大石始, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/hajime-oishi/ Thu, 25 Jan 2024 06:21:30 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 大石始, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/hajime-oishi/ 32 32 対談:DJ KENSEI×井上薫 世紀末のクラブシーンから自然へと向かった理由、20年ぶりの屋久島を巡る新作のこと https://tokion.jp/2024/01/25/dj-kensei-x-kaoru-inoue/ Thu, 25 Jan 2024 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=222351 2003年にリリースされたFinal Drop名義の『elements』とそれぞれの新作について、DJ KENSEIと井上薫が言葉を交わす。

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2003年、DJ KENSEIや井上薫、GoRo the Vibratianらジャンルを超えたアーティスト達が大隅諸島の屋久島を訪れ、長期間の滞在を経て1枚の作品を作り上げた。それがFinal Drop名義の『elements』だ。屋久島の地でフィールドレコーディングを行い、その素材とスタジオでのセッションを融合させたその内容は、世紀末から新世紀にかけての時代、東京のアンダーグラウンド・シーンで繰り返されていた音楽的実験の成果ともいえるだろう。

それから20年。DJ KENSEIとGoRo the Vibratianを中心に制作が進められたFinal Dropの新作12インチ『Mimyo』が突如リリース。時を同じくして、井上薫はふたたび屋久島の地を訪れ、島で録音した素材をもとに新作『Dedicated to the Island』を発表した(屋久島発のカルチャー誌「SAUNTER Magazine」とのコラボレーション)。

Final Dropの『elements』から20年、屋久島が世界自然遺産に登録されてから30年の2023年、なぜDJ KENSEIと井上薫はふたたび屋久島の地を目指したのか? 2000年代の東京アンダーグラウンド・シーン、その知られざる物語が2人の口から語られる。

90年代後半のオルタナティヴなシーンでの出会い~自然音への目覚め

――KENSEIさんと薫さんが初めて会ったのは90年代のことだと思うんですが、共同制作するほどの付き合いになったきっかけは何だったんですか。

KENSEI:90年代後半、ジャンルでくくれないオルタナティヴなブレイクビーツの動きがあって、そういう人達の音源を集めたコンピが出たりしたんです。NS-COMから出た『TOKYO TECH  BREAKBEATS 2』(2000年)とか。そういう作品のなかに僕が当時やっていたINDOPEPSYCHICSの音源が薫さんのものと一緒に入ってて。

井上:イベントもよく一緒になってたよね。京都のKAZUMAくんがやってたCommunicate Muteっていうパーティーとか。

KENSEI:そうそう。あとはOrganic GrooveとかOVA、レーベルだったらSOUND CHANNELとかね。

――90年代後半から2000年代初頭、以前は違う界隈にいた人達がそのあたりのシーンに集結していた感覚はありましたよね。KENSEIさんにしてもそれ以前はヒップホップで、薫さんはもう少しオーガニックなブレイクビーツをやっていて、ちょっと違うシーンにいる印象がありました。

井上:そうだよね。そのころKENSEIくんが「自然音ってやばいよね」みたいなことを言ってたのは覚えてる。

――KENSEIさんはどういう流れで自然音にたどり着いたんでしょうか。

KENSEI:INDOPEPSYCHICSでは最初ラップやヴォーカルの入ったブレイクビーツをやってたんですけど、どんどんインストになってきて、上物が音響的になっていったんですね。すると空間的なものを意識するようになっていって、そのなかで「音は日常にある」ということに気付いてしまって。環境音や自然音をネタとして使うようになっていくんですよ。

――それまでレコードからサンプリングしていたものが、日常の環境音になっていった、と。

KENSEI:そうそう。当時、モノレイクの『Gobi. The Desert EP』(1999年)っていうゴビ砂漠の音をイメージしたアルバムがリリースされたのですが、それが衝撃的だったんですよ。フィールドレコーディングとか音響的なものに興味を持つきっかけの1つになりました。

井上:ああ、あれは象徴的だったよね。電子音と自然音が調和した作品でね。

――薫さんはそれ以前からフィールドレコーディングに関心を持っていましたよね。

井上:そうですね。90年代前半、(六本木のレコードショップである)WAVEでワールドミュージックのバイヤーをやっていて、その頃から関心を持っていました。徐々に民族楽器のフィールドレコーディングと自然音をコラージュしたような作品に興味を持つようになった。「切り取り方次第で自然音も音楽的に聴けるようになるんだな」と思って。20代の頃はインドネシアによく行っていて、DATのハンディレコーダーで自然音を録音したり。Chari Chari名義の最初のアルバム(99年の『Spring To Summer』)でその時に録った音を結構使いました。

世紀末的なムードの中でたどり着いた、屋久島の深い自然

――では、どういう流れで屋久島に行くアイデアが出てきたのでしょうか。

KENSEI:屋久島に行く前にGOROさんやBetaLandたちとタイのランタ島に制作の旅に行ったんですよ。向こうでフィールドレコーディングして、何か作品を作ろうという企画で。でも、ランタ島で機材の電源を入れたら爆発しちゃいまして(笑)。

一同:ええっ(笑)!

KENSEI:電圧のことを理解してなかったんですよ(笑)。機材一式使えなくなってしまって。バンコクに戻ることもできないし、どうしよう?と思って、とにかくGOROさんのディジュリドゥやカリンバを簡易のレコーダーで録音しました。それが2001年だったかな。結局タイではフィールド録音のみをして、その次に行く場所として自然音を録るならって屋久島が浮かんできたんです。

――当時、90年代末の野外レイヴの季節が一段落して、その次にどこに向かうべきか誰もが探しているような感覚はありましたよね。

KENSEI:世紀末だったこともありますよね。自分も90年代にいろんなことを全開でやりすぎて、ちょっと行き詰まっていた。この先どうなるんだろう?みたいなことを考えてたんですよね。そういう話を薫さんとか、のちに屋久島に行くメンバーに話していたと思うんですよ。みんなも同じようなことを考えていて。

井上:その頃、僕はようやく音楽が仕事になってきて、わりと気分が高揚してる感覚もあったんだけど、世紀末的な不穏なムードは感じていました。オウムの事件や神戸の震災があって、その少し後には9.11があって。個人的には楽しくやってるんだけど、5年先10年先の未来なんてなんの確信もないというね。ある意味、刹那的な生き方をしていたような気がするんですよ。

――ちょうど時代の変わり目でもありましたよね。INDOPEPSYCHICSも2002年に活動休止しますし、KENSEIさん自身、それまでのようなサンプリング主体の音楽制作やビートを軸にしたものから、特定の環境のなかに身を置き、そこでつかみ取ったものから制作を立ち上げていくような作り方に徐々に変わっていったわけですよね。

KENSEI:まさにそうだと思います。テクノロジーでできる表現に対しては自分のなかで一段落したところはありました。音に癒やしを探していたというか。

井上:そういえば、KENSEIくん達はハイチにも行ってたよね?

KENSEI:行ってた。薫さんも行くはずだったんだけど、行けなかったんだよね。Banana Connectionっていうプロジェクトのレコーディングで(2002年)。

井上:その次に屋久島の話が出てきたんだよね、これは行かないと、と。

KENSEI:ハイチの手応えもあったし、そういう体験ができるということが自分にとっても意味のあることだった。ハイチなんて観光で行く場所じゃなかったし、家もバラックばかりで、すごい体験だったんですよ。そういう旅を続けるなかで、屋久島でも特別な体験ができるんじゃないかと思ったんですね。

――それまで屋久島に対してはどんなイメージを持っていたんですか。

井上:BETALANDとかYAMAちゃんとか大阪の連中が何人か屋久島に行ってて、彼らから話を聞いた記憶がある。屋久島といってもそれまでイメージもなかったんだけど、なんかすごいところらしい、と。

KENSEI:噂になってた時期がありましたよね。それもあってすごく興味を持ったんです。行ってみたら一発でわかりましたね。自分の小ささを痛感させられました。呼ばれた感じ。

井上:それまでも自然の豊かな場所を訪れたことはあったけど、あそこまで深い自然の中に入ったことがなかった。最初はちょっとびびったところもあったよね。

2003年にリリースされたFinal Drop『elements』制作時の記憶

――当時の制作ではどんなことが印象に残っていますか。

KENSEI:現地で体験したものや感じたことを消化しきれなかった記憶があります。自然のスケールが自分にとってもかなり衝撃的なもので、それを表現しようとした時に、自分のキャパが追いつかなくて。それで屋久島から戻ってきてから1年ぐらい(音源に)手をつけられなかったんですよ。

井上:それはよく覚えてる。レーベルのスタッフに「そろそろ作ってもらわないと困ります。スタジオを3日間押さえたので、そこで作ってくれ」とか言われて。そこからみんなの経験を持ち寄って完成までもっていった感じですよね。KENSEIくんはINDOPEPSYCHICSで培ってきたものがあったし、俺は当時ほとんど演奏していなかったギターやベースを弾いたり。シンセも弾いたかな。みんなの経験を持ち寄ると、こんなことができるんだなと思った。

KENSEI:スタジオでみんなでセッションしましたよね。屋久島で録ったフィールドレコーディング音源もあるんですけど、その時のセッションが軸になっている気がする。

井上:でも、今回ひさびさに聞き直してみたんだけど、フィールドレコーディングの音をすごく使ってるんだよね。主に水の音。

KENSEI:ああ、そうかもしれない。

井上:あとは野原でシャラシャラ音を鳴らして、それをバイノーラルマイクで録ったものをベースに曲を作ったり。

――非常にコレクティヴ的な作り方ですよね。お2人にとってもそれまでとは全く違う作り方だっただろうし、そういう制作方法自体に意味を見い出していたのでしょうか。

KENSEI:そうですね。めちゃくちゃ有機的だったと思う。それを狙っていたわけでもないんだけど。

井上:即興的でもあったしね。録音したものをポストプロダクションで作り進めていくという。GOROさんの家にみんなで集まって、話し合いながら進めていきました。

20年ぶりのFinal Dropとしての新作『Mimyo』で目指したものとは

レコードの日である2023年11月3日にリリースされたFinal Dropの新作12インチ『Mimyo』。『elements』制作時に屋久島でフィールドレコーディングされた素材にDJ KENSEIとGoRo the VibratianがRe-Excavation、Re-Touchを施し、KNDがマスタリングした全2曲を収録する。各曲ともに17分を超える壮大なサウンドスケープ。

――では、今回の『Mimyo』はどのような経緯で制作することになったのでしょうか。

KENSEI:GOROさんの活動をサポートしてる人が「今年は屋久島が日本で初めて世界自然遺産に登録されてから30周年だ」と教えてくれたんですよ。Final Dropのアルバムを出してから20年だし、それで節目としても先に進むためにも一度振り返りつつ何か表現できないか、と。GOROさんとも会う機会が増えて、集まれるメンバーで何かやろうという話になりました。

――まずは過去の素材を聞くところから始まったのでしょうか。

KENSEI:そうですね。うちに当時屋久島で録ったDATのテープが40~50本あって、とりあえず聴きながらデータ化しようと。そこからシーンとして使えそうなものを抜き出してみて、そこにGOROさんのカリンバやディジュリドゥを乗せました。

――水の音がすごく印象的ですよね。20年前の『elements』よりも今回のほうが前面に出ています。KENSEIさんはこの水の音に何を感じ取っていたのでしょうか。

KENSEI:当時の耳では気付けなかった音像の中にある粒子みたいなものですかね。聴ける視点の角度や感じる部分が20年という歳月で増えていたので、それを紡ぎとっていくことで全く別の波形が浮かびあがってきたんですよ。

井上:GOROさんの演奏は今回は改めて録ってるの?

