冨手公嘉, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/hiroyoshitomite/ Mon, 26 Feb 2024 02:01:41 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 冨手公嘉, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/hiroyoshitomite/ 32 32 ベルリン移住 ダモ鈴木との共演 南ドイツ・首謀者Kyotaro Miulaが語るクラウトロックの実験精神 https://tokion.jp/2024/02/26/interview-kyotaro-miula/ Mon, 26 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225227 南ドイツの首謀者Kyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて話を訊く。

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南ドイツ。ドイツのNEU!やCANを筆頭としたクラウトロック好きならその存在を知っている人もいるだろう。ただ一方で日本でのパフォーマンスを7年間もしてこなかった彼らの実像を知る人は必ずしも多くないはずだ。コロナ以降に日本人として、現役で海外を中心にライヴパフォーマンスを行う彼の精神性が気になった。

2016年に1stアルバム『Minami Deutch』をUKのサイケデリックレーベル〈Cardinal Fuzz〉から1stプレスを300枚リリースし即ソールドアウトする等、海外からの反響を受けたことを機に、ベルリンを拠点に置いて海外でのフェスやライヴを拠点に活動してきた南ドイツ。2023年は長きにわたる盟友である幾何学模様(現在活動休止中)のメンバーが運営する〈Guruguru Brain〉からレコードをリリースし、3rdアルバムの『Fortune Goodies』を7月にリリースしていた。

2024年も3月にオーストラリア、4月はヨーロッパ、5月はアメリカへのツアーが控えている。そして、2月26日に渋谷WWWで実に7年ぶりとなる日本公演を行うタイミングでインタビューを試みた。日本を離れ、海外を中心にツアーをする彼等の実体とパフォーマンスへの意気込みについて、首謀者のKyotaro Miulaにバンドのこれまでの歩みとともに聞いてみた。肩の力が抜けて、時間軸が揺らぐリラックスした会話の中でも滲み出る、音楽に対するひたむきさが強く印象に残った。

「当時無名バンドのレコードがイギリスからリリースされるまで。海外志向はごく自然の流れだった」

−−主にヨーロッパを拠点に海外で活動する南ドイツですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

Kyotaro Miula(以下、Kyotaro):2013〜2014年くらいから幾何学模様のメンバーと一緒に高田馬場のスタジオでジャムセッションする遊び仲間だったんです。当時自分はバンドを組んでいなかったのだけど。遊び仲間が音楽を出して海外のリスナーからの反応が良いのを見ていたので。自分も活動の拠点を海外にすることに違和感がなかった。日本のサイケシーンとかクラウトロックシーン自体が小さかったから、少しでも需要のありそうなところでやりたいというのがあって。

−−その頃にはすでにクラウトロックのバンドを組みたいという構想があったんですか?

Kyotaro:順番は前後するけれど、10代の頃に初めてCANとかのクラウトロックを聴いた時は正直そこまでピンときてなくて。それよりも実は当時ポストロックやポストパンクが好きで。そうした類いのシュッとしたインディーズバンドをやりたいなと思っていた自分もいた。仲間と週3、4回セッションしていくうちにだんだんサイケとかクラウトとかのよさを再確認していった。

−−聴き方、楽しみ方がわかってきたのですか?

Kyotaro:そうかもしれない。仲間とスタジオに入れない時は、自分でNEU!とかを流して。ミニマルなハンマービート(8つ打ちの規則的なバスドラムサウンド)を流しながらギターソロ弾いてるとだんだん好きになってきた。ある時点でクラウトロックのバンドって自分達で名乗れるバンドを作りたいと思うようになっていった。

−−活動の背景には幾何学模様との交流が大きかったんですね。1stアルバム『Minami Deutch』の「Futsu Ni Ikirenai」なんか特にクラウトロック的ですよね。反復するビートでジリジリとして、後半突如ギターソロでスパークしていく感覚。繰り返される同じコードとビートが後半には気持ちよくてたまらなくなってきているというか。

Kyotaro:あの曲は実はベースレスで。ギターとドラムだけでやっていて。当時のギター担当とドラムの音を自分で後からミックスしていくタイミングで、裏ノリのグルーヴができた。「これならいける」みたいな発見があった。今思い返せば何をするにしてもトライアルの時期だったんだよね。ハンマービートのドラムとベースのパターンとかコードが一緒というコンセプチュアルなアルバムを作ろうと思って。ビートや展開の仕方が一緒という枠組みの中で、明るい曲とか爽やかな曲からサイケな曲まで作れたらおもしろいなと。

例えば、「Sunrise & Sunset」みたいに開けてくイメージの曲もあれば「Futsu Ni Ikirenai」みたいな曲もある。1枚のアルバムの中でいろいろなカラーの楽曲を入れる。具体的に言うと、同じコードやドラムパターンの制限の中で、違うトーンの印象の曲を作り切るのがコンセプトであり、やりたいことだった。

−−それで完成したレコードをUKのレーベルに送ったら、見事レコード版を出そうと声がかかる。まるで夢みたいな話ですが。

Kyotaro:それは本当に嬉しかったね。デジタルでの配信自体にはあまり興味がなかったけれど、自分のレコードを出すのが夢だったから。しかも海外のレーベルから人生初のレコードがプレスされて。それで、これは忘れられないのだけど、仕上がりを見たら、真ん中にあるべきデサインがちょっとだけ上にズレてて。それがショックだったことを何よりも覚えてる(笑)。

−−今となってはマニアとしてはそういう「ズレ」とか、初版のレコード特有のエラーって垂涎ものですけどね。

初となる海外ツアー。そして、ダモ鈴木との共演とベルリン移住。脂の乗り切った2ndアルバム期

−−1stアルバムをリリースした頃はまだ活動の拠点が日本でしたよね? そこから海外ツアー等、精力的に世界に打って出る流れが始まっていくと。

Kyotaro:UKのレーベルからレコードを出せたことがきっかけと、話は少しややこしくなるんだけど、幾何学模様が2014年に〈Guruguru Brain〉を始めたわけで、1stのカセットテープはそこからリリースされた流れがあって。リバプールのサイケフェスが彼等のレーベルをフィーチャーしたいって話があって、それで出演オファーがあった。でもそれだけだと赤字になるから、ツアーを組もうと。アムステルダムとかベルリンとか含めて、ヨーロッパでツアーをやろうと話が膨らんでいって。幾何学模様の人はみんな英語喋れるけど、当時俺らは誰も英語喋れなかったし、うん、色々と無茶苦茶だったんだと思う。

−−そのツアーの反応は良かったですか?

Kyotaro:反応は良かったような気がする。客観的なことはわからないけどね(笑)。

−−クラウトロック発祥のドイツへと移住していく流れがあって、2ndアルバムはバンドとしての移行期が反映されているわけですよね。

Kyotaro:そう。活動を続けていく上で、そっちの方が良さそうだったから。ドイツに行ってみたい気持ちとクラウトロックが生まれた街を本場で体験してみたいから行った。1stはコンセプチュアルなことをやった手前、2ndは広げようと思えば、いくらでも広げられるんだけど、結構他のクラウトロックのバンドが電子音に流れてしまうのが多い中で、エレクトロニカの感じに行ってしまうことが当時はダサいと思ってしたくなかった。だからこそ1stの匂いを残しつつ、ちょうどいい変化を見せられるかを念頭に置いていた。だから『Tunnel』とかはハンマーでやってるんだけれど、最後の曲はディスコっぽいこととかやってたりするんだよね。

−−確かにクラウトロックのバンドを聴いていても、CANの「Future Days」とか聴いてもアンビエント的なアプローチをしていました。意外とクラウトロックって懐が深い側面があるというか。実験的なことをやってたりする印象はありますね。とはいえ、2ndには勝手にDAF感を感じたりもしましたが。

Kyotaro:そうなんだよね。アルバムを作る時に参照したバンド以外にも、普段から意識しないで同時にいろんな音楽を聴いてるから。コンセプトは自分の中にあるけど、それ以外のものが入っちゃう感じはある。それが、勝手にオリジナリティになってくれるから嬉しい。自然とコンセプトを超えて、意図しないものが入ってくる。そんな感じのアルバムだね。

−−しかも2018年には先日亡くなられた元CANのダモ鈴木さんとステージで共演されるという出来事がありました。この経緯は?

Kyotaro:ダモ鈴木さんのヨーロッパのマネジメントと僕らのエージェントオフィスがたまたま近くにあって。共通の知り合いが間にいて。「一緒にできたらいいですね」みたいな話をしてくれていたんだ。ちょうど、オランダにある「Roadburn Festival 2018」というストーナーロック系のフェスからダモさんサイドと南ドイツサイド両方にオファーがあって。「だったら、ちょうどいいから、そこでジャムセッションをステージでやってしまいませんか?」という話しになった。

−−そんな奇跡みたいな流れがあるんですか。クラウトロック系のエージェントが同じビルだったとか。当時を振り返るとどんな思い出がありますか?

Kyotaro:めちゃくちゃ気合いが入っていたと思う。当時はクラウトロックを極めてやるぞ、という意識もあって。脂が乗ってたし「今もう1回同じテンションでやれ」って言われても結構大変なくらい……。でも、そんなチャンスないし、普通に見てきた人だし、「一緒にやれんの?」みたいな。そういえば、ステージ袖でダモさんから僕等に「お吸い物ありませんか?」って声かけてくれて。一緒にそれでグルーヴを調整してやったという感じで。

−−その共演にはどんな印象がありますか?

Kyotaro:その時できることをやりきったって感覚かな。1曲目の途中でダモさん疲れすぎて、やめちゃいそうになったりもしたけれど(笑)。ダモさんはダモさんで、経験豊富だから、ガンガン引っ張ってくれた。そういう振る舞いをステージ上で感じ取ったりして。当時のギターが、「いい旅しましたね」みたいに声をかけて、「そうでしたねぇ。楽しかったですね」みたいな。そのくらい。

コロナ以降のムードを経て、満を持して完成した3rdアルバム。そして日本でのライヴ

−−昨年リリースされた3rdアルバムはジャケットもカラフルでタイトルは『Fortune Goodies』。変化という意味では2ndより開けていく感がある。もうちょっとジャンルにとらわれていない余白がある感じ。肩の力が抜けている感じを受けました。とはいえ1、2曲目は完全インストで、3曲目でようやくポップな歌物という。

Kyotaro:だいぶひねくれちゃってると思う、良くないよね(笑)。でも、それでいいんだ。TikTokとか1分で曲を聴く時代に逆行していて、音楽好きしか受け付けてない。でも逆行してやろうみたいな意識はなくて、曲順を選んでいったらそうなったというか。

1回抑圧させてから、上げていくっていう方がドイツ式かなと思ったり。同時に電子音楽的なアプローチもしたかったから、いろいろなことを試せた。実を言うと当初2枚組にする予定だったから、もっと曲数があったんだけど絞った。

−−それはどうして?

Kyotaro:大体3rdアルバムってロックバンドの円熟期というイメージがあって。そこで南ドイツもかましたかった。1stアルバムの初期衝動も好きだけど、3rdは気合が入ってて好きだから。例えばクラッシュの『London Calling』とか。

でも少し先走っちゃったのかな? 俺も良くないのだけれど。制作プロセスは誰にも見せたくないから、1人でやって完成してようやく〈Guruguru Brain〉にシェアしたら、2枚組にするならうちでは出せないよと言われて。1ヵ月落ち込んで。

−−それは落ち込んでしまう……。

Kyotaro:他のレーベルに持っていってやろうか、と思ったりもしたんだけど。幾何学のメンバーとも馴れ合いでやってるわけじゃないからさ。それで曲を減らした。でもこれが結果として良かったんだと思う。少し編集をしすぎて、人間味の少ないアルバムになったのかもしれないけれど。おこがましいけれど、歴史に残るアルバムを作るんだみたいな野心で取り組んでいたから。それで気合入りすぎて、変な動きをしているという(笑)。

−−いや、楽曲のバリエーション含めて個人的には一番好きなアルバムです。タイトルもジャケットも極彩色サイケで。アルバムのタイトルに込められた意味は?

