきた。

そんな森山が「これがあるから1歩が踏み出せる。電気やガスと同じライフラインのようなもの」と形容するのが1972年に始めた私家版写真誌「記録」である。1973年にオイルショックの煽りを受け休刊するが、2006年に第6号を出版し復刊。以降継続的に展開し、今年、第50号を刊行した。それを記念してAKIO NAGASAWA GALLERY GINZAでは、50号分の写真を複数画面のスライドで観せる展覧会が開かれている。会場では「記録」に収録されたすべての写真が撮影された場所、時間を超えてランダムに投影されていく。

「確かに僕が撮った写真だけど、新しくその写真に出会ったような感覚がある」。その光景を前にして、森山大道が語った「記録」のこと、そして「写真」について。

「僕の日常は、すべて『記録』に反映されている」

――「記録」は「撮影したものをすぐに焼いて、近くの人たちに手渡しで見せる最小限のメディア」として始められた。その動機とはどんなものだったのでしょうか。またタイトルに「記録」という言葉を選んだ理由は?

森山大道(以下、森山):ありていにいえば、僕の本当の日常の断片を印刷して見てもらいたい。そう思って始めたのが「記録」。だから撮りためたものを選んでまとめるような写真集とも少し違って、片っ端から撮ったものをプリントに焼いて、それを1冊の中に全部入れてしまう。そして、なるべく早く印刷して人に見てもらおうというのが「記録」。タイトルに関しては、本当に単純で、「写真は『記録』だよね」ということ。もちろん「記念写真」というように、写真は「記念」であり、また「記憶」でもある。「記録」を含めて、単純にその3つで写真は成立していると思っていたんだけど。だた、「記念」っていうのもなんだし、「記憶」というのも違うなと思って、一番素朴な「記録」にしただけです。だからそこまで深い理由はないです。

――1972年に「記録」の第1号がスタートして、一度休刊されています。

森山:1973年にやめたのであっという間に休刊(笑)。というのも、73年にオイルショックがあって、印刷代がかなり高騰したんですね。続けたかったけど、お金がなくて僕には無理だと。

――第1号を出版した1972年から、今年がちょうど50年。半世紀になります。「記録」を振り返って、その間「大きく変わった」と実感されることはありますか?

森山:「記録」というのはある意味、僕のパーソナルなメディアだがら、僕自身がそういうことを振り返っても仕方がないとも思うんだけど。ただ2006年に、AKIO NAGASAWA GALLERYの長澤章生さんが「また『記録』をやりません?」と声をかけてくれたことは大きかった。それで「記録」が復刊したわけだけど、それまでずっと僕の記憶の中にあって、ずっと気にはなっていた「記録」のありようが、その時、ふわーっと蘇ってきたわけ。その時点から、また僕の日常は、すべて記録に反映されていっているんです。例えば、東京にいる時の日常だけでなく、ふと外国に写真を撮りに行く時も、僕にとっての狭い意味での、1回限りの日常。その日常の断片をそのまま見てもらうというのはずっと変わっていない。あれこれ考えたりせずに、ただ見てもらう。それが「記録」。その中には、いつも記念という気持ち、記憶というかたちもないまぜになってあるわけだけど。

――「記録」のあとがきに、東松照明さんや中平卓馬さんらのお話が出てきます。ないまぜになっているというのは、記録を作り続ける上で、そういった記憶が出てきてしまうということでしょうか?

森山:「記念」「記憶」「記録」ははっきりと別々になったものではなく、ないまぜになって自分の時間の中にあると思うんだよね。だから「記録」は、そういった時間みたいな概念をメディアを通して見てもらう。僕も見せてもらうというところもあるし、見たいという思いもある。

――僕も見たいというのは、やはり、撮っている時と「記録」になったあとでは違う何かがあるということでしょうか?

森山:みんな違うんです。一番はっきりした例が、今回の展示。あの中に囲まれながら、僕自身も改めて写真を見て、その写真にまた新しく出会うというか−−確かに僕自身が撮った写真ではあるんだけど、そういう感覚がある。それが写真たる所以だよね。写されたものは一瞬の事象だけど、それが次々と新しい時間の中で循環していく。その循環の中に僕がいるわけ。すると自分も循環されていくような感覚がある。それが今回の展覧会のとてもおもしろい部分。

――それは、50年前に撮ったものの中に今を感じるものだったり、今撮ったものの中に1970年代に撮ったもののように思えるということでもあるのでしょうか?

森山:『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』というタイトルの僕のエッセイ集もあるけど、そういう感覚にさせるのが写真なんだろうね。言葉にするとキザだけど、昔に撮った写真だから古いというような見方をしてはダメ。過去に撮ったものであれ、これから撮るものであれ、全部が一緒になって1つの写真になる。

――「記録」の第33号は、その1日だけで撮影した写真だけで1冊を作っていらっしゃいます。第50号は1人の女性だけを撮影している。そのアイデアはどのように生まれているのでしょうか?

森山:第50号の女性の写真は、「今、女の子を撮ってみたいんだよね」と長澤さんと雑談していて撮ったんだけど、「どこでやる?」「じゃあここでやろう」という感じでギャラリーの表に出て、銀座、有楽町で撮った。それくらいのこと。第33号の時も、なんかそうしてみようと思った。テーマ意識みたいなものとも違う。だた、今を撮る。そうやっているうちに、第50号までできてしまったということなんだけど。

「歩かないと見えないし、撮れないし、考えられもしない」

――今を撮るということについて、過去のインタビューでは「歩く、見る、撮るだけ」。そういった日常を「きわめてシンプルな日々」とお話しされています。アイデアは、そういった日々の中に、ただ生まれてくるものということでしょうか?

森山:それは、「記録」以前から変わっていないことですが、歩かないと見えないし、撮れないし、考えられもしない。他の写真家は別だけど、僕の場合は歩かないとダメ。歩く以上は、見る。見る以上は、カメラマンだから撮る。それ以上に必要なことはないと思う。それはなぜかずっと変わらないことですね。よく「同じ写真ばかり撮っているよね」とも言われるけど、僕自身も毎日少しずつ変わっていると思うし、1歩外に出れば、それまでとは違う世界がある。新宿にしても、池袋にしても、歩いている人も違う、僕も違う、みんな違うという中で撮っているわけですから。それしかない。やっぱり、撮らないと自分もわからなくなるし。

――森山さんでもわからなくなることもあるんですね?

森山:もちろん。また、撮ることでわからなくなることもある。それでもいいからまた撮っていくと、見えてくる。やっぱり、家を出れば外はあるわけだし、外は生きているわけ。街っていうのは本当に生きているから。そのなかに、どうやら僕も1匹生きていて、その中に紛れ込んで写す。

――この数年、コロナの影響で外を歩きにくかったのではないでしょうか?

森山:2日間くらいは家の中で撮っていたけれど、僕は、外に出ないとどうしようもないので。どんなにクローズされていても、それも今の街。そういうコロナの街という風景が見えるわけ。確かにバスに乗っても人は少ないし、街にもほとんど人がいない。でもそれはそれでリアリティでもある。カメラマンとしての僕は、そのすべてが一種のリアリティを感じるわけです。第50号は自分の気持ちがそうだっかたら女性の写真を撮ったけど、第51号からはまた街へ出ようと。と言っても、もう撮り始めているんだけど。だから同じことをずっとやり続けるんだよね。僕自身、いい歳になったから昔みたいにスタスタ歩けないけど、足があるうちは、街があるから撮る。それで良いと思っている。

――外に出た時、何が撮りたいと思わせるのでしょうか?

森山:あまり理由みたいなものはない。面倒くさいことを言うと、僕という人間の体質生理みたいなもの。それしか言えない。1枚1枚には理由みたいなものはないけど、その全てには自分の生理、肉体、気持ちがあり、その中には記憶もあるし、記念すべき気持ち、記憶する思いがある。撮っている時って、そういったことがすべて一緒になっているんだと思う。自分の生理、肉体、その日の気持ちをひっくるめて、まず歩く。見る。撮る。それが日常、僕の本当の日常。

◾記録
会期:9月3日まで
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY GINZA
住所:東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
時間: 11:00〜19:00(土曜のみ13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜月曜、祝日
入場料:無料
Webサイト:https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/record/
AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMAでは、6月9日より「記録」第50号の写真を中心にプリント作品を展示。またすべての「記録」(在庫がある号のみ)も販売予定。

◾記録
会期:8月6日まで
会場:AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMA
住所:東京都港区南青山5-12-3 Noirビル2F
時間: 11:00〜19:00(13:00〜14:00はクローズ)
休日:日〜水曜、祝日
入場料:無料

Photography RiE Amano
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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『Alive Painting』とは何か。美術家、中山晃子が誘発する流動と色彩のポエジー https://tokion.jp/2022/03/29/akiko-nakayama-alive-painting/ Tue, 29 Mar 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=101697 絵画とパフォーマンスを融合させた中山晃子の『Alive Painting』。その独自の表現方法に、作家はどのように向き合っているのか。本人に話を聞いた。

