岡田育, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/iku-okada/ Wed, 14 Oct 2020 06:42:35 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 岡田育, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/iku-okada/ 32 32 ポスト・コロナ時代のプレ・ハッピーアワー https://tokion.jp/2020/10/15/pre-happy-hour-in-the-post-covid-19-era/ Thu, 15 Oct 2020 06:00:05 +0000 https://tokion.jp/?p=7768 ニューヨーク在住の文筆家・岡田育によるエッセイ。一時的な日本帰国から戻って感じた街の変化と、そこから見出した希望について綴る。

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2020年の9月初旬、半年間の日本一時滞在を終えてニューヨークの自宅へ戻った。羽田からJFK空港へ向かう飛行機の搭乗率は3割程度だったろうか。税関では足止めを食らったが入国審査はガラガラで、空港検疫もない。日本から渡航後の在宅14日間隔離もすでに「義務」ではなくなっている。

新型コロナウイルス感染拡大を受けての州非常事態宣言から約半年、ニューヨークの感染者数ピークは封じ込められ、検査陽性率も1%未満まで下がった。秋冬の再拡大を警戒しつつも、最悪の事態は脱したと言えるだろう。長く不在にしていたので経過を語ることはできないが、半年前、この世の終わりのようなパニックを起こしていた街の様子を思い返すに、だいぶ穏やかになったと感じられる。ひたすらに街が静かだ。

朝は表通りを行き交うトラックの大渋滞、昼は近所の大学に通う学生達の賑わいにガイドブック片手の旅行者が混じり、夜は明け方まで飲んで騒ぐパブの客達の大合唱、タクシー運転手の怒鳴り合いにパトカーのサイレン、うるさくて当たり前の住環境だったのに、どれもぱたりとやんでしまった。人出が減って、毎日がサンクスギビング休暇(日本でいうなら正月三が日)のような静寂に包まれている。

ある学生寮の前には、感染者が出て当面全館封鎖との通告が貼られていた。受付スタッフが常駐していたような駅前の立派なオフィスビルも、電気を切ってガラス張りのエントランスにベニヤ板で目張りをしている。今春、BLMの抗議運動が激化した時に塞ぎ、そのままにしてあるのだろうか。この建物に勤めていた人がみな在宅でリモートワークしていると考えると、それだけですごい人数がこの街から消えた計算になる。

ゴーストタウンになったわけではないけれど、元の活気を知る者には、街全体が半分眠っているような印象を受ける。飲食店は店内でのサービス提供が禁じられ、どの店も公道にサンシェード付きのテラス席を張り出して臨時営業中だ。コーヒーやサンドイッチの店ならテイクアウト客でしのげるだろうが、バーやレストランにとってはまだまだ厳しい経営状況が続くだろう。

ところで今この記事を書いているのは、イーストヴィレッジにある「Kindred」という店のテラス席である。近所にある超人気ワインバー「Ruffian」の系列店で、昨年末にオープンしたばかり。もともとは平日夜と週末のブランチしか営業していなかったが、最近始めた新業態が「Work From Kindred」、ワークフロムホームに飽きたら当店をどうぞ、という時間貸しのオフィス利用プランだ。

月曜から金曜までの平日、朝8時から午後4時まで。ウェブで予約すると店外テラスのテーブル席が確保でき、電源とwi-fiが無料で使えて、水とコーヒーがお代わり自由。別途、簡単な朝食と昼食のメニューがあって、グラスワインも頼めるし、夕方からはそのままハッピーアワーに突入できる。料金は半日で25ドル(約2620円)。日本のコワーキングスペースに比べれば割高だが、自粛期間中あちこちの店に投げ銭などしたことを考えれば、そう悪くない「食べて応援」プロジェクトだ。

9月半ばの某日、朝9時すぎに店の前へ行ってみると、10席ほどのテラスに先客が2組いた。店員に利用したい旨を告げると「事前予約してあるか? この後の時間、ほぼ満席まで埋まるんだよ」と言われて驚く。まだサービスが開始して数日のはずだ。もうそんなに混んでいるとは思わなかった! 常連客のよしみで、なんとか隅にある席を工面してもらう。

車道へ張り出したテーブル席、いくら仕切りがあるとはいえ目の前を自動車や自転車がびゅんびゅん通るのは、ちょっと気になるところ。でも、こちらもマスクを着けているので、排気ガスが不快というほどでもない。午前中の外気温は17度、日中は25度まで上がった。日差しが出ていて風もあり、上着は要るが汗はかかない、1年で最も過ごしやすい季節である。