KENSEI:いや、当時録ったものを使ってます。GOROさんが感覚的に乗せたものをミックスしたというか、音像をミックスしたというか。考古学者がハケで化石についた砂をはらっていくうちに、実体が出てくる感じですね。

井上:いい表現だね、それは。

KENSEI:MODEL1っていうミキサーのフィルターがすごく良くて、それをいじってると、化石についた泥をハケで落としていくように浮かび上がってくるものがあるんですよ。浮かび上がってきたものを抽出した感じです。

井上:KENSEIくんの今のDJにもつながってる感じがするよね。「春風」の時とか、あとは「THAT IS GOOD」のYouTubeチャンネルで公開されているDJプレイとか、あのあたりに近い目線を感じる。独自の空間性を獲得していて、すごいなと思いました。

KENSEI:素材自体に普遍性があったんだと思います。今のほうが機材のクオリティーは上がってるんだろうけど、GOROさんには当時「そういうことじゃない」と言われて(笑)。

――それはどういうことだったんでしょう。

KENSEI:ポストプロダクションの段階になるとみんな演奏の粗が気になってくるんですよ。でも、編集していくうちに、その時のヴァイブスが失われてしまう。そういうものじゃなくて、全体として表現したいものがある、と。「木を見て森を見ず」みたいな話というか、「1つひとつの木を直していくと森じゃなくなっちゃう」という話はGOROさんにされました。

――GOROさんの存在はFinal Dropにとって大きかったわけですね。

KENSEI:大きいですね。それまでは自分もすごく細かくエディットしてたんですよ。そういうところじゃない視点、ぱっと聴いた時の感覚を重視するようになりました。

井上薫が屋久島で新たにフィールドレコーディングを行い制作した『Dedicated to the Island』

9月に発表された井上薫の新作『Dedicated to the Island』。新たに屋久島でフィールドレコーディングした素材をもとに制作した全9曲を収録。

KENSEI:聴きました。素晴らしかったです。水の音がとてもクリアでFinal Dropとはまた違ったアーバンなムードも感じつつ、屋久島のムードとプリミティブな感じも更新されてるなと思いました。是非レコードにしてほしいですね(笑)。

井上:今回は(『SAUNTER Magazine』の発行人である)国本さんから「屋久島をテーマに作品を作りませんか」という話をいただいたんですけど、そのタイミングで完成まで2ヵ月弱ぐらいしか時間がなくて。以前だったら断っていたかもしれないけど、やるしかないなと思って。

――屋久島に対して特別なものを感じていた?

井上:それもありますよね。あと、その時期音楽制作のやり方を刷新しようとしていたんだけど、なかなかできなかったのでトライアルという意味合いと、それまではほとんど聴いていなかったフランス近代音楽みたいなものを聴くようになったり、ジャズに改めて関心を持つようになったこともあって、今回は音楽的にどう成立させるかすごく意識していた部分がありました。

――その意味では『Mimyo』とだいぶ作り方が違うわけですね。

井上:そうだね。今回は3泊4日で屋久島に行ったんだけど、その時に体験したことを身にまといながら、いかに音楽的に作り上げることができるのか意識していました。比べるのも変な話なんだけど、屋久島のあり方が表現されているのはKENSEIくんが作った『Mimyo』のほうの気がするんだよね。自分のは屋久島のことを表現するというよりも、自分自身のパーソナルな思いが根っこにあるから。

――薫さんが屋久島でフィールドレコーディングするということで、僕は環境音・自然音だけで構築されたアブストラクトな作品になるんじゃないかと思ってたんですよ。

井上:最初はそういうものをイメージしていました。でも、徐々に音楽的なフォーカスが定まってきて、かなり集中して作ることができました。だいぶ年齢を重ねたけど、まだこんな作り方をできるんだなと(笑)。今後音楽を作るうえでいい刺激になったし、重要な体験でした。

――今後、Final Dropで何かをやっていく可能性はあるんでしょうか?

KENSEI:うん、ありますね。やろうという話もしていますし、どこかに行きたいという話もしている。Final Dropという形を通して何か表現できればと考えています。

Photography Kentaro Oshio
Special Thanks Shinji Kunimoto ( SAUNTER Magazine )

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インタビュー:こだま和文&サハラ(Undefined)ダブとアンビエントが交錯する、「静けさ」に満ちた音世界の根底にあるもの https://tokion.jp/2022/09/27/interview-kazufumi-kodama-x-undefined/ Tue, 27 Sep 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=147098 日本ダブ・シーンのパイオニア・こだま和文と気鋭ユニット・Undefinedが約4年ぶりにタッグを組み共作アルバム『2 Years / 2 Years in Silence』をリリース。その静謐で美しきダブ/アンビエントはいかにして生まれたのか。

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こだま和文の吹くトランペットは、時代の片隅にあるものを常に捉えてきた。自身が率いたダブバンド、MUTE BEATではバブル期の浮ついた日本社会の中で孤高のメロディーを奏で、2003年にはアメリカ同時多発テロの犠牲者を追悼するかのようなソロ作『A SILENT PRAYER』をリリースした。2019年11月にリリースしたKODAMA AND THE DUB STATION BANDの『かすかなきぼう』もまた、当時の時代のムードを反映した作品といえるだろう。

コロナ禍で社会の断絶が進み、ウクライナへのロシアの軍事侵攻などによって世界が死の気配で満たされた2022年、こだまは2人組のダブユニット、Undifinedとの共演作『2 Years / 2 Years in Silence』をリリースする。本作はソロ時代のこだまを思わせる静謐なオリジナル4曲に加え、同曲のアンビエントトラック4曲で構成されている。音数を極限まで削り落とし、時には無音状態さえも作り出すそれらの楽曲は、こだまとUndefinedによる鎮魂歌ともいえるかもしれない。

彼らはこの2022年、どのような音を鳴らそうとしているのだろうか。アンビエントと「静けさ」をテーマに、こだまとサハラ(Undefined)のふたりに話を聞いた。

起点となった2018年の10インチ 互いの音に見出したもの

『2 Years / 2 Years in Silence』の起点となったレコードがある。それが2018年5月にリリースされたUndefinedの10インチ『New Culture Days/New Culture Days(dub)』だ。こだまをフィーチャーしたこのレコードではミニマルダブの極北ともいうべき静かな音世界が展開されており、国内外で大きな反響を巻き起こした。制作の背景をサハラはこう説明する。

サハラ「ジャマイカのレコードって(盤質がよくないため)バチバチというノイズが出ることもあるんですけど、そうしたノイズも含めてレゲエだと捉えれば、すごく視点が広がると思うんです。こだまさんの『Stars』(2000年)にレコードノイズをループさせてる曲がありましたけど、昔からそういう部分におもしろみを感じていたところはありました。

 (Undefinedのドラムである)オオクマとスタジオで音を出していた時にできたのが『New Culture Days』のトラックで。ライヴで盛り上がるような曲ではないんですけど、自分たちの中で掴んだものがあったんです。これをリリースしようと思った時、僕らがやろうとしていることを理解してくれるのはこだまさんしかいない気がしたんですね。それでオファーしました」。

かつてはサハラが在籍していたレゲエバンド、THE HEAVYMANNERSの活動を通じて両者は以前からいくらかの交流があったものの、本格的な共演は「New Culture Days」が初めて。こだまも「僕のところに連絡をくれるまでは、(サハラのことは)ほとんど知らなかったんです。ただ、後になって思えば、僕の周辺にいた人たちとの関わりがある人なんだなとわかって、なるほどなと思いました」と話す。こだまは「New Culture Days」のデモトラックを初めて聴いた時のことをこう振り返る。

こだま「僕がソロ活動の中でやってきたことが含まれていることはすぐわかりましたよね。サハラくんたちが何をやろうとしているのか。あるいは僕に何を求めてくれているのか。デモを聴いただけでほとんどの様子がわかりましたね。僕ももっと積極的にソロを作ることができたなら、こういう方向でいくつかのアルバムを作っていたかもしれないなという感じもありました」。

ブライアン・イーノとの出会い~アンビエントの静けさとアフリカ的リズムを内包するレゲエという音楽への目覚め

極端なまで音数を削り落とされた「New Culture Days」は、90年代末にベーシック・チャンネルが打ち出したミニマル・ダブの現代版ともいえるものだが、そこにはこだまが長年関心を持ってきたブライアン・イーノのアンビエント作品に通じる感覚も宿っている。こだまがイーノ作品と出会ったのは70年代末。レゲエに対して強い関心を持つ前のことだった。

こだま「僕はかなりうるさい音楽を好みながらも、どこかに静けさを求めるようなところがあるんですよ。そんなこともあって、ブライアン・イーノの作品も当時自然にキャッチすることができたんでしょうね。それこそアンビエントという言葉さえよく知らない時代にね。当時の僕は絵を描く暮らしもしてたんですよね。絵の中で求めていくものがアンビエントともすぐに結びついたところがありました」。

「静けさ」とはこだまが長い音楽人生で追い求めてきた感覚でもある。そうした感覚はどこから来ているものなのだろうか。

こだま「そうですね…自分でもよくわかりませんけど、静かだったらいいのかというと、そんなこともなくて。なかなか言葉では説明しにくいけど、音楽が出してる純度というか、いい空気があるんですよ。

 僕はね、表現されたものでも、嘘と感じるものが嫌なんですよ。とても静かで、綺麗でしょ? と言われると、ちょっと白々しく感じるんです。激しいサウンドの音楽でも純度があってリズムがよければ、そこには静けさがある。静かなものにしろ、やかましいものにしろ、そこにハッタリがあると淀んでしまうんです」。

ブライアン・イーノのアンビエントに目覚めた頃、こだまはアフリカ的なリズムにも関心を持ち始めていた。それ以前はロックを中心に回っていた彼の音楽生活が、急激に豊かになりつつあった。そして、当時の彼が追い求めていた「静けさ/アフリカ的なリズム」の両方が共存していたのが、レゲエという音楽だったのだ。

こだま「ボブ・マーリーぐらいしか知らなかった時期、知人がサード・ワールドの12インチのB面をかけてくれたんですよ。歌が入っていなくて、同じフレーズをずっと繰り返してるだけなんですけど、それはもう衝撃でしたね。もしくはサード・ワールドのファースト・アルバム。淡々とした演奏がすごく印象に残っています。単調なリズムなんだけど、微妙にリズムが躍動してるというか。とにかく『静かだな』と思ったんですよ」。

アルバムと引き算のグルーヴ

話を「New Culture Days」に戻そう。2018年にこのレコードが発売された時の反響をサハラはこう語る。

サハラ「『New Culture Days』はUndefinedがやっているnewdubhallというレーベルから出したんですけど、このレーベルは基本的には海外でプレスして、そのままヨーロッパのディストリビューターに卸しているんですね。その形でリリースしたら、1ヵ月も経たないうちにレーベルの在庫が完売して。

『New Culture Days』はヨーロッパでもあまりない音楽だったと思うんです。ブリストルのヤング・エコーというグループのライダー・シャフィークが来日した際にも驚いていましたね。なんで君たちは生演奏でダブを表現できるんだ?って。日本にはMUTE BEAT以降のダブのシーンがあるわけですけど、それ自体がすごくオリジナリティーがあるんだと再認識しました」。

「New Culture Days」の反響を受け、Undefinedはこだまを迎えたアルバム制作に乗り出す。オリジナル4曲の制作はUndefinedが作ったトラックに対し、こだまがトランペットを乗せていくというプロセスで進められた。2019年に2曲を録音、一時制作が中断するが、2021年に再開。同年末にようやく完成に漕ぎ着けた。

こだま「時間がかかりましたけどね、そのペースもとても取り組みやすかったんですよ。じっくり曲を聞いて、自分の中から出てくるメロディーを乗せていくことができました」。