Kyotaro:そう言ってもらえると嬉しいんだけど。アルバムタイトルはドイツのライヴにきてくれた子が「私、Goodies持ってるよ」って言ってきた時のことを思い出して。「フォーチュンクッキー」ってあるけれど、Goodiesってのはまぁスラングで、スピリチュアルなお菓子って感じにしたかった。ご想像にお任せします(笑)。

−−2曲目の「Still Foggy」なんて、インダストリアルで。でもアシッドフォークのニュアンスもあれば、最後の「The border」のアンビエントで閉じるという。

Kyotaro:2曲目の「Still Foggy」の上物は、全くコピー&ペーストしないで1回1回サンプリングしたものをコラージュしていった。で、格好いいものができたと思ってる。3曲目とか歌詞も今まで以上に真剣に日本語に向き合ってみた。影響を受けたのはバロウズとかブコウスキーみたいなビート文学かな。最後の曲はサーフィンをするために抜けちゃった前のギタリストの最後の作品。不思議なんだけど、後日、オーストラリアのサーフ・ドキュメンタリー映画からその曲を使いたいというオファーが来て。勝手に何か横ノリの人たちに伝わる何かがあるのかなと思ったよ。

−−昨年からライヴはカネコアヤノバンドの照沼さんにbetcover!!の日高理樹等を加えて活動していて。ハンブルグでのパフォーマンスは個人のコンディションを含めて最高でした。今のメンバー間のグルーヴはどうですか?

Kyotaro:結構ライヴと音源は違うから2回作るような形なんだけど、去年一緒に欧州を回ったことで、いい感じにまとまっていると思うな。

−−今年もさらに精力的になりそう。26日東京WWWは貴重なライヴになりそうですね。

Kyotaro:うん。まずは自分達が演奏を楽しめたらいいなと。そしたらいい感じになってくると思うんだ。

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「今のところ、僕の音楽には“不誠実さ”が足りない」 マーネ・フレームのつかみどころのない真剣さ https://tokion.jp/2024/01/15/interview-mahne-frame/ Mon, 15 Jan 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=221718 オーストラリア出身のマーネ・フレームが、1月5日にベルリンのレーベル〈Monkeytown Records〉から新作EPをリリース。変幻自在に活動を続ける背景とEPの制作背景を訊く。

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マーネ・フレーム

マーネ・フレーム
シドニーから数百キロ離れたオーストラリアのブッシュで生まれたフレームは、閉鎖直前に東京に移り住み、コロナ震災の4年間は東京から動けなかった。現在は彼は故郷である自然豊かなオーストラリアのブルー・マウンテンズに戻って活動している。

オーストラリア出身のマーネ・フレーム。サウンドの気持ちのいい酩酊感はコナン・モカシンやマック・デマルコを彷彿させるが、やぶれかぶれの発声は諦念というより、何かに向かって怒りを静かに抱えている印象もある。1月5日にベルリンのレーベル〈Monkeytown Records〉からリリースしたEP『I gave my legs to a snake』のリードトラック「WALK LIKE」を聴いた感想だ。

実は日本にも強いゆかりがあり、東京にも4年住んでいたことがある。その頃にはTohjiとのコラボレーション曲「SOMETIMES I TRY NOT TO CARE」をリリースしていた。また、自身のレーベルにAya Gloomyが所属する等、枠にとらわれず変幻自在に活動をしている印象を受けた。東京で過ごした後に、再び舞い戻った、大自然に囲まれたオーストラリアのニューサウスウェールズ州にある田舎町・カトゥーンバで何を思い、EPを完成させたのだろう。メールインタビューを試みたら、ふざけてるのになんか本気だ。まさに彼の音楽そのもののようなウィットに富んだ回答が返ってきた。

じっと座って何が起こるか見てみてる

ーーまずは自己紹介をお願いします。あなたの音楽的ルーツと音楽を始めたきっかけを教えていただけますか? 影響を受けたアーティストやシーンがあれば教えてください。

マーネ・フレーム(以下、マーネ):名前はマーネ・フレーム。母親が僕を産んだばかりの頃はまだ若く、フォーク・フェスティバルに連れてきてもらったんだ。僕はブッシュで育ち、ドラムをたくさん叩いた。

いつかフィンランドで演奏できることを本当に願っている。そうすれば、ドラムをどれだけ叩いても一度も文句を言わなかったフィンランド人の隣人、ペンッティとアイリにこのEPを捧げることができるだろう。マックス・ロカタンスキー(映画『マッドマックス』シリーズ主人公)に触発されて自分の音楽を作るようになったんだけど、最近はマーク・バレンシア(出典不明)やチャールズ・ダウディング(イギリスの園芸家と思われる)に触発されているんだ。

ーーマック・デマルコやコナン・モカシンを彷彿とさせるダウナーで酔わせる曲が魅力的ですが、どのようなルーツからこのような曲が生まれたのでしょうか?

マーネ:聴いたことがないアーティストだね。チェックしてみるよ。本当はもっと他のアーティストの楽曲をパクリたいんだけど、それを実行するだけの注意力がないんだ。だからただじっと座って、何が起こるかみてるんだ。いつかお金持ちになったら、彼等にお金を払って曲を書いてもらうよ。ただね、今のところ、僕の音楽には「不誠実さ」が足りないと純粋に思っているよ。

「FLAWED」Mahne Frame

ーーあなたは日本の音と美学に焦点を当てたレーベル〈21 N FUN〉を運営していますね。このインスピレーションはどこから来ているのですか?

マーネ:〈21 N FUN〉は創作活動の場かな。グラフィックデザインやファッション、それから映像制作に集中していて、レコードレーベルとしても機能している。レーベルとしてリリースしているアーティストの1人に、日本人のAya Gloomyがたまたまたいるけれど、それ以外は特に日本のサウンドや美学的なアイデアにフォーカスしているわけではないよ。音楽的には誠実さに重点を置き、美学的にはサッカーの共同体意識に大きな影響を受けてるかな。

Manne Frame「21 N FUN」

ーー日本にはどのくらい住んでいたのでしょうか? 滞在中に特に感動したこと、印象に残ったこと、印象に残った出来事などがあれば教えてください。

マーネ:日本には4年程住んでいたよ。ウーバーイーツで1000回くらい配達したり、結婚したり、いろいろなことをしたんだ。そうそう、日本にはオーストラリアでは手に入らないおいしい野菜がめちゃくちゃあるんだよな。オーストラリアとの野菜市場のギャップにはつくづく驚かされたよ。

ーー2020年に「SOMETIMES I TRY NOT TO CAREfeat.Tohji)」でコラボしたことで、日本のシーンとの接点は感じましたか?

マーネ:Tohjiの「Propella」や「Oreo」。古い曲だと「Snowboarding」といったダークな音楽がめちゃくちゃ好きなんだ。「SOMETIMES I TRY NOT TO CARE」のトラックを作った後、そうしたエネルギーやつながりがとても必要だと気付かされた。その頃、東京からの親友のヌガがロンドンにいて、Tohjiが彼をフォローしているのを見たから、Tohjiと本当に知り合いかどうか連絡を取ってみたんだ。その数秒後、ヌガからメッセージが返ってきたんだけど、彼等はその時会ったばかりで、ロンドンのレストランで隣り合って座っていたから、ショックを受けたよ。運命的なものを感じた。だからTohjiは「Snowboarding」のボーカルをサンプリングとして使うのを許可してくれたんじゃないかな。

ーー日本での活動を終えてオーストラリアに戻ってから、自身の曲作りに変化はありましたか?

マーネ:僕は日本とオーストラリアをあまり意識していない。このプロジェクトを始めた時にたまたま日本にいたけれど、結局自分はオーストラリア人なんだ。日本には僕のギターが1本もなかったので、目の前に戻ってきた今、自然とギターを弾き始めた。そういうことなんだよ。

ーー特に「WALK LIKE」のミュージックビデオは、オーストラリアの広大な景色を背景に撮影されてましたが、日本の六畳一間の音のように感じられ、個人的にはおもしろい趣向でした。このアイデアはどこから?

マーネ:「WALK LIKE」は、僕が育った今住んでいる地元周辺で撮影したんだ。レコーディングもここで行ったから、もっと茂みの中のレンガ造りの家のように聴こえるはずだ。でも、もしかしたら僕は過去にとらわれているのかもしれない。

Mahne Frame「WALK LIKE」

ーー現在のカトゥーンバでの生活について教えてください。東京での生活を経て、どんな変化を感じましたか? また、ベルリンのレーベルと契約したことで、地理的な横断が起こっていますが、どう感じていますか?

マーネ:たくさんの野菜を育てながら、このプロジェクトに取り組んでるところ。野菜を育てる時間がもっとあればいいのだけど。2枚のアルバムの契約をしたから、まずはそれを終わらせた方がいいんだろうな。「今やらなかったら、もうチャンスはやってこない」みたいな感じだよ。もう自分は高齢だし、キャリアはまだEPしかないし……。

ーー日本のリスナーやファンにメッセージをお願いします。

マーネ:小さくてもいいから、自分が食べられるものを育ててください。東京だとベランダが狭い方が多いと思うけれど、室内でも育つ野菜があるから心配しないで大丈夫。例えば日本のねぎは簡単に始められます。有機農法で、さらにレベルアップしたいなら、ぼかし堆肥を試してみてください。僕は東京に住んでいた時にこれをやらなかったことを本当に後悔しているんだ!

Photography Zac Bayly
Special Thanks Monkeytown Records

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声と音の臨界点に辿り着いた穏やかな凪の地平 ブライアン・イーノ初のオーケストラとの競演レポ https://tokion.jp/2023/12/08/report-brian-eno-the-ship/ Fri, 08 Dec 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=218299 10月24日クリスチャン・ヤルヴィを指揮者に迎えて楽団と共演したブライアン・イーノのコンサートツアー「THE SHIP」のベルリンでの公演を振り返る。

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ブライアン・イーノの50年にわたるソロ活動における初ライヴツアー。オーケストラとの共演は今回が初。高くなった期待値を軽やかに超え、張り詰めた緊張を解きほぐすかのような穏やかで雄弁な時間だった。特別なベルリンフィルでの一夜を振り返る。

そもそも「THE SHIP」とは、2016年にリリースされたブライアン・イーノ自身の歌声や豪華な客演による語りをも「音」のひとつとして駆使したコンセプチュアルなアルバムの名前だ。しかしながら、本年もフレッド・アゲインとのコラボアルバム『Secret Life』のリリースをはじめ、数多くの楽曲をプロデュース・リリースしてきたイーノがなぜ未だに『THE SHIP』の音楽を聴衆の前で披露する必要があったのだろうか。膨大な楽曲群から、そこに拘泥し続けるにはどんな意図があるのだろうか。コンテクストなしにコンサート本編を語るには、彼の意志と機知をあまりにも無視していて、幾分もったいないように思う。そこでアルバム自身と彼の音楽遍歴の一片前段について少しだけ整理してみよう。

“沈没船”や“戦禍”をテーマに据えた作品

「THE SHIP」は、第一次世界大戦の戦禍そのものとタイタニック号にインスピレーションを受けて創作された作品だ。

氷山に衝突し、沈むことを前提に乗客の不安を宥めるかのように楽団が演奏を奏でたという楽団の生き様。そして歴史的背景をもとにアルバムを注意深く聴けば、20分にわたる壮大な表題曲をはじめ、イーノの歌声やさまざまな亡霊のような語り。声や教会の鐘の音、環境音が断片的に、しかしあくまで自然に耳に入ってくる。そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「I’m set free」をモチーフにした「Fickle Sun (iii) I’m Set Free」でアンビエンスやシンフォニックな音像景色から1つのポップソングとしても捉えられるメッセージを主題にしたイーノ自身による歌声で穏やかに大団円を迎える。

「アルバム『The Ship』は、声を駆使しながらも、特に歌という形に頼らないという珍しい作品です。これはある雰囲気の中に、時折声の主が持つキャラクターが顔を見せ、音楽によって生み出される曖昧な空間に、いつの間にかそれらのキャラクターが迷い込むような作品になっています。背景には戦時中の感覚があり、また必然性があります。またオーケストラにぴったりのスケール感、そして多くの人々が協力し合っているような感覚もあります」。