あと1カ月もしたら、コートやマフラーなしには外出できなくなってしまう。うちのアパートメントには庭はもちろんベランダもバルコニーもないから、今のこの時期の自然光を全身で楽しめるだけでもありがたい。毎日25ドルは払えないけれど、たまに気分を変えて優雅に仕事ができるなら、よしとしよう。

きちんと距離を保った隣の席には、女性2人組の客がいる。ノートパソコンと紙の書類をテーブルいっぱいに広げているが、職場の同僚ではなく、友達同士でそれぞれ違う仕事をしているようだ。新しい生活様式における、新しい“シェアオフィス”である。「本日のランチ」、フォカッチャのオープンサンドとヒヨコ豆のサラダを注文して、グラスのロゼワインまでつけている。イエーイ、と歓声を上げてSNS投稿用の写真撮影大会が始まった。はい、私も今まったく同じことやりました、飲み物は水ですけどね。

ところで私は、飲食店で盗み聞きした会話を集めた『天国飯と地獄耳』(キノブックス)という著作のある、いわば「盗み聞きのプロ」だ。大変無礼な行為なのは承知の上で、これもまた仕事、と思って耳を傾けていると、彼女達の口からしきりに飛び出すのは「Such a memorable moment!」という言葉。なんと思い出深いひととき。今年のこの季節に、道端のテラス席で、こうして一緒にワインを飲みながら働いたこと、絶対に忘れられない思い出になるよね、ほんとほんと、と楽しそうに言い合っている。

この街を離れていた半年間の、大きな変化がこれだろう。今年3月、いつまで続くかわからない前代未聞の健康危機に、誰もがひどくおびえていた。人々は顔を見合わせて、二度と元通りの日常を取り戻すことはできないんだ、と深く深く嘆いていた。まだ謎の多い感染症による深刻な健康危機、予断を許さない状況に変わりはないが、この街に少しだけ楽観主義が還ってきたようで嬉しく思う。

ニューヨーカーは新しいものが好き、新しくできた店には誰より早く行きたいし、まだ見たことのない出来事を目撃してみたい、まだ知らない異文化を体験してみたい。来年の夏にはきっとまた別のことが起こる。でも今は、この二度とない2020年の一番すてきな季節を、私達にできる範囲で、今までにないスタイルで、存分に楽しみましょう。そんな笑い声が聞こえるようになったこの街でなら、なんだって乗り越えていける気がする。

Picture Provided Iku Okada

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ニューヨークの着付教室で多様性と自由について考える https://tokion.jp/2020/08/19/kimono-wearing-class-in-ny/ Wed, 19 Aug 2020 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=2820 ニューヨークの着物教室に通い見えてきた、多文化共生時代における自国文化との向き合い方を文筆家・岡田育が綴る。

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世界中から人が集まるニューヨークに引っ越して、自分の、他人の、文化的なルーツについて強く意識するようになった。インド出身の友達はパーティのたび美しいサリー姿を披露する。仕事先で知り合ったムスリマは、SNSでヒジャブの飾り巻きアレンジを紹介するインフルエンサーだ。同じ言葉を話し、同じ街で暮らしながら、どれだけミックスしても完全には混じりきらない固有の文化が美しい。ずっと敬遠してきた「着物」を私も始めてみようかなと思えたのは、この街の雰囲気のおかげだろう。

世界を駆け巡るジャパンヴィンテージ

昨秋から自宅近所のイーストヴィレッジにある着付教室に通い始めた。日本語と英語を併記した山野流着装教室の教則本を使っていて、生徒は日本人とアメリカ人のほか、イタリア人、台湾人、フランス人など。週1回、コワーキングスペースの会議室で少人数制クラスの指導を受け、やっと初伝講座を修了したところだ。新型コロナウィルスの影響で現在は閉校中だが、いずれまた通いたいと考えている。

人に話すと、まず「お金かかるんじゃない?」と心配される。着物というと絢爛豪華な晴れ着のイメージが強烈だからだろう。例えば今年の「第92回アカデミー賞授賞式」で松たか子が着ていた総絞り。めまいがするほど美しかったが、あれは洋服に置き換えるとオートクチュールドレスのようなもの。かたや私の手持ちは、ジーンズやカットソーに相当するような、普段使いのカジュアルな着物ばかり。しかも大半が中古品だ。

着物の市場規模はみるみる縮小していて、年に数回以上着る日本女性は全体人口の1割以下、という調査結果もある。そのぶん、持ち主不在の素敵なお宝が数千円から掘り出されたりもする。私もヴァージニア州の女性から10ドルの名古屋帯を買ったり、日本在住の外国人店主から3着9000円のセール品を空輸してもらったり。もっか「格安古着のネット通販」にハマッているというのが、実際の感覚に近い。