一方、「New Culture Days」で限界まで音数を減らしたダブ表現を掴み取っていたUndefinedは、その方向性をさらに押し進めていく。

サハラ「『New Culture Days』で自分たちなりに掴んだものがあったんです。たとえば、ふたりで演奏している時にそれぞれの音が重なり合う瞬間があるわけですよね。それが積み重なることでグルーヴが生まれるわけですけど、重なり合う瞬間にどちらかの音が鳴っていれば、片方が鳴ってなくてもいいんじゃないかという考えになってきたんですね。ユニゾンしなくてもいいんじゃないかと」。

いわば引き算のグルーヴである。それもドラムとベースという音楽としての基礎を残したままでの引き算ではなく、基礎そのものも取り除いてしまうという過激な引き算。音楽のあり方そのものを捉え直そうという試みである。

サハラ「ユニゾンしないとなると、正直失うものもあるんです。アフリカのリズムみたいにいろんな要素が重なった大きなグルーヴは失われるかもしれないんですけど、自分の中ではそこに何かあるんじゃないのかなっていう考えがあって。

10代の頃(オーガスタス・)パブロの『East Of The River Nile』というアルバムを聴いた時、音が始まった瞬間に全員が別の場所から音を鳴らしている感じがしたんですよね。一緒にいるはずなのにバラバラの場所にみんながいるような、各自の居場所のある音楽というか。その感覚がずっと残っていて」。

プレイヤーひとりひとりが孤立しているものの、同じ場所で共鳴し合っているようなフィーリング。クールでありながらグルーヴする感覚。相反する要素が渾然一体となったその感覚とは、ある種のレゲエに共通するものともいえるかもしれない。こだまもこう続ける。

こだま「レゲエっていう音楽は音を鳴らすひとりひとりの自由度が高いんですよね。ひとりひとりがひとりひとりを尊重するというか、相手のやることを無条件に受け入れるんですね。ベーシストは気に入ったフレーズがあったら、それを10分でも20分でもやる。それもある種の自由度なんですよね。そこに『もうちょっとこんなふうに弾けるぞ』とか、何かそこに飾りを付けるようなことをすると、別なものが混じってしまう。そうじゃない音楽ってのはとても少ないですよね。」。

それぞれがそれぞれの形で、自由なまま存在する――そうした音楽のイメージとは、こだまが理想とする社会の形とも重なり合うものではないか。そう話すとこだまは「ああ、そうですね」と賛同し、「理想とする価値観というのは、すでにレゲエの中にあったんです」と静かに、はっきりとつぶやいた。

「音のないところに宿るもの」もしかと刻み込んだ『2 Years / 2 Years in Silence』

こだまとUndefinedの2人が作り上げた『2 Years / 2 Years in Silence』というアルバムは、当初はオリジナルとダブが交互に入ったショウケーススタイルの作品を想定していた。だが、結果としてオリジナル4曲+同曲のアンビエント4曲という構成に。後半4曲のアンビエントには両者の世界観が凝縮されている。

Kazufumi Kodama & Undefined『2 Years / 2 Years in Silence』

サハラ「ダブに着手した時、こだまさんにいくつかのテイクを送ったんですね。そうしたらこだまさんが『トランペットが入ってないほうが好きなんだよね』と連絡をくれて。確かに、何でもないリズムだけでも、こだまさんの残像というものを感じるんですね。それを突き詰めていくのがいいんじゃないかと思ったんです。逆に考えれば、こだまさんの音を中心として、ドラムもすべて排除したものがあったって成立するんじゃないかと」。

引き算を極限まで押し進めた結果、時にはレゲエの根幹をなすドラムとベースさえカットされ、無音状態も挟み込まれた彼ら流のアンビエントが構築された。

サハラ「こだまさんのレコーディングには僕もずっと立ち会わせてもらったんです。こだまさんがブースに入って、トランペットを吹くその空気も含めて、すべて目撃していたんですね。そういう現象すべてが音楽になり得ると思ったんですよ。こだまさんが吹いていない箇所は不要な音としてミュートしてもいいのかもしれないんですけど、そこにもこだまさんが存在すると思っていたのでミュートしていないんですよ。そこに何かがある気がしたんです」。

サハラの言葉どおり、本作は音のないところに宿るものもきっちりと記録されている。スタジオのアンビエンス、こだまの息遣いや鼓動。無音部分にも情報が詰まっているのだ。

コロナ禍の息詰まるような暮らしの中で、彼らが奏でる静かな音世界は特別に響く。こだまも近年、ブライアン・イーノのアンビエント作品を聴き返していたというが、リアルとフェイクが混ざり合った情報の渦の中で、なぜ私たちは「静けさ」を求めているのだろうか。こだまはこう話す。

こだま「言葉を要する話になっちゃいますけど…とにかく大変な状況の中に自分がいるってことですよね。しかも今突然そうなっただけではなくて、それぞれの土地に過酷な状況がずっとあった。ウクライナの状況にしろ、コロナにしろ、歴史的な状況の中に身を置いて、何を希望として見い出すのか。生きていくための価値観をどう見出していくか。その難しさというか、わからなさはなかなか耐えがたいものがあります。そんな思いをまた新たにしたこの2年間だったんですよ」。

希望を見出すことのできない混迷の世界の中であっても、決して立ち止まることはできない。こだまもまた「自分があとどのぐらい音楽をやっていけるのかという思いもあって。自分のやれるギリギリのところを引き出してくれたのが、このアルバムだと思います」と話す。『2 Years / 2 Years in Silence』には、今もなお前進を続けていこうという決意が静かに綴られているのだ。

■Kazufumi Kodama & Undefined『2 Years / 2 Years in Silence』

Kazufumi Kodama & Undefined『2 Years / 2 Years in Silence』
国内ダブ・ミュージックのパイオニア・こだま和文と、気鋭ダブ・ユニットUndefinedによる初のフルアルバム。オリジナルの4曲と、コンセプチュアルなエディット~ポスト・プロダクションを行ったアンビエント4曲で孤高の音世界を聴かせる。CDは9/21に、LPは12/3に〈rings〉からリリース。河村祐介と原雅明が解説を寄せる。
https://bit.ly/3Umw2GK

こだま和文
1982年9月、ライブでダブを演奏する日本初のダブバンド「MUTE BEAT」結成メンバー。通算7枚のアルバムを発表。1990年からソロ活動を始める。1stソロアルバム「QUIET REGGAE」から2003年発表の「A SILENT PRAYER」まで、映画音楽やベスト盤を含め通算8枚のアルバムを発表。2005年、KODAMA AND THE DUB STATION BANDとして「IN THE STUDIO」、2006年「MORE」を発表している。プロデューサーとしての活動では、FISHMANSの1stアルバム「チャッピー・ドント・クライ」、チエコビューティーの1stアルバム「ビューティーズ・ロックスティディ」等で知られる。また、GOTA、DJ KRUSH、UA、EGO-WRAPPIN’、LEE PERRY、RICO RODRIGUES等、国内外のアーティストとの共演、共作曲もある。近年、DJ YABBY、KURANAKA a.k.a 1945、DJ GINZI等と共にサウンドシステム型のライブ活動を続けている。2015年12月、KODAMA AND THE DUB STATION BANDを再始動させ、2016年10月に自らのレーベル「KURASHIレーベル」より、12inch アナログ『ひまわり』をリリースし、2018年3月に同レーベルよりCD『ひまわり / HIMAWARI-DUB』をリリース。2018年4月、Kazufumi Kodama & Undefinedの10inch「New Culture Days」リリース。2019年11月、KODAMA AND THE DUB STATION BANDのオリジナル・フルアルバム『かすなかな きぼう』をリリース。また水彩画、版画など、絵を描くアーティストでもある。著書に「スティル エコー」(1993)、「ノート・その日その日」(1996)、「空をあおいで」(2010)。ロングインタビュー書籍「いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった」(2014) がある。
Twitter:@Kazufumi_Kodama

Undefined
キーボード&プログラミングのSaharaと、ドラムスのOhkumaにより結成されたエクスペリメンタル・ダブ・ユニット。2017年デビュー7インチ「After Effect」をリリース。以降、こだま和文との共作10インチ「New Culture Days」、dBridge、Babe Roots等との共演/リミックス作品を発表。2019年7インチ「Three」に続き、2022年4月モダン・ダブの牙城、アメリカ・ポートランドの〈Khaliphonic / ZamZam Sounds〉よりPaul St. Hilaire、Rider Shafique、Ras Dasherを迎えたファースト・アルバム『Defined Riddim』をリリース。
オフィシャルサイト:https://www.newdubhall.com/
Instagram:@newdubhall

Photography Kentaro Oshio

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音楽家・Hatis Noitインタビュー 言葉になる前の声のエネルギーを掴み、「原初の歌」へと昇華する https://tokion.jp/2022/07/15/interview-hatis-noit/ Fri, 15 Jul 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=134027 自身の声を基軸にエクスペリメンタル/プリミティヴを横断する音楽を紡ぐロンドン在住の日本人音楽家・Hatis Noit。ロンドン移住後初のアルバム『Aura』をポスト・クラシカル・シーン重要レーベル〈Erased Tapes〉からリリースした彼女に、創作の原点や新作の制作背景を尋ねた。

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2017年にロンドンへと移住後、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演やミラノ・ファッションウィークでのパフォーマンスなど精力的な活動を展開してきた日本人音楽家、Hatis Noit(ハチスノイト)。唯一無二のシンガーであり、エクスペリメンタル/プリミティヴを横断するヴォイスパフォーマーである彼女にとって、新作『Aura』はロンドン移住後初のアルバムとなる。近年のポスト・クラシカルの潮流をリードしてきたレーベル、イレイズド・テープス(Erased Tapes)から発表される本作はHatis Noitの声だけで作り上げられた作品であり、そこにはまるで見知らぬ土地の宗教歌のような声の世界が万華鏡のごとく広がっている。その広大な音楽世界に迫るべく、2022年5月某日、ロンドンに住むHatis Noitとリモート・インタヴューを行った。

原風景にある知床・ウトロ、人間の声への意識を強めてくれたネパール・ルンビニ

音楽家としてのHatis Noitの原点は、6歳までの時を過ごしたという知床のウトロにある。オホーツク海に突き出した半島であり、世界自然遺産に登録される雄大な土地であり、そして遊覧船の事故によって突如日本中の注目を集めることになった知床。彼女にとってその地は自身のパーソナルな記憶と結びついた大切な場所である。

「大人になってからも何度かウトロに帰っているんですけど、帰ると『これ、知ってる』と思い出すことがあるんですよ。肌で感じる空気の冷たさ、森の中のひんやりした感じ、冬の厳しさ。ヴィジュアルだけじゃなくて、体感覚的な記憶として残っているんです。『私ってどこから来たんだっけ』という深い部分にすぐ戻れる場所であり、自分にとってインスピレーションを与えてくれる場所。自分の原点でもありますね」。

成人後に知床に戻った時、Hatis Noitは重要な体験をしている。

「暗い中を歩いていたら、森の中に迷い込んでしまって。どうやって戻れるんだろう? と焦る一方で、何も見えないから余計に音に敏感になったり、土が濡れていてちょっと緩んでる感触を足の裏で感じたりと、身体の感覚の方が鋭くなっていくんです。動物の声が聞こえてきて、人間が住んでいた場所がどんどん遠くに感じて。怖いのと同時にすごく綺麗だなと感動している自分もいて。あの時に自分が身体で感じた情報、言葉にできない感覚を再現したいと思って音楽をやってるところがあるんです」。

もう1つ、彼女にとって重要なインスピレーション源となった体験がある。それは彼女が16歳の時。釈迦の生誕地であるネパールのルンビニを訪れた際、Hatis Noitは尼僧のお経を耳にする。