とイーノ自身は語る。そうだ。今作は2005年の『Another day on earth』以来11年振りにヴォーカルをフィーチャーした作品だという点についても、触れておきたい。「歌」ではなく楽器と調和した「音」としての声の重要性を捉え直す試みがなされている。

その意図を証明するかのように、沈みゆく船で演奏していた「楽団」と織りなすサウンドがアルバムと本公演の肝である。今回は、2023年に新たに再録したクリスチャン・ヤルヴィを指揮者に据えたバルト海楽団による演奏がなされている。彼等を起用した理由を以下のように語る。

「私が音楽を演奏するように、演奏することのできるオーケストラを求めていました。楽譜だけでなく心で演奏するオーケストラ、若くてフレッシュで情熱的な演奏者をです。バルト海フィルハーモニー管弦楽団を初めて見た時、彼等がそれらすべてを持っていることを確信しました。そして彼等が海の名前を冠していることに気付いたのです。それが決め手でした!」

北欧10カ国の音楽家で構成されている彼等は、歴史的に分断された地域の結束を象徴し、前ドイツ首相アンゲラ・メルケルから「国際理解を体現し、音楽を国境を越えて理解できる永遠の言語として用いている」と賞賛されたそうだ。

また、バルト海楽団の特徴は記憶だけを頼りに、立ったまま、演奏する独特のアンサンブルが特徴だ。従来のオーケストラとは一線を画している。相互にインタラクションのあるライヴ演奏。クラシックというジャンル的な敷居はなく、「音」を体現することを目的とした公演なのだ。

そうした協奏と自由な精神性はイーノの本質である実験精神と知的好奇心を刺激したに違いない。 

「この公演に参加するすべての人は、隣の人と同じように重要です。誰もが等しく重要であり、交換可能でも使い捨てでもない。オーケストラが演奏を行うのではなく、本当の意味でバンドであり、『演奏そのもの』であることが、ブライアンと私の考えるこのコラボレーションのユニークな点です」。

と本公演前に指揮者であり、創始者のクリスチャン・ヤルヴィは語っていた。昨年京都で行われていた『音と光の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」』でも『THE SHIP』がブースになっていた通り、本公演はイーノのキャリアの中で1つの到達点でもある。

こうした背景から察するに「THE SHIP」で描いたテーマは世界情勢に昔から目を向け、常に発信をしてきた彼が現在共有したい大きなトピックそのものであり、同時にそうした思想性やコンテキストとはかけ離れた純粋な音そのものによる喜びの発露なのだろう。

長くなったがこれらを踏まえて、本編を振り返る。

『THE SHIP』すべての楽曲を披露した前半。戦禍と沈没。それから解放を描き切る

イルカの群れが舞い踊る。沈みゆく船を抱き止めるように。人々の営みを愛しむかのように、穏やかに。船からはさまざまな亡霊達の言霊が反響する。『新たな幻想を見つけるために私は自由になる(I’m set free to find a new illusion)』。そのルー・リードの歌詞フレーズとともに、アングルは船底から凪になった波間、そして次の地平を映し出す。そんな感覚をあとから覚えた。

最初に披露されたのは『THE SHIP』の1曲20分を超える大作だ。立ったり、しゃがんだり楽団員も指揮者も動きを加えることで、観客の視線を飽きさせない工夫がなされている。暗い照明のなかではあるが、目を凝らせばイーノを舞台の中央後方に据えて、楽団がその手前全体を囲い込むように座っている。イーノと横並びの立ち位置にいるピーター・セラフィノヴィッチもカメオ出演し、長年のコラボレーターであるギタリストのレオ・エイブラハムズとプログラマー/キーボーディストのピーター・チルヴァースのサポートのように見受けられるが、どうだろう。

続く2曲目はアルバム同様ハープから始まる組曲「Fickle Sun(i)」だ。緊張感の高いこの楽曲はイーノの歌声がより際立って聴こえる。深みのあるバリトンボイスが会場を包むと、深い瞑想状態に入ったようにも感じられた。そして楽曲中盤、楽団の音が一層激しさを増した頃に1つの閾値の音量を弾き出す。柔らかくも力強く会場に音が反響する。

「Fickle Sun(ii)The Hour Is Thin」になると、冒頭のトラックはアルバムのハープからピアノに様変わりしている。そして客演した俳優ピーター・セラフィノウィッツによる朗読が始まる。気付けば楽団員の姿はない。そして大団円となる「Fickle Sun(iii)I’m set free」で手前の楽団員が悠然と歩きながら、(クラシックコンサートで楽団員が動き回るのを見たことがない)交わっていく。指揮者のクリスチャン・ヤルヴィとイーノは目配せをしながら柔らかくも底知れない音像を描き出す。

そして、再びイーノによる歌声で「I’m set free」と言葉を放つ時、アルバムのコンセプト通りに沈没船に乗船し、自身も海の底に沈んでいった感覚から、視点が切り替わり凪になった水面まで底から浮上し、波間から空気を吸い込んだかのような解放感があったのだ。何も解決したわけではないのに、ああ、生きてきてよかったと感じられるようなチャプターの閉幕。そしてまだ何も刻まれていない章へと人生のページを捲る感覚があった。

舞台としても、音楽としてもこれ以上ないくらい研ぎ澄まされていながら、温かみのあるイーノと若々しい楽団の勢いのある音の調和を聴くと、こんな世界も悪くないと思えてしまうのだ、皮肉なことに。一呼吸置いてMCでこのバンドの名前を考えたんだ、と茶目毛を交えて嬉しそうに語る姿から達成感が滲んでいた。

代表曲『Dawn by the Rriver』等を惜しげもなく披露し歌としての魅力を讃えた後半

1977年発売の『Before and After Science』から悲しみと慈しみに満ちた「By this River」。これもまた奇しくも水辺である川を題材にした楽曲だが、ハープとともに少し風邪気味でしゃがれたイーノの生の声で聴くと、ここまで温かみがあったのかと思い知らされる。そしてまた先ほどの「THE SHIP」を踏まえて聴くと、亡くなった人との時世を超えた交流の楽曲にすら聴こえてくるから不思議だ。

続くのは2022年発売のアルバム『FOREVERANDEVERNOMORE』から、1曲目の「Who Gives a Thought」だ。歌詞について読み解けば気候変動と、資本主義社会で蔑ろにされる労働者階級やそれよりさらにもっと小さな存在に対する意識に警鐘を鳴らすような言葉が並ぶ。これがコロナ禍に作られたことを考えると今の世界情勢は、よりひどいものになっているのだが、彼の音楽や言葉はそういう背景をすべて無視できるくらいに残酷なほど音として雄弁で豊かなのも感じられる。説教くさくなく、耳触りがいいのだ。

本編の最後を飾ったのは2005年発売のアルバム『Another Day on Earth』から「And Then So Clear」だ。この頃になると指揮者のクリスチャン・ヤルヴィの好奇心に満ちた動きとボルテージは最高潮に達していて、リズムとともに一緒に跳ねるように指揮をしているのだ。沈み込むような楽曲が並んでいたがここにきて、多幸感に満ちた時間が流れていた。

会場はいわずもがなスタンディングオベーションだった。そして「音楽はとてもいい気分にさせてくれるものだよね?」とクリスチャン・ヤルヴィの言葉に会場は一気に沸いたが、「一応アンビエントのコンサートということで、リスペクトフルに」というイーノの鶴の一声で、いったん高まった熱を落ち着かせることができた。空間を司っているのはやはり、イーノだと思った。

そして、アンコールには『FOREVERANDEVERNOMORE』から「Making Gardens Out of Silence」では、ゲストヴォーカルのピーター・セラフィノウィッツとソプラノ歌手で作曲家のメラニー・パッペンヘイムが再びステージに呼ばれた。楽曲冒頭は自宅の小鳥のさえずりをサンプリングするところからアプローチしたというこぼれ話まで飛び出した。

公演最後の一曲として2005年発売のアルバム『Another Day on Earth』から「There Were Bells」が披露された。歌声が高らかに響き、もはやクラシックでもアンビエントでもない1つの新しいブライアン・イーノだけになし得るコンサートの在り方を示して、幕は閉じた。

未だ現代音楽の境界線にチャレンジし続けるイーノの音楽は、彼が1970年代に長く滞在した、さまざまな音楽史に残る偉業を果たしたこの街、ベルリンで再び更新されたのだ。

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ジャンル問わず人が集う札幌の文化基地「ie」の遊び心 https://tokion.jp/2023/04/01/ie-sapporo/ Sat, 01 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=177632 2021年の1月に札幌にオープンした多目的な空間「ie」。企画運営を行う編集者、和田典子はどのように独自の立ち位置を築いたのか。

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札幌にある築50年以上の一軒家を改装し、2021年の1月にオープンした多目的な空間「ie(イエ)」。実はこの場所、以前は歓楽街であるススキノで働くホスト達の宿泊所として機能していたという。この場の企画運営をしているのが、編集者の和田典子だ。筆者が2周年を記念したアニバーサリーイベントに出展者として参加させてもらったタイミングで、市内のアートギャラリーとしても独自の立ち位置を築いた「ie」が生まれた背景と3年目の展望について聞いてみた。

和田典子
大学卒業後に渡英。帰国後はファッション媒体の編集部を経て、札幌に拠点を移しフリーランスに。2021年に多目的空間「ie」をオープンする。築50年以上の一軒家の1Fにはギャラリー、カフェ&バー、2Fには図書室、ファッションルーム、多目的室を併設。不定期で発刊される『ie zine』や、「ie」につながりのあるアーティスト等のzineや写真集、アイテム等も取り扱う。

多面的な余白を残し、肩書やラベリングにとらわれない場所

ロンドンで3年間生活した後に、東京でファッション媒体である「i-D Japan」のインハウスエディターをしていた和田。東京でファッション誌の最前線で働いた後に、2019年に地元である北海道に帰郷した。その中で自分のこれまでの経験を生かして何か新しいことをしようと模索している時期に出合ったのがこの家だった。「一言で語れるような明確な理由があったわけではないのですが」という前置きとともに、わかりやすい明言を避けるように言葉を慎重に選びながら、“ie”になるまでのヒストリーを語ってくれた。

「そもそもここを立ち上げる前は札幌で写真集などの“アート作品を買ったり鑑賞できる場所”が欲しいと考えていたんです。去年、ZINEや写真集を買えるショップがいくつかできるまでは、当時の札幌には大型の書店さんしかなくて。自分が何かを始めるなら、“アートやファッション、音楽などが同居しながらもリラックスしてそれらと対峙できる場所”を作りたいと思いました。だから運営する時は、まず靴を脱ぐことが絶対条件としてありました。そうなると家のような作りの場所がいい。例えば一軒家だとクローゼットもあるからファッションも見せられる。キッチンもあるから飲み物が出せる。本棚を作れば小さな図書室にもなる、みたいな。どんどんそういう感じで同時多発的にいろんなアイデアを構想して。そして立ち上げと同時に『ie ZINE』の制作も並行でして、徐々に『ie』というものが組み立てられていった感じですね」。

そうして自らの理想の場を札幌に作り、試行錯誤した2年間を端的にこう振り返る。

「1、2年目は、距離感の意味でもある程度の線を見極めないといけなかった瞬間も同時にありました。極端な話、最初は『交差点ですれ違うけど交わらないような人が同時に存在する場所』みたいな理想を掲げていたんです。ギャラリー特有の緊張感をできるだけなくしたいし、来てもらうお客さんに対して敷居を下げて、誰のことも拒みたくない。でもだからといって展示しているもののクオリティーや強度を下げることも絶対したくない。そのバランスを常に模索しているような時間でした」。

とはいえ、この2年間はすべての展示が貸し空間としてではなく、和田が依頼したい作家やミュージシャン、それから「VOU」等、京都のギャラリストとの信頼関係を構築し、企画展示のみで続けてきた。かくいう筆者も『VACANCE / VACANCY』というプロジェクトで1カ月以上の滞在制作を「ie」で行った。いわゆるホワイトキューブのギャラリーとは異なり、密接に関わり合いながら、一緒に展示を作り上げていくことができたと実感している。こういうプロセスを実現できるのはなぜなのだろうか。