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美術家、中山晃子の『Alive Painting』は、文字通り“生きている絵画”だ。撥水性のあるアクリル紙やシャーレ、砂地など、あらゆる「地形」に、水分をたっぷり含んだ絵の具を落とし、あるいは一気に流し込み、画材が起こす光景=絵をライヴで鑑賞者と共有する。出現したイメージは、絶えず変化し再現は不可能。絵画とパフォーマンスというアートの中心的な技法を融合した表現形態でもある。また中山自身、この『Alive Painting』というスタイルを、ミュージシャンとコラボレーションしたり、即興詩の朗読を加えたりして変化、アップデートさせ続けてきた。

『Alive Painting』の根底には、中山が幼少期の頃に得た“流動”と“色彩”という美しさに対する独自の発見があるという。「書道の授業のあとに筆を洗っていた際、水の上にたゆたう墨の美しさにハッとして」と中山。「授業では、先生が子どもが書いたものを『ここはしっかりはねたほうが美しい』とか添削しますよね? それがすごく不満で。その我慢が限界に達した時でもありました。普段は汚いものを洗うシンクで、今すごく美しい何かが目の前で起こっている――。その場の誰も気がついていない美しさを発見したというか、自分の認識や物事への視点によって美と醜がひっくり返る可能性があることに気付いたんです」。
色彩に対する発見は、植物のスケッチを描きに出かけた時に起こった。「緑と赤が混ざった茎があって、それを色鉛筆で塗り進めていったんですね。徐々に緑と赤が重なって、紫ともオレンジとも言えない、植物の色になった時、鼻の中に植物の匂いが生々しく立ち込めたような、色の体験がありました」。

流動と色彩。そこから、ある種、自然的で快楽的な美を発露させる『Alive Painting』に、作家自身はどう向かい合っているのか。本人にアトリエで話を聞いた。

学生時代の経験から『Alive Painting』が生まれるまで

――もともと絵を描くのが好きで、またパフォーマンスもやっていた、と。それがどのようにして、今のスタイルになったのですか?

中山晃子(以下、中山):小さい頃から、自分の発見や思っていることを、言葉より絵のほうが饒舌に伝えられるなと感じていました。絵を描くこと自体は身近な行為でした。パフォーマンスは、その当時はアートのこともほぼ何も知らない状態でしたが、高校生の時に“空手芸術部”というのを友達と始めました。記憶が曖昧ですが、身体に絵の具を塗って、空手の型をしながらアクションペイントをしていたように思います。この空手芸術部の活動があったので、身体で筆を走らせるということ、身体自体の動きが作品のうちであること、ライヴペイントがすごくおもしろいことを実感しました。今のようにプロジェクターやカメラを用いて実験を始めたのは、美大に入ってからです。大学では、映画や写真、デザインなど専攻の垣根を越えて学生が集まるたまり場があり、情報や刺激を交換しあって。その時にいろいろな機材を触ってみました。その中で、ダンス、音、絵で何かできないか?と、友人とトリオを結成し、学内外での展示や友達のパーティの場に呼んでもらってはライヴパフォーマンスをするようになって。そのうちに、トリオではなくソロでも活動するようになり、ジャズのライヴイベントに呼ばれるようになったのも大きな転機になりました。

――ジャズのイベントとは?

中山:サックス奏者の坂田明さんが行っている『平家物語』という演目があるのですが、最初はそこでライヴペイントをしました。美術と音楽は、トーンやコンポジションといった共通言語も多く、即興演奏をする中で、そういった音色と絵の色を融合させたり、音のリズムと遊ぶように絵のリズムをずらしたり合わせたり、言語を用いずに会話が成り立っていくセッションのおもしろさに出会いました。

――改めて、『Alive Painting』の仕組みを教えてください。どういった方法で、流動と色彩の現象を起こしているのですか?

中山:『Alive Painting』用のターンテーブルを用いまして、その上に絵を描いていきます。傾斜を作って水をためたり、スポイトやインジェクターで液滴の量を調整したり、渦を作ったり、絵の具の積層を温めて気泡を出したり……そうしてあらゆる現象をマクロ撮影で観察するという形式です。ほんの小さい範囲でいろいろな現象が起こっているので、広範囲ではすべての物語を追いきれない。映し出される現象――出現した泡など――を、人か、命か、何か別のものに見立てていき、その現象1つひとつが主人公になっていく。16:9のステージに現れては幕間に去っていく、儚い現象を見つめ、消えるところまでを見届けることができるスケールが重要です。

――使われている画材は市販の絵の具だけではないようですが、自作もされているのですか?

中山:はい。例えば、シャンプーや洗剤など、種類によって薄膜の中の色も変われば、泡のもっちり具合もさまざまです。乾燥させる必要がないので、液体は絵の具以外にもいろいろ試しますが、見立てになりにくいものは使いません。例えば「あ!ラー油だ!」とわかるもののような。他にも、植物などのオイルや、赴いた先の土や砂から色材を作ることもあります。印象に残っているのはブルガリアのライヴで、シアターに隣接した天然温泉から水をくんで絵の具を溶かしてみたところ、不思議と色がゆったりとリラックスしているように見えて……それが温泉の効能だったのか、寒い冬の公演だったので、自分が癒されていたのかはまだ定かではありません。

創作活動において目指すもの

――『Alive Painting』を構築する上で、影響を受けた作家はいますか?

中山:大学で美術史や芸術史を学ぶ中で、いろいろな美術家の影響を受けていると思います。特に引かれたのは円山応挙。私にとって応挙は“ニューメディアアートの大先輩”なんです。書画の中に、光学的な試みがなされている。例えば、特定の時間帯に光の当たり方が変わると、絹のモアレ(絹地の網目による模様)によって水がたゆたい、魚の図像が少し揺らいで見えるように工夫を施したり、輸入されたレンズを用いたり。そして滝を登る鯉の伝説を描いた『鯉魚図』。これは墨で描いたものですが、この作品を実際に見た時に、虹がかかっているように見えたんです。すごすぎて、私の頭の中に虹がかかったのかなと思いつつ、応挙ならば、虹が立ち現れるように狙って描いただろうと。

――書画は主にモノトーンですが、その影響も受けているのでしょうか?

中山:そうですね。「墨に五彩あり」という言葉を聞いたことがあります。墨(の濃淡)によって、空間が生まれ、また見る人の心の中で、色が立ち現れて見える。紙に墨でも赤松の幹が赤く、葉が青々しく見える。さらに、墨、紙にも膨大な種類があり、実際の色幅も大変豊かであり、モノトーンではそもそもないのだと気がつきました。虹色を使わずに、虹がかかって見える絵画があるということ、それは表現の可能性であると思います。私は、“Alive”という言葉の中に「気韻生動(絵画に、生き生きとした生命力や情趣が感じられること)」を探っています。みずみずしさや、生命力を帯びたにじみ、筆致に含まれる時間、思い切り……大変学びになっています。

――単にユニークな色彩や動きを生み出すだけでなく、見る人の“感じ方”を上手く誘い出すようなことも重要になってきそうですね?

中山:お客さんと自分は同じ場所にいて、時間や湿度、気温、気圧、音の振動といった要素を共有しています。また、作品である水やそこに生まれる泡も同じように空間の影響を受けます。特にそれをカメラで拡大した状態で映し出しているので、ある種感覚器のように、そういった影響をより感度良く、そして増幅していきます。絵描き、絵画、鑑賞者が同じ振動を感じ、絵にフィードバックがあり、それがまた鑑賞者に伝わる……というスパイラルです。

最近では、ソロパフォーマンスで使う音もよりライヴ中に拾うようになりました。もともと小さいものを大きくして観察することに興味がありましたが、昨年3月に「ドローイング・オーケストラ」に参加した時、音響の方が良いマイクを教えてくれて。そのマイクを通すと、炭酸の音なんかは頭が真っ白になるぐらいよく聞こえるし、紙の上に鉛筆が載る音、泡が弾ける音も聞こえる。もしかしたら、私のパフォーマンス中の所作、画材の流動が発する音などを拾って音楽にしてみるのもおもしろいのかなと、ライヴで取り入れ始めています。

パフォーマンス時のカオスや、コラボ相手とともに起こす相乗効果

――ライヴを拝見した時に、予想以上にたくさんの画材を使っていたな、と思いました。必ず持っていくものってありますか?

中山:気にいった表情を出してくれる画材、間違いない画材というのはありますね。そういう先発出場選手もありますが、それに甘んじているとだいたい上手くいきません。外気によって大きく絵の具の状態が変化するというのもありますし、やはりカオスの要素もパフォーマンスとして重要になってきます。なので、使いがちな画材をわざと手が届きにくいところに置いたり、控えの絵の具同士が混ざることを許したりします。そうすると、今までどうも扱いにくかった絵の具Aが、たまたま絵の具Bと出会った時、そのせめぎ合う界面の動きが驚くような瞬間を生み出したり、いいカオスを引き入れるために、いい秩序を作り、秩序が飽和したらカオスを引き入れて……という連続です。

――ミュージシャン達とコラボレーションする場合も、想定外のことが起きると思います。どういう心構えで共作するのですか?