「そのお経がメロディックで、本当に美しかったんです。声自体は質素なものだし、クワイアを従えているわけでもないんだけど、ものすごく強く聴こえた。それから人間の声を意識するようになりました。もともと歌はすごく好きだったし、バレエとか演劇もやってたんですけど、その時に今の方向性が決まったと思います。シンガーをやるんだったら、こういう音楽をやりたいと」。

自己の身体という唯一の「楽器」を使い描き出される、ポピュラー・ミュージック以前のプリミティヴな「歌」の風景

Hatis Noit Live on Erased Tapes Hatis Noitが2018年にロンドン拠点の音楽プラットフォーム「NTS」のスタジオで行ったライブパフォーマンス

この2つのエピソードが象徴するように、Hatis Noitの音楽とは、ポピュラーミュージックが形成される以前の、プリミティヴな歌の風景を現代のテクノロジーと身体感覚を通じて表現することに重点が置かれている。雅楽や奄美の民謡、インドのラーガを学び、数年に渡ってバレエも習っていたという彼女にとって、歌とは紛れもない身体表現であり、ショウアップされた音楽表現以前の身体性にアプローチするための手段ひとつでもある。

「歌って私の身体の中に楽器が入っているようなものですから、歌う上で『自分の身体を感じること』って大事なことだと思うんですね。歌っていると自然に身体も動くし、すごくインタラクティヴなエネルギーの交差という感覚がある。私自身がどこに立っていて、身体で何を感じていて、それを身体という器官を使ってどう翻訳し、どう表現するのか。言葉になる前にあった感情や感覚みたいなものをキャッチして、言葉にする手前のところで音として表現する。私はそういうことをやりたいんです」。

Hatis Noitの歌には世界各地のさまざまな歌唱法が溶け込んでいる。そこでは各地の宗教歌や民族音楽が参照されているが、人の身体とは民族や生活習慣、風習によって変わるものであり、それに応じて声や言葉、発声も変わる。そうしたなかで日本人としての声・身体を意識することはあったのだろうか。

「私が他の場所に行って表現のアイデアを吸収することはできると思うんですよ。でも、自分の身体を通して翻訳するわけで。私の身体は生きて死ぬまではこの身体でしかあり得ないし、私の身体はやっぱり日本人らしき遺伝情報を持っていると思うんですね。結局そこを通って出てくるので、意識するというよりも自然にそうなってしまう。そこからは出られないと思う。でもそれはネガティヴな限界というよりは素敵な個性だと思うんです」。

特定の地域の文化を流用し、搾取する文化的盗用に対してもHatis Noitは慎重な態度をとっている。文化的盗用に陥ることなく、より根源的な「歌・声」にアプローチするためには? Hatis Noitは別の民族の、別の人間になろうとしているわけではない。

「いくら伝統的なものをなぞろうとしても私は伝統音楽のミュージシャンではないし、それはできない。生涯をコミットする伝統音楽の音楽家をリスペクトしているからこそ、私は自分の音楽を伝統音楽とは呼べないです。だとしたら、私ができるユニークなことって何だろう?ということはいつも考えています。

アウトプットとしては特定の文化のスタイルを通るかもしれないけれど、音楽のインスピレーション源としての感情や感覚は必ず誰もがシェアできる部分だと思っているんですよ。そういう意味で、表層のスタイルや技術的なことだけではなくて、その奥にあるものまで戻ることができれば、文化的盗用を超えて誰もが共感できるような部分に触れられるんじゃないかと。こちらでライヴをした時の反応を見ていても、『あの歌唱法だね、あのスタイルだね』みたいなコメントよりも、『なぜかわからないけど涙が出てくる』『なぜかわからないけど切なくなる』というコメントをもらうことのほうが多いんです。そういう時に自分がやろうとしてることが少しは伝わってるのかなと思えるんです」。

ロンドンに移住して見出した音楽家としてのアイデンティティ

新作アルバム『Aura』収録楽曲「Angelus Novus」のMV。監督を務めるのは、AIを「共作者」として扱い作品制作を行うアーティスト・岸裕真。

ロンドン移住前の2014年にリリースされた前作『Universal Quiet』はヨーロッパへの憧れが見える作品だったが、新作『Aura』は憧れがそぎ落とされ、彼女の声と身体だけが躍動している。そこにはHatis Noit自身の意識の変化があったようだ。

彼女はロンドンへ移住した理由をこう説明する。

「外の世界を見てみたいというか、シーンの中心ってどうなってるんだろう? と思ったんですね。日本でエクスペリメンタルな音楽をやっていると、どうしてもちょっと卑屈になってしまうんですけど(笑)、ヨーロッパに来ると、エクスペリメンタルな音楽シーンでもサポートの熱さが全然違うんですよね。エクスペリメンタルなものをやっているインディーのミュージシャンでも、ものすごくちゃんとリスペクトされている。単純にそこでやってみたいという気持ちがありました」。

だが、憧れの地ロンドンで彼女は「自分はどういう音楽を奏でるべきなんだろう」というスタート地点に立ち返らざるを得なかったという。

「ロンドンという大都市だからということもあると思うんですけど、本当に音楽家のクオリティーが高いし、音楽とは何か、芸術とは何か、みんな人生をかけてやっているんです。そういうものを目の当たりにした時に、自分のことを考えざるを得なかった。西洋の室内音楽も大好きなんですけど、そういうものを追っていても私自身にはなれないなって思ってしまった。日本にいたらオーケストレーションだったりとか、教会音楽的なクワイアをもう少しやっていたかもしれないですけど、こういうことをやっていても自分自身を見失ってしまうと思ったんです。

私は別に音大を出たわけでもないですし、音楽理論が自分の中で確立されているわけでもない。そういう場所に来た時に『私の一番得意なことって何だろう』と思ったんです。その時に浮かび上がってきたのが、すこし抽象的だけど、音楽が確立される前の、人間のエネルギーみたいなものを声も含めて自分の身体を通してパフォーマンスする、表現するということだったんです。こちらに来た時レーベルのプロデューサーのロバートに「『誰みたいになりたいか』じゃなく『あなたは誰なのか』を探しなさい」と言われて。結局やらなきゃいけないことは、『何が私のコアなのか』『何をしたら私でなくなるんだっけ』ということを探し、磨き、純化させていくということだったんですよ」。

音を巡る旅、問いの果てに紡がれた新作『Aura』、そこに込められた祈り

新作『Aura』には移住以降、自問自答し続けてきた成果がはっきりと表れている。タイトル曲である「Aura」にはどこかモンゴルのオルティンドーを思わせる歌唱法が出てくるが、彼女はここでモンゴル人になりすましているわけでもないし、ヨーロッパ人向けに素朴なアジア人を演じているわけでもない。そこにいるのはあくまでもHatis Noitそのものであって、彼女以外の何者でもないのだ。 

レコーディングはベルリンのスタジオで行われ、わずか8時間ですべてのヴォーカルトラックが録音されたという。

「曲はスタジオの中で作っていくというよりは、ある程度のエレメントができたら、あとはライヴでやっていくんです。ライヴって毎回スペースもアンビエンスも違うじゃないですか。無意識のうちにそこから影響を受けて、毎回違うメロディーやアレンジメントが出てくる。その中で少しずつ形が固まっていくんです。それをレコーディングしています」。

今回の作品ではイレイズド・テープスの主宰者であり本作のプロデューサーであるロバート・ラスのアイデアにより、レコーディングした音源を小さな教会に持ち込み、教会の反響音も含めて再録音するという手法が取られた(エンジニアを務めたのはビョークの2017年作『utopia』などを手掛けてきたマルタ・サロニ)。

ここに収められているのは教会という場所・空間と結びついた声であり、音である。そこに充満していたであろう空気すらもレコーディングし、ミックスする。それはネパールのルンビニで尼僧の声にインスピレーションを得たHatis Noitならではの制作プロセスともいえるだろう。

本作には彼女の意識を反映した歌がある。それが福島第一原子力発電所からわずか1キロの海辺でフィールドレコーディングされた波の音が使用されている「Inori」だ。この歌はHatis Noitが帰還困難区域解除時に行なわれた追悼式に招待され、被災地を訪れた際に感じたものが土台となっている。

「『Inori』という曲では原発の事故そのものよりも、彼らが生まれ故郷や地元に対して持っている愛情だったり、パーソナルな記憶、亡くなった人を思う気持ちにフォーカスしました。福島で録った海の音をそのまま使ってるんですけど、そこには今も続いてる工事の音も入っている。とても綺麗な海辺の音にも聞こえるけど、よく聞いてみれば、その後ろで護岸工事の音が入ってるんですね。この歌ではさまざまな記憶を持ってる海について歌いたいと思ったんです。その記憶に対して捧げるようなものを作りたかった」。

「Inori」という歌は、文字通り死者に対する祈りであり、供養でもある。それは歌という行為の原点に触れるものでもあるだろう。歌はこうやって世界と繋がることができるのだ。

Hatis Noitの歌は常に変化し続けている。経験を積むことで技術が向上し、日々の暮らしとともに身体が変わるなかで、彼女の歌も変わっていく。

だが、そこには常に変わらないものが存在している。歌を歌うこと。声や音に耳を澄ませること。何かを思い、感じること。そうした根源的な行為がまとう普遍性とエネルギーを、Hatis Noitという音楽家は掴み取ろうとしている。

Hatis Noit(ハチスノイト)
16歳の時ネパールの仏陀の生誕地へトレッキングに行った際に人の声が持つ原子的な力が人間や自然、宇宙とつながる本能的な楽器であると悟った。ハチスノイトという名前は日本の民間伝承が由来で、蓮の花と茎(蓮の糸)という意味。蓮の花は現世を表しその根は精神世界を表していて、その茎はその2つを繋ぐ存在であるという。チケット完売となった英サウスバンクセンターでのロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演、ミラノ・ファッションウィークでのパフォーマンスや、ヨーロッパ各地でのフェスティバル出演、そして敬愛するデヴィッド・リンチ監督に招かれ出演したマンチェスター国際フェスティバルでのライブなど、ヨーロッパを中心に精力的に活動する。近年ではThe Bugとのコラボや、ヨンシー&アレックスへのコーラス参加、ルボニール・メルニクの作品に参加するなど様々なコラボレーション活動も行っている。
Official website:https://www.hatisnoit.com/
Instagram:@hatis_noit
Twitter:@hatis_noit

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冥丁の新作『古風 II』――日本でアーティストとしてアイデンティティーを確立するための思想 https://tokion.jp/2022/01/18/meitei-kofuii/ Tue, 18 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=88047 日本の原風景や歴史をもとに作品制作を行う音楽家・冥丁が新作『古風II』をリリース。特異な音楽を生み出すその哲学をひもとく。

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冥丁は現在この列島で活動する音楽家の中でも特別な人物の1人である。彼が現行エレクトロニック・ミュージックの領域で活動する音楽家であることは間違いないが、小唄や純邦楽の音源や日本の伝統楽器を用いてノスタルジックな情緒を描き出すスタイルは唯一無二。そこには凡百の和風アンビエントとは異なるディープな感覚が宿っている。

一方で、冥丁はどこか謎めいたところのある音楽家でもある。ネット上にも限られた本数のインタビュー記事がアップされている程度であり、彼自身、SNSで自身の思想を積極的に発信しているわけでもない。そのため、彼の音楽世界の背景にあるものの多くはいまだ語られていない。

そんなこともあって、いつか冥丁にインタビューしてみたいと考えていた。このたびリリースされた新作『古風 II』は、2020年9月発売のアルバム『古風』の第2弾作品。今回念願かなって取材が実現するということでいくつかの質問を投げかけたところ、冥丁からは1万字を大幅に超える長文が返ってきた。それはいわゆる新作インタビューの類いを超えるもので、日本でアーティストとしてアイデンティティーを確立するための思想が丁寧につづられていた。ここからはその発言をもとに冥丁の音楽世界に迫っていきたい。