「その人や作品を私なりに理解しないと、お客さんに伝えられないということが一番の理由です。自分が説明できないものを人に紹介できないですし。私個人のスタンスとして単に貸して、『どうぞ、あとはお任せします』というのは、さみしいなと。一緒に相談しながら場を作っていきたいし、夜遅くまで時間がかかるなら、炊き出しもします(笑)。作家さんだって人間ですし、展示準備で搬入したり、在廊している中で、その人の社会的に表に出てる部分だけではない側面が見えるじゃないですか。例えば、意外とお笑いが好きだとかアイドルが好きだとか、あるいは一緒にゲームで遊んでいて、『負けず嫌いだ』とか。そういう多面的な側面があるから人間って魅力がある。そういう部分全部をひっくるめて、その人を知りたいと思ってます。わざわざ札幌まで来てもらうなら、来てよかったなと思ってほしいので」。

そうした人に対するケアフルな視線は、来場者にも当然向けられる。

「初めて来たお客さんに『私みたいな普通のOLが来ていい場所なんですか?』と言われたことがあって。未だアートを観るとか作品を買うという文化に敷居がある人達や距離を感じている人がいるみたいで、それを『ie』ではどんどん払拭していきたいんです。

だからこそこの2年の間でお客さんと知り合って、それから北海道から出て、また札幌に帰省したタイミングで来て『おかえりなさい』と言わせてもらうような機会も増えてきた。だんだんとお客さんとの関係性が構築されてきたことが嬉しくて。

『ie』で展示やイベントをやってもらう方は、1年目は私がもともとつながりがある方が多かったのですが、最近はieをつくってから出会った方も増えてきたのがその証拠だと思います。開催する背景があることを大切にしていきたいですね」。

年齢にも世代にも肩書にきもとらわれない謙虚な姿勢。そしてアートに対する献身的な気持ち。そこまでの視線で関わり合うのにはどういう背景があるのだろうか。

「実家が書店で、すごく田舎なんですけど、雑誌を読んだりして情報は入ってきて、でも同年代と共有できないもどかしさがありました。新しい何かを教えてくれる人や出会える場所がなかった、その当時の自分を救ってあげたい気持ちが深層心理にあるのかもしれないです(笑)。だから図書室でファッション誌の横に写真集があったり、洋服があったり、レコードがあって。みたいな。“絶対読んだほうがいいよ”みたいに押し付けがましいことは言いたくないけど、お客さん同士で『これ良いよ』と教え合ってる光景を見ると嬉しいですね。私もお客さんに教えてもらうことの方が多いです(笑)」。

3月には札幌パルコで「ie」がディレクションを手掛けるプロジェクト「made and seek」で北海道にゆかりのあるアーティストのキュレーションを務めた。今後はどのような展望を描いているのだろうか。

「ありがたいことに、丸2年運営したことで、少しずつ認知されるようになって、道外からたくさんのお客さんが来てくれたり、展示をしてみたいという相談をしてくださる方達が出てくるようになってきて。ふと私自身が力まなくても『ie』が自走できている感覚を覚えたんです。だから3年目は、程よく力を抜いて流れるようにその瞬間瞬間を楽しみながら、それでも運営ができることを実証したいです。そしてなんとなくお客さん達の間でイメージができているこそ、“『ie』ってこういうこともやれるの?”みたいな、いい意味で予想を裏切れるようなこともしていきたいと考えています」。

北海道以外から展示に来た全国区で活躍する高名なアーティスト。北海道の地で粛々と活動を続ける作家。服飾の専門学校生、大学生の顧客に加えて、近所で店を営む店主まで、多種多様な人達がこの場所に集まり、化学反応が生まれる。来る人が変われば、生まれる会話も変わる。作家が在廊しているかどうかでも話の角度が変わる。時には自然発生的に次の企画が生まれることもある。「ie」が磁場となって人の流動が起きて、新しい何かが生まれる。つまり長きにわたってさまざまなプロフェッショナルとコラボレーションを果たしたエディターという経験に裏打ちされた「即興的」なアプローチこそが「ie」の1つの特徴といえるのかもしれない。

ただこの場所の特徴を、展示にも長い関わり合いの中で参加させてもらった自分でさえ、一言で明言できそうもない。取材後改めて考えたのだが、それは作家にしろ来場者にしろ、ふとそれぞれの距離感の中に、その人が見つけた「ie」の姿があるからではないだろうか。札幌を訪れた際には足を運んでその日、その時にしかない空気や起こり得ない現象を楽しんでほしい。

Photography Yuki Aizawa

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時代性は関係ない ふしだらな人間が持ってる“揺らぎ”にしか興味ない−betcover!!が目指す「劇伴的」音像 https://tokion.jp/2023/03/29/betcover-jiro-yanase/ Wed, 29 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=176931 2022年末に『卵』をリリースし全国ツアー中の柳瀬二郎が主宰するbetcover!!。同作を「音楽」っぽくしたくなかったという言葉とは裏腹に、こだわりぬいた音のあるべき形と言葉について。

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柳瀬二郎が主宰するbetcover!!がすごいことになっている。『卵』を2022年末にリリースしてから、全国ツアーを回り、捉え切れない速さで、音に熱をのせ撒き散らしている。計測不能な何かが、制御不能な何かが更新されている気がする。そう熱を帯びて語りたくなる何かが今の彼らの音楽にはある。海外のレヴューサイトからも熱い反応が返ってくる等、フォークを咀嚼した日本ドメインの音楽とプレイアビリティ光るバンドの演奏が国境を超えて音楽リスナーの芯に迫る事実にも納得がいくところだ。

エイベックスを離れた後の2021年にリリースされた『時間』。その後1年でリリースされた『卵』について。古くから営まれる時間が壁や椅子に染み付いた三軒茶屋の喫茶店で、生姜焼き定食を食べたり、タバコを吸ったり、クリームソーダを飲んだりしながら、2時間たっぷりと話を聞いた。

今作を「音楽」っぽくしたくなかったという言葉とは裏腹に、こだわりぬいた音の鳴り方のあるべき形と歌詞としての言葉について柳瀬二郎が語り尽くしてくれた。

柳瀬二郎
東京都調布市出身のシンガーソングライター。ロックバンドbetcover!!のヴォーカル。
https://linktr.ee/betcover

「バンド」として音を鳴らすことで生まれた幽玄な音世界

−−現体制になってからの動きをざっと教えてもらえますか?

柳瀬二郎(以下、柳瀬):2021年の1月付けでエイベックスを離れて。ゆうらん船を呼んで、『時間』に含まれる曲でワンマンをやったのが現体制の始まりですね。それから「自分の金でアルバムを作るぞ」みたいなモードになって。2016年からずっとレーベルがついてて、全部お金も出してもらっていたし、版権を持ってなかったから、自分の金出して作った方が「責任」を持てていいなと思って。その時貯金が若干あったので、「センティーン」の時からお願いしているエンジニアさんにHMCスタジオでとらせてもらったのが『時間』です。

−−エイベックスを離れてから一番の変化はなんですか?

柳瀬:より「バンド」になっていって「自分がボス」という実感が増えましたね。今までは自分がアレンジまで考えて詰めていたのが、バンドメンバー各々のプレイに任せることが多くなって。そもそも(日高)理樹さんに「これやって」といってもやれないし(笑)。コードはこれです、って感じで伝えて。その中で泳いでもらうようなやり方をするようになりました。間とテーマが合っていれば問題ないなと。

−−自身の創作面における心境の変化はありましたか?

柳瀬:いえ、そこは全然変わってないですね。「異星人」の頃も、『時間』の頃もやっている側として気持ちに大きな変化がないんです。そもそも楽曲自体もAメロ/Bメロ/サビとかないのがいいと思って昔からやってきたし。僕自身がこういう表現がしたいからこの音を使うみたいな。うん。だからやりたいことは一貫して変わってないと思います。

−−ただそのやりたいことのニュアンスがより緻密になってきているし、素直にそれを表現できるようになったということ?

柳瀬:そうですね。エイベックスにいた時はもうちょっとメジャー志向だったので。「せっかくメジャーに入ったし、なんか売れてぇな」みたいな(笑)。売れる感じの曲がいいと思っていたんですけど。でも、わかったんです。普通に現時点で能力がなかった、と思って。「狙うこと」が僕には多分……そういう系の才能は持っていないのを痛感して。それで当時の自分にできること、最大を出せるやり方を目指して『時間』を作ったんですよ。

betcover!! -「回転・天使」MV

−−そういう意味で、現体制のメンバーでバンドアンサンブルをビルドアップしていく期間だったのかもしれないですね。『時間』を出してからの2年間というのは。

柳瀬:そうですね。メンバーが現体制になったのもその時期くらいからなので。基本はみんなで「ジャーン」で一斉にとって。歌は重ねてとったり、曲によってはドラムを全部分解して録ってみたり、10日くらいでとったんですけど、実験していました。

あとアルバムトータルで作品を作ろうとしていたので。前はコンセプトがあったんですけど、もう少し曲単位だった。でも今作は作りたいテーマやイメージが膨らんで、コンセプト自体が全体を通してになっていったんです。そういう意味では、なんならあの時より今のほうがよっぽどキャッチーでポップだと思うんですけどね。

−−捉え方次第では、そうなのかもしれない。

柳瀬:前より素直になっていったんです。何度もインタビューしてもらっていますけど、初めて会った時はもっと尖っていたと思うんですよ。でももう取り繕うことはどうでもよくなってきて。毎日「すみません〜」とか言ってる感じで。だから最近はいつもそう思っていたのが、今回はより出ていったのかもしれないですね。

“架空の劇のサウンドトラック”がイメージ。『卵』が過去作と一線を画す理由

−−今回のアルバム作りのプロセスで、どのような青写真があったのですか?

柳瀬:僕はずっと「劇伴」をやりたいと思ってたんです。

−−劇伴?

柳瀬:“架空の劇のサウンドトラック”を作りたいなって思ったんです。僕らの音楽は主体じゃなくて、何かの物語の付属であるくらいのテンション。「音楽」主体ではなくて、そのくらいの感じ。だから今回のアルバムはインパクトがないんですよね。そのインパクトのなさが俺にとって大事で。

−−特に今作は、ここにいて今「卵」を聴いてるんだけど、今ここで聴いていないというか。過去と未来が混ざって、時制にとらわれないでいられる浮遊感があって。その理由を知りたかったです。

柳瀬:嬉しいですね。そういうことを表現したいと思っていました。今までで一番やりたかった音なんです。なんか『時間』は海外でも評価してもらい、あの時はあの時で、やりたいことできたんですけど。今回はもっと「音楽」としてあんまりキャッチーじゃないのがいいという感じがして。今のモードとしては、音に隙間や空間を作りたかった。

−−それはどうして?

柳瀬:「世界感」というか、情景がより伝わるように。内容をロックオペラにしたいわけでもないし。あくまでバンドミュージックだから。「劇伴」を作りたいけど、本当に「劇伴」になるわけではないので。そのバランスという意味で。

−−ああ。例えばヴィンセント・ギャロの『When』の感じとか?

柳瀬:あ、わかります。結構そっち系です。あとはニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのメンバーのウォーレン・エルスが在籍するダーティ・スリーとかアンビエント系のアルバムの感じ。情景がすごい浮かぶんですよ。こういう系を当時(日高)理樹さんから教えてもらって。

Dirty Three ft.Nick Cave / Sea Above sky Below – Surveilance

−−他にはどういうもの教えてもらったんですか?