中山:色彩や画面に映る丸い泡などは、抽象的ですけれども、ある意味、具体的なものでみっちり構成されている。そこから象徴的な意味をキャッチする人もいれば、全く別のことを想起する人もいて、そのすれ違いがおもしろいというか、この作品の特徴であると思っています。だから、コラボレーションする場合でも、全くそぐわないことも楽しめるというか。

――そぐわないというのは?

中山:あるミュージシャンの方とライヴをした時に、「影を投射してほしい」と言われたことがありました。ですがプロジェクターでは影は投射できない。ちょっとした禅問答のようになりました。その打ち合わせの末に、最終的に私は黒をより黒く見せるためにショッキングピンクの絵を描きました。ミュージシャンの世界観に対して、私が思う色で回答したんです。セッションの時もそうですが、それぞれ絵と音の立場で、技法で会話したり、時には要求と違う色を試してみたりします。音楽家が思っているよりも絵の色によってショー全体のハーモニーは変わっていて、そして音によって色のハーモニーも変わっている。ライヴを構成するすべての要素が混ざり合って、鑑賞者に届いた時に完成するのがおもしろいところです。

――ファッションブランド「ハトラ」とのコラボレーションや、文芸誌への挿絵の提供など、仕事の幅が広がっています。コロナ禍でライヴができなかったこともきっかけになったのでしょうか?

中山:配信もありますが、コロナ禍でお客さんを入れてライヴをする機会がとても少なくなりました。その中で、挿絵の仕事や「ハトラ」さんとのコラボレーションができたのは新しい風でした。文芸誌では、印刷ではグレーの部分が、ドットの濃淡で表現されているんだということが、自分の絵で試せるところが改めておもしろく。「ハトラ」さんの場合は、私の作品の画像をもとに、カラフルな糸がどのように編まれるのか、プログラマーの方が調整して図像を作ります。もともとの絵の艶やみずみずしさはある意味失われてしまいますが、新しい見え方を発見したり、最終的に人がまとう中で、絵が立体的に無限に変化する行き先が見え、大変光栄な機会でした。ライヴができなくてずいぶん寂しい思いもしましたが、1つひとつの工程の中で変化していく図像はコラボレーションならではで、会話ごとに自分と作品が応答しているようでした。こういうコミュニケーションのあり方があるなら、生活様式が大きく変わっていったとしてもきっと希望を持ち続けられると思いました。

中山晃子
画家。色彩と流動の持つエネルギーを用い、さまざまな素材を反応させることで生きている絵を出現させる。絶えず変容していく『Alive Painting』など、パフォーマティブな要素の強い絵画は常に生成され続ける。さまざまなメディウムや色彩が混然となり、生き生きと変化していく作品は、即興的な詩のようでもある。鑑賞者はこの詩的な風景に、自己や生物、自然などを投影させながら導かれ入り込んでいく。近年では「テデックスハネダ」、「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」(オーストリア)、「ビエンナーレ・ネモ(パリ)、「LAB30 メディア アート フェスティバル」(アウグスブルク) 、「MUTEK モントリオール」などに出演。
http://akiko.co.jp

Photography Kohei Kawatani

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アート連載「境界のかたち」Vol.7 編集者・アートプロデューサー後藤繁雄が挙げる、次代のアートシーンを生き抜くための3つのキーワード https://tokion.jp/2021/10/14/editor-art-producer-shigeo-goto/ Thu, 14 Oct 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=65109 ポストコロナにおけるアートを識者達の言葉から紐解く本連載。第7回は、編集者・アートプロデューサーの後藤繁雄が登場。

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ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。コロナ禍で見える世界は変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクター等が、ポストコロナにおけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第7回は、編集者でアートプロデューサーの後藤繁雄が登場。主宰する「G/P+abp」では、日本の新進気鋭の写真家を世界に発信し、近年のヨーロッパで広がる「ジャパニーズフォト」ブームに一役買った。京都芸術大学やCAMPFIREでのオンラインスクールA&Eでは、「アート思考」「アート戦略」や「価値生成」といった現代アートシーンを生き抜くためのエッセンスをいち早くテーマ化し、若手の育成、コーチングも行ってきた。「僕は一貫して、人間の才能というものに興味がある。世界はすべての才能によって動いているのだから」とは後藤の弁だ。グローバルなアートシーンの現在を独自に考察し、その先へと作家達を導いてきたビジョナリーである後藤は、これからのアートシーン、くるべきアートをどのように見据えているのか。3つのキーワードを挙げながら、答えてもらった。

新しいコレクターやパトロンに瞬時にアクセスするインフラやネットテクノロジーのスキルの必要性

――まず、新型コロナウイルスによるパンデミックは、アートシーンに大きなショックを与えたと思います。同時にアートシーンが抱える問題や矛盾も浮き彫りになったと思いますが、後藤さんは現状をどう見ていらっしゃいますか?

後藤繁雄(以下、後藤):まずマーケット的なことから話を始めると、確かに、新型コロナウィルスが蔓延し、リアルスペースを一時的にクローズしたギャラリーもたくさんありました。ただ、デイビット・ツヴェルナーやハウザー&ワースといった海外のメガギャラリーは、それでも売り上げを落としていないですね。なぜか? 実は数年前から、彼等は先を見越してオンラインの開発に力を入れてきたからです。リアルスペースを閉じても、オンライン上で作品をプレゼンテーションしたり、作品の売買を行ったりする独自のプラットフォームを構築できた。一方、日本のギャラリーの多くは、そのイノベーションの準備をしてこなかった。アートワールドの流動化、社会のインフラシフトに対応した、自らの業態変成ができていない。問題を挙げるとするならば、そのことでしょう。というのも、これからのアートシーンを考えた時に、1つキーワードになるのは「ネットテクノロジー」。オンラインでの取引やSNSによるコミュニケーション、セールスチャンネルの拡大は、コロナ以前からの流れですが、コロナによってその動きは明らかに加速した。オンラインテクノロジーの波に乗るアーティストは、コレクターに直接セールスできる時代になった。ギャラリーの再戦略化が問われると同時に、これからアートシーンで何か成し遂げたいという人の必須条件の1つになった。

端的には、NFTアートだったり、ARやVR、ヴァーチャルな価値形態のアートというものがますます進化しているという局面もある。すでにアートマーケットはグローバルネットワークとして広がって地図が変わっているし、中国や香港、アジアにはさらにお金が集まり、コレクターが生まれ、新しいアートワールドが形成されていく。香港の「クリスティーズ」などオークションも沸騰しています。コロナ禍によって、今まで「リアル」なセールスに頼っていたギャラリーやアートフェアは、迷いがある。業態を進化させるか、ニューノーマルの回復を願うか。しかし、そうこうしている間に、新しい若いコレクターやパトロンは積極的にプレイヤーとして振る舞うし、確実に価値のエコシステムは変わっていく。新たなプレイヤー達は、前の世代と違って瞬時にアクセスするインフラやテクノロジーへの抵抗は全くない。よくビジネスに「アート思考」をいかに導入するかという話がありますが、その二元論ももはや通用しないですね。ギャラリーもアーティストも新しい「価値生成」という実践を目指さないと、全く新しいプラットフォームにとって代わられるでしょう。2020年代のアートワールドは、新しい「アート思考」「アート戦略」「実践」なしには立ち行かない。

――ギャラリーもそうですが、日本のアーティストも、あまりSNSやデジタルツールを活用していないようにも思えます。

後藤:積極的にやらないと全滅だと僕は思いますね。村上、奈良、杉本博司など、世界のトップにいる作家はすでにグローバルヴァリューに到達しているけれど、このコロナ禍で、ずいぶん皆、逆にガラパゴス化、内向化しているように見えます。しかし、大学で教えていて感じるのは、うんと若いアーティスト達は危機感もあるので優秀です。かなり自己防衛的にもSNSや動画、新しいテクノロジーを積極的に使って、コレクターやパトロンを獲得し始めている。彼等は旧い「批評」よりも、「ネットテクノロジーのもつ批評性」を信じている。ちょうどケビン・ケリーが『インターネットの次にくるもの』や、『テクニウム』などで分析したようにね。セルフブランディングや自己プロモーションの戦略に長けて、作品は完売してしまうし、グローバルなコネクションも既存の仕組みを飛び越えて行っていく。とにかくスマートです。「価値生成」に必要な作品のクオリティーも判断できるから、外注もするし、TED並にプレゼンテーションできる。ルックスやファッション的な振る舞いも巧みです。ギャラリーシステムや今までのアートの文脈を作ってきた人からすれば、歓迎できない現象だと思います。しかし、「ディスラプション」というコトバが示すように、「破壊的創造」を起こすものが、常に時代を塗り替えていったことを忘れてはなりません。それはビジネスワールド以上に、アートの十八番だったわけじゃないですか。ダダイズムや岡本太郎からストリートアーティストまで、常にアートワールドは、周縁にいる反逆者によってアップデートしてきたわけですから。

――そういう若いアーティストは、単にツールの使い方やプレゼンテーションが上手なだけでなく、いわゆるファインアートの文脈で見ても、良質な作品を作っている?