『古風II』に漂う、前作では語られなかった非言語的なムード

“LOST JAPANESE MOOD”をテーマとする冥丁の近作『怪談』『小町』『古風』は、国外でも高い評価を獲得した。そのことに関して冥丁はこのように話す。

「このテーマを思いついた時に、可能性を感じたことを覚えています。母国でもある日本について、日本人による新たな視点を世界に向けて表現できるというワクワクも感じました」

“LOST JAPANESE MOOD”3部作は本来、前作の『古風』で完結する予定だったという。だが、『古風』では60曲以上の楽曲が制作され、47曲もの未リリース楽曲が残っていた。そのため、そうした音源を土台とする『古風』の第2弾の制作が始まった。それだけ聞くと『古風 II』は前作のアウトテイク集という印象を持ちかねないが、冥丁によるとどうもそういうことではないらしい。

「冥丁としての活動では基本的にアルバムの物語性を重視しています。いくら楽曲として質が高くても、物語性に不一致な場合は収録を断念してきました。『古風』の方向性とは異なるので収録できなかったものがたくさん存在していて、その一部が『古風II』として表現されることになりました」

第2弾でありながら、『古風II』では前作とも異なる物語が紡がれている。音楽的にいえば、抒情的なメロディーはそのままに、より抽象的な空間性や響きが大切にされている印象だ。

「この作品では『古風』で語られなかった非言語的なムードがさらに強調されていると思います。例えば日本の環境をさまざまなシーンに置き換えて、それをトラックに写し込みました。その結果として、日本のパノラマを音楽的に感じることができる作品になったと思います」

依存せず独立した視点で音楽シーンと向き合う

冒頭で僕は冥丁について“謎めいたところのある音楽家”と書いたが、前作のリリースに際して「TOKION」に掲載された冥丁の取材記事(インタビュアーは柴崎祐二さん)では、彼に関する謎が1つひとつ解き明かされている。そこで冥丁は「“日本の音楽”でありながら、そのほとんどがおそらく無自覚に“東京の音楽”になってしまっている」現状に対する違和感を表明している。現在の冥丁は広島を活動の拠点としているが、そのことにおいても東京を中心とする“シーン”に対する何らかの意識が反映されているのだろうか?

「広島には制作環境である家もありますし、自分の作曲における優雅な生活とぜいたくな時間を育むことができます。自分にとって優雅であることはとても大切で、そのぜいたくで暇な時間が物事を客観的に見せてくれるんです。
シーンに対する意識は、以前京都に暮らしていた時から強くあり、その時期に日本の音楽がシーンに依存した傾向があることに気がつきました。そして日本のシーンは東京に軸を持ち、その軸はさらに欧米にある。日本に日本らしき“和風の概念”が現代的な過程で共有されていなかったんですよね。例えば、日本の食文化において和食は現在も中心にあって、その文化は国際社会でも広く知られていますが、音楽はそうではない。海外の音楽を参考にし、まねてきたんです。それを“日本風の表現”と現代の日本人は分類してきました。それが集合する場所が“シーン”です。そして、そこに含まれない日本の音楽も存在できるはずなんです」

この発言の中には重要なことが示唆されている。明治以降、この国は欧米を手本とする音楽教育を進め、それが僕らの音楽観の土台となってきた。日本のポピュラーミュージックの多くもその土台の上で成り立っており、そういった音楽の集合体が“シーン”を形成している。冥丁はそんなこの国の音楽のあり方から極力自由であろうとしているのだ。彼は「依存せず、独立した視点で音楽シーンと関係できるような環境と状況を想像すること」を理想としてきたとも話している(そのスタンスは1990年代にハウス/テクノのシーンで存在感を発揮しながら、やがてシーンから距離を置いて仙人のような創作活動に入った横田進を想起させる)。
冥丁の作品とは、シーンや現代の傾向から離れた彼個人の表現であり、ストーリーである。そこには広島の風土からの影響もあるが、もっとも大きな影響を与えたのが彼の祖母の存在だという。

「僕の祖母はお堂を管理していて、いつもお経を唱えて手を合わせていました。その祖母が『手を合わせれば、この世の雑音の中であっても心が静まる』と教えてくれました。今でもその教えは僕の心の中に生きています」

正解のない日本的なイメージを探る

以前から気になっていたのが、冥丁の作品で描かれる“LOST JAPANESE MOOD”が多くの場合、江戸的なイメージをまとっているということだ。「八百八町」や「め組」という楽曲が表すように、特に『古風』の2作品は江戸の町に関するあらゆるイメージを音で表現したものとも捉えられるだろう。冥丁はこう話す。

「日本に関する象徴的なイメージを音楽の力で強調したいと考えていました。何が日本的で、国際的にも強い印象を残しているのか。江戸的なイメージもその1つにありますし、それを期待する人々が世界中に存在しているとも以前から感じていました」

こうした冥丁の発想は、いわゆるセルフ・オリエンタリズム的な表現に陥りかねない。つまり、欧米が期待する日本を演じ、欧米からの視線を内面化してしまうということだ。だが、冥丁が表現する“日本的イメージ”には、異国の地からありし日の日本を想像するかのようなはかない美しさがある。個人的な感覚でいえば、以前ブラジルのサンパウロを訪れた際、現地に住む年配の日系人がまるで冷凍保存されたかのような昔ながらの日本語を話していて驚かされたことがあったが、それに近い。冥丁もまた、高校時代にオーストラリアで短期留学した際の体験を話す。

「当時はやっていた日本の音楽を現地のホストファミリー宅で再生したところ、洋風の日本音楽にすぎなかったんですよね。ここからあえて鋭い言葉を使って、高校生の頃の僕に発言をさせてみます。その時の僕にとって日本の音楽は、国内メディアや広告が作り上げた文脈の中にあったんです。当時、国内では「誰が一番最初に海外の熱いシーンを輸入したか」というような競いやマウントの取り合いが起こっていたように思います。それは広大な世界の中では小競り合いにすぎない。大人になってもそんな分断を生むような振る舞いをやっている方々に、僕は幼くて未熟な印象を覚えました」

冥丁の日本的イメージの創造においては、シンガポールに拠点を置くインディーレーベル、KITCHEN. LABELというパートナーの存在も大きい。

「基本的に冥丁は国際的なチームと働くことでこの3年間の軸が構築されてきました。イギリス、シンガポール、アメリカという多国籍なセンスのもと、僕らは日本について考えを共有してきました。これはとてもぜいたくなことです。僕が肯定できない日本の印象に彼らの関心が向くこともあります。それがおもしろいんですよね。つまり、日本の見せ方に正解はないということです。自分の思っている日本像と海外の日本像は違うので、そこに新たな日本像が生まれるチャンスがあると思っています」

“日本らしさ”をどのように捉えるか?

現代のこの列島において “日本らしさ”や“日本情緒”として表現されるものの中には、ロマンチックなフィクションを含むものも少なくない。また、 “日本らしさ”という主語の大きな言葉を乱用することによって、この列島の多様性や地域性が見えにくくなることもある。冥丁は “日本らしさ”という概念が持つそうした暴力性に対してどのように考えているのだろうか?

「テンプレート化された“日本らしさ”というフレーズが無意識的に使われることもありますよね。完璧ではないですが、ある程度、僕の思う“日本らしさ”を表現してきました。ただし、作り手ではない場合は、“日本らしさ”とは伝えられてくるものです。作られたものを受け取り、それを味わう。つまり、消費者としての感覚もあると思うんです。その人なりの“日本らしさ”を選び、個々人の観念が育っていく。そこには正解も間違いもなく、必然的な過程だと感じます。
それは、日本人が“誇り”を持っていないということに問題があるかもしれません。誇りはある種の意地のような、強い感情の癖とも言えるものです。こうしたものを失ってしまうと、物事を自由に解釈できる代わりに、何でもいいという状態になってしまう。つまり“日本らしさ”も個人の自由な決定がなせるものです」

“誇り”という言葉が出てくるとぎくっとしてしまうが、彼がここで言いたいのはレイシズムに転びかねない愛国心とも違うはず。この列島で生きる人間としての尊厳に関わるものと僕は解釈した。冥丁はこう続ける。

「日本はこれまで技術力をセールスポイントにしてきましたが、実はそれが国民の幸せにリンクしなかったように思います。日本は情熱的な精神よりも、私達の効率性、論理性、整合性で国際的な戦いの中で成功を勝ち取ってしまった。正面からぶつかろうとせず、和という選択を自身のオプションから省いてしまった。音楽で言い換えると、僕の思う“日本らしさ”を表現した時、初めて自分自身の責任を背負うことができる。この分野において、今後も自分の考える“日本の音楽”を作らない限り、僕らは責任を自分に課すことはできないでしょう。日本にすてきな音楽はたくさんありますし、それを僕は疑いません。でも今までのやり方では、成功の一例として大多数の日本人の共感を得ても、誇りを感じることはできないでしょう。結局、最も大切な人間らしさがそこに見えてこないからです」

“LOST JAPANESE MOOD”をテーマとする作品は今回で終了することになる。では、今後の冥丁はどのような道を進んでいくのだろうか?

「世界の食文化の中で和食のポジションは確立されていますが、音楽には寿司のような存在がありません。やはり和物がメインでない日本の音楽文化は頼りないですよね。応戦型の日本から挑戦型の日本へ、僕の場合は音という分野から進化させていきたい。そう思っています」

Photography Yuri Nanasaki

冥丁
広島在住のアーティスト。これまでに妖怪をテーマにした『怪談』(2018)や、夜をテーマにした『小町』(2019)、そして『古風』と『古風 II』の4枚のアルバムをリリース。2020年にはスペインの「Sonar festival 2020」の公式 PR 動画に楽曲が採用され、同年3月にはバルセロナで開催された「MUTEK ES」に出演。演劇や映画、ファッションなどのさまざまな分野への楽曲提供・選曲なども行っている。

■『古風 Ⅱ』RELEASE TOUR 2022 前橋公演
会期:3月19日(「赤城SUN do」内に出演)
会場:三夜沢赤城神社
住所:群馬県前橋市三夜沢町 114
時間:OPEN/START 14:00 / CLOSE 21:00
入場料:¥3,000(中学生以上、前売りのみ)
Webサイト:http://www.inpartmaint.com/site/34306

■京都公演 Day1
会期:3月21日
会場:メトロ
住所:京都市左京区川端丸太町下ル下堤町82 恵美須ビルB1F
時間:OPEN / START 17:00(新型コロナの状況次第で時間変更の可能性あり)
入場料:前売 ¥3,000 / 当日 ¥3,500(1ドリンク別途)

■京都公演 Day2
会期:3月22日
会場 : ふくや 京都
住所:京都府京都市中京区菱屋町39
時間:OPEN 19:00 / START 20:00
入場料:¥4,000(要ドリンクオーダー、20名先着限定)

■東京公演(ゲスト:環ROY+角銅真実 / SUGAI KEN)
会期:3月24日
会場:WWWX
住所:東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル2F
時間:OPEN 17:30 / START 18:30
入場料:前売 ¥3,500 / 当日 ¥4,000(1ドリンク別途)

■豊田公演(オープニングアクト:猫町)
会期:3月28日
会場:ヴィンセント
住所:愛知県豊田市上野町3−27-3
時間:OPEN 17:00 / START 18:00
入場料:前売 ¥4,000 / 当日 ¥4,500(1ドリンク代込み)

■和歌山公演
会期:3月29日
会場:あしべ屋妹背別荘
住所:和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4-28
時間:OPEN 18:30 / START 19:00 / CLOSE 21:00
入場料:前売 ¥3,000 / 当日 ¥3,500 / ライブ配信 ¥2,500(2週間アーカイブ)