柳瀬:あとはジョン・ケージのアンビエントとか。日本のシンガーでいうと三上寛もそうだったかな。詩がよくて。

−−そういう物語の情景を想起させる作品を作りたかったと。

柳瀬:はい。エイベックス在籍当時から信頼しているHMCスタジオの人に劇伴をやりたいと相談をしていたけど、「まだ早いよ」と言われて。というのも、1回ちゃんとそういう路線の音楽をやった上で、受け入れられてから「やる」という。なんなら“売れない路線‘’にいくことだから。もうちょっとやりきってからだと言われて。それで「これだ」という方向性のアルバムを1枚作るのを『時間』でやれたので。だから今回は遂に満を持したタイミングで、やりたいことをやりきろうっていう。

−−ずっと出したかった音の世界観って、「昭和的なテンション感」だと捉えていたんです。影響を受けて来たものが、舞台の「野田地図」であったり、映画の「犬神家」シリーズみたいな音楽以外からもあって。そこで捉えた感覚や情感をその世代じゃない人が鳴らしている、という感じがあって。けれど、『時間』から最新の「卵」にかけては、今の時代の空気が自然と鳴っている気がして。それって不思議だなと。

柳瀬:確かに、時々考えるんですよ。その頃の音楽も好きだけど、憧れてそれをやりたいというわけではない。そこが違うのかなと思うんです。誰かの表現をみていて「懐古主義だな」って思う時は、昭和のムードをそのままやりたい人で、その昭和の時代の人になりきりたいんだと思う。だから僕は言い方が悪いけど、その時代の音を「使う」「利用する」っていうテンションだから。

−−確かにその像を目指しちゃったら、懐古的になってしまう。でももともとやりたいヴィジョンがあって、世界観があって、それを実現する要素として引用しているというか。

柳瀬:うん。これがちょうどいいからという感じなのかな。あとはなんかいっぱい混ぜていますし、いろんな時代の音楽を。正直、必ず毎曲元ネタあるので。1曲に対して3曲くらいはオマージュを入れるから。しかも時代も国も違うものを。

−−なるほど。

柳瀬:古い音楽や映画を「古い」と思って今聴いたり観たりしてないですからね。年齢とか関係なしに、誰にとってもそのはずじゃないですか。時代劇を初めて観た時は誰にとっても新鮮で、そういう感じ。

今のモードを出せたので、曲がしっくりきているし、一番真面目に作ってるかもしれない。『時間』はもっといい意味でノリな感じだったし。ちょっと「コメディ要素」はずっと路線としてあったけど、今回は全然ないから。

−−「イカと蛸のサンバ」なんてタイトルからして最高だなぁって思いましたけど。

柳瀬:いや、あれが実は一番悲しい時に作っていますから。一番エモーショナル。あの曲が最後にできたんです。「ウオォ、泣ける。これじゃ!」つって。そんな感じだったんですよね。

−−Spotifyのプレイリストで公開された参考曲もジャンルも多岐にわたってて。その中でも、印象的だったのは、ラルクの「花葬」で。

柳瀬:はい。「ばらばら」は歌詞とか考えすぎないでそもそも歌っていて。アレンジを考えていたんですよ。もともとはめっちゃ遅い曲で。で、その時たまたまラルク アン シエルを聴いて。「花葬」で言ってる「バラバラに散らばる」って言葉が「ばらばら」の中で既に書いていた歌詞とリンクしていたし、この感じのテンポでいこうと思って。

−−影響を受けたのはむしろテンポのほうなんだ。アルバム全体を通じて目指したのはどの質感なんでしょうか?

柳瀬:今まで話したテーマに通じますが、ずっと時代に影響されない、あんまり関係ないものを作りたいんです。情けなさとか人間臭さとか。結局、「情」とかふしだらな人間の話がしたい。こういうことあるよね、みたいな物語というか。

――人間そのものを描きたかった、と。

柳瀬:そうですね。「普遍性」があるものを作るためには、「時代性」がないものを作らないといけないじゃないですか。でも、その時々で音楽で自分が表現したいことをやってると、時代とかはもはや関係なくなるんですよ。僕はそんなに重くない。軽い。大したことはあんまり言えないですし。何か代弁するようなことを言うほど偉くないですし。そういうのをやるのは60代になってからかなって。だから歌詞も自分を主体にしないで、物語に置き換えているんです。

僕はメトロノームが嫌いで「なんで演奏するのに軸を作るんだ」って思うんです。

−−音像もどこか遠くで鳴っているような距離感の不思議な鳴り方ですよね。

柳瀬:はい。参考にしたのはアンビエントとかクラシックとかジャズの録音ですね。クラシックとかジャズの録音って、1本のマイクでとるんですけど。ドラムが特に重要で、普通は1本1本マイクを立てるんですけど。今回のアルバムは基本1本で足りないところを補うだけ。だからほとんど、外からの音なんですよ。

あとは2000年代とかその前後のバンドとかってたまにやってる人がいましたけどね。それこそ54-71とか。よく聞くと結構重くない感じを参考にして。

――なぜそうした音像を目指したんですか?

柳瀬:今って打ち込みの技術とかが進化しているから。あんまりドラムって意味がなくなってきちゃっていて。なのに、メトロノームをつけて練習して「クリック音」を意識して。それって本当に人間がやる意味あるのかなって。

メトロノームをつけないだけで、だいぶ今っぽさがなくなって音に揺らぎが出るんですよ。僕らBPMのタイム感が良くないんで走ったり、遅くなったりするんですよ(笑)。それが人によっては気持ち悪いってなると思うんですけど、そうじゃない人にはむしろ一発どりのほうがいいかなみたいな。

――その揺らぎを聴いてほしいと。

柳瀬:僕はメトロノームが嫌いすぎて。「なんで演奏するのに軸を作るんだ」って。まじで謎。「俺は走りてえんだよ」って。

−−(笑)。

柳瀬:基盤がこうですっていわれている上で、演奏するのってめっちゃ気持ち悪くないですか。それって実はあとでミックスしやすいとか、修正しやすいためとかだったりの理由だったりして。「それってもはや音楽じゃねえじゃん!」って思っちゃうんですよね。

――自分たちで鳴らす意味があることしかやりたくないと。もともと学生時代に吹奏楽でクラシックをやってきたのも関係しているとか?

柳瀬:それがあるのかもしれないですね。クラシック音楽だとアンダンテとかクレッシェンドとか。それが音楽的な流れじゃないですけどあるから。僕らが演奏して速くなるところって、速くしたいから速くなるんですよ。

――そもそも音楽ってそっちが普通だったのに、という気持ちがある。

柳瀬:はい。でも最近は感情のことをやらなくなってしまった、いつの間にか。ドラムも「こうやってここはちょっともたついてるからキックだけ前に」とかあんまりしたくない。もう歌が下手だったらピッチ修正するんじゃなくて、歌が上手くなるように練習すればいいし、ドラムだったら、ドラムを練習すればいいだけなのに。

――だからこそ一発どりにこだわったという。

柳瀬:はい。あとは、時間がなかったんですよ、単純に(笑)。だから制限が生んだ一発どりでもある。

――その理由は?

柳瀬:銀座にあるはっぴいえんどとか坂本龍一さんとか矢野昭子さんがレコーディングするスタジオでどうしてもとりたくて。そこのスタジオを2日間だけ借りたから。マネージャーもいないし、完全セルフプロデュースだから2日で10曲。なんでもできるとなるとなんでもやっちゃうから。それで結果、方向性を見失うみたいなことにならなくて済んだのはありますね。やれることを全力でやったんです。

今回はデモがあったものをリハで何度もやっていましたし。1年かけてアレンジもライヴで作っていって、それを録音した感じですね。プレイング自体はライヴと一緒なんですが、ミックスしないことにはライヴ音源みたいなパワー系になっちゃう。だから音圧もあげないでわざとすごいしょぼい音にしたんです。

――しょぼい音にする?

柳瀬:はい。マスタリングという作業をしなかったんですよ。普通はミックスしてからマスタリングで音圧をあげるという作業があるんです。音圧をあげるってつまり、音をつぶすことなので、上をつぶす。でっぱってるところを凹まして均等にするみたいな。だからそれってオーケストレーションの揺らぎを消して、聞きやすくするという作業のこと。通常音圧をあげると音量がでかくなって、かっこよく聞こえるんですよ。でも、それをやるとクラシックとか昔の音楽が持っている本来の豊かな部分を殺しちゃうなと思って。

――なるほど。

柳瀬:今回は音圧をいじらず。音量だけをなんとかあげる。だからミックスの状態なんですよ。

――レコーディングの仕方と空気感の味わい方。時間軸が定まってなくて、どこにでもいけるという浮遊感を感じたのですが、それにはそういう事実があったからこそなのかもですね。

柳瀬:そうかもしれないですね。意識的に今バンド音楽でこういう音を出している人たちがいないから。

町田康に教わった言葉について

――海外のbetcover!!ファンがYouTubeで熱を帯びて語っていたり。多分それって、いろんな海外の音を聞けるようになったからだし。フィッシュマンズの音楽に簡単にアクセスできるという文脈があった上での話と思うんだけど。なんでそんなことが起きてると思いますか?

柳瀬:わかんないっす。「やったあ! うれしいなあ」って感じ。でも日本が大好きなので、文化的に伝わってるのが嬉しいですね。

――海外の人に聞かれている理由って、そこに日本的なものがあるからなのか。具体的に日本文化のどこが好きですか?

柳瀬:言葉ですね。僕しゃべりが、すごい軽くて苦手なんです。あんまり自分のことを話せない。まあだから曲にしているんですけど。僕が一番苦手としている。でもだから文字とか詩になると……うん、大事な部分です。

あとは曖昧な表現ができるのすごいですよね。歌詞だと特に主語と述語がはっきりしないとか。日本語って前後の並びもある程度ずらしても伝わるし、単語も並び方がいろいろある。組み合わせで解釈がなんとでもなるし。あとは、一人称がいっぱいあるのもすごい。英語だと「You」だけなのに、日本語だと「君。あなた。われ。てめえ。貴様」何でも使えるし、全部に背景があるじゃないですか。

――確かに。

柳瀬:だから歌詞の接続部分を後で全部入れ替えるんですよ。そういうズレ感があっても伝わればいいなって。

betcover!! – 「超人」MV

――直接的にわかりすぎないように、ニュアンスを濁すのはどうして?

柳瀬:全部わかってしまうのが嫌だから。なんか今の時代ってあらゆるものがはっきりしているじゃないですか。画質とか画素がいいとか、それこそ音がクリアなのがいいとか。でもクリアじゃないのが懐古(主義)なのかと聞かれると、本当のところはそうでないかもしれない。この喫茶店がドトールに比べて、クリアじゃないけど懐古主義なのかっていうとそうともいえない、みたいな。

昔、町田康さんと対談した時に言葉について教わったんですよ。町田さんは「俺らが若い頃、音楽をやっていた頃は、10メートル先が見えなかった。真っ暗だからなんでもできた。今って全部見えてるからそれができない」って。僕が中学生の時には既にスマホがあったし。だから便利すぎる、整頓されすぎるのも嫌なんですよ。整頓されてないものとか、朧なものの方がむしろ新鮮に響くというか。

――「時間」以降海外のリスナーの反響がある理由って、その朧な像に日本的なものがあるからだと思いますか?