初期投資がゼロとはいかないけれど、着付用小物さえ一式そろえれば、祖母の生年より昔に作られたアンティークだって着こなせるのがおもしろい。すぐにシルエットの流行が廃れてしまうブラウスやワンピースと同じ価格帯で、丈夫で上質で一生着られる、魔法の服が手に入るのだ。

着物には着物の解放感がある

「でも、着物って窮屈なものでしょう……?」と食い下がる人もいる。七五三や成人式、結婚式で着せ付けられて、さぞや息苦しい思いをしたのだろう。「身体をぎゅうぎゅうに縛りつけて活発な動きを制限するなんて、コルセットや纏足と同じ、女性の自由を奪う旧時代の遺物じゃないか」と、抵抗を示すフェミニストもいる。他ならぬ私自身がそうだった。

ところが、着物には着物なりの美しい自由がある。確かに準備には手間がかかるし、細かなルールが窮屈でないと言えば嘘になるが、ちゃんと習えば帯を締めても苦しくない。少なくとも、昔買ったミニスカートの二度と閉まらないファスナーほどには、私の自尊心を傷つけることはない。

露出の多い洋服を選ぶ時は、「脚が太いとサマにならない」「くびれがないとイケてない」「若い頃ほど似合わなくなった」など、どうしてもネガティブな制約が多くなる。かたや和服の世界では、徹底的に体形を補整するおかげで、好きなものを好きなように着ることができる。

昨冬、着付教室の生徒有志が一列に並んで集合写真を撮った。ずらりと着飾った女性達の統一感、さながら『美少女戦士セーラームーン』の変身後みたいで驚きを隠せない。だって私たち、国籍はもちろん年齢も体格も、本当はてんでバラバラなのだ。背が高く大柄な白人、背が低く小柄なアジア人、筋肉質のダンサーもいれば、ふっくらした子持ちの母親もいる。変身前の洋服姿は、デコボコしていてまるで共通項がない。

だが和装の着付けによって、みんなピシッと一つの伝統的な黄金比に定まっていく。大きな胸は平らに均し、痩せたところはタオルを巻いて肉付きをよくする。身長や手足の長さに合わせて衿や袖を調整する。デザイン関係の仕事をしている私はいつも、手書きのラフスケッチを描画ソフトのグリッドに取り込んで清書していく作業に似ているな、と思う。

同一規格におさめるからこそ、各人各様、デコレーションやコーディネートへのこだわりも際立つ。体形を覆い隠すことは個性をひた隠すことではない。安心安全な緩衝材にしっかり包まれた上から、きれいなラッピングペーパーをかけてもらうような気分だ。多様な生徒全員が「同じ」だけど「違う」。テンプレートのあるオシャレを体験して、私は自分が体形コンプレックスから解放されたのを感じた。

日本文化は誰のもの?

体形だけではない。日本の着物は、世界各国のありとあらゆる美しい布を、何でもかんでも内に取り入れてしまう。インドやジャワの更紗模様、中国の汕頭(スワトウ)刺繍、西洋風のレース生地、ステンドグラスの図案や、エジプト壁画の柄まである。私が先日久しぶりに買った新品は、アフリカンファブリックでできた夏用の浴衣だ。雪花模様にそっくりのパターンが目に涼しげで、遠目には伝統和柄のようにも見える。

そしてそれらが、驚くほど日本人「以外」にも似合う。私なら白塗りの水化粧でもしないと到底着こなせない寒色系の淡い振袖を、白人女性が粋に着こなす様子など見ると、目から鱗が落ちる思いだ。着付教室に通う生徒達の動機もさまざまで、日本人書家やアスリートの和服姿に憧れたとか、漫画やアニメのファンだとか。私がアンティーク着物を買い取って、詳細を英語で問い合わせている相手も、きっとこんな人々だろう。

2019年、キム・カーダシアンが自社商品のために「Kimono」という名称を商標登録しようとした時、真っ先に猛反発したのは米国のアジア系コミュニティ、次いで海外の着物愛好家達だった。日本国内の和装業界から世界へ発信された声は、一歩遅れてようやく追いついた印象だ。どんな日本文化だってもう日本人だけのものではない。

渡航制限に検疫強化、当面は「物理的に世界を旅する」ことが難しくなったアフターコロナの時代において、自国の「外」へ目を向けるのはどんどん難しくなっていくに違いない。それでも、カッコよくてカワイイものも、容認しがたい邪悪なものも、あっという間に世界に伝わってしまう。たとえ国境が封鎖されても、文化の裾野は果てしなく広がっていくのだ。多文化共生の中でわれわれは、自分のルーツとの向き合い方を何度でも問い直す必要があるだろう。

Picture Provided Iku Okada

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