■札幌公演(ゲストDJ:彩人、MITAYO / LIQUID LIGHTING:かとう たつひこ)
会期:2022年4月9日
会場:プロボ
住所:北海道札幌市中央区南6条東1丁目2 KIビル3F
時間:OPEN 19:00
入場料:前売 ¥3,000

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町の撮影と滞在制作における人・土地との向き合い方 映像作家としてのVIDEOTAPEMUSIC 後編 https://tokion.jp/2021/05/21/videotapemusic-as-a-filmmaker-part2/ Fri, 21 May 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=31676 VHSやホームビデオをサンプリングして、音楽と映像を制作するVIDEOTAPEMUSIC。後編ではソウルと東京を映したミュージックビデオと、地方都市での滞在制作について話を聞いた。

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VIDEOTAPEMUSICの映像作家としての一面にフォーカスを絞ったロングインタヴューの後編。活動開始当初の話から代表的作品を振り返った前編に対し、今回は近作を中心に話を聞いた。近年力を入れている日本各地での滞在制作プロジェクトの話からは、彼の映像制作のスタンスがはっきりとうかがえた。日本の風景をどう切り取ることができるのか。そして、そこからどのような表現を立ち上げることができるのか。映像作家としてのVIDEOTAPEMUSICの本質に迫る。

最小の主語を意識したミュージックビデオ

――VIDEOさんは町の風景をどう切り取ってきたのか、後編ではディレクションを務めた作品を観ながら考えてみたいと思うんですが、まずVIDEOさんの最新作『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』の収録曲「ilmol」を観てみましょうか。この曲では韓国のキム・ナウンがフィーチャーされていて、ミュージックビデオもソウルで撮影されていますね。

VIDEOTAPEMUSIC「ilmol (feat. Kim Na Eun) 」

VIDEOTAPEMUSIC:ナウンには「自分の住んでいる町の景色について歌ってくれ」とお願いしまして、彼女はそれに応えて(ソウル中心部を流れる河川である)漢江のことを歌ってくれたんです。なので答え合わせをするつもりでソウルにビデオカメラを持っていって、1日中漢江の周りを歩き回って撮影しました。どんな風景が切り取れるかわからなかったので、とりあえず撮ってみて、あとで編集しました。韓国で買ったVHSの映像もところどころサンプリングしてます。

――花火のシーンが印象的ですね。

VIDEOTAPEMUSIC:これはたまたま撮れたんです。夕方になったら河原に人が集まってきて、みんな思い思いに座ってお酒とか飲みだして、毎日こんな風に集まってるのかな? と思ったら、実はその日が花火大会だったんですよ。都市の中に漢江みたいな空が広くてチルアウトできる場所があるのもソウルという町の良さだなと思いました。ただ、「ソウルはこういう場所ですよ」という作品にはしたくなかった。あくまでも個人的な、ナウンという友人を訪ねる旅をつづったものというか。

――だからなのか、作品の作りもプライベートビデオ的ですよね。

VIDEOTAPEMUSIC:このアルバムではソウルのナウンであったり、マニラのメロウ・フェロウであったり、海外のアーティストにも歌を頼んでますけど、彼等が住んでいる町のことと、できるだけプライベートなことを歌ってもらおうと考えていました。ナウンとの曲も日本と韓国という関係性ではなくて、あくまでも友人とのプライベートなやりとりの中で作られたものだったんです。できるだけ主語を大きくしない、最小の主語で作る。そのことは映像でも意識してましたし、だからこそプライベートビデオみたいな作りになってるんですよね。

――ceroの「街の報せ」のミュージックビデオでも東京など関東近郊のいろんな場所で撮影していますが、「東京」という大きな主語ではなく、1人ひとりの景色をつなぎ合わせていますよね。町の記号に頼らない作りという意味では、「ilmol」と共通するものを感じます。

VIDEOTAPEMUSIC:確かにあれを作っているときも「大きな主語で語られにくい風景を撮っていこう」と考えていました。ま、記号的な風景は他の誰かが撮るだろうし、僕がやらなくてもいいかなと思ってましたね。

cero「街の報せ」

滞在制作ではどのように各土地と向き合うか?

――最近は特定の地域に滞在し、音楽や映像を制作するプロジェクトに関わることも多いですよね。こうした制作方法に関心を持つきっかけはなんだったのでしょうか?

VIDEOTAPEMUSIC:ここ数年、全国いろんな場所でライヴをやらせてもらえるようになったんですけど、通常はライヴと打ち上げの連続で、その町のことを知っているようで知らなくて。それで、ライヴのあとに延泊して町を歩いたりするようになったんです。そうする中で東京以外の場所で生活したり作品を作ったりすることへの興味が増してきました。僕は生まれてからずっと東京の郊外で育って、だからこそ国道沿いのレンタルビデオ屋やリサイクルショップで手に入る身近なものだけを使って作品を作ってきたのですが、東京以外の場所で音楽を作るとしたら、どういった形のものを作れるだろう? と考えるようになったんです。

――「人と地域をアートでつなぐプロジェクト」をうたう「ANA meets ART “COM”」では、長野県塩尻市に滞在して映像作品を制作しましたね。

VIDEOTAPEMUSIC「Shiojiri Dub」

VIDEOTAPEMUSIC:塩尻には2020年の11月に初めて行きまして、延べ12日ぐらい滞在しました。塩尻にはそれまで行ったこともなかったし、まったく縁がなかったんですよ。なので、最初はあまり深く考えず、町中をとりあえず回ってみようと。まずはネットで気になる場所をチェックして、車で片っ端から回りながら、その道中で目についた場所や興味が湧いた場所を訪れました。飲食店からリサイクルショップ、あとは川や山とか。

――リサイクルショップでは何か手がかりはありましたか?

VIDEOTAPEMUSIC:1970年代の塩尻の広報誌を見つけたんですよ。それが一番大きかった。町おこしのために地元の人達が自分達だけで作った民謡のことも書いてあって、町の伝統とされているものもどこかのタイミングで誰かが新しく作ったものだし、それが最新の音楽だった時代もあったわけで。そうやって伝統も現在進行形で地層みたいに積み重ねられてきているものだと思ったらいろいろと考えさせられる部分がありました。塩尻はキヤノンの工場があるので、案外外国人が多いんですよ。以前はブラジル人が多かったそうなんですけど、今はベトナム人が多いみたいで。リサイクルショップには中国語のカラオケのレーザーディスクもありましたね。そのほこりまみれのレーザーディスクからも、何かまた別の町の歴史が見えてくるような気がしましたね。

――塩尻市の夏の風物詩「塩尻玄蕃まつり」で踊られている玄蕃おどりの曲と、そのモデルになったキツネの民話をモチーフにしているそうですね。

VIDEOTAPEMUSIC:玄蕃之丞という化け狐の民話を題材にした玄蕃おどりのメロディーを引用しながら、塩尻の高ボッチ山に登って山頂で受信したラジオのノイズでビートを作りました。高ボッチ山の山頂には町にラジオの電波を届けるための電波塔があって、山頂は電波環境が良いのか外国語のラジオもたくさん受信しましたね。そうやって外部から届くラジオの電波と、その町に根付いた民謡や環境音を組み合わせて自分なりに町の歴史をダブ化したというか。塩尻は農家も多いんで、野焼きの風景をよく目にするんです。夕方になる遠くのほうに煙が立ち上るのが見えて、よそから来た僕からすると、その風景がすごく幻想的で。それで映像面では野焼きのカットを入れました。

――キツネのアニメーションは自分で描いているんですか?

VIDEOTAPEMUSIC:そうですね。最初は野焼きの映像だけだったんですけど、どうも人様の景色を勝手に持ってきただけな感じがして。自分の身体を使って野焼きの煙とキツネを描くことで、自分なりの落とし前をつけたいなと思って。

――自分と縁のない場所をどう切り取るか。そこに映像作家としての態度が現れますよね。群馬県館林市で制作した「Our Music:Tatebayashi」(LINE NEWS 「VISION」で公開)制作ノートで、VIDEOさんはこんなことも書いています。「館林の魅力を紹介するみたいなのはさすがにおこがましすぎるし、自分はあくまで教えてもらう側というのは忘れないようには意識しましたね。決して楽しい観光ビデオをつくりたいわけでもなければ、ましてやダークツーリズムをしたいわけでもないし、でもあまりに客観的になりすぎてもつまらないから実際に自分が驚いたり新鮮に感じた部分にはあくまで素直でいたいというか」。

VIDEOTAPEMUSIC:きっと土地によって対象との距離の取り方は変わってくると思うんですよ。自分の中でルールを決めるというより、その土地を訪れた時、その場その場でいかに誠実に反応できるか。毎回そこが試されている気がします。今、「長崎アートプロジェクト」という企画でも長崎や野母崎を題材にした作品を作っていて※、それは現地の方から映像を送ってもらいながらワークショップ的な方法で作ってるんですね。相手とのコミュニケーションの中から作品が立ち上がってくるので、やりやすいといえばやりやすいんです。ただ、塩尻の場合は(時勢的に)できるだけ人と会わないで作ろうと決めていたので、なかなか難しかった。東京から数日やってきただけで「これが塩尻ですよ」と断言するのは、すごく不誠実だと思ったんですよ。

※新型コロナウイルスの影響により展示が中止。

――先ほど話に出たソウルの切り取り方とも通じる話ですね。

VIDEOTAPEMUSIC:そうですね。滞在制作っていざやってみたら悩むことや大変なことも多くて。でも、そういったプロセスも必要なことだと思うんですよね。画家の田中一村は日本画家でありながら奄美大島という場所に移り住み、「日本」の景色を拡張していったわけですよね。日本画の技法で描かれることのなかった風景を奄美に見出した。自分でもそういうことができないかなと考えているんですよ。自分の技法で描ける景色を広げていきたい。ナウンと作った曲もその1つと言えるんじゃないかなと思ってます。手の届く身近な範囲のものしかなかなか誠実に描けないし、その一方で今まで縁がなかったり遠く離れた土地についてどのように想像力を働かせたら良いのかはすごく悩みます。そのためには丁寧に近しい場所を1つずつ増やしていくしかないのかなと思っています。

――先日は佐賀県の嬉野温泉に滞在して楽曲制作をしたそうですね。

VIDEOTAPEMUSIC:老舗旅館の「大村屋」と、ギャラリーとコーヒースタンドと古本屋を兼ねたお店の「おひるね諸島」による企画だったのですが、しばらく滞在して嬉野温泉を題材にした曲を2曲作ってきました。ダメ元で地元の方々に「楽曲制作のために嬉野が映っている古いホームビデオを貸してください」と募集をかけたら、予想以上に持ってきてくださって。大村屋やおひるね諸島による地元のネットワークのおかげで、かなり充実したものになりましたね。

他にも芸者さんに教えてもらった地元の民謡の太鼓のリズムだったり、佐賀の伝統芸能の面浮立で使われる楽器の音などを録音させてもらって、曲に取り入れました。最初は温泉地なのでリラックスムードのアンビエントっぽい曲を作る予定が、いろいろな方と交流するうちにみんなに夏祭りで踊ってもらいたいという気持ちが湧いてきてラテンっぽい「嬉野チャチャチャ」という曲もできました。夏頃には作った曲を含め、滞在がどんな感じだったかをしっかりとアウトプットする予定です。

「On The Air 2020(April 10)」の制作背景

――そういえば、4月に新曲「On The Air 2020 (April 10)」が出ましたね

「On The Air 2020 (April 10)」

VIDEOTAPEMUSIC:2020年は作品作りのためにいろんな土地に行こうと思ってたんですけど、4月のタイミングではコロナでそれもできなくなってしまったので、どうしようかなと思って。家を出たいけど、出られない。どうやって外部の要素を取り入れるか、悩んでいた時にふと思い立って、ラジオのノイズだけを使って曲を作ってみたんですよ。それこそ今自分の置かれた環境の中で目の前にあるものだけで音楽を作ってみようと思い。それを発展させました。