柳瀬:どうなんですかね? 海外の人からみて日本的な響きってどういうふうに感じられているんでしょう。でも、一方で僕らも海外の曲のニュアンスがわかりますよね。うん、わかる気がするんですよ。ブラジル音楽のガル・コスタとかが好きで。日本語じゃないけど、ソウルがわかる。響きだけでも伝えられてる。そういう音楽は格好いいと思います。僕の音楽もそうだといいなと思いますね。

今日本の次に聞かれているのが、なぜか南米で。また、ゆくゆくは海外のイベントにも出ていきたいんです。ぜひ、呼んでほしいですね。予想を裏切るような場所でやれたらいいなと思ってます。

Photography Mayumi Hosokura

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ニコラ・クルース初のDJミックスが「fabric」からリリース 世界ツアー中に作られた楽曲をコンパイルした新作について語る https://tokion.jp/2023/02/01/interview-nicola-cruz/ Wed, 01 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=164580 ロンドンの名門クラブ兼レーベル「fabric」の人気DJミックスシリーズ「fabric presents」に登場した、ニコラ・クルースのルーツと同作の制作背景に迫る。

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エクアドルを拠点にするトラックメーカー・DJのニコラ・クルース。欧州を中心とするエレクトロダンスミュージックシーンに自身のルーツである南米の民族的なサウンドを取り込み、さまざまな要素が溶け込んだ音像が魅力である彼。 既にキャリアの中で5枚のEPと4枚のフルアルバムをリリースしており、精力的に日本でもパフォーマンスを行っている。そんなニコラが次に仕掛けたのは、ロンドンの名門クラブ兼レーベル「fabric」の人気DJミックスシリーズ「fabric presents」だ。2001年からほぼ毎月リリースされている同シリーズには、マインド・アゲインスト、レオン・ヴァインホール、ティーシャ等といった多彩な顔ぶれが揃っている。

ニコラ曰く「アートや音楽に対すコスモロジー(宇宙論)の力を意識し、ルーツであるラテンアメリカから生まれたダンスミュージックの影響をもとにキュレーションした」という今作は、全26トラックをコンパイルした大作であり、ベースミュージックやテクノ、そしてアナログでグリッチーな音像までを網羅した快作となった。彼がコンピレーションアルバム全体を通じて描き出そうとする世界とは。意外にもキャリア初となる「fabric presents Nicola Cruz」について真意を探った。

ニコラ・クルース
DJ・プロデューサー。現在は南米エクアドルを拠点にしている。パーカッショニストとして活動を始め、エレクトロニック・ミュージックや南米の儀式、音楽を探求する。コンピレーション作品への参加や楽曲提供を続けた後、2015年に『プレンデール・エル・アルマ』でアルバム・デビュー。以来、アンデス山脈でつながる南米のフォルクローレ〜ルーツ・ミュージック、クンビア、アフロ、ラテン、モダン・エレクトロニック等を融合した“アンデスステップ”を提唱。2018年の「MUTEK」に招聘され、同年のフジロックに出演。2019年に『シク』をリリース。2022年には「fabric」のミックス・シリーズ、「fabric presents」に登場した。

エレクトロニック・ミュージックはそれ自体が実験の場

ーー「fabric」からリリースされた今回のミックスアルバムについて、改めてご自身で紹介して頂けますか?

ニコラ・クルース(以下、ニコラ):基本的にはエレクトロニックなダンスミュージックのミックスアルバムです。最近の自分のDJセットのラインアップに、ローカルにある実験的な新しいシーンの楽曲を織り交ぜたものになりました。世界ツアー中にこのミックスを同時並行で制作していたから、ツアーでのギグの反応や手応えによって、次にどの曲を配置するべきかが自ずとわかるようになりました。旅の道中で感じたインスピレーションを手掛かりにつくられたコンピレーションです。

「fabric presents Nicola Cruz」

ーー意外にも初となるDJミックスアルバムになります。ご自身の楽曲とミックスアルバムを出すこととの間にはどのような違いがあるといえますか?

ニコラ:完全に違う行為です。楽曲制作では、深いところまで潜って1つ1つ自分の個人的な心情やそこで生まれたアイデアをつぶさに検証しながら音像をデザインします。一方ミックスの作業は、DJ としてのアイデアと経験の両軸が必要です。つまり、曲の流れの中でのストーリーテリングとレコードを深くディグる両方の能力が求められます。

ーーエレクトロニック・ミュージックシーンと自身のルーツであるエクアドルというバックグラウンドをどのように結びつけていますか?

ニコラ:私はエクアドルの首都・キトに帰っている時は音楽イベントを主催しています。エクアドルで過ごす時間は断続的なので、機会があればいつも友達を招いたイベントを開催しています。

ーーアナログな技術や楽器とデジタルなビートをつなぐために大切なことは何だと思いますか?

ニコラ:余白を残す、ということ。 音楽は静寂とそれぞれの音と音の間も重要。 それこそがリズムになるからです。

ーー今回さまざまなローカルのアーティストとのコラボレーションをミックスを通して果たしました。その中で印象的なものがあれば、いくつかシェアしてもらえると嬉しいです。

ニコラ:5曲目の「Contato」で起用したマルセラ・ディアス (ピアニスト兼チェロ奏者というバックグラウンドを持つ)は「Fixed Rhythms」以前の作品から追っていました。今作のために楽曲のラフスケッチがあったので、連絡しました。エレクトロのモードとマッチしている時の彼女の声が本当に好きで。 

18曲目の「Reer」で起用したスイスのバーゼルを拠点に置くコレクティブのヴァルナは僕もよく知っている仲間達。 重厚感のある雰囲気や質感を作り出す名手だと思います。 どの曲を使うか相談したところ、この曲を採用することなりました。

20曲目の「Glue」に起用したマキーナと私達は長い間一緒に演奏しており、本当に尊敬しています。マキーナにこの作品を依頼するのは必然でした。

ーーエレクトロニックな音楽シーンのフィーリングに民族的でトライバルなビートや楽器を加える手腕がニコラの音楽の1つの特徴だと思います。その背景について教えてください。

一言で言えば「うまくいけば、最高だから」。丁寧に説明するならば、エレクトロニック・ミュージックはそれ自体が「実験」の場であり、それをさらに推し進めるものだから。従来の古い楽器を実験的に録音して重ねてみると、とてもおもしろい発見があります。

ーー最近のシーンで興味深く感じるものは何かありますか?

ニコラ:ブリストルのオム・ユニットやオランダの「Nous’klaer Audio」がやってるシーンが好きです。来年はブラジルに戻る予定なので、またそのシーンに入り込んで探検できたら嬉しいですね。

ーー日本のエレクトロニック・ミュージックシーンについてどう思われますか?

ニコラ:信頼できると思います。DJや現場に関わる人それぞれがプロフェッショナルな意識を持っていて、自分達が何をすべきなのかを正しく理解し、真剣に取り組む印象があります。サウンドシステムの素晴らしい箱がいくつもありますが、それにだけでなく、例えば、ライヴの数日前にもかかわらずオーディオ・エンジニアは音のチェックをしていたりして、この姿勢を本当にリスペクトしています。他の国のシーンではなかなか見ないものです。

Direction Kana Miyazawa
Cooperation Studio De Meyer 

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服を通じてドイツの歴史に思いを馳せる フランク・リーダーが貫く生地とヴィンテージボタンへのこだわり https://tokion.jp/2022/12/31/interview-frank-leder/ Sat, 31 Dec 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=160528 長年にわたりヴィンテージブランケットやアンティークボタンに執着し、製造工程をハンドメイドにこだわりながら活動するフランク・リーダーのクリエイティヴの背景を訊く。

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フランク・リーダー。一度も彼が手掛ける服の袖を通したことない人でもこのブランドを知る人は少なくないだろう。1999年のコレクション発表から、自身のルーツであるドイツの歴史に向き合う中で、高い評価を受けてきた。日本では「1LDK」や「インターナショナル ギャラリー ビームス」等を中心に取り扱われている。さまざまな歴史的背景に焦点を当てながら、ジャーマンレザーの開発等ワークとファッションの垣根を取っ払うようなデザインで人々を魅了してきた。20年以上にわたりコレクションを発表してきたが、今なおその勢いとクリエイティヴィティはとどまることを知らない。

2022年秋冬ではヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ヴォイツェック』をインスピレーションにチェコのシュレジエン(シレジア)地方にある繊維工房のウール生地を手に入れたことをきっかけに、モールスキン、オーストリア軍やドイツ矯正刑務所のヴィンテージブランケットを手に入れたという。

ここまで長年にわたりヴィンテージブランケットやアンティークボタンに執着し、製造工程をハンドメイドにこだわりながら活動するフランク。彼を突き動かす熱源はどこにあるのだろうか。ベルリンはシャルロッテンブルクにあるアトリエ兼ショップにて話を聞いた。

フランク・リーダー
1974年、ドイツ生まれ。セントマーチンズでファッションを学ぶ。1999年、ロンドンでコレクションを発表。その後2002年に拠点をベルリンに移し、活動を続ける。
http://www.frank-leder.com/

ボタンや生地に込められた歴史的背景に思いを馳せて

――今回秋冬のコレクションにWerner Herzogの「ヴォイツェック」をピックアップした理由はなんですか?

フランク・リーダー(以下、フランク):実は映画というよりもむしろ19世紀の劇作家ゲオルク・ビューヒナーの戯曲がそもそものモチーフなのです。彼の作品が世界中で知られるきっかけとなったのが映画『ヴォイツェック』です。高校時代に作品を見た頃の思い出がふと蘇り、「ドイツの歴史」という私が毎回重きを置くテーマとしてこの作品をインスピレーションにコレクションを描きたいと思っていました。

『ヴォイツェック』のあらすじは実在の事件に基づいています。クラウス・キンスキー演じる元兵士が精神を病み殺人に至るまでの物語です。作中では悪意に満ちた医者に服従するなかで起きた猟奇的なプロセスを上手く描いています。そのため神経症的な演出が何度も執拗に繰り返されます。

小話としてクラウス・キンスキーが1つ前の作品で疲労困憊の状態にあったみたいで、その役者としての彼自身の精神状態が「ヴォイツェック」にぴったりだと思った監督のベルナー・ヘルツォークが起用したという裏話があるようです。

――いわゆる負の遺産として捉えられがちなドイツ文化や歴史からアイデアが生まれ、常にコレクションに注ぎ込んでいますよね。なぜテーマとしてそうした暗くて重たい要素がそんなにもあなたを惹きつけるのですか?

フランク:重いテーマに魅かれるのは学生時代にドイツ文学を勉強していたことに起因します。私のコレクションは常に服とそのコレクションに向けた写真を通じて物語を語っています。

――どのようにアイデアをコレクションに落とし込んでいくのでしょう?

フランク:まず文化的な背景を掘り下げます。その背景を辿るために旅にも出ていきます。例えば、今回でいえば「ヴォイツェック」のイメージとして軍の毛布が必要でした。なので、ドイツの矯正刑務所(Justizvollzugsanstalt)に行き、実際に使われていた軍用ブランケット(以下同)?の素材を手に入れました。ストーリーのアイデアを掘り下げる段階で出合ったこともあり、運命的だと感じました。

――確かにそれは運命的なものを感じてしまいそうですね。どのようにして出会ったのでしょう。

フランク:友人のアーティストのアトリエを訪れたとき、あるブランケットが絵画のキャンバスを覆うために使われているのを見たんです。それが政府関係の友人から譲り受けたものと聞き、軍用毛布だとわかりました。「これが欲しい!」とその場で生地の持ち主である彼に説得しました。そのおかげで幸運にもそのブランケットをコレクションのために手に入れることができたのです。

このように生地を追い求め、選択するプロセスは常に冒険と発見に満ちています。私は素晴らしいヴィンテージ生地を手に入れたら、すぐにでもジャケットを作りたい衝動に駆られます。なぜなら、この種の小さな幸運は常に起きるわけではないと知っているからです。

――今回のこだわりを教えてください。

フランク:今回に限らずですが、僕がコレクションを作る時、最初は「布地」と「ボタンの選定」を徹底的にこだわるところから始まります。ボタンの産地やそれらが生まれた背景にこだわり抜いていくのです。適当に安価なボタンを選ぶのではなく、声を大にして言いたいのが「ボタンのような細部こそが大事なんだ」ということです。

――それはなぜですか?

フランク:ボタンこそが毎日服を身に付けたり、脱いだりしたときに手に触れるアイテムです。そういう細部にこだわることこそがファッションを決定づけると思います。今回は1960年代のチェコやドイツのヴィンテージボタンを使っています。今回のコレクションではセパレートボタンになっているジャケットもあるし、毎回気にかけています。つまり、どれにも歴史的な物語があって貴重な一点ものと言えるんです。

――今回のコレクションのなかでお気に入りのアイテムはなんですか?

フランク:お気に入りの生地は焼けたモールスキンです。ドイツの老舗ウール生地メーカーの機械は、ウール生地をスチームとアイロンで縮めてから、ウール生地をプレスして作られています。その熱を加える工程で、生地との間に挟んで使うモールスキン生地を見つけることができたんです。

――代名詞とでもいうべきジャーマンレザーが今回のコレクションでも用意されていますね。

フランク:はい。でも残念ながら新作発表は今回が最後になってしまうかもしれません。というのも、生地を?作ってくれていた会社が倒産し、工房も閉鎖されたため、貴重な衣服を織る機械がすべて解体されてしまったからです。すべてが一期一会だから仕方ないですけどね。

――アップサイクルという言葉が取り沙汰される前から、そうしたマインドセットでずっとブランドを作り上げてきたんですね。

フランク:そうです。全てのコレクションが出合いと選択の連続なんです。もし、いいものを作っている工房があって、そこが世界に対してアプローチする機会を持ってなかったら、僕が機会を作ることができる。今回のコレクションのアイデアはロシアのウクライナ侵攻の前から考えていたことですが、不思議と時代の流れと一致していきました。創作しているとそういう時代性との一致を感じることもあるんですよ。

――どのようなものがクリエイションのインスピレーション源になるのでしょうか?