後藤:コンテキストの作り方も上手くなっています。美術大学の先生より、強かな生徒が生まれていますよ(笑)。彼等は授業中でもわからないコトバやアーティスト名はすぐに検索するし、海外のテキストもDeepLでチェックする。グローバルなコンテキストや批評性がないと、現代アートのシーンではやっていけないことも知っているから、高速でかつ深くアプローチしようとする。「私は絵画をやっています。私は絵が好きで上手なんです」ではまるでダメなことを知っていますよ。絵画は、もはや絵画全体に対する批評性を持ってないと基本的に、コンテンポラリーアートになりません。「メタ思考」ができないと、日本画であってもグローバルには通用しない。そのことを、強かな若手は知っている。批評力のルールが、高速で更新されているんです。僕はそのための「アート思考」や「戦略力」を大学でずっとプログラム開発して、教えています。古いアカデミズムではもう全く立ち行かない。上から目線で若手アーティストを扱うような教育は弊害あるのみですね。それから、社会人を対象にした通信大学院GOTOラボのようなトライは、他の美術大学でもまだ取り組んでいません。それだけでなく、同時に私塾であるSUPER SCHOOL online「A&E(ART & EDIT)」というオンラインサロンも立ち上げてやっているのは、コーチングを重視しているからです。例えば、ジェフ・クーンズやブルース・ナウマンなど全く制作スタイルは違うが、共にグローバルなアートワールドのトッププレイヤーです。しかし、アーティストが、どうしてトップにいるのか? どんなプロセスを踏んで、価値生成を行い、そのポジションにいるのか。アートを価値づけるマーケットと批評の根本には何があるか。そんなことをきちんと教える授業がある美術学校は、実は他にあまりありません。

――具体的に、どういう例を出しながら、「アート思考」や「戦略力」を学生に教えているのでしょうか?

後藤:ビジネスより、アートプロジェクトのほうが、実は進化した価値生成のものだということを事例を挙げて教えることです。わかりやすい例は、去年、亡くなったクリストですね。個人としてのクリストは去年80歳で亡くなりました。しかし、「クリスト」とは実は2人のユニット名です。今の時代、未来を先取りしたプロジェクトユニットだったんです。奥さんのジャンヌ=クロードとの2人で、建築や海岸を梱包するなど、巨大なスケールのプロジェクトで歴史に残るアーティストです。彼等は亡くなりましたが、今年の9月には、パリの凱旋門を梱包するというプロジェクトが50年を経て実現して世界的な話題になりました。興味深かったのは、日々のメイキングがインスタ動画で世界中にあたりまえに配信されていたことです。総体を新しい価値形態としてプレゼンテーションしようとしていることが伝わってきます。クリストは、死ぬまでの約60年の間に、20本のプロジェクトをやりましたが、1つにかかっている予算はだいたい2億〜3億円から始まり、ニューヨークのセントラルパークでやった《THE GATE》は22億円、今回の凱旋門のプロジェクトには18億円かかっていると言われます。何よりすごいのは、彼等が自分達のポリシーとして、企業や公的機関、プライベートなパトロンなどの金銭的なサポート、助成金など一切受けずにやり続けたことです。では、どうやってマネタイズしていたのか。奥さんが中心になり、プロジェクトのために、作った模型やリトグラフを、セールスしてすべて予算を集めてきたんです。

彼等のプロジェクトは、ある意味、ビジネスよりしっかりしたストラテジーや社会性を持っている。例えばアメリカの牧草地や砂漠を横断するように、約40kmにわたって布でできたフェンスを設置した「ランニングフェンス」という作品がありますが、クリスト達は、作品を置くことによる環境への影響を自腹できちんとリサーチし、レポート集も制作します。企業よりももっとシビアに、戦略的かつ意義のある事業形態を作り、価値生成を行ってきたわけです。オラファー・エリアソンなど、巨大なスタジオを自ら抱えてプロジェクトベースで活動する現在のトップアーティスト達に、クリストのようなパイオニアは実に大きな希望を与えてきたと思います。

次代に必要な「テクノロジー」「ソーシャリー」「生命」3つのキーワード

――実際、大学やオンラインサロンには、どのような人が集まるのでしょうか? アーティストやキュレーターの卵でしょうか?

後藤:いろんな人が来ます。アーティストを志す人や、アートシンキングを学びたいというビジネスマンやコンサルタント、実際にキュレーターとして活動している人もいます。また、障害者の福祉施設の現場の人や、TVの番組作りとして子どもの教育でアートはどう使えるのかを研究したいという人も。特に、ソーシャリーに、社会のなかでアートはどのような価値を持つか、また価値を生むことができるかに関心を寄せる若者は増えていますね。それは彼等がどう未来を捉えるかというリアルな反応です。ビジネスワールドは、それを知る必要があるでしょう。

この「ソーシャリー」という言葉は、これからますます重要になってくるキーワードです。以前から、グローバリズムによる弊害のような社会の同時代的なテーマに向き合う作家もいましたが、今回のコロナでも、改めて現代社会に潜む歪みや矛盾が露見しました。そういった矛盾をエネルギーにしたり、課題解決を目指したりするようなアートは今後さらにどんどん生まれてくる。

すでに世界的に知られる作家の多くは、ソーシャリーな活動も展開し、アート以外のシーンにも影響を与えています。今挙げたオラファー・エリアソンは、エチオピア難民のための充電式のライト《リトルサン》を作ったり、地球温暖化の危機を訴えるようなプロジェクトを行ってきました。ウォルフガング・ティルマンスも、民主主義やLGBTsなどの理解を促す「Between Bridges」というオルタナティブスペースを作ったり、またコロナで世界各地の文化施設やクラブが閉鎖された時には、「Between Bridges」を主体に「2020Solidarity」というプロジェクトを行いました。これは、アーティストが作ったポスターを施設に配布し、施設はそのポスターを自分達のウェブサイトで販売し、収益を得るというドネーション型のアートプロジェクトです。またトーマス・ヒルシュホルンは、いわゆるフランスの難民エリアで、パリのポンピドゥーセンターに収蔵されているアート作品を借りてきて、住民にキュレーションさせるという「教育的」なプロジェクトを行っています。アートに関心がある人は、単にアートに美を求めているだけではなくて、ソーシャリーな課題をいかに解くか。その力に期待しているのです。そのような人々が、僕の通信大学院などには参加して来ていますね。

――それぞれにビジョンがあり、アートを使って、独自の方法とアイデアを開発していく。イノベーティブとも言えますね。

後藤:アーティストは、ただ妄想的なビジョンを提示するのではなく、実践的。資本主義的なかたちの中で、ソーシャリーな提案を行う人もいれば、いわゆるアンチ資本主義的にその裂け目を作ろうという人達もいます。ソーシャリーといっても、すごく幅があり、さまざまなやり方があるわけです。もちろん、日本のアーティストでも、そういう視点で活動する人もいますが、今のところはレンジが狭い。そこは僕もイラだっているところです(笑)。

もう1つ、新しいアートの傾向としてキーワードを挙げるとすると「生命」ですね。バイオアートみたいなかたちもあるけど、生命や命というテーマについて自ら哲学し、アートで提示する作家がやはり今おもしろいんですね。生命を描く、とかいう間接的な表現ではなく、生命現象としてのアートです。

――生命をテーマにする、生命を考えるアートとは、具体的に?

後藤:例えば、フィリップ・パレノという作家は実におもしろい。彼は自分の家でイカを飼育していて、そのイカの体表を大きく撮影した映像をインスタレーションに使います。これまで、人間は、人間中心主義的なやり方(とりわけデカルト流の還元主義)で、結果的に地球環境を破壊し、異常気象のもとを作ったりしてきてしまったわけですが、タコやイカから世界をみたらどうなるか、とパレノは生命を相対化して考えるわけです。そういうビジョンは、近年注目されている「マルチスピーシーズ」や「コンパニオンスピーシーズ」という概念ともつながる。ダナ・ハラウェイがイギリスの『ARTreview』誌のトップ3に選ばれたりもしているのもそのような先見性からです。人間だけの幸福のかたち、コミュニティーの在り方、持続可能性を考えるのではなく、多種多様な生命の共生状態を中心にして物事を発想した方が価値生成になることを示している。

さらに言えば、2021年のコロナ禍で、世界の注目を集めた展覧会の1つに、オラファー・エリアソンが、スイス・バーゼルの「ファンデーション バイエラー」で行った『ライフ』展があります。これは実に象徴的な事例ですね。ファンデーション バイエラーは、エルネスト・バイエラーというアート・バーゼルを始めたアートディーラーのプライべート美術館です。過去には、ゲルハルト・リヒターやジェフ・クーンズ、フランシス・ベーコンとジャコメッティのコラボレーション展など極めて「特別」な展覧会を開いてきた。言わば、現代美術の“奥の院”です。『ライフ』展では、大胆にもレンゾ・ピアノの設計した美術館のガラスのファサードを全部外し、美術館の中とその前にあった池をつなげてみせています。本当にオープン。これもやはり生命や共生がテーマでした。アートならではの発想による戦略的プロジェクトで、ビジネスの人はできない進化形です。この「作品」によってオラファーが、社会にどれほどの影響を与えたか。彼のアーティストとしてのブランディング、価値生成もさらに高まったといえます。

――「テクノロジー」「ソーシャリー」「生命」と3つのキーワードが挙がりましたが、次代を見据えて、アートシーンに関わる人は、マインドをシフトしていったらよいと思いますか?