VIDEOTAPEMUSIC
東京都生まれ。地方都市のリサイクルショップや閉店したレンタルビデオショップなどで収集したVHS、実家の片隅に忘れられたホームビデオなど、古今東西のビデオテープをサンプリングして映像と音楽を同時に制作している。近年ではさまざまな土地を題材にしたフィールドワークを行いながらの楽曲制作や、国内外のアーティストとの共作なども行っている。VHSの映像とピアニカを使ってライブをするほか、ミュージックビデオの制作、VJ、DJなど幅広く活動。映像作家としてはceroやCRAZY KEN BAND、坂本慎太郎らアーティストの映像も手掛ける。
kakubarhythm.com/artists/videotapemusic

2021年6月9日には配信シングル「Funny Meal」をリリースする。

■VIDEOTAPEMUSIC One Man Show“アマルコルド”
会期:2021年8月6日
会場:日本橋三井ホール
住所:東京都中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町 5階
時間:OPEN 18:00/START 19:00
入場料:¥4,500

Photography Tetsuya Yamakawa

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VHS収集と過去のMV制作――歴史と景色へ向けるその視点について 映像作家としてのVIDEOTAPEMUSIC 前編 https://tokion.jp/2021/05/04/videotapemusic-as-a-filmmaker-part1/ Tue, 04 May 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=30665 VHSやホームビデオをサンプリングして、音楽と映像を制作するVIDEOTAPEMUSIC。前編ではVHSの魅力を聞きつつ、彼がどのような考えをもとに過去のミュージックビデオを手掛けてきたかに迫る。

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VIDEOTAPEMUSICは2つの顔を持っている。1つは最新作『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』(2019年)などのアルバムを発表してきた音楽家としての顔。もう1つは、ceroや坂本慎太郎、キセル等のミュージックビデオを手掛けてきた映像作家としての顔だ。今回のインタビューでは、国や社会という大きな主語からこぼれ落ちる「小さな物語」に目を向けてきた映像作家としてのVIDEOTAPEMUSICにフォーカス。前編となる今回は、活動開始の頃の話から坂本慎太郎「悲しみのない世界」のミュージックビデオの裏話まで、これまで世にほとんど出てこなかったエピソードを交えながらじっくり話を聞いた。

「VHSだったら自分が動けば動くほどいろんなビデオを観れた」

――VIDEOTAPEMUSICさん(以下、VIDEOさん)はいつ頃から映像に関心を持つようになったんですか?

VIDEOTAPEMUSIC:子どもの頃から古い特撮映画が好きで、初めて映像を作ったのは高校生の時です。友達のminiDVのビデオカメラを借りて、バスター・キートンみたいなスラップスティックの映画を作りました。

――その後、美大に進学して映像制作を本格的に始めることになるわけですよね。大学3年生だった2004年にはVIDEOTAPEMUSICとしての活動を始めています。

VIDEOTAPEMUSIC:当時はどのレンタルビデオショップでもVHSが大量にたたき売られていて、僕の行きつけだった玉川上水駅(東京都立川市)のレンタルビデオショップなんかも、紙袋3袋に入れ放題で1000円みたいな閉店セールをやってました。その素材をかき集めて曲を作り始めたという感じですね。ヒップホップのDJだったらレコードを買いますけど、レコードショップは都心や大きな駅に行かないとないし、当時の自分にとっては手を出しにくい高級品ってイメージがありましたね。レンタルビデオショップは今では考えられないくらい郊外に無数にあったので、VHSのほうが身近だし値段も安いと感じていました。

――名作映画であればその後DVD化されたり、ネットで観れたりするようになったわけですけど、VIDEOさんが当時かき集めていたものの中には、そのVHSがなくなってしまえば歴史から抹消されるようなものもたくさんあったわけですよね。例えばプライベートビデオであるとか。

VIDEOTAPEMUSIC:そうしたビデオの持つ意義について考えるようになったのはもっとあとのことですね。集めていくにつれて、もしかしたらこれは何か意味があるんじゃないかって。それがたぶん2010年くらいだと思う。2009年にCDRを円盤(東京・高円寺のレコードショップ)に持ち込んだんですよ。それから急激にライヴに誘ってもらえるようになったんです。ライヴの感想をいろんな人に言ってもらえるようになって、自分がやっていることを客観的に捉えるようになった。

――YouTubeにはあまり関心が向かなかった?

VIDEOTAPEMUSIC:そうですね。YouTubeにはVHS以上にプライベートな映像も上がっているし、そこに可能性を感じた時期もあったんです。でも、YouTubeから何かを集めてくるのは、僕以外の誰かもやるんじゃないかと思っていました。中古VHSだったらお店に行かないと買えないので、自分が動けば動くほどいろんなビデオを観れたし、身体的な移動距離と得ることのできる情報量が比例すると思っていて、そのプロセス自体をぼんやりと信用してきたところがあるんです。

――VHSの質感に対するフェティシズムみたいな感覚もあったんでしょうか。VIDEOさんの作品にはVHS的な質感が取り込まれていて、それがVIDEOさんの作家性につながっていますよね。

VIDEOTAPEMUSIC:質感に対するこだわりはあるけど、ただ、VHSの質感が一番だとは思っていません。VHSの質感だからこそ魅力が増す映像と、良さが失われてしまう映像はありますからね。例えばエドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』のような映画はVHSで観ても、(画面が暗すぎて)何が映ってるかわからないと思うし。一方では、鮮明すぎないところに引かれてきたところはありますね。宇川直宏さんは「ノイズには精霊が宿る」と発言してましたけど、その感覚には僕も影響を受けています。映画『リング』(1998年)とかもはやったじゃないですか。ホラー映画って人々がその時代、何に対して恐怖を感じているかが如実に現れると思うんですけど、VHSのノイズの向こうから貞子が現れる恐怖感というのは、時代の感覚としてあったと思う。

――プライベートビデオ特有の怖さもありますよね。再生するまで何が映っているかわからないという。

VIDEOTAPEMUSIC:そうそう。僕もリサイクルショップで買ってきた誰のかわからない結婚式のビデオを興味本位で観たりするわけですけど、怖くなってくる瞬間があるんです。もうこの世にいない人が映っているかもしれないし、観ちゃいけないものを観てるんじゃないかって。自分の中では好奇心と罪悪感との戦いでもあるんです。リサイクルショップで買ってきたあとに体調が悪くなると、これは呪いなんじゃないかと思うこともあって(笑)。

――人のプライベートな領域まで踏み込むという意味では、民俗学のフィールドワークにも近いですよね。どこまで踏み込んでOKか、VIDEOさんの中で線引きはあるんですか?

VIDEOTAPEMUSIC:線引きは時と場合によって常に揺れ動いていますね。あとになってこれはやっぱりダメだったかもと反省する時もあるし。最終的には感覚的な話になってしまうのですが。著作権的なものとは別の線引きで「これはやめておこうかな」という瞬間もあるんです。本能的なものというか。レコードをサンプリングしていてそういう感覚になることは少ないですけど、映像は顔が見えるので、その分リアルに怖さを感じることがあるんです。それに、この間長野県塩尻市のリサイクルショップに行った時は、農家の家計簿が売ってたんですよ。すごく詳細に書いてあって、ちょうど塩尻市のことをリサーチしていたのでその内容に興味はあったんだけど、その時は買って帰れなかった。あまりに生々しくて。日記が売られてることもあるんですよ。

――日記はさすがに……。

VIDEOTAPEMUSIC:そうなんです。

過去のミュージックビデオの制作背景

――初めて手掛けたミュージックビデオは何だったんですか?

VIDEOTAPEMUSIC:僕もよく対バンしていた真美鳥というバンドがいるんですけど(現・Mamitri Yulith Empress Yonagunisan)、そのバンドをやってる岩永忠すけさんの「サマーマウンテンサマーシー」(2009年)という曲のビデオをアニメーションで作ったのが最初です。電子アシッドフォークみたいな曲で、アルバムもすごくいいんですよ。今でも聴くぐらい大好きで。大学の時はテレビ番組やCMなど既存の映像を手描きでトレースしたアニメーション作品ばかり作ってたんですよ。普段何気なく見ているテレビの映像の1秒30フレームの中では実際に何が行われているのかを自分の身体を使って把握するために、そこに映っているものを1コマずつ描いていったんです。このMVもその延長でVHSのノイズも含めて手描きしました。

岩永忠すけ「サマーマウンテンサマーシー」

――それ以降、たくさんのミュージックビデオを手掛けてきましたよね。アーティストの世界観と自身の作家性の折り合いについてどう考えているんでしょうか?

VIDEOTAPEMUSIC:基本的には各アーティストの世界観を意識して作っているので、そこに現れている僕の作家性は漏れてしまったものだと思います。「VIDEOTAPEMUSICっぽいものを作ってくれ」というオファーだったらそういう作家性も遠慮なく出せるんですけど。キセルの「富士と夕闇」(2017年)は曲の世界観に合わせて作りましたが、その中にほどよく自分の作家性も漏れている形かもしれません。ceroの作品も何本も作ってますが、基本的には曲の世界観に寄せているつもりなんですよ。逆にMVを手掛けた曲が後の僕の作品に影響を及ぼすパターンもありますね。

キセル「富士と夕闇」

――坂本慎太郎さんの「悲しみのない世界」(2015年)は葛西(東京都江戸川区)の埋立地で撮影したそうですね。

VIDEOTAPEMUSIC:葛西を中心にいろんな場所で撮ってますね。町の記号性ができるだけない場所で撮りたいなと思って。あと、遠くからズームレンズでめちゃくちゃ寄って撮ってるんです。カメラでズームした映像って実際の人の視覚とは違う画角の映像になるじゃないですか。人の視点というよりも神の視点に近いものを撮ろうと。

坂本慎太郎「悲しみのない世界」

――すごい発想!

VIDEOTAPEMUSIC:“神の視点”という表現が正しいかわからないけど、人ではない何かが見ているような感じにしたかったんです。そういう撮影方法が可能な抜けのいい場所で、なおかつ看板みたいに記号的要素が入らない場所ということで葛西を選びました。

――脱色されたような映像の質感も独特ですよね。これはどうやって作ってるんですか?

VIDEOTAPEMUSIC:VHSのダビングを繰り返していくと赤みから抜けていくんです。人の肌が白くなっていって、だんだん幽霊みたいになっていく。水彩画の逆というか、どんどん色を抜く作業をしてるんですよ。VHSの質感と視点のこだわりが一番うまく融合したと思っていて、自分の中では(映像作家の仕事としては)これがベストだとずっと思っています。

――埋立地という場所からそこまでイメージを膨らませていくのはすごいですね。

VIDEOTAPEMUSIC:埋立地といえども、埋め立てられてから何十年もたっているわけで、それだけの歴史はあるわけですよね。このビデオは埋立地のような場所を100年後から見返しているような感覚があると思います。埋立地にノスタルジーを重ね合わせているというか。

――odd eyesの「熱波」(2018年)では茨城県鹿嶋市の工業地帯だったり、VIDEOさん自身の「Sultry Night Slow」(2016年)では西東京の団地だったりと、コンクリートに囲まれた場所をたびたび撮影地に選んでますよね。なぜそういう場所にカメラを向けるんでしょうか?