フランク:ありとあらゆるタイプの人々に出会うことや環境についての本を読むことです。私は常に、自分と異なるジャンルの友人や出来事に対してオープンでいることが大事だと考えています。私の興味は当然「ファッション」です。でもその上でさまざまなジャンルの人と交わることが多くのインスピレーションを与えてくれます。

――日本のファンにメッセージをお願いします。

フランク:まず、言いたいことはここまで長きにわたって本当にどうもありがとう、ということです。ブランド設立から20年というのは本当に長いです。働き方やライフスタイルが変化している時代にブランドを継続できるのは稀なことだし、毎シーズン顧客がコレクションを購入してくれていることに感謝しています。シーズンごとに自分自身の想いを服を通じて表現できているということがみなさんへの贈り物です。

Direction Kana Miyazawa
Photography Emi Iguchi
Special thanks to: MACH55 Ltd.

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ドイツ・カッセル「ドクメンタ15」で体感したヨーロッパ圏外の作品群と街との呼応 https://tokion.jp/2022/08/27/documenta-15-in-kassel-germany/ Sat, 27 Aug 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=141598 ドイツ・カッセルで開かれている「ドクメンタ15」。今年はインドネシアのコレクティブ・ルアンルパのキュレーションで開催した。「ミッテ」で展示されていた作品群を中心にレポートする。

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5年に1度、ドイツ・カッセルで開かれている「ドクメンタ15」。今年はインドネシアのコレクティブ・ルアンルパのキュレーションによって行われていた。「Make friends, not art」というスローガンにふさわしく童心に帰ってとことん遊びきる。または複数人で意見を交し合うような展示物が多数展示されていた。「ルンブン」とはインドネシア語で共有の米倉を意味する言葉であり、それぞれの農家が余った米をルンブンに持ってきて共同体の皆で分け合うインドネシアの風習を今回のドクメンタに当てはめ、知的資源や物的資源を共有し、分け合っていくというテーマを表したものだとされている。

一方で一部の作家の作品が反ユダヤ主義的だとして、政府の検閲により作品が撤去されたり、アートシーン全体で議論が巻き起こっている。そうした議論がある状態を認識しつつも、今回こちらの記事では、エリアの中心部となる「ミッテ」で展示されていた作品群についてレポートしていく。

ヨーロッパ圏以外のアートコレクティブが展示でもたらす世界感

Fridericianum

中心街にある最大規模の展示ギャラリー。さまざまな教育の可能性を探るという。作品の展示だけでなく、アーティスト達の居住・作業スペースやキッチン、図書館、子ども向けのワークショップスペースや託児所などもある。この場所を起点に往来する来場者・アーティストがともに「学習する」スペースになることが期待されている。1階から3階までアジアやアフリカを含む17のアーティストコレクティブの展示を行っている。特徴的なのは、往来して観賞するだけにとどまらず、椅子に座ったり、その場に寝転がりながら展示作品の映像を観賞することができる作品群が多い点だ。立ち止まって考える時間が用意されている点は特徴的と言えるかもしれない。

Gudskul

1階の展示室に入って早々にあるのがジャカルタにある3つのコレクティブによって形成された学習共有プラットフォーム「グッドスクール(Gudskul)」の展示空間。共同学習、集団ベースの創作活動やコラボレーションに重点を置いた芸術制作に関心のある人なら誰でも参加できるという。実際に展示スペースといいつつ、参加者も椅子やテーブルに座って、サステナブルなアートの取り組みを考えたり、意見を交わし合えるような仕組みになっている。

WAJUKUU ART PROJECT

ギャラリー付近で目を引いたのがナイロビで最も人口密度の高いスラム街の 1 つ、ルンガルンガと呼ばれる地域にあるコミュニティベースのコレクティブの展示物。2004年に創立されたこちらのグループの展示スペースはマサイ マニャッタ (東アフリカのマサイ族の伝統的な住居) とスラム街の非公式の美学に触発された足跡の建築物が現地の廃材を使って再現されているのだ。廃材を通じて現地の空気感を見事に再現できている作品群は一見の価値ありだ。

日本から唯一の参加 CINEMA CARAVAN

滞在したこの日は夜に「CARAVAN HIVE PARTY」というパーティも用意されていた。制作滞在中のアジトとなっているような建物を貸し切って広場でイベントを開催していたのだ。栗林さんを中心に逗子のCINEMA CARAVANのクルーとここに制作滞在しているコレクティヴがこのイベントに合わせて踊っていた。「元気炉」も移動していて、サウナ空間の中で参加者がどこから来たのか、展示物の中の何がおもしろかったのか等意見を交し合う時間を通じて、作品の役割を肌で感じたのであった。

常設展も不思議と時代とリンクして見えてくる

GRIMM WELT

小高い丘がある場所にあるのが「GRIMM WELT」。まるで辞書や言葉の森の中に迷い込んだような作りになっている展示を見て考えたのは、意味の世界だけに没頭しすぎると、言葉の渦に森のように酔ってしまう。だから、意味とか言葉の後ろに余白を保っておく。気付いたと思った真理が、また違う角度で見たら違った側面を覗かせてくれる。意味が崩壊して疑問の渦に立ち返る。そして再び観察をして、距離がある中で捉えた意味を本当のこととする。そんなような作りになっている。Zの先には何があるのか自分で体感してほしい。

客観と主観/ミクロとマクロの思考の往来を促すような常設ミュージアム「GRIMM WELT」を見て感じたことと2日間見て体感したことが、次第に自分の中で広がっていった。ミュージアムで見終えたところで滞在時間にそろそろ限界がきてしまった。

「ドクメンタ15」を巡る表現の自由や反ユダヤ的と見なされて検閲が入り、関係者が辞任に追い込まれるに至った論争は、世界中で起きている出来事に対する1つのわかりやすい反応であり、世界中で議論を巻き起こすこと自体がドクメンタが「時代の記録」としての機能を果たしているのではないかとふと考えた。これまで人類が紡いできた歴史の途方もなさ、そしてその中にある現代作家による作品を通じて、自分がわざわざ足を運んで、すべてを通じて体験しないと全容が見えてこない。いや、飛び込んでなお「言語化できない」体感に面食らうのであった。

街全体をヨーロッパのアート社会の権威から外れたところにあるようなさまざまな国からやってきたアーティスト達の作品を展開することに全力を費やしている「ドクメンタ15」。個人的には気心知れた人達と、作品を通じて侃々諤々議論を進めたり、その催しを通じて戯れたりすることができて楽しかった。

小学生みたいな感想かもしれないが、率直なところ、それを言わんとすること自体が大切な幹であるような気がした。そしてふと「Make friends, not art」という言葉がまた頭をよぎったのだった。ある意味では、ルアンルパの目論見通りなのかもしれない。 権威や論争といったものとは全く異なり、現場で起きている人が作品を見る時に浮かべる気軽ともいえる空気感。「ルンブン」という英知を共有し合う姿勢。またはそれ以外。少しでも気になるものがあったのならぜひ一度、足を運んでみてほしい。シリアスになりすぎずに、5年に1度の展示で作品と全身全霊で戯れてみるべきだろう。

■Documenta 15
会期:9月25日まで
公式サイト:https://documenta-fifteen.de/
公式Instagram:@documentafifteen

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ベルリンのスケートシーンのハブ「CIVILIST」が地元と世界から愛される理由 https://tokion.jp/2022/06/26/the-reason-civilist-the-heart-of-berlins-skateboarding-scene/ Sun, 26 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=118779 「ナイキ」等のブランドとコラボレーションを果たし、スケーターシーンのみならずベルリンのストリートシーンを牽引する「CIVILIST」のアレックス・フォーリーに、コミュニティのあり方や街の魅力について話を聞く。

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スケートパークが公園の中に多数あり、ショップが数多く存在するベルリン。そんな中でも、「ナイキ」等世界の名だたるブランドとコラボレーションを果たし、スケーターシーンのみならず、オーバーグラウンドでの注目を常にさらっているのが「CIVILIST」だ。2009年のオープン以来、10年以上にわたってコミュニティのハブとして中心にいる彼らにその背景を探ってみることにした。スケーターの写真家としても活躍しており、現在は「CIVILIST」のボスとしてすべての側面で場を守り発信を続けるアレックス・フォーリーにコミュニティのあり方や街の魅力について話を聞いた。

いつでも誰でもウェルカム。敷居を感じさせない店作り

――この10年で「CIVILIST」のコミュニティはどのように変化したのでしょうか?

アレックス・フォーリー(以下、フォーリー):僕達の店はスケーターにとって、ちょうど休憩地点のような場所です。みんなここを目指してやって来るし、今働いているスタッフももともとはここのお客さんでした。最初お客さんとしてこの店にやってきて、少しずつ話すようになりやがて友達になりました。僕が人手を必要としていたある時、「週2日くらいでここで働いてみない?」と彼等に声をかけたら、良い返事をしてくれたのがきっかけ。毎日いろんな人がやってくるので、こういう光景は日常茶飯事です。

――「CIVILIST」をマネージメントする上で大切にしていることはなんでしょうか?

フォーリー:僕が子どもの頃、ローカルのスケートショップは、雑誌を読んだり、ビデオを観たり、そしてたまに働いたりする場所で、単なる”スケートショップ”以上の場所でした。初めてLAに行った時も、同じようにローカルなスケートショップを見つけて、いいスケートスポットやパーティ、おいしいレストランまで、地元の人にいろいろ聞いて回ったのを覚えています。それは良いクルーがいるという証しでもあり、店にとってもすごく大切なことです。今では、僕等はメンバーのキャリアの手伝いをすることもあります。「毎日決まった時間にオープンしているだけの店」以上の場を提供することが、僕にとってずっと大切なことです。

――それは街のコミュニティとして機能し続けることの大切さですね。

フォーリー:そう。夏には閉店後の店先で、みんなでビールを飲んで遊んでますしね。場合によっては、夜10時くらいまで店を開けていることもあります。スタンスとしては、いつだって誰でもウェルカムだということ。スケートボードをしているキッズは特に。スマホを充電させたり、トイレを貸したり、コミュニティプレイスのような場であることは僕にとってとても大事です。この店に来てくれる人達がチルして遊べる目的地のような場所を心掛けています。それは、お客さん同士の交流にもつながります。もしかしたら、将来ここで出会った人達とコラボして仕事をするかもしれません。そういう緩い繋がりこそが、僕達の店の重要なことです。

――次にやってみたいアイデアは?

フォーリー:たくさんあります。新しい店舗のアイデアもありますが、「CIVILIST」が一番大事にしているのは、オリジナルのアパレルブランドです。絶えず挑戦し続けて、成長させていきたいと考えています。他にもアイデアはありますが、まだお話しできません。いずれにしてもスケートボードには関わり続けていたいですね。それから、ベルリンに生きている以上、街と人に還元できる何かをしたいと思っています。

今や、スケートボードはオリンピック競技になり、これからますます競技人口が増え、大きくなっていくことでしょう。それは同時にスケートボードが「競技性」を持つようになるということも意味しますが、僕はアンダーグラウンド性をもっと大事にしていきたいです。オリンピック競技としてのスケートボードに興味を持たない人達もいますしね。

――スケーターの中でも考え方が二分していそうですね。

フォーリー:個人的には、ストリートで滑るスタイル、パークの外で滑るスケートボードが好きです。スケートパークに毎日通えば、日々上達するのは当然のことですが、子ども達には「『CIVILIST』の考えを理解したいなら、ストリートでスケートしなさい」と言っています。これも自分の経験ですが、僕等が子どもの頃はスケートパークがなかったので、公共の文化施設で滑っていました。ストリートで滑ると、街のことをよく知れるということも好きな理由の1つです。

――規律あるスポーツとしての側面もあるかもしれませんが、当初のようなアンダーグラウンド性を維持したいということですか?