後藤:「アート思考」や「アート戦略」を身に付けることは前提ですが、重要なのは、その過程の結果として、どのような価値の「実現」「実践」を行うか、ということです。大抵の場合、ビジネスの人は「美意識を鍛える」とか「アートコレクターになる」というエビデンスの獲得に向かいます。しかし、アートによって得られる「価値」は多様なわけですから、いかにうまく「接続」できるか、という「戦略」が適正でなければならない。起業家としてスティーブ・ジョブズに「なる」のか、一枚の絵のコレクションで、アールドヴィーヴル(生活のアート)を目指すのか。その戦略の明確化が必要です。重要なのは、インディペンデントなアティチュードでしょう。金がなくても辺境からであってもアートなら、コトを立ち上げられ、才能で未来を作れる。その信念と態度。キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストは、世界的なトップキュレーターですが、彼がいつも口にする「活動の原点」は、自宅を会場に使った「キッチンショー」という最初の展覧会です。そこにフィッシュリー&ヴァイスなど、世界的なアーティストがおもしろがって参加した。最初は誰もが無名。キャリアがなくても、ローカルであっても「アート思考」ができ「アート戦略」をつかめば、類稀な価値生成ができることの証しですね。昔と違い、われわれは、SNSのような強力な発信ツールを持ってるわけだから、インディペンデントにできることもアップデートしています。AIの時代ですが、僕は少しもシンギュラリティとかに不安はありません。人間の能力の「速度」「深度」そして「オープンネス」でいること、それをトレーニングするマインドシフトの場としても、アートはますます重要になっていくからです。

僕はこの秋に新著『アート戦略2/アートの秘密を説きあかす』を出版しました。これは3年前に出した『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』のシリーズになるわけですが、前著と違って、2000年以降に、僕が雑誌で続けてきたアーティストへのインタビューが46本収録され、それを文脈化する最新の書き下ろしテキストによって構成したものです。普通なら、「アーティストインタビュー集」となるところを、「アート思考」「アート戦略」の本としてリエディットしたのです。アートワールドは、もはや大きなイズムやセオリー、ヒストリーでは動いていない。だからカオスだ、なんでもありだ、ルールなんてないから好きにプレイすればいい、なんて言う人がいるけれど、大間違い。「アート思考」は、アーティストの頭の中で動いているリアルなもので、実にイノベイティブです。それに、時代におもねることのないインディペンデントで、オルタナティブなものです。サバイバルし、価値生成し続ける優れたアーティスト達をリサーチすることは、基本です。ぜひ手に取ってほしい本になりました。

最後になりますが、僕は「才能」が好きです。若手写真家であろうが、篠山紀信のような巨匠であろうが、そのアーティストの才能を社会的に増幅させることをミッションにしてきた。それは、クライアントワークの機会であろうが、あるまいが、関係ありません。インディペンデントが基本だからです。だから若い時から、才能を世に出すための自分の出版活動をやり続けてきた。ブックレーベルとか、おしゃれな言い方がない時代からね(笑)。小山泰介、細倉真弓、横田大輔や小林健太等を世界的に売り出したG/P galleryも、基本的にはartbeat publishersという編集制作会社のコマーシャルギャラリー部門としてスタートさせたものでしたし。2019年からは、「フジ ゼロックス」と組んで、『NEOTOKYOZINE』という写真集のシリーズを発行しだして、1年ちょっとで30アーティストぐらい作った。コロナ禍ですし、オンラインセールスを重視するチャンスになった。そして、この冬から来春には、ファッションブランドの「ミハラヤスヒロ」と組んで、「新しいアート雑誌」も始めます。

DXはアートの発想、制作システム、プレゼンテーションの形式、ビジネスの在り方までも大きく変えている。シフトできない者は、アートワールドでも、あっという間に淘汰されるでしょう。昨今話題のNFTアートは、不可避的な事態です。コンサバティブになってはなりませんね。恐れず進むことです。かつて革命家の毛沢東は、「泳ぎながら泳ぎを覚える」と、今からすれば創発的な実践論を説きましたが、まさにそのアティチュードが必要です。

「アート思考」「アート戦略」「実践」のさらなる継続的な作業を行っていきたいと考えています。

後藤繁雄
大阪府生まれ。編集者、クリエイティブディレクター、アートプロデューサー、京都芸術大学教授。「独特編集」をモットーに、坂本龍一、細野晴臣、篠山紀信、蜷川実花、名和晃平等のアートブック、写真集も数多く手掛ける。また自ら主宰する G/P+abpをプラットフォームとして、150 を超す展覧会をキュレーションしてきた。直近のプロデュースの仕事として、GINZA SIXにおける名和晃平の巨大なインスタレーション「Metamorphosis Garden」のアートプロデュースがある。また、京都芸大大学院GOTOラボ、SUPER SCHOOL online「A&E(ART & EDIT)」 を主宰。近著に『超写真論 篠山紀信 写真力の秘密』(小学館)、9月に新著『アート戦略2/アートの秘密を説き明かす』(光村推古書院)が出版される。

Photography Nina Nakajima
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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「かくこと」「線を引くこと」の可能性――大山エンリコイサムの新しい実践 https://tokion.jp/2021/01/16/enrico-isamu-oyama-yakouun/ Sat, 16 Jan 2021 11:00:29 +0000 https://tokion.jp/?p=17154 70年代、NYのストリートに誕生したエアロゾル・ライティングを再解釈し、現代美術のフィールドで作品を発表してきた大山エンリコイサム。現在開催中の個展「夜光雲」に見る、その思考と新機軸。

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誰にも読めない文字のようなかたち。2010年代初頭からNYを拠点として活動する美術家、大山エンリコイサムの作品に登場するモチーフ「クイックターン・ストラクチャー」には、造形的なインパクトとともに、そういう独特の不思議さがある。その作品を目にした鑑賞者は、自然とこう考えてしまうはずだ。これは文字なのか、形なのか、意味を読むべきものなのか、形やリズムを見るべき対象なのか――。

このモチーフは、大山が高校生の時に関心を寄せたエアロゾル・ライティング(エアロゾル塗料=スプレーでかかれたストリートのライティング)をルーツにしている。そして「クイックターン・ストラクチャー」を中心に、エアロゾル・ライティングの歴史や時代の動向、あるいは自身のかくという行為を通じた身体感覚と思考をフィードバックしながら、大山は、絵画、立体、サウンド、インスタレーションとその作品世界を広げてきた。2011年には「コム デ ギャルソン」とコラボレーションし、コレクションを大山のアートワークが彩った。現在、1月23日まで開催中の個展「大山エンリコイサム展 夜光雲」では、作家としての新しい展開も見せる。「かくこと」「線を引くこと」から拡張される大山の作品と思考の広がりについて、会場で話を聞いた。

ストリートアートと現代美術の接続線を引き直すこと

――高校生の時にエアロゾル・ライティングに興味をもったと聞きました。実際に自分でもストリートにかいていたのでしょうか。

大山エンリコイサム(以下、大山):高校生の時に少しやりましたが、回数は片手で数えられるくらいです。自分ではストリートのライターだったとは言っていません。どちらかといえば、紙にかいて人に見せていました。ただ当時は、ストリートにかくのが本物、ストリートにかいていないライターはフェイクで説得力がないという風潮が強く、“自分がしていることは何なのか”と葛藤した時期もありました。しかし、ライティングに影響を受けて絵をかいていることは事実です。だから、そこを立脚点に、自分の言葉でストリートの表現を捉え直して発信していこうと思ったんです。その過程で、「クイックターン・ストラクチャー」というモチーフを構築し、自分の表現をコンセプト化していきました。いまは、ストリートアートのとくにビジュアルランゲージの要素を自分なりに再解釈して、現代美術の領域で発表しています。ストリート文化との距離感を明確にすることで、自分の立ち位置、発信したいことが明らかになっていった感じもありますね。

――ストリートアートの研究もされていますが、具体的にどんなもの、ことをリサーチされているのですか。

大山:ストリートアートという領域は広くて、いろんなアーティストや作品を含みます。バンクシーはストリートアートですが、ライティングではないですよね。僕の場合は、ストリートアートの中でもエアロゾル・ライティングという特定の領域、中でも70〜80年代のNYで行われていたことに関心があります。だた、そのフイールドを研究者として専門にしているのではなく、アーティストとして関心があり、そこから吸収できることを吸収している感じです。

――具体的にその時代のどういうところに関心があるのでしょうか。

大山:エアロゾル・ライティングは、70年代のNYで表現のベースができ、80年代に花が開き、そこから90年代以降、いろいろな場所でさまざまな展開がなされました。70〜80年代のNYは、その萌芽が詰まったエネルギッシュな時代と場所。たとえば、ジミ・ヘンドリックスがギターの可能性をぐっと広げたように、“エアロゾル塗料ひとつでこんなことができるんだ”という可能性を押し広げたのがその時代でした。とくに興味深いのは、地下鉄に絵をかいた点ですね。地下鉄は街を巡回するメディアです。当時のライターの多くは子どもだったので行動範囲が限られていたわけですが、より遠くの人に作品をみせるために地下鉄にかくという方法を編み出した。またデザイン性においても、当時のNYのエアロゾル・ライティングは興味深いものがあります。1940年代後半に抽象表現主義が生まれ、アートシーンの中心になったNYはもともと抽象という概念と密接な関係にある都市ですが、エアロゾル・ライティングのライターたちも70〜80年代、抽象を志向する傾向にありました。英国のバンクシーなどは、具体的なイラストレーションで社会批判や風刺といったメッセージを投げかけますが、たとえば、当時のフューチュラ2000やラメルジーといったNY のアーティストは、文字のかたちにおける抽象の純度を高め、独自の宇宙を作り出したのです。そういうビジュアルの側面や、都市をどうハックするかというアーバンゲリラの側面など、この時代のエアロゾル・ライティングにはいろんな表現の可能性が圧縮されていたわけです。

なぜ「グラフィティ」ではなく「ライティング」という言葉を用いるのか

――近年、比較的一般化した「グラフィティ」ではなく、大山さんは「エアロゾル・ライティング」という言葉を使われています。

大山:2019年に亡くなったPHASE2(フェイスツー)というNYのストリートアート、エアロゾル・ライティングのパイオニアに個人的に会い、話したことがきっかけの1つです。彼は晩年、メディアに出なくなりましたが、ずっとグラフィティという言葉を嫌い、この文化はあくまではライティング(文字をかくこと)だと言っていたんですね。なぜなら、グラフィティは日本語にすると“落書き”です。違法行為、迷惑行為というネガティブなニュアンスがあるから。PHASE2に限らず、当時のパイオニアのライターたちも自分の表現をライティングと呼んでいました。だけど、メディアや大人たちが“これはグラフィティだ、迷惑行為だ”と呼び始めた。だからある意味、グラフィティという言葉は、カルチャーの外側からの偏見やバイアスがかかったものでもあるわけです。

――今では、グラフィティという言葉を積極的に使うライターもいます。

大山:後続世代のライターには、自分がやっているのはグラフィティであり、社会に対する攻撃、反骨精神をもったヴァンダリズムなんだという人もいます。あらゆる文化や表現は時代を経てゆるやかに変わっていくもの。たしかにイリーガルなこと、アンチな精神がストリートアートのエッセンスだった時代もありますし、今もそうした面がありますが、それが変わっていってもいいし、そうではないアーティストがいてもいい。僕自身もストリートでかかずに、別の角度からライティングに関わっていますが、もしヴァンダリストであることがこの文化の一番のエッセンスなら、これほど世界中に広まっていかなかったのではないでしょうか。名前(文字)を使って自己表現をする――つまり子どもでもできる身近な手段で自分をストレートに表現できることがこの文化の魅力だと思います。だから普遍的に広がっていった。ヴァンダリズムではなく“ライティング”の視点からこの文化を再解釈することが、自分の立場であり、発信したいメッセージです。その意味で、僕はエアロゾル・ライティングという言葉を使っています。

――大山さんの作品には、「抽象」「動き」「反復」など近・現代の絵画史における重要なエッセンスも見て取れます。また「かく」のではなく、モチーフで画面を「消す」ような現代絵画的な作風のものもあります。制作において、いわゆるファインアートの「絵画」は意識されていますか。

大山:意識というか、自然とコンテンポラリーアート、モダンアートの絵画作品は見ていますし、好きな画家もたくさんいます。たとえばクリストファー・ウール。彼は滑らかな表面の支持体に一度エアロゾルで線をかいてそれを消し、その痕跡をペインティングにしています。こうした作品は、自分の中ではフューチュラなどの作品とも結びつきます。また、ロバート・ラウシェンバーグの《消されたデ・クーニング》も興味深い作品だと思います。ラウシェンバーグは、戦後アメリカの作家。ウィレム・デ・クーニングからもらったドローイングを消しゴムで消して、自分の作品として発表しました。ストリートでは壁にかかれたライティングが後からローラーで消されて、ブロック塀にちょっと違った色が残っている風景がよく見られますが、僕にとってそういうイメージと《消されたデ・クーニング》はリンクする部分があります。

石庭から着想を得た空間構成や墨を用いた作品など、新規軸もみせる個展「夜光雲」

個展「夜光雲」告知映像では貴重な制作風景を見ることができる

――今回の展覧会のために、鎌倉と京都の禅寺を取材したと聞きました。そこで得た創作のヒントがあれば教えていただけますか。

大山:京都と鎌倉に行ったのは、今回の展覧会のキュレーターの中野仁詞さんの発案。僕自身、8年ほどニューヨークを拠点にする中で、自分が日本人であることについて考えたり、その感覚をどう自然に反映して制作するかをぼんやりと意識していたので、一緒に行ってみることにしました。ただ、禅や仏教は深い文化。一度の訪問で理解できるものではないので、あくまでインスピレーションを求めて行きました。

――具体的に受けたインスピレーションがあれば教えてください。

大山:とくに関心をもったのは石庭ですね。空間に石が配置された石庭は、ミニマムな要素でどう空間を成立させるかという実践。適切な点を抑えると、置かれた石同士の関係で空間が満たされていくように感じられます。とりわけ龍安寺の石庭は、見た中でも一番主張がなく、形容しがたい“ただ、そこにある”という印象に惹かれました。それが今回の展覧会において具体的に反映されているわけではありませんが、700平米ある一番大きい第5展示室では、展示作品を6点に絞り、適切な空間関係をつくることを目指しました。

個展「夜光雲」第5展示室 《スノーノイズ》2014/2020年

――その展示室では、作品が吊るされた床に塗料が垂れていたり、なにか気配のようなものを感じさせる見せ方をされています。そういう空間的な実践も、ライティングの延長にあるものですか。

大山:絵画をインスタレーションとして見せることですね。作品をどのようにしつらえて見せるかまでを含めた表現です。僕のスタジオでも、制作途中で床にしぶきが垂れたりするのはしょっちゅうです。そういう感覚の延長にこのインスタレーションがあります。また第5展示室では、エアロゾル塗料と墨を使った作品を展示しています。書もライティングのひとつ。東洋の書とNYのライティングは、一見まったく異なる表現ですが、文字を造形するという共通点がある。そのことも制作の前提で考えました。

――新作として、立体作品《Cross Section / Noctilucent Cloud》(断面 / 夜光雲)も発表されています。この作品について解説をお願いします。

大山:建物に使われる断熱材、建築資材の1つ、スタイロフォームという素材を使った作品です。板状のスタイロフォームを大量に重ねて、片側だけヒートカッターで切り落としました。この切る時の身体感覚は、ライブペインティングで腕を振り抜いて長い線をかく時の躍動感と似ているんですね。スタイロフォームの集積をザッと切る感じ、そうやってかたちやビジュアルができてくる感じ。この作品は、いわば空間に大きなブラッシュストローク(筆跡)を出現させていると言えるかもしれません。それとスタイロフォームはもともと水色なんです。それを黒く着色しているのですが、部分的に水色をうっすら残しています。黒い塊のディテールをよく見ると漏れるように水色が走っている。それが夜空に青白く光る「夜光雲」という今回の展覧会のイメージを反映しています。

――物質感の強いオブジェですが、どこか軽さも感じさせる作品です。

大山:ボリュームは大きいですが、スタイロフォーム自体は軽い素材です。ジェフ・クーンズの作品に、バルーンのような外観だけど、実は頑丈な金属でできている彫刻があります。現代美術には、見た目の印象と素材のギャップを強調することで生まれる面白さがあります。ポストモダン社会が象徴する軽さ、一時的なもの、仮設的なもの、または都市の中でストリートアートが記号的に浮遊する感覚――そういった点からもスタイロフォームという素材を選んでいます。

線を引き直すことで、新しい表現や文化が生まれる

――会期中、作曲家・ピアニストの一柳彗さんとのコラボレーションも1つの目玉企画だと思います。

大山:一柳さんは、展覧会を主催している神奈川芸術文化財団の芸術監督です。その就任20周年記念のプロジェクトが実施中です。一柳さんもかつてNYで活動されており共通点もあります。楽譜やピアノの鍵盤は白黒ですが、僕の作品も白黒ですから。イベント当日は一緒にパフォーマンスするのではなく、展示空間で若手のピアニストが一柳さんの曲を演奏する予定です。

――2020年は、新型コロナウイルスの流行やブラック・ライヴズ・マター運動など社会の価値観を大きく揺るがす出来事が起こった年でした。大山さんは昨年、粉川哲夫さんとの往復書簡『エアロゾルの意味論 ポストパンデミックの思想と芸術 粉川哲夫との対話』を刊行されましたが、今われわれがもつべき「ポストパンデミックの思想」について最後にお聞かせください。

大山:コロナ禍は現在進行形で、結論めいたことを言うのは難しいですが、コロナ以前の価値観やものの見方でコロナ以降を評価するのも違うと思いますし、その逆も違う気がします。たとえば、引きこもりという言葉。かつてはネガティブな呼称でしたが、コロナ以降はリモートワークが推奨されたり、いまや引きこもり的なライフスタイルが時代の最先端とも言えます。やっていること、現象は同じですが、“線の引き方”というかコンテクストを変えることで価値が変わるようなことが、さまざまなシーンで起こってくるのではないでしょうか。僕はストリート文化と現代美術のあいだに深い溝があった時から活動を始めました。近年、ストリートの表現が美術のフィールドで評価されることもありますが、どちらかといえば、ストリートがファインアートに境界線をまたいでピックアップされる感じで、あいだに引かれた線自体は本質的に変わっていない。そうではなく、固定された線それ自体を引き直すこと、境界線を変えることで、価値観や世界の見方が劇的に変わり、新しい表現や文化が生まれる可能性があると思っています。

大山エンリコイサム
1983年東京都生まれ。2007年慶應義塾大学環境情報学部卒業、2009年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻終了。エアロゾル・ライティングのビジュアルを再解釈した独自のモチーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点に、絵画、立体、空間とメディアを横断する表現を展開。近著に『エアロゾルの意味論 ポストパンデミックの思想と芸術 粉川哲夫との対話』(青土社)
Twitter: @enrico_i_oyama
Instagram: @enricoisamuoyama

■「大山エンリコイサム展 夜光雲」
会期:2020年12月14日(月)〜2021年1月23日(土)
会場:神奈川県民ホールギャラリー
住所:神奈川県横浜市中区山下町3-1
時間:11:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
休館日:2021年1月7日
入場料:一般800円、学生・65歳以上500円、高校生以下無料
1月17日(日)には、作曲家・ピアニストの一柳彗とのコラボレーションイベントを開催予定
URL:https://yakouun.net/

Photography Ryosuke Kikuchi

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最新アルバム『slumbers 2』から紐解く、音楽家・藤原ヒロシの肖像 https://tokion.jp/2020/11/17/hiroshi-fujiwara-slumbers2/ Tue, 17 Nov 2020 06:00:20 +0000 https://tokion.jp/?p=11905 3年ぶりにリリースしたオリジナルアルバムについて、「自分のアーカイブにある好きなものや、やりたいものを表現した」と語る藤原ヒロシ。多くのトレンドを牽引してきた音楽家は、どのように作られ、今どんな音楽を放つのか。

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自ら曲を書き、自ら歌い、またPVではダンスもする。10月にリリースされた藤原ヒロシの『slumbers 2』は、音楽プロデューサーとしてのみならず、シンガーソングライターとしての側面も強く感じられるアルバムだ。収録されているのは、近年世界的にリバイバルされているシティポップやヴェイパー・ウェイヴから、かつてディスコで流れていたようなダンスミュージック、あるいはフォークまでをブレンドしたような楽曲群。「前作のアルバム『Slumbers』もそうだけど、特に新しいこと、現在進行形の音楽を意識して作ってはいない」と本人は話す。「むしろ“新しい”とか“古い”とか関係なく、自分のアーカイブの中で好きなもの、今やりたいものを素直にアウトプットした」のだと。

“アーカイブ”そして“好きなもの” ――どんな音楽のシーンやムーブメントが藤原ヒロシの血や肉となってきたのか。藤原が中学時代に陶酔したというパンクロックに、NYで出会ったヒップホップ。そして、DJとしてのめりこんだハウスなど。新譜『slumbers 2』を紐解きながら、音楽家、藤原ヒロシの来し方と現在を探る。

パンクロックからヒップホップへの“自然な流れ”

――パンクとヒップホップ。この2つは藤原さんにとって重要なエレメントだと思いますが、このムーブメントが藤原さんを夢中にさせた理由をまず教えてください。

藤原ヒロシ(以下、藤原):パンクを好きになったのは、中学2年生くらいですね。その時期の子どもって、反抗的なものというかヤンキー的なものを好きになるじゃないですか? パンクは、その感覚にハマったんだと思います。暴走族みたいなものではなくて、パンクが持つ反抗・反骨の精神やスタイルみたいなものに共感して。それで、1982年、18歳の時にロンドンに行ったんですが、その翌年にはNYに移ることになりました。ロンドンで出会ったマルコム・マクラーレンが、“今NYのヒップホップがおもしろいから行ってみたら?”って勧めてくれて。その場でNYのアシスタントに電話してくれたんです。 “来週日本人の子どもがそっちに行くから遊んであげて”って。当時は、音楽的な流れで言えば、パンクが終わって、みんなヒップホップに関心を寄せていました。マルコムもそうだけど、「クラッシュ」もヒップホップみたいなことをやっていたり、その少しあとには、「セックス・ピストルズ」のジョニー・ロットンもアフリカ・バンバータとコラボしたりしている。パンクをやっていた人達も、ヒップホップ的なものを取り入れていた時期だったんです。

――当時強い影響を受けたパンクロックやヒップホップは、今の藤原さんの中で、どう息づいているのですか?

藤原:パンクは精神性が大きいですね。ちょっと変わったことをするとか、流行っているものを小馬鹿にするような態度。ヒップホップは、今まであったものを再構築するという、サンプリングの手法のおもしろさ。これは音楽だけでなく、ファッションでも影響を受けています。

――日本では、1983年頃からDJとして活動し、その後、高木完さんとヒップホップグループ「タイニー・パンクス」を結成します。日本のヒップホップの黎明期を牽引しましたが、1994年に出されたソロとして初めてのアルバム『Nothing Much Better To Do』で、藤原さんは“ここが始まり”とコメントを寄せています。これはどういう意味だったのでしょうか?

藤原:単純に、“一度リセットして、自分のソロアルバムを出す”というだけのことでしたね。それまで自分名義でのリリースはなかったですから。ただ、いつもそうなんですが、あのアルバムでは、なんかちょっと人とは違う、捻くれたことをしたかったんです。その頃って、打ち込みのハウスだったり、グラウンド・ビートだったりというのが主流で。本当に歌が上手いディーバを使って曲を作るっていう感じのものが多かったんですが、『Nothing Much Better To Do』では、「ザ・スペシャルズ」のテリー・ホールとか、主流とは違うタイプのシンガーを使ってみたり、違うジャンルの音楽をやってみたりしました。

――藤原さんがヒップホップではない音楽に向かった理由を教えてください。

藤原:ヒップホップより、(ディスコを源流にする)ハウスっぽいもののほうが好きになっていったのが大きいですね。ヒップホップって当時、「パブリック・エナミー」とかが出てきて、“ブラックパワー”を標榜したり、だんだん真面目になっていって。その真面目さもカッコよかったんですが、僕には“どうやっても触れようがないところに行ってしまった”という感じがして。僕は日本人だし、もともとナショナリティを表に出すのは得意ではないんです。それで、自分の中に、ヒップホップとの距離が生まれた気がしますね。

正直に、その時好きなもの、その時良いなって思ったものに影響されて作っている

――近年は、自分で歌も歌い、シンガーソングライター的な要素を強く感じさせます。以前は、フィーチャリングとしてさまざまなプレイヤーを起用し、世界観を表現して行くようなスタイルだったと思います。何が転機になったのでしょうか?

藤原:ただ、「フィーチャリングをやめよう」っていう、自分の中でのタイミング的なことですね。結局はフィーチャリングすると、7割くらいその人のものになってしまう。それが良いところでもあるんですが、自分が思っていることをアウトプットするならば、自分で歌ったほうがいいかなって思うようになったんです。

――前回のアルバム『slumbers』から、サカナクションの山口一郎さんが主催のレーベル「NF Records」から作品をリリースされています。そのきっかけを教えてください。

藤原:友達の紹介で山口君とご飯を食べて仲良くなったのが、まず始まりですね。それから、サカナクションの「ルーキー」のリミックスを僕が担当したりして。そしてある時、会話の中で“アルバムを考えているんだけど、山口君のレーベルで出せないかな?”って聞いてみたら、“ぜひやりましょう”って言ってくれて。それで、リリースすることになったんです。

――山口さんとは年齢が離れていますが、音楽に対して近い感覚を持っていると思いますか?

藤原:僕はいろんなことに興味があるけど、そもそも山口君は生き方が完全に「音楽中心」という感じで、そういうところでは感覚が異なっているかもしれません。でも、すごくチャーミングな人で、人間的にすごく惹かれるものがありますね。

――渡辺シュンスケさんが、前作同様サウンドプロデューサーとして参加されています。渡辺さんとは、藤原さんが真心ブラザーズの倉持陽一さんとやられているバンド「AOEQ」からのお付き合いですよね?

藤原:AOEQのときからキーボード演奏者としてツアーに参加してもらっています。シュンスケ君との付き合いは、彼が出してくる音を僕が好きになったのがきっかけで。一緒に制作していて、こちらが相談したことをきっちり音にしてくれるので、とてもやりやすいですね。

――仲良くなって、好きになるというのが、藤原さんにとって重要なことなんですね。

藤原:そうですね。

――今回のアルバムには、自宅で弾いているようなギターなど、デモっぽい音も混ぜられています。制作プロセスをとても楽しんでいるようにも思えたのですが、実験的に新しくトライしてみたことはありますか?

藤原:基本的に今までの流れでやっていますが、ディスコっぽい曲を自分で歌うのは初めてかもしれません。

――収録曲の「SPRINGLIKE」は口笛で歌っているのでしょうか? 新鮮だと思いました。

藤原:あれは口笛の楽器をサンプリングしたもの。口笛の音をキーボードで弾いているんです。僕らの世代ではみんな知っている(フランキー・ナックルズの)「ホイッスル・ソング」っていう曲があるんですが、それをイメージしたところもありますね。

――本作ではカバー以外のオリジナル曲は、すべてPVが作られています。中でも「TERRITORY」のPVでは、藤原さんが踊るという演出もあり、驚きました。

藤原:PVはひさしぶりですね。山口君から“作ったほうがいいですよ”って言われていたんですが、“お金もかかるし大変だな”って思っていたんです(笑)。踊ってみたのは、曲がディスコっぽい曲だったからですね。1971年から2006年までアメリカで放映された『ソウル・トレイン』っていうテレビ番組があって、僕もYouTubeとかで観ていたんですが、当時の人達のダンスって今みたくテクニカルすぎなくて、踊っていて気持ち良さそうなんですよ。そういう感覚が表現できれば良いなって思って、自分で踊ってみることにしたんです。

藤原ヒロシ「TERRITORY」

――藤原さんは制作時に、時代感というものを意識されるのでしょうか?

藤原:そこまで意識はしませんね。大切なのは、“自分が好きなもの”であるということ。本当に正直に、その時好きなもの、その時良いなって思ったものに影響されて作っているんです。それが過去のものでも現在進行形のものであっても、僕なりのフィルターで混ぜて出せれば良いなって思っていて。それは音楽だけでなく、ファッションの仕事でも言えることですね。

――近年リバイバルしているシティポップっぽい感じも、藤原さんなりに消化されているのかなと思ったのですが、リスナーとして、そのあたりの音楽に対して感じることはありますか?

藤原:実は、シティポップってあまり詳しく聴いていないんですよ。近年、タイやインドネシアなどのアジアでリバイバルされているシティポップとかはすごい好きなんですけどね。

――当時の大滝詠一さんとかも聴いていないんですか?

藤原:全然聴いていなかったですね。中学生になって自発的にパンクロックを聴くようになる前は、一緒の部屋だった姉がかけていたユーミンとかは強制的に聴いていたんですけど。中学になってからは洋楽一辺倒になって、“邦楽なんて聴いていられない!”って感じでした。ただ、姉が聴いていた1970年代のフォークミュージックからは、後から振り返れば、影響を受けているところはあると思います。今聴き直したら、良い曲もいっぱいあるんですよ。久保田麻琴さんとか、とても好きですね。

――藤原さんの歌心の根底にはフォークも息づいているんですね。

藤原:そう思いますね。サカナクションの音楽も、ベースにはフォーク的なものがあるんじゃないかな? 山口君に作ったばかりの曲を聴かせてもらうと、フォークのコード進行だったりするんです。でも、彼らはそのあとのアレンジ力がすごくて、ハウスみたいなところに落とし込んだりする。 “僕にはできないかっこいいことをやっているな”と感じますね。それは、テイ・トウワが作る日本語の音楽を聴いた時にも感じたことなんですけど。

――歌詞について、藤原さんはどうやって紡ぎ出していくのでしょうか? 本作の収録曲「PASTORAL ANARCHY」の歌詞は、思想的なものが感じられますが。

藤原:作詞は、普段からおもしろい言葉や文章をメモしておいて、1つのテーマが決まったら、パズルのようにコラージュしていく感じですね。ただ、「PASTORAL ANARCHY」は、前から曲にしたいと思っていたんですよ。スイス南部のアスコーナーっていうエリアに、モンテ・ヴェリタという、1890年くらいにドイツの産業改革に嫌気がさした思想家やアナーキストが移り住んで作ったコミューンがあって。そこには何度も足を運んでいて、その風景やユートピア思想みたいなものをテーマに歌詞を書いたんです。あまり意識していなかったんですが、最近の世の中のムードともマッチしているところがあるかもしれません。僕自身は、厳密にユートピア思想を持っているわけではないですが、そういう思想を持った人の心境などには興味があるんです。

――このアルバムについて、サカナクションの山口さんは、「前作よりも藤原さんの抱えている孤独が感じられる」とコメントしています。この“孤独”という言葉がすごく印象的ですが、ご自身でも思い当たる節はありますか?

藤原:ないですね(笑)。ただ、山口君が主宰するNFやサカナクションがやっていることに影響を受けたアルバムであるのは確かです。じゃなかったら、こういう冷たい感じのハウスとかを今やることはなかったような気がします。NFとか、山口君の周りのDJの音楽を聴いて、“こういうのも要素として入れてもいいのかな”と思ったりしたところはありますね。

進化しないカルチャーシーン。それでも音楽は好き

――いま、個人的には、どの辺のジャンルの音楽に注目していますか。

藤原:今のものも昔のものもランダムに聴いているので、どれが良いって一概には言えないんですが、インディーズっぽい新しい歌ものも結構聴いてます。さっき言ったアジアのシティポップもいいし、あとBeabadoobee(ビーバドゥービー)は声の感じがとても好きですね。

――以前、インタヴューで、「1990年以降はファッションもカルチャーもあまり進化は見られない。1990年代のリバイバルだとよく聞くけれど、そもそも1990年代が終わっていないのではないか」と話されています。藤原さんにとって“進化しないカルチャーシーン”は、退屈ですか?

藤原:退屈だとは思いません。ただ、今まで見たことがないもの、聴いたことがないものが現れたらいいなとは思っていますね。

――なぜ1990年代で進化が止まってしまったのでしょうか?

藤原:音楽で言えば、サンプラーという機材は1980年代後半から1990年代の音楽に大きな影響を与えました。しかし、それ以降、何かを大きく変えてしまう革命的なことは、起こっていないような気がしますね。ヴェイパー・ウェイヴやチルアウト系の音楽も、やっぱり1980年代、1990年代にできあがった音楽の影響下にあるものだと感じるんです。ファッションも同じで、それは進化の過程として成熟期に入ったということ。これからは、例えば医療など違う分野で新しい進化が起こって、それがどこかのタイミングで音楽と絡んで、これまでになかったおもしろいものが生まれてくるかもしれません。このビートを聴いたら寿命が延びるとか、この旋律は風邪に効くとかね(笑)。でも、新しいとか古いとか関係なく、僕は音楽もファッションも好きなんです。

『slumbers 2』
藤原ヒロシにとって3年ぶりとなるオリジナルアルバム。10曲とボーナストラックからなるシンプル・エディションに加え、2500セット限定のデラックス・エディションも同時リリース。デラックス・エディションでは、シンプル・エディションのCDに加え、アルバム全曲のアナザーバージョンあるいはDUBバージョン、また川内倫子ディレクションのショートムービー「HARMONY」の音楽として制作した「HARMONY」なども収録した特別CD、そしてTシャツがセットに。ストリーミング版では、ボーナストラックとして、YUKI作詞の「WALKING MEN」のアナザーバージョンを追加収録。
https://www.jvcmusic.co.jp/fujiwarahiroshi/slumbers2/

藤原ヒロシ
音楽家、音楽プロデューサー、fragment design主宰。1980年代よりクラブDJをはじめ、1985年、高木完と「タイニー・パンクス」を結成。1990年代からは音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げる。2011年から真心ブラザーズの倉持陽一と結成したバンド「AOEQ」での演奏活動も展開。ソロ名義では、2013年10月に『manners』、2017年11月に『Slumbers』、今年10月7日にはアルバム『slumbers 2』をリリース。

Photography Kentaro Oshio

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