VIDEOTAPEMUSIC:そういう場所に引かれてしまうんですよね。「ここは僕が撮らなくても誰かが撮るだろう」という場所にカメラは向けないですし。人間のプライベートなものを撮りたい反面、人間を飲み込んでいく巨大なものに引かれるところもあって。ジャ・ジャンクーの映画が好きなんですが、彼の作品からの影響もあるのかもしれない。人よりも背後に広がる景色が何かを語っている、そんなカットを撮りたいんです。

odd eyes「熱波」
VIDEOTAPEMUSIC「Sultry Night Slow」

VIDEOTAPEMUSIC
東京都生まれ。地方都市のリサイクルショップや閉店したレンタルビデオショップなどで収集したVHS、実家の片隅に忘れられたホームビデオなど、古今東西のビデオテープをサンプリングして映像と音楽を同時に制作している。近年ではさまざまな土地を題材にしたフィールドワークを行いながらの楽曲制作や、国内外のアーティストとの共作なども行っている。VHSの映像とピアニカを使ってライブをするほか、ミュージックビデオの制作、VJ、DJなど幅広く活動。映像作家としてはceroやCRAZY KEN BAND、坂本慎太郎らアーティストの映像も手掛ける。
kakubarhythm.com/artists/videotapemusic

2021年6月9日には配信シングル「Funny Meal」をリリースする。

■VIDEOTAPEMUSIC One Man Show“アマルコルド”
会期:2021年8月6日
会場:日本橋三井ホール
住所:東京都中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町 5階
時間:OPEN 18:00/START 19:00
入場料:¥4,500

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LUCAとharuka nakamuraの新ユニット、arcaが奏でる平和と優しさの種 https://tokion.jp/2020/11/06/luca-and-haruka-nakamura-arca/ Fri, 06 Nov 2020 06:00:03 +0000 https://tokion.jp/?p=10443 シンガー・ソングライターのLUCAと音楽家のharuka nakamura。2人が描写する、来るべき「世界」とは?

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新型コロナウイルスのパンデミック以降、私達の「世界」は大きく変容した。それまで当たり前のように行われていたコミュニケーションや国を跨いだ移動は制限され、日々の暮らしのあらゆる場面に感染の恐怖が影を落としている。それでもなおパンデミックが終息する気配はなく、私達は終わりの見えない異常事態の中を生き続けている。

そんな2020年の秋、『世界』と題された1枚のアルバムが届けられた。本作を作り上げたのは、坂本龍一の2017年リリース『async』にコーラスとして参加するなど活動フィールドを広げている京都府在住のシンガー・ソングライター、LUCAと、音楽家であるharuka nakamuraの2人。彼らはかねてからコラボレーションを続けてきたが、今回のアルバムはarca(アルカ)という新プロジェクト名義での初リリース作品となる。nakamuraが静かに奏でるピアノやアコースティック・ギターの上にLUCAの歌唱がふわりと乗る、arcaの『世界』。ここではパンデミック以降の新たな「世界」もみずみずしく描写されている。そんなアルバムを完成させたLUCAとnakamuraの2人にメール・インタビューを試みた。

LUCAとnakamuraの出会いは、ひょんなことがきっかけだった。ある時、nakamuraは京都のカフェ「STARDUST」で店主の女性から1枚のCDを受け取った。それはLUCAのファースト・アルバム『So, I began』(2015年)であり、nakamuraにそのCDを渡したのはLUCAの母親だった。彼は帰りの新幹線で早速そのCDを聴くと、彼女の歌声に衝撃を受ける。そこに収められていたのは「僕の頭の中で鳴っている理想の『声』」(nakamura)だったからだ。当時のLUCAはパリ在住だったが、彼女の帰国後、それほど時間を置かずに2人は共作を始めることになる。

コンピレーション・アルバム『stardust album』収録。『世界』では別アレンジが収録されている

「初めて一緒に作ったのは『八星』という曲でした。僕がピアノを弾いてLUCAが歌うと、瞬く間に旋律と詩が生まれて曲となりました。それは『感覚が合う』という次元の話ではなく、本来あるべき場所にあるべきものが収まっていくような必然性を感じました。僕らには作るべき歌があり、それを1つの形にすることは使命だとさえ感じました」(nakamura)。

nakamuraはNujabesや青葉市子、ミロコマチコとのコラボレーションでも知られ、繊細で奥深い音作りから国外でも人気を誇る音楽家である。そんな彼の心をつかんだLUCAとは、一体どんなシンガー・ソングライターなのだろうか。

LUCAは1994年、カリフォルニアのバークレー生まれ。先述のファースト・アルバム『So, I began』は全編英語詞で歌われていたが、バイリンガルの日本人シンガー・ソングライターである。今年の8月には日本各地の古謡に取り組んだ『摘んだ花束 小束になして』をリリース。このアルバムはアンビエントとアシッドフォークを経由した日本列島の古謡集といった趣があり、民謡のアップデートを試みた凡百の作品とは異なる新鮮な響きに満ちあふれている。

「幼少時を海外で過ごしたこともあって、数年前までは日本語の歌詞、あるいは単語を上手く音に乗せて歌えなかったんです。ある夜の大宴会で鳥取県の「貝殻節」を独唱した人がいて、一晩かけて教えてもらったんですね。不思議とその古い言葉や音がすっと入ってきて、素直に身体に染み渡っていったんです。それが民謡との出会いでした。民謡を歌うと、いつもと違うところから声が出てきて、地面と真っすぐにつながる気がします。不思議ですね」(LUCA)。

音を育む風土ともつながった作品作り。それはnakamuraのこれまでの活動とも共通するものともいえるだろう。nakamuraは今年4月に初のピアノ・ソロ・アルバム『スティルライフ』をリリースしているが(この11月には同シリーズの2作目がリリース予定)、母親のピアノレッスン室で見つけた亡き祖父の静物画がジャケットを飾るこのアルバムには、nakamuraの個人史と故郷である青森の風土と歴史も写し込まれている。

「曽祖母はとある海辺の大きな稲荷神社で神事に従事していたんです。そんなこともあって神社や『日本書紀』、神楽に興味があり、ある時期、自分なりに長い時間をかけてそれらについて調べました。祖父は曽祖母のことを本にまとめて何冊か出版しているんですが、僕はまだまだ自分の家系と津軽のことを追いかけていこうと思っています。大事なことは、いにしえに歌があり、その川は脈々と今も流れ続けているということ。そして、それを感じることができているかということだと思うんです」(nakamura)。

初めて共作した「八星」で手応えを感じた2人は、アルバム制作を視野に入れた本格的な共作に取り組むことになる。やがてその試みは、arcaという新プロジェクトに発展していく。

「僕とLUCAはいくつかの点と点でつながっているんです。まず、名前がほとんど同じこと。同じ干支であり、12年という1つのサイクルで生まれていること。他にもいろいろとあるんですが、コラボレーションをするにしてもお互いの名前をぶつけ合うのではなく、完全な1つの『円』のような作品を作るべきだと思っていました」(nakamura)。

arcaにとって初のアルバムとなる『世界』の録音は、山梨のStudio Camel Houseで行われた。エンジニアはnakamuraとのユニット、orbeでも活動する盟友・田辺玄。「高台にあり、大きな窓から甲府盆地と富士山が望める最高の環境」(nakamura)の中、その場で生まれたアイデアを即興的に反映しながら作品作りは進められた。そうした制作環境もあって、1つひとつの音には甲府盆地を望むスタジオの空気がにじんでおり、差し込む陽光や山から吹き下ろす風もまた本作に特別な魅力を与えている。Nujabesから生前託されていた8小節のループを元に制作された「SUN DANCE」などからは、木漏れ日がゆらゆらと揺れる光景も目に浮かぶ。

また、本作に奥行きを与えているのが、nakamuraの奏でるピアノの音色だ。ここでは『スティルライフ』シリーズでピアノという楽器に改めて向かい合った成果が如実に反映されている。nakamuraは「ピアノという楽器はとても懐が深いんですよね」と話したうえで、こう続ける。

「ピアノから教わることはたくさんあるし、まだまだピアノを弾けていない気がしています。僕はピアノを森に吹く風のように響かせたいんです。森から作られているピアノの響きの中に、いつも森を感じられる状態でありたいと思っています」(nakamura)。

作詞はnakamuraが手掛けた2曲を除いてLUCAが担当。自然環境をモチーフとする楽曲も多い。そこにはあらゆる場所で断絶が進んでいる「世界」との調和を図ろうという意識もうかがえる。人と人が分断され、国と国が分断されるとともに、人と自然も分断される現在、ここに収められた楽曲はまるで祈りのように響く。かつて歌や踊りとは、さまざまな断絶の間に架けられた橋のような役割も担ってきたが、arcaの音楽に耳を傾けていると、いにしえの時代から歌が持ってきたそうした役割の1つを再認識させられるのだ。

「社会の動きや国の在り方は、私達1人ひとりの人生と切っても切れない関係にありますよね。すべてが巡り続けるこの世界で生きるには、何事も他人事とは思えません。同じ地球に生きる者として、さまざまなことが起こるたびに、自分達の人生というフィルターを通して感じてきたことがありました。そうした事柄をこの作品に落とし込めたんじゃないかな。人間が持つ優しさとかの善性と愛、それがすべての鍵だ! なんてことを最近心の奥底から感じながら日々を送っています」(LUCA)。

コロナ禍の今、2人はこのアルバムがどのように聴かれ、社会の中でどのように響くことを望んでいるのだろうか。

「何も望んでいません。歌のないところから、こうして歌が生まれて、戦争の反対には芸術があるというだけです」(nakamura)。

「うん、私も何も望んでいません。聴いてくださった皆さんが感じるままに委ねたい。でも、強いて言えば、何かの種になったらいいな。平和や優しさの種だったら嬉しい」(LUCA)。

arcaの奏でるハーモニーには、ある種の厳しさも潜んでいる。ここには温かい音と言葉が存在しているが、イージーリスニング的なリラックス感の代わりに、聴き手の感覚を研ぎ澄ませていくようなメディテーショナルな力に満ちあふれている。私達はアフター・コロナの時代にどんな「世界」を作り出すことができるのだろうか? 聴き進めるうちに来るべき世界のイメージが浮き上がってくる点もまた、このアルバムの魅力の1つといえるだろう。

LUCA
1994 年アメリカ・カリフォルニア州バークレー生まれ。2015 年に『So, I began』を発表。音や言葉を紡ぎ歌うこと、そして日本各地に伝わる民謡を歌いつなぐことを始める。最新作は 2020 年 8 月、写真家・Miho Kajioka の写真をジャケットに採用した民謡集『摘んだ花束 小束になして』。ソロ名義の活動の他、坂本龍一ソロアルバム『async』にコーラスとして参加、また京都を拠点にした『night cruising』からThere is a fox と『Light Waves』のリリースなども行う。作詞、ナレーション、写真家・Ariko Inaokaの最新作『Eagle and Raven』の翻訳など、音楽の垣根を越え、活動は多岐にわたる。カリフォルニア、デンマーク、パリ、東京を経て、現在は京都を拠点に活動中。
https://www.lucadelphi.com/

haruka nakamura
1982年青森県生まれ。最新作は初のミュート・ピアノソロ作品「スティルライフ」。世界平和記念聖堂など多くの重要文化財にて演奏会を開催。近年は、杉本博司が構想した江之浦測候所のオープニング特別映像、国立新美術館で開催された「カルティエ、時の結晶」、安藤忠雄に密着したドキュメンタリー番組「安藤忠雄 次世代へ告ぐ」の音楽を担当している。京都・清水寺成就院よりピアノ演奏のライブ配信も行う。東京スカイツリーなどのプラネタリウム劇伴音楽を担当。早稲田大学交響楽団と大隈記念講堂にて自作曲でオーケストラ共演した。Nujabesをはじめとする多くのアーティストとのコラボレーションを行う。翻訳家・柴田元幸との朗読セッション(ライブアルバムを発表)、画家・ミロコマチコとのライブペインティング・シリーズも敢行中。「evam eva」とのアルバム、山梨県のワイナリー「BEAU PAYSAGE」とのワインなどの作品も多数制作。CM音楽ではカロリーメイト、ポカリスエット、AC 公共広告機構、「CITIZEN」などを手掛ける。
https://www.harukanakamura.com/

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