アレックス:とはいえ「変わらないものはない」というのも事実。サッカーでさえ20年前と比べて商業性は増して専門性も高くなりました。シーンが大きくなれば、何にでも当てはまるので悲観することでもありませんが、僕は、DIY精神と自分探しが好きです。

例えば、スケートボードを持って行ったことのない場所を散策してみると、滑るのにちょうどいい建物が見つかるかもしれません。見慣れたスケートパークに行くよりも、その方が好きです。パークは楽しいですが、バスや自転車に乗って、スポットを探すストリートのスケートセッションが好きです。東京に行った時もやりましたよ。ローカルのスケートボーダーに聞いたりもしましたね。でも、それ以外は街を散策して、良さそうな場所を見つけて、滑ってみる。そうやって自分の目で見て街を探索することが、スケートボードで好きなところなんです。

音楽やアートを始めようと考えている人にとって最高のスタート地点

――日本で生活している人達に感じることはありますか?

フォーリー:ベルリンの人口の7倍もの人が住んでいて、物価も高い東京のような都市は生活するのが大変ですよね。ベルリンはロンドンやニューヨークと比べると物価も安定しています。バーで働いても家賃を払える程度に生活が保証されているので、住環境も大きく関係しているかもしれません。

――ベルリンはクリエイティヴの世界でチャレンジする人にとって魅力的な街だと思いますか?

フォーリー:環境は大事だと思います。ミュージシャンやDJ、スケートボーダー等、さまざまな分野のクリエイティヴに関わる人達がベルリンにやってくるのは、安く住める上に、カルチャーの土壌もしっかりしているからだと思います。著名なクラブもあり、海外からDJも頻繁に来る。時代によって多少の変化はありましたが、それでも、他の大都市に比べると素晴らしい環境です。ニューヨークからLAに引っ越した友達も同じようなことを言っていました。LAの方が落ち着いていて、ビル群もなくて早足で歩く人も少ない。このことも生活へのプレッシャーに関係があると思います。

――だからこそ、ベルリンが魅力的に感じられているということでしょうか?

フォーリー:韓国やアフリカ、南米等いろいろな国を旅してみて、改めてベルリンは良い都市だと思います。今朝泳ぎに行った湖でさえ、市街地から30分で行けます。フォトグラファーをやっていた若い頃は、トレンドのファッションや音楽の発信地であるロンドンやニューヨークへの憧れがありましたが、今はそう思うこともなくなりました。音楽やアートを始めようと考えている人達にとって最高のスタート地点です。ここから、ロンドンやニューヨークへと羽ばたいている人もいます。

――個人としてこれからどんなプランがありますか?

フォーリー:スケートボードには、まだまだクリエイティビティの可能性が秘められていると思っています。だから、今でも若い世代の子達がスケートボードを始めているのだと思いますし、未来にとっても素晴らしいこと。残りの人生もずっとスケートボードに関わり続けたいです。

アレックス・フォーリー
2009年にドイツ・ベルリンにオープンしたスケートボードのセレクトショップ。「CIVILIST」のオーナー。同店は、ミュージシャン、アーティスト、スケーター、BMXライダー等、あらゆるジャンルの人々が出会える場所をコンセプトに、ベルリンからコミュニティと文化を発信する。
civilistberlin.com/

Photography Hideaki Ota

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マックス・クーパーが新作の音と映像で表現する言葉の臨界点 https://tokion.jp/2022/06/16/interview-max-cooper-unspoken-words/ Thu, 16 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=123117 哲学者・ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の一節に影響を受けたという新作『Unspoken Words』から、マックス・クーパーの音の最新表現を探る。

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マックス・クーパーはエレクトロミュージック界を牽引する存在であるのみならず、計算生物学​​の博士課程を修了している。音楽だけでなく表現における探究心は留まるところを知らず、卓越した映像表現にも高い評価を得ているオーディオヴィジュアル・アーティストだ。日本での支持も高く、幾度となく来日公演を実現している。今年3月に発売したアルバム『Unspoken Words』は、ドイツの哲学者であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にある一節「わたくしの言語の限界が、わたくしの世界の限界を意味する(The limits of my language means the limits of my world)」​​に影響を受けながら制作したという。

サウンドと映像という“言葉”以外の表現を探求してきた彼が、今作であえて一節の“言葉”に着目し制作したアルバムを通じて聴こえてくるのは、単にアンビエントな音世界に浸れるだけでなく、ダンサブルかつアグレッシヴな身体的な感覚も内包した躍動的な世界だ。

新たにコンセプチュアルでありながらシンプルな傑作を生み出したマックスの心象を探るべく、TOKION限定でインタビューを試みた。聡明な彼が紡いだ音と最先端の表現を求めるアーティストとコラボした映像世界を通じて伝えようとするものとは?

言葉の限界と自身の心情に向き合い表現された新作

−−今作はどのようなプロセスで作られたのでしょうか?

マックス・クーパー(以下、クーパー):これまで制作したアルバムは、視覚的・科学的なアイデアから構築され、そこからフィーリングが生まれました。一方今作では、純粋に内面化した感情、言葉にできないけれども音楽的に表現できるアイデア、そしてそれに対する視覚的アナロジーを作り出すことから始めました。各トラックごとに異なる映像表現とコラボレーションしています。(すべての楽曲の映像は unspokenwords.net に収録)

−−今回のアルバムでのチャレンジはどの点ですか?

クーパー:「いかに自分自身に正直になれるか」でした。プロジェクト全体が“表現への葛藤”をテーマにしています。映像の中で表現そのものが成長し、最終的にポストヒューマン化する物語を描いたことにもつながっています。私はエレクトロミュージックと言われる特定のジャンルや型の中で仕事をしているので、音楽的な言語が常に必要とされるのです。その標準的な言語にとらわれすぎてしまうと、個人的な表現そのものが損なわれてしまう。

そういう意味で今作の課題は「自分の心理状態や心情を特定して、個人的な音にして伝えること」でした。だからこそそれぞれの選択が「本当に自分の物語を語っているのか」あるいは「それとも単に音楽的な型にはまったものなのか」を常に見極める必要がありました。それはつまり、自分自身に正直になる必要があったということです。

−−アルバム・タイトルの「Unspoken Words」の背景にもつながると思いますが、音楽は言語の壁の問題を克服することができると思いますか?

クーパー:少なくとも私にとっては、音楽は言語よりも豊かに自分の内面世界を伝えられる手段です。科学や日常生活のような客観的な考え方は簡単に伝えられますが、自分という存在がどういうものかを伝えようとすると、言葉では伝えられないんです。でも音楽ならその体験を直接的な形として表現できますし、その体験の本質とは「自分がどう感じるか」ということです。音楽は、私にとって物事をどのように感じたかを捉えるのに優れています。

−−“Exotic Contents “のミュージックビデオはどのように作られたのですか?Xander Steenbruggeと一緒にVQGANとCLIPのシステムを使っていますね。楽曲の世界をより探求するのに役立ったのでしょうか?

クーパー:仕上がった作品を見て驚くばかりでした。ウィトゲンシュタインの著作には興味があったのですが、原典を掘り下げて理解しようとしたことは今までありませんでした。今回著作に向き合った上でできあがったミュージックビデオを見てみると「私達の世界そのものと自己言及の世界とのるつぼ」のようなもので、見るたびに新しい発見があります。機械学習システムは難しい原作に取り組む等、私達に新しい光を与えてくれる。つまり使いようによっては、私達の教師にも新しいクリエイションにもなりうるのだという考えを持つようになりました。

−−ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインにインスパイアされたのはなぜですか?

クーパー:ウィトゲンシュタインは言葉がいかに曖昧で誤解を生みやすく、哲学的な問いへとつながっていくかを探求していました。彼の著作は、専門用語や前提として参照すべき文献が詰まっていて、本当に理解するには猛烈な勉強が必要です。それでもウィトゲンシュタインの著作に目を向けたのは、『Unspoken Words』というアルバムのアイデアを視覚的に表現できるものを探していた時で、今の自分が向き合うべきテーマと合致しました。『Symphony in Acid』でもKsawery Komputeryが彼の文章をサンプリングして私の音楽構造と同期したMVを構成し、表出させることに成功しました。

映像と音楽は相互に干渉し合うものである

−−毎作毎作チャレンジングな視覚的なアプローチを行っていますが、音楽的な価値にどのような影響を与えるのでしょうか?

クーパー:ヴィジュアル表現と音楽の世界は、私にとって切っても切り離せない関係性です。相互に干渉しあう情報の性質を持っているのでしょう。私が音楽を聴くたびに視覚的なイメージが浮かびます。もし私がビジュアル表現を見たら、同じように自然と楽曲のアイデアを思いつきます。だからこそそれを伝えるために私は多くの素晴らしいヴィジュアルアーティストとコラボし、楽曲やアルバムに映像という情報を与えることで「言語」を創造しているのです。

−−アルバムを通してリスナーに伝えたいことは何ですか?

クーパー:一番の望みは考えや感情を相互に伝え合うことです。私達は皆、共通の内的状態(集合的無意識)を共有していると思います。人間であることは、時に素晴らしく、時に困難を伴います。だからこそその状態を共有し、私達が生きている表面的でナンセンスな展示のような現実世界から離れて、本質的に大切なことを伝えられれば、価値のあることだと思います。

私は、人々を日常世界から離れてより良い場所に連れて行こうとしているのです。レコードという情報や技術の中には3D的にエスケーピズムを推し進めることができるような超現実的な空間が満載なんです。

−−新しいアルバムを作るにあたって、何か思い出に残っていることはありますか?

クーパー:「Ascent」という曲は、もともとベルギーにあるルーヴェンという美しい教会で、Salvador BreedとMartin Krzywinskiと一緒に触覚的サラウンド音響映像体験のために書いたものです。観客は低音を直接体に伝えるベースシェイカーベッドに横たわり、マーティンによって5次元空間にマッピングされ、建築物の中に投影された教会の大天井を眺めるのです。これは強烈な体験でした。このシステムによってもたらされる無重力の直接的な触覚体験とともに、宗教的かつ科学的な激しさを捉えようとしました。このインスタレーション・プロジェクトは「トランセンデンス(超越)」と呼ばれ、音楽は同じアイデア、つまり上昇を表現するために作られました。その感覚自体が言葉にできないものだったので、アルバムとの相性もよく、プロジェクトに参加することができました。結果的に、今まで書いた曲の中で最も激しい曲の1つになりました。

−−欧米を中心としたアルバム・ツアーの真っ最中ですが、パンデミック後に久しぶりに大勢の観客の前でアルバムを演奏することについて、どのようなことを感じていますか?

クーパー:巨大な空間で、ヴィジュアル・プロジェクトの効果を最大限に発揮させることができるのは、とても楽しいことです。半透明のガーゼを重ねることで3D効果を出し、複数の面に投影することで、観客を包み込むような視覚体験ができるんです。音楽で求めていた、現実逃避や別世界のような感覚を生み出すことが目的です。今まで行ったことのない場所に連れて行かれ、ポジティブなインパクトを残すような、アイデアと感情に満ちた場所に連れていってあげたいのです。

日本でのパフォーマンスはいつも素晴らしいもので、お気に入りの場所。美しい山々の中で行われるフジロックや、最も好きなフェスティバルの1つであるMUTEKの日本版、素晴らしいサウンドシステムのVENTでプレイしました。​​毎回とても楽しくて、次回来日できる機会をずっと心待ちにしています。

マックス・クーパー
イギリス出身のサウンドアーティスト、プロデューサー兼DJ。2000年より本格的に音楽活動をスタートする。ソロ・ライヴアクトを中心に活動を行い、代表曲「HarmonischSerie」で世界的な成功を収める。2014年に自身初となる、デビューアルバム『Human』をリリース。ミニマルテクノの他にダブステップやグリッチ、ビートといったオーガニックな生楽器を変幻自在に操り、シネマティックなエレクトロニック・ミュージック作品に仕上げた。2015年にはFuji Rock Festival に、2016年にはMUTEK.JPに出演。今年3月にアルバム『Unspoken Words』を発売した。

Direction Kana Miyazawa
PR Studio De Meyer

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