倉田佳子, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/kurata-yoshiko/ Fri, 21 Jul 2023 14:44:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 倉田佳子, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/kurata-yoshiko/ 32 32 生きるレジェンド、ケニー・シャーフが体験してきたストリートアートの誕生と最後、そして再生 https://tokion.jp/2023/07/22/kennyscharf-interview/ Sat, 22 Jul 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=196554 ウォーホルやバスキア等とともにアートシーンに激変をもたらした彼が、新作やこれまでの激動の人生について語る。

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ケニー・シャーフ(Kenny Scharf)

アートヒストリーに名を刻むアンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、ジャン・ミシェル・バスキアとともに1980年代のアートシーンに激変をもたらした唯一の生き証人として知られている、アーティストのケニー・シャーフ。ここ数年ストリートアートの再熱が起きていたが、まさにまだその名もつけられていない頃から保守的なアートシーンに、ストリートから新たな美学を仲間と一緒に打ち立てた先駆者でもある。

約30年ぶりに日本での新作個展「I’m Baaack」をNANZUKA UNDERGROUNDにて7月9日まで開催にあたり、来日取材を刊行。 展示初日前日、ケニーは全身「ディオール」と自身のコラボレーションアイテムを着て穏やかな表情でインタビューに現れた。彼の口から出てくる数々のエピソードは、歴史の教科書には載っていない刺激的なものばかり。アンディという先人の背中を追ってNYに乗り込み、雷が落ちるような偶然で出会ったキースとジャンと破竹の勢いでシーンを塗り替えた20代。ともに成功を勝ち取ったと同時に、資本主義の力に狂わされるアーティストの姿。まるでジェットコースターのように親友たちを失った絶望の30代のこと、そしてそこから這い上がってきた激動の人生について話を伺った。

ウォーホルやバスキア等、アート界の天才達との出会い

ケニー・シャーフ(Kenny Scharf)

ーーストリートアートの先駆者とも言えるケニー・シャーフさんですが、ご本人が初めてLAからNYに移った時のグラフィティを含むストリートアートの存在感はどのようなものでしたか?

ケニー・シャーフ(以下、ケニー):今ほどでは全然なかったね。NYに拠点を移したのは、1978年のこと。そこで出会ったジャン・ミシェル・バスキア(以下、ジャン)、キース・ヘリング(以下、キース)と一緒にストリートの世界をギャラリーや美術館に持ち込んだ時代だった。僕等がニューストリートアートの第1世代と言ってもいいと思う。

ーーその融合はどのようにして起きたのでしょうか? 当時の社会のムードもあると思うのですが。

ケニー:ダウンタウンから繰り出してきた僕とキース、ジャンと、アップタウンから出てきたグラフィティアーティスト達が一気に出会ったからだと思う。フューチュラ、リチャード・ハンブルトンなど。それぞれの街で活動していたみんなが、1981年に開催された展覧会「Times Square Show」でたくさんの出会いを経て化学反応を起こした結果、新たなシーンが誕生したんだ。

ーー「Times Square Show」は30日間24時間オープンの伝説のグループショーとして語り継がれていますが、同じく「FUN GALLERY」も重要な場だったと思います。

ケニー:そうだね。僕が名前をつけたギャラリーであり、初めて展示を発表した場所でもある。

ーーケニーさんご自身はLA出身ですが、今振り返ると、やはりそのシーンはNYじゃないと作り出せなかったと思いますか?

ケニー:LAにいる頃から、僕はNYでアーティストになることを夢に描いていた。先人として、NYのシーンを盛り上げていたアンディ・ウォーホルの存在は、大きかったね。ジャン、キースにとっても彼は唯一無二のヒーローだった。アートヒストリーの勉強をするうちに、彼がいかにアーティストとして新たな道を切り開いているのか理解していって。ペインティングもすれば、映画も作るし、「FACTORY」も手掛けてしまうように本当にすべてのことをやってのけるアーティストだった。それはただ単にアイデアが浮かんだからスタジオに行って作品をつくるなんてことではなく、人生すべてをアートにしてしまう存在。だからNYに行く前にそんなアンディの姿に期待を抱いて、僕も同じ場所でアーティストになるって決意していたんだよ。

ーー当時はまだNYも家賃も安いですよね。

ケニー:そう、その代わり治安も悪かったけどね。でも、いざ親にNYに引っ越すことを伝えたら大学進学なしには行けないと猛反対されて。それで唯一合格したスクール・オブ・ビジュアル・アーツへ進学することが決まった18歳当時は、めちゃくちゃ嬉しくて、すぐに車と学費だけ握りしめてNYに向かったんだ。でも現実は大学初日からがっかり。

ーー思っていた躍動感がなかったと……?

ケニー:みんな平均値という感じで、ぶっ飛んだ人はいなかった。それで数週間後に、学校のホールにいたらディーボの曲がどこからともなく流れてきて、音をたどっていった先の小さな部屋でペインティングしている少年がいて。それがキース・ヘリングだった。

ーーそんな偶然の出会いだったんですね。

ケニー:部屋中、そして自分自身にも絵の具をまきちらかしながらも、リズムに合わせながら夢中でペイントする彼の姿を見て「自分がNYに来た理由はこれなんだ」って確信した。そこから声を掛けて友達になって、最終的にルームメイトとして一緒にNYで暮らしたよ。

ーーそれでは、ジャンとはまた別の機会に出会ったんですね。

それも偶然だった。キースと出会ってから数日後に、自分のポートフォリオを持って学生食堂に行った時だった。急にジャンが鋭い目つきで「それ見てもいい?」って話しかけてきて。もちろんOKしたら、しばらくして真っすぐな目で彼は僕にこう言ったんだ。「お前は有名になる」って。

ーー初対面なのに(笑)。

ケニー:そう、僕も「おお、まじか」って思った(笑)。当時、ジャンは学校に通ってなかったんだけど、アーティストに出会うために学生食堂に出入りしていたみたいで。17歳のジャンと19歳の僕は、そこからすぐに意気投合して遊んだり、街を歩いてはグラフィティを描いたり。彼はアル・ディアズと一緒にグラフィティデュオ「SAMO©」としても活動していたからね。

ーーそこからあなたを介して、ジャンとキースは出会うと。みんなの憧れだったアンディ・ウォーホルと出会ったのは、どのようなきっかけでしたか?

ケニー:お金もなかった当時の僕等は、毎日自分の作品のポストカードをソーホーの道で売っていたんだ。ジャンはコラージュに取り組んでいる時期で、ある日アンディが彼のポストカードを買ったんだよ。ジャンは帰ってくるなり「やばい! アンディが俺のポストカードを買っていった!」って驚いていて。そこからしばらくしてキースが、地下鉄に描いたドローイングで有名になった時に、アンディ直々にFACTORYでのランチに招待された。僕等はルームメイトだったこともあって、一緒にランチに行こうということになって、ついにスーパーヒーローとの夢のご対面。

ーーアンディに近づくタイミングもその3人で同時に共有していたんですね。アンディとはどんな会話をしたか覚えていますか?

ケニー:実はランチの前に、ナイトクラブで働いていた時に一度話したことがあって。ランチの時にその話をしたら、本人はまるで覚えていなかったんだけど、インパクトのある第一印象だったよ(笑)。当時、「Peppermint Lounge」という1960年代初期だけオープンしていたクラブが、新たに1980年代に再開する時に、3人でバーテンダーやドアマンのバイトをしていた時期があって。同時期に、僕達3人はディエゴ・コルテスのキュレーションによる、100人以上の作家が参加した展覧会「New York/New Wave」(1981)に出展していたんだけど、アンディも同じく参加作家だった。だからクラブのオープニングで、アンディに会った時に「あの……僕等と同じ展覧会に参加してて」って言ったら「ああ、いいね」って返事された次の瞬間に、アンディが取り巻きの男の子に「彼にキスしろ」って命令してて。

ーーやばいですね(笑)。

ケニー:今考えるとね(笑)。それでも、アンディに近づけるならと思って指示に従ったんだけど、本当に当時はそのくらい毎日クレイジーで自由だったんだ。何か問題に巻き込まれるのが日常茶飯事だった。

ーー異常な熱量が時代を変えたんですね。実際、展覧会開催後に起きた現象として、それまで保守的だったアートシーンは、どのような変化をとげましたか?

ケニー:「FUN GALLERY」がイースト・ヴィレッジにできた最初のギャラリーだったこともあって、オープンを皮切りにアーティストが続々とそういう場所をつくっていった。それまでは展示すると言ってもクラブしかなくて、一夜限りの発表で翌日には取り下げていたからね。展示期間中には、さっき話したようなアップタウンからのグラフィティライターやヒップホップ、ダウンタウンからはパンクロック、ニューウェイブすベてが混ざり合って、とんでもないエネルギーをみんなで生み出していたんだと思う。実際に「FUN GALLERY」がオープンしてから半年以内には、200軒以上のギャラリーが誕生していた。

ーー200軒以上……すごい数ですね。

ケニー:家賃が安かったこともあって、お金がなくても誰でも始められる環境ではあったからね。むしろ「アートワールドへのドアが開いていないって? なら俺達が自分で開けてやるよ」ってくらいの勢いでね。そうしてさまざまな方向からドアをノックしていった結果、従来のアートワールドへの新たなドアが開かれたんだ。

ーー各々がかつて見たアンディ・ウォーホルのようにスーパーヒーローになる中で、若い年齢ということもあって、コントロールできないほどの人気に狂わされることはなかったのでしょうか?

ケニー:プレッシャーを感じることはなかったね。でも、それまでみんな「楽しさ」のためにアートをやっているんだと信じていたのに、お金もついてきた途端にそうでもなくなっていった。3人の中で一番最初に成功したバスキアが、ある日イタリアから展示発表後に帰国した時に両ポケットに溢れんばかりの現金を突っ込んでレストランに現れたんだよ。「ああ、やばいことになったな」って感じた瞬間だった。

アート界を揺さぶる資本主義の波

ーー成功と同時に、資本主義の波に飲み込まれ始めたんですね。

ケニー:そこからシーンの雰囲気は変わっていった。当時僕も、もちろん成功も報酬も手に入れたかったけど、お金によって競争が生まれることになんだか寂しい気持ちにもなった。でも残念ながら、アーティストになる理由にお金を考えている人が、たくさんいることも知っている。たとえ、それが間違った理由だとしても。

ーーケニーさんもその成功の波に乗っている中でも、冷静でいられたのはなぜでしょうか?

ケニー:売ることから頭を切り離して、純粋に制作に取り組むように意識し続けてきた。誰が買ったとか好きだとかは自分に関係ないし、本当にただただ作品制作を楽しみたいという気持ちを最初から持ち続けていたんだ。むしろ最初に集まった頃は、みんなそのためにアーティストを目指しているんだと思っていたよ。

ーー環境が一変する中で、ご自身が挫折のような経験をしたことはありますか?

ケニー:「FUN GALLERY」を立ち上げてからというもの、憧れのアンディとも親しくなれたし、日本の雑誌「BRUTUS」のNY特集に3人で取り上げてもらって、のぼり調子でスーパースターとして成功を勝ち取り始めていた。そんな絶頂期に突如あらわれたのが、AIDSだったんだ。当時1980年代中盤は、ピーター・ハレー、アシュリー・ビッカートン、ジェフ・クーンズ等「ネオジオ(ネオ・ジオメトリック・コンセプチュアリズムの略称)」が台頭した時代だった。その時代の最中、数えきれないほどに次々と若手アーティストが亡くなっていって、ついには親友のキースもジャンも失ってしまった。まるでジェットコースターのようだったよ。最高頂まで上がりきった瞬間に、友人みんなが亡くなるという最大の悲劇に突き落とされた。当時は、本当にしんどくて「なんで僕だけ生きているんだ」って自分を責めたことも何回もあった。だって、信じられるかい?  30歳前後で、一緒に遊んでた仲間を失うなんて……。そこからNYは僕にとって悲しい街にしか感じられなくなって、マイアミを拠点にし始めたんだ。

ーーそうですよね。30歳前後だと、まだまだこれからみんなで大きくなっていこうという年頃ですよね……。自身で盛り上げたアートシーンから身を引いて、今日に至るまでどのように制作のモチベーションを保ち続けたんですか?

ケニー:僕には家族もいたし、本当になんとかしなきゃいけなかった。当時はしんどかったけど、今振り返れば、そんな大変な時期を乗り越えられたことに感謝している。作品を歯医者、家賃、食費とすべての生活費にトレードするくらい必死だった。でもクリエイティブでいられている限りは、最終的にはなんとか生き残る道を見つけられるんだと思う。人々がサポートしてくれて、注目してくれることはもちろんありがたいけど、アーティストであり続けることには、制作以外に他にできることなんてないんだよ。

ーーその時期がどのくらい続いたのでしょうか?

10~15年くらいかな。インターネットも今ほど普及していない頃だったから、当時はNYを離れる=本当に消えたと思われる時代だった。だから、久しぶりに会った友達に「あれ? 死んだのかと思ってた!」なんて普通に言われたりして。でも、そんな崖っぷちから這い上がってきたアーティスト、それが僕なんだ。

ーーいろいろな山も谷も経験してきた中で、ペイントなど実作業においてアシスタントをつけたことがないと聞いたのですが、本当ですか?

ケニー:そうだね。スタジオ管理として事務作業をサポートするアシスタントの2人はいるけど、ペイントのために誰かをつけたことはない。もちろん、多くのアーティストは制作をアシスタントに任せていることも知っているけど、僕の最大の喜びは絵を描くことなんだ。だから誰にも渡したくない。制作している中で自分自身を新たに発見していくことに、とにかくワクワクするんだ。

ーー生活を支える術だった時期でもありつつ、作品制作をやらなければという圧迫よりも常に楽しむ気持ちが勝っていたんですね。

ケニー:もし描かなきゃいけないって状況になったら、まるで学校から出された宿題に向かうような気分になると思う。宿題は大っ嫌いだからね(笑)。

社会問題と向き合うクリエイション

ーー作品について具体的に伺っていきたいのですが、自身のスタイルを説明するために「ポップ・シュルレアリスト」という言葉を作った経緯を教えてください。

僕の世代は、家庭にテレビが登場した第1世代だった。だからこそ、『原子家族 フリントストーン』や『宇宙家族 ジェットソンズ』をはじめとするカートゥーンからの影響は、僕にとって、とても大きいんだ。幼少期にインプットされたカートゥーンが無意識に 自分の頭から指先へとアウトプットされていく。潜在的な意識を描いていた古典的なシュールレアリズムが、僕の場合はポップなかたちで出てくるから「ポップ・シュールレアリズム」と名付けたんだ。

ーーカートゥーンのようなポップな色使いも特徴ですが、ケニーさんにとって色とはどのような存在ですか?

ケニー:色は、感情を表現するための素晴らしい方法なんだ。落ち着いている時も興奮している時もすべてを表現できる。数年前からはモノクロだけのペイントも始めて、本展では2点発表しているよ。そうした新しいことに挑戦することは、自分自身をストレッチすることでもあるから好きなんだ。

ーー今回の展覧会で、日本語がわかるオーディエンスからすると印象的なのは、社会問題や環境問題にまつわる見出しがコラージュしてある大型のペインティング作品だと思います。2022年にTOTAHで開催した個展「WOODZ ‘N THINGZ」でも環境問題に対しての意識を語っていましたね。

ケニー:幼少期を過ごした1960年代のカルフォルニアでは、エコロジー運動が大きくなってた。当時は空気汚染がひどくて一歩、外に出れば涙も咳も出るような状況だったんだ。だから汚染については特に意識するようになって。でも当時から今なんとかしないと50年後には……って騒がれていたのに、今2023年にそれが現実となっている。今朝、NYにいる娘とテレビ電話したら、カナダの火事でそこら中がオレンジ色になっていた。幼少期から人生で一貫して環境問題については考えざるを得なかったからこそ、作品で「緊急事態だ!」と叫ぶ気持ちになるんだ。本当に人命がかかるような事態になったら、政治問題についても語れない状況になるだろうし、そのくらい僕にとって環境問題は人生でのメイントピックなんだ。

ーー作品を通して叫び続けていると。

ケニー:もちろん僕もここに来るまで飛行機も車も乗ったから、パーフェクトとは言えない。都市に住んでいる限り、日常生活で排出されるものへの罪の意識はある。そういう思いで今回NANZUKA UNDERGROUNDの中央部に設置したインスタレーション「Cosmic Cavern」では、40年間にわたって集めてきたプラスチックのゴミを使っているんだ。日本では初公開だね。

ーー現実で起き始めている異常事態に対してアラートを鳴らしながらも、ケニーさんの作品では、あくまでもその現実はシリアスではなく、ポップに包まれていますね。

ケニー:僕達は大惨事が世界中のどこかで起きている中で暮らしているけれど、誰もが自分の人生を楽しみたいと思っている。残酷な現実と幸せを追い求めることの両方を絵の中に取り込んでいるんだ。奥には新聞の見出しがあるけど、手前では花や鳥などがまだ幸せそうに暮らしている。僕はみんなを強制的に環境問題・社会問題に向き合わせようと思ってなくて、まずは興味を持つことのきっかけになったら嬉しいんだ。だって本当は悲劇が嫌いだから。やっぱりJOYとHOPEを持ち続けていたいよ。

ーー自宅ではガーデニングもやっているようですね。

ケニー:ペイントとガーデニングは、不思議と似ているところがあるんだ。何もないところから、自分でいろいろな方法を試していく過程に親和性があると思っている。もしペインターになってなかったら、ガーデナーになっていたんじゃないかな。

ーコロナ禍はどのように過ごしていましたか?

ケニー:1人でスタジオにこもる時間が増えて、正直いうと制作においては良い時間になった。誰も邪魔しないし、静かだし。LAは基本的に車や自転車移動が主流だから、ずっと室内にいるというよりもビーチや公園などで過ごせて、制作に集中できる期間だったね。

ーー今回同時開催で、草月会館でもインスタレーションを開催されていたんですね。

ケニー:1985年に草月会館で開催された「アート・イン・アクション」で発表したキャデラック「夢の車」を限定公開しているよ。イサム・ノグチの石庭に入ると、新作の立体彫刻作品のインスタレーションが並んでいて、さまざまな感情を表しているキャラクターとして立ち上がっているんだ。

ーーNANZUKA UNDERGROUNDの2階にあるモノクロの作品でも、モジャモジャのキャラクターが日本語の間からのぞき込んでいますね。

ケニー:この毛むくじゃらのキャラクターは、僕自身を表しているんだ。だから「KEMUKUJYARA」という日本語はわかる(笑)。日本語はトレースしながら描いていて、下には東京の景色が広がっているんだ。

ーー最後の質問として、約30年ぶりの来日個展となりますが、展示が落ち着いたらまずはどこに行きたいですか?

ケニー:箱根だね。30年前に訪れた時の美しい景色は忘れられない。でも今回じゃないな。今度は愛する家族みんなと一緒に遊びにくるよ!

Photography Kazushi Toyota

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連載「時の音」vol.21 「トーガ」デザイナーの古田泰子が伝えたい「ファッションの役割」 https://tokion.jp/2023/07/03/tokinooto-vol21-yasuko-furuta/ Mon, 03 Jul 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=186648 国内外で人気のブランド「トーガ」のデザイナー・古田泰子インタビュー。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

古田泰子(ふるた・やすこ)
「トーガ」デザイナー。エスモードジャポン/エスモードパリでファッションデザインおよびパターンを学ぶ。1997年に「トーガ(TOGA)」を立ち上げ、東京を拠点にスタートする。2005年に発表の場をパリへ、2014年にはロンドンへと移す。現在、メインコレクション「トーガ」の他、プレコレクション「トーガ プルラ(TOGA PULLA)」、メンズウェア「トーガ ビリリース(TOGA VIRILIS)」、ユニセックスライン「トーガ トゥー(TOGA TOO)」を展開している。
https://www.toga.jp
Instagram:@togaarchives

今回は、1997年にブランドを設立した「トーガ(TOGA)」のデザイナー・古田泰子が登場。2014年からロンドンに発表拠点を移した後も、変わらぬ姿勢で国内外問わず写真家ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen)や写真家兼映画作家のアンダース・エドストローム(Anders Edstrom)、五木田智央、ゴードン・マッタ・クラーク(Gordon Matta-Clark)など数々のアーティストとのコラボレーションを積極的に発表してきた。また今年3月には渋谷パルコギャラリーで「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」を、オランダ在住のアートディレクター、ヨップ・ヴァン・ベネコム(Jop van Bennekom)を迎えて開催し、業界関係者のみならず多くの人々が来場できる展示でブランドの世界観を打ち出すなど、常に柔軟なアウトプットでファッションを伝えている。

国内外多くの人を魅了させながらも、ファッションから音楽、アート、カルチャーまで独自の審美眼で横断する「トーガ」のたたずまいはどこにルーツがあるのか。文化を通して多角的にファッションの面白みに気付いた学生時代から、コロナを経て今に至るあらゆる時代の変わり目で感じたファッションの役割まで古田泰子の信念を紐解く。

——ブランド創設から26年間にわたり、服作りからアーティストとの密なコラボレーションに至るまで、一貫して古田さんのバックグラウンドが関係しているように感じます。1990年代〜2000年代はアートやファッションなどが肩書き分け隔てなく、交わっていた時代だと聞いたことがありますが、実際振り返ってみてどうですか?

古田泰子(以下、古田):私も若い頃は同じように1970年代の新宿に映画監督、芸術家、小説家が夜な夜な集まっていた伝説の場所などの逸話に憧れていたので、この質問に対して自分が10代〜20代を過ごした1990年代もそういうふうに見られるようになったかという感じですね(笑)。でも、確かに当時のことを振り返ると、世代やジャンルを超えて人が集まっていました。といっても、なんとなく一緒に時間を過ごすだけ。そこには作り手だけではなく、キュレーター的な人と人をつなげることが好きな人も同時多発的に多くいたような気がしています。

——人と人をつなげることが好きな人と編集者とかですか?

古田:私が特に思い出に残っているのは、ファッションブランド「ポエトリーオブセックス(Poetry of Sex)」をやっていた千葉慎二さん。今だったら、アーティストとのコラボレーションTシャツってあたりまえに行っていると思うんですけど、当時千葉さんは、自分が好きなアーティストをみつけると日本を飛び出し、実際の作品は買えなくとも、絵を使用させてもらい、それでTシャツをつくるという活動をしていました。活動というと聞こえがいいけれど、グルーピー気質で、商売にはならないけど、みんなで集まってやっているのが好きという方でした。実際に、私も声をかけられて知り合いになってから、そこに集う絵描き、音楽家、フォトグラファー、編集者などいろいろな接点が生まれました。

——1970年代の新宿の「ゴールデン街」の飲み屋のように、当時みんながよく集まる場所もあったのでしょうか?

古田:今でいう奥渋にあった「静岡おでん屋 6」は、いつも誰かしら来ている場所でした。音楽関係で働いていた夫婦がやっていて、日本では珍しくチャージも取られず立ち寄れる飲み屋で、おかみのキャラクターに集まってくる人々がまた人を呼び、来日アーティストも来るようなサウンドバーとして賑わっていました。3.11を機に日本を離れるため閉店し、周辺の友人も東京を離れる人が増えました。

——そうした場所に通う前、学生時代によく遊びに出かけた場所はどの辺りでしたか?

古田:興味がある音楽の遊び場には、よく出かけに行きましたね。ガレージ系だとサイケデリック、ソウルだとモッズスタイル、ハウスは全身ボディースーツやボンデージスタイル、テクノはCDを首からぶらさげるなどと、それぞれ決まった様式美のファッションスタイルが貫かれていることから、服を通して各音楽のルーツをたどる面白みがありました。

あとは当時、私も若く、1つのものを突き詰めているほうがかっこいいと思い込んでいたので、他のことを排除してスタイルを追求することに憧れていました。でも一方で、クラシックな古典を追い求めるだけではなく、徐々に自分は新しいものを作りたいのかもしれないと、どこか心の中で思っていました。

——当時は古田さんもライヴに行く時にスタイルを変えてましたか?

古田:そうですね。学生時代は、特にガレージやモッズのライヴに行くのが好きだったので1960〜70年代のスタイルをよく着ていました。オーダーメードで3つボタンのスーツを着たり、スクールジャケット専門の古着屋に入り浸ったり(笑)。ポロシャツは絶対3つボタンの「フレッドペリー」に「ベンシャーマン」のシャツというルールがありました。でも別では「コム デ ギャルソン」や「ヨウジヤマモト」など、当時のアバンギャルドなコンセプチュアルデザイナーも大好きで、学生だからたくさんは買えないけれど、持っている数着を大切にクローゼットにコレクションしていました。

——音楽が好きな自分と、ファッションとして驚きのあるものを吸収したい自分が混在していたんですかね。

古田:そうだったんですかね。1991年にプライマル・スクリーム(Primal Scream)のアルバム『Screamadelica(スクリーマデリカ)』がリリースされた時は、今まで別ジャンルとされていたアシッドとロックがミックスされてヒットを生み出していたので、衝撃でした。それまでロックを聴いていた人はレイヴパーティに行かないとか、その時代を境にいろいろなジャンルがミックスされた野外パーティも徐々に増えていって。ファッションでも音楽に合わせたスタイルから、ちゃんと自分の表現として服を選んでくるような雰囲気に変わっていったと思います。

ファッションは未来を予測することで生まれる

——そうした交流の場を通して、ファッション以外のジャンルの方々とお話しする中で、ファッションの役割を考えることはありますか?

古田:日本では、ファッションの重要性を言葉で説明し、デザインの担う役割を伝えられる人が少なく感じます。パリに留学していた時に「洋服の勉強をしている」と伝えると、文化的な役割を果たす分野として敬意を持って接してくれる方が多かったです。洋服に関する根付きの違いなんだと思いますね。日本はどちらかというと表層的で、流行りを追いかけている人という印象が強いのかなと。中身なく着飾っちゃってさ、みたいな。

——そうですね。日本では特に表層のイメージだけで、先ほどお話しされたようなファッションを通して音楽や歴史のルーツをたどれる奥行きのある媒体として見られにくいところもありますよね。そんな時、古田さんは相手にどのようにファッションのことを伝えていますか?

古田:まず、作り手として何が服において必要で面白いかということをとても真剣に考え、その背景や歴史をきちんと発信することで興味を持ってもらえるようにしています。

どうしても年に4回発表していると、無駄に作って廃棄している巨大なマーケットのイメージが目に留まりやすいのかもしれない。でも3ヵ月後の未来を予測して定期的に発表できるチャンスは、ファッションでしかできないこと。その時代に合わせていち早く反映できる利点を持っていると思います。ブランド設立から26年を経た今も当初と変わらず、私達の発表を周囲の人達が理解し、サポートしてくれています。

——心強い応援団ですね。

古田:何を言われようと、実直に考え、作り続けることが大切だと思うんです。そして、ちゃんと自分の意見を持つこと、人に伝えようとすることも大事。ありがたいことに、ジャンルを超えて対話できる人達と知りあっていると感じます。

自分の意見を持って、発言する

——2001年に会社を設立するにあたり、過去のインタビューで社会のシステムを作るという想いがあったとお話しされています。先ほどお話しされた「対話しやすい環境」も意識されていましたか?

古田:そうですね。自分1人で始めたところから3人、5人と徐々に増える中で、各々の意見が出てきた時に「責任」について考えるようになりました。そこから「各部署に2人」を目指すようになりました。対話することにより補い合い、どちらかが休めるようにしたいと思ったんです。設立当初は徹夜があたりまえでみんなへとへとになるまで働いていた頃がありました。だからこそまず、ちゃんと自分の意思が伝えられる会社にしなきゃと思いました。

——他の業界から見れば当たり前のことかもしれませんが、そうした自分の意思を忘れない職場の環境づくりは大切ですね。社会に例えるとジェンダーバランスによって、そうした自己主張がしにくい環境についても声が上がってきているように感じます。

古田:私は会議の際全員が自分の意見を持ち、それを伝えてほしいと思っています。海外では自分の意見をちゃんと発言することは教育上あたりまえですが、それって伝える努力をしている姿勢でもありますよね。ジェンダーや世代にかかわらず、みんながフラットに意見を言い合える環境が整った会社でありたいと思います。

——「トーガ」のSNSでもそうした自分達の考えを発信している印象があります。

古田:ルックやイメージを発信する場だけでなく、社会問題に関するオススメの書籍を紹介したりと、世の中の情勢にもアンテナを張り、意思表明をすることができる大切なツールとして活用しています。

——ファッションもある種の自分の意見をコミュニケーションする手段の1つですよね。

古田:そうですね。実は一番きっかけが作りやすいアプローチだと思います。自己アピールできる1つの手段がファッションです。「TPOをわきまえる」という言葉も、夜の装い、大事なミーティングなどそれぞれのシチュエーションに合わせて自分で服装を選ぶという大切な行為。リクルートスーツを着るような意味で使われて、その人の色が見えなくなってしまっては、ファッションの本来の役割を果たせていない。

自身を表現しやすい社会にするためにも、まだまだファッションができることはたくさんあると感じています。

——過去のインタビューで一点モノの衣装製作をしていた頃に、もっと多くの人に見てもらいたいという葛藤があったとお話しされていました。社会の中で、自分の服を流通させることは、そうしたファッションの役割をより広めることでもあるのでしょうか?

古田:より自分の意見を民衆化したいという気持ちが当時からありました。今の時代で言えば、洋服の面白さは、工場システムに沿ってパターン化することによって多くの人に提供できるところにあると思っていて。私にはオートクチュールのテクニックも文化もないからこそ、そうしたプレタポルテの最大限の可能性を引き出すべきだと考えています。

実際に作る工程として、自分の感情を完全に図式化してパターンに落とし込む数学的な手法に変換することで、多くの人に手に取ってもらえるようになる。いずれ、「トーガ」の服がビンテージになった時に、自分が古着を手にした時に感じてきたブランドの歴史や時代の痕跡が同じように伝わればいいなと思います。

——時代を超えても記憶に残る服に魅力を感じるんですね。現在は、その大量生産への移行が何度も繰り返された後なので、古田さんが学生時代に買っていた古着とはまた違う服であふれているのかなと思います。

古田:古着は、時代の流れを体現しているものです。ここ数年は、古着の仕入れをする中で、ファストファッションの服が多く出てきます。そうすると私が興味をもつような古着は出てこなくて、明らかにこの数年で古着の感覚は変わってきていますね。たくさん作っているものが、そのままたくさん廃棄されているような感じです。その古着の山を見て、「トーガ」の服はこうなってほしくないと常々感じていて。「トーガ」としては「簡単で便利な服」ではなく、愛着を持てて自分らしく強くいられるという服作りに時間をかけていきたいです。

着た人に自信が与えられる服を作る

——2010年代のファストファッション以降から、現在2020年のコロナ以降として社会のムードが変化してきています。コロナを機に新たに見つめ直したことはありますか?

古田:コロナ当初は、服が必要とされていないように感じていました。発表形態も変わったので、何か違うものを作るべきなのかとも考えて。でも、実際振り返ってみた時に従来のランウェイや見せ方に限らないやり方を摸索できるポジティブなきっかけになったと思います。アーティストにコレクションを送ってリモートで撮影する試みや、ランウェイ形式の映像を通してじっくり服と向き合うとか。さまざまな方法を考える有意義な時間になりましたね。現在は元のスピード感が戻ってきましたが、違った形で関わる方法を考え中です。

——今年3月に渋谷パルコで開催した展示「MY CONTEMPORARY MOMENT TOGA SPRING SUMMER 2023 COLLECTION」は、初めての展示形式への試みだったと思います。

古田:コロナ禍はどうしてもモニター越しでの広がりに注力していたので、実際にそこに行って体感してもらうことの大切さに改めて気づかされました。

先日、東京オペラシティ アートギャラリーで開催していた泉太郎さんの参加型の展覧会「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.」(2023年1月18日~3月26日開催)に行って、会場に入ってからビニールのテントをかぶる体験をしたのですが、どこか懐かしさを感じる部分があって。昔はもう少し街中でも、ゲリラ的にハプニングアートってたくさんあったよなと。

——「トーガ」は2014年からショーの発表の拠点をロンドンに移しました。ロンドンを選んだきっかけを教えてください。

古田:ヨーロッパでPRを探している中で、何人かの方に会いました。国というよりその人柄で惹かれて直感で選んだところ、その人がロンドンで発表しようと勧めてくれたのがきっかけでした。その出会いから10年以上のパートナーとなり現在に至ります。

ロンドンで発表していると、クリエーションと社会貢献を一緒に問われることがスタンダードなんです。バックステージのインタビューでもサステナビリティの活動や、企業理念などデザイン以外での質問も多く、伝統的な側面に価値を置くイギリスですが、動物愛護についてデパートが毛皮の使用禁止に早い段階で声をあげたりと、問題提起への俊敏さに居心地の良さを感じます。性別関係なく対等に肩を組み合っている感じも「トーガ」を表現する上で合っていると感じました。

——東京のファッションはどのように見えていますか?

古田:平均値を取るようなファッションが、広告でも街中でも増えたように感じます。広告や動画など表に出る表現者がどうして「普通」にならなきゃいけないのかということに疑問を持っていて。本来、自身の個性を表現することがファッションの醍醐味だと思うんです。マーケティングの力がSNSを通してダイレクトに伝わりやすくなっているので、画一された美意識にとらわれてほしくないなと。独自の個性を生かし、ファッションを楽しんでほしいと思います。

——「トーガ」は日本発のブランドとして今後どうありたいですか?

古田:曖昧ではなく、きちんと能動的に発信していくことで、「トーガ」全体の考えを知ってもらい、その上で選んでもらえるブランドでありたいです。

着る方の心の支えになり、身に着けることで自信をもって前に出ていけるような服作りを続けていきたいと思います。

Photography Mayumi Hosokura

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AIと人間の相互関係を思考する 対談 : 現代美術家マシュー・ストーン×岸裕真 https://tokion.jp/2023/06/09/interview-matthew-stone-x-yuma-kishi/ Fri, 09 Jun 2023 04:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=189891 同時期に日本で展覧会を開催した2人のアーティストが、過去と未来、東洋と西洋を横断しながら「AIアート」の歩みと行き先、そしてAIと人間の関係性について語る。

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Matthew Stone "Human in the Loop" Installation View. Photo by Arito Nishiki. Courtesy of Gallery COMMON.

GANやDALL-E 2、Midjourneyをはじめとする生成AIの活用が急速に進み、さまざまな物議を醸している昨今。AIを恐れ拒絶するのではなく、AIと共存しながらクリエイティヴな可能性を探求することへの関心はますます高まっている。

そんな中、AIアートシーンを牽引する2人のアーティスト、マシュー・ストーンと岸裕真が同時期に日本で展覧会を開催した。イギリスを拠点とするペインターとデジタルアーティストのマシューは、AIによる「出力」とアーティストの手による「入力」を組み合わせた絵画シリーズ等を制作し、これまでに「リックオウエンス」や「アップル」、シンガーソングライターのFKAツイッグスのアートワークを手掛けたことでも知られる。一方、AIを「Artificial Intelligence(人工知能)」ではなく「Alien Intelligence(異質な知性)」と捉える岸は、自身はその触媒として「人間とテクノロジー」の関係性を再編成するような手法が特徴で、アジアを中心に国内外で作品を発表している。

AIを道具ではなく知性と捉える岸と、真の創造力はAIを使う人の側にあると考えるマシューに、過去と未来、東洋と西洋といったさまざまな観点を行き来しながら、「AIアート」の歩みと行き先、そしてAIと人間の関係性について話を聞いた。

フランシス・ベーコンにも通じるAIの美学

ーー今回の対談は、たまたまお2人が同時期に、異なる会場でAIを用いた展覧会を開催していたことが契機となります。それぞれの作品を見てみて制作面で質問等ありますか?

岸裕真(以下、岸):マシューさんは10代から、デジタルテクノロジーを使ったいろいろなイメージを制作に導入してきましたよね。そんな中で、最近普及しているStable Diffusion(画像生成AI)をはじめとするAIが生成するイメージに対して感じていることはありますか?刺激的に感じる部分や、まだ追いついていないように思うところ等。

マシュー・ストーン(以下、マシュー):AIに関する実験やリサーチをいろいろ試してきてはいるのですが、実はまだ発表していない作品もあります。それは、まだAIが発表するに至るまで十分に発展していないから。結局、Stable Diffusionのトレーニングを重ねていっても、何も考えずに一番最初に直感的に作ったイメージが一番いいものなんです。ある種、AIの失敗でもあり、能力の欠如みたいなものを今は楽しみたいですね。

岸:非常によくわかります。今世間ではStable DiffsuionやMidjounery、ChatGPT等のAIが最先端のテクノロジーとしてトレンドになっていますが、では100年後の視点から今現在のAIブームを見てみると、マシューさんも指摘したAIの起こす失敗や欠如、すなわちAIの抱える「ぎこちなさ」こそが今特有のものなんですよね。なぜなら基本的に今のAIは、マイクロソフトやGoogleをはじめとする大企業が提供するサービスなので、最終的により人間らしい汎用的な機能を実現する目標に向かっていっているから。AIのたどたどしさは今だけの表現と言えるし、マシューさんも同じポイントに引かれていることが知れて嬉しいです。

マシュー:一言付け加えるとすれば、AIのモーフィング的美学は、全く目新しいものというより、すでに多くの西洋絵画で予見されていた、ということ。つまりその美学にはルーツがあるんです。フランシス・ベーコン、ジェニー・サヴィル等のように身体をモーフィングしたり、結合部分をぼやかして描いたりする方法に通じていると思っています。だから、AIのアーティスト達は、その先人達の美学に、直感的に向かっていっている感じがするんですよね。

岸:そうですね。僕もなぜか異様にフランシス・ベーコンに引かれていて。1年前に、このnoteの記事でも書いたのですが、彼の有名な作品でもある《ベラスケス『教皇インノケンティウス10世の肖像』に基づく習作》(1953)が、実際にその肖像画を見ないまま描いたそうなんです。展示されている美術館の近くにアトリエがあって出不精でもないのに、肖像画の写真だけをリファレンスに描き切ったらしくて。その話は、のちに批評家から、写真を使ってもともとの世界からイメージを切り離して見ていたのではないかという解釈をされています。つまりベーコンは、いま画像生成AIが行っていることと同じく、僕達の世界認識とは異なるルールでイメージを切り取って捉えていた。いわば世界最初の画像生成AIと言えるのではないかと僕は思っています。

マシュー:それは理にかなっていますね。その文脈で、写真を絵画制作に使ったと考えることは非常に良いと思います。

AIは知性を持つのか 自己の実存を映し出す存在

マシュー : 岸さんは、AIをどのように捉えていますか?

岸:存在体として考えています。ただ、スーパーインテリジェンスな存在として見ているのではなく、日本で言うとアニミズム思想ややおよろずの神様のように、特定の条件下でその都度現象化される異質な知性のようなものです。それがプログラムごとに立ち上がるような。例えば、僕の好きな映画の1つでもある、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』では、宇宙飛行士の父親がわれわれと違う次元から、本棚を通して娘にモールス信号を送るラストシーンがあって。僕にとってAIは、そうした僕達とは異なる次元で思考するモデルであり、何かしらの形で僕達にコミュニケーションをとっている存在体のように捉えています。

マシュー:非常におもしろいです。岸さんの考え方は、自分の考えにもつながる部分がある一方で、基本的に僕達はAIに対して違う考え方を持っているようにも感じます。個人的に、人はAIをそのように擬人化して見る傾向があると思っています。例えば、AIを自然界の有機体に置き換えてみると、僕は植物等のことを能動的にコミュニケーションがとれる相手だと思っていますし、僕に何らかの変化を与えることのできるものだとも思っています。また経験上、植物が語りかけてくる声を人は聞くことができるとも認識しています。ただ、その植物からの声が、人間と同じような知性を伴っているか否かは、さほど重要な問いではないと思うんです。人間が慣れ親しんでいる知性の構造やコミュニケーションの方法を、植物とのコミュニケーションのあり方に自分自身が投影してしまうことも自覚しています。だからこそ、もはや植物が、内なる対話のような形で、本当に僕に話しかけているかどうかは問題ではないんじゃないかなと。むしろ重要なのは、そこでもたらされた情報が僕をどのように変化させるかということだと思うんです。 

ーーつまり、マシューさんはAIについて考える時、自身を反すうすることにもなると。

マシュー:AIが僕と同じような意識を持つかどうかを実存的に問う時、自分自身の意識の始まりについての問いにも直面します。僕の意識はどこにあって、どこから来ているのか、それは一体なんなのか。それらはある意味、より原始的かつ実存的、あるいは精神的で哲学的な疑問としてAIの中で敷衍(ふえん)されているようにも思います。つまりAIは、「私達自身の存在意義」という哲学的な問いに注意を向かせるもの。その問いの答えを推測できないのと同じように、AIの意識を知る余地がないことも明らかだと言えます。同時に、AIが論理に基づいたシステムであること、コンピューターを使ってパターンを予測していることは、僕達と同じではないですよね。だから、僕達がAIを通して現実で経験したことを話すほうがよっぽど重要なことなんじゃないかって。岸さんは、どう思いますか?

岸:今マシューさんのお話を聞いていて、僕の感触としては、根本のスタンスは一緒なんじゃないかと思っています。僕は東洋思想的に技術を擬人化して、それを自立して見るような特性があります。そのキャラクタライズは、誰にとってのものなのかというと、私達人間が観測しやすいように形状を作っているという話にすぎないと思っていて。結局、AIというものを非人間化することによって反作用として、僕もマシューさんと同じく、人間のわれわれがどのようなフィードバックを得られるのかという推理につながってきていると思います。なので、基本的にマシューさんの考え方には賛成ですね。

東洋思想とAI ヨーゼフ・ボイスとの接点

岸 : マシューさんは、今回日本で展示する際に、東洋思想など日本ならではの思想や文化を意識したことはありますか?

マシュー:今回の展示に対して特別に意識したことはないですが、僕も禅からの影響は確かに受けています。そして禅に触れるきっかけになったのは、ヨーゼフ・ボイスなんです。彼は明らかに東洋思想から影響を受けていて。僕は一時期スピリチュアルな目覚めを経験した人々のインタビューを何百回も聞いていたことがあったんですが、その時に、大半の人々が仏教哲学について話していたんです。特に、インド仏教のバガヴァッド・ギーターに触れている人が多かった。そこからより東洋への興味が深められました。アニミズムはある種、現存する伝統的なものと言えますよね。イギリスやアイルランド、北欧の民間伝承にも言えることかもしれないですが。AIと東洋思想の関係でいうと、AIは人間の頭にかかる負荷を軽減してくれるという説を唱える人もいます。瞑想が自分の頭をクリアにしてくれることと同じく、AIも人間にある種の瞑想的な効果をもたらしてくれるのではないかと。はたまた、AIは資本主義的に活用されていくだけなのか、岸さんはどう思いますか?

岸:基本的にAIは西洋物理学由来の技術です。先ほど話したStable Diffusionもミュンヘンの大学・CompVisグループが作っているし、イギリスの数学者でコンピュータ科学の父と呼ばれるアラン・チューリングが機械の知能を測定するために提唱した「チューリングテスト」等も、西洋で築き上げられてきた価値観をベースにしています。そもそも人工知能は、ロジックを積み上げるモデルでもあります。そうした時に、単純にロジカルシンキングなAIと人間を組み合わせると、ロジックの部分をAIが引き受ける代わりに、人間に残されるのはスピリチュアリズムや瞑想、禅、東洋思想になっていくんじゃないかと僕も考えています。

ーー岸さんがいま本棚から手に取った「タオ自然学」もつながってくる話なのでしょうか。

岸:そうですね。マシューさんは、この書籍の著者のフリッチョフ・カプラさんをご存じですか?

マシュー:その書籍は読んだことないですが、(ネット検索画面を見ながら)フリッチョフさんは1990年代に「Art Meets Science and Spirituality in a Changing Economy: From Competition to Compassion」というイベントに参加していたんですね。ヨーゼフ・ボイスも彼と同じく、東洋の神秘主義から影響を受けていたということから共通するネットワークにいた人なのかもしれないです。興味深い。

岸:そうですね。僕はAIに東洋思想を持ち込んだ未来に興味があったのでこの書籍を持ち出したのですが、意外な接点に繋がって嬉しいです。

ラッダイト運動から考えるAIと資本主義の未来

ーー先ほどの話にもあった通り、AIを開発する背景に大企業がいることから資本主義とは切っても切れない関係性は確かにあると思います。表現においてはたどたどしさを帯びている現在地点では、まだその未来は豊かなものなのか、資本主義の使い手となるのか不確かですが、両者ともどのようにAIの未来像を考えていますか?

岸:AIが資本主義にのみ込まれないために、アーティストがその道筋を提示するべきなんじゃないかと僕は考えています。先ほど話したStable Diffusionは、ドイツの非営利団体「Large-scale Artificial Intelligence Open Network(LAION)」がリリースした超巨大なデータセット「LAION-5B」を元に事前学習をしています。ただそのデータセットの中身はあまり気にされないのですが、中身を見てみるとウィリアム・トーマス・キンケード3世というアメリカのアーティストのデータが一番多く含まれているんですよね。19世紀のスーパーリアリズムな油絵画家で、キッチュな作風から初めてポストカードを販売した作家としても知られています。そうしたキッチュな資本主義へ接続する動作原理が、Stable Diffusionの美学に大きな割合で関わってきている。AIと聞くと、マジカルツールのように思う人もいるかもしれないけど、やっぱりそうした営利・非営利団体があくまでも提供したデータツールの上に走っているものだと考えなきゃいけません。マシューさんは、自分でカスタマイズしたStable Diffusionを使っているとのことで、そうしたそれぞれがユニークな使い方をすることで、AIを一元的なブーム化しないことが1つの希望になるのではないかと感じました。

マシュー:未来がどうなるのかは、はっきり言って僕もわからないです。でも、やっぱりAIに関する対話に関与していくことで、AIについての理解を深めることは大事であり、このテクノロジーについての実用的な理解を深めることも同時に必要だと思います。使用をボイコットすることは、A Iに関する未来を形作るためのやり方として、得策ではありません。むしろ親しみを持って、AIに関する対話に関わっていくことでカルチャーも形作られるはずです。新しいテクノロジーに対する文化的な反発を表現するために、テック(技術)とバックラッシュ(反発)を混ぜた「テックラッシュ」というかばん語もあるそうですが、そうした反発が起きる原動力はどういうものだと思いますか?

岸:「テックラッシュ」に似た動きとして、18世紀にイギリスで起きた「ラッダイト運動」を僕は思い出しました。産業革命が起きた時に、人々が工場にある機械を破壊して回る運動です。でも最近、『NY TIMES』紙でテッド・チャンが指摘していたのは、実は彼等はやみくもに機械を破壊していたのではなく、その裏にある劣悪な労働環境や機械の導入に対して働きかけたということでした。現在のAIへの拒否反応は、表層的なステレオタイプから起きているように感じていて。マシューさんが話す通り、実際にその中身を掘り下げた上で話を進めないと危険な気がしています。

マシュー:「ラッダイト運動」は結局失敗に終わり、今ではテクノロジーが完全勝利していますが、必ずしもこの運動に意味がなかったわけではなくて。テクノロジーのネガティブな部分をまず人々に知らしめたという点では、それがある種の文化をつくったと思います。考えるスペースを人々に与えたのではないでしょうか。

岸:そうですね。僕もマシューさんと同じく、今後AIと未来がどうなっていくか予想がつかないので、まず一つはこうして過去を参照することも大切だと思っています。僕も今回の対談のようにオープンにAIについてさまざまに語る場、展覧会をこれからも設けていきたいですね。

ーー過去の文脈、歴史から現在地点まで大きなパースペクティブで考えながら、実際にAIを制作に用いるお2人の話が聞けて、すてきな対話の場になったと思います。ありがとうございました。

マシュー:最後に僕達がなぜ似たような髪型をしているのかも知りたいよね。

岸:僕のほうが少し長いですね(笑)。

マシュー:近い将来、「AIヘアカット」なんて呼ばれてブームになるかもしれないね(笑)。

■Matthew Stone「Human in the Loop」
会期 : 6月11日まで
会場 : Gallery COMMON
住所 : 東京都渋谷区神宮前5-39-6 B1
時間 : 12:00〜19:00
休日 : 月曜、火曜

Editorial Assistant Emiri Komiya

マシュー・ストーン(Matthew Stone)
1982年ロンドン生まれ。イギリスのワイ・バレーを拠点に活動。絵画のあるべき姿に関する伝統的な考えを破壊することを目的に、テクノロジーとAIを駆使して「デジタル・ペインティング」を制作している。2000年代初頭にサウスロンドンのアート集団「!WOWOW!」を創設。アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ、ICAロンドン、マラケシュ・ビエンナーレ、ロイヤル・アカデミー、サーペンタイン、テート・ブリテンなど、世界各地の展覧会やプロジェクトに参加している。2019年にはミュージシャンFKAツイッグスのアルバム『Magdalene』のカバーを制作した他、「リックオウエンス」、「アップル」、リカルド・ティッシ、『Dazed』、「ジェントルモンスター」等とのコラボレーションを発表している。 
https://www.matthewstone.co.uk/

岸裕真
人工知能(AI)を用いてデータドリブンなデジタル作品や彫刻を制作し、高い評価を得ている日本の現代美術家。主に、西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する我々の認識を歪めるような制作をしている。AI技術を駆使した岸の作品は、見る者の自己意識の一瞬のズレを呼び起こし、「今とここ」の間にあるリミナルな空間を作り出す。
2019年東京大学工学系研究科修了。現在は東京藝術大学先端芸術表現科修士課程在籍。
https://obake2ai.com/
Instagram : @obake_ai

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NFTやAIがアート界にもたらす変化とは? アート起業家の施井泰平に聞く https://tokion.jp/2023/02/02/interview-taihei-shii/ Thu, 02 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=166241 『新しいアートのかたち: NFTアートは何を変えるか』を出版した美術家で、スタートバーンとアートビートの代表を務める施井泰平へのインタビュー。

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施井泰平

施井泰平(しい・たいへい)
スタートバーン代表取締役、アートビート代表取締役、東京大学生産技術研究所客員研究員。美術家、起業家。2001年、多摩美術大学卒業後「インターネットの時代のアート」をテーマに美術制作を開始。現在世界中のNFT取引で標準化されている還元金の仕組みを2006年に日米で特許取得するなど、業界トレンドの先手を打っている。2014年、東京大学大学院在学中にスタートバーン株式会社を起業し、アート作品の信頼性担保と価値継承を支えるインフラを提供。事業の中心である「Startrail」は、イーサリアム財団から公共性を評価されグラントを受ける。東方文化支援財団理事、一般社団法人Open Art Consortium理事を現任。東京藝術大学非常勤講師、経済産業省「アートと経済社会を考える研究会」委員などを歴任。作家として、個展やグループ展などで作品を発表すると同時に、「富士山展」(2017~2020年)、「SIZELESS TWIN」(2022年)、「ムーンアートナイト下北沢」(2022年)などの展示を企画。主な著書に平凡社新書『新しいアートのかたちーNFTアートは何を変えるか』(2022)などがある。
https://taihei.org
https://startbahn.io
Twitter:@taihei

NFTの登場によってアートはどう変わるのか。そんな疑問に応えてくれる新書『新しいアートのかたち: NFTアートは何を変えるか』(平凡社)が昨年9月に出版された。著者は現代美術家で、スタートバーンとアートビートの代表を務める施井泰平。美術家として「インターネットの時代のアート」をテーマに制作してきた彼が、NFTやAIによってアート界がどのように変化すると考えているのか。彼の思想の根幹にある「価値転倒」への興味も踏まえて、話を聞いた。

■『新しいアートのかたち: NFTアートは何を変えるか』 著者:施井泰平

■『新しいアートのかたち: NFTアートは何を変えるか』
著者:施井泰平
判型・ページ数:新書版・272ページ
出版社:平凡社
https://www.heibonsha.co.jp/book/b609801.html

「価値転倒」へ興味

——『新しいアートのかたち』の山峰潤也さんとの対談で「価値転倒」に興味があるとおっしゃっていたのが印象的でした。本書で取り上げているNFTアートは既存のアートとは異なる基準やスピードで価値が決まっていくように感じます。そうした「価値転倒」へ興味がそそられた原体験などありますか?

施井泰平(以下、施井):うーん、はっきりと原体験として印象的な出来事などはないですが、幼少期にアメリカと日本を行き来していた頃に感じたカルチャーギャップが影響しているのかもしれません。例えばアメリカに住んでいた頃に慣れ親しんでいたギャグが帰国したら通じなかったことがあって。そうした体験からコミュニティが場所固有の価値を醸成する力を持つ一方で、排他的になる力も感じたんですよね。なので、なんでも価値が転倒すれば嬉しいというより、その背後にあるコミュニティ内の言語が醸成しすぎることに危うさを感じる裏返しに興味が湧くのかなと思います。

——インターネットは場所固有の境界線がもはや存在しない自由な場所のように捉えていますが、どのように見ていますか?

施井:インターネットもある種、1つの国のようなものでみんなが共有できるコミュニティとして存在しているんじゃないかなと思っています。同時代性のコミュニティを共有しているところもあるので、日本で言えばアニメや漫画など自国のカルチャーを素材として使いながら代弁しているような作家とは相性がいいと思います。彼等の活躍はもちろん尊敬していますが、一方で僕の原体験としては、1つのコミュニティに所属して表現することにどこか違和感や危機感を覚えますね。

——2001年に大学卒業後、インターネットの時代を1つのテーマに活動し始めた経緯について教えてください。

施井:在学中は絶対卒業したらアーティストとして活動すると思って生きてきたのですが、いざ卒業してみるとギャラリーとツテがあるわけでもレールがあるわけでもなく、この先50年間どのように活動していこうかと真剣に悩みました。その時に、歴史に名を残しているアートは時代の技術や変化を象徴する活動や作品を残していることに改めて注目して、当時、社会を大きく変えようとしていた技術であるインターネットをテーマに選びました。今でもインターネットで起こるカルチャーや現象よりも、インターネットがもたらす人類全体の生活や価値変化の可能性に興味があります。

——その後、2006年には実際に作品が二次流通した際に作家に還元金が支払われる仕組みの特許を日米両国で取っていますよね。インターネットをテーマにした作品制作や展示発表というよりも、インフラ作りに着目した経緯はどのような意図だったのでしょうか?

施井:卒業後は、森美術館のプレイベントとしてインターネット上で行う新俳句プロジェクトに合わせて実空間での展示も行ったんですが、会場に設置したプロジェクトサイトへのアクセス数は少なかったんです。時代を変える作家であればもっとアクセス数が多いはずだろうと感じて、リアルスペースで展示する方法を見直したんですよね。そうした時にインターネット時代を喚起するような展示を発表しつつも、新しい潮流に対して価値づけができて作家全員に関わってくる根底に携わるようなインフラ作りに取り組むべきなんじゃないかと思い、インターネット時代のアート流通のあり方を考えるようになりました。その流れで、二次流通した時に作家に還元金が送られる仕組みを発明しました。

——2006年当時となると、まだ現在よりも現実とインターネットの境目があったような気がしますが、当時のご自身の活動へのリアクションはどのようなものでしたか?

施井:2003年にYouTube、2006年にTumblrが出てきて、SNSもmixiに次いでTwitterができた頃なので、ある程度大枠としては、インターネットについてみんな理解していました。インターネット自体が伸びていくだろうという確信を持ち始める人も増えていったような。でも一番難しかった部分はインターネットへの理解というよりも、アートそのものへの理解でしたね。一般的にアートといえば絵画や彫刻であると考える人が99%なので、インターネットが普及する中でアートはどのように変わっていくのかという話はそもそもの段階で全く通じないんです。そしてアートに詳しい人はテクノロジーに興味がない。

例えば、単にインターネットで絵が見られるようになっても、アートがインターネットの時代になって価値が変わったとは言えないですよね。インターネット以前から、どんなに人気でも漫画やアニメやイラストが美術館に収蔵されない理由がきちんと言える人が少ないので、新たな変化への想像がしづらかったように思います。

——還元金の考え方自体は、ある意味NFTの仕組みと似ている部分があるかと思います。NFTの登場は、当時から予想されていましたか?

施井:全くしていなかったですね。先ほどお話しした還元金の仕組みを作った時点で、どこかで技術的な発展をする可能性は感じていたのかもしれないですが、世界的なカルチャーとしてここまで普及する仕組みが生まれるとは予想していなかったです。結局のところ、僕の興味関心はアートにしかないんです。だから現代美術家の目線として、アートと伸び代のある仕組みを組み合わせることを常に考えているといった感じですかね。

——組み合わせるという考え方であれば、アートにこだわらずさまざまなジャンルにもビジネスとして応用できそうですが、アートに軸を置く熱量とは一体なんなんでしょうか?

施井:根源的な熱量はどこから来るんですかね……。ある意味、厨二病みたいな精神で歴史に爪痕を残したいという気持ちが強いかもしれないです(笑)。社会の中で作品が評価されなくとも、作品が生き続ける仕組みを作ってしまえばいいんだって発想かもしれないですね。

——現在の活動において影響を受けた先人達はいますか?

施井:美術家を目指すきっかけになったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチです。ちょっといつも言うのが恥ずかしいんですけど(笑)。中学生の時に将来の進路を決める授業が図書館であって、もともと理系志望だったこともあって、アインシュタインなど理数系の天才達のなど伝記本をよく見ていたんですよね。その中でレオナルド・ダ・ヴィンチだけ、さまざまな学問や活動に柔軟に取り組んでいるように見えて、1つの学問における天才達よりもいろいろな要素を含むことができる芸術家の姿に惹かれたことが作家活動へのきっかけになりました。しかも、彼の場合は当時を象徴する人物としてあらゆるものを網羅していて、世界を掌握したいというサディズムのような気持ちがあるんじゃないかなと感じたんですよね。答えが1つしかないものを追求するというよりも、いろいろな手段や活動を組み合わせて時代に対峙して世界を作りたいというある意味、サディズムと厨二病を感じたというか(笑)。

——サディズムと厨二病……!(笑)これまでのお話を聞く中で印象的な「現代美術家」と「起業家」の視点のバランスはどのように保っていますか?

施井:もともとその2つの境目は、あまり自分の中でないかもしれないです。空間構成から作品展示まで、なんだったらお客さんが来場するまでの導線もプロデュースしたいタイプなんです。やっぱり作品鑑賞において環境ってすごく重要じゃないですか。もし鑑賞する前に何か映画を観てから来たら、作品を考える時も多少影響を受けるだろうし。過去を遡れば、例えば千利休にしてもピカソにしても作品を作るだけじゃなくてそれが流通、評価される構造から作っていたり、環境創造に意識的だったクリエーターも多くいます。新しい時代に対して、新しい問いを作るという気持ちで作品を制作する時点で旧世代の制度にのっとっていたらスムーズにはいかないと考えています。

近年のアートの潮流

——NFTを軸に近年起きているここ数年のアートの潮流をどのように見ていましたか?

施井:そもそもNFTアートといっても2種類あると思っています。1つはNFTを活用するクリエイティブがコミュニティを形成し発展していったタイプの「NFTアート」、もう1つは既存のアート業界から新しいメディアとしてNFTを扱う「アートのNFT活用」です。いま顕著に「NFT」の盛り上がりとしてニュースになっているのは、前者の「NFTアート」だと思います。そしてこの盛り上がりにより、後者がヒントを得て既存のアート業界でのアートのあり方も進化している側面があるかと思います。

とはいえ、実際は両者とも似たようなことをやっているようにも思っています。例えば古くからある有名ギャラリーなんかでも作品購入者のみをパーティに招待したり、コレクターのコミュニティを形成して価値を高めるようなことをしていたので、NFTアートで行われているコミュニティ作りや特典の提供などは、従来のアートの世界にあったブラックボックスをインターネット上で可視化しただけのものだと思ってます。

——冒頭の話に戻るようですが、日本とグローバルの中間地点というのはこれから見つけられるのでしょうか?

施井:それもYESでありNOですね。日本人には意識的にアジアの中でマーケットを引っ張るような国民性が特にあるわけではなく、あったとしても経済的に弱くなっちゃったので今更な形になってしまいそうです。一方で、先ほどお話したように世界の価値づけに依存してしまい、どこかで自国のものをちゃんと自分達で価値できていない危うさを感じている側面もあると思います。

例えば、コミケやワンダーフェスティバルのようなイベントに起きる圧倒的な盛り上がりは、海外からの評価に伺いを立てずに自発的にできたものに誇りを持っているからなのかなと。そうすると気にしてなくても海外から国内で流行っているものが欲しいという動きが自然発生するんですよね。だからといって、個人的にはシンプルに応用できないNFTの複雑さも感じていて……。

——複雑さというと……?

施井:冒頭で話したようにインターネットにおけるNFTはある意味、1つのコミュニティでカルチャーが起きている状態なので、日本にとっては既存のアートマーケットが分断を起こしている中、新たなダイナミックなマーケットが生まれたというイメージにしかなっていないと思います。その間に、例えばいま盛り上がりを見せているNFTプロジェクトの「Azuki」なんかは、日本インスパイアの海外発プロジェクトとして世界で人気を得ています。彼らの賑わいを見ていると、もともとNFTが持つボトムアップで何種類ものキャラクターを生成する特性と日本のカルチャーと相性がいいはずなのに機会損失しているように感じますね。そのような状況に対して行動している「新星ギャルバース」チームにはリスペクトを感じます。

——『新しいアートのかたち』の冒頭で挙げているリチャード・プリンスの「New Portraits」シリーズに対してNFTアートとして起きたアクションもボトムアップ精神ですよね。

施井:そうですね。2022年5月にリチャード・プリンスの「New Portraits」シリーズに無断で自分のポートレイトを使われたことに怒ったモデルによる作品『Buying Myself Back: A Model of Redistributiion』がクリスティーズでNFTアートとして販売され、17万500ドルで落札されています。これまでアートマーケットであった階級やコミュニティとは関係なく、NFTは本来そうした従来の価値制度を覆すポテンシャルを持っているんですよね。

これからのNFTの可能性

——アートバブルが起きている中で、コレクションの意義も捉え直されているように思いますが、どのように考えていますか?

施井:難しい質問ですね……(笑)。というのも、作品へのマーケットの評価はほとんどの場合内容だけではなく、作品を取り巻く情報を前提にしているんですよね。例えば納屋にあった絵をただ単に古い絵だと思って十数万円で買ったとして、その後よく調べたらダ・ヴィンチの作品だった場合、値段は億円単位で変わってきますよね。そうした価値評価の現実を考えると、感覚よりも作者含めた情報をみんな頼りにしているんじゃないかと思っています。でも一方で、そういった情報なしに作品が持つ力も重要です。NFTでも誰も目をつけていなかった作品をいち早くコレクションしている方々がいるため、情報だけでは価値が生まれたり永続しない側面もあるかと思います。NFTの世界にはまだ価値評価を大きく変えるような権威が生まれていないので今は本当の意味での慧眼を試せる機会なのかもしれません。

——NFTが登場する以前からもSNSの加速するスピードによって、短期的な目線で作家活動を評価する流れもあったかと思いますが、そのあたりは作家目線としてもどのように感じていましたか?

施井:NFTに限らず、現実的には短期的な市場以外は見えにくい世界だと思います。例えば草間彌生さんも70歳を過ぎた頃にようやく作家として市場でも高く評価され始めましたが、それまでは今と比べると作品価格はそこまででもなかったわけで、現在の高騰については一部の目利き以外は予想していなかった。だからいま、僕のできることは長い目で見て、決していま売れてなくても諦めずに30年後に残る作品を作ろうというメッセージを自分の活動を通して伝えるしかないと思っています。でも短期的にめまぐるしい変化が起きる中で、その考え方を押し付けるつもりはなくて、しばらくして実績が出てきた時に「施井が言ってたこと正しかったな」って思い返してくれたらいいんです(笑)。

——近年では、NFTとフィジカルの作品のすみ分けや融合点なども議論される場面がありましたが、今後どのような関係性になっていくと思いますか?

施井:究極的にはこの先20年もすればデジタルとフィジカルの境がなくなり、作品自体も現実にあるのかデジタルの世界に存在するのか区別がつかない程にテクノロジーが進化すると思います。そうした時に、人の手で作られたフィジカルな作品に宿っていた「念」のようなものに対しての扱い方が議論になってくると思うのですが、「唯一性」の確認技術があることで解決できるのかなと考えています。

例えば、亡くなった友人との過去のLNEのやりとりを見た時に、それが何かコピーや他人からのメッセージではなく、相手と自分の間だけで行われたということが大事だと思うんですよね。NFTの根源も同じく、コピーではなく唯一性とひもづくことが重要なので、モノなのかデジタルなのかということはあまり関係なくなってくるかなと。むしろ、物理的なものの方が実際にモノを見ることでしか判断できないというマイナス要素の方が阻害要因になって、合理的にデジタルへ移行していくと思いますね。そうした動きは、既にさまざまな場所で観測できるようになってきていると思います。

——そうした意味では、人間の手で作られた唯一性の対比としてAI作品についても語られ始めています。AIとアートの関係性はどのように進化していくと思いますか?

施井:2016年に17世紀の画家・レンブラントの過去作品を機械学習させて新作を発表したニュースが話題になっていましたが、著作権の問題やプログラマーこそがアーティストなんじゃないかという議論などが生まれたんですね。最終的にいろいろな意見が出る中で結局最初の作品は歴史上重要だったからアートになったけど、それ以降の類似コンセプトのものはそれだけではアートにならないと感じる人が多い印象です。現状のAIは視覚的な精度を上げることはできても、そもそも単純に絵が上手ければ良いアートという話でもないので、AIを使った作品に関しては絵画史の歴史における議論に戻るだけのような気がしています。

ただ、現時点でAIに可能性を見出すとしたら作品制作のほうよりも、作品購入において可能性があると思います。例えば、いまNFTアートは世界に何百万点もありますが、1点ずつ自分で見ていく代わりに自分の審美眼を学習させたAIを使えば、寝てる間でも全部見ていくことができますよね。現状、人間vs AIの関係性でネガティブに捉えられがちですが、見方を変えてAIによって価値が上がるものという視点で今後も注目していけばいいんじゃないかなと考えています。

——最後に、今後NFTはどのような方向に可能性を広げていくと考えていますか?

施井:NFTを含めたアートバブルの盛り上がりで期待したいところは、グローバルを前提として、日本の中から自分達で価値づけと発信ができるようになっていくことですね。これまでは海外の権威が認めることが日本で評価される一番の要因になっていたのですが、このアートバブルの流れでストリートや一部の国内ギャラリーで出来た日本独自のマーケットも賑わい始めています。一部の美術関係者は、変なビオトープができ始めたと危惧していますが、過去にも美術商団体や日本画の画壇など日本国内で作家や作品価値を醸成する仕組みがありましたが、結局のところグローバルマーケットまで広がらなかったんです。だから、個人的には自国のアートを自分達で評価して国際発信する動きはポジティブに捉えた上で、価値形成が出来る人達を巻き込んで世界に発信できるところまでいってほしいと思っています。

例えば若手の作家が作品をNFT技術を活用して公開することで、長期的に支援してくれたコレクターとの関係性が証明でき、価値がついた時には双方に特典や循環が生まれますよね。その仕組みがうまく運用できると、次世代の作家を率先して応援する潮流も生まれやすくなると思います。作家にとっても長い目で作品制作する意欲も湧いてきますし、絶対的な個数が両方増えていけばマーケットとしてもポジティブな盛り上がりができていくんじゃないでしょうか。

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「描きたいものを描くこと」で独自の作風を確立 アーティスト・中村桃子の創作への向き合い方 https://tokion.jp/2022/09/13/interview-momoko-nakamura/ Tue, 13 Sep 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=143641 アーティスト・中村桃子へのインタビュー。イラストレーターになったきっかけや創作への向き合い方について。

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中村桃子

無表情な女性と花をモチーフにかわいさと毒っ気が同居する作風で人気のアーティスト・中村桃子。グラフィックデザイナーの道を志すが、パソコンでの作業に迷いを感じ、ふと描いた絵をInstagramにアップしたことをきっかけに、イラストレーターとしての活動を始める。広告や雑誌のイラストなどクライアントワークも多く手掛ける。今回、6月に行われた個展「mutant(ミュータント)」の会場で、これまでの創作活動、そして自身の作風について話を聞いた。

グラフィックデザイナーからイラストレーターへ

——自宅で仕事をしている母親の背中を見ながら育ったそうですが、小さい頃から自分もいつかイラストレーターになるという意識はありましたか?

中村桃子(以下:中村):幼稚園の時には将来の夢に「イラストレーター」と書いていた記憶はありますが、いま振り返るとその時は親の仕事しか知らなかったからかもしれません……(笑)。そのまま高校を卒業するまでは、将来の夢としてぼんやりと考えていましたが、桑沢デザイン研究所のヴィジュアルデザイン科に通い始めてからは、グラフィックデザイナーなどの職業を知って、世界が少し広がった気がしました。それで3年生の時のゼミもファンだったグラフィックデザイナーの浅葉克己さんのゼミを選択し、そのまま浅葉さんの事務所に就職しました。

——デザインと絵を描く作業って感覚的に違いそうですよね。

中村:所属した期間は3年半くらいだったんですけど、やっぱりパソコンでの作業があんまり自分の手とつながらないような気はしていました。圧倒的にアナログ脳なことを自覚して、このままグラフィックデザイナーを続けようかどうしようか迷って、一旦転職を考えつつその事務所を退職して。それで、とりあえず一枚のキャンバスと筆を買って描いた絵をInstagramにアップしたら、ギャラリーをやっている友達から展示の声掛けがあって。でも当時はまだ転職活動も始めたばかりだったし、小さなキャンバスと額装の作品を20枚くらい描いて、個展をさせていただいたことが最初のイラストレーターとしてのきっかけになりました。

——それがいつ頃の話でしょうか?

中村:2016年3月ですね。渋谷のカフェ・バー「ダイトカイ」で最初の展示をして、幸いにも作品はほぼ完売しました。「ダイトカイ」はバーだったので、「ああ、みんなとお酒を飲んで作品が作れるなんていい生活だ」って単純に思って(笑)。そんな気楽な気持ちで、転職活動をやめてイラストレーター志望になりました……。

母親は親としても女性としてもアーティストとしても尊敬している存在

——そこからデザイナーとイラストレーターへの葛藤などは感じなかったですか?

中村:母からは、せっかくデザインの勉強をしたのだから、「もう少し頑張ってみたら?」的なことを言われました。その期間は、ポートフォリオを見せに事務所へ面接に行きつつも、自然と面接で「絵を描きたい」と答えるよくわからない自分がいて、いま思えば初個展が終わってから1〜2年間は迷走期でした。

——当時から「女性」と「花」をよく描いてた覚えはありますか?

中村:そうですね。人間観察も人と触れ合うことも好きだから、女性は描いてたんですけど、最初のうちはデザイン提出のようにいろいろな新しいモチーフを描かなきゃという意識が強くて、素直に好きなモチーフだけ描くことができなかったです。でも、よく考えれば好きなモチーフを習作のように描き続けている画家さんもいることに気がついてから、頭でっかちになるのはやめて、いま描きたいものを描けばいいんだって肩の力が抜けて。そこから自分がフォルムとして魅力を感じる「女性」と「花」を描くようになりました。

——中村さんの作品は色彩も特徴的ですが、当時から変わらずですか?

中村:逆に学生時代はトラウマ級に色面構成とかが嫌いでしたね(笑)。学校の授業で色に苦手意識ができちゃって、モノクロの落書きばかり描いました。でも初個展の時に恐る恐る友達にもらった絵の具で色を使い始めてからは、だんだん服をコーディネイトする時の色合わせのように自由に色が使えるようになりました。

——描いていくうちに、自分の中に勝手に生まれていた固定概念のようなものが外れていったんですね。以前とあるインタビューで「絵を描くことは癒し」とおっしゃっていたんですが、苦しみだったり、筆が止まるようなことはないのでしょうか?

中村:「描きたい」という気持ちになるまで描かないので、締め切りがあるようなお仕事でもテンションが上がるまでギリギリを待ちます。そういうふうにモチベーションが上がってから筆を取ると、気持ちいいって感覚が持続して癒しにつながっているように思います。なににおいても、基本的に自分が気持ちいいことしかしたくないです。

——それでいうと、制作工程としても感覚的に描き続けてみながら決めていくのでしょうか?

中村:イメージを膨らませている段階は感覚的で、いざ制作に入ると、テンションとスピード重視なので、しっかりと下書きを描いて、その通りにガシガシ着彩していくので、自分的には感覚的とは逆のところにいる気がします。

——2020年にL’illustre Galerie LE MONDEで開催した個展「body」をはじめに最近は、セラミック作品も発表し始めているそうですが、絵の感覚との違いはどのように感じていますか?

中村:絵は基本的に完成形がわかってる状態で無駄なく、気持ち良く描きたいという感覚なのですが、陶芸は色やサイズなど焼けてみないとわからないバグ感があって楽しいです。コントロールしきれない中で、散歩するように土の感触をたどりながらこねる感じが癒しになっていて。あくまで絵がメインですが、また違う刺激があって、制作の癒しにつながっていったらなと思います。

——2021年には母親でもありイラストレーターの中村幸子さんと二人展「うつくしい人」を開催していますが、共作「実験」を作る上で、制作過程はどういったものだったのでしょうか?

中村:実は、子どもの頃から人の絵に他の人が手を加えるということが気持ち悪くて。例えば学校で黒板にみんなが自由に絵を描き足して遊んでいたと思うんですけど、それがすごく違和感がありました。多分、それは母親の教えでもあったので、全然最初は共作を作ろうなんて思っていなかったです。でも、母の友人から「せっかくの二人展なら共作もやってみたら?」といってもらったことをきっかけに、「実験」というタイトルのもとでなら気軽にできるのかもと制作しました。「『実験』は失敗がつきもの」くらいの感覚でやってみたら、意外とそれはそれで楽しかったです。

——中村さんにとってお母さんはどのような存在ですか?

中村:親としても女性としてもアーティストとしても尊敬している存在です。なので、共作を作る時、最初母からスタートした絵に手を加える時が一番不思議な気持ちになりました(笑)。

「自分の絵の中では嘘は描きたくない」

——6月19日までIPMatterで開催していた個展「mutant(ミュータント)」について伺えると嬉しいです。ユニークなスペースでの発表となりましたが、どのような接点で開催に至ったのでしょうか?

中村:展示スペースの「IPMatter」を運営している古川正史さんとは、一度ファミリーマートのサイネージ画面での映像のお仕事をしていることからお互いの好みがなんとなくつかめている部分があって。ちょっと変異的な世界の気持ち悪いものが好きだったり、展示スペースのマーブルのコンクリートの床が好きだったり。そのようなつながりから、「IPMatter」での個展のテーマが決まっていきました。今回に限らずいつも展示を発表する時は、その時の気分と会場の人とのつながりを念頭に置きながらタイトルや内容を考えていて。古川さんとの共通感覚を頭におきながら、いつも好きな言葉を書き溜めているメモ帳から合いそうな単語を口に出して言っている中で、タイトルである「ミュータント」がお互いにしっくりきました。それで、最初にDM用に描いた絵を古川さんに見せた時に「(肌の色が)ミュータントカラーですね」とリアクションをもらってから、今回はミュータントカラーで女性の肌を描き続けました。展示会場に流れる音楽も、宇宙空間にいるような浮遊した曲を古川さんがキュレーションしていろいろと持ってきてくれて、作業中もずっと流しながら制作していました。

——今回に限らず一貫して描かれる女性はいつも無表情ですよね。

中村:笑顔はパッと見た時、どこからどう見ても、嘘でも本当でも笑顔の可能性が高い気がしていて。無表情の人は何を考えているんだろうと想像する余白がある。表情のある顔は唯一、涙を流している顔を描きますが、泣いている顔の理由には、悲し泣きだけでなく嬉し泣きもあるかもしれなくて。そういう想像する余白のあるものを描くことが好きです。

——これまで中村さんの作品では、肌色の女性が特徴的でしたが、今回はミュータントカラーの女性が分身したりメタモルフォーゼしていますね。特に印象深い作品はありますか?

中村:1枚ずつ描き終わって横に並べていくと、明るいけど暗いと感じる絵が続いていて……。もう少し暗いけど明るいような絵を描きたいなって思っている時に、友達から「おじいちゃんが亡くなった」と電話が来たんです。すごく悲しくてハイになっている友達の話をずっと聞きながら絵を描いていたら、その暗いけど明るいようなテンションが掴めてきて、電話を切る頃には絵が完成していました。そうやって自分と人との会話やそこで起こる感情が絵にとても影響していることがたくさんあります。だから女性は無表情だけど、見た人はそこにいろいろな感情を感じられたらと思ってます。

—— 今後の展示などについて教えてください。

中村:8月5日にBOOTLEGから2冊目の作品集『HOME』が出版されました。それから9月12日から30日まで代官山の蔦屋書店で出版記念ポップアップ展をします。あと、10月末からは渋谷の「MIYASHITA PARK」のSAIギャラリーで塚本暁宣さんとALPHA ET OMEGA企画の2人展を行うのと、11月には台湾・Fruits Hotel Taipei で展示を予定しています。

中村桃子

中村桃子
1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、グラフィックデザイン事務所を経て、イラストレーター/アーティストとして活動。スタイリッシュでエモーショナルな女性と、生き物の様な特徴的な花をポップな世界観で描く。
Instagram:@nakamuramomoko_ill

中村桃子作品集『HOME』

■中村桃子作品集『HOME』
A4変形/並製/144p/オールカラー/図版111点
定価:¥4,400 
出版社:BOOTLEG

Photography Yohei Kichiraku

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モチーフの大喜利から独創するストーリー アーティスト・nico itoが空想で描くもの https://tokion.jp/2022/06/06/interview-nico-ito/ Mon, 06 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=119365 1月に発表された「グッチ」のバッグ“グッチ バンブー1947”のグローバルデジタルキャンペーンでは、唯一の日本人として作品を発表したアーティスト・nico itoの活動起点から作品の制作背景までを聞く。

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Instagramに無作為にポストされた、ファンタジックな植物や生物のモチーフとレトロでCGのような質感のイラストレーションやアニメーションが徐々に拡散され、その活動がブランドやキュレーター等を一気に引き寄せた、アーティストのnico ito。2021年に「アンダーカバー」による“SueUNDERCOVER Meets Tokyo Millennials No.19”のアニメーションを手掛け、1月に発表された「グッチ」のバッグ“グッチ バンブー1947”のグローバルデジタルキャンペーンでは、唯一の日本人として作品を発表した。ファンタジーであったり、縦横無尽に変化を続けるキャラクターであったり、作品に登場するモチーフと世界観のバランスは、どのようにして生み出されるのか。活動の起点から、創作源、クリエイターとしてのあり方までを語ってもらった。

“モチーフ大喜利”の感覚で主役を決めてから奇妙な世界やストーリーを考える

−−Instagramを見る限り、2018年頃から作品を発表しているようですが、いつから本格的に取り組むようになりましたか?

nico ito(以下、nico):実はパンデミックが始まった2020年初め頃から本格的な活動をし始めたんです。2019年に武蔵野美術大学・空間演出デザイン学科を卒業してから、デザインのアルバイトをしていたのですが、2020年頭にパンデミックが起きてからやめることとなって。どうしようかなと悩みながらも時間はとにかくあったから、作品制作してInstagramにポストすることを繰り返しているうちに、ありがたいことに活動が広がっていきました。ある意味、パンデミックの期間があったからこそたどり着けたような気がします。

−−最近の作品ではメタモルフォーゼしたようなキャラクターが多く登場していますね。何かストーリーを想像しながら描いているのでしょうか?

nico:“モチーフ大喜利”みたいな感覚で、いつも主役になるモチーフを決めてから、その子をどういう奇妙な世界やストーリーに使っていくか考えることが多いです。もちろん違うやり方で制作を始めることもあるのですが。でも、作品を制作するからそういうふうに考え始めるようになったというよりも、小さい頃から一人遊びで空想はよくしていて。例えば、飴を色ごとに並べて「これは食べるとパニックになる」「これは食べるとハッピーになる」みたいな感じでいろいろ設定をつけて、実際に食べて再現する、という遊びを何度も繰り返していました。

−−ある意味モチーフ大喜利の原点ですね(笑)。

nico:さすがに大人になってからは、そういう遊びはしないですけど(笑)、発想の仕方は似ている気がします。

とにかく何かの設定づけが好きで、ゲームの攻略本に載っているキャラクターやアイテムの紹介のページが大好きでした。

−−例えば、この作品のストーリーについて教えてください。

nico:普段からネットで雑な画像をいろいろと収集している中で、ロボット犬の画像を拾ったことがきっかけでした。一般的にロボットはお利口に作られているわけですけど、その画像を見た時になぜか怖い印象を覚えて。その感覚から、もし人の手によって飼いならされたロボット犬が、街中に注意看板が出るほど暴走しちゃったら……と想像しながら制作したパーソナルワークです。最近の作品の中でも、お気に入りの1つです。

−−「グッチ」Instagramキャンペーンでは、どのような設定をイメージしていったのですか?

nico:バッグを描くことは決まっていたので、そこからストーリーを膨らませていって3作品それぞれの世界の中でバッグを「王様」として考えながら描きました。例えばアニメーションの作品は、ある世界での住民である青い球体達の中から、選ばれし1体がビームを受け「王様」であるバッグに変身するという、神聖なる儀式のワンシーンです。

−−目鼻がついたキャラクターや、どこか生き物らしい動きをするモチーフが主役ではあるようですが、彼らが生きる空間・世界観にも興味があるのかなと感じていました。

nico:そうですね。最終的にキャラクターがいてもいなくても、はっきりと可視化されていないそこに漂う空気みたいなものを表現したいなと思っています。

またまた昔の話になるのですが、幼少期に遊んでいた子ども向けお絵かきソフトで「キッドピクス」というのがあって。そのソフトの世界観がすごく好きなんです。言葉で表すのは難しいのですが、ポップながらもとにかく不穏で、それも狙っている感じではない。今思うと絶妙なバランスで、かなりイケていました。そのなんとも言えない不穏な雰囲気を表現できればなとずっと思っています。当時私が感じていた「楽しいんだけど、なんだか具合が悪い気がする」みたいな感覚を味わえるようなものを作りたいです。

また、時代感が読めないような雰囲気を強く意識するようになりました。私は3DCGを使用して制作しているのですが、その質感をそのまま使うと自然と今の時代の「新しい」印象になってしまうからこそ、あえてノイズを乗せることで消していってます。

「マイナーなアーティストの一番聞かれている曲みたいな存在でありたい」

−−質感も然りですが、Instagramで作品を発表していると良くも悪くもスピーディーに「新しさ」を求められるような気がします。アーティストとして、どのような立ち位置で活動していきたいですか?

nico:説明が難しいんですが……マイナーなアーティストの一番聞かれている曲みたいな存在でありたいです。そういう曲って、違和感がありつつもキャッチーな要素も程よくあるから人気で、どの時代であっても聴き直されます。そんな具合で、違和感があるということはもちろんですが、誰がどの時代に見ても「わかる」ということは大事にしていきたいです。

−−制作において、音楽から影響を受けることもあるのでしょうか?

nico:強い影響を受けてます。音楽を聴いている中で、勝手ながら「この曲にぴったりの作品を作りたいな」と思うことが多いので、それをプレイリストにまとめています。ジャンルはわりとバラバラですが、自分の中では何か一貫性がある気がしています。このプレイリストは、2021年に開催した個展でもかけていました。

−−個展で発表した作品は、またコマーシャルワークとは違う発想だったのでしょうか?デスクトップ上で描いているものをアナログで見せることの違いもあったのかなと。

nico:個展で発表した作品の大半は、パンデミックになってから作りためていたものでした。コマーシャルワークと比べて特に制限もないので、まず何も考えずにBlender内に置いた球体を粘土をこねるように、いろいろとカーソルで引き延ばしてつくっていくことが多かったですね。おもしろい形ができたら、ちょっと目を足したり調節してキャラクターっぽくしたり。その個展では、プリントと映像の作品のみでしたが、今後は立体作品でも発表したいなと思ってます。

−−今後は、どのようなことに挑戦してみたいですか?

nico:やりたいことはたくさんあるんですが……今はとにかくお仕事を頑張っていきます。そして変わらずパーソナルワークも制作して、いつかまた展示もできたらなと考えています。前回はつくることで精一杯だったので、次は自分が考えるキャラクター設定やストーリーまでちゃんと伝えられるような方法で発表したいです。

nico ito

nico ito
1996年東京生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科を卒業後、
フリーランスのイラストレーターとして幅広く活動中。
空想の世界を描き続けている。
Instagram:@nicooos_n
Twitter : @nicooos_n

Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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「imma天」から考える、バーチャルヒューマンを取り巻く時代の変化や思想 代表・守屋貴行インタビュー https://tokion.jp/2021/08/29/immaten-takayuki-moriya/ Sun, 29 Aug 2021 02:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=55880 展覧会「imma天」が9月2日まで開催中。バーチャルヒューマン企業Awwの代表・守屋貴行に、「imma天」の開催経緯やimmaの制作前に感じていた時代の変化などについて話を聞いた。

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2018年に突如登場した、ピンクのボブヘアが特徴のバーチャルヒューマン、imma。国籍や経歴などは一切明かされていない謎多き存在ながら、8月29日現在のInstagramフォロワー数は34万を超えており、国内外のファッションブランドや企業とも協業している。

そんなimmaをテーマにした展覧会「imma天」が、東京・渋谷の「ディーゼルアートギャラリー」で9月2日まで開催中だ(展覧会の公式サイトではヴァーチャルツアーも行っている)。本展では、アートユニットskydiving magazineとしても活躍するアーティスト村田実莉が会場構成とビジュアルディレクションを手掛ける。その空間に、YOSHIROTTEN、河村康輔、吉田ユニ、トキ、Jun Inagawa、キム・ソンヘ、Riyoo Kim、Amazing JIRO、岸裕真、MASAKO.Y、山田晋也、Kanatan、上岡拓也の計13組のアーティストが、immaを題材に制作したペインティングや写真、映像といったさまざまな作品を展示している。

今回は、immaを生み出したAwwの代表・守屋貴行に、本展を起点として、バーチャルヒューマンを生み出す際に感じていた時代の変化、ものづくりにおけるコンテクストへの価値付けなどについて話を聞いた。

日本のアニミズムとバーチャルヒューマンの関係

――「imma天」で掲げているステートメントの中で、「信じられるものこそ真実」という言葉が印象的でした。ある人にとっては、その存在がimmaのようなバーチャルなものだと思うのですが、本展開催にあたってリサーチした中で、過去に似たような存在や時代のムードはありましたか?

守屋貴行(以下、守屋):1970年代の雰囲気が近いのかなと思います。特にヒッピー文化のような、社会全体が中央集権にどこか諦めを感じ始め、その代わり人それぞれ信じる対象がいて、その対象が発するメッセージをコミュニティとして伝播させていくような光景。例えば歴史上の人物で言えば、それがイエス・キリストや聖徳太子だっただろうし、近現代で言えば、初音ミクやキズナアイ、実在のアイドルもそうだと思うし、immaも同じく。ある意味、偶像崇拝に近いですよね。

――バーチャルヒューマンという存在を信じるということも、ある意味偶像崇拝ですもんね。

守屋:そうですね。それに日本のアニメにも偶像崇拝に近い力があるんじゃないかなと考えていて。もともと日本には、あらゆるものに生命が宿るというアニミズムの考えが根底にありますよね。その考えがアニメの作り方としても表れていて、自分の描いたイラストにも命を宿らせてストーリーをつくっていってると思うんです。そしてオーディエンスは、そこに登場する生き生きとしたキャラクターを崇拝して、さまざまな気持ちを抱く。バーチャルヒューマンもある意味、日本のコンテクストと親和性があるものだと思います。

――日本独自のコンテクストを前提に置きつつ、immaのSNSフォロワーのほとんどは海外の人。immaを題材に本展では多種多様の作品が発表されましたが、作家選定で意識したことはありますか?

守屋:もともと展覧会の構想初期段階では、訪日外国人向けの見せ方を行おうとしていました。実際、パンデミックで海外からの移動が難しくなってしまったので、現在はマーターポート(360度撮影し、3Dデータを作成できるカメラ)を通して世界各国からオンライン上で作品を見せていますが……。そういった初期の狙いから、作家選定も国外を意識しています。例えば、晋也くん(山田晋也)は抽象画も描くのですが、本展で展示したような日本古来の掛け軸にアニメのキャラクターを描く作品で海外からもすでに評価を受けている作家です。他にも、MASAKO(MASAKO.Y)も同じく、日本古来のコンテクストをコラージュ作品として描いています。一方で、JUNくん(JUN INAGAWA)のような日本の漫画やアニメを描く人にも参加してもらうことで、immaを通して多種多様な新進気鋭の国内の作家達を海外に知ってもらおうという狙いもありました。

――「imma天」で作品を観た感想や、immaに関して新たな発見などがあれば教えてください。

守屋:会場ディレクションをお願いした(村田)実莉ちゃんもそうですが、作家1人ひとりにも自分が思うimmaを創造してもらいました。物理的には存在しないimmaでも、やはり彼らの中で存在するimmaには共通点があって、それが全体の展示会の雰囲気につながったと思います。前も言ったように日本のコンテキスト、掛け軸やアニメなど、を扱っている作品が多くあったと思いますが、immaという存在は現代の共感を何かしら感じられる存在でもあって、その先に、日本のものづくりやカルチャーを世界に発信できる媒体でもあると、もう一度思わされた展示でした。

“個”の成長と、その先の“コミュニティの時代”

――2018年にimmaが誕生したわけですが、その背景には“個”のメディアが成長したことがあったと思います。守屋さんはいつ頃から“個”の力が強くなっていくことを予想していましたか?

守屋:自分が映像のプロデューサーとして働いていた2005年前後から、体感として従来のメディア構造に何か変化が起きることは感じてました。それまで映像プロダクションの構造としては、1人のプロデューサーごとにノルマがあって、その中でできるだけ原価を抑えて、いいクリエイティブを広告に打ち出していくやり方が主流でした。でも、実際肌感覚としては、当時から僕自身もテレビよりもスマホなどを観るようになっていて、そうなると宣伝費を出している代理店側も、テレビだけではなく他のメディアにも費用を分配していくことになるなと。そうなった時に、従来の映像プロダクションの規模感では見合わないコストになってきて、優秀なプロデューサーほど個々で作品のクオリティを判断できるBtoC向け、つまりSNSを通して自分の作品を発信していく時代になると思ったんですよね。

――そうした時に、発信者も“個”の意見や特徴を持った人が増えていくと。

守屋:そうですね。でも、僕自身はもう“個の時代”という言葉は使いたくなくて。今は“コミュニティの時代」”だなと思ってます。

――というと?

守屋:“個”の力が強くなったことで、その対象をフォローしているコミュニティだけでビジネスを生み出すこともできるということです。例えば、1〜2万のフォロワーがただ単に画面越しに見ているという距離ではなくファンとして応援している場合、1コンテンツに対して各自が月に500円を払うだけで、その対象の生活は成り立ちますよね。両者ともに熱量の純度が高い状態であれば、それ以上規模やフォロワーを大きく広げる必要もないんです。実際若年層には、多種多様なコミュニティに分散して、自分達がやりたいことをやって生きていっている人も多いですよね。クリエイターにとっては、満足度の高いものづくりや意見をアウトプットしやすい世の中になってきたなと思います。

――その一方で、日本の従来の社会構造や教育方法と、近年の表舞台で自由に発言することへの肯定感が矛盾をはらんでいるということも言われています。いきなり意見を発表することを肯定されても、なかなか教育上そうは身に付いていないというか。

守屋:例えば、大企業で日々一生懸命仕事をしているけど、家に帰っていざYouTubeやTiktokを開くと無数に華やかに見える世界があって自分自身の立場に葛藤する人もいますよね。そういう人をケアする環境も作るべきだとは思います。ものづくりにおいて言えば、ここ数年間で時間の概念が「価値」に影響をかなりもたらしたなと感じます。ただ、メインストリームでは、スピーディーにあらゆるコンテンツが同時多発的に生まれていて賑わっているように見えるけど、実際、速さでモノの価値に優劣が付いているわけじゃないと思うんです。全員が全員、スピーディーにコンテンツをあげることを目指す必要ないんじゃないかなと。

ものづくりにおけるコンテクストへの価値付け

――ものづくりの世界は特にそうですよね。瞬間的にわかりやすくヒットするものもあれば、長い時間コンテクストや作り込みを考えてかたちにするものもある。どちらも大切にしつつ、現代においては両者をミックスしたものづくりも成立しそうですよね。

守屋:例えば、10年単位で新しいプロダクトを開発するプロジェクトがあってもいいと思うんです。それで、プロジェクトに関わるすべての人とプロセスをちゃんとYoutubeやSNSでうまく紹介していく。そういった包括的なケアの仕方を大企業も取り入れていってほしいと理想では想像しつつ、片一方でそのようなアイディアを前向きに取り入れる社長がこの国にも増えるといいなとも感じます。コンテンツの肝となるものづくりは、長年の経験値を持った方に任せて、最後のアウトプット先を若年層の感度に任せるといったようなイメージを描いて、更新していく未来図が広がっていってほしいと思います。

――そういったじっくりと構成したものをデジタル上にアップロードすることは、immaの今後の取り組みでもあり得るのでしょうか?

守屋:今後は、NFTでの発表を考えています。NFTは一見するとただ単にデジタル上でデータをアップロードすればいいだけに見えるんですけど、実際に触ってみると、ことは複雑。コンテクストと戦略をしっかり練ることで、逆にそこに価値を付けられるゲーム的な世界だと思います。そういう意味では「価値基準」がいかようにも変わっていく世界であり、個人的にはかなりおもしろみを感じています。例えば、近年スニーカーが高騰していたのも、実際オーディエンスの欲求は履きたいというよりも所有して飾りたいという気持ちが強かったからですよね。その所有欲に対してうまく「価値付け」が合致した例だと思いますし、それはNFTにも言える考え方だと感じています。実態があるようでないような、でもそこに価値があると信じられるほどのコンテクストがそこには潜んでいる。ある意味、「信じられるものこそ真実」といったことにも通ずるように思います。

守屋 貴行(もりや たかゆき)
株式会社Aww 代表取締役兼株式会社NION代表取締役。大手プロダクションで企業コマーシャルやMusicVideoの制作を手掛けたのち、マッチングサービス『Paris』を運営する株式会社エウレカに参画。その後、新しい映像ビジネスを構築するため2016年に株式会社NIONを設立し、自身主催のプロジェクトも複数開催する。2019年に、日本初のバーチャルヒューマンカンパニー株式会社Awwを設立。immaなどバーチャルヒューマンのプロデュースや開発を手掛ける他、現在はXR領域やバーチャルファッションなどに関連するビジネス展開、パートナーシップも積極的に⾏っている。2020年、「WWDジャパン」主催の「NEXT LEADERS 2020」に選出された。

■imma天
会期:5月22日〜9月2日
会場:DIESEL ART GALLERY
住所:東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti DIESEL SHIBUYA 地下1階
時間:11:30〜20:00
入場料:無料

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連載「時の音」Vol.13 「アンブッシュ®」デザイナー・YOON 観察し未来を想像する これから大切になってくる観察力と考える力とは https://tokion.jp/2021/06/18/tokinooto-vol13-yoon/ Fri, 18 Jun 2021 06:00:16 +0000 https://tokion.jp/?p=37490 ファッションにおけるビジネスやシステムへのアプローチが過度期の今、YOONが考える2年先の未来とは。

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その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に、今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は、ナイキやモエ・エ・シャンドンといったグローバル企業とのコラボレーションや「ディオール オム」のジュエリーデザイナーを手掛ける「アンブッシュ®」デザイナーのYOONが登場。近年、独学のファッションデザイナーたちが数々のステレオタイプを打ち壊していく中、彼女は社会学的な視点から未来を想像した表現とメッセージを力強く発信している。そのメッセージが世界中に共鳴として広がる所以はなんなのか?

それは取材を進めていく中で見えてきた、彼女が常に自身に向き合い、考え、更新しつづけようとする姿勢にあらわれている。そしてその日々磨かれる洞察力は、ファッション、街、人、社会にも向けられ、その先に現実味を帯びた未来への想像力がある。アメリカから東京へ拠点を移した8年前の景色やコミュニティの変容を思い返しながら、これからの時代に必要となる「考える力」について紐解いていく。

ルーティンを見つめ直し、それまでの自分の視点と異なる角度から物事を見るように

――ここ数年、ますますグローバルに活躍する姿をたくさん拝見するようになりました。「アンブッシュ®」のブランドとともに、YOONさんの優しさを持った強いメッセージが多くの人々の共感を呼んでいるように感じます。ちょっと変な質問かもしれないのですが、不安になったり、悩んだりすることってあるのでしょうか?

YOON : ありますよ。人間だから、もちろん(笑)。ずっとアウトプットをし続ける職業なので、アイディアがスッと出てこなくて悩む時もあります。でも、ブランドを立ち上げてから13年経った最近になって、そんな時は一旦考えることをやめて、違う視点や環境に身を置いてみるようにしました。そうすることで、プレッシャーから解放されて、自然とアイディアがどんどん出てくるようになったんです。前までは、アイディアが出ない自分にフラストレーションを感じながら、それでもデスクに向かっていたんですけどね。

――パンデミック後に海外へなかなか行けない中、そういうリラックスした状態に持っていくにはどのようなことをされていますか?

YOON : 最近、自転車を買ったことが大きいですね。渋谷の小道を自転車で探検して、仕事脳から一旦離れられるようになりました。それまでは、自宅からオフィスまで同じルートで歩いてたけど、パンデミック後に少し余裕ができてから、東京の新しい景色や場所を探してみようと思って。直感的に興味のままに動いて、純喫茶やおいしいご飯屋に出会うサプライズが楽しいですね。

――とはいえ、YOONさんは余暇だけではなく勉強の時間も大切にしていますよね。ステイホーム中は、ビジネスのオンラインクラスを受けたりしていたそうですが、最近勉強していることはありますか?

YOON : カメラについて勉強し始めました。これも始めた動機が、自転車と似ているんですけど、自分のルーティンを見つめ直したら、1つのことにすぐ飽きてしまう自分がいて。半年おきに変わるファッションサイクルの中で仕事しているからこそでもあるんですが、身近なことに対してもそんな感覚を持っている自分がすごく嫌だなと感じたんです。そんな時に、自転車と同じくカメラは、今まで自分が持っていた視点と違う角度から物事を見れるようにしてくれました。あとは単純にガジェットが好きで、ハマったらすごくナードになっちゃう性格なんです(笑)。

どちらも同じ景色や環境だと感じていたものを自ら360度さまざまに見つめている。

YOON : 脳も視覚も言ったら筋肉と一緒で、トレーニングが大事だと思うんです。一方でカメラを触り始めてから改めて、人間の記憶力ってやっぱり機械の記録には敵わないなって思いますね。

個が強くなる次代には「考える力」を持つことが必要

――2013年にアメリカから東京へ移ってきたときの感覚って、どのようなものだったか覚えてますか?

YOON : 当時は、正直言語の壁もあって半分わからない、もう半分は好奇心のままさまざまなことに刺激を受けていました。例えばファッションだと、日本では、モードとカルチャーの間にグレーゾーンが存在しますよね。それってアメリカだとファッション雑誌を見てわかる通り、モードの世界以外が存在しない。もちろん、カルチャーから生まれたファッションもあるけど、それは本当に場所に根付いたものだから現地ではあたりまえのものとしてある。だけど、日本はインポートされたカルチャーに対して、過剰な想像で組み上げて、独特のミュータントみたいなルックをつくりあげていく。当時は、雑誌「Relax」や「Boon」、ショップ「キタコレビル」からそういう独自のオタク的なロマンスを感じていました。だからこそ海外から日本に来た人達はインスパイアされて、もう一度再構築していくんじゃないでしょうか。

――オリジナルから刺激を受けて、自分達なりの新しいクリーチャーをつくっては、それが海外から見ると新鮮に映る。そういう人達が集まっていたシーンは、どこにあったと思いますか?

YOON : 南青山のクラブラウンジ「ル バロン ド パリ」ですね。あの場所は、すごく大切だったと思うんです。なぜかというと休日も平日も関係なく、世代を超えてさまざまな人達がフラットに混ざりあえていたから。そこで楽しく遊んで仲良くなってから、いつの間にか仕事につながってたりすることもあったし、のちにできた「トランプルーム」も然り。クラブカルチャーの大事なところって、そこなんですよね。

――パンデミック後ということもありますが、なかなかそういう偶然の出会いが生まれにくくなったような気はします。Instagramもある意味、偶然の出会いを呼び起こす可能性は秘めているけど、あくまでもフィルターを一個挟んでから対面するので、また違いますよね

YOON : どちらが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、Instagramが普及する前のクラブシーンでは、エクストリームなことがたくさん起きていた気がします。自分自身の見せ方もそうだったと思う。いまは部屋であろうとクラブであろうと「自撮りしてアップ」できるけど、当時は「撮られる」時代だったので、とにかくみんなクラブに行くってなったら、どれだけ派手にできるかが勝負でしたね。

――そういう状況って言い換えると、場所に付随した「その場所らしい」コミュニティみたいなカテゴライズがなくなってきているなとも思っていて。もっと細分化されていて、あらゆる場所でも個人の意思が尊重できるような時代なのかなと。

YOON : そうですね。これからの未来、もっとインディビジュアルになっていくと思います。今も通貨で言えば、中央集権的だったものが、コントロールから外れて1人ひとりが作れるようになりましたよね。そういうふうに個々人に力がある時代だからこそ、もっともっと個人が強くなって「考える力」を持たないといけないと思います。

――リアルとバーチャル世界の両方を手にする時代だからこそ、「考える力」がより必要になってきますよね。

YOON :近い将来、本当にマトリックスの世界みたいにリアルとバーチャルのラインがぼやけてくると思うんです。そうなった時に今SNSを通して見える世界は、あくまでもアルゴリズムによって、プログラムされているものだってことをちゃんと意識しておく必要がある。なぜかというと、最終的にネットの画面で見ているものを自分の中ではっきり正しいか否か考えて、行動しなきゃいけないから。もちろんテクノロジーやネットの進化で、新たなカルチャーや動きが生まれているので、私自身はリアルもバーチャルもどちらの良さも感じながら生きていたいと思います。だからこそ、まるでプログラムに洗脳されたゾンビのように、考える力を失いつつある人間像に懐疑的になるんです。

――これも先ほどおっしゃっていたように脳も筋肉と同じで、日々の意識として得られるものですよね。おそらく幼少期に受けた教育で思考方法も変わってくるんじゃないかなと。

YOON :これから人と違ってもいいから好きに考えて、というやり方に抵抗がない/ある人に分かれてくると思います。日本の教育方法は、どこか“reject”されることを怖がってしまって自分の意見が言えない環境をつくってしまっているような気がしていて。せっかく、こんなにカルチャーの歴史や熱量があるのにもったいないなと感じるんです。特に日本は2021年の段階で平均年齢が49歳、2025年の段階で50歳になる。そうなるとこれ以上大きなシステムが急に変わることは難しいと思っていて。その中でこれからの未来を担っていく人達には、周りの目線を気にすることなく、自分なりの考えをポリシーとして生きていってほしいです。一旦携帯から離れて、読書をしたり、自発的に勉強することで、自分個人で判断できる力を持ってほしい。

さまざまなノイズに埋もれないように、自分のメッセージをより強く伝える

――「アンブッシュ®」としては、今後何が一番力になってくると思いますか?

YOON : もちろんビジネスが成り立つことを前提としていますが、自分達のメッセージや描きたいビジュアルをさらに強く発信することですね。2015年前後から、ハイブランドもファストファッションも影響力が大きくなってきて、そうすると「アンブッシュ®」みたいにその中間地点にいるブランドの需要が狭くなってくる。プラスして、ファッション以外にもさまざまなノイズが日々起きている中で埋もれないように、自分達のメッセージをより強く伝えていく必要があると思ってます。

――近年、ファッションのシステムへのアプローチもブランドによってさまざまに分かれ始めてますよね。

YOON : ブランドの規模と拠点次第ですよね。「アンブッシュ®」の場合は、パンデミックが起きる前からいつも2年先のことまでグローバル規模でプランが決まってました。なので、今フィジカルでファッションウィークには行けないけど、そういうふうにグローバル規模で動くバイイングのリズムには、パンデミック前から慣れていってよかったなと改めて感じました。あとは、ブランドのコンセプト次第なので、どちらが正しいという話ではないのですが、オンラインショップを持っているかどうかでも大きな影響があったと思います。

――どのようにこれからの未来図を想像していますか?

YOON : まず、いつもリアリティを考えるときに、あくまでも自分から見ている世界と実際に起きている世界は、別ものだと意識してます。自分の視野の広さ次第で、実際起きていることの全体を見ているか、一部しか見ていないかが変わってくるじゃないですか。でも逆に、こんな宇宙の中のちっぽけな地球の中で、私達が生きているというリアリティも感じなきゃいけないと思っていて。そう考えると、小さな惑星の中でも1人ひとりの意味が生まれていることにすごく感動します。もしかしたら近い将来、食料や災害などの関係でジェフ・ベゾスやイーロン・マスクが実践している通りに、みんなで月に行く可能性もある。まだその実現性なんて私にはわからなけど、いつかそうなった時に、地球というジャングルの中でクリエイティブなメッセージを伝えていたことの大切さを忘れたくないなと思ってます。

YOON
韓国生まれ、アメリカ育ち。大学時代からのパートナーであるVERBALとともに「アンブッシュ®」を2008年にスタート。2017年にはLVMHプライズのファイナリストに選出される。2019年春夏から「ディオールオム」のジュエリーディレクターも務める。

Photography Steve Gaudin
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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デザイナー八木華が語る、「ファッションの可能性」と「葛藤を原動力とした次なる挑戦」 https://tokion.jp/2021/05/05/hana-yagi-fragments/ Wed, 05 May 2021 06:00:47 +0000 https://tokion.jp/?p=31639 世界から注目を集めるファッションデザイナー・八木華。ファッションへの思いとそこにある葛藤、そして次なる挑戦について。

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21歳、ファッションデザイナー・八木華。19歳の時に欧州最大のファッションコンペ「ITS(International Talent Support)」ファッション部門に最年少ファイナリストとして選ばれた。板金職人の父親の存在や幼い頃から伝統的なものづくりと隣り合わせで育ってきた彼女は、あらゆるバックグラウンドをもった古布を新たなかたちで現代に生き返らせる。それはただ単にサステナブルやリメイクといった話に留まることなく、ファッションの可能性をより一層広げたいという彼女の強い意志があらわれているのだ。

ITSに応募する前の高校時代に抱いていた美術とファッションの世界への憧れ、そしていざファッションの世界を選び取り活動する中で感じる葛藤、その葛藤を原動力に描く大きなビジョンまで話を聞いた。

美術からファッションへ

——幼い頃からものをつくることに親しみのある環境で育ったそうですね。そこから美術高校に通い、平面作品を扱うところから、ファッションの世界に興味をもったきっかけはなんだったのでしょうか?

八木華(以下、八木):高校の卒業制作でリサーチを進めていく中で、初めて自分が惹かれるものはファッションなんだって自覚したことですね。それまでは無意識的に自分は美術の世界に進まなきゃって思い込んでいて。デザイン科でグラフィックデザインの勉強をしていたんですが、一方で一般の美術展に行くにつれて、どこか現代美術の世界への憧れを感じていたんです。でも卒業制作の時に、いざリサーチを深めていくと自然とファッションの写真をたくさん集めている自分がいて。

——高校の卒業制作では、実際に服の展示を行ったのでしょうか?

八木:いえ、結局立体作品を発表しました。リサーチする中で、自分の進みたい道を見つけられたけど、ファッションを本当に好きと言えたのは、「ここのがっこう」に入ってからです。それまでは、10代から周りに絵画に向き合う子や絵を描くのが本当に上手な子がいたからこそ、みんなの前でファッションの道に進むって宣言しづらかったですね。美術に向いてなかったからファッションに進んだって思われるんじゃないかと考えてしまっていて。

——それでも学校外の場所として、高校2年生の時に応募した装苑賞ではファイナリストに選ばれて、ショーを発表していましたよね。以前、あるインタビューで美術とファッションの間で揺れ動く当時に制作した作品と今の服の作品をどうつなげられるか考えているとおっしゃっていました。

八木:当時はやっぱり本当にやりたいものって一体なんなのかすぐに答えが出なかったですね。そこからとにかく実行してみようと応募した装苑賞では、一通りファッションショーの現場と達成感を感じることできました。美術とファッションの間で揺れていた時の大きなきっかけになりました。

でも、美術に関してはまだ不完全燃焼な気がして、このまま本気で作らなかったらそれはそれで諦めになっちゃうなと思ってました。そこで高校卒業後、自分として美術の道がしっくりくるかどうか確かめたくて、「1_WALL」に立体作品で応募したんです。結果としては、滋賀県立美術館ディレクターの保坂健二朗さんから賞をいただいて。でも当時の作品で「がんばってね」と言っていただいたのに、結局いま違うものをつくってる自分にも一方で責任も感じています。決してその当時の自分から目を背けるわけではなく、今後当時の作品と今の服の作品を融合したかたちで、保坂さんにもう一度見ていただきたいです。

ルーツを掘り下げることで、
ITSのファイナリストにつながった

——その後、本格的に「ここのがっこう」でファッションの勉強をして、2019年に国際ファッションコンテスト「ITS」で最年少ファイナリストに選ばれましたよね。板金職人の父親の存在や幼い頃から身近にあった伝統的な板金の手法など自身のルーツとして「修復(Repair)」をテーマに掲げ、マテリアルとしても「金継ぎ」「陶器」、そして「ぼろ」を扱っていました。それまでも自身のルーツにつながる作品を発表していましたか?

八木:「ここのがっこう」に入って、初めて自分のルーツを掘り下げるというつくり方を教わりました。だから高校生の時は、ビジュアルとしては自分の好みに合っているけど、実感が伴わない感覚も一方でありましたね。

ITSに向けて、まずは自分のルーツを掘り下げていくところから始めて、そこから素材を探してみて、「漆」「金継ぎ」の要素を見つけていきました。「ぼろ」を扱うようになったのは、実はITSのポートフォリオを作り終えてファイナリストとして通過のお知らせが来てからなんです。それ以前に、「ここのがっこう」のレクチャーコースで「アミューズミュージアム」に行って、「ぼろ」の歴史や実物を目の前に説明を聞く機会があったのですが、実物を見たからこそいかに繊細なもので、実際に現代でかたちにする時にレプリカではなく、どのように新しいものとして発表するか慎重に考える時期があって。でも、ファイナリスト通過のお知らせが来てから、ここは一層悩んで中途半端につくるよりも悔いなく真剣に向き合おうと思って制作しました。

——実際にここ数年で制作や国内外での発表を通して、美術の世界とファッションの世界で感じたことはありますか?

八木:個人的には、美術とファッションを分けて考えるのはあまり好きじゃないのですが、「二次創作」が連鎖するのは、ファッションならではのおもしろさだと思います。もともと漫画における「二次創作」の現象が好きなのですが、ファッションも同じくスタイリストやフォトグラファーの手によって、服という元の素材からさまざまな表情がつくられていきますよね。美術作品だと、インスタレーションやパフォーマンスは別として、完成したら作家以外の手でアレンジすることはできない。でもファッションは、完成後に自分の手から離れて服が何度も更新されていく。いろんな人の手によって変化していく、その一連の現象に楽しさを感じてます。

——逆に矛盾や葛藤を覚えることは?

八木:つくり手側として、ファッションを肌感覚では好きでありつつも、一方で制作する中で伝えられるメッセージの限界も感じています。でも、それは決してネガティブなことではなくて、限界を感じる葛藤があるからこそ、客観的な目線でものづくりに向き合えているような気がします。ファッションの力に頼りすぎると視野が狭くなってしまうし、むしろファッションって自分の表現したいことに合ってるのかなとずっと葛藤することが原動力になって、自分自身の表現の幅に挑戦できています。

――ITSの後に新たな発表の場となった「KUMA EXHIBITION 2021」で展示した新作のドレスについて教えてください。

八木:今回もITSの時と同じく、さまざまなルーツをもった生地でかたちにしています。今作は処分市に大量にあったウエディングドレスや晴れ着の生地を何層にも重ねていて。晴れ着は古着と違って、どんなに繊細な刺繍や模様が描かれていたとしても、ちょっとでも汚れがつくと処分されてしまうんです。処分市に行った時に、役割を終えた晴れ着が幽霊のように見える空間がそこには広がっているように感じて、その印象を服で表現しました。すでに汚れている生地にさらに自分で染料をかけることで、過去の状態に戻すのではなく未来の方に更新するようなイメージを広げていきました。

映像による新たなアプローチ

——次なる発表として、妹さんと一緒にアニメーション映像制作をしていると以前お伺いしましたが、現在どのような制作フェーズに入ってますか?

八木:アニメーションの制作は妹がメインですが、撮影が5月から始まって、そこに向けてコマ撮りで使う人形とミニチュアの服が完成したところです。あとはミニチュアのデザインを等身大サイズで立体に起こしていく作業を1年かけてやっていきます。すべて完成したら、映像祭に出展する予定です。

——パンデミック以降、物理的な理由でショーを中止する代わりに映像制作に取り組むブランドも多いですが、八木さんの映像制作はまたそれとは違ったアプローチですよね。

八木:さっきのファッションに感じる矛盾にもつながるんですが、妹と一緒に映像の制作をしていると、ファッションより映像表現のほうが自由度が高いように感じるんです。服よりもダイレクトにメッセージを伝えられたり、世界観を一からつくれたり、映像に登場する服以外にも人間の身体からデザインできたり。かといって、映像だけに頼ってしまうとそれもそれで狭くなってしまうので、今後もファッションと何かを掛け合わせることで表現の幅をどんどん広げていきたいと思ってます。

——制作中にさまざまな葛藤や喜びを感じる中で、これから拡張していきたいこととは?

八木:今後もさまざまなルーツを持った素材を使って、服の上でコラージュしていくつくり方を続けていきます。もちろんそれはある種サステナブルとも捉えられたり、古着のリメイクにも捉えられると思うんですけど、わたし個人としてはその古着が持つルーツやパワーをより更新するかたちで大きな世界観を発表していきたいです。

現実的にどんどん資源や経済が乏しくなってきていることに比例して、同世代の表現者の幅も限定的になってしまうのは違うと思っていて。いままで繊細なトピックを扱う時に、その当事者ではない自分が服で表現することに戸惑うこともありました。でも何度かそういうことに向き合う中で、いまは時間がかかっても失敗してもいいから、ちゃんと過去にも未来にも刺激を与える良い循環の一端を担いたいなと思います。限定的な視点で素材を扱うのではなく、困難な時代だからこそイメージは一層のこと大きく、そして人の心に残るようなものをつくり続けていきたいです。

八木華(やぎ・はな)
1999年東京都生まれ。都立総合芸術高校卒業後、「ここのがっこう」で学ぶ。2019年に欧州最大のファッションコンペ「International Talent Support」ファッション部門に最年少の19歳でノミネート。現在は、妹と組んで映像制作にも取り組んでいる。
Instagram:@hannah.yagi

■オンライン展示「KUMA EXHIBITION 2021」
会期:2021年4月27日〜5月31日
https://kuma-foundation.org/exhibition2021/

■個展「fragments」
会期:2021年4月22日~6月14日
会場:traffic 
住所:東京都目黒区自由が丘1-25-21 
時間:11:00~19:00 
休日:水曜、第1・第3火曜日

Photography Yoko Kusano

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「ファッションにおけるリアルとバーチャルの横断が生まれる時」 ZOZOテクノロジーズの藤嶋陽子に聞く https://tokion.jp/2021/03/23/yoko-fujishima-life-and-virtual-fashion/ Tue, 23 Mar 2021 06:00:54 +0000 https://tokion.jp/?p=24320 ファッションテックの可能性、バーチャルでのファッションの重要性について、ZOZOテクノロジーズの藤嶋陽子が考えるファッションの未来。

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ここ数年で「バーチャルファッション」「ファッションテック」という言葉が飛び交うようになった。ファッションにもテクノロジーが大きく影響を及ぼすとともに、リアルだけではなく、バーチャルでのファッションの重要性も高まっている。ファッションの未来を拡張させるものとは何か。現在はZOZOテクノロジーズでオウンドメディア「ZOZO FashionTechNews」を運営する藤嶋陽子に話を聞いた。

ファッションテックは異分野との結びつきが大切

——現在はZOZOテクノロジーズでオウンドメディア「ZOZO FashionTechNews」の運営をしていますよね。今までファッション×テクノロジーというと、どうしても新しい技術やサービスのローンチだけが一発花火のように注目される傾向にあったと思いますが、近年そこから変化は起きていますか?

藤嶋陽子(以下、藤嶋):そうですね。私自身は、2019年後半から「ZOZO FashionTechNews」に関わってるのですが、現在はサービスやプロダクトの概要や技術面だけでなく、それがどのようなカルチャーや領域にまで影響をもたらしているかを発信するようにしています。数年前までは、スマートウォッチやインタラクション性のある服がガジェットの機能の先進性で話題となりましたが、機能面で優れたものが次々と登場している現在、その先でどのように受け入れられていくか、浸透していくかまで語らないといけないと感じています。特に、最近は若手のファッションブランドでも積極的に先端的なテクノロジーを取り入れられる時代なので、さまざまな分野の方との議論を引き出して、より可能性を拡張するフェーズに入ってきていると思います。

——メディア以外にも実際にファッションテックを活用して、何か形にすることにも取り組んでいますか?

藤嶋:所属するチームで動いているものは、西陣織の老舗企業である「細尾」と東京大学大学院情報学環との共同研究開発ですね。機能面とテキスタイルの意匠の拡張を目指して3社で共同研究開発の事業を行っており、4月17日からは京都で成果展示が開催されます。私のポジションとしては、その研究開発のプロセスをドキュメンテーションして発信していくこと。どういうビジョンと背景があって、そこにどういったテキスタイルの未来の可能性があるのか、メンバーから引き出し、伝えていく役割として関わっています。

——よりファッションテックの可能性を広げていくためにプロセスを発信するんですね。

藤嶋:ファッションテックの分野だと、プレイヤーがファッション以外の領域に広がるからこそ、お互いに結びつくことの可能性をどんどん広めていかないといけないんですよね。FashionTechNewsも、そこのコラボレーションをより活発化させるためのネットワークのハブになると嬉しいなと思っています。

——先ほどの共同開発もしかり、ファッションテックは生産背景にどのような可能性を見出していると思いますか?

藤嶋:生産背景をより効率化していくために使うAIや機械の役割がわかりやすい話として上がりますが、それ以外にも伝統技術の継承や生産現場の環境改善にも可能性があると思っています。例えば、工場にAIを導入して効率化を目指す代わりに人の職を奪うかもしれないと言われることもありますが、長期的に考えると、過酷な労働環境や賃金改善につながる話かもしれない。そのあたりのファッションテックの融合のバランスは、どこか局所的に考えるというよりも、長い時間軸でのグローバルな規模の問題解決として考えられるべきなんじゃないかなと思います。

バーチャルファッションの可能性

——コロナ禍においては、コミュニケーションツールとしてのバーチャルファッションについての議論が盛んになっていましたよね。特に「あつまれどうぶつの森」は話題になり、最近では3Dアバターソーシャルサービス「ZEPETO(ゼペット)」と「グッチ」のコラボレーションもニュースになっていました。さまざまな形でオンラインコミュニケーションが普及したここ数年を経て、今後ファッションブランドとオンラインコミュニケーションの相性はどのように変化していくと思いますか?

藤嶋:私個人としては、Z世代に向けた新しいVMD的な手法として使われていくのかなと思います。マーケットに対してはスピーディーに反応できる有効な手段である一方、ハイブランド独自の価値を保つ距離感はまだまだ模索中ですよね。パブリックにひらけていて、なおかつ複製できるものだから、ファッションの希少性を帯びる価値付けに対してどのように考えていくかが今後の課題になるかなと感じています。もしかしたら、そもそもハイブランドとの相性がよくないのかもしれないけど、それでもまずはいろいろなコンテンツが出てくる中で最初に参入することが大事な時期なんだと思います。

——そういったゲームの中での没入体験を実際のリテールに応用しているECサイトとしては、スタイリングゲームアプリ「DREST(ドレスト)」がゲーム性も、SNS、ショッピングすべての要素を網羅していることから話題になっていましたよね。

藤嶋:そうですね。ECサイト「NET-A-PORTER(ネッタポルテ)」が発行する雑誌「PORTER(ポーター)」で経験を積んだルーシー・ヨーマンズがローンチしたということもあって、今まで雑誌やカタログベースにしていた二次元的なECサイトを一気に立体的にしてくれたアプリだと思います。「DREST」のおもしろいところは、家の中のクローゼットにあるものとアプリ内のクローゼットに入っているウィッシュリストを見比べながらショッピング体験ができること。バーチャル世界内で完結するクローゼットはゲームの世界でもあると思いますが、そこを越えて生活ツールとして普及する可能性を持てているのは、本当の意味でリアルとバーチャルをうまく横断する方法だなと感じます。

——バーチャル世界だけに完結せずに、実際のショッピング体験とは似ているけど、また違った体験ができる。

藤嶋:そういう意味では、実際にファッションブランドのほうからアプローチした「ハトラ」「クロマ」の試みは評価されるべきだと思います。「ハトラ」の場合は、ファッション専用の3Dモデルソフト「クロ(CLO)」の活用から始まり、実際にARデータをECサイトに載せる試みまで、そういった横断にいち早く取り組んでますよね。「クロマ」の場合は、服にとどまらず、ブランドの世界観をバーチャルストアでしっかり描く姿勢が伝わってきます。そういうふうにバーチャルの活用によってブランドの世界観をより広げていくことに国内ブランドとして先手を打ったというところでおもしろかったことだなと感じてます。

また、ZOZOテクノロジーズもバーチャルモデル“Drip”を公開してECでの購買体験をアップデートしていく構想を発表しています。少しずつ、私達の身の回りでも変化が起きていくのを楽しみにしています。

拡張するバーチャルファッションブランド

——国内では百貨店からアパレルまでバーチャルマーケットを活用している動きもありますが、実際に店舗で体験するような商品展開数やバーチャルならではの手軽さが見出せていないように感じます。

藤嶋:そこは現存のデバイス、携帯やPCなどの画面に私達の指先や視覚が慣れてしまっていて、「バーチャル」への想像との乖離がある部分かなと、個人的には思います。なので、一概にファッション単体で解決できる部分ではなくて。スマートグラスなど新しいデバイスの普及によって、ようやく体験が一般化するフェーズに移れるのかなと。

——一方で、バーチャル上でファッションブランドを立ち上げる動きも出ていますよね。バーチャルならではのクリエイティブな可能性を拡張しているブランドはありますか?

藤嶋:アメリカ拠点の「Happy 99」は、バーチャルから始めて実際にプロダクト化まで動いたブランドとして注目されています。もともとバーチャル特有のうねりや形を活かしたシューズを主に出していたんですが、そこからレディーガガやグライムスが注目し始めたことによって、実際に商品を実現した動きはおもしろかったです。バーチャルファッションブランドとしてくくられているわけではないですが、日本で言うと「MAGARIMONO」「Synflux」は一部でデジタルでのデザインプロセスを取り入れ、テクノロジーの活用を追求することで新しいものを生み出すという取り組みをしていますね。やっぱり服やモノって構造に対して従来のルールが決まっていて、当然ながらそこを越えていくクリエイティブの力も試されますよね。そういった従来のプロセスにも何かフィードバックを与えられる可能性が、バーチャルファッションブランドにあるんじゃないでしょうか。

——中には、写真映えするために買った服をすぐに捨てるサイクルを止めるというコンセプトのもと、サステナブルな方向につなぐバーチャルファッションブランドもいます。

藤嶋:今現在で言えば、まだ実際にバーチャルで画像を作る服のバリエーションが少ないため完全に代わりになるとは思えないですね。むしろ、今バーチャルファッションブランドが出始めたというタイミングということもあって、私達はバーチャルらしいツルツルとした質感や曲線などをフレッシュに感じているけど、もしかすると1年くらいのトレンドに終わってしまうかもしれない。そうすると、アプローチ自体が持続的ではなくなってしまうし、例えば今後オーガニックなテイストが流行った時、リアルな服以上のアプローチをどこに拡張できるのかなとは考えています。

——トレンドに沿った過剰消費を食い止めるという意識だけではなく、サステナブルという言葉の文字通り「循環するところ」まで考える上で、テクノロジーと同じようにファッションに新たな兆しを与えている分野はありますか?

藤嶋:個人的には、バイオファッションの動向に関心を持っています。やっぱり私達が服を買うこと自体はやめられないと思うし、そうなったらファッションの醍醐味すらも失ってしまうと思うんですよね。そうした時に大事なことって、罪悪感を持たずに新しい服を買える仕組み作りだと考えてます。例えば、水の汚染をいかに少なく染められるか、今まで燃えるゴミの日に出していた服を違う分類の仕方で捨てられるとか。すでにそういった研究や実践に取り組んでいるブランドや企業もあると思うのですが、その現象すらもトレンド化しすぎないように、もっと日常的なレベルで導入されていく未来に期待していきたいと思っています。

——今後のファッションの拡張をどのように想像していますか?

藤嶋:冒頭でも伝えた通り、表層的なコラボレーションの時代から、テクノロジーを服に活用したら何が起きるのか、どんな意味があるのかまで求められる時代になってきていると思います。例えばトランスフォーマーみたいに自由に変形する服が出ても目新しく感じなくなるかもしれないし。そうした時に大事なのは、形になったもので何ができるのか、その価値を発信すること、創造することだと思うんです。ファッション以外の人からすると、この業界ってかっこいい・かっこ悪いのセンスが飛び交っているように見えて入りにくいと思うんですけど、実際は服を着る側にもデザインする側にも作る側にもすべて裏側にはちゃんと理由がある。「新しい」という価値観すら揺らぐ今だからこそ、やっぱりもっとファッションと違う畑の人達が話し合い、形にしていくスペースが必要だと思います。

藤嶋陽子
ファッション研究者。ZOZOテクノロジーズ所属。東京大学学際情報学府博士過程・在籍。理化学研究所革新知能統合研究センターのパートタイム研究員兼務。大学入学後はシュルレアリスムに魅了されフランス文学を学んだ後、ロンドン芸術大学セントラルセントマーチンズでファッションデザインを学ぶ。帰国後はファッションにおける価値をつくるメカニズムに興味を持ち、研究としてファッションと向き合うように。主には日本のファッション産業史、ファッションミュージアムを研究。現在は、ファッション領域での人工知能普及をめぐる議論やファッションをめぐるテクノロジー論も主題としている。
https://tech.zozo.com
Twitter:@fjkdiet

Photography Hironori Sakunaga

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