天井潤之介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/junnosuke-amai/ Wed, 14 Feb 2024 02:34:45 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 天井潤之介, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/junnosuke-amai/ 32 32 デンマークと日本にルーツを持つ注目のシンガー・ソングライター、ミイナ・オカベが語る「小袋成彬とのコラボ」から「エイミー・ワインハウスからの影響」 https://tokion.jp/2024/02/14/interview-mina-okabe/ Wed, 14 Feb 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223989 昨年放送されたドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌「Flashback feat. Daichi Yamamoto」などで注目を集めたミイナ・オカベへのインタビュー。

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ミイナ・オカベ

ミイナ・オカベ(Mina Okabe)
デンマーク人の父親と日本人の母親を持ち、コペンハーゲンを拠点に活動するシンガー・ソングライター。2021年8月にデビュー・アルバム『Better Days』をリリース。アルバムの収録曲である「Every Second」が世界中でトレンドになった。2023年9月に『Better Days』の国内盤をリリース。2023年10月にフジテレビ系月9ドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌となった「Flashback feat. Daichi Yamamoto」をリリース。
https://www.universal-music.co.jp/mina-okabe/
Instagram:@minaokabesings
YouTube:@MinaOkabeSings

デンマークと日本にルーツを持ち、「Every Second」(2021年)のバイラルヒットをきっかけに世界中のリスナーから注目を浴びたシンガー・ソングライター、ミイナ・オカベ。映画監督のジェームズ・ガン(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ)も彼女のファンを公言する1人。昨年9月には「Local Green Festival’23」に出演し日本初となるライヴ・パフォーマンスを行ったことも記憶に新しい。

そんな彼女は、フジテレビ系月9ドラマ『ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~』の主題歌としても話題を集めた新曲「Flashback feat. Daichi Yamamoto」で初めての本格的な日本語でのヴォーカルを披露。小袋成彬をプロデューサーに迎えたサウンドはジャズやクラブ・ミュージックのフィーリングをまとい、「ドリーミーポップ」と彼女自ら呼ぶオーガニックで開放的なそれまでの楽曲とは異なるチルでアンニュイなムードを演出。そして、Daichi Yamamotoのフロウを伴い歌われる日本語のリリックがみずみずしい印象を残す――「Flashback」は「ミイナ・オカベ」というアーティストの新たな表情が引き出された1曲となった。

現在の活動拠点であるデンマークのコペンハーゲンをはじめ、ロンドンやニューヨーク、マニラなどさまざまな土地で幼い頃から暮らし、いろいろなアートやカルチャーに触れてきたという彼女。そうした環境の中で、ミイナ・オカベの音楽はどのようにして形作られてきたのだろうか。「Flashback」を入り口に、彼女のバックグラウンド、そしてこれからについて話を聞いた。

小袋成彬とのコラボレーション

——新曲の「Flashback feat. Daichi Yamamoto」はT Vドラマの主題歌ということで、これまでとは違った層にミイナさんの音楽を聴いてもらうきっかけになった曲だと思います。

ミイナ・オカベ(以下、ミイナ):私にとってフィードバックを実感できる方法の1つは、ライヴをすることなんです。昨年(2023年)の夏に「Local Green Festival’23」に出演して、その時はまだ「Flashback」がリリースされる前だったのですが、私の音楽を聴いてくれる人達の顔を見て、一緒に歌ってくれるファンと触れ合えたことはとてもエキサイティングな経験でした。それまで日本のリスナーに直接会ったことがなかったので。だから、もし来年ライヴをする機会があれば、「Flashback」で私の音楽に出会ってくれた、もっと多くの人達に会えるんじゃないかって楽しみにしています。

——本格的に日本語で歌うのは今回が初めてとのことですが、いかがでしたか。

ミイナ:少し緊張しました。日本語で、しかもTVドラマの主題歌を歌うということは、私にとってまったくなじみのないことだったので。月9のドラマ・シリーズで歌うというのは、日本ではとても大きなことなんだなって。スタジオで歌っている時は、フジテレビのスタッフやチームのみんな、この曲やドラマに関わるすべての人達に満足してもらえることを願っていました。「私の発音は大丈夫、問題ない」って思ってもらえるように(笑)。そう、だから緊張したし、同時にとても楽しみでもありました。私はずっと日本語で歌ってみたいと思っていたし、日本人の母とデンマーク人の父の子どもであることは、私の音楽において大きな部分を占めているから。なので、今回はとてもいい機会だったと思います。それに、みんなに(「Flashback」を)気に入ってもらえたようで嬉しいです。

——日本語で歌うというのもそうですが、今回の制作はこれまでとスタッフや環境も全く異なるチャレンジングなものだったと思います。

ミイナ:スタジオでは、この曲を手がけたプロデューサーの(小袋)成彬さんがZoomを通じて側にいてくれたことが本当に心強くて。レコーディングを始める前に彼に、「何かあったら言ってください」「発音が間違っていたら言ってください」ってお願いしたんです。日本語で歌うことに慣れていない私に対して彼は、辛抱強く、優しくサポートしてくれて、とてもいい経験になりました。準備する時間があまりなく、本当にあっという間の作業だったので、スタジオでは直感に従って、ただ流れに身を任せる感じでした。あまり考えすぎず、でもそれが結果的に良かったのかなって思います。

——小袋さんとの制作から学んだことは何かありましたか。

ミイナ:今回の経験全体を通じて、とても多くのことを学んだと思います。それは成彬さんとの作業に限ったことではなく、「Flashback」を制作するプロセス全部が、これまで音楽を作る時に試したどのプロセスとも違っていたので。これまでは自分が楽曲を完全にコントロールして、歌詞もメロディもすべて自分で書くし、プロデューサーの隣に座って、何が好きで何が嫌いかを伝えながら制作してきました。だから今回は、少し力を抜いて、成彬さんを信頼して、身を委ねてっていう、これまでとは違うけどとてもクールな経験になったと思います。なので、成彬さんが特にというわけではなく、すべてのプロセスから多くのことを学んだと思うし、新しいアプローチでスタッフと仕事をすることはとても刺激になりました。

——そうしてできあがった「Flashback」を聴いてみて、どんな印象を受けましたか。これまでのミイナさんの楽曲とは異なるテイストになったと思うのですが。

ミイナ:構成がとてもユニークで、とても面白いなって思いました。ふだん私が書く曲って、ヴァース・コーラス・ヴァースがあって、いわゆるポップスのフォルムをしたものが多いんです。でもこの曲には、まるで旅をしているような感覚があって。ピアノから始まって、とてもシンプルなんだけど、少しずつ楽器が重なっていって、Daichi(Yamamoto)のパートが続いて、そこからイントロにちょっと戻って……というふうに。その流れというものがとても新鮮でユニークだったので、初めてこの曲を聴いた時は驚いたし、とても興味深かったです。

エイミー・ワインハウスからの影響

——ミイナさんは両親の影響で小さい頃からいろいろな音楽に触れてこられたと聞きました。その中で、今のミイナ・オカベというアーティストを形作った音楽となると、どんなものを挙げることができますか。

ミイナ:生まれてから聴いた全ての音楽が私を形作ってきたと思います。なので、私の音楽や曲作りに直接影響を与えた曲やアーティストを見つけるのは難しいと思う。私はいろんな国で育ったので、いろんなタイプの音楽を聴くことができました。だから、何か特定のものからの影響があるってわけじゃなくて。

——じゃあ例えば、「この人の音楽に出会わなかったらミュージシャンになりたいと思わなかったかも?」というようなアーティストって誰かいましたか。

ミイナ:唯一と言えるようなアーティストはいないかな。でも、エイミー・ワインハウスは間違いなくその1人だと思う。彼女が私にインスピレーションを与えてくれた瞬間をはっきりと覚えているんです。高校生の時にあるプロジェクトがあって、そこでエイミー・ワインハウスについて調べて、彼女の音楽を分析して論文を書くみたいなことがあって。あるトーク・ショーで、彼女がギター1本で歌うパフォーマンスを観たのを覚えています。通常、そのトーク・ショーで披露されるパフォーマンスって、バンドやダンサーを従えた大掛かりで派手なものだったのだけど、でも彼女のパフォーマンスを観て、「私もこんなことをやってみたい!」って思ったんです。

彼女の歌やパフォーマンスには誠実さが感じられて、その姿にとてもインスパイアされました。自信に満ち溢れていて、とてもユニークな歌声だけど、堂々と歌っている姿が本当にかっこよくて。それまでの私は、例えば『X Factor』で観たビヨンセのパフォーマンスのように、歌ったり踊ったり、一度にいくつものことをこなすような大掛かりなものが“パフォーマンス”だと思っていたので。だからエイミーを観た時のインパクトはとても大きかったし、あれが自分の求めるパフォーマンスなんだって思ったんです。

——ミイナさんもシンガー・ソングライターですが、エイミー・ワインハウスはリリックにも共感したり刺激を受けるところがあったのではないでしょうか。

ミイナ:もちろん。私が曲を書く時はいつもパーソナルな経験や感情を歌にしています。なので、ありのままの姿をさらけ出して見せてくれる彼女の歌詞にはとてもインスパイアされました。

——ちなみに、ミイナさんの音楽の「サウンド」についてはいかがですか。ミイナさんが“ドリーミーポップ”と呼ぶ、オーガニックで開放的なサウンドはどういったものや影響が下地になっているのでしょうか。

ミイナ:たくさんありますね。具体的な名前を挙げるなら、小さい頃に父がオアシスやザ・キュアーのレコードを家でかけていたのを覚えているし、リリー・アレンも大好きだったし、10歳か11歳の時はアヴリル・ラヴィーンの大ファンだった(笑)。それで大きくなってからは、さっきも言った通りエイミー・ワインハウス。だからポップ・ミュージックも聴くけど、高校に入った頃ぐらいからはソウル・シンガーも聴くようになって。

それと、フィリピンで暮らしていた時はインターナショナル・スクールで合唱団に参加していて、そこではいろんな音楽をいろんな言語で歌いました。タガログ語の歌や中国語の歌、スペイン語の歌を歌ったし、妹は南アフリカ語の歌をクラスで歌っていました。そうすることでいろんな種類の音楽を知ることができたし、だから私の場合、インスピレーションを与えてくれた特定のものを見つけるのが難しいんだと思います。それに、いろんなものから何らかの形で影響を受けているのはいいことだと思うし。

日本をルーツに持つこと

——そうしたさまざまな音楽や文化に触れる機会に溢れていた環境の中で、ミイナさんが親しんできた日本のカルチャーやアートとなるとどんなものがありますか。

ミイナ:私にとって、例えば日本の音楽は“ノスタルジック”な気持ちにさせてくれるものなんです。母が宇多田ヒカルやレミオロメンの曲を家でかけていて。「Automatic」や「First Love」、「Flavor Of Life」、それに「粉雪」……だからそうした曲を聴くとスゴクナツカシイ(笑)。

——今回「Flashback」で日本語での歌唱に挑戦したということで、日本の音楽との向き合い方にも変化が生まれたところもあったりするのではないでしょうか。

ミイナ:そうですね。最近、自分が聴いて育ってきた音楽以外の日本の音楽も聴くようになって。例えば、母にすすめられて聴いたaikoの「カブトムシ」は大好きだし、あとVaundyや優里とか、日本の新しいアーティストの曲もよく聴いています。それとDaichiと出会って、彼の音楽を聴いた時、初めて“日本語の歌詞を聴いた”ような気がしたんです。

「Flashback」は私にとって初めてのフィーチャリング・ソングで、誰かと一緒に歌ったのも初めてでした。なので、自分の歌とDaichiの声が重なり合ったのを聴いた瞬間、これまでに感じたことのない感覚があって。それ自体が私にとって特別な経験で、サウンドもとてもクールで興味深かった。だから、たとえ私が作っているものと全くタイプの違った曲やアーティストだったとしても、そこからインスピレーションを得ることはできると思うんです。

——ここ数年、日本に限らずアジアにルーツをもつ若い世代のミュージシャンがグローバルに活躍していますが、それを見て刺激を受けるようなところはありますか。

ミイナ:そうですね。覚えているのは、私が初めて音楽をリリースするにあたってレーベルと話した時に、彼らに言ったことがあって。それは、デンマークのアーティストとして“だけ”見られたくはない。日本人のリスナー“だけ”に聴かれたり、イギリス人のリスナー“だけ”に聴かれるようにはなりたくはない。そうした何かの枠に押し込められるようなことはされたくない、って。私は“ここ”にいて、誠実な音楽を作るデンマーク人のアーティストとして認められたい。

私が若い頃は、共感できる人達や自分自身を重ね合わせることができる人達がいて、彼らを見て自分に自信を持つことができました。でも一方で、 欧米の音楽の世界には、自分がリスペクトしたり共感したりできるようなアジア系のアーティストがあまりいないのも事実で。だからできることなら、誰かのために(自分が)そうなりたいと思っています。自分のルーツがどこなのか悩んだり迷ったりしている人達にも、私の音楽を聴いて共感してもらいたい。それで自信を持ってもらえたり、音楽をやりたいと思ってくれたら嬉しい。

——例えば、同じようにアジアにルーツを持つミュージシャンに聞くと、そのことに誇りを感じたり、同じ立場の人々をエンパワーメントしたいと話してくれる人もいれば、逆に、カテゴライズされたり「代弁者」として意見を求められることに窮屈さを感じると訴える人もいて。ミイナさん自身は、そのあたりについて何か思うことはありますか。

ミイナ:そうですね……両方ともわかる気がします。でも、とても複雑な問題ですよね。例えば私の場合、言葉に関していうと、デンマークで暮らしていて、だけど基本的には英語で曲を書いていて。それは自分自身を表現するのに一番簡単な方法だからで、周りの多くの人はデンマーク語で曲を書いているのに、ね。そう、だからさっきの話と同じで、さまざまな影響が私を形作っているんだと思います。なので、「ミイナ・オカベ」という1人のアーティストとして見てもらえたら嬉しいです。ありのままの自分を見てもらえたらって。その上で、私はアジアのアーティストであり、デンマークのアーティストであることを誇りに思っています。

Photography Mayumi Hosokura

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スネイル・メイルが語る「映画出演」から「Jホラー」や「シティポップ 」の魅力、そして次作への手応え https://tokion.jp/2024/02/07/intervies-snail-mail/ Wed, 07 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=223520 2023年の年末に来日公演を行ったスネイル・メイルことリンジー・ジョーダンへのインタビュー。

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スネイル・メイル/リンジー・ジョーダン

スネイル・メイル(Snail Mail)
ボーカル / ギターを担当するリンジー・ジョーダンによって2015年に結成された。リンジーが16歳でリリースしたEP作品で注目を集め、2018年のデビュー作『Lush』で一躍USインディーを背負うスターへと成長を遂げ、2021年にはセカンドアルバム『Valentine』をリリース。2023年に『Valentine』の発売から2周年を記念し、『Valentine Demo』を〈Matador〉からリリース。
https://www.snailmail.band
Instagram:@snailmail
https://www.beatink.com/artists/detail.php?artist_id=2367
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繊細な心の機微をオープンに歌い、アメリカを代表する新世代のシンガー・ソングライターとして共感を得たスネイル・メイル(Snail Mail)ことリンジー・ジョーダン(Lindsey Jordan)。そんなジョーダンにとって3年前の2作目『Valentine』は、失恋の痛みや環境の変化に翻弄される中で自身の感情、クィアネスと深く向き合った作品だった。いわく「スネイル・メイルという本の新たな章のページをめくる作品」。リリース直後のジョーダンはアルバムについてそう話し、その制作が“癒やしと再生”をもたらす経験だったと振り返っていたのを思い出す。自分自身が抱えているさまざまな感情のための居場所を作り、それについて理解すること――そして『Valentine』は同時に、10代で鮮烈なデビューを飾ったジョーダンが20代となり成長していく過程を捉えたドキュメンタリーでもあった、とも言える。

スネイル・メイルは昨年末、実に5年ぶりとなるジャパン・ツアーを開催。併せて『Valentine』の発売2周年を記念した作品『Valentine Demo』をリリースしたほか、今年には“役者デビュー”作となるA24プロデュースのホラー映画『I Saw the TV Glow』の公開も控える。『Valentine』以降の多忙を極めた時間を彼女はどんなふうに過ごしたのか。そしてキャリアの新たな一歩を踏み出し、次のアルバムも見据えた今の境地について話を聞いた。

——日本でのツアーは5年ぶりでしたが、いかがですか。

リンジー・ジョーダン(以下、リンジー):最高。ただ来る前は少しナーバスになっていて。日本のファンはみんな素晴らしいし、日本はこれまで自分が行ったことがある中で一番好きな場所。でも私の友達やバンドのメンバーのほとんどは日本に来たことがないし、日本でツアーをやるのも久しぶりで、だからいいショーにするために自分にプレッシャーをかけていたところがあって。でも本当に満足しているよ。

——東京公演ではオアシスの「Wonderwall」のカヴァーをやっていましたね。

リンジー:オアシスは大好きなバンド。正直、(「Wonderwall」を)うまく演奏できるか自信がなかったんだけど、ただあの曲をやることは自分の中である種の“通過儀礼”であるような気がしていて。避けては通れないというか(笑)、前にも口ずさんだりしたことはあったんだけど――練習なしにぶっつけ本番でね、でもあの日は誰かがあの曲を叫んだのを聞いて「今だ!」って思ったんだよね。内心、そこまでショーがうまくいっていたから祈るような気持ちだった。「Wonderwall」を台無しにしちゃいけない、あの曲を台無しにするなんてクレイジーだって(笑)。でも昨日はあの瞬間、「できるかもしれない」って思ったんだ。大好きな曲だし、うまくいってよかったよ。

——ちなみに、ノエルとリアムから同じタイミングでツアーに誘われたら、どっちのオファーを受ける?

リンジー:ノエル(即答)。ノエルはソングライターで、リアムはシンガーであり、オアシスというバンドの顔でもある。でも結局のところ、リアムって歌おうと思えばどんな曲でも歌える人なんだと思う。だけどノエルが曲を書くと、そこには彼にしかないサインのようなものを感じられるところがあって。ハイ・フライング・バーズ(※ノエルが結成した新しいバンド)のアルバムにもいくつか好きな曲があるし、自分とノエルは少し似ているような気がするんだ。猫 vs 犬というか……自分は猫に近いと思うけど(笑)、でもきっとうまくやれるんじゃないかな。それに、ノエルは私の叔父によく似ていて(笑)、だから一緒にいて居心地がいいと思うんだ。

——2023年はどんな1年でしたか。

リンジー:良かったよ。ストレスも多かったけどね。この1年、実家に戻って(新しく住む)家を探していたんだ。だから24歳の自分は、両親と一緒に実家で過ごした1年だった。新しい車も買わなくちゃいけなかったし、それにツアーの合間に別のレコードを作ったりして、いろいろなことをやっていたんだ。でも振り返ってみると、家も車も手に入れて、ツアーもできて、自慢の曲もたくさんできたし、最終的にとても満足しているよ。チャレンジングなことばかりだったけど、でも今まで生きてきた中で一番可能性を感じている。どのショーも素晴らしかったし、スネイル・メイルとしてもどんどん良くなっている気がする。今の私達は3ピースとして、もう他のメンバーは必要ないって感じなんだ。だからどうなんだろう? 謙虚な気持ちにさせてくれるようなことがたくさんあったし、それは自分にとっていいことだったんじゃないかな。人生が自分に与えてくれたいくつかの平手打ちは(笑)、そういう意味のあるものだったんだと思う。それで今こうして、私は海の向こう側の日本にいる、という。

——そういえば先日公開された「フェンダー(Fender)」のキャンペーン企画で、サーストン・ムーアと一緒にルー・リードのカヴァー(「Satellite of Love」)をやってましたね。

リンジー:最高! すごくクールだった。ソニック・ユースの大ファンだったし、物心ついた時から大きなインスピレーションを受けてきたバンドだったから。その話は最初、メールで連絡をもらったんだ。「もしかしたら実現するかもしれない」って。でもその手の話が持ち上がった時って、あまり期待しちゃいけないんだよね。だって、他にもたくさんの人達に話がいっているだろうから。だから本当に実現した時はびっくりしたよ。それから1日だけ、サーストンと一緒にやる曲を考える時間があって。彼はたくさんのアイデアを送ってきてくれて、でもいよいよ決断しなくちゃいけないってタイミングになった時に、「よし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドで何かやろう!」ってなったんだ。(サーストンとの共演は)まるでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの講義を受けるようなというか、とても恐れ多い経験だったよ.

——ええ。

リンジー:彼はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの大家であり、インディ・ロックやギタリストの巨匠でもある。だから夢のようだった。彼の演奏を側で聴けるのもそうだけど、彼とのジャム・セッションはクレイジーだったよ。彼のプレイはまさにソニック・ユースそのもので、一緒に演奏していると自分もソニック・ユースの一員になったような感覚だった。一緒の時間を過ごせて本当に楽しかったし、自分にとって大きな出来事だったのは間違いないね。他にもエキサイティングなことがたくさん起こっていた気がするし、そうした瞬間の1つひとつが自分にとってとても大切なものなんだ。

——サーストンとの会話で印象に残っていることは何かありますか。

リンジー:いろんなことを話したよ。今の音楽シーンについてだったり、1990年代のゴシップについて聞いたり(笑)。彼は本当にクールでお茶目な人で、でもとても普通の、地に足の付いた人だった。会う前はとても緊張していたんだけど……そういえば、すごく変わったコスチューム・デザインの人がいて。その人はどうしても自分が作ったコスチュームを着せたかったようで、でも自分達は「コスチュームなんて着たくない、そんなの絶対嫌だ!」「頼むから着てくれ!」っていろいろ揉めて。で、そうしたら「とりあえず試着しに来てくれないか?」ってメールが来たから行ってみたら、トゲトゲのレザーベストとか、赤い蛇革で稲妻のような模様が入ったブーツが用意してあって(笑)。バンドのメンバーも恥ずかしいから着たくないって言うし、だから「自分達の普段の服でやれないか?」って交渉しなくちゃいけなくて。それで、「もしサーストンが同じ格好をするなら着てもいいよ」って言ったんだ。そうしたら収録前日のバンド練習で、彼は「俺、こんなの着てやったことないよ、絶対に着ないよ」って言って(笑)、次の日にTシャツとジーンズで現れたんだ。それで自分達もコスチュームを着ることをなんとか回避できたんだよね。

映画『I Saw the TV Glow』への出演

——『Valentine』以降で言うと、映画『I Saw the TV Glow』への出演も大きなトピックだったと思います。

リンジー:最高にクールだったよ。私がこの世の中で一番興味があるのは映画で、中でもホラー映画は最も好きなジャンルなんだ。きっかけは、この映画のオーディションの話を聞いたことだった。で、面白いことに、その話を聞いた同じ週にマドンナの伝記映画で20歳のマドンナを演じるオーディションの依頼を受けたりもして(※その後、企画自体が白紙に)。まあ、それまでオーディションを受けたことなんて1度もなかったし、受かりっこないって思っていたけど、でも一生懸命やったよ。それで何種類ものオーディションをへて、あの役を掴み取ったんだ。今まで生きてきた中で一番クールな瞬間だったかも。役に決まったと聞いた時は、本当に飛び跳ねて喜んでいたような気がするし。あんなに飛び跳ねたのはいつ以来だろうって感じで……まあ、先日のライヴでも飛び跳ねたりしてたけどさ(笑)。

それに、映画の舞台裏を覗いたり、映画の撮影現場に忍び込んで見て回るのは最高にワクワクした。あちこち歩き回って「これは何に使うの?」「どうやってメイクするの?」ってスタッフにいちいち聞いたり(笑)。監督(ジェーン・シェーンブルン)とも仲良くなれたし、映画についてたくさん学ぶことができてオタク(nerd)になれた気がする(笑)。サンダンス映画祭に出品されることになったから、行けるのが楽しみだよ。

——自分の演技についてはどうですか。

リンジー:演技することはとても好き。不思議な感じだったけど、でも自然にできたと思う。思っていたよりもいい感じだったんじゃないかな。撮影現場に着いた時はとても緊張したけどね。それと、共演したヘレナ・ハワードが本当に素晴らしくて。彼女は驚異的な(phenomenal)女優だよ。今までに見たことのないような感じで。私の台詞はほとんどが彼女とのシーンのもので、私は彼女のパートナーになろうと必死だった。でも、彼女とのシーンは現実の世界で普通に会話をしているように自然で、だから自分が何をすべきなのかを考えるのは簡単だった。それに彼女は真摯な眼差しで私を見つめてきて、私は泣かされっぱなしだった。あの経験はとても得難いものだったし、運命が許してくれるならまたやりたいね。

——ちなみに、映画にはフィービー・ブリジャーズもキャストとしてクレジットされていましたが、話す機会はありましたか。

リンジー:彼女の出演はエキストラ的な感じで。だから撮影現場で彼女と一緒になることは1度もなくて。それに、彼女が出演するのも撮影現場に行くまで知らなかったんだ。誰かに「そこの衣装はフィービー・ブリジャーズが着ているものだよ」って言われて、それで彼女が出演しているのを知ったという感じで。この前、ヨーロッパのフェスティヴァルで一緒になった時に「映画はもう観た?」って聞いたら「まだ観てない」って。というか、現場に行くまで他のキャストのことを全く知らないって、ちょっとクレイジーな話だよね(笑)。

そういえばフレッド・ダースト(リンプ・ビズキット)は1度だけ見かけたよ。私が現場に入った最初の日にいたんだ。「おいおいおいおい、フレッド・ダーストが出演しているなんてどうして誰も教えてくれなかったんだ?」って(笑)。まあ結局彼とは絡むことはなかったんだけど、でも彼を見た時は衝撃的だったな。フレッド・ダーストにあいさつしたかったんだけど、「おい、彼は今仕事中だから邪魔するな」って誰かに言われてね。それで結局、その日が彼にとって撮影現場での最後の日だった。だからサンダンスで会えることを期待しているよ。

日本のカルチャーについて

——日本に来るのは(2022年のフジロックに続いて)3度目になりますが、日本のカルチャーやアートで好きなものや気になるものって何かありますか。

リンジー:私の好きなホラー映画の多くは日本で作られたものだし、クールな音楽――例えばシティポップも大好き。キミコ・カサイ(笠井紀美子)とかイエロー・マジック・オーケストラとか、お気に入りのレコードをよくかけているよ。世界中のいろんなところに行ってみて、どこを訪れても大抵の場合はそんなに違いを感じないけど――アメリカとイギリスだって昼夜が逆転しているぐらいだし、でも日本に初めて来た時に「わあ、こんな経験初めて!」って思ったんだ。スタイルがドープだし、ここで生まれた多くのアートはとてもユニークで。

私は8歳の頃からホラー映画にハマっていたから、“怖い”っていう感覚に麻痺していたところがあって。でも“Jホラー”を初めて観た時、本当に目を見開かされたような感じだった。使われている映像のアプローチが違うし、ストーリーテリングも異なる。本当に“戦慄”したんだ。実は最近、そのことばかり考えているんだよね。だからこの話についてはもう少し考える時間があったらいいんだけど……とにかく(“Jホラー”との出会いは)自分にとっては大きなことだったね。

——シティポップについてはどんなところに魅力を感じますか。

リンジー:いい質問。でも説明するのは難しくて、ただとにかく惹かれてしまう感じなんだよね。アキコ・ヤノ(矢野顕子)のレコードも全部持っているよ。他のポップ・ミュージシャンで彼女が作るようなメロディを聴いたことがないし、シンセの音とかもすごく独特で。一体何にインスパイアされてあんな音楽が生まれるのか……自分が知識不足のせいもあるかもしれないけど、とにかく全てが新鮮に聴こえるんだ。歌詞は理解できないけど、トラックもとても魅力的で、世界全体がまったく“色あせていない”というか。音楽をやっていてシティ・ポップにのめり込んでいる友達に教えてもらって聴くようになって、そこから自分でも面白そうなものを見つけるようになったんだ。「2、3年前までの自分は何をやっていたんだろう!?」って感じで(笑)、すっかりハマってしまって。だから私は、その道の“新入生”みたいなものだね。

YouTubeをサーフィンしたり、レコード・ショップでシティポップのコーナーを漁ってたくさんレコードを手に入れたけど、がっかりさせられたことは1度もないよ。中でもお気に入りは、キミコ・カサイの……なんてレコードだったかな? 紫のジャケットで、確か蝶に関係している作品だったと思うんだけど(※『Butterfly』、1979年)。いろんなところを見て回ってようやく探し当てたんだ。とにかくおすすめ。あと、1970年代後半の日本のディスコやシティ・ポップを集めたコンピレーションもよく聴いていて。どうして誰もそれを見つけられなかったのか、不思議で仕方ない(笑)。そうやって、昨日まで全く知らなかったような音楽を探求するのが好きなんだ。

次の作品に向けて

——『Valentine』のリリースから2年が経ちます。先ほども少し話に出ましたが、次の作品に向けた制作状況はどんな感じですか。

リンジー:順調だよ。今の状況にとても満足している。自分としては、これまでと全く別のプロジェクトのような感覚なんだ。同じ世界から生まれたはずなのに、人として大きく変わった気がする。でもそれって、15歳の時に10代のアーティストとしてキャリアを始めた自分にしてみたら当然のことだと思う。私の人生は変化の連続で、だから私自身も常に変化している。今のこの時点においてもそう。だから言いたいのは、何もかもが全く違うということ。それと、前に比べて音楽をあまり聴かなくなったような気がする。今でも気になる音楽はたくさんあるけど、常に聴いているレコードはほんの数枚だけ。以前はもっと、音楽に対するハングリー精神というか、“(音楽を)発見する”ことに貪欲だったしその範囲も広かったけど、今はもっと限られたアーティストから直接インスピレーションを受けるようになったというか。でも、それぞれから受けるインスピレーションはとても大きくて、そういう音楽を聴くと心を揺さぶられて、涙が出そうになるほど感動してしまうんだ。

リリシズムの部分についても全く違う方向に向かっている。“悲しい女の子(sad girl)”みたいなレッテルを貼られるのは違う気がするんだ。それは私ができることを示すものではないし、私が望んでいるものでもない。そうした“ブランド”の一部にはなりたくないし、正直、“悲しいアルバム”をまた作ることなんて簡単なんだ。目をつぶってもできてしまうと思う。いつまでも同じことを繰り返すようなことはしたくないし、自分に何ができるのか自分で見てみたいんだ。私のレコードはすべて、私が心から大切にしている音楽からインスパイアされた、とても真摯なものだから。それに、今はそれほど悲しくはないしね。

——はい。

リンジー:それと、ギターのプレイをもっと洗練させるためにたくさんの時間を費やしてきた。作詞家としてもそうだけど、作品を作るたびに「もっといいギタリストになりたい」っていつも思っている。映画を観てインスピレーションを集めてギターを弾いてみたり、そのこと自体を楽しみながら、なるべく自分にプレッシャーをかけないように気をつけている。そしてそういう時に、自ずと素晴らしいメロディが生まれたりするものなんだよね。

——『Valentine』をリリースした際、アルバムについて「スネイル・メイルという本の新たな章のページをめくる作品」と話していたのが印象的でした。実際に『Valentine』の制作やその後の時間を経て、自分の中で芽生えた変化を感じるところはありますか。

リンジー:今の時点での私は、まだ2枚半のレコードしか出していない。でもその中で、スタジオで作業をする時に自分が何を望んでいて、何を望んでいないのか、その判断についてより深く理解できるようになった気がする。おかげで自分自身をより信頼できるようになったし、例えば『Valentine』や(当時の)デモを聴き返しても「妥協しなくてよかった」って思うんだ。自分の直感に従うことができてよかったなって。あれは本当にクールだったからね。そして、自分がみんなにリスペクトされるような作品を作れるということを、自分自身に証明することができたと思う。決して偶然の産物じゃないってことを。他人の評価は必要ないってわけじゃないけど、自分が一度きりのアーティストじゃなくてよかったと心から思えた時は、本当に救われた気持ちになる。そして、自分にとってミュージシャンとしての最終的な目標があるとするなら、それは自分が誇りに思えるような作品をたくさん作って、それを継続することだと思う。自分が好きでやっているんだから。

——次のアルバムは『Valentine』とまた違った作品になりそうですね?

リンジー:『Valentine』は感情やインスピレーションが爆発して、あっという間にできたような作品だった。でも今は、そんなふうにがむしゃらになるって感じじゃないんだ。それって、ソングライターとしての自分を信頼できるようになったってことだと思う。手間をかけることでいいレコードができるって確信しているし、だからデモをダブルチェックしたり、時間をかけて遡ったりして作業を進めている。そうしたプロセスのすべてが今の自分にとっては重要だし、良い影響をもたらしていると思う。自分自身をちゃんと理解できているし、それに感情の部分でも以前よりもずっと成熟しているように感じる。

ソングライターとしての自分の面白いところは、自分の嫌いなところや嫌な思いをした記憶についてたくさんレコードに残していることで(笑)。今の自分が嫌いで、私が私であることを憎んでいて、でもそれを解決するのは自己責任だ、みたいな。でも今は、そうしたネガティヴな感情はあまり抱いていない。それに、以前の自分だったら間違いなくメンバーにも嫌われていたと思う。いいリリシストになるために、人として成長する必要があるんだと思う。『Valentine』を経て多くのことを学んだよ。1つのことに固執するのは嫌だし、かといって、みんなが好きなスネイル・メイルの良さを変えてしまうのも嫌だし……だから、あまり考えすぎないようにしているんだ。年齢を重ねるにつれて歌詞を書くこと、レコードを作ることは難しくなってきている気がするけど、でもいい感じだよ。すごくいいアルバムになると思う。

Photography Mikako Kozai(L MANAGEMENT)

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アレックス・Gが語る「シンガー・ソングライターの原点と理想」 https://tokion.jp/2024/01/16/interview-alex-g/ Tue, 16 Jan 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=221813 待望の初来日を果たしたアレックス・Gへのインタビュー。

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アレックス・G(Alex G)
デビュー前から多くの楽曲をBandcamp上で公開し、口コミを きっかけに高い評価を受けるとフランク・オーシャンのアルバム『Endless』と『Blonde』に参加したことで一気に注目を集め、今や現代最高峰のシンガー・ソングライターとして高い評価と人気を集めるアレックス・G。最新アルバム『God Save the Animals』はCD、LP、カセットテープ、デジタルで好評発売中。
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2015年に英国の名門〈Domino〉からリリースされた6作目『Beach Music』で頭角を現し、フランク・オーシャンやダニエル・ロパティン(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)もラヴコールを寄せるなど世界中のリスナーから厚い支持を集めるシンガー・ソングライター、アレックス・G(Alex G)。そんな彼が2022年発表した9作目の最新アルバム『God Save the Animals』は、神や信仰、愛、成長をめぐる内省的なストーリーが美しいメロディとストレンジな電子音によって彩られた作品だった。その中の「Miracles」という曲ではこう歌われている。「いつかは子どもが欲しいねって君は言う/でもベイビー、今の僕は自分のことで精一杯なんだ」「一体あと何曲書けばいいのだろう/すべての電源を落として眠りにつく前に」。

必ずしも自分のことを歌っているわけではない。一時的に頭によぎっただけ――歌詞についてそう嘯(うそぶ)くことも多いアレックス・Gだが、『God Save the Animals』は聖書への言及も散りばめられた描写も含め、不安定に揺れ動く心の機微を捉えたような語り口が深く印象に残った。そしてそのリリースから1年が過ぎた今、本人はどんなことを考えているのだろうか。シンガー・ソングライターとしての原点と理想、詞作のこだわり、あるいはある種の“死生観”まで、待望の初来日を果たした彼に話を聞いた。

——『God Save the Animals』がリリースされてこの間、いろいろなところでライヴをされてきたと思いますが、印象に残っていることなどありますか。

アレックス・G(以下、アレックス):そうだな……このアルバムのアメリカ・ツアーでは初めてバスに乗ってツアーをすることができたことかな。今までは自分達でバンを運転してツアーをしていたから、それは僕等にとってとてもエキサイティングなことだった。あと、これまでアジアに行ったことがなかったから、こうして日本に来ることができて嬉しいよ。このアルバムの最大の収穫はその2つだね。

——時間がたったことで、アルバムについて理解が深まったり、作った当時は気づかなかったことに気づいたりしたようなことはありますか。

アレックス:なんだろう……ちょっと考えさせて。そうだな……時間がたつにつれて、音楽に対してより“感謝”できるようになったと思う。アルバムの制作中は作業に没頭していて、何度も(音源を)繰り返し聴いていたので、だからアルバムがリリースされる頃には疲れてしまい、すっかり飽きてしまっていたんだ。でも1年ぐらいたってあらためて聴いてみて、その素晴らしさに気づいたというか、より深く愛することができた気がする。ただ、“アルバムを理解する”ことに関しては、自分では正直どうでもいいと思っていて。曲って、その作った時々の自分が感じたことや印象のスナップショットみたいなもので、あとは聴いた人がそこに意味を見出したり、その人なりの主観で解釈してもらえればいいと思っているので。そこで僕自身が客観的な視点を持つ必要はないというか、自分にとって(音楽とは)そういうものではないんだ。

——音楽に対する「感謝」とは?

アレックス:誰でも音楽を作っている時って、何度も聴いているうちに当初のフィーリングが失われていくような感覚になると思うんだ。だから曲やコンポジションに肉付けするためには、その書いた時のフィーリングを記憶しておく必要がある。それで今回のアルバムは、時間を置いてからもう一度聴いた時に、メロディやコードの構成とかそうしたベーシックな部分について気づきがたくさんあったというか。書いた時のフィーリングを思い出すことができたし、曲やメロディの良さを再認識できたようなところがあったんだ。

——リリース直後のインタビューで「これまでで最悪の出来かもしれない」と話していたのを読んだので、それを聞いて安心しました。

アレックス:なんでそんなこと言ったんだろう? たぶんね、作っている時に“怖くなった”んだと思う。その(インタビューを受けた)時にどういう感情でそう言ったのかはっきりとは覚えていないけど、でも、このアルバムを作っている時に感じていたことは覚えている。というのも、アルバムを作っている時っていつも最高の気分なんだけど、今回はそれを感じることができなかったことは覚えていて、どこか自分の中で半信半疑な思いがあったんだ。いつもは音楽を作っている時のフィーリングみたいなものを大切にしているんだけど、歳を重ねるにつれてそのフィーリングを追いかけるのが難しくなってきたというか、自分の感情のままに音楽を作るのが難しくなってきたというのもあるのかもしれない。あと、技術的に満足いかなかったところもあった。だから、このアルバムに関しては懐疑的な気持ちになったんだと思う。自分のコンパスが歪んでいるような気がして、最悪の作品になるんじゃないかという不安があった。

でも、そこから時間を置いて、あらためて完成した作品として聴いてみることで、この作品の素晴らしさを自分でもわかることができた。ただ作ってすぐの時は、「没頭しすぎて方向性を見失った、最悪の結果になったかもしれない」って考えてしまったんだ。

——じゃあ、今では最高の作品だと確信している?

アレックス:そうだね。自分としては、最新のものが最高の出来だって信じている。歳を重ねるにつれて自分の好みが変化していく中で、今の自分がどんなものが好きなのか、本当の自分というものが新しい作品には反映されていると思うので。それは常に自分の好みに忠実なものを作り続けているからであって、それが一番だと思うし、昔の自分はもうここにはいないんだから。

影響を受けたミュージシャン

——唐突ですが、アレックスさんにとって「最高の音楽」とはどんな音楽ですか。

アレックス:今の自分が作る音楽として? 答えるのは難しいね。僕は自分1人で音楽を作ることにとても自由を感じていて、どんな時でも自分にとって理想的なものを作ることを常に追求している。これからもそれを続けていきたいし、僕がやっていることはすべて、その答えを探すためにやっているようなものだから。それにもし答えを知ってしまったら、何をすればいいのかわからなくなってしまうしね。もうこれ以上音楽を作る意味がなくなってしまう。

——例えば、少年時代のアレックスさんにとって、「自分もこんなふうに音楽が作れたらなあ」って思わせてくれたアーティストって誰になりますか。

アレックス:若い頃の僕は、ポップ・ミュージックの文脈の中で異質であったり破壊的であったりするようなことをやっているミュージシャンを尊敬していた。彼等がいったいどんなものからインスピレーションを得ているのかさえ想像することができなかったし、でもだからこそ、彼等の音楽は僕にとってとても魅力的だったんだ。

例えば僕は、モデスト・マウスやエイフェックス・ツイン、レディオヘッドなんかに夢中だった。彼等はとても自由奔放でクリエイティブに見えたし、それで彼等の音楽を聴いて、自分も音楽をやってみたいと思ったんだ。プロのミュージシャンのようなスキルがなくても、行き当たりばったりでいろいろなものを組み合わせたら、自分も何か表現することができるんじゃないかって気がしてね。

——ソングライターで好きだったのは誰でしたか。

アレックス:ティーンエイジャーの頃、ずっと好きだったのはエリオット・スミスだった。彼の曲には中毒性のあるメロディと構成があって、数年の間ほとんどノンストップで聴いていたよ。他には、モデスト・マウスのアイザック・ブロックとか、ニール・ヤング、ニック・ドレイクも大好きだった。

——エリオット・スミスの曲のどんなところが少年時代の自分の心に一番響きましたか。

アレックス:言葉で説明するのは難しいね。でも、彼の曲のメロディとコード進行のコンビネーションはいつもユニークで、とてもキャッチーで、驚くほど多くの感情を呼び起こしてくれる。僕にとってはそれに尽きるね。まずメロディとコードがあって、それによってインストゥルメンテーションが魅力的に引き立てられているという、そこに魅了されてしまったんだと思う。それまではエレクトロニック・ミュージックに夢中だったんだ。でもエリオット・スミスに出会って、ギター・ミュージックやトラディショナルな音楽に興味を持つようになったんだ。

——リリシストとして、エリオット・スミスからの影響を感じるようなところはありますか。

アレックス:僕も歌詞を書く時は多くの時間を費やすけど、でも内容は(エリオット・スミスのように)告白的な歌詞になることはあまりない。それよりも、言葉の響きが音楽的に機能するように歌詞をまとめることを大事にしていて。音楽に乗せた時にイメージやストーリーを喚起させることを第一に考えていて、だから自分の場合、いろんなフレーズをサウンドに合わせて組み立てるようにして歌詞を作っている感じだね。

——以前はエレクトロニック・ミュージックを作っていたこともあるそうですが、そこから今みたいな歌詞のある音楽を作るようになったタイミングは何だったんですか。

アレックス・:たぶんエリオット・スミスを知った頃だと思う……いや、違うな。フィラデルフィアの地元のバンドのライヴを観に行くようになったのがきっかけだと思う。14歳か15歳の頃かな。

——それってどんなバンドですか。

アレックス:ラスプーチンズ・シークレット・ポリス(Rasputin’s Secret Police)ってバンドがいて、最高にクールだった。あと、今僕のバンドでドラムを叩いているトム(・ケリー)が彼の弟とスヌーザーというバンドをやっていて、ティーンエイジャーの頃によく観に行っていたよ。それでフィラデルフィアのDIYな音楽シーンに触れたことで、ギターを弾きたい、歌いたいって思うようになったんだ。自分もあんなふうにライヴがやれたらなって。

——ちなみに、自分が初めて書いた歌詞って覚えている?

アレックス:なんだろう……いくつか思いつくけど、でもあまりにくだらないから話したくない(笑)。

日本のカルチャーについて

——今回が初めての来日公演になりますが、日本のカルチャーやアートについて関心のあるものって何かありますか。

アレックス:宮﨑駿のアニメが好きだね。たくさん観たし、どれもお気に入りだよ。

——ゲームの『ELDEN RING(エルデンリング』が大好きだって記事で読みましたが。

アレックス:そう! そうだったね(笑)。

——どんなところが好き?

アレックス:小さい頃、兄がニンテンドー64を持っていてね。兄はたくさんゲーム・ソフトを持っていたんだけど、その中の1つが『ゼルダの伝説 時のオカリナ』だった。それで、兄がゲームをするのを見て育ったから、とても懐かしい気持ちになるんだ。『ELDEN RING』をプレーしていると、子どもの頃に戻ったような気分になる。ソファで寝そべって兄がゲームをしているのを見て時間を過ごしていた頃の自分にね。だから大好きなんだ。パンデミックの時、僕はプレイステーション4を買って『DARK SOULS(ダークソウル)』というゲームをやっていてね。宮崎英高というクリエイターが作ったゲームなんだけど、彼の作品はどれも素晴らしいアートだと思うし、ゲーム自体とても美しくて、面白くて、でも難しくて……そう、だから僕はすっかりハマってしまったんだよ。

——『ELDEN RING』はダーク・ファンタジーですが、アレックス・Gの音楽にもファンタジー的な要素は魅力の1つとしてあると思います。実際、そうしたゲームからの影響も自分が作る音楽には反映されていると思いますか。

アレックス:もちろんあるだろうね。でも、それをピンポイントで指摘するのは難しい。僕が音楽を作る時は、できるかぎりオープンでありたいと思っているから。だから、ゲームとか、映画とか、本とか、本当にあらゆるものに影響を受けていると思うよ。

——先ほども年齢の話がありましたが、『God Save the Animals』に収録された「Miracles」では、大人としての責任と向き合おうとする若者の姿が歌われています。振り返ってみて、あの曲を書いた時の心境とはどのようなものだったと思いますか。

アレックス:いい質問だね。でも、それに答えるのは難しいと思う。というのも、僕が曲を書いていて喜びを感じるのは、いくつか単語が頭に浮かんできて、それを並べ替えて、歌詞同士が繋がって、それがまた次の歌詞へと繋がって……曲自身が意味を帯び始めた瞬間なんだ。その感覚というのが、曲を書いた時の手応えとしては一番大きくて。もちろん、潜在意識に何か主題のようなものがあって、そこから自分の繰り出す言葉が生まれているというのは理解している。ただ僕自身、それについて深く掘り下げて考えるというのはなくて。逆に、そういう潜在意識の奥深くにある感情にアクセスするために言葉を紡ぎ出して、それを並べて、曲として機能した時の実感というのが大事で、僕の関心は常にそこに集中している。曲の中で“何かが起きている”ことにただ興奮している、というか。だから、曲を書いている時にはアクセスできない、僕が歌っていることを理解している自分とは別の、もう1人の自分というのが僕の中にはいるんだと思う。

——その曲の主題や潜在意識の奥にある感情を「深く掘り下げる気がない」というのはどうして?

アレックス:自分の運命や過去とか、すべてを受け入れようとするってことなんじゃないかな。それによって心の平穏を手に入れたいというか。

——アレックスさんがデビューしたのは17歳か18歳の時だったと思いますが、そこからキャリアとともに年齢を重ねて、自分の中で音楽の捉え方が変化したと感じるような部分はありますか。

アレックス:そうだね。音楽を作り始めた頃は、80%が探求、20%が選択、という感じだった。でも今は、それが五分五分になっていると思う。

——『God Save the Animals』をリリースしたのが29歳で、今は30歳。ある種の節目といえる年齢を迎えて、この先自分が作っていく音楽はこうなるかもしれない、みたいな予感や手応えのようなものはありますか。

アレックス:正直なところ、そういうのはないかな。僕は何事も成り行きに任せている感じで、将来のことはあまり考えていないんだ。

——それはなぜ?

アレックス:人生のある時点で、失望することを避けるために考えるのをやめたんだと思う。自分自身を落胆させたくないんだ。

Translation Yumi Hasegawa

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新たな“ミクスチャー”スタイルで話題のアーティスト、ウー・ルーが語る「スケートやグラフィティ・シーンから受けた多大なる影響」と「コミュティの大切さ」 https://tokion.jp/2023/12/15/interview-wu-lu/ Fri, 15 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=219707 注目のアーティスト、ウー・ルーへのインタビュー。彼が影響を受けてきたスケートやグラフィティ・シーンについて語る。

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ウー・ルー(Wu-Lu)

ウー・ルー(Wu-Lu)
サウス・ロンドンを拠点に活動するヴォーカリスト/マルチ・インストゥルメンタリスト/プロデューサー。ブラック・ミディのドラマーのモーガン・シンプソンが参加した楽曲を含め、これまでリリースしたシングルがいずれも高い評価を受け、すでに世界中のフェスティバルに出演。UKバンド・シーンとも密に交流しながら、独自のスタイルでUKの新たなオルタナティブ・ロックの潮流を巻き起こしつつある。2022年7月にアルバム『LOGGERHEAD』をリリース。
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12789

ジョー・アーモン・ジョーンズやヌバイア・ガルシアといったジャズ・シーンの気鋭アーティストとの共演を重ねてきたウー・ルー(Wu-Lu)ことマイルス・ロマンス・ホップクラフトの音楽が、彼が子ども時代に熱中したパンクやグランジ・ロック、メタル・ミュージックにルーツを深く根差していること。昨年リリースされたデビュー・アルバム『Loggerhead』は、そんな彼の“ミクスチャー”なスタイルを雄弁に物語るものだったが、そうしたジャンルの横断性や折衷的な感覚とは、ここ数年のロンドンから生まれるサウンドが刺激的でユニークであることの所以でもあるのだろう。

『Loggerhead』にはブラック・ミディやソーリーのメンバーがゲストで参加し、さらに近年は映画音楽の作家としての活躍も目立つミカ・レヴィ(ティルザ、アルカ)の名前もクレジットに見つけることができる。そして、ウー・ルーについて語る上で欠かせないのが、彼のバックグラウンドに寄与したさまざまなアートやカルチャーの影響だ。

中でも、マイルスが10代の頃に多くの時間を過ごした地元ブリクストンのスケート・シーンとグラフィティ・シーンは、あらゆる意味で今の彼の基盤となる部分を形作ったものだった。そこは彼にとって、いわばクリエイティブに生きるための学びと実践の場だった。ものを作ること、人と繋がること、自分らしくあること――そうして彼がストリートで培ったエートス(精神、価値観)は、ウー・ルーとしての活動の指針となったのはもちろん、『Loggerhead』をはじめその音楽にその反映を聴くことができるものに他ならない。そしてそれは、その考え方や生き方において彼が「コミュニティ」の価値を何より大切にしてきたことと大きく関係している。

まだ暑さの残る9月末、急遽出演が決まった「Temple Of Sound」のため来日したウー・ルー。その翌日、取材場所のオフィスにスケートボードを抱えて現れたマイルスは、彼が愛情や情熱を注いできた事柄や人々について教えてくれた。

日本のアニメとの出会い

——今日も(スケボーで)滑ってきたんですか。

ウー・ルー:毎日だよ。もう足がパンパン(笑)。

——「TEMPLE OF SOUND」でのライヴはいかがでしたか。会場がお寺(築地本願寺)ということで、普段とは違った特別な環境だったと思うんですけど。

ウー・ルー:素晴らしかったよ。とてもスピリチュアルな場所で、すごくリラックスできたし。輪になる形で演奏したんだけど、お互いの反応を見ることができてとても良かったよ。

それで何人かのファンが近づいて見にきてくれたんだけど、髪型が(以前の)ロングヘアからショートのブロンドになって、見た目が全く変わっていたから、僕に気付かなかったみたいで(笑)。でも、ショーは最高だったって言ってくれてクールだったね。

最初、自分達が用意していたセットは場所に合わせてリラックスしていてチルったものだったんだけど、自分達の前に出たバンドがとてもラウドで激しくて。だからそれ見て、「OK、最高だ、オレ達もラウドにいこうぜ!」って上げていったんだ(笑)。

­——以前から日本でライヴをすることを熱望されていましたが、日本に対して特別な愛着のようなものがあったのでしょうか。小さい頃には、『ドラゴンボールZ』や『北斗の拳』といった日本のアニメが好きでよく観ていたそうですね。

ウー・ルー:うん、(日本のアニメとの出会いは)大きかったね。小さい頃に初めて観たのは『AKIRA』だった。それと『攻殻機動隊』。でも正直、子どもだったから何を観ているのかよくわからなかった。ただテレビをつけたんだ、真夜中にこっそりとね。ネオ東京は最高にクールで、鉄男はマジでヤバかった。それから、学校で友達が孫悟空を教えてくれてね。

イギリスの子ども向けのテレビチャンネルで『ドラゴンボールZ』をやっていたんだ。それでそれをいつも観るようになって、真似して絵を描き始めたりなんかして、どんどんハマっていったんだ。そして母に「コミックはどこで手に入るの?」って聞いたら、「ナイトクラブにしかないわよ」って言われて。「なんでナイトクラブにしかないんだよ」って思ったんだけど(笑)、そしたら彼女がコミックを買ってきてくれてね。そこからはもう、すっかり夢中になってしまったんだ。ああ、ほんと大好きなんだよ。

——そうした子どもの頃に観た日本のアニメも、今のウー・ルーの音楽の血となり肉となっている?

ウー・ルー:そうだね。『ドラゴンボールZ』には特別な思い入れがあるから。それとあのパワー。「ウォーーー!」っていう(笑)。音楽を作る上で、僕にとってはそれが自分を表現する方法だと感じたんだ。

例えばアニメの中で、普段の彼等はとてもリラックスしていて、誰に対してもとても親切なんだ。でも、いざ戦いになって真剣になる時、彼等は力をためてそれを一気に解放して、パワーアップし始める。それが僕にとっての“音楽”なんだよね。いつもの僕はとてもチルでリラックスしている。でも、いざ演奏となるとエネルギーがあふれてくる。そこは似てるし、影響を受けていると思うよ。

前にロンドンのインタビューでも同じようなことを聞かれたことがあって、その流れで「足に悟空のタトゥーを入れちゃいなよ」ってなってね。で、「ああ、いいかも」ってなって(笑)、そのままインタビュアーの人と一緒にタトゥー・ショップに行って、タトゥーを入れながらインタビューを受けたんだよ。

ブリクストンのグラフィティ・シーン

——日本のアニメもそうですが、ウー・ルーのバックグラウンドにはさまざまなカルチャーの影響やインスピレーションがあると思うんですね。で、その中でも特に、10代の頃に身を置いた地元のグラフィティ・シーンの存在が大きかったと伺っていて。そのあたりの話ってほとんど聞いたことがないので、当時のブリクストンのグラフィティ・シーンについて教えてもらっていいですか。

ウー・ルー:まあ、僕がいたロンドンのグラフィティ・シーンというのはとても親密なものだった。ただ、あまり話してこなかったのは、ご存じの通り、イリーガルでnaughty(=やんちゃ)なものだったからね(笑)。でも、カルチャーとして重要なものだった。

僕の住んでいる地域では、グラフィティ・カルチャーとスケート・カルチャーが融合していて。そこでは、自分らしくいられると感じさせてくれる人達にたくさん出会えた。だからスケートボードをしたり、外に出てペイントしたりすることで、自分と世界の見方が似ている人達を見つけることができたんだ。そこにいる人達は、音楽に限らずクリエイティヴなことをすることに背中を押してくれる人達で、ロンドンのグラフィティのコミュニティでそういう仲間をたくさん見つけたんだ。

今はもう潰れてしまったけど、「HQ」というたまり場みたいなお店があってね。そこにはいつも、あらゆる年齢、世代の人達がいて、彼等は自分のスタイルを貫くことを後押ししてくれた。その影響はとてつもなく大きくて、たとえ自分が下手くそだったとしても「このままでいいよ、自分が描きたいように描け」って、自分らしくいることを許してくれていた。つまり、僕にとってのグラフィティ・シーンとは「コミュニティ」のことだと思う。

その中で出会った人達のおかげで今の自分がある。他の誰の目も気にせず、あるがままの自分でいることを許してくれた。そこではつまり、自分はどう考えるか、ってことが何より重要だったんだ。今は家で絵を描くことが多いんだけど、兄弟もたくさんいるから、彼等をコミュニティの中に連れて行くようにしているんだ。彼等も自分らしくいられるようにね。

——ええ。

ウー・ルー:歳を取るにつれて、今では外で絵を描くことは少なくなったけど、でもグラフィティのコミュニティの友達は逆に増えたんだよ。で、彼等と話して気付いたのは、(当時グラフィティを)やっていた人達はみんな個人的にやっていたということだった。考えてみたら自分も、コミュニティがあって周りに友達はいたけど、だからってつるんでやっていたわけではなくて、1人で描いていたなって。グラフィティが自分に教えてくれたのは、学校が一番大事なんじゃないってことだった。学校に行かなくても人はクリエイティヴに生きていくことができるし、クリエイティヴに生きていくことが何より大事なんだって。それがグラフィティから学んだ最も重要なことだったね。

——グラフィティというと一般的にヒップホップのイメージが強いと思いますが、ブリクストンのグラフィティ・シーンでは音楽との関わりはどのようなものだったのでしょうか。

ウー・ルー:やっぱりヒップホップが多かったね。当然スクラッチも多かった。ただ、Bボーイだけのものじゃなかった。ヒップホップはアメリカにとってのグラフィティで、ロンドンのグラフィティはドラムンベースだった。それもハードコアで筋金入りの、ロンドン特有のね。アメリカは超ヒップホップな感じだったけど、ロンドンのグラフィティはステラ・ビールを飲みながら「ラコステ」や「ラルフローレン」を着てやるって感じで、とても“laddie(少年っぽい)”なスタイルだった。だからジャングルとかドラムンベースとか、あとグランジみたいな感じの音楽が多かったかな、自分がいちばん(グラフィティを)やっていた頃は。

でも今は、高価な服を着ている子が多いね。自分が若かった頃は、「フィラ」とか「キッカーズ」を履いて、もっとイギリスっぽい空気感がベースにあった。だからヒップホップっぽくはなかった。ヒップホップがグラフィティ・カルチャーとすごく直結していたのは1990年代の前半の頃で、自分はその頃はまだちっちゃかったんだよね。で、そこからヒップホップとグラフィティは別れていった。だからヒップホップと近かったのは自分達よりも少し上の世代の人達で、それより下の自分達の世代は、新しいタイプのヒップホップというか、ワカ・フロッカ・フレイムとかニュー・トラック系をよく聴いていた。あと、今だったらポップ・カルチャーの影響も大きいしね。

スケート・パークのコミュニティ

——その中でも、当時のマイルスさんのサウンドトラック、個人的によく聴いていたものはなんでしたか。

ウー・ルー:僕にとってはDJシャドウだね。それとスリップノット。全く別物だけどね(笑)。あと『Scratch』という映画も大きかった。あれがすべてだったね。マッドリブ、DJシャドー、カット・ケミスト――1990年代後半のヒップホップみたいな感じ。そしてもう一方では、スマッシング・パンプキンズやスリップノット、ブリンク182、オフスプリングとか、まったく違うものを聴いていた。

というのも、僕の父と母は音楽とダンスの人とでね。いつもレコードを僕にくれたんだ。12歳か13歳の頃だったかな、父がロニ・サイズ・レプラゼントのレコードを買ってきてくれたのを覚えているよ。あれが僕の中でモードが変わるきっかけだった。だって、それまではMCハマーとかウィル・スミスを聴いていたんだから(笑)。それからはロニ・サイズにどっぷりだった。

というのも、ある時、学校の友達に「どんな音楽聴いているの?」って聞かれてね。で、その時「よくわかんない」って答えたんだ。そしたら友達に「ドラムンベースとガラージが好きだって言わなきゃダメだ」って言われて。それで「OK、わかった」って感じで、父に「ドラムンベースとガレージが好きなんだけど……」って話したんだ。自分でも自分が何を言っているのかよくわかってなかったんだよね、その時は(笑)。それで父がロニ・サイズのレコードを誕生日に買ってくれて、聴いたら「ワオー、最高!」って。それまではオフスプリングやブリンク182からDJシャドウまでなんでも聴いていたんだよ。プロ・スケーターのトニー・ホークのゲーム(『トニー・ホークス プロスケーター2』)のサントラに入っていたというのもあってね。

——今オフスプリングやブリンク182の名前も出ましたけど、グラフィティ・カルチャーと同じく、当時ブリクストンのスケートパークで出会ったパンクスの存在もマイルスさんにとっては大きかったと聞きました。それはどんな人達で、そこはどんなコミュニティだったのでしょうか。

ウー・ルー:それは今もあって、ブリクストンにあるストックウェル・スケート・パークで、“ビーチ”と呼ばれている場所なんだけどね。そこのコミュニティは、僕と同年代の人達や、もっと年上の人達ばかりで。そこに昔、ジェームスと呼ばれるスケート・レーベルをパークで始めた男と、BMXをやっていたピーター・パイロットという男がいて。で、その人達がスケートパークを仕切ってたんだ。怒らせたり機嫌が悪かったりするとヤバいなって感じでさ(笑)。でも、彼等はパークにおける年長者のような存在で、お金を出して木材を調達したり、設備に投資したりして実際にパークを作り上げていった人達だった。そしてそこは、ある種の“安全”が保たれていた場所で、子ども達全員にほんの少しだけ生きることを許してくれた場所だった。彼等は僕達に“指針”を示してくれたんだ。だから、学校に行かないような子達もそこには行くって感じで。

彼等はパークが、年上の世代の人達が若い人達に“現実”を教える場所となることに貢献していたんだと思う。それがあの場所の、ある種のエートスのようなものだった。そして彼等は歳を取り、子どもを持つようになるとそこを離れていった。でも、今度はその下の世代が年長者となり、同じことを繰り返すようになった。

——エートスが受け継がれていった、と。

ウー・ルー:そう。ダフネという友達がいて、今はパークの隣で「Baddest」というスケート・ショップを経営しているんだけど、彼女はギリシャ出身なんだ。彼女はスケートのやり方も知らずにロンドンに来て、ただパークにたむろして、コミュニティの人達に教えてもらいながらスケートを始めたんだ。そして、その中で彼女はパークというものが何なのかを理解していった。それから彼女はお金を得て、スケート・ショップを開きたいと思うようになり、今では若い子達みんなを助ける年長者になって、女の子達がスケートができるようなとても大きなコミュニティを作っている。だからパーク全体が、人生の教訓をリサイクルしているような場所なんだ。

自分がパークにいた頃、自分の半分くらいの身長しかない子がいて。たぶん今は刑務所に入っちゃってると思うんだけど、彼は家で問題を抱えていて、でも彼はいつもパークに来て、みんなにお金をもらったり家に泊めてもらったりしていた。もしあの場所がなかったら、彼は死んでしまっていたと思う。だから、学びの場というのはとても重要なんだ。

街の変化

——そうしたグラフィティやスケートの「コミュニティ」に関わる話だと思いますが、デビュー・アルバムの『Loggerhead』に収録された「South」ではジェントリフィケーションについて歌われていますよね。最近のイギリスの若いアーティストに話を聞くとその話題になることが多いのですが、実際、今のブリクストンはどのような状況なのでしょうか。

ウー・ルー:ブリクストンは確かに変わってしまった。特にこの10年で随分とね。今はそれがあるべき姿だと受け入れられている部分もあるけど、ただ、変化に対する最初のショックは大きかったと思う。今はもう何もかもが高いんだ。もうそこで暮らせる余裕はない。ロンドン全体で今何が起こっているかというと、それはどんどんお金が集まっているということ。インフレが起きれば物価は高くなる。下がることはなくただ高くなり続け、それを買う余裕のある人達がその地域に入ってきて、その地域がそのような人達のコミュニティを養っていく。でも一番大事なことは、ブリクストンらしさを失わないことだと思う。

あの曲は、変化していく物事に対して自分を変えることができないもどかしさを歌った曲なんだ。でも、クリエイティヴなコミュニティがあり、そこに長く住み続けているような人達は、何がブリクストンを作っているのかよく理解していると思う。そしてそれを守ろうとする人々がまだそこにいる限り、その地域にはまだ希望があるし、ロンドン全体にもまだ希望があると思う。

——ええ。

ウー・ルー:僕がサウス・ロンドンの話をしているのは、そこが自分の出身地だから。でも本当のところ、僕が話しているのは今の世界についてなんだ。東京で暮らしている人達にとってもそうだと思う。観光客も今みたいにこんなに多くなかっただろうし、政府がバンバンお金を使うようなこともなかったと思う。

でも、この地域を作り上げている人達がこの地域に注ぎ込むエネルギーを持っている限り、まだ希望はあるんじゃないかな。すべてはコミュニティ次第だと思うから。そして、物事を良くするのはコミュニティ自身なんだよ。

一方で、自分が知っているブリクストンというのも、その前のブリクストン、さらにその前のブリクストンとは違うということも忘れてはいけないと思う。僕の両親が住む前からそこに住んでいる人々にとっては、もっと変わってしまったと感じているだろうから。だから、あるレベルでは変化を受け入れなければならないと思うけど、それでも自分達が何者であるかということは決して忘れてはいけないんだよ。

——それこそ、監視カメラをかいくぐってペイントする場所を探したり、管理と排除が行き届いた街並みの中にスポットを見出したりするグラフィティやスケートのあり方というのは、それ自体がジェントリフィケーションに抵抗するための手段というか、そうしたエートスを大いに帯びたものであると思います。

ウー・ルー:そうだね。自分と同じことを信じ、同じことを感じている人達がいる限り、自分のコミュニティは見つかると思う。僕が後になってわかったことの1つは、僕の住んでいる地域でフライング・ロータスやヒップホップ、それとグランジ・ミュージックにハマっていたのは僕だけだったということだった。当時、僕と似たような人はあまりいなかったんだ。

その後、友人のリースと知り合った。ある時、スタジオで彼にばったり会って、そしたら彼も同じような話をしてくれてね。で、実は彼はたまたま僕の家の近くに住んでいたと聞いて、彼に言ったんだ。「あなた僕の人生のどこにいたの?」って(笑)。でもその時、自分がどこにいるかよりも、自分が属しているコミュニティが大事なんだと思い知らされたんだ。だからもし、誰か友達の家に行って、そこにみんなが夢中になるものがあれば、それも立派な1つの「コミュニティ」であり、そこから発展して何かを築き上げていくことができるんだ。そして、そこから周りの人達へと輪を広げることもできる。そういうことだと思う。

両親からの影響

——そうしたコミュニティやストリートから受けた影響は、マイルスさんのライフスタイルはもちろん、今の音楽作りにも反映されていると言えますか。

ウー・ルー:そうだな……それを言うなら、僕が影響を受けたのは主に両親からだったと思う。父は僕をツアーに連れて行ってくれたし、父はトランペットを吹いていて……名前はマイルス・デイヴィスから取られたものだしね。僕の父と母は「冒険に出ろ」っていつも励ましてくれた。そのおかげで僕は自分らしくいられるようになったし、その過程で仲間やさっき言ったようなコミュニティを見つけることができた。“何にも縛られない”という意味ではそれが一番大きな影響だったと思う。僕を決まり切った道に進ませないという。

例えば、10代の頃に出会った友人達の何人かはこう言うんだ、「君のような人に会えて本当に嬉しいよ」って。なぜなら、セネガルやガーナから来た人の両親は子どもに「医者になりなさい、弁護士になりなさい」と言うんだ。それは彼等の本心じゃない。でも僕の場合、両親は「自分らしく生きなさい」という感じだった。だから僕は幼い頃から「自分は何者なのか?」ということを考えていた感じだった。それで自分のコミュニティを見つけることができたんだ。もしそれがなかったら、僕をインスパイアしてくれる人を見つけるのにもっと時間がかかったと思うよ。

——グラフィティをやっていた頃は「naughty」だったと話していましたが、振り返ってみるとやはり、当時は危なっかしい生き方していたな、という感じですか。

ウー・ルー:そうだね(笑)。ある時、友人と線路沿いをぶらぶら歩いていたら——バカみたいな話なんだけど、そしたら突然、電車がものすごいスピードで真横を通り過ぎて行ってさ。マジでヤバいって思ったし、それからもうあまりこういうことはしないほうがいいのかなって思ってね。

——その頃の生活をあのまま続けていたらヤバかったと思う?

ウー・ルー:ああ、そうだね。アメリカに行ってみたいという思いもあったし、他のこともやってみたかったし、何より制限されたくなかった。もちろん、グラフィティは好きだし、そうした行為や芸術的な面も好き。僕は今でも家で絵を描いたり、何かをデザインしたり、それに頭の中でビートを作ったりするクリエイティヴなプロセスが好きなんだ。でも、僕の友人の何人かは、コミュニティでいうところの「lifer(無期刑受刑者)」みたいな感じなんだ。自殺しようが、逮捕されようが、友達が死のうが、何が起ころうが、彼等はそれを続けるっていう。でも僕自身は、コミュニティにおいてそうはなりたくなかった。グラフィティのコミュニティには、本当に、本当にすべてを捧げている人達が大勢いるんだ——シリアスになりすぎるほどにね。

僕はグラフィティのカルチャーが好きだ。ものを作るプロセスが好きだし、そこにある規律(discipline)が好きなんだ。でも僕は、それを他のことにも生かしたい、という感じだった。歳を取ると、友達とかがアルコール依存症になったり、そういうものに支配されてしまったりする。そして僕は、朝4時に起きて祈りに行くことよりも、自分の音楽活動に集中することが必要だと思ったんだ。それが(「naughty」な生活から足を洗う)主な理由だった。クリエイティヴであるためには、ゆとりや、自分だけの居場所が必要だと思う。そう、だからこれが今の自分のやり方なんだと思う。

——最後に、『Loggerhead』に参加したギタリストのマット・ケルヴィンについて教えてください。彼は突然ブラック・ミディを辞めることになってしまい、動向を心配していたファンも多いと思うので。

ウー・ルー:マットは素晴らしいよ。クレイジーな男だ。僕達は音楽が大好きだよね? 彼も音楽を愛している。でも、彼は音楽を“感じる”んだ。肉体的に音楽を感じるようにね。彼はすべての音を知っているミュージシャンではない。でも、彼はすべての音を“感じている”。彼はたった1つの音を弾くこともできるし、その裏側にある情熱を表現することもできるんだ。いや、マジで素晴らしいよ。

アルバムのレコーディングは、ノルウェーのとある隠れ家的なスタジオで行われたんだけど、その頃、マットはバンド(ブラック・ミディ)を脱退することになっていたんだ。それで、「なあ弟、ノルウェーに出てきて、俺達と一緒にチルしよう」って言ったんだ。彼は僕より年下だからね。だからそれは、ある種の喪失から生まれた“コミュニティ”のようなものだった。「俺はお前より年上だ。“兄弟”を失ったお前にとって、俺は兄貴になることができる。だから何も考えずにただ来て、ぶらぶらしよう」って。それで彼に心の底からリラックスして、安心な気持ちになってもらいたかった。そして、そうすることで彼は僕達の間に愛を見つけたんだ。

彼は本当にコミュニティのために努力している人だと思う。でも、彼はあくまでも“アーティスト”なんだ。今、彼は1人で新しいものを作っているんだ。ほんとすごいよ。彼にとって音楽を作ることは、とても深くて重要なことなんだ。マットが曲を作る時って、自分のすべてがそこにあるような感じなんだ。そこはみんなが覚えておく重要な部分だと思う。それに、ソーシャルメディアは万人のためのものではない。マットのように音楽を感じたいのであれば、ソーシャルメディアは必要ないし、だからみんな彼のことを心配する必要はない。

(マットが)SNSをやっていないということは、つまり彼は自分のやるべきことをしているということ。そして、彼は正しい理由のためにそれをやっている。有名になるためじゃない。彼は人の顔色をうかがって何かをやるような人ではない。彼はただ自分の心のためにやっている。それが彼のやり方なんだ。彼の新しい音楽は素晴らしいものになるだろうね。

Photography Kosuke Matsuki

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注目のロック・デュオ、ノヴァ・ツインズが投げかける社会へのメッセージ 「私達を見て、『やろうと思えばなんだってできるんだ』って感じてもらえたら嬉しい」 https://tokion.jp/2023/10/27/interview-nova-twins/ Fri, 27 Oct 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=214025 今夏「サマーソニック」で初来日を飾った注目のロック・デュオ、ノヴァ・ツインズが自分達のルーツやバックグラウンドについて語る。

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ノヴァ・ツインズのエイミー・ラヴ(左)とジョージア・サウス(右)

ノヴァ・ツインズ(Nova Twins)
2014年にロンドンで結成されたロック・デュオ。メンバーはエイミー・ラヴ(Amy Love)(Vo / G)とジョージア・サウス(Georgia South)(B)で、2人は子どもの頃からの友達。2020年、ジェイソン・アーロン・バトラー(Jason Aalon Butler)のレーベル、「333 Wreckords Crew」からデビュー・アルバム『Who Are the Girls?』をリリース。また、ブリング・ミー・ザ・ホライゾン(Bring Me The Horizon)とコラボレーションし、ツアーも実施。2022年6月には、セカンド・アルバム『Supernova』をMarshall Recordsよりリリース。
https://novatwins.co.uk

今のイギリスで注目を浴びているのは「ギター・バンド」だけではない。グライムとパンクが融合したヘヴィなサウンドでロック・シーンを沸かせているのがエイミー・ラヴ(Amy Love)とジョージア・サウス(Georgia South)によるデュオ、ノヴァ・ツインズ(Nova Twins)だ。これまでに2枚のアルバムを発表し、昨年リリースの最新作『Supernova』はマーキュリー・プライズの候補に選ばれるなど高い評価を獲得。ウルフ・アリスやリトル・シムズのサポート・アクトを務めて頭角を現す中、ブリング・ミー・ザ・ホライズンのプロジェクト作『Post Human: Survival Horror』に参加し話題になったことも記憶に新しい。錚々たるアーティストが名を連ねたギャング・オブ・フォーのトリビュート盤『The Problem Of Leisure: A Celebration Of Andy Gill & Gang Of Four』ではマッシヴ・アタックの3Dとも共演を果たし、彼女達への注目はジャンルを超えて広がりを見せている。

「あなたがまだ知らない最高のバンド」。デビューして間もない彼女達をツアーに抜擢したトム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、プロフェッツ・オブ・レイジ)はそう賛辞を寄せた。しかし彼女達への賛辞の理由は、その生演奏にこだわったサウンドや音楽性だけが理由ではないだろう。ともにミックスである彼女達は、白人社会や音楽業界における有色人種の女性としての葛藤をストレートに歌い、その力強いメッセージ性はノヴァ・ツインズというグループを貫くアイデンティティの大きな中心になっている。また彼女達は「Voices for the Unheard」というプラットフォームを立ち上げ、英国黒人音楽賞「MOBO」に働きかけるなど、自分達と同じ立場や境遇のアーティストの支援にも積極的に関わっている。「ルックスは買えるけど、遺伝子は変えられない/私はストレート・トーカー(※歯に衣着せぬ人)、言いたいことははっきり言え」(「Cleopatra」)――。この夏「サマーソニック」で初来日を飾った彼女達に、その活動を支えるルーツやバックグラウンドについて話してもらった。

ノヴァ・ツインズのルーツ

——先ほどお2人のSNSを拝見したら、サマーソニックで共演したBABYMETALと一緒に撮った写真がアップされていて。

ジョージア・サウス(以下、ジョージア):大好きなんです。ライヴはとてもエネルギーに満ちていて、演出やパフォーマンスも壮大で素晴らしかった。だから会えて嬉しかったし、本当に素敵な体験でした。

エイミー・ラヴ(以下、エイミー):ブリング・ミー・ザ・ホライゾンを通じて彼女達のことを知りました。私達が参加した彼等のEP(『Post Human: Survival Horror』)に彼女達も参加していて。彼女達のライヴを観たのは今回が初めてで、それで実際に会うことができたんです。

——ノヴァ・ツインズのサウンドは、パンクやガレージ・ロック、メタル、グライム、ダブステップなどさまざまなジャンルをシームレスに融合させたものです。そうしたスタイルはどのようにして生まれたのでしょうか。

ジョージア:私達にとってはごく自然なことだったと思います。最初に作ったのはベースとヴォーカルだけでできたもので、だから私達のサウンドの基本はリフが効いていて(riffy)、エレクトロニックなスタイルを土台にパンキッシュな叫び声のようなヴォーカルを乗せたものでした。そしてそれを時間をかけて成長させて、進化させてきました。ロック、R&B、グライム、ポップ、ジャズなどさまざまな音楽から影響を受けてはいますが、私達としては自分達が気持ちいいと感じることをやっているだけなんです。

エイミー:ジョージアが言う通り、それはつまり私達の友情と経験が組み合わさったものなんだと思う。私達が育った場所や家族、ライフスタイルなどすべてが私達の音楽には反映されています。

——その上で、お2人が影響を受けたり、自分達を音楽の世界に導いてくれたアーティストを挙げるとするなら誰になりますか。

ジョージア:ビヨンセやミッシー・エリオット、デスティニーズ・チャイルドのような1990年代のR&Bから、ザ・プロディジー、ニューヨーク・ドールズのようなバンド、それにスティーヴィー・ワンダーやメロディ・ガルドーも大好き。だから嫌いなジャンルというのがないんです。私達は常にオープンでありたいし、いろんな音楽が好きなんです。

エイミー:それと間違いなく、私達の両親。私達の母——彼女達はとても強い女性なんです。だから彼女達は私達にとって大きなお手本でした。それとジョージアの父親はジャズ・ミュージシャンだから、私達に楽器を弾かせてくれたり、いつもインスパイアしてくれました。彼はいつも「練習しなさい」って言ってましたね(笑)。

——お2人は音楽が身近にあふれた環境で育ったと聞きました。小さい頃からいろいろなアートやカルチャーに触れる機会があったのでしょうか。

ジョージア:家では誰かしらが音楽を聴いたり、楽器をいじったりしているような感じでした。エイミーが私達の家族と一緒に住んでいた時は、いつもジャムったり、ライヴをやって家に帰ってきてからもそれについて話したりして。だから常に音楽があったし、みんな音楽が大好きでしたね。

エイミー:それとカルチャーということでいうと、私達は2人ともミックスで。私はイランとナイジェリア、ジョージアはジャマイカとオーストラリアにルーツがあって、私はエセックスの出身、ジョージアはロンドン南東部出身で、お互いにイギリス人という(笑)。だからカルチャー的にもいろいろなものが混じり合っている。逆に言うと、何かを選ぶ必要がなかったというか、あらゆるものに触れることができる環境だったので、その影響は私達の音楽に表れていると思います。

——一方、特にエイミーさんは白人が多い地域に育ったこともあって、小さい頃は自身を投影したり感情移入できるロールモデルを見つけることが難しかった、と聞きました。そうした中で、音楽を聴いて「これは私のための歌だ、私のことを歌った曲だ」と思わせてくれたアーティストは誰でしたか。

エイミー:私にとっては間違いなくデスティニーズ・チャイルドがそうでした。彼女達を初めて見た時、「わあ、なんて強そうな女性なんだろう」って。姉妹のような結束感があって、女性のパワーがたくさん詰まっているけれど、女性の自立した強さが感じられて。それは私が若い頃に憧れていたイメージそのもので、そう見られたいと思っていました。特にビヨンセは私達にとって特別なロールモデルでした。

ジョージア:“ID”なんてどうでもいいんです。だって、どれもみんな全く違うものだから。私達の中ではいろいろなものがミックスされて1つになっていて、だから特定のジャンルの音楽に惹かれるということもなかった。それが私達が出会った理由なんです。だから一緒にバンドを始めたんです。

——ちなみに、ジョージアさんはグライムMCのノヴェリストと同級生だったことがあるとか?

ジョージア:ああ(笑)。もう長い間会っていませんが、学校で一緒に過ごした時期がありましたね。

——エイミーさんはロンドンの音楽学校で学ばれたそうですね。

エイミー:自分で音楽を始めたばかりの頃で、漠然とアーティストになりたいと思い描いていたんですけど、ただ『パフォーマンス』というものをよく理解していなくて。だからそれを学びに行こうとしたんだと思います。若い時って、自分が求めているものが何なのかわからないことがありますよね。音楽をやりたいのはわかっているけど、それをどう表現したらいいのかわからなかった――それを仕事にする方法も。そんな私に学校は自分自身を見つける時間をくれました。それと多くの友達と出会うことができて、だからどちらかというと、社会的な側面で得るものが多かったかもしれない。ロックやガーリッシュでパンクな音楽を発見して、友達にオススメのレコードを教えてもらったりしてね。

音楽とファッション、ヴィジュアルの関係

——お2人は音楽活動と並行して、ファッションブランドとコラボレーションしたり、また自分達の衣装のデザインを手掛けたりもしていますよね。音楽とファッション、ヴィジュアルの関係についてはどんなポリシーや哲学を持っていますか。

ジョージア:“音楽が先にある”ことですね。自分達で服をカスタマイズし始めたのも、自分達の音楽を感じられるような服が着たいと思ったからで。それで裁縫を始めて、ミュージック・ビデオやステージで着る服を自分達で作り始めました。私達はそれを“Bad Stitches”と呼んでいるんです。というのも、私達は縫い方を学んでいる途中だったから(笑)。いつか「Bad Stitches」というブランドを発表して、みんなに着てもらいたい。今はその準備の最終段階なんです。

エイミー:私達の服は私達の音楽のように“聞こえる”。だから、音楽に合わせると服はこんなふうに見えるんです(笑)。バンドを始めた頃は、よく2人でショッピングに出かけていろいろなものを見てたんです。でも、心に響くものは何もなくて、それにどれも高価なものばかりで。それで、だったら自分達で作ったほうがいいって思ったんです。最初はあまり上手くなかったけど(笑)、ミシンの使い方を学んで、ミシンを使うようになったらだんだんといい感じになりましたね。

——好きなファッションのテイストはありますか。

ジョージア:原宿系ファッションが大好きです。全部欲しくなる(笑)。あと1990年代のスポーツ・カルチャーが大好きで、さっき挙げたヒップホップやR&Bともカルチャー的に繋がりがあるように思います。でも同時にパンクみたいなものも大好きで、だから私達のファッションは音楽と同じで全てが組み合わさったものなんだと思う。

エイミー:私達は絵を描くのが好きで、ミュージック・ビデオではセットにペイントしたり自分達でデザインも手掛けています。手を使うことや、創造的でアートな活動を楽しむのが好きなんです。

「音楽業界をもっとインクルーシヴな場所にしたかった」

——一方でお2人は、音楽業界における自分達と同じような境遇——有色人種(POC)のアーティストやイギリス国内の黒人女性をサポートする活動にも力を入れています。

エイミー:私達は混血の女性で、ロック・ミュージックをやっていて……でも私達がバンドを始めた時、誰も理解してくれなかったんです。ロックは白人がやるものみたいな風潮があって。私達はまだ若かったし、無知で世間知らずでした。どうしたらいいのかわからなかった。でも、それが私達の目を開かせたんです。彼等の認識を変えたいって。音楽業界をもっとインクルーシヴな場所にしたかった。だって、それって誰にでもできることなんですよね。あなたがどこから来たかなんてことは、あなたができることとできないことを決定したり区別したりするものではない。

——ええ。

エイミー:そして今、本当に素晴らしいと思うのは、音楽をやる女性がとても増えていること、それも世界中から集まってきていることです。イギリスでは女性のエンパワーメントが進んでいて、その一部になれてとても誇りに思っています。特に若い世代の人達には多くの選択肢がある。私達のようなスタイルの音楽をやりたいと思わない人もいるかもしれないけど(笑)、でも私達を見て「ああ、やろうと思えばなんだってできるんだ」って感じてもらえたら嬉しい。私達が若かった頃は難しかったけど、ただデスティニーズ・チャイルドのような存在がいたからこそ、私達もそう思えたんです。彼女達は私達とどこか似ているように感じられたから。

——お2人は有色人種のオルタナティヴ・アーティストを支援する「Voices for the Unheard」というプラットフォームも立ち上げられていますが、もし今の音楽業界の何かを変えることができるとしたら、何を変えたいですか。

ジョージア:ゲートキーパーはもっとリスクをとるべきだと思う。なぜなら、誰もがメインストリームに供給されるものに従っていて安全策をとっているから。もし彼等がアンダーグラウンドに目を向けて、そこで活動するアーティストに——よくできた誰かのカーボンコピーのような人達に与えるのと同じだけのチャンスを与えるようになったら、もっと面白くなると思うんです。だから早くそうなってほしい。

エイミー:音楽業界にとって大事なのは、自分の意見を恐れず、アーティストに対して公平で正当な評価を提供することだと思います。というのも、中には印税の分け前を正しく得られなかったりするケースがあり、しかもその多くはインディペンデントのアーティストで、彼等はメジャー・レーベルとは異なる状況に置かれているからです。友達の中には、自分達がやりたい音楽をやらせてもらえなかったり、アートを手放さなければならなくなるという深刻な問題を抱えているアーティストもいます。だから何より、より多くのアーティストが自分らしくいられるように音楽業界は後押ししてほしいんです。

——ちなみに、「Thelma and Louise」という曲がありますが、あれは映画の『テルマ&ルイーズ』にインスパイアされて?

ジョージア:そう。あの映画を観て、主人公の2人の絆と友情に感動したんです。生きるか死ぬかみたいな状況の中、最後まで一緒にいる2人の姿は本当に素晴らしかった。それに共感して、あの曲を書いたんです。

Photography Tameki Oshiro

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注目のUKバンド、ザ・ラウンジ・ソサエティが表現する「若者のリアル」 地元ヘブデンブリッジから受け継ぐカウンター・カルチャー気質 https://tokion.jp/2023/09/26/interview-the-lounge-society/ Tue, 26 Sep 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=209144 ザ・ラウンジ・ソサエティの4人へのインタビュー。地元ヘブデンブリッジのことから彼等が感じている社会の問題まで。

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ザ・ラウンジ・ソサエティのメンバー。左からアーチー・デウィス(Dr)、ハービー・メイ(G/B)、キャメロン・デイヴィ(Vo/B)、ハニ・パスキン・フセイン(G/B)

ザ・ラウンジ・ソサエティ(The Lounge Society)
英・ウェストヨークシャーはヘブデンブリッジ出身の4人組バンド。メンバーはキャメロン・デイヴィ(Cameron Davey、vocals/bass)、アーチー・デウィス(Archie Dewis、drums)、ハービー・メイ(Herbie May、guitar/bass)、ハニ・パスキン・フセイン(Hani Paskin-Hussain、guitar/bass)。ダン・キャリーのレーベル、〈Speedy Wunderground〉と契約し、2020年、デビュー・シングル「Generation Game」をリリース。「Generation Game」はレーベル史上最速で売れた7インチとなり、BBC 6 MusicのLauren Laverneが選ぶ「Songs of The Year」の1曲にも選ばれた。2021年にはEP『Silk For The Starving』をリリース。NMEで「The 20 best EPs and mixtapes of 2021」に選ばれた。2022年に1stアルバム『Tired of Liberty』をリリースした。
Instagram:@theloungesociety

イングランド北部の街ヘブデンブリッジ出身のザ・ラウンジ・ソサエティ(The Lounge Society)は、躍進が続く英国のロック・シーンで頭角を現している注目の4人組若手バンドだ。話題の気鋭レーベル〈Speedy Wunderground〉からデビューを飾り(※契約時はメンバー全員15歳)、ザ・ストロークスやフォンテインズD.C.と共演を果たすなどして彼等がこのわずか3年の間に集めた評価と期待は、まさに次世代の先頭を走る「ブライテストホープ」との呼び声にふさわしいものといえよう。ブラック・ミディやウェット・レッグを手掛けたダン・キャリーのプロデュースで昨年リリースされたファースト・アルバム『Tired of Liberty』は、そんな彼等の存在を強烈に印象付けた1枚。グリッチな電子音を伴いディスコとロックンロールの間を揺れ動く「No Driver」を始め、4人の演奏はダイナミクスとバラエティにあふれ、「ポスト・パンク」のカテゴライズを一蹴する彼等独自の音楽的アイデンティティがそこには焼き付けられていた。

「銃口を見つめている世代がいる(There’s a generation staring down the barrel of a gun)」と始まるデビュー曲「Generation Game」。ライチョウを殺すために土地を燃やすという地元の儀式の野蛮さについて非難した「Burn the Heather」など、ザ・ラウンジ・ソサエティの楽曲にはイングランド北部の地方都市に生い立ちを持つ若者の眼差しが生々しく息づいている。そしてその眼差しとは、「美と恐怖の組み合わせ」と彼等が表現するヘブデンブリッジの街並みや暮らしによって育まれたものであり、ロンドンやマンチェスターやリーズのそれとも異なるリアリティとして彼等の音楽をユニークに特徴付けている。そうした自分達の立ち位置やルーツ、さらに世界への足がかりを掴む中で見えてきたバンドの現在地について、サマーソニックで初来日した彼等に語ってもらった。

地元ヘブデンブリッジについて

——地元のヘブデンブリッジはどんなところですか。

ハービー・メイ(以下、ハービー):リーズやマンチェスターのような大都市から40分ほど離れた小さな街で。ただ小さい分、コミュニティの結びつきがとても強くて、自らをクリエイティヴと称する人がたくさん住んでいる。それと、10分圏内に2つの素晴らしい音楽ヴェニュー、「The Golden Lion」「Trades Club」がある。僕等の音楽に与えた影響という点では、どうだろう? なんせ小さな街だから、周りの影響を避けられないところもあると思うけど、僕等なりのテイストというものがあるんじゃないかな。

アーチー・デウィス(以下、アーチー):あと、ヘブデンブリッジは昔からカウンター・カルチャーが根付いた街として有名だった。もともとは繊維工業の街で、1960年代や70年代の頃にたくさんのヒッピーが移住して、反体制の新しい文化の波を作り出してきた歴史がある。だから共同経営のパブなんかがたくさんあって。今では(カウンター・カルチャー的な気質は)衰退していると言う人もいるけど、僕等がそれを引き継いでいることを願うよ。

キャメロン・デイヴィ(以下、キャメロン):中には否定的に捉える人もいるかもしれないけど、これは自分達の親の世代がさまざまな場所から移住してきた結果であって。そのことがこの小さな遠隔地のような場所にカルチャーをもたらし、あらゆるものが結合したメルティングポットのような状況を作り上げたんだと思う。その恩恵を僕達の世代は享受しているんじゃないかな。

——この街独特だな、と感じる人々の気質や街の性格みたいなものはありますか。

アーチー:ロックンロールというアイデアを支持している人が多いと思う。法律で決められているからといって、それが道徳的に正しいとは限らないと考えているというか。

ハニ・パスキン・フセイン(以下、ハニ):ヘブデンブリッジは、とても極端で対照的な側面を持った街だと思う。夏の間は天候が素晴らしくて、巨大な観光名所のような風景が広がっている。きわめてファミリー向けの場所だと言えると思う。けれど残りの時期、特に冬になると暗いイメージに覆われるようになる。だからそうした両極端な経験をすることは、あの街で暮らしている人々にとっては異様に感じられることがあると思う。観光の面では過度にポジティヴで幸せな部分が強調される一方で、実際の現実は必ずしもそうではないことがあるから。

ハービー:小さな街というのは、その国がどのような状況に陥っているのかを表し、その国のカルチャーが進む方向みたいなものの兆候を示しているものだと思う。それもとても具体的な形で。ヘブデンブリッジでは、異なるタイプの人々――長くそこに住んでいる人々とそうではない人々の間にある種の文化的な違いがあって、そのことが摩擦の原因になっていることがあるんだ。争いに発展するようなことはないけど、そこには哲学の違いみたいなものがあって。でも同時に、そうした摩擦がアイデアの源となることがある。

というのも、ヘブデンブリッジにあるすべてのスポット、とくに音楽ヴェニューはこの2つが融合したものだから。昔ながらの考え方や厳格さ、その土地出身であることの誇りとリベラルなヒッピー的なものが融合することで、伝統的でありながら新しい価値観を持ったものが生み出されている。僕達はそれが大事だと考えている。人々がアイデンティティを持つためには街の伝統が必要だけど、同時に前に進まなければならないから。僕達は(イングランド)北部のバンドであることをとても誇りに思っているけど、でも目標はより遠くへ行くことであって、ここに留まることではないんだ。

社会問題と音楽

——何かのインタビューで、地元について「美と恐怖の組み合わせ(a combination of beauty and terror)」と表現されていたのを読みました。そうした北部の生い立ちが自分達の音楽に与えた影響についてはどうですか。

ハービー:まあ、最高のロックンロールにはいくつか要素があって、その1つは恐怖感であり、それが良いロックンロール・バンドを作るんだと思う。つまり、過度に洗練されすぎていないことがロックンロールの基本というか。装飾されていない音楽は生々しくて、美しい。僕達が追求しているのはそういうものだといえるんじゃないかな。

——3年前のデビュー曲「Generation Game」は、まさにそんなイングランド北部で暮らす若者達のリアルな感覚が投影されたナンバーだったと思います。

アーチー:「Generation Game」は、周囲の世界に対して強く抱いていた考えやアイデアから生まれた曲だったと思う。僕達はまだ世間知らずだったけど、だからといって、その考えが間違っていたということにはならない。あれは今でも最高の曲の1つだと思う。あの曲は、15、16歳の若者が世の中の誤りや不正を観察し、自分達の権利や不器用な優しさをストレートに表現しようと考えたところから生まれたものだった。

キャメロン:曲を書いた時点では、自分達が住んでいる場所のネガティヴな側面や個人的な困難といったものはまだあまり経験していなかったと思う。なぜならまだとても若かったからね。でも、そうした中で自分達が知っていることや見たことについて曲を書くことが、僕達の始めたことだった。ただその分、あの年頃の若者として感じたことが生々しい形で映し出されている。と同時に、自分達が感じていることは何なのか、その感覚は正しいのか、それとも間違っているのか、その理由を解き明かそうとしている曲だと思う。

ハービー:つまり、音楽は“答え”ではないということ。そこに結論はない。だからあの曲はコーラスが問いかけになっているんだ(「What will the US do?」)。ただ混乱を表現したり、ただ見たことを言葉にする。それで十分なんだ。特に今の時代、知れば知るほど、何を言えばいいのか、そもそも自分が何を知っているのかわからなくなる。だから、僕達は自分達の音楽で何かを解決しようと主張することはない。重要なのは考えることであり、結論は自分自身のためではなく、聴いている人々のためにあるべきもの。そして、若くて未熟であることは質問を投げかけるには最適な立場であり、逆に自分達のような人間が答えを導き出すことができたとしたら、それは間違ったビジネスになってしまう。僕達は単に質問を提示するためにここにいるんだよ。

ハニ:質問することで理解しようとしているというか。そのプロセスを通じて学ぶことが重要であって、それこそが目的でもある。

——「Generation Game」は「銃口を見つめている世代がいる」というフレーズで始まりますが、自分達はどんな世代だといえると思いますか。

アーチー:正直、あらゆる物事について絶望させられることが多い。ただ、それは僕達の世代に限ったことだとは思わないし、60年代や70年代の子ども達も同じようなことを言っていたと聞く。でも、僕達はより無力になっているように感じる。周りの世界をコントロールできないという無力感。誰一人として満足できないようなことが起こる。60年代や70年代に希望がないと言っていた若者達は、それでも新しい文化を作り出したり、反抗したり、社会のルールを破ることができた。けれども今は、そうして何かを克服するために実際に行動を起こすことがとても難しい地点に差し掛かっていると感じるんだ。

——ええ。

アーチー:特にインターネットの影響についてはそれを強く感じる。90年代にボウイはインターネットの可能性について予言していたけど、それでもこれほどまでに巨大なものになるなんて誰も考えていなかったと思う。インターネットは、ひとたび騒動に巻き込まれたら最後、それと関連づけられ、烙印を押されて、誰かを攻撃するための武器として利用されかねないような場所だ。誰もあなたのことを忘れてくれない。そして僕達が生きている間は、その傾向がますます強まると思う。それも、政府ではなくグローバル企業が世の中の主導権を握っているような状況においてはとくにね。これはとても大きな問題だし、その影響に対処する方法を考える必要があると思う。

——そうした感覚や問題意識というのは、地元の自分達の世代で共有されたものなんでしょうか。それとも、メンバー内で共有されたトピックといった感じですか。

ハービー:僕達の世代は政治にとても関心が高いという評判がある。でも自分達ではよくわからないし、そうした評判に必ずしも根拠があるわけではないかもしれない。表面的には僕達の世代は積極的に政治に参加しているように見えるかもしれないけど、自分達が特別そうだとは思わないし、誰だって自分の意見というものを常に持っていると思う。それと、僕達の周りにはあまりにも多くの情報がありすぎて、さまざまな考えやアイデアに少し惑わされているところがあると思う。だから何かをしようとする場合、それとは逆のことをする情報が圧倒的に多すぎて、しばしば最も簡単な選択肢は“何もしないこと”になってしまう。その一方で、逆にきわめて少数の人々がとても極端な行動を選択している。なぜなら彼等はエコーチェンバーに閉じ込められているから。そこに善意があろうがなかろうが、それがロクな結果を生まないことは明らかだと思う。

ヘブデンブリッジのロック・シーン

——先ほど音楽ヴェニューの話も出ましたが、ヘブデンブリッジのロック・シーンについてはどうでしょう?

キャメロン:どうだろう? そもそもリストアップできるだけの数のバンドが地元にはいないというか。

ハービー:たとえレコード契約がなくても、“シーン”の一部であることはできる。実際、僕達の友達の中にもそういう考えを持っている人がいる。ただ、そのような態度がシーンの衰退につながっている側面もあるかもしれない。だって、シーンであるためには“バッジ”が必要だからね。

ハニ:その点、ロンドンのThe Windmill(※ブラック・ミディなど英国の若手バンドを多く輩出した南ロンドンのブリクストンにあるライヴハウス)の周りはうまく機能しているんじゃないかな。彼等はレーベル(Speedy Wunderground)を作り出し、それが大きくなると、またどこからか別のバンドが現れるという好循環がそこには生まれていると思う。

ハービー:音楽は成功のためにあるのではなく、踊るためにあるべきだ。目の前の100人を踊らせることができたら、それに勝る音楽にできることは他にない。誰もがそうあるべきだと思う。すべては音楽のためだけに行うべきで、バンドの名前を売るためにギグを利用しようなんてするべきじゃない。ましてやビッグなロック・バンドをサポートしたりする必要はないわけで、みんながそれぞれツアーに行って演奏スキルを向上させればいい。それが楽しいし、それが“キャリア”なんだよ。だから“シーン”と呼ばれるものって薄っぺらいんだ。“シーン”とはもっとスピリチュアルなものであるべきだと思う。

——例えばロンドンのバンドにインタヴューすると、再開発や外国資本の流入によって街の形が変わり、文化の流れが途絶えてしまったり、そもそも“シーン”と呼ばれるものが存在することが難しくなった、という話をよく聞きます。

アーチー:ロンドンですでに起きていることほどではないにせよ、僕達の地元にも忍び寄りつつあると思う。自分はロンドンに住んだことがないからわからないけど、友達と毎日会える場所があって、音楽を演奏したり、話をしたりできる場所があるって本当に素晴らしいことだよね。そして今まさに、そのような場所が踏み潰されようとしている。僕は(イギリスの)南北格差というものを信じていない。南部にいる人達にも(北部と)同じように貧しい人達がいると思う。けれど最近は、南部のお金を持っている人達が南部や北部の住宅やヴェニューを買い占め始めているという傾向が見られる。それは文化の大きな喪失を意味する。耐え難い状況だよ。僕達の地元にはまだ2つのヴェニューがあるけど、それを奪われることの厳しさは理解できるよ。

ハニ:多くの面でサポートが不足しているんだ。リハーサル・スペースもそうだし、人が集まって一緒に音楽を演奏する場所を見つけるのがとても難しいという現実がある。例えばロンドンに行くと、マンチェスターよりもさらにひどい状況にあることがわかる。ただ僕達は幸運で、地元にはそうした場所がまだかろうじてあるし、そこで知り合った人々がサポートしてくれる。けれど都市部に住んでいて、そうした機会がない人々にとっては先行きを見通せない恐ろしい状況だと思う。バンドを始める環境として今は不安のほうが多いからね。

アーチー:すべてにおいて企業色が強くなっている。地元でも多くのパブが個人経営ではなくなった。インディペンデントであることの素晴らしさは、多少のトラブルに巻き込まれることがあってもやり過ごせることで、ルールをねじ曲げることができることだと思う。一方、すべてが一本化され、多くのスタジオやクラブが同じ企業によって運営されるようになると、ほとんどが均一化された景色になってしまう。実際、今やどこもかしこも同じチェーン店ばかりで、世界中が似たり寄ったりのクソみたいな場所なんだ。

ハービー:不動産市場の影響も大きい。実際、少しでもお金がある場合、一定の収入を保証する最も簡単で効果的な方法は不動産を持つことなわけで。それはとても古臭いやり方で、けれど異常なスピードでこの国に浸透している現状がある。そうした状況の中で、他の誰かに高価な住まいを提供した方がもっと儲かるのに、誰があなたに安い住まいを提供するのか。誰がリハーサルや音楽制作のための場所を提供するのか、という。それがパブやクラブがなくなっている理由だ。“スペース”というのは生活のための空間であり、僕達がここにいる理由や証となる場所なのだから。それを通貨として扱う行為は、誰にとってもすべての人生を台無しにすることであり、本当に恥ずべきことだと思う。

魅力的な言葉やフレーズを拾い集めて歌詞にする

——ちなみに、ヘブデンブリッジの若者が夢中になるものって、音楽以外でどんなものがありますか。

キャメロン:スケートボードをやっていたね。でも腰を痛めてからやめてしまったけど。兄貴は本当に上手かった。僕らはみんな下手だったけどね(笑)。あと、みんな絵を描くのが好きだった。

ハービー:洋服が好きな人が多いね。ヘブデンブリッジには中古のチャリティー・ショップや古着の文化があって。それしか選択肢がないような人達が多いんだ。でも、かつてはチャリティー・ショップやヴィンテージ・ショップだった場所が普通の洋服店になっていたりもして。夕方から夜にかけて街をブラブラすると、一晩でいろんな場所を訪れることができるのは素晴らしいところかもしれない。バーやカフェ、それにベンチがたくさんあって、人々がつねに交差していて、街に流動性があるというか。

——音楽以外のカルチャーで、ザ・ラウンジ・ソサエティを形作ったものを挙げるとするなら何がありますか。

キャメロン:テレビかな。『ブレイキング・バッド』や『マッドメン』は最高。ちょっと取りつかれているように観ているところがあるかも。

アーチー:いわゆる評論家気質なんだよ。1つのことについて何度も何度も、それこそ何時間も話し合い、そこから多くのことを引き出すのが好きなんだ。部屋にこもって、馬鹿騒ぎしながらね(笑)。

ハービー:“分析”への愛だね。自分達が関心のあるトピックだったらいつまでだって議論できる。

——特にリリックの部分について影響を意識するようなものはありますか。

ハービー:そこは独自の教養というか、いろいろなものをかき集めているような感覚なんだ。自分が見たもの、感じたものの中から際立ったピースをピックアップする。これは完全にドライ・クリーニングのシンガー(フローレンス・ショウ)から盗んだものでもあるのだけど、でも、フレーズを大量に集めるというアイデアは僕達全員が常に頭の中で考えていることだと思う。それが内側から来るものであれ、外的なものであれ、魅力的な言葉やフレーズをひたすら拾い集める。そして作詞のタイミングになると、僕達4人はカササギのように集まって、拾い集めた言葉やフレーズをテーブルの上に広げて、そこから新しいものを作ろうとする。

キャメロン:マイクロブログ(microblog)って上手い言葉だと思う。音楽を聴いたり、素晴らしい作詞家の言葉に触れたりすることは、読書と同じような効果をもたらしてくれる。そして、もっと読みたくなる。台詞をどこに入れて、それをどう表現するか。大事なのはリズムや発音で、ただページに言葉を並べればいいってわけではない。だから音楽で聴くほうが理にかなっているし、より応用がきくし、学べることにより多くのレイヤーがあると思う。

ハービー:詩というのは、境界線にあるものなんだと思う。リズムとリズムの間。メロディじゃなくてね。

——デビュー・アルバムの『Tired of Liberty』がリリースされて1年。次の作品に向けた曲作りの状況も気になりますが、今のバンドのモードはどんな感じですか。

キャメロン:曲はいつも書いているよ。それと、できるだけライヴで演奏したいと思っている。今の僕達は、徐々にフェードインして、ゆっくりと変化していくような感じなんだ。だから今は、何も考えずに、ただ曲を書くことを楽しんでいる状態かな。最初のレコードの時よりもたくさんの曲を書いているし、成長を感じているよ。

アーチー:フレッシュな視点を持ちつつ、息が長い曲を書きたい。そこにこそ価値があると思うし、今の僕達が進むべき方向性なんじゃないかな。

Photography Takuroh Toyama

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UKバンド、アイドルズが表現する“ヒューマニズム” パンデミックを経ての気付きと深化 https://tokion.jp/2023/09/11/interview-idles/ Mon, 11 Sep 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=207360 注目のUKバンド、アイドルズのフロントマンのジョー・タルボットがバンド活動を支える理念、音楽制作の背景やルーツについて語る。

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アイドルズ(IDLES)
英ブリストルで結成。メンバーはジョー・タルボット(vocals)、ダム・デヴォンシャー(bass)、マーク・ボーウェン(guitars)、リー・キアナン(guitars)、ジョン・ビーヴィス(drums)の5人で、2017年にデビュー・アルバム『Brutalism』をリリース。2018年にはセカンド・アルバム『Joy As An Act Of Resistance』を、2020年にはサード・アルバム『Ultra Mono』をリリース。サードアルバムはUKチャートの1位を獲得した。2021年には、ケニー・ビーツとギタリスト、マーク・ボーウェンの共同プロデュースによる4枚目のアルバム『Crawler』をリリースした。

ここしばらくの英国ロックの活況を先陣切って導いた存在。アイドルズ(IDLES)についてそういう見方もできるかもしれない。活動歴的には、アークティック・モンキーズ(Arctic Monkeys)とブラック・ミディ(Black Midi)らロンドンの若手の間に位置するブリストルの5人組。結成からデビュー・アルバム『Brutalism』(2017年)のリリースまで8年を要するもライヴ・シーンで評判を集め、DIYなスタイルを貫く傍ら、フー・ファイターズ(Foo Fighters)やメタリカ(Metallica)にフックアップされ支持を広げるなど着実にキャリアの基盤を築いてきた。2018年の2作目『Joy As An Act Of Resistance』は翌年のマーキュリー・プライズにノミネートされる高い評価を獲得。続く2020年の3作目『Ultra Mono』はバンドにとって初の全英1位を記録した作品となり、その躍進を大きく印象付けたことも記憶に新しい。

そんなアイドルズのサウンドに関しては、「パンク」や「ポスト・パンク」とカテゴライズされることが長らく続いた。一方で、FKAツイッグスやヴィンス・ステイプルズ(Vince Staples)のプロデュースで知られるケニー・ビーツ(Kenny Beats)と制作された『Ultra Mono』を機に、特にビートやプロダクションの部分で彼等が音楽性を深化させてきたことも事実である。そして、そのケニー・ビーツと再び組んだ最新アルバム『Crawler』(2021年)は、音楽面はもとより、パンデミックを経て深く掘り下げられたリリックの充実度においても、現時点で彼等のベスト・ワークといっていい。

この夏「フジロック」に出演し、5年ぶりの来日を果たしたアイドルズ。そのバンド活動を支える理念、音楽制作の背景やルーツについて、フロントマンのジョー・タルボット(Joe Talbot、ヴォーカル)に話を聞いてみた。

コロナ禍で制作されたアルバム『Crawler』

——「フジロック」のステージはいかがでしたか。

ジョー・タルボット(以下、ジョー):世界中のどんなフェスティバルに出る時も、一番大事なのはショウであることを忘れてはいけない。どんなに美しくてマジカルな環境であっても、ショウのフィーリングほど素晴らしいなものはない。そして、観客との間に生まれるエネルギーが最も重要なんだ。だからいつだってショウのことを第一に考えてステージに臨んでいる。でも今回、東京以外で日本に来たのは初めてだったんだけど、とても美しかったよ。周りは森と山だけで、見事な環境だった。人々も素晴らしいね。

——他のアーティストのライヴは観ましたか。

ジョー:いや、何も観ずに自分のショウに集中していたよ。それが自分のできるすべてだからね。

——2年前にリリースされた『Crawler』はパンデミックの最中に制作された作品でした。それからロックダウンが明けて、ツアーが再開するなどして時間が経つ中で、アルバムについて発見があったり、理解が深まったりしたようなところはありますか。

ジョー:うん、他のどのアルバムよりもね。自分達の場合、曲を作るにあたって「ライヴで演奏する」という行為は常に頭の中にあるものなんだ。音楽というのは生きているものだからね。でも『Crawler』では全く考えることができなかった。僕はリモートで曲を書いて、ボーウェン(※マーク・ボーウェン、ギタリスト)も自分ひとりで曲を書いた。だから、そこには内省と孤独があった。そのことは自分達の曲の見方を変えた。あの時自分が考えていたのは、ただ最高の曲を作ること。ライヴのためでもなく、ファンのためでもなく、自分達のためにね。自分達にとって大切なものが変わったんだ。でも、僕等にとって重要なのはライヴのエネルギーであり、転じてそこから最高の曲が生まれるんだと思う。そして、最高のライヴが人々を1つにさせる。そう、だから(制作時と今とでは)すべてが変わったよ。

——『Crawler』の制作は、バンドにとって大きなエポックを意味する出来事だったんですね。

ジョー:そう、僕にとってパンデミックは、ある意味とても“革命的な”時期だったのかもしれない。自分自身について多くを学んだ。内省することで自分の考えを改める時間があったからね。文字通りに自分を変えることができたんだと思う。それを経て、今の自分は、ファンがどう思うかを考えて怖がるようなことが少なくなった。なぜならパンデミックによって、誰もが恐れを抱いていることを理解できたから。誰もが不安や喪失感を抱えている。自分なんて大したことない。ただ、音楽やアートにおいては、誰もが等しく重要なんだ。自分が学んだのは、曲だけに集中して、他のことは何も考えず、その曲が自分に感じさせてくれることを何でも書けば、そこから多くのものを得ることができるということだった。自分にはまだ書くべき物語がたくさんあるし、それは尽きることがない。人生は終わらないし、音楽やアートは続いていく。そして、そこに真のエキサイトメントがある。だから僕はもう何も気にしないし、変わることを愛することができるようになったんだ。

——アイドルズは「パンク」や「ポスト・パンク」にカテゴライズされることが多いですが、『Crawler』や前作の『Ultra Mono』以降、もっと多様な影響を感じさせるサウンドへと変化を遂げてきた印象を受けます。そのあたりの音楽的な成果についてはどんな手応えを感じていますか。

ジョー:僕等のアルバムはどれも、その時に自分達がいた場所を映し出したものとして重要だと思う。自分達が「パンク・バンド」かどうかなんて興味はないし、「ポスト・パンク」かどうかについてもそう。パンクは大好きだし、ポスト・パンクも大好きだ。それにテクノやヒップホップ、ジャズも好きだよ。でも僕にとっては、音楽の世界ではどんなことでも祝福できる、恥じることはないんだって感じてもらうことが重要なんだ。テイラー・スウィフト(Taylor Swift)のような美的感覚において完璧とみなされる人でないからといって醜いと感じるのではなく、より小規模なアーティストや、若い人達が解放された気分になれるようなさまざまなアーティストをサポートすることの方が、僕にとっては大事なこと。目を閉じればすべての音楽が美しい。1つのジャンル、1つの瞬間、1つのアルバム、1つのどうでもいいことに集中することで、人生への祝福を感じてもらいたい。だからパンクな曲が書きたければ書けばいいし、グラム・ロックな曲が書きたければ書けばいいし、フォーク・ソングが書きたければ書けばいい。自分が祝福したいことに何の制約も感じるべきではない。好きであるならば自由だ。

だから、特に『Crawler』と『Crawler』のあとに書いている新しい曲は、僕等が望むものを何でも祝福しているから、最も達成感のあるものになっていると思う。それぞれの曲は、僕にとっての大事な何かであったり、僕等が望む何かを組み合わせたような曲なんだ。ルールがないからなんでも作れるし、とてもエキサイティングに感じるよ。

ケニー・ビーツの存在

——アイドルズのサウンドがレンジを広げた背景には、『Ultra Mono』と『Crawler』と2作続けて制作を共にしたケニー・ビーツの存在も大きかったと思います。

ジョー:彼がInstagramでメッセージをくれたんだ。「ファンだから、もし一緒に仕事をしたくなったら電話してくれ」って(笑)。僕も彼のファンだったし、彼が手掛けたレコードのいくつかは大好きだったから、すぐにメッセージを送ったんだ。僕等はアメリカのツアーで数日間LAにいて、ギャング・オブ・フォー(Gang Of Four)のカヴァー・アルバムみたいなプロジェクト(『The Problem Of Leisure: A Celebration Of Andy Gill & Gang Of Four』)をやっていたんだ。アンディ(・ギル)が亡くなる前にね。それで、彼も同じ時期にLAにいたから、一緒に仕事をしたんだ。完璧だったね。他の人とは仕事をしたくないと思うくらい、彼は最高だった。

——そのケニー・ビーツと『Ultra Mono』で初めて組んだ際には、カニエ(・ウェスト、Kanye West)の『Yeezus』やデス・グリップス(Death Grips)の話題で意気投合されたと聞きました。ジョーさん個人としては、これまでどんなダンス・ミュージックやエレクトロニック・ミュージック、ヒップホップを聴いてこられたのか興味があります。

ジョー:僕はジャングル・ミュージックで育った感じだった。「Helter Skelter」っていうレイヴのイベントによく行ってたね。あと「One Nation」とか。コンゴ・ナッティ(Congo Natty)は僕の大好きなジャングリストの1人だ。正直、最近のエレクトロニック・ミュージックにはあまり満足していないんだけど……サックスなんだけど、テクノみたいなサウンドで、マイクロフォンを使った演奏で……そう、ベンディク・ギスケ(Bendik Giske)は素晴らしいね。コリン・ステットソン(Colin Stetson)に似ていて、とてもテクノロジカルで、モータリックな感じで、大好きなんだ。他にエレクトロニック系だと、ブリストルのジャイアント・スワン(Giant Swan)。あと、マンチェスターのバンドなんだけど、マンディ,インディアナ(Mandy, Indiana)も最高。新しいところだと、オーヴァーモノ(Overmono)のアルバム(『Good Lies』)もよかったな。

——以前にバンド名義でセイント・ヴィンセント(St. Vincent)やフローレンス&ザ・マシーン(Florence and the Machine)のリミックスを手掛けていましたね。もし『Crawler』のリミックス・アルバムを制作するとしたら誰にお願いしたいですか。

ジョー:うーん、誰だろう……フォー・テット(Four Tet)、トム・ヨーク(Thom Yorke)……そうだな……アルケミスト(The Alchemist)! 彼等のリミックスはクールだよね。ジャイアント・スワン(Giant Swan)も素晴らしい。彼等は友達だから、僕等のことも知っているしね。

——逆に、自分達がリミックスするとしたら?

ジョー:フランク・オーシャン(Frank Ocean)。お金のためでなければ(笑)。でもやっぱり、ベンディク・ギスケかな。何かを加えたらもっと面白くなりそう。

——でも、いわゆるロック・バンドがリミックスを手掛けるのって珍しいですよね?

ジョー:僕とボーウェンは2人とも、バンドをやる前はDJだったんだ。プロモーターの友人を通じて知り合ったんだけど、知っての通り、僕ら2人はテクノやヒップホップに夢中で、僕はグライム、ボーウェンはハウスが大好きだった。それと、僕等の共通点はポスト・パンクだった。だから一緒にバンドをやるにはよかったわけだけど、でも同時に、僕ら2人はDJやリミックス、プロデュースにとても興味があるんだ。

——いわゆるロック・ミュージックやパンクからは得られないものがそこにはある、という感じですか。

ジョー:まあ、時と場合によってね。エレクトロニック・ミュージックにも、すごく暴力的なものもあれば、すごくメロウでドリーミーなものもある。同じように、ヘヴィなロックンロールもあれば、1950年代のバディ・ホリーのような初期のロックンロールもある。だから、僕が音楽に求めているものはどんなジャンルでも変わらないんだ。音楽を聴くことは人生の魔法を感じることでもある。ある種の音楽は僕を宇宙に連れて行ってくれるし、他の何ものよりもずっと大きなものの一部だと感じさせてくれる。それこそがヒューマニティであり、ここではないどこかであるような感覚を音楽の中では感じることができる。だからジャンルはなんだっていいんだ。

「僕の音楽はヒューマニズムを表現している」

——金曜日の「フジロック」初日に出演されて、今日は3日後の月曜日になります。このあとも数日ほど日本に滞在されるそうですが、レコード会社のスタッフによると、大好きなラーメンを堪能されていたとか。

ジョー:ラーメンは世界で一番好きな食べ物なんだ(笑)。あと、ローソンも大好きだ。ダイフク? 牛乳とコラボしてるお菓子があってね(※ミルクプリン大福)。牛乳の甘さが感じられていいんだ。たくさん食べたよ。

——(笑)。日本ならではの文化やアートに触れるような機会はありましたか。

ジョー:3日間でそこまではやるのは難しかったね(笑)。でも、東京は大好きだよ。美しい場所だ。だからあちこち歩き回ったり、自転車をレンタルして街をサイクリングしたりした。新宿公園にも行った。あと、僕は建築物が好きだから、眺めたり写真を撮ったりしてね。

——これまでツアーで世界中を回って来られたと思いますが、そうした経験や、訪れた先で触れたアートやカルチャーに創作のインスピレーションを受けることはありますか。

ジョー:うん、時にはね。さっきも言ったけど、僕は自分の音楽や曲には率直さや透明さ、誠実さが欲しい。直感的で人間的な感情が欲しいんだ。そして、異なる文化に触れたり、世界中を回ったりすることで、新しいものをたくさん見ることができることに感謝する。それはとても恵まれたことだし、ありがたいことだと思う。自分の音楽のために人生を謳歌するのが大好きなんだ。

その一方で、曲を書いている時の僕の視界は本当に狭い。なぜならそれは、個人的な洞察や直感に基づいているから。東京のストリートやブリストルのストリートなんて、僕にとってはどうでもいいことなんだ。僕にとって重要なのは、洞察力、フィーリング、愛、そして人とのつながり。旅に出るか出ないかは、僕のアートにとっては何の意味もない。僕は英国のことは書かない。自分がどう感じているかについて書く。断絶、恐怖、政府への怒り、自分が望んでもいない国王への怒り……街並みがどうであろうと、食べ物がどんな味であろうと関係ない。でも、その根底にあるものは同じなんだ。だから、音楽を通じて世界中どこでも人々がつながることができる。

——ええ。

ジョー:だから感謝しているんだ。僕の仕事は、世界がいかに美しいか、そして皆がいかに違うかを気付かせてくれる。でも、その根底にあるものはとても似ている。僕の音楽はヒューマニズムを表現していると思う。それは“イギリス人の”とか、英国的なユーモアとかではない。だから、日本人であるとか、アフリカ人であるとか、そのことがそれ以上に重要であるとか、それ以下であるとか、何かそこに特別な面白みを感じるようなことはない。文化とはそれ自体が、さまざまな異なる場所に息づいたダイナミックな言語なんだ。でもその文化の根底には、1400年代から2023年までのすべての絵画を見ればわかるように、僕が愛するもの、喪失、恐怖、戦争、お金がある。そして、これらのことは世界中で見ることができる。日本と西洋の芸術には共通点がある。イギリスも日本も、時代を遡れば愛のあるセックスがテーマとして描かれている。異なる食べ物や、異なる神。ただし、その根底にあるのは人間だ。だから世界を旅しても僕は何も変わらない。ただ感謝の気持ちが大きくなる。そして、自分がいかにちっぽけでどうでもいい存在で、音楽がいかに大切なものかを深く知ることになるんだ。

映画から受けた影響

——今も絵画の話が出ましたが、音楽以外で、ジョーさん自身を形作ったアートやカルチャーとなるとどんなものが挙げられますか。

ジョー:映画かな。大学で勉強したんだ。映画が大好きで、脚本家になりたかったから。ただ正直、映画からインスピレーションを受けるようなことはないんだ。映画を見て、それを食べ物のように吸収する。映画の良さを知るのは興味深いことだし、とても楽しい。でもそれだけなんだ。音楽が自分を変えてくれるようなことはあっても、映画が自分を変えてくれるようなことはめったにない――『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はその例外の1本だね。音楽はいつも、聴くたびに僕の価値観を変えてくれる。だからアルバムを書くためのインスピレシーションが欲しい時はいつも、“視覚的な言語”を求めてアートギャラリーに行くんだ。自分は物事を視覚的に理解するタイプなんだと思う。自分の場合、“視覚的な言語”から音や作品のイメージが生まれる。だからアートギャラリーに行ってアートを見ると、新しい音楽を作る手助けになる。特に絵画や彫刻、建築物を見た時に最高のインスピレーションが生まれるんだ。

——学生時代に実際に映画を作ったりしたんですか。

ジョー:いや、僕が学んだのは映画理論と社会学だった。でも、映画を作りたいという思いはあった。実は大学に入る前に映画を作ったんだけど、あれはヒドかったな(笑)。個人的には、1960年代のフランス映画に興味があったんだ。あと黒澤映画もよく観た。だからそれを真似て、自分でも映画を作りたかったんだよね。人間同士の交流や会話をテーマにした、重厚な映画を書きたかったんだ。今でも脚本を書きたいと思っているし、いつか書こうと思う。僕は人が会話している様子を観察するのが好きだし、たとえ短い時間の会話だとしても、そこには僕達のすべてが凝縮されていることに気付くことができる。だからとても興味があるんだ。

——じゃあ、バンドのミュージック・ビデオの制作にも関わっている?

ジョー:うん、すべてのビデオにね。

——こだわりはありますか。

ジョー:短編映画やミュージック・ビデオは、3分半という短い時間の中で1つのことを見事にやり遂げるというチャレンジに惹かれるんだ。だから、とてもシンプルなワンショットやアイデア、コンセプトが好きなんだ。いくつかのビデオではそれを試みているのだけど、まだ満足いくレベルには達していないように感じる。まだ自分の中では音楽のほうが優先度が高いし、だからいずれもっと完成されたものが作りたいと思っているよ。

——ちなみに、黒澤映画で好きな作品はなんですか。

ジョー:『赤ひげ』だね。もちろん『七人の侍』も素晴らしいけど、やっぱ『赤ひげ』かな。

——黒澤明の映画とはどんなふうにして出会ったんですか。

ジョー:大学で黒澤明について勉強したんだ。ショットの勉強が授業の一環としてあってね。ただ、日本映画に限定してってわけではなく、アジア全域のさまざまな映画を観た。韓国映画もたくさん観たし、フランス映画もたくさん。ドイツ映画も少しだけね。

——日本の音楽についてはどうですか。

ジョー:YMOは聴いたよ。僕がヒップホップにハマっていた頃、知り合いがスクラッチDJをやっていて。そこで彼等の音楽を発見したんだ。でも、日本の音楽についてはあまりよく知らない。逆に、何かオススメはある?

——betcover!!とかかっこいいですよ。

ジョー:ああ! そういえばこの前、BEATCAFEに行った時にも誰かが教えてくれたな。そう、betcover!!ね。

——アイドルズは結成以来これまで、ブリット・アワードやマーキュリー賞でノミネートされるなど評価やファンからのサポートの面でも順風満帆なキャリアを歩んできたように見えます。最新作の『Crawler』は今年のグラミー賞で「ベスト・ロック・アルバム」の候補作にも選ばれましたが、そんなバンドやジョーさん個人にとって「成功」とは何を意味するのか、最後に伺えますか。

ジョー:“成功”とは自分にとって、たぶん3つのことのバランスが取れている状態がもたらすものだと思う。それは『Challenge(挑戦)』、『Comfort(安らぎ)』、『Peace(平穏)』。『Comfort』は、休息、健康、愛、家族から来るものだと思う。おいしい食べ物、心地よさを感じさせてくれるいい音楽、あたたかくて柔らかくて安全な気持ちにさせてくれるもの。『Peace』は、受け入れること、共感すること、忍耐、ハード・ワーク、質の良い睡眠から生まれると思う。そして『Challenge』は、努力と決意から生まれる。それと好奇心と、居心地の良さからあえて飛び出すような仕事から。もちろん、時には熟睡できないこともある(笑)。でもね、そのバランスこそが自分の仕事であり、自分のやるべきことなんだと思う。そのバランスがとれている時が“成功”だと思うんだ。常に新しい挑戦がある時、そこには常に何か困難なことがやってくる。でも、あなたにはそれをやり遂げる優しさと勇気がある。そのために、素晴らしい友人や愛する家族と過ごすこと。あとはおいしい食事と、良い睡眠。だから自分は幸運だと思う。望むものすべてが手元にある。それが僕にとっての“成功”なんだ。

——『Crawler』のリリースから2年になります。先ほども「『Crawler』の後に書いている新しい曲」と話されていましたが、今現在何か新しく取り組んでいることがあるのでしょうか。

ジョー:後でオフレコで話すよ(笑)。

——期待していいんですね(笑)。

ジョー:ノーコメント(笑)。まあ、もうすぐだよ。僕らは常に新しいものに取り組んでいる。いつも曲を書いているし、いつも音楽を作っている。だから、そうだね、何か制作中なのは確か、とだけは言えるね。インタビューが終わったら、その理由を詳しく話すよ(笑)。

Photography Hironori Sakunaga

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シューゲイザーを代表するバンド、ライドが語る「創作の源泉」——アートやカルチャーからの影響 https://tokion.jp/2023/05/26/interview-ride/ Fri, 26 May 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=187531 ヴォーカル/ギターのアンディ・ベルとドラムのローレンス・コルバートが語る創作の源泉。

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ライドのローレンス・コルバート(左)とアンディ・ベル(右)

ライド(RIDE)
マーク・ガードナー(G,Vo)、アンディ・ベル(G,Vo)、ステファン・ケラルト(B)、ローレンス・コルバート(Dr.)の4人で結成され、英クリエイション・レコードから1990年に1月に「Chelsea Girl」を含むEP『RIDE EP』でデビュー。同年10月に待望のフル・アルバム『Nowhere』をリリース、1992年2ndアルバム『Going Blank Again』、1994年3rdアルバム『Carnival of Light』をリリースしたが、1995年4thアルバム『タランチュラ』の発表を待たずに、グループは解散を表明。2014年に再結成し2017年にアルバム『ウェザー・ダイアリーズ』を、2019年に『ディス・イズ・ノット・ア・セイフ・プレイス』をリリースした。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(My Bloody Valentine)、スロウダイヴ(Slowdive)と並ぶ「シューゲイザー」の伝説的バンド、ライド(RIDE)。先日行われた4年ぶりの来日公演では、彼等の代表作『Nowhere』と『Going Blank Again』を“再現”する特別なステージを披露。さらに、初期のベスト盤『OX4_ The Best of Ride』で構成された追加公演が行われたほか、未発表の新曲(“Monaco”)も演奏されるなど、今回のジャパン・ツアーは今年で結成35年を迎える彼等のキャリアを祝するような特別な機会となったのではないだろうか。

そんな彼等の始まりは、1980年代の終わり、4人がバンドを結成するきっかけの場所となったイングランド・オックスフォードシャーのバンベリーにあるアートスクールでの出会いにさかのぼる。例えば4年前のアルバム『This Is Not A Safe Place』では、ロンドンのバービカン・センターで見たバスキアの展覧会がインスピレーションの1つに挙げられていたが、彼等がこれまで音楽に限らず映画や小説、美術作品などに対して広く関心と造詣を示してきたことはファンの間で知られたところ。「カッティングエッジな存在こそが未来を創る」と語るドラムのローレンス・コルバート。かたや、スタイルよりも「感情を伝えること、それにふさわしい言葉を探すことが大事」とリリシストとしての流儀を説くヴォーカル/ギターのアンディ・ベル。今回のインタヴューでは、そんな2人が触れたり影響を受けたりしてきたアートやカルチャーの話題を通じて、ライドというバンドの創作の源泉に光を当ててみたい。

10代で影響を受けた作品

——昨晩(4月19日)のショーは『Nowhere』の再現ライヴということで、ファンにとって特別な一夜になったと思います。お2人にとっては、当時の曲を演奏することの醍醐味、あのアルバムの色褪せない魅力はどんなところにありますか。

ローレンス・コルバート(以下、ローレンス):自分達がもっと若かった頃、つまり18歳の少年だった頃を思い起こさせてくれる。その時の自分がいかに弱くて繊細だったか、また、どんなふうに物事を経験していたかを実感することができる。年齢を重ねて、より多くを学び、いくらか物事をコントロールできるようになった状況でそれを体験できるのは素晴らしいことだと思う。ティーンエイジャーの経験というのはとても強烈だからね(笑)。あの頃の感情や気持ちを、今だったらもう少し理解してコントロールできるような気がするんだ。

アンディ・ベル(以下、アンディ):今振り返ると、あのアルバムのトラックリストや内容に関していえば、我ながら大胆な決断をしたと思う。ただそこには、ある種の脆弱さ、傷つきやすさというものがあった。そしてその脆弱さや傷つきやすさとは、ある意味、勇敢さの裏返しでもある。誰しも何かを始めるという時には、そうした種類の勇敢さが必要なんだ。だからこそ、長く続けていくうちに得られるものもより多く、大きくなったんじゃないかな。

——今ローレンスさんから「ティーンエイジャー」という言葉が出ましたが、ライドを結成する前はメンバーの4人ともバンベリーのアートスクールに通われていたんですよね。

アンディ:そう、僕とマーク(・ガードナー)、スティーヴ(・ケラルト)の3人はもともとその前に同じ学校に通っていてね。だから一緒によく遊んでいたんだけど、ただ、何かを真剣にやるという感じではなかった。それでアートスクールに通うようになり、今の4人が1つになった。学校を卒業する頃にはすでにいくつかのショーに出演し、〈Creation Records〉に拾われるまではあっという間だった。というか、6、7回くらいしかライヴをしなかったんじゃないかな。当時はレコード会社なんてものもよくわからなかったし、とても不思議な感覚だったね。

——その当時、音楽以外で影響を受けたり、夢中だったりしたアート作品はなんでしたか。映画や小説とか。

アンディ:『ベルリン・天使の詩(Wings of Desire)』かな。

ローレンス:『長距離ランナーの孤独(The Loneliness of the Long Distance Runner)』も好きだったね。

アンディ:ヴィム・ヴェンダースのモノクロ映画だったり、あとはデヴィッド・リンチの映画にも影響を受けていると思う。

ローレンス:『ワイルド・アット・ハート』とかね。でも、もっと広い意味でのアートやカルチャー、つまり自己表現をしている人達の作品に僕達は共感したり惹きつけられたりしてたと思う。多くの場合は単なるいちファンとしてね。例えばマイ・ブラッディ・ヴァレンタインにしても、そのサウンドに限らずアートワークやジャケットが本当に好きだった。当時、ストーン・ローゼズがジャクソン・ポロックを模したアートワークを手がけたのも大きな話題になったよね。そう、だから(影響を受けたり夢中だったりしたものは)たくさんあるので、1つや2つを選ぶのは難しい。ただ4人の間には、同じようなモチーフやインスピレーション、参照点を共有する、ある種の繋がりがある。そして、そうした繋がりの中で、何か新しいことをやりたいという思いで僕達は1つになっているんだと思う。

アンディ:僕達がやった初期のインタビューの1つで——確か「Melody Maker」だったと思うけど、その中で映画や本のタイトルとか、つまり僕達の文化的参照点(cultural reference points)をリストアップする企画があってね。当時、そんなふうに僕達はお互いの間でそのようなことをよく話していたんだ。あれは本当に楽しかったな。

歌詞は「自分の感情を説明できるか」が1番のポイント

——お2人は歌詞も書かれますが、例えばリリシストとして影響を受けた作家や小説などあったりしますか。

ローレンス:これが僕達のやり方だとしか言いようがないのだけど——つまり1番のポイントは「自分の感情を説明できるか」ということなんだと思う。自分の気持ちをどう表現するか、さらに詩的な表現ができるかどうか。だから作家を並べて、「このスタイルが好きだからこっちにしようかな」とか「こういう路線で行こうかな」とか考えることはあまりない。ただ、自分自身を本当に表現する方法を見つけようとしているだけなんだ。確かに、“参考文献”となるものが何かあれば助けになった部分もあったかもしれないけど、バンドを始めた頃は何もない状態だったからね。それよりも、どうすれば自分の中から引き出すことができるか、できれば詩的なアプローチで、“叫ぶ”ことなく可能な方法を——そんなことを考えていたね。もちろん、後になってリスペクトする作家に出会ったりもしたけど、でも創作のプロセスにおいては、むしろ感情の面で対処することを大事にしてきたかな。

アンディ:いい質問だね。僕の場合、サウンドに関していうと、他の誰かのスタイルや影響を取り入れることもある。でも歌詞に関していうと、「スタイル」というものにあまり意識的ではなくて。ただ感情を伝えることに注力し、それにふさわしい言葉を見つけることが大事なんだ。たとえ歌詞の「スタイル」が最悪でもね。だからそこに余計な誰かの影響が加わるということがあまりないんだと思う。

——なるほど。

ローレンス:ふと思ったんだけど、もしかしたらアラン・ワッツのようなタオイスト、道教(タオイズム)の考え方に共感している部分があるのかもしれない——変なことを言い出すようだけど。だから「Nowhere」の歌詞は、どこか荒涼としていて、空虚で、ある意味、とても魅力的なんだと思う。一見、単純そうに見えるけど、言葉以上の何かを言おうとしている、というか。アンディ・ウォーホルの会話に通じるというか、ある種の哲学的な雰囲気を共有するような、禅的なアプローチと似ているかもしれない。ただ、決して意図的ではなく、あくまで無意識的に、気づいたらそういう形になっていたというかね。

——興味深いですね。

アンディ:そう、僕もちょうど、歌詞が好きで、インスピレーションを与えてくれる人を考えていたんだけど……それは例えばロバート・スミス(ザ・キュアー)みたいな人なんだと思う。なぜなら、彼の言葉には傷つきやすさがあって、とても甘美で、オープンで、誠実で、シンプルなラヴソングだから。そんな彼のまっすぐなアプローチが、僕にとってはとても魅力的なんだ。それってまさにローレンスが言ったように、多くの言葉を使わず、簡潔な言葉で表現することを大事にするっていうことなんだと思う。

「カッティングエッジな存在こそが未来を創る」

——ところで、ローレンスさんはバンドが活動を休止していた時期に大学に通われていたそうで、博士号を取得中という記事を読みましたが。

ローレンス:そうだよ。

——どんなことを学ばれたんですか。

ローレンス:音楽についてだよ。僕は今でも音楽が大好きで、だから大人になってからの楽しみとして(笑)、違うアプローチをしてみたくなって。理論的なところも含めてすべてね。それで結局、コンテンポラリー・アート・ミュージックを専攻して、現代音楽の作曲からレコーディングまでを修士課程で学んだ。おかげで音楽に対する自分の考えを広げることができたと思う。

——その経験や知識が再結成後のライドの活動に活かされた部分もありますか。

ローレンス:そうだね。例えば『Weather Diaries』(2017年)を作った時には、たくさんのアイデアを共有して、フィールド・レコーディングのようなものを取り入れたりもした。ポピュラー音楽の枠にとらわれず、もう少しコンテンポラリーな作品にも手を伸ばせるような、幅の広いインプットができたのはとてもよかったと思う。あと、クリスチャン・マークレーにインスパイアされたギター・ジャムをやってみたり。ソニック・ユースがコンテンポラリー・アーティストと共演した『Goodbye 20th Century』(1999年)のように、僕等もそれに触発されて演奏してみたんだ。あのアルバムはすごい作品で、ピアノを破壊したりしていたよね(笑)。

——(笑)僕も大好きな作品です。

ローレンス:僕等が子どもの頃に好きだったバンドの1つが、ソニック・ユースだったんだ。ソニック・ユースは、僕等が“この世界”を認識し、その世界とつながりを実感できるきっかけとなったバンドだった。彼等の音楽を初めて聴いた時、本当に心の底から感動したことを覚えている。だから、僕等も彼等と同じようなことをいくつもやったよ。ある意味、カッティングエッジな存在こそが未来を創るものであり、時には本当にクレイジーで危険なことをする人達がいて、それが後に大衆文化として定着することもある。誰かがワイルドなことをすることで、アートやカルチャーは新鮮さを保つことができるんだよ。

——ちなみに、アンディさんは昨年、2022年のリリース作品を振り返る記事の中で、バーナ・ボーイの「Last Last」を挙げられていたのが印象的でした。

アンディ:カーニバルの様子を伝えるツイートで知ったんだ。それが信じられないような盛り上がりでね。サウンドシステムを使って、1000人以上の人々が路上であの曲を歌っている映像だった。僕はあらゆる音楽に詳しいというわけではないけど、その中で自分の感性に引っかかる曲というのがある。あの曲はメロディーに惹かれたのがきっかけで、歌詞も面白い。Googleで調べたら、彼がマリファナやアルコールについてどう考えているかがわかるよ(笑)。

——アンディさんはバンドとは別にDJをしたり、ソロでエレクトロニック・ミュージックを制作されたりもしています。そうした視点から、いわゆる欧米以外のポピュラー・ミュージックやビートに惹かれる部分もあるんじゃないですか

アンディ:そうだね、僕はどんな音楽も楽しめると思うよ。

Photography Takuroh Toyama

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フェニックスが語る最新作『Alpha Zulu』の制作背景と細野晴臣〜YMOからの影響 https://tokion.jp/2023/04/07/interview-phoenix/ Fri, 07 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=179135 バンド、フェニックスのトーマス・マーズとデック・ダーシーのインタビュー。

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フェニックスのメンバー。左から、トーマス・マーズ(Vo.)、ローラン・ブランコウィッツ(Gt.)、デック・ダーシー(Ba.)、クリスチャン・マザライ(Gt.)

フェニックス(Phoenix)
トーマス・マーズ(Vo.)、デック・ダーシー(Ba.)、ローラン・ブランコウィッツ(Gt.)、クリスチャン・マザライ(Gt.)による4人組のロックバンド。パリ近郊ヴェルサイユで幼馴染として育った4人で結成。2000年デビュー・アルバム『United』を発表すると、エールやダフト・パンクと並び新世代パリ・シーンを代表するバンドとして一躍有名となる。2009年に4作目のアルバムとしてリリースした『Wolfgang Amadeus Phoenix』は、第52回グラミー賞で「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム」を受賞。2022年11月、最新作『ALPHA ZULU』をリリースした。
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Instagram:@wearephoenix
YouTube:@welovephoenix

2022年11月にリリースされたフェニックス(Phoenix)の5年ぶりのニュー・アルバム『Alpha Zulu』。『United』や『Wolfgang Amadeus Phoenix』といった自身の代表作も引き合いに出されるなど、高い評価を得ている。華やかなダンス・ビートやエレクトロが彩るエクレクティックなロック・サウンドは、それこそThe 1975やテーム・インパラに先駆け、“ジャンル・フルイド”な冒険を実践してきた彼等の真骨頂を示すものだった。

一方で、『Alpha Zulu』はこの5年の間に彼等が経験したさまざまな出来事が影を落とした作品でもある。パンデミックの混乱、そして何よりバンドを長年支えてきたプロデューサー、フィリップ・ズダールの死による影響は大きく、テクニカラーのサウンドとは裏腹に深いメランコリーが複雑な余韻を醸し出している。「僕は生計を立てようとしている/君はそれが気に入らない?/これが僕達の人生に起こり得たことだと思いますか?」(「Winter Solstice」)。ロックダウンの中で、初めて自分一人で書いたという曲でヴォーカリストのトーマス・マーズはそう歌い、アルバムでは悲劇や将来への不安、老いることの恐れ、社会の不確実性といったテーマが思慮深い筆致で綴られている。

この3月に4年ぶりとなるジャパン・ツアーのため来日したフェニックス。バンドにとって“救い”だったというニュー・アルバム『Alpha Zulu』の裏側、盟友フィリップ・ズダールとダフト・パンクのこと、そして日本の文化や細野晴臣〜YMOへの愛について、トーマスとベーシストのデック・ダーシーが話してくれた。

「職人」と「芸術家」の違い

——今回の来日に合わせて、バンドが日本の酒造メーカーと造った日本酒が発売されるそうですね。クリスチャン(ギター)いわく、お酒と一緒に聴いてほしい音楽は、ニュー・アルバムの『Alpha Zulu』に収録されている「Winter Solstice」とか。

トーマス・マーズ(以下、トーマス):あの曲は、アルバムの中でもっとも内省的でポエティックな曲だから。それに、とても視覚的な曲でもあると思う。メンバーが離れ離れになっていた状況で書かれた曲で、だからこそ僕達にとって深い意味を持っています。あの曲のおかげで僕達は多くのことを乗り越えることができたと思います。パンデミックがあったこの数年間で経験したことをもっとも反映している曲で、ライヴで演奏している時も何か神聖(sacred)なものを感じるんです。

——フェニックスは来日経験も豊富で、これまでにさまざまな日本の文化やアートに触れる機会があったと思います。今回の日本酒もそうですが、その中で感銘を受けた日本の文化や職人技、クラフトマンシップはありますか。

トーマス:たくさんありますが、中でも温泉が大好きです。実は今回、少し前から日本に来ていて、いろんな場所を訪れました。毎回、日本に滞在するたびに、フランスと日本の繋がり、文化や職人技術(craft)の架け橋みたいなものを感じます。本当に素晴らしいです。

デック・ダーシー(以下、デック):僕は世界中のいろんなところから子どもに絵はがきを送っていて。中でも日本の“切手”は最高にクールだね(笑)。

——今回のニュー・アルバムはルーブル宮内の美術館でレコーディングされたそうですが、例えば「職人」と「芸術家」を対比した時、前者は伝統への敬意や技術の継承が大切とされ、後者はむしろ、それに反したり抗うことで新たなものを創出する――と大雑把ですが言えると思うんですね。どちらのマインドも大事で、そのバランスは難しいところだと思いますが、フェニックスの場合はどうでしょうか。

トーマス:僕達の酒造りの責任者である黒田(利朗)さんは、職人(artisan)と芸術家(artist)の違いについて、「職人的(artisanal)なものとは、同じものを正確に再現することに敬意を払うことだ」とおっしゃっていました。例えば日本に来ると、寺院が新たな場所に建てられたり、別の場所に移設されたりするのを目にして驚かされます。でもアートは違っていて、その(再現の)プロセスにおいて“間違い”が起きた時に生まれるものなんだと思います。

それはDNAやRNAのように、細胞が複製される時にミスを犯すことで新しいものが生まれることと似ています。その目新しさがアートなんです。だから僕達は常に、意図せずに起こる間違いや偶然を探しています。ただ“再現する”だけでは意味がないからです。それを自分達自身のものにしなければならない。そしてレコーディングでは多くのことを試す中で、“幸せな間違い”が起こることを願っています。その間違いがなんらかの形に変化することで、新しいものが生まれるんです。

——今回のアルバムの制作中にも“幸せな間違い”は起きましたか。

デック:アルバムを作ったこと自体が“幸せな間違い”だった(笑)。結局のところ、自分達の行動を自分達でコントロールすることなんてできないわけで。こうしてテーブルを囲んで話し合うとの同じで、メンバー4人それぞれの心の模様が交錯し、そのカオスな思考の組み合わせから、時に興味深いものが生まれるんだ。すべては偶然で、だから僕達は自分の創造力にもっと謙虚になり、ランダムが僕達の“最高の友達”であることを受け入れようとしていた。そうすることで何か新しい視点を持てたり、新鮮なものを作ったりすることができるんです。

『Alpha Zulu』の制作について

——その『Alpha Zulu』ですが、一方でバンドにとっては、バンデミックの不安や、そしてフィリップ・ズダールの死といったさまざまな困難の中で生まれた作品だったと思います。アルバムを完成させて聴き返した時にどんなことを感じましたか。また、その思いは時間が経つことで変化はありましたか。

デック:これまでのどのアルバムも、何かしらダークな時間というものをくぐり抜けて生まれたものだったと思う。けれど今回のアルバムでは、今まで誰も経験したことがないような出来事があり、また僕達にとって家族のような存在であり、自分達を導いてきてくれた人もいなくなってしまった。だから、確かに何かが起きていたんだと思う……でも、アルバムを完成させることができてホッとしたのが正直なところかな。とても厳しく、タフなプロセスだったから。作業中はとても集中していて、あっという間に時間が過ぎた感じだった。

トーマス:アルバムは、その時々の僕達の状態を写し出した、いわば自身のポラロイド写真のようなものです。だから時間が経てば経つほど、振り返った時に僕達が何者であるかを明らかにし、自分自身をよりよく理解する手助けをしてくれる。僕達は“コンセプチュアル”なアーティストではないし、何か強いアイデアを求めているわけではない。作家のボルヘスの好きな言葉に「テーマは探すのではなく、向こうからやってくるものだ」というのがあって。だから僕達も、コンセプトを探したり何をやりたいか考えたりする必要はなかった。パンデミックの時期やその他の時期に僕達に訪れた出来事、自分達の心の中にあるものをただ表現すればよかったんです。

——ええ。

トーマス:自分にとってこのアルバムは、どちらかというと“救い”だったんです。このアルバムの制作は、僕達にとってほとんどセラピーのようなもので、自分達を解放するような作業でした。僕達4人はコミュニケーションをとることで自分達の感情を吐き出し、心の中にあるものを手放していきました。それはある種の儀式みたいなもので、時間が経って振り返った時に「ああ、あの時はこんなことを表現したかったんだ」と気づくことができるのかもしれない。

デック:今回のアルバムはパリのルーブル美術館でレコーディングしたんだけど、それはルーブル美術館を訪れたことがきっかけで、(アルバムを制作したことは)その結果でもあった。つまり、アルバムを制作するためにはその時々の自分達のライフスタイルと紐づいたセットアップが必要で。アルバムを作るにはその瞬間のための生活を送る必要があり、そして次のアルバムではまた別の場所に移動して、そこでその時期だけの新たなライフスタイルを築く。自分達にとってそれはとても重要なことでで、その過程を記録したかったんだ。

——今回の『Alpha Zulu』は、バンドが初めてゲスト・ヴォーカルを迎えた曲として、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・クーニグをフィーチャーした「Tonight」が収録されているのもトピックです。ちなみに、そのヴァンパイア・ウィークエンドとのシンクロニシティを物語るエピソードとして、ローラン(ギター)が細野晴臣さんのサンプル(「花に水」)をバンドに持ってきたその直後に、ヴァンパイア・ウィークエンドが同じサンプルを使った曲(「2021」)をリリースした、なんてことがあったそうですね。

トーマス:そうそう、まさに同じタイミングで同じアイデアでシンクロニシティを起こしたんです。でも、エズラに先を越されてしまって(笑)。確かマック・デマルコもホソノさんと一緒に何かやってましたよね(※スプリット7インチ『Honey Moon』の制作)。実は明日のショー(※3月16日のZEPP HANEDAでのライヴ)にホソノさんを招待しているんです。

——へえ。

トーマス:来てくれたら嬉しいですね。でも今回、エズラとのコラボレーションはとても快適でした。それはきっとお互いに影響を受けたものや、目指す方向性について多くの共通点があったからだと思います。「Tonight」のミュージックビデオを制作した時も、彼はコンセプトをすぐに理解し、積極的に関わってくれました。その時、彼は日本に 6ヵ月間滞在していて、東京で生活していたんです。そういえばこの前、クレイロとレコーディングしたんですが(※「After Midnight」の新バージョン)、彼女のデビュー・アルバムは(元)ヴァンパイア・ウィークエンドのロスタムがプロデュースしていましたよね。そこにもシンクロニシティを感じるし、だからいろんな縁を通じてお互いのことを少しだけ知っているような関係だったんです。ただ正直、ヴァンパイア・ウィークエンドのアルバム(『Father of The Bride』)であのサンプルを聴いたは時「やられた!」って思いましたね(笑)。

細野晴臣、YMOの魅力

——ちなみに、細野さんの音楽、細野晴臣というアーティストについてはどんな印象をお持ちですか。

トーマス:ホソノさんの魅力は多様性、作風が多様なところですね。それはつまり、彼が残してきた遺産が膨大であるということで、彼の作品を聴くと、その度にまるで全く新しい何かを目の当たりにしたような驚きを感じます。そして、そんな彼の音楽について興味を持っている人が世界中にいて、何年経っても多くのリスナーの期待や関心をそそり続けているがすごい。彼は常に最高の状態にいて、ますますエキサイティングであり続けている。僕達も彼のように、新しいことを試みて、興味深いものを創造する必要があるし、最高の状態でいることを目指して、新しいことに挑戦し続けていたいと思っています。

——YMOについてはどうですか。

トーマス:僕達がYMOと初めて出会ったのは、シンセサイザーに夢中になっていた頃でした。それでシンセサイザーを買うたびに、その機種について調べるようにしていたんです。そうしたらどのシンセサイザーを見ても、必ずと言っていいほど「Yellow Magic Orchestraが使用した」と書かれていて(笑)。ウルトラヴォックスやタンジェリン・ドリームの名前が書かれていることもありましたが、それで「ああ、自分の好きな楽器がすべてこのバンドで使われているなら、チェックしてみよう」と思い、実際に彼等の音楽を聴いてみたんです。

——へえ。

トーマス:それでYellow Magic Orchestraの音楽に触れ、影響を受けるようになりました。それと、彼等のライブ・パフォーマンスのやり方にも影響を受けたことを覚えています。ライブ・パフォーマンスの際にはファンジンや冊子を配布するなど、現在ではあまり見られないようなアイデアを彼等は取り入れていました。今ではストリーミングでたくさんの音楽を手軽に聴けるのはいいことですが、Yellow Magic Orchestraのようにファンジンや冊子を通じた情報発信のようなものがないと、何かが欠けてしまうように思う。僕達は、彼等がどのように楽曲や楽器を制作したのかを説明する小冊子を買い求め、そこにフェティシズムのようなものを感じていました。それが、僕達が大事にしている音楽のロゴス(哲学)の一部なんです。

——フェニックスをはじめ、ダフト・パンクやエール、そしてフィリップ・ズダールと、今挙げたアーティストの間にはロックやポップ・ミュージックという枠を超えて受け継がれてきた価値観や美意識があったように思います。そうした価値観や美意識を引き継ぐことができる新しい世代は、お2人の目から見て今のフランスにいますか。

トーマス:僕達が音楽を作り始めた頃は多くのミュージシャンが良いサウンドを出そうと苦労していて、それにはプロダクションの技術だけでなく才能も必要でした。しかし、今ではフランスだけでなく多くの人が良いサウンドを作る方法を知っています。YouTubeやGarageBand、Abletonで技術を学ぶことができ、実際に多くの音楽は本当に良いサウンドになっていると思う。ただ、今のフランス音楽について唯一、批判する点があるとするなら、それはノスタルジアに駆られているように見えることです。時にはノスタルジアで良いものもありますが、ただのノスタルジアだけでは、そこに進歩的なものは期待できません。ただもちろん、こうしている今も、そうした“良いもの”とされているものを否定し、矛盾するようなサウンドを作っている人がいることは確かです。

デック:パリはヒップホップのシーンも面白いしね。あと、Flavien BergerやDodi El Sherbiniも素晴らしい。とてもコンセプチュアルな音楽をやっていて、彼等の音楽へのアプローチはとても興味深いよ。

ダフト・パンクのトーマからのアドバイス

——ちなみに、今回のアルバムの制作では、クレジットはされていませんが(元)ダフト・パンクのトーマの助言も大きかったと聞きます。それまでフィリップ・ズダールがバンドに果たしてきてくれた役割を引き継ぐものだったそうですね。

トーマス:ええ。ただ、そのアプローチは全く異なるものでした。フィリップは、スタジオで不安になっている時に励まし、後押ししてくれるような人でした。彼はスタジオに入ると、僕達がやりたいことや進むべき方向性を理解し、自信を高めてくれます。そして彼がスタジオを去る時には、僕達が高みにいると錯覚させてくれて、自分達は何だってやり遂げられると思わせてくれる存在でした。

対して、トーマの音楽へのアプローチは天才的な映画の編集者のようです。トーマは僕達にとって大切な存在で、彼はあらゆるものを巧みに使いこなし、すべての要素を見て頭の中で素早く再編成することができます。それに、たった2秒程度のサウンドでも妥協することがない。すべての要素が音響的に正しい位置にある場合、彼は『これはアルバムに必要な曲だ』と言います。逆に正しくない場合は、『この曲にはもう少し作業が必要だ』と判断します。それは、映画で言うところのカラーコレクションのようなもので、彼はすべての色が揃っているか、何かが欠けていないかを見極めます。「よし、これで映画を作るには十分だ」「あと数シーンが足りない」といった具合に、つまり彼には全体像が見えているんです。彼がもたらしたのは、そうした編集作業における重要なアドバイスでした。スタジオではたくさんの曲をレコーディングしたんですが、僕達はホワイトボードに曲のタイトルを書き出し、その中でレコードに入れる必要があると思ったものにトーマは「V」のスタンプを押していました。全部で16曲あったのですが、そのなかで12曲に「V」が押されていたので、そこから最終的に10曲を選びました。そうして僕達に“承認印”を押してくれたんです。

——もしもトーマのサポートがなかったら、どんなアルバムになったと思いますか。

トーマス:全く異なるものになっていたと思います。彼は何らかのコンセプトを求めるタイプの人です。一方、僕達にとってはケミストリーが大事なんです。だから僕達の場合、部屋に4人が集まって、自分達がどこに向かっているのかわからないと考え込んでいると、結果“セラピー”のようなものができあがるんです。それが僕達のやり方なんです。逆に、彼の場合、何かをやめるとなった時には、そこにどんな原因があるのか、あるいは具体的な解決策を見つけ出す必要がある。例えば、彼が最近手がけた作品にバレエ音楽(※『Mythologies』)がありますが、あれはフランスで有名な管弦楽のオーケストラと劇場で上演するという、明確な意図と目的があって制作されたものでした。つまり、彼にとっては常に目的や目標が必要なんです。

——いつかトーマと本格的にコラボレーションした作品を聴いてみたいです。

トーマス:映画の『ファントム・オブ・パラダイス』みたいな感じかもしれないですね。映画ではプロデューサーの「スワン」が「パラダイス(劇場)」を管理していて、バンドは彼のマネジメントのもとで演奏している。となると、トーマが「スワン」のキャラクターである可能性もあり、僕達が「フェニックス(※女性歌手)」とリード・シンガー(※「ビーフ」)の両方を演じるのか、「ファントム」役はどうするのか……いや、ファンはどんな反応をするでしょうね(笑)。いつかブロードウェイで一緒にオペラをやるのもいいかもしれない。多くの人が試みてきましたが、うまくいった例を見たことがない。大きな挑戦ですね。

Photography Takuroh Toyama

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The xxのロミーがソロプロジェクトを始めた意義 「それは楽しく、新しい挑戦でした」 https://tokion.jp/2023/03/16/interview-the-xx-romy/ Thu, 16 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=174270 2月に来日したThe xxのロミーへのインタビュー。自身のファッションやソロ活動について。

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Photography Takuya Nagata(W)

ロミー(Romy)
UKを代表するバンドThe xx(ザ・エックス・エックス)のギターリスト兼ボーカル。2020年9月にシングル「Lifetime」でソロ・デビュー。2022年11月にフレッド・アゲインをフィーチャリングしたシングル「ストロング」をリリース。他にもファッションブランド「エックスガール(X- girl)」とのコラボも行っている。現在、ソロアルバムを制作中。「フジロックフェスティバル ’23」にも出演する。
https://romyromyromy.com
Twitter:@romyromyromy
Instagram:@romyromyromy

The xxのロミー(Romy)のソロデビュー・シングル「Lifetime」は、きらびやかなユーロダンス・ビートにのせて聴く者を愛の高揚感で満たしてくれる。「あなたは私のすぐそばにいる/私はあなたのすぐそばにいる」——その熱を帯びたリフレインがうながすまばゆいユーフォリアは、The xx(ザ・エックス・エックス)のステージで見せる控えめで物憂げな表情とは異なり、まさに彼女の新たな始まり(début)を印象づけて鮮烈だ。それはアシッドなネオンカラーをまとったビジュアルにも象徴的で、それまでの「黒」をシグニチャーとしてきたイメージとは一変。そこには、彼女がティーンの頃から親しんだ2000年代のUKダンス・カルチャーへの愛着、そして自身を解放する喜びや恍惚を何よりありありと感じることができる。

「それは楽しく、新しい挑戦でした」。2月上旬、ファッションブランドのイベントのため来日したロミーは、今回のソロプロジェクトを始めた意義についてそう話す。当初昨年にリリースが伝えられていたソロアルバムは現在も制作中のようだが、この夏にはフジロックへの出演が決定。そして、The xxの来たるニュー・アルバムについてもさまざまな声が聞かれ始めている。彼女の言う“挑戦”がどんな実を結ぶのか、楽しみにして待ちたい。

The xxとソロプロジェクト

——日本は久しぶりですか。

ロミー:5年ぶり? 前回の(The xxの)ツアー以来ですね。また来ることができて嬉しいです。

——日本に来たら必ず立ち寄るスポットとかってありますか。ジェイミーは毎回レコード・ショップに足を運ぶようですけど。

ロミー:ジェイミーは私よりも日本に来ていて、お勧めのスポットのリストを送ってくれるんです。ただ、今回の旅ではあまり時間がなくて。彼が勧めてくれたシンセサイザーのお店で、どうしても行ってみたいところがあったんだけど、そこも行けませんでした。明日には帰らなくちゃいけないので、もし今夜時間があれば行きたいですね。私は日本のナイトライフがすごく好きで、昨日の夜は「NEW SAZAE」と「GOLD FINGER」というクラブに行きました。

——久しぶりの日本のナイトライフはどうでしたか。

ロミー:「NEW SAZAE」でやっていたDJがとても良くて。彼女はCDでプレイしてたんだけど、本当にもうヒット曲ばかりをかけていて、みんなクレイジーなくらいに盛り上がっていました。

——ロミーさんがDJをしている映像も見たことがありますが、The xxのステージでのクールで控えめな様子とは対照的に、腕を振り上げたりしてオーディエンスをあおっている姿が印象的でした。ロミーさんの新たな一面を見るようで。

ロミー:The xxを始めた頃の自分はとても自意識過剰だったと思います。かなりの恥ずかしがり屋で、何よりとても若かった。ただ、時間が経つにつれて徐々に自信がついてきたんだと思う。DJをするのも同じで、始めた頃はちょっとぎこちない感じもありました。でも、思うままにしていたら徐々に自分が解放されていくような感覚になりました。少し時間はかかりましたけどね。

——「解放」という言葉は象徴的です。例えばThe xxではステージ衣装も黒で統一されていて、ロミーさん自身もワードローブの中はすべて黒だと以前インタビューで話されていました。でも、ソロ活動を始めて以降のロミーさんは、ルックやアートワークも含めてとてもカラフルで、多幸感があふれているように感じられます。そこには、ロミーさん自身のどんな変化が反映されていると言えますか。

ロミー:そこに気付いてくれるのは嬉しいですね。でも、自分自身はあまり意識してなかったことなんです。少し年齢を重ねて、人の目を気にしなくなったことで、リラックスして自分が好きなものを受け入れられるようになったのかもしれない。今でも黒でそろえることは好きですが、ネオンカラーも好きだし、もっと遊び心のあるファッションを取り入れたいと思っています。

——ロミーさんにとって「黒」ってどんな意味合いを持った色ですか。

ロミー:安心感だと思います。「この服なら大丈夫」という安心感があります。それにすべてを黒で統一するとまとまりがいいんです。自分達は3人でバンドをやっていて、全身黒で統一しているんですが、なんというか、一緒にいて落ち着くんです。でも、「みんな黒で統一しよう」と言ったことはないんです。ただ、自然と似たような服を着るようになっただけで。今はそれぞれがプロジェクトをやっていたりして、一緒にステージに立たないことも増えてきました。それにジェイミーとオリヴァーも最近は明るい色を取り入れていて、それぞれのファッション観も変わりつつあると思います。

——ファッションの変化もそうですが、そうした「新たな自分を表現したい」というところから今回のソロプロジェクトは始まった部分が大きかったのでしょうか。

ロミー:そうですね。今回(※現在制作中)のソロ・アルバムのスタイルは、よりカジュアルで、家で着るようなもの——ストリート・ウェアに近くて、もっと明るい色のもの、って感じかな。以前はステージに上がる時って、鎧(armor)を着るような格好をしていたと思うんです。ブレザーやスマートなものを着て、ハイヒールを履いて、もっと自分に自信が持てるように。でも、そんなものは必要ないんだって思えるようになったんです。

ファッションと音楽の関係

——ファッションと音楽の話を続けさせてもらうと、昔はもっとわかりやすく結びついていたと思うんですね。パンクやグランジ、あるいは1990年代のレイヴ・カルチャーのように、その人のファッションを見ればどんな音楽を聴いているのかわかる、みたいな。例えばロミーさんも、聴いている音楽に影響されて着るものが変わったり、逆にファッションから音楽に入ったりしたような経験ってありますか。

ロミー:そうですね、確かに今の時代、誰がどんな音楽が好きなのか、それをファッションから判断するのは難しいですよね。でも、それがまたクールなんだと思う。自分の場合、2000年代の音楽にとても興味があって、その音楽と相性の良いファッション――レイヴやトランスのネオンカラーだったり、ダンサーが履くようなパンツやトレーニングウェアだとか、その時代を彷彿とさせるようなスタイルが好きなんです。だから意識して、あるいは無意識のうちにそういうものを選んできたような気がします。

——振り返ってみて、「なんであんな格好しちゃったんだろう!?」みたいな失敗談はない?

ロミー:ありますね(笑)。コーチェラに初めて出演した時、バンドとして初めて黒一色ではなく白一色の服を着ることにしたんです。砂漠で演奏するんだから暑いだろうと思って。その時は若かったので、自分達で衣装を選んだんです。でもその時の写真を見ると、もう「うわー……」って(笑)、自分達でも笑っちゃう感じで。クリーム色のジャンパーを着たんですけど、今思い返してもあれは恥ずかしいですね(笑)。

——その服はもう処分した?(笑)。

ロミー:もう今はどこにあるのかわからない(笑)。

——ロミーさんのこれまでの音楽遍歴の中で、ファッションから興味を持ったミュージシャンっていますか。

ロミー:いい質問ですね。でも、自分は音楽が最初に来ることが多いかな。もちろん、誰かの写真を見て、その人のスタイルが好きになったら、それをきっかけに興味を持つこともあるかもしれない。でも雑誌を見ているよりも、音楽を聴いている時間の方が長いので、まず音楽を聴いて、そこに何か惹かれるものがあったら、そこからその人のことを調べて、その人のファッションやビジュアルについて知るパターンの方が多いですね。

——ちなみに、そのパターンで好きになったミュージシャンって誰ですか。

ロミー:いざそう聞かれると……頭が真っ白になっちゃって、すぐ出てこなくて(笑)。ごめんなさい。

——いえ(笑)。昨晩は東京のナイトライフを楽しんだと話していましたが、それこそThe xxを始める前、ロミーさんが10代の頃から通っていたロンドンのクラブは、音楽はもちろん、ファッションも含めたさまざまなカルチャーと出会う入り口だったと思うんですね。

ロミー:私がロンドンのクラブに出かけるようになったのは16歳ぐらいの時で。今だったら16歳だとクラブに入れるかどうかわからないけど(笑)、私はラッキーなことに入れてもらえて。そこであるクィアのナイトクラブに通い始めて、今でも親友と呼べるような人達とたくさん出会うことができました。初めてDJをする機会を得たのもそのクラブで、だから私にとっては本当に大切な場所でしたね。

——当時の経験は、今でも大きなものとしてロミーさんの中で残っていますか。

ロミー:間違いなく残っています。今の私が作っている音楽は、人生におけるあの時期の出来事がインスピレーションになっているんだと思う。なぜなら、私が今作っている音楽は、あの時代と密接に結び付いているから。そこにあった自由や、コミュニティーの感覚のようなものを、今自分が作っている音楽にそのまま反映しているので。その繋がりはとても大きいと思います。

——ただ、そうした大切な場所が、コロナ禍で失われたり、また近年はクィアのパーティが銃撃されるといったニュースが伝えられる状況が続いています。

ロミー:そうですね、あの銃乱射事件(※昨年アメリカのコロラド州コロラドスプリングズで起きた事件)は衝撃的で悲しい出来事でした。ああいう所というのは、多くの人々にとって自分らしく生きるための、自分らしさを表現することができる安全な場所であり、自分と似たような人達とのつながりを提供してきた場所だから。それは私にとってとても重要なことで、もしそこが安全な場所でなくなったら、他の場所を見つけるのは難しいでしょう。

それと、COVID-19の影響で多くのそうした場所が失われて、本当に悲しかった。自分がどれだけナイトライフやクラビングが好きだったか、いかにそれを求めていたかが改めてわかりました。人と繋がることの楽しさや、それによって日々の生活から解放されたり、現実逃避したりするのはとても重要なことなんです。ただお酒を飲んでハイになるんじゃなくて、音楽を聴いて多幸感を感じることが大事なんです。

ソロプロジェクトという新しい挑戦

——今話してくれた「多幸感(euphoria)」は、今回のロミーさんのソロプロジェクトのキーワードでもあるように思います。そもそもソロを始めた理由はなんだったんでしょうか。

ロミー:最初はそんなつもりなかったんです。ただ、私は曲を作るのが好きで、The xx以外の曲も書き続けたいと思っていました。実際に他のアーティスト(デュア・リパ、キング・プリンセス、ホールジー)のために曲を書いてみたりもしました。で、そうしているうちにフレッド・アゲインというプロデューサーと出会って友達になり、彼と一緒に音楽を作るのがとても楽しくなったんです。そしてある日、彼が「誰のために曲を作っているの?」と聞いてきて。それで「私が自分でやろうかな」って答えたんです。それがきっかけでした。

——いざソロを始めるとなった時、ロミーさんはギタリストでもあるわけで、例えばアコースティック・ギターで弾き語りをやるっていう選択肢もあり得たと思うんですね。そうした中でダンス・ミュージックを選んだのは、やはりロミーさんにとって必然的だったのでしょうか。

ロミー:いや、“挑戦”でした。自分自身に挑戦してみたかったんです。ギターを置くというのがどういうことなのか、確かめてみたかった。ギターは私にとって、快適なブランケットのようなものです。だから、あえてそれを手放してみようとした。それは楽しく、新しい挑戦でした。

——実際に曲作りをしている過程で、新しい自分を発見した、自分の新たな一面に気付いた、みたいな感覚はありましたか。

ロミー:確実にありましたね。自分がリニューアルされるようなプロセスでした。自分でも成長することを欲していたんだと思う。

——ちなみに、オリヴァーは昨年発表したソロ・アルバムを制作するにあたり、ジョン・グラントやパフューム・ジーニアスといった自分と同じクィア・アーティストにアドバイスを乞い、学びやインスピレーションを得たと話していました。ロミーさんにも、そうした存在と言えるようなアーティストはいますか。

ロミー:間違いなくいます。ロビンは大きな存在で、自分が作っている音楽は間違いなく彼女からインスピレーションを受けていると思う。何度か話しただけだけど、彼女はとても協力的で、たくさんのアドバイスをくれました。そうした繋がりが、自分にとって本当に大切なことなんです。それとビョークやマドンナのような、確固たるアイデアを持っていて、細部にまで関与するのが好きなアーティストにインスパイアされます。特にビョークはプロダクションにも深く関わっていて、さまざまな面でとても優れたアイデアを持っている。彼女の作品にはいつも感心させられるし、エンパワーメントされます。

——新曲の「Lifetime」と「Strong」のリミックスには、プランニングトゥーロック(Planningtorock)やジェイダ・G (Jayda G)、ハアーイ(HAAi)といった女性やノンバイナリーのプロデューサーが起用されていますね。

ロミー:まず、彼等を起用したのは、純粋にアーティストとして好きだから。そして、彼らのようなクィア・コミュニティーやノンバイナリーの人達をサポートし、スポットを当てることが自分にとって重要なことなんです。でも第一に、自分自身が彼等の大ファンなんです。それが何より大きいんです。

——「好き」って気持ちは大事ですよね。

ロミー:そうですね。好きだからサポートしたい。クィアやノンバイナリーだから、というわけではないんです。

——「Strong」は過去の悲しみと向き合うことについて書かれた曲ですが、今のロミーさんにとって「強さ」とはなんですか。

ロミー:“弱さ”です。“弱さ”とは“強さ”でもあると思うんです。あの曲ではそのことを歌にしたのですが、でもだからといって、いつもそのようにいられるわけではない。そうした自分の脆弱さ、繊細な部分というのを強さだとは捉えてこなかったし、今でもそうできない自分がいる。だから、今の自分はそうなろうとしているんだと思います。もっと“弱くなる”ことを学んでいるところなんです